2020年7月30日木曜日

食べ物のことばかり

コロナ蟄居も長きに亘るともう退屈を通り越して諦めの境地。
Amazon prime videoをひたすら見ている。
その中でも「孤独のグルメ」というのが軽くて良い。
井之頭という主人公が食べるだけの話で、短いエピソードで終わるのが良い。
脇役はせいぜい数人のシンプルさ。
都内とその近郊にある実際のお店が舞台だから、いつかそのうち自分も行ってみようかという気になる。

主人公はインテリア関係の仕事らしい。
仕事のことはあっさりと片付けると、あとはひたすら食べる食べる。
それも実に美味しそうに。
よくもこんなに沢山食べられるものだと感心するけれど、本当にこの俳優さんは食べている様に見える。
痩せていて背が高い。
これだけの量を毎回食べるのは演技なのか、それとも実際に食べられるのか、そのへんも興味ある。
食べる量が半端ないので、時々心配になる。
お腹が空いた時の表情がいかにも情けない。
食べ終わった時の顔がいかにも満足げなのもおかしい。
俳優さんの名前は?さっきまでわかっていたのに、もう思い出せない。

最初に見たシリーズでは、非常に品の良い食べ方をする人だと思ったけれど、見ていくとだんだんワイルドな食べ方になってくるのがおかしい。
肉を食べるときには本当に美味しそうに食べているけれど、学生相手の定食屋ではあまり美味しそうではなかったので、演技してはいてもあまり美味しくなかったのかな?とも。
味噌汁は音を立てるしご飯はすごい勢いでかきこむけれど、それがあまり汚く見えない。

なんでこのビデオを見ているかと言うと、最近食べる以外に興味がないから。
下手に興味を持つと腹の立つことばかり。
それでやや太り気味になって愚痴っていたら、軽井沢から漬物とこんにゃくが送られてきた。
軽井沢のまち中に評判の良い漬物屋さんがある。
ここは軽井沢に住むY子さんのお気に入りの店で、年配のご夫婦が二人でやっている。
お店を訪れると、漬物を買う前にワンコースの食事ができるほど、色々なものを出してくれる。
つい椅子に腰掛けて味見に夢中になって、買いに来たのか、もらいに来たのか、そのへんの区別がつかなくなってしまう。

今回私が北軽井沢に行くと連絡してあった時期に行かなかったのでY子さんと電話で話をしていたら、コロナ太りの話になった。
皆さん自粛しているので運動不足。
そうなると食べることしかすることがないので、太ったという人が多いらしい。
私だけのことではなさそうだけれど、私は足首が弱いので太ると歩くことすらままならなくなる。
見た目はもう気にすることもないけれど、歩くのが辛いと、どんどん太ってますます不健康になってしまうので困っている。

それでダイエットを始めると、時々ストレスが爆発して爆食。
先日は近所のイタリアンの肉料理の持ち帰りで、あまりの美味しさに涙して過食。
これでは少しも痩せられない。
私は肉食女子で、先日もお肉の美味しいスーパーでどっさり買い込んできた。
お魚は鯵の大きいのを二匹、ぺろりと平らげた。
うなぎの蒲焼きも時々、小さめなら2匹はいける。
年をとって代謝が落ちているのにこの食べ方では、そのうち歩くよりも転がったほうがよくなる。

痩せられない愚痴を電話でこぼしたら、刺身こんにゃくやキャベツの漬物が美味しいから送りましょうか?・・・というわけで昨日から刺身こんにゃくと漬物、花豆の煮たものなど日本の懐かしいグルメのオンパレードになった。
こんにゃくは味噌ダレ付き、これに千葉から届いた生わかめを一緒に、これが美味しい。
普段私は、チーズや肉が好きで、コレステロール値が高い。
油ものも好き、バターたっぷりのオムレツに目がない。
10年以上250をキープしているので、健康診断のたびに薬を勧められている。
それを頑としてはねのけていたのだけれど、これで少しは数値が改善されるかもしれない。

数値のためだけに好きなものをセーブするのは癪だけれど、こんな食事は新鮮に感じる。
あまりストイックにダイエットするとある日突然爆発、もとのこってり系に逆戻りする。
そのへんのバランスを取るのが難しい。

で、今夜のメニューは豚肉のしょうが焼き。
あとはこんにゃくとわかめと、花豆と、キャベツの漬物と、トマトのチーズ焼き。
やっぱり食べすぎ?
私はまもなくこうなるかも。


















2020年7月28日火曜日

ビング・クロスビー

私が毎日テレビを見て怒り狂っているのを心配した人にAmazonのfire videoをセットしてもらったので、先日からつまらないテレビを見るのをやめて、こちらに切り替えた。
コロナ関係のバカバカしい対策を見ると、腸が煮えてそろそろ食べごろになっているから。
今朝は旅行先でコロナ感染した人に、見舞金10万円と来た!
ほんとにまったくもう!あ、いかんいかん、憤死してしまう。

昨日は軽井沢や追分から連絡があって、北軽井沢にはいつ来るの?との問い合わせ。
予定としては今頃行くつもりで連絡しておいたので、待ち構えていてくれたらしい。
しかし今週は週末まで雨が途切れそうもないから行くのをやめて、再来週に持ち越しと言って家に引きこもることになった。
それでprime video見たい放題。

なるべくお金がかからないように最新の映画などは値段を見てから決める。
こういうところは私は随分締まり屋なのだ。
無料で見られる映画は、それこそ一番うしろの方に追いやられている。
そこで見つけたのは古ーい映画「オーケストラの少女」
失業中の父親とオケマンのために少女が八面六臂の活躍、ストコフスキーを指揮者に引っ張り出しコンサートを大成功させるというドリームストーリー。
これを私が見たのは確か小学校に入る前後だったのではないかしら。

少女の父親役がアドルフ・マンジュウ、この人は私がもと所属していたオーケストラの名物トランペッターの中木十郎さんそっくり。
見ているうちに十郎さんが演じているような気分になった。
日本のオケマンの草分け的存在。
それはそれは格好良かった。

トランペットのケースが重いからと言って、なんと新聞紙にくるんで小脇に抱えて来たことがある。
バックスキンの真っ白なコートを着て、当時の男性には珍しいウエスタンブーツを履いて、飄々と歩いてきたのには皆度肝を抜かれた。
白いコートの襟に毛皮が使われ、見頃の両サイドに華やかに刺繍が施されていた。
今でこそ男性がおしゃれなのは珍しくはないけれど、当時としてはぶっ飛んでいた。
今でもあれほどのおしゃれさんは珍しい。
顔は日本人離れしていて鼻の下にひげを蓄えて、本当にアドルフ・マンジュウを彷彿とさせた。

十郎さんを堪能したあとはビング・クロスビーの「我が道を行く」
新しく赴任した神父が、財政危機にひんしている教会の立て直しを図るという筋書き。

これを見つけて小躍りした。
ビング・クロスビーは私が一番好きな声の持ち主。
そうねえ、プレスリーとどちらが良いかと言われると、う~ん。
ベルベットのような柔らかい声とすみれ色の瞳。
他のスターに比べて多少小柄で頭がはげている。
彼くらいのハゲ具合が一番よろしい。
すみれ色の瞳はカラー映画になって初めて知ったのだけれど、この映画は白黒。
残念ながら瞳の色を見ることはできなかった。

これを読んでくださっている人はこんな古いスターはご存知ないかも。
でもホワイトクリスマスがクロスビーの定番だったから、耳の片隅で、もしかしたら聞いているかもしれない。
私は子供心に彼の声にしびれ、今でもしびれている。

それから私の一番好きな俳優、ベネディクト・カンバーバッチのシャーロック・ホームズ。
これはさすがに有料。
カンバーバッチは奇っ怪なイギリスの俳優さん。
彼の主演映画「イミテーション・ゲーム」は今まで見た映画の中では最高位。
第2次世界対戦中、ドイツ軍の暗号「エニグマ」を解くためにイギリスの数学者たちが集められた。
攻撃の成功のために敵にも味方にも暗号を解いたことを隠さなければならない、そのために味方からも敵視される科学者の苦悩を見事に演じていた。
彼は同性愛者で、そのために罰せられ悲惨な生涯を閉じた。
コンピューターの創始者は戦後、その名を国家からも封じられてしまった。
戦後何十年も封印された彼の名を明らかにしたのは、イギリスを訪問したアメリカのオバマ大統領だった。
彼の名前はアラン・チューリング。
やっと名誉が回復されたのはつい先ごろなのだ。

「エニグマ」といえばイギリスの作曲家エルガーの「エニグマ変奏曲」
数年前にイギリスから来たロンドンアンサンブルのコンサートで私も弾かせてもらった。
たった5人のメンバーでオーケストラの複雑なパートをひくのだから、それはものすごく難しかったけれど、私が生涯で弾いた中でもとりわけ印象に残る曲だった。
日本ではイギリスの曲はあまりメジャーではないけれど、とても素晴らしい曲が多いから、ぜひ聴いていただきたい。

どうやら北軽井沢に行かなくても、こんな楽しみがあるので出かけなかったような気がする。
これはいけない。
あの清らかな空気を吸わなければ、コロナに打ち勝てないかもしれないから、8月のお盆過ぎからでかけよう。
そういえばマンジュウもカンバーバッチもクロスビーもみんな頭の半分くらいまで禿ている。
なんだ、そこが私の落とし所だったのか。
























2020年7月27日月曜日

行きそびれた

今朝北軽井沢に出発するつもりで用意万端整えて、食料をクーラーボックスに収めてあとは猫をケージに入れるばかりになっていた。
さて、お天気はどうかな?
天気予報を見たら今日から数日間不安定な大気が続くそうなのだ。
特に雷雨の予報はダメージが大きかった。
さっき知ったばかりだけれど、この時期の雷は3日続くという。
雷三日という言葉があるそうだ。

北軽井沢の森に中の一軒家、大木が庭のど真ん中にある。
雷が鳴るとその木に落雷するのではないかと心配になる。
出かける方向が雨雲と一緒。
昨日は埼玉で竜巻発生。
週末まで天候は回復しない。
ただでさえ猫を連れての旅行は気を遣う。

その猫さまが数日食欲不振。
こうなると年寄り猫は一気に弱ってくる。
先週のうちに病院へ連れて行くつもりだったけれど、まあ、回復するだろうと思っていたら今朝も食べない。

そもそも先週は時間があいて23日過ぎに出かける予定だったところへ、大阪から来る生徒の為に出発を遅らせたのだ。
連休で道も混むと思うし、生徒は大阪にいてなかなか来られないから待っていてあげよう。
それがコロナのおかげでキャンセル。
憎っくきコロナめ。
今朝動物病院へ行けば明日は出発できる、一日遅らせよう。

そして天気予報はずーっと雨。
梅雨明けのこの時期は大雨が降ると大変なことになることが多い。
北軽井沢は山の上。
天候は変わりやすく気温が高いときは霧が発生。
だんだんやる気がなくなってきた。
なにも今週行かなくても・・・
これもコロナで行動力が萎えてきたことから始まる。

明日出るつもりだったのに、車から食料品をおろし、猫のケージをしまい、ぼんやりとテレビを眺める。
私はこのまま家に埋もれてしまうのかしら。
埋もれるなら山の中がいいけれど、激しい天候の中での車の運転は少々しんどい。
いいお天気で万全の体制でいけるならなんの心配もないけれど、やはり自分が高齢だと思うと自信はない。
良いお天気のときに道路が空いた時間に、無理せず行かないと高速道路逆走してニュースになりかねない。

