2013年7月31日水曜日

塩豆腐

エッセイストの平松洋子さんが週間文春に連載しているエッセイを毎号面白く拝見している。よほどの食いしんぼ(失礼)とお見受けする。今週号にのっていたのは「塩豆腐」絹ごし豆腐に塩をぱらぱらふってから表面をなでて布巾などで包み、重しをして冷蔵庫で一晩おくという超簡単なレシピなので出かける前につくっておいた。今日は美容院に寄ってから澁谷の音楽教室へ行く予定だった。私が自分の髪質が悪いのを棚に上げて度々腹を立てて美容院を替えるのを見ていたFUMIKOさんが推薦してくれたお店。先日彼女のきれいにカットされた髪を見て、紹介してもらったので今日は初回日。なるほどお店もスタッフも感じよく腕も上々。久しぶりに上手い技術者にお目にかかった。そして教室に行くには時間が余ったのでFUMIKOさんにお茶を付き合ってもらった。よせばいいのに、ケーキを頼んでしまったので家に帰るまで食事はおあずけ。レッスンが終わって21時半頃澁谷駅に着くと東横線が人身事故のせいでとまっていた。仕方がなくJRで回り道をして遅くなってしまった。夜、空きっ腹でもカロリーの高い物は食べる訳にはいかない。幸運なことに塩豆腐がちょうど良くできあがっていた。風呂上がりに缶ビールをプシューっとあけて塩豆腐を一口。むむー、あまりの美味しさに悶絶!塩をふって水分が出てしまった豆腐は大豆の味がぎゅっと凝縮されて、どんなチーズよりも美味しい。オリーブオイルが素晴らしく合う。さっぱりしているのにこくがあって絶品とはこのこと。しかも安くてうれしい。当分私の最大のお気に入りになりそう。ぜひ、お試しあれ。



2013年7月29日月曜日

ジム通い

先月から始めた筋トレ。今日が3回目になる。ジムは表通りに面しているから、太ったお腹の出たおばさんがウンウン言って苦しんでいるのが丸見えだけど、知ったこっちゃない。目的は今後の10年間、背筋をまっすぐにして生きること、楽器を弾く姿勢がちゃんと保てることだから、それに沿ったプログラムになっている。ジムに行くとなにが良いかというと、常に正しい運動が出来ているかどうかチェックしてもらえること。自分でプログラムをやってもどうしても手抜きになる、もしくは正しい運動ができていないと故障の原因や効果が期待できないことになる。やはり正規の運動をすると家で1人でやっているときよりもはるかにきつい。たとえば手足の開き方のほんの少しの違いだけでも負荷が違ってきて、強化を与えたい筋肉に対する効果がなくなったりする。そこで又悩みが。もの忘れの大家である私はノートを持って行ってその日のトレーニングを書き込んで来るのだが、自分で書いた事が理解出来ないことがある。へたくそな絵なので、どちらが頭だったかしら、これは手?足?一体どんな運動だったかすぐ忘れる。1番強化しなければならないのは脳のようだ。それでもトレーニングのあとでは体ホカホカ爽快気分。今までやったこともなかった腕立て伏せなんかもなんとかこなしている。子供の頃から運動音痴なのでこんな事が出来るとは思わなかった。頑張れば今まで1回も出来たことのない逆上がりも出来るようになるかもしれない。クラスの中で逆上がりが出来なかったのは私だけ。自慢じゃないけど。

2013年7月28日日曜日

自虐はうぬぼれ?

先日もの忘れについて書いたら、そんなこと書くとバカだと思われるからやめた方が良いと言われた。このブログも初めは日記のつもりだったので、よもや読者が出来るとは思わなかった。それが最近は毎日読んで下さる人がいるらしく、時々「楽しみにしています」なんて言ってもらえる。だからといって今更気取ることはもう手遅れ。私はヴァイオリンの天才で頭が良くて容姿端麗なのよなんて言ったら、あちらこちらで噎せ返って死人が続出しそう。前にも書いたけど、優しい旧友(優し過ぎて「女性の鑑」と言われていた男性)が私の事を「若い頃はバンビのようだったわよね」と言ってくれたのに、それを聞いた若い男性が「今はゾンビですね」と切り返した。その場の空気は氷付いたが当人の私には大受けで、今でも時々思い出し笑いをしている。当意即妙のユーモアには脱帽。本人が喜ぶのでしばらくゾンビちゃんと呼ばれていた。容姿はその程度。ヴァイオリンはやっと音大を卒業して、運がとても良かったので今日まで仕事はやってこられた。頭は先日の通りかなりあぶない。自慢していたのは胃と歯はすごく丈夫だというのも、最近は頼りなくなってきた。あと自慢できる事と言ったら・・・あ、今までのは自慢じゃなくて自虐でした。それでも私にだって良いところはいっぱいある。まず、動物に好かれる。特に大型犬とは相性がいい。なぜか目が遇うとお互いにニコニコする。ワンちゃんだってニコニコするんです。そしてあちらが立ち上がって私の顔をぺろりとなめる。飼い主びっくり。私はきゃっきゃっと喜ぶ。散歩道の猫とは古い知り合い。カラスとも仲良し。人とはよく喧嘩をするのに。更に好きなことに限ってすごい集中力を発揮できる。ユーロトラックのゲームではバックで駐車するのがすごく難しい。そんな時には寝るのも惜しんでムキになって何十回でも細かい作業が出来る。肝心のヴァイオリンでは出来ないのに。無駄な事はいくらでも出来る。これが取り柄?です。













