2015年11月30日月曜日

今日からヴィオラ奏者

明日、イギリスからロンドンアンサンブルのピアニストの美智子さんと、フルート奏者のリチャードが来日する予定。
ヴァイオリンのタマーシュ、ヴィオラのジェニファ、チェロのトーマスは少し遅れて到着。

地方での公演が終ると、13日東京文化会館、14日横浜美術館レクチャーホールでのコンサートがある。
タマーシュとジェニファはそこまでで、次のコンサートのために帰国、トーマスと他の2人は残って、小田原では同じプログラムで演奏する。
帰国した2人の後は、ヴァイオリンの志帆さんと私が加わる。
3日に少し楽譜をあたっておこうと、小田原公演の出演者が集まって練習することになった。
小田原で私はヴィオラを弾く。
昨日までヴァイオリンを弾いていたから、ヴィオラを取り出して鳴らすと、音が出ない。
楽器が大きいから鳴るようにするのに時間がかかる。
なんたって私は人間の中では超小型なのだから、それはもう大変なのだ。
ピアティゴルスキーがチェロを首に挟んだ話しは先日の投稿でしたけれど、私がヴィオラを挟むと、ちょうどそのくらいの感じになる。

1時間くらいすると、やっとヴィオラらしく鳴ってきた。
私はヴィオラが好きで、ヴィオラの音はよく他人から褒められる。
音は素晴らしい、でも・・・
この「でも」さえなければ。
シェーンベルク「浄められた夜」のソロヴィオラを弾いたときには、一緒に弾いたミュンヘンフィルのコンマスから毎回練習の度に言われた。
貴女の音はベリービューティフル!、しかし遅れる。

音の立ち上がりが遅れてしまうのを注意されて、発音を随分練習した。
そういう練習が私たち弦楽器にはとても大切なことで、音と音程を作るところから始めるので、弦楽器はものになるのに時間がかかる。
小さい頃から長く辛い練習をしなければならないのはそのためで、その前に辛抱できずにやめてしまう人も多いけれど、本当はそこが最も魅力的なのだ。
弦楽器はどんなに頭が良くても、向かない人はどうしても上手くならないという不思議な楽器で、他の楽器が素晴らしく上手いのに、ヴァイオリンはダメという人もいる。
全くとりとめのない所が難しいのかも。
音程も運弓も自由すぎるのが、ワケが分からないのかもしれない。
だからといって他の楽器に比べて特に難しいとかではなく、演奏者を選ぶワガママな楽器なのかとも思う。
ヴァイオリンに選ばれた人々は、何の苦もなく弾く。

タマーシュがその1人で、易々と楽器を操る姿を見ると、ハンガリーの血がそうさせるのではないかと思う。
勿論練習は血のにじむほどしないとそうはならないにしても、いくら練習してもダメな人は、ヴァイオリンに拒否されていると思わないといけない。
そこが辛いところ。
私はある日はヴァイオリンに好かれていると思うのに、次の日は嫌われて居ることも多い。

にわかヴィオラ奏者がどこまでヴィオラの音が出せるか、そこが今回の一番の課題になる。
初めて演奏する「エニグマ」がすごく楽しみであり、多少不安でもある。














2015年11月29日日曜日

関東学院大学オーケストラ定期演奏会

第11回めの定期演奏会。

 シベリウス      交響詩「フィンランディア」
 チャイコフスキー  「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調」
 シベリウス      「交響曲第2番 ニ長調」

              ヴァイオリン 碓井志帆
              指揮     安東裕躬

最初の頃は心許なかったこのオーケストラも、立派に成長した。
はじめは人数も少なく、オーケストラとして成り立つのかと思ったけれど、数年前にはブラームスのシンフォニーが演奏出来るくらい、目を見張るような発展ぶり。
先生方のすぐれた指導力もさることながら、学生たちの努力が実を結んだと言える。
大学に入って、初めて弦楽器を持ったという人もいる。
そんなひと達をここまで弾かせてしまうのは、やはりオーケストラの魅力というか魔力のせいだと思う。

1人では絶対に出せない音の厚みと色彩が、オーケストラの魅力なのだ。
音の洪水に呑みこまれた瞬間の喜びは、なにものにも代えがたい。
たまに、私もオーケストラ時代に、今この場で死んでも良いと思う程の感激を味わうことがあった。
1度その音を知ってしまうと、このあといつ味わうことが出来るかもわからないのに、その音に遭遇することが目的となって辛い練習にも耐えられた。
音は不思議なもの。
人のハートをギュッと捕らえて放さない。

私は毎年、演奏会のお手伝いをさせてもらっていたので、顔なじみのメンバーも沢山いる。
わざわざ地方から演奏会のためにはせ参じる卒業生たち。
就職しても、オーケストラをやっていた頃の思い出は、彼らの心の支えとなっているのかもしれない。

今年はシベリウスの交響曲がメインだけれど、若者の心に響くこの曲が彼らになんと合っていることか。
情熱、悩み、憂鬱、歓喜、すべての要素が若さの象徴の様に思える。
オーケストラを体験できたことは、彼らのその後の人生を豊に彩ってくれると思う。

今回の協奏曲のソリスト碓井さんは、12月のロンドンアンサンブル小田原公演のヴァイオリン奏者。
ヴァイオリンのタマーシュの帰国後、同じプログラムで演奏する。
彼女はロンドン留学後、帰国して結婚して出産してと、大忙しの中で演奏を続けている。
いまや2児の母親として頑張っている。
以前は育ちの良いお嬢様という感じだった彼女も、母親の強さを身につけてきた。
堂々とした演奏ぶりは、芯の強さを感じさせられた。
見事なソロを聴かせてもらえて、こちらも緊張しながらも伴奏を楽しんだ。

チャイコフスキーが終って、まだシンフォニーが残っているのに、すでに泣いている学生がいた。
今年卒業してしまうのだろうか。
オーケストラと青春とに別れを告げて、社会に旅立っていく彼らの前途に幸せが沢山ありますように。




















2015年11月28日土曜日

消えたノラ達

今朝少し寝坊して、起床が8時近くになってしまった。
ノラ達がお腹を空かせて、さぞ怒っていることと慌てて飛び起きた。
いつもの通り3個の餌箱を抱えて駐車場に行くと、誰もいない。
最近、あれほどいつもお腹を空かせているノラさんたちが、餌を食べ残すようになった。
空腹では可哀相だからと、うちの猫よりもどっさりと大盛りにしているので、食べきれないのは歳をとったせいかなと思っていたけれど、どうやら、どこか他の飼い主を見つけたものとみえる。
それはそれで、私の負担が少なくなるから助かるけれど、その人が気まぐれでやっているのなら困る。
ノラといえども一生面倒を見る覚悟がないと、はじめからやってはいけない。

特に土日にはボス猫シロリンは現れないことが多い。
餌をやっているのは会社にお務めで、土日が休みの人と推測している。
もしかしたら本来のシロリンの飼い主さんかも。

その辺の事情はいくら私が猫語に精通していても、聞き出すことは不可能だから、明日も一応の用意はしておく。

近所の駐車場の片隅で、毎日ノラ猫を可愛がっているご婦人がいる。
冷たいコンクリートの床にノラ猫と一緒に座って、餌をやったり撫でさすったりしている。
ノラもその人だけには良く懐いている。
しかし、最近のこの寒さ。
そのおばあさんは腰も曲がり、足もよくないというのに冷たい所では、身体に悪い。

最近ノラと一緒にとぼとぼ歩いているのに出くわした。
この子の面倒が見られなくなったら、私が引き取るからと申し出たけれど、ノラ猫を捕まえられるかどうか。
娘さんの家に厄介になっているので、猫に餌をやっていることを娘に知られたらお小遣いがもらえなくなると、心配している。

暖かいうちは良いけれど、この先冬になったらどうするのだろうか。
早く手を打たないと、ノラもおばあさんも可哀相なことになる。
私も毎日その場所に行くわけではなく、仕事が忙しくなれば他人のことは構っていられない。
とにかく私はそのノラの飼い主になる覚悟はしているから、ヒマな日にもう一度話してみようと思っている。

4匹のうち3匹が死んで、たった1人残された今のうちの猫。
今まで愛情の谷間にいてあまり構ってもらえなかったのが、今や飼い主を独専できて我が世の春。
すっかり甘えん坊になっている。
そこへ又、気の強いノラ猫が来たら可哀相とも思うし、そのノラは何年もノラをやってきた子なら、この先も上手く生きていけるかとも思うし、なかなか複雑な思いでいる。

さて、うちのノラ達は明日は現れるだろうか。
まさか猫獲りに掴まったなんて事は・・・
心配の種は尽きない。
























2015年11月27日金曜日

美しい晩秋

今日来た生徒がレッスン室に入ってくるなり、きれいな日ですねえと嬉しそうに言う。
昨日の冷たい雨模様に比べて、今日は晴れて雲一つない天気。
今朝公園に散歩に行ったとき、まだ半分ほどしか紅葉していないプラタナスが、黄色と緑の混じった葉を風にそよがせているのをうっとりと見あげた。
空はもうすっかり晩秋の空で、柔らかい日差しが葉の間からこぼれて、暖かいまだら模様となって、歩道を照らす。
晩秋にはブラームスが良く似合う。

