2013年7月21日日曜日

九死に一生

死にそうになって助かった話はいっぱいある。ずっと以前、オケにいたころ、私の家はオケマンのたまり場でひっきりなしに客人が出入りしていた。麻雀をしたりお酒を飲んだり、眠くなると2階で雑魚寝。皆が寝静まった頃階下で大量の食器を洗っていた。冬だったので窓は閉め切ってあって、換気扇も回さずに湯沸かし器を使っていたら途中で気分が悪くなった。少し横になっていたが、体が言うことをきかない。手足が動かない。立つことも出来ないから2階に助けを求められない。一人で考えた。私は死んじゃうんだ。寂しいなあ。上にはあんなに沢山人がいるのに、たった一人で逝くなんて。そのとき猛烈にトイレに行きたくて、死ぬとしてもこのままではお漏らししたひどい姿をさらすことになる。それはいやだ。そしてズルズルと這ってドアノブをやっと回して部屋を出た。結果としてそれで助かってこうして駄文を書いている。あのときトイレに行きたくなければnekotamaはもう存在しなかった。そんなことがいくつかある。釜石に演奏旅行に行った。その3日くらい前から高熱が続いて気分が悪いので、都内での練習が終わってその近くの病院にいったら、これがとんでもない医者だった。熱があるのに嫌な手つきでお腹をさすってきたりする。挙げ句の果て、これは膠原病であると宣った。膠原病の知識がなかったから「ふーん」てなもので、まあ、いつもの事で、旅に出れば元気になるさと多寡をくくってでかけた。その日の夜から猛烈な吐き気に襲われて、白湯以外の一切の物は体が受け付けない。なんとかステージに乗って弾いていると、首の後ろから汗が滝のように流れる。あまりにも変だから次の日の本番前に、タクシーで1時間ほどの診療所に行った。症状を話すと医者は驚いてすぐ検査をしてくれた。そして「急性肝炎。命にかかわるからすぐ帰りなさい。でないと死ぬよ」指揮者に話すとすぐに帰りなさいと言うけれど、ひとりぼっちでの帰り道はつらかった。駅まで歩く事が出来なくて途中で入った喫茶店では、私がヴァイオリンを持っているのを見てレコードをかけてくれた。それがシューベルト「死と乙女」それをきいて私は考えた。ああ、やっぱり死ぬんだ。その後仙台までようやくたどり着いて一泊して帰宅。即入院。1ヶ月でキャリアにもならず完治した。こんな重い症状だったのに、主治医が首をかしげて奇跡と言った。釜石の診療所はあの震災でどうなったかと心配している。私の命の恩人は無事でいらっしゃるだろうか。チベットで高山病になったときもすごかった。ガイドが中国人の若い女性だったから元気いっぱい。自分が大丈夫なら他人も大丈夫だと思っていたらしく、私がチアノーゼを起こしていても「大丈夫!」5600メートルの高山で5メートル歩くのも命がけ。その日2回も病院に行く羽目になった。ダイビングに行けばマウスピースが外れておぼれそうになるし、なんだかこう列挙してみると、よくも生きて居るものだと我ながら不思議だと思う。いつもご先祖様が守ってくれているらしい。

4 件のコメント:

  1. あらら、もう少しで一酸化炭素中毒だったんですか? 
    私も酔っ払って料理して「おっと、危なかった」ということありますよ。
    nekotamaさん、チベットで山登ったりダイビングしたり、行動力ありすぎですよ。でも運が強くてよかったですね。
    チベットの仏様のご加護があったかも。

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  2. 酔っ払うと大胆で美味しいお料理ができそうですね。
    私は酔っ払って塩と間違えてキャベツの砂糖揉みを作ってしまい、やはり酔っ払ったみんなから美味しいと絶賛されました。一度やってみてください。これが笑えるほど美味しいから。ただし泥酔してないと、うーん!保証はしません。(笑)

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  3. キャベツの砂糖揉みですか、やってみようかしらん。
    何でもすぐに試してみたくなるタイプなので。σ(^_^) 

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  4. あはは、素面だとどうかな?
    まあ、お腹はこわさないと思うけど。

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