2012年12月31日月曜日

ノラの新しいベッド

明日はもう新年。うちの猫たちはぬくぬくと暖かい家で飽食状態なのに、ノラは物置で1人寂しく寝ている。だから今日はノラに新しいベッドをプレゼントした。今年のノラは一日中暖かいヒーターのついたベッドで寝ているのだから、去年までいた別のノラよりずっと恵まれている。去年のノラはミッケと仲良くていつも一緒にいた。ところが今年のノラのチャアは気むずかしくて、頭の悪いミッケはお気に召さなかったようだ。元々ノラではなく何かの事情で飼い主と離れてしまったらしく、頭も育ちも良さそうで結構気位も高く、ちゃらちゃらしたミッケがまとわりつくのがうるさかったようで、しきりに唸って追い返していたので、ミッケは元の飼い主か新しい飼い主の元へ行ってしまった。寂しかろうと話相手に行ってもいっこうになつかない。孤独を好む猛獣としての矜持を保っているようだ。毛色は薄い茶に黒っぽい縞模様。今まで会ったどんな猫でも私になつかない猫はいなかったのに、あっぱれ。孤独を好み人にへつらわず、ふうん、こんな猫もいるのだ。これが猫族の本来の姿かもしれない。ついに大掃除は間に合わず、相変わらず汚い家で正月を迎えるので、せめてノラの家はきれいにしてあげよう。ペットショップで一番安い猫ベッドを買い込んだ。物置の中の段ボールを取り出し新しいふかふかのベッドを入れてやったけれど、どうやらお気に召さないようで、というか、何でも新しくなると警戒するようで、しばらくして行ってみたら入っていない。猫って全く気難しい。

さて、こんなウダウダしたブログを今年一年読んでくださった皆様、ありがとうございました。来年が良い年になりますように心から祈っております。

2012年12月30日日曜日

今年もあと2日

生協に暮れとお正月用に予約した食品を取りに出かけた。私は毎年おせちなども作らないから、気は心、年越しそば、お餅、伊達巻きなどほんの数種類。3年くらい前までは暮れのこの時期、仕事に追われていたのが、今やすっかり暇になったので作ってもいいのだが、やりつけないことは億劫でいけない。兄嫁が気が向くとお煮染めなどを届けてくれるので、それでお茶を濁している。それに縁起物というものの、おせち料理はあまりおいしいとは思わない。日本人の知恵が詰まった食物だとは思うが、これだけ世の中に物があふれ、正月でもデパートもコンビニも営業しているから、必要に迫られない。それでも子供の頃からお正月は特別という習慣が身についているので、ほんの少しはそれらしくしたいということもあって、毎年形ばかりの数種類が食卓に並ぶ。それも一回だけ。子供の頃には母が作ったおせちを3が日中食べていたものだけど。生協から約5キロほどのところにハンサムな友人がいる。車なら10分ほど。お餅やお蕎麦をお裾分けしに寄って、近くのコーヒー店でおしゃべりを楽しんだ。頭が良く話がおもしろく、顔を見ているのもいいけど、なによりも手がきれい。きれいな手を鑑賞しながら他愛のないおしゃべりをして帰ってきたら、もう3時を回っている。さて、正月早々弾かねばならないマーラーの「第5番」これがなかなか難しい。特に1楽章の中の2ページほど、CDを聴くとものすごい早さ。こんなに早く弾けと言われても無理というもの。猛烈な勢いで練習して、たったの2ページに1時間もかかってしまった。それでもまだ満足いかないので、また明日に持ち越しとなった。全部で40ページ、気の遠くなるような作業が続く。それほど難しくない部分もあるが、そう思っているととんでもない落とし穴があって、意表を突く音が飛びだしてくる。油断も隙もない。ジャングルで猛獣を追っているようなもの。猛獣だと思うとウサギだったり、猫だと思うと虎だったり。おもしろくて時間の経つのを忘れてしまう。

2012年12月29日土曜日

ささやかな忘年会

音楽教室「ルフォスタ」の一番初期から習いに来ていたTさん。建築士。女だてらにヘルメットかぶって現場監督もやるというかっこよさ。お酒も強い。ヴァイオリンは・・・・滅多にレッスンに来られないのでまあまあ。なぜか気が合って一緒にスキーに行ったりお酒を飲んだりしていたが、あまりにもレッスンに来られないので気の毒で、月謝だけ振り込んでいる存在では、「まるで私はあなたに養われているようね」というと、「いいんです」ときっぱり言う。去年オーナーの小田部さんが亡くなって、私もそろそろ引き時と思ったので、土曜日のレッスンをやめることにした。そのときに彼女は退会した。そのあと事情が変わって、私は未だに講師を務めている。27日夜、ふと思いついて彼女と久しぶりに会いたいと思ったので連絡すると、二つ返事で会いに来てくれた。もう一人同世代の生徒と、レッスンが終わってもうろうろしていた女性と3人を連れて夜の渋谷に繰り出した。教室近くのイタリアン。スパークリングワインで乾杯してから、赤ワインのボトルを頼んだ。Tさんは酒豪で、かつて我が家でおじさん2人相手に、3人で一升瓶を2本ペロリと平らげた伝説がある。酔いつぶれた若い男性を連れ帰ってもらったことも。博多に出張してマンションの建設に当たっていたときも、毎晩飲んでいたそうだ。それで4人で赤ワインのボトルを2本頼んだ。軽く空けると思ったらボトル半分残ってしまった。あらまあ、珍しい。一人は電車の時間の都合で早めに帰宅したから、残りは3人で飲むことになったので、仕方がないか。楽しく会話をして、料理もとてもおいしかったし、すっかり満足して引き上げた。次の日のメールで、Tさんはどうやって帰ったか記憶がないという。そんなに酔っている風でもなかったのに。むちゃくちゃに飲んで騒いでいた頃はみんな若かったのだなあと、改めて思った。私の家に大勢生徒たちが集まって、飲んだり食べたり弾いたり、よくやったものだけど。来年はアンサンブルのメンバーが我が家に集まって新年会をするという。そのときにも是非行きたいと言ってくれた。待ってますよ、必ずきてね!

