2014年12月31日水曜日

寝床コンサート

去年の音楽教室の新年会で、ストラビンスキー「兵士の物語」を弾こうじゃないかと盛り上がった。
クラリネットU先生 ピアノK先生 ヴァイオリンはnekotama。

前からそんな話をしていたけれど、早くしないと私はヴァイオリンが弾けなくなってしまうかもしれない。
それで5月の初旬に初音合わせをした。

元々こういう現代曲は好きなほうで、ストラビンスキーといえば「春の祭典」
あの曲の最後の部分などは全く苦労なく弾けたほうだから、リズムには強いはずだった。
ところが音程がいけません。
ちゃんと音程を取ろうと思うと、指がねじくれる。
例えば本来同じ場所でとる5度音程。
ヴァイオリンは調弦が5度間隔になっているので、5度の音程を取るときには2本の弦の同じ場所を、1本の指で押さえることになる。
どちらかの音にシャープかフラットが付いていれば、同じ場所にはならないので、2本の指で取る。
ところがこの「兵士」では、1本離れた弦の同じ場所を2本指で押さえなくてはならない。
しかもその間の弦にシャープのついた5度音が入っているから、それをもう1本の指で押さえる。
3本の指がギリギリとせめぎ合って、正しい音程を取るのは至難の業。
それをかなりの早いテンポで入れるので、たいてい最初の音は上手く取れない。
そんなことの連続で暫く練習を重ねていても、本番がないと本気にならないのが私の悪い性格なのだ。

大体形がついたところで音楽教室の発表会で弾かせてもらおうと思ったら、時間がどうのと言われて実現できなかった。

それで一時中断。
それでも1度やりかけたことなので、どこかで猫以外に聞いてもらう本番を・・・ということになった。
我が家のレッスン室でも、多少のお客さんは呼べる。
詰めれば20人ほどは入れるだろう。
ギュウギュウで良ければ30人はいける。

寝床という落語がある。

長屋の大家さんが浄瑠璃に夢中で、店子を集めては唸る。
ところがその浄瑠璃が恐ろしく下手くそで、店子達はなんとかして逃げ出す算段。
その言い訳と大家の脅しが面白い。
大家の脅しにあって、結局聞くはめになるのだが・・・・

「うまい!」「浄瑠璃が?」「いや、羊羹」
「おい、頭を下げろ、浄瑠璃に頭を直撃されるとてえへんだ」
などと店子達は大騒ぎ。
1人丁稚が泣いている。
大家は、丁稚が感動して泣いていると思ったのだが・・・

落ちの決めぜりふが「そこは、あたしの寝床なんです」

ご存じ落語の「寝床」

そんな感じになってきたから、先日「雪雀連」のメンバーに
出した案内は「寝床コンサート」と銘打った。
お茶と羊羹を出さなければいけないかしら。
来年1月18日(日)の予定。
耳の遠い方、怖い物聞きたい方などにはうってつけの演し物ですなんちゃって。

2時からです。どうぞお運びを。

羊羹は・・・出ません。
















2014年12月30日火曜日

ぶり大根

246を厚木方面へ。
今日は昨日の寒さとは打って変わって、晴れた暖かい1日だったけれど、富士山が見えないので少しがっかりした。

生協にお正月用品を受け取りに行って、野菜売り場を覗いたら大きな大根が。
私は大の野菜好き。

ある時、近所の無農薬のお店で大きなキャベツをレジに持って行ったら「これは食べでがありますよ」私は「すぐに食べちゃうのよね」
殆ど同時に言って、相手に変な顔をされた。
キャベツはいつも丸ごと買って、あっという間に食べてしまう。
前世はどうやら、キャベツに止まる青虫だったようだ。

さて丸々と膨らんだ真っ白な大根は、いかにも新鮮で瑞々しい。
この季節、大根はすごく役に立つ。
蜂蜜に浸けて上澄みを飲むと、喉の薬。
味噌汁に入れたり鍋のたれにつきものの大根下ろし、お蕎麦にもおでんにも、幅広く使える。
特に寒いときのぶり大根。
煮汁の染み込んだ大根は、ぶりよりも美味しい。

魚売り場へ行くと、
あった!見事なぶりのカマ。
ぶり大根は、どうしてもカマの部分が欲しい。

家に帰って、大根にサクッと包丁を入れる。
いい匂いがする。
一切れ口に入れると、ほのかな甘みと苦みが何とも言えない美味しさ。
つい、つまみ食いをした。
これは生で食べるのが、一番美味しいかも知れない。

ぶりと大根は仲良く鍋の中で肩を寄せ合って、数時間後にはしっかりと味が染み込んでいた。
ふうむ、白いご飯が欲しい。
でも私は夕飯は炭水化物を抜いている。
でないと、どんどん太ってしまう。
日本料理は、どうしてこんなに優れているのかしら。
ぶりと大根を一緒にする発想自体がすごい!
他の野菜、他の魚ではこうはいかない。

残りを明日の昼に、白い炊きたてご飯と一緒に食べよう。
うふふ、食べたいでしょう?

















2014年12月29日月曜日

今年のカレンダー

毎年マンネリのようでいても、なにかしら変化している。
年齢を重ねて、沢山の人達とのつながりが出来て、そこから又新たな出会いがあって・・・
仕事が少なくなってきてヒマが出来たら、今度はしっかりとヴァイオリンと向き合わさせられた1年だった。
それは良き友人達のお陰。
特に、真面目なピアニスト達のお陰が大きい。
私は隙あらば遊びたいと思っているのに、次々に課題を与えられて首に縄付けて引きずられてきた。
それでまだなんとか指も回るし、運弓もさほど不自由はしないけれど、やはり年と共に色々問題は出て来る。

まず、指が曲がってくるので音程が定まらない。
私は練習さえしていれば音程は保たれると思っていたけれど、伏兵がいた。
指の関節炎は、女性なら更年期の頃から始まる人が多い。
私もご多聞に漏れず、10年間ほどは炎症と変形に悩まされた。
関節が腫れ上がり、変形していく段階がひどく痛む。
変形し終ると次の指に炎症が出る。
といった具合に、1本ずつ曲がってゆく。
それが全部終ると、とりあえず、痛みは治まり小康状態になるけれど、又いつ再発するかはわからない。

初め、左手の小指が曲がってしまったときには、ヴァイオリンで言う4の指(小指)の音程がどうしても低くなりがちだった。
長年のくせで、いつものところに小指を置くと、曲がった指はいつもの音程よりも低くなってしまう。
それを修正しながらの仕事は、大変だった。
瞬間的に、小指を少し伸ばさなければいけない。
そのうち他の指にも変化が顕れて、一時期音程の修正に追われた。
今、指はほとんど曲り終って安定してきているけれど、今度は自分の耳がどこまで正常に音程を捉えられるかの勝負が始まる。
それが毎日の課題となる。
若い頃ならなんともなく弾けた16分音符が、指の都合で音程が悪いことがあって、練習を何回も繰り返さないといけない。
例えばドレミファとかドシラソなんて簡単な音程が、気になる。

若い頃は、先輩達が演奏をやめてしまうのが不思議だった。
歳をとっても、毎日練習すればいいじゃない、とか思って。
自分が実際その年齢になってみると、なるほど、こういうものだったのかと実感する。
けれど、私はもう少し弾いていたい。
せっかく色々なことが良く見えてきて、なにかを掴みかけているときにやめたくはない。
これが業というものでしょうか。
しかし、年齢は情け容赦なく先へと進んでしまう。
これは本人の努力の外なので如何ともしがたい。

今年のカレンダーをシュレッダーにかけながら、来年はどこまでいけるかなと考えていた。
うっかり、あと2日残っているのに12月の分までカットしてしまい、あと2日の予定がわからない。
まったく!おっちょこちょいだけは、子供の頃から私の中で不動の位置にある。















2014年12月28日日曜日

コンサート忘年会

毎年恒例の「雪雀連」の忘年コンサート。
深川のコンサートサロンにて。
中々会場が決まらず、とうとうこんな遅くなってしまったけれど、無事に終った。
会場には三々五々、適当に人が集まってきた。
演し物は、シューベルト「鱒」の4楽章。
バッハ「2つのヴァイオリンのためのコンチェルト。
ヘンデル「ソナタ4番」
ベートーヴェン「ソナタ7番」
パッヘルベル「カノン」
歌はモーツァルト「魔笛からパパゲーノのアリア」他

