2013年3月16日土曜日

成長

かつて教えていた生徒から連絡が来た。今彼女は音大の3年生になるところ。学期末試験、校内の弦楽アンサンブルのオーデイション共に上手くいったと、うれしいメールだった。これからコンクールの本選があるので聴いて欲しいという。S子さんが私の所に来たのは小学生になったばかりの頃。名古屋で育ち、お父さんの転勤でこちらに来た。初めて見た時にはびっくりした。ヴァイオリンの構え方、弓もどうしたらこんな変な格好が出来るかと思えるようなへんてこりんな持ち方で、それでも達者に曲は弾いてしまう。一つずつ丁寧に直しながら私が彼女に課したのは音階を徹底的に練習することだった。今のうちにたたき込んでしまおうと、カール・フレッシュの教本をいきなりやらせた。子供のうちに身についてしまえば、大人になって苦労しない。それでもペースはゆっくり。丁寧にやったので一つの調子だけで1年もかかった。それで彼女は3度や6度やオクターブの難しい進行も苦もなく弾いてしまう。そしていつかプロを目指すようになったので、次は受験のための先生捜し。さいわい演奏家としてもお人柄も尊敬できるYさんが私の次に教えて下さることを快諾して下さった。今音大生となってS子さんは青春まっただ中、次々と難しい曲に挑戦している。子供の頃、音階以外は厳しいことを言わずに好きな曲を次々に弾かせた。アンサンブルもどんどん弾かせて、音楽の楽しさを心ゆくまで味あわせた。名古屋で最初に付いた先生は恐ろしい人で、怒鳴り散らしてばかりいたそうで、そのために彼女は失語症になりかけたらしい。音楽の勉強でそんなことはあり得ない。思い出すのは柔道のコーチの体罰問題。言葉や実技で教えられないから体罰に走るのではないか。精神主義だけでは教えられないことを、本人も重々知っていたとは思う。時々何年も他の先生に習ったという人が私の所へやってくる。ひどい姿勢や弓の変な持ち方などを直していくと、楽器のランクが二つくらい上がったかと思えるくらい、見違えるようにいい音を出すようになる。自慢しているわけではない。それほど教えることの出来ない先生が多いということ。音大を出て演奏活動もせずに教えて、先生と呼ばれている人も多い。バッサリ言わせてもらえば勉強不足。私も日々新しい発見があるから、先生の名の上にあぐらをかいていては自身が成長しないばかりか、可哀想な生徒を作ってしまう。私自身の反省をこめてのことだけど。

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