2012年12月26日水曜日

沖縄へ

以前私のブログを読んでコメントをしてくださったニャーシルさんからメールが来た。ニャーシルさんが持っていたお父様の形見の御本を鳩山寛さんに送ったところ、それがご縁となって1月に沖縄に行かれるとのこと。野次馬の私はさっそく便乗して沖縄に行こうと思い立った。1月の半ば、彼女は鳩山家を訪問するそうで、私はその予定日当日だけしかあいていない。それで当日朝羽田から飛んで、日帰りもしくは次の日の午前中に帰ってこなければならない。その旨伝えると「そんな、沖縄日帰りでは勿体ない」と言われた。それもそうだわ、せっかく沖縄に行くなら数日は滞在しないとつまらない。でも沖縄はもう何回も、あるいは十何回も行っているから、島中くまなく巡っている。しかし、どうせなら久しぶりに潜ってみたい。それなら・・・と、すぐ気が変わってもう少し待つことにした。ニャーシルさんにお目にかかりたいけれど、せっかく鳩山家を訪問されて、私がはとかんさんと
長々と話をしても迷惑にちがいない。鳩山さんはかなりのご高齢だから、急に人が一度に押しかけるより、少しずつ間を空けて行った方がいいかもしれない。そんなことを考えた。ニャーシルさんが鳩山さんの音は小津安二郎の映画「東京物語」の音楽しか聞いたことがないので、なにかほかにないかとのお尋ね。昔のテープをごそごそ探したら、私が一緒に弾いているものしかない。私の音を聞かせていいものかどうかチェックしたら、音程の悪いところがあって、これはお聞かせ出来ない。しかし、鳩山さんの音はやはりすごい。鳩山さんはどちらかというとなりふり構わなかったのと、人に偉そうな態度を一切とらないし、楽器も安物のケースに放り込んで手提げ袋かなんかにウイスキーの小瓶を入れて持っていたりするので、周りからはあまり偉い人と思われなかったようだ。でも、知る人ぞ知る名手だった。今、その音を聞くとああ、こんな方とよく一緒に弾かせていただいたものだと、感慨深い。コンサートを本当に楽しんでいたので録音にも無頓着で、CDなども出していないのが残念といえる。私の知らないところにあるかどうか。あったら是非聞かせていただきたい。ブログがご縁でのすてきな出会いが間もなく実現するかと思うと、わくわくします。

2012年12月25日火曜日

きれいになるのはおあずけ。

昨日寒い第九を弾いたせいか、はたまた今年の演奏予定が全部終了して気が緩んだせいか、昨夜からまた咳がひどくなった。今日はお肌の手入れに美容外科に行く予定だったのをキャンセルして、家にこもることにした。久しぶりの休日でお天気もいいし、元気ならどこかへ出かけたいところなのに、おとなしくしていなければならないのはつまらない。しかし、眠くて元気がない。やはりいつも緊張してわさわさと働いているのが性にあっているらしい。それにお肌の手入れをしても、若い頃のように見違えるように効果が出る訳ではないから、砂漠でひしゃくで水をまくようなもの。これはある人がわたしのあまりの物覚えの悪さに、かんしゃくを起こして言った台詞だけど。ふふふ。少し片付けをしていたら、若い頃の写真が出てきた。まあ、お肌ピカピカお目々キラキラ、ふうん、こんな頃もあったんだ。その頃お目にかかりたかったですね、皆さん。さっき、自分の後ろ姿の写った動画を見ていたら、髪はボサボサ、ちょっと写る横顔にはシワがくっきり。最近のデジタル機器は情け容赦がない。なにもこんなにリアルに写さなくてもいいのに。つれづれなるままに、昨日テレビを見ていたら、自分の体型に自信が持てずに整形した人と、ものすごくおデブさんなのに自信満々、実際男性にすごくもてる人が登場。体型に自信がないという人は私なんかより数段きれいだと思うけれど、気持ちが暗いのでなにかしょぼくれて見える。私みたいに開き直って、ウエルシュコーギーだって足が短くてかわいいと思う人がいるのだから、私だってかわいいと思ってくれる人がいるはずと考えればいい。母は私の鼻を見て「こういう低い鼻は人とうまくやっていけるんだから」と慰めてくれた。その点姉妹は情け容赦なくて「大人になったら隆鼻術をしないとお嫁にいけないよ」などと言われてきた。しかし、どちらを選択するかで大いに違う。私は母の言葉を信じた。母親は偉大!娘の人生を導いてくれる。人間気の持ちよう。今日お肌の手入れに行ったってあまり変わらないなら、ずっと行かなくてもかわらないかも。治療費を払ったつもりで、おいしいもの食べちゃおう。

2012年12月24日月曜日

第九は寒い

毎年恒例のしもたかフィルの第九。道行く人たちに聴かせるために演奏会場の小学校のアリーナの窓を全開にしてしまう、ものすごく寒い演奏会。聴く人たちも寒い戸外で震えながら聴く。しもたかフィルは私たちの友人東さんご夫妻が主宰するアマチュアオーケストラで、下高井戸と近隣の人たち、東さんのお弟子さんや友人が集まっている。メンバーはうらやましいほどたくさんいる。あまりにも寒いのでソリストの歌手たちはドレスの上に毛皮のショールなど掛けているが、弦楽器奏者はそうはいかない。私はウールのタートルネックにもう一枚セーターを着込んでいった。一番風の良く入る窓際だったから、もろ冷たい風に吹かれる。手はかじかみ、弓を持っていられなくなる。気がつくと生徒にやってはいけないと注意するような弓の持ち方をしていた。指が突っ張ってがちがちになる。普段こんな持ち方をしているのを見ると注意していたのに、自分がそんな持ち方しかできなくなるとは思いもよらなかった。隣は東響時代の先輩Yさん。同じく東さんとは仕事仲間で、わたしの古い知り合いだから、久しぶりに会うと懐かしい人の名前が出て、昔話に花が咲く。助かるのは聴く人も弾く人も寒いから4楽章の一部カットバージョンで短く終わること。そうでなければ一杯ひっかけるかなにかしないと凍死する。今日は昼間の本番でまだ暖かい方だから良かったけれど、去年は日が落ちてからだったから、もっと寒かった。実際の気温はもちろん、暗いと余計寒々する。昨夜から今朝まで咳き込みが激しくて、風邪がぶり返したかとおもったのに、こんな寒いところでも本番には咳が出ない。これが本当に不思議。吉行和子さんという女優さんがいる。ひどい喘息でふだんは激しく発作が絶えないのに、ステージに立つと出ないということを、読んだか聞いたかしたことがある。だから周囲からは怠け病だといわれるそうだ。これがどんな脳の働きによるのか知りたい。それがわかれば咳は自己コントロールできるのではないか。そんな研究をしている人はいないのだろうか。とにかく元気で来年もこの寒い第九が弾けるとうれしい(???)とは思っている。

