2013年7月28日日曜日

無駄遣い

捜し物をするので物置を開けたら、なにが入っているのかわからない段ボール箱が出てくるわ出てくるわ。しかもずしりと重たい。力はないけれど棚の角をテコにして下ろしてみた。これは家を新築した19年前からの開かずの箱たち。今まで開けなくても生活になんの支障もなかったのだから、もとより必要ない物であることは確か。それでもとっておきたいと思うには、きっと当時としては捨てがたい思い出が詰まっているらしい。あけてみるとずしりと重たいのは本ばかり。中学生くらいの時に買った百科事典風の全集物、文庫本、お気に入りで引っ越しの時にも捨てられなかった作家の物等々。今になってみると目が悪くて細かい字は読めないし、調べ物をするならネットがあるから、もう必要はない。こんなに沢山読んだのかとあきれるほどの量だが、引っ越しの時にこれの何倍もの本を処分したそのときにかろうじて廃棄をまぬがれたものばかり。それでも時代と共にどんどん不要になっていく。物はとっておくものではないと思った。これからはなるべく買うのもやめていきたい。私は情緒に欠陥があるらしく、懐かしいという気持ちにとぼしい。それはすごく忘れっぽいからだと思う。先日から物置の整理を始めたら、あんなにぎっしり詰まっていた物がほとんど捨てられるものだとわかり、今物置はガラガラに空いている。なにかむなしい感がありますなあ。これを買うのに払ったお金を貯金しておけば、今頃私は大金持ち・・・・とはいかない。というのも私の場合、お金がなくならないと次の仕事がこない運命のもとにあるらしい。遣わなければ入ってこない。だから遣って働く。働いてもお金持ちにはなれない。つねに回転していないといけない。モルモットが回転板の上でぐるぐる回っているようなもの。あれは彼らにとっては遊びなのか、必要な運動なのか。ああやって私も一生ハアハアしながら一生過ごすのか。まったりと優雅に過ごす日が来るのだろうか。一人暮らしのお年寄りがボロアパートで亡くなって、畳をあげたらぎっしりと何億円ものお金が敷き詰めてあったそうだけど、その人はどうしてお金を遣わなかったのかしら。お金は遣ってこそ生きられる。お金さんたち、畳の下でさぞや息苦しくつまらない思いをしていたでしょう。私のところへ来れば楽しい思いをさせてあげられたのに。ええい!又こんなつまらない物に俺たちをつかうなよって怒られながら。






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