2012年7月31日火曜日

旅行計画は着々と

ロンドンアンサンブルのピアニストの美智子さんと夜中に延々と話し込んでいたので今朝は眠い。不慣れなスマートフォンのスカイプが途中で通信が途絶え、一度通話を切らないとかけ直せないのに切り方がわからない。慌てているからお互いに向こうから切ったりこちらからも切ったり、それでもしぶとく午前2時まで粘って、私たちの旅行計画が段々に様になってきた。まず、ヒースローにはキャブが迎えに来てくれるそうで、これはタクシーより値段が安いらしい。看板を持って立っているからと大丈夫よと言われる。着いたその日は美智子さんのお宅のStagg邸へ。そこで一泊、次の日はロンドンでうだうだした後、レンタカーで出発、4日間はちみつ色の町、コツウオルズに滞在。ホテルを拠点にしてそこの近辺を走り回る。湖水地方は美智子さんのご主人のリチャードさんの反対で、取りやめとなった。去年箱根をドライブした時、同じ場所をグルグル回ってしまったのをいまだに覚えていて、私の方向音痴を心配しての反対。秋の雨の多い時期、よく洪水がおきるそうで、そんな時にあちらに行くのはクレイジーだそうだ。でも、私の知人が10月に湖水地方に行くそうで、あの辺は秋が最高だと言われたそうだ。どちらが本当なのか、その時の天候に大きく左右されるのでしょう。なるべくゆったりとしたいところだが、日本人の悪い癖で、ここもあそこもと結局走り回ってしまいそうな気がする。ロンドンに戻ったら夏のプロムナードコンサート、アルバートホールでロンドンフィルやベルリンフィルなどの演奏が聴けるかもしれない。それを聴きに行くのにドレスアップの必要があるの?と訊いたら、ジーパンでも大丈夫と笑われた。昔ウイーンに行ってオペラを見ることになった。日本を出る前に現地の友人に気候を尋ねると寒いという返事だったので、少し厚手のワンピースを用意していった。ところがその時は猛暑。秋口なのに半袖のTシャツで十分。一緒に行ったあとの2人は薄いオーガンジーのドレス。私の秋物ドレスはいかにも野暮ったくて泣きたくなった。せっかくウイーンでオペラを観るのにこれではねえ。その思い出を話すと大笑いしながら「いざとなったら私のステージドレス貸すわよ」と美智子さん。でも丈が。「一番丈の短そうなの着ればいいじゃない」そこまでしなくてもいいけど、同行する美里さんが超セレブで、いつも桁違いにいいものをお召しになっている。張り合うのはもとより無理だけど、あんまりみすぼらしい格好でアルバートホールに行くのも悲しい。となるとあれもこれも持っていかないと。でも旅行のことよりその前に松原湖のコンサート、国立でのコンサートを続けさまにこなさないといけない。頭の焦点が合わない。困った。

2012年7月30日月曜日

繁桝 百合子・滑川 幸子デュオの夕べ

上野文化会館小ホール    ヘンデル「ソナタ1番」パガニーニ「カプリス24番」サンサーンス「序奏とロンドカプリチオーソ」シベリウス「5つの小品より第2番」ハンニカイネン「ワルツ作品7」ショパン「華麗なる円舞曲」R.シュトラウス「ソナタ」                                      ヴァイオリンの百合子さんとは「東京ゾリステン」時代からの友達で、よく一緒に都内はもとより、軽井沢や原村でのコンサートなどで演奏した。みな若くてやんちゃだったから、旅先では夜通し飲み、喋りまくって夜が明けた。笑ってばかりいたけれど、穏やかな顔をして最後に痛烈なとどめを刺すのが、百合子さん。それがおかしいと言っては皆で笑い転げた。常にコツコツと勉強して、派手なテクニックをひけらかすようなところが無くて、一つ一つ丹念に音を構成していく。じっくりと仕上げた音楽は、いつでも耳に心地よい。今日も曲ごとにその丁寧さに感心しながら聴いた。音一つとしてないがしろにしない。つねに豊かに響く優しい音は彼女の人柄そのもの。ピアノの滑川さんとは長年のコンビで、なんだか顔も雰囲気もよく似てきて、姉妹のように見える。客席にはゾりステン時代の仲間のチェリストも来て再会を喜んだ。隔年でこの小ホールでのリサイタルを催している。次のコンサートが楽しみだ。一昨年のコンサートが終わった時百合子さんは、体調が悪くてもうだめだと思ったと言っていたけれど、今年はその時よりも一段と調子がよさそうな気がした。仲間が頑張っているのを見ると自分はどうなんだと反省しきり。ゾりステン時代のコンサートミストレスだった吉川朝子さんも来月末にコンサートを開く。ちょうどイギリスから帰る日なので、成田から直接コンサート会場に駆けつけることになる。遊んでいるのは私だけ?おやおや。

2012年7月29日日曜日

ダイエットは中休み

ダイエットを始めて約半年、3キロ半の減量に成功した。体は軽く胃もたれやひざ痛もなくなり、夜はどんなにお腹が空いていても、グッスリと眠れる。ここで現状維持にしないと痩せすぎて体力が落ちては困る。見かけからするとあと3キロは減らしたいところだが、それではスタミナが無くなる。それで今は横ばい状態を維持するためにダイエット中の食事量よりもすこしだけ量を増やした。急に餃子が食べたくなった。材料を買ってきて作ると、これがなんだか上手くいって(めったにないことだが)とても美味しく出来てしまった。困ったなあ。目いっぱい食べたらまたリバウンドしかねない。以前だったらエイッとばかりに、我慢せず食べ尽くすところだが、今はもう我慢することを覚えた。文明人として一歩前進。この現状維持と言うのが難しい。体重に反映してくるのはすこし時間がかかるので、食べ過ぎに中々気ずかない。ある日体重計に乗って愕然とすることが多い。毎日食べすぎの分だけ体重が増えてくれればすぐわかるのに。余分なカロリーを計ってくれる、そんな体重計はないのかしら。ダイエットは始めるまではぐずぐず煮え切らないでいるが、一度始めるとこれが楽しくなってくる。毎日体重計に乗って一喜一憂、最初に体重が減り始めるまでの期間を乗り越えれば、あとは楽な物。だって、今まで何十回となくダイエットが出来たのだから簡単だわ。でも、リバウンドはもっと簡単。今も傍らにあるかりん糖に手を出そうか、出すまいか、チラチラと横目で眺め、手に取っては箱に戻し、ため息ついたり。今日のところはやめておこう。命拾いしたね、かりんと君。