さて、私の人生も晩秋で、オーケストラの仕事も来年の分からはお断りすることに決めた。
そして音楽教室も今年いっぱいで、生徒達を他の先生にお願いすることにした。

この教室は、小田部ひろのさんが立ち上げた時から、ずっと一緒に頑張ってきた。
今から20年以上前のこと。
彼女が数年前亡くなったときに、私の心も一緒にどこかへ飛んで行ってしまったような気がして、すぐにも辞めるつもりだったけれど、生徒達のやる気に押されて、今まで決心がつかなかった。
それでも、とても素晴らしいヴァイオリニストが後を継いでくれることになって、肩の荷が降りた。

教室は創立時の様な活気に満ちたものではなく、今や安定期、落ち着いてゆったりした雰囲気となってきている。
けれど、私はあのシッチャカメッチャカだった創立当時の雰囲気がなによりも好きだった。
小田部さんは、太陽の様な人だった。
彼女も私も、ものすごく気が強く、顔を合わせれば喧嘩していたけれど、たいていいつも一緒に悪だくみをして面白いことを探していたので、教室はいつも笑いに充ちていた。

一緒にアマチュアオーケストラを立ち上げたのに、彼女がさっさと亡くなってしまったので、私もつっかい棒が外れたようになってしまった。
今いる生徒達はとても頑張って上手になってくれたけど、私の方はどんどんパワーが無くなっていく。
そのギャップが、きびしい。

今は私は、本当に好きな曲を毎日弾いて暮したいと思っている。
誰に聴いてもらうでもないけれど、まだまだ弾き残した協奏曲や、ソナタなど沢山あるので、一つずつ片づけていきたい。
積ん読の本も、読破したい。
ハリー・ポッターを完読しないといけないし、ああ、忙しい。
私の人生の晩秋は、楽しみがありすぎて困るくらい。
こんな落ち着きのない晩秋には、ブラームスは似合わない。
やはり、モーツァルトしかない。

先日東北のチェロフェスタで弾いた「ディヴェルティメント17番」は弾いていて楽しくて踊りたいくらいだった。
終わったら聞いている人達からワーッと歓声が上がって、総立ちで拍手してくれた。
もしかして「敬老の日」ではなかった?。
もしかしたら、ああ長かった、やれやれ、やっと終ったという喜びの表現だったのかしら?
だんだんひねくれてきたようで、こういう年寄りにはならないように気をつけましょう。
















2015年11月26日木曜日

寒くなって

今朝ノラの食堂(駐車場)に行ったらボス猫は居なくて、ミッケが1人寒そうに待っていた。
私は少し疲れが出て寝坊したので、ボスは待ちきれずに他のえさ場に行ったのか、本来の飼い主の元で食べているのか。
ノラだと思っているけれど、実は飼い主が居るなんてことが良くあるので、最近のシロリンの毛並みの良さは、それを表して居るのかとも思える。
ノラたちはたいてい保険が掛けてあって、ここの餌場が留守ならこちらへと移動しているものと思われる。

特に力の強い雄猫は、縄張りの中で2,3軒は渡り歩いていると思う。

動物、特に猫が楽器を演奏する絵で有名な雨田さんは、昔、白とグレーのきれいな猫を飼っていたけれど、ある日外で自分の飼猫に出会ったら、よその奥さんが全く別の名前で呼んでいてビックリしたそうだ。

私の家には彼の絵が沢山ある。
オーケストラの練習場にフラリと遊びに行ったら、楽団員の休憩所にコーヒーメーカーが置いてあって、コーヒーが自由に飲めるようになっていた。
そこに猫の絵が貼ってあった。
一目惚れして「誰が描いたの?」と聞いたら、チェリストの雨田さんだというので、さっそく直談判に及んだ。

初対面の私の顔をジッと見据えるその目は、明らかに画家の目だった。
数枚のヴァイオリンを弾く猫を描いてもらった御礼は、紅茶とクッキー。
その時はまだ、雨田さんはプロの絵描きさんではなかったから。
雨田さんの自画像を描いてとお願いしたら、子狸がチェロを持っている絵・・・似てるかも。
その数年後、彼はプロとして猫の絵を売り出して、大変な人気画家となった。
プロとなってからも何枚も描いてもらい、時々お宅にもお邪魔した。
私の生徒が受験で神経質になっているときに、励ますつもりで描いてもらった猫が勉強している絵は、生徒にあげるのが惜しくなって私の部屋に飾ってある。
さいわい、生徒は受験に合格したから良かったけれど。

最近うちの(?)ボス猫シロリンは、毛並みもツヤツヤ、やっと撫でることのお許しが出たので撫でると、絹のような感触。
顔はフーテンの寅さんみたいだけれど、すっかり身ぎれいになっているから、本当に飼い主が見付かったのかも知れない。
それでも朝食は私のうちで摂ることにしているようだ。
ところが今日は今季一番の寒さ。
コンクリートの床で震えながら待っているのは辛いので、他の家に行ったらしい。
うちで食べていただけるようにと、私は慌てて物置の中の段ボールに猫ベッドを置いた。
もう一つの段ボールにはすでにアンカを入れて、温めてある。

猫のみなさん、ようこそ。
どうぞねこたま食堂で、ご飯をお召し上がり下さい。
寒いときにはお部屋の方で、お温まり下さい。















2015年11月24日火曜日

空飛ぶ団子

今朝、東北旅行のお土産を持って姉の家に行った。
コーヒーを淹れてもらって飲もうとした時、姉が私の顔をみて「あらっ、顔むくんでるわよ。鏡見てご覧」
それで急いで姿見を覗き込むと、別に変わりない、いつもと同じ顔が。
「これ、普段と同じ」と言ったら「そうお?」疑わしげに言う。

確かに、昨日まで3日間、東北は奥州市で忙しく弾いたり遊んだり、そして飲んだり食べたりが激しかったから、多少のむくみはあるかもしれないけれど、そんなにビックリされるようなむくみ方ではない。
元々こういうジャガイモのような顔なのだ。

なんで姉が気にするかというと、私は子供のころから腎臓に弱みがあって、今では腎臓に空洞があるそうなのだ。
それはとりたててどうこう言うものではなく、加齢によるものらしい。
疲れると腎臓に負担がかかって、むくみやすい体質であるのは確かで、子供の頃私が急性腎炎を発病したときに、見つけてくれたのもこの姉だったような記憶がある。

3日前、元オーケストラの同僚だったS子さんと、東フィルのOBのHさんと、東北新幹線に乗った。
駅弁を食べお喋りしていると、あっという間に一関到着。
駅前のホテルにチェックイン。
しばらく休憩して、盛岡行の列車で水沢に向かった。
水沢ではチェリストの舘野英司氏指導の、チェロフェスティバルが開催される。

東北と長野、新潟からもチェロを持った人達が集まってきて、会場には二日間チェロの音が響いた。
チェロが沢山集まると、ゾウの大群のようで中々壮観だった。
私の生徒のKちゃんのご主人が館野さんの生徒で、Kちゃんもヴァイオリンで参加、ついでに私も引きずり出された。
彼女は東北の人達と連絡を取り合って、プログラムの調整や宿泊場所の確保などの世話をするので大忙し。
見ていると絶え間なく動き回って、多動児の私も真っ青なくらい。
若い日の自分を見ているような気がした。

今回私がモーツァルトを弾きたいと言うと、わざわざ新潟と長野からホルンの人達が来てくれて、一緒に演奏。
「喜遊曲17番」は私にとって、世の中の全部の曲の中の最高。
それを演奏できるのは無上の喜びで、そのために旧友たちが東北まで同行して、演奏の助けをしてくれた。
みなさんありがとう。

フェスティバルは大成功で、舘野さんも嬉しそう。
その翌日は別の場所へ「農民オーケストラ」の指導に出かけていった。
彼は、一時期脳梗塞で倒れたにも関わらずお元気で楽しそうで、年上の方が頑張っているのを見ると、私もまだ演奏が続けられるかなと、勇気が出る。

2人の友人と私の3人は奥州平泉の中尊寺、毛越寺などの世界遺産を見にいくことにしてレンタカーで出発した。
やはり、かなり寒い。
都内でダウンコートは大袈裟な様な気がしていたけれど、さすが北国は冷える。
お寺の後は、厳美渓という岩の絶景地にいってみた。
美しい渓流の両岸は堅い岩肌で、ごつごつとそびえている。
吊り橋の上から眺めると、下を流れる水は所によって色が濃いエメラルド色、あるいは薄いグリーンなど、水色ではなく緑色系なのが周りの岩のグレーと良い配色になっている。
そこには時々テレビなどで見る「空飛ぶ団子」屋さんがある。

