2015年4月29日水曜日

伊藤 恵リサイタル

紀尾井ホール

「春を運ぶコンサート」のタイトルで8年連続で行ってきたリサイタルの最終回。
今回はシューベルトの「ソナタ」19,20,21番。
作品D958-960まで。

伊藤さんのシューベルトはもう何回も聴いているけれど、彼女は本当にシューベルトがお好きなようだ。
見ても聴いても、すごく楽しげに弾く。
シューベルトか伊藤さんかと思われるほど、渾然一体となって、心地よい雰囲気を醸し出す。
熟成されたワインのような馥郁たる香り、子供の様に無垢でありながら、大人の女性の魔力も持ち合わせ、力強さもある。
とまあ、私は伊藤さんのファンです。
特にシューベルトが良い。

先日挑戦すると言ってベートーヴェンのソナタをお弾きになって、それも素晴らしかったけれど、やはりシューベルトを弾いているときの音楽に溶けきったような、自由さが見受けられなかった。
それだけ、ベートーヴェンは頑固一徹、そこへいくとシューベルトは方円の器に従うような、流れがある。
彼女の魅力が最大に発揮されるのは、やはりシューベルト。

私はシューベルトを聴くとたいていぐっすりと寝てしまうので、批評家はできないけれど、それだけ心地よい演奏だということを言っておこう。
今日は例によって最初の曲はぐっすり眠らせて頂いた。
途中で寝言を言いかけてハッとして目が醒めた。
2曲目からは起きて居られたので、伊藤ワールドを楽しんだ。

彼女の強みはやはり、曲の構成が隅々まで分かっていることだと思う。
まるで弦楽四重奏を聴いているようで、低音はチェロのように、高音は女性の声のように聞こえる。
ただ弾いているのではなく、どの部分をどう弾くか、それが立体的になって聞こえてくるので、長いシューベルトの曲を3曲聴いても、全く飽きることはない。
女性と男性のデュエットのようだなあと思って聴いていたら、一緒に聴いていた友人も全く同じことを言ったので驚いた。
まるでヴィオラのようだと思ったところもあった。

以前ポリーニのコンサートで、彼の多彩な音がピアノの範囲を超えていたのに驚いたことがあったけれど、伊藤さんの音も単にピアノを聴いているとは思えないほど変幻自在なのが、面白かった。

終演後友人のHさんと、四谷駅構内のイタリアンカフェで沈没。
まずビール、魚介のマリネ、モツァレラチーズ、トマト、ビーフステーキサンド、赤ワイン。
今月生まれの私の誕生日プレゼントを沢山いただいて、お祝いをしてもらって、ご機嫌で家に帰ってきた。
久しぶりで赤い顔して地下鉄に乗りました。

その地下鉄駅プラットフォームでのこと。
私が何かを出そうとしてバッグの口を開いた時、急にショックがあった。
目を上げると、そこにはイヤホーンのコードに私の傘をぶら下げて、唖然としている男性が立っている。
一瞬なんのことか分からず、ポカンとお互に顔を見あっていた。
なぜこの人は、私の傘をイヤホーンからぶら下げているのかし
ら?
たまたま私のバッグが開いた時に、傘の手の部分が飛び出したらしく、たまたま傍を通った男性のイヤホンコードに引っかかったというわけ。
この漫画チックな出来事が今日の締めくくり。
良い日でありました。
















2015年4月28日火曜日

映画 イミテーションゲーム

いつも私が覗いているブログで、見つけた記事。
大戦中の敵国ドイツの暗号「エニグマ」を解くために、苦戦する天才数学者。
今のコンピュータの元となる暗号を解読する器械を作り上げ、それをついに解き明かした事によって起こる、新たな苦悩と悲惨なその後の人生。

エニグマ解読の中心人物となった、数学者アラン・チューリングの名前は今回初めて知った。
それはイギリスが戦後50年に亘って、彼の業績を封印したためと言われる。

このブログを読んだ私は、次の日美容院の予約をキャンセル。
午前中英語のレッスンを受けた後「今日はイギリス映画を見に行くのよ」と先生に言うと、「英語で聞くの?」と言うから「ううん、字幕を読む」と言ったら「ふん」と言われた。
私の英語力はハリー・ポッターに限る。
あらかじめ筋が分かっていれば何とか読めるけど、聞く方はとてもとても。
それでも易しそうな箇所だけ目をつむって聞くと、時々分かる程度。

さて、この映画、俳優が凄い。名優です。
単なる性格描写だけではなく、内面の深い部分まで引き込まれる圧倒的な演技。
さりげない描写ながら、こちらの感情も同期して息もつけない。
映画の粗筋などは、申し訳ないけれど、こちらのブログ(4月26日)にお邪魔して読んで頂きたい。
画像もあります。丸投げ!
他人のふんどしで相撲とりますがお許しを。

私はあまり映画を見ないので、俳優の名前も知らないし、良い映画が上映されているのも知らないでいることが多いけれど、私のいままでの貧弱な鑑賞歴の作品中でも最上級の映画と言える。
暫く現実に戻れないほど深く感動した。
天才であるがために他人とは違う世界に生きる男性に、初めは違和感と反発を持った同僚達が、初めて彼を認めるシーンでは泣いた。
しかもそこで物語は終らず、イギリスを戦勝国に導いた功績も葬られ、婚約者も去り、同性愛者として罰を受ける索漠たる人生は想像を絶する痛ましさ。

室内一杯に設置された大きなコンピュータは、かつて私の兄から聞いた、巨大計算機の話しを思い出す。
その頃はまだ巨大計算機の数が少なく、時々東海村の原子力研究所に通っていたようだ。
まだパソコンはもちろん、コンピュータの知識も無かった頃に「部屋全部が計算機になっていて、データを作るのに何ヶ月もかかるんだよ」と聞かされた。
ふーん、すごい。
兄達は10才以上年下のワケも分からない末っ子の妹に、よくこんな話しをしてくれた。
それが今や、私でさえもパソコンを操り、こんなブログを毎日更新出来るようになるとは。

なぜこの映画を見たいと思ったかというと、かのブログの精緻な文章に惹かれたのもあるけれど、今年の12月にお馴染みのロンドンアンサンブルが来て、イギリスの作曲家エルガーの「エニグマ変奏曲」がプログラムに入っているから。
私も小田原公演だけ、一緒に演奏出来るらしい。
オーケストラの曲を、フルーティストのリチャードがアレンジして、小編成のアンサンブルで演奏するので、当然各自の負担が大きくなる。
エルガーの曲の「エニグマ(謎)」は二つあって、一つは各楽章が、それぞれ彼の知人・・例えば奥さんや友人などを表して居て、それはすでに解明されている。
もう一つはエルガー自身が表題として「エニグマ」と記してある、それが何の謎であるかは、謎だそうで・・・書いている私もよく分からない。

「エニグマ変奏曲」とドイツ軍の暗号「エニグマ」とは関係はないけれど、最近になって偶然二つの「エニグマ」に遭遇するのもなにかのご縁かもしれない。

























2015年4月26日日曜日

ゲーム狂

困ったことにゲームが好き!
一時期オセロゲームが流行った頃、電子ゲームのオセロを手に入れて遊んでいたことがあった。
朝目が醒めると、いつの間にかゲーム機を持っている。
寝ても覚めても、いや、寝て居ては出来ないけれど、ヒマさえ有れば常に遊んでいた。
それから次は麻雀ゲーム。
パソコンで練習していざ本物のゲームの仲間に入れてもらったら、ルールが違っていたので腹を立てたことがあった。

その後はカードゲーム。
ソリティアは目が回るほどやって、ある日、一大決心をしてきっぱり手を切った。

生徒の中に小学生の男の子がいて、ある日自分が飽きたゲーム機とゲームソフトを私にくれたので、それにも嵌ってしまった。
ランナウエイというのが面白かった。

中々できないでいたけれど、ある日やっとクリアできたので、知人男性に電話して「出来たわよ」と言ったら「いつもそのくらい勉強すればね、あはは」と言われ、悔し紛れに電話機をガチャンと切る瞬間にも高笑いが聞こえてきて、むっとした。
あまり夢中になって時間をとられるから、そのファミコンゲーム機は全部捨ててしまった。