2012年12月23日日曜日

新しいコピー機

パソコンはWindows8に替り、コピー機が不調なので新しい機械を入れることにした。いつものパソコンの師匠のHさんが朝早くからやってきて、八面六臂の働き。パソコンの画面はすっかり変わってとても見やすく、速度も速い。字も大きくなって目の悪い(平たくいえば老眼の)私にはとてもありがたい。猫小屋にヒーターを入れるために駐車場にコンセントをつけてもらうように工務店に頼んでいたのに、まだ来てくれない。それもベランダから防水コードを垂らし、ちょうど猫のすみかの物置に届くことがわかったので、そこに犬猫用のヒーターを差し込むことで、今までの湯たんぽを暖めては運ぶ苦労から解放された。このヒーターも彼が探してくれたもので、はじめはチャアとミッケと二匹にと2個買っておいたものが、ミッケは新しいご主人を見つけたか、前の飼い主の元に返ったかで、このところ現れない。元気だというのは時々遠くにちらっと見かけるのでわかっている。それで一個はパソコン用の足温器にすることにした。これがほのかに暖かく気持ちが良い。そうこうしているうちに新しいコピー機が届いた。大きな箱から現れたのは黒いがっしりとした機械。先日まで使っていたのは白くて平たいものだったから急に存在感がまして、部屋の主のようになったが、大きさとしては前のとほとんど変わらない。しかもその価格の安さと、機能の充実したことには驚いた。以前のものはA4とB4と2種類の用紙が使用できる。それだけで相当高かったものがその半値以下でファックス、スキャナー、コピー、写真のプリントなどの機能を備えている。技術の進化は日進月歩。こんな便利になって使いこなせるだろうか。初期設定をしてもらえると思っていたら今日の師匠は厳しく、私に自分で設定するようにという。まず、取説を読むようにと。取説はあれは日本語で書いていないものだと思っているので拒否しても許してもらえないので、いやいや読み始めた。ふんふん、読んでみるとまあまあ日本語だ。ああでもでもないこうでもないとやっていくうちに何とかコピーができるところまではこぎ着けた。あとのパソコンとの連動は師匠でないとできないからお任せ。これからは少し取説になれないといけないとは思うけれど、もう少し普通の日本語で書いてもらいたい。しかし、我が師匠などはこれがなんでわからないのか理解できないらしい。理系の人の頭にはコードやスイッチやなにかが詰まっているに違いない。

2012年12月22日土曜日

ロンドントリオ小田原公演

昨日まで痛かったのど、ひっきりなしに出る咳と戦っていたのに、今朝すべてピタリと治まった。不思議なことなのだが、本番に向けて体調が良くなるのがいつものことで、少しくらいの風邪なら治ってしまう。それほど緊張が高いと言うことなのかもしれないが、とにかく体調はすこぶる良い。さすがこの道数十年のベテラン、プロ根性を見せたと思っていたら、そのあとがいけない。肝心のステージでは心臓バクバクで時々迷子になると、それと察してトーマスがすかさずフォローしてくれる。すぐ這い上がれるのがやはり古狸、古狐、古猫の類だから。しかし、練習はやった回数だけの効果はある。比較的難しい所はクリアするのに、易しいところでミスをする。今日も帰ってからフィギュアスケートを見ていたけれど、練習の時と本番はかくも違うものかとため息が出た。今日のミスは数え間違え。古狸になると脳みそも古くなっているから、時々ポカをやる。そのミスを聴衆に悟られないようにしないといけない。去年のDVDを見た人が、ミスをすると私は舌を出す癖があると言ったそうだ。それはやめてねと美智子さんに注意されたので、今年はやっていないと思うけれど、自信はない。
曲目は東京文化会館でのコンサートとほとんど同じだが、パッサカリアがなくなって碓井志帆さんのヴァイオリンソロになった。朝からかなりの雨が降っていたけれど、本番にはすっかりあがったので一安心。客席はほぼ埋まって非常にエキサイティングなコンサートとなった。圧巻はトーマスのチェロ。彼はヨーロッパでの活動もチェロと指揮と両方なので、曲の隅々まで熟知している。それで私が迷子になるとすぐに助け船を出せると言うわけ。ずいぶん助けられた。すっかり弱気になって、もう来年は弾けないかもしれないと思っていたけれど、トーマスがとても美しい演奏だったと言ってくれたので、どうしようかなー。ほら、喉元過ぎれば熱さを忘れる。お世辞にきまってるのに。

2012年12月21日金曜日

2日目のリハーサル

風邪が流行っている。今年のロンドンアンサンブルのメンバーは来日したとたんピアニストの美智子さんが高熱を出した。何日かして彼らを電車に乗せるために宿泊場所に迎えに行った。いつも愛想のいいトーマスがすっかり無口になっている。朝が早くて眠いのだろうとその時には思っていた。あとで訊いたら喉が痛かったそうで、15日のサロンコンサートの時にはフラフラだったようだ。真っ赤な顔をして弾いているから暖房が暑いのかと思って、わざわざ切ってしまったら、寒気がしていたそうで、かわいそうなことをした。それでも素晴らしい演奏をしていたので、そんなに悪いとは思わなかった。そのあとは小田原で集合した時に私が気管支炎で咳き込み、トーマスもまだ咳が残っていた。ところがそれだけでなく、小田原でヴァイオリンを演奏する志帆さんがやはり風邪。そしてフルートのリチャードも体の節々が痛いと言いだした。明日のコンサートを控えて全員風邪にたたられている。たぶんずっと一緒にいたので次々に移ったのだろう。先にイギリスへ帰ったヴァイオリンのタマーシュとヴィオラのジェニファは仲良く幸せだったから風邪の神も遠慮したようで、二人がイギリスで寝込んでいないよう祈っている。今咳止めを飲んでいるのでやたらに眠い。小田原は最初は車で行くつもりだったけれど、尋常ではない眠気に安全を考えて電車で行くことにした。この2日間本当によく寝ている。餌の時間が来ても起きないから、たまさぶろうがお腹を空かして癇癪を起して泣きわめいている。トイレを掃除しろとうるさい。猫だからってなんでも人にやらせず、トイレくらい自分で掃除してほしいものだ。かあさんは忙しくて具合が悪いのだから。

