2020年8月29日土曜日

脱出

 毎日あまりの暑さに呆然とする日々、家の前の桜並木のある川沿いの土手が工事中。

朝からコンクリート壁を壊す音、ミキサー車が生コンクリートを流す音、ショベルカーが瓦礫をダンプカーに積み込む音等でやかましい。35度くらいの炎天下でヘルメットを被り工事用の分厚い靴を履いている作業員は大丈夫なのだろうか。命に関わるほどの暑さなのに。

ほとんど家から出ない生活が続く。私が玄関を出ると作業員のおっさんが話したげにこちらを見る。車も殆ど通らないのに何時間も立ったまま警備をするのは本当に辛いだろうと思うけれど、私も話し好きのおじさんに捕まって炎天下に止め置かれるのは御免被りたい。目をそらしてツツツと横歩きしたりして避ける。わたしゃ忍者か?

めったに家からも出ず、アンサンブルを望んでもお互いに出歩きたくないので、約束をしたくない。結果誰とも殆ど会えない日が続く。それなのに、朝目が覚めたときに気分がいまいちだと”すわ、コロナに感染!”しかし、時間が経つと、特に朝食を食べると気分は普通になる。軽い熱中症かもしれない。記憶力はどんどん悪くなって、最近では有名な演奏家や作曲者の名前が出なくなった。ましてや、新しい演奏家は殆ど名前が覚えられないときた。このまま痴呆街道まっしぐらかい?痴呆ならぬ地方街道まっしぐらで、来週は涼しい北軽井沢で暮らそうと思っている。あちらはともすると涼しすぎることはあっても暑いということはなかったのに、今年の昼間はやや暑かった。そろそろ涼しくなっていることと思う。それと人が居ない。9月の声を聞くと森の中にいるのは動物のほうが多い。

一番暑いときに森に行かなかったのはなにかと用事があったから。ハリー・ポッターの最終7巻にいよいよ突入する。そのレッスンが今月末。単語や言い回しの難しさも増したけれど、文字のサイズがどんどん小さくなっている。だから同じページ数でも中身は増えているのだ。もはや中学生でも読めるレベルを遥かに超えて大人の読み物になっている。目が悪くなって記憶力も衰退しているのに、難しさは増すばかり。最後まで読み終わったら感激でうるうるになるかも。でも途中で諦めかけていたのに、最終巻にたどり着けてよかった。

AmazonTVにはまって、英語のノートを広げながら見ているうちに英語はどこかへいってしまう。これはいかん。北軽井沢の誰もいない暗い長い夜がこういうときに役に立つ。テレビもつかないし、話し相手は猫一匹。Amazonも、もちろん邪魔をしない。なにもやることがない。時々小動物がシャッターにぶつかってドンと音を立てるのにも慣れた。初めてのときには人がいるのかと思って恐怖したものだったけれど。

楽器を置いておく部屋に除湿機を入れたけれど、今年は暑かったからエアコンにすればよかったと後悔している。電気屋さんに相談してみよう。音を出すのでどうしても窓は閉めるから、いくら北軽井沢といえども暑い。電気屋さんは楽器を置くだけだからとエアコンの必要はないという。費用も安く済むから一旦は納得したけれど、この先異常気象が続かないとも限らないからエアコンを入れるうちが増えているという。ずっと以前軽井沢に仕事で行ったら何処にもエアコンはなかった。それから考えると本当に気候が変動しているなと思う。

湿気がひどいので森の中にはピアノは置けない。完全に空調が効いて居なければ楽器が気の毒なので電子ピアノを置くことにする。先日行ったときに不用品は片付けて、スペースを作っておいた。ノンちゃんの趣味らしく小人さんが腰掛けるような木製の小さな椅子が3脚。雰囲気はいいけれど、実用的ではないから撤去。友人が持って帰ってその日の夜、彼女の猫さんたちがその椅子に座った写真が送られてきた。私のお気に入りのポジションだった窓際のソファ。ここに横になって外の木々を飽きることなく眺めていたものだった。そのソファもピノを置くとじゃまになる。どうしようかと考慮中。ノンちゃんの趣味の良さは家具にまで行き届いていた。私が実用一点張りにすることは彼女には不本意だとは思うけれど、ごめんね、こうしないと家が狭くなるばかりで・・・

家に根が生えたように居座っていても若い時なら様々なことを考えた。それが今ではノンビリと寛いでなにも考えないでヘラヘラしていられる。もう年だし、少しくらいなまけてもいいでしょうか。










おかしな出来事

 姉から電話がかかってきた。

私の上の階に住んでいる人がダンボールを道ばたに放置していたので、ご近所から苦情が出たのだと言う。上の階には新しく引っ越してきた若い女性が4月から入っていた。見た目すごく健康そうな感じのいい人だったので、とてもそんなことをするとは思えない。

姉に電話してきたご近所さんがダンボールに貼ってあった宅配便のラベルを見て電話すると若い女性が出て、身に覚えがないと言う。それでも通りすがりの町会事務所の人が片付けてくれたからお礼を言うようにと伝え、ダンボールを引き取るようにと言って電話を切ったけれど、一向に引き取りに来ないらしい。その住所が私のところなので、私の姉にご注進に及んだというわけ。私もなんだかよくわからない。

とりあえずご近所さんに電話をして話を聞くと、以上のようなことを伝えられた。町会事務所に行って片付けてくれた人にお礼を言ってよくよく訊いてみると、捨ててあった場所は我が家からはかなり遠くて、その間には何箇所ものゴミ捨て場がある。捨てるならもっと近くに捨てるだろうし、若い女性がダンボールを抱えて、まだ地理もわからない場所をうろつく図はとうてい思い浮かべられない。だれかが意図的に我が家のゴミ捨て場から持ち去って置き去りにしたとし思えない。

女性の部屋に行ってドアホンを押しても出ない。電話にも出ないから置き手紙をして来たけれど、まず住所がついたまま捨てるのもうかつな話で、誰かがそれを見て名前と電話番号を利用するかもしれない。今はほんのちょっとした手がかりから詐欺などの被害にもあいかねない。本人が否定するのを皆信じているけれど、それにしてもなぜ?

近所にある政党の支持者がいる。選挙が始まるといつもこの家の塀にポスターが貼られる。そのポスターが時々剥がれて我が家の駐車場に落ちているから、その都度届けに行ったけれど、だんだんおかしいなと思うようになった。ポスターは少しくらいの風で剥がれるものだろうか?しかも落ちている場所がその家のすぐそばでなく、私の家の駐車場の一番奥の方だったりする。人がわざわざ剥がして持ってきたというふうに置いてある。これはその家に対する嫌がらせと言うより、私に対する悪意ではないかと思った。そこの奥さんと、お互い気をつけようと話し合った。それ以来ポスターが貼られることはなくなったのでホッとしている。悪くすれば選挙法違反などになりかねないし、密かに奥さんから恨まれたりしかねない。

私は10年以上ごみのことでご近所と、様々なトラブルがあった。近所のゴミ置き場は、ある家の前に設置されていたけれど、新築を機に隣の家にごみを置かせてほしいと頼んだところ拒否されて、わざわざ私の家の斜め前に置くことにされてしまった。そこは本来のゴミ捨ての人たちの家からは遠く、自宅にゴミ置き場のある我が家のすぐそば。当然遠いところのごみがどうなっているかは捨てる人には見えない。捨てない我が家からは丸見えで、管理もしてくれないから汚れ放題。あまりの酷さに掃除をして欲しいと何回も頼み、そちらの町会に頼みに行ったりしていたけれど、皆どこ吹く風で知らん顔。私と隣の町内会の間で度々話し合おうと思っても、喧嘩腰で来る。しかも責任の所在がはっきりしないからだれもが逃げ腰。

ある時あまりにもひどすぎる汚れ方に、その辺でも人望がある家のご主人を引っ張り出してゴミ置き場まで連れて行った。実態を見て言葉を失うご主人。次の日からごみの捨て方と、ほんの少しだけ我が家より遠くにゴミ捨て場が動かされた。毎日掃除をしてくれるおばさんも現れてやっと管理されるようになった。

そんな事があったから私は随分恨まれていると思う。あるいは生意気だと思われていると思う。ごみの問題は本当に煩わしい。それでダンボール事件やポスター事件が起きるのかも。

あるいは野良猫餌やりやいつも変な格好をしていること、まっ黄色な車や楽しげに集まってくる人たちやヴァイオリンを弾いていることなど、他とちょっと変わっているのも癪の種なのかもしれない。ダンボールの女性は私へのあてつけで嫌な思いをさせられたのかもしれない。それなら引っ越してすぐに嫌な思いをさせて気の毒だった。

以前もなにか嫌がらせのようなことをされたときに、亡夫が言ったことがある。「(いやがらせをする)その人は気の毒だね、そんな嫌がらせを夜一人で考えているのを想像してご覧よ、随分不幸なひとだねえ」なるほど、ほんとにそうだ。














2020年8月25日火曜日

幸せな老猫

 私の相棒は老いたメス猫のコチャ。彼女は18才、人で言えば多分80才超え。いやもっとかもしれない。

先日道ばたに生きの良い猫じゃらしが生えていた。立派な毛虫様の穂先がついていて、これほどしっかりしたものは中々道ばたでは見当たらないから、思わず一茎折って持ち帰った。コチャがどんな反応するかはわからなかったけれど、たぶんのっそりと匂いを嗅ぎに来て鼻でフンとあしらうと思っていた。しかし彼女がここまで喜ぶとは、思いもよらないことだった。もう年なんだからやめなさいと言いたいくらい、激しい運動をし始めた。

彼女は家に沢山猫が居た頃はひっそりと押入れ暮らし、他の元気の良い子や甘えん坊の玉三郎の陰に隠れて、存在感はうすかった。一日中姿が見えなくても、又押し入れで寝ているんだな位の認識しかされなかった。顔つきはいつもニコリともしない風で妙に顎が前に突き出ていて、およそ猫の可愛らしさには程遠かった。同じ時期に拾われたので他の猫が相次いで逝ってしまった時、少し遅れて拾われた彼女は生き残り、やっと私を独り占めできるようになったのに甘え方もわからない。抱っこされても体が突っ張っている。他の猫は抱かれれば液体のようにフニャリと体の力を抜いてリラックスするのに、コチャだけはゴチゴチに固まってしまうので抱きにくい。毎日彼女の心を解きほぐすのにはどうしたらいいか色々やってみた。

ある日私のベッドに珍しく上がってきてくつろいでいるから、ひたすらもふもふしていたら、それがとても嬉しかったらしい。今までなでてもらうこともなかったので、どう反応していいかわからなかったらしい。その時から急激に心を開いてきた。今まで目を合わせようともしなかったのが、じっと私の目を見返してくるようになった。それで今やすっかり甘えん坊になって、一日中私の姿を追いかけている。少しでも見えなくなると必死で鳴きながら探す。以前は沢山猫がいたし、私は仕事で忙しかったから、コチャの寂しさをわかっていなかった。けれど今、彼女は私の愛情を独り占めして、幸せそうに暮らしている。

猫じゃらしを見たとたん、戦闘態勢に入った彼女のしつこい要求に私はヘトヘトになった。何回も何回も茎を振り回して彼女の狩りのお稽古に突き合わされる。こんなことなら猫じゃらしを持ち帰らなければよかった。しかし、遅くなってしまったけれど、人生(にゃん生)の黄昏時にこんなに幸せそうにしてくれるなら多少面倒でもお付き合いしましょう。