毎年お正月は天元台にスキーに行って、年1回、麻雀をする。
これが「雪雀連」の名前の由来なのだ。
読み方は「せつじゃんれん」
普段麻雀はしないので、360日くらいはやっていないのだから役も覚えないし、点数も数えられない。
それでも、家族麻雀で破産することはないので、ちゃんと覚えようとはしなかった。

ある年、私とOさんという女性が麻雀に入ることになった。
Oさんは京都弁で嫋やかに「わたし、点数がかぞえられないの」
私は早口でガサガサと「役も覚えられないのよ」
すると、1人の男性が「僕が教えてあげますから」
男性はなにかと面倒見の良い人で、質問しても嫌な顔もせず丁寧に答えてくれる。
ところが場が進むにつれて「あら、出来たみたい、これで良いの?」Oさんがおっとりとした口調で手を広げる。
「あ、できましたね、すごい」男性は、初めのうちこそ、親切に対応していたものの、その内Oさんが勝つ事が多くなり、それから私も「すごく良い手が来たから、初めから殆ど揃ってたみたい」などと勝ち進む。

終ってみればOさんが1番、私が2番。
親切な男性はビリ、残念でした。
決して分かっていて勝ったわけではない。
出来るのに出来ないフリをしたわけでもないけれど、男性はすっかりふてくされ、次の朝食堂で会ったときに「おはようございます」と言っても返事もしない。
ふん、懐の小さい奴め!(意味としては**の穴の小さいと言った方が合っている)
しばらくご機嫌を治してもらえなかった。

最近は又パソコンの麻雀ゲーム。
これは本物の麻雀のルールではなくて、単に同じパイを2枚揃えていく単純なものなのに、これが中々難しい。
最後に同じパイが重なっていて、どうしても上がれない時はすごく悔しい。
これで午前中つぶれてしまったりすると、後悔するものの、何回でも出来るまで気が済まない。
本当に、そのくらい勉強すれば・・・ね。



















2015年4月25日土曜日

ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲

音楽教室「ルフォスタ」の生徒が今年の発表会にベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」の3楽章を弾きたいと言ってきた。
彼はものすごく努力家で、子供の頃からヴァイオリンを習っていたけれど、今は企業戦士として多忙な日々を送って居る。
毎年、教室の発表会では難曲に挑戦して、サンサーンス「序奏とロンドカプリチオーソ」ブラームス「ヴァイオリン協奏曲」などを発表してきた。
恐ろしく忙しい仕事の合間を縫って、努力を惜しまず練習してくる。

この教室では小編成ながらオーケストラの伴奏も出来る。
クラシックの弦楽器の講師は全員オーケストラ経験者、フルート、クラリネットなどの管楽器の講師も居る。楽器が足りないところはピアノで補充。
今までメンデルスゾーンの協奏曲などもオケ伴でやってきた。

今年はベートーヴェンの3楽章を弾きたいと言ってきたので、まず「ラッキー」と思ったのは、最近ファゴットの講座が新設されたことで、この3楽章はファゴットが大活躍をする。
スケジュールが合うかどうかわからないけれど、ファゴットを吹いてもらえたら素敵だなあと、期待している。

久しぶりに見る私のベートーヴェンの楽譜は、黄ばんでページの端が汚れ、譜めくりすると紙が破れそう。
ものすごい量の書き込みがあって、よく練習したように見える。
学生の頃私は、神奈川県青少年オーケストラのトレーナーをしていた。
卒業のお祝いにこの曲を、オケ伴で弾かせてもらった。
オーケストラと一緒に弾くと実に気持ちがいいものだと、その時思ったけれど、生憎ソリストとしてはそれほど優秀ではなかったので、フルオーケストラと弾いたのはその時と、後1回だけ。

参考までに見ておこうと思って、youtubeでこの協奏曲を探してみると、ツィンマーマンが弾いている。
その後、オイストラッフのものも見つけた。
しかし、なんだか変。
怒っているような演奏。
伴奏の管楽器が完全に遅れて居て、おそろしく無愛想な顔のオイストラッフはおかまいなくどんどん弾き進む。
途中でいやになって見るのをやめた。
次はグリュミオーを見つけた。
貴族的な風貌と端正な音楽。
これほど外見と音楽がピッタリの人はいない。

実はこの曲には良くない思い出があって、卒業試験でこれを弾いてこけてしまった。
卒業試験には絶対これを弾くと決めたのは私で、先生はもう少し華やかな曲を弾いた方が良いとおっしゃった。
頑固にベートーヴェンに拘って、展開部の和音を間違えて沈没した。
チャイコフスキーなどにしておけば良かったと後悔した。
思えば大生意気だった。
こんなに実力がもろ出てしまう曲を選ぶなんて。
ちょっと思い上がっていたかも。
先生のがっかりした顔に、申し訳なさいっぱいだった。

先生の言うことをきかない生徒はだめですねえ。

東響の入団テストもこの曲。
その時は上手くいって、当時のコンサートマスターの杉谷さん、鳩山さんからたいそう褒めていただいて、その後鳩山さんと常に室内楽の共演をさせていただく切っ掛けとなった。
卒業試験で上手くいけば学校のポストが用意されていたらしい。
学校とオーケストラが密談して「あの子はうちでもらうから」みたいに、私の去就を勝手に決めていたことは後できいた。
学校の思惑に反して試験をこけたので、オーケストラが「こっちおいで」と言ってくれた。

オーケストラが面白かったから、私の人生「塞翁が馬」的であるとつくづく思う。


















2015年4月23日木曜日

猫付き入居者

我が家は、住居とレッスン室の上の3階は貸し部屋。
その3階の借り主の姉妹が、引っ越して行った。
空いた部屋を点検に行ったら、強烈な匂いが充満していて、シンク下の戸棚の中は化粧板が剥がれてひどい有様。
一体どうやって使っていたのかしら。
姉妹とも一流大学の学生さんで、礼儀正しく美人だったから喜んで貸したのに、この有様。

店子が出て行くと次の入居者のために必ず、ピカピカにリフォームする。
ここで暮らす人には、気持ち良く住んでもらいたい。
そうやって今までは店子に恵まれて、どの人達も事情があって退去するときに、名残惜しそうに別れを言ってくれた。
何人かは引っ越してからも桜の咲く頃には、この辺が懐かしくてと言って顔を見せてくれた。

女子大生2人が引っ越した後は荒れていたから完璧リフォーム、床、天井、押し入れの中まですっかり壁紙を貼り替え、インターフォンは顔が見えるタイプに替えた。
ワイヤー入りの窓ガラスはサビが出てきたので、それも取り替えた。
ウォシュレットも入れ替え。
そして一番お金がかかったのが、キッチンの総入れ替え。
これはお金がかかるから普通は掃除をするだけなのに、新しい物と入れ替えたので、お家賃一年分が飛んで行ってしまった。
築19年だが、新築同様。
新しい店子さんは内見に訪れた時、歓声を上げていた。

ところで、その店子さんの入居家族欄を見ると、女性2人と猫さん(7才)

実は飼い猫さんが付いてくるらしい。
それで私は、ソワソワ首を長くして待っている。
最近はそうでもないと思うけれど、ペット可の賃貸物件は少ないと思う。
やはり貸す側としては、匂いのことや壁紙などにダメージを受けやすいから、なるべくならペットがいない方が良い。
私も勿論そうだけど、先日挨拶に来た新店子さんから、猫さんの写真を見せてもらったら、まあ、可愛い。
ちょうど我が家はたまさぶろうをなくし、年取った雌猫がヨロヨロしていて、意気が上がらない。
ちょっと若い雄猫の登場は、元気をもらえそうな気がする。
トイレも爪研ぎも躾け済みと言う飼い主の言葉を信じて居るけれど、さて、本当のところはどうなることやら。

私の貸部屋稼業はちっとも儲からない。
リフォームや備品をちゃんとすると、けっこうお金を使う。
その上気を遣う。
いつか3階部分を全部一部屋にして、サロンコンサート用のスペースにしようと考えていたけれど、全く儲からないのでそれは夢の又夢。
ホームエレベーターも実現しそうもない。
税金ばかりとられて・・・ぐちぐちぐちぐち

猫さんこんなのでないから良いけれど。



















2015年4月22日水曜日

減量出来ればねえ

昨日病院に行くために朝食を抜いた。
受付時間がその頃で、駐車場も早く行かないと混むので。
どうせたっぷり待たされるのだから、ロビーの喫茶店で朝食をとれば良いと思った。

私は朝食が大好きで、盛大に食べる。
病院に着いて受付を済ませると、問診票を書かされたり血圧を測ったり、なにかと用事があるもので、中々朝食にありつけない。
やっと一段落して気がつくと、もの凄くお腹がすいている。
いつもの朝食時間を30分ほど過ぎただけなのに、餓死寸前の気分。
それでも待っていないと、いつ診察の順番が回ってくるかわからない。
しばらくおとなしくしていたけれど、もう限界!