小田原へリハーサルに

電車賃をケチって湘南新宿ラインの特快で小田原まで行こうと思った。その電車だと最寄駅から直通で楽な上に料金も安い。新幹線ならもっと早いけれど、乗り替えが2回あるし料金も高い。いつもなにかと浪費癖があるから、たまには経済の事も考えようと考えたのが運のつき。駅に行ったら埼玉方面で信号の安全点検とやらで11分遅れるという。小田原方面に行く人は次に来る電車で戸塚で東海道線に乗り換えると早く着くようなことをアナウンスするから、次に来た横須賀線に乗った。何のことはない、戸塚に着いたら目の前で小田原行きの電車のドアが閉まって、取り残された。そして遅れは益々広がって、次に来た熱海行きの鈍行で行く羽目になってしまった。私が時々柄にもなくお金のことを考えると上手くいったためしがない。結局帰りは新幹線で楽々帰ってきた。便利さを覚えてしまうとちょっとした事にもガマンガできなくなってしまう。若いころ京都、大阪など8時間くらいかけて行っていたことを思えば小田原までたった2,30分で行けるのは驚異的なのに。小田原の市役所に隣接する会場でのコンサートは私にとっては昨年に続いて2回目。他の大きい新しい会場はこの時期とるのが難しいらしい。地元の毎年決まったイベントなどで使うので、空きが無いそうだ。今日のリハーサルは6時半から始まって、ロンドンアンサンブルの人たちはすでに東京や各地で演奏してきたから馴れているが、途中参加の私には全部初めて。チェロのトーマスが今日は練習をしなくてもいいと言う曲も、私は弾きたいと言って結局全部通してもらった。彼は風邪をひいていて具合が悪い。でも私も風邪で咳が出るけれど、とにかく全貌を知っておかないと心配だから、無理やり練習をしてもらった。明日は新幹線で行こう。湘南新宿ラインは私が乗るといつでも事故やなにかで遅れる。私に恨みでもあるのかしら、まったくもう。

2012年12月19日水曜日

ノラが行方不明

昨日の夜までは確かにいた。帰ってきて車を駐車するのをじっと見ていたから。いつも朝の冷えに備えて、なるべく夜遅く湯たんぽを温めてあげるようにしているけれど、昨日は風邪気味なので早めに10時ころ湯たんぽを取り替えに行った。その時餌もおいてきた。今朝早く冷えた湯たんぽを変えてあげようと物置に向かって声を掛けたら、いつもならのそりと出てくるのが出てこない。さては寝坊しているのかと覗いたらいない。しかも寝た形跡もない。餌は・・・餌の容器ごとない。そんな馬鹿な。昨日確かに餌の入れ物にカリカリを入れておいたのに。餌が無くなっているのならほかの猫が食べたかもしれないけれど、容器まではなくならない。人の手が加わったかもしれない。とにかく今朝の餌を置いてきた。しばらくして行ってみると、餌が半分になっていた。誰かが食べている。でも、うちのチャアではないかもしれない。時々巨大なこのあたりのボス猫が徘徊していることがある。声をかけても返事がない。あしたから小田原通いだから、十分に世話をしてあげられないかもしれない。その間に近所の家に迷惑がかかると困るから、所在を確かめておかないと気が気ではない。困ったなあ。早く手なずけて家に入れようと思っているのに、中々寄ってこない。先日手の届くところにお尻があったから、さっと触ると逃げて行った。ちょっと早まったかも。もう少し油断するようになるまで待てばよかった。それからは又警戒して近寄ってこない。これだけ長い間世話しているのに心を開かないのは、どこかでよほど嫌な目にあったにちがいない。うち猫のナツメなんぞはひょいと抱えたらしっかりとつかまってきて、2キロくらいの道のりをだっこされてうちに来た。その間嬉しそうににゃあにゃあ鳴きながら。単純で無邪気で、こういう性格が幸せになる秘訣かもしれない。

2012年12月18日火曜日

ケアハウスのクリスマスコンサート

時々訪問コンサートをしている府中のケアハウス。毎回ピアノのSさん、ヴィオラのFUMIKOさんと3人で演奏してきた。辣腕マレージャーはFUMIKOさんの親友Tさん。このケアハウスは玉川上水をどんどん遡って行くと、雑木林や並木のある気持ちの良い環境にあって、建物は広い庭に面して建っている。春は桜、秋は紅葉、冬は雑木林が落葉して陽射しの気持ち良い環境にある。春に行った時には桜がまだ咲いていなくて「桜はまだかいなコンサート」になってしまった。今回は「紅葉は済んじゃったコンサート」又は「落葉コンサート」しかし、落葉はいかにも身に沁みるので、「済んじゃった」または「正月待ち」とでもしておこう。いつもお世話になっている3人にささやかなクリスマスプレゼンを持って出かけた。他の人たちからもプレゼントを戴いた。傑作なのは「ねこまた焼酎」石鹸で出来た巨大な鯛など。演奏は初めのうちは順調だったのに、途中でケアハウスに住み着いた猫が聴衆に交じって聞き耳をたてはじめたころから気が散っておかしくなり、「ケーゲルシュタットトリオ」は時々迷子になってしまった。そこは長年この仕事やっている古狸だから、うやむやのうちに又わからないように戻ったり、すまし顔で何事もなかったように終わったけれど冷や汗タラリ。白い大きな猫は今年の春に、このケアハウスに迷いこんできたらしい。まったく猫って一番居心地のいい場所を見つける天才なんだわ。私は昨日の練習までは多少疲れが溜まっていたものの、さほど調子は悪くなかったのに、夜に入ってから咳がひどくなってしまった。今朝ケアハウスに行く前に行きつけの耳鼻科で診てもらって薬の処方箋をもらった。なんだかやたらに眠い。時々風邪をひくのは体の調整だそうだから悪いことではないらしい。今年のコンサートはあと1回、小田原のロンドンアンサンブルのコンサートを残すのみ。ほんの数年前まではこの先連日休む間もなく、大晦日の11時45分まで働いていたなんて、なんだか遠い昔の事のような気がする。