大体、最近の私は家から殆ど出ず歩かずに、石仏にでもなったかのように動かない。せめて猫と遊ばないとこのまま即身仏にでもなってしまうかも。仏ならいいけれど、即身物になって粗大ごみとして捨てられかねない。ごみの中でも質が悪く、ごみ捨て場に持ち込むとぎゃあぎゃあ喚き散らし、腹が減ったと泣き叫ぶ。そんなごみになりそうな。衆生救済のために断食した修行僧の爪の垢を煎じて飲んでも、もはや救いようのない存在なのだ。

それをほんのひと時でも体を動かさせてくれる、お猫様に感謝。彼女が居なかったら私は息をするのも面倒くさいので、呼吸困難に陥りかねない、とまあ、こんな具合で、猫たちには子供の頃からずっと助けられている。私が猫たちを救ったのではなくて、猫が私を救ってくれていたのだ。

近所の独居男性が犬を飼い始めた。

朝早くから「こらっ!こらっ!」と大声で誰かを叱りつける声がするので、子供でも叱っているのかと思ったら、可愛いワンちゃんが叱られていた。テリアとパグをかけ合わせてできたという中型犬。

赤ちゃんだから歯が痒くて飼い主をちょっと噛んだりするみたいで、地声の大きな人が早朝近所中に聞こえる声で叱りつける。あんなに叱られてばかりいたら性格がひねくれてしまわないだろうかと密かに犬に同情した。私が飼うならちゃんと訓練士に預けて躾をするのにと余計な心配をしていたら、最近飼い主の声が優しくなってきて、今朝耳をそばだてていたら「よしよし、いい子だ」なんて。あら、動物というのは人の訓練にも役に立つのだわと、えらく感心した。皆さん動物を飼うのは人の為ならず、ですよ。













2020年8月24日月曜日

検診の結果

私が健康診断を受けたくない理由は、私の検診結果を見た医師が退屈そうにするからなのだ。本当に何年も全く変わらず、必ずコレステロールが高いと言うだけで、ほぼ基準値に収まる状態がもう15年以上、そのうちの数年は受けることもしなかった。どうせ同じさ、と言うわけで。

今回は咳喘息の治療のために通っていた病院での検査。やはり医師はつまらなそうになにも問題無しと言う。明るい声で中性脂肪が下がっていますねと言うから”どれどれ”と数値を見たらほんの2コマ下がっていただけ。心配していた肺がんも異常なし。咳が出るのはどうやら我が家のなにかの物質に反応してのことらしい。亡夫はヘビースモーカーだったので、壁などに未だに存在するタバコの煙の残滓かも。壁紙を2回も取り替えてもまだ影響しているのかもしれない。私の父もヘビースモーカーだったけれど、96才まで生きてテレビを見たまま亡くなった。誰もが居眠りをしていると思うくらいあっけなく。

家族の中で一番父親似のわたしは、同じように96歳まで生きるのは御免被りたい。今でさえも足の筋肉が衰えて椅子から立ち上がるときにどっこいしょと言いたくなる。これで90代までとなると、どれほど自分の体を動かせるものか想像もしたくない。人の厄介になるのは本当に嫌なのだ。父親は最後まで自力で徘徊していた。毎日決まった順番でご近所さんを訪問し、昼食を食べてテレビを見て。

その父を支えたのが町の人達だった。地域に根づいた活動をしていたので、役職がなくなっても父のポジションはいつも町の人によって確保されていたのだ。選挙の時、投票所に父が座っている。別になんの役にも立たないのに椅子が用意されていた。そこに座って投票に来る人達を嬉しそうに見ていた。とてもありがたいことで、母が先に亡くなって一人になった父は、そうやって慰められていたから私達の世話になることもなかった。それで大往生して本来なら自宅で亡くなると変死扱いなのだけど、父の場合、あまりにも安らかな死に顔だったので事件性なしとみなされて、一旦は警察で過ごしたけれど、すぐに戻ってきた。

そんな父は町の人達にお世話になったけれど、私は町に貢献をしていないし、近所付き合いもあまりなく、喧嘩はするは、文句は言うは、野良猫に餌はやるはであまりにも人望がないから、96才まで生きても誰も世話はしてくれないだろうと思う。自分のことは自分でやらないといけないので、これからの人生設計をきちんと立てようと思っている。

そのためにはまず健康であることが必要。最低自力で歩けなくなったら施設に入るためのお金も必要。今まで随分無駄使いしてきたけれど、これからは貯蓄に励もう・・・とはいかない。お金はつかってこそ意味があるから無理に節約はしないけれど、面白がって着られそうもない変なデザインの服を通販で買うのはやめようと思っている。必要な出費は惜しまないけれど不必要なものは買わない様にしたい。希望的な決意であって、どこまで守れるだろうか。

とかなんとか言いながら、パソコンの画面に絶えず現れる広告を見てしまう。私の嗜好を知り尽くしたGoogleさんが厳選する品物だから、ついつい見るだけよと言いながらいつの間にか買わされている。敵もさるもの、ひっかくもの、見ざる聞かざる言わざると3猿を決め込んでもかなわない。

海外の映画やヴィデオを見ていると、老婦人たちの服装が気になる。日本の老女たちは一様に年相応な地味な服装をするけれど、ミス・マープルなどは花柄の品の良いワンピースを着ている。あれはとても良い。私もああなりたいと思っても趣味が変な物好きなので中々上品にはなれない。

仕事仲間のピアニストから「nekotamaさんって時々すっごく変な格好するよね」と言われたことがある。その日は東京に雪が降ったので舞い上がった私は、ダウンジャケットに雪用のド派手なブーツ、毛皮の帽子などエスキモーも真っ青な服装ででかけた。NHKホールの楽屋口の守衛さんが私の全身を上から下まで見下ろして、妙な顔をしたので吹き出しそうになった。時々こうやって他人から変と思われることがあるけれど、自分でも変だと思ってやっているのは反応を見るのが面白くてやっているようなところもあるのだ。普段はとても常識的だと、自分では思っているけれど、さてね?








2020年8月23日日曜日

夏の終りに

 毎日信じられないほどの暑さが続いた。今日はようやく気温が下がって台風か何かの影響かもしれないけれど、小雨が降っている。コロナの緊張と暑さの影響ですっかり疲れてしまった。朝食を食べてしばらくすると、又寝込んでしまった。いくらでも眠れそうな疲労感。私にとっても随分辛い夏だったようだ。

今年ほど人々が感染症に支配されたことは今までなかったような気がする。目に見えないウイルスに怯えての数ヶ月、この間に運命が変わってしまった人も沢山いたと思う。私もこんな形で自分の演奏の幕引きをするとは思わなかった。手洗いと人との距離をとること、マスクをすることくらいでこの感染が収まるならいいけれど、もっと不確かな感染経路もあるのではないかと疑ってしまう。宅急便を受け取るたびに荷物の表面は大丈夫だろうか?とか、ビルの出入り口のドアノブを触ってしまったから怖いなど、常にビクビクしていることが心を病ませてしまったようだ。とても疲れている。

疲れている上に生きがいだったものができなくなって、こういうときにこそ必要な心のケアができない。仲が良い家族、友人、恋人などがコロナのおかげで会えなくなるなんてことも沢山あったのではと思う。いつも幸せ感いっぱいだった私もまいったまいった!たまに家に人が来てくれるとその時だけは幸せだけど、帰ってしまうとがっかりして又根暗になる。かと言って帰さないために猫のケージに押し込めることもできないし。

肩甲骨の痛みはだんだん取れてきて、肺炎ではなかったのでホッとしている。こんな痛みごときでも心配でたまらなくなるほどなので、万一熱でも出そうものなら一大事。毎日の検温では常に36度台の前半を行ったり来たりで安定しているけれど、風邪でもひいてそれ以上の熱が出たら心配のあまり発狂・・・とは大げさだけれど、そのくらいの気持ちになりかねない。

夏が終わって涼しくなるとウイルスはもっと元気になってしまうと聞くと、もうこれ以上勘弁してくださいよお願いしたい。人はこの自然界で一番えらいのは自分たちだと思っている。けれど、実際はこんな小さなウイルスに人生狂わされるくらい影響を受けるのだから、ちっぽけなものだなあと思う。

熱中症も心配なのでスポーツ飲料を炭酸水で割って冷蔵庫に置いてある。それも飲みすぎているらしく、少し手や顔にむくみが出ている。何事もやりすぎるので、ちょっと飲み過ぎと反省。コロナか熱中症かどちらか一つにしてほしい。

体がだるくて心が暗いのはうつ病になったのではないかと、それもまた心配のタネ。自分がこんなにマイナー思考だったとは今まで知らなかった。いつも仲間が支えてくれていたのがよくわかった。その仲間たちと会えないのが諸悪の根源なのだ。友人はありがたい。

今医療現場で必死に働いている人たちがいるのに、家でくよくよしているのは全く非生産的行為だと思うのに、これで外に出てうかつに感染でもしたらもっとはた迷惑。何もできないし、しないほうが良いと言うのは、ああ、じれったい!いままでこんなになにもできなかったことってあるかしら?さすがの私も、ナマケモノの生活を夢見ていたこの私も、我慢は限界にきているかも。とうていハシビロコウになれないということがよくわかった。ナマケモノもハシビロコウも偉い!あんなふうに悟りきっていられたら感染症のほうが呆れて立ち去ってくれようものなのに、人はばたばたして事態をますます悪くする。来世は最初からナマケモノに生まれてこよう。

暑いときにこそ必要な森の中の生活も、仲間たちとそこで楽しく暮らそうと思って手に入れた家も今年は殆ど役にたたなかった。皆移動中のコロナ感染を恐れて、だれも来てくれない。万一のことを考えると、こちらから誘うのも気が引ける。結局猫と私だけが森の空気を満喫、しかし心は楽しまない。来年果たして楽しい生活が戻って来るのかどうか。

愚痴は際限なく続きそうなのでこのへんで。自宅で鬱々としている人におすすめは書くこと、ちょっと気が晴れるのでやってみたらいかが?











理想は厳しい

北軽井沢から帰ってきてからは猛暑に悩まされ、体が動かなくなってしまった。外に出かけるのは暑さに弱い私にとっては命がけ。足はふらつき目は回る。背中がラジエーターだから、Tシャツが汗で張り付いて脱ぐのも大変。散歩もままならない。

それで家のクーラーを休みなく稼働、家の中でできるストレッチなどを少し多めにすることにした。テレビで見たストレッチに加え、自分なりのアレンジで背筋を伸ばす。幸い楽器で鍛えた背筋だけは立派なので、背筋はしゃんと伸ばせるけれど、腹筋は弱いのでお腹の脂肪は簡単には落とせない。しかも自分でわかっているのは、なんでも必ずやりすぎてだめになるのがいつものパターンなのだ。

今朝起きたとき、背中に疼痛があった。ん?何この痛みは。もしやコロナに感染した?報道によれば、どうもいろいろなところに痛みが出ると言うではないか。それとも心臓?心筋梗塞や狭心症の痛みは、必ず胸に出るとは限らない。背中や場合によっては歯茎に出たりする。なぜこんなに痛いのかしら。

ようやくベッドで起き上がって痛みをよく観察する。左の肩甲骨のあたりから肩にかけて小範囲ではあるけれど、かなり痛い。軽く咳をしてみると胸などは痛くないし呼吸も楽にできる。痛みに気を取られるとなにか急に呼吸困難になった気もしないでは無いけれど、体の内部と言うよりは外部的なものとわかった。何が原因?