受付けに行ってご飯が食べたいと喚いたら、ここの病院は本当に患者に優しくて、順番が来たら呼びにきてくれるそうだ。
こんな患者のワガママを、一つ一つ聞いてくれる病院って他にあるかしら?

大きなサンドイッチをむしゃむしゃ食べて戻ると、他の患者さんが先に入っていた。
呼んでくれるって言ったのに。
これもちょっと癪に障るけれどそんなワガママは言えないから、黙って週刊誌を読んでいた。
その内に、どうやったら自分の受診時間が分かるのかと思って受付けに行って質問すると、カウンターから出てきて丁寧に教えてくれる。
自分の受付番号を器械に読み取らせると、大体の受診時間が出る仕組みになっている。

こちらは退屈が紛れるけれど、受付けさんも大変だなあなんて思っているうちに、診察が始まった。
採血をしてくるようにと言われたので採血室へ。
イスがもの凄く高いから「足が届かない」と文句を言ったら、下げましょうかと言われた。
でもイスの高さを下げると今度は腕が台に乗せにくい。
相手は立っているのだからイスが低いと、かがまなくてはいけない。
これで丁度良くなっているのだ。
要するに私の足が、残念な長さなだけなのだわ。

足首のレントゲン撮影が終ってソックスを穿こうと思ったら穴が見付かった。
「お気に入りだったのに~」と言ったら、レントゲン技師が「お気に入りだったんですか」と気の毒そうに答える。
やさしい綺麗なお姉さん。

色々文句を言ったりして遊んでいる私に、どこまでも優しくにこやかに対応するスタッフは偉い!と思うけれど、少し親切過ぎて老人を甘やかしていないかしら。
すぐつけあがる私の様な者がいるから。
ここは川崎市立の総合病院。
私の家のごく近所に別の大きな総合病院があって、そこへなら徒歩5分、それでも丘の上の交通が不便なここまで来ている。
母もここで最後の時間を過ごした。
ここへ来ると母に会えるような気がする。

整形外科で、踝の痛みは減量すれば少しは良くなると言われたけれど、こんなに食べる事が好きでは、実現出来るかどうか。
なんたって、乳がんの手術の最中に「お腹がすいた、どうして朝食を食べてきてはいけないの」と先生に質問したくらいだから。

先程テレビで腸内フローラという、腸内の細菌を使ってのダイエット方法や免疫力を高める治療法があると聞いた。
痩せるためには、バクテロイデスという腸内細菌を使えばいいらしい。
尾籠な話になりますが、どんな方法かというと、健康な人の糞を患者の腸内に送り込むのだそうだ。
もちろんそのままではないけれど。
う~ん、これは・・・
痩せたいけれど、考えると気分が悪くなりそう。

追記
糞という言葉は人間のものには使いませんね。
猫を相手に暮らしているものだから、つい。
失礼しました。
いずれにせよ、何と置き換えてもあんまり綺麗な意味にはならないので、このままで。



















2015年4月21日火曜日

部品が古い

澁谷の中国整体院に通っていた頃、あれやこれや症状を訴えるとそこの先生には「部品古いからね」と言われた。
それはそうだ。
もう尻尾が七本もある化け猫としては、ウン十年の歳月、毎日酷使してきても故障しなかった部品に感謝。
最近足首の痛みを感じてだましだまし歩いていたけれど、ひと月以上も痛みが続いているので、しぶしぶ病院に行った。
左足首のくるぶしが心なしか腫れて見える。
触ると水でも溜っているのか、ぶよぶよする。
普通に歩くには差し障りがない。
性格がせっかちだから、歩くのも人一倍早い。
痛みを感じても、ゆっくり歩く事ができないのが、困ったことで。

普通に歩く分にはほとんど問題はない。
湿布薬を貼っていると多少腫れがひくけれど、歩きすぎると熱を帯びて痛みがひどい。
体重が増え始めているから、これを落とせば痛みは軽減すると予想は付くけれど、今、チョコレートの箱がまだ一杯なので、それが無くならないと減量は難しい。

私は金品に関しては気前の良い方だと自負するけれど、ことチョコレートになると途端にケチになる。
自分で買うことは滅多にないけれど、私のチョコレート好きを知っている人達から、よくいただく。
困ったなあと、迷惑半分嬉しさ半分。
食べないで誰かにあげてしまえば良いのに、それが出来ない。
1日1個だけと思っても、健忘症が激しいからさっき食べたのを忘れて、箱が目につくたびに1個、又1個。
空になるまでやめられない。
御菓子がないときは少し体重が減るから、これからは御菓子を頂いても、だれかにあげてしまおう・・・かな。できるかな。

今日足首のレントゲン撮影をしたら、有るべきはずの軟骨がすっかりすり減っていて、写真を見た医師が「ああ」と嬉しそうな声を出した。
「これではねえ、痛いでしょう」
どうすれば治るのかと訊いたら、対処法としては痛み止めと湿布しかないそうで、筋トレのスクワットなどもやってはいけないと言われた。
やはりデブの化け猫は、おとなしくしていないといけないのか。
せっかく体が元気になりかけていたのに、部品が古いせいで効果半減。
まず2キロの減量を目指して頑張ってみる。

足首に関してはヒアルロン酸の注射もしない、人工関節もないらしい。
それでも今は腰痛などの対策で、骨と骨の間に軟骨の代わりとなるものを注入する治療があるのではないかと思うので、少し調べてみたい。
全世界に私と同じ世代が無数にいて、その人達が皆不自由していると思うから、治療法も出来て居るにちがいない。
まずは減量から始めて、それから他の病院にいってみよう。
そうでないとこの先数十年、足首が痛いままでは過ごせない。
ハイヒールも履けない。オシャレが出来なくなる。
絶対なにか方法があると思う。

医師は私の年齢を見て、もう引退していると思うから、なにも無理に治療しないでおとなしくしていればいいと、思ったのかも知れない。
孫と縁側でウツラウツラしていればいいと考えたかも知れない。
私は生憎孫もいないし、うちには縁側もない。
しかも性格が獰猛だから、歩く時も人蹴散らすように早足で歩く。
出歩くの大好きだから、世界のどこへでも飛んで行きたい。
ヒマになったら尚更のこと。
こんな足首でいてなるものか。
メラメラと闘志が・・・
本当のところ、こんな事で闘志を燃やさないで、仕事に燃えた方がいいのに。
それよりはまずは、脂肪を燃やさないと。


































2015年4月19日日曜日

成長期~再びアイネ・クライネ・ナハトムジーク

音楽教室の弦楽アンサンブルはメンバーも定着、とても仲良しでありながら良きライバルとして、切磋琢磨し合って伸びてきた。
今日は見学者が一名。
待ち望んでいたコントラバス奏者。
いつもはジャズをやっていると言う。
なぜクラシックなんて言う、七面倒くさいジャンルに目を向けたのかは分からない。
それでも今のメンバーの中にも、ジャズクラスで受講していたけれど、クラシックに興味があって参加したと言う人が数人いる。
その人達もすっかり定着して、小うるさい私の様な講師に小突かれながら、練習後の酒盛りが良くて・・・ではない、練習が楽しくて?来ている。