2012年7月28日土曜日

動物好き

何かと人騒がせな「週刊文春」に皇太子妃の雅子さまのエピソードが連載されている。雅子妃は非常に動物がお好きだそうだ。雅子妃が小学校を卒業するころ、愛犬を獣医さんのところに連れて行った時に将来の夢を訊かれ、獣医さんになりたいと答えた。すると獣医は動物が好きなだけではなく、医学の進歩のためには動物の命を犠牲にして研究しなければならないことを聞かされ、ショックを受けたという。実は私も子供の頃から非常に動物好きで、猫をはじめとして、犬、アヒル、鶏、セキセイインコ、十姉妹、家ネズミまで飼っていた。やはり夢は獣医さんか動物園の飼育係り。それでも音大付属高校に進学してしまったので、学生時代は音楽漬けの毎日。大学卒業するころ、さて、こんなへたくそなヴァイオリン弾いていてもお金は稼げそうにないし、どうするかなあ。漠然と頭に浮かんだのは、子供の頃の夢。そうだ、上野動物園に電話して、動物の飼育係りに雇ってもらおう。そのことを姉達に話すと、動物園の仕事はね・・・雅子妃が言われたことと同じことを言われてあきらめたことがあった。それに今思えば、音大出て動物に関する勉強もしていないのに、そんなことが可能なわけはない。まず、門前払いだったと思うけれど、実現していたらどうだったかなあ。乗馬をやっていた時も、レッスンが終わって馬の手入れをするのが好きだった。馬を隅に寄せて、足を持上げてひずめの裏のドロを取ったり、お水を飲ませたり、体を洗ったり、フンのかたずけだって全然いやではない。楽しそうにやっているのを見たインストラクターが不思議そうに言った。「みなさん乗るのはいいけど、後の手入れが嫌いと言う人が多いのに、変わってますね」そうよ、私は変わり者なの。馬は体温が高く、体を寄せるとほかほかあったかい。一度だけ鞍も載せないで裸馬に乗ったことがあるけれど、暖かくて愛らしくて幸せだった。今うちにいる4匹の猫は全員病気で行き倒れ状態のものを拾ってきているので、鼻水飛ばしたり、しょっちゅう吐いたり、お腹壊したり、本当に世話が焼ける。家は汚れ壁はズタズタ、それでも猫には優しいから怒らない。でも、これが人間だったら大変。怒鳴り散らすに違いない。人間にも少しは優しくするか。ヴァイオリン弾いて飯が食える状態にさせていただいたのは、周りの方たちのおかげ。人は大切にしないと。

2012年7月27日金曜日

松原湖アンサンブル

8月12日の長野県小海町のヤルヴィホールでのコンサート。徐々にメンバーが顔合わせを始めた。初めて会う人が多くて、いったいどんな演奏家が来て、どんな演奏になるのか、とても楽しみにしていた。メールのやり取りから始まって、曲目がやっと決まって、本当は練習は松原湖に集合してからのはずだったけれど、やはりできるだけ早くボウイングの打ち合わせなどがしたいので、それぞれが自分の楽譜を持ち寄って、集まれるひとだけ集まることになった。主催者の康子さんとそのご主人はアメリカ在住なので、まだ日本にはいない。チェロの高橋さんと連絡を取ったら、なんと!彼は私の住居の目と鼻の先に住んでいることがわかった。ヴィオラのFUMIKOさんは最近引っ越しをして、これもまた今までより私のうちに近いところに居を構えた。ピアノの治子さんは暑い中フウフウ言いながら遠くの練馬からやってきて、コントラバス抜きの鱒の音合わせが始まった。コントラバスは靖子さんのご主人の秀文さん。まだアメリカにいるから5重奏をやむをえず4重奏で、ただ、楽譜の練習番号合わせとかボウイング合わせとか大体やっておけば、現地に行った時に楽が出来る。弦楽器は弾くこと以前にアーティキュレーションを打ち合わせておかないと、練習が煩雑になる。チェロの高橋さんは早々と時間前に到着して、のんびりカレーを食べていた私たちと合流。私たちが我が家で練習するときはカレーやさんに集合してカレーを食べ、気合を入れるのが習慣になっている。高橋さんを除いた私たち3人はしょっちゅう合わせているから気心がしれているけれど、全く初めての高橋さんも今日初めて会ったとは思えないほど合わせやすく、昔からよく一緒に演奏していたかのようで、本当に安心した。人間だれにでも相性の良い悪いがあって、時々手ごわい相手もいるから、そんな人に中ると非常に弾きにくい。今回は伸び伸びとアンサンブルが出来る人に出会えてよかった。お父様もオーケストラプレーヤーだったそうだから、栴檀は双葉より芳しかったと思える。これで後の人たちと会うのが益々楽しみになってきた。現地で初顔合わせをする二人のヴァイオリニストも大変優秀な方たちだから、きっとワクワクするような体験ができるにちがいない。

2012年7月26日木曜日

くたばれウオーキング

健康法の中でも一押しはウオーキング。去年まで私もせっせとウオーキングをしていたけれど、ひざが痛む、股関節が軋る、あげくの果てが去年の左足のしびれとなった。足首が時々外れる癖があって、立ち上がるのに苦労することもあった。今年はもう外に出るのも嫌なので、なにか家の中で出来る運動はと考えて猫ダンスを始めた。まず、好きな曲を選ぶ。3分位の長さの曲を集めたものが良い。リズムのはっきりしたもので、器楽曲がいい。緩急がかわるがわるに出てくるものがいい。という条件にぴったりなのが、先日投稿したベトナムの楽器、トルンのCD。実に具合がいい。まず、肩関節、クビ、肩甲骨を回す。足はまだ足踏み状態。リズムが速くなるにつれて足も使って、レッスン室の中をヒラリヒラリ???と飛び回る。間もなく一曲終了。次はゆっくりのリズムなら腰や腕などを大きく回すダンスになる。振付があるわけではない。その時一番問題のある個所をゆったりと回しながら踊っていると、あっという間に汗びっしょり。20分ほどで終わる。ウオーキングに比べて体重が分散されて足にかかるため、ひざも痛くならない。何よりも楽しい。夜寝る前と朝起きた時にはベッドでエア自転車こぎ。仰向けで足だけ上げて空中で自転車をこぐ。角度を変えれば腹筋運動にもなる。両手足を空中でブルブル震わせる。これで心臓に血液を逆流させてきれいにして貰う。それを5分位ずつ。これも気分に依ってはすこしハードにしたりさぼったり。おかげで今年はひざの痛みになやまされなくなった。ウオーキング一日1万歩ですって。とんでもない。この暑さの中、歯を食いしばって歩いている人をみるけれど、きっと体を壊すに違いない。私も去年までは一生懸命歩いたけれど、それがあだとなって故障続きだった。それぞれの人が自分に合った運動をみつけだすことが大切だと思う。でも今朝は久しぶりに早起きしたので早朝散歩に行ったら、とても気分が良かった。たまには歩くのも悪くないけど。

2012年7月25日水曜日

お腹の虫がグウと鳴って思いはメキシコへ

ダルバのコンサート会場で隣に座った男性。休憩の後からよほどお腹が空いたらしく、ぐうぐうと鳴りだした。もう、とまらない。気の毒に、会社が終わって駆けつけたので夕飯はまだなのね。しきりと、もじもじしている。ヴァイオリンとお腹の虫の大合奏となった。おかしいやら気の毒やら。一曲終わってやっと鳴りは治まった。日本のコンサートは夜7時が一般的。だから仕事が終わって何やかやとしていると、夕飯を食べる暇なく駆けつけることになる。スペインではゆっくり夕飯を食べてからコンサート、終わってから巨大なスペイン風オムレツを食べて夜中まで楽しむそうだ。次の日きついだろうって?ちゃんと昼寝をするから大丈夫。そんなわけで経済的にはユーロ圏のお荷物だけど、幸せそうだなあ。今を去る数十年前のこと、メキシコへ演奏旅行で行った時、コンサートの始まりが夜10時ころだったと思う。しかも、ご臨席を賜るはずの皇太子が遅刻。やっと12時ころ現れて滔々と演説を始めたのには驚いた。その間暴動も起きず聴衆もすっかりリラックスムード。我々は次の日の朝早く出発しなければいけないから気が気ではない。帰りのバスはみんなぐったり。ところが峠を越える時に山頂近くでバスが止まった。運転手がみんな降りろと言う。まさかそこへ山賊が出てきて身ぐるみ剥がれるわけはないとは思ったが、せっかく寝ていたのを起こされてしぶしぶ指示に従った。だが外に出て息をのんだ。空には満天の星。今まで見たこともないような星々の輝き。太古の景色はこんなだったのかと思う。運転手からの素敵なプレゼント。お腹の虫から始まった思い出でした。