時間の設定がよくわからなくて、出演者が少なくて時間が余ると言うから、生徒達をかり集めてきてもらったら、もうそれどころではなく忙しくて、結局弾いてもらうはずの曲が入らなくて、彼らはさぞがっかりしたことだと思う。
気の毒なことをした。
古くからの友人達といまだに一緒に演奏出来るのは幸せなことだけれど、腰が痛いとか熱が出ているとかで、2,3人は宴会にも出ないで帰ってしまった。
そんな状態でも演奏にだけは来てくれるのが、ガクタイ魂。
どんな時にも約束したことは全うしてくれる。

そんなこんなでバタバタと終ってしまい、その後は近所のお店で飲み会が始まった。
深川と言えば深川めし。
期待して行ったけれど、それはメニューになくて、その代わり焼き鳥やチジミなどが大変美味しかった。
店構えからは想像出来ないくらい上品な味。
健啖家揃いの「雪雀連」は賑やかに今年の締めくくりをした。

このグループも高齢化が進み、会長は来年84才。
その会長が一番元気で、3日ほど奥志賀に行って滑っていた。
そして昨日軽井沢の娘さんのところに寄り、今朝の新幹線でこの会場に駆けつけるというハードスケジュール。
しかも明日もお仕事だそうで、全くどこまでタフなのか。
去年は前立腺の手術をして、元々痩せている上に又痩せてしまったのに、今年はもうツヤツヤしている。
会長が元気なのがこのグループの支えとなっている。

来年2日から志賀高原で滑り初め。
「雪雀連」は年中一緒に遊んでいるけれど、さすがにメンバーは減ってしまっている。
一時期70名の会員数だったのが、今は30名くらい。
それもだんだん行事に参加できる人は減っている。
スマホも持たないのに、どんな場所でも、皆1人で来る。
結局、足腰が強く頭がしっかりしていることが、自立する高齢者になれる条件であるようだ。
自立しているから、愉快な生活が出来る。
人に頼らず、足が地についていて仕事もしている、これがしゃきっとした背筋の伸びた人達を作り上げている。
このグループでは、私などはまだ若輩者なのだ。
















2014年12月25日木曜日

一国の主に対して

キムジョンウン氏の暗殺計画のコメディー映画が上演中止になったことをオバマ大統領が批判したというので、急遽上演することになったと伝えられる。
表現や言論の自由とかいうけれど、私は一国の主席にたいしてこんな失礼な事をやってもいいのかと、その方が気になる。
そもそもこんな映画を作るのは、その国を非常にバカにしていないと出来ない。
実際にキムジョンウン暗殺計画はあるらしいので、なおさらこれをパロディーにする神経がよくわからない。

北朝鮮は確かに絶対あの国に生まれたくないと思う様な国だけれど、その国民は自分の国をバカにされたくはないはず。
どんなに酷い生活でも、そこに生まれてしまった以上は、国を愛する気持ちは他の国の人と同じだと思う。
将軍様を苦々しく思う人は多いと思うけれど、よその国からはバカにされたくないでしょう。
日本の戦前の教育がそうだったように、あの国も子供の時からたたき込まれた信念は他からの付き崩しがない限り、そんなものだと受け入れていると思う。
もし戦前の日本で天皇が暗殺される映画があったら、国民は激怒したのでは。
ほんとうに失礼なことだとは思いませんか。

オバマさんだって自分が黒人であることで、幾多の差別に遭ってきて、それを言論の自由だとかたづけられないことも度々あったはず。
それにしても北朝鮮の人々は気の毒でならない。
特に子供達。
飢えに苦しんでやせ細っている彼らに対し、軍の上層部は食べたい放題。

先年行ったチベットの人達を思い出す。
痩せて真っ黒に汚れた顔で、力なくほほえむ彼ら。
体を地面に投げ、五体投地で聖地に向かってノロノロ進む彼ら。
湖の畔の人家もない場所を這うようにして、祈りを捧げている。
なにをが彼らをそうさせるのかというと、極貧の生活、全く希望の見えない将来。
彼らも又、中国政府によって自由を奪われ、生活苦にあえいでいる。
世界からこの様な人達が居なくなる日は来ないと思うけれど、貧しくとも自分たちで統治出来る国であれば、不満は少ない。
それがよその国だった大国に襲われてのことならば、彼らの絶望感はいかほどのものか。
生き仏のダライラマは戻ってこない。
教育も受けられない、仕事もない。
今の日本の若者は、どんな状況でもとりあえず食べていける。
住む家もある。
切羽詰まれば生活保護もある。
チベットの人達は、一切の援助は望めない。
死ぬ一歩手前のギリギリのところで、生きている。
そんな状況を目の当たりにして、胸が痛くなった。

行ったことはないけれど、北朝鮮の人達も同じような境遇にあえいで居ると聞いている。
日本は今、平和で誰もが自由に話すことができて、こんな良い国はないと思うけれど、これも私たちの先祖が、つらい差別や貧しさを抜け出るために働いてくれたお陰。

あのバカな戦争に負けて、そのために自由が獲得出来たと言うべきか。
あそこで勝っていたら、北朝鮮のような軍の独裁国家でいたかもしれない。
こんな駄文を書いてはいられなかったかもしれない。
ものを言うとすぐに掴まってしまうような時代が来ないことを、切に祈っている。
敗戦は国民にとっては勝利だったようだ。

言論の自由は勿論素晴らしい。
でもそうだからと言って、他をバカにすることが自由と言えるかどうか考えて欲しい。









2014年12月24日水曜日

ナッツ姫

連日報道されている韓国の「ナッツ姫」
生まれながらに周りの人達は自分よりも階級が下となれば、ああなってしまうのは良く分かる。
桁違いの韓国の財閥一家に育ち、怖い物知らずで我儘に振る舞うのは、当然のことと言える。
飛行機を引き返させるくらいは、ほんの序の口。
その様に育ってしまったことが、彼女の不幸だった。
栄耀栄華にあぐらをかいて、周りがおべっかばかりの人達に囲まれていれば、ああならない自信はありますか?

私なら、もっと我儘になっていたかもしれない。
すべてを親の責任には出来ないけれど、彼女を取り巻く環境も悪かったと言えるかも。

私は兄弟達から良いこと悪いことの区別を躾けられていたけれど、末っ子だからというのでかなり甘やかされた。
それで、我儘に育ってあちらこちらで問題を起こしていたけれど、母親が唯一「人に威張ってはいけません」と言った言葉は終生忘れないと思う。
「どこでどんな人にお世話になるかもしれないから」というのが母の口癖だった。
今まで見下していたような人が、後に自分にとって大事な人になるかも知れない。
それは処世術とみれば嫌らしいことだが、母の苦労が言わしめたと思う言葉だった。
それで威張らないようにとは思うけれど、やはり時々は威張りたくなることがある。
それは相手が威張りやの時。
威張ってこられると、かちんときていばり返したくなる。
人間が出来ていないからね。

私がやったカフェでのナッツ姫もどき。

あるとき東京の埼玉県寄りの街に、我が友ノンちゃんの人形劇を見に行ったときのこと。
まだ時間が早かったので、ちょっとお茶を飲もうと喫茶店に入った。
つれは男性2人。
コーヒー3つとシュークリーム1つ。
コーヒーはすぐにきたけれど、シュークリームがこない。
しばらくしてウエイターに「シュークリームはまだ?」と訊くと、明らかに狼狽して「あ、ただ今すぐにお持ちします」
あ、忘れていたなと思ったから、ちょっとからかってみようと思って「そろそろ、こうしようと思っていたのよ」と言って、テーブルをひっくり返すまねをした。
そうしたら驚いたことに彼は真っ青になって、飛ぶようにシュークリームを持ってきた。
それも3つも。
「あら、一つでいいのよ」と言うと「これは店からのお詫びです。どうぞ召し上がってください」
そこで連れの男どもは、恥ずかしいと言って顔を伏せている。
私は笑いながら言ったのに、真に受けられてしまった。
笑いながらというのが非常に怖かったのではないかと、男どもの意見だった。
会計の時にもシュークリーム代は結構ですと言われ、支払いをする連れはうつむき加減で非常に恥ずかしそうだった。

ほんとうにテーブルをひっくり返さなかったけれど、ちょっと悪かったかしらと反省はした。
いまだにお笑い草となっている。

もし私がナッツ姫だったら、ウエイターを蹴飛ばしたりしていたかも知れない。
喫茶店は閉鎖されていたかもしれない。

その後、この財閥一家の悪行が出るは出るは・・・
韓国の庶民達の怒りが、頂点に達していたのだと思う。
この人達に「人に威張ってはいけません」と言ってくれる母親がいなかったのが、悲劇だったようだ。

























