2010年9月30日木曜日

間違えた

行き先は西寧でしたね。ごめんなチャイナ。

これから成都へ向かいます

又西安に戻って来ました。これから成都に向けて飛びます。いよいよ明日夜青海チベット鉄道に乗車。一路ラサへ。今までの所4200メートルまでは大丈夫でした。何だか薬が効きすぎるみたいなので、飲まずに行ってみます。中々電波が届かない所にいるので、メールなども返信出来ませんね。写真も撮るのが上手くなくてガッカリするでしょうが、帰ったらお見せできると思います。では、又電波の届く時は投稿します。

2010年9月29日水曜日

パンダの海

九寨溝にきています。昨日まで電波がとどかなかったので、留守をいたしました。ここはパンダが水を飲みにくるというので、楽しみにしていたら今頃はいないそうで、ガッカリ。これから一番綺麗な九寨溝へむかいます。

こんな写真見ても何だかわからないでしょう。これが黄龍の黄の部分。この上によく写真で見るあのえも言われぬ様々な青い水があるのですが、そこまで行くとこの携帯写真の高度エリアを越えてしまうのです。デジカメを車に置いて登ったために、どうしようもなくガイドさんのデジカメで撮ってもらって、それをパソコンに送ってもらうはめになりました。それは後のお楽しみにしていただきます。今日初体験の高度4000メートル。車の中では何ともなかったのに、黄龍の階段を登っていると心臓が激しく鼓動して、自分の手を見るとチアノーゼ状態。恐ろしい体験でした。前の日に高山病の予防薬を飲んだのに。韓国の団体は手に各々酸素ボンベを持ってあるいていました。でも、苦労した甲斐があって、素晴らしい美しさ。あれを見るためには苦労しないで安易に行くのは冒涜です。でも、長い間ひっそりと佇んでいた景色が、どやどやと踏み込まれていくのも、何だか寂しいですね。と言って私も踏み込んでしまいました。

2010年9月27日月曜日

上海空港

成田発17時、上海に19時55分(現地時間18時55分)着、乗り継ぎは現地時間21時05分。小籠包食べてジャスミン茶飲んで、乗り継ぎゲートに行ったら、ゲゲッ、ゲートがいつの間にか変わっていた。言葉が分からないから怖い。空港はどこでも似ているから写真はありません。今日はここまで。無事に西安に着きますように。今日のチョンボはスーツケースの受け取り票を忘れたこと。それは大したことなかったけれど、明日からどんな旅になるでしょうか。乞うご期待、と言っておきましょう。玉三郎が今頃泣いているでしょうね。ひどいママを許してね。

2010年9月26日日曜日

行ってきます。

出発は明日の午後だけど、間際にパソコンいじって時間を忘れると危ないので、今のうちにご挨拶です。中国から、うまくいけば携帯写メールで投稿しますので、チェックお願いします。青海チベット鉄道に乗りたいと思ってから実現まで数年かかりました。行こうと思うと邪魔が入って、又行こうと思うと都合がわるくなり、の繰り返し。こんなの初めて。いつも行こうと決めるとスグに行ってしまえたのに。今日最後の打合せ。ガイドさんは女性ですぞ。なんだか皆さん疑わしげに、素敵な男性だったら帰ってこないわよね?なんて、ご自分の願望を重ねあわせていましたが、残念でした。帰ってきます。台風も過ぎてフライトも大丈夫そうだし、明日夜、空港にガイドさんが居なかったらどうしようと思う以上に、ガイドさんのほうがこちらを心配してる風。この人たった一人でちゃんと来られるのかしら、と思っているらしい。私もいつも気楽にでかけるのに、とんでもない高地なので結構緊張です。メキシコで2000メートルまでは体験しているけれど、5000メートル超えはねえ。いままで、ロッキー山脈などでスキーをしていた時は、なんにも考えずに楽しんでいました。高山病なんて考えもしなかったし、海抜すら見なかった。もしかしたら危なかったのかも。ブログなどで見ると、高山病になった話がいっぱい。でも、予防薬を飲まなかったのかなあ。飲んでもなるならなお心配。それならヤメればいいのにやっぱり行きたいのですよ。

古典音楽協会定期演奏会

一昨夜は私の所属する合奏団の143回目の定期公演でした。あと、数年で50周年を迎えるこの団体は故三瓶十郎氏が、創設されました。年を追うごとに客席がいっぱいになり、いまや、早めに行ってもいい席がとれないと、うれしい苦情が来るほど。私は比較的遅く入団したけれど、ほとんどの団員が30年40年の長きにわたって演奏し続けて、今日に至っている。このような合奏団は、個性的な音楽家同士のぶつかり合いで、消滅してしまうことが多く、こんなにうまく継続されているのは珍しいと思う。それなりに問題があったとしても、我慢強くしっかりとした人たちの集まりなので、均衡を保っている。非常に個性的でありながら、おおらかでユーモアがある人達。私が一番ワガママかもしれない。この言いたい放題の野生児を、穏やかに受け入れてくれる優しさ。それが演奏に表れる。プロフィールの写真と記事がバラバラと評判悪いけれど、ホームページ御覧ください。でも、メンバーに言わせれば、「このバラバラがいいのよ。それぞれ違うひとなんだから。」と気にもしていないのですがね。
http://www.koten.co.uk/