2012年7月24日火曜日

レイチェル・コリー・ダルバ ヴァイオリン・リサイタル

ストラディヴァリウスを引っ提げて登場したのはティツィアーノの髪色の黒いドレスの女性。ピアノはクリスティアン・シャモレル。 まず、シューマン 「ヴァイオリンソナタ2番」そしてイザイ「無伴奏ソナタ3番 バラード」休憩後はイザィ「無伴奏ソナタ5番」とフランク「ソナタ」 今日のプログラムはイザイの無伴奏ソナタ全曲の予定だった。イザイ全曲を聴く機会はめったにないから喜んでいたのが、彼女のたっての希望でピアニストのシャモレルとの共演となって少しがっかりした。別にそれでも悪いプログラムではない。しかし、イザイが聴きたかった。始まると一曲目のシューマンの冒頭からあっという間に彼女の世界に引き込まれた。完璧なテクニック、強烈な個性、何よりも名器から紡ぎだされる色彩感。ストラディヴァリウスはほかのどの楽器とも違う、音の種類の豊富なことで知られる。ただし、それを引き出すことの出来るのは名人に限る。我々風情が弾いても音が出ないと聞く。あるいは、誰が弾いても素晴らしいとも聞く。どちらが本当か触ったこともないからわからない。でも、多分、音が出せるのは名人だけと言うのが本当だと思う。私の楽器はストラデヴァリウスには及ぶべくもないが、それでも私の生徒たちは音が出せない。音大受験の生徒に貸してあげようと思ったら、全く音が出ないのでビックリした。向こうの方が大曲をバリバリ弾いてのけるのに、音を出すことに関してはまだまだ修行が足りんわい、エヘンとやっと先生の面目を保つことが出来た。だからストラディヴァリウスもたぶん私なんかでは手も足も出ないと想像するに難くない。その名器からはこんな繊細な音からこんな壮大な音まで出るのかと驚くほどの様々な音が飛び出して、捕えられてしまったように一音たりとも聞き逃せない。音に溺れてしまった。イザイの無伴奏の中でも一番好きなのが「バラード」この曲を初めて聴いたのはオイストラッフのレコードだったけれど、聴いた途端雷に打たれたようにショックを受けた。なんて素晴らしい曲!その演奏が耳に残っているので、今日の演奏はまるで違う曲かと思うくらいの個性の違いだったけれど、それはそれで新鮮な驚きだった。とにかく目を見張るテクニックのすごさ。イザイの無伴奏は非常に難しい。ヴァイオリン曲の中でも難曲に位置するけれど、いとも易々と弾いてのけたので、知らない人は変わった曲だけど簡単そうだと思ったに違いない。私のうちにはイザイの珍しい録音が残っている。その上手さと言ったら・・・古い録音技術でも音の格調の高さに驚かされる。この上手さだからあんな難しい曲を作曲してしまったのだ。コンサートが終わっての帰り道、ふといつもの満足感が無いことに気が付いた。あんなに素晴らしかったのに・・・そうか、いつもは演奏を聴くだけなのに、今日は演奏の中に入ってしまったのだ。なにか自分が弾いてでもいたように感じてしまったのだ。彼女の強力な集中力が私に及ぼした影響はまるでブラックホールのようで、すっかりそこに飲み込まれていたのだ。

カバの味噌煮?

テレビをつけたまま朝食の支度をしていたら、「カバの味噌煮」という言葉が耳に飛び込んできた。ん?カバの味噌煮?えっ?カバ?・・・ロンドンオリンピックの選手村の様子を見せていたのだが、画面下のテロップには「サバの味噌煮」ああ、よかった。サバね。画面を見ないで音だけ聞いていたのでリポーターの発音にまんまとひっかっかってしまった。フジテレビさん、頼みますよ、社員教育。サバのサにアクセントがついたのでカバと聞こえてしまったのだ。普通はサバのバにアクセントが付くはず。そうですよね?私が違っていたらごめんなさい。このブログに時々コメントが入れにくいと騒いでコメントを入れてくれるyamaseichanは私の古ーい古いガクタイ仲間だけど、彼と昔「熊」の発音で言い争いをしたことがある。「クマ」のクにアクセントがあると言う私。「マ」にアクセントが付くと言う彼との間で延々と言い合って、「それじゃマって言うか、シっていうか?」「でもビっていうでしょ。ルだってそうじゃない」その時には決着がつかなかったけれど、いまだにクマはどちらだかわからない。だから人の事はあまり言えた話ではないけれど、サバはどうしてもサだと思うけど。あるとき仕事先の事務所の社長が全身ブランドもので固めていて、スーツがナントカ、時計がナントカと言うから「うちにもミッソーニが沢山あるのよ、缶詰めだけど、サバのミッソーニ、イワシのミッソーニ。一缶百円」社長は大笑い。この缶詰めがえらく役に立つ。昼ごはんなどで買い物に行くのも面倒な時、カパッと開けて一人分には十分。買いだめしておけば災害時には心強い味方になってもらえる。およそブランドものにはかけ離れた庶民の生活が垣間見られたでしょう。高価な楽器やイブニングドレスの陰で、サバの味噌煮がチラチラしないように、このことは忘れてください。カバの味噌煮なら高価なものかもしれないけど。

2012年7月22日日曜日

良く働く人

パソコンの師匠のH氏にまたまたお世話になった。新しいスマートフォンを手に入れたので、その説明やパソコンにつないだりの設定をお願いした。いつも駅に到着すると電話がかかってきて、不意打ちを食らって顔を洗っていなかったり、パジャマのまま出て行ったりしないように配慮してもらえる。おそろしく足が速くて、普通の人が電話をしてきてから10分弱はかかるのに、5分位で到着する。空を飛んでいるのではないかと実は疑っている。人の見ていないところで箒を鞄にしまっているのではないだろうか。ところが今日は中々姿を現さないので、心配しているとやっと到着。ものすごい荷物を肩にかけて息も絶え絶え。うわー、なにこれ。去年買ったばかりのテレビを猫が蹴飛ばしてひっくり返し、画面がこわれて丁度4分の1、きれいな走査線が虹のように露出して、その部分だけ見えない。別にテレビを真剣に見ているわけではないからそんな状態でも困りはしないが、時々テロップが読めずに不自由していた。その話を先日うちに見えた時にチラッとしたら、なんと!どこかの奇特な方からテレビを頂いてきてうちまで運んでくださったという次第。くださった方もすごいけれど、こんな重たい物を担いできたその労力に感激。ほんとにお世話になります。スマートフォンとパソコンをつなぐと何が良いかと言うと、料金が安くなるそうで、その辺のところは私にはとんとわからないから、全くお任せしている。私が使う携帯やスマートフォン電話代などは安くなるように上手くキャンペーンを利用したりして、まめに切り替えをするのだが、その計画票を見たらものすごく細かく予定がびっしりと書き込んである。他人のためにここまで出来るものではないのに、私はと言えばいつもぶうぶう不平を言ったり働きぶりをのんきに見ていたりするだけで、なんのメリットもない。ただ、あまりのうちの汚さやなにをやっても上手く出来ない不器用さを見かねてのことらしい。最近買ったカメラ用の三脚は581円。元値は8000円くらいのものを調べてもらって半信半疑でAmazonに注文した。届いたのは本当に立派なもので、しかも送料ただ、注文の時何回も間違えではないかと確かめたほどだった。今日もドアのストッパーが壊れているのを外してもらったり、電話の契約の切り替え手続きをしたり休みなく働いた上に、帰りの電車でちょっとしたミスをしたことに気が付いて戻ってやり直し、仕事とはこんな風にやるものだと言う見本として博物館に陳列しておきたい。

2012年7月21日土曜日

おや?