2014年12月23日火曜日

冬の箱根

土曜日夕方、南足柄市文化会館を出発、一路箱根へ。
どしゃぶりの雨が降り続き、山の上の方は霧が出ているようだ。
何度も言うけれど、私はすごく恐がりで、雪もイヤだが霧はもっとイヤ。
箱根に来ると、よく山路で霧にまとわりつかれる。
雨は増々激しくなって、山路に差し掛かる頃には前も良く見えない。
白線に沿ってハンドルを操作する。
急カーブが続く。
暗いので対向車のライトが頼みの綱だけれど、それも急カーブだから突然現れる。
自分1人だと呑気にしていられるけれど、人を乗せていると気を遣う。

とにかく無事にホテルまでたどり着いてやれやれと思ったが、外に食事に出ることも出来ないほどの大降りとなってしまった。
かといって、ホテルのレストランで食べるのも時間を気にしながらゆっくりと出来ないので、今日は持っている食料でなんとかしようという事になった。
パンとチーズ、ハム、野菜などをかき集めるとかなりの量で、立派に夕食になった。
これは次の日の朝食を頼んでいなくて、そのために持っていった分だから、夕食としてはやや不足かと思ったら、充分だというのでワインを開けて部屋で皆でゆっくりと過ごした。
男性はリチャードのみ。
さっさと部屋に戻って行ったので、後は女3人。
午前3時まで話が尽きない。

次の朝は抜けるような冬の青空。
やや気温も緩んで、絶好のドライブ日和り。
毎年箱根に行っているので、どこも見ていないところはないから、芦ノ湖の周りをゆっくりと散策する。
イギリス人のリチャードは、気持ちよさそうに日差しを顔で受け止めている。
イギリスの日照時間の少なさを、ここで補っていくつもりらしい。
それを見て私は、温泉に浸かって気持ちよさそうにしているカピバラみたいねと言って、笑った。
途中で餃子会館に寄る。
ここには、1994年にロンドンアンサンブルが立ち寄った記念の色紙がある。
店の奥さんが喜んでリチャードと暫くお話をしていた。

夕方、次の宿の離宮に到着。
ここはエクシブという、会員制の素晴らしいホテル。
リチャードがホテルの名前をエクスペンシブ?と間違えたのかと思ったら、オヤジギャグだったようだ。
今年は前の日が予約出来なくて、結局1泊になってしまったが、ここで2泊するのがいつものことだった。
近くの宮ノ下駅の目の前にあるレストランは去年来た時、開店したばかりだった。
その時にはお客さんもちらほらだったのに今年行ったら満員で、予約した時点ではカウンター席しかとれなかった。
メニューも豊富で味も良く、テキパキと働く奥さんが感じがよくて満足して外に出ると、恐ろしく冷たい風に巻き込まれて、キャアキャア言いながら走って帰った。
前夜が遅かったので、少し早めに床につく。

しかし、眠れない。
睡眠名人を自認する私が、珍しく眠れない。
考えていたら枕のせいらしい。
朝になってから、このホテルでは数種類の枕のスペアがあるということを知った。
それは手遅れだったが、遊んでいるので別に眠る必要もない。
それで殆ど眠れないまま、帰路についた。

今年は若者が一緒でなかったから、行程はゆっくりで短かった。
それでもひどく疲れたのは、土砂降りの中を運転したから。
箱根の冬は気持ちが良い。
雪さえなければ、冬にドライブするのがベストだと思う。
富士山の真っ白な姿が、冬晴れの青空に悠然とそびえ立つ姿が、神々しかった。


























2014年12月20日土曜日

寒いのに箱根へ

ロンドンアンサンブルのコンサートの最後は南足柄市文化会館で、ヴァイオリンとチェロのメンバーが替わる。
タマーシュとトーマスはロンドンに帰っていった。
いつもの年はトーマスだけ残って、一緒に箱根に行って遊ぶのだが、今年はロンドンでどうしても外せない演奏会があって、一足先に帰ってしまった。
タマーシュはヨーロッパだけでなく、アジア圏にも沢山の演奏旅行があって、かれはロイヤルフィルのサブコンマスだから、やはり帰国して、その後はどこかへと又旅立つのでしょう。

帰る日に会えなくてちゃんとさようならを言っていないのが、心残りだけれど、又来年の再会を楽しみにしている。
今日はコンサートが終る頃会場に行って、美智子さん夫妻とタンバリ二スト絵美さんと合流。
3日間の温泉で英気を養うことになっている。
やんちゃなトーマスがいないので、寂しいかも知れない。
彼と美智子さんの夫のリチャードはいたずらっ子で、階段の手すりを滑り降りたり、エスカレーターを逆走したり、2人でわっはっはと笑いながら、戯れる。

演奏するときの神経質さが嘘のようだ。
演奏で神経使うから、普段はこの様に発散するのがガクタイ。
それでガクタイは普段はバカみたいに見える。
中には「みたい」でなく、私のような本物も混じっているけれど。
天気予報では今夜は雨。
箱根の冷たい雨に、なにを好き好んで濡れにいかなければいけないのかと思うが、最後の会場が南足柄市だから一番近場と言うことだし、毎年行っているから、今年も箱根になった。
雨が雪にならないと良いけれど。
数日前に車のタイヤをスタッドレスに履き替えて準備万端。
スタッドレスを履いても、雪になったら運転しないからねと、宣言してある。

今まで雪道は1回も運転したことがない。
1度雪道の運転講習を受けたいと思っているけれど、何回も助手席で車の滑るのを体験しているから、恐怖が身についてしまった。
制御不能となった車ほど恐ろしいものはない。
自分でコントロール出来る自信はないから、雪が降ったら車は代行運転で自宅に送り返し、電車で帰ってくるつもり。
私は人から、ずいぶん怖い物知らずとか無鉄砲とか言われるけれど、実は超小心者なんです。














2014年12月19日金曜日

月例弾く会

今年もずいぶん良くお勉強いたしました。
それは私の事ではなく、3人のピアニスト達。
ピアノ弾きの勤勉ぶりには、恐れ入る。
ほんとうに真面目で(この年になっても)学生みたいに良く勉強する。
いや学生以上かも知れない。
若い頃は指も良く回るし視力も良いから、初見で弾けたりするけれど、私たちくらいの年になると、脳みそと指が直結しない。
楽譜を見ているのに、なぜか見ていない。
理解出来て居ない。
視力が曲に追いつかない。
まあ、色々問題は出て来るけれど、最近までは理解力や洞察力で補えると思っていた。
それがだんだん怪しくなってきた。
視力がいかに大切か思い知らされた。
それを補うのが練習量。
膨大な練習時間を経て、やっと自由に弾けるようになる。
私は練習量が足りない。
だから、こんなところで戯言をほざいているヒマがあったら、練習しろっつうの。

今日は今年最後の弾く会なので、終ってから会場近くの中華レストランで忘年会をすることになった。
鼻先にニンジンをぶら下げられて走る馬のように、中華料理に気持ちが流れる。

簡単なお茶会の後で、それぞれ持ち寄った曲を披露する。
今日はソプラノのMさんがサンサーンス「サムソンとデリラ」から「君がみ声に我が心開く」を熱唱した。
曲も素晴らしいけれど、彼女の声がどんどん出てきていることに感動した。
歌う毎に声に艶が出てきているのはすごい!
長年プリマとしてステージに立っていたキャリアが、威厳とオーラをはなっている。
顔もオペラ歌手そのもので、大輪の花のようなのだ。

3人のピアニストもそれぞれ負けん気の強い優等生タイプ。
そこへ行くと弦楽器奏者はオーケストラで揉まれ、合奏のために自分を人に合わせる訓練を長年に亘って強要されるから、いじけている。
しょぼくれているのは、そのためなのだ。
と、言い訳をしておこう。
今日は特に若いFUMIKOさんが居なかったので、私1人ではこの強力な軍団に勝てるわけはない。
もとより勝つつもりもない。

今日はベートーヴェンの7番の「ソナタ」を弾いた。
これでベートーヴェンの「ソナタ」は6番を残すのみ。
ただ6番は当分弾く気はなくて、しばらくベートーヴェン以外の曲を弾きたい。
今はモーツアルトの「ディヴェルティメント17番」のヴァイオリンパートを毎日楽しく弾いている。
全曲50分くらいかかる長い曲だけど、いくら弾いても飽きない。
いつかもう1度この曲を、ステージで弾こうと思っている。