今のところ、時々車のボディーに引っかき傷を作るものの、事故につながるような重大な事態は引き起こしていない。
免許書き換えの高齢者講習でもほぼ満点。
それでも事故は起こるものという前提で運転をしている。
自分は大丈夫などと思ったら、どんな運転をするかわからない。
若い頃の無鉄砲は影を潜め、悪天候なら運転を避けるくらい慎重になっている。
これは年寄りのつとめ。

森の中で雨に烟る木々を見るのはとても素敵だけれど、梅雨明けを待とう。
なにか事が起きたときに自分一人ならなんとかなる。
ヴァイオリンと猫がいたら、どちらか一つだけ抱えて歩いたりはできない。
両方とも私の大事なものだから。

私は案外と臆病でしょう?
そうなんです、根本は臆病。
ただ覚悟が決まると大胆になる。
いつもステージに立つ前は非常に神経質になる。
何回練習してもうまくいくはずがないと思って眠れなくなることも。
前日までは心臓がドキドキするけれど、当日ステージに立ってお客さんを見ると嬉しくてたまらない。
話しかけるように演奏するのを心がけている。

心がけて「いる」と言うか、心がけて「いた」というか、私にまだ演奏する機会は残っているのだろうか。
今年、ことごとくキャンセルになってしまった演奏会。
このあとこの年令では再起できないかもしれない。
このままフェードアウトするかもしれない。
実際練習量が激減している。
このままではたぶん・・・
同年齢の人は殆ど活動をやめているけれど、私は出発点が遅かったからもう少し弾いていたいと思っていたのが、コロナで自然消滅するのかもしれない。

幸い私は好奇心だけは衰えていない。
なにをしても面白いと思う気分は残っている。
どのようにこれから自分が変化するのか楽しみではあるけれど。




























2020年7月24日金曜日

森が呼んでいる

ずっと家にこもっていたら、なんとなくそれでも良いかなと思っていた。
けれど、森の中の一軒家が毎日目の前にちらつく。
ノンちゃんが寂しがっているに違いない。
家の玄関を出て車に乗ってまっしぐら。
3~4時間走り続けれれば森に到着。
その間、人と接触しない。
話しかけるのは助手席の猫にだけ。

大抵の食物は持参して、混み合う有名なスーパーマーケットは回避。
冷蔵庫には冷凍食品をぎっしりと詰め込んである。
野菜は近所の農園の屋外に近い販売所で買う。
静かに過ごして時々会うのはキャンプ場のオーナーとかお隣さんとかだけ。
自宅にいるよりよほど安全でいられる。
森のなか、早朝散歩するにはマスクはいらない。
人に出会うのは稀で、クマさんに遭う確率のほうが大きい。
クマとコロナではクマさんのほうが強いでしょう。

梅雨があけたら出かけるつもりでいるけれど、またすぐに戻ってこないといけない。
1週間、用事を済ませたらまた籠もりに行く。
この間が危ないといえば危ない。

なぜPCR検査が自由に受けられないのか、これが不思議でならない。
自分の置かれた立場がわかれば、行動は自ずから決まってくる。
国民全部に施すか、一定の感染者数を超えた地域で実施すれば、これが安全につながる最短距離だと思う。
ちょうど今テレビで言っているけれど、検査の結果、偽陽性が出た人を隔離すると人権侵害になると。
それを恐れているそうなのだ。
こういう発言を聞くとお先真っ暗。
例えば薬の副作用が0.1%出るからと言って有効な人たちにも飲ませなければ意味がない。
なんでも事なかれ主義。
なんでも隠蔽。
批判されることを恐れて何もしないではコロナはいつまでも終わらない。

治療を強硬にするのは当たり前。
偽陽性の人を隔離しても、それは納得してもらえると思う。
治療以外の人気取りで大金使うのはアホくさい。
鉄の心を持った指導者はいないのか。
海外の指導者たちも人格者とは言い難い人や独裁者もいるけれど、日本の政治家のようにうだうだしている人はいない。
信念を持っているか、もちすぎているかなので、結果が芳しくない国も多い。
けれど、国民がそれに納得しているようなのが羨ましい。
他国のことはほんとうのところわからないけれど、こんなに検査をしないで感染が少ないかのように見せかけている国は他にはないのでは?

ここ数日気温が低くて風邪ぎみで、ようやく治療を終えた咳喘息が再発した。
熱もないし、だるくもないし、食べ物美味しいからコロナではないと思うけれど、これだってはっきりと陰性と分かっていれば安心なのに、余計な心配をしてしまう。
呼吸器内科で咳喘息の薬を再度処方してもらった。
吸引するとピタリと咳が収まるから、よほど強い薬らしい。
それが不気味だけれど、今のこの時期うっかり咳もできやしない。
電車で咳なんかしたら、白い目で見られてしまう。

それで最近はどこへ行くのも車を使うようになった。
私が免許取りたての頃は嬉しくて、いつも車で出かけた。
最初に恐る恐る環七通りを走ったときの心細さは忘れない。
四方八方大型トラックに挟まれて、大きなタイヤが私の小さな車の窓越しに見えた。
青信号でエンストしてあたふた、慌てれば慌てるほどギアが入らない。
当時のマニュアル車はファーストギアが入りにくくて、発進のときクラッチ合わせに失敗するとよくエンストしたものだった。
でも不便なぶん面白かった。
今の車の運転しやすさで慣れてしまうと、マニュアル車はもう運転できないかもしれない。
楽になった分コロナウイルスにいじめられているらしい。

レッスン予約が入っていた生徒からキャンセルがあった。
彼女は大阪に転勤になったので定期的には来られないけれど、連休のときには実家に戻るのでレッスンに来ると言うので楽しみに待っていた。
実家に帰ってきた時点で、会社の同じフロアの同僚にコロナの陽性者が発生したことがわかり、自分も急遽大阪に戻りますと言って断ってきた。
彼女が高校生の時から教えている熱心な生徒で、会えるのが楽しみだったのに。
レッスンが終わったら一緒にランチでも食べに行こうと思っていたのに・・・
夕方、今大阪の家に着きましたとメールが入った。
かわいそうに、やっと帰省したら同じ日にとんぼ返り。

それではそろそろ森の中のぽつんと一軒家に籠もりに行くことにしよう。



















2020年7月23日木曜日

誰のお金?

GoToキャンペーンなるものを考えたのはだれだろう?
こんなにコロナ感染が拡大しているときに、さあ、君たち、他の土地にウイルスばらまいてらっしゃい!と言うようなもの。
助成金が出るからと言って、ホイホイ出かけるみみっちい人たち。
その挙げ句、東京だけ除外されたキャンペーン。
キャンセル代が出ないと言うので文句を言う人達。
それを受けてまた政府のお金で保証するという政府。
政府のお金ってなに?
税金でしょう?

菅官房長官、あなたのお給料から出しなさい。
自分のお金でなく、税金使って人気取りをしようとしたのかな。
助成金をもらうということもすごく嫌。
これはあくまでも税金、自分だけが使うものではない。

コロナ検診はなぜできないの?
自分や周囲の人が感染しているかいないかわかれば行動は決められる。
例えば、先日私達のコンサートが中止になった。
メンバーの全員が感染していないとわかれば、堂々と実行できる。
でも今のように自由に検査ができない状態だと、いつまでもビクビクものでしょう。

旅行をすれば経済が回復?
それでは中小企業の倒産したおじさんたちのことはどうなるの?
元はと言えばホストクラブなどの自覚のなさからの拡大ならば、そこを抑えないでどうする。
感染拡大がわかった時点で営業を停止するべきだった。
命あっての経済なのに、経済が先に立つ。
それはおかしい。

人はみな楽しい生活を夢見ているけれど、それは健康で健全な状態でないと享受できない。
まず、こんな時期に先を急いで行動すべきでないことは、大人ならわかっているはず。
若い人が悪いというような感じの発言が目立つ。
これも若者に失礼。
自分が若かった頃をお忘れかな?
なんと無茶をしたことか、覚えていない?
無茶は人生の起爆剤なのだ。
無茶から歴史は生まれる。

その無茶をなんとかするのが政治家の役目なのに、政治家に若者が少ないのは困ったこと。
もう思考能力も停滞し始めた人たちが右往左往、無策を隠すためにキャンペーンを考えて自滅したのが今回の例。
政治は人気取りではない。
確固たる信念をもって国民の立場を代表するのが政治家の使命なのに、それができる人が少ないのを見ると絶望的になる。
一粒のお米も惜しんで家族で食べ物を分け合った時代もあった。
それよりまだマシな時代に、一気にコロナ収束を目指すのは可能ではないかと思う。
そこにこそお金を出すべきじゃないの?

いらないマスク、人気取りのキャンペーンでなくて、医療従事者、研究にお金を出す。
一方で騒ぎに乗じてお金儲けする人もいる中で、本当に困った母子父子家庭や一人暮らしのことは置き去りになっている。
なにか目を向ける方向が違うのよ。
楽しみは個人が自分で見つけるもので、政府が音頭とってやることではないでしょう。
基本的な生活がしっかりと築ければ、あとは個人の趣味で考えればいい。
余計な手出しは無用のこと。
旅行が好きな人もいれば家にいるのが好きな人もいる。
旅行だけが楽しいわけではないのに、他のことには助成金を出さいないのは不公平でしょう。

だいたい個人の楽しみに助成金など出すことはないと言うのが私の考え。
楽しむなら自分で稼いだお金を使うべき。
よそからお金をもらうのは乞食根性。
自腹切ったらどれほどすっきりすることか。
言っとくけど、助成金は税金よ。


















悲しい習性

この先いつコンサートが開けるかわからないのに、ネット通販で良さげなドレスを見つけると、つい買ってしまう。
ドレスだから普段着としては使えない。
お出かけすることもなくなったから、外出着としても使えない。
パーティーもない。
寝間着?と、とんでもない。

しかもデザインが変わっていると欲しくなるので、ステージドレスとしても着られないものが多い。
なんで買うのかというと、デザイナーに対する賞賛の気持ちなのだ。
だから我が家のクローゼットにはおそろしく変なドレスが沢山詰まっている。
断捨離の専門家から言うと、とんでもないこと。
何年も着ていない、あるいはサイズが変わって着られなくなったドレスが、我が物顔に場所を占めている。
時々家でお一人様ファッションショーを開いている。
観客は猫のみ。

こういう無駄使いをやめたら、私はもう少しお金持ちだったのではと考える。
いやいや、これも精神の安定のため、病院で薬をもらうよりよほど効果的かつ経済的なのだ。
なぜなら1枚買えばずっと眺めていられる。

5年ほど前の北軽井沢ミュージック・ホールフェスティヴァルで演奏したとき、衣装をどうするかということになった。
私の家に集まっていたので、私はクローゼットから色々引っ張り出してきて皆さんに見てもらった。
ひとつ、スパンコールや刺繍でギンギラのワンピースを見せたら、皆それが良いという。
いやあ、これは見て楽しむために買ったようなもので、人前で着るのは勇気がいるからというと、口々にこれにしなさいと言われた。
プログラムにバルトークのルーマニア民俗舞曲があったから、雰囲気としてはいいかもしれない。

当日ステージを見に来たノンちゃんが「nekotamaさんだけ、派手すぎ」
回りが慌ててノンちゃんの口を塞いだ。
ノンちゃんはいつも素材の良い布でオーダーメードの上等な服を着ていた。
私が着たのはエキゾチックな店で買った、たぶんインドあたりの安物。
ノンちゃんは見る目があるから、チャラチャラしたものは気に入らないのは当然。
その後も私好みの変なデザインのドレスを着ているけれど、もう批判してもらえないのが寂しい。

コロナで北軽井沢にもずっと行っていない。
ノンちゃんが大きな木の根本で私が来るのを待っていると思うのに。
今度はいつ来るの?
いつも北軽井沢から私が帰るとき、ノンちゃんはそう言って名残惜しげだった。
木が芽吹いたから早くいらっしゃい、そう言って誘ってくれたのが昨日のことのように思い出される。
本当は北軽井沢の森の中にいるのが一番安全なのだ。
木々のフィトンチッドが元気にしてくれる。
自宅から出て森に直行だから誰にも会わないで行ける。

政治家のおじさんたちがなにを狂ったか、皆に出かけろという。
とんでもない、まだまだじっとしていないといけないときに。
補助金なんか出さなければ、皆さんでかけたりしないのに。
コロナ根絶が先でしょう。
これが収まらない限り、経済はますます落ち込む。
それともなにかい?たくさん死んで人口が減ったらいいと思っているのかい?