さて今日の見学者は、初めのうちは黙って聴いているだけだったけれど、途中で車に積んであった楽器を持って再度入室。
指をくわえて見ているだけではつまらない。
楽器を弾きたくてきているのだから、弾かなきゃ損!
冬場、スキーの練習に山に籠もってしまうチェロのメンバーも、雪がなくなったので山から下りてきた。
まるで熊だなあ。

そんなことで、今日は各パートが揃ったうえにコントラバスが入って、今までになく良い音がした。
曲はモーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
この曲はこの弦楽アンサンブルが出来た初期の頃、発表会で演奏したけれど、なんともまとまりの悪い印象の薄い演奏だった。
今日は練習が進むにつれて、どんどん良くなっていった。

以前は抽象的な事を言うと、いまいち反応が薄かった。
音楽以前の問題が山のようにあって、まず音の出し方からハーモニーを作り上げていく行程を懇切丁寧に説明していった。
それでもアンサンブル初心者は、何を言われているのか理解出来ないことも有ったと思う。
自分のパートを弾くことに追われ、隣の人と同じ譜面台を使えない人もいた。
ついてこられなくて、やめていった人も。
転勤した人がしばらく新幹線で通ってきてくれたけれど、それも限界があって、とうとうギブアップ。
そんなことが沢山あったけれど、それでもずっと同じメンバーが熱心に通ってきたお陰で、去年の発表会はとても良い演奏をしてくれた。
ようやく練習の努力が実り始めた。
共鳴することがどんなことであるかが、理解出来るようになったのだと思う。

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は耳に馴染んでいて取っつきやすいかといえば、ほんとうのところ、究極の難曲。
ほとんどの人が、モーツァルトは優しくて優雅で軽やかでと思っているかも知れない。
小林秀雄が名著「モーツァルト」の中で「赤い上着を着た少年」と表現した世間的なモー様像を否定しているのは正しいと思う。

私はモーツァールトは、悪魔と隣り合わせの人だと思っている。
そうでなければ、あんな簡単な和声、音階的な旋律だけで、人の心をわし掴みに出来る訳はない。

若い頃はモーツァルトは軽く綺麗な音で弾くものだと思っていた。
それをひっくり返してくれたのが、故朝比奈隆マエストロだった。
ガシガシ弓も折れんとばかり、強烈に弾かされた。
それがいやでいやで、隣のメンバーと仏頂面でいたけれど、本番の素晴らしかったこと。
生き生きと躍動するモーツァルト、まるで傍に彼が居るような気がした。
その時、今まで音楽を平面で捉えていたことに気が付いた。
立体にしなければいけない。
きれい事はいらない。
それ以来、私は家猫から山猫になった。ん?たとえが変!

コントラバス奏者は果して入会してくれるだろうか。
低弦の充実が全体の響きを変えることを、今日のメンバーは驚きをもって知ったようだ。
さっそく一緒に飲みに行ったようだから、期待出来るかも。


















2015年4月18日土曜日

美人ハープ奏者

東京交響楽団団友の張谷恭子さんの訃報が届いた。

ハープ奏者は美人と相場が決っている中でも、とりわけ美しかった彼女は、お恭さんと呼ばれ親しまれていた。
すらりとした形の良い手足と美しい顔、なによりも性格の良さで、誰からも好かれる人だった。
服装のセンスも抜群で、決して派手ではないけれど、上品な面立ちとマッチした実に良い雰囲気を醸し出していた。
お酒が好きでよく一緒に飲み歩き、我が家に度々遊びにきてくれた。
いつもお酒の席には、お恭さんの笑顔があった。

私がオーケストラにいた頃は、演奏旅行もよく一緒に行った。
一緒に居て本当に疲れない、気配りの出来る人だった。
旅行中は不足するからと、果物などを用意してくれた。
指の力が強く、ミカンなどは一気にパカッと二つ割にする。
大きな夏みかんなどでも同じだった。
上手く割るコツがあるらしい。
私が剥くとミカンは果汁でべとべとになるのに、彼女が剥くと袋も破れないで、きれいに剥けるのが不思議だった。

飲んだり食べたりしている間、器用に手が動いて、なんとなく周りを片づけている。
それも周りには五月蠅くないように、自然に何気ない風に。
私のうちのテーブルの上も、よくそうやってかたづけてくれた。

仙台に演奏旅行に行った時に、一緒に駅前のホテルのツインルームに泊まった。
このホテルには大浴場があって、お風呂に行く時はフロントの前を通らないといけない。
室内の狭いバスよりも大きなお風呂に入りたいけれど、ホテルは室外では原則靴をはかなくてはいけない。
でも風呂上がりに靴を履くのは、とても嫌だからどうしようと言っていると彼女は「フロントに訊いてみるわね」と電話をかけ始めた。
「あの、お風呂に行きたいのですが、スリッパで行ってもいいですか?」「・・・」「いえ、スリッパです」「・・・」

電話を切った途端彼女は「きゃははは」
突然笑い出した。
ふだんクールで、笑うときも楽しそうであっても、あまり大声を出すと言うことはない人なのに、その時はベッドの上で転げ回って笑っている。
「ど、ど、どうしたの?」
私は驚く。

スリッパで行って良いかと訊いたら、フロントの女性が素っ頓狂な声で「は!スリップでございますか?」と言ったそうなのだ。
いくらなんでも、スリップでホテル内を歩き回れるほど、我々は破廉恥ではない。
「スリッパです」と答えるといかにもホッとしたように「ああ、それならよろしゅうございます」と言われたそうな。
ひとしきり一緒にお腹を抱えて笑った。

十年ほど前から、仲の良かった昔のオケ仲間と集まって飲むことが多くなった。
その席に彼女も参加していたのに、去年の集まりには出て来るのがつらいと言って断ってきた。
その時にはすでにガンが進行していたのだろう。
膵臓ガンだった。
少しも知らないから、風邪でもひいたかな?と思っていたけれど、残念なことに、それ以来会わずじまい。

お恭さん安らかにお眠りください。

帽子を買って嬉しいなんて浮かれていたら、衝撃の知らせが届いて、一瞬で谷底へ落とされた。

























2015年4月17日金曜日

新しい帽子

信じられないかも知れないけれど、私も一時期お嬢ちゃまだったことがある。
その頃はまだ尻尾も生えてなかった。
親の庇護の下で暮らして居た時は、お給料の他に同じくらい親からのお小遣い、その他スタジオ仕事などの収入があった。
車のガソリン代まで出してもらっていたし、食費は入れない、もちろんお家賃無し、兄からはお年玉。
わー、この末っ子は、考えられないほど甘やかされていたのだ。

小柄な上痩せていたから(だれ?えっ!なんて言った人)服のサイズがない。
それでコートやスーツなどの殆どがオーダーメード。
一つ作ると帽子と靴とハンドバッグが新しくなる。
今の生活とのギャップが大きすぎる。
その頃から帽子は大好きで、未だに帽子フェチ。

今は高価な帽子もハンドバッグも買えないので、季節の変わり目に2つ位新しい帽子を、しかも安物を買う。

安物がとても似合うのが私の取り柄。
世間ではそれを取り柄と言わないの?
へー、なんでかなあ。
と、先日のフレーズをリフレーン。

昨日は久しぶりの英語のレッスンの後、音楽教室のレッスンまで3時間空きができてしまった。
それで澁谷で帽子を買おうと思い立った。
最近はヒカリエばかり行っているけれど、東急デパートはどうなったのかしら。
久しぶりに東急東横店に足を踏み入れる。
あまりパッとした物はないけれど、店員さんが若すぎず、とても居心地が良い。
押しつけがましくなく、それでもちゃんとアドバイスが出来る。