2010年9月23日木曜日

荷物を作る。

ラサ行を来週の月曜日に控えて、そろそろ荷物を送る準備にとりかかる。明日には空港に送ってしまおう。今回11日間という長丁場なので、車は家に置いていくことにした。幸い、武蔵小杉駅が近く、成田エクスプレスが止まることになって、超ラッキー。成田まで1時間10分。これはらくちん。
まず、紙類。トイレットペーパー、ティッシュペーパー、除菌クリーナーなど。でも、相当辺鄙なところでも、今時不自由はしないから、気休めに。山のような薬。お腹、心臓、歯、風邪、高山病予防薬、喉、咳止め等々。狂犬病の予防注射は昨日で完結。それから化粧品。もともと殆ど化粧もしないが、日焼け止めだけは必需品。モンゴルに行った時真っ黒になって、今でも後悔している。のちのちのために、日焼け厳禁。それと寒さ対策。ラサは今頃は15度くらいだそうで、それなら、軽い防寒着でいいけれど、念のために綿入れのパーカーを用意。初めはスキー用のヤッケを入れたけれど、少しオーバーすぎるかなと思って、差し替えた。羽毛のベストも入れた。セーター2枚。そして、ニュージーランドのアイスブレーカーというシャツをいれる。これは優れもの。登山などで威力を発揮する。Tシャツを3枚、パジャマ2枚、下着、靴下、靴と室内履き、本が数冊、あとは、電波事情がよければ、あちらからこのブログに投稿するために、携帯、デジカメのポータブル充電器、以上。これでパスポートさえ忘れなければ、あとは野となれ山となれさ。西安までは全く一人。ガイドさんが空港に迎えに来ることになっている。一体なにが起きますことやら。

2010年9月22日水曜日

検事の犯罪

あきれてものも言えない。検事が証拠の改ざんをして、自分の描いた犯罪をでっち上げていたとは。顔を見れば河豚のような、見るからにあくどい顔。ほら、又誰かに叱られそうだけど、顔つきってあるでしょう。不細工とかでなく、内面の傲慢さや気の弱さが出ますよね。例えばこの事件で告発された村木厚生労働省元局長。冷静で頭の良い人、でも本当に関わったとしたら、ずいぶんふてぶてしくも見えそうだけれど、無罪が確定して微笑んだ時には、思わず涙ぐんでしまった。どれだけ悔しい思いをしたことだろうか。にもかかわらず、これほど穏やかそうにしていられる、芯の強さ。尊敬します。それに比べて部下の村上勉被告。見るからに気の弱そうな、お前、やっただろうと3回位言われたら、はい、やりました、と答えそうな人。こんな河豚面の怖い検事に強引に迫られて、冷静でいられる人はいないと思う。この検事、今まで世の中すべて自分の路線でやってきたにちがいない。出世頭、大阪地検のエースと聞くけれど、なによりあってはならない「卑怯者」。でっち上げられ告発されることのおそろしさも、自分の出世のために、平然と踏みにじってきたのだと思う。検事がそんなでどうする。権力をもった人は、誰よりも謙虚でなければいけない。なぜ、検事を目指したのか。正義感?権力欲?社会的な地位?最近一番ショックな事件でした。

2010年9月21日火曜日

若い人に教えられて。

先日のnekotamaを読んだ方から高速道路の渋滞情報がありますから、このつぎからはそれを見ていったほうが良いですよと助言があった。私は抜け道があればそれを行ったほうがよいのでは?と、抜け道情報を知りたい旨伝えた。すると、抜け道マップも出ていますが、一般の生活圏の道路を抜け道に使うのは、そこで生活している人たちにとって大変迷惑だから、おやめなさい、としっかり答えが返ってきた。交通渋滞情報をみて、早めに出かければそれで済むことなので、抜け道として使われるその地区の住人のことまで、考えなかった。何年人間やっているのでしょうね。アホに長年生きるのと、未だ若くても賢く生きるのと、この位差がでるものなのですね。以前、やはり私よりもはるかに年下の友人と、ある有名人の話題になった。自分のことは棚にあげて、私はあの人の顔は不細工だから嫌いと言ったら、自分が努力してもどう仕様もないことを言ってはいけません、と叱られたことがあった。いつも穏やかで草食系のひと(動物はかわいそう食べられないというほど優しい)から、思いもかけず厳しく言われて、反省。(でも、まだ反省はかなぐり捨てて、悪口言いますけど。)時々思い出して前より言わなくなったと思う。この人たちは、しっかりとした躾をうけて育ったのか、元から人間出来ているのか。私は野放し状態で人の気持を考えずに口から言葉が出てしまう。反省してもその場限り。この差はどこで培われるのか、知りたい。