菅官房長官が言っている。
こんなものなんでもない、第2波でもないからでかけなさいと。
医療関係者が絶望的に、想像力のかけらもないこの発言を嘆いていた。
この人、安倍さん以上にひどいことが判明した。
安倍さんは最近あの見苦しいマスクをしていない。
マスクしないと他の人にお手本示せないでしょう。
あんな無駄使いして肝心なときにマスクをしない!
おじさんたち、お家で寝てなさい。













2020年7月20日月曜日

キャンセル感謝される

最近また感染が拡大してきたコロナ新型肺炎は、日本に上陸した初期の頃とは明らかに違う進化を遂げているらしい。
現在は欧米型に近いらしい。
このように姿を自在に変えて人を翻弄するという、まれに見る知能犯、変幻自在の変わり身のすごい奴らしい。

11月に行うはずだったコンサート。
来週から練習が始まる予定だった。
ピアノがあって弦楽器が5~7人くらい入るので、私の家が練習場と決まっていたけれど、どうにも気が重い。
新宿の劇場でクラスターが発生して、全国に関係者が散らばって更に感染拡大が進んだニュースが入ってきた。
私達の中にコロナ陽性の人がいなくても都内から電車に乗って来るのだから、途中でコロナウイルスに取り憑かれて我が家まで運ばないとは誰も保証できない。

それに私は、先々週、電車の中で真正面からくしゃみを浴びせられた。
それはもう恐怖だったけれど、幸いマスクをつけていたから今のところ大丈夫なようだ。
もう2週間目になるから、たぶん感染はしていないと思う。
「思う」というのはこの病気はそこがまた悪辣なところで、感染していても症状が出ない人もいるらしい。
だから私も絶対陰性とはいいきれない。
早く全員が検査を受けられるようにしてくれればいいのに。
なんでまだ受けられないのか理解できない。

それで、私の家からクラスターが出たら目もあてられないから私は演奏を降りると言った結果、コンサートが中止になったという経緯は前回の投稿で書いたとおり。
一緒に演奏するはずだったKさんから電話があった。
ありがとうと感謝されてしまった。
誰かが中止を言い出してくれないかなあと思っていたそうで。
自分からはなかなか言い出しづらい。

だんだんわかってきたことは、新宿の劇場の場合、体調の悪い人が無理をして出演した結果らしい。
観客も自分のお気に入りの役者さんが出てくるのを出口で待っていて、握手やハグをした人もいたらしい。
しかも客席最前列の人が舞台と観客席がすごく近いのに、劇場側が用意したフェイスシールドをつけなかったという。
なんというか、私だけは大丈夫と過信した当然の結果と言える。

私達は舞台に立つときは親の死に目には会えないと、よく言い聞かされた。
それほど責任を持って演奏するようにと叩き込まれた。
体調が悪かった役者さんも、降りたいけれど自分の責任を考えると言い出せなかったのかもしれない。
代役がいたとしても、長時間稽古した役を他の人に渡すわけにはいかないと考えたかもしれない。
緊急事態宣言が解除されたからと言って、一気に活動を始めたら結果は目に見えている。
こんなことも予想できず想像力の働かない政治家はいらない。

最初の練習が始まってしまえば、その後で降りるのは無責任だからとおもったけれど、私にはもう一つ苦い思い出がある。
オーケストラの演奏旅行で釜石に行った。
出かける前から高熱が続いていたけれど、指揮者がどうしても行ってほしい、具合が悪くなったらその時点で休んでもいいからと説得された。
思い出すのも辛いほどの体調不良。
最後は白湯しか喉を通らなくなった。
本番一日目はなんとか演奏したけれど、冷や汗が首の後ろから吹き出した。

練習前に診療所にタクシーを飛ばした。
ただ事でない様子に医師がすぐに検査、次の日結果を聞くと命に関わるからすぐに帰りなさいと言う。
病名は急性肝炎。
帰れと言われてもまだ次の日も本番がある。
しかし流石に指揮者も病名を聞いて慌てた。

1人でトボトボと駅に向かって歩いていたけれど力尽きて喫茶店に入った。
楽器を持っているのを見た喫茶店の女性店主がレコード(その頃はCDがなかった)をかけてくれたのがシューベルトの「死と乙女」
あまりの具合の悪さと曲の題名に、ああ、私はもう死ぬんだわ。
温かいミルクを一口飲んで、また駅に向かってトボトボと歩いた。

やっと自宅に戻って入院すること1ヶ月半。
医者が驚くほどの回復で完治した。
医師に言わせると奇跡的だそうで。
普通ならキャリアになるのにおかしいな、どうして治ったんだろうと何回も言われた。
だから私は治るって言ったでしょうと、偉そうに返す態度のでかい私。
治ると言ったら治るのよ。

私の場合はたぶん子供の時の集団予防注射で、注射針を使いまわしたことによる感染だったと思う。
私が小学校時代には注射針はたいてい何回も使った。
1人に注射すると消毒液にぽちゃんと入れて、次の子に同じ針を使う。
近所の病院に行くと、丸くなった注射針を刺されて痛かった。

あの頃の元気は今はないから、コンサートを休むことにしてよかったのかもしれない。
他のメンバーも密かに心配していたのね。

釜石で私の命を救ってくれたあの診療所はどうなったのか。
津波の映像を見るたびに思い出す。
































2020年7月16日木曜日

今日もまた

コンサートのキャンセルが続く。
11月に予定されていたコンサートは、数日中に我が家で練習する予定だったけれど、人数が8人、うちの狭い練習場で万一の感染があったらいけないと思い、私の家での練習の中止、私は万一のことを考えてメンバーから外してもらいたいと申し入れたら結局それ自体が中止になった。

本当に申し訳ないとおもったけれど、我が身と友人たちの健康を守るためのやむを得ずの決断だった。
他に代わってくれる人を探すし、楽譜の提供など最大の協力はするといったのだが、主催者もそれまで決行するかどうか迷っていったらしく、あっさりと中止になった。
11月だからまだ時間的な余裕はあるけれど、この様子ではコロナが収まるのはずっと先になりそうなので。
それなのに経済活動を優先するために政治家のおじさんたちは早く遊びに行けという。
遊びたいのは山々だけど、考えればわかるでしょう。
私は命が惜しい。

コロナで家にいる間退屈したかというと、そんなことはなかった。
いつも大勢で騒いでいるけれど、本当は1人でいるのも好きなのだ。
ハリー・ポッターの第6巻はおかげで完読。
ついに最終巻に突入できることになった。
いい加減に生きているけれど、始めたことは最後までやらないと気がすまないところもある。
おかげで別に好きでもない英語を読み続けなければならなくなったけれど。
素晴らしい本なので皆さんにもぜひ原書で読んでみてほしい。
これを読み終えたら日本語を勉強しようと思っている。
英語を読んだおかげで日本語はもっと好きになった。

コロナ失業中だから少しお金を稼ごうかと宝くじを買った。
でも私は超絶くじ運が弱い。
だから無駄使いとわかっているのに、買う気になったのは美容院で友人にあったから。
彼女とはいつも同じ日の同じ時間に予約を入れて、終わると食事を一緒にすることになっている。
友人が美容院に来る前に宝くじを買ったというから、私も真似をした。

宝くじを買うのは2度め。
初めては、仕事で高松に行ったとき。
1人で街をぶらついていて交差点を渡ろうと思ったら信号が赤になった。
立ち止まってふと後ろを振り返ると、宝くじ売り場。
これは天の啓示だと思った。
これはきっと当たる!
初めてなので買い方がわからない。
連番とバラがあると聞いて連番を10枚買ったらあたった、300円。

私はどんなくじでも当たりを引いたことがないから、ま、こんなものさと思った。
それきり買わなかったけれど、友人が売り場に連れて行ってくれて、サマージャンボをくださいと言いなさいと教えられて今回は20枚購入。
もしこれが当たったらまず猫においしいキャッツフード、自分には・・・欲しい物がない!
旅行に行くのも怖い、海外は勿論国内もだめ。
友達集めて大宴会もとんでもない。
お金が入っても使いようがないし、マスクを大量に買うのも色気ないし、つまらない。
私の運では今回買ったくじもたぶん600円にしかならない。
ひどい無駄使いだけれど、すごくワクワクする。
こういうのはたまに味わうと生活のスパイスになる。
お金はすごく大切というのはよくわかっている。
それでも無駄使いをよくする。
それは全部無駄ではなく、使った時の楽しい気分が味わえるから。

お金を使わないで溜め込んでしまうと、お金が我が家に来てくれようという気にならないらしい。
私の場合、うっかり貯金しようなんて思って使わなくなると、ぱったりと収入が途絶える。
これが不思議でならない。
諦めて使うと仕事が来る。
1億円を畳の下に敷いて亡くなったおばあさんがいた。
安アパートで一人暮らし。
いったい彼女はなにがたのしかったのだろう?
お金を使わないで貯めるのが?
貯められない者が言うのもなんだけど、お金は使うためにあるのにと負け惜しみ。

宝くじで1億円当たったら、畳の下に敷いて寝てみようかしら。
でもうちには畳の部屋がない。
それで畳の部屋を作って待っていたら600円なんて。




















2020年7月15日水曜日

ノラ山羊のポニョ

電車の線路脇の崖に住み着いてしまった子山羊さん。
崖崩れ防止のコンクリートの壁の格子状になったところが足場がいいらしく、そこを飛び歩いて幸せそうに草を食べている。
山羊は本来気が荒い方だと思うけれど、元飼い山羊でたぶん可愛がられていたと見えて、表情がおっとりしている。
おなかが満たされるといかにも満足げに目を細めているのが可愛い。

オットセイのたまちゃんの大騒ぎを思い出すと、少し心配なのは必要以上に構う人がいることなのだ。
日本人の動物に対する態度は、自分も同じ動物である自覚がないというか、自分たちは特別だと思っているというか、かなり動物には意地悪。

公園で、近所の子供が遊んでいる子猫にいきなり石を投げた。
猫はなにも悪いことをしていないのに。
それで恐いおばさんに怒られた。
「この猫があなたに悪いことしたの?」「しない」
「じゃあなんで石ぶつけるの?」「うーん」
「小さい猫は大きな人間にいじめられたらすごく怖いんだよ。あなたが大きな人から石を投げられたらこわいでしょう?悪いことしてないのに嫌でしょう?だからやめなさい」
この子は大きな人から石をぶつけられるよりも、小さいおばさんから叱られる方がよほど怖かったにちがいない。
もちろん怖いおばさんは私。