最初に行ったところには気に入った物がなくて、他の売り場がないか訊いてみた。
2階にあるというから、そちらに回る。
沢山の帽子の中から、やっと一つ気に入った物を見つけた。
以前はもっと品数もデザインも豊富だったような気がする。
帽子をかぶる人が減ったわけではない。
若い人でもよくかぶって居るのを目にするけれど、ニット帽、キャスケットなどが多いから、とりたててデパートの帽子売り場に行く必要もなさそう。
スーパーなどでいくらでも気軽に買える。
東急は澁谷駅という地の利があるから流行っているけれど、そうでないデパートは平日は閑散としている。
買い物をデパートでするということ自体が、もう旧いのかも知れない。

気に入った帽子が見付かると浮き浮きする。
これでやっと花粉からも解放されて、私の春が訪れる。
しばらくお肌の手入れもしていない。
エステに行ってみようかな。

















2015年4月14日火曜日

気が散る

今年も以前と同じように、色々弾かせてもらえる予定が入っている。
自分の予定としては、もう10年前に引退して今頃は遊び狂っているはずなのに、不本意なのか僥倖なのかわからないけれど、未だにヴァイオリンを弾いている。
来年の春までの予定は決っているけれど、だんだん頭がおかしくなってきているから、一体どうやって優先順位をつけていこうか、中々決められない。

難しい曲は練習に長い時間がかかるから、毎日コツコツ。
楽譜が見たところ易しい曲は、コンサート間際でいいかというと、そうはいかない。
結局どんな曲であっても、十分な準備がないと悲惨な結果が待っている。
いつまで経っても本番は怖い。
年と共に恐怖感は強くなっていく。
恐怖は身体能力や反射神経、記憶力の衰えと共に増大する。

本番の決った曲はファイルして、積んである。
次の本番のための練習をしていると、時々急に・・・そういえば
あの曲のあそこはどうなっていたっけ・・・などと別の曲を思い出すことがある。
それは9月に弾く予定だったり12月に弾く予定だったりのもの。
そんなことは今考えないで、次の本番のことだけ考えていれば良い物を、気になり出すとどうにもならない。

そしてずっと先に弾くものを練習し始めたり、まだ来年のことなのに急に資料を調べたり、要は今の曲に集中していない。

フォーレを練習していると急にイザイが弾きたくなったりするのと同じで、ベートーヴェンを一寸弾いて、急にシューマンを引っ張り出す。
トレッリは来年の曲、その次はエルガーのスコアを眺め、という具合に全く集中出来ないのには困った。

最後にモーツァルトまで出てきて、頭の中はグチャグチャ。
なんでこんなに集中出来ないのか。
単なる老化現象なのか、精神状態が悪いのか良くわからない。

一時期、瞑想をしていた頃、非常に状態が良かった。
集中力も気分もすごく良くて、本当に役に立っていた。
多忙を極めたある時期から、すっかりご無沙汰となってしまった。
時々思い出して、ちょっと瞑想状態に入ってみる。
気持ちがいい。
ヒマになって来たから、又瞑想をちゃんとしようかと思ったけれど、だんだんそれも必要ではなくなるかもしれない。

そのうちずっと瞑想状態でいられる時期になる。
なにも今しなくてもと、これが又無精者の屁理屈。












2015年4月13日月曜日

食欲全開

松本組例会。
今日は小雨の寒い一日となった。
我が家の最寄り駅に集合して、イタリアンレストランへ。
どういうつもりなのか私の街に来たいという人達なので、この場所となった。
隣の駅は高層ビルが建ち並びレストランもごまんとあって、むしろそちらの方がおもしろそうなのに、わざわざローカルな我が町へようこそ!
この年頃の女性達は何を考えているのか、さっぱりわからん。
と言っても、皆同年配。
私だったら隣町に行くのに。
そろそろ出かけようとしていたら携帯に着信、中心人物のKさんが鬼の霍乱で出られないと言う。
今からキャンセルして1週間後くらいに出直しと思ったけれど、予約をした時の店員さんのうれしそうな顔を思い出して、決行することにした。

時間に厳しい人達だから、待ち合わせの時間前に改札口に4人揃った。
遊びに行く時まで時間厳守。
習い性とはいえ、まったくお見事!

昨日夜レストランに人数確定の電話をしたら、無愛想な声で対応された。
もしや、数日前のこのブログを見て「あ、うちの事だ」と感づかれたのではあるまいかと、妄想たくましい。
客入りが悪いから大丈夫だろうかとか、余計なお世話。
まさかね、こんなブログの存在すら知らないとは思うけれど、それでもここの記事でつながりが出来た人達もいるから油断は出来ない。

寒い雨にも拘わらず、集まった4人は意気軒昂!食う気満々。
さっそくお喋りが始まった。
お店は駅のすぐそばで、いくらも歩かないけれど、それまでに雰囲気は盛り上がってしまっている。
五月蠅いかも知れないから離れたテーブルでとお願いしておいたけれど、狭い店内、逃げ場はない。
個室もないし、2階は?と言ったら階段が急で危ないですと先日言われた。
今夜の客は私たち4人と、カップルが一組、カウンターに2人。
月曜日の小雨の夜にしてはまあまあなどと、又余計な心配を。

最初は海の幸のサラダだから、白ワインを勧められる。
おいしい!
そこから一気に盛り上がって、次の赤ワイン、前菜を数種類とパン、オリーブオイルもすごく美味しい。
パスタ1.5人前を2種類平らげて、デザート突入。
その頃にはお腹もいっぱい、ずっと笑いが絶えない素敵なディナーとなった。
話しはどういうこともないのに、とにかく面白くて笑っていたらあっという間に時間が過ぎてしまった。
今日来られなかったKさんのために、もう一度このお店の予約を入れた。

冬に逆戻りしたかのようなここ数日の寒さでも、ワインと料理、愉快な語らいで、外に出てもほかほか暖かい。
そう言えば松本でも演奏会後に毎日こうして、食事とお喋りを楽しんでいたっけ。
駅で名残を惜しんで、私は歩いて自宅へ。
うちの近所も見捨てたものじゃない、良いお店あるじゃん。

ちなみに、この「じゃん」ことばは神奈川県の訛りです。















2015年4月12日日曜日

イザイ ソロソナタ

ベルギーの名ヴァイオリニスト、作曲家のイザイが残した6曲のソロソナタ。
その中でも好きなのは、バラードと名付けられたファンタジックな3番のソナタ。
初めてこの曲を聴いたのは確か、オイストラフの演奏だった。
今まで聴いたどんな曲とも違う。

ツィンマーマンは、この曲を10才の時から弾いているという。
しかもそれは、究極であるバッハの無伴奏ソナタを弾くための前哨戦だというのだから、その天才ぶりに驚いた。
それに遅れること数十年、私もある時やっとこの曲を弾こうと思った。
楽譜だけはオイストラッフを聞いた時に、すぐ手に入れた。
積ん読ならぬ積ん奏で、ずっとピアノの蓋にへばりついて出番を待っている。
時々悲しそうにこちらを見て「まだ?」と言う。
わかったわかった、その内にね。

初めて楽譜を見たときに、これは本当に弾けるのかしらと思ったくらい、複雑で左手の指の使い方がわからなかった。
しかし根気よく譜読みをしていくと、面白いように形が浮かび上がってくる。
せっかく譜読みをしたので、まずは友人のお弟子さん達の発表会で弾かせてもらった。
こういう時に、お弟子さん達に混じって勉強させてもらえるのは、友人のお陰。

当時小学生だった私の生徒が聴いて、すごく変な曲だという印象だったらしい。
母親と一緒に「変わった曲ですね」なんてニヤニヤしている。
弾き終わって楽屋に引き上げたら、出待ちの友人のお弟子さんたちからは「素敵な曲ですね」と持ち上げられた。
決して演奏が良かったと言われたわけではないけれど、曲が素敵だとわかってもらえただけでも嬉しい。
友人のお弟子さん達といっても、殆どが音大出てプロとなっている人達だから、曲の良し悪しがわかる。

