今日は大晦日なのに、やはり掃除のやり残しがあって、レンジフードはまだ油で汚れている。そのほかキッチンのブラインド、きれいなピンク色だったのにベージュ系に変色。これだけは今年中にと思っていたけれど、もうめげた。それで今日はのそのそ買い物にいったり、こうしてパソコンで遊んだりを決め込んでいる。パソコンを立ち上げると真っ先にニュースのページが出てくる。そこにこんな記事が。
かたずけられないのは怠け者の性格だけではなくADHDという脳の癖である。一種の病気のうちなのかな。性格としては、待てない。注意力が持続しない等々。あら、ぴったり。私はおよそ行列に並んで待っていられない。注意力はない。すぐに次の事や目先の珍しさに目が移ってしまう。なるほど、これだったのね。病気かあ。それなら私は可哀想な人なんだ。ウフフ、よかった。ところがその対策としてこんなアドバイスがされている。
物を減らす。物が多すぎるからいけないのだから捨てなさい。
大切なものだけキープ。大事な書類などはきちんとまとめてしまっておく。
道草をしない。かたずけている最中に雑誌の記事など読まない。
置き場所を決める。用途に応じてひとまとめにして、使ったらもとに戻す。
期限を決める。かたずけを先延ばししない。
人の手を借りる。これは得意。
しかし、このアドバイスが聴けるようならとっくにうちはかたずいている。これが出来ないからゴミ箱ひっくりかえしたような部屋になるのだから。評論家という人種がいる。私はなにが嫌いってこの職業が一番きらい。ひとのやったことをあれこれ取沙汰してメシを食うなんて、一番ゆるせない。たしかに知識も豊富、弁もたつ、しかし、実際に活躍していた人ならいざ知らず、知識だけで人のことあれこれ言えるなんて、結構な商売じゃありませんか。そう思いませんか?ちょっと飛躍し過ぎた?自分ができないからってニュースに一々目くじら立てて今年もくれていくのか。本当に成長しないで一生終わるのか。来年もこの調子で息巻いて生きてゆくつもりです。
皆さんどうぞ良い年をお迎えください。
2011年12月30日金曜日
向き合わないと目に入らない。
シーツを取り替えようと思ったら、びりびり破れているのが目に入った。ん、いつからこんなにボロボロなんだろう。いつも洗濯するときに気が付かなかったのも不思議。だって、かなり大きな破れ目なんだから。そういえば、シーツもずいぶん長いこと買い換えていなかった。私の家系は奇人変人揃い。兄弟姉妹といわずご先祖さまも噂によればかなりのものだったらしい。ほとんどが身なりにかまわない。頓珍漢、注意力散漫、等々。一応普通に社会生活を送っているから危険人物はいない。兄弟集まると「うちって皆変だよね」と言って笑ってお酒を飲む。いい酒の肴になる。その奇人家系の私は家の埃もそうだけど、結局注意がそちらに向かないと気がつかないらしい。以前とても気に入ったシャツがあった。色も形も材質もすべて気に入っていたので何年もそればかり来ていて、ある日ふと袖口を見ると白いものが出ている。よく見ると、シャツの袖口が擦り切れて、中の芯が出ていた。よくよく見ると前立て部分の二重になっている裏の方はあざやかなブルーで、表は羊羹色に近く焼けている。それを着ている私を見た人は「気の毒に、きっと生活が苦しいのだ」と思ったに違いない。たしかに貧乏ではあったけれど、シャツを一枚しか持っていないわけではなく、気に入るとそればかり着てしまうのが原因なのだけれど。さすがに気が付いてしまうと着られなくなってしまった。いまだにそのシャツの事はは思い出す。仕事を始めてからお正月らしいお正月を迎えたことがなかった。うちが汚いなんて気が付かなかった。いや、気が付いていてもどうにもならなかった。いつも一番忙しい時期で、あっという間に暮れも正月もうやむやのうちに過ぎてしまった。今年初めて大掃除もお正月も普通にできそうだ。シーツも新しくしよう。掃除もしよう。惜しいことに自分は新しく出来ないから古いまま。そこんところ、なんとかならないものでしょうか。
2011年12月29日木曜日
大掃除
おお!掃除。何が嫌いって・・・掃除大嫌い。だからと言ってしないわけにいかないのが癪に障る。手は汚れ油がすっかり抜けてしまって、ヴァイオリンを弾くときに指が滑らなくなる。当然音程が悪くなる。色々な洗剤を使うから、もしそれが猫の飲み水に入ったら危険だし。おおいやだ。と思いながらも今日はせっせと大掃除。普通の人から見たら私のやった掃除などは、毎日の掃除の縮小版にしか見えないと思う。しかし、私にとっては大変な苦労なのだ。日頃汚くても苦にならないのに、掃除に面と向かうと、なんて汚いのだろう。前に地デジアンテナを取り付けてくれた人が、配線を床の周囲に沿わせるときに「汚い、くさい」って絶叫していたけれど、その時は「そう?」みたいに何も感じなかった。「うちはいつもこうなのよ」みたいな感じで。でも、いざ自分で掃除を始めると成程、汚い、くさい。長年開けていなかった浴室のランドリーワゴンのカゴ、ひっくり返してみたら「うわー」長い間なぜか台所の窓枠の上にぽつんと置かれていた缶詰。外側がさびてきたので捨てようと開けてみたら「ぎゃーっ」中身が真っ黒になっていた。缶詰は真空だから絶対腐らないのかと思っていたのが大間違い。昨日は中身をちょっと見ただけでゴミ収集に出してしまった段ボール箱。一応仕分けをしなければいけないから確認をしたけれど、必要かそうでないか考えると捨てられなくなるので、箱ごと捨ててしまった。もしかしたら大事なものが入っていたかもしれない。それにしてもなぜこうも物がたまるのか。必要だと思って買っても、使うのは最初の一、二回。物は沢山あるのにお金がないわけがようくわかりました。家がきれいになって気持ちがいいかと思ったら、これだけの努力に拘わらず、ほかのお宅のちょっと汚めの感じにとどまっている。賽の河原で石を積んでいるようなものだわ。無駄な努力をしたという不毛な感じが否めない。あ、うちは不毛ではなかった。猫の毛がどっさりあるから。
2011年12月27日火曜日
又忘年会