川の中州に四阿があって、対岸の上の方に団子やがある。
下で合図をするとスルスルとロープにつるされた籠が降りてくる。
そこへ代金を入れて送り返すと、籠に団子が入っておりてくる。
良く考えたもので、普通の団子でもこうやって買えば面白くて、美味しさ倍増になる。

ゆっくりとしたスケジュールで1日遊んで、お喋りをして、飲んで食べて、楽しい3日間の締めくくりとなった。
現地の方に頂いたリンゴジュースやジャム、毛越寺で買った自然薯などで膨れあがって重くなったキャリーケースをウンウン言って引きずって、足取り重く心は軽く帰宅した。






















2015年11月20日金曜日

犬嫌い

公園を散歩していたら、なにやら大声で騒いで犬を蹴ろうとしている人がいた。
ニッカボッカというのか、裾の広がった工事の時に着用するような作業ズボンを穿いて、髪は茶髪。
背丈もあって体格がいい。
仕事帰りなのか、泥で汚れている。

その人が追い払おうとしている犬が、見れば小型犬のマルチーズ。
別に吠えもせず、その人をめがけて走り寄って来た。
「マルチーズの性格」の画像検索結果
その人が怒っている。
「なんで犬を放すんだよ。この犬噛まないか?」
近くにいる女性が「噛むわよ」
あっさりと言う。
「噛むなら紐離すなよ。早くそっちに連れて行け」

思わず噴き出しそうになった。
身長は170センチ以上あると思えるし、日に焼けて腕っ節の強そうな大の男が、マルチーズに襲われて?いる。

犬の方は、遊んでもらえると思って走り寄ったのか、きょとんとして男の人を見ている。
しかし、よほど犬嫌いなのか、私が通り過ぎてもまだ怒っている。
「信じられねえな、犬を放すなんて」
「おい、おまえ笑ってねえか?笑ってるだろう」
飼い主は半分笑いながら「笑ってないわよ」
私は、笑い顔を見られないように、うつむいて側を通り過ぎてきた。
人によって怖いものは様々。

以前家に良く遊びに来た打楽器奏者は、猫嫌い。
それなのに、その人が来ると何故か猫が寄っていく。
なにが嫌なのか聞いたところ、猫は足音をさせずにいつの間にか側に寄ってくるから、びっくりするという返事。
それは痩せても枯れても肉食獣だから、足音がしては困る。
そのために肉球があるのだから。
家に遊びに来ると、彼はイスの上におばあさん座りをして、猫に足をスリスリされないように警戒していた。

私は無類の猫好きだけれど、猫が気持ち悪いと言う人の気持ちは良く分かる。
猫の尻尾は蛇のようだし、目を見るとなにか企んでいるような気がする。
実際企んで居ることもあって、いきなり爪を立ててよじ登られると、痛さのあまり絶叫する。

私は爬虫類が大の苦手。
絵に描いた物でもだめ。
以前、麻のワンピースを買ったことがあって、濃いグレー一色だったから、アクセントになるベルトがほしいと探していた。
爬虫類の太めのベルトなら、ピッタリだと思った。

そして大岡山の駅近くの店で、理想通りの太さと色の蛇皮のベルトを見つけて、嬉しくて小躍りした。
試着をお願いしてウエストにそのベルトを巻いたとたん、全身に鳥肌が立って、どうしても巻いていられない。
泣く泣く諦めたけれど、今でも思い出すほど素敵なベルトだった。
お値段も手頃で、買っておけば良かったかなあと、未練タラタラ。
買ってもたぶん締めなかったし、しまっておいても気持ち悪いと思うから、買わずにいて正解だった。

蛇だって日本で近隣にいるのは、毒のない大人しい種類だから恐れることはないのに、もしその辺に放し飼いにされて私を見て滑り寄ってきたら、私は大絶叫で気絶しかねない。
小型犬を怖がって騒ぐ、屈強の男がいても不思議はない。
笑って悪かった。
その人は多分子供の頃に噛まれたとか・・・トラウマがあると思う。
私にとって犬猫は天使だけど、その人には怪獣にしかみえないのかもしれない。

































2015年11月19日木曜日

美容院デート

美容院を紹介してもらったのが始まりで、毎月ランチを一緒にするSさんは、私たちの業界の花形だった。
美人でヴァイオリンが上手くて、気っ風の良い姉御肌。
テレビ番組やスタジオでの録音、ステージなどの仕事で時々一緒になると、よくお喋りをした。
彼女の方が年下だけど、同じくらいの世代だから共通の友達も多い。

彼女はずっとゴルフが趣味で、犬を飼っていた。
私とは少し趣味が違うけれど、会えば話しが弾む。

私がゴルフをやらないわけは簡単。
私は自分が跳んでいる状態が好き。
スキー、ダイビング、乗馬など、どれも自分が跳ぶ。
ゴルフは球は飛ぶけど、自分は飛ばないからつまらない。

犬は私も大好き。
それでもちゃんと面倒がみられないので、飼ったら犬が可哀相という理由で飼わない。
そのかわり、外で犬に会うと触らせてもらう。
犬に好かれて、しょっちゅう飛びつかれたり舐められたりする。
最近では、私に出会うと狂喜乱舞、もうどうしていいか分からないくらいはしゃぐ柴犬さんとお友達。
とくに大きな白い秋田犬に出会ったときには、いきなり私の両肩に手をかけて立ち上がり、顔中舐められたことがあった。
飼い主が真っ青になったけれど、犬の気持ちが分かる私は全然怖くない。

趣味は多少違うけれど、Sさんとは旅の仕事などもよく一緒だった。
彼女が都合が悪く出来ない仕事に、私が代わりに行ったことも。
あれは熊本で、その時もSさんの代わりにステージで演奏していた。
リハーサルの時、ステージの雛壇の後ろにストッパーがなかった。
イスがステージから落ちないように、大抵のステージは雛壇の後ろに長い木を打ち付ける。
その時はまだリハーサルが始まったばかりで、準備が出来ていなかった。
私も気をつけてはいたものの、稀代のおっちょこちょい。
すぐに忘れてしまった。
リハーサルの途中で、前の人の楽譜を覗き込んで、音を確かめようと立ち上がった。
その時僅かだけど、イスを足で後ろに押してしまったらしい。

そしてイスに座ると・・・スローモーションを見ているような感じで、イスがゆっくりと後ろに傾き始めた。
楽器を手に持っているので、どうしようもなく、そのままゆっくりと仰向けになっていく。

私の取り柄というか、鈍さというか、そういうときにやたらに騒がないで、なにが起きているのか理解するまでは、なにもしない。
このまま落ちると後頭部を打つぞ、なんてことも考えない。
おやおや、どうしたらいいかな、とにかく楽器は離さない・・・なんて考えていたら突然イスが何かに引っかかって止った。
ちょうど45度くらいの角度で止ったので、天井を見ながら考えた。
どうやって起き上がろうか。

すると、スタッフが大慌てで走ってきた。
そして、その第一声が
「楽器は大丈夫ですか!」だった。
舞台やさんたちは弦楽器が高価なことを、良く知っている。
もし、楽器が壊れたら莫大な弁償金を支払わなければならない。
私はたとえ頭打っても、元々そう良い頭でもないし、骨折しても保険がきくから大丈夫、ちょっとボルトを入れればいいことだし。
まずは楽器から心配しないと。
楽器は無事だったし、私も無事だけど、無性に腹が立った。
「なんで楽器の心配ばかりするの?私の心配はしてくれないの?」
斜めになったまま私は口を尖らせて、文句を言った。

雛壇の後ろにかなり高い位置まで照明器具がせり出して来ていて、それに乗りかかる様な形で、イスが止ったらしい。
やれやれ。
本番が終って、スタッフたちと飲みに行った。
酔いが回ってきたところで1人が「Sさんの代りの人が来るというので、楽しみにしていたんですよ。どんな人かなあって。そうしたらSさんより、もっと怖い人が来たのでショックでした」と言われた。
Sさんは全然怖い人ではないけれど、はっきり物を言う。
初めて会った人は、ちょっとビビるかも知れない。
その人よりも、もっと怖い人というので盛り上がって、美味しいお酒を頂いた。

次の朝、春というのに季節外れの雪が熊本に降った。

Sさんにはオシャレの情報も、教えてもらう。
あそこのエステ、こちらのアートメイク、次は睫毛のエクステも。
今日はSさんとの月一美容院デートの日。
同じ日の同じ時間に次の予約を入れて、イスを並べてお喋りしながらカットやカラーリングをしてもらう。



























2015年11月18日水曜日

旧友たち

この週末、奥州市でチェリストのTさんが指導するチェロのフェスティバルがあって、そこでなにか一緒に弾こうとお誘いがあった。
以前一緒にベートーヴェンの弦楽三重奏曲「セレナーデop.8」を演奏した時に上手くいかなかったので、それをリベンジしたいというTさんの意向を汲んでまずそれを演奏。
私が是非弾きたいという希望を通して、モーツァルト「ディヴェルティメント17番」を現地のホルン奏者と演奏する。
この曲は1時間弱の長大な曲なので、全部はむりだから、その中から3曲弾くことにした。
それでも30分近くかかる。
後は東北の人達と、東京からはせ参じる人達。
最後に、ウインナーワルツを全員でという趣向らしい。