しばらく考えて、はたと気がついた。一昨日朝のテレビでやっていたストレッチ。いつもは肩甲骨伸ばしが主だったのに、その朝のは、それに加えて脇を伸ばす運動も入っていたのだ。

私の体は少し右側に傾いているので左脇は伸ばしやすいから、いい気になって伸ばしすぎたようだ。やっと原因がつかめたのでほっとしたけれど、やりすぎでこうなったのだから今日はストレッチは休むことにした。いい口実ができた。

私は子供の頃から体を動かすのが嫌いで、理想はオオナマケモノかハシビロコウ。かれらのように泰然として人生を過ごすことが最高だと思っている。その理想に近づくためには食っちゃ寝が一番。人は様々な理由によって、そうはいかないのが現実なのだ。仕事の為や世間的な見栄とか人との付き合いとか、いつもあくせくして飛び回っている。そういう事が自分が有能であり出世するための行動だと思っている。だからお金はそれほど欲しくない、最小限食べていければいいなんて言う人は、怠け者のレッテルを貼られて落ちこぼれとみなされる。

私にとっては落ちこぼれは生まれつき、怠け者は・・本当は頭の中にろくでもない妄想が常に溢れているから怠けているわけでは無いのだけれど、傍から見るとなんにもしていないように見える。ただ体を動かさないだけのこと。

ところがこれを実践すると、成人病の罠が待ち構えているというのが人間の厄介なところ。たいした量を食べなくてもじわじわと体脂肪が増える。血管を塞ぎ心臓に負担をかける。人間はとても厄介なのだ。

今朝から背中の痛みを口実に徹底的に怠けることにした。昨日AmazonFireTVで見つけたのはアガサ・クリスティーのミス・マープルシリーズ。子供の時からクリスティーのミステリー作品はすべて読んでいるほどの熱狂的ファンだったから、これはもうたまらない。結局一日中テレビの前を動かなかった。一切の家事を放棄、たまに猫と自分の餌を用意、お尻に根が生えてしまったように動かない。時々居眠りをして筋書きがわからなくなれば巻き戻し、そのうちわからなくても昔読んだ本を思い出せばいいのだからと、うつらうつらしたり見たり又うつらうつら。これはたまらない。ついに理想的な生活になった。

しかし、このあとが怖い。明日、体重計に乗ればじわりと体重が増えて体脂肪率も上がっているだろう。それを見て慌てて又ダイエットの誓いを新たにするのに、又すぐに理想的な生活に戻り・・・ずっとこの繰り返しで何十年。

少し若い頃なら、こういう時期は新たな出発の準備期間になったものだった。何かを模索してぼんやり考えているとそのうちだんだんに考えがまとまってきて形が見えてくる。そこから新しい世界に入っていく、この繰り返しだった。けれど、もう今となっては新しい世界が現れるのかどうか、とても疑わしい。

今年になって予定されていたすべての演奏会が中止になった。それは来年前半まで続く。もしかしたら来年どころか再来年まで?こうして自然な形で引退を迫られているのかと思う。この先数年のブランクがあって再起するのは年齢から言っても相当難しいことになる。そこまで自分の技術と気持ちが維持できるかどうか自信はない。

そんなときに友人のピアニストからメールが届いた。生きてるかい?なにか合わせない?モーツァルトなんかどう?

持つべきものは友。そう言われて急にモーツァルトがぼんやりと輪郭を現した。あんなに好きだったのに、アマデウス!君を忘れていたよ。コロナに頭を押さえつけられて鬱々とした毎日。こんなつまらない年はなかった。

ところで楽譜は何処にやったかしら。探さないといけない。ハシビロコウになるにはまだ少しだけ早い。









2020年8月20日木曜日

痩せたノラ

1週間ぶりで自宅に戻ると ノラがいない。

毎日駐車場で待機していたのに、私が出かけてしまったので怒っているのか。2日めにようやく顔を出した。嬉しくて狂喜乱舞と言いたいところだが、クールにニャア。フランスへ行ったときには9日間放置して、帰ってきたときには別段飢えた感じでもなく丸々太っていたから、今回も大丈夫だと思っていた。今日の午後散歩から戻ると、私の車”パパゲーノ”の下でぐったりとしていた。

この暑さでは人間だけでなく猫だって暑すぎるのだろう。よく母が言っていたのは「猫は1年間で2日しか暑い日はないんだよ」 

なにを根拠にそんなことを言うのかわからないけれど、それほど猫は寒がりだと言いたかったらしい。もっとも彼女は卑弥呼様だったから、猫と会話したのかもしれない。その寒がりの猫がこの暑さでこれほど弱っているのかとびっくりして呼ぶと、かすれた声で力なくニャアと言う。今朝はちゃんと餌もあげたから飢えるほどでもないはず。でもキャッツフードを差し出すと夢中で食べ始めた。

そうか、誰かに横取りされたのね。今朝餌を置いて戻りかけるとギャアという声がした。あわてて駆け寄るとほっそりしたロシアンブルーが逃げていく。その時はそれで終わったと思ったのに、その後又戻ってきて取られたらしい。暑さは暑いし腹は減るし、それでぐったりと車の下で寝ていたのだ。かわいそうに、抱き上げると前より軽くなったようだ。背中を擦ると骨がゴツゴツしている。最近はまるまるしていたのに、この1週間で痩せてしまったらしい。

2年前にニューヨークに行った時、ノラが心配で階上の人と近所の人に頼んで餌やりをしてもらった。帰ってきたら階上の人はヘトヘト、責任感の強い人で無類のネコ好き、一生懸命やってくれたので疲れ切っていた。近所の人は後片付けをしないのであちこちから猫が集まって大変なことになっていた。それからは覚悟を決めて私の留守の間は猫自身で餌場を探させることにしたら、ちゃんと元気にしていたのでホッとしたものだった。餌をやるのは私だけではなく、あと数軒はご近所にいるらしい。地域猫として生きている彼らは、ローテーションで時々入れ替わりながら食べ歩いているけれど、うちのノラは私が大好きで、毎日必ず駐車場食堂に現れる。あまり飼いならしてしまうと可哀想だから適当にしているけれど、彼女は私にべったりなのだ。

近所にワンちゃんを飼い始めた人がいる。ボストンテリアのメスで私の(?)ノラと同じ白黒模様。まだ生まれて3ヶ月。その子が私を見つけると狂ったように飛び跳ねる。他にも柴犬がやはり同じように大騒ぎする。どちらの飼い主もいつも怪訝そうな顔をして「どうしたんでしょうね、他の人にはしないのに」という。他にも大型犬が顔を舐めに来たり立ち上がって私の肩に両前足をかけてきたり、犬には随分好かれるのが不思議だった。犬を飼った経験もないのに。

近所の商店街ではミュージカル「アニー」に出てくるようなモッサモサの大型犬が私の左腿にピッタリと体を寄せて一緒に歩くのでびっくりしたことがある。訓練されているらしく、リードもつけていない。面白いからしばらく黙って歩いていたら、途中で気がついたようだ。どうやら飼い主と間違えたらしい。しかし、飼い主を間違えるとは「お前さんほんとに犬かえ?」

こういう時面白いのは犬の飼い主の反応。犬を飼う人は犬が自分に忠実でないと嫌なようで、自分以外の人になつくのはあまりお好きでないらしい。たいていムッとした表情をする。

先日テレビを見ていたら、犬の嫌いな人は犬に噛まれやすい。それは犬嫌いの人が犬を見ると恐怖体臭が出るのだそうで、人の何億倍か鼻の利く犬がそれを嗅ぎ取る。それで噛まれるのだという。ほう~、では私は犬が大好きで犬を見ると嬉しいという体臭が出るのかな?そういえば今まで一度も犬に噛まれたことはない。皆目が合うとニッコリと笑う。これ嘘ではありませんよ。犬も優しい表情をする。随分以前、動物と触れ合える広場に行ったことがある。そこに巨大な、それこそ子牛ほどの大きさの黒犬がいた。その子とじゃれ合って後ろから飛びつかれて、ひっくり返ってキャッキャと笑っていたら飼育員が真っ青になって飛んできた。

「あー、びっくりした」ですって。大丈夫、私は危険か危険でないか、すぐにわかるから。アイコンタクトでひと目で気持ちが通じる。

人間もこのくらいわかりやすいといいのに。人の気持ちはよくわからない。ということは、私は人より動物に近いということ?進化の途中だってこと?






2020年8月18日火曜日

夕日の中を走る

 今日は追分に住むKさんに家具センターに連れて行ってもらった。私はまだ軽井沢や佐久などの地理はとんとわからないから、何処かへ行きたくなると誰かしらにお願いして車をだしてもらう。こうして他人を頼るからいつまでも自分で行かれないのだ。

フットワークの良いKさんは喜んで車を走らせてくれる。彼女は建築家のお祖父様とお父様の血が濃く流れていて、追分の自宅のリフォームから私の家の片付けなど、力仕事も厭わずやってくれる。彼女はとても背が高いので、ものを選ぶ時に自分目線で選ぶ。しかし私は彼女より頭一つは小さいから彼女サイズでは全く体格に合わない。力もないから、彼女が持てるものでも持ち上げられなかったりする。

先月スコップを買いに行ったときは彼女の選んだスコップを持ったら、私はスコップの刃の上に足を載せられなかった(笑)柄の先端が胸の上まで来て、全く力が入らない。これ、男の人でも扱いにくいんじゃない?私が小さすぎる?そりゃそうなんだけど。私は子供用みたいに小さいスコップを買った。

今回なにを買いたいかと言うと、タオルや布団カバーなど整理するための引き出し付きの低いタンス。階段の上にあるスペースに置けるサイズを探す。佐久の家具センターまで行ったけれど結局これといった決め手が無いので、お腹すいたからお昼ごはんにしようと言うことになった。

Kさんが前に来たことのある鰻屋さんでうなぎを食べようということになった。やっと探し当てたらおやすみ。がっかりしていたら斜め向かいの佐久ホテルに大きな幟が見えて、うなぎとかいてある。フロントで訊くと、うなぎだけでなく鯉料理もあるそうで、鯉こくの定食を頼んだ。佐久に来たらやはり鯉でしょう。

軽井沢の有名なスーパーには鯉こくを売っていてけっこう良いお値段。今回の定食で出てきたのはその4倍くらいのボリュームの鯉がメイン、茶碗蒸しや鯉の卵の煮付けや鯉の洗い、酢の物など5品にご飯と味噌汁付きで大層なボリュームなのに、美味しくてふたりともぺろりと平らげた。

すっかりお腹も決まって、もう一軒ホームセンターに行って、北軽井沢に帰ってきた。シャワーを浴びて穏やかな夕暮れの空を見ていたら、ふと、こんなときに車で走ったら気持ちいいだろうということ。そろそろ自宅に帰らないといけない。そうか、今帰ろう!