今年は「打ち上げ」とか「お疲れ会」とか名前を変えては何回宴会をしたことか。12月の後半は夜家にいることは少なかった。昨夜はかつて松本で仕事をした時の仲間が集まって忘年会。松本の仕事については何回も書いているけれど、その時の仲間が口を揃えて「あんなに楽しかったことはない」と言うくらい、皆の印象に残っている。ヴァイオリニストの外山滋さんを中心としたアマデウス弦楽合奏団は日本各地、特に新潟、富山、長野などでのコンサートが多かった。外山さんはソロのほか指揮もなさったけれど、松本の頃は耳の病気になられて大変な時期だった。芸大の教授も退官なさって失意のさなかだったけれど、集まったメンバーがアンサンブルの名手揃いだったために、毎日なんの支障もなく素敵なコンサートになって、大変に喜ばれていた。病気のいきさつを知っていただけに、最初のリハーサルで目があったとたん泣き出すのではないかと思われるほどの悲痛な表情をなさったのが忘れられない。しかし、練習が進み松本でのステージが始まると、外山さんも本当に楽しそうで毎日ニコニコとステージをこなされていた。病気になる前は信じられないほどの過密スケジュールをこなし、どちらかというと腕に任せて弾き飛ばしておられたような印象があったけれど、病後は一つの曲をとことん完成させて臨むような着実さで、以前にもまして正確な演奏になっていたのには心底脱帽した。元々国際的なコンクールの審査員をなさるほどの名手だったし健康にも絶大な自信があった方なので、耳を傷めた時には人生が終わったように感じられたと思う。それがこの松本でのコンサートで、かつての陽気さをとりもどされたのではないか。そして今、四国在住の外山さんも、松本の時のメンバーでコンサートが開きたいとおっしゃっているらしい。昨夜はヴァイオリンが4人ヴィオラが一人、そしてマネージャーの6人が大岡山の蕎麦屋で、語りつくせないほどの思い出話に花を咲かせた。この次は4月頃に今日は来られなかった人もさそって、鎌倉散策に出かけようと話がまとまってお開きとなった。
2011年12月26日月曜日
ウー寒すぎる。
昨日の夜の「第九」は下高井戸の住人に聴かせるためのもので、会場は地元松沢小学校の小アリーナ。半地下になっていて、窓を開けるとちょうど大人の上半身が表の地面の高さになる。その表の地面に観客用の椅子が並べられ、演奏は半地下で窓を開けて行う。この寒いのに窓をあけて・・・。想像もつかなかったけれど、昼間のクラシックパーティーが終わってから駆け付けた。すでに練習は終わりころだったので、最後の数ページだけ弾いて本番を迎えた。カジュアルなコンサートだから服装は自由、上に(しもたかフィル)のTシャツを着ることだけが条件になっている。足元はストッキングの上から分厚いソックス、腰に貼るカイロ、指の出る手袋、首にスカーフ、頭に帽子とおよそ演奏会らしからぬ装いで臨む。会場の外には開演前からダウンコートにくるまった人たちが椅子に座っている。お年寄りや子供たち、1時間近く我慢できるのだろうか。それよりも演奏するこちら側の心配は、冷えでお腹が痛くなったり、指が回らなくなったりしないだろうか。開演直前、大きな窓が全開となると、冷たい空気が流れ込む。その時点ではまだ気持ちが良いと思える。シュトラウスのポルカとワルツが終わり「第九」のソリスト、コーラスが入場、おやおや、コーラスは白いブラウスにロングスカートの正装、ソリストも長袖のイブニング。もうこの頃には私たちの指は真っ赤になっていた。となりの痩せた男性が震えているので、張っていたカイロをはがして貸してあげる。私は寒いのは嫌いではない。いつも雪山で氷点下の気温で遊んでいるのだから、このくらいの寒さはものともしないけれど、やはり楽器を弾くにはふさわしくない。でも人間は意識を集中させるとほかのことは気にならなくなるという能力がある。楽譜を追っている間は寒くない。終わってどれだけ冷えていたかが急に実感される。打ち上げでは珍しく熱燗の日本酒を飲んで、よっぱらって帰ってきた。
2011年12月25日日曜日
今日も晴天
冷え込んできた。いよいよ冬本番、寒いのは大好き。でもノラが心配。今日は日曜日だからノラの出勤が遅い。どこかの家で朝食にありついているにちがいない。クリスマスイブのローストチキンの残りをあげようと思っていたのに。どこかのお宅でも昨日のチキンかターキーかをノラにあげているのだろうか。家に上げてもらえるといいけれど。さて今日は音楽教室の弾きながら楽しむパーティー、称して「クラシックパーティー」会場のスタジオが世田谷の判り辛い住宅地にあるので、たどり着けるだろうか・・・それが心配。練習途中でも、初見でもいいから何か一曲弾いて、お茶やワインを楽しんで、ワイワイするという趣向。私はまたFUMIKOさんとしつこく「パッサカリア」、まだ花丸はもらえない出来栄えだから、しつこくリベンジする。この催しは先日亡くなった小田部ひろのさんがいつも準備をして下さっていた。でも、今はその人もなくさびしいけれど、火を絶やさないように続けていかなければならない。それが終わると下高井戸に駆けつけて「しもたかフィル」の「第九」のお手伝い。練習に出られないからぶっつけ本番。覚えてるかなあ。弾けるかなあ。それも心配。それにもっと恐ろしいのは、下高井戸商店街の人たちに強制的に「第九」を聴かせようと窓を開け放つというのだ。これは寒い、ひどい。会場の小学校の体育館が狭くて、お客さんが入りきらないと困るというのでそうなったようだけれど、今から震えがくる。レッグウオーマー、帽子、指の出る手袋、カイロ、マフラー、あらゆるものを持っていこう。一杯ひっかけてからなんて手もあるけれど・・・。
2011年12月23日金曜日
久しぶりの休日