あるネットショップで商品をオーダーしたけれど商品が届かず、その直後から詐欺まがいのメールや、いやらしいメールが届くようになったことは先日このブログで書いたけれど、それを読んだ人からメールがきた。その人も家具のショップでベッドを買った直後からいやらしいメールが殺到して困っているそうだ。今またネットで美味しそうな桃を見つけて買おうとしたら、開かない。ん?もしかして私に拒絶されたショップなのかな?ネットショップも買い物に馴れてくると本当に便利で、先日は洗濯物を干すハンガーまで届けてもらった。なんという便利さ!でも、この便利さの裏に落とし穴があるかもしれないから、これからは今まで買い物をして安全だったところでしか買わないようにしようと思った。最近私が買ったものと言えば洗濯物干し、扇風機、カメラの三脚、センサーライト、パソコンの部品、猫の餌やトイレの砂、CD、楽譜など、どれを見てもいやらしいメールにつながるものはない。出会い系サイトなどは最初から行ったこともない。それなのに、へんなふにゃふにゃの青二才の写真がくるなんて不愉快この上ない。待てよ、買い物とは無関係かもしれない。携帯の方に来るのだから。ただ、買い物をした確認メールはパソコンからも転送されるから、その辺から情報がもれているのかもしれない。その青二才の写真だが、髪の毛を女の子のように伸ばし、上目遣いのカメラ目線。どこがいいのか、誰がこんな写真見て素敵だなんて思うか、思わず吹き出しそうになる。しかも、これはものすごく良く撮れているものなんでしょうね。本当に顔見たらきっとゲゲゲ!あのね、お兄さん、もう少し真っ当なことして生きましょう。一度しかない人生をこんな写真一枚で渡り歩こうなんて、いつまで続くと思ってるのかしら。そんな写真撮ってるひまがあったら、せっせと勉強しなさい。さっさと働けっての。

2012年7月20日金曜日

詐欺の次はいやらし系メール

詐欺メールが入るようになったので片っ端から着信拒否にしていたら、今度は手を変えてきた。とてもじゃないけど食指が動きそうもないような安っぽい男の子の写真の入った出会い系サイト?というのか、その手のメールが来る。私は大体この手のつるりん系の男子は男のうちには入らない。中年過ぎて渋くなってこないと男には思えない。子供のうちからそうなのだから、れっきとした中年好み。だって映画俳優だってなんだって、年を取ってからみんな魅力が増しているではないか。それらは全部着信拒否。すると、もっと露骨ないやらしいメールが来たから着信拒否。猫の蚤をとるようなものだわ。わが家の猫は家に入れる前に獣医さんで蚤、ダニの駆除をしてから入れるから、最近蚤とりの楽しみはなくなったけれど、昔の猫は外に出していたから日向で蚤を一匹ずつとるのは結構暇つぶしになったものだ。そもそもこんなメールが来るようになったのはいつからなのか考えてみると、心当たりとしてはある通販の商品をオーダーしてから。友人にワンちゃんを飼っている人がいる。よく猫グッズは頂くのにワンもののグッズは中々ない。ある日ネットで見つけたのはスヌーピーのグッズ。プレゼントにと思って申し込んだらウンでもスンでもない。一向に商品は届かない。ついにキャンセルしたのだが、カードの番号なども知られてしまったからいい気持ちではない。実態のある会社かどうかわからないけれど、その直後から関係あるのかはともかくとして、1680万円当選したのなんのと、メールが入るようになった。偶然かもしれない。でも、商品を申し込ませておいて、こちらの情報を入手する方法もあるから、気を付けないと。ひどいのはいつの間にか私のデーターホルダーにつるりん男子が入り込んでいることがあって、プンプンしながらエイッとばかりに削除する。うんもう、ほんとにまったく。他にも化粧品がえらく安いので申し込むと一度として商品がきたためしのないサイトもある。怪しいのでそれもキャンセルの連続。こういうのは取り締まれないのかしら。

2012年7月19日木曜日

無礼な人たち。

ツイッターでおばあさんが子供を愛想よく見ている。さっきまで子供を押しのけて席をとろうとしていたくせに、というつぶやきがあった。なんという思いやりのなさ。大体子供なんて電車で座るものではない。私の姉などは子供は絶対に立たせた。それなのに孫を連れたおばあさんが一つしか空いていない席に孫を座らせる。あきれたものだ。年配者が乗ってきても席を立つ若者はいない。一度80歳はとうに超えたと思えるお爺さんの前に、テニスラケットを持った女子高生が座っていた。見かねて声をかけた。「あなた立ちなさい。席を譲りなさい」すると彼女は「あんたが立てばいいじゃん」激怒しましたね。「あなたラケットなんか持ってテニスをしにいくんでしょう?そんな元気があるなら席を譲りなさい」するとダラダラと立ち上がり仏頂面。床に座って上目使いにこちらをにらんでいるから、「言いたいことがあるなら、こちらに来ていいなさい」すると「今日はテニスの試合だしー、風邪気味でだるいしー」「でもテニスができるなら今から立っているくらいなんでもないでしょう」「私だって好きでやっているわけじゃない」「それならやめちまいなさい、テニスなんか。お年寄りに席がゆずれないようでは、やってる意味がないでしょう」「えっ」そこで彼女は考え込んでしまった。すると少し離れたところから一人の女性が彼女を手招きして、そそくさと別の車両に移って行った。あきれた。親が付いていたのだわ。親の顔が見たいというけれど、親にも一言言いたかった。すっかり腹を立てていたので電車を降りる時、ドア付近に立っていた若者3人に「あなたたち、どきなさいっ」けちらすようにして降りた。でもお年寄り(と言っても私もそうだから、「お」を付けるのは変だけど)も良くない。せっかく席を譲ってくれたのに、怒る人がいる。素直にありがたく座ればいいものを。歳をとっているのは事実なんだから。一度真っ白な髪の毛の女性が乗ってきたので反射的に「どうぞ」と席を譲ろうとしたら「失礼ね。まだそんな年じゃありません」とえらくご立腹。よくよく顔を見るとなるほど、私とどっこいどっこい。いまだに嫌な気分。あの人はしょっちゅそういう目に遭っているのだと思う。でも、素直にありがとうと言って座っておけばいいのに。このことはずいぶん以前のnekotamaに投稿したことがあるはず。それほど印象的な出来事だった。

