2013年9月30日月曜日

八ヶ岳音楽祭

去年も参加した八ヶ岳音楽祭。
今年はブラームスのシンフォニーとモーツアルトのプログラムで楽しみにしている。指揮は飯守泰次郎氏。私は彼の指揮で弾いたのは1度、それもスマトラ沖大地震のチャリティーコンサートでワグナーの序曲を1曲弾いただけだから、今度はシンフォニーが弾けて大変楽しみにしている。八ヶ岳音楽祭は私の音大の先輩のトロンボーン奏者(元東フィルメンバー)の細洞(ほそぼら通称ボラさん)さんが芸術監督を務めている。ボラさんの奥様は私の同級生で元は東フィルでヴァイオリンを弾いていた。去年の松原湖のコンサートを聴きに来てくださって、そのときに音楽祭を手伝って欲しいと頼まれ、そのご縁で人数が足りないというのでヴィオラ奏者として参加するようになった。ボラ奥様もヴィオラを一緒に弾く。音楽祭にはボラさんの関係で東フィルのメンバーが沢山参加している。私は東フィルのメンバーではなかったけれど、狭いこの社会では顔見知りも多い。1度だけなぜかうちに遊びに来たファゴット奏者と思える人が居て、顔は覚えていなかったが沖縄出身の珍しいお名前を記憶していた。もしやと思って尋ねると、やはりその人だったり。去年のご縁で今年も松原湖にはボラ夫妻が率いる関係者大勢で聴きにきてくださった。古典の定期が終ったので、今日からヴィオラを弾き始める。





2013年9月29日日曜日

私は野生人

今日はすてきなお天気で、所用があって246号線を西に向かって走っていると、雲の間から青い山々が見えて、良い気分だった。コンサートが山場を超えて久しぶりの休日となったので、今日の用事の対象である友人Hさんと話すとりとめもないことが楽しい。Hさんは頭脳明晰、知的で博識で繊細だから大雑把な私とは全く対照的で、何事も理詰めでくる。謂わば私の陰のブレーン。私は直感型。いつも私の言う「野生の勘」がいかにあてにならないかをこんこんと諭されるのだが、今日という今日は「野生の勘」がモノを言った。246号線は休日の午前中の下り線が異常に混む。今日はどうしたわけかガラガラに空いていた。珍しいこともあるものだと思って、陸橋を越えるときもかなりのスピードを出していた。一つ超えて次の陸橋がすぐにあるのだが、そこで、これは下で警察が待っていたら格好の餌食だなあと思った。車の集団の先頭を走っていたから、真っ先に捕まってしまう。それで徐々にスピードを緩めて上り、下り始めてから下を見ると、ほらね!白っぽい塊が見える。パトカーと警官数人が待ち構えていた。警官がこちらを向いているから、もしかしたら旧悪がばれて止められるかなと思ったが、無事通過。うっふっふ。「野生の勘」の勝利じゃよ。うかつな性格なのに時々妙にこういう勘が働くことがある。かなり乱暴に運転するわりには、事故も逮捕もほとんどない。1度中央道でスピード違反で捕まった時には、助手席に娘ほどの若い女性が乗っていて、彼女とペチャクチャおしゃべりをしていたせいでパトカーに気が付かなかったことはあるけれど、そのほかでは滅多につかまっていない。いつでも何かおかしいなと気付くからなのだ。いつもHさんにこてんぱんにやられるのに、今日は一つだけやんわりお返しが出来たかな?違反話しでは自慢にもならなくてスイマセン。




2013年9月28日土曜日

「古典定期」満員御礼

昨日の定期演奏会には大勢の方々が来てくださいました。毎回、東京文化会館小ホールが満席になります。いつも聴いて下さる方々、ありがとうございます。こうして60周年の記念コンサートを無事に開催出来ましたのも、長年のお客様のサポートがあってのことと、御礼申し上げます。

さていつもながら緊張するのは、古典音楽だけのプログラムなので音が薄い。ちょっとしたミスも全体に影響してしまうから、常に氷の上を歩くような慎重さが要求される。不協和音などはあまり使われていないから音の響きが純粋で、和音が常に澄んでいないといけない。チェンバロの音はかそけきもので、協奏曲では最小限の音しかだせないので、ずっと忍の一字で弾くことが多い。特に今日演奏したエマニュエル・バッハのチェンバロ協奏曲は音の動きが当時としては斬新で、お父さんの大バッハよりも人気があったのだそうだ。当時斬新と言っても、今でも斬新に思えるほど音型が変わっている。今まで数回演奏したが、毎回音を確認してさらい直さないと間違える。非常に才気溢れるすてきな曲であることは間違いないのだが。
4つのヴァイオリンの協奏曲はソリスト4人が何回も集まって練習をしたのに、最後の練習日までがたがた意見がわかれて無事に行けるのかと危ぶんでいたが、ふたを開けてみればさすがに長いこと一緒に演奏した人達なので、結局本番が最高のできばえとなった。自画自賛となってしまうが、やはり長年の積み重ねが物を言ったということになる。一人一人はごく平均的な演奏家なので、華々しい活躍をして世界を股にかけるような人はいないかわり、穏やかに相手の意見を聞きなんとかまとめようという気持ちが一つになると、4人ではなくてその何倍にもパワーが出る。それがスター的な人もいないのに根強い人気を保っている「古典」の強みだと思う。聴いて下さった人達が一様に口をそろえて言うのは、そのことにつきる。リピーターが多い。中にはもう数十年に亘ってのお客様も。ほんとうにありがとうございます。