バタバタ忙しくしていたので今日はやっと休日になった気分。生協に肉と野菜・お米を取りに行く。どんよりして寒い朝、ノラが訴えかけるように鳴く。昨日初めてノラと触れ合った。と言っても、ノラがいきなり引っ掻いてきたのだけど。私が持っている餌が食べたくて早く寄越せという意志表示。それでも、初めての近距離でのお付き合いで、ヒリヒリする傷が化膿しないかななどと考えながら、そこまで近付いてきたのはほんの少し進歩かなと思ったりする。その生協は特に肉がおいしい。ノラには少し贅沢だと思いつつ私の昼用のお肉をおすそ分け。うちの猫たちはいつでも食事制限されて、食べきれなければさっさと片付けられてしまうのに、ノラにはかわいそうでつい甘くなる。寒さを我慢しているのだから。いよいよ寒さが厳しくなってきたので、ノラの小屋を作って住まわせる計画をしている。レッスン室のベランダに細いはしごをかけて、そこに小屋を置いてあげようか・・・とか、物陰になるところに小屋を置こうかなど考えるけれど、一向に実行できない。最近なんでもふんぎりをつけるのが遅くなってきた。まず、ホームセンターに行って犬小屋をゲットしようと思うのに、休日だから混んでいると思うと、もう腰が上がらない。猫だから自分の身は自分で守れるさ、などと考えてしまう。それにはわけがあって、駐車場の物置に寝床を作ってあげたのに一向に入らないので、やたら作って無駄になっても・・・という思いもある。初めのうちは物置に寝泊まりしていたようだけれど、近所の住人に脅されたらしい。私がノラを保護し始めた途端、野良猫に餌をやるなという回覧板が回った。どうしてこの辺の住人は、こう意地が悪いのだろうか。こんな小さな動物がいてもなんの支障もないのに。
久しぶりにヴァイオリンを弾いたら、すっかりヴィオラの弾き方になっていて中々もとに戻れない。今日、明日2日かけて徐々に戻して行けるかどうか。やれやれ。
久しぶりにヴァイオリンを弾いたら、すっかりヴィオラの弾き方になっていて中々もとに戻れない。今日、明日2日かけて徐々に戻して行けるかどうか。やれやれ。
2011年12月22日木曜日
ブログ投稿する気力もない。
この7日間あまりにも沢山の出来事があったので、nekotamaの投稿が間に合いません。全く整理整頓ができないのは部屋と頭の中。小田原の3日間はとにかくエネルギッシュなロンドン人たちと愉快に過ごしてコンサートも無事(ではなかった。私がステージに出た途端メガネを取りに引っ込んだり)に終わったことにして、小田原人たちの盛大な歓迎を受けたり・・・そのあと2日間の箱根は超豪華ホテルでの生活。2人のイギリス紳士は実はものすごい茶目っ気たっぷりの坊やたちだと判明。一日中笑って過ごした。帰宅した次の日はお祝い事が昼夜あって、横浜方面から都心へ走り回る羽目になった。昼は私の長姉の誕生祝。姉は足が悪くて外出出来ないので、兄弟そろって姉の家まで出かけた。鍋にいっぱいのスープを作り、幕の内弁当で食事。そのあとはバースデイケーキにろうそくを点けて姉が吹き消す・・・はずが肺活量が無くて中々消えない。ようやく消して皆でむしゃむしゃ。昼食を食べすぎたのに、そのあとは友人の還暦祝いが待っていた。お祝い事のはしごは初めてで、それは大変おめでたいことだけれど、胃がもつかどうか心配だった。友人は今東京交響楽団で弾いているので、還暦祝いの席はたぶん知らない人もいることだろうと思ったら、なんと、感激!私の仲の良かった懐かしいひとばかり。気を利かせてメンバーを選んでくれたらしい。懐かしくうれしく話が弾み、料理もおいしくて一日美味しく過ごした。今朝鏡を見たら、なんだか顔が真ん丸で、新年からはダイエットに励まないと若い人に「ふとっ!」なんて言われそう。
2011年12月20日火曜日
ノラや。
小田原のコンサートが終わってから二日間は家にも帰らず遊びほうけていたけれど、小田原の駅前でみんなとさよならをして、家に着くとノラがさっと寄ってきた。かわいそうなノラは私がいなくなってさぞ心配したことだろう。一応姉に世話を頼んで出かけたものの、頭からノラのことが離れず遊んでいてもふっと思い出す。この2,3日、氷点下の寒気がきている。これから約一ヶ月半はひどく寒いから命がもつだろうか。もう少し馴れてくれれば医者にも診てもらえるし、中にも入れてあげられるのに。いまだに手を出してもおびえるだけ。いつになったら信頼してくれるのか。最近とんと物置の寝床に入っていないようだ。温めて入れてあるカイロにも寝た形跡がない。いつも見受けるのは、冷え冷えとしたコンクリートに寒そうに丸くなって、じっとこちらを見ている姿。しかも私が帰った時には物置のドア前に寒風をふさぐために取りつけていたベニヤ板がはずれていて、風が吹き込む状態になっていた。いつからこうだったのかしら。しかも、餌は全部食べつくされていた。早く春になってもらいたい。いつもは冬が好きで、春は体の具合が悪いうえに花粉症持ちの私は春が来るのが嫌なのに、ノラのためだけならば早く春が来てほしいと願っている。見受けたところかなり年もとっているようだから、とりわけ寒さはこたえるにちがいない。なにか手を打たないと凍えてしまう。どうしたらいいのか只今思案中。
2011年12月19日月曜日
コンサートが終わって
昨日は小田原で昼間のコンサート。トーマス キャロルの圧倒的な音量に巻き込まれ、素敵な時になった。小田原あまり外国人の音楽家は来ないというので、観客も楽しんでいたようだ。終了後市内で食事を済ませて、箱根に車を走らせる。離宮というホテルに泊まることになっているので、夜の山道をくねくねと登った。現れたホテルに思わずおお!と感嘆の声が上がる。駐車場はほぼ満杯。12月のこんな時期にこれほどの泊まり客がいるので驚いた。メンバーは地元の志帆さん以外の演奏者と、共通の友人でバイオリニストの絵美さん。今回私に声を掛けて下さって、私が演奏のお仲間に入ったという経緯がある。彼女はずっとロンドンアンサンブルのお世話をしてきたので、彼女がビオラを弾くのがいちばんいいけれど、普段ビオラは弾いていないので、私にお鉢が回ってきた。私より若いのだから、これから練習すれば来年は彼女が参加すれば私は観客席で高見の見物ができるというもの。今回本当に楽しかったけれど、いささか疲れて今日の箱根を楽しみにして弾いていたようなものだから、彼女に頑張っていただかないと。というわけで、にわかビオリストはきょう
でお役ご免、帰ったら又バイオリン弾きに戻ります。しかし本当に楽しかった!