その後、その生徒のお母さんから「先生の演奏の録音を何回も聴いているうちに、とても良い曲だというのが分かりました」
「ほらごらん。すごく素敵でしょう。いまに貴女も弾きなさいね」と生徒に言っていたら、今や大学院生となった彼女は私よりも上手くなってしまって、たぶん易々と弾いてのけるのではないかと思う。
まだ彼女がその曲を弾いたという報告は受けていないけれど。

最近、フォーレの「ソナタ」を練習していて疲れたから、気分転換にイザイの楽譜を取り出して弾き始めた。
こういうスッタモンダして譜読みをするのが私は好きで、普段の不精が嘘のように夢中になる。

左手の指は4本しか使えないのに、音は6つ。
さてどうしたものか。
謎解きが面白い。
でも、ちゃんと表紙の裏に、取説が付いている。
ふだん器械類の取説は拒絶反応なのに、楽譜の時はいそいそと読めるのが不思議。
フランス語なのが困るけど、だいたい音楽用語は似通っているから意味はなんとか通じる。

この曲をステージで弾く予定は今の所ないけれど、たぶんそのうちにと言うだけで終ってしまうと思う。
友人達に耳栓してもらって「弾く会」でご披露しようかと思っている。(その内にね)
それはもしかしたら、友人虐待に当たるかもしれない。
彼女たちが急病を装って、逃げ出さないように部屋に鍵をかけておかないと。










2015年4月11日土曜日

甘えん坊交替

どの猫が一番可愛いという事はないけれど、積極的に甘えてくる子はやはりかまってしまう。
たまさぶろうは我が家唯一の雄猫だったから、一番甘えん坊だった。
人間と一緒で、猫も雄のほうが甘ったれが多い。
たまは、私が傍に居れば四六時中べったりまとわりついてきた。
あまりの密着度に、時々かんしゃくが起きるほどだった。
それこそ私の胸に身を投げかけるように、張り付いてくる。
人間の男性にこんなに思われたら、さぞ嬉しかろう・・・いや、やっぱり煩しい。
人間だったら、背負い投げで投げ飛ばしてしまいそうな。
たまもあまりにひどく甘えると、追い払われることもあった。

そして、たまがいなくなると、次は年齢的にも古株のモヤが甘ったれてくるかと思ったら、モヤはわりあい独立独歩の猫で、情は深いけれどやたらべたべたはしない。
そのかわり末っ子のコチャが、急に張り付くようになった。
座っていれば膝に乗ってきて、ドシンと身を投げかける。
とにかく太っていてコロンコロンしているから、こういうと失礼ながら、演歌歌手の・・・ほら大阪の・・・えっと・・・名前を出しては悪いからご想像におまかせするとして、そんな感じ。
猫独特の柔らかさに欠けていて、なにをするにもドシーンという感じ。
しかも顔の真ん中で色が変わっている、不思議な色合いの猫。
全体からすると、キジ猫とでも言うのか、どう見ても美女とは言いがたい。
それでもツチノコ体型で、ドスドス膝に登ってこられると、つい耳を掻き掻きしてしまう。
猫というのは本当に不思議な動物で、いつの間にか人間を足元に跪かせる能力があるらしい。
ネット社会では、ご主人様=猫 しもべ=人間というらしい。

そんなわけで私はいつまで経ってもベッドの中で、手足を伸ばして寝たことがない。
布団の上にいるか、寒ければ布団の中で私の腕を枕にしている猫がいるから。
もっとも、全部伸ばしても充分猫の居場所が出来る位、私の手足は短い。
これも私の取り柄のひとつ。
世間ではそれを取り柄とは言わないの?
へーえ!なんでかな。

たまが居なくなった今、コチャの天下になった。
駐車場にエサを食べに来るノラ達も、時々優先順位が入れ替わる。
人間も猫も、地域社会で生きるのは大変なのだ。

















2015年4月10日金曜日

試食

もう何回も書くけれど、松本でのコンサートがあまりにも楽しかったので、ずっと思い出を引きずっている私たち。
最近は皆暇になってきて、又よく会うようになった。
なぜか、私がレストランを決める係になった。

4月はどこにする?
お宅(私)の最寄り駅にしましょうよ。
それなら私の家でどう?
それは面倒だからお店にしましょう。
でもうちの駅周辺にはロクなお店無いよ。
安くて何でもあって面白いけれど、上等なものはないわよ。
いいのいいの、じゃ、そうしましょう。お店決めといて。

こんな会話の結果この次の松本組例会は、東急線の某駅に集合となった。
それからが大変、この駅は東急線の中でも最も庶民的なので、オシャレなものに出くわすのは皆無。
そのかわり何でも安いし、なんでもある。
時々出店みたいに来るのは、下着やさん。
紫色やピンクの腹巻きとか、いまどき滅多に着る人もいないババシャツとか、ここに来れば手に入る。
それで場所が決定してからは、うろうろとお店を探し回っている。

こうなってじっくりと我が愛する街を見ると、本当になんと雑駁な街なのかと惚れ惚れする。
悲しいくらい上等な物がない。
街に統一性がなくて、行き当たりばったり新しいお店が出来る。
すぐに潰れる。

少し前までは古くからやっているお店が多く、暖かい個人商店の良さがある街だった。
それがここ10年ほどでバタバタと新しい店が入ったけれど、都心にあればオシャレな店がここに来るとなんだかみすぼらしくなる。
それは周囲が落ち着きがなくて、雰囲気が今一つだから。
しかも商店街が踏み切りで分断されているので、買い物客が二つに分かれてしまう。
下北沢の様に本多劇場を中心として、面白いものやセンスのあるブティックなどがあれば良いけれど、ただただ、まとまりのない街造りが透けて見える。
いや、商店街は頑張っているけれど、センスが今一つ。

困った私は、これはと目星をつけた店のランチを試食している。
先日は中華の小皿料理。
量はたっぷり、出来上りも早い。
エビもプリプリ、よしよし、でも、味が凄く濃い!
後でお水が欲しくなるだろうな。
これはいけない。さて、困った。
あと5日あるけれど、店が決らない。

ここ数日は、真冬に逆戻りしたかのような寒い日。
いつも気になっていた駅の傍のイタリアンに行って、ランチを試食してみた。
1500円と2800円のコースがあるけれど、ランチに大枚はたけるほどお金持ちではないから、勿論安いほうにする。
天気も悪く人通りもないにしても、このガランとしたひと気のなさはどうして?
客は私1人。
しゃれた外観と店内の雰囲気も良い。
暗い顔したウエイターが料理を運んでくる。

初めは白インゲンのスープ。
ものすごく量が少ない。
それにしょっぱい。
それでもパンが素敵に美味しく、そのパンと併せて食べると、ふーむ、いける。
次はカボチャのソテー、すずきのマリネ、レタス、自家製牛肉のパテ、どれも味付けが濃い。
私の味覚が薄味になれているからかな。
あまりにも少量で大丈夫かと思ったけれど、最後の牛肉の煮込みのパスタがえらく美味しい。
それで気がついたのは、これはワインと合わせたらけっこう丁度良い味付けかなと。
それでワインを頼もうかと思ったけれど、地元で昼間から酔っぱらって歩いたら、ますます評判が悪くなる。
これ以上世間様に顔向け出来なくなるのはまずい。
それぞれの量は少なかったけれど、終るとちょうど良い具合のお腹になった。

少し値段がはるけれど、ここで決まりかな。
予約を入れる話しをしたら、さっきまで陰鬱な顔だったスタッフの顔がいきなり光輝いた。
よほど嬉しかったと見える。
と言うことは、この店大丈夫なのかなあ。
最寄り駅でこんなしゃれた店は、長続きしたためしがない。
やっと良いお店が出来たと思うと、すぐ撤退してしまう。
隣の駅は住みたい街ランキングの上位にあるのに、ここはこの沿線の底辺なのだ。






























