音楽教室の弦楽アンサンブルはメンバーも定着、とても仲良しでありながら良きライバルとして、切磋琢磨し合って伸びてきた。
今日は見学者が一名。
待ち望んでいたコントラバス奏者。
いつもはジャズをやっていると言う。
なぜクラシックなんて言う、七面倒くさいジャンルに目を向けたのかは分からない。
それでも今のメンバーの中にも、ジャズクラスで受講していたけれど、クラシックに興味があって参加したと言う人が数人いる。
その人達もすっかり定着して、小うるさい私の様な講師に小突かれながら、練習後の酒盛りが良くて・・・ではない、練習が楽しくて?来ている。
さて今日の見学者は、初めのうちは黙って聴いているだけだったけれど、途中で車に積んであった楽器を持って再度入室。
指をくわえて見ているだけではつまらない。
楽器を弾きたくてきているのだから、弾かなきゃ損!
冬場、スキーの練習に山に籠もってしまうチェロのメンバーも、雪がなくなったので山から下りてきた。
まるで熊だなあ。
そんなことで、今日は各パートが揃ったうえにコントラバスが入って、今までになく良い音がした。
曲はモーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
この曲はこの弦楽アンサンブルが出来た初期の頃、発表会で演奏したけれど、なんともまとまりの悪い印象の薄い演奏だった。
今日は練習が進むにつれて、どんどん良くなっていった。
以前は抽象的な事を言うと、いまいち反応が薄かった。
音楽以前の問題が山のようにあって、まず音の出し方からハーモニーを作り上げていく行程を懇切丁寧に説明していった。
それでもアンサンブル初心者は、何を言われているのか理解出来ないことも有ったと思う。
自分のパートを弾くことに追われ、隣の人と同じ譜面台を使えない人もいた。
ついてこられなくて、やめていった人も。
転勤した人がしばらく新幹線で通ってきてくれたけれど、それも限界があって、とうとうギブアップ。
そんなことが沢山あったけれど、それでもずっと同じメンバーが熱心に通ってきたお陰で、去年の発表会はとても良い演奏をしてくれた。
ようやく練習の努力が実り始めた。
共鳴することがどんなことであるかが、理解出来るようになったのだと思う。
「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は耳に馴染んでいて取っつきやすいかといえば、ほんとうのところ、究極の難曲。
ほとんどの人が、モーツァルトは優しくて優雅で軽やかでと思っているかも知れない。
小林秀雄が名著「モーツァルト」の中で「赤い上着を着た少年」と表現した世間的なモー様像を否定しているのは正しいと思う。
私はモーツァールトは、悪魔と隣り合わせの人だと思っている。
そうでなければ、あんな簡単な和声、音階的な旋律だけで、人の心をわし掴みに出来る訳はない。
若い頃はモーツァルトは軽く綺麗な音で弾くものだと思っていた。
それをひっくり返してくれたのが、故朝比奈隆マエストロだった。
ガシガシ弓も折れんとばかり、強烈に弾かされた。
それがいやでいやで、隣のメンバーと仏頂面でいたけれど、本番の素晴らしかったこと。
生き生きと躍動するモーツァルト、まるで傍に彼が居るような気がした。
その時、今まで音楽を平面で捉えていたことに気が付いた。
立体にしなければいけない。
きれい事はいらない。
それ以来、私は家猫から山猫になった。ん?たとえが変!
コントラバス奏者は果して入会してくれるだろうか。
低弦の充実が全体の響きを変えることを、今日のメンバーは驚きをもって知ったようだ。
さっそく一緒に飲みに行ったようだから、期待出来るかも。
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