2013年9月27日金曜日

本番の朝

今日は「古典」定期演奏会の本番だけど、いつもと変わらず洗濯をしたり朝食の用意をしながら、ふと思い出したことがある。それは今を去るうん十年前、ピアノトリオを組んで活動していた時期があった。メンバーはピアニストのOさん、チェロは芸大オーケストラのMさんとヴァイオリンは私。私の頭文字はYだから、3人の頭文字をとってYMOトリオと名付けると、あの有名なYMO(イエローマジックオーケストラ)と間違えて人が来てくれるかもしれないと冗談をいっていたがそれはさておき、長い間演奏会を重ねていた。その本番の日、私が「今朝洗濯をしていたら・・・」と話し始めるとOさんが「えー!本番の日に洗濯?考えられない」と言ったので、こちらが驚いた。だって、それならいつやるの?Oさんは超セレブ。三田に住んで家政婦さんがいたから「家政婦は三田」なんてだじゃれ、すいません。彼女は本番の日でなくても洗濯なんてしないでしょうよ。私は貧乏ガクタイだから毎日本番があって、どの日が特別の日と言うわけではなかったから、掃除も洗濯もその合間をぬってしなければならない。特に午後から舞台練習の時には午前中が空くから、今日のように見事に秋晴れの日は絶好の洗濯日和になる。たまった洗濯をエイッと干して気持ち良く出かける。夢を壊して申し訳ないけれど、音楽家だって生活者なのです。チェロのMさんは手先が器用で自分の事はなんでも自分でやるひとだから、たぶん彼もなにかしら家事はこなしていたと思う。お嬢様育ちのOさんは、結婚したときも家事はしなくて良いという条件だったそうで、芸術だけに埋没していればいいのだ。その後お子さんが生まれてからは、そうもいかなくなったみたいだけど。私は今夜は遅くなるからノラと家猫とに食事を与えたり忙しい。先日Oさんとピアノ5重奏を一緒に弾く機会があって、本当に久しぶりにアンサンブルを楽しんだ。お互いに環境は違っても一緒に弾けば、何ともなく心が通じることが音楽の良さだとしみじみ思う。







2013年9月25日水曜日

古典音楽協会コンサート

間もなく(明後日です)
古典音楽協会の
創立60周年記念コンサートがあります。
ご来聴お待ちしております。

2013年9月24日火曜日

青森県民文化祭

昨日はNPO法人「音楽ネット青森」主宰による秋田県民文化祭のオープニングでミュージカルが上演された。
ミュージカル「岬のクフィ」は成田英明作、松下功作曲
指揮は作曲者の松下功氏。
背景の転換は映像のみの簡素な舞台だが、物語のわかり易さ、曲の美しさで成功している。楽譜が送られてきたとき、ちょっとややこしい音の動きが所々にあるので少々手こずったけれど、これは松下氏がそれぞれの楽器に難所を作ったのだという。全体としては響きとメロディーの美しい、よくまとまった感のある作品だと思う。一曲ずつ豊かな個性があって、リズムの面白さも心地よい。市民参加型のコンサートなので、本当なら地元の人達のみで構成したいところなのに、ヴァイオリンの先生が一人しかいないそうで、私たちが助っ人に行く前の練習はヴァイオリン1本でやっていたそうなのだ。年配者の多い登場人物が、練習ではあまりにものんびりしているので心配したけれど、本番になったらさすがにしゃんとして、非常に上手くいったと思う。朝、声が出なかった歌い手も午後には調整がきいて、それぞれ中々のできばえだった。よかった!
思いもかけず古い知り合いや、そのお弟子さんたちにも会えて、楽しい2日間を過ごした。打ち上げは失礼して、3人の人達と新青森駅でビールを飲んでお寿司をつまんだ。思っているより疲れていたらしく、ビールが回って新幹線の中では読んでいた本がパタリと落ち、しばらく眠ってしまった。もう少し滞在したかった。東北の人達は優しい。いつもぎすぎすしている自分と比べて穏やかで我慢強い。冬は厳しいかも知れないが、今頃は本当に気持ちが良い澄んだ空気を吸ってリフレッシュしてきた。



2013年9月22日日曜日

青森にて

明日青森文化会館で「岬のクフィ」というミュージカルが上演される。そのお手伝いに青森までやって来た。青森駅に着くと真っ青な空 清々しい空気。胸の奥まで吸い込んで、出かけるまでの疲労感はウソのように消えてしまった。松原湖のコンサートで数十年ぶりにいっしょに演奏をしたチェロの舘野さんの関係でお話しをいただいた。そして今日現地に着いてみれば、全くの初めての仕事なのになんとまあ、知り合いとその又知り合いだらけで、色々な人からご挨拶をいただいた。実は誰其れさんの知り合いですとか仕事仲間のお弟子さんだったり、昔の仕事仲間がいたりしてまるで昔からここに居るような居心地の良さ。今日は音合わせとゲネプロ、明日朝から音合わせと本番で、練習が終わったら皆でお寿司屋さんで少しお酒を飲んで解散した。私は自分でホテルの手配をしたので一人だけ会場の傍のホテル青森、他の人たちはまとめて現地の人に任せたので駅前のサンルート、車で送ってもらって一人だけ寂しく帰ったというのはウソで、猫的性格は一人が好き。ほろ酔いでニコニコ楽しくホテルで過ごしている。明日朝はタマサブロウに起こされる事なく朝寝が出来る幸せを満喫しよう。数年ぶりに青森駅に降り立ったらかなり街も変わっていて、駅傍の古びた食堂街がなくなっていた。そこにおいしいラーメン屋さんがあったのに。前にあった市場も見当たらず、最近はどこへ行ってもきれいになったのはいいけれど、どこへ行っても同じようになってしまって少し残念な気がする。前に来た時はいつ頃だったか、駅傍の市場でリンゴを大量に箱買いして自宅に送った。その2日後に家に大勢お客様がみえる予定だったので、みなさんにお土産にしようと思ったのだ。そしてお客様がみえた当日リンゴは届かなかった。到着が遅れてしまった。次の日届いた大量のリンゴをどうしよう。食べても食べても減らない。近所に配り、上の階の人に分かるように階段に置いて、お好きなだけ持って行ってくださいと貼り紙をしてもあまり減らない。最後にはスカスカになりそうなのでジャムにして、リンゴ責めにあったことを思い出す。