2015年4月9日木曜日

もらい泣き

たまが逝って20日余り。
やっと少し気持ちも落ち着いたと思っていたけれど、毎日見るこのブログ「くるねこ大和」の4月8日の記事を見たら、思わずもらい泣き。

たまはもう埋葬されたと連絡があって、お墓参りに行きたいけれど、行きたくない。
きっと、お墓見たらわあわあ泣いてしまう。
たまは、母さんが来てくれないって悲しんでいるだろうな。
たま、ごめん。
私はいけない。
行ったらもう、本当にお別れになってしまうのが辛い。

オーストリアのコンラート・ローレンツという動物学者が、動物を失くした悲しみは、次の動物を飼うことでいやされると書いているけれど、どの子も特別で替りはいない。
そして年齢的にも、私は今飼っている子達を看取れるギリギリだから、新しい動物は飼うことができない。

ローレンツ博士は素晴らしい動物学者で、その代表作に「ソロモンの指輪」がある。
沢山の動物との交流、特に犬との愛情に充ちた生活に、豊かな自然の中で暮らすローレンツさんの幸せを感じる。
灰色ガンのお母さんになった件を読んで想像すると、おかしくて笑いがこみ上げる。
動物好きな人なら誰でも1度は読んだと思うけれど、まだの方にはぜひご一読お薦めしたい。

子供の頃、私の家にも沢山の動物がいた。
猫はもとより、野良犬が通ってきていたし、金魚、鯉などの魚、庭にはアヒルが放し飼い、小屋に鶏、カナリヤ、十姉妹。
蔵には蛇・・・わー、これは怖かった。
最後には家ネズミにまで、ミルクを飲ませていた。
家族皆動物好きだったけれど、特に私は末っ子で、親兄弟から受けた愛情の持って行き場が動物に向かったようだ。
それでも子供特有の残酷さで、メダカを目刺しにして姉たちからこっぴどく叱られた。
それ以来、動物はいじめてはならないと刷り込まれた。

今の子供達、幼い頃に動物と接触しないで育って、何をして良いのか、何をしてはいけないのか分からず事件を起こす。
例えばほら、こんなことしてはいけませんよね。あはは。
後ろの猫の悪だくみの顔。
これ、何回見てもおかしい!





















2015年4月8日水曜日

お灸をすえられる

誰かに叱られる事はしょっちゅうで、そちらのお灸は嫌というほど据えられてきたけれど、本物のお灸は初めて。

いつもの中国整体院に行く。
この整体院が始まって以来、途中先生が中国に帰ってしまった時期を除いては、ずっと同じ先生だから、かれこれ15年ほどのお馴染み。
真面目に熱心に治療してくれる。

私の腰は大変問題がある。
普通腰はウエスト辺りで緩やかに湾曲していないといけないのに、真っ直ぐになってしまっている。
長年、楽器を弾く時に同じ姿勢をとっていたために、体がやや右に回っていて、固まってしまっている。
そのせいかもしれない。

先生はそれが、いたくお気に召さない。
なんとかして矯正しようと、満身の力を込めてぐいぐい押すので、先日はかえって腰が痛くなってしまった。
長い間に固まって年齢も高いから、今更どうしようもないと思うけれど、とにかく一生懸命なのだ。
元々すごく力が強く、去年ロンドンアンサンブルのチェリストのトーマスが彼の治療を受けたら、痛くて拷問のようだったと言って笑っていた。
でも、後はとてもスッキリしたらしい。

私の腰はついに耐えきれず悲鳴をあげたので、ここ数回は腰を押さないようにお願いした。
普段はほんとうに技術があって、しびれや痛みもその場でスッキリするのに、どうしたわけかその時は力の入れ具合が強すぎたらしい。
あんまり一生懸命仕事をするので、悪くて途中で断れなかったのも敗因だった。

そんなわけで今日整体院に行ったら、お灸にしようと言われた。
熱いから嫌だといったけれど、なぜか思い込むと急に耳が聞こえなくなるらしく、さっさと用意をされてしまった。
うつぶせになった背中の辺りでゴソゴソやっていたかと思うと、何かが腰に載せられて暖かい。
私は恐怖で固まっているから、熱い熱いと騒ぐ。
何事も大袈裟に騒いでおかないと、どんどんエスカレートしかねない。
肩や足をもみほぐしている間、ほかほか暖かい。
それでも怖さが先に立って、刺激が強く感じられる。
ほんとうのところは、行火くらいの熱さなのだけれど。

ぬるくなってくると新しく火をつけているから、熱いと言って騒いでも、耳が聞こえないフリをされる。
都合の悪いことは聞こえなくなるらしい。
終ってみればそんなに熱くもなく、3時間経った今でも腰がホカホカしている。
今日お風呂は短めにと言われた。
元々烏の行水だから、今日は足湯にしておこう。

私たちの体はスポーツ選手ほどではなくても、普通の人達と比べるとかなり酷使している。
それでも今まで現役でいられるのは、こうして治療してもらったお陰なので、後数年だとは思うけれどがんばります。














2015年4月6日月曜日

久しぶりの筋トレ

3月に気管支炎?を患ったために、今も呼吸が浅い。
その時には、高熱とひどい咳で珍しく寝込んで、コンサートも飲み会もキャンセルした。
コンサートのチケットを買って行かれなかったのは、今まであまりないから、ショックだった。
花粉症のせいか、喉が腫れて咳がとまらない。

高熱が出たときには肺炎をおこしたかと思った。
3日位ぶらぶら寝たり起きたり、普段頭痛持ちではないけれど頭が痛い。
花粉があるから散歩にもあまり出ず、そのせいで運動不足。

今年の2月までは絶好調だった。
冬が好きで、寒さは我慢出来る。
スキー場のゲレンデだったら、寒さはむしろ心地よい。
今年に入って筋トレもしっかりやって、スキーに備えていた。
ところが何事も限度という事を知らない私は、調子に乗ってやりすぎた。
お正月、2月、3月と3回スキーにでかけ、それが疲労のもとだったらしい。
3月に入ってから疲労が溜り、とうとう寝込んだというわけで、それで筋トレもドタキャン続き。

歩く事もしないから、ドンドン筋力が衰えた。
やっと呼吸器の状態も回復してきたので、久しぶりにジムへ出かけた。

トレーナーのKさんに1ヶ月ぶりに会ったら、なんだか地味になっていた。
普段は頭の横に剃りを入れて、天辺はトサカが立っているヘアスタイルなのが、丸坊主。
なにか反省しているのかと思ったら、子連れで美容院に行ったら子供が超絶不機嫌で、泣きわめかれて手に負えない。
それで家に帰って、バリカンを使って自分で剃ったと言う。
なるほど、お父さんしてるんだ。

久しぶりだし病み上がりというので、今日は準備運動を念入りに。
それでも体のバランスが取れずふらつく。
恐ろしいほど筋力が落ちている。
いつものメニューより少し軽めだというけれど、相当きつい。

そして最後にストレッチ。
ちょっと押されただけで、悲鳴を上げるほど痛い。
筋肉がすっかり硬くなっている。
最近はかなり筋肉がほぐれてきて、あまり痛みを感じなくなっていたけれど、今日は猛烈に痛い。
スポーツ選手は怪我の後など、リハビリでこの痛いストレッチを何時間もするのだから、どれほど辛いことか。
私は10分間、多少痛くてもすぐに終る。
それでもわめき続ける。
本当に痛い、痛い!