でお役ご免、帰ったら又バイオリン弾きに戻ります。しかし本当に楽しかった!
2011年12月16日金曜日
小田原にて
最近秦野だの小田原だの神奈川県の西部に行くことが多い。東名の海老名パーキングエリア上り線にはスーパーマーケットまでできたそうで、帰りに寄ってみようと思って出かけた。空は晴れて暖かく絶好のドライブ日和。富士山は見えなかったが、大山連峰が出迎えてくれる。大山はかつては私の住んでいる東横沿線からも夕日が沈むのを見ることができたと言うと驚く人も多いでしょう。でも、いつも夕日に向かって兄弟そろってずらりと並び(6人もいたので)日が沈むまで見ていたのだった。だから、こちらの方面はいつも懐かしい気持ちがする。厚木から小田原道路に抜ける。インターを出てすぐにパーキングエリアがあって、そこでお昼ご飯。鯵天丼と言うのを頼んだ。少し待たされたけれど、出てきたのはカリッと揚がったおいしい天ぷら。いつもはダイエットの敵なので、天丼などは食べないのにどうして頼んだかと言うと、以前松田の町営公民館で食べたアジフライ定食がものすごくおいしかったのを忘れられなかったから。期待にたがわすおいしくて、たらふく食べてしまった。そして小田原市内に。目指すのは今日のリハーサルの場所である、小田原城近くの楽器屋さん。お初にお目にかかるトーマス・キャロルは今超売れっ子のチェリストで、先日は上野の芸大の旧奏楽堂では、圧倒的な演奏だったそうだ。やってきたのはチェロを軽々と担いだ大きな人。真ん丸の目が愛くるしい。いたずらっ子がそのまま大きくなってしまったような男性で、聞きしに勝るダイナミックなチェロの音は、でも、決して威圧的でなく周りを包んでくれる。陽気であるけれど、演奏の姿勢は厳しい。特にモーツァルトは下から楽々と支えられて本当に楽しい。私以外のメンバーは小田原に泊まるけれど、私はうち猫とノラの世話があるので早々に帰宅。明日もリハーサルがあるので、小田原詣では3日間続く。
2011年12月14日水曜日
ヴィオラは歌う
もう人前で弾くこともないだろうと思っていたかわいそうな私のヴィオラ。久しぶりに日の目を見ることとなったのはいいのだが、拗ねてしまったか、鳴らない。原因は絃が変わったことと、ほったらかしにしてあったこと。弦は以前ガット弦のオイドクサーを使っていた。ところがこの頃この絃は評判が悪く、扱っている楽器店が少ない。品質が極端に落ちたそうで、急に巻き(ガット弦は羊の腸に銀の細い糸が巻いてあるもの)が緩んだり、根元から切れたりするそうなので、怖くてつかえない。でも、この楽器には一番よくフィットしていたのに。それで今はドミナントを使っているが、やはり音質がいまいち。初めはオリーブを張ってみた。一番低い絃が非常に張りが強すぎて手こずっていたので、またドミナントに逆戻り。そうこうしているうちにやっと音色が替わってきて、昨日初めて楽に弾けるようになってきた。楽器が鳴り出せばもう力まなくていい。ほんの少しの力で響き始める。私のように手足が短く非力な者でも、楽器はのびやかに歌ってくれる。驚いたのはコルセットの影響だった。用心のためにほとんどコルセットを着けて生活している。腰や足の状態はそのほうが楽だし、着けていてもなんの支障もないと思っていた。ところが練習に入るとどうも体が思うように動かない。試しに取り外して弾いてみた。なんと!!!音が変わる。これほど体と楽器は関係が深い。体のどこかが固定されてしまうと、全体の動きに影響することは楽器を弾く動きにも影響するということで、どれだけ全身運動なのか良くわかるというもの。もちろん呼吸にも作用するだろうし、体調がいかに楽器にも影響するかは知れ渡ってはいるが、こんな小さなことでも違いが出るとは!本当に体は大事にしないといけないと痛感した。顔が多少難ありでも、頭が少しごめんなさいでも、体は丈夫でないと。でもその体もあまり丈夫ではないから、ほとんどいいとこなし。ああ、本当に残念!ヴィオラちゃん、ひとつ頼みますよ。あなただけが頼りなんだから。
2011年12月13日火曜日
コルセット
整形外科で頼んでおいた医療用コルセットが出来上がった。それがあれば百人力と思ったけれど、とりに行ったらなんだか前のより丈が短くて、しかも曲線が変。脇がデコボコ。あら、期待外れですこしがっかり。装着してみてもなんだかしっくりこない。前に作ってもらったのは締めるととキュッとウエストが固定されて、気持ちがよかったのに。ウエスト部分が極端に短く縫製がよくないのか、体の線にフィットしない。困ったなあ。作り直してもらうには時間がないし、仕方がないこれでいくか。がっかりしていたら、一番上の姉から軽くて暖かい美津濃のダウンジャケットが送られてきた。姉は私よりも13歳年上。ほとんど母親代わりで育てられた。中学生になるまでは、この姉に抱っこされて寝ていたのだから。私の遠足の付添に行って「お母さん」と呼ばれてプリプリ怒っていたのを思い出す。いつまでたっても姉は姉なんだなあ。今日もいいことと悪いことが一つずつ、私はこうやって親兄弟友人に守られて、平穏無事に生きられるのだといつも思っている。ご先祖様も守ってくれているらしい。有名な占い師の姪御さんを持つ方が、私のことを占ってもらったところ、私には3人の貴人がついていると言われたそうな。その方は嬉しそうにわたしにそれを報告にきた。それに対して私は罰当たりにも「きじんって奇人変人の奇人ですよね」と茶花したものだから、猛烈に怒ったことがあった。冗談でもそういうことを言うものではありませんっ、と叱られて私はクシュンとなってしまった。悪いこともいいことも平均的にやってくる、それはある意味すごく幸せなことなのかもしれない。もう少し大金持ちになるとか素晴らしい才能があるとか、そんな風になってみたいとは思うけれど。
2011年12月12日月曜日
言ってみるもんだ。