なんで意味もなく動物を見るといじめるのかよくわからないけれど、日本の街猫は皆怯えている。
常に危険にさらされているようだ。
海外でこんな怯えた猫は見たことがない。
たいてい、ゆったりとその辺を歩いている。
トルコでは大きなひげ男たちが、道端に座っている猫の頭をなでていく。
猫も当然という顔をしてなでられていた。
宗教上の意味もあるらしいけれど、これは素敵な光景だった。
バンクーバーのスタンレー公園では、道端の水たまりでアライグマがなにかせっせと洗っていた。
そばを通る人たちにはごく当たり前の光景のようで、特別に反応しない。
リスが道路を横切る、特別急ぐ風もなく。

動物たちが怯えていないのが素敵なのだ。
我が家の近所で最近猫が殺されているので、警察が調べているそうなのだ。
本当に嫌な気持ちになる。
うちの野良たちも、私にはすっかりなついて抱っこされるまでになったのに、ある日をきっかけに怯えるようになった。
たぶん誰かにいじめられたのだと思う。
なぜ動物を見るといじめるのか、本当にわからない。
いじめると自分が偉くなったと思えるのか。
嫁を見るといじめたくなる姑みたいなものかしら。

ポニョの元飼い主さん。
優しそうな中年のおじさんは、ポニョの捕獲をしないと決めたらしい。
ミネラルたっぷりの野草を食べて幸せそうだからという気持ちらしいけれど、日本人の動物に対する態度を見ていると、私は心配でしかたがない。
わざと追いつめて線路に落とされたりしないといいけれど。
犬をしかけたりしないだろうか。
猫にひっかかれないだろうか。
ポニョの今後の幸せを祈っている。

















2020年7月14日火曜日

玉ねぎは優等生

今年の初め、コロナ新型肺炎が日本に蔓延し始めた。
初めは中国の武漢というところで発生して、じわじわと日本にも上陸。
横浜港に停泊したクルーズ船から始まった感染があっという間に拡大。
日本中を目に見えない感染症の恐怖に陥れた。
私は原因がわかっているものとか理屈に合うことなら怖くはないけれど、こういう目に見えない脅威に弱い。
すごく弱い。
お化けも怖い。

昨年暮れにひいた風邪の後遺症で咳喘息の薬を始めることになった。
ステロイドを治療に使うというから、薬が怖い私は本当に病気になってしまった気分。
結果としてステロイド治療はすごく有効だったけれど、毎日コロナの報道ばかりのテレビを見て、自宅から出なくなると健康に問題が出てきた。
血圧が異常に高い。

ここ10年来コレステロール値が高く、検診の度に薬を勧められていた。
いつも薬ではなく食事で直しますと突っぱねていたけれど、中々思うようにはいかない。
たまに病院で血圧を測ると異常に高い。
一番高かったのは血圧の上の数値が171という数字。
今まで血圧が低くて問題が多かったのに、いきなり171はないでしょう。
測り間違いかと思ったけれど、その状態がひと月ほど続いたから、これはいかんと真剣に考えた。

家族の病歴を見ると血管関係が多い。
自分もこれは遺伝的なもので仕方がないと思ったけれど、ついこの間まで低血圧だった私が急にこんなに数値が跳ね上がるのは、どこかに病気が発生しているのではないかと心配だった。
そのころから右足のくるぶしからふくらはぎにかけて、しびれや痛みを感じていた。
ステロイド治療の時に医師に相談すると、足梗塞ではないかと言うので検査しても、血管はすごく若くて血流も滞っていない。
整形外科のレントゲン検査でも異常なし。
結局ビタミン剤での治療で症状が改善された。

前置き長い!
それで玉ねぎさんの登場となる。
コロナが怖くて買い物もままならない。
冷凍できるものならいいけれど、野菜はどうしても新鮮なものが食べたい。
それで保存のきく玉ねぎが突然脚光を浴びるようになった。
他の野菜はジャガイモなどを除いて保存は短期間。
葉物野菜なんてすぐにダメになる。
保存がきくことにおいて玉ねぎはダントツ。

以前我が家に遊びに来たハープ奏者に夕飯をごちそうしたら、彼女のお母さまから自宅でとれた玉ねぎをひと箱いただいたことがあった。
こんなたくさんどうするのと思ったけれど、玉ねぎは他のなんにでもよく合う。
生でも煮ても炒めてもおいしい。
ひと箱ぺろりとあっという間に平らげたのを思い出して、大量に買ってきた。

渋谷の音楽教室で教えていたころ。
夕方からのレッスンがあって、その前に軽く腹ごしらえをしたかった。
教室の近くで探したら、地下に降りる階段の奥に食事のできそうな店を見つけた。
感じの良い雰囲気で開店したばかりで空いている。
仕事の前だから飲めないけれど、ご飯食べさせてもらえます?と訊いてカウンターに座った。
そのカウンターは幅が広くて、大皿にお惣菜風の料理が盛ってある。
肉、魚、チーズ、卵などを燻製したものや野菜の煮物など。
玉ねぎを丸ごと煮込んだのがあるけど食べますかと訊かれたので、注文した。
ゴロンと大きな玉ねぎがだし汁に浸かって出てきた。
これはおいしい。
次々にあれもこれもと言ったら、もうその辺でやめた方がと断られてしまった。
その後そのお店に友人たちを連れて行って、一押しは玉ねぎと言ってむりやり食べさせたら評判は上々だった。

それで今年初めから玉ねぎを毎日食べていたら、最近血圧が安定してきたのでびっくり。
玉ねぎを丸ごと前日に煮込んで自然に冷まし、冷蔵庫で冷やして次の日食べる。
温めてもおいしい。
玉ねぎは煮込むときにベーコンを入れるとおいしい。
スープに少し塩味があるから、あとは玉ねぎ自身の甘みと塩を一つまみ入れるだけで味付けはオーケー。
今は血圧の上の数値は120あたりで止まっている。
これならコレステロール値も低くなっているかもしれない。
今まで検診は面倒だからめったに行かなかったのに、この次に受けるのが楽しみになってきた。

玉ねぎだけの手柄ではないかもしれないけれど、甘くておいしいから食べるのが楽しみ。
薬だと思わずに単に美味しいと思っていたのに、こんな効果があったなんて。
昨日散歩の帰り道に立ち寄ったスーパーで、小ぶりの玉ねぎがネットに入って売られていた。
ネットには10個くらい入っているので重い。
散歩の帰り道で足が痛くなっているところで気が進まなかったけれど、レジ袋にも入れずぶら下げてきた。
パリジャンがフランスパンを抱えて歩くのとは、だいぶ趣は違うけどね。










































2020年7月13日月曜日

すべての道は

今、西日本はびしょびしょ、大変な被害が出ている。
いままで経験したことのないような大災害、と言うような表現が目に付く。
未曽有の体験をした人たちの嘆きと驚きが連日報道されている。

未曽有をみぞゆうと読んだのは麻生さん。
お隣のおじさんではなくれっきとした大臣。
一時期流行ったから私も会話の中で使ってみた。
「これはみぞゆうのことよね」
すると「あれはみぞうと読みます」とまじめに返されてしまった。
わかってらい!そんなこと。
そういう時に軽く「あ、そう」と返してくれれば座布団3枚なのに。

生まれ育った家は冗談しか通じないような家族だった。
たまに真面目に話すと頭ダイジョブ?みたいな。
そのノリで世間で同じに振舞うと、非常に不快感を表す人がいることに気が付いた。
大学の同級生。
初めはなんて嫌な人だろうと思ったそうなのだ。
後でわかったらこんないい人はいなかったわ・・・それは褒めすぎ。
本当はこんな変な人はと言いたかったのでしょう。

変な人と言えば・・・
私の次兄が世俗を超越していた。
彼は数字のことだけ考えているから、出世とか社会的地位とか興味はない。
山下清みたいな恰好で電車に乗って家にかえってくる。
人がどう見ようとお構いなしで家族は嘆いていたけれど、そんな兄のことを大好きなお嫁さんがもらえたのは奇跡だった。
可愛くて頭が良くてお金持ちで、ふ~ん、世の中上手くできている。
知人が「早く出世したいとは思いませんか」と訊いたら兄は「いや、思いませんね」と言った。
その知人は「へえ、あなたはいい人ですね」と言った。
それを聞いたお嫁さんは、なぜ知人が兄を「いい人」と言ったのか考えた。
この辺も変わり者の家族らしい。

調べたらね「いい人」というのは、他に誉め言葉がない時に使うらしいのよ、と彼女は笑っていた。
本当は彼女のほうが優秀で、大学院の教授と共著の参考書を出版していた。
けれど、さっさと専業主婦になって二人の男の子を育てた。
その代わり次々と大学の講座を受けていたから、ずいぶんたくさん修士号を持っていたのだと思う。

音楽は私の最も不得意の分野だった。
両親は音楽家を育てる気は全くなく、楽器を弾いているとむしろ邪魔にされた。
音大に行くときに母に「本当に音楽をやるの」と念を押されたくらいだから。
だから音大を卒業した時に当然のように私は、普通の大学に入りなおすと言ったら母が激怒。
兄嫁からの影響もあって、いつまでも学んでいたいと思っていたから。
子供たちがやりたいということは全て受け入れてくれたけれど、この時ばかりは大反対。
あれほど音楽家になるのを嫌ったのに、やっと最後の子供が卒業してほっとしたのに、また学校に行くという。
これではだれだって怒るでしょう。
音楽の道に進んだおかげで素敵な人たちと出会って、大変ではあったけれど、充実した毎日が送れた。

もうすぐ母の命日。

私はヴァイオリンを弾くのは限界があるから、そろそろほかの分野での活動はできないのかと模索中。
体力がなくてもできるものはなんだろう。
母が亡くなったのが、86歳のとき。
私はあと10年の余裕がある。
10年でできることはなんだろう。
なんでも面白いと思える性格だから、見つかれば一生懸命になれる。

言うじゃない、すべての道は老婆に通じるって。

え、ローマ?ローマがどうしたって?























