2012年10月30日火曜日

しばらく休業

すこし疲れています。
別にどこが悪いと言うのではありませんが秋ですねえ。しばらく休業させていただきます。気が向いたら時々覗いてみてください。再開しているかもしれませんので。では、皆様もお元気で、又お目にかかりましょう。

2012年10月27日土曜日

徳永二男さんのこと

そういえば徳永さんの音を客席で聴くのは初めての事だと気が付いた。いつも、練習場やステージ上でしか聞いたことが無かったから。彼は当時の楽壇史上最年少でオーケストラのコンサートマスターになったけれど、その頃はまだ無邪気でやんちゃで、皆から「つん坊」「つんちゃん」と呼ばれていた。冬の寒いさなかでもセーターにコート無しで、まあ、なんて元気なことと思っていた。ひとたびヴァイオリンを手にすれば、耳の良さで周りを震え上がらせるほどの貫録を示したけれど、普段は卓球の上手い遊び盛りの若者だった。笑顔がチャーミングで、どちらかと言えばシャイな性格を少し突っ張った態度でカバーしているようだった。お父様の英才教育は語り草だった。二人の息子さんを日本のトップ奏者に仕立て上げるには並々ならぬご苦労もおありだったと思う。学校のすぐ近くに住居があって、授業終了の合図が聞こえると家まで何分で帰らなければいけないと決まっていたそうで、本人も大変だったとは思うけれど、それを毎日厳しく指導する親の方はもっと大変。東響からN響に移って、お兄様のチェロ奏者兼一郎さんと共に、文字通り日本のオーケストラの最高峰のトップに兄弟そろって並んだ。あるときホールの楽屋口に外車で乗り付けたから「ヴァイオリンを弾いて、こんな素敵な車に乗れていいわね」というと「いやいや、皆さんとは苦労が違う」と言ったのを覚えている。本当に苦労したのだと思うけれど、素直で心底優しい性格が、まっすぐな道を歩ませてくれたのだと思う。東響をやめる時、皆が引き留めようとノートに寄せ書きをしたことがあった。それを手渡された彼は自分の上着の胸に大事そうにしまって何も言わず、それを上から撫でさすっているのを見て、涙がこぼれた。東響のアメリカ公演にゲストでチェロのトップを務めたお兄様が「つんちゃんはなんでこんな面白いオーケストラやめるのかな?」と言ったそうだ。その頃の東響は貧乏だったけれど素晴らしく活気に満ちていたし、団員同士仲が良かった。その後N響に移ってからはめったにお顔を拝見することも少なくなっていたが、最近ほかの人のコンサート会場でばったりお目にかかることが何回かあった。私も時間の余裕が出来てコンサートに行く機会が増えたので、こうして初めて客席で彼の音が聴けて感無量だった。

2012年10月26日金曜日

徳永二男の挑戦

タイトルは10年間10回に亘る連続リサイタルに挑戦する徳永二男さんのコンサート。紀尾井ホール。ベートーヴェン「ソナタ5番・春」フランク「ソナタ」ブラームス「ソナタ2番」リヒャルト・シュトラウス「ソナタ」ピアノはショパンの連続演奏で有名な横山幸雄氏。徳永さんは東京交響楽団に10年ほどコンサートマスターとして演奏していた。ちょうど私の一年後に入団し、私が退団するすぐ前にやめたので、私が在籍していた間はずっと一緒だった。20歳になる前にすでにコンマスとして活躍していた。お父様の厳しい指導を受けて、お兄様のN響のチェロのトップ、徳永兼一郎さんと共に若手のスター奏者であった。私は長い間、彼のすぐ後ろの席か隣で弾かせてもらった。ある日隣に座った時、どうも音質が合わないので横目で観察すると、ビブラートが全く違うことに気が付いた。一生懸命真似をするとだんだん音質も音程も合ってきた。こうして色々学ばせてもらうことが多かった。そのずば抜けたテクニックは驚異的だったが、愛読書はプレイボーイ、ドイツの留学先から団に葉書をよこした時には皆で「おい、あいつ字が書けるんだ!」などと冗談を言うほど勉強はしていないように見せていたけれど、どうしてどうして、大変頭の良い上に努力家であることを皆知っていた。あるとき玉突きをして遊んだことがあって、私はすこしやったことがあるので一本目は勝った。よほど悔しかったらしく「ちょっと待って」と言ってしばらくビリヤード台に目を落として考え込んでいた。「よし、やろう」と言って始めた2本目は私の完敗。なにしろボウイングがいいから、かなわない。今日もほれぼれとするボウイングは昔のまま。特にリヒャルト・シュトラウスは圧巻で、彼のためにかかれた曲のような気がするくらい。ピアニストも名人だから、易々と弾ける曲のように超難曲を弾いてのけていた。特に素晴らしかったのは2楽章。溶けてしまいそうな柔らかい音色は彼の真骨頂。堪能してきました。