2012年12月17日月曜日

久しぶりのカレー付き練習

ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラの編成でよくトリオを演奏している。ふつうはピアノトリオはヴィオラでなくチェロだから、出来る曲はそう多くない。それでもチェロをヴィオラパートに編曲して出版しているものもあり、ブラームスやベートーヴェン、モーツァルトなどはかなりヴィオラでも演奏できる。そしてこのトリオの厳しい掟としては、私の家で練習するときは駅からカレー屋さんに直行、3人でカレーを食べてから練習をするので、今日も掟にしたがって12時にカレーランチが始まった。このカレー屋さんはインドかスリランカかその辺の人がやっているので、いわゆる日本のカレーとはちょっと違うけれど、大変おいしく、ランチタイムは大賑わい。近所の主婦やママとも達が大集合してかしましい。私たち3人も心置きなくかしましくしゃべってから家にたどり着くと、手土産に頂いたどら焼きをパクついた。どら焼き好きで有名なFUMIKOさんは度々自分のブログでどら焼き好きを表明しているので、あちらこちらから頂戴するらしい。今日はおすそ分けに頂いたものを、餡の種類を巡っての醜い争いをしながら美味しくいただいた。練習曲目はモーツァルト「ケーゲルシュタットトリオ」「ヴァイオリンヴィオラのためのシンフォニーコンチェルタンテ」そして各々のソロの小品等々。今回はそう肩ひじ張ったコンサートではないものの、やはり人前で弾くとなると真剣に練習しないといけない。練習は厳しくても、そのあとのお茶タイムが楽しい。こうして仕事をリタイア(したつもりはないけれど、仕事はたまにしか来ない)した後も演奏出来て、一緒に合わせてくれる仲間がいて本当に良かった。当分カレー屋さんにも行けるようにこのアンサンブルが続きますように。

2012年12月16日日曜日

クラシックパーティー

音楽教室「ルフォスタ」が数か月に一度開催するのが、サロンで演奏するミニコンサート。参加は内外自由で教室の生徒に限らず参加できる。外部からネットで申し込むことも出来る。会費も安い。パーティーと言うから飲み物やお菓子も用意されている。今日は中井の「パパゲーノ」が会場になった。みな上手い下手も、老いも若きも区別なく、自分の弾きたい曲を持ち寄って弾く。いきなりその場で伴奏をつけてもらえる。前もって伴奏合わせをしたい人は、申し込めば合わせてもらえる。だから発表会の前は度胸試しともなるし、一度の本番は練習の何倍もの勉強になるので、私は曲が出来上がっていようといまいと、生徒に出てもらいたいと思っている。そこでボロボロになってしまうと、どれほど練習が不足しているかがよくわかる。一度や二度上手く弾けても本番に上手くいくと言うことはほとんど絶望的。かなりの頻度で良く弾けても、まだまだ。練習120%くらいの出来でも、本番は90%くらいと思った方がいい。たまに、ほんとに稀に、練習の時にできなかったことが出来たりすることがあるが、それは何かの間違いと思った方がいい。練習量は必ず本番で露見する。私なぞはどれだけつかえずに弾けようと、心配でたまらない。繰返し繰返し何回でも弾いて弾いて弾きまくって、ようやく本番に臨む頃には疲れ切ってしまう。今日は私の元の生徒や、教室の生徒、自宅の方で教えている生徒が参加してくれた。それぞれ頑張って弾いたので、今年の良い締めくくりとなった。弦楽アンサンブルのメンバーも来ていて、なにやらいつの間に「来年の新年会は先生の家ですることになりました」だと。なにい、勝手に決めるな、家主に無断で。でも久々に我が家で飲み食いしながら楽器を弾き、合奏を楽しむ、ミニクラシックパーティーが実現するのか。実はクラシックパーティーは我が家のこのどんちゃん騒ぎが端緒なのだ。教室のほうは飲みながら弾いたりしないし、初見で弾いたりもしない。うちのはハチャメチャで、酔っぱらっていようと初見でどんどん合奏させる。今音大生の元生徒は、あれで楽譜を読むのが早くなったと言ってくれる。それに音楽、合奏の楽しさを覚えたと言う。音楽の喜びはこんなところから入っていけばいい。

ダブル山田

雨模様の昨日土曜日、南青山の素晴らしいマンションの一室で、ロンドンアンサンブルのプライベートなコンサートが行われた。仕掛け人はこの豪華な部屋の住人の山田さん。ご本人の許可なく実名を出すのはいかがなものかと思われるけれど、お名前を出さないとこの題名が意味不明になるので、お許しいただきたい。今を去るウン十年前、ヤマハホールでピアノの発表会があって、先生は笈田光吉さん、日本のピアノ界で初めてドイツに留学したと言う方で、その生徒であったお嬢さんが山田さん。子供たちがステージに出渋っていると「はい、いってらっしゃい」と優しく背中を押してくれたお兄さんがいた。そのお兄さんの名前も山田さん。そう、わが「雪雀連」の会長の山田宏さんだった。このnekotamaが縁となって山田さん同士が再会した話しは、すでにお読みいただけたでしょうか?そこから私とつながり、そしてロンドンアンサンブルのコンサートにと発展し、とても贅沢なコンサートが実現した。集まったのは山田さん・・・・宏さんと区別するためにY子さんとしよう・・・・のお父様とご近所、お仲間、そして私の友人や生徒たちなど、約40人。クリスマスカラーの赤と緑でセンス良く飾り付けられた部屋で、彼らの演奏を間近に聴き、見ることの出来た人たちは心から演奏を楽しんでいた。演奏の後はケイタリングのプロがご馳走を運んで会食。それぞれのテーブルに演奏者が混じって話が弾んでいた。演奏者たちはどんなときにも全力投球で、マンションの部屋だから少し音を控えめにと言うY子さんの要望もおしまいにはかき消えて、ステージさながらの演奏になった。今回使ったピアノが実は山田さん同士を結びつけることになったポイントで、ピアノが古くなってメンテナンスを頼みたいので調律師を捜していたY子さんは、かつて背中を押してくれた調律師さんを思い出し、ぜひあの方にやってもらいたいと言うので探していたらしい。巡り合ってみて驚いたことに、このピアノの調律の記録の中に山田宏さんの名前があったそうだ。蜘蛛の糸を手繰るようにした結果が今回のコンサートになり、縁と言うものの不思議さに感動した。ウオールナット(というのか)の美しいピアノは中身も全部新しくなり、これから第二の人生を生きて何十年も音を響かせていく。Y子さんは今チェロを習っているけれど、せっかくのピアノも毎日弾いてもらいたいと願っている。弾いてこそ楽器は生きていけるのだから。