2020年7月12日日曜日

プロの仕事

コロナ騒ぎでレストランに行くのもはばかられ、肝心の店が休業しているかもしれないからと家でずっと一人ご飯。
友人たちも、よほどの用事がなければ家から出ないので外食は諦めていた。
下手な料理でも運動しないで食べるから体重は増える。
毎回体重を減らす決心のみにて、実際はダイエットには程遠い。

でもある日突然、ああ、美味しいものが食べたい!
毎日野菜スープとサラダと肉か魚、一人分作ってもおいしくなんかありゃしない。
時々無性にお肉が食べたくなることがあって、スーパーでどっさり仕入れる。
けれど、煮ても焼いても、それほど感激しない。

駅そばのイタリアンレストラン。
前を通ったら閉まっていた。
コロナ休業?まさか廃業してはいないでしょうね。
次の日通ったら、カウンターでスタッフが頭を抱えて座っていた。
声もかけられないから、表にあった持ち帰り用のチラシを抜いて帰ってきた。
見ると色々工夫して営業しているらしい。

次の日お店に行ってみた。
テーブルに食器がセットされている。
営業しているんだ、今日は夜大丈夫?と訊いたら予約でいっぱいとか。
良かった良かった。
とにかく美味しいものが食べたいの、持ち帰りできる?と訊くと今日は間に合わないと。
では明日夕方取りに来るから作っておいてと頼んできた。
お好みは?と訊くからラムチョップと答えておいた。
カモ肉も好きと言うのを忘れていた。

約束の時間に取りに行った。
客席はカップルが二組のみ。
これならお店で食べればよかったとおもったけれど、せっかくパックされていたので自宅に持ち帰った。
まだ夕飯の時間には早いからあと1時間待とうと思ったけれど、どうしても中が見たい。
なにこのおいしそうなにおいとお肉の色は。
薄いピンク色のラムチョップ。
もう我慢できない。

ちょっと端っこを齧ってみたら、ああ、これを至福と言うのだ~!
鼻に抜ける香りとこれ以上ないと思えるほどの絶妙な焼き加減。
まだ早いけれど、今日は特別。
サラダから食べ始めてしまった。
シラスのサラダのドレッシングの美味しさったら、思い出してもウフフです。
スーパーで売っているサラダとは大違い。
自家製のパンをつけてくれたので一口齧る。
これも余分な味はついていないシンプルなおいしさ。

これならシャンパンを開ける価値がある。
冷蔵庫で冷えていたシャンパン(もどき)を出してきた。
コルクを抜こうとタオルで包むと手が空回りする。
タオルがないとうっかりすればコルクが飛んで中身が噴射する。
手に全く力がないので悪戦苦闘。
どうしても開かないから調理用ハサミでコルクをじわじわと持ち上げる。
少しずつ空気を入れていくとやっと抜けた。

お肉のセットは2~3人前のものだけれど、うっかりするとぜんぶぺろりと平らげられそうで怖い。
さすがに自制心が効いて、かろうじてストップ。
ダイエットが必要なのに、これでは痩せられない。
余ったお肉は次の日まで美味しく食べられた。
冷たくなっても予想以上の味が保たれていた。

スーパーの肉とは素材から違うとしても、これほど美味しく焼けるのはプロの技。
久しぶりで美味しいものを食べたら元気が出た。
でも毎日こんな贅沢はできないから、しばらくは納豆ご飯とみそ汁。
ところがこれもなかなか美味しい。
やはり日本人、最近は梅干しとか漬物とか若い時にあまり食べなかったものを好むようになってきた。
あと10年くらいしたらドングリばかり食べているかも。

と、言うと、私はイベリコ豚か!ぶう!
確かに体型は似ている。
















2020年7月11日土曜日

夜中のバラ

「夜中のバラ」「眠る盃」

急に浮かんだエッセイの題名、作者は何という名前でしたっけ?
たしか「い」で始まる名前。
伊集院、伊藤、石野・・・なんだっけ。
調べたら「い」ではなくて「む」だった。
向田邦子さん。
あれほど好きであんなに読んだのに、どうしても名前が出ない。

夜中のバラとは ♪童はみーたーりー夜中のばーらー♪
本当は「野中」のバラ。
眠る盃は ♪春高楼の花の宴ー眠るる盃ー♪
本当は「めぐる」盃。
子供のころに意味もなく間違えて覚えてしまうことはよくある。
向田さんもエッセイで書いているのがこれ。

彼女には妹さんがいて札ノ辻か辻の札かわからなくなるので、何回も言わせて追いつめて泣かせたらしい。
そう、姉妹はこういういじめをするものなのだ。
私は姉たちのおもちゃだったから、よくやられた。

初めての姪は、私にとって初めての年下の家族だった。
私は反応するからぬいぐるみより面白いと言っておもちゃにした。
家族中が彼女を溺愛して、私は夏休みになると姉の家から姪を拉致してきた。
ミルクを飲ませおしめを替えて、いっぱし子育てをしていた。
時々彼女の父親の義兄が取り返しにくるけれど、家族ぐるみで拒否。
姪も大勢の中でかわいがってもらえるから、自宅に帰りたくない。
しょんぼりと義兄は肩を落として帰っていくのだった。
今思えば悪いことしたなと思うけれど、姉はその間子育てから解放されるから、まったく気にもしない。
大好きな義兄と楽しく暮らせるから。
夏休みが終われば帰すし。

姪が3歳ころ、非常にませてはいたけれど、やはりそこは子供。
雷が鳴り始めた時私は姪に「雷様がおへそ取りに来るからね、取られないように隠すのよ」と言っておいた。
しばらく続く雷鳴。
そのうち姪がおなかを抑えて体を丸くして必死の形相になった。
そしてついに泣き出した。
びっくりしてどうしたのと訊くと「おへそとられちゃう~、うえーん」
あわてて「あれはうそだよ」と言う悪い叔母。

ガムを飲み込まないように「ガムを飲み込むと死んじゃうからね」
しばらくしたら泣き出す姪。
「ガム飲んじゃった~、しんじゃう」
悪い悪い、どうしてそんなにからかうのかねえ、悪い叔母さん。

私も姉たちからひどいいたずらをされていたのだ。
蛇嫌いの私に紐を振り回して「へびだ~」と追いかける。
チーズだよ食べてごらんと言われて石鹸を食べさせられて大泣き。
兄姉が多いと鍛えられます。
だから世の中に出ても、何を言われてもそれほど気にもしないでいられた。
大家族のメリット。
デメリットは、プライバシーが全くない。
勉強好きの兄は家族がうるさくて勉強できないと怒る。
下手なヴァイオリンとピアノ、テレビ、私が大声で歌う、姪が泣き叫ぶ、家は防音もなにもない古い木造家屋。
私は全く勉強しないから、ずっと加害者だった。

家族が多いと、例えばケーキの切り分けなんかは皆上手で、切り手の手元をたくさんの瞳が息をつめてみている。
一番大きいのは私が、あとは早い者勝ち。
家族の中の立ち位置はいつもそんなだった。
それで私は殆ど競争はしたことがない。
徒競走ではちょうど中間あたりをだらだら走る。
一着なんてなるわけがないと、最初からあきらめている。
周りを見ると歯を食いしばって顔を赤くして走っている。
あら、みっともない、あんな顔してばかみたい。
可愛くない子供だったなあと今頃思う。

長じてもだらだら、もう少し頑張れなかったものかと自分に問うと、んなことできるわけないでしょう。
そうだね、私がもう少し頑張っても大して変わりはないから。

聞いた話によると、筋肉は可動範囲を超えて動かすとこわれてしまう。
人は脳の指令で、可動リミットの手前で筋肉をとめるのだそうで、その抑制がとれてしまうのが火事場の馬鹿力だという。
だから日ごろから筋肉を動かさないと、脳は可動範囲を低く認識してしまい、結果筋肉はその手前でかたまってしまうのだそうだ。
頑張らないでいるので脳が私の可動域を狭く認識しているのだろうと、最近思う。
コロナボケなのに食欲は正常、運動しないでゴロゴロ。
散歩すればすぐに疲れる。
2キロほど太ってしまった。

足首をねんざしてから、ずっと大事に動かさないようにしていたら、動かすと結構な痛みが走る様になった。
それでなおさら動かさないー痛みがひどくなるー動かさないーとやっていたら階段が下りられなくなった。
友人が片足立ちができなくなった時、お風呂の中で無理やり足首を回していたら、今は数分片足立ちができるのよと言うので真似してみた。

温めると足首は良く回る。
繰り返していたら、最近痛みが少なくなってきた。
片足立ちがほんの少し、長くできるようになった。
スキーの来シーズンのために体重も減らさないといけないのが憂鬱。


















2020年7月9日木曜日

謎の仕事

九州や長野などで大雨による河川の氾濫で洪水が起きている。
なにもかも泥だらけ、出水の速さが尋常ではなかったようで、あっという間に自宅が壊れ孤立した集落から人が救助されているようだ。
川の脇を通る道路はガードレールがわずかに見えるだけで、まったく川と同じレベルまで水が来ている。

特に九州は早くから被害が始まった。
テレビで久留米市の様子が映し出されていた。
それで思い出した久留米の仕事。

あるグループのリーダーがその日は空いていないので自分は行けないからと、私に回ってきた仕事だった。
弦楽四重奏で久留米の某結婚式場まで行ってほしいというので、飛行機に乗って博多空港に降り立った。
そこには黒塗りの高級車が待ち構えていた。

いつもほとんど決まったメンバーで仕事をしていたけれど、その日はいつものチェロ奏者は来られないというので、初めて会う若い女性が来ていた。
経験が少ないようなので、飛行機の中でも楽譜合わせをして色々説明した。
ここの部分は急にテンポが変わるから気を付けてとか、ここはだんだんゆっくりするので要注意とか・・・
素直な人でハイハイと返事は良いから、わかってもらえたと思った。

車の中ではすでにリラックスして久留米までのドライブを楽しむメンバーたち。
宿泊は久留米のニューオータニ、飲食は無制限で何を食べても飲んでも良いという。
すごーい!いつもならお弁当とか、コンビニで買ってきたものを部屋で食べるとかなのに。
本番は次の日の午後。
一晩中楽しく過ごせると思っていた。

さてまずは部屋で少しだけ音合わせをしよう。
そこからが地獄。
初めて会ったチェロ奏者は全く経験が浅くてどうしようもない。
だいたいチェロを弾くのもおぼつかない。
今回は参加できるメンバーを探すのに苦労したらしく、リーダーも全く一緒に弾いたことがないという。

落ち着け落ち着け!私は深呼吸して怒らないように、怒ったらおしまいだぞと自分に言い聞かせた。
結婚式で使うような曲はポピュラーなものだから、たいていは知っていると思っていた。
演奏時間は次の日の午前中にわかるから、とりあえず持ってきた楽譜は全部弾けるようにしておかないといけない。
飛行機で打ち合わせはしたから、当然わかっているはず。
しかもチェリストには事前に楽譜を送ってあったし。
でもわかっていなかった。

がーん!一曲たりともまともに弾けないので頭を抱えた。
これでは飲食自由なんてのんびりごはん食べている場合ではない。
ニューオータニで何を食べてもいいなんて、こんなチャンスはもう2度とないのに。
まずルームサービスでサンドイッチとコーヒーを頼んでおいた。

とにかくチェロにはあまり弾かせないように、難しいところはカット。
なるべく易しい曲を選んで、テンポの変わり目はしっかりと合図を送る。
あなたねえ、楽譜もらってあったのに練習をしていなかったの?馬鹿にするんじゃないわよ!
口から出そうになるのをこらえて穏やかに忍耐強く練習をすすめた。
ぜんぶの楽譜をひと当りしたころにはもう深夜になっていた。

次の朝、黒塗りの高級車に乗って会場へ。
会場に着くと、くどいように確認した譜面台がない!
急遽テーブルに白い布をかけてヴァイオリンケースを乗せて、譜面台替わりにした。
それにしても会場には当日の担当者もいない。
音楽を取り仕切っているらしい司会者とエレクトーン奏者は、私たちが演奏することは知らされていなかったらしい。
司会者は明らかによそ者が侵入してきたという態度で、恐ろしく冷たい。

式のどこで演奏すればいいのかと尋ねると、それは自分たちで全部やると言う。
それでも食い下がって、私たちは呼ばれてきたのだから演奏しないわけにはいかない。
どこかのコーナーで弾かせてほしいと言ったらしぶしぶ、でも私(司会者)が肩をたたいたらすぐに演奏をやめてほしいと言われて仕方なく彼女に従うことにした。

披露宴が始まる直前に依頼主の男性が現れた。
私たちを見ると満足げにニコニコしている。
私はもう一度演奏させてもらえるように彼に確認をとった。
ご満悦でいい加減に請け合う彼。
しかし、司会者は強かった。
自分のテリトリーを荒らす存在は排除する気満々。
私たちは地域から言っても、脅威にはならないはずなのに。