2012年10月24日水曜日

譜読み

ロンドンアンサンブル小田原公演で使用する楽譜がネットで送られてきた。印刷、製本が終わって、さて一回弾いて見るか。去年は私の体調不良で楽器を鳴らすのもままならない状況だったので、今年は体調管理をしっかりしないといけない。体調を崩すとてきめんに音が出なくなる。声楽家の体と一緒で楽器と体が一体だから。楽譜を読むことにはさほど苦労したことはない。しかし、ヴィオラは大きい。鳴らすのが大変。私は150センチに満たない小柄な体型で、今年は去年より4キロ近くやせたので、なんとか筋力をつけないと。そう思いながら、だらだらと運動もせずに過ごしている。まったく猫的性格は死ぬまで治りそうもない。幸い昨日は雨風が強く、家に篭りっ放しだったので、練習にはもってこいの一日だった。初めからざっと通して見る。難しいところのチェック。指使いを考え、音の出にくいところをマークする。音符の間違いを見つけ、これはいかがなものかと思われるような編曲箇所を見つけて直してもらう。そんな作業をしていると、すでにわくわくしてくる。これが全員集まって弾いたときにどんな音がするのだろうか。私の音はチェロの巨漢のトーマスの音にかき消されてしまうかもしれないけれど、だからと言って間違えたり音程をはずせばすぐに音がにごるから、おろそかにはできない。ヴァイオリンを始めた最初のころから、音が重なって響くことが好きだったので、今思えば室内楽奏者になることが生きる目的だったような気がする。楽器を始めたのが遅かったし、しかも親は将来音楽の道に進めようなんて金輪際思わない人たちだったから、最初は遊びの延長。音大に入っても、普通の大学に入りなおして就職しようかなと思っていたのに、結局この道に来てしまった。人間は自分で道を決めているようで、実は生まれたときから決められた道を歩いているような気がする。なんの滞りもなくこの道に来られたのは、幸運なことだと思っている。でも幸運になるためには、その前に面倒な練習が待っているだ。このコンサートの前にいくつかの仕事があって、それらの譜読みも大変。でも呆け防止となりそうでありがたい。

2012年10月23日火曜日

ロンドントリオ小田原公演

12月の小田原です。ちょっとお知らせまで。ヴァイオリンの碓井志帆さんとロンドンアンサンブルのメンバーからピアノ、フルートでトリオを組んだところへチェロ、そして私が演奏に加わります。東京でのメンバーのヴィオラのジェニファが一足先に帰るので、私が大きなヴィオラで悪戦苦闘します。小田急沿線の方、横浜方面の方はこちらにも足をお運びください。















ロンドンアンサンブル東京公演

このアンサンブルは1988年初来日以来、毎年日本でコンサートを開いています。いずれ劣らぬ名人揃いで、アンサンブルのうまさには定評があります。まだ先の12月のことですが、そろそろお知らせまで。ヴァイオリンのタマーシュはハンガリー出身の名手、今年のバルトークはお家芸。イギリスのコンサートで超絶的な速さで演奏したそうです。チェロのトーマスは今イギリスはじめヨーロッパで大活躍の若手チェリスト。最近は指揮者としても超売れっ子です。エルガーのチェロコンチェルトは圧倒的な上手さを見せてくれるでしょう。ぜひ東京文化会館小ホールにお越しくださいませ。

2012年10月22日月曜日

不愉快ななAflac

保険の見直しをしませんかと電話があったのは、10月の初めころ。保険にはほぼ完ぺきに入っていると思っていたのでいつもは断るのだが、なんとなく対応しているうちに、それでは見直しをしてみようと言う気になった。数日後勧誘員がきてあれこれ話していると、アフラックの保険を勧められた。病歴があっても大丈夫と言う話だった。私は7年ほど前に乳がんの手術をした時ガン保険に入っていたので助かったことがあって、それなら審査をうけてみようと話がまとまった。ところが、それからが不快なのだが、審査を受ける前に一年分の保険料を払えと言う。なぜ?と言ってもそういうことになっているのでと一点張り。ここまで話が進んでしまったから仕方がないかと振り込みをした。そして10日ほどたってようやく審査結果が届いて、不合格。なぜかと言うと私は過去に沢山病気をしているから。しかも結構大病だったが、野生動物的な治り方で今は全てクリアしている。現在全くの健康体で、生活習慣病も一切ない。ガンも極々初期だったので、ほんのわずかの傷しか残っていない。それも良く見ないと全くわからないくらいのかすかな傷痕。放射線も薬も抗がん剤も必要としなかった。定期検診も今のところ再発は見つかっていない。アフラックがさんざんテレビで宣伝している、過去の病気に関係なく入れると言うのは嘘ですよ、皆さん。そういって審査を通さないで、もうワンステップ保険料の高い保険を勧めるという手口。しかも保険料を前払いさせておいて、さんざん待たせてから払い戻し。その間アフラックには全国からどんどん振り込みがあるわけだから、たいそうな金額になるでしょう。それをどうするのかしら。こんなことが許可されることなのか。そのあともう少し審査が緩くて保険料の高い保険の勧誘があって、ははーん、この手口でみんなだまされるのかと納得した。病歴がないひとなど少ないでしょう。しかも、病歴があってもと謳っておきながら、現在全く健康体の人を騙すような手口。もう一度いうけれど、テレビの宣伝は嘘ですよ。

2012年10月21日日曜日

東京音楽大学弦楽アンサンブル演奏会

曲目はモーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」テレマン「ヴィオラコンチェルト」メンデルスゾーン「弦楽8重奏」コンサートマスターは齋藤真知亜氏、ヴィオラのトップとソリストは店村眞積氏という豪華なメンバーだった。2年生から4年生までの選抜メンバーで、ヴァイオリンは20人ほど、その中にかつての教え子も緊張した面持ちで座っていた。幕開けはエキサイティングだった。客席と奏者がシーンと静まるまで、かなり長い間待ってから、急に始まった。その見事な集中力はコンマスのパフォーマンスによるもので、はつらつとしたモーツァルトがステージを走り回っているような、そんな素晴らしさだった。とても学生オケとは思えない出来栄えだった。ただし、ゆっくりの楽章で多少傷が出た。音程と音のずれが気になった。ほんの僅かだけれど、古狸の耳はちゃんととらえている。ゆっくりの曲ほど難しいのは肝に銘じてもらわないと。コンチェルトはチェロの活躍が心地よかった。指揮者なしでソリストにさりげなくつけて行くのは、高度なアンサンブルの力を必要とする。それもステージではヴァイオリンからも遠く、音の時間差が生じてしまうのをうまくカバーしていた。最後のメンデルスゾーンは、ヴァイオリンが左右に分かれて座ったために、時々時間差が出たのが惜しい。でも、これほど学生のアンサンブルが上手いことは、指導者とコンサートマスターの力もさることながら、学生たちの水準が私たちの時代よりもはるかに上がってきていることを感じさせられた。この中から世界に羽ばたく音楽家が何人か出ることだろう。未来に羽ばたいていく若者に、老いてゆく私の心の傷がどれだけ癒されることか。

