2010年3月22日月曜日

猫魔さん分析

このブログを読んで下さっている方から、鋭いご指摘。「すごく真面目なのか、ふざけているのか、よくわからない」 なるほど、それが、猫魔さんの本質、というか、ミュージシャンの振る舞い。大体、生まれたときに、音楽家の家柄でなければ、楽器を弾いて人生を送るなんて、キリギリス家の人々(虫虫)でないと、理解されないでしょう。実際猫魔家の総支配人である母親は、何回も音楽の道を断念させようとした。      良いとこのお嬢様が、お稽古事のつもりで始めて、ソリストになってしまうこともあるけれど、せっかく、京都大学を出たのに、オーケストラに入るとか、東大に行くつもりが、音大になったとか、世間一般の常識から見れば、少し道をはずした感が否めないでしょう。でも、私はその人たちは、ほんの一握りの幸福な人たちと思いたい。なぜなら、演奏をしていて、深く意識の底に降りていったときの、至福感.それは、右脳の最も素晴らしい機能、満ち足りた楽天的な気持ち、感謝、慈しみから来る。音楽は右脳が主役。演奏がうまくいっている時は、自分の体も呼吸も意識しなくなり、ただ、ここにいる、それだけ。「奇跡の脳」を読んだとき、思わず「そうよ、それなの」と、思った。      だんだん話がそれていってしまいそうだけれど、ようするに、生活苦も世間の差別も気にならないだけの、見返りは充分あるはず。なにに書いてあったか忘れたが、世間体を気にせず、好きなように振舞えるのは、最上流の人、たとえば王様、それと、最下層の人々、乞食だと。ミュージシャンは王様ではないから、乞食・・・よく、河原乞食という・・・    ある、ミュージシャンが言っていた。「演奏がうまくいった時は王様、でも、失敗した時は乞食以下」    喜びも多いが苦労も多いのですよ。緊張度が高いと、ゆるんだときの反動も大きく、つい、飲みすぎたりする。そして、世間的な枠が取り払われると、物事は(、面白い)、(面白くない)という2つの分類になり、少しでもおかしいと、そのおかしさがどんどん増幅して、冗談が冗談を呼び、更に、加速度を増し、いまや、何がおかしかったのかもわからないほどデフォルメされていきます。でも、根は真面目だから、時々はわれに帰るという説明にがってんしていただけましたでしょうか。  しーん。

1 件のコメント:

  1. 「すごく真面目に巫山戯る」っていうのがバランスがとれてていいなと思います

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