2010年9月19日日曜日

悪夢の一日

秦野にでかけました。今度新しく立ち上げるオーケストラの、弦楽器を指導している。いつも13時から始まるのに、今日は14時始まりなんだ。なぜか、そう思い込んでいつもより少しゆっくりとしていた。いつも、練習の1時間前には必ず着くようにしている。距離があるし、日曜日なので日曜ドライバーがよく事故を起こして渋滞する。それを見込んで、今日もそれだけ、時間をとったつもり。11時出発。そこからが悪夢の始まり。川崎インターへ至る道が大層込んでいる。そうか3連休か。でも、乗ってしまえば1時間足らず。着いたらユックリお茶のんで、途中の地場産のお店によってとアレコレ考えていた。それにしても、こんでいるなあ。今日は14時でよかったよね。携帯のスケジュールには・・えっ・・・13時。たしか昨日たしかめたのに。わあ、まにあうかなあ。でも、いつも1時間前につくのだから、今日はギリギリになるけど、大丈夫。違うメール(件名が室内楽、とか合奏とか、リハーサルとか似ているのがくるので)を見たのかも。あわわ、ところが東名の川崎インターには無情にも厚木まで80分の電光文字が。厚木までいってその先は?焦りまくって関係者に連絡をして、練習のアレンジをしてもらう。このままでは、いつたどり着くかわからないし、下の道を行ったほうがいいかも。思い切って下におりてみると、そこもまた大渋滞。ヨロヨロと町田から高速へとって返す。ほうほうの体で秦野のインターから堀川公民館に向かった。ところがここから怪奇現象の始まり。カーナビに従って走るが、ぐるぐる回されるばかりで、一向に会場に辿りつかない。最後は人に聞いてなんとかたどり着いた。遅れること2時間、私は常日頃、遅刻は最大の恥だと思っていたので、ショックは大きく、まるで、悪夢の中にいるようでした。帰りももちろん大渋滞。楽しい楽しい一日でしたよ。げんなり。

アンチエイジング

もう歳だからとか年のせいでなどと云うものではないと世間では云う。最近アンチエイジングなる言葉をよく聞くけれど、自分の歳をなんで素直に受け入れてはいけないの。ずーっと好きなことだけやってきたからわかるけど、私が多少元気に見えても、別に努力をして張り切っているわけではありません。つい最近まで、働き詰めの生活でした。それはそれで大変楽しく、でも、疲れた。暇になって時々仕事をすると、仕事っておもしろいなあと再認識。だからといって又あの生活に戻るのは無理。本当に年なんだから。腱鞘炎、腰痛などと戦って生きていくのもつらい。子供の頃はボンヤリしているのが好きだったから、今まさに「帰りなんいざ、その頃に」という心境。テレビなどで、とても若く見え、活躍もしている人たちが登場する。そのような人たちは本当に若いんです。実年齢がどうあろうと、体も心も実際に若いのだと思う。それを無理してあの人達に負けまいとして、若作り若やいだ声で、笑顔が健康に良いといえば、無理に笑っている人を見ると、痛々しく見苦しい。元気を装おっている裏で、自分をだましているのだと思う。それが周りの人たちに悪しき影響を与えるのがわかっていない。歳をとったらフニャフニャと、猫のようにくらすのが一番。家にいつくようになると、困るのはお掃除。やたら、汚いところが目につく。家事というのはとても重労働で、雑巾で床ゴシゴシやろうものなら、あと寝こんでしまうほど。ラサまで行くエネルギーはあるのに、お掃除のエネルギーは皆無。お掃除の天使さん、どうか舞い込んでください。お待ちしてます。

2010年9月18日土曜日

鼻行類続き  ハラルト シュテュンプケ著   日高 敏隆訳  思索社

今は平凡社から出版されているようです。私も引越しのどさくさで以前のものをなくしてしまったので、もう一度読んでみたく調べてみました。イラストの可愛らしさ、内容の充実度、なによりも訳者が日高氏であることで、すっかり騙されましたが、再読希望ナンバーワン。図書館にあるかもしれません。騙されたと思って読んでみてください。結局、本当にだまされるのですが・・・