2013年9月21日土曜日

明日から青森

若い頃にはなんでもなかったような事も最近は疲労が激しい。今週の頭の2日間で発表回に連続付き合ったら、ヘトヘトになってしまった。初めの方は自分の生徒も出ていないので、演奏するだけ。2日目は生徒3人とアンサンブル一組の立ち会い、それと演奏2曲、それだけでずしりと来た。整体や筋トレ、美容院などで気分転換するも、両肩がゴリゴリ硬くなっている。ひたすら寝ないと治らないから、私にしては珍しく早寝・・・1日目はできた。2日目はやっぱり起きていたい。ぐずぐずとなにをするでもなく起きている。明日から青森でのミュージカルにお付き合いするので、風邪をひかないように今日こそは早寝を心がけようと思っている。とにかくベッドに横になれば眠ってしまうのだから、とっとと寝れば良いものを、起きてパソコンにしがみついている。なにが面白いというわけでもなく、ゲームをやったりメールを見たり、よそのブログのぞいたり、深夜に一人でケッケと笑っている姿を人に見られたくはない。性格的には一人でいるのが大好きだから立派に「ひきこもり」の素質は備えているが、仕事柄人とのお付き合いが多くてそれはそれで大好きで、という訳で青森で又新しい人達に会えるのが大変楽しみになっている。連絡役のSさんとは何度かメールのやりとりをしている。私が「にゃ~」などと巫山戯た返事を出してもめげずにメールをいただいている。まったく、どんな人がくるのかしら?とあきれているに違いない。これまた大好きな旅!しかも暑い関東を離れて東北へ。うひひ。二日でとんぼ返りはいかにも惜しいけれど、金曜日には「古典音楽協会」の定期があるから残念だけど、帰ってこよう。しかし、おそろしく疲れている。うーん。

2013年9月19日木曜日

暴力体質

柔道の指導者の暴行が後を絶たない。およそ他人を指導するのに暴力を行使しないと出来ないというのが解せない。ヴァイオリンに限らず楽器のレッスンは非常に厳しいけれど、私は先生から暴力を使われたこともないし、生徒に暴力を振るったこともない。懇切丁寧に説明と実演あるのみ。実演の方は時には生徒の方が上手くて恥をかくことはあっても、理論的に説明するのは得意だから自分自身もよく勉強する。口で言ってわからない事ってあるのかしら。わからなければ言い方が悪いか、指導者が良くわかっていないかなので、その辺をご本人が勉強しないといけない。生徒の手を持って指導することもあるが、最近はセクハラと言われるらしく男の先生は苦労しているらしい。夢中になると私も男性生徒の手をムンズとつかむ事もあるが、決していやらしいことは考えていない。男の先生もそうであると・・・信じたい。気合いを入れるためと称して、生徒に執拗にビンタする柔道の教師の映像が流れていた。そして暴力は禁止と言われてバットで体育館の壁を叩いているその教師の映像も見た。根っからの暴力体質と見える。要は自分のモヤモヤした鬱憤のはけ口が暴力となって現れる。人を指導するのに暴力を使わないと出来ない人には即刻やめてもらったらいい。どこがどう悪いのかわからないで叩かれるのは理不尽きわまる。なにを直せば良いのかわからないから、指導者につくのだから。技術を身につけるのにはしっかりした理論が頭に入っていればあとは反復練習。じっくりと練習することで根性がすわってくる。根性から入っても上手くはならないことを指導者たるもの、わからないといけない。殴ったらおしまい。

2013年9月18日水曜日

秋晴れ

爽やかな秋晴れとなった今日は友人のHさんの誕生日。お祝いにささやかなお茶会をしたのはドトールで。近くにイタリアントマトがあるのに、ダイエットに厳しいHさんだから、誕生日に付きもののケーキはなしで私はいささか欲求不満。こんな時だけは罪の意識なしに食べることの出来るケーキを期待して行ったのに。でも、これが皮切りとなって底なしの餓鬼道に落ちていくのだ。一旦自分に甘くすると、ずるずると坂道を転がり落ちる。まさか本人が食べないのに私だけ食べる事はできないから我慢我慢!帰り道ケーキ屋さんに寄ろうかなと不届きなことを考えたけれど、やっと我慢した。この世にはなんと我慢しなければならないことが多いのか。美味しい物やすてきな物がありすぎる。お金持ちだったらぜーんぶ手に入れて、豚の様にふとっていたことだろう。お金持ちじゃない今でも、子豚程度には太っているから。昨日から2日間オフになって、このところの働き過ぎの疲れがとれるはずだった。でも休みになると自分に甘い私はすぐに夜更かしが始まる。昨日整体でほぐしてもらったので早寝をすると決めていたのに、結局ずるずると起きていた。昨夜遅くメールが届いた。この次の土日に青森で参加するミュージカルの世話役の方から、ホテルや新幹線のことなど手配をしてくれるという内容だった。私はすでに自分で全部手配済み。「猫的性格だから自分でやりますのでご心配なく」と返信すると「猫的性格の方にお目にかかるのを楽しみにしております」との返信。
夜中になると私は魂が飛んで行ってしまうので、その又返信は「にゃ~」と一言。送ってから(あ、やってしまった)と思った。全く見ず知らずの人にいきなり「にゃ~」とメールされたらびっくりしてしまう。そういうことを考えもしないでいつもおふざけをする困った性格なのだ。その話を聞いたHさんはおもしろがって笑ってくれたけれど、青森の方が笑ってくれる人かどうか、からかわれたと思って気を悪くしていないといいけれど。