2012年12月14日金曜日

うちはボロボロ

築15年経過。私の家はろくに手入れも掃除もされない可哀想なうちで、駐車場の柱が破けている。破けるとはいったいどんな状態かと言うと、配管と建物の柱が一緒になっていて、その管を見苦しいので隠すように板で囲い、その上から塗料が吹きつけられている。その板が破けてみるまではわからなかったが、安っぽいベニヤみたいな薄い板。そこに白い塗料が盛り上がっていて、すごく頑丈そうに見えたのに、どこかの悪がきが蹴飛ばしたら、あっけなくひびが入ってしまった。ひびは日々拡大して(座布団ください)剥がれ落ち、中の配管が丸見え。ここを建てた工務店に連絡しても電話に誰も出ない。会社に行ってみると薄暗くひと気が無い。帰ろうと思ったら中から社長がフラッと出てきた。話をすると今奥さんが大変な状態で毎日病院通いとのこと。でも、会社なら従業員がいて電話の応対くらい出来そうなものといぶかしく思ったが、気の毒なので話だけして帰った。直しに行きますよと言うので待っていたら、ひと月たっても音沙汰がない。もう一度会社に行くとすっかり電気も消えている。周りに尋ねるともう営業していないとの事だった。なんで、そう言わないのだろうか。魂の抜けたような社長の顔を思い浮かべた。倒産?仕方がないから別の会社に連絡。見積もりにやってきたのにそれからまたひと月連絡がない。ま、いいか。家がぼろなのは平気だから。お隣やお向かいはほんのちょっとしたことでも工務店の人が来て、いつもピカピカ。それに引き替え我が家は可哀想。いつかきれいにしてあげるからね。でも野良猫が今駐車場に住み着いているから、工事をするとおびえてしまう。春になるまで待ってもいいかな。他にも野良猫用のヒーターを使うためのコンセントの設置とか、物置の取り替え、外壁の防水など頼んであるのに、一向に音沙汰なし。師走にこんな半端仕事はできないと放り投げられているに違いない。お正月も汚いままで迎えるのか。柱の破けた家にバンパーのグニャリと潰れた車。汚い物置。野良猫の餌の残りに、落ち葉の吹き溜まり。しかし、なんか落ち着くなあ、こういうのって。

2012年12月13日木曜日

ロンドンアンサンブル東京公演

上野、東京文化会館小ホール
フルート、ピッコロ、尺八、アルトフルート、バリトン、編曲 
                リチャード・スタッグ
ピアノ            松村美智子
ヴァイオリン        タマーシュ・アンドラーシュ
ヴィオラ           ジェニファ・ディアー
チェロ            トーマス・キャロル

モーツァルトの「フルート四重奏」を皮切りにエルガー「チェロコンチェルト」マーラー「ピアノ四重奏」
休憩後はリチャードの尺八で「一二三」ハルヴォルセン「パッサカリア」バルトーク「ルーマニア民族舞曲」ホルスト「惑星」より「木星」最後にスメタナ「我が祖国」より「高き城」「モルダウ」「シャーカル」
盛り沢山なプログラムだったが最後まで飽きさせないのは、彼らの高いアンサンブルの力。ずば抜けた技術と豊かな音楽性は賞賛に値する。一人一人の技術の確かさのお蔭で心から楽しめるコンサートになった。この数日彼らと共に過ごしたが、素朴で明るい、そして少しシャイな人柄、何をしてもとても感謝されて、そんなに大したことしていないのにと、こちらが恐縮したほどだった。最後まで聴衆をひきつけ、満員の聴衆から大きな拍手を受けてアンコールに演奏したのはエルガーの曲を2曲。特に最後はお国の誇りともいえる「威風堂々」だった。これは途中からリチャードお得意の歌が入って、バリトンの深みのある声が会場に響いてやんやの喝采を浴びた。私たちもついつられて歌いはじめ、手拍子が会場から沸き上がった。シャイな英国人と同じくシャイな日本人にしたら、すてきな盛り上がり方だった。特筆すべきは我らが「古典」の新谷絵美さんがこのたび文化会館で打楽器奏者としてデビューしたこと。「木星」の中にタンバリンのソロがあって、それを受け持った。彼女はピアノの譜めくりを務める合間にタンバリンを叩くように言われて緊張していたが、そのリズム感の良さが発揮された。初めて私の家で合わせた時、彼らからパーフェクトの声が揚がったほど。大きな人たちの後ろに控えて叩いている姿が可愛いくて、ついそちらばかりを見てしまった。小田原では私のヴィオラがこのバランスを壊さないようにしなければいけない。荷が重いけど、がんばります。

2012年12月12日水曜日

弓の重さ

多摩川沿いに車を走らせていると、きれいな富士山が見えた。このところ好天続きで冷たい風が心地よい。私は暑いのが嫌いで、スキーをするせいか冬が大好き。久しぶりに荻窪方面のピアニストのSさんの家に行く。府中のケアハウスでの演奏のためのリハーサル。モーツァルトの「ケーゲルシュタット」ベートーヴェン「ロマンス」モーツァルト「シンフォニーコンチェルタンテ」等々。ヴィオリストのFUMIKOさんのお誘いで始まったこのコンサートも定例になりつつある。寝たきりや半分眠っているような人もいる中で、ニコニコと楽しそうに聴いてくれるひとを見ると、こちらも嬉しくなる。いずれ自分もそうなるだろうと思うと、人が来て音楽を聞かせてくれたら、どんなにうれしいかと思うとやめられない。人間の最後まで残る感覚は聴覚だと言うことをよく聞く。私たちの演奏を毎回とても喜んでもらえる(らしい)ので、それと二人の気持ち良い仲間といっしょに演奏できる喜びと合わせて、自分が演奏できなくなるまでは、この訪問は続けたいと思っている。今ロンドンアンサンブル小田原公演のための練習で数日ヴィオラを弾いていたので、ひさしぶりに持ったヴァイオリンの弓の軽さにとまどっている。弓の重さが違うので微妙なバランスが中々とれない。若いころには一つの演奏会でヴァイオリン、ヴィオラを使い分けて弾くことは難なくできた。今となってはそのわずかな重さの違いに対応できるようになるのに時間がかかるようになった。面白いことにはヴァイオリンからヴィオラに移行するのは比較的簡単だが、ヴィオラを弾いた後でヴァイオリンを弾くのが難しい。ヴィオラを弾くときには腕の重みをどっしりと弓にかける。そしてヴァイオリンに移ろうとすると、つい、重みをかけすぎてしまう。いかに力加減を調節することが難しいか、思い知らされる。反対にヴィオラを響かせるのは相当な力がいる。ただでさえ小柄な私が大きなヴィオラを顎にはさんで、奮闘する姿は見ものですぞ。ご覧になりたい方はどうぞ、小田原まで来てください。一見の価値あり。