うれしい招待

ニッセイ・バックステージ大賞の授賞式への招待に続いて、もう一つうれしい招待。かつての教え子が今、東京音大の2年生。その子が学内で弦楽アンサンブルのメンバーに選ばれ、演奏会があるので聞いてくださいというので、昨夜出かけた。2年生から4年生までの選抜に入ることが出来たのは非常に幸運で、齋藤真知亜氏がコンサートマスター、ヴィオラの店村眞積氏がヴィオラのトップでソリストという豪華なメンバーの中で、白くて小さな顔が緊張しているのがいとおしい。彼女がうちにやってきたのは小学校1年生頃だった。それまで関西方面にいてヴァイオリンを始めたばかりだった。お父さんの転勤で関東に移り、私のところへレッスンに通うようになった。ところが見るとひどい姿勢とボウイング。とんでもない形をしているのに、曲は初歩ながら上手く弾いている。とにかくヴァイオリンニストになりたいと言うので、まず姿勢から直すつらい作業が始まった。私が考えたのは音楽とアンサンブルの楽しさを教えることだった。基礎さえしっかりしていれば、曲造りの細かいところは大人になってからやればいい。とにかくヴァイオリンを嫌いにさせてはいけないから、粗削りでも我慢して、色々な曲に挑んでもらった。小学校5年生でメンデルスゾーンの協奏曲やラロのスペイン交響曲を弾くくらいまでになった。そのうえ、月に一回うちに生徒たちを集めて、出された曲を初見で次々に合わせて行くことをやらせたので、初見力と人の音を聴く力が身についてきた。音階だけは子供だからと言って妥協しないで、カール・フレッシュの教本をとことん弾かせた。その結果、ハ長調だけで一年もかかって、生徒も親も、そして私もうんざりした。中学生になると私が以前から尊敬していたヴァイオリニストにレッスンをしてもらうようになって、ますます練習に励んでいった。つらい受験の結果第一志望はだめだったけれど、東京音大に入ったのはむしろ幸運だったと言える。憧れの先生に師事できて、今素敵に充実した毎日を送っているとか。この子の夢は私の夢でもある。着実に歩いて行き、本当に良い音楽家になってほしいと祈っている。

2012年10月20日土曜日

ニッセイ・バックステージ賞

日生劇場が平成7年に創設したバックステージ賞。舞台芸術を裏で支える人たちに授与される。その栄えある賞の受賞者になんと!わが「雪雀連」の山田宏会長が選ばれた。人形つくりのノンちゃんこと保坂純子さんに続いての「雪雀連」から2他人目の快挙。山田さんは私たちのスキークラブの会長として、年間のスキー、宴会、音楽会などを企画して、皆を楽しませることに心を砕いている。その時の顔はおおらかで、物事にこだわらない、何が起きても泰然自若。そんなお顔を常に拝見しているけれど、ことピアノ調律になると日本の調律界の大御所として、コンサート会場の調律、後進の指導などで81歳になった今でも、忙しい毎日を送っておられる。その間隙をぬって・・・というか・・・間隙を作っては、日本のみならず、海外までスキーに出かける元気さは、だれもかなわない。少年時代、おじ様が日本のピアニストで初めてドイツに留学された方で、山田少年もピアニストを夢見て練習をしていたところ、戦争でピアニストの夢は断たれてしまった。長じて何をしようかという段になって、やはりピアノに関する仕事として調律師の道を選んだという。今でもうちのピアノを調律して、最後の調整の段階で音階を弾くのがが聞こえてくると、その音の美しさに聞き惚れる。力の抜けた純粋な音。そのセンスが優れた調律師として認められ、多くの人から指名されているのも納得できる。スキーの腕(足)前は、これもすごい。力まずにスッと滑るので、それほどのスピードとは思えないのに、従いて行くのは大変。あるとき某有名大学のスキークラブでならしたという人が初参加したことがあって、彼は腕に自信があるから猛然と飛び出した。ところがアラスカでのことだからコースが長い。途中で息切れして止まっているその傍らを、会長が「お先ー」とか何とか言って、スーっと滑って行く。それ以来、その人は会長に一目置いている。今日授賞式の招待状がニッセイから届いた。嬉しい反面、さて、そんな晴れがましい場所に私ごとき野次馬が出てもいいのだろうか。何よりも「着て行くものがない」大急ぎで服を探さないと。結婚式もそうだけど、いい口実が又みつかったわい。

