2011年7月4日月曜日

ひげ先生

いままでずいぶん猫のことを書いたのに忘れていたひげ先生。申し訳ない。あれほどお世話になったのに。今日いつもは通らない道(お墓の前をなので)を通った時、そういえばひげ先生の家はこの辺なのに・・・見当たらないと思ったら、外壁がグレーからクリーム色に塗りなおされていた。先生が亡くなってから何年になるのだろうか。なおこちゃんという猫がいた。それは賢い猫でドアノブをまわしてドアを開けたり、言葉も数語使い分けるほどの子だったけれど、私が一番忙しい時期で留守がちの寂しさを解消するために、もう一匹よそから貰われてきたのがチュウ。ある日その子がひどく苦しんで吐き戻し、あっという間に衰弱してしまった。近所の獣医さんでは信頼が置けず、探し回って見つけたのがK動物病院。やさしいおじいちゃん先生と車いすに乗った先生と、そしてひげ先生の治療もむなしく、結局死んでしまった。車いすの先生とひげ先生は兄弟で、お兄さんが事故で車いすの生活になってしまったとき、ふつうの大学を出て就職していた「ひげ」は、もう一度獣医科を受けなおして、お兄さんを助けて獣医として働き始めた。うちの歴代の猫たちはそれ以来、どれほどお世話になったことか。私たち(私と姉と姪)は陰で親しみを込めて「ひげ」とよんでいた。ちょっと宇崎竜童に似たライダー風で格好良く、BMWの1000CCのバイクに乗っていた。うしろに載せてねと言ったら「命の保障はしないよ」といわれたけれど、結局バイクがあまりに重いので乗りこなせなくて、車庫入りとなってしまった。あるとき朝電話すると「なんで電話するんだよ」という。しゃがれた声で。だって用事があったからなのに。「昨日飲みすぎたの?」と言ったらあいまいな返事。その時にはもう喉頭がんが進行しているのに私は気が付かなかった。本人の口からもう血液に転移していると聞かされて愕然としたけれど、なすすべもない。彼は結婚するとき奥さんに連れ子がいて、その子を自分の子とわけ隔てなく可愛がっていた。引き取り手のない動物も引き取って世話していた。乱暴でぶっきらぼうだけど、本当に優しい人だった。私が散歩の途中で野良猫を見つけて来ては「ひげ」の手を借りに行くので、怒って「もう散歩なんかしないでよ」と言う。「そんなこと言うと、この次貴方が困っても助けてあげないからね」とこちらも怒って言い返したたけれど、その時にはガンが進行していたのだ。本当にひどいことを言ってしまったと後悔している。私とは同じ年代の悪たれ口をきく良き間柄だったけれど、生きているうちにもう少し感謝の気持ちを伝えておけばよかった。

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