バタバタと支度をして猫をケージにむりやり詰め込んで、日没間近の北軽井沢をあとにした。軽井沢を過ぎて高速道路まではまだ陽光が残っていたけれど、高速に入った頃にはもう真っ暗。

猫は時々なにか文句をいいたげに鳴くけれど、以前のような大騒ぎはしなくなった。道路は空いていて順調に流れていた。運転の好きな私は、ハンドルを握ると本当にリラックスできる。だから一日の終りに運転しても疲れない。自宅の駐車場に着いて車のドアを開けた途端、ムオッとした熱気が襲いかかってきた。うわー!これはたまらん。

部屋に入るとあら?涼しい。どうやら出かけるときに冷房を切り忘れて出たらしい。怪我の功名、多少電気代が嵩んでも、これは褒められるうっかりではないかしら。今この暑さなのに冷房をつけない人が多いと聞いて驚いた。つつましく暮らしてなにを節約するかというと、たぶん自分が我慢すればいいからと冷房を我慢する。でもそれ、命がけですよ。

経済に疎い自分がこんなことを言うと生意気だけれど、まず命に関わる出費は絶対にケチらない。毎日の節約は大事だけれど、大きい目で見ると今大事なのは、温度調節、これはひと月もすぎれば緩和されるものだから出費を惜しまないで・・・と自分の消し忘れの擁護に余念なく。
















2020年8月17日月曜日

浅間牧場

こんなに長いあいだ北軽井沢を おとずれているのに初めて知った場所がある。

軽井沢在住のY子さんと夕飯を食べる約束をしていた。彼女は色々用事を済ませてから6時にこちらに来ると言うので待っていた。4時半ころ電話があって、用事が全部済んだから行ってもいいですかと言うから、もとより暇すぎる私は快諾。彼女はご案内したいところがありますという。

私はいつもここに来るとノンちゃんと楽しい時間を過ごすことに殆どの時間を費やした、だからあちこち見て回ることもなく、私より年上のノンちゃんはあまり動き回ることもなく、この周りの環境はよく知らない。私より年下のY子さんは活動的。私が来られないときに知り合いのおばさまと愛犬と、この辺をクンクン嗅ぎ回ったらしい。しかも我が家の庭に侵入したらしい。庭の奥に清流が流れているのを見たおばさまが感激したとか、嬉しそうに報告してきた。

そのときに浅間牧場に行ってお弁当を食べたのがとても良かったらしく、今日も浅間牧場で食べたい様子だった。けれど日没後はこの辺は真っ暗。近所の食堂にテイクアウトを頼んで我が家で食べることにした。

日没前の浅間牧場に連れて行ってもらった。いつも見る浅間山は胸を張ってそびえ立っているように見えるけれど、高いところで見るとなだらかで黄昏の消えゆく光の中で優しげに見える。山には神様がいると思うのはこういう時。日頃は全く信仰心がないのに。

料理の予約をするために電話すると食堂のご主人が嬉しそうに「お久しぶりです」と明るい声で言う。コロナのおかげでこの食堂も一時期閉鎖、いつ行ってもお店が開いていないのでがっかりしていた。ああ、良かった。皆この食堂が開くのを待っていたのだ。

以前はご主人が一人で一生懸命働いていた。その後結婚すると言うから、皆心から祝福した。素敵な奥さんができて、お店は大賑わい。そしコロナが始まってすごく心細かったと思うけれど、いつも明るい奥さんがそばにいるので幸せだったのではないかと思う。ご主人は以前にもまして生き生きとして働いていた。お客さんもたくさん詰めかけていて、夜の予約はすでに満杯。

お料理を受け取ってうちに戻ると猫がいそいそと出迎えてくれたけれど、同行のY子さんとチワワの菫子ちゃんを見るとクルリと背を向けて押入れに閉じこもってしまった。こういう時よく考えるのは、社交的な性格は得だということ。せっかくのお客様、一緒に会話に参加すれば楽しいのに。

持ち帰ったのはチキンソテーとローストビーフカレーを半分ずつシェアして食べることにした。特別に野菜をたっぷり載せてくれたのでサラダいらず。ご飯はピカピカ。それに軽井沢の漬物屋さんの奥さん手作りのきゅうりの漬け物。デザートはアイスクリーム。カレーを食べると普段は胸焼けを起こすので恐る恐る食べ始めたけれど、美味しくていくらでも食べられる。しかも全く胸焼けしなかった。

満足、満腹で、軽井沢に帰るY子さんとチワワの菫子ちゃんを見送ると、一人ぼっちの長い夜を過ごすためにYou Tubeを見た。

パールマンが弾くベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。彼の音楽は力強くグイグイと人の胸に迫ってくる。彼の日本公演のチケットを手に入れて心待ちにしていたある年、彼は体調不良でコンサートは中止。チケットはしばらくデスクの引き出しにしまってあったけれど、ついに再演はなかった。随分がっかりしたものだった。

最近はコロナで国内の演奏会もなく海外の演奏家も来ないし、自分が弾く機会もすべてなくなってしまった。そんなときに北軽井沢の森の中にいられることがどれほど救いだったことか。朝日に照らされて輝く木々、鳥の声、夜中にガサゴソと動き回る動物の気配。私をこの家の後継者にしてくれたノンちゃんに感謝。ノンちゃんの望みに応えるためにはヴァイオリンをこの部屋で弾かなければいけない。昨日はシェリングとは雲泥の差のバッハを弾いてがっかりして足が攣って、あ~あ。

某一流オーケストラのコンマスのT氏が高級車に乗っていたので「いいわねえ、こんないい車に乗れて」と言ったら「そりゃあ、みなさんとは苦労が違うよ」と言われたことがあった。本当に苦労無しでヴァイオリンがうまくなるわけはないのよね。名演奏家は人の何倍も練習して緊張して、やはり私には無理。猫と安穏に過ごす日々を楽しんでいる。









2020年8月16日日曜日

暇なのに

毎日が日曜日、さぞやブログの書き込みも捗ると思いきや心ここにあらずで 、昨日の投稿を見ると題名はシェリングなのに彼のことは一言も触れず、これでは羊頭狗肉だなあとえらく反省。タイトルにひかれて読んでくださった方、ごめんなさい。

シェリングのナマの演奏はたった2回しか聴いたことがないので偉そうに評論はできないけれど、その発音の良さに目を丸くした。

彼がステージに現れて、弓が弦に載せられたと思ったらもう音が出ているではないか。普通は弓が弦にのって動いてから音が聞こえるけれど、彼の弓は動くか動かないうちにもう音が出ていた・・・・と思えるくらい発音が良い。曲はもちろんバッハのソナタ。

私は力が入り過ぎて発音がとても悪かった。いつも最初の音を出すときには緊張で体が固まってしまう。その結果弓が動いてもほんの僅か発音が遅れる。それを治そうと随分ボウイングの練習をしたものだった。力が抜けているとなんなく出る音が、何処かに過剰に力が入っていると素直に出てくれない。

私のように少し遅く楽器を始めた者は3.4才から始めて物心ついたときにはすでに楽器を弾いていたという人たちには敵わない。だから彼らがなんでもなくできることも考えに考えて苦労して身に付けないといけなかった。シェリングなどはきっとお母さんのお腹の中でヴァイオリンを弾いていたに違いないと思えるほどの発音の良さ。

後のことはもう夢見心地で、そのコンサートの間中最初の音が私の中で鳴り響き、鳥肌のたつような体験をした。もうひとり同じような体験はパールマン。やはり彼が弓を動かすより先に鳴っているようで、それほど軽々と楽器を操っていた。

それからもうひとり、レオニード・コーガン。この人の演奏を聴いたときには本当に鳥肌が立った。場所は横浜の県立音楽堂。音の良さで知られるこの会場で私はまだ中学生。気難しそうな小柄なおじさんがスタスタと出てきて無造作に最初の音を出した瞬間、全身に鳥肌がたった。曲はプロコフィエフの2番のソナタ。それ以来この曲は私の好きな曲の上位にランクされた。

そのときにはまさか自分がプロの音楽家になるとは夢にも思っていなかったので、もしかしたらこの音を聴いてしまったのが私の運命の分かれ道になったのかと、今は懐かしく思い出す。その後プロコフィエフは数回コンサートのプログラムに載せたけれど、あの音が出るにはもう百年くらい練習しないといけないかもしれない。類稀な演奏家と名器だけが出せる音だった。

そのシェリングの弾いたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の古いヴィデオを見たことがあった。彼の足元にも及ばない私がこんなことを言うのは非常に失礼だけれど、彼も人の子と思ったことがある。なんと緊張しているのが見えるのだ。水準から言ったら常人を遥かに超える演奏なのだけれど、1楽章でかすかに見える緊張感、2楽章も、やっと3楽章で本来の彼に・・・ああ、戻りましたね?・・・人間味を感じてしまった。

その点レオニード・コーガンはふてぶてしく見えた。彼はベートーヴェンの協奏曲のあの長い前奏が始まると、くるりとオーケストラの方を向いてじっと聞いている。オーケストラのメンバーは生きた心地がしなかったのでは無いかと思う。これは私が実際に聞いたコンサートなので情景は目に焼き付いている。もしかしたら彼も緊張で客席を見ないようにしていたのかな?とも思うけれど。

古い映画「カーネギーホール」にハイフェッツが登場する。彼はステージに乗る前に楽屋を歩き回ってソワソワ。そうやって緊張をほぐそうとしている。彼が胸のあたりがむかむかするとかなんとか言うと、そばにいた人が、私は食べすぎたときにそうなりますと言う。

この映画を私が見たのはまだ幼かったので、この辺の記憶は曖昧だけれど、あんな名人でも?と思ったのだけは覚えている。どんな名手であっても、いや、名手だからこそプレッシャーは重くのしかかるに違いない。数年前ニューヨークに行った時泊まったホテルがカーネギーホールのすぐそばだった。映画の情景を懐かしく思い浮かべた。

私の友人でベルリンで長年仕事をしていた人がいる。彼が言うにはオイストラフはあがり症で、コンチェルトを弾く時に最初はの方は「これがあのオイストラフ?」と思うほど緊張して調子が悪いという。それを聞いて、世界中のヴァイオリニストのお手本になるような彼であっても、いや、そうであるからこその緊張は凄まじかったのかもしれないと思った。

この話題、随分前のnekotamaに書いていますが、毎日ひまで目新しい話題もなく、同じことを何回も言うのは年寄りの特権と心得て億面もなく書いています。でも皆さんも前に同じことを読んだことをお忘れでしょうから。

今日も又晴天!森に朝日が輝いています。









2020年8月15日土曜日

シェリング

昨日の夜中に聞いたシェリングの演奏でようやくヴァイオリンをもう一度弾いて見ようかと思って、今日は少し練習を始めた。

思ったより手は固くなっていない。これならもうしばらくコンサートもできるかな?なんて儚い望みを抱いてしまう。雀百まで踊りを忘れずとはこのこと。赤い靴を履いてしまった少女の様に死ぬまで弾き続けないといけないのか。 やれやれ。

今日も一日穏やかな日が続く。天気予報では来週も殆ど晴れるようなのだ。今年コロナに痛めつけられた代わりに神様がくれた太陽の恵みかもしれない、恵まれすぎてどこもかしこも暑そうで、人類は地球上でいつまで生存できるのだろうかと心配になる。けれど考えても仕方がない。われわれが快適さを追い求めるあまりに自然の体系を壊した結果かもしれないのだから。

北軽井沢は湿度が高いから雨がふらないとホッとする。去年のフェスティヴァルコンサートでは、あまりの湿度に私の楽器は膠が剥がれて鼻が詰まったような音になってしまった。慌てて楽器やさんで修理と調整をしてもらった。ヴァイオリンに限らず弦楽器の修理や調整代は高い。非常に緻密な作業、腕の善し悪しで楽器のなり方が違うので、自分の気に入った音を作ってくれる職人さんを探すのに苦労する。

北軽井沢の家に楽器用の乾燥機を入れた。先程久々にヴァイオリンを弾いてみたら湿度調整はうまくいったらしく、とても乾いたいい音がする。

このへんではエアコンを付けている家は滅多にないので、はじめエアコンを付けてほしいと言ったら電気やさんが必要無いという。除湿機だけで十分ですと。多分エアコンをつけるとなるとずっと費用がかさむから親心でそう言ってくれたのだと思う。けれどやはりエアコンだったなあと思ったのは室温が上がってしまうことなのだ。音を出すから窓が開けられない。いくら涼しい北軽井沢でも窓を閉めて風が来ないと暑い!