2010年9月17日金曜日

玉三郎がアワワ

今朝、相変わらず早朝4時におこされ、猫の奴隷である私は、はいはいと言って缶詰を開け、トイレの掃除をさせられて、二度寝モードに入った。ようやく涼しくなったので、玉三郎も私の布団に入ってきて、仲良くおやすみ。目が覚めると横にいない。ふと見ると頭の上に玉三郎が、いつもと違う様子で眠っている。触るとピクリともしない。一瞬、先日獣医さんに言われた腎機能低下の事が頭をよぎる。なんだか、体温も低いみたい。呼びかけても薄目も開けない。いつもは少しでも私が動くとスグ起きて、ニャアニャアうるさくつきまとうのに。もうその時点で涙目になって、玉、玉とゆりうごかしても、なんだか反応がない。そういえば獣医さんも、もう高齢だと言っていたっけ。それなら、うるさく騒いだときに、あんなに叱らなければよかった。気も動転して、顔をグリグリすると、ようやく薄目を開けた。ああ、よかった、生きていた。頭をなでるとうるさそうに欠伸をして、ニャアと鳴いた。そうか、今年の暑さ、猫もこたえていたんだ。やっと、涼しくなって熟睡していたのに、うるさい飼い主だなあ。トンとベッドから飛び降りると、サッサと椅子へ移動。いかにも、フンって感じ。いつも玉にうるさく騒がれて睡眠不足の私は憮然とする。ホント、猫ってヤツは。

2010年9月15日水曜日

はやぶさを見に

ご近所に行きますとメールしたら、では、面白いものをお見せしたいので、とHさんからのお誘い。面白そうなものにすぐに飛びつくわたし。なにがみられるのだろうか。しっぽを振りながらついて行く。つれて行かれた先はJAXA相模原キャンパス。以前、宇宙探査機「はやぶさ」の投稿をしたことがあったのを、憶えていてくださったのだ。放送大学で天文学の基礎は学んだので、多少宇宙には興味がある。特に「はやぶさ」が探査した小惑星「いとかわ」はロケット研究の糸川博士の名をとったもの。生前の糸川先生には何回かお目にかかっている。と言っても先生の専門の分野でではなく、音楽やバレエなどの趣味の分野でですが。それはあんまり関係ないけど。JAXAは従来3つあった宇宙研究所が1つにまとまり、宇宙航空分野の基礎研究から開発、利用にいたるまで一貫して行う機関。「はやぶさ」の実物大模型、屋外にはロケットの実物大模型が展示されている。「はやぶさ」は大きめのお神輿みたい。外側が金箔?で覆われた箱型。思ったよりずっと小さく、これが宇宙をさまよっていたのかと思うと、けなげにおもえる。ロケットと一緒に写真を撮ってもらって、掲載するつもりだったけれど、おばさんとロケットはいかにも不釣合い。残念!場所がかわってプラネタリウムで「はやぶさ」の映像を見に行く。ところが・・・横になって暗くなると・・・完璧に寝てしまう習性なので、今回我慢できるかどうか。悪い予感があたって始まってから、ほんの数分起きていただけでした。

2010年9月14日火曜日

散歩を再開

先週高熱を出して以来散歩はおろか、昼夜を問わずうつらうつらしていたけれど、昨日夕方あたりから、はっきりと回復の兆しが出てきた。普段はショートスリーパーで、睡眠は3時間から4時間、時々ドット寝るを繰り返してきた。それが、なんと数日間起きている方が少なかった。今年の夏の暑さがよほど応えたか。感心なことに?食事の時間だけは目が醒めて、ちょっとつまんで又眠るの繰り返し。ところが、あまり寝たものだから、昨日の昼寝から醒めてその後、全く眠くならない。睡眠がいかに体に良いかを実感した。頭すっきり、目はシャキッ、足はズンズン。で、今朝から散歩の再開。カラスのお母さん久しぶり。お父さんはどこ?頭の毛が抜けちゃったねえ。  大きな黒ラブとジャーマンシェパードを連れた男の人が来た。大型犬大好き。そばに寄って頭をカキカキさせてもらう。男の人のじゃないですよ。ワンちゃんのです。犬も年をとって介護が大変です、とやせた飼い主。犬は小柄な私位はあろうかという大きさ。大型犬に好かれるので、時々じゃれてくる子がいる。以前、大きな秋田犬が向こうから来て、私の前まで来ると突然立ち上がって両手を私に肩にかけ、ベロりと顔を舐められた事があった。立ち上がると私より大きい。飼い主は何事かと、キャアーと叫んでハーネスを一生懸命引くけれど、私が笑っているので、やっと安心したようだ。よくやられるので慣れていて、さほど驚かない。セントバーナードが後ろから抱きついてきて、転びそうになったり、動物ふれあい広場に行けば、仔牛ほどある黒犬に遊ばれて羽交い締めにされたり、大型犬との相性は抜群。気分よく散歩を終えたら、あら、又眠くなってきた。