遊びも仕事も体力勝負。
元々あまり体力はないけれど、気分が乗ってしまうと、とことんやってしまうので、時々倒れる。
それでも病み上がりの、薄紙が剥がれるように気分が良くなっていく時が好き。
子供の時から病気はお友達。
命に関らなければ、たまにする病気は浄化作用になる。



















2015年4月5日日曜日

うれしいお客様

ジャズピアニストのSさんと私は誕生日が一緒だというので、今日は合同の誕生祝い。
奥さんのK子さんが元私の生徒。
Sさんはジャズ界の重鎮、ライブと音大のジャズ科の講師として活躍中。
非常に人気のあるピアニストで、ファンが多いと聞く。
2人の誕生日が一緒というのは奥さんが覚えていて、当の本人達はすっかり忘れていた。

昼頃、お嬢ちゃんを連れて登場。
彼女は明日から小学校に入学するそうなので、それを聞いて再会するまでの年月を知った。
マルチに才能のある様子で、何をやっても良い線いくのではと思わせるものがあった。
明日、入学式の後で、初めてのヴァイオリンの先生に会うという。

ヴァイオリンを習いたいと言ってくる人に初めに訊くのは、本当にこの楽器がやりたいのかどうかということ。

まず、楽器をケースから出す。
弓を張る。松ヤニをつける。
調弦する。
その際に駒がちゃんとした場所に立っているか、弦が劣化していないかチェック。
駒のほんの少しのゆがみや場所のずれで、音色はガラッと変わってしまう。
調弦が出来るようになるまでに長い時間がかかる。
大人になってから始めた人の中には、どうしても調弦が出来ない人がいる。
弓で二本の弦を同時にならしながらペグを回し、5度の響きで音が合ったかどうか聞くのは、大変な事らしい。
弦を2本同時に弾くことが出来ない人も中にはいて、そうすると延々と調弦のレッスンまでしなければならない。
それが終ってやっと練習曲や音階にいくと、もうレッスン時間のあらかた過ぎていることも。

今日の子は、難なくクリアしそう。
初めて会った時に、この子はヴァイオリンは無理だとか、向いているとかは大体分かる。
向いていない子には、こんなワケのわからない楽器はやらせない方が良い。
それは勤勉とか知能とか関係なく、ヴァイオリンほど向き不向きの出る楽器はないから。

今日はSさんの演奏という、うれしいプレゼントがあった。
ブラジルのピアニスト、エグベルト・ジスモンティの「セブン・アナイズ」という曲。
私は初めて聞いたけれど、親しみやすい旋律が始まり、その後はSさんの素晴らしいアドリブが始まった。
恐ろしいほどの集中の仕方で、どんどん進んでいく。
楽譜には初めのテーマは提示されているが、後はコードネームと簡単なメロディーが書いてあるだけ。
それが鮮やかに華やかに変身して行くのを聞くと、ジャズのアドリブの出来る人はいいなあと思う。
ジャズはアドリブがものを言う、クラシックは楽譜を忠実に弾く。
あるときジャズのプレーヤーに「楽譜がなくてよく弾けますね」と言ったら「楽譜があってよく弾けますね」と返されてお互いに笑ったことがある。
アドリブが出来るのは実に羨ましい。
私の大学の後輩にジャズサックス奏者がいて、暫く一緒に仕事をしたことがある。
色々話しを訊くと、やはりアドリブがちゃんと出来るようになるには、10年かかったそうだ。
それまでは、有名なプレーヤーのアドリブをコピーしながら勉強したという。
彼は今ではすっかり有名になっていて、本を出したりしているけれど、苦節10年、どの世界も厳しい。

今日のように、こんな人気ジャズマンの演奏を目の前で聴かせてもらうのは、最上の贅沢。
その後でK子さんと私で簡単なデュエットを、楽しんだ。
久しぶりで再会して、こうして一緒に弾けるのが一番の幸せ。

























2015年4月4日土曜日

フォーレ「ソナタ」

今日から練習に入ったのがフォーレ「ソナタ」
作品番号が13番と若いから、初期の作品ということになるのだろうか。
それにしては完成度が高い。
大胆かつ繊細な和音。
絶えず転調して、流れが決して停滞しない。
鼻歌を歌っているようでありながら、構成がガッチリしている。
楽章毎のリズムやテンポの変化の面白さがあって、私の最も好む曲でもある。
しかし難しい。
何が一番難しいかというと、転調のめまぐるしい変化。
ヴァイオリンは調によって、音程の取り方が僅かに違う。
このように転調を繰り返されると、気を付けていないと音痴になる。
音程が悪いとあの絶妙な響きが出ない。

オクターブが多い。
ヴァイオリンの音の取り方は、音程が上に行くに従って、指の幅が狭くなると言う厄介な現象が起きる。
例えば第一ポジションでとるオクターブ(人差し指と小指でとる)と第3ポジションでとるオクターブでは、第1の時は幅が広く、第3の時は狭くなっていく。
第7,第8ポジションになると、指の幅は更に狭くなる。
その辺になると、人差し指と小指では広がりすぎるので、人差し指と薬指でとるくらい幅がせまくなる。
降りていく時は、幅を段々微妙に広くしなければならない。
オクターブが合わないことほどみっともないことはないから、調弦にも神経質になる。

音色の問題は最も厄介で、冒頭部分のピアノでわき上がるように始まる旋律、それを受けてヴァイオリンが郷愁を感じさせる美しい旋律で、次の展開に流れ込む。
そこの音色のデリケートさが、一番むずかしい。
弓の圧力、使う場所、弓のスピード、どのようにバランスを取るか、何回も試してみる。

フレーズの長さも気になるところ。
ラヴェルの「トリオ」で名ピアニスト、ピュイグ・ロジェさんのレッスンを受けたことがある。
その時の、彼女のフレーズの長さに驚嘆した。
長いフレーズを保たせるのは、日本人とはやはり違うと思った。
こういうものなのか。
目から鱗だった。

なぜか、今年はフォーレの年になりそうだ。
八ヶ岳音楽祭のフォーレ「レクイエム」がすごく楽しみ。
それではフォーレのピアノ四重奏も、お仲間に入れなくては。
この曲も私はとても好きで、もう一度弾きたい。

やれやれ、口では早くゆっくり休みたいなんて言っているけれど、すずめ百まで・・・いつになったら満足できるのかしら。
































2015年4月3日金曜日

演奏付きお花見

府中市の豪邸でのお花見。
庭に大きな桜の木が2本。
毎月行われる弾き合いの例会にかけて、ついでに庭の桜を愛でようと集まった。
花曇りで風も少し出てきた模様だが、雨にはならず暖かい。

毎回約束の時間に集まっても、お喋りがはずんで中々弾き出さないメンバーも、今日は後の花見弁当が楽しみで、さっさと弾き出す。
初っぱなは、ヴァイオリン、ヴィオラのデュオで、ハルボルセン「パッサカリア」
ソプラノ独唱「オンブラ・マイ・フ」「カロミオベン」「セーベンクルデーレ」3曲
シューマン「ピアノソナタ」
バッハ「シャコンヌ」
モーツアルト「ピアノ協奏曲20番」
ラヴェル「オンディーヌ」

ピアニスト達は近々コンサートで演奏するとあって、練習にも一段と熱が入っていて、いつにも増しての好演。
シャコンヌはなんとかまあ、弾き遂せた。
嬉しいのはソプラノのMさん。
一時期、喉の変調を訴えていたけれど、今日は声もお化粧もバッチリ、光り輝いていた。

2階の広々とした部屋の大きな窓から、2本の満開の桜が見える場所で昼食。
軽くビールで乾杯!
用意されていたのは、サラダとスモークサーモン、ソフトサラミなどのおつまみ。
それに紀伊國屋のお弁当。

3人のピアニストは今でもライバルであり良き友で、お互いに切磋琢磨しあっている。
学生時代そのままの関係が持続しているのは、素晴らしい。
言いたい放題にみえてちゃんと気をつかい、いたわり合って、本当に仲が良い。

先日私が寝込んでしまったときに行かれなかった、レジス・パスキエのコンサートに一緒に行くはずだったのは、この中の1人。
彼女は「しょうがないね」と言って1人で聴きにいった。
その時にお土産にパスキエのCDを買ってきてくれた。
終演後並んで、彼のサインをもらってきてくれた。
「友のためにわざわざ並んだのよ」
少し恩着せがましく、泣かせる台詞を吐かれた。
はいはい、みんなありがとう。
1人だけ若いヴィオリストは、ワガママ放題の私たちを見放さず参加しているのが。えらい!
こういう年寄りにはなるなという、反面教師として見ているのかもしれない。

今パスキエのCDを聴いているけれど、艶のある音、緩急自在なフレーズ、気品のある演奏、これを聞き逃したのは本当に惜しかった。