2013年1月3日木曜日

箱根駅伝

今日は2日目。様々な気持ちで走る学生たち。往路の途中棄権があって、記録に残らなくても復路を走る選手。何十年も続いた完走が途切れ、シード権をなくし悔しい思いは全員にあると思うけれど、その原因になってしまった学生の気持ちはどんなに惨めなことかと思うと、駅伝は残酷だと思う。その人は生涯このことを夢にまで見て自分をさいなんでしまうだろう。怖くて次の年には走れなくなってしまうのではないか。本来マラソンは個人プレーのはず。といってもサポートするたくさんの人がいて成り立つものだけれど、それでも個人が勝つか敗れるかで終わる。しかし、駅伝は一人の肩にそのほかの選手の分まで重荷を背負わされる。猫的性格の最たる私などは、もし、足が速かったとしてもとうてい耐えられない。こんなことは絶対いやだ。と、言いつつ、オーケストラなどという全体主義的な音楽のジャンルが好きというのは矛盾しているかもしれない。オーケストラに所属していた頃は若くてものすごく勢いのいいおねえちゃんだったから、私がこのオーケストラを肩に背負っているのよ、位の気概で演奏していた。所属を離れ野に出てみると優秀な人は沢山いて、若い人たちが冷静に仕事をこなしていくのを見ていると、自分の思い上がりが恥ずかしかった。オーケストラの弦のセクションは10人以上がシンクロして動く。弓の上げ下げ、音程、何よりもパート譜をきちんと弾くことを要求された上で、他の人とのバランスや指揮者とのアンサンブルをしなければいけない。しかも全員が同じように動かなければ、パートのなかで軋轢が生じる。その怖さはやったことのある人でないとわからないと思うが、一流のオーケストラでも震えてしまう人が沢山いる。日本でも屈指の某オーケストラのメンバーと電車の中で出会ったとき「昨日は新世界でした。僕は震えたけど、まわりも震えていました」と話を聞いたことがある。震えは伝染する。右手のヴィブラート?これだけはごめんなさい、かけたくない。オーケストラの怖さが駅伝の選手たちに結びついてしまう。勝者は感動を呼ぶが、敗者は歯牙にもかけられない。もし、一人だったら負けても次があるさとがんばれる。でも途中棄権してチームをどん底に突き落としたら・・・・考えただけで震えそう。

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