中華料理は素材の良さと調理の上手さもあって、駅からも遠く閑静な住宅街にあるのに、お客さんはいつもいっぱい入っている。
マンドリン奏者のSさんの住まいがこの近くだとは知っていたけれど、今日探したらあまりの至近距離でびっくりした。
彼女の家にも2回くらいお邪魔していたのに、いつも夜来たので様子が違って見えていたのだ。
一緒に中華いかが?と連絡したら、私たちの食事が終った頃、顔を出してくれた。
初対面の私の友人たちともすぐ打ち解けて、この次からはマンドリンの演奏も聴けるかも知れない。
又楽しみが増えた。



































2014年12月17日水曜日

ラーメン食べた

nekotamaを読んでくれた人に会ったら「ラーメン食べたいんでしょ?」とラーメンに付き合ってくれた。
年に数回は食べるけど、私は食事が単品なのが好きでなくて、おかず色々並べて食べたい方なのだ。
例えば天丼よりも天ぷら定食というように。
丼物もあまり食べないけれど、今日はせっかく誘ってもらったのだから、ラーメンの気分になった。
昔からある醤油のシンプルな物が食べたい。

そこの店では濃厚なスープが主流らしく、醤油ラーメンは色々な種類の沢山の写真の中にすまなさそうに埋もれて、やっと見付かった。
殆どがセットになっていて、一番多いのが餃子とラーメンのセット。
中国人の友達が日本に来て、ラーメンと餃子を食べている人を見てびっくりしたそうだ。
なぜ?ときいたら「ラーメンも餃子も主食だから」と言う。
主食に主食はおかしいでしょう。見て笑ったよと言う。
ああ、そうなんだ。
向こうの人はお正月にもお餅でなく、餃子を食べるらしい。
日本人の私たちから見ると、中に野菜とお肉やエビが入っているのだから、これは副菜だと思いがち。
しかし、彼らは餃子はお目出度いときに食べる、日本で言えばお餅のような物だという。

今からウン十年前、初めての海外はアメリカへの演奏旅行だった。
なにもかも珍しく、食べるものも美味しかったし楽しい毎日だったけれど、ただ一つ、汁もののソバ類がなかったのが残念だった。
ご飯はさほど食べたいとは思わなかった。
けれど、無性にラーメンが食べたくてチャイニーズレストランに入っても、焼きソバばかり。
その頃はまだ日本食のお店は少なく(どれほど昔のことかわかるでしょう)中華レストランはすでにアメリカにもかなりあったのに、日本食レストランは少なくて、高い上にまずいから入らない方が良いと言われた。
1度だけ現地の人が気を利かせて、日本食レストランでの会食があったけれど、何の記憶もないところから、よほどおいしくなかったと思われる。
私は、なにもアメリカで日本食を食べることもないと思って、巨大なステーキと山のようなサラダ、頭が痛くなりそうに甘いケーキを毎日喜んで食べていたら、1ヶ月半で3キロも太ってしまった。
あの国の人達が信じられない肥満が多いのも、頷ける。

それで毎日食べているご飯や漬け物、味噌汁などは別に思い出しもしなかったけれど、ラーメンは同行した誰もが食べたがったのが不思議だった。
ラーメンというのは中国のものではなくて、日本人が発明した中華料理なのだと初めて気が付いた。
中国へは4回も行ったけれど、やはり日本のようなラーメンはない。

今日食べたから、さてこの次は来年のいつ頃になるかな。





















オートマかマニュアルか

数年前、長崎に仕事に行った。

仕事が終って、次の日は少し時間に余裕があったから最終の飛行機で帰ることにして、レンタカーでドライブをした。
ここ何年も阿蘇に行っていないから、私の大好きな阿蘇山をグルッと回って、熊本空港から飛行機に乗る予定をたてた。
朝一でレンタカーを借りるために営業所に行った。
すると、車がない。
たった1台、三菱のマニュアル車ならありますとのこと。

私が免許をとったころは、教習所の車も街を走っている車もマニュアル車だった。
もうずいぶん長いこと、マニュアル車は運転していない。
どうしようかと思ったけれど、他のレンタカー営業所を探すのも面倒だし、かつてはそれで免許もとったことだし、多分運転できるだろうと借りることにした。
なぜそんなに車がないのかと訊いたら、おくんち祭りの最中だった。
日頃から世の中のことは疎くて、周りのことに無関心。
だから長崎の空港に着いてからも、街の中を見ていない。
どこかにお祭りの気配を感じても良さそうなのに、空港ーバスー仕事の会場ーホテルー飲み屋ーホテルという具合に限られた行程をこなすだけだから、ちっとも気が付かなかった。

マニュアル車でトロトロ動き出す。
時々ギアを入れ忘れ空ぶかしするくらいで、思ったよりもしっかり操作を覚えていた。
若い頃さんざん運転したし、その頃覚えた事は最近になって覚える事よりもずっと身についている。

数キロ行くともう鼻歌まじり。
これはラッキーだったかも。
阿蘇山の周辺を回って草千里まで行くつもりだから、オートマよりギアが付いた車の方がよほど面白い。

のんびり周りの景色を楽しみながら阿蘇へ。
山の中腹に茶店があって、そこで小休止。
中へはいると壁に「だごじる」と貼ってある。
「だごじる」とはなんぞや?
まだ午前の早い時間だったので、観光客はいない。
茶店のオヤジさんとおばさんたちが数人、お茶を飲んでいる。
だごじるってなあに?と訪ねると「団子汁」のことらしい。
「食べるか?」とおじさんに訊かれたから、勿論いただく。
まあなんといいましょうか、野菜汁に小麦粉の団子が入ったような物だった。
おばさん達が漬け物をどさっと出してくれて、だごじるは「勘定はいいよ」てなことになった。
日本全国、親切な人がいるものだなあ。

地元民の親切に感謝して、一路草千里へ。
久々に馬に乗りたくて、さっそく曳き馬のコーナーへ向かった。
この馬が横幅の広い頑丈な農耕馬。
サラブレッドのスマートな馬とはワケが違う。
おとなしいけれど、ちょっと鈍そう。
それでも一面の草原をゆらりゆらりと揺れていくのは、中々乙なものだった。
風向きによって噴煙がなびくので、その日は一部立ち入り禁止の箇所もあったけれど、穏やかな日で気分は上々だった。
ノンビリしていたけれど、熊本空港が意外と遠いのを発見して青くなった。
4時までに空港の営業所に、車を返さなければいけない。
ナビを見ると、グルッと回る大きな道を行くより、山路の方が近い。
それからは細くて急な山道をひた走って、ジャスト4時に営業所に滑り込んだ。
その頃にはマニュアル車はすっかり手なずけられて、ギアチェンジが楽しくなってきた。
やはり山路は断然この方が面白い。

目的は、阿蘇の話ではなくて、ギアのはなし。
最近日産でギア付きの小型車が販売されている。
ギア付きというと、国産車では軽トラックのようなものしかなかった。小型乗用車では珍しい。
先日その姿をみたら、白地に赤の縁取り。
色も可愛いし、燃費その他で今乗っている車より、断然費用がかからない。
同じ車種でオートマもあるけれど、もしその車に乗り換えるならギア付きにしようかと思っている。
なにも年取ってから物事を複雑にしなくても良さそうなのに、いつまでも心が子供だから、より面白い物に惹かれる。
山路でギアを選びながら走る、それが上手くいったときのうれしさが忘れられないで居る。


























2014年12月16日火曜日

ラーメンは回避

昨日は夜中に目が醒めたら、お腹が異常に空いていた。
こういう時は体調を崩すサインなのだ。
ここで食べてしまうと絶対ダメだとわかっているから、なんとか夜中のラーメンは回避した。
それでも何度かインスタントラーメンの袋に手が伸びる。
考えてみたら、昼間の食事の満足度が低いと、こうなってしまうらしい。

昼は澁谷駅構内のそば屋で天ざる。
この天ぷらがバリバリに冷たくなっていて、昨日揚げたのかしらと思ったくらい。
それでもお蕎麦は美味しいし,注文してから出て来るまでが異常に早い。
入り口で注文して席を探して腰掛けると、もう目の前に蕎麦が。
どういうシステムかは分からないけれど、急いでいるときにはありがたい。
厨房では休む間もなく働いている人がいるのだろう。
いつ行っても混んでいるけれど、行列して待ったことはない。
澁谷駅構内なので、これほど早く出来なければ、客をさばききれない。