2010年9月13日月曜日

さて、なにを書こうか・・

と考えるこの瞬間がたのしい。毎日平凡に生きているから、さして話題になるようなハプニングはないけれど、世の中にはドッサリ面白い話しがころがっている。ここに植物に関する本がある。
「植物たちの秘密の言葉」  ジャン=マリー・ベルト著  ベカエール直美訳  工作舎

木々の緑や美しい花は私たちの心をなごませて、健康の増進にも役立つ。地球上の酸素をつくりだし、小鳥たちのすみかとなり、木陰では家族がくつろぎ・・・・植物とは優しく豊かなもの・・・というイメージを一転させるのが、この本。のっけから始まるのは、呪術師たちの「極秘」の薬。西アフリカのブードュー教の儀式の中に「死者の蘇生の儀式」というのがあるそうで、有毒な植物のエキスがつかわれている。人を初め仮死状態にして、埋葬。その後墓を掘り返してなにやら飲ませ、叩いたり布でくるんだりしたあげく、遠くのプランテーションに連れてゆき働かせる。死なずに強硬症をおこさせるのも、「生き返らせる」のもヒキガエルの毒効果やふぐの毒、チョウセンアサガオのエキスなど、かの地でチョウセンアサガオは「ゾンビキュウリ」と呼ばれているそうだ。チョウセンアサガオは非常に有毒で「真実告白薬」として知られるそうだ。きのこの毒性についてはすでに良く知られている。可愛らしい花にひかれてつい手を出すと、とんでもなく痛いトゲにさされたり、植物は自分が動けない分、身を守るのに必死なのです。回旋植物、つる植物は植物の中でも、最も知能指数が高い。自分でヒゲの先で支柱を探し当て巻きついてゆく。その運動性も植物の中では最高位。植物には知性があると言われる。まだ、支柱を察知するメカニズムについては解明されていないらしいが、ある種のホルモンが関与しているのではないかという説もある。ここに書ききれるものではないので、あとは本書をお読みになることをおすすめします。植物の悪賢さや毒性、獰猛とも言える食中植物などの他、菌類の「愛の舞踏」など、植物の概念が少し変わります。おぞましくもあり、愛すべきでもあり、そしてなによりも、地球上の生物がお世話になっている、植物への畏敬の念をおぼえる。地球上に人がいなくなったら、植物で覆いつくされる、さもありなん。植物はその日を虎視眈々と狙っているのかもしれない。面白いと思って書き始めたけれど、薄気味悪くなってしまいました。

2010年9月12日日曜日

ヒコベエを読んで母を思い出して涙。

ヒコベエの母は、高邁な精神を説く武士の家系の父親とは反対に、土に足の着いた農家の出身。38度線を3人の子供を連れて生き抜いた逞しさを持っていた。それで、私も思い出して涙したのは自分の母のこと。戦時中結核を患い、体がよわかった。いつも子供たちに先に食べさせて、私たち兄弟が一緒に食べるよう促すと、お腹がいっぱいだからと言って食べない。でも、母が食べていないのは知っているから、私たちはそれを叱っていた。でも、子供のことだからいつの間にかうやむやになって。そんなことの繰り返しだった。いつも感じていたことは、この母はじぶんの子供を守るためなら、どんなことでもするだろうということ。自分の命を投げ出すだろうということ。近年、母性愛とは自分の遺伝子を残すための、非常に利己的な行為であるといわれるが、それだけで出来るものではない。たしかに母は口うるさく、自分の羽の下に子供たちを抱え込んで離さない。家族は唯々として母の命令に従わなければならなかった。でも、言うとおり動くとたいていはうまくいくので、みな云うことをきくことになっていた。ようするに女帝卑弥呼様だった。それだけなら、必ず反発するものが出るはずなのに、一人の子供も道をはずさなかったから、立派といえる。強いて言えば私のこと。ヴァイオリンなど弾いて、堅気でない世界にいるのが余程お気に召さないのか、死ぬまで嘆かれた。まだ、ヴァイオリン弾いてるの。迷惑だから早くやめなさい、と。

