2010年3月8日月曜日

田中 一村

伊藤 若冲を書いたら、思い出した人がいる。奄美大島にスキューバダイビングに行ったときのこと。4月とはいえ、その年は冬の間の日照時間が少なかったので、水温が上がらなかった。現地のダイバーがドライスーツを着ているのに、私たちはウェットスーツしか持っていない。他の人たちが歯を食いしばって冷たい海に潜っているのを尻目に、こんな冷たいのは嫌だと言って、すぐやめてしまう猫魔さん。だいたい、こんなに冷えて体に良いわけないじゃない。幸いひとり遊びが好きなので、いくらでも遊んでいられる。田中 一村の美術館があるというので、早速行ってみた。奄美は沖縄とも全く雰囲気がちがって、賑わいもなく、静かなたたずまい。細々と畑を耕し、染物をし、漁にでる。どちらかといえば、過疎地の感じがする。 その中で飛びぬけて立派なのが、一村美術館だった。ピカピカのガラス、広いホール、ゆったりとしてる。だが、本人の経歴を読むと、赤貧洗うがごとき生活で、姉と二人で一椀の粥をすすった等と書いてあり、その生家も移転して展示されていた。南国のこの辺では、雨露さえしのげれば問題はないとしても、そうとうなあばら家には違いない。  帰り道タクシーに乗った。一村の話になって運転手さんが「あの生家を移転するのに一億円かけたんですと」と言うから、思わず「そのお金、生きているうちにあげれば良かったのに」と言ってしまった。運転手さんはその後ずっと黙りこんでしまった。   事業仕分けで芸術も助成金が減らされて、アーティストたちの生活は逼迫している。建物にお金をかけるのは惜しまないのに、肝心の芸術にお金を出さない。矛盾していませんか。

4 件のコメント:

  1. この絵は何かで眼にしたことがあったのです、とても心ひかれる絵だったのですが、作者を覚えていませんでした。ただ南の方の方としか知らなかったのです。田村一村と作者が分かって良かったです。美術シリーズも楽しんでいます。

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  2. 建物にお金をかけるのは日本全国津々浦々まで土建国家ということなのでしょうか。維持されていきますようにと祈るばかりです。

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  3. 読んでくださってありがとうございます。そのうち、落語シリーズも考えています。  

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  4. う~む、、、全て「道」は型から入りますからね、日本は
    古今東西作者が生存している内に花開く「芸術」は少ないのです。多くの記念館や記念碑は罪滅ぼしなのでしょうか
    ちょっと悲しい問題です

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