それで除湿室を諦めて居間で練習することにした。この部屋は木造りの響きの良い部屋で、この音が出せるから私はこの家が好きなのだ。持参した楽譜は3冊。

その中のバッハのソナタの最初から弾き始めて約30分経ったころ、足が攣った。体に拒否された。元に戻すには道は遠い。


まだまだ晴れ

驚いたことに今日もまだ穏やかな晴天。目が覚めると朝日が輝いているから、どうしても散歩に出かけたくなる。9月に来る生徒たちの泊まるホテルは我が家の直ぐ側だけれど、一体どのくらいで歩けるものか試してみた。のんびり歩いて約10分ほど、彼らはうちで飲んでから帰るから千鳥足だと数十分になりかねない。真っ暗で道が見えるかどうか。

時々私がお隣さんに夕飯を食べさせてもらってすぐ目と鼻の先に帰るときでも、懐中電灯がないとお先真っ暗。一寸先は闇というど田舎なのだ。
高校生時代かあるいはもっと前のこと、日本の子どもたちに音楽を聞かせようと青少年コンサートを開いてくれたエロイーズ・カニングハムさんの別荘が軽井沢にあった。
そこを訪れた時、あまりの暗さにびっくりしたことがあった。
こんな暗さがあるのかと・・・

その後自分がオーケストラに入って、カニングハムさんのコンサートに出演させてもらえるとはその頃は夢にも思わなかった。
けれど、私がオーケストラに入りたいと思ったのも中学生の時にこのコンサート聴いたからで、カニングハムさんは私の人生を音楽に導いてくれた大恩人なのだ。
そのオーケストラはその時に演奏していた楽団だったのだ。
けれど、何回か顔を合わせていたのに私は彼女にそのことを言わなかった。
なんで?彼女はそれを訊いたら、とても喜んでくれたと思うのに。
人生は後悔の連続、感謝の言葉はすぐに伝えないと手遅れになる。

北軽井沢に来てから猫のコチャは絶好調!
食べる食べる、お腹壊さないかと心配になるくらい。
胴体がしっかりしてきて、抱っこすると手応え十分、とても18歳の花も恥じらうお嬢さんとは思えない。
私も寝起きがすこぶるよろしい。
ここに来る前は、朝目覚めると体が重く気分が悪いので、毎朝、きっとコロナに罹ったに違いないと心配だった。
それが全くなくなった。
足のしびれや痛みも軽くなった。
本当ならこちらに移住したいとこだけれど、そうもいかない。

こういうところは夜が長い。
すでに日が短くなり始めているので一層そういう気がする。
ここにはテレビもない。
器械があることはあるけれど、あえて契約していないから映らない。
You Tubeで音楽を聞いていたら、シェリングのバッハの演奏が見つかった。
1番のソナタ、パルティータ2番など、そういえば最近じっくりと音楽を聴いていない。
思わず涙が出そうなくらい素晴らしかった。
私はコロナ騒ぎでことごとく演奏会がなくなって、これはもう引退しなさいという神様のメッセージかと思って火をあらかた落としていたところなので、かすかな炎が胸に蘇ってきた。
やはり音楽は素晴らしい。しばらく弾いていなかったヴァイオリンを今日は弾いてみよう。


























2020年8月14日金曜日

今日も又晴れ

北軽井沢にはもう10年以上通ってきているけれど、こんなに晴天が続いたことはなかった。日中晴れていても夕方急に雨が降って雷がなったり、晴れているから油断して散歩に出ると、途中で雨に降られたり、山の天気は変わりやすいから仕方がないと思っていた。それが、私が着いた日から連続3日間晴れっぱなし。

猫のコチャは食欲旺盛、さっき抱き上げたらいつの間にかドタっと体重が増えていた。何を出しても面白いように食べる食べる。自宅にいるときには、なんでもほんの少し口をつけてフンと言う。そのくせ、人が見ていないと陰でこっそり食べている、中々性悪なのだけれど、ここに来てからはずっと食べっぱなし。よほど気分がいいらしい。

私はといえば来る前の暑さで相当疲れていたらしく、ここに到着して朝食を摂るとそのままバタンキュー、その後も夕方寝たり、そして早寝すると夜中に目が覚めて、一人で遊んでいたり、もうぐちゃぐちゃの睡眠になってしまった。昼ごはんをお隣さんのテラスでごちそうになって少しだけ白ワインを飲んだら、又昼寝。昨日夜一人でハイボールを飲んでご機嫌でいたら、いつの間にか眠ってしまって 目が覚めたのが午前2時、そして朝食後ちょっと横になったらぐっすり、次に目が覚めたのが午前10時半、とまあこんな具合で。早朝まで起きていたので、森の夜明けを見ることができた。

木々がドーム状になっていて、その向こうのがわの空がバラ色に輝いて、刻々と色が変わっていく。山の中ならではの幸せな時間を過ごした。こんなきれいな景色を見る人が誰もいない。みなさん夜まで騒いでいたから寝坊しているようだ。散歩に出たけれどクマが出没するような地域だから、なるべく家のそばをぐるぐる回る。出てきたら一目散に家に入れるように。今年は追分でクマが捕獲されたそうだ。

夜中にいろいろな音がする。シャッターを爪でこするような音。なにかガサガサと落ち葉をかき分ける音。多分ムササビかリスがどんぐりを探しているのだろう。初めてここに来て夜中にいろいろな音がするのでびっくりした。はじめは人間がいるのかと思って怖かったけれど、シャッターにドーンと当たる音がしたからお隣さんに報告したら、それは多分ムササビよと言われた。やっと一人で夜を過ごすのにも慣れた。

はじめはノンちゃんがいても緊張した。ノンちゃんがいなくなってたった一人でここに住むのは怖いし寂しいし、耐えられるかなと思ったけれど、案外と慣れるのは早かった。森にいるのは可愛い動物たち、そう思うと音がしても怖くなくなった。昨日の深夜、どうもベランダになにかいるらしい、シャッターを開けて見ようかと思ったけれど、もしそれがクマだったら!!きゃー!開けるのやめた。

今日もまだ沢山の人がいるけれど、お盆が終われば帰ってしまって又静かな森が戻ってくる。今年は自宅に帰れば又特別な緊張感がある。旅行から帰った人たちや家族でずっと一緒に過ごして家族内でコロナ感染が増えているという。辛い夏はそのまま辛い秋に。このまま森に巣を作って住んでいたい。





2020年8月13日木曜日

助っ人来たる

 今日は又晴れ。日中少し暑くなったけれど我慢できないほどではない。やはり森の木々のおかげでなにもかも柔らかく感じられる。

9月に遊びに来る生徒たちのために少し家を片付けた。宿泊はうちの近所のホテルに泊まってもらい、密を避けるため合宿は中止となったけれど少人数でアンサンブルを楽しみたい、それに私と飲みたいという彼らの希望で着々と準備が進んでいる。

コロナさえなければここを拠点としてアンサンブルのシリーズを実現したいところなのだけれど、今年は我慢するっきゃ無い。場所を知ってもらいたい、北軽井沢の良さをアピールしたいというおもいがあったので、少人数での下見に来てもらうことになった。練習場所は町の施設を借りる予定だった。

ノンちゃんは私がこの家でヴァイオリンを弾くことを殊の外喜んでくれた。いつも昼寝の時間を邪魔して私が練習を始める。眠れないほどうるさいと思うのに。だからここが音楽の拠点となればこの家も喜ぶと思う。ところでここで問題発生!

当てにしていた練習場所は公的な建物で、ことごとくコロナ感染防止対策で閉鎖してしまった。仕方がない、今年は私の家でテストケースとして行うしか無い。それにしても手狭ではあるけれど、家具を動かしてスペースを作るしか無い。いつものミュージックホールも閉鎖、でもそこはシャッターを開ければすぐに庭だから殆ど屋外と変わりない。けれど、特例はない。

ノンちゃんの家は細々としたノンちゃん手作りの品々で占められていた。まず、暖炉前のラグは、布を細く裂いてそれを織ったもの。とても手がこんでいる上に色彩感覚が見事で、随分遺品を処分したけれどこれだけは捨てられない。

それから座布団、クッションなど。これはほとんど使うことが無いので改めて処分することにした。子供用の小さな椅子。これは小柄な私でも流石に小さくて、お客さんたちは、はじめて見ると喜ぶけれど使われていない。これは追分から時々手伝いに来てくれるKさんに引き取られていった。

いつもここに来るたびに私が森を眺める時座るソファは、処分してキーボードを置くスペースを作ることにした。いつもあった場所に直角に動かすとあら不思議、部屋がすごく広く感じられる。そこに一緒においてあるローテーブルは、欲しいという人に差し上げることに。Kさんは建築家のおじい様とお父様の血筋かもしれない、とても片付けたり作ったりすることがうまい。今日も部屋の整理を手伝ってもらったら、これがあのぐちゃぐちゃだった部屋?と言うくらいスッキリと広々なって、これなら今回ここで練習でも大丈夫となった。女性にしてはとても背がたかく力持ちだから頼もしい。

前に来たときは庭木の剪定とゴロゴロ転がっている浅間山の溶岩を片付けて、狭かったアプローチが広くなって車の出し入れが楽になった。車を入れる時に私は黄色い車「パパゲーノ」の脇を溶岩でこすり軽く傷をつけてしまった。先日日産に行ってなにかでちょっと塗っておいてと言ったらメカニックさんがきれいに磨いてくれた。何も塗らなくても大丈夫ですよと言って。溶岩の表面のコケなどが付いたようで傷ではなかったらしい。

今まで両脇に溶岩が迫り、木の枝が伸びてきて狭くなっていたので車の出入りがとても大変だった。次はベランダのペンキ塗りと日除けをつけること。それとベランダに手すりをつけないと・・・Kさんの頭には次々にアイディアが湧いてくるらしい。どうして建築家にならなかったの?と訊いたら「頭悪いから」という。悪いわけがない、こんなにテキパキと動ければ。いつでも私はあなた任せ。おかげで家がスッキリ。

これで生徒たちを受け入れられそうな気がする。消毒薬やマスク、フェースガードの用意、手袋も譜面台も。食事は近所の食堂でテイクアウト。家の換気は完璧。至るところにある窓を開けると風の通り道ができることを今日始めて発見した。これも彼女の発見だった。私では気がつかない。

彼女は追分に住んでいて御代田町にある美味しいパン屋さんに寄ってパンを買ってきてくれた。フランスのポンパドールで修行したパン屋さんだそうだ。私はキャベツや玉ねぎなど野菜たっぷりのスープを作って待っていた。ベランダにテーブルと椅子を出して軽いランチ。贅沢な食事ではないけれど、空気だけは贅沢三昧。だってここに来てからただの1回も咳がでない。たしか私は咳喘息だったはず。それなのに薬を飲むのを忘れても1回も咳が出ない。すごい森の治癒力。








2020年8月12日水曜日

森は街になってしまった

暑さを逃れて北軽井沢に来たつもりが 、こちらも暑い。

今朝4時、目が覚めた。昨日から荷物は車に積んである。あとは冷蔵庫の冷凍食品と猫を積めば準備完了。4時30分家を出ようとしたら駐車所に野良がいて飯よこせという。

しばらく他のお家でご飯もらってね。野良たちはいつでも餌にありつけるように保険がかかっている。彼らは何軒かの家を巡回して飢えないようにシステム化しているのだ。ときに私は寝坊して朝食時間に間に合わないときには他の家でもらうらしく、ごめんごめんと言いながら餌をやってもあまり食べない。まあ、せっかくだからいただきましょうかとほんのちょっと口をつける。旅行などで家をあけるときにも安心して出かけられる。