このプログラムとなると、どうしてもヴィオラとヴァイオリンが1人ずつ必要になる。
純粋にお楽しみの会なので、仕事にはならない。
ギャラも出なければアゴ足(交通費、食事代)も出ないので、本来はプロの演奏家を頼むワケにはいかない。
私はモーツアルトの曲が弾ければ自腹切っても飛んで行くけれど、他の人にはいい迷惑になる。

それでも、今年の八ヶ岳音楽祭で一緒にヴィオラを演奏した人に、恐る恐る訊ねてみた。
こんな割に合わないことなんだけど、ひとつヴィオラを弾いておくれでないか、と。
驚いたことに彼女Hさんは、大喜びの二つ返事で引き受けてくれた。
そして、もう1人のヴァイオリンも決った。
こちらのS子さんはあっさりと良いですよ、と言ってくれてこれも一安心。

先日我が家に集まってリハーサルをした。
Hさんは高校、大学を通じての同級生。
S子さんは中学生くらいからの知り合いで、大学では一年後輩。
卒業してからも仕事仲間として、長いお付き合いが今まで続いている。
お互い忙しく仕事をしていたけれど、最近は皆ヒマになってきた。
それだから、こんなお遊びにも付き合ってもらえるようになった。
4人とも長年プロとして演奏していたので、練習はあっさりと終った。

遊びと言ってもヴァイオリンを弾くときは、仕事と同じように真剣になってしまう。
長年の緊張感をまだ引きずっているけれど、それでもこういう気楽なコンサートなら、少しは楽しんで弾けるのだろうか。
これからは、ノンビリと楽しむ事を考えよう・・・と思っているけれど、やはり本番は緊張でしょうね。

前日に現地でリハーサル、本番当日が終ったら温泉に行って、次の日はレンタカーで奥州平泉あたりを回って帰る。
この2人の旧友のお陰で、私は大好きなモーツアルトが弾けて、晩秋の東北旅行が出来る。
いつも友人達に助けられているのは、私が余りにも頼りないので、思わず救いの手を差し伸べてしまうのだと思う。
この先もしっかりした人になれるとは思わないので、いつまでも周りの人達が苦労するのでしょうね。
ごめんなさい、皆さん。
とにかくモーツァルトが弾けるのが嬉しくて嬉しくて・・・













2015年11月16日月曜日

新しいスキー靴

重く堅いスキーブーツも最近は軽く着脱が容易で、性能が良いものに進化してきているようだ。
私がスキーを始めた頃は革靴で、滑っていると靴紐が緩んでくる。
吹雪かれながら靴紐を締め直し、歯をガチガチ言わせながら寒さに耐えていた頃とは大違い。
なんせ、初めてのストックは竹製だった。

スキーブーツはプラスチックだから、何年か経つと劣化する。
私の友人が滑っている最中にパッタリと倒れたから、どうしたのかと思ったら、ブーツが横に裂けて二つになっていた。
目の当たりにそんな様子を見ていると、やはり事故は起こしたくないから、何年かに1度は買い換えることにしている。

今までの靴は堅くて着脱がひどく大変だったので、簡単にできる方が良いと先生に訴えた。
最近はゲレンデの比較的なだらかな斜面で、滑る事にしている。
だから上級者用ではなく初心者用で良いと言ったら、流石にそれは許されず、中でも軽く、足入れが簡単な物を選んでもらった。

きれいな水色の線の入った白いブーツは、踵の周りが透き通っていて、水の中で履きたいよう。

内側のインナーブーツを足に合わせて成型してくれる。
まず裸足になって、足の踝や踵、土踏まずの上あたりにぺたぺたと厚手のシールのような物を張っていく。
その上からつま先にカバーをかけ、さらに上からスッポリとビニール様の物で包まれる。
その上から厚手の靴下を穿く。
そして、ブーツの外側を履いて、器械の上に立たされること15分ほど。
足が温かくなってくる。
聞けば温度は100度にもなるらしい。
足が燃えてしまわないかと心配になるけれど、そんなことも無く、ジッとしていろと言われるのに多動児の私は、すぐ動いて叱られる。
やっと器械から下ろしてもらって、それを冷やすと自分の足にぴったりのインナーブーツが出来るらしい。
出来上がるまで1時間ほど。
1人1人に合わせて作るので、順番待ちが長い。

私は遅めに行ったので、今日はもう作ってもらえないと言われたけれど、もう一度来るのは面倒だと拗ねたら、やってもらえることになった。
そのかわり、先に済んだ仲間達はさっさと飲みに行ってしまった。

お腹空いて喉渇いたと愚痴を言いそうになるけれど、今日中に済めば後日来なくても良いのだから、そこは我慢。

やっと足が窮屈なブーツから解放されて、待つ事しばし。
少し冷ました物を履いてみると、軽くて楽で、このまま走れるかと思うほど。
今までの堅くて重いブーツはなんだったのか。

ちょっと恥ずかしかったのは、スニーカーを脱いで自分の履いてきたソックスを見た時。
こんな事があるのをすっかり忘れて履いてきたのは、5本指のソックス。
それぞれの指に猫の顔が描いてあって、小指の部分は黒猫の尻尾まで書いてあって、店員さんもビックリしたようだった。
うかつであった。
猫だったら、耳の後ろを掻いて誤魔化すところだった。

今シーズンは12月に、志賀高原へ滑りに行く予定。
早く新しいブーツを試してみたい。
そしてお正月2日から又、志賀高原へ。
落ち着きのない人生はまだ続きそう。



















2015年11月15日日曜日

江戸川フィルハーモニーオーケストラ

第30回定期演奏会だそうで取り組んだのは、マーラー「交響曲第5番」
こんな大曲に挑むのは、長い歴史がないとおそらく不可能だと思うので、やはり30回という回数があってこそ。
オーケストラなどと言う労力とお金をムダに使う前世紀の遺物は、地域の協力無しには、なりたたない。
団員たちの汗と涙が、偲ばれる。

弦楽器、特にヴィオラ、チェロはすごく良かった。
冒頭のトランペットのソロは、本当に怖いと思うのに、我慢して我慢してなんとか吹き遂せた。拍手!
全体にフォルティッシモがバランスが悪く、せっかくのマーラーの響きを殺している。
気持ちが高揚して思い切り音を出したいのは分かるけれど、その一歩手前で収めないといけない。
ただひたすらどんちゃん騒ぎになってしまうのは、戴けなかった。
もう少し計算された冷静さが欲しかった。

そこが残念だったけれど、この恐ろしく難しい曲を良く演奏したのには、ほとほと感心した。

最初の曲はモーツァルト「クラリネット協奏曲」K.622
ソリストは野田祐介氏(群馬交響楽団第一クラリネット奏者)
美しい柔らかい音は、ともするとオーケストラに同化してしまって、協奏曲という性格が弱かったような気がするけれど、それはそれで、素晴らしかった。
特に2楽章のピアニッシモは絶妙だったのに、あ~あ。
目をつぶって耳を澄ませていたら、突然頭の上から声がした。
「すみません、入れて下さい」
全曲を通じて一番美しい・・・死ぬほど美しいこの箇所で、よりによって遅れてきた人が演奏中にもかかわらず、通路を歩いて席に着こうとしている。
殺意を覚えた。
誰が演奏中に入って良いと言ったのか、全部まとめて川に放り込んでやるう~~~。
台無しになった気分を救ったのは、活き活きと張りのある音がし始めた3楽章のクラリネットソロ。
どんどん興に乗ってきて、そうそうこうこなくっちゃ。
上手い!