「奏鳴曲」 藤沢俊樹チェロ名曲の楽しみ

チェロの藤沢さんとは長いお付き合い。「古典音楽協会」でずっと一緒だったが、彼のリサイタルと「古典」の定期の日程が度々重なってしまい、出演出来ないことに責任を感じて「古典」をやめてしまった。けれど、その後も時々は顔を合わせることがあって、コンサートの案内が来るのを楽しみにしていた。 ピアノは高橋恭子さん。 ベートーヴェン「ソナタ4番」 ボッケリーニ「ソナタ7番」 ショパン「ソナタ」 ポッパー 「コンサートポロネーズ」 今日のプログラムは「奏鳴曲」と言うタイトルの通り、ソナタが主役。ピアノの高橋さんとは何回も共演しているので息もぴったり。聞いていて破たんがない。常に一緒に歩んでいる感じが見える。ソナタはチェロだけのあるいはピアノだけのソロでもなければ、伴奏でもない。常に対等の立場でものを言う。時に陰に回り、時に表に立つことはあっても、二人の奏者がお互いに音楽を主張しながらも、相手の立場も尊重するという、まさに室内楽の醍醐味がそこにある。藤沢さんは待ちきれずに音楽が先へ先へと進んでいくのを、ピアノの高橋さんが悠然と受け止める。藤沢さんの指は本当に良く回る。早いパッセージをなんなく弾いてのける。そこに高橋さんも同じように乗ってくる。二人とも難しい曲をまるで易しい曲のように弾き進んでいく。最後のポッパーになった時には、チェロ自身が朗々と鳴りだして、気持ち良くコンサートは終わった。けれど、惜しいことに後ろの席に子供が2人。プログラムをカサカサ言わせたり、ペットボトルを落としたり、親がそばにいて注意もしない。あーあ!

2012年10月17日水曜日

浪費

元々お金は有ってもなくてもあまり頓着しないほうだった。あれば使うしなければ使わないから、借金をしてでも使おうという人の気持ちがわからない。貯めようと言う気も、その才能もない。いったい今自分の貯金がどのくらいあるかもチェックしないほうだから、ある日、いきなり底をついても不思議はないけれど、そこはやはりこれだけ長く生きていればダメなようでいてしっかりしている・・・?と自分では思っている。傍から見れば非常に危なっかしいことだと思う。フォーマルウエアを捜しに出歩いていると、肝心のドレスは見つからず、今まで気にしたこともなかった流行のものや、可愛らしい帽子などが目に付きだした。一昨日はセーターとタートルネックのシャツとネックレスの三点セット、そしてもう一枚ブラウスを買った。今日はカシュクールのワンピースを買った。可愛い帽子も欲しかったけれど、やっとの思いで踏みとどまった。この先フォーマルドレスが見つかるまで、どれだけ買い物をしてしまうか恐ろしい。私たちの金銭感覚は世間の人たちから見ると、とんでもなく外れていると思う。服など買うときにはバーゲンを狙ったり、あまり高価なものは見なかったことにするけれど、こと楽器となるとそうはいかない。現に私はそろそろリタイアするころになって理想的な楽器と出会ってしまったので、老後の蓄えは全て楽器に使ってしまった。その上に親からの相続でかなり莫大な住宅ローンを背負わされたお蔭で、いまだに貯金らしいものもない。おれおれ詐欺から電話があっても「無い物は無い!」と啖呵が切れるほど。今まで何人かの占い師に占ってもらったことがあるが、いつでもどの人も口を揃えて言うことは「非常に幸運に恵まれていますがお金持ちにはなりません。でも、必要なものは必ず手に入ります」どうしてみなさん同じことを言うのか。やはり私の本当の運なのかしら。一人くらいは「いまに宝くじが当たってお金持ちになります」とか将来に希望を持たせてくれないかなあ。しかし、宝くじを買うのは私の中では最大の浪費という気持ちがある。どうせ当たるわけがないから。でも買わなきゃ当たらない。ジレンマです。

2012年10月16日火曜日

鳩山さんからの便り

鳩山さんと電話でお話をしたら、早速沖縄からお手紙をいただいた。大きな流れるような字体は相変わらずで、記憶力の確かさも抜群。私が鳩山さんのコンサートに出演するようになったのは東京交響楽団入団して間もなくだったけれど、その後、毎年行われるようになった室内楽コンサートは1978年虎ノ門ホールか皮きりだったそうだ。その第一回コンサートに私は最近再会したピアニストのYさんと一緒に出演していることが書いてあった。その後舞台は文化会館小ホールに移り、新春コンサートと銘打って毎年行われた。私はその頃スキーに夢中で、お正月は天元台で強風にあおられながらのスキーを恒例にしていたために、鳩山さんは「今年もスキーかね。たまには出てください」と毎年お電話をくださった。時々スキーを諦めてコンサートに参加させて頂いたけれど、最後の参加は、プロコフィエフの「ソナタ」を弾かせて頂いた。その時誘ってくれたピアニストの言葉は「そろそろはとかんさんもお歳だから、この辺で出ておいたほうが・・・」私もそれもそうだと思っての出演だった。でも、それからも毎年コンサートは沖縄に移住なさるまで続けられた。沖縄に移住して沖縄芸大の先生として若い人たちとの交流があった。足は弱ったものの、ヴァイオリンを弾くほうはまだまだお元気で、お手紙には「私も来年90歳になります」とあった。今回このブログにコメントしてくださった方のお蔭で、懐かしい思い出に出会うことが出来た。私が免許取り立ての頃道に迷って、高田の馬場から大久保まで行くのに山手線を反対回りするコースでほうほうの体でたどり着いたことなども、よほど印象的だったのか思い出に書いてある。そんなドジばっかりの私を何十年も使っていただいて、今思えば恐れ多いことだった。若さゆえに怖いもの知らずでご一緒させていただいたのが、今となっては素晴らしい財産となっている。その頃次々アンサンブルをさせて頂いたものだから今、どんな曲が出てきても殆ど経験済みなのは、本当に強みと言える。そのかわり、その分寝る暇が少なかったのは仕方がなかった。その名残か、今でもあまり睡眠は長くない。