2010年9月11日土曜日

ヒコベエ  藤原正彦著 講談社

藤原正彦氏は数学者、お茶の水大学名誉教授。エッセイストである彼が初めて書いた自伝小説。
私は病床で本を読みふける癖があって、子供の頃体が弱く寝ていると、父がよく本を買ってきてくれた。それが経済を預かる母との、喧嘩の種になっていたようだ。その頃はまだ日本中が貧しく、6人も子供のいる我が家で本などおいそれと買えない時代なのに、食べ物よりも本など買う父に母はいつも文句を言っていた。そんな時代を過ごしてきた著者に共鳴するものが多々あって、風邪でうつらうつら寝たり起きたりしているうちに読んでしまった。藤原氏の両親は作家。しかし、彼は数学者となるが、やはり血は争えない。38度線を超えて生き抜いてきた家族の姿がいきいきと描かれている。今の家庭なら極貧といえるかもしれない。でも、当時はみんなそんなものだから、だれも貧しさで嘆いたりしなかった。主人公のヒコベエは知恵と勇気のある子供。いまの子供からしたら乱暴といえるが卑怯を憎み、父親(新田次郎)から武士の心得を聞かされ育っていく。弱いものいじめをするな、見て見ぬふりをするな。今の教育に欠けているものが、ここにある。母(藤原てい)は身を呈して3人の子供を守り、満州から引き上げてきた。淡々と書いてはいるが、気迫に満ちた描写に圧倒される。著者のことば。「世界が金銭崇拝に走っても、日本だけはそういうものに一線を画せる国になってほしい」そのために文化をまもり、芸術、学問をいかに学ぶかが民族の自信になる・・と。ヒコベエが美術の先生と出会う。ユニークでユーモアのある素晴らしい先生。それが安野光雅氏だったとは。

熱が下がる

目が覚めると、昨日まで廻っていた世界がやっと、普通にもどっていた。今日もまた、アクエリアスを大量に飲んで寝ていようと思ったけれど、気分はすっかり愉快になっている。体はまだふらついているけれど、起きてみると頭痛もない。私のすごいところは、オホン、どんな時でも食欲はちゃんとあるところで、(自慢にもならない)しっかりと朝ごはんも食べ、鼻をグズグズいわせながらnekotama投稿。これで気が済んだから寝ます。おやすみなさい。すみません、働いている皆さん。

2010年9月10日金曜日

鬼の霍乱

目が覚めると激しい喉の痛み、しまった、風邪をひいてしまった。2,3日前からなんとなく水っぱながでていたのを、鼻の手術のせいだと思っていた。でも、普通、そのような手術では、血膿のような鼻水になるはずが、さらさらとした鼻水なので、もしやとおもいながら、風邪対策を怠っていた。しかも、この体のダルさはなんなのだろう。きっと、熱が高いに違いない。測ってみたら38・1度。ギャッ、私の平熱は35度台、低体温なのです。一生懸命上げても36度になるのはまれなのに、これはもう、異次元にはいっている。ふらふらになって、でも、病院へ行こう。車の運転は慎重に。やっとたどりつくと、先生は額に手をあてて、「38度だね」又ふらふら帰りがけに、アクエリアスの2リットルペットボトルを買って、一日中それを飲んだ。うつらうつら目が覚めると飲み、又寝て覚めると飲み・・ずっとうつらうつら。電話が鳴った。「今日娘がそちらにレッスンに伺ったのですが」 
えっ、今何時?6時半をすぎている。しまった、レッスンの約束、慌ててパジャマから着替えて待つことしばし。アワワ、こんなに寝てしまうとは、余程疲れていたのだろう。毎朝猫に4時半に起こされ、いつも睡眠時間は4時間。ナポレオンじゃあるまいし、つかれるわけだわ。いい時に風邪をひいた。これで又リフレッシュ出来る。でも、明日の仕事はキャンセル。他人に行ってもらうことになった。たまにしか仕事がないのにねえ。トホホ。

2010年9月8日水曜日

水中ドライブ

ちょうど台風の雨足が一番ひどい頃、第2回目の予防注射の予約時間。歩いて行くのはとても無理。新横浜の駅からタクシーと思ったけれど、帰りにタクシーがつかまる保証はない。で、自分で運転することに。運転大好き、雨も嫌いじゃないけれど、ずいぶん激しくて危険そう。最近ゲリラ豪雨でアッという間に道が水没することがある。かつて私も、下水から水が吹き出してくるのを見て、仰天したことがあった。その時は道路の白い線が少しは見えたから、それを頼りに走って無事だった。外に出てみると、さほどの降り方ではないと思えたが、しばらくすると雨はますます激しくなって、まるで水の中を走っているよう。そのうちなにか幻想的な気分になってきた。海のそこを走っているつもりになろう。素敵な気分。このへんが変人といわれる所以か。もちろん案外と気が小さいから、安全運転ですよ。でも、せっかくだから、良い気持ちのほうがいいじゃん。(これは横浜の方言です)たどりついたクリニックはまだ新しいので、綺麗で先生ものんびり、看護婦さんもオットリ。帰りもまだ激しい降り。又、海の底を魚になった気分で走る。でも、家に着く頃には小止みになってきて、魚気分は消滅。人間に戻って残念なのは、ゴミ置き場が汚れているのに気がついてしまったこと。魚だったら、怒らないですんだのに。人間はつらい。