宴が始まった。
彼女たちが手順通りにする演奏に私たちも強引に加わり、それは豪華で良かったかもしれない。
ここは私に弾かせてと言うとにこやかに司会者がうなずくけれど、8小節もいかないうちに肩をポンポン叩かれる。
約束通りに弾くのをやめて待機。
そうやって終盤にさしかかり、たまりかねて私は依頼主の男性に1曲でいいからちゃんと弾きたいと訴えた。
やっと演奏させてもらえて、1曲終わりもう1曲と思ったら司会者が強引に割り込んできて終了させらてしまった。
依頼主は大満足なのだ。
結局何かといえば、親戚か知人の結婚披露宴に東京から弦楽四重奏を呼んであげたということがご祝儀になったのかなあと思ったけれど。

その後また近所のレストランで好きなだけ食べていいという。
飛行機の時間に間に合うように黒塗りの高級車が来て、私たちの頭は???となって仕事は終わった。
これって最高に楽な仕事にはちがいないけれど、腑に落ちない結末。
こうとわかっていたらニューオータニでたらふくたべてぐっすり寝られたのに。
あの練習は全く無駄になった。

私たちは結局宴会の壁の花だったようだ。
音なんかどうでも良かったのね。
その後あのチェリストと仕事場で会うことはなかったけれど、ちゃんと成長したのかなあ。
できなければ仕事を引き受けるべきではないのに。
でもリーダーは、その日空いているチェロを探して藁をもつかむ思いで彼女に頼んだと思うと文句はいえなかった。

長年フリーで仕事をしていると様々なハプニングにみまわれるけれど、その中でも謎の多い仕事だった。
だいたいあの依頼者はどういう人なのだろう。
飛行機代、ハイヤー代、宿泊代など、大変な出費なのに、たった1曲だけ弾かせてご満悦とは・・・








































2020年7月8日水曜日

麻雀

せっかくだから麻雀の話を。

私が長年仲良くしてもらっている「雪雀連」は文字通り雪と雀の同好会。
雪はもちろんスキー、雀は麻雀の略称。
私が参加したのはすでに半世紀も前からで、このグループにいたおかげで人生がどれほど楽しいものになったか、計り知れない。
いい加減を絵に描いたようなメンバー。
ひたすら楽しいことだけする。
難しい話は一切なし、個人的な悩みなどは打ち明けない。
美味しいものに目がないから、我慢しない。
だからだれも人格者にはなれないのだ。

それぞれの仕事は千差万別で、決してお互いに深入りしない。
会長は山田氏、ピアノ調律界の大御所。
Aちゃん、照明界の卒業生、照明は照明器具を使わず自らの頭を反射させるとか・・
Hさん、化学者なのにお酒を飲むと自分がどうなるかという研究はしない。
そのほか舞台関係者、音楽家、一時期はバレリーナまでいたことも。
もちろん私の大好きなノンちゃんもご夫妻で。
映画関係者、出版社の伝説的な編集長などなど・・・

一時期それらの人々が集まって70人以上の数になった。
お正月の天元台は毎年40人ほど集まって寝るところもないから、私は押入れで寝ることもあった。
押入れの上から見ると、畳の大広間にいるのはすごい人数の寝姿。
決まりごとは一切ないから、好き勝手に出入りする。
大雑把な人だけかと言うと中には計算の達人がいて、宿泊費、飲み代など日毎に計算して全員の支払いをする。
その計算の早いこと見事なこと!

冗談ばかり言うので生真面目な人は毒気に中てられて、参加しなくなる人もいた。
姑の悪口を言う人は総スカンにあって二度と来なくなる。
そんなこと誰が聞きたい?顔も知らないあなたの姑の悪口なんて。
ご主人の自慢をする人には、ご主人はそうなのね、で、あなたは何をする人?
初参加の人もちやほやしない。
だれもはじめは知らん顔。
自然になじむのを待っていると、そのうち抜けられなくなる。
私は初めて月山の夏スキーに参加した時、ノンちゃんの太陽のような笑顔で迎えられた。
豊かな温かい笑顔を今でも思い出す。

メンバーの出入りは自由。
イベントに参加しなくても、10年くらい来なくてもぜんぜん構わない。
久しぶりに来ても大歓迎もしない。
自然に話が昨日の続きみたいにできる。

最近年齢が限界点を超えて、いまや残党はショボショボ。
コロナでスキーは中止。
高齢者が多いから危険すぎる。

最近こそスキーが主な行事になったけれど、最初のうちは麻雀が主な目的だった。
スキーに行ったつもりなのになかなか皆ゲレンデに出ない。
朝は早くから雀卓を囲む。
昼まで待っても出ない。
そのうちしびれを切らして「ねえ、スキーにはいついくの?」と訊くと「そのうちに」と気のない返事。
ついに昼食の時間、食べ終わるとまた麻雀。
私が切れ始めるころ、やっとゲレンデへ。
3回リフトに乗ると「温泉に行こう」
私は激怒というパターンが長年続いた。

それが山田会長が中年すぎてスキー狂いが始まってから、がらりと変わった。
朝は9時発、最終リフトまでしっかりと滑る。
私は体力がないから3時ころには上がりたくなる。
さっさと宿に戻って温泉に浸かる。
夕食の前にビールを飲んで、夜は麻雀が始まる。
一日中、よくもこんなにあそべるものだと感心するほど徹底的に遊ぶ。
それでいて皆それぞれの世界では名を馳せているのだ。

遊びも仕事も中途半端はダメということ。
体力も気力も最後まで衰えない。
かつてバレーボールのインターハイで名セッターとして活躍したという女性Bちゃんは、伊豆の介護施設からも一人でスキーに参加していた。
最後の最後まで弱音を吐かず、気丈にふるまって誰の手も借りず滑っていた。
もう一人の女性Nちゃんは世界のスキー場をめぐって歩き、亡くなる数か月前までスキー場に来てゲレンデに立つこと、自分の荷物は自分で持つ、それができなくなったらスキーをやめるという厳しい基準を自分に課していた。
私は怠けものだからそこまではできないけれど、この人たちと知り合えたのが自分の財産だと思っている。

中には気の小さい男性もいたけれど、女性は皆強かった。
麻雀で負けたといって次の日の朝、おはようと言ってくれなかった男性。
私ともう一人Oさんが初心者(初めてではないけれど点数がつけられない)だったので、彼は一生懸命教えてくれた。
その恩に報いず後ろ足で砂をかけるような真似をしたのは私たちです。
彼からたっぷりと点数をむしり取ってしまった、心ならずも。
ウフフ・・いやいやビギナーズラックですよ。

中に一人だけ札付きの悪党男性がいた。
酔ったふりをして牌をかき混ぜ、すきをついて牌を変えてしまうというインチキをやった。
それを皆知っているのに知らん顔して相手をする。
清濁併せ呑んで、だれも目くじら立てない。
その人を追放してしまえば収まることなのに、あえてそれをしない。
そういう人も受け入れるだけの余裕が皆にあって、それを楽しむ風も。
あきれたことにその人は教育者、何をかいわんや。






















ヤバい

今我が家で一番清潔なところはトイレ。
今朝お掃除やさんが来てピカピカに磨き上げてくれた。
掃除を頼んだのはそこだけで、あとはまあ自分で出来るけどトイレはどうも苦手。
トイレの掃除をするとトイレの神様がその人を美人にしてくれるそうだけれど、私はそんなわけでこれ以上美人にはなれない。
これ以上と言うからには今美人なのかと突っ込まれると、ごにょごにょ・・そこは追及しないでほしい。

以前掃除をしてもらったらあまりにもきれいになったので、今回も同じ人にお願いした。
仕上がりは上々、裏までピカピカで使うのがもったいない。
掃除のコツを訊いたら百均で売っているというブラシ、そしてウオーターペーパーというものを使う。
これはホームセンターなどで売っているらしい。
一見紙やすりかと思ったらザラザラしたものではないようだ。
どちらかと言うとシワシワ。

コロナの話で、やはり掃除の仕事は激減、それでも空き部屋の掃除を中心にしているので人と会わないから感染の心配は少ないとのこと。
それは良かった。
この先感染がいよいよヤバいことになるらしい。

このヤバいという言葉。
以前はヤクザさんとかどちらかと言うと闇社会の人が使ったと思うのに、最近はきれいな女子高生まで平気で使う。
初めてそういう使われ方を聞いた時には腰を抜かしそうになった。
そういう言葉は男性は時々使っていたけれど、女性はねえと思っていたら、今や一般社会に市民権を得たらしい。
そのうえ、本来危ないとでもいう意味なのに、最近はすごく感激した時にも言うのだから、言葉の様変りは興味深い。

どうしてトイレ掃除から言葉の話になったかと言うと、昨日ふと思いついた言葉に関することがあって、あとでnekotamaに投稿しようと思っていたら、今朝、すっぽりと頭から抜け落ちていた。
そいうことを考えたということだけは覚えているのだから、まだ、認知症の第1ステージくらいかも。
最初にこのブログを始めた時は自分だけの日記と考えていたけれど、決まった数だけ読んでくださる方がいるようなので、あまりいい加減は書けなくなった。
これは自分が多少なりとも社会にかかわっている窓口になるので大切にしたい。
特に間違った情報を流すと、いくらnekotamaのいい加減さを知っている人でも、悪影響になると困る。

ヤバい=ヤクザの偏見はそろそろやめないといけないかな。
このところ母のことばかり書いているけれど、私の母の偏見はもっとひどかった。
麻雀、花札、競馬、それらは全部ヤクザの世界。
それなのに少しもその手の人たちを怖がらずに平気で近所付き合いをしていた。
近所にいたおじさん。
うちの両親を「にいさん、ねえさん」と呼んでいた。
親戚かと思ったらどうも違うようで、不思議に思っていた。
私が追突されて修理代をもらえなかったら、取り立てに行ってくれた。
一緒についていったら、火鉢に片足掛けてすごみ始めたのでびっくり仰天した。
こ、怖い!
無事修理費はもらえたけれど、もうお付き合いはまっぴら。
どうやら競馬で儲けて家を新築したとか。

今はもう規制が厳しくその手の社会とは隔離されているけれど、戦後の混沌としたときには厳しくなかったから共存していたみたいで。
母にしてみれば子供の時から見ているので、あの子はまじめないい子だよなんて。
変な目つきの男でもつかつかと寄って行って注意したり、母は強いとしみじみ思った。
麻雀はヤクザのものと思っていた母が、その娘が麻雀とスキーの愛好会「雪雀連」に属したのを知ったら、さぞ嘆いたことだろう。
麻雀は年1回、お正月の天元台で雀卓をかこむだけでスキーが目的だったけれど。

その麻雀で・・・と話は尽きないけれど、今日はこの辺で。
おあとがよろしいようで。
寄席が終わった時の太鼓は、出てけ出てけと叩くそうですよ。

そういえばロンドンアンサンブルのピアニスト美智子さん、ある人を評して「あの人は冗談まできちんと説明するのよね」と。
「それで面白くないのよ」
この言葉、肝に銘じておこう。
書きすぎは退屈の元。



























2020年7月6日月曜日

体重増えすぎ

注文してあったイタリア製の薄緑色のドレス。
やっと届いたので胸を躍らせて試着したら、左わき開閉のファスナーが閉まらない。
背中の開閉ならなんとかごまかせるけれど、わきの開閉だと中身のお肉を挟みそうで怖い。
やっと上まで上げたはいいけれど、ぴったりとウエストに張り付くデザインは、最近のコロナ太りでため込んだ贅肉を否応なしにさらす。
ボンレスハムか?いらんところにくびれや盛り上がり。
これはいかん。
リフォームに出せばなんとか着られそう。
けれど、凝ったデザインで手間が大変そう。
手間の割には効果は少ないと見た。
諦めて返品することにした。