2012年10月15日月曜日

フォーマルウェア

11月に友人の息子さんが結婚することになって、ご招待を受けた。大変ありがたいし、息子さんも赤ちゃんの時から知っているので駆けつける気持ちはおおいにあるけれど、着て行く物がない。間際に慌てないようにと、ここ何年も足を踏み入れたことのないデパートに行ってみた。友人が良いと言ったので、京王デパートのフォーマルウェア売り場を覗いた。だが、しかし・・・なんてつまらん服ばかり。最初に行ったのは高級そうな売り場。品の良いベテランの店員が応対してくれた。最近葬式ばかり行くので、結婚式のような華やかな場所にふさわしいのはどんなものかと試着しても、いまひとつピンとこない。薄物、レース、コサージュ、パールのアクセサリー、すべて似合わない。私は原始的な目鼻立ちなので、個性の強いデザインでないと、本当につまらないおばさんになってしまう。いつもたらんたらんと普段着のままデパートにも行くので、店員は私が選ぶ強烈な服を見て驚くらしい。試着してみると、それが意外と似合うのに又ビックリするようだ。強烈なと言うのはフォーマルドレスには禁物らしく、いずれも、なんとも没個性的。すっかり飽きてしまって、次にもう少し安めのカラーフォーマルドレスの売り場に行ってみた。どうもピンとこない。最後に試着してみたシンプルなデザインのワンピースが一番よかったけれど、それを着て帝国ホテルのお式に出るのは、なんとも貧相でいけない。結局ドレスはあきらめて、他の売り場で目に着いた普段着用のセーターやブラウスを買って帰ってきた。なるほど、デパートに行くと素敵なものが沢山あって、御洒落心に火が点く。いつも通販か、近所の商店街の安売りで間に合わせていたのを反省。もう少しおしゃれをしよう。本来はおしゃれ好きな方だから若いころはかなり気をつけていたけれど、最近さっぱりだったなあと改めて思う。女がおしゃれを忘れてはお終いさ。先日、業界きってのおしゃれさんのFUMIKOさんから聞いた話。仕事場で同じ楽器の女性から「結婚したのにどうしておしゃれをするんですか」と言われたとか。ひえー!おしゃれって結婚するためにするの?美意識の問題でしょうが。

2012年10月14日日曜日

拡大鏡

いわゆる老眼で、ものが見えにくくなって、本を読むのが億劫になってきた。それで、今ハリー・ポッターのレッスンは一時休講となっている。先生のルースさんが残念そうに、早く一緒に読みたいとメールをくれたけれど、どうしようもない。メガネは読書用、楽譜用とちゃんと合わせて作ったのがあるのに具合が悪い。先日絵を描きにいったらなんと私のために(だけではないかもしれないが)拡大鏡が用意されていた。自分の眼鏡の上からもかけられる大ぶりのもので、かけて見ると世界が広がって見える。絵を描くときの細かい部分も楽に見える。これは良いと思ったので早速眼鏡屋さんに行って買ってきた。眼鏡屋さんによれば、自分の眼鏡の上からかけた方が良いと言うのだが、そうすると、かえってぼやけてしまう。裸眼にそれだけで十分。しばらく放っておいたハリー・ポッターのページを繰ってみる。見える見える!ところがしばらく・・と言ってもほんの2か月ほどなのに、発音が怪しくなっている。リズムがつかめない。意味はもうすっかり頭から抜け落ちてしまい、復帰するには休んだ時間の倍はかかりそう。継続は力とはよく言ったもので、休んでは元も子もなくなるから早く復帰しようと思ったのもつかの間、なんだか億劫。また辞書を引いてコツコツ意味を考えてと思ったら、もう気力がないことに気が付いた。そんなことでどうする!あと2巻残して挫折するなんて。でも、今読んでいる5巻も私の英語力をはるかに超えて難しい。作者は頭のいい人で、1巻進む毎に少しずつ語彙が増え、言い回しが難しくなって、長くなっていくように書いている。しかもルースさんはだんだんレッスンのスピードを上げて行く。これから伸び盛りの若い人ならそれでいいが、どんどん衰退していく私にはとてもつらくて、時々レッスンの途中で、もう無理と言ってやめてしまうことも多い。とにかく目が疲れて頭が痛くなってしまうので。でもここでやめたら女が廃る。拡大鏡かけて、いざ出陣としよう。やれやれ、最近パソコンの具合が悪くて泣きの涙なのに、この上話せもしない英語に苦しめられるなんて。何を好き好んで人生を難しくしているのか、自分でもよくわからない。

2012年10月12日金曜日

鳩山寛氏続編

先日このブログにコメントがあった。私が以前鳩山さんについて投稿をしたのを読んでくださった方からです。私も知らなかったハトカンさんのことを知り、興味深く読んだ。昔住んでいらした目黒の御宅には、住居のほかに空手道場があって、お父様が空手をなさるとは聞いていた。大きな藤棚があって、その木の下でお酒を飲んだりハトカンさんのお話を聞いたり、楽器を持って行ってアンサンブルを楽しんだものです。今日お目にかかる方は、ハトカンさんのアンサンブルのコンサートに度々出演なさったピアニストで、そこで知り合った方々とは鳩山さんが沖縄に移住なさった今も、よく一緒にアンサンブルを楽しんでいる。私の音楽活動の初めから一番お世話になったのが鳩山さんで、いわば、私の恩人と言うべき方。沖縄に足を向けては寝られない。

山元操 さんの写真をご覧ください

山元操 さんからのメッセージ:
私が描いた猫の絵です。猫種はターキッシュアンゴ。
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2012年10月10日水曜日

顔いろいろ

上の絵はFUMIKO作品。私が悪戦苦闘して絵を描いているところを見ながら、サラサラとイメージ画風に私の顔を描いてくれた。私に似ていると言うより、私の若いころの雰囲気がそっくり。猫をかぶっているところだそうだ。下は高木紀子画伯の作品展で非常に気に入って、今は我が家にかざってある、たぶん、エジプト人の顔。金箔がはってあるので、光線具合や角度で様々な表情が見えるのが面白い。