2010年9月7日火曜日

変わり者

よく他人から「変わっているね」と言われる。そうなんです。両親も姉妹、兄弟も全員変わり者の一家でした。子供の頃は6人兄弟の末っ子なので、ほったらかし。兄弟は学校に、父母、祖母は用事があって出かけてしまうと、(それも、私にはだれもヒトコトも言わず)ネコとただ二人。江戸時代に建てられた大きな古い家で、肩寄せあって過ごした。ネコは遊びに行きたいのに私が寂しがって離さないので、さぞ迷惑だったでしょう。しっかりと抱きしめて、縁側で家人の帰りを待っていた。今なら犯罪がおきても不思議はないけれど、盗るものもない家だから誰も来ない。ちょっと悔しい。父が異常に社交的だったので、来客はひっきりなしだったのに。だれでも家につれてくるので、うちの廊下に住み着いていた人もいた。あれはなんだったのかしら?知らぬ間に裏庭に住んでいた人もいた。ほとんど野生児状態で育ったので、今の自分があると思っている。好きなことを、好きなだけ、好きなようにする。それも、ちょっと他人が考えないようなことを。縁側で一日中流れる雲や太陽や、風を感じていたので、日暮れまでなにもしないことが多かった。ボンヤリしていると夕焼けになり、それは又それで美しく、見飽きることがない。それが今回のラサに憧れる元ではないかと思っている。山が見たい。

2010年9月6日月曜日

病院通い

この健康なわたしが連日病院に通っている。ラサへ行くための準備。どんなところか見当がつかないので、体調を万全にしておきたい。まず、歯。知覚過敏の治療と掃除。歯はとても大事にしているので、虫歯も歯周病もなければ、歯石もついていないけれど、つい先日強烈な知覚過敏におそわれた。行く前でよかった。ただ、歯がとてもすり減っている。ヴァイオリン弾きはよく歯医者さんに言われるそうだ。なにか歯をくいしばるような、お仕事をしていますか?と。弾いている最中にバリっと歯が折れたなどと聞く。でも、この歯科医は私の云うことを信用していない。ひどい歯ぎしりをすると極め付けられて、マウスピースをつくられてしまった。その時又、好奇心が頭をもたげて、それをはめて、ヴァイオリンをひいてみようなんて。それから鼻腔を広げる手術。せまくなっているので、広げようと、これも医者のいいなり。今鼻がグスグスする以外、なんの効果もみとめられない。それから狂犬病の予防注射。これはあと2回。そして今股関節が痛い。これは、先日小淵沢で馬に乗ったとき、無理に足を広げたため。せっせと整体へ。その他、この際だから、内臓もしらべおこうと思ったら、連日の病院通いになってしまった。医療費もばかにならない。一体自分はなにをすき好んで、こんなことをしているのか。考えるとあほらしいから、考えないようにしている。ものを考えないと、大抵のことはうまくいくという事が、やっとわかってきた。

弦楽アンサンブル

時々音楽教室の弦楽アンサンブルの指導をしている。若い人達が集まって日曜の午後、12人、時には15人くらい、時には10人以下の時もあるけれど、固定メンバーができて安定してきている。初めの頃はチェロばかり多かったり、ヴァイオリンだけだったり、バラバラ。出る音も私の言い草では「この世のものとは思えない」「ホラーっぽい」「何かがひっくり返ったような」等々。罵詈雑言に耐えて生き残って来た人たちだから、この頃、えらいいい音が出るようになった。昨日日曜日、文京アカデミーで、ヴィヴァルディの「四季」の第一回目の音合せを始めた。コンサートマスターのMr.Sはとても上手いからソロは大丈夫。皆耳に聞き覚えもあるし、思ったよりスムーズに練習が進む。でも、ちょっと油断すると暴走するは、人の音を聞いていないは、勝手にリズムをとるは・・・様々に問題が噴出。なん回かやっているうちに目に(耳に)みえてよくなっていく。若い世代の飲み込みの良さには、いつも驚かされる。初めの頃、楽譜もあまり良く読めなかった人たちが、初見でもなんとかこなせるようになって、継続は力を実感。できれば「四季」全曲一気にコンサートでひいたら・・というのは夢ではないかもしれない。

2010年9月4日土曜日

鼻行類

別名「はなあるき」 この絶滅した動物をしっていますか?形は小さなゾウさん。鼻の手術つをうけたので、思い出した。なにが特徴かというと、ゾウさんとは全く逆さまに、ラッパ状の鼻で立って歩くこと。南の島のダーウィン研究所が水爆実験のため水没して、その島にだけいた「はなあるき」も共に絶滅。写真類も完全になくなって、わずかにスケッチだけが残っていた。ゾウが鼻で歩くことを想像してみたいただきたい。それはそれは可愛いイラストが表紙を飾り、当時ベストセラーになったのを覚えている方もおられるでしょう。学名もラテン語で記されていて、かなり専門的な研究書のようだった。私も夢中になって、電車の中で口角泡をとばす勢いで、興奮して友人に説明した。だが、その人は一向に興味を示してくれない。ところが、読み進めていく内に、なんだか変だぞ・・・バッハを聞いてすぐに復唱したなんて・・・ゾウの親戚みたいのが????まもなく続編で秘密があかされた。あれはぜーんぶ嘘っぱち。本物の動物学者が書いたジョーク。たぶん世界の何カ国かで大勢の人がだまされたのだろう。どうりで、ちゃんとした学術書の体をしていると思った。大笑い。中には本気で怒る人もいたかしら。いまはもう絶版だと思うけれど、もういっぺん読んでみたい。

