タルティー二のソナタ「悪魔のトリル」
私はこの曲が好きで時々弾いていて、久しぶりで楽譜を取り出した。
2月の同級生の勉強会で弾いてみたいと思った。
このソナタの冒頭部分が特に好きで、格調高い調べが琴線に触れる。
そこが終わると最初の忙しいトリルが始まるけれど、ここはまあなんとかいける。
しかし4楽章のずっと同じ音でトリルを入れながら、そこに旋律を浮かび上がらせる部分が非常に大変。
私は左手の幅があってヴァイオリンを弾くのには便利だけれど、それでも目一杯指を伸ばさなければならないところがある。
左指に力が入れば当然右手にも影響するし、中々のくせもの。
you tubeでパールマンが弾いている動画を見たことがあるけれど、なんの苦労も無いように弾いている。
左手の指も、私なら目一杯伸ばさないと届かないところが、彼はごく普通に指を曲げて取れてしまう。
手の大きさが全然違うのだ。
本当かどうか知らないけれど、パールマンが日本に来た時の逸話がある。
某オーケストラで協奏曲をひいた時、足のわるい彼を労ってのつもりか「おみ足が悪くてご不自由ではありませんか?」と訊いた人がいたそうな。
要するにヴァイオリンを弾くには手だけでなく、足の踏ん張りも必要なので。
本当にこんなこと言うかなあと疑問だが・・・
するとパールマンは「別に不自由はありませんが、あなた達は手が不自由ですね」と切り返したらしい。
トリルの難しさよりも、この曲の風格が素晴らしいと私は思っている。
今を去る数百年前(1740年)にこんな難しい曲が書かれて受け継がれてきた。
この曲が有名なのは作曲者自身の言葉として「夢の中に悪魔が出てきてヴァイオリンで素晴らしい曲を弾いてもらった。目が覚めてすぐに楽譜に書き取ったけれど、それは夢の中の曲ほど素晴らしくはなかった」
このエピソードは後の人の創作ではないかと言われているけれど、バロックソナタの最高峰に立つものと思える。
このエピソードがなくても名曲中の名曲なのだ。
うちに秘めた豊かな情熱が心を打つ。
いつもの相棒のSさんがから、次回の勉強会では久しぶりにソロが弾きたいから、貴女は無伴奏でやってと突き放されたから、う~ん。
年明け早々バッハの無伴奏はきつい。
半月以上怠けていたから楽器も鳴っていない。
それでこのメンバーのもう一人のピアニストのNさんに声をかけた。
Nさんとは以前この曲を一緒に弾いたことがあるので、どう?と声をかけたら受けてくれた。
決して無伴奏より易しいとは思わないけれど、この曲は何回か弾いているから譜読みに時間がかからないと思ったら、どっこい、すっかり記憶が抜けていた。
私の脳に住む海馬は冬眠中のようだ。
馬も冬眠するって知らなかった。
今譜面台に載せてあるのは、最近譜読みを始めたプロコフィエフのデュオソナタ、ヴィヴァルディの4つのヴァイオリンの協奏曲、モーツァルトのディヴェルティメント17番。
それとベートーヴェンのクロイツェルソナタとタルティーニの悪魔。
これらが並んでひしめき合って、手招きされている。
おいでおいで、早く弾いてよ。
困った!
気が付かないふりして慣れない掃除をしたり、ハリー・ポッターを読んだり、ゲームをしたり。
それでも気になって時々譜面台に近付いて、パラパラとめくり時々音を出す。
時々では歯がたたないほど大曲ばかりで、どれから手をつけてよいやら。
とりあえず時系列で並べて、先に本番があるものから練習しようと思っても、どうしても大好きなモーツァルト、プロコフィエフの順になってしまう。
モーツァルトはこの先まだコンサートの当てもないのに。
いつかもう一度という憧れだけで。
まずヴィヴァルディ、ベートーヴェンから練習しないといけないのに。
まだお正月の怠け癖から抜け出られない。
本番が終わって一旦火を落としてしまうと、再燃までが難しくなる。
チロチロとでもいいから火種を絶やさないことが秘訣だけれど、どうもお正月というのは特別なので。
単に時間の経過であると言ってしまえばそれまでだけど。
そして3日ばかりかけて練習量を徐々に上げていった。
すると、体の細胞が生き生きとしてくるのがわかる。
どんよりしていた脳細胞が動き出す。
お菓子を食べる量が減る・・・食べ尽くしたからなくなっただけのはなし。
良いことづくめ。
でもまだ「悪魔」は発展途上。
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