荒川区は私の家から遠い。
なんでそんな遠くまで行ったかというと、私の所にレッスンを受けに通ってくる女性がここのメンバーだから。
初めて彼女のヴァイオリンの音を聴いた時、ヴァイオリンは金属で出来ていたっけ?と言うのが感想だった。
かなり自宅も遠いようで、そんなに長くは続かないと思っていたけれど、もう何年になるだろうか、せっせとレッスンを受けに来る。
初めは手こずった。
とにかくあらゆるムダな事をする。
手の形は不自然、第一、身体の向きがおかしい。
一つ一つ丁寧に直すと、今までいかにムダな事をしてきたかを、納得してくれた。

最近金属は陰を潜め、立派に木の音がし始めた。
そして先週おや?頭一つ抜きんでて来たなと思った。
違う領域に達したようだ。
こういうことが教える者の醍醐味。
その熱心さにほだされたら、やはり遠い所でも聞きに行く気になるでしょう。






















2015年11月13日金曜日

ピアニストを目指す

ピアニストのOさんは声楽もやっている。
私たちスキーの同好会「雪雀連」の忘年会で毎年、雄叫びを披露。
もう1人科学者のHさんも合唱団に入っていて、コンサート経験豊富。

2人のソプラノがメンバーにいるので、今年の忘年会コンサートは2人でデュエットをしたら?とけしかけた。

フィガロの結婚の中に、伯爵夫人とスザンナの有名な「手紙の二重唱」がある。

フィガロとの結婚間近のスザンナを、誘惑しようとする伯爵。
それを嘆く伯爵夫人にスザンナは、ある企みを持ちかける。
伯爵を呼び出して懲らしめようと、スザンナのふりをして伯爵夫人に手紙を書かせ、逢い引きの約束をする。
そうとは知らない伯爵は、スザンナの服を着た夫人をスザンナと思い込み、口説き始める。
そこで正体を明かした夫人やスザンナに慌てふためき、伯爵は夫人に謝って大団円を迎える・・という他愛もないはなし。
伯爵夫人が嘆きながら手紙を書き、スザンナが励ますこのシーンは、美しいソプラノの二重唱で歌われる。
このシーンが終って、伯爵が夫人に向かって謝るその歌も、涙が出るほど美しい。
その後コーラスが続けて歌い、このオペラの幕が閉じる。

私の大好きな曲で、リクエストしたら2人とも知らないと言う。
いやしくも歌を歌う人達がこの歌を知らないとは、嘆かわしい。

どんな曲?と訊かれたから歌って聴かせようと思ったら、どうしても最初の部分のメロディーが思い出せない。
最後の部分ばかり出てきてしまう。
全く最近はこんなことばかり。
これを失歌症とでも言うのかしら。

乗り気になったOさんはこの会の唯一のピアニストだから、自分が歌ってしまったら伴奏は誰がやってくれるのか、あなた出来るでしょう、と迫ってきた。
迫ってきたあげく、伴奏譜を送りつけてきた。
しかも速達で。

今、水沢のコンサートや、ロンドンアンサンブルのコンサートの下準備で忙しいのに、ピアノなど弾いているヒマはない。
それに学校卒業して以来、まともにピアノを弾いていないから、目で見て楽譜を理解しても、指がおいそれと動くわけはない。
どうしてこんな事になってしまったかというと、先日Oさんに私が自慢話をしたせいなのだ。

それはそれは若ーい頃、オーケストラで学校教材用の音楽の録音をしたことがあった。
その時、ピアノの連弾のブラームス「ハンガリア舞曲」が曲目の中にあって、オケの専属ピアニストの他にもう1人ピアニストを調達しなければならなかった。
貧乏オーケストラは少しでも予算を少なくするために、連弾の第二ピアノを私に弾かせることにした。
指揮者の故芥川也寸志さんが「あの子に弾かせたら?」と言ったそうで、私は急にピアニストに抜擢されたという経緯があった。
だから私はピアノで仕事したことがあるのよと自慢したら、今回伴奏をさせられることになった次第。
自慢なんてするんじゃなかった。

あれから数十年、ピアノの鍵盤に触れるのは、ヴァイオリンの調弦のためA音(ラ)を叩くだけ。
時々ピアニストが来て弾いてくれるけれど、うちのピアノは一流の調律師が調律するのに、弾く人はいない。

シューマンの「子供の情景」が好きで、以前、楽譜を買った。
高校の副科の試験でこの曲を弾いた事があるけれど、それ以来全く練習していない。
なんとかもう一度弾きたいと思ったけれど、所定の場所に指がとっさに行かないので、挫折した。
ピアノの先生から徹底的に音階の訓練をされたお陰で、昔は指が良く回ったのに。
その頃はシューベルト「冬の旅」なども、自分でピアノを弾いて弾き語りしていたのに。
すごく初見も利いたのに。あ~あ。

私はピアニストになっていたら、たぶん伴奏者・・・特にリートの伴奏をしていたと思う。
ジェラルド・ムーアのような伴奏者になりたいと思う。

楽譜が送られてきたから、久しぶりに練習してみた。
和音が分かっているから頭では理解しても、中々指は動いてこない。
出来ないとなると、普段眠っている私の中の負けず嫌いが、顔を出す。
ロンドンアンサンブルのコンサートが終ったら、その後の忘年会までの10日間はピアノを特訓しようと、決意した。

これほどアテにならない決意でも、まあ、一瞬でも決意するだけ良いとこあるじゃん、なんて自画自賛している。
これが上手くいったら、ピアニストに華麗なる転身を目指そう。

来年1月に、今年にひき続き「冬の旅」の譜めくりをすることになった。
去年フメクリストとしてデビューしたことを、すっかり忘れていた。
ピアニストが無理なら名フメクリストを目指そう。

なんと言っても強味は、歌曲やオペラを良く知っていること。
最大の弱みは、ヴァイオリンの曲を良く知らないこと。

いやしくもヴァイオリンを弾いて居る人が、この曲を知らないなんて、嘆かわしい・・と言われそう。


















2015年11月12日木曜日

お掃除ロボット

お掃除が嫌いなわけではないけれど、普段全く関心がないので、何日も忘れてしまうことが多い。
埃が積もっていても気がつかない。
埃アレルギーのモヤという猫がセンサーになってくれて、彼女が咳をしだすと限界ということで、ちょっと掃除をする。

モヤはセンサーになってくれていたけれど、残念なことに天国へ行ってしまった。
まさか、埃が彼女の命を短めたという事はないだろうかと、時々自問する。
可哀相なことをした。
もしそうだったら本当に悪いことをしたと、後悔している。

私の掃除下手を見かねた人が用意してくれたのが、ルンバとブラーバ。
ルンバはお馴染みの掃除機ロボット。
ブラーバは拭き掃除ロボット。
ロボットがお掃除をしている間に私が他の用事が出来ると考えて、用意されたものと思われる。
が、それはどっこい。

私はロボットが掃除をしているのをボンヤリ眺めるのが好きで、結局お掃除が終るまでジッと眺めている。
それなら自分の手で掃除機を使い、雑巾がけをすれば良いのだけれど、そうはいかない。
ロボットたちを眺めていると、隅々まで、それは丁寧に掃除をする。
時々、隅っこやロボットの手の届かない部分があって、歯がゆいこともあるけれど、そこは後で自分で掃除をしようと考えていても、終ればすぐに忘れる。
それぞれのロボットに得意不得意があって、あ、そこそこ、なんてつい手を出したくなるけれど、お邪魔しては悪いので我慢して見ている。
我慢しなくてもいいんだよ、なんて言わないでね。
ルンバは多少の段差は乗り越えるけれど、それに引っかかって止ってジタバタしていることがある。
ブラーバは拭き掃除ロボットで床に密着しているから、段差はのりこえられない。

大家族で育ったので、子供の時は決して掃除をしないわけではなかった。
家族の分担が決っていて、私は雨戸の開け閉て、玄関の掃除、ご飯を大きな釜で炊くなどのルーティン・ワークをこなしていた。
母の家事の負担が大きくて、大変だと思ったから手伝いは良くした。
それに今どきの子供の様に沢山の娯楽がなかったから、他にすることも無かったと思う。

両親とも世の流れに疎い人たちだった。
我が家にガスが入ったのはよその家よりも大分遅かったので、随分後になるまで、我が家はかまどでご飯を炊いていた。
数百年も経った旧い家の広い土間に大きなかまどがあって、そこで小学生の女の子がご飯を炊いている図を想像して見て下さい。
なんか、ほっこりした気分になるでしょう。
家事はとても面白くて、お釜でご飯を炊くときの火加減なども色々工夫したりしていた。
炎をボンヤリ見つめることも、好きだった。

家で勉強することは全くなくて、両親とも全然うるさくはなかった。
その頃私は、好きなだけヴァイオリンを弾いて、その他はボンヤリと空の雲を眺めている子供だった。
炎も雲もどんどん変化して、色や状態が変わるのに想像力をかきたてられて、私は空想の世界に没入していた。
音の変化にも通じるものがあって、消えてゆく物の美しさに取り憑かれているのは、その頃の経験が大いに関与していると思う。
今はルンバの掃除しているのをボンヤリ眺めて、本当に性格変わらないなあと可笑しくて、1人で笑った。

特にルンバが仕事を終えてお腹を空かせて、静々と基地に戻って行くのを見るのが好き。
電源にたどり着くと、いきなりチュウチュウと電気を飲み始める。
これが可愛い。
お母ちゃん~なんて言ってるのかしら。

一方ブラーバは、濡れた布をセットすると、丁寧に拭き掃除を始める。
お陰で先日は「なんだかこざっぱりしているわね」と、以前の状態を知っている人からお褒めにあずかった。
何回も言うけれど、決して掃除をしないワケではないけれど、自分の中の順位では、掃除は最下位。

初めにまず、することは、なんの役にも立たないことから。

朝食後はネットをさまよい、ヴァイオリンを弾いて、時々散歩。
時々ゲームに没頭して時間を無駄にする。
時々読書。
時々音楽を聴く。

人を役に立つ人と役立たずと分類すると、明らかに役立たず。
それなのに、周りの人達はいつも優しく、私の手助けをしてくれる。
これは前世の行いがよほど良かったか???、ご先祖さまが守ってくれているのか。





