2013年9月17日火曜日

家中台風

一昨日と昨日と発表会が続いていささか疲れた。今朝たまさぶろうの執拗な「めしよこせ」コールにようやく目を覚ます。昨日京都などに重大な被害をもたらした台風一過、気持ちの良い秋晴れとなった。一昨日はわたしの同級生の生徒達の発表会。Sさんはいつもおなじみの仲間だが、私とは正反対の超優等生。だから音大の先生として優秀な生徒を沢山育て上げ、自身も多数のリサイタルをしていたから、当日もシューベルトの「3つの小品」を見事に模範演奏し、私たちをくわえてのモーツアルト「ピアノ4重奏」でしめくくり。20人ほどの生徒の演奏をずっと聴いていて、その後の演奏だから体力気力共にたいへんなことだと思う。私たちも会場練習が早い午後に終了後、本番までの空いている時間に別のピアニストの家に飛んでいって、次の日の音楽教室の発表会に出る人の練習に立ち会った。音楽教室には様々な人が来ているが、中でも実力がある人はとかく大曲を弾きたがる。伴奏者の教師達も大変で、生徒の注文に応えるべく努力している。それだけの実力者をそろえているけれど、本当に短い練習時間内でアンサンブルをしなければならないので、よほどの経験者でないとつとまらない。世の中に多数の曲があるから教師といえども未経験の曲は多々あるので、猛烈に勉強する、結果として先生が成長するという良い面もある。
昨日は台風の襲来を心配しながらの音楽教室「ルフォスタ」の発表会でクラシック部門の生徒がドキドキしながら、それでも懸命に演奏する姿にジーンとなりながら聴いていた。私の生徒は3人だけだったけれど、サンサーンス「ハバネラ」ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲」などを熱演してくれた。皆仕事盛りで多忙な毎日を送っていて、レッスンに来るのもままならないのに、休日に涙ぐましい努力をしている。Sさんの生徒のように音大生やプロではないから技術はつたない。それでもいつも私は生徒達に教えられている。教えるときにそれをどのように言葉に置き換えるか考えると、自然に自分のためにもなっていることがわかる。終るとみんな一様に達成感に目を輝かせて、美味しいビールを一緒に飲む。今日は嵐のような数日の後の休日なので自宅の室内を見渡すと、部屋も嵐が過ぎたような具合になっている。そこここにドレスが放り出してあって、ステージ用の靴がころがり、楽譜が散乱。空気清浄機のフィルターには猫の毛がびっしり付いていた。掃除を怠けていたツケは大きい。やれやれ。


















2013年9月14日土曜日

ノラ猫の冬支度

うちのノラ猫「チャア」がこの頃姿を現さない。朝晩置く餌は消えているから誰かしら食べているようだけど、時々会うのは三毛猫の「ミッケ」だけ。うまくタイミングが合えばチャアも餌にありつけるけど、そうでないとミッケや他の猫に横取りされてしまう。チャアは去年からうちの駐車場に居着いて一冬過ごした。物置の戸を猫の幅だけ開けて、中に電気ヒーター入りのベッドをこしらえてあげた。それでも寒風が容赦なく吹き込むのと、近所のいたずら小僧が覗いたり脅したりするので、数日近寄れなかったりして苦労していたようだ。やっと春になって伸び伸びと外で暮らして居たのが又冬が近づいてきた。一昨年まで住み着いていた他のノラのために作った犬小屋を掃除して、今年はこちらに住むようにしてあげようと思っている。ノラは姿を消してしまったので、のたれ死にしたか新しい天地を求めて旅に出たのかはわからない。いちいち感傷的にならないようにしているけれど、未だにどうしているかと心配している。物置の陰においてあったノラのための犬小屋は上をビニールで覆ってしまったので、それを外してこれからベッドをいれて、すきま風が入らないように工夫したい。物置と違って雨が直接当たるので、電気ヒーターを入れる工夫もしなければならない。できればこんな苦労しないで家の中に入れたいのだが、ノラ生活が長くなったチャアは人の怖さを知ってしまって、私の手からほんの数㎝にまで近寄るようになっていたのに、なにかのきっかけで又近づいてこなくなった。だれかにいじめられたのかもしれない。人間不信は治らない。捨てられたかいじめられて家をでたのか、元は飼い猫とわかる。用心深いからノラとしても無事に生きていかれるのだが、もう丸1年も毎日餌をやって話しかけているのに、心開かない。この先どうするのかしら。それでも猫には未来のことを考える脳の仕組みがないそうだから、本ニャンは悲観しないのが救い。私は人間だから心配の種が尽きない。そうなると人間よりも猫のほうが幸せなのかもしれない。