絵を描く

11月に開催される我が「雪雀連」の作品展に出品するために、小学校以来はじめてのお絵描きに挑戦することになった。「雪雀連」は多芸な人が揃っていて、絵を描くのが専門の人もいるけれど、そのほかに舞台映画関係の裏方、表方等が揃っている。その人たちも何らかの形で今まで絵を描いている人が多いので、おそらくど素人は私だけと言う恐ろしい状態。それでも、人が面白がっているものを指をくわえて見ているのは我慢できないから、私もこの際出品することになった。ところが絵の世界はそれこそ右も左もわからない。絵具やキャンバスや、描くためのスキルの持ち合わせもない。そこで専門家のご指導を仰ごうと思った次第。幸い、FUMIKOさんの親友に紀子さんという美術の専門家がいるので、ワインを餌に教えていただくことになった。今日は東急沿線の瀟洒なお宅にお邪魔して、一日中絵を描くことに没頭した。非常に集中力のいる作業だと言うことが判明。いつもヴァイオリンの練習は、ずいぶん良く練習したなと思っても、ほんの15分しか経っていなかったり、すぐにほかのことに気を取られて遊びながらやっている。ところが今日は昼食を摂る時間ももったいないと思うほど、没頭してしまった。朝10時から午後4時半頃まで、寸暇を惜しんでの作業が続いて、私はもとより先生の紀子さんの消耗も激しかった。紀子さんは個展や作品展でいつも素敵な作品を出品しているので、私も2点彼女の絵を持っている。非常に個性豊かで色彩の美しい作品は、我が家のレッスン室の壁にかざられている。その絵が好きなので私も教えてもらうならこの人にと思っていた。今日の絵具はアクリル絵の具・・というのかな?速乾性があるので、すぐに上塗りが出来る。失敗しても修正がきくというので私にはもってこいの絵具。パソコンからダウンロードした猫の写真をお手本に必死のことで一点仕上げた。これでやっと出品作ができたので、後からやってきたピアニストのSさんも合流して、夕飯を食べに街に出て、鱈腹食べて、愉快に飲んで、本来こちらが目的だったかのような気分で遊んできた。あんなに集中するとは思っていなかったので、本当に楽しかった。やみつきになりそう。

2012年10月9日火曜日

八ヶ岳音楽祭について

八ヶ岳音楽祭は今年6回目を迎える。音楽監督の細洞寛さんは元東京フィルハーモニー交響楽団のトロンボーン奏者だった。夏の松原湖のコンサートに奥様の秀子さんと一緒に聴きに来てくださって、その折に今回の音楽祭の出場を依頼された。特にヴィオラ奏者が不足しているのでヴィオラを弾いて欲しいと言われ、二つ返事で引き受けたのはトップが梯さんと聞いたから。梯さんは元東京都交響楽団、NHK交響楽団の団員として活躍。私たちの愉快な仲間の一人だけれど、柔らかい音色と豊かな歌心が最大の魅力なので、いつも彼のヴィオラには聞き惚れてしまう。その上酔っぱらうと増々愉快になって、抱腹絶倒のパフォーマンスが見られる。今回は息子さんの高名なピアニスト、剛さんがご一緒に来られてコンサートを開くので宿舎が別になったため、飲み会参加はなし。残念でした。今回集まったメンバーは細洞氏の関係上東フィルの人が多いけれど、そのほかにも読売交響楽団や、珍しい所ではベルリンドイツオペラのメンバーだったパーカッション、京都市交響楽団、大阪、群馬交響楽団などからも参加者があり、コンサートマスターは九州交響楽団のコンサートマスター近藤薫氏。まだ若く将来を嘱望されている優秀なヴァイオリニスト。指揮者は円光寺雅彦氏。これだけ長い間この業界で仕事をしていると、さすがに初対面の方は少ないけれど、お目にかかったことはあるのに会話をしたことが無かった人とも、初めてお話が出来たことも嬉しかった。今年の音楽祭は9月にオペラ「蝶々夫人」の抜粋を、今回「ドイツレクイエム」でもソロを歌われたソプラノの二宮咲子さんが歌われ、その圧倒的な声量が評判を呼んでいた。そのあと木管後5重奏のコンサート、そして今回のオーケストラと合唱。まだ始められて6年目。日本を代表する音楽祭になることを期待している。来年は飯守泰次郎氏の指揮でモーツァルト「戴冠ミサ」ブラームス「交響曲2番」だそうだ。皆さんと再会を約束して、あっという間の4日間が終わってしまって、そこはかとなくさみしい。

2012年10月8日月曜日

八ヶ岳音楽祭3

八ヶ岳音楽祭の出番が終わった。今日はリストの[レ、プレリュード]とブラームスの[ドイツレクイエム]重たいビオラを支えての長時間の練習はきつい。しかし本番は始まってしまえば本気になるから、楽器の重さも感じなくなった。木をふんだんに使った小さいけれど音響の良い会場は、音を出す喜びを与えてくれる。まるで学生時代の合宿のように同じ屋根の下に、一緒に寝泊まりして一緒に食事をして、一緒にしゃべったり飲んだり、楽しい時間はすぐに過ぎてしまった。合唱もオケも最大の出来栄えだった。これだけの短い練習で、大変難しい曲が仕上ったのは予想以上だった。毎年参加しているベテランが多いのが、何よりの勝因だと思う。八ヶ岳付近は気候も良い。そして文化的な土地柄なので、音楽家が沢山暮らしている。人材に事欠かない。以前こちらの方に住みたくて、ずいぶん土地探しをしたけれど、結局私に気力がなくなってしまったので、計画は頓挫した。もう少し若い頃だったら出来たかもしれない。今回会った 人達が越していらっしゃいと言う。毎日山を見て暮らすのは理想だけど、家を探したりするのは大変。やはり、時々来て楽しむのが、精一杯かな。さて、これから3連休の最後の日の渋滞に向かって車を走らせる。少々しんどいが、うちの猫と野良猫が首を長くして待っている。