2012年12月11日火曜日

小沢昭一さんの訃報

時はバブルの頃、フリーの私は結構な売れっ子で、都内を車で走り回っていた。私たちの仕事はあまり早い時間には始まらないから、大抵は午後から移動が始まる。運転しながら必ず聞いていたのがTBSのラジオ番組で、目的は道路交通情報だったけれど、その間の番組も楽しく聞いていた。子供電話相談室と言うのがあって(今でもあるかな?)それが終わると「小沢昭一の小沢昭一的こころ」という番組になる。この番組は1万回を超える長寿番組となった。わずか15分ほどの短い一人トークの面白かったこと!ちょっとたそがれたおじさんのつぶやき。語りの間合いや声の変化など、さすがと思える名人芸だった。多彩な話題とすこしエッチな中年男性の本音がこの上なくユーモラスで、運転しながらコロコロと笑い転げていた。そうか、亡くなったのか。東京新聞の記事には(博覧強記、多芸多才に人脈の厚さが加わり、小沢節を完成させた)とある。小沢さんは80を超えたころ「残り時間は一生懸命でないことをやりたい」又「やりたいことはありません。すべてが道楽の人生でしたから」と言ったそうだ。これこそ小沢さんの真骨頂。放送大学で一時期「日本の芸能」という講座を持ったが、その時も大学の授業と言うよりは、バナナ売りの口上を登場させたりして、面白い番組をみているかのようだった。しかめつらしく構えるのがいやだったのだろう。勘三郎の死は大きなショックだが、それにもまして小沢昭一の死は私にとっては悲しい。決して飾らず気取らず、自分の業績はひけらかさないで飄々と生き抜いた、小沢さん、いや、先生(私は彼の講座を受講したので)のご冥福をお祈りします。

2012年12月9日日曜日

早くも忘年会

文教シビックで音楽教室の室内楽の練習を終えて、いつもならそそくさと帰ってくるのに、今日は生徒たちと近くのお好み焼き屋さんで忘年会となった。練習は月一だから、今日でこのアンサンブルは今年の練習おさめとなる。総勢13人、鉄板のあるテーブルを囲んで大いに盛り上がった。ここのお好み焼き屋さんは36年続く金太郎と言うお店で、全国に300店舗あるうちの元祖がここであるとは、ご主人のご自慢の弁。成程、他のお好み焼きと比べ味が格別良い。そして生まれて初めてもんじゃ焼きと言うものを食べた。よくテレビの映像でドロッとしたきたならしい混ぜ物を焼いて食べるのを見ているので、あまりもんじゃにたいする印象は良くなかったが、ここのは見た目も味もとても良いので、やみ付きになりそう。弦楽アンサンブルは元私の生徒だった後藤さんが始めたもので、彼の熱意で10年、今ではメンバーも揃い、とても人柄のよい人ばかりが集まって成長してきた。初めは生徒の自主運営に任せていたけれど、その内教室が介入して教師が指導するようになって、始めのうちは私に「この世の物とは思えない音」とくそみそにけなされながらも頑張ってきた。どこのグループでも人手が足りなくて悩みの種であるヴィオラとチェロが充実している、贅沢なアンサンブルとなった。子供の時から楽器を弾いている人もいれば、仕事をリタイアしてから始めた人もいて、それぞれの出来る範囲で楽しみ、練習が終わると毎度酒盛りをしているらしい。練習でどんなにしごかれても皆ニコニコしているのは、そのあとの楽しみに期待しているからだわね。みんなの秘密がこれで露呈したのだ。よし、来年からはもっと厳しくしよう。あとのビールがもっと美味しくなるように。

閑散

ロンドンアンサンブルの人たちの練習は我が家で3日間行われ、その間、彼らの送り迎えや食事の世話、あげくに恋人に電話するための携帯のプリペイドカードの入手など、大忙し。私は去年一日だけ一緒に弾いただけのことなのに、いつの間にかどうしてお世話をする羽目になってしまったのかよくわからないが、これが美智子さんの力なのだ。周りの人たちにお願いする風でもなく、電話で延々としゃべっているうちに色々なことを承知させられてしまう。昨日長崎に向けて出発する彼らを羽田まで送って、そのあと、疲れ果てて昼寝はおろか、夜もぐっすり寝てしまった。今回我が家の近くのマンションのゲストルームを彼らのために提供してくれた信子さんと「どうして私たちがこんなにお世話することになってしまったのでしょうね」と言って笑いあった。でも、ロンドンに行った時には美智子・リチャード夫妻には10日間大変お世話になったので、ほんの少しの恩返し。彼らは私たちが彼らの家に泊まっている間、ピアノの練習もパソコンでの編曲作業も不自由したのだから。巨体がゴロゴロいた一昨日までと打って変わった、ひっそりとしている部屋で久しぶりに自分の練習ができた。これから小田原の公演に向けてヴィオラを練習する間にも、時々ヴァイオリンのご用もあって体が混乱している。去年よりはヴィオラも良く鳴るのは弦の選定を変えたからで、去年の今頃痛みと左足のしびれに泣かされた股関節の故障も治った。コンディションはまあまあだけど、リチャードの編曲のヴィオラパートが去年より格段に難しくなったので、譜面と格闘している。今すっかり静まり返ったレッスン室は早く練習しなさいとせっついてくるけれど、ゾウさんのような巨体とにぎやかな笑い、鳴り響く音のなくなった後は寂しく気が抜けてしまった。大勢いた子供たちが家を出て行って残されてしまった親のような気分。いればうるさいけれど、いなければさびしい。ガクタイ(と私たちは言う)は言葉が違っても楽器さえ持てば全く違和感がない。単純で朗らかで美味しい物が好きで、もちろんきれいな異性が好きで、こよなく音楽を愛する共通項を持っているから。

2012年12月6日木曜日

おお、忙しい

今朝は2日と同じ家庭コンサート第2弾。大森のYさん宅にて。プログラムは同じだけど、その日のコンディションによって、微妙に出来が変わる。今日は一回目よりも少し集中力がなかった。2回目になると欲が出てきて無心に弾けないのはどうしてだろう。ちょっと、消化不良気味な演奏になってしまった。しかも終了したのが13時なのに、私はロンドンアンサンブルのメンバーに13時に宿泊先に迎えに行くと言ってしまった。がーん!彼らはマンションのゲストルームに泊っていて、連絡するにはそこのマンションの住人に電話すればいいことになっていた。しかし、今日はその住人が出かけたので、連絡の取りようがない。仕方がないから待たせてしまおう。13時40分頃到着。待ちかねていた彼らはお腹が空いているらしい。私のうちに来てから、なにか食べたいと言うのでお弁当を買ってくることになった。彼らは練習があるから私が買ってくると申し出て、大急ぎでデパ地下へ。鳥のからあげとおこわを買い込んで、うちにあったキャベツをザクザク切って付け合せてあげると、美味しいと言って気持ちが良いほどムシャムシャ食べてくれた。イギリスではあまり生野菜を食べる習慣がないらしい。日本のキャベツは甘くておいしいと言って喜んでいる。ひとにものを食べさせるのが大好きな私はこうなると張り切ってしまう。明日のランチも用意するわよと、余計な世話を買って出る。明日はうちの近所の総菜屋さんのコロッケが美味しいから、キャベツと一緒に出してあげよう。夕方から音楽教室の仕事があって出かけた。だから今日は送って行ってあげられないから又明日ねと言って出かけようとすると、おっと、忘れ物。取りに戻って又バイバイして、又忘れ物。大事なメガネを忘れたけれど、もう戻りたくないからその辺にあった拡大鏡を掴んで出かけた。昨日も今日も忙しかったなあ。素敵な音が聴けるし、彼らはとても良い人たちなので嬉しい忙しさではあるけれど。