以前はうちの上の階の猫好きさんや姉に頼んだり、近所の人に頼んだり。気になって仕方がなかった。でも一度誰にも頼まず出かけたら、何ということもなく艶々丸々として元気だったので、それ以来野良の餌確保能力に任せることにした。

4時30分出発、3時間半ほどで森に到着。

流石に人気はないものの車がいつもの何倍か止まっている。いつものあそこの家も、今まで人がいるのを見たこともないあの家も、今年の森はにぎやか。いつも森に到着すると木々の発散するフィトンチッドを胸いっぱい吸い込む。ああ、気持ちがいい。

気温は例年よりも高いようだ。珍しく太陽が照っている。ここはいつも雨や曇天でカラッとしていたことがない。だからこんなに木々が育つ。流石に早起きと休み無しの運転で疲れたのでちょっと横になったらあっという間に眠ってしまった。猫はと言えばもはや勝手知ったる自分の家、スタスタと餌場に直行。いつもの倍くらいよく食べる。かなりの高齢猫なのに、こちらに来るとベッドからベッドへとひらりと飛んだのにはびっくりした。

お隣さんは夏の間はずっと滞在しているから、何かとお世話になっている。今日も野菜を買いに行くと言ったら、トマトやきゅうりを持ってきてくれた。それでも足りない分は近所の農園の直売所に買いに行った。先々月来たときに友人が一緒についてきて、あまりの安さと新鮮さに感激して野菜を買い込んでいった。彼女は軽井沢の人なので美味しい野菜は高級スーパーで手に入れられると思うけれど、畑からじかにとれたてを見せられてはイチコロというわけ。ここは嬬恋キャベツの産地なのだ。

夕方時々遠くで雷鳴が聞こえる中、散歩にでかけた。まあ、驚いた、人がいる。

いつ来てもこの森で人に出会うことは滅多になかった。ところが今回は何組もの家族に出会った。にぎやかな子供の声が聞こえる。道でバドミントンをしている兄弟がいる。最初に出会って挨拶をしたご夫婦は、どうやら森を逆周りに回っていたらしく、帰り道でもすれ違った。ああ、先程のとご主人が言い、奥さんはニコニコしている。こんなことはいままで一度もなかった。たとえシーズン中でも殆ど人に会わなかったのに、今年は皆さん暑さを避けてきているようだ。

森では家に明かりが灯ることはあまりなかった。いつも静かで持ち主を見かけることのない家が並んでいるばかり。それなのに今年の森は街の賑わいを見せている。おやおや、人混みを避けたつもりだったのに、皆さん同じ思いだったのか。それでも都会とは比べ様が無いほどの人の数。この際東京も人口をなんとか減らす方向に持っていかないと、地震や災害、感染症などの対策が難しいのでは?

今年は冬まで住んでみたい。雪と氷に覆われて寒々と人気のない森はどれほど素敵かしら、でも恐ろしく寂しくて耐えられないかもしれない。クマが冬眠するから安心して出かけられるというメリットはあるけれど。シンとした音のない世界、いちど体験してみようと思っている。

今回来てよかったと思ったのは咳が全く出ないこと。自宅では毎日ステロイド吸入、それでも朝晩の気温の変わり目に軽くコンコンと出るのが、吸入を忘れてもなんの症状もない。ほんとに全く出ない。これはいったいどうして?たぶんハウスダストやエアコンの風に反応してのこと、だったらここに引っ越してくればステロイドはやめられるかも。








2020年8月10日月曜日

引きの強さ・弱さ

友人のWちゃんが、なんとハーピストになる野望を抱いているという。

それを聞きつけて早速見物しに行くことにした。

訪問時間を打ち合わせようと電話をすると出ない。何回目かにやっとおそるおそるという感じで出てくれた。最近通話の詐欺と言うものに遭ってしまったのだ。私の携帯は番号登録済だけれど固定電話番号が登録されていなかったので、もしや詐欺師から?と思ったのだという。

きくところによれば知らない番号から着信記録があって、その番号にかけると何故か知人につながってしばらくぶりなので長話をしたという。ところがその電話は知人の番号ではない。おかしいと思っていたら弟さんから叱られたという。そんなに長話をしたら、後でとんでもなく高い電話代が請求されるぞと。海外のサーバーを通じて転送されてその友人につながったらしく、最初はその電話機が使われているかどうかのテストだったらしいと。

私は詳しくないからわからないけれど、どんどん知能的になっていく詐欺。素人では見抜けるはずもない。

やっと話がまとまって、コンバス奏者のHさんと待ち合わせてイタリアンのテイクアウトを持参して、どちらかといえばハープを聞くより食べるほうが目的だけれど。とりあえずお互い顔を見て安心したいという気持ちなのが、これがコロナ感染拡大のもとといえばそうなんだけれど、とにかく 久しぶりに会うことになった。

Wちゃんは私のオーケストラ時代の同じ釜の飯を食べた仲間で、どれほど一緒に行動したことか。演奏旅行も遊びもなにもかも常に家族ぐるみでのお付き合い。そして今もまだ付き合いが続いている。

3人の熟女は(魔女と言ったほうがいいかも)同年代で、常に面白いことを嗅ぎ分ける能力に恵まれているから、見た目も悠然として見える。それは太っていると言うことの言い替えかもしれない。そんなわけで今日は私が近所のイタリアンのお店で食料を調達、Hさんは新潟から届いたスイカ持参。引っ越したのは聞いていたけれど、訪問は初めて。

行ってみると素敵なマンションで最上階の12階、見晴らし抜群で地球の丸さが実感できる。こういうところに住んでいたら、コロナも寄り付かない。イタリア製の家具が置かれて趣味の良い彼女の部屋らしく本当に素敵。そしてハープは部屋の一番の主のようだった。彼女が言うには、このハープを買おうと思って値段を訊いたら、まず安いと思ったという。それはヴァイオリンに比べたらスタインウエイのグランドピアノでも安いと思うくらいだから、楽器に関してヴァイオリニストの感覚は麻痺している。だからといってヴァイオリン奏者が特に金持ちというわけではなく、楽器以外のことでは慎ましく暮らしている。テーブルにセットされたランチョンマットをほめたら、100円ショップで買ったのだそうで。

彼女はご主人を30代でなくしている。あまりにも早いお別れだった。ハンサムでおおらかでオーケストラの人気者だった。彼は車が好きで、高い車が欲しいと言うから彼女が「スズキの軽自動車にしたら」と言ったら「それじゃあWもスズキのヴァイオリンにしたら」と言われたと言う。それで私達は爆笑した。奥さんはかなりの猛女、彼は誰とも仲良くできるのだった。

(説明すると、スズキのヴァイオリンというのは、初心者用の機械製の安い楽器を制作しているメーカー品のことです。)

よくネットの掲示板などで読むけれど、どうしてこんな些細なことで離婚する?と思うことがある。彼のようにユーモアでさらりと躱せれば、争いは起きない。

テイクアウトの食事は美味しくて、お話も面白い。彼女たちは頭が良くて知識欲があり、話題は実に豊富でいくら話しても飽きない。話に夢中になって目的のハープを聞かないでは帰れない。まだ始めたばかりの彼女が弾いてくれたのは聖夜。これを聞く限りでは、ハーピストへの道はまだまだ。ハープは優雅な楽器と思いきや、とんでもなく重労働なのだ。調弦はハ長調でピアノの黒鍵にあたる半音高い低いとかの音は出せないから、足元のペダルで切り替えられるようになっている。だからハープの演奏を近くで見ていると、両手とペダルの切り替えで大忙し。

楽器の中でも弾(はじ)いて音を出すもの、例えばギター、チェンバロ、マンドリン、ハープなどは耳障りでない。それに比べてヴァイオリンのような弓でこする楽器は、下手な演奏は耐え難い。うーん、ハープ欲しくなったと、耐え難い音をいつも出している私は考えた。でもとんでもなくお金がかかる。弦1本一万円、ヴァイオリンも太い方はそのくらいするけれど、4本しか無いし細い方はそれほど高くはない。ハープの運送は自分でできないから会場に運ぶには専門業者に頼むと数万円。まずい!そんな楽器に取り憑かれたら私は路頭に迷う。野良のエサ代に事欠く。

面白いのは、私もそうだけど彼女も大富豪ではない。それなのに私達がこんな高い楽器を手に入れ高い月謝を払って演奏家になれたのは、周りの環境もあるけれど普段の生活は決して贅沢はしていない。着るもの食べるものはごく当たり前のものだし、むしろ質素と言える。ブランド物を持っている人は少ない・・・というより、興味なし。

そもそも彼女がハープを手に入れたのは、たまたま手頃な楽器に遭遇したことだった。以前はアイリッシュハープをやっていて飽き足らず、大きなハープをさがしていたところ偶然出物があったというわけで。

彼女はそういう引きの力が強い。ヴァイオリンの名器を買ったときもそうだった。たまたま楽器屋さんのコレクションが出たのと、今住んでいる素晴らしいマンションも、とある事情で手に入ったという。それと鉄瓶!

私が一番羨むのは彼女が南部鉄瓶を買ったこと。彼女が店じまいするデパートの食器売場を通りかかったところ、普段ならとても手が出せない鉄瓶が安く出ていたのだという。鉄瓶で沸かしたお茶をごちそうすると言うから、私も以前から鉄瓶が欲しくても高くて手が出せなかったのよと言うと、そういう事情を話してくれた。

コロナ感染が広がり始めた頃、私は近所の大型ショッピングモールに行った。食器売場ですごく気に入った食器のセットが売り出されていた。その時は店内はガラガラで、私は車で行かなかったので重い食器は持ち帰れない。明日はまだバーゲンをやっていると言うから、この客数の少なさならまさか売れないだろうと高をくくって店を出た。次の朝、開店と同時に飛び込んで食器売場に一目散!あ~ら、見事にそのセットは消えていた。

彼女にその話をしたら、なんで予約入れて置かなかったのといわれた。そうなの、私はいつも中途半端な行動で彼女のように欲しい物を確実に手に入れることができない。これが引きの強さ弱さの分かれ目なんだなと考えた。彼女は家も楽器も良いものを手に入れる力がある。私は良いものをいつも逃す。これが運命の分かれ目なんだとため息をついた。

鉄瓶で淹れたコーヒーは柔らかくて美味しかった。もっと驚いたのは白湯を出された時。ただのお湯なのに甘く感じた。興味のある方お試しあれ。











2020年8月6日木曜日

暇だから健康診断

去年ひいた風邪の後遺症。
もともと気管支が弱いので風邪が治ってもいつも咳だけのこってしまう。
年明け前から咳の治療をはじめたら、立派な病名がついていたので驚き。
その名は咳喘息!
喘息と言うとヒューヒュー苦しげに呼吸をするイメージだけれど、咳喘息は喘息とは違う病気なのだそうだ。
咳が2週間以上治らないのを咳喘息と言うのだそうな。

ステロイドを吸入して5ヶ月ほどで治ったかに見えた。
いい加減な吸入をしていたら、やはり軽くだけれど咳き込むことがあった。
どうやら完治はしていなかったらしい。
それで又薬を少し強めにして、再度治療続行することになった。