2012年7月18日水曜日

生真面目な人々

私の友人たちはいつもなにかに駆り立てられているように勉強している。常に練習、語学の勉強、おしゃれで生真面目。その中にぽつんと異分子である私がいて、ズルズルと彼女らに引きずられてようやくついて行く。今日はその中でも一段と全身生真面目がピアノを弾いているような野村アキさんが出演するコンサート。彼女と彼女のお弟子さんの村上さん、そして先日の砂川さんとそのお弟子さんの勝沼さん。音友ホール。モーツァルト「ピアノトリオ2番」ブラームス「ヴァイオリンソナタ2番」ショパン「チェロソナタ」シューベルト「鱒」より抜粋。今日もワルシャワフィルのメンバーの共演。彼らは音が良い。音楽もいい。だけど、あくまでも出稼ぎの感が否めない。だって、こんな大曲揃いで初めて会う相手で、アンサンブルとして意味を成すのかどうか。企画したのはどこのだれ?日本人はいまや世界の最高峰のベルリンフィルのコンサートマスターにもなれる実力を持っている。チャイコフスキーコンクールに優勝している。今回共演してくれたヴィオラの東さんだって「プリムローズ賞」を受賞している。ベルリンフィルクラスだと海外に居て戻ってこないけれど、いまや大学生の中にも素晴らしくうまいのがゴロゴロいる。彼らを育てる意味でも、じっくりと練習を重ねて本番に持っていくことこそ大事なのではないかと思う。今日もチェリストは小ばかにしたような態度で、椅子を足で蹴って動かしたりしていた。わが野村女史は対等に渡り合って、目の覚めるようなショパンだったけれど、チェロが意地悪く、どんどん先に行ってしまったという。幸い彼女は沢山練習に付き合ってくれた相棒がいて、曲の隅々まで熟知していたので、全く動じなかった。えらい!そして砂川さんは先日のコンサートですっかりお疲れになってしまったらしく、今日は鱒の3楽章と、ドヴォルザークの「わが母の教えたまいし歌」の2曲で終わってしまった。高齢の上にあまりにも周りのことに気を遣いすぎる。私たちが弾くことに専念なさってくださいとお願いしても、お茶をお出しして、お食事はいかが、などと絶えず聞いてくださる。そんなことどうでもいいのに。周りの人を幸せにしたいのね。音楽にもよく表れているけれど、今回はなんだかお気の毒のような気がした。企画そのものが杜撰すぎて。

2012年7月16日月曜日

人と動物

インドでは犬、サル、牛が人間と同じ地面に横になったり歩いていても誰も気にしていない。日本だったらサルを見たら追いかけて捕獲するものだと思っている。サルも凶暴になって子供をひっかいたりする。犬も噛みつく、野良猫はおびえる。この違いはなんだろう。宗教観?衛生意識?確かに動物はどんなばい菌をまき散らすかわからないから、隔離したいと思うのは当然だと思う。でも、待てよ!はじめは全部一緒に暮らしていたはず。猿がきたないなら、人間はもっと汚い。世界中を旅行して訳の分からないばい菌を持ち帰ってくる。今まで行ったことのある国々では、日本ほど動物がおびえている国はなかった。カナダでは人が通るすぐそばで洗濯をしているアライグマを見て仰天した。リスが堂々と道を横切る。トルコの猫たちは道端で通りすがりのヒゲ男たちに頭を撫でられ、ヌクヌクと昼寝を決めこんでいた。中国では犬猫はみんな食べられてしまうのか、あまり姿は見かけなかった。チベットでは大型のチベット犬が茫洋とした顔で寝そべっていた。ドイツでは良く訓練された犬が引き綱なしで散歩していた。驚いたことに他人のそばを通り抜ける時に、尻尾を巻いて耳を垂れ、敵意のないことを示しながら歩く。ここまでやるか、さすがドイツ人。オーストリアでは放し飼いの巨大な黒犬と会話してきた。アラスカではソリを弾く何十頭の犬たちの真っただ中に入って、私も犬になってきた。犬は仕事をするのが本当に嬉しいらしく、ソリ引きにあぶれた犬たちは悲しそうに鳴き声を上げる。稚内の犬橇レース。動物虐待?とんでもない。犬たちが嬉々としてソリを弾くのを見ると、そんな心配は吹き飛んでしまう。さて今度訪問するイギリスではどうかしら。まさか日本のようにかわいそうな動物たちが溢れてはいないでしょうね。しかし動物愛護の先進国のイギリスで、キツネ狩りがスポーツとしてあるなんて、許しがたい。今度イギリスに行ったら行く先々でキツネ狩りの非情さをアピールしてこよう・・・と思うけど、英語でキツネ狩りをなんと言うのかしら。話がイギリスにとんだついでに、今年もロンドンアンサンブルの公演に一日だけ参加することになりそうで、去年はヴィオラの絃の選択を誤って、本当に鳴らすのに苦労した。まだ、正式に返事はしていないが、今年は弦を変えてみたら、うん、以前の音に戻ったかも。もう二度と弾かないなどと言いながら、また苦労の種をしょい込んで、でも大好きなマーラーのピアノカルテットがプログラムにあるから楽しみ。マーラーのシンフォニー「巨人」に巨人の死を悼んで動物たちが葬送行進をするところがある。集まって嘆いているうちにだんだん楽しくなって大騒ぎ。いいなあ、私は動物葬にしてほしい。沢山の動物が集まってキャンキャン、キーキー、ニャーニャー、なんて幸せなお葬式!死ぬのが楽しみになってしまいそう。

2012年7月15日日曜日

砂川啓子室内楽リサイタル

ベートーヴェン「スプリングソナタ」ブラームス「チェロソナタ」シューベルト「鱒」私が代理に練習に付き合ったのはワルシャワフィルのヴァイオリン、うまくて音色はさすがだけど、今どき日本にはすごく優秀な奏者が沢山いるから、なにもこんな無愛想な連中にやってもらわなくても、というのが正直な感想。「鱒」では最後の方でさすがタフな砂川さんもお疲れの様子。ちょっととばした個所があって、ヴィオラの東さんはすぐに合わせたのに、ヴァイオリンは気がつかなくて知らん顔。それで東さんが必死で大きな音を出して全員所定の位置に戻るというハプニングがあって、このくらいのことで付けられないようなら、(もしかしたらわざとつけなかった?)日本に来て稼げないだろうと思う。とにかく今どきの優秀な若者なら即つけられる。チェロはすこし遅めのテンポに不満たらたらが見えて、それも不愉快。おそくても素敵な「スプリングソナタ」だったし、先日の金澤希伊子さんの時はフランス人のヴァイオリニストだったけれど、ゆっくりのテンポにも上手くつけて友好的な雰囲気だったのに対して、ワルシャワ人は無愛想この上ない。お国柄かもしれないけど。それで聴いていてひどく疲れた。「鱒」の4楽章にヴァイオリンの難所がある。音が何回も何回も跳躍しては戻る。(ある安物のCDなどはその部分は1オクターブ音を下げて弾いていて、初めて聴いた時には開いた口がふさがらなかった。)そこの音程もひどくてビックリした。何回飛んでも外れ、下りても外れ、それじゃあまるで私が弾いているのと同じでしょうが。なにもポーランドからわざわざ来ていただかなくったっていいのに。練習は前日たったの一回。それで本番をやってしまうのはひどすぎる。幸いヴィオラの東義直さんとコントラバスの松井理史さんは私たちと一緒に数回練習に付き合ってくれたので、やはり音のこなれ方が違う。日本勢がよく頑張ってくれたので、とにかくほっとした。