コンサートはいつ再開できるかわからないので、ドレスだけ用意してもむなしい。

海外のブランドは欧米人の体型で作られているから、胸は豊かに、ウエストはあくまでも細く、丈は長い。
これを丈は短く、ウエストはうえフト、胸はふにょふにょ体型の私が着るのは無理がある。
それを何とかして着ようと努力するのには訳がある。

デザインが面白い。
とびぬけているのはイタリア、素敵なのはフランス。
イタリアのデザインはあくまでも色は明るく、肉体をなるべく露出するようにできている。
腿の上の方から割れているスリットや胸元が大きく開いていて、私が着るとおへそまで見えかねない。
おへそは、でも見えない。
なんせその上にたっぷりとお肉が盛り上がっているから。

胸元は少し上まで縫ってしまう。
スリットも同じく。
それでなんとか凌いでいるけれど、ウエスト辺りのすっきり感は全くなくなる。
というのも、その辺の贅肉を隠すために、なにかしらドレープを寄せたり、ベルトをこしらえたりで、せっかくのドレスがダサくなる。
残念無念だなあ。

若くてやせていたころはなんでも少し詰めれば着られた。
詰めるのは簡単でも増やすのはプロの手を借りないと無理。
せっかく改造しても思ったような効果が出ないことも多い。
ドレスをデザインする人は、まさか自分のドレスを日本の子豚ちゃんが着ると思って作ったわけではないから、パーツの位置とドレスの曲線の位置がずれる。
これが着こなしを台無しにする原因なのだ。
だから自分に合わせて作ればいいかというと、そうでもない。

ステージ用のドレスを注文して作ったことがあった。
ドレスメーカーは日本の洋裁の型紙の取り方で作るから、曲線的ではない。
ステージドレスはいわば運動着。
それを着てただ立っているわけではなくて、腕が動きにくいと演奏に差し支える。
オーケストラは座って弾くので、座ったときにもきれいに見えないといけない。
しかし、まったくそれを理解できないメーカーは、日本式の平面的な型紙で作ってしまった。
立って腕を下ろしていればまだしも、腕を上げると肩がつかえる。
手を下ろすと妙に肩幅が広すぎるで、何回仮縫いしても話が通じない。
口を酸っぱくして「ここを1センチ詰めて、こちらはもうすこしたっぷりね」「は~あ」
根負けして本縫いへ。

演奏旅行にそのドレスを持参した。
ベッドの横にハンガーに掛けられてうなだれているドレスを見たら、可哀そうに、私の体型そのままだった。
見苦しい。
結局私の体型が悪いのが諸悪の根源なのだ。
ちなみに欧米のドレスは立体的にできているから、それだけ見るともこもこして見える。
けれど着てみるととても着映えがするし動きが楽。

その後、センスの合うメーカーさんと出会って、さんざん服を縫ってもらった。
その人は同じアパートの住人だったから、なにもかも好都合で、いろいろなデザインを考えては縫ってもらった。
着物を仕立て直してスーツにしたのは、まだそんなこと流行っていなかった頃の私のアイディア。
ヒョウ柄のアンサンブルを着て京都の都ホテルに行ったら、デザイン関係のかたですか?と言われた。
ヒョウ柄なんてまだ大阪のおばちゃんですら着ていなかった頃の話。
ほっそりとして目を輝かせて人生を大いに楽しんでいたころの自分は・・・あれは本当に自分だったのかしら。
サイズ5か7なんて・・・

あれが自分なら、今ここにぼんやり座っているこのお肉の塊は一体誰?














2020年7月5日日曜日

古典音楽協会の公演中止

今年初めから私たちの演奏会はことごとく中止の憂き目にあった。
今年の夏は北軽井沢のフェスティヴァルも中止、弦楽アンサンブルの生徒たちの合宿も予定はされているものの、それも状況次第でどうなることか。

今朝、古典音楽協会の今年9月の定期演奏会と来年3月の公演も中止するとの知らせが入った。
予想はしていたものの、かなりショックは大きい。

会場の東京文化会館は日本有数の演奏会場だから、世の中の規範となるべき存在。
そこでの基準は厳しく実行されないといけない。
古典音楽協会の公演は、毎回ほぼ満席というありがたい状況だった。
演奏者とともに聴衆も一緒に年を重ね、これほど暖かい応援を受けている演奏団体は他にないと自負している。

ステージに上がると、客席から一斉にニコニコした雰囲気が伝わってくるのだ。
その満席の状態を、どうやって過密状態をなくすのか。
毎回聴いてくださる人たちに、あなたは来ないでください、または今日は席がありません、おかえりくださいなんて、言えないでしょう。
本当につらい思いでやむなく中止の運びとなった。

しかし、私たちはもう若くはないから、この2回の中止が及ぼす影響は精神的にも身体的にも大きい。
毎日練習は欠かさないものの、目的もなく行う練習は緊張感がない。
果たして来年復帰したとして、ちゃんとした音が出せるかどうかも心配。
幸い私はコロナウイルスに取りつかれてはいないと思うけれど、この先無事でいられる保証はないし、他の誰にもない。

感染拡大第2波の予想は今年10月ころとか。
それは秋の公演の真っただ中ではないか。
世界がとんでもないことになっている。
そしてウイルスに対する緊張感の温度差が各国に見られ、日本だけで頑張っても手の施しようがない。
経済的には各国間の行き来は必要なのに、汚染度が違う拡大時期も違うとなると、やっと収まったところに又感染者が入り込んで・・・いたちごっこ。

せめてアメリカのトランプ氏が経済的亡者でなければ、もう少し患者数が減ったものを。
それができないのに次期大統領選に出馬とは、反省のはの字もない。
せめて日本の安倍さんがもう少しお利口さんだったら、使えないマスクに莫大な税金を使わないで医療機器をそろえられたのに。
まったく、どいつもこいつも・・・おっと失礼。
コロナ騒ぎが始まってからの私は、ちょっと苛ついておりますので。

経済は本当に大事、だけど命あってのことで、一時期我慢しなければいつまでも良い経済活動はできない。
今日地元商店街のイタリアンレストランをのぞいてみた。
ダサい商店街でもぴか一のレストランで、時々女子会をしている。
マネージャーがカウンターにもたれて額に手をやり、うなだれていたので声をかけられなかった。
このレストランがなくなると、この町で美味しいと自慢できる店がなくなる。
それは困る。














2020年7月4日土曜日

膝栗毛

十返舎一九「東海道中膝栗毛」
この膝栗毛とはなんぞや?と先日テレビでクイズの問題となっていた。
こたえは物知りで有名な解説者I氏。
ところがその説明があまりにもあいまいで、あれでは聞いた人たちはわからないと思った。
それはこんな風だったと記憶している。
栗毛というのは馬のことで、昔は馬でよく旅をしましたね。東海道の旅の話です、みたいに言ったと思う。
おや?膝はどうした。
もしかしたら編集されて肝心なところが切られていたのかもしれないけれど、わけがわからなった。
私の聞き間違いだったらIさんごめんなさい。

解説者なる職業は本当は何というのだろう。
評論家?
最近は情報にコメントするだけでコメンテーターという職業も成り立っているようだけれど。

栗毛とは茶色い馬(毛色)
胴は赤黒く尾とたてがみが赤茶色。
膝栗毛は人間の膝を栗毛の馬に例えている。
それをつかって旅をする、馬ではなく膝を使うので徒歩旅行のことをいうのだけれど、そこのところの説明がすっぽり抜けていたので驚いた。
それ言わなきゃ意味通じないじゃない。
ご本人も知らなかったのかな?

毎日うちで無聊な日々を送っているから、些細なことが文句の種になる。
知ったかぶりはこの辺にして・・・
私は馬は葦毛が好き。
すごくおしゃれに見えるのだ。

評論家と言えば、私の一番嫌いな職業。
野球の解説なんかも「あー、ここで打たないといけませんね~」なんて。
それではあなた、打ってみなさいよ。
「これはやってはいけません」なんて、やってはいけないことをやりたくてやっている人はいないのよ、あなた。
音楽評論家に楽器の名手はいない(と思う)
自分が演奏する立場だったら他人をとやかく言えないはず。
自分が名手だったら御託並べている間に、一曲でもたくさん演奏していたいと思うだろうし。

今までで一番おかしかったのは、わが「古典音楽協会」の記念的な定期演奏会の時。
いつもどおりお客さんは超満員。
そして普段は聴いてもらえない評論家の皆さんもご来場したらしい。
後日、音楽雑誌に出た記事を読んだメンバーは爆笑した。

メンバーの中にS氏という有名な演奏者が名を連ねていた。
しかしこの時の演奏会には出演していなかった。
1流オーケストラのトップメンバー、有名大学の教授で、なかなか御多忙なので。
彼抜きでのコンサートのはずだったけれど、評論家氏の評論は、彼の演奏が素晴らしかったと書いてあった。
私たちの知らないうちに彼は演奏しに来ていたのかな?
彼さえ褒めておけば何事も平和なのだ。
演奏していなくても褒めてもらえるのはいいなあ。

しかし、その時の彼のポジションのメンバーはやせ型。
S氏は手を前足と呼ぶほどがっちりとした体形で、遠目にもその違いは一目瞭然。
すると・・・この記事を書いた人は会場に足を運んでいないということ?
情報通によれば、そんなことは日常茶飯事だそうなのだ。
評論家同士で協議して、今回はこの流れでいこうと決めるらしい。
それを真に受けてやってくるお客さんこそいい迷惑。

実際私が一時期所属していた弦楽四重奏団。
あまりにも音程が合わないので気持ち悪くてやめたけれど、コンサートをすれば某有名評論家の絶賛が毎回雑誌に載る。
メンバーの一人が彼の旧友。
しかもお金持ちで金に糸目はつけない。
ほかのメンバーは一流大学教授。
これではいい点数がつくに決まっている。
その評論家は日本のトップクラスだったから誰も逆らえない。
しかし、それ以来私は演奏会の評論は決して信用しなくなった。
自分の耳でちゃんと確かめることにした。

あまり有名ではない人のコンサートに行って、思いがけず感動することはある。
バッハの連続演奏をした日本女性Wさんの素晴らしい演奏を聴いたすぐそのあとで、同じ会場でやはり同じバッハを聞いたことがあった。
ドイツ人の日本ではあまり聞いたことのない名前の男性だった。
Wさんは素晴らしかった。
本当に上手かった。
けれど、ドイツの若者の演奏では、なるほどバッハはこう弾くのかと感動させられた。
本物だあ!
ごつごつしてそれほどテクニシャンではないかもしれないけれど、魂はまねできないと思った。
評論家はWさんを絶賛するだろう。
けれど、私は楽器のうまさってなんだろうと考えさせられた演奏会だった。

東海道からドイツまで、話題の幅が広がって、私は家にばかりいて、体の幅が広がって、次にコンサートができるころには、どのドレスも入らなくなっているかもしれないと恐怖ですのにゃ。





















鳥になりたい



コロナが始まってからのnekotamaは、投稿内容がとげとげしくなっている。
自分で読み返すと笑える。
またイライラしてえ、いい加減にしなさいよ、と。

コロナで運命が変わった人は沢山いると思う。
けれど、津波や大地震なんかの自然災害よりは、まだ救いようがある。
まずは予防ができる。
治療が受けられる。
それでも亡くなった方には申し訳ないけれど、根こそぎ持っていかれてしまった大津波に比べれば、まだ多少逃げ場はある。
ただしそう言えるのは今のうち。
世界的な大流行だから、経済的な理由で外国からの旅行客を受け入れるようになったら、考えるのも恐ろしいことが起きるのではないだろうか。