仕事が終って帰る頃には夕飯の時間。
朝から出ていたので用意をするヒマがなかったから、商店街の総菜屋さんで鰺フライを買う。
この総菜やさんは何十年も同じ場所で営業している。
丁度三角州みたいになった分かれ道の角にあるから、駅から歩いてくると真っ正面に見える。
店は小さく外見は冴えない。
それで、長年この前を通って帰宅するのに偏見があって、ここで買い物をするのはまれだった。
揚げ物と焼き鳥ばかりだし、たぶん冴えない味なのかと。

ところが最近、食事の用意が出来なくて時間も遅く、他の店が閉まっていたときに、仕方なくそこで買い物をした。
買ったのは鰺フライ。
食べて見ると、肉厚の鰺がカリッと揚がってとても美味しい。
それからやみつきになった。
しかも店員さんがすごく親切で感じが良い。

なるほど、納得。
なにを納得したかというと、数年前に大手の総菜ショップがこの店の斜め向かいに店を出した。
お店も綺麗、品数が豊富。
これは気の毒だけれど、あのお店は潰れるなあと思っていたけれど、潰れたのは大きいお店の方だった。
2年も保たなかった。

それでも私は、鰺フライやさんの方では買い物をしなかった。
思えばこんなに美味しいフライを買えるのなら、自分で下手くそなフライを作らなくても良かったのだ。
忙しくても、こういう物は自分で作るものだと頑なに考えていたけれど、それが生活をますます忙しくしていた。
もう少し手を抜いて時間のゆとりを作ったほうが、どれほど楽になったかと思うと、ちょっと悔しい。
いつもは楽器を弾くには脱力が不可欠なんて言っているのに、肝心の生活は脱力できていない。

昼に天ざる、夜は野菜沢山のスープと鰺フライだったから、揚げ物続き。
味に変化がなかったので欲求不満になったらしい。
それで夜中のラーメンが欲しくなる。
夕食は刺身に豆腐なんかだったら良かったかも。
味にメリハリがないと、欲求不満になってしまうのか。
今、我が家の猫どもはハンスト中。ちっとも食べない。
毎日同じ缶詰ではイヤなんですよね、猫さんでも。















2014年12月15日月曜日

ラーメンが食べたい

今、無性にラーメンが食べたい。

オーケストラの演奏旅行で全国を旅していたときには、飲みに行った後にラーメンが定番だった。
酔っぱらった後に食べるラーメンは、それはそれは美味しかっ
た。
仕事仲間は男性が多かったから、若くてまだ社会経験もない私もいっぱしのガクタイになったつもりで、今思えば相当無理をしていたようだけれど、そんなことが大人になった証しのような気がしていた。

大抵の旅は車で。
カークラブなるものがオケ内にあって、演奏旅行の時には数台が連なって移動していた。
それがすごく格好良く見えて、私も免許を取りに行った。
そこに入れてもらいたくてお願いしたら、新車を買ったら連れてってあげるよと言われて買ったのが初代カローラ。
まさかそう言っても買うまいと思っていた人は、びっくり仰天したらしい。
まだ若い女性を車の旅行に連れて行くのはいかがなものかと協議したらしいけれど、一旦口に出してしまったあげくに新車を買われてしまっては引っ込みがつかない。
それで皆で私の面倒をみようということになった。

そんなわけで、免許をとってすぐにベテランの中でもまれ、初めての旅行では日本の3分の2くらい走ってきた。
高速の少なかった(東名もなかった)時代、夜中に山路を走ったり、途中で車が故障して国道沿いで野宿したり、初ドライブは緊張とスリルに満ちていた。
北は新潟から南は九州の殆ど、四国に渡り、山陽道から東海道を戻って来た。
その間ベテラン達の気苦労はいかほどのものだったか。
私なら初心者なんて絶対連れていかないけど、心の広いおじさま達は必死にサポートしてくれた。

走りのコツ、例えば当時はオートマではなかったからギアチェンジのタイミング、追い越しのやり方、高速道路の走り方、その他細々とした走りのルールなどをたたき込まれたお陰で、今でも時々ポールにぶつけることもあるけれど、大した事故も起こさずやってこられた。

地方の会場で仕事が終ると、次の行程によっては夜中に走って目的地に先に行ってしまうこともあったけれど、大抵はその土地で宿泊する。
仕事の後のお酒は美味しい。
たいして飲めるわけではないけれど、酒席は好きな方で、その土地の物を食べ、地酒を飲み、陽気にホテルに戻っていく。
そういう時にふとラーメン店が目につくと、誰がということもなしに入ってしまうのがいつものことだった。

オーケストラをやめてからも、旅の仕事は最近までやっていた。
けれど、さすがに飲んだ後のラーメンはもう出来なくなった。
そのせいか、普段は滅多にラーメンを食べないのに、時々夜中に無性に食べたくなることがある。
食べたら後で胃がもたれて大変なのに、我慢出来ない。
それは1年に1回くらいだが、楽しかった演奏旅行の後遺症かもしれない。
思い出とラーメンが結びついたときに、そうなるのかも。

今日はそんな日、体に悪いからなんとか回避したいので、こうやって書いているけれど、さあ、我慢出来るかな。

どうする、どうする。




















2014年12月14日日曜日

投票日

規則は破るためにあると思っているけれど、私が唯一真面目に守ってきたのは、選挙の投票。
私の場合は、野党を強くしたいという目論みでするのだが。
最近まで自民党がずっと政権を持ってきて、その目に余る杜撰な政策のお陰で年金は破綻、一部ゼネコンだけが潤い、職にありつけない若者が世に溢れ・・・そこに風穴を開けたのが民主党・・
やれやれ新しい風が吹くと思ったら、これがとんでもなく無能でやることなすこと失敗続き。
というより、民主党は気の毒に運が悪かった。
政権を奪取したまでは良かったけれど、その後の大震災、原発事故と重なり、表立つ事に馴れて居なかったために、右往左往して結果は自滅。
初めのうちは颯爽としていたけれど、言うことがなんだか中学生レベル。
学級委員が話しているようで、皆さん廊下を走らないようにしましょうレベルのやりとりを聴いていてうんざりした。

プロの政治家と言える人がいない。
ちょっとテレビで顔を知られて選挙に出て、当選したような人たちは、国政がどんなものかはご存じない。
勿論私も知るわけない。
その私ですら、ん?と思う程度の低さにはまいった。

政治の世界は不思議で、明らかに犯罪といえる罪を犯した人が、のうのうと再度復り咲く。
世間の人はこんな犯罪者にも再び投票するらしい。
普通は嘘をついたら、舌を切られるものなのに。

それでいつも絶対にそういうことのないように、たった1票であろうともおろそかに出来ないから、絶対に棄権しない。

ところが、長年かならず投票に行っていたのに、最近棄権してしまったことがある。
前日までは覚えていた。
当日の朝も今日は投票日だと、分かっていた。
それなのに、気が付いたら投票時間が過ぎていた。
なにをしていたかというと、思い出せないけれど、格別忙しい日でもなかったような気がする。
ほんとうにショックだった。
投票をしなかったこともだが、すっぽり頭からそのことが抜けてしまったことが1番こたえた。

政治にさほど関心も知識もないけれど、やはり自分の国の行方がもし自分の1票できまるなら、絶対に参加しなければいけない位の責任感は持っている。
それなのに、その権利あるいは義務を忘れてしまうとは。
今回はいつも目につくようにと、投票用紙を食卓のずらりと並んだ酒瓶の間に挟んである。
お酒に手を伸ばす度に目につくからよもやと思うけれど、いよいよ怪しくなってきた脳みそが、それすら見逃すかも知れない。

昨日の夜、酒瓶から移動して、譜面台に投票用紙を載せて置いた。
ここなら必ず一番最初に見るから。
それが良かった。
今朝も投票のことをまるで忘れていた。
危うくなってきたなあ。
高齢化社会、悪気でなく忘れる人が多くなっているかも。

















2014年12月13日土曜日

車好き

毎年この時期になると長兄からの招待で、姉妹が集まる。
元実家のあったところに住む兄は、一族のとりまとめ役を自認しているらしく、昼食会を開いてくれる。
長姉が他界して今は5人兄弟になった。
それぞれの子供達は家庭を持って独立しているし、兄も年をとってきて、私たちとの昔話は楽しいらしい。
話題も毎年ほぼ同じ。
父や母の知られざる一面をこの兄からきかされて、私の知っている両親の思い出と重なってたいそう興味深い。
ルーツが気になるらしく、一族の家系図などを作成して配ったりしている。
三代前くらいまでは信用出来るとしても、江戸時代に遡るともう半信半疑だから、私はほとんど興味はないけれど、家長たる兄としてはなにか形が欲しいようだ。
毎年マンネリになっているけれど、こうやって集まって何回も同じ話をして・・・これが家族の形となっている。
兄が掛川に単身赴任していたときに、狸に餌付けをした話はいつもの話題。
そう言えば話している兄は、狸そっくり。
よほど狸が気に入っていたと見えて、その話は毎度出る。