現実と演奏の狭間で

長年の友人のA子さんにに久しぶりで電話をした。時々会ってはいるけれど、最後に会ってから3年くらいは経ってしまっている。お互いなにかと忙しい。夏休みでアメリカから帰ってきた家族の10歳の娘さんが、日本にいる間だけのヴァイオリンの先生を探すのを頼まれていた。千葉方面の方だと言うので、A子さんを紹介することにした。彼女はイタリアで活躍、日本に戻ってから私たちは知り合って、演奏も遊びもさんざん一緒にしてもらった。私よりも少し年下だけど、見た目は少女のように可愛らしい。でも、口を開けば怪気炎があがる。今でもイタリアと日本を行き来して演奏をしている。電話口に出た彼女の声はかすれて人違いしたかと思うくらいだったので「どこか悪いの、寝てた?」と尋ねると「母が具合が悪くて介護疲れで転寝していたのよ」と言う。ああ、ここでもか。私の周囲ではほとんどの人が介護疲れ。私は母が無くなって16年も経っているけれど、少し年下の人たちは、これから介護と自分の老いとの戦いが始まる一番つらい時期に差し掛かっているのだ。私も更年期には指が一本ずつ曲がり始め、音程が安定しなくなった時期があった。いつものように左指を弦に置いても、曲がり始めた指は以前置いた場所に届かず、音程が低くなるので、修正しながら弾くのはとても大変なことだった。ヴァイオリンの音程は1ミリの何分の1かで変わってしまう。日々正確さを維持するために苦労をしている。それが見る見る内に指が曲がるからその間は油断できない。ある程度まで曲がればそこでストップするから、安定してくる。そんなトラブルと筋力の衰え、聴力の低下などと戦いながらの介護となる。しかもその間演奏活動はやめないでいると、毎日の生活は地獄のようになる。しかし、演奏家は強い。子供の時から過酷な練習の日々、海外での修行などを経ているから、弾くことはやめない。本当に感心するのは大変だと言いながら、その大変さを真っ向から受け止めて明るいことだ。去年、今年と私の周囲の友人たちには、つれあいを失くしたり、母親を看取ったり、本人が具合が悪くなったり、それはもうさまざまに大変なことが起きている。それを乗り越えて平然と演奏する強さと言ったら、爪の垢を煎じて飲ませてもらおうかしら。A子さんも間もなくイタリアへ出発して、戻ったらちょうど私がイギリスから戻る日にコンサートをやっているそうだから、成田空港から直接聴きに行くことを約束して、電話を切った。「母はその頃にはもう亡くなっているかもしれない」というさびしい言葉を聞いて、ふと自分の母親のことを思い出し涙ぐんでしまった。

2012年7月13日金曜日

ステーキはステキ

肉食系女子の話を書いたら、今日の月例「弾く会」の後の食事会は全員ステーキになった。次の日曜日は元祖肉食系熟女の砂川啓子さんのコンサート。15日午後7時から津田ホールにて行われます。ベートーヴェン「スプリングソナタ」ブラームス「チェロソナタ」シューベルト「鱒」弦楽器はワルシャワフィルのヴァイオリンとチェロ、「鱒」は私の友人であるヴィオラの東義直さん、コントラバスは松井理史さんも加わります。砂川さんの暖かいお人柄そのもののピアノの音をご鑑賞ください。砂川さんは私たちよりずっと先輩なのに、これだけのプログラムをこなせるパワーを持っていらっしゃる。それはやはり一日おきに食べるトンカツのせいなのか。今日はその話題で盛り上がって、いつもなら和食のお店に行くのに、ステーキを食べることになってしまった。でも、サイズは120グラム、美味しかったけれど、とても可愛らしくて厚みがなく、中までしっかりと火が通っていたために、血の滴るようなお肉を食べたというワイルドな感動には薄かった。そういえばダイエットを始めてこのかた、モリモリと食べる快感は味わっていない。そろそろ肉食にもどろうかしら。夜ロンドンから電話があった。今年も毎年恒例のロンドンアンサンブルのコンサートツアーがあって、最後の小田原のコンサートに一緒にどうかという打診。うーん、弾きたい・・・けど、音がちゃんと出せるかどうか。チェリストのトーマスのあの馬力に対抗するには、やはり肉食かしら。砂川さんは沢山召し上がるのに少しも太っていない。要はそれだけカロリーを消費すればいい。見ているといつも忙しそうに気を配り、ピアノを演奏するときも全力投球。そこがのんべんだらりの私との大きな違いなのだ。演奏に加わるかどうかはこれから曲を聴いて、楽器を弾いてみて返事をすることにした。ステーキを食べるかどうかでなく、本当に演奏したいかどうか、そのほうが重要なのに。

2012年7月12日木曜日

早速、草食系男子

肉色系熟女の投稿をしたら、草食系の対抗馬(山羊)が関連ブログ(tama36travel)に掲載されました。山羊は頑固で人に馴れないと聞いていましたが、これを見ると可愛いものですね。

2012年7月11日水曜日

記憶はノラねこ

車の運転とか面白くもない家事をやっていると、ふと、ブログネタが浮かんでくる。よし、今日のテーマはこれ!後で投稿しようなんて思っていると、パソコンに向かった時にはもう、何を考えていたか忘れている。きょうも二つほどテーマが浮かんできて、面白いことが書けそうだと思っていたのに、今は片鱗すら思い出せない。物書きを職業にしなくてよかった。飛んで行ってしまったフレーズを思い出そうとして、一日中髪の毛を掻きむしっていることだろう。すぐにメモしておけばいいのだが、それが出来ない電車の中や歩いている最中に限って面白いテーマが浮かぶ。手元に筆記用具があればともかく手帳すら持たないので、メールの作成のふりをして携帯にメモっても、後になると今度はそれがなんだったか・・・さて、これは誰にだすのかな?などと思い悩む。普通これくらい書いているうちに先ほど考えたネタを思い出すのだが、今日はまだ思い出せない。昔、ピアティゴルスキーというチェリストがいて、彼がステージに出て行ってバッハを演奏し始めようとして、初めの音を弾いたきり、その先がわからなくなってしまったことがあったらしい。彼は一度やめて調弦をして、また弾き始める。最初の音を弾いても次が出ない。そこでまた調弦・・調弦・・もうこれ以上だめだと思ったので初めの音を弾いてからしばらくそれらしく自分で作曲して弾いているうちに、やっと本来の曲に戻れたと言う。暗譜にまつわる話はゴマンとあって。以前チャイコフスキーのピアノ協奏曲でソリストが何を思ったか、同じようなフレーズで後戻りしてしまって、同じことを2回伴奏させられたり、トロイメライをアンコールで弾いたチェリストがいきなり最後のフレーズに飛んで、あっという間に終わってしまったり。最近の若者は筋金入りだから、そんなおかしな間違いはあまり見かけなくなった。数年前に有名ヴァイオリニストのバッハばかりのプログラムの演奏をきいた。その時にも完全に暗譜だったけれど、傍らに楽譜を載せた譜面台が置いてあった。それほど暗譜は怖い。こうやっているうちに思い出すかと思っていたテーマはついに私の元に戻ってこなかった。行方知れずになったノラのように。

2012年7月10日火曜日

肉食系熟女

つらつらタイトルを眺めるとなんかすごい。日活ロマンポルノの題名みたい。でも、れっきとした芸術家の事を言おうとおもっているのです。もっとも芸術家なんてのは大半が色気と食い気がからまって出来上がっているから、そう関連性が無いとは言えないけれど。このところコンサートの練習のお付き合いをしているピアニストの砂川啓子さん。間もなく傘寿にさしかかろうというお年にもかかわらず、素晴らしいピアノをお弾きになる。素晴らしいと言うのはピアノを超越した音楽がすばらしい。こういう抽象的な言い方は好きではないけれど、楽器のジャンルを超えた歌心を持っていると言えばおわかりでしょうか。だから一緒に弾いていても、ピアノとヴァイオリンが演奏しているということではなく、二つの旋律が融合して一つになると言う感覚が味わえる。中々こういう体験は得がたいと思う。かつて、イエルク・デムスとウイーンフィルアンサンブルで聴いたシューベルト「鱒」。この時はやはりピアノと絃が見事に溶け合っていた。そんなことを思い出させるようなピアノの音色で、頸椎を痛めて手が動かないと言いながらも、一つ一つのフレーズが浮き彫りにされ、相手の音も隅々まで聞く耳を持っておられるから、こちらも弾きやすいことこの上もない。アンサンブルをするために生まれてきたような人。その砂川さんの元気の素は食にありとみた。高齢になれば大抵の人は食が細くなる。現に私も最近はすこしでも食べすぎると胃腸がもたれ、あんなに食べなければよかったと後悔することが多い。しかし、砂川さんは一日おきにトンカツを食べないといられないとおっしゃるのには仰天した。練習のためにお宅に伺うとどっさりと食べ物が用意されている。しかし、私はダイエット中だから・・・と思ってもあまりにもおいしそうなので、つい手が出てしまう。体調が万全ではないのにこれだけのプログラムをこなせるのは肉食が出来る頑丈な肉体と精神、音楽への深い愛情があるからなのだ。