2013年9月13日金曜日

今年のイグノーベル賞

「オペラで延命」にイグ・ノーベル医学賞 日本人、7年連続

2013.9.13 09:23 ノーベル賞
「イグ・ノーベル賞」の授賞式で、手を振る今井真介さん(中央)と熊谷英彦さん(左)=12日、「米マサチューセッツ州のハーバード大(共同)
「イグ・ノーベル賞」の授賞式で、手を振る今井真介さん(中央)と熊谷英彦さん(左)=12日、「米マサチューセッツ州のハーバード大(共同)
 ユーモラスな科学研究などに贈られる「イグ・ノーベル賞」の授賞式が12日、米マサチューセッツ州ケンブリッジのハーバード大で行われ、「心臓移植したマウスにオペラを聴かせると生存期間が延びた」との実験結果を発表した帝京大医学部外科准教授の新見正則さん(54)らのグループが「医学賞」を受賞した。
 ハウス食品研究主幹の今井真介さん(56)らのグループも「タマネギの催涙成分をつくる酵素」発見で「化学賞」を受賞。発見に貢献した石川県立大学長の熊谷英彦さん(72)も共同受賞者。日本人の受賞は7年連続。
 新見さんによると、いずれも心臓移植したマウスに術後7日間、ベルディのオペラ「椿姫」やモーツァルトなどの音楽を一日中聴かせる実験を繰り返したところ、オペラを聴かせたマウスが平均約26日間と最も長く生存した。モーツァルトを聴かせたマウスは平均20日、音楽を聴かせなかったマウスは7日生存した。(共同)
MSNニュースより。
今年もイグノーベル賞のニュースです。毎年日本人が入賞しているのがうれしい。毎年nekotamaで紹介しています。去年は「おしゃべり撃退装置」でした。リンク先を見て下さると一昨年とその又前年の分もリンクされています。オペラを聴くと寿命が延びるとは!モーツアルトが2番目というのは解せないけど。




2013年9月11日水曜日

検眼

今使っている楽譜用の眼鏡が合わなくなってきた。数日前の「古典」の定期の練習で本当に見えなくて、これはもう眼鏡を換えるっきゃないと、今日は検眼に出かけた。ちょうど昼過ぎてしまったので医院はもう昼休みのはずだから、午後は何時からかなと思って看板を見に行くと、なんと、午後1時まで診察を受けられる。時計を見ると20分前。ラッキーと思って受付に行く。遠慮がちに「まだいいですか」と言ってみると良いですよと言う。ところが側に居たもう一人の受付が「もう少し早めに来て下さいね」と子供に言うように言うので瞬間湯沸かし器の私は切れた。よくお年寄りに向かって子供扱いする医療や介護の人達がいるけれど、本当に失礼ではないかと常々思っていたので余計に腹が立つ。まあ、こういうのも私が年をとった証拠だけれど。「午後の診察時間を見に来たらまだ開いていたから入ったのに、じゃあ、もういいわ。帰るから」と言って帰ろうとしたら、最初の受付が「いえ、いいんですよ」と慌てて言う。それなら余計な事言わないで。それにまだ患者は3人ほど待合室にいる。入れたくなければ休診の札を出しておけばいい。すぐに順番が回ってきて時間内に診察は終り、処方箋ゲット。視力だけでなく白内障や眼底圧なども診てもらったがどれも異常なし。すごく健康だそうだ。白内障の手術を受けた人達が、人生が変わるほど良く見えるようになったと喜んでいたので私もそうできないかしらと訊いたら、白内障でもないものを受けられるわけはないと一蹴された。「ちょっと目ヤニがでていますね」と言われて気がついた。今朝まだ顔を洗っていなかった。以前この病院に来たときは、視界に陰が出来てこれは大変と思ったら、目の中から沢山ゴミが出てきた。糸くずやまつげやなんだかわからない物まで、見せられたらびっくりするほどの量だった。洗ってもらってすっきり。健康状態はいいけれど、どうも衛生面の意識が欠如しているようだ。



目が不自由

この数年でどんどん目が見えなくなってきている。これは5年くらい前までやっていた過酷な仕事のせいで、暗い譜面灯のもとで長時間休むことなく大量の曲を弾かねばならないという状況だった。それまでは年齢からいったら奇跡的に老眼鏡もかけなくてもなんとかなっていたのだが、多額のローンを相続したお陰で猛烈に働かざるを得なくなったことで、だいぶ無理をしていたようだ。その仕事をやっている頃には、仕事は好きだし地方にも行けるのでたいそう幸せではあったけれど、やはり疲れがたまっていたらしく終ってからどっときてしまった。眼鏡を使用し始めると、坂を転がり落ちるようにどんどん悪くなっていった。最近楽譜がよく見えないので、集中力にも初見力にも影響が出始めてきている。こうやって人は徐々に活動をやめていくのかと実感するようになった。今日はついに我慢できなくなって新しい眼鏡を作りに行こうと思っている。一つとても良い眼鏡を持っているのだが、それはレンズがガラスで薄く研磨されていて、ほんの少しの刺激でもパリン!と割れてしまう。今まで何回割ったことか。1枚5万円のレンズだから、割る度に「ああ、5万円」とため息。その眼鏡を掛けると急に視界が明るくなって鮮明に見えるからそれにしたいのはやまやまだけど、もう一つ安物の眼鏡をこしらえて主にそれを使っていた。今高級眼鏡のほうは割れている。安物の方で比較的良いレンズに換えるか、良い方の眼鏡を治すか悩んでいる。年をとってくると自分の体にお金をかけないといけなくなる。良い仕事をするにはまず健康でないといけない。まずまずの健康体に生んでくれた両親に感謝している。これでもう一つ美貌もほしかった。ざんねーん!