今日は車の話で盛り上がった。
我が家には私が小学生の頃から、車があった。
そのころ自家用車を持っている家は殆どなくて、これは我が家が金持ちだったという自慢ではなく、子だくさんで貧乏にあえいでいながらも、父が新らし物好きだったという話。
父は元々器械屋さんで、戦中は発明協会などに勤務していたから、器械類や車などはどこからか中古品を見つけては買っていたらしい。
最初の車がフィアット?
もの凄い真っ青な車で、なんとクランクでエンジンをかけていた。
クランクというのは、要するに鈎の手に曲がった金属の棒をフロントの穴に入れてグインと回すとエンジンがかかる仕組み。
この車がしょっちゅうエンストする。
交差点の真ん中でエンストすると、車を降りてクランクをまわすのだが、焦ると中々エンジンがかからない。
それでも当時は車も少なく、ポンコツの車が多かったから、クラクションを鳴らされずに済んだけれど、なぜか父は私を乗せて走りたがる。
エンストすると恥ずかしくて、助手席で小さくなっていた。

次がシトロエン?
これは中々素敵な車だったけれど、やはり相当な骨董品だった。
その次も外車でどこのメーカーか忘れたけれど、やはりフィアットだったか天井が開く車で、これは私のお気に入りだった。
暫くすると日本車も良いものが出はじめて、日産セドリックがやってきた。
この頃私は免許を取ったばかり、初めてのドライブで兄を助手席に乗せて家の周りを回っていると、片方の車線がガラガラで車が来ない。
それで追い越しをかけようと、そちらの車線に出ると助手席の兄が大声で「やめろ~」と喚いている。
だって、誰も走ってないじゃないと言いながら走って行ったら前方は踏切で遮断機が下りていた。
どうりで車がこないわけだ。
反対車線を走っていたので、兄が窓を開けて車の列に手を合わせてやっと入れてもらった。

私にはセドリックは、大き過ぎる車だった。
当時はハンドルを上下したり、シートをスライドしたりする装置はなかったから、小さい私は座蒲団を敷いてステアリングの輪の中から外を見ていた。
それで外からは運転手が見えない。
無人自動車のようだと言われた。

それは父の車だったから、自分の車が欲しくなって買ったのが真っ赤なトヨタパブリカ。
これも今は知っている人は少ないと思うけれど、空冷の軽。
その後すぐに初代カローラが発表されて、試乗に行って気に入って買ってしまった。
そのカローラは走行距離10万キロを軽く越え、ドアが腐って落ちそうになるまで乗りつぶした。
それから10台ちかい車を乗りつぶしたけれど、このカローラは格別愛着があって、今でも九州の山路でスカイラインと抜きつ抜かれつして走ったことなど、懐かしく思い出す。
父親似の私はやはり車大好き。
今思うと私はいつも、父親の傍に居たような気がする。
父は私に頻繁に、お土産を買ってきてくれた。
病気で寝込むと、必ず枕元に新しい本が置いてあった。
それが、子だくさんでお金の苦労ばかりしている母の、逆鱗に触れていた。
カローラを買う時、父は喜んで、母は心配していた。
性格が会わない両親だったけれど、どちらからも沢山の愛情を注いでもらった。
この季節いつも思い出すこと。


















2014年12月12日金曜日

ロンドンアンサンブル公演

澁谷の伝承ホールは満員御礼!
立ち見が出るのではないかと心配するくらい,空席を探してうろうろするお客さんが見かけられた。
それでも全員なんとかイスを確保したようで、両脇のテラス席?のようなところまでぎっしりと埋まった。

一曲目のバッハは、古楽器風の音で始まった。
去年もそうだったけれど、モダン楽器で古楽器の音を出すのは難しいと思うのに、ヴィブラートを極力排除して中膨らみの様な音の出し方で表現していた。

そこからモーツァルトのピアノトリオ、ウエーバーのフルートトリオ、そして大人気のトーマスがピアソラで休憩。
2部はリチャードが日本の袴姿で尺八を吹き、圧巻はタマ-シュの弾くサンサーンス「序奏とロンドカプリチオ-ソ」
日本人でも、この難しい曲をなんなく弾ける人は多いかもしれない。
けれど、タマ-シュの演奏はやはり血の中にヴァイオリンという楽器が流れているとしか思えない、多彩な音色、ニュアンスの見事さ、これは残念ながら日本人にはまねの出来ないものがある。

マーラー「アダージエット」最後の「カルメン」
そこで友人の絵美さん登場。
タンバリンを一所懸命叩いて居る。
冗談にカルメンなんだからフラメンコの衣装でも着たら?と言ったのだが、地味な黒いドレスで登場。
決して羽目を外さない彼女らしい。
私ならバラの花を咥えて出て行くのに。
いや、私は猫だから今の季節サンマを咥えて・・・あはは。

終ってから一緒に聴いていた友人のHさん(この人も美智子さん)とアマチュアチェリストU子さんとキリンシティーでビールで乾杯。
私は運転するのでジンジャーエール、トホホ。
そこへ遅れてヴァイオリン制作者のSさんが登場。
彼は、先日私の楽器の駒を取り替えてくれたので、楽器は絶好調。
本人まあまあなのが残念!
彼は世界の名だたる人の名器を扱っている。
その彼が私の元同僚だったTさんと家族同然の付き合いだそうで、話が盛り上がった。

そうこうしているうちに真夜中になって、すぐ近くの居酒屋にいていつまでもグズグズ飲んでいるトーマスとタマ-シュをしょっ引いて車に乗せ、猛スピードで宿泊先に送り届けた。
今日は東神奈川のかなっくホール、マチネーで演奏するのだから、ちゃんと寝なければいけない。
だんだん母親の気分になってきた。

彼らは別れ際に又会えるよね?と訊いたけれど、たぶんと答えておいた。
毎年、トーマスは一緒に箱根に遊びに行ってから帰るのに、今年は事情があって早く帰ってしまう。
ほんとうはどうなんだろうか。
会えるのか会えないかは神様しだい。
来年も彼らと再会できれば嬉しいけれど。













2014年12月9日火曜日

出来る女風の人達

今時のテレビドラマではよく、男性をしのぐ仕事の出来る女性主人公が出て来る。
その人達はいつもキリッとスーツにハイヒール、仕事場の廊下をカッカと靴音を響かせて闊歩する。
スタイルもいい、顔も美しい。
しかし、頂けないのはその態度。
肩で風を切って颯爽と行動するのはいいけれど、なんでこの人達はこんなにとんがっているのだろうと、いつも疑問に思ってしまう。
年下の、あるいはちょっと緩みかけた上司や部下に、つんけんと物を言う。
行動は迅速で頭は切れる。
それでも時々、何だかなあと見ていて噴き出しそうになる。
と言うのは、本当に出来る人ってああではない。

出来る人は自分に自信があるから、穏やかで落ち着いている。
実るほど頭を垂れる・・・というではないか。
ドラマの中の女性をあんな風に描くから、一般の人が真似することがあって、それはとても困ったことになる。

旅行社でホテルの手配をしてもらったときに、担当してくれたのがそんな風の女性だった。
猛烈な力でパソコンのキーボードを叩くので、あのキーボードは他の物よりも早く壊れてしまうに違いないと思った。
その人が手配してくれた新大阪駅近くのホテルは,裏寂れた雰囲気の悪いホテルで、部屋に入ると、あ、これはいかん!と思える類いのものだった。
彼女はトゲトゲしていて感じが悪かったから、2度とその旅行社はつかわなかった。
他の社員の中でも1人浮いている感じで、テキパキしているというより、ガサガサしている。

それから、あるカフェでは1人で大騒ぎしている店員がいて、入るなりカウンターから大声で呼びかけてくる。
ケーキを選んでいるのに、余りにもこちらです、こちらですと言うものだから早々に注文に向かわされ、挙げ句の果てに人の言うことを全く聞いていなくて、注文したものが入っていない。
計算し直しで、二重手間。
いかにも出来る女ですと言う態度なのに、マニュアルにばかり拘っているから、こちらの返事を聞き漏らす。