2012年7月9日月曜日

不規則の規則

アマチュアオーケストラで弾いている人が、新しい曲を始める前にその度レッスンを受けにくる。だから、年に2,3回しか来ないのだけど、今度はホルストの「惑星」ですと言う。困ったなあ。あの曲は私も数回弾いたくらいで、ほとんど覚えがない。でも、そこは古狸だからわかったふりしてレッスンを始めた。この手の曲はほとんど必然性のない音列や、効果音のようなものだから、弦楽器にとっては面白みがない。でも、アマチュアオーケストラは管楽器の出番が多くないと不満が出る。吹きたくて入ってくるのに出番がなくては気の毒だから、管楽器の事を考慮して曲目が決まる。古典ものでは、管楽器は少人数しか出られないから、どうしても管楽器が目いっぱい満足できるような大編成ものになる。「惑星」は弦楽器のためにほんの少々美しい旋律が用意されていて、その程度で弦楽器を満足させようなんてそうはいかないけれど、わからずやの男が時々優しくして女をたぶらかすように、これでころっといっちまうのだわ。そしてレッスンを始めて見ると、オーケストラにいたころには、ただ必死におさらいしていたけれど、冷静にみると色々なことがわかってくる。音列にしても妙な進行だと思っていた物が、実はある一定の配置になっているとか・・・。そうなんだ。こんなこととはつゆ知らず、必死に覚えようとしていたんだ。あの時これがわかっていたらもっと楽に弾けたのに、等々。よく数列の規則性を見つけるパズルなんかがあるけど、あれと一緒でそうとわかればフィンガリングもきまってくる。あら、簡単だったのね。やっぱり年はとってみるものだわ。若死にのすすめなんてこの前書いたけど、あれは取り消し。そして、レッスンが終わって次の約束をするときに「日曜日であいている日はありますか?」「この日は大丈夫よ」「えっと、それ1月のカレンダーですが、いいんですか」きゃあ、いったい7月はどこへ行ってしまったのかしら。しばらく捜して、そうだ裏表になっていたっけ。裏返すと7月がでてきた。まったく人騒がせな7月め。こうやって日々老いてゆくのです。

2012年7月7日土曜日

お逢いできませんね。

たいてい雨が降ってしまって逢えない彦星と織姫。逢えなければ逢えないほど思いはつのるかもしれないけど、あまり長く逢えないと忘却のかなたに・・・なんてことになってしまわないか。お空の時間はやはりゆっくりと進むから、ほんのひと月会えないくらいの感覚なのかもしれないけれど、この季節に七夕伝説と言うのは皮肉なものだ。なにもこんなに毎日雨が続く季節にしなくてもと思う。2人をなんとか逢わせてあげたいものだ・・・なんて。さて、今日は東響の練習場に英語のレッスンを受けにいった。発音記号を調べちゃんと読んでから行ったのに、ことごとく直された。どうして?なぜなら辞書の発音記号は全部アメリカ英語。今朝のツイッターで「ロメオとジュリエット」か「ロミオとジュリエット」かというつぶやきがあったけれど、イタリア語ならロメオ、アメリカ英語だとロウミオウとなるようだ。なんですっきりとロメオと言わないのかしら。だから「と」を「and」にすると「ロミオとジュリエット」となる。それでもチャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」は昔から私たちはロメオと言っていた。よく電車の英語の案内アナウンスで日本語の発音とはかけはなれた駅名を聞く。あれもおかしなもので、日本では日本語の発音で言ってもらいたい。外国に行ったら私たちに合わせて発音してくれる人なんかだれもいないはず。話が前後するけれど、織姫と彦星はお天気さえよければ会えるけれど、ロメオとジュリエットは可哀想に、手違いがあって二人とも死んでしまう。ハッピーエンドより悲恋の方が人の胸を打つ。ハッピーエンドはいいけれど、2人のその後は?中年になってお互い飽き飽きして、うちのローンが終わると離婚なんて、そこらへんにざらにある。悲恋で終わる方が美しいままでいいかもしれない。こんなシニカルなものの見方をするのも長生きしたおかげ。人間アンチエイジングより若死にのお勧めをしたい。彦星、織姫も数年に一度の出会いが長持ちの秘訣?ああ、夢も希望もない。でも、こんな面白い世の中、死んでなるものか。あまたのハッピーエンドの行方を見とどけないと。ウフフ。

2012年7月6日金曜日

タジン鍋

かつては大変料理が好きで、子供の頃から週一回くらいは家族の夕飯を作っていた。私が調理した日は、家族が箸をつける前に母や姉が「今日は**ちゃんが料理したのよ」と家族に告げる。そうとは知らずにまずいなんて誰かが言わないように。末っ子のご機嫌を損ねるといけないからね。そのように末っ子は甘やかされて育った。おだてられて和食の御惣菜もよく作ったけれど、最近ほとほと料理が面倒になってきた。もうなんか口に入ればいいでしょみたいに。そこで登場したのがタジン鍋。Wikipediaによれば「マグリブ(北アフリカ)地域の鍋料理。もとは料理につかわれる陶製の土鍋の事を指す」とある。浅い鍋にとんがり頭の蓋がついている。これを使いはじめたらもうほかの鍋はいらない。野菜をざくざく切って積み上げて、その上に肉か魚、またはソーセージなどなんでもいいから載せて、トマトの水煮をうえからザァーッと流し込んで塩コショウ、あとは蓋をしてタイマーをセットして、お終い。いつのまにか美味しいシチューの出来あがり。トマトを加えないときには水も無しで、野菜のもっている水分だけで蒸し煮にすると、野菜の甘みが出る。今までのように水で煮込んでしまうと、野菜が妙に味が薄くなっておいしくなかった。この蒸し料理は野菜それぞれの味がしっかり残っている。こんなに沢山どうやって食べるのかと思うくらい、大量に仕入れた野菜はあっという間に私のお腹におさまってしまう。初めは蓋が閉まらないくらいあった野菜は、時間が経つと半分・そのまた半分と嵩が少なくなってしまうので、一度に大量の野菜が食べられる。生ならこんなには食べられない。最近ダイエット中なので、この蒸し野菜は有り難い。まず野菜を食べるとかなりお腹がいっぱいになって、後はほんの少しの肉か魚があれば事足りる。このおかげで3キロの減量に成功した。これ以上痩せると、体力が無くなって楽器を弾くのが大変になるから、ここで現状維持にしたいのだけど、なんだかまだ痩せて行くようだ。今までがちょっと太り過ぎだったから自然にストップするまで、タジン鍋のお世話になる。この先もずっとお世話になるつもり。