2015年11月10日火曜日

圧力の差

ここ数日「エニグマ」に専念して、ずっとヴィオラを弾いていた。
そろそろ奥州市で弾くモーツァルト「ディヴェルティメント17番」を弾き込んでおかねばと、ヴァイオリンに切り替えたら、なんだか立派な音になっていて軽さが出ない。

ヴァイオリンからヴィオラに移るのは簡単だけれど、ヴィオラからヴァイオリンに戻る時に、多少ぎくしゃくする。
それは弓の圧力の差とか、ヴィブラートの微妙な違いとか。
やはり、その楽器にとって一番良い音を出すためには、自然に自分で微調整している。
ヴァイオリンからヴィオラという時には、さほど感じなくても、ヴァイオリンに戻るとき、弓の重さが違うので調整は難しい。
弓が軽くなればなるほど、バランスが微妙になる。
ヴィオラを弾いた直後にヴァイオリンを弾くと、妙にしっかりとしたヴィオラっぽい音になっている。
弓の圧力だけでなく、ヴィブラートの幅や早さにも、原因があると思う。

左手もヴィオラの方が一音の幅が広いから、広げるのは簡単、でも、元に戻すのは窮屈。
以前私がヴィオラを弾くと言ったら、ベルリン放送交響楽団のコンサートマスターだったヘルムートが「ヴィオラ?ヴィオラ弾くのか?」と何度も聞き返してきた。
「そうよ、ヴィオラよ」
私みたいに小柄で、ヴィオラを弾くのは信じられないらしい。
もちろん楽器は胴体部分が40㎝以下のサイズで、私の左手は幅が広く四角いから、弦楽器を弾くのにはうってつけ。

ヘルムートは自慢げに「自分はこんなに手が大きい」と言って、ハイポジションを楽々とってみせる。
ファーストポジションの位置に親指を置いて、そのままハイポジションを弾いて見せたのには度肝を抜かれたけれど、手が小さければ移動すれば良いのだから、私はハイポジションでも苦労はしない。
むしろ最近指が曲がってきたので、音程が不安定になったことの方が、気になる。
ヴァイオリンでもヴィオラでも弓にかける圧力は、腕を完全に脱力した状態で弾くのが一番良く鳴るのだけれど、ヴィオラの場合、多少ヴァイオリンよりも弦が太い。
その分抵抗は増すので、ほんの僅かだけれど、圧力をかけないと鳴らない部分がある。

特に一番太いC線は私の小さい楽器では鳴りにくい。
鳴らないからと言って力を入れたら余計鳴らなくなるけれど、やはり自然に押しつけることが多くなってしまう。

ヴィオラのサイズは様々で39㎝くらいから45㎝なんていう巨大な物まである。
45㎝になったら、私はおそらく渦巻きの先まで手が届かないと思う。
以前、45㎝を持っている人がいたけれど、日本人にしてはかなり高身長なのに、その彼でさえ弾ききれなかったらしい。

そのサイズになったらチェロの様に前に構えて弾いた方が良いかも。

昔、ピアティゴルスキーというチェロの名手がいて、彼は冗談が多い人だった。
巨人のように身体が大きかったので、ある日、冗談にチェロを顎に挟んで撮った写真が新聞に載ってしまった。
次のコンサートで彼の楽屋を訪れたご婦人から「うちの息子がどうしてもチェロを顎に挟めないのですが」と相談されたという。

ピアティゴルスキーがチェロを顎に挟むのと、私がヴィオラをはさむのと、ほとんど相似形ではないかしら。
私の身に余る楽器だけれど、その魅力に抗しきれず時々ヴィオラを弾かせてもらう。
ふだん身長が低いのは一切気にならないけれど、ヴィオラを弾く時と馬に乗る時だけは、もう少し手足が長かったらなあと、ため息が出る。























2015年11月8日日曜日

「エニグマ」を謎解き

12月の事だからと呑気にしていると、いつも間際になって慌てるから、今年は早々とエルガー「エニグマ(謎)変奏曲」の譜読みと謎解きをしている。
やっと今日、全容を解明し終った。
この曲は12月15日、ロンドンアンサンブルの小田原公演に参加、その時のプログラムなのだ。

私が出演するのは小田原公演一回だけだから、この日失敗すると2度とやり直しはきかないと思うので、ちゃんと弾きたい。
エルガーの曲というのは、ターナーの絵みたいに複雑で靄っている。
隅々まで内容を知らないと、指揮者がいないから1度落ちたら、這い上がれない。
誰が何をしているか把握しておかないといけない。
しかもオーケストラの曲を室内楽用にアレンジしてあるので、スコアを見ても、自分が本来の譜面と違うことをやっているのに気がつく。

その上・・・私はこの曲を弾くのは初めて。
オーケストラ生活長かったけれど、イギリスの音楽は日本ではあまり頻繁に演奏されない。
すごく良い曲なのに。
身体に余る大きな楽器のヴィオラを長時間弾くのは、相当負担がかかるけれど、私はヴィオラの音が大好きで、本当にリラックス出来る。
ヴァイオリンの甲高い音より、自分の声に近いからかもしれない。
早いパッセージが連続するところは、スピードに乗って爽快感がある。
リズムも面白い。
何処で何がどう動くのか知っておかないといけないから、スコアを首っ引きで調べ上げ、なんとかお終いまで納得がいった。
こういう事がとても面白い。

室内楽を弾く時、普段は、私はほとんどスコアは見ない。
下調べもしないけれど1度一緒に弾けば、殆どの曲は頭の中でスコアが出来上がる。
これだけは、もの忘れの天才であるにも関わらず忘れない。
これ猫世界のにゃにゃ不思議。

冗談はさておいて、今回はかなり手こずった。
激しくテンポが変わるので、いつの間にか倍テンポになっていたり、転調も多いから弾いていて変だなと思うと、調子記号を見落としていたり、けっこう悪戦苦闘だったけれど、曲が素晴らしいので、これが弾けるのはとても幸せだと思う。

やっとエルガーの譜読みを終えて、さて、プログラムの他の曲であるベートーヴェン、モーツァルトの曲に取掛かると・・・こちらの方がずっと難しいことに気がついた。
エルガーは練習すれば何とかなるけれど、モーツァルトは練習しても自分が本当に上手くないとダメだということを、思い知らされてしまう。
ああ、どうしよう、ちっとも上手くないのに、こんな仕事引き受けてしまって。
この後はひたすらモーツァルト。

それなのに11月半ばには、ベートーヴェン、モーツァルトを弾く事になっている。
これはヴァイオリンで。
ヴィオラばかり弾いている場合ではない。
参ったなあ、自分が言い出しっぺの曲なんだけど。

身の程知らずだけど、弾き終わると都合の良いことに、すぐに失敗もなにも忘れるという天性のもの忘れ名人だから、その性格が災いなのか幸せなのか、私が大成できない原因はここにある。



















2015年11月7日土曜日

免許証返納?

さきほどテレビで高齢者の事故が多く、免許証を返納したほうが良いと言う意見が盛んに出ていた。
自分はしっかりしているつもりでも、身体機能の衰え、視力の低下、反射神経の遅れなど、様々な事が起きて居ると思う。

一番思うのは、決断力が鈍ったこと。
かつては、決断して行動するまで瞬時だった。
考える間もなく身体が自然に動いていた。
今は周りを見て、もう一度見直して、やっと決断したときには新しい危険が生じていることもありそうで、もう一度見直す。
何台もの車を見送って、やおら発車。
それでも事故を起こすよりはどれだけいいかと、周りの車に謝りながらの走行。

ところがスピードに関しては、あまり変わらない。
私の心地よいスピードは、同世代の他人より少し速いようだ。
これは音楽をやっているせいかもしれない。
音楽家は皆スピードを好む。
日頃楽器を弾いていると反射神経が研がかれるから、一般の同じ世代より反応は早い。
高速道路を走っていて、初めの内は慎重に走行車線を走っていても、段々興に乗ってきて、追い越し車線を爆走なんてことはしばしばある。

それでも最近はすっかり大人しくなって、なるべく丁度良いスピードの車を見つけて、追走することにしている。
ペースメーカーとなってもらう。
ところがしばしば私が追走されることが起きる。
走るときには一定のスピードを保つようにしているし、スピード違反で許されるギリギリで走るようにしているので、私についてくれば安心と思うらしく、後ろからずっと付けられると、それがいやでわざとスピードを落としたり、振り切ったりする。
相手もこちらの気持ちが分かるらしく、それ以上はついてこなくなる。

一番嫌なのは道路状況でスピードが変わること。
登り坂に差し掛かると遅くなり、下り坂では早くなるような運転が一番嫌いで、微妙にアクセルワークを変えて、いつでも一定のスピードで走りたい。
そうすれば渋滞緩和にとても役立つと思うけれど。