2012年10月6日土曜日

八ヶ岳音楽祭2

朝目が覚めると目の前に富士山が見えた。右側には甲斐駒ヶ岳、今日は少し曇り。飼い犬の小豆ちゃんと戯れてあさごはん。新鮮な野菜が美味しい。午後から三々五々メンバーが集まって、あちこちから再会を喜ぶ人達の笑い声があがる。曲目はブラームス[ドイツレクイエム]リスト[レ、プレリュード]今回はヴィオラで頼まれた。練習が進むにつれ、楽器が重く感じられる。とにかくゆっくりのテンポの曲が多いのでしんどい。やはりヴィオラはヴァイオリンに比べて、体への負担が大きい。まして私のように小柄だと楽器を弾いているのか、楽器に弾かされているのか、よくわからなくなる。何時間か弾いていると朦朧としてくる。我慢の足りない私が真っ先に騒ぎ始める。[ああ、もうダメ。疲れた]とかなんとか。途中夕飯を挟んで夜も練習。練習後飲み会があって美味しい地ビールをいただく。その頃には睡魔に襲われ、この記事の作成の最中に自分のイビキを聞いてビックリした。

2012年10月5日金曜日

八ヶ岳音楽祭

八ヶ岳音楽祭に参加するために高根町の友人の家に来ている。明日から始まるリハーサルのために出発は明日朝でも良かったけど、世の中は三連休。大変混雑が予想されるのでで、今日のうちに来てしまった。友人は私の同級生。ご主人は今回の音楽祭の総監督の細洞さん。元東京フィルのトロンボーン奏者。リタイア後北杜市に移住、この地で音楽活動をしている。総監督となると数百人の面倒を見なければならない。食事の間もひっきりなしに電話がなる。次々に問題が出てくるらしく、対応に追われていた。私も一時期、このへんに住みたいと思ったことがあって、よく候補地を見に行ったものだった。そのうち、気力がなくなってしまった。でも、ここに来てみると見ると、山が見えるところに住みたいと、心から思う。素晴らしい景色と文化的な生活。いいなあ。さて明日から誰に会えるのか楽しみです。

迷い猫

前から気になっていた電柱に貼られたチラシ。自宅からいなくなってしまった猫を捜しているらしい。この一週間くらい前に私の家の駐車場に餌を食べに来るようになった猫がいる。おや、と思うほど似ているので飼い主に電話してみた。聞けば4か月前に引っ越しの準備をしていたら、姿を消してしまったらしい。電話の向こうで必死の声がする。捜しても見当たらずその次の日に引っ越しをしてしまったと言う。何回も自宅付近に戻って探したけれど、いまだに見つからないというので、見に来てもらうことにした。その間にもいなくならないようになんとか引き止めていられるかどうか。その日飼い主のSさんは仕事を終えて、夜9時ころやってきた。猫は車の下にもぐっているので、毛の色も良く見えない。でも自分の猫にそっくりだと言う。名前を呼ぶと反応がある。しかも車の下でお腹をみせてゴロンとした。もう数日間餌をやっているのに、私にはそんなことをしたことがない。これは脈があるかもしれない。その日は確認できなくて、朝明るい日差しの中で見ればわかるから又来ると言ってSさんは戻って行った。次の日は私は出かけてしまって、その間又Sさんが見に来ていたようだ。電話があって、本当によく似ているけれど、4か月で元の飼い主を忘れてしまうだろうかと、もっともな質問を受けた。赤ちゃんならともかく、2歳だった子なので、それはあり得ない。以前餌をやっていたのを途中事情があって中断した野良猫が、数年後に死に際に会いに来てくれたこともあるので、実際に猫の記憶は長いことを体験済だから。次の朝餌でおびき寄せてやっと車の下から這い出してきた猫をみて、はっきりと違うと確認された。本当にそっくりだけど、もう少し色が薄いらしい。Sさんも私も気落ちしてしまった。その子は明らかに飼い猫だったことがわかるけど、ノラになってどのくらい経つかわからないが、すっかり警戒心が強くなってしまっている。中々人の手の届く範囲にはこないから、保護することもできない。しばらく様子見だが、これから寒くなるからどうしよう。悩みの種は尽きない。

2012年10月4日木曜日

お絵かき

昨日のnekotamaを読んだFUMIKOさんからのご指摘。「新しい飼い主を見つけたのではなくて、その情報を拡散しただけです」拡散とは読んで字のごとし、広げる?どうやってやったのと言ったら「この次お絵かきの時にね」と言われた。「お絵かき」というのは私が作品展に出品するので大変なことになっている話。わが「雪雀連」は多芸多才のメンバーが目白押し。もちろんプロの画家も童話作家、人形作家、映画製作者などもいるので、今度そのメンバーが銀座の画廊で展覧会をすることになった。そこでなんでもしゃしゃりでる私は一人で指をくわえて見ているのはしゃくだから、小学校以来初めて絵筆をとることになった。画材の事もわからない、筆ももっていない、だいたい絵具は何を使うのかもわからない。描くものは決まっている「ねこがいかん!」という猫サイトの中の写真「ターキッシュアンゴラ」の貴婦人のような猫がモデルになる。そこで頼みの綱はFUMIKOさんの親友のN子さん。彼女は本職の画家で学校の美術の先生。頼み込んでご指導をあおぐことになった。それが今月半ば。すでにギャラリーがピアニストのSさん、FUMIKOさんとそろってしまった。私が初めて絵筆をとる歴史的瞬間が見たいらしい。しかもそれを肴に一杯飲もうと言う魂胆も見え透いている。そもそもなにが面白くて人の下手くそなお絵かきを見たいのか、たんなる物好きとしか思えない。見ていなさいよ、二人とも。大傑作をものにしてあっといわせてあげるから。この人たちは、でも、陰でこんなことを言っているらしい。私がろくにヴァイオリンも練習しないで絵をかいたりして遊んでばかりいるのはけしからん。もっとヴァイオリンの練習をさせよう・・・なんて。