先日買った小型スーツケース、デザインと色に惹かれて選んだのだが、寸法も慎重に計ったつもりだったのに少し小さい。以前持っていたのは、本体にもの入れがたくさんついていてマチも十分とってあったので、小さい割には沢山ものが入った。そのかわり、あれもこれもと入れるのでツチノコのような姿になって全国をもち歩いていた。寸法は同じくらいなのに、物入れの威力は絶大で、いくらでも詰め込んでいたために壊れてしまった。今度買ったのはデザイン重視、外側にもの入れは薄いものが一つだけ、しかも型崩れしないようにマチもなし。結局コンサートの日にドレスと靴、化粧道具、楽譜、メガネなど入れるにはとてもいい大きさだけど、旅行用としては使えない。それを先日愚痴っていたら奇特な人が現れてスーツケースを頂いてしまった。届いたのは真っ白で銀色のビーグル犬のシルエットのついたおしゃれな物。このようなものを持っているのは誰あろう、あのおしゃれなヴィオリストのFUMIKOさん以外にはみあたらない。大きさもちょうどいい。というわけでワッハッハ、言ってみるもんだわ。今度はヴァイオリンが欲しいと言ったら誰か送ってこないかしら。いいえ、古いのでいいんですよ。もう、300年くらい経って枯れきってしまったので我慢しますから。できれば頭文字がSが欲しいのですが、Gでも、もちろん結構です。弓はそうですね、PとかTなんかがいいですね。もう古いからすてようと思っていたのがあったら下さい。なーんて、夢のような話。でも言い続けたら慈悲心のある人が、もしかしたら・・・いるわけないね。
2011年12月10日土曜日
変な体質
一昨日までは5分くらい立っていると右足が痺れてきて立っていられないくらいだった。昨日は電車で東神奈川まで出かけられるまで恢復してきた。でも電車は座れたし、コンサートも座って聴いたから問題なかった。今日は横浜の画廊で弾くので立っていられないと困るけれど、最悪の場合椅子に座らせてもらうように頼んでおいた。たしかに火曜日に練習した時は長くは立っていられなくて、ほとんど座っていた。座って弾くのは弾きにくい。オーケストラやアンサンブルの時以外の練習はずっと立っている。今日になって、もしかして立てるかもしれない、ほとんど確信したので現場にいってから椅子はいらないと言うと、主催者はやはり心配だから椅子を置いておきましょうと言って、小さな椅子を用意してくれた。ふしぎなことに本番前になると足のしびれは全くなくなった。3,40分程の曲目をを2ステージ、相棒はお馴染みのヴィオラのFUMIKOさん。いまだに完璧にならないヘンデルのパッサカリアを皮きりにクラシック、ポピュラーとりまぜての楽しいプログラムだけど、お客さんは聴いていたのは初めの方だけで、あとはお仲間と絵の鑑賞とおしゃべりに花を咲かせている。それは別になんとも思わない。私たちは根っから弾くことが好きだから。今日に合わせたかのように足が治った。やはりまだ演奏するようにと神様が言っているのかしら。変な体質だね。本番があれば熱も下がる、足も治る、頭痛も飛んでいく。演奏が健康の源だとしたら、幼少のころから虚弱体質だった私が、今元気でいられるのも楽器のおかげなのかもしれない。
2011年12月9日金曜日
珍事
すでにツアーに入っているロンドンアンサンブルの今日は東神奈川かなっくホールでのコンサート。ご招待いただいて客席で聴いた。初めにアルビノー二の「アダージオ」東日本大震災の被災者に捧げる一曲目。いつ始まったかわからないくらいの超弱音で始まる。美しいハーモニー。それだけでもうウルウル。だめだ、これは、今日は泣いてしまう。でも二曲目は明るいモーツァルト「フルート四重奏」そこからはパガニーニ「モーゼ変奏曲」ラフマニノフのトリオ二曲、リチャードの尺八!で「雲井獅子」サラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」リスト「愛の夢」おしまいにムソルグスキー「展覧会の絵」アンコールにブラームス「ハンガリアンダンス1番」
事件が起きたのはタマーシュが滔々とツィゴイネルワイゼンのスローな部分を歌い上げ、繰り返しをちょっと間違えたのはご愛嬌のうち。多少集中力が揺らいだけれど、そのあとはさらに調子が上がって見事に歌い上げ、そして、待ってました!狂ったように早くなってあとひとくだりと言うところで、急に音程が外れたと思ったら、止まってしまい調弦を始めた。巻きがもどってしまったのだ。最後の最後なのに惜しい!でも慌てず騒がず彼は途中から弾きなおして拍手喝采だった。こんなこともあるから、本番はおそろしい。パガニーニの「モーゼ」は元はヴァイオリンの曲。それをチェロで弾くのだから超絶技巧なのを、古典音楽協会のチェリスト、重松さんは見事に弾いてのけた。本当に上手い。物静かな性格だから普段は淡々としているが、どうしてどうして、骨太の演奏だった。あとちょうど一週間後に私が加わる小田原の分の練習がはじまる。チェロは今イギリスで大人気だそうな、トーマス、そしてヴァイオリンはシカゴで活躍している日本人の志帆さん。この私はどこでも活躍していないし人気もない。まあいいでしょう。上手な人に挟まれてズルズルとひきずられていればいいのだから。2時間余り座席に座っていると足が少し痺れてきた。まだ完全ではないけれど、ずいぶん良くなった。
事件が起きたのはタマーシュが滔々とツィゴイネルワイゼンのスローな部分を歌い上げ、繰り返しをちょっと間違えたのはご愛嬌のうち。多少集中力が揺らいだけれど、そのあとはさらに調子が上がって見事に歌い上げ、そして、待ってました!狂ったように早くなってあとひとくだりと言うところで、急に音程が外れたと思ったら、止まってしまい調弦を始めた。巻きがもどってしまったのだ。最後の最後なのに惜しい!でも慌てず騒がず彼は途中から弾きなおして拍手喝采だった。こんなこともあるから、本番はおそろしい。パガニーニの「モーゼ」は元はヴァイオリンの曲。それをチェロで弾くのだから超絶技巧なのを、古典音楽協会のチェリスト、重松さんは見事に弾いてのけた。本当に上手い。物静かな性格だから普段は淡々としているが、どうしてどうして、骨太の演奏だった。あとちょうど一週間後に私が加わる小田原の分の練習がはじまる。チェロは今イギリスで大人気だそうな、トーマス、そしてヴァイオリンはシカゴで活躍している日本人の志帆さん。この私はどこでも活躍していないし人気もない。まあいいでしょう。上手な人に挟まれてズルズルとひきずられていればいいのだから。2時間余り座席に座っていると足が少し痺れてきた。まだ完全ではないけれど、ずいぶん良くなった。