今通っている病院は去年の暮にネットで検索して、良さげなので通うことにした。
いつもは耳鼻咽喉科で治療していたけれど、今回は呼吸器内科のほうが適当だと思ったので病院を探した。
通い始めてから2月ころまではとても繁盛していて、予約時間も少し待たされることもあるくらい。
待合室に人がぎっしりと座っていた。
それが2月、3月、4月・・・徐々に患者さんはいなくなり、予約時間より前に診察を受けられることも出てきた。
待合室にも緊張感がみなぎっていた。

私も暇、病院も暇なら今がチャンス!
この際健康診断を受けておこう。
コロナ騒ぎが終われば、又混んでしまう。
毎年健康診断の書類が送られてくるのを無視して、去年は数年ぶりにやっと受けた。
今年も書類が来たので、暇つぶしに行ってみよう。
予約すると医師が喜んで、いくらでも受けられますからどうぞ。
いくらなんでも空いているからといって健康診断を趣味にするわけにもいかない。
余ったからといってお持ち帰りできるものでもないし。

7年ほど前、肺がんのリスクを疑われて毎年診察を受けるように言われていた。
どんな病気で死んでもいいけれど、肺がんだけはこわい。
ゆっくりと溺れて行くような死に方だそうで、一思いに死ねるならそう怖くは無いけれど、ゆっくり苦しむのだけは性に合わない。
病気の方は私の好みなど知るわけないから、とり憑いてくるかもしれない。
気にかかりながらも検診を放置。
やっと去年受けた。
とりたてて問題はなく、多少血圧とコレステロールの数値が高いだけだった。

去年の受診が遅かったからすぐに今年の分の書類が届いた。
体調に変わりは無いが、世の中にコロナ激震が来て私はとても暇になった。
家に籠もっているばかり。
テレビでは感染症の話ばかり。
だんだん心配になってきた。
せめて自分がコロナに感染しているかいないかだけでも知りたいから、健康診断に行ってあわよくばPCR検査を受けることはできないだろうか。

今朝暑いさなか病院へ着くと、やはり待合室は閑散としている。
高層ビルの中にある新しくきれいな病院で、設備も整っている。
全部の人に会ってはいないけれど、医師が2人か3人、看護師が2人か3人、受付嬢が2人、これだけの世帯でこんな少ない患者数でやっていけるのだろうかと、他人事ながら心配している。
やっと気に入った病院を見つけられて喜んでいたので、ここが経営危機に陥らないようにお祈りするしか無い。

危機的気配は微塵も感じられない明るい担当医に、咳が治まらないことが気になるのでコロナウイルスの検査は受けられないのかと尋ねると、私の顔をじっと見てからヘラヘラと笑って彼はこう言った。
nekotamaさんを何処からどう見ても、全く感染しているとは思えません。
大体、咳にしても咳喘息のものとコロナのとでは全く様子が違います。
コロナの咳は刻々と様子が変わってうねるような咳です。

軽くコホンコホンなんてことはまずないらしい。
私にしたところで感染する余地もないくらい人に会っていないし、手洗いも真面目にやっている。
洗濯はいつもやりすぎるくらいで、衣類が傷んで困るほど。
一度着たものは即洗濯機、タオルの使用も一回こっきり、マスクは外から帰ると手洗いと一緒に薬用石鹸で洗う。
しかし、気をつけているからと言っても、感染の機会は実はいくらでもありそうなのだ。

私を食堂のおばさんと心得ている猫たち、毎朝駐車場に集まってくる。
私を見ると狂ったように跳ね回る犬。
何故か犬には絶大な人気を誇るnekotama。
飼い犬からの感染も報告されているようだ。
私は足が痛くて階段の降りには必ず手すりを掴むから、そこでウイルスを掴んでしまうことだってありそう。
最近は空気感染も言われているから、何処かに浮遊しているウイルスを吸い込んでしまうことも考えられる。

今のところ医者が笑うほど無事らしいので皆さんご心配なく。
時々は生存確認のお電話お待ちしております。
























2020年8月5日水曜日

感染者への誹謗中傷

ネット上で、新型コロナウイルスの感染者のブログなどにひどい書き込みがあるらしい。
これは驚き!
だって、感染した人が故意にウイルスを飲み込んだみたいじゃない。
ブログ主は、自分の体験が少しでも世の中の人の役に立つようにと投稿しているのだ。
それを死ね!とか書き込み、個人特定して無言電話を一晩中かけてくるとかいうことがあるという。
こんな理屈もへったくれもない悪口を書き込める人って、すごい恥さらしだと思いませんか?
ま、私も安倍さんに悪口雑言浴びせていたけれど、それは相手が公人と私人の違いであって、政治に対する批判は当然公にしても構わない。
それに対して本当に個人的な情報をわざわざ調査までして個人を特定したりするのは許されない。
もう完治した人のところでも電話が鳴り止まないという。
なんだか情けないこと。
それに病気に罹るのは不可抗力。
もちろん家庭内に居られる人は、なるべく家にいて感染を避ける。
仕事場に行かなくてはならない人は、いつどこで感染するかわからない。

電車に乗って外出するのはなるべく避けているけれど、たまに電車に乗ると感染の危険は至るところにあると思う。
エスカレーターの手すりとか電車の吊り革とか、触らないようにしても急停車などの時には反射的に掴んでしまう。
特に私は下り階段で手すりに頼らないと危険極まる。
右足首がうまく動かないせいで、転落の危険かウイルスの危険か選択するときには、転落回避を選ぶ。
触ってしまった手はあとで消毒すればいい。
けれど、すぐに忘れてしまう。

それで駅構内を歩いてデパートに直結するような場所なら、デパートに入って、もうしわけない!消毒液をこっそり使わせてもらう。
これも窃盗のうちに入るのかしら。
デパートで買い物をすることはめったに無いので。
池袋の西武デパートで、入口に立っていた人から消毒ありがとうございますと丁重なご挨拶を受けて後ろめたい気持ちになったことも。
店に入るときは最初に消毒、出てくるときも消毒。
店側にすれば、入る時の消毒は店のためだから許せるけれど、出るときには”お客様、ご自分の消毒グッズをお使いください”と言いたくなるのでは?
膨大な消毒液の使用量に違いないので。

それでもまだ感染の危険は至るところにあると思っている。
時々マスク無しで喋っている人も見かける。
誹謗中傷の書き込みをする人や人混みでマスクをしない人は、自分が感染しないとでも思っているのだろうか。
もし自分が感染して病院のベッドで苦しんでいるときに、お前が悪いと言わんばかりのことを言われたら、情けなくて泣くでしょうが。
日本人よ、どうした?
こんな国民性でしたっけ?
大震災の時の絆や助け合いの精神は何処へ行ったの?
それもこれも安倍政権が無策なため。
おっと又悪口言ってしまったぞ。

ネットの書き込みなどを見ていると、それはそれはひどいものがある。
でもそういうこともあるという前提で読むと、時に心から同情する人などもいてホッとする。
しかし、コロナ感染は、もはや個人の努力だけでは収まらない領域に入っているようだ。
それを中傷するなどということは、絶対自分はかからないという自信があるということなのか。
かからない自信があるなら、医療関係者のお手伝いをボランティアでやってもらいましょう。
廃棄物の後始末とか、いくら手があっても足りないと思うので。
もっと驚いたのは、医療関係者とその家族に対する差別があるそうで、呆れたを通り越して泣き崩れそうになる。

先日テレビで見たのは、デブのお騒がせユーチューバーがいて、コロナ感染しているのに山口県などにまで観光して歩いている動画を発信していた。
ひどい咳と多分熱まであるのに、各地の自分のサポーターなどに会っていたので、こんなのはもう、なにをかいわんや。
これは首に縄つけてしょっぴくレベルの迷惑さだけれど。
おかげでこんな迷惑ユーチューバーの名前まで覚えた。
けれど、あっという間に忘れる特技があるので助かった。
覚えたくもないし、こんな人の動画は見たくもない。
面白くもなんともないのに、呆れたことに見る人がいるというから摩訶不思議。










誤嚥

いつもアンサンブルで遊んでもらっている仲間と長電話。

いつもなら要件のみにて失礼!という間柄なのに、最近はとんと会えないからつい近況を愚痴ったり誰かの消息を聞いたりと、1時間30分にも及ぶ無駄話に花が咲いた。
コンバス奏者のHさんはオ-ケストラ~現在に至るまでのお付き合いでスキーの仲間でもあった。
彼女のスキーブーツが突然壊れて転ぶまでは。

志賀高原で私の後ろを滑っていた彼女が、突然なんの前触れもなくばったりと倒れた。
急ブレーキが掛かったような具合で。
間もなくリフト乗り場という平坦な場所で、ベテランの彼女が転ぶわけはないのに。
見たらスキーブーツが見事に上下2つに別れていた。
素材の劣化で割れたらしい。

それほど古くなくてもヒーターの前に長時間晒したり、長年履いていなくて経年で劣化することもあるから、たまにこういうこともあるらしい。
そこで彼女はスキーから足を洗い、私は今度は彼女の娘さんと一緒に滑るという幸せを頂いている。

Hさんはコントラバス奏者として活躍をしていたけれど、ご主人が難病に罹ってその介護をするようになった。
それからの彼女は介護士の資格を取り、ご主人の介護や施設の入所者たちのお世話もするようになった。
傍で見ていても、本人が体を壊すのではと思うほどの働きぶりで、ご主人を無事に看取ったあと、そのまま音楽と介護の仕事と二足のわらじを履くことになって今に至っている。
考えてみると音楽と介護はどちらも人の体と心のケアという共通点で結ばれている。
介護ができる人は強い。
強い人は心豊かで優しい。
日本のコントラバス奏者ではまだ女性が少なかった頃、さっそうと男性に交じって演奏する姿はとてもハンサムだった。

2年前、私は疲労困憊して寝込んでしまった。
彼女に熱があるみたいと言ったら、突然我が家に乗り込んできて食料を冷蔵庫にぎっしりと詰め込んで、あっという間に帰っていった。
お粥などの喉越しの良いものやスポーツ飲料など体温計も付いてきて、それで私は1週間ほど買い物も行かず安穏と寝ていることができた。

ご主人の介護と子育て、その上自身の病気など様々な荒波を堂々と乗り切って、いつも明るく振る舞って回りに気を使わせないようにしている。
人を頼らない、飾らない人柄は誰からも敬愛されている。
それで彼女と他愛もない話をしていたときに、誤嚥の話になった。

最近私はよく誤嚥する。
昨日はさつま揚げを食べていた。
少し硬めのものなので特に気をつけてよく噛んでゆっくり飲み込んだ。
うまく飲み込んだと思ってホッとしたら、口の中に残っていた僅かな破片がスルリと気管支方面へ。
おいおい、そこは一方通行の出口だよと言う間もなく。
しまった!と思ったときにはすでにひどくむせ返っていた。

その話をしたら流石に専門家、喉の筋肉の鍛え方を教えてくれた。
パッという破裂音が誤嚥には有効なんだそうで、ぱ・た・か・ら・という音を何回もできるだけ早く言うのが有効らしい。
私も以前その話はテレビで聞いていたから、時々やっていた。
口は達者だから簡単に言えるけれど、最近はそれにも関わらず誤嚥が多い。
軽いものはしょっちゅう。

すると口が達者なのと喉の筋肉が強いのとは関係がないと見た。
たとえ新型コロナを逃れることができても、肺炎になる原因の多くは誤嚥らしい。
暇だからなんでもやってみよう。
幸い専門家の友人がいるので、わからないことは訊ける。
いつまでもスーパーばあちゃんでいるには、よく食べよく眠りよく運動して、そして今一番不足しているよく笑うこと、これが最良の薬なのだ。
最近あまり笑っていないことが誤嚥の原因かもしれない。

この頃はメールよりも電話で友人たちと話すことが多くなった。
これもおしゃべりがどれだけ喉の筋肉と心のケアになるかわかっているからのこと。
高齢者でも女性は見知らぬ人とでもすぐに話しが始められるけれど、男性は現役時代のプライドが邪魔して、おいそれと無駄話をすることができない。
現役なんて言うのは幻想だったと思えばいい。
何十年も生きてきて、スーパーの店員に威張り散らしている人を見ると、一体どんな生き方をしてきたものやらと情けない。
昨日も見ました、マスクをつけずにレジ付近で大声で喚いているおじいさんを。
家でも奥さんに威張り散らして嫌われているんでしょうね。
そういう人にHさんの爪の垢煎じて飲ませたい。
それより私が飲みたい。

おしゃべりは百薬の長なんて言いませんでしたっけ?



