2010年9月3日金曜日

月例弾こうかい。

毎月ピアニストが集まってミニ発表会。お客さんは自分たちだけ。
今日も荻窪の美邸にあつまって、全部で5人。ひとりだけヴァイオリン弾き。美術品やアンティークな調度品にかこまれて、グランドピアノがドーンと2台。ピアニストの家は本当に贅沢な空間。今日はバッハのソロソナタ1番を弾かせてもらう。友人だと言っても、やはり緊張する。思ったように指が動いてくれない。むしろ、ステージの上に立ってしまったほうが、楽な時もある。冷や汗タラタラで弾き終えると、恒例のお食事会はパスして、鼻の手術を受けるために耳鼻科ヘ行く。鼻腔内が腫れて狭くなっているため、鼻の通りが悪くなっているのを直すために。鼻に麻酔のガーゼを詰める。花粉症の手術と同じような感じらしいので、リラックスしていた。しばらくすると、鼻がそこにあるのかどうか、わからなくなってくる。そして、手術はあっと・・・本当に アアア くらいで終わった。
終わってから「鼻が高くなりましたか」と冗談なのに、いつも、面白いことをいいそうな先生が生真面目に「これはその手術ではないから」と言ったのがおかしかった。今、猛烈眠い。薬が効いてきたようです。

2010年9月2日木曜日

スランプ

ゲゲゲの女房を見ています。漫画家水木しげるがモデル。いままでの朝の連続もののなかでも、とびきり面白いほう。この頃水木さん、スランプで仕事が激減。何事にも明るく立ち向かってきた彼が、毎日暗い顔をみせています。なんだか身につまされるなあ。私もオーケストラにいた頃は、一人でこの楽団背負ってる・・みたいな勢いでした。お金なんかめじやないわ。お金よりもいい演奏が大事。そんな気概。貧乏は全く苦にならない。本当によく努力もしたし、その頃の自分が目の前にいたら、頭ナデナデしちゃう。でも、フリーになった時、仕事=お金が身についてしまった。当時、バブル経済の真っ只中、仕事は降るほどある。現金払いだったので、スタジオをいくつかまわると、みるみるお財布がふくらんでくる。ヴァイオリンもヴィオラも弾いたので、超多忙。毎日美容院で髪をあらってもらい、シャンプー台でしばし仮眠。文化会館のリハーサル室で、ピアノのカバーに包まって寝てしまったことがあるくらい。でも、ストレスが大きくて、稼いだお金はその場で遣ってしまった。目につくものを買ってしまうので、なにも残らなかった。それから、バブルが弾けて仕事が減りはじめると、自分を拒否されたように感じてしまう。仕事がない。電話がならない。世の中どうなっているの。嘆いている私に「そんな時には勉強するものだよ」大先輩の鳩山寛氏の言葉が思い出される。ちょうどその時期の水木さん、頑張って。

2010年9月1日水曜日

予防注射

今月末に、チベットに出かけるので、新横浜のクリニックで狂犬病の予防注射をうってきた、世界でも危険な狂犬病区域はインド、中国など。日本では絶滅しているから、全く心配はない。この病気は本当に悲惨だそうで、これにだけは罹りたくない。動物好きなので、うっかり近寄ってガブリとやられかねない。今日打ったのはドイツ製のもの。全部で3回うつのだが、日本製だと期間が長く、出発に間に合わなくなる。ドイツ製はやっと出発に間に合う。一回でいいと思っていたのが、うかつでした。ガイドは付くけれど、一人旅なので健康管理も大変。青蔵鉄道では、日本人が何人も亡くなっているそうだから、高山病の予防薬も、もらってきた。ふん、なんだかワクワクするなあ。クリニックの院長先生はとても親切。帰りに家具屋に寄りたいと言ったら、地図と詳しい説明つきで、イケアをおしえてもらった。夜ベッドで本を読む癖があって、どうも普通のスタンドでは読みにくい。飛行機の中みたいに、スポットライトがあれば便利。新横浜のイケア。初めて行ったけれど、巨大なスペースにきっちりと商品が整理されて、何がなんだか・・・。シンプルで機能的な商品。でも、私はもう少し装飾があるのが好きだなあ。一つ気に入ったものが見つかって、家で使ってみたらとても具合がいい。でも、日本離れした空間でいささか疲れた。ラサでならきっと、ぜーんぜん疲れないのでしょうね。