2011年12月8日木曜日
いくじなし
12月に入って車のタイヤをスタッドレスに交換したい。いつもなら物置からヨッコラショとタイヤを出して車に積み込むくらいは必死でやればできたのに、今年はお手上げ。そんなことをして足腰を痛めたら大変だから日産マンのお助けを頂くことにした。快くやってもらえてこれで今年の冬も安全・・・かどうかはわからないけれど、ひとまず安心していられる。そんなこんなで足は大分良くなって今日は渋谷まで教えに出かけられた。本当にほっとした。これから月末までしばらくは足が言うことを聞いてくれないと、悲惨なことになる。一時はロンドンアンサンブルのエキストラを頼まなければいけないかと、暗い気分になりかかった。私だって時には落ち込むこともあるのです。が、生来の楽天家なので、たいていのことは乗り切ってきた。今までは。でも、これからは、そうはいかないかもしれない。自分がいくら頑張っても肝心の体が言うことをきかなければあきらめなければいけないことが次々に出てくることだろう。そんな時に落ち込んでしまうと、自分の今までの人生なんだったのだろうと厭世的になってしまう。私は自分があまりにもしっかりしていないので、人の世話になるのは大好き。嬉々としてお世話になることにしている。ペットボトルのふたを見知らぬ人に開けてもらうのは何回やったことか。網棚の荷物は取ってもらうことにしている。駐輪場で自転車を運んでもらう。階段で荷物をもってもらう。体が小さいからけっこう頼まなくてもやってもらえることが多い。先日テレビでかつて長寿で有名だった金さん銀さん姉妹の長寿の秘訣を取り上げていた。銀さんの娘さんたちは平均年齢80歳というやはり長寿であるらしい。娘さんたちに銀さんは自分のことは自分でやれと教えたそうで、この人たちはしっかりと人の手を借りず今でもお元気で生活している。私は無理だなあ。大体今でもビンの蓋はあけられない。開ける時は中身が煮えてしまうほど温めないとダメ。猫は役にたたない。
2011年12月7日水曜日
練習不足?
毎日起きるたびに少しずつ良くなってはいるけれど中々治らない足のしびれに、さすがの能天気な私もいささか憂鬱になりかけていた。特に土曜日にギャラリーコンサートがあり、ヴィオラとのデュエットなので本来椅子に座ってというわけにはいかない。かといって痺れを我慢して立って弾くと集中力が切れるから、一応椅子を用意していただくことになった。足の悪いパールマンのような演奏家もいるから絶対立って弾かなければいけないことはないが、普段から立って練習しているので弾きやすさはやはり立っている方がいい。今朝かなり調子が良くなったのでしばらく立って練習。府中まで出かける用事があって車で4時間ほど家を留守にして、帰ってから1時間半、おや?大丈夫だ。いままでかなりこわごわ練習にも力が入らなかったのが、思い切り弾いているうちに足のことは忘れてしまった。そして、あら治ったみたい。このところ、ロンドンアンサンブルにお付き合いしてあまり練習時間がとれなかったのと、煩雑なことが多くて、よくよく考えればろくな練習をしていなかった。足が痛くなると、それに気を取られ全身のバランスが悪くなって、風邪をひいたり頭痛がしたり体調も崩れてしまった。まもなく本番だと言うのでやっとシャキッとしてきたらしい。人間適度の緊張はいつでも必要なのだ。いつになったら釣りでもしてのんびりなんて生活が待っているのだろうか。
2011年12月6日火曜日
運動不足解消
自転車が足に影響ないと知ったので、今日から自転車で散歩することにした。少し良くなっていた足が昨日の坂道登りでまた痺れるので、これからしばらくはサイクリングにしよう。ずっと歩いていないので脚力がすっかり落ちていると思ったが、その辺は大丈夫なようだ。歩くと一万歩の距離にある多摩川沿いの等々力アリーナまで往復。曇天だけれど、午前中いっぱいは雨の心配がないという。最近自転車への風当たりが強く、傘をさして運転はできないから雨になると大変。それにしても自転車のマナーの悪さは本当に腹が立つ。特に子ずれのままチャリ。いきなり飛び出すので子連れで死にたいのかと思ってしまう。保育園や学校の送り迎え、自分の仕事と朝は超忙しいのはわかるけど、前後に子供を乗せて平然と道を突っ切って行く。どけどけ、お子様のお通り?私は交差点はかならず一時停止、左側通行、車を運転するときと同じように、交通ルールはきちんと守る。命は大切だから。今朝もいきなり塀の陰から自転車を出した人がいて、危うかった。避けられたからいいけれど、本人は知らん顔で周りを全然みていない。たぶんぶつかりそうになったのも気が付かなかったと思う。等々力アリーナには朝から様々な人が来ているが、今日は曇りの寒い日だから人影もまばら。やたらに機嫌のいいおじさんがいて、なにがそんなに嬉しいのか、顔中が笑っている。うれしいのか頭が変なのか判然としないから、目をあわせないようにして笑顔を返すことなく行き過ぎた。帰り道はカラス一家にご挨拶。昨日まで夫婦二人だったのに、今日は4羽もいる。あれ、増えちゃった。そうか、子供たち?でも、もうこんなに大きくなったのかな?みんな真っ黒でお父さん以外は区別がつかない。そのお父さんも、去年と同じかどうかはわからないけれど、艶々黒々で威風堂々としているから、たぶん同じ人だと思う。今日はいつもの徒歩ではなく自転車だから人違いするかと思ったら、ちゃんとあいさつしにきた。カラスの賢さは色を一年間もおぼえていられる実験で証明された。決まった色の容器に餌を入れ、違う容器には餌を入れない。そうやって覚えさせて一年後、カラスは色を覚えていて、餌の入った容器をすぐに選んだそうだ。私よりずっと賢いじゃないの。私だったら、実験のことすら覚えていられないと思う。毎日違った服装で帽子も取り替えても、ちゃんと私を見分ける。たいしたものだと感心しながら帰路に着いた。午後にはヴィオラのFUMIKOさんが現れてデュエット、立って弾けないから椅子に座る。足のしびれはいつ良くなるのか見当がつかないので、しばらくはお付き合い。困ってしまう。でも、ヴァイオリンが弾けるので良かった、良かった。
