2012年7月15日日曜日

現実と演奏の狭間で

長年の友人のA子さんにに久しぶりで電話をした。時々会ってはいるけれど、最後に会ってから3年くらいは経ってしまっている。お互いなにかと忙しい。夏休みでアメリカから帰ってきた家族の10歳の娘さんが、日本にいる間だけのヴァイオリンの先生を探すのを頼まれていた。千葉方面の方だと言うので、A子さんを紹介することにした。彼女はイタリアで活躍、日本に戻ってから私たちは知り合って、演奏も遊びもさんざん一緒にしてもらった。私よりも少し年下だけど、見た目は少女のように可愛らしい。でも、口を開けば怪気炎があがる。今でもイタリアと日本を行き来して演奏をしている。電話口に出た彼女の声はかすれて人違いしたかと思うくらいだったので「どこか悪いの、寝てた?」と尋ねると「母が具合が悪くて介護疲れで転寝していたのよ」と言う。ああ、ここでもか。私の周囲ではほとんどの人が介護疲れ。私は母が無くなって16年も経っているけれど、少し年下の人たちは、これから介護と自分の老いとの戦いが始まる一番つらい時期に差し掛かっているのだ。私も更年期には指が一本ずつ曲がり始め、音程が安定しなくなった時期があった。いつものように左指を弦に置いても、曲がり始めた指は以前置いた場所に届かず、音程が低くなるので、修正しながら弾くのはとても大変なことだった。ヴァイオリンの音程は1ミリの何分の1かで変わってしまう。日々正確さを維持するために苦労をしている。それが見る見る内に指が曲がるからその間は油断できない。ある程度まで曲がればそこでストップするから、安定してくる。そんなトラブルと筋力の衰え、聴力の低下などと戦いながらの介護となる。しかもその間演奏活動はやめないでいると、毎日の生活は地獄のようになる。しかし、演奏家は強い。子供の時から過酷な練習の日々、海外での修行などを経ているから、弾くことはやめない。本当に感心するのは大変だと言いながら、その大変さを真っ向から受け止めて明るいことだ。去年、今年と私の周囲の友人たちには、つれあいを失くしたり、母親を看取ったり、本人が具合が悪くなったり、それはもうさまざまに大変なことが起きている。それを乗り越えて平然と演奏する強さと言ったら、爪の垢を煎じて飲ませてもらおうかしら。A子さんも間もなくイタリアへ出発して、戻ったらちょうど私がイギリスから戻る日にコンサートをやっているそうだから、成田空港から直接聴きに行くことを約束して、電話を切った。「母はその頃にはもう亡くなっているかもしれない」というさびしい言葉を聞いて、ふと自分の母親のことを思い出し涙ぐんでしまった。

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