2013年9月10日火曜日

スポーツの世界

8日早朝7年後のオリンピック会場が東京に決定したとニュースで騒いでいた。スポーツというのはどうやら大層儲かる物らしい。柔道があれほど不祥事続きにもかかわらず、上層部は一向にやめる気配もない。名前だけやめてもどうせどこかでしがみついて利権を離さないと思うので、私たち部外者から見たら魑魅魍魎の巣に見える。フェアプレイの精神なんてどこ吹く風。いかにも頭の鈍そうな巨大な男達が「皆なにさわいでるの?」と言わんばかりの表情でどかんと座って一応頭は下げているが、内心は見え見えで、のど元過ぎるのをじっと待っている風情。暴力を愛の鞭なんてとんでもない考え違い。ましてセクハラなんて言語道断。いまだにスポーツの世界ではそんなことがまかり通っているらしい。最近音楽学校でもセクハラ問題があって、音大側はぴりぴりしているそうだ。私などはしょっちゅう生徒の手をむんずとつかんで「ほらこうなるのよ。わかった?」なんてやっている。肘の位置や楽器の構え方などを教えるのには、どうしても相手の手を持ったりする。声楽の呼吸法もお腹に触れたりする。これも最近はどうやらセクハラと言われるらしい。困ったこと。スポーツの世界は体を使うから、なおさらそんな機会があるに違いない。それでも本当に熱心さのあまり体に触れるのか、下心で触れるのかは触られた本人にはよくわかる。それでも上手くなりたいし選手にも選ばれたいとなったら、拒否するとチャンスがなくなるのではないかと我慢するのだろう。それに付け込む卑怯者がいるのが許せない。国もマスコミもスポーツにはお金も話題も惜しまないのに、世界のオーケストラの頂点のベルリンフィルのコンサートマスターが若き日本人であることには無関心なのが解せない。これは例えばイチロー選手がすごいと言われるよりももっとすごいことなのに。クラシック音楽ってマイナーなんだなあ。

2013年9月8日日曜日

トレーニング

最近始めた筋トレも通い始めて7回目を迎える。トレーナーがずっと付いていてくれるので効率よくトレーニングが出来る。例えばスクワットなども我が家で一人でやっているのとは全然違うことがよくわかった。ほんのすこしの姿勢の差で筋肉に及ぼす効果がこれほどちがうものかとびっくりするくらい。それに一人だといい加減きつくなるとやめてしまうのが、声をかけて励まされながらだと不思議とクリア出来てしまう。ダンベルを使った運動も
負荷が全然違う。前に一人でやっていたのはほとんど無駄だったようで、がっかりした。今度のスキーシーズンには筋力が付いて、いつもより少しは上手に滑れるかと期待している。私は長年のヴァイオリン弾き生活のせいか、体の左右のバランスがかなり違っていた。筋トレを始めた最初の頃にはぐらついて転びそうになるほどだったのが、それが改善されてきている。かといって姿勢は直していないので、足の筋力が付いてきてぐらつきにくくなっているのではないかと思う。ジムは前面が大きなガラス戸で目の前は車道が通っている。人通りも多い。こちらを見ている人もいる。それよりも私の方が通る人達を観察しながら筋トレしているようなものだから、のぞき込む人が居ると手招きして「あなた、よってらっしゃいよ」と言いたくなる。若い人よりも高齢者にこそ必要だと思う。よぼよぼと足取りのおぼつかない人には道に飛び出していってお勧めしたくなる。ほんとに余計なこととはわかっているけれど。これも何をしなくていいか・・・のうち。

2013年9月7日土曜日

なにをしなくていいか・・・ということ。

酷暑もようやく秋の気配に変わってきた。今朝は久しぶりの散歩に出かけた。毎年散歩の距離が少なくなる。一昨年までは歩かなくてはいけないからと必死に歩いていたけれど、お陰で毎日疲れてしまって体を壊すところだった。無責任に健康のために1万歩歩かないといけないとか、何時頃からベッドに入って何時間以上眠れとか言うけれど、そんなものをまともにきいているとロクな事にならない。人は様々、個人差がすごくあることを考えて欲しい。私の知人が毎日一万歩歩いていた。少しふっくらして朗らかだったひとが、痩せてきて肌荒れが目立ってきた。根がものすごく真面目で一度決めたことはきっちりやる人だったから、健康にいいと信じて決してさぼらなかった。結果、体調を崩し引きこもりになってしまった。ご高説をたれた偉い先生がた、彼女を治していただきたい。なにも1万歩歩かなくても、人はふつうに家事をこなしていれば相当の運動はしていると思う。私のようにいい加減なら疲れてしまえばすぐにやめる。私は家事も超手抜きなので運動は足りていないが、ヴァイオリンを弾いて健康を保っている。歩くのを減らしたら膝の痛みも治った。人間が1番必要なのは心地よく暮らせることだと思う。ねばならない、しては駄目、などという台詞はあまり使いたくない。人にとって絶対に必要なのは呼吸をする、食べる、排泄する、愛する、考える、感じることだけ。あとは文化的な生活のために最小限の設備があればいい。そう考えると、なんと人類は余計な事をやっているのだろうか。余計な事をするあまり、戦争が起きたり、人を殺したり、ねたみや怒りが生じる。宗教も平和のためのものなのに、宗派が違うといって争う。人に押しつけないで自分が信じていればいいものを。猫を見てごらんなさい。必要以上の事は決してしないから。風が涼しくなってきて、ノラ猫のための心配が始まる。これも必要以上に猫の気持ちを忖度するから。猫はこちらが心配するよりもずっとたくましい。