2011年12月5日月曜日
残響
昨日まで音が溢れていた私のレッスン室が静かになってしまった。今日は腰のためにコルセットを作る予約の日。病院に行く前に少しヴァイオリンを弾いた。なんだかまだ部屋の壁に昨日までの残響が残っているようで、弾いているとあの音がするような気がする。自分の中にイメージが浮かんでくると、不思議にそれに近い音が出る。楽器自体は2週間ほど前のとてつもない嵐の日に傘が壊れて、猛烈な雨の中を数十メートル傘なしで走ったので、その日から鳴らなくなっていた。そのあと調整に出そうと思っても、ヴィオラを弾いたり足がしびれて歩かなかったりで、楽器屋さんに行く暇がなかった。ひょっとしたら、どこかに剥がれが出来たかもしれない。とにかく立っていることができないので、もちろん歩けないから、修理にもだせない。その鳴りの悪い楽器でも、音は明らかに違う。目の当たりでものすごい音を聞いたのが作用しているにちがいない。今日は晴れわたって暖かい日差しが満ち溢れ、絶好の自転車日和。歩けないけれど自転車は大丈夫。お昼過ぎの予約だったので昼食を済ませて出かけた。少し距離はあるが、まず大丈夫だろうと鼻歌交じりにでかけた。口笛で「展覧会の絵」のプロムナードを吹いてご機嫌。病院は高台にあるので少しきつい坂を上らなければならない。一番緩やかなコースを登るつもりでいたのに、その脇を通る最短距離の一番きつい坂をみたとたん、ムラムラっと来た。あんな長い迂回路を通るよりは、きついけれど短いこの道を行った方がすぐに坂が終わるからこちらにしよう。自転車を降りて押しながら登る、かなりの勾配なので自転車は重く、足をふんばらなければならない。心臓はドキドキ息はハアハア、母が入院していた頃は早く病院に着きたくてこの道を必死で上ったことを思い出す。でもあれから十数年、それだけ年をとったのを忘れていた。息切れすると人間ドックで不整脈があると言われたのを思い出す。何回も休み休みして、これでは迂回路の方が早かったかと苦笑した。コルセットを作るには体中にラップを巻いて、その上から包帯を巻いて石膏で固める。あっという間に石膏が固まって、グロテスクな私のお腹の型がとれた。衣服の上からではあるが、なるべく正確に寸法を合わせるために、腿のところまで下着にならなければいけない。そういわれて思った。しまった!今日は勝負下着をつけてこなかった。アハハ、下品ですみません。
そしてせっかちのツケが回ってきて、足はまたしびれがひどくなってしまった。
そしてせっかちのツケが回ってきて、足はまたしびれがひどくなってしまった。
2011年12月4日日曜日
今日も音の饗宴
練習に現れたタマーシュとジェニファは疲れた顔をしている。今日になって時差ボケが出てきたと言う。初めのうちは緊張とワクワクした気分があるからハイになっていて、時差ボケを感じなかったりする。一日たって落ち着いたところで出てきたらしい。初めはさえない顔をしていたけれど、さすがに弾き始めると楽器が唸りをあげる。裏板の底からなっているようで、あんな音は私では死んでも出ない。天性のものなのだろう。ピアニストの美智子さんが一人で現れた。しばらくして「リチャードはどうしたのかしら。私のすぐ後ろにいたのに」と気にしはじめた。我が家のすぐそばまで来ていたのが、こつ然と姿を消したようだ。「だって、すぐ後ろにいたのよ」と言う。それでは自転車で探してこようと家を出て、もっと先まで行ってしまったのかと行ってみたがいない。それではと引き返す。向こうから背の高い影が歩いてきて、逆光でも彼とわかった。もう少し手前を曲がってしまったらしい。実はうちの前まで来ていたのに、このうちじゃないと思ったそうだ。奥さんに昨日きたばかりなのにと呆れられながら入ってきた。私もしょっちゅうそんなことをするから、耳が痛い。練習は昨日よりも細かく進められて、小田原の時のために参考にさせてもらおうとメモしながら聴いていた。音にすごく幅がある。多彩な色分けが自然にできるのは、日頃そういう音に囲まれているから?最近どうして私は留学しなかったのかと、しきりに悔やまれる。現地でなければ分からない音ってあるんじゃないかと思う。いくら優れた先生について学んでも、音の色までは教えられないのではないか、また教わった記憶もない。囲まれて暮らすうちに身につくものではないか。日本にいて弾けるようになったつもりでも、それから先が学べないのでは。ちょっと、失敗したなと思っている。三年くらいでも、行っていおけばよかった。練習が終わってリチャードが騒ぎ始めた。コートがない。カードもお財布もコートのポケットだそうな。うちにはないから駅で訊いてみたらと言って別れた。しばらくして美智子さんからありましたと電話がかかってきた。お金もカードも無事でしたとのこと。日本ってこんな時にはやはり良い国だと思う。ほかの国ならたぶん出てこないでしょう。ホームに置き忘れたのをすぐに拾われて駅に預けられたらしい。寒いからすぐにとりにくるとおもってましたよと駅員。まだツアーが始まったばかりなので、美智子さんは心配なことばかり。明日のコンサートの成功を祈っている。
2011年12月3日土曜日
すごい!