2012年10月2日火曜日

ドッグトレーナー

昨日パスキエのコンサートの帰り道、FUMIKOさんを途中駅まで送って行った車中での話。吠え癖のある犬が殺処分にされそうなのをネットワークで救ったという。犬の声ががうるさいからと言って、なんと飼い主が保健所に持ち込んだのだそうだ。はらわたが煮えくり返るではありませんか。SOSの書き込みを見たFUMIKOさんが、その付近の住人達に呼びかけて、新しい飼い主をみつけたという。そんな話を聞くと涙が出そうになる。訓練をしないで猫かわいがりすれば、当然駄犬になるのは目に見えている。先ほどパソコンの受信メールをチェックしていたら、ドッグトレーナーの講座の広告が目についた。一瞬私も受けてみようかと思った。訓練もせず、犬をダメにする飼い主がごまんといる。人間の子供だって虐待を受けるのだから、買ってきた犬は品物同然と思っている人は沢山いると思う。気に入らないから保健所に持って行って、他人に殺させる。なんというひどいことか!最初から犬を飼う資格なんてない。どうして飼うのか不思議。私は病気の猫ばかり拾ってくるから、治療費も餌代も沢山かかるけれど、一度だってその子たちをすてようなんて思ったことはない。犬も大好きだけど、うちでは犬を飼う環境にないから、飼うことを諦めている。そこでドッグトレーナーの訓練を受ければ、それを仕事にしなくても可哀想な犬を救うことが出来るかもしれないと、ふと思った。さて、今私の家の駐車場にノラが3匹。そのうちの1匹が、電柱に貼られていた迷い猫のチラシの写真ににそっくりなので、飼い主に電話してみた。飼い主が確認に来ているが、車の下から出てこないので手間取っている。本当にその子だといいのに。暗いので確認はできなかったが、朝、明るい光のなかで見ればわかるから、出直して来てもらうことにした。こんなにも動物を大事にする人がいる一方、平然と殺す人もいる。人間は残酷な生き物だなあ。

2012年10月1日月曜日

レジス・パスキエ コンサート

トッパンホールにて。ピアノはリディア・ビジャーク ラヴェル「ソナタ(遺作)」 フランク「ソナタ」 エネスク「ソナタ(ルーマニア民族風)」 ラヴェル「ツィガーヌ」 しなやかな右手、軽々と動く左手。名人芸をこれでもかと聴かされて、あまりの音の素晴らしさにおどろかされた。レイチェル・コリー・ダルバのコンサートの時には名器ストラディバリウスの音に圧倒されたけれど、今回はグァルネリ・デル・ジェス。その音をなんと表現したらいいのだろうか。私には言葉もない。しかもダルバとの決定的な違いは円熟度。たぶんパスキエは彼女の2倍以上の年齢だと思うが、瑞々しさの上にも熟成された音楽は、心ゆくまでの豊潤な時を私たちに味あわせてくれた。めったにないほどの豊かさ(こういう表現を使っていいならば)この上なくセクシー。あまりの官能的な音に心が溶けてしまいそうだった。彼にとってヴァイオリンで表現できないものはなにもないのでは?すでに体の一部なってしまっているとしか思えないヴァイオリンからは、自由自在に音楽が輝き出てくる。近来味わった中でも最上のコンサートとなった。今日の音に恋をしてしまった私は、この呪縛から解き放たれるのはいつになるか。こんなに喜びを味あわせてくれたデル・ジェスに感謝!名器と名人が出会って初めて本来の音が出る。テクニックも音楽性も素晴らしいと思っていたダルバも、年月を経て熟成された音楽の重みにはやはり勝てない。とにかくうれしいひと時だった。

台風

昨日の台風はかなり激しかった。夜中に目が醒めると、時々突風で家がぐらぐら揺れた。今朝ここ神奈川県某所は燦々と陽が輝いて、何事もなかったように野良猫が餌を食べに来ている。今朝は珍しくテレビを見ていて思ったのは、なんでこんなに情報が溢れている時代に、うろうろディズニーランドなどに出かけて帰れなくなるのだろうか。スマートフォンなどで瞬時に交通情報などわかるのに、しかも台風が来ることはずっと前からわかっていたのに。家族連れの映像では、子供が突風で滑って車道まで転がり出ていた。あぶない!こんな日にどんな事情にせよ、子供をあの風雨の中で歩かせるとは。沖縄では磯釣りをしていた人が波にさらわれた。その頃沖縄は暴風圏内にあったはず。そんな時に危険な海の傍に行くこと自体が信じられない。のんきなのか体力に自信があるのか知らないが、毎回災害の情報を見て疑問に思う。仕事で出かける人は気の毒。私もかつて全国を飛び回って仕事をしていたころ、台風にはずいぶん泣かされた。羽田で飛行機が飛ぶか飛ばないか、手に汗を握って待機したものだった。たとえ飛行機が遭難しようと、仕事場に向かっていたと言うことは認めてもらえるだろうと思いながら。必ず決められた時間に現場に到着しなければいけない過酷な仕事だった。元来仕事と言うのはそういうものだと叩きこまれていたから、なにも不思議に思わなかったけれど、今こうしてゆったりと世間を眺められるようになると、ずいぶん危険なこともあったに違いないと思う。ただし、今でも仕事となったら、どんなに雨風が吹いても這ってでも行くにちがいない。