2013年9月6日金曜日

月例「弾く会」

今日も毎月のお勉め。魔女が6人。演し物はシューベルト、バッハ、ラベル、モーツアルト、ヴィヴァルディ。3人のピアニストは私の同級生で、学生時代からずっと良きライバルとしてしのぎを削ってきた。お互いに我が侭を言いながらも、尊敬し合っている。調子が悪くなれば親身に心配し、上手く弾いたときには本気で褒める。すてきな友人達。今日はもうすぐ本番を迎えるSさんが、シューベルトを暗譜で素晴らしく弾いた事を褒める代わりに、「あなったって可愛くないわね」と毒付くNさん。これは本当は最大の褒め言葉だということを皆良く知っている。何年間も毎月励まし合いながら切磋琢磨して来たので、この先もさぼることが出来ないのは辛いけれど、このグループに入って毎月どんな形でも一曲弾いて専門家に聞いてもらえるのはありがたい。私は来年弾く予定の曲が果してどのくらい弾けるかを試したかったので聴いてもらったら、是非弾くようにと皆さんからお墨付きをもらった。上手く弾けたからではなく惚けないようにとの親心とはわかっていても、励まされると「よし、やろう」という気になるのが恐ろしい。おっちょこちょいだから、こうして人にのせられてジタバタしながら生きてきた様な気がする。たいてい本番間近になると、私はなんでこんな面倒なことを引き受けてしまったのかと臍を噛む。わかっちゃいるけどやめられない。♫あ、ほれ、すーいすーいすーだっららたーすらすらすいすいすーい♫。この歌知ってるって?おや、あなたも古いね-。

2013年9月5日木曜日

初見の気分

この次の「古典」定期に演奏する4つのヴァイオリンの協奏曲のソロパートを合わせに、埼玉県や都内から神奈川県の我が家までメンバーが来てくれる。昨日は竜巻騒ぎ、今日は大雨落雷と、このところ季節の変わり目の不安定な天候が続いている。こんな日に外出するのは大変だから、家に居て待っていられるのはありがたい。でも、私も夜になったら音楽教室のレッスンにでかけなければいけない。早く雷様が疲れてくれるのを待っている。4つのヴァイオリンを合せるのは結構大変で、それぞれ自分の考えがあるから、テンポ感も違う。私は少し早めが好きで本番にアドレナリンが大量に発生するくらいの極限まで早く弾きたい。ところが慎重派の人はけっしてそんな暴挙はしたくない。常に美しく破綻なく弾けるテンポをお望みで、私の野蛮な提案はついえてしまうのだが、まだまだこれからもチャンスはあるから、徐々に皆を早いテンポに引きずり込もうと虎視眈々と狙っている。このところ、コンサートや発表会が続いて、私自身で演奏しなければならない曲が山積みになっている。困ったことに若い頃のようにマルチに対応出来なくなってきている。切り替えが中々難しい。一つ練習すると他の曲の半分は忘れてしまう。久しぶりに取り出してみると、又初見のような気分。初見と言えば、ずいぶん昔ペルゴレージ「スタバートマーテル」の演奏会でこれから本番、指揮者がもう登場するという間際に、突然前に座っていた人が後ろを振り返って「ねえ、初見で弾くような気がしない?」と言われてパニックになった。「やめて、そんなこと言わないで」と言ったが私もそんな気がしていたから。練習が少なかったし、宗教曲はどれも似たような雰囲気で覚え辛い。前の人は長年、日本のトップクラスのオーケストラのトップサイドにいた人だから、ものすごく優秀なのに、オーケストラの本番はそれほど恐ろしい。それで最近の私はちょうどそのときと同じ状態で、いつでも練習が足りないような気がしてならない。実際に練習時間はそれほど取れていない。ブログ書くひまがあったら練習しろっつうの!(天の声)







2013年9月4日水曜日

枝おろし

ベランダにまで侵入して日差しを遮ってくれていた木の枝が伸びすぎて、隣の家にまで覆いかぶさるようになってきた。今日は少ししのぎやすいので、伸びすぎた分だけ枝をおろすことにした。私は非力で小柄なので電動ノコギリは扱いにくい。手にひどく振動が来るのがいやだけど、四の五の言っているわけにはいかないから、物置から引っ張り出す。電源が2階にしかないからコードをレッスン室から下へ伸ばして使おうと思ったら、しょっちゅう目について邪魔だと思っていた延長コードがみつからない。毎度のことで我が家では必要な時に必要なものが見つからない。それでほかのコードをなんとか探し出して上から垂らしてやっと用が足りた。木を切るというのはなかなか嫌なもので、木が悲鳴を上げるのではないかと、いつもびくびくしている。木肌にノコをあてるときに「ごめんなさいね」とお詫びしてから切り始める。それでも格闘の末小ざっぱりと散髪したてのようになって、下にたくさんの小枝が散らかった。ちょうどごみの収集車が来たけれど、まだ細かくしていないから持って行ってくれないと思ったら「大サービスだよ」と言ってバサバサと収集車に押し込んで、あらかた片付いてしまった。探し物がないのはいつものことだけど、昨日、練習に集まった人たちが、あれこれ楽譜のコピーが欲しいという。どうせすぐには出てこないと思ったらしく、私がすぐに楽譜を出したら驚いていた。ふん、どんなもんだい!そうしたら「クローゼットの中の方が外より片付いてるのね」と言って笑っている。外だってピアノの上に山積みになっているけれど、大体あの辺に何が置いてあるとわかっているのだ。それでも生徒が来てからあわてて探し始めると見つからない。「先生のうちの楽譜は歩くんですよね」と学生に言われたこともあった。消えた延長コードの謎はまだ解決していない。あんなにいつも目にしていたのに。いつもこれ邪魔だなあと思っていたのに。私の生活は謎だらけ。