近所の自然食品のお店では非常に客に気を遣うので、いつもは申し分ないのだが・・・
私は近くのデパートに車を止めて、すぐ近くのその店で野菜だけ買う事にしている。
安全面のこともあるけれど、格別に美味しさが違う。
たぶん流通が違うのか、どの野菜も瑞々しく、香りも高い。
ここのお店で初めて買った時、にんじんの臭いをやっと思い出したくらい。
それでキャベツや大根など重たいものも、丸ごとどっさり買う。
いつも、袋を二重にして、二つに分けてくれる。
ある日綺麗な人が感じよくレジを受け持っていた。
珍しく綺麗な人が居るなあと思っていたら、これが出来る女風だった。
テキパキとレジのキーを打つ。
でもその日は割引のある日で、それを間違える。
こちらからなにも言わなくても、重たいからと二重にしてくれる袋を、一枚に詰め始めたから「袋二重にしてくださいね」と頼むと「はい」と感じよく答えるけれど、一向に二重にはならない。その上、なにもかも一枚の袋に詰め込む。
私みたいな婆さんが大根、キャベツ、にんじん満載のこんな重たい物を片手で持てるワケがないのに。
「あ、二つに分けて下さいね」と頼むと又「はい」と感じよくニコニコしている。
でも・・・
全く人の言葉を聞いて居ないことにやっと気がついた。
私が怒り出しそうなのに気が付いた店長が、自分で詰め直して渡してくれた。
その人はあれからずっと見ていないから、多分やめたのでしょう。
そして家に帰って見ると、ポイントカードの判子が押してない。
あーあ。
外見、すごく出来る女風。
ゆっくりでも良いから相手の言葉をちゃんと聞いて、穏やかに対応してくれた方がいいのに。
そのお店の他の店員さんたちは、ちょっと田舎風だけど、すごく親切で、これこそ「出来る女たち」


























2014年12月7日日曜日

弦楽アンサンブル今年最後の練習

音楽教室「ルフォスタ」の弦楽アンサンブルは9月の発表会を終えて、ますます安定してきた。
発表会では、今までで一番の出来映えだったし、メンバーも丁度人数が揃っていよいよ安定期に入ったと思う。
今練習しているのは、レスピーギの「リュートのための古代舞曲とアリア」
創立以来、様々な曲を弾いて模索してきたけれど、やっとここにたどり着いた。
メンバーの力量がバラバラだったり、仕事が忙しくて練習に出られない人もいて、アマチュアの団体は中々レベルがあがらない。
けれど、今のメンバーはほぼ互角に向き合える人達で、気が合っているから、雰囲気も上々。

今日は今年最後の練習なので、忘年会をしようと誘われた。
いつも練習の後は皆で飲みに行くらしいのだが、私はさっさと帰って来てしまう。
終ってから飲んで、練習の時に私から受けた罵詈雑言の憂さ晴らしが出来るようにとの、親心なのだ。
今年も去年も合宿には私が駆り出された。
複数の教師が交代で指導している中で、私が一番ヒマで他の若い講師は働き盛り。
せっせと働いて妻子を養ってもらわないといけない。
それでいつも私が、楽しい思いをさせてもらっている。
相手が大人だから、話も面白い。
特に今年は石打スキー場の中にある、マンションのホールをお借りしての贅沢な合宿となった。
それもチェロパートにスキーのプロがいて、その人の住んでいるマンションのゲストルームが借りられるという、幸運に恵まれた。
唯一残念なことに、スキープロは冬になると忙しく、都内での練習には出てこられなくなる。
それでチェロが冬場は寂しくなる。
今日はもう1人のチェロが親類の結婚式に行って、チェロは全滅。
団長と言うべきGさんがチェロパートをヴィオラ記号に直してきてくれたので、それを私が弾いて急場をしのいだ。
今は調性やオクターブの上げ下げの指定をすると、移調してくれる便利なソフトがあるそうで、低音部記号をアルト記号に直したりも出来るらしい。

練習後に御徒町駅近くの魚料理の店で乾杯をした。
今年もあますところわずか、来年もこのメンバーにチェロが1人増えて,本当に音楽が楽しめる最高の合奏団になって欲しいと思う。

メンバーがやめないで長いお付き合いをすることが、良い音への最短距離となる。
仕事の都合で欠席や遅刻は仕方ないことと諦めるけれど、やめてしまうとバランスがくずれてしまう。
新しいメンバーが入る度に、振り出しに戻ることになる。
長年一緒にやってこそ、熟成された音になっていくにも拘わらず、思いつきで入ってきて簡単にやめてしまう人がいる。
それでなにが面白いのかと思う。
少し我慢をすれば、曲がった道の先に絶景が広がっているのを、みすみす逃すことになるのに。




















2014年12月6日土曜日

今響いているのは

今、ロンドンアンサンブルのメンバーがリハーサルをしている。
我が家のレッスン室でこんな良い音がするのは年一回だけ。
いつもは、私のノコギリの目立て、生徒たちに怒鳴る声。
今日は部屋がさぞ喜んでいることだろう。

タマ-シュとトーマスは昨日マンションの和室で寝たために、畳が堅くて腰を痛めたという。
それで私の行きつけの中国整体に連れて行った。
二人の大きなイギリス人を見て、中国人整体師達は驚いていたけれど、体が大きいから苦労したのだと思う。
帰って来た二人は、まるで拷問のようだったと言うから、全力で治療してくれたらしい。
それでも、二人はすっかり良くなったと言って大喜びだった。
最初電話で頼むときに「ソフトにお願いします」と言ったら整体院のオーナーが「痛いくらいでないと効きません」と言う。
たぶん、それで整体師たちも張り切ったのではないかと思う。
私が受ける時には、痛い事は痛いけれど、それほどでもない。
それでも終ると全身ホカホカして、次の日はすっきり。

私の最寄り駅には整体院が3軒毎と言うくらい、林立している。
そして、どこの治療院も客入りが悪いらしく、よく呼び込みをしているけれど、ここの治療院だけはすごく流行っている。
中国の人は長年の伝統があるので、体の事も良くしっている。
しかも、人種的に手の関節が柔らかいかも知れないが、とても上手いから、私はもう何年もここに通っている。

30分の治療時間のはずが、二人は1時間半経っても帰ってこないと思ったら、散歩をしていたらしい。
ニコニコしてベリーグッド!
良かった良かった。

そして練習再開。
今はチェロの朗々とした音が聞こえる。
明日のサロンコンサートを皮切りに、コンサートが続いて、もうあまり会えないので、今日はこれからワインパーティ-。

今朝、ピアニストの美智子さんとその夫フルートのリチャードに1年ぶりで再会したのに、なんだかずっと一緒に居たような気がして、お互いに挨拶をするのを忘れて、自然に会話に入ってしまった。
途中でハッと気がついて、久しぶり!とハグ。
年に3,4回しか会わないのに、なんだかずっと一緒にいるような気がする人達なのだ。












2014年12月5日金曜日

ロンドンから

今朝電話が鳴って、タマ-シュの声が聞こえた。
今成田で、エキスプレスの出発は10時50分だという。
たしかエクスプレスは15分、45分に出るので変だなとは思ったけれど、空港内でターミナルが違うとそれぞれ駅が違う、そんな事もあるのかなと、勝手に決めた。
調べると45分発は12時05分に武蔵小杉到着。
それでは後でねと言って、電話を切った。
12時少し前に駅のロータリーに行くと、すでに大きな外国人が大きなスーツケースとチェロを前にして立っている。
大きいのはトーマス・キャロル。
彼は背も高いが横幅もあるから、サングラスをしていると、何者かと思う。
あれおかしいな、もう着いてる。
とりあえず再会の挨拶を交わして、今日の宿泊所のマンションに送り届けた。
それで出発は何時だったのと訊くと、10時15分だそうだ。
私の聞き間違えで、フィフティーンをフィフティーと訊いてしまったのだ。
フィフティーンヌと、近くで聞けばよくわかる。
彼らは、だから20分以上待っていたのだが、優しいタマ-シュは「15分くらいだよ」と言ってくれた。
二人とも疲れ切っていたから、気の毒な事をした。
しかし、今日は上天気。
日だまりにいれば、寒さもさほどではないから、よかった。
これが雨風の吹きすさぶ日だったら、目もあてられない。