2012年12月5日水曜日

ロンドンアンサンブル練習開始

今朝日本に到着したばかりだと言うのに、彼らはもう練習を始めた。宿泊先のマンションから車で我が家まで10分位。いっしょにお寿司を食べてから、彼らは仮眠を取った後集合した。私のレッスン室はやわながら一応防音は施してあるので、楽器の音が外に漏れることは稀だけど、なんと、壁を突き抜けて外にかすかに聞こえるのには驚いた。明らかにチェロの音がすごい。やはり床を伝って建物中に回るからだと思うけれど、今まで家に来たチェリストでこんなに凄い音がする人は初めて。ヴァイオリンのタマーシュも腹の底から出るような音を出す。彼らの血が持っている音のような気がするのは、ひがみだろうか。

2012年12月4日火曜日

風邪をひく前は

日曜日のコンサートが意外とハードだったらしく、昨日はどっと疲れが出たので、いつもの中国整体で体をほぐしてもらった。この先生が中国では外科医だったので、体の構造を知り尽くしている。とても的確で心地よい治療が受けられる。最後にはぐっすり寝てしまうのがいつものことで、昨日も目が醒めるともう夕飯時。さてうちに帰って食事の支度をと思っても、億劫でいけない。目に付いたのは安い多国籍料理屋さん。中国、韓国料理、どちらとも言えないお店で、チゲ味噌なるものがある、どんなものか食べたことが無いので興味がわいた。寒い雨が降っているし、温まりそう。メニューをみたら餃子セットがあって、餃子もこの頃食べていなかったので、それを注文した。チゲ味噌はキムチなどの入った味噌鍋にラーメンが入ったもの。ラーメンだとはおもわなかったから、ご飯も注文するところだった。それをムシャムシャ平らげ、餃子もバリバリと食べてなんだか今日は食事が進むなあと思った。実は昼間中国人の友達と6年ぶりに再会して、ファミレスでお肉を沢山たべたのに、またこの食欲。これは怪しい。いつもはかなり食事も粗食でいるので、こんなに食べる時にはなにかあるに違いない。今朝起きたら体中がむくんでいて、顔が真ん丸になっていた。頭が重い。目がふさがっている。ああ、やっぱり!風邪の前兆。私はとても元気なのに、体はあまり丈夫ではない。子供の時からなんやかやと病気をし続けている。それでどんな時にはどこが悪いと言うことが大体わかる。これは腎機能の低下にちがいない。そして鼻がムズムズするのは言うまでもない。風邪をひきかけている。風邪をひく前はいつも以上に食欲が亢進するのはなぜなのか。体が自衛本能で体力をつけなければと身構えるのか。それとも食べ過ぎた結果、体の機能がにぶくなって風邪をひくのか。因果関係はわからないが、とにかく私は風邪をひくまえにやたらに物を食べる。それもいつもは食べないもの、例えば、フライドチキンとかハンバーガーとか、普段食事として食べないものがやたらに食べたくなったら、これはもう風邪ひきの前兆。日ごろ野菜を沢山摂るのに、こんな時には肉食系になってお肉しか食べなくなる。これは一体どういうことなのでしょうね?

2012年12月2日日曜日

家庭コンサート

馬込のYさん宅にて。Yさんは私の古いアンサンブルの仲間でピアニスト。今から何年前になることか・・・鳩山寛さんのグループで弾いたり、ローラ・ボべスコの前で演奏させてもらったりと、よくお付き合いしていた。最近はしばらく会っていなかったけれど、ある日電話がかかってきて懐かしい声を聞いた。それはYさんの実家のご両親が無くなって家が空き家になっているので、そこでコンサートをしたいのだけど弾いてもらえないか、という依頼だった。お母様が生前、このうちをなにか文化的なことに使ってほしいとおっしゃっていたそうで、その御遺志を継いでのことだった。それはとても素敵なことなので二つ返事でOKしたものの、このところオーケストラの練習やロンドンアンサンブルの来日を控えてヴィオラを弾いたりするので、はたして演奏の方が上手くいくだろうかと心配ではあった。お客さまは一度に沢山入りきらないので二日に分けて、今日と6日に決まった。初めはベートーヴェンの「ソナタ8番」後はクリスマスシーズンと言うことでシューベルトとグノーの「アヴェマリア」など小品を揃え、締めくくりは「チャルダッシュ」目の前に聴衆がいるのは結構緊張するもので、それでも熱心に聞いて頂いて、非常に楽しいコンサートとなった。そのあとはお客様たちとランチをご馳走になった。それがYさんの妹さんと2人の御嬢さんの手料理。と言っても普通の家庭料理ではない。本格的なものでメニューを紹介すると
食前酒はイチゴのカクテル
ビーツのムースゆずの香り
ほたてとあまおうイチゴのマリネサラダ
北海道産ブロッコリーのポタージュ
サーモンの低温料理ベーコンクリームと共に
ごはんと菊花のお椀
モンブランのクレープ
コーヒー
音楽の話よりも熱心になってしまうのは、音楽家はみな食いしん坊だから。特に低温料理と言うのを初めて食べたけれど、生でも食べられるような新鮮なサーモンを砂糖と塩をまぶし寝かせ、そのあとハーブのオイルに漬け込み、42,3度の低温の油で揚げるのだそうだ。ほとんど生のように見えて生ではない。本当に美味しかった。しかも時間もゆっくりかけていただけるし、庭を眺めながら自宅にいるような雰囲気でいられる。コンサートを聴いた後にゆっくりとするランチ。これは弾く側でなく、ぜひ聴衆の側に回りたい。