2013年9月3日火曜日

いつもの人達

今日も激しく暑い!さすがに風には秋が感じられるが、日差しは強烈。先日松原湖のコンサートで一緒だったピアノのSさんとヴィオラのFUMIKOさん、チェロはご近所のSさん。朝からモーツアルトのピアノ4重奏の練習が始まった。本番は再来週の日曜日。この曲は今まで何回も弾いているのにいつでも難しい。モーツアルトはやはり究極の音楽なのだと、自分のド下手さを自覚させられる。音の一つ一つが常に完璧でないと様にならないのに、音程も音色もテンポも、どうやっても気に入らない。それでも練習が進んでいくと、楽器が鳴ってきたあたりから楽しくなる。自分が天才でないにせよ、もう少しどうにかなると思っているのが間違いで、こんなものさと諦めてしまえば気が楽になるのに。本当にもう少しなんとかならないものか。ぶつぶつ文句を言いながらもやはり素晴らしい曲に引き寄せられる。練習が終って、次の月例「弾く会」にFUMIKOさんと弾こうかと思っているモーツアルトの「コンチェルタンテ シンフォニー」の2楽章を合わせた。この2楽章はモーツアルトの悲しみが凝縮されているような楽章で、弾いても聴いてもウルウルしてしまう。モーツアルトでなければこれほど純粋に単純に深い悲しみを表現出来ないだろう。他の作曲家、例えばベートーヴェンの様に塗り込め削り取り、様々な手法で究極にたどり着くのではなく、あっさりと軽々と物の核心にたどり着いてしまう。一つとして無駄な音がない。生まれる前から全て知っていたかのように。やはり彼は神の子なのだ。
人の子の私たちは練習が終ればお腹が空いて、おきまりのランチを食べにいって皆さんそれぞれの帰途につく。子供の時から室内楽が好きで、今こうして人が集まって一緒に弾いてもらえるのは本当に幸せなことだと思っている。いつもお付き合いしてくれる仲間達に感謝!



2013年9月2日月曜日

石(いわ)走る「たるみ」のうえの

石走る垂水の上の早蕨の萌え出ずる春になりにけるかも・・・ドレスをアレンジしていたら急にこの志貴皇子の御歌が口から出てきた。鏡の前で新しいドレスの背中が開きすぎているのをストールで隠せないかと工夫をしているときだった。「垂水?」そう「たるみ」体のほかの部分は自信がなかったけれど、背中だけは日にさらされていないので白くすべすべだったのに、鏡で見たらたるみが目立つ。このドレスを買ったときに、背中を気にしていたら、ステージドレス専門店「メイミイ」のオーナーのメイミイさんが、こうして前に寄せて胸に持っていくのよと上半身をお辞儀した状態で、背中から胸に肉を移動させる実演をしてくれた。なるほどその時だけは胸は急に豊満になり、背中のたるみが消える。意気揚々と引き揚げてきたが、しかし数分も経たないうちに背中にはお肉のたまり場ができてしまう。それでも毎日寄せていると効果はあるらしいが、普段背中を気にすることがないので、すぐに忘れてしまう。おしゃれをするのはなかなか骨なので、不精の権化である私は忘れっぽい性格と相まって、肉体改造は夢のまた夢。ドレスを着るたびに溜息をついてしまう。最近始めた筋トレも外見を変えるのが目的ではないから、もし変えたければそれなりの運動を取り入れてもらわないといけない。この背中は赦しがたいので、トレーナーに相談してみるか。トレーナーが言うには体のどこか重点的にというのは無理らしい。筋肉は全部動かしてこそ効果があるそうで、トレーニングはいつも全身くまなく行っている。週1回だけでどれほど効果があるかは疑問だが、やらないよりはましかな。いつまでも背筋のピシッと伸びたおばあさんになりたい。生涯の最後まで一人で毅然と生きるのが理想だけれど、現実の私は人に面倒みてもらうのが大好きで、すぐ泣き言を言う。理想にはまだまだ近付けないようだ。日中歩きながらも「いわばしる」が口をついて出てきたのにはまいった。

2013年9月1日日曜日

合宿2日目

葉山の湘南国際村の朝はさわやかに晴れた。昨日はさぞや皆で一色海岸の夜を楽しんだことだろうと思って朝食に行ったら、なんだか盛り上がらない様子。聞けばお目当ての海の家は閉店準備に忙しく、注文した物が来なかったり出来なかったり、せっかくタクシーを飛ばしていったのに、さんざんだったらしい。海は荒れていて暗く、星も出ていなかったし、風が強くて怖かったそうだ。おとなしく部屋に居て正解だったようだ。飲み足りない人達は帰ってきてホテルで飲み物を頼もうと思ったら時間が遅くて注文できず、自販機はなく、冷蔵庫は空っぽ。仕方なくおとなしく寝たらしい。ごくろうさまでした。朝は恐ろしく真面目なチェロ軍団が8時から分奏を始めていた。疲れを知らない人達だなあ。全体の練習は9時から。まさかと思うほど弾き詰めに弾いて、こんなに弾いたら私ならへとへとというところが、そうならないのが不可思議。日頃自分の生業で忙しくて趣味の楽器を弾くことが出来ないから、ここぞとばかり弾きたい気持ちはよくわかるのだが。2時間半の濃密な練習が終って今回の合宿は無事終了。仕上がりも上々。逗子在住のチェロとヴァイオリンのコンビのY夫妻のお陰で、発表会に向けての自信がやっと固まってきた。昼食は今年結婚したばかりのY夫妻が自宅に招いてくれて、ワインパーティーが始まった。Yさんのご主人の方はワインの目利きで、自宅のワインセラーには数十本のワインが常時備蓄されている。今日も次々と出してきて皆に振る舞っていたが、奥さんの方はこれでもかと料理を出してくる。ばりばりのキャリアウーマンで韓国と日本をかけずり回って仕事をして多忙なのに、料理が得意でとても美味しい。仕事が出来る人は料理も上手い。しばらくして、楽しげに飲んでいる人達に別れて帰宅した。野良猫がお腹を空かせて鳴いていないか心配で。でもノラの姿はなかった。あまりの暑さでどこかへ避難しているようだ。こちらが心配するほど彼らはヤワでないことくらいわかっている。たくましく、こちらが駄目ならあちらでもらうというように、図太く生きている。