本当に車の運転は好きで、一日中仕事をしてヘトヘトでも、長距離の運転も厭わない。
こんなに仕事した後で運転するの嫌じゃないですか?と、よく訊かれるけれど、むしろ気分転換になってストレスが消えて行く。

その運転が出来なくなったら、本当に寂しい。
最近自動ブレーキの車に変えようかと迷っている。
でもあまりにも自動車任せになったら、逆に人の機能の衰えに拍車がかからないかと心配。
事故は起こしたくない、けれど、自動車に乗らされたくはない。
楽器を弾いて仕事が出来るうちは、まだ運転も大丈夫と考えたい。
先日の講習でも30才~50才の、普通の範囲との結果だった。
でも、口座番号間違えたりすると、なんだかなあ。
















2015年11月6日金曜日

危うい

現金を引き出そうと、銀行のATMに行った。
カードを差し込んで暗証番号を入力しても、お取り扱い出来ませんと表示される。
何回やっても同じ。
閉店後だったから、電話をかけて銀行員さんに来てもらった。
いくぶん汚れてくたびれたカードを見た行員は「磁気が弱くなっているかも知れません、お調べしましょうか」と言ってくれたけれど、乗る予定の電車の時間が迫っていたので、断って駅に行った。

次の日、銀行の営業時間にカードを持って行った。
受付けに行くと、昨日対応してくれた人らしくて覚えていたようだ。
何回も暗証番号をお間違えの様でしたので、それで取引を差し止めましたと言うから、そんなに間違えるはずはないわ、ずっと同じ****なのに、どうしてかしら?といくぶんムッとする。
声高に言ってしまったから、我ながらビックリ!
受付けさんもビックリ!
悪い人が聞いていたら大変なことだった。

この辺から段々自信が無くなる。
そしてカウンターに行って、暗証番号の更新手続きが始まった。
無事記入が終ってやれやれと思っていたら、口座番号お間違えですと言われる。
通帳の番号を見ながら、丁寧に確認しながら書いたはずなのに。
見ると最後の数字が8のはずが0になっていた。
これで私の脳みその劣化は、どうしようもないところまで進んでいることがよくわかった。

もの忘れがひどいのは小学生の頃からなので、今更驚くことはない。
小学校へ行くのに鞄が空っぽ、家に帰れば宿題が出たことを忘れる。
教室にクラスの生徒1人ずつの、棒グラフが貼ってあった。
忘れ物とか出席日数とかを示すもので、私の忘れ物は、ダントツ一位に輝いていた。
真っ直ぐに伸びた棒は他の生徒の数倍に及び、先生が呆れかえっていたけれど、私は忘れ物をするのがそれほど悪いことと言う自覚がなかった。

忘れ物のうちには、宿題や提出しなければならない物、お習字の道具とか上履き、家庭科の制作品等々。
家に帰ると、学校のことは頭からすっかり抜けてしまうので呑気に遊んでいたし、私の両親は勉強のことなど、この出来の悪い末っ子には無用と考えていたのかもしれない。
全くうるさいことを言わない両親で、もし先生からそんな話しを聞かされても、多分笑ってしまうだけだったと思う。

それでも先生に可愛がられて、楽しく通っていた。
今の学校なら、ギュウギュウ締め付けられていたかもしれない。
呑気な小学生時代が過ごせて、本当に良かった。
これも時代が良かったから。

今の小学校では考えられないかも知れないけれど、障害のある子供と普通に一緒のクラスにいた。
けれど、誰1人障害児を苛めることはなかった。
今の時代だったら、モンスターペアレンツが大騒ぎすると思う。
先生達がその子たちをとても可愛がっていたのを見ていたから、生徒達もそれに倣っていた。
そんなノンビリした学校だったのが幸いした。
思い起こせば私もいくぶん、なんらかの障害があったかもしれない。
もちろん今でも。

小学校時代の忘れ物は単に関心がなかったからなのに、最近のもの忘れは明らかに病気の領域に入ってきたかと思われる。
天国が近くなると、余計な物を持ってこないように、神様が手配しているのでは。
だからあちらこちらに忘れ物をしても、許してもらおうじゃないのと開き治る。
では、小学校の時は?と聞かれると、ギャフン、グウの音も出ない。
やはり先天性だったのか。

















2015年11月4日水曜日

アマチュアオケはウイーンフィル並?

先日アマチュアオーケストラの手伝いに行った。
私は当日のみの参加で、あらかじめ楽譜を送ってもらって譜読みだけして行った。
アマチュアオーケストラは、大抵年に一回定期演奏会をするために、1年掛けて練習をする。
だから譜読みはもう皆できている。
弾ける弾けないはともかくとして、なんとか辻褄を合わせてしまう。
アマチュアオーケストラもピンキリだから、えらく上手いところもあって侮れないけれど。

以前ベートーヴェンの「田園」を弾きに行ったら、ヴァイオリンとファゴットが完全にずれていて、収集がつかないはず・・・なのに、ある時点で急にぴったり合ったのでびっくりしたことがあった。
その技術に感心した。
これ皮肉でなく、あんな事が出来るのはどうしてなのか、考えてもよくわからない。
とにかく一緒に終った。

一年間練習しているのだから、指揮者がどう振ってもお構いなく自分たちのテンポで突き進むので、ハラハラしているうちに取り残されたり。
それはそれはスリルとサスペンスの世界。
なまじ指揮者の指示が目に入るといけないから、見ないようにして周りに合わせることにした。

世界的なオーケストラ、例えばウイーンフィルなどは、下手な指揮者が振っても(おそらくそんな人は来るわけがないけれど)自主的に自分たちで音楽を作り出す。
毎年恒例のニューイヤーコンサートなどは、たいていの指揮者はうるさく指揮せずに団員達に弾かせて、指揮台で踊っている。
デュトワとかマゼールが嬉しそうに指揮をしているのは、本当に素敵だった。

日本の小澤氏などは、あまりに小うるさく指揮をするので、ウイーンフィルの団員達はいつものウイーン節が出せず、不幸そうな顔をしていた。
演奏は立派だったかも知れないけれど、あんなつまらないニューイヤーコンサートを聴いたのは、初めてだった。
ウイーンの音楽はウイーンの人に任せておけばいいものを。

それでアマチュアオーケストラを弾いているとき、ふとそんなことを思い出していた。
彼らは棒を見なくても、自分たちで音楽の流れを作っているのだから、ウイーンフィルと一緒だなあ、なんて思わずニヤリ。

亡くなった大フィルの朝比奈隆マエストロ。
彼の指揮で何回か弾いた事があるけれど、マエストロの年齢が高くなってからは、指揮をすると腕が疲れてしまう。
それでテンポが保てなくなって、段々遅くなる。
でも彼はちゃんとテンポを作りたいのに、身体機能が弱ってきているのでままならない。
そこで叫ぶ。
「みんなあ、僕の指揮を見ないでよ~。見ないでどんどん弾いてよ~」
弾いてっておっしゃってもマエストロ、見えてしまうのです。
普通は指揮を見て欲しい。
でも彼は自分の腕が不本意に遅くなることを知っているから、この台詞になる。
だから極力自分たちで、さっさと弾くようにしていた。
そういう時には、コンサートマスターを頼りにする。

見ない方が良いマエストロだったのは、故山田一雄さん。
通称ヤマカズ、演奏者からこんなに愛された指揮者は、他にいない。
ダンディーでおっちょこちょいで。
指揮台にヒラリと飛び乗って、勢い余って反対側に落ちる。
落ちたところはチェロの真ん前。
ヤマカズさん、チェロのトップと悠然と握手をしたそうな。
時にはステージから落ちて、下から指揮をしながらよじ登ってきたというのは、有名な逸話となっている。
ヤマカズさんが指揮台に乗るとみんなニコニコしたけれど、指揮が始まるとうやむやで大変。
特にオペラ。
晩年、客席から「ヤマカズ引っ込め」のブーイングが飛んだ。

そういうこともあったけれど、それでも数々の名演奏を残して、今頃天国で胸のポケットからハンカチを出して振っているかも。
なぜハンカチかというと、これも有名な逸話。

現代曲の初演の時、途中で何かあったら胸のハンカチを出して振るから、それでコーダに飛んで終るという秘密の約束があった。
現代曲の初演に事故はつきもの。
誰も初めて聞く曲だから、わかりゃしない。
ところが指揮を始めてしばらくすると、ヤマカズさんは熱くなった。
汗を拭くつもりで、胸ポケットからハンカチを取り出した。
そうしたら、あっと言う間に演奏が終ってしまった。

ヤマカズさんの指揮は見ないで、感じていれば良かった。
指揮棒がどうあれ、素晴らしい音楽が流れていた。























2015年11月3日火曜日

ドイツ料理

もう何回も書いたから経緯は割愛。
時々女子会をする6人の女性。
いつの間にか私が幹事をさせられているけれど、そこは食べるの大好きだから研究に余念がない。
そのメンバーのうち4人がドイツ生活の経験ありなので、今回はドイツ料理に決めた。