いつも陽気なトーマスが少し元気がない。
彼のオーケストラが経営面で大変らしく、そのためにいつもの年だと一緒に箱根に遊びに行ってから帰国するのに、今年はそうもいかないらしい。
国内でスポンサーにアピールするためのコンサートを沢山やってから来たので、すっかり疲れ果てているようだ。
どこのオーケストラも経営は大変で、私たちも若い頃はいやというほど、苦労したものだった。
その苦労は今思えば楽しかったとも言えるけれど、当時はどうなるか行方も知れない小舟に乗っているような気分だった。
ロンドンでリハーサルは済んでいるけれど、明日我が家でもう一度リハーサルをして、7日からコンサートが始まる。
11日澁谷の伝承ホール、12日昼の公演は東神奈川のかなっくホール。


かなっくホールは午後2時開演。
プログラムは伝承ホールと同じ。
聴き応えのある演奏と楽しいプログラムです。














2014年12月3日水曜日

生徒と一緒に

6才から6年間教えた子が、大学院生となった。
合格発表があって、その報告に来てくれた。
小さい頃からのんびり屋さんで感情が外に出てこないから、先生を変わる毎にどの先生からも「もっと自分の気持ちを表現するように」と言われ続けていた。
どうやら表現しようにも激情タイプではないので、内面に濃い感情の持ち合わせがないらしい。
テクニックはもう心配ないとロンドンアンサンブルのタマ-シュ・アンドラ-シュからも太鼓判を押してもらったのだけれど、やはり彼からもどう弾きたいのか訊かれていた。

子供の頃は私の家で伸び伸びと、音楽の楽しさを身につけた。
アンサンブルも沢山弾いて、楽しくて仕方がない時期だった。
出来るだけ小さいうちに基礎をつけてしまおうというので、カール・フレッシュの音階教本を早くから始めたから、3度の音階なども平然として弾きこなす。
そして彼女の一番の長所は、人の動きに感応できるということ。
早くから初見でバリバリとアンサンブルを弾かせたので、初見が利くのと他の人の動きに敏感に反応できる。
彼女自身はあまり感情の起伏がないけれど、人の気持ちに寄り添うことができるから、こちらから仕掛ければ結構のってくる。
本人はオーケストラを希望していたのだが、今は空きが少なく、一つ席が空くと4,50人の応募者があるらしい。
私は、彼女は本当にオーケストラのトゥッティー(トップ以外のいわゆる兵隊さん)向きだと思っているけれど空きがなくては入れない。
はみ出さず、音程も良い、初見は利く、皆の動きに合わせられるなど、優れたオケマンになれる要素を沢山持っている。

私は、先日聞いたモーツアルトの「ディヴェルティメント17番」を元気で弾けるうちに、コンサートにかけたいと思っていた。
10年前、節目のコンサートで弾いた曲をもう一度。
以前から構想を練っていたのだが、今年はなにかと体調がすぐれず先送りとなっていた。
生徒が育って一緒に弾けたらいいと思っていたけれど、そこまで自分が弾いていられるかどうか自信がなかった。
来年、私がまだ弾けるようなら、彼女に相棒をつとめてもらおうと思っている。
私よりもテクニックがあるから、追いかけられるかも。
あんな小さかった子がすくすく育って、一緒のステージで弾けるなら本当に嬉しい。
夢がかないますように。
「あんな下手な先生についていたの」と周りから言われて彼女が恥をかかないように、がんばらないと。
もし実現したら・・・
彼女はとても背が高いスラッとしたお嬢さん。
私と身長の差がありすぎてアンバランスだから、私はステージに登場するときに、竹馬に乗って出て行かないと釣り合いがとれない。
ヴァイオリンよりも、竹馬の練習をしないといけないかも。
















2014年12月2日火曜日

ベートーヴェンのソナタ

今日はピアニストのSさんが来てベートーヴェン「ソナタ7番」を合わせた。
ずっとベートーヴェンを合わせてきて、残ったのがこの7番と6番。
他のソナタは色々なコンサートでもオファーがあるけれど、7番のソナタはそうそう選んではもらえない。
大抵「スプリングソナタ」「クロイツェルソナタ」をと言われて相当な回数弾いているけれど、7番は注文なし。
学生時代に友人とちょっと遊んでもらったくらい。
6番に至っては、譜読みすらしていない。
とにかくベートーヴェンを全曲弾いておかないと、あの世でベートーヴェン様にお目にかかった時に、「ふん!」といわれそうな気がする。
幸いSさんは大のベートーヴェン好きで、ずっとシリーズで合わせてもらえるのがありがたい。
私はモーツァルト命でベートーヴェンは非常に苦手だけれど、避けて通るワケにはいかないので、やっと最近やる気になった。
残すはあと6番だけまでに漕ぎ着けた。
さて7番の形がついたら、どこかで猫以外の生き物に聴いてもらわないと終った気がしない。
丁度わが「雪雀連」の忘年会コンサートが28日に決まった。
それならそこで弾かせてもらおう。
ギャラなしには目をつぶって、会費を払ってでもという涙ぐましい演奏家魂。

この忘年会コンサートは雪雀連の恒例で、毎年行われる。
最盛期には70人越えるメンバーがいたこの巫山戯たグループも、高齢化でお隠れになった方や、現世の苦痛をすっかり忘れてパラダイスにいる人などもいて、いまや減少の一途。
一時はレストランを借り切って、盛大に催されていたけれど、
今年は果してどれだけ人数があつまるか分からない。
それでも山田会長は、どうしてもこれがないと年が越せないと宣う。
会場は、門前仲町シンフォニーサロン。www.symphonysalon.com/
40名のキャパのスタジオが借りられた。
ピアノはスタインウエイだから音は満足できそうだし、7番のソナタを1度でも演奏できればうれしい。

モーツァルトはどの曲も喜びを持って弾けるのに、どうしてベートーヴェンは好きになるまでに時間がかかるのだろうか。




















2014年12月1日月曜日

今日も飲み会

土曜日に逗子のなぎさホールで、元N響のヴァイオリニストの前澤さんのコンサートを聴いた。
プログラムは私の大好きなモーツァルト「ディヴェルティメント17番」ホルンが2本入った7重奏。
余りにも好きなので、10年前の室内楽コンサートでもプログラムに入れて、今まで3回弾いている。
聴いたら又弾きたくなった。
その後は私の教え子とそのご主人、お友達2人と可愛い坊や1人計6人、JR逗子駅近くの素敵なビストロでの食事を堪能した。

1日おとなしくしていたけれど、本日又飲み会ですぞ。
友人に元気な年寄りが多くて困る。
澁谷のハチ公前に集まったのは、松本のコンサートで一緒だったメンバーたち。
最近この飲み会が月例となってしまった。
今日は宮益坂の私の職場近くのお店。
BISTRO  DE まいど

このお店を見つけたのはつい最近。
私が夕方からのレッスンの前に小腹が空いて、なにか一口食べたいけれど、若者向きのこの街ではどのお店のメニューもボリュームがありすぎる。
どこかないかと探していたら、地下に降りる階段があって、小料理屋風のカウンターがチラッと見えた。
ちょっとご飯を一口食べさせてもらえないかと思って入ってみると、カウンターの上にタマネギやコロッケ、燻製のたこなどがあって、色々つまむにはもってこいだった。
中は意外に広くて、まだ開店早々だから客は私独り。
「仕事前だから飲めないのよ」と断って、少しずつもらって食べ始めると、すごく美味しい。
コロッケも本当は4コ入りなのを1個にしてもらったり、大きなタマネギは半分にしたり。
調子に乗ってあれもこれも注文していたら、マスターに「そのくらいにしておいたほうが・・・」と止められた。
見れば相当な年齢らしいのに、こんな沢山食べられるわけはないと思ったらしい。
うふふ、おぬし、私の実体を知らないな。
旅先で仕事が終ってから皆で飲みに行くと、若い男性が食べる量で私に負けていたのを。
私もお店の人から注文を止められたのは初めてだったので、驚いた。
結局普段よりもたらふく食べてしまう結果になった。

今日のメンバーはちょっと少なくて4人。
良く飲み良く食べ、お喋りがとまらない。
殆ど音楽とヴァイオリンの話ばかりで、あっという間に3時間が過ぎていた。
こんなに長くヴァイオリンを弾いて居るのに、飽きもせず苦労したり喜んだり・・・前に進めば進むほど、面白さが増していく。
奥が深すぎていつ果てるともしれない世界、どこまでも分け入って次の発見をして。
美味しいお酒が飲めるのは、ヴァイオリンと友人達のお陰です。