2012年7月5日木曜日

水中の時間

今朝みえた方が、しばらく私がブログの更新をさぼっていたので心配していたらしい。大変ありがたいことで、ご心配をかけて申し訳なかったと思っている。他意はない。ただ連日の湿度にどっぷりつかっていると、まるで水の中で過ごしているような気分になってきて、現実を忘れて忘我の世界に入り込む。水の中では時間の過ぎ方が違う。すべてが緩慢になっているので、それほど長くいたとは思わないのに、気が付くとたいそう時間が経っているのでビックリする。15分位かなと思うと50分だったりする。呼吸も動作もゆっくりしないと危険だから、一つの動作に何時もの何倍か時間がかかる。時間と言うのはなんと主体的な物かと思う。毎日窓の外に雨の景色が広がって、なんとなく見ているうちにダイビングをしている気分になる。もっとも私は水中の景色や魚にも興味はあったけれど、飛び込む瞬間が一番好きだった。だったと言って過去形にしたくはないのだが、体力、特に呼吸器系が弱く、重いタンクを背負ってビーチをよろよろと歩くのもままならない。しかもあの世界は全部自己責任の世界だから、他人に替わってもらえない。酸素は自分で運ばない限り、呼吸はできなくなって死んでしまう。帰ってから必ずひどい風邪をひくからよほど体質にあっていなかったのだと思う。それと根っからの体育会系ではないので、根性がない。他の人が唇を紫色にして冷たさに耐えていても、私だけはさっさと冷えるからと言ってやめてしまう。だから周りからは冷たい視線を浴びていた。インストラクターも私の頼りなさにハラハラして、つきっきりで世話をするから悪いことをしたと思っている。やはり猫には水は合わない。でも飛び込みの瞬間は本当に好き。下に海が待っていて支えてくれると思うと少しも怖くなかった。絶対やらないだろうと思っていたスカイダイビングも、空気が支えてくれるらしい。そう聞いてから心が動いている。危険危険!浦島太郎も時の経つのを忘れてしまったくらい、地上とは一味違う魅力的な世界をちょっと覗けたのは、すごくいい体験をしたと思っている。

シトロエンDSシリーズ

東急デパートの駐車場で見かけた、それはそれは美しい車。私の好きな薄い水色だったからだけではなくて、そのデザインの素晴らしさに思わず足を止めた。今まで見たこともない車だったから、いったいどこのメーカーかと思って後ろに回ると、シトロエンだった。ああ、やはりフランスの車なのか。全体が曲線的であるのに対して脇の線がとてもシャープなので、全体がそこに集約されているような印象を受ける。最近あまりこれと言って乗りたい車にはお目にかかれなかった。しかし、これは一目ぼれ。前から見ても後ろから見ても、特に横からの印象はほれぼれする。風を切る音が聞こえてきそうな。早速ネットで調べてみると、DSというタイプらしい。宝くじ当たらないかなあ。値段はそれほど高くはないけれど、今の半失業状態の私には手が出せない。今乗っているシルフィーには悪いけど、シルフィーは可もなく不可もない。非常に運転しやすいし、大きさも私にぴったりと言ってよい。多分運転のしやすさだったらシトロエンには負けないし、安全性も高いと思う。でも、デザインは全く完敗に近い。いつも思うのは、ヨーロッパ車の美しさ。プジョーなどはどんな小さなクラスの車であっても、色合いに深みがあって、同じ色でも日本の車は完璧に負けている。それと多分日本の車の走りとは根本的な考え方の違いからか、ヨーロッパ車は高速での走りが素晴らしい。シトロエンは乗ったことがないが、他の車は高速になるとタイヤが道路に吸い付くように安定してくるのに対し、日本の車は軽くなって浮いてくるような気がする。それほど沢山の車に乗ったことがあるわけではないけれど、今まで乗ったことのある車に関してはそういう印象を受けた。それにしても、さすが芸術の国フランス。経済が低迷し、おそろしく個人主義なのでとっつきの悪い感じのあるフランスだが、こんな車を見ると尊敬の念がわいてくる。今どきこんな非効率的で二酸化炭素をまき散らす車に乗るのは原始人だと非難を浴びても、私は父親の血を引いて車好きなのだ。父はエンジンの始動にクランクを使うような車から乗っていた。久々に車好きの血が騒いだ。

2012年7月4日水曜日

準備不備

イギリスに行くのは今月?来月?という質問をされてハッと気が付くともう7月。出発は8月末だからもう来月になってしまった。先月から今月、来月の半ばまでは忙しい。旅行の支度どころではないけれど、外国に行くのにまだ旅程もきまっていない。持っているのは往復の搭乗券と国際免許証だけ。さてどうしたものかしら。同行する美里さんからはへらへらと嬉しそうに時々メールがくる。マンチェスターから湖水地方へ、そこからコツウォルズに戻って最後にロンドンで骨休めはどう?なんて言うから、はいはいとおとなしく言うことを聞いておかないとひっかれそう。でも、それが一番良いコースかもしれない。とにかくヒースロー空港に降り立ってみないと話は始まらないから、行ってみないことには。それで思い出すのは女性4人でイタリア旅行をした時のこと。乗り継ぎでフランスのドゴール空港に降りホテルに電話する段になって、誰一人言葉がわからないとわかった時の騒ぎ。地面に倒れ込んで皆で大爆笑したっけ。みな、他の人が出来ると思っていたのだ。これから先どうするの?私などは学生時代に第二外国語でイタリア語を受講したというだけで、イタリア語ペラペラと思われてしまったのだった。卒業してからウン十年。覚えているわけがないでしょう。とにかくその日からの珍道中は毎日笑い疲れてしまうほど。いまだに4人集まればその話に花が咲く。言語が違うと言うだけで、文明国に行くのだからさして心配することはないけれど、私の英語はハリー・ポッター語に限るから、現地で通じそうもない。身長が低いのでパブにも子供と間違えられて入れてもらえないかもしれない。ふーん、あちらのビールはどんな味がするのかしら。一連の演奏会が終わらないと、旅行の事を考えるのはむり。なんたって一度に一つのことしかこなせないのだから。

水が多すぎる

連日の雨模様で、なんだかいつも溺れているような気分になっている。体内の水分が外に出て行かないから、体の中に水たまりができているような、びしょびしょした気分。嫌ではないけれど、どうしても不活発になって、頭も水浸し。ずっと更新をさぼっていたので、なにか異変が!なんて思っておられた方もご安心ください。ちゃんとのんきに生きています。日一日と緑が濃くなって、それが雨に濡れて、窓の外を見ると不思議に気持ちが落ち着く。相変わらず毎日猫踊りをしてから練習を始めると、これが中々調子がいい。猫踊りもその日の体調や気分で振付が変わる。肩周りが硬い時には肩甲骨回し、足が重い時には足首回しや足のシェイクなどを取り入れていかにもそれらしく踊っていると、自分がダンサーになって素敵に踊っているように思えてくるけれど、鏡の前に差しかかって自分の姿が映ると、ゲゲっとなる。見るも無残に夢は現実と交代して、人様には絶対見せられない。時々自分が録音したものを聴くと、いつもこんなはずじゃなかったのにと思うのと同じこと。人間外側から自分を眺めることの大切さを思い知らされる。毎日レッスンだったり、アンサンブルの稽古だったり、誰かしら会っているので、さほど浮世離れはしていないけれど、これで一人でずっと家に居たら、悟りが開かれるに違いない。普段の私はとてもおしゃべりで人付き合いがいい。大抵の誘いは断らずに、できるだけ人とお付き合いするけれど、殆ど人と接触しないでもいられる特技がある。一人でいくらでも遊んでいられる。これが猫の性格の最たるもの。自分を外側から見るのも大事だけれど、内側を覗く絶好の季節。こんな水が多すぎる季節に傘さして長靴履いて濡れながら歩き回るのもそれほど嫌じゃないけど、窓の外に濡れて生き生きと成長していく木の葉を見て、静かに過ごすのもいいものだと思う。子供の頃の性格が自然なものだとしたら、私はインドアキャット的存在。