住んでいる場所から考えて、東京駅に集合が一番良かろうと、新丸ビルの中のドイツ料理のお店に集合。
この店の評判をネットで探したら、料金が高すぎる、時間制限が厳しいなど批判的なことばかり。
だいたいドイツ料理は、あまり美味しくないと相場が決っている。
私が以前ドイツに遊びに行ったときには、食べ物の量が多くて不味いのに辟易したことがある。
そのイメージは拭いきれない。

ストラスブルグに住んでいた人が言っていた。
かの地はドイツ領とフランス領の間で、ドイツ側のレストランに行くと不味い、フランス側は美味しかったそうだ。

夕方皆がニコニコしてやってきた。
さっそくビールを注文。
私はビールがあまり得意でなく、小さなグラス半分くらいで飽きて飲めなくなる。
それでも最初に一口はビールを飲みたい。
注文したのは一番小さいサイズの黒ビール。
しかし、出てきたのはかなり大きかった。
こんなに飲みきれるかなあ。しかし、
な、な、なんと美味しい!
スッキリした味、細かい泡の喉越しの良いことったらない。
これならいくらでも飲める。

お通しは塩味のケーキ、ザワークラウト、アイスヴァイン、ソーセージ、ジャガイモなどお決まりのドイツ料理。
その日初めて季節の料理としてメニューに載った、キャベツとアイスヴァインの鍋。
鍋底に残ったソースにパスタを入れて、食べ尽くす。
これは美味しい。
私たちは開店時間から始めたので、今年の注文第一号なんだそうだけれど、記念品は出なかったなあ。
せめて花火を打ち上げるとかして欲しかった。
デザートはアプフェルシュトゥルーデルとコーヒー。
料金も思ったほど高くはなく、これで文句言う人は、居酒屋に行った方がいいかもしれない。

どの料理も洗練されていて、ドイツ生活が長かった人達は、ドイツではこんなに美味しくなかったと言っていた。
日本では何処の国の料理も、日本人に合わせて美味しくなってしまう。
白ワインもほのかに甘口で、全部美味しかった。

このお店に決める前に、フレンチレストランに電話をした。
同じフロアにあって、以前から行ってみたいと思っていた。
電話口に出た人が言うには、コースでなく単品で頼むと、非常に時間がかかると言う。
だからコースで頼んで下さいと?そんな馬鹿な。
私たちは色々食べたいので、いつも好きなようにアレンジして注文する。
その日の体調や季候によって、美味しく感じる物が違うので、コースでとることはまず無い。
ア・ラ・カルトですとお時間が非常にかかりますと言うから、どの位違うの?と訊くと黙ってしまう。
一つ出すのにコース料理の何倍もかかったら、お店の信用に関わるでしょう。
どいうこと?と訊いても真っ当な返事はない。
不愉快だからその店は取りやめにした。

ドイツ料理店に行く時に、そのフレンチの店の前を通ったら、お客さんは2テーブルくらいしか入っていない。
2時間後食べ終えて又その店の前を通ったら、まだガラガラだった。
スタッフが所在なげに、自分の爪を見ている。
こんなに空いているのに、無理にコース料理を勧めるなんて、結局6人もの陽気で食通のお客を逃したことになる。
店の都合ばかり優先すると、そのうち閑古鳥が鳴くのでは。




























2015年11月2日月曜日

ノラの冬支度

ノラ猫で、このあたりのボスであるシロリンは、最近急に甘える様になった。
原因は多分寒くなってきたから。
私の家の駐車場に物置があって、歴代ノラたちはそこで生活してきた。
シロリンはノラ歴長く、色々な家に出入りしていると思われるけれど、今朝餌をやりに行ったら、心細げに話しかけてきた。
「ねえ、暖房はまだ入れないの?」

そろそろ物置にアンカを入れた段ボールを置いてあげよう。
雌ノラのミッケは飄々としていて、いつも毛並みがきれいだから、もしかしたらどこかの家で飼われているのかも知れない。
それでも朝食は私の所でキッチリ食べて行く。

ミッケにもアンカ付きの寝床を提供してあげないとだめかな?
元々ミッケは飼い主が居たのに家出してきた。
とても上手く立ち回って歴代ボスについて歩く。
というか、ボス猫に私が餌をやるように連れてくる。
ミッケは上手く立ち回って、この辺を安住の地にしている。

時々元飼い主が情け無さそうに、物欲しげにミッケを見て、寂しそうに帰って行く。
飼い主に捨てられる猫は多いけれど、飼い主を捨てる猫というのは珍しい。
よほど餌がお気に召さなかったのか。

先代ノラは3年間ここに住んで、ある日突然姿を消した。
今のボス猫シロリンと熾烈な縄張り争いをしていたから、戦いに敗れたのかもしれない。
あまり人慣れしていなくて、3年目にやっと私に正面から顔を見せたほどの用心深い猫だったから、次の餌にありついているかどうか、いまだに心配している。

そして、交替してここをえさ場とするようになったシロリンは、最近やたらと愛想が良い。
3日程前、はじめて横腹を見せて、撫でることを許可して頂いた。
次の日は頭まで撫でるお許しが出た。
今日は冷たい雨が降っていて、いよいよアンカ付きベッドの支度をせよとの、ご命令。
はいはい!すぐに支度いたしますよ、ご主人様。

今年もノラ猫たちの一番辛い冬がやってきた。
どこのノラ達も餌と暖にありつけるよう、心から願っている。
冬が来れば春はもうすぐだからね。
頑張って生きて頂戴、世界中のノラさんたち。






















2015年11月1日日曜日

さてお次は

昨日、メンデルスゾーン「イタリア」の本番が終って、次は11月半ば、奥州市水沢でのお楽しみのコンサート。
ベートーヴェン「弦楽三重奏曲セレナーデ」
モーツァルト「ディベルティメント17番K.334」
シュトラウス「皇帝円舞曲」等々

水沢チェログループの指導者、チェリスト館野先生とは旧知の間柄で、時々お声がかかる。
数年前、館野さんの生徒と私の生徒が結婚して、ピアニスト館野泉さんを中心とする館野ファミリーのコンサートに招待してくれた。
チェロの館野さんと私は、オーケストラで以前一緒だったことがある。
それを知ったTさんが引き合わせてくれて、数十年ぶりに再会した。
長い年を経ていても、お互いに口から最初に出た言葉が「変わらないねえ」だった。
もちろんシワもたるみもたっぷり加わったけれど、気持ちはなんの変化(進歩?)もなく、雰囲気は全く同じ。
それ以来夏の松原湖のコンサートに出演お願いしたり、新潟のチェログループのコンサートに参加したりと、生徒のY夫妻と一緒に楽しむようになった。

Y夫人のKちゃんは美人で気立てが良く、館野先生はもとよりこのグループの皆に好かれている。
それで、牛にひかれて・・じゃないけれど、Kちゃんにひかれて水沢や新潟にのこのこ出かけていく。
もとより旅行大好き、室内楽命だから、喜んで飛んで行く。
お酒美味しい、魚美味しい、新潟も奥州も良い。

さて、今回私がどんな曲よりも好きなモーツァルト「ディベルティメント17番」

「あなたが無人島で1人で暮すことになって、一つだけしか持っていけないとしたら、どんなものを持って行きますか?」という質問があるでしょう。
私はもちろんヴァイオリンだけど、それがダメならこの曲のCD。
プレーヤーもセットで許されるならだけれど。
CDだけだと、烏よけにしかならない。
それより、無人島に電源があればのはなし。
太陽光発電が出来ることを祈る。

この曲を弾くのは今回で4回目。
演奏時間1時間ほどの大曲で、弦楽5部にホルン2本の編成。
今回は時間の制限もあるから抜粋で1楽章、3楽章、フィナーレのみ。
それで半分、でも30分近くなる。

ファーストヴァイオリンは休める小節がほとんどない。
譜めくりができないほど弾き詰めとなる。
それで楽譜を切り貼りして、たった2小節の休みで3枚の楽譜を入れ替えたりしないと間に合わない。
弾くことよりもこちらの心配の方が大きい。
モーツァルトの数ある曲の中でも難曲の部類に入るのは、その長大さ、終楽章のテンポの早さと、跳躍の多い音程。
1楽章が始まってから40分以上経って、漸く最終楽章にたどり着くと、待っているのが最大の難所。
最後のページが見えた時の達成感と安堵感は、山頂が見えた時の登山家もかくやかと思う。
全楽章通して、軽やかに華やかに、喜び一杯で弾き通すことができれば嬉しい。

東京から友人2人が参加して、私をサポートしてくれることになった。
コンサートが終ったら温泉に泊って、次の日、レンタカーで平泉あたりをドライブして、東北の秋を堪能しようという計画だけれど、紅葉には少し遅いようで、ちょっと残念。
女3人、ペチャクチャ、さぞ賑やかな旅行になることでしょう。