今度我が家の上の階に大阪から引っ越してくる人がいる。
大阪ではコロナが上手く制圧できたようだから、わざわざ危険地帯に引っ越すわけで気の毒に思えるけれど、仕事の都合だからしかたがない。
3階のほかの部屋の人は在宅勤務がずっと続くらしい。
なんでも9月までということで、毎日家にいる。
近所で子供が騒ぎ、大きな声で話す人、どなる声が聞こえる中での在宅勤務はやりにくそう。
会社のように構造のしっかりした建物ではないから、外の騒音は丸聞こえ。
在宅女史が時々苛ついて窓をバタンと閉める音がする。

我が家はこれで何度目かのリフォームに入る。
築25年を過ぎるとあちこち傷みが目に付く。
まず下の方から塗装が始まって駐車場がきれいになった。
そこから外壁と屋上の塗装。
これは足場を組んでの大仕事だったので、時間もお金もかかった。
空き部屋のリフォームは畳の部屋をフローリングに、押入れをクローゼットにと、今風に。

最後に残ったのは、階段室の壁と階段などの塗装。
これが済めば、ひとまず新築に近い外見になる。
3.11の地震の時に、3階の壁の一部にヒビが入ったけれど、構造上の問題はないということで放置してあったのを直すことにした。
私は2階に住んでいるけれど、この建物はよく揺れる。
すると3階の人からも時々揺れるけれど大丈夫ですかと訊かれた。
業者に訊くと、この建物は揺れることで大きなダメージを受けない構造なのだそうで、それを聞いて少し安心した。
基礎工事をしていた時に建築現場で見た限りでは、深く掘り下げて頑丈な鉄骨が組まれていた。
当時現場を見に来た保険会社の人が「これは100年保ちます」と太鼓判を押していった。
ただし、この土地はもともと田んぼだったから、地盤としては多少脆弱かもしれない。

気持ちよく住みたいのでリフォームに力を入れてきたけれど、最終リフォームが終われば、次は終の棲家探し。
周りに迷惑かけずに老いていきたいので。
本当は最後まで自宅にいたい。
這ってでも階段が上がれれば大丈夫。
周りがぜんぶ老人で、へんなお遊戯とか体操させられるのはかなわない。
介護士から子供みたいに話しかけられたら腹が立つ。
ほんの少しだけ家事をやってくれる人がいれば、家から直接火葬場に行きたい。
しかも自分で運転して・・・ハハハ、それは無理か。

私は暑いの苦手だから、火葬でなく鳥葬がいいけれど。
チベットの山の上で、鳥になって飛んでいくのが夢なのだ。
素晴らしいことに今まで夢はほとんど叶ったから、鳥になれるかも。

ハシビロコウ イラスト に対する画像結果でも鷲のような素敵な鳥でなく、ハシビロコウになりそうな気がしないでもない。
今まで一度も格好良かったことがないので
せめて最後は格好良くと思ったけれど、やはり無理なんでしょうかね。
生れたのは当てずっぽうだったっけれど、最後は自分で決めたい。
ハシビロコウでもいいかな。
いいよね?
ハシビロコウ イラスト に対する画像結果



















池袋

まさか池袋がコロナ感染数1位とは知らず池袋へ。
ハリー・ポッターの6巻が大詰を迎え、先生のルースさんとワクワク読んでいた場所は池袋の某所。
朝の報道で感染者数が非常に多いと聞いてぞっとした。
雨模様だったので人は少なかったけれど、コロナは人が通った後や触ったものや、あるいはくしゃみをしたときに拡散する。
油断はできない。
そうとも知らずルースさんと街を歩きながら、新宿は怖いなんてのんきに話していた。

熱中症が怖いのでクーラーをつけっぱなしで寝る。
朝方少し冷え込むこともあって、鼻かぜ気味の時は電車に乗るのがはばかられる。
咳喘息はずいぶんよくなったけれど、時々せき込むこともある。
自宅なら遠慮なく咳ができるけれど、電車で咳をしたら白い目が飛んでくる。
向かいの座席に座っていた男性が大きなくしゃみをした。
見るとマスク着用なし。
胸倉つかんで詰め寄りたくなった。

その日のレッスンは3時間ぶっ続け。
コロナ騒ぎですっかり暇になったので、たくさん読むことができた。
いままでは章の半分を1時間かけてのレッスンだったけれど、早く読まないと終わる前に私の認知症が進んで読めなくなるといけないから、スピードアップすることに。
それに今や物語はクライマックスを迎え、面白くてたまらない。
いつも聞いているルースさんも、もっと読みたいというくらい激しく展開する。

読みながら私は声優なんて言う職業も良かったなと妄想。
顔が顔だから女優は無理。
声が声だから声優も難あり。
でも昔から読むのは得意だったから、ひょっとしていけたかも。
ルースさんがじっと私の顔を見て、あなたのRの発音はとても良いと褒めてくれた。
何のことはない、私猫だから。
喉の奥でゴロゴロ。

さすがに3時間慣れない英語、しかも最近さらに難しくなった内容と格闘しながらのレッスンはこたえた。
作者のローリング女史の戦略は徐々に難易度が上がる。
読んでいる子供の成長に合わせて、単語もどんどん新しくなる。
これはすごい!
1巻は今から思えば本当に易しかった。
中学校の英語が十分通用。
しかし、いまや17歳になったハリーに合わせてレベルもそれなりになった。
中学校以来まったく英語を勉強してこなかった私は、すべてが新しい単語や言い回しで眩暈がするほど難しい。
ローリングさんの教養がそこここに散りばめられていて、うっかり読み落とすともったいないから一言一句丁寧に読んでいく。

ラテン語や辞書には出ていない使い方もあって、ルースさんがいなければほとんどわからなかったと思う。
彼女の忍耐強さはやはりヴァイオリンなどという面倒くさい楽器をやって培われたと思う。
怠けものを目指す私でさえ、好きなことには忍耐強い。
よくも60数年、飽きずにきたものだ。

思えば言葉に関しては私は国粋主義者。
日本語の美しさに子供のころから魅了されていた。
中学校の英語の先生がことごとく気に入らなかったので、英語に対する興味を失った。
でも中学校でハリー・ポッターのような物語を読ませてくれたなら、今頃私は英文学者になっていたかもしれない。
なにごとも出会いなのだ。
中学校でヴァイオリンを習っている同級生がいなければ、彼女が音大付属高校を受験しようと私をそそのかさなければ、今頃私は熱帯の森で安らかに木にぶら下がっていたかも。
それでもすべて最初から敷かれていた道なのだと思う。




















若者よ

数日前、感染者が増えているとも知らず池袋へ。
ハリー・ポッターの購読日、先生のルースさんと長時間のレッスンで疲れての帰り道。
新宿は感染者が多くて怖いなどと話しながら、池袋の雑踏を歩いていた。
その数日後、新宿を抜いて池袋がダントツになったというので震え上がった。
電車の中で不埒にもマスクをせずに大きなくしゃみをした男性の座席が、ちょうど私の真正面。
勘弁してよね。

まだ緊急事態宣言が解除になったばかりなのに、浮かれて自粛しないとは。
まったく若い者は・・・
で、自分の若いころを思い出した。
やっとお酒が飲めるようになった頃は、大人になったうれしさでなにかにつけて繁華街に繰り出す。
オーケストラの練習場が閉まるのは午後9時か10時、それから出かけるから当然終電で帰ることになる。
終電がなくなっても遊んでいて午前4時に帰宅したときは、めったに文句を言わない母に叱られたことも。
母は深夜ご帰還の私には叱るよりも効果のある行動をとった。

私が帰ると、そこに座りなさいと言ってお茶の稽古を始める。
袱紗の畳み方を教えて私の気が静まるのを待つ。
それよりも母の気が静まるようにだったかもしれない。
寝ないで待つ母の姿は効果があった。
家事と子育てで寝る間も惜しんで働いている母はとても疲れている。
そのうえ飼い猫の三毛が私が帰るのをずっと待っていた。

私が帰ると庭の隅から矢のように飛んでくる。
これもこたえたから、その後はあまり夜遊びは・・やはりしていたけど。
そうだった。
すっかり忘れていて若者を非難するところだった。

高校生時代、友人の別荘に遊びに行った。
野尻湖の湖畔にある別荘で、夏休みをヨットに乗ったり和船を漕いだりして遊ぶ。
友人のお兄さんが操縦するヨットに乗せてもらったけれど、バランスをとるのにあちこち移動させられて大変だった。
ロープを握らされて引っ張るとか、緩めるとか。
乗せてくれるというからお客さんでのんびりしていられるのかと思っていたので、疲れ果てた。
夜は皆ですき焼き。
友人お兄さんとその学友、私たちはまだ17・8歳の花も恥じらうお年頃。
なのに、すき焼きの肉の奪い合いで醜い争いをした、楽しい思い出がある。

自分の肉を確保するために、これと決めた肉に箸を突き立てて取られないようにしているのに、周りからみんなでこそげ取られてしまうので、なかなか口に入らなかった。
そのころコロナがあったら、こんなことであっという間に感染する。
嫌なことが早くなくなって、肉合戦ができるようになるといいのに。

今思い出したけれど、この野尻湖の持ち主の友人に誘われてスキーを始めたのだった。
ずいぶんよく遊んでもらった。
級友たちはお金持ちのお嬢様が多かったから、すっかりお世話になって楽しい夏休みを過ごした。
この別荘と御宿の海辺の別荘、美ヶ原のホテルのお嬢さんもいたっけ。
そこを渡り歩てリッチな休日を送っていた。

全然お礼をした覚えがないから、ずうずうしく泊まり歩いていたのかもしれない。
母が尻ぬぐいをしていたかもしれない。
宝塚の友人の家に居候をしていて、そろそろ帰ると言ったら友人母が「宝塚劇場に行かなければ帰さない」というので嫌々見に行った。
私は宝塚がどうも苦手だったけれど、初めて見たら余りの美しさにびっくり。
それから偏見はなくなった。
ゴルフ場のオーナーのお嬢さんは中学時代からの親友だった。
だから私は中学時代からゴルフの練習をさせてもらった。
思い出すとずいぶん贅沢なおつきあいをしていたのだわ。
お古の袖のすり切れたセーターとか、13歳年上の姉の使った取っ手の芯が出たようなカバンとか持ってずいぶん貧しそうだったから、同情されていたのかもしれない。

思い出せば出すほど、無謀でやかましくて図々しかった自分の姿が目に浮かぶ。
そう、若さとはそんなものだった。
周りへの配慮とか遠慮とかはなく、自分の道を突き進んでいた。
今私が当時のままだったら、コロナもなんのその、友人たちと面白く遊ぶことを優先したと思う。
だからといって若者たちよ!今はお願いだから我慢して!
大人になるということは、分別ができてすべてが中庸になってしまうことなのだ。
その分面白くなくなるかと言えば、そんなことはない。
ちゃんと体力が衰えて行動力がなくなってくるから、ちょうどよくなる。
自然は本当にうまくできている。
と、いまだに無分別な私が偉そうに言う。

この先いつどんな目にあうかわからないけれど、若い時の気持ちと体力に合った行動があれば、本当に人生は楽しい。
無謀であるのはいいことでもあるけれど、お願いだからコロナだけは怖がってほしい。
かかるとイチコロの老婆からのお願いです。