2020年8月3日月曜日

歪み

「歪」はひずみと読むかゆがみと読むかで理系か文系かわかるそうで、漢字はややこしい。
私は体はゆがんでいて心はひずんでいる・・・またはひずんでいてゆがんでいる。
どちらも曲がっていることには変わりない。
今年始め、スキーのレッスンを受けた時、どうにもバランスが取れなくて苦労した。

一昨年と去年はよくころんだ。
何回も何回も、最後には階段から真っ逆さま、顔から地面に衝突した。
鼻の下と顎にかすり傷をおった。
なんでもない信号待ちでも突然グラっと転んだり・・ただ立っていただけなのに。
肋骨はずっとヒビが入りっぱなしで咳をするのも辛い。
それでもフランスのヴァルトランスに行ってトロワバレーで長時間滑り、流石に怪我の心配があるので途中でやめておいた。
行っておいてよかった。
この先何年も外国に行けないかもしれないし。
その後様々な心の葛藤から解き放されて、人生も捨てたもんじゃないという気分になった。
本来の自分に戻れたのだ。
その2年間で体の歪みが極端に進んだようだ。

スキーのレッスンは毎年受けているけれど、今年は特に辛いことになった。
足の裏の重心が左右で全く異なってしまうから、安定感とカーブの切れが全く違ってしまう。
先生の言う通りしようと思っても、どうにも安定しない。
右足に乗るのは非常に努力しないといけない。
左に乗るのは全く苦労なし。
右足は1年ほど前からひどいしびれと足首の痛みに悩まされた。
レッスンを午前中で脱落して休んでも、夜中にしびれがひどくて眠れなかったほど。
これはだめだと自主的に中止して、温泉に入って、まあ、いつものパターンだけれど。

なんとかしないといけないと思って整形外科に行ってレントゲン撮影をしても、軟骨のすり減りが多少あるけれど年相応と言われる。
特に怪我や変形も見られない。
ほんとかな?
内科でもらったビタミン剤で少し症状は軽くなったものの、完治しない。
友人と電話で話していた時、その人がお風呂でやっているストレッチで片足立ちがとても長くできるようになったと聞いた。
お湯に浸かっている間、足指と手指を組み合わせて足首を強制的に回すと言うからやってみた。
温かくなった足首はいつもよりかんたんに回る。
痛みも少ないからノンビリと回していたら2週間ほどで効果が顕れた。

それで、少しずつ改善されてきた右足の故障。
昨日鏡の前で自分の体のバランスを見た。
最小限の下着だけで鏡の中の自分をチェック。
あらまあ、歪んでいること!
まず体の中心線が見事に右斜めなのだ。
右足が明らかに短い。
だから肩が右下がりで、左足で片足立ちは簡単にできるのに右足では数秒もたない。

左足の片足立ちはまっすぐに直立できる。
それに引き換え、右足立ちはものすごく右に傾斜しないと全く立てないことがわかった。
しかも足裏の内側で立つのは全く不可能なのだ。
だからスキーでカーブするときも右回りはとてもスムーズに行くのに、左回りはよほど体を傾けないと板に乗れない。
両足の内側に重心をと言われても、右足首はそんなことをしたら痛くてたまらないし、ほとんど不可能なことがわかった。
しかし、先生は左右全く違うことをすれば怒るに違いない。
体を故意に傾けるとか不自然な動きは極力してはならないと。

ヴァイオリンを教える時に私も生徒に言うことは、最小限の動きで最大の効果を出せるように、無駄な動きはしてはならないと。
なんでも技術に共通することだけれど、人体はそれぞれの問題を持っている。
長年生きてきたので、職業的に(例えばこの私)体の歪みが出てくることがある。

以前ヨガをはじめたときに、体のバランスが悪いのでまっすぐに矯正しようということになった。
若いときだったからすぐに体は矯正されたけれど、ヴァイオリンを弾こうとすると楽器が逃げる。
普通に構えると、するりと肩から滑り落ちて顎に挟めなくなって慌てたことがあった。
やはり楽器によって体が適応する部分があって、そこを直してしまうと弾けなくなることがわかって、慌ててもとに戻した。
特にヴァイオリンは左右の手の動きが全く違う。
右手は横に左手は縦に動かすことを、子供の頃からやっているわけだから。
これで体が真っ直ぐでいられるわけがない。

そう考えると私はこの左右のバランスの悪さで今後もスキーを滑ることになる。
さてどうしたものか。
今まであまり転ぶこともなく、怪我もしたことがない。
スピードも出るけれど、先生から見ると危なく見えるので叱られる。
今後も自分のバランスで滑るしか無いので仕方がない。

私もいつも自分の考えで生徒たちを外側から見て、形を矯正してきた。
けれど、内部のことは外からはわからない。
指の長さや体のバランスの違いは本人でないとわからないことも多い。
ある時あまりの私のしつこさに泣かされた生徒がいた。
「私だってすごく努力をしているんです」と言って。
その人は左手の小指の付け根が極端に下がっているので、他の指より伸ばさないと音程が低くなってしまう。
「もう少しだから伸ばす努力して!」と言ったらワッと泣き出してしまった。
今でもかわいそうなことをしたと思っている。
アマチュアで楽しみに弾いていたのに、優秀だったから私も欲が出てしまったのがいけなかった。

生徒さんには申し訳ないけれど、他人に教えるのは自分のためでもある。
ひとのふり見て我が身をなおす。
ひそかに勉強させてもらっているのですよ。




























2020年8月2日日曜日

おやおや

毎年仕事をしていた24時間テレビの弦楽器の人数が減らされて、今年は御用がなくなってしまった。
スタジオ内の密状態が懸念されてのことだと思う。
思えば随分長い間のお付き合い、途中ブランクがあったけれどまた復帰してその後は毎年参加していた。
会場が立川平和公園のころからなので、何十年になるのかな。

毎回ほとんど顔ぶれが変わらないので、年に一度の同窓会のようなところでもあった。
コンマスのyamaseichanとはオーケストラ時代から、ほぼ半世紀以上のお付き合い。
お互い年をとったけれど、顔を合わせればあっという間に何十年も昔にタイムスリップする。
言いたい放題が言える気のおけない間柄だった。
だったと言うと過去形になるけれど、もし来年コロナが収束して編成がもとに戻ればまた会えるかもしれない。
でも私としてはこの辺が年貢の納め時と心得ている。

こうして一つ又一つと日常が消えていく。
コロナのせいだけではなく、年齢のせいでもある。
若い頃あんなにも激しく感情が動いたのに、最近は穏やかになんでも受け入れられるようになってきた。
まだまだ血気盛んでもあるけれど、みんなコロナ籠りでは喧嘩する相手もいない。
テレビを見ても腹が立つし、バラエティーもほんっとに面白くない。
友人たちから毎日のように電話やメールが来て話しているから、退屈はしない。
昨日は「生存確認の電話です」と電話がかかってきた。
他愛もない話をするだけでも満足する。

9月に生徒たちとアンサンブルの合宿をする予定だった。
北軽井沢で予定していたけれど、結局これも宿泊施設の問題などで流れそうなのだ。
ああ、つまらない。
北軽井沢の我が家のすぐそばに大きなキャンプ場があって、そこに新しいセミナーハウスが建設中で完成予定が9月始め。
そこを利用させてもらえるという話だったのが、こちらの人数が決まらずもたついていたらもう満員になってしまったという。
日本でもトップクラスの宿泊客の多いキャンプ場だから仕方がないのと、メンバーたちが合宿に行くのを少し怖がっているようにも見えた。
発表会が延期になったこともあって、どうも例年のように気分が盛り上がらない。
やはり、最近のコロナ感染拡大は尋常ではないので。

コロナには随分我慢させられることばかりで、せっかく北軽井沢に仲間が集結できるようにとノンちゃんの家を確保したのに、今年はまだ誰も来てくれないし私自身も中々行かないので家が泣いている。
庭の大木の下で眠っているノンちゃんも「nekotamaさん、いつくるの?」と毎年私が言われていたように言っていると思う。
ノンちゃんはこの家で仲間たちとバーベキューをするのが楽しみだったけれど、生前に2回ほどやったきりで終わってしまった。
亡くなる前にしきりとやりたがっていたのに、私が動かなかったのが悔やまれる。
こんなことなら忙しい合間にでも、バーベキューをやってあげればよかった。
人生は後悔の連続。

去年は雪雀連の会長の誕生日祝のバーベキュー大会をして盛り上がった。
ノンちゃんがいたらどれほど喜んだことか。
けれど今年はどうかな。
会長が高齢なのでコロナ感染させたら大変と皆心配するけれど、この会長は怪長と書くほうが似合うほど元気なのだ。

最近まで、若者に劣らないスキーの達人ぶりを見せていたのだから。
珍しく時々転ぶようになって、あれほど好きだったのにきっぱりとスキーをやめた。
引き際を心得ている。
なんたって90才、普通なら老人ホームでお手玉でもしている年齢なのだ。
大抵の人は転んで自力で起き上がれなくても、中々やめることができない。
周りには常に仲間がいるから、それでもこともなく済んでしまう。
去年亡くなった仲間の1人は、スキーの荷物を持てなくなったらやめると言って自分の荷物は必ず自分で運んでいた。
その人より15才ほど若い私は、荷物を持ってもらうとラッキー!なんて思うのに。

このまま朽ち果てるのはつまらないから、なにか面白そうなことはないかと模索している。
家にいてできること、今まで通り友人関係を保てるのが理想。
私は人を含む動物全部好き(爬虫類を除く)だから、今のような状況は少なからず面白くはない。
でもこういう時期だから我慢するしか無い。
今、我慢しなかったら永久にコロナは終わらないのではと思ってしまう。
そのうち、あの騒ぎは何だったの?といえる日が来てほしい。

暇だから珍しく健康診断を受けることにした。
一番心配なのは数年前に腫瘍マーカーで診断された肺がんのリスク。
気管支が弱く、しょっちゅう咳が出るからコロナに感染したらたぶん重症化する。
呼吸器系がネックなのだ。
それと脳の中身。
ここだけ抑えておけば、あとは健康優良児だと思う。
今年に入ってから高めだった血圧も今は安定している。

結局コロナのせいで健康が保たれているのかもしれない。
仕事がなくなったので時間に追われないし、規則正しい食事と睡眠がとれている。
最近は、長年のショートスリーパーにもおさらば。
無茶はしなくなったし、災い転じて福となすかもしれない。
こんなのんきなことを言っていられるほど世間は平和では無いと叱られるかな。
明日は都内で仕事、緊張するなあ。
誰を見ても自分も含めてコロナ感染していないか気になる。