我が家のレッスン室であんないい音がしたのは初めて。ハンガリー人のタマーシュの「ツィゴイネルワイゼン」はもう別世界のもの。私が弾くと「チガイネルワイゼン」になってしまうのはどうして?もちろん腕が月とすっぽんだからさ。わかっちゃいるけれど、音のすごさに圧倒されてしばし夢心地だった。2時ころ集まったロンドンアンサンブルのメンバー。まだあと一人チェロのトーマスが来ていない。月曜日からツアーが始まる。明日もう一度リハーサルがあって明後日の大宮から始まり、私が参加する小田原が千秋楽となる。昨日ウイークリーマンションに入った二人は、どうだった?と聞くと、ソファーベッドが硬くてコンクリートの上で寝ているようだとか、狭くてネズミの巣みたいだとか言いながらも、周囲の商店街を早くも探検したらしい。音楽家は旅が多いから、世界のどこへ行ってもすぐにその地になじんでしまう。ずいぶん前にウイーンに行った時は、現地に語学留学に来ていた日本人が、到着したばかりの私たちに「一緒に行ってもいいですか?」と言ってついてきたのには驚いた。しかも美術館への行き方を知らないというから、不肖この言葉もできない私が、市電の乗り方を売店のおねえさんに訊く事態に。なんのための語学留学?音楽家はどこに行ってもくつろげるという特技を持つ。要するに毎日舞台の上で恥をかいているから、言葉の出来ないくらいは恥と思わない。今回のカップルはもうすっかり伸び伸びと歩き回り、今日はこれから近くの商店街に繰り出すと言って帰っていった。私は大分足の具合も良くなったけれど、まだ途中で歩けなくなるといけないから、遠慮することにした。それにずーっと英語を使うのもしんどい・・・なんて言ってるから日本人は外国語が上手くならないのね。
2011年12月2日金曜日
出迎え
ロンドンアンサンブルのメンバーのうち、ヴァイオリンのタマーシュとヴィオラのジェニファが到着。私の家の近所に宿泊するので、駅まで出迎えを頼まれた。成田空港のサイトで調べると定刻より少し早く到着。スムーズにエクスプレスにも乗れて、順調にウイークリーマンションにチェックイン。イギリスではマンションは御殿のような建物をさす言葉だそうで、ジェニファが、あまり立派ではないホテルに入って行くときに「マンション」と口の中でつぶやいたのがおかしかった。部屋は恐ろしく狭くてベッドとソファーベッドが部屋をうめつくしている。床はほんの少し見えるだけだから、広いところに馴れた彼らにとってみれば、ものすごく狭く感じられるだろう。でも恋人同士だからいいか、とはこちらの勝手な言い分。とにかく地の利がいいからあきらめてもらうしかない。私がいつの間にか主催者側に立っているのも変な話だけれど。タマーシュは知る人ぞ知る名手だから、明日からの練習に立ち会えるのは本当に楽しみ。駅の商店街も近いので案内しようと思ったら、私たちは歩くのが好きだから自分たちで探すみたいなことを言って、やんわり断られた。お邪魔ですものね。それに私の足はいろいろやっても一向によくならず、立っているとしびれてくる。演奏には差支えないけれど、このシリーズが終わったらメンバーと2日間遊びに行く予定だから、そちらの方が心配なので治療にせいを出さねば。でも、腰でなくて本当によかった。腰だったら楽器を弾くには致命的だから。
2011年12月1日木曜日
ロンドンアンサンブル練習開始
今日からロンドンアンサンブルのメンバーが三々五々集まり始めて、第一回目の練習がはじまった。何回かのコンサートのつど少しずつメンバーが入れ替わる。私は小田原のコンサートのみの出演となるけれど、まだ日本に到着していない人もいるので、練習に参加した。きょうの練習場所は九品仏のOさんの邸宅。広いサロンがあって時々コンサートが開かれる。スタインウエイがでんと置いてあってもピアノが小さく見えるくらい広い。ピアノが我が物顔にスペースのほとんどを占めているうちのレッスン室とは大違い。でも、ここをお借りできるのは、今日だけ。あとはうちの狭い空間でひしめき合うようになる。大きな外国人が数人入ったら、さぞや窮屈なことだろう。今日の練習は全部の曲を一通り通すだけだったけれど、ピアニストの美智子さんは優れた音楽家で、ダイナミックなのに全く喧しくない。素晴らしいセンスの持ち主。夫のフルートのリチャードさんは物静かなジェントルマンで、今回のプログラムのアレンジも担当した。「展覧会の絵」を6人でやってのけようというのだから、さぞ苦労したと思う。不思議になんの違和感もないから、良く曲の特性を掴んでいるのだと思う。ヴァイオリンは同じく小田原のみの出演の志帆さん、チェロは前半出演の我らが「古典」のメンバーの重松さん。急ぎ足で練習は勧められた。曲数が多いからトロトロしているといつまでも終わらないので、重松くんが号令をかける。「はい、次」そうやっても全く休みなしで4時間を少しこぼれた。大変楽しい練習だった。座っていれば足の痛みも感じない。楽器を弾くには影響がないけれど、歩くのが困難なのでこの先どうしよう。どこの仕事にも車で行けるとは限らないので、車でいけないと地獄だなあ。ところで、足が悪いと上半身が楽になるのかしら。楽器を弾くのがすごく楽なんです。いままで踏ん張りすぎていたのかな?
登録:
投稿 (Atom)