無駄遣い

捜し物をするので物置を開けたら、なにが入っているのかわからない段ボール箱が出てくるわ出てくるわ。しかもずしりと重たい。力はないけれど棚の角をテコにして下ろしてみた。これは家を新築した19年前からの開かずの箱たち。今まで開けなくても生活になんの支障もなかったのだから、もとより必要ない物であることは確か。それでもとっておきたいと思うには、きっと当時としては捨てがたい思い出が詰まっているらしい。あけてみるとずしりと重たいのは本ばかり。中学生くらいの時に買った百科事典風の全集物、文庫本、お気に入りで引っ越しの時にも捨てられなかった作家の物等々。今になってみると目が悪くて細かい字は読めないし、調べ物をするならネットがあるから、もう必要はない。こんなに沢山読んだのかとあきれるほどの量だが、引っ越しの時にこれの何倍もの本を処分したそのときにかろうじて廃棄をまぬがれたものばかり。それでも時代と共にどんどん不要になっていく。物はとっておくものではないと思った。これからはなるべく買うのもやめていきたい。私は情緒に欠陥があるらしく、懐かしいという気持ちにとぼしい。それはすごく忘れっぽいからだと思う。先日から物置の整理を始めたら、あんなにぎっしり詰まっていた物がほとんど捨てられるものだとわかり、今物置はガラガラに空いている。なにかむなしい感がありますなあ。これを買うのに払ったお金を貯金しておけば、今頃私は大金持ち・・・・とはいかない。というのも私の場合、お金がなくならないと次の仕事がこない運命のもとにあるらしい。遣わなければ入ってこない。だから遣って働く。働いてもお金持ちにはなれない。つねに回転していないといけない。モルモットが回転板の上でぐるぐる回っているようなもの。あれは彼らにとっては遊びなのか、必要な運動なのか。ああやって私も一生ハアハアしながら一生過ごすのか。まったりと優雅に過ごす日が来るのだろうか。一人暮らしのお年寄りがボロアパートで亡くなって、畳をあげたらぎっしりと何億円ものお金が敷き詰めてあったそうだけど、その人はどうしてお金を遣わなかったのかしら。お金は遣ってこそ生きられる。お金さんたち、畳の下でさぞや息苦しくつまらない思いをしていたでしょう。私のところへ来れば楽しい思いをさせてあげられたのに。ええい!又こんなつまらない物に俺たちをつかうなよって怒られながら。






2013年7月27日土曜日

避暑地の出来事

こんな小説はありませんでしたっけ。
それとも映画の題名でしたか。
松原湖近くのヤルヴィホールは小さいけれど音響の良いすてきなホールです。軽井沢、小淵沢、清里などに避暑に出かけられる予定がありましたら、お立ち寄り下さいませ。

2013年7月25日木曜日

物忘れ

おそろしいほど物忘れがひどい。認知症の検査に行ったら絶対引っかかると思う。先日練習したドヴォルザークの「ピアノ5重奏」2楽章のテンポの変わり目が上手くいかない、わからないという質問のメールがきた。私の弾いていない箇所だったけれど、なんとかうまく説明が出来ないものかと四苦八苦してメールの返信を出した。さて、私の考えは常識から外れていないだろうか?と心配になってきたのでCDでは、世の中の演奏家はどんな風に弾いているのだろうかと聞いてみることにした。初めての曲を譜読みするときに、私はCDはめったに聴かない。自分の先入観と理屈から曲に対して探りを入れる。譜面面を見るとテンポはだいたい予想できる。指定されたテンポ記号、表現記号などを見て、全体の構成を見て自分で決めていく。それでほとんど外れることはめったにない。常識的なというのは芸術にとっては変な言い方だが、作曲者の意図から外れてはいないだろうなと考えられる線と言う意味で。だいたい楽譜に指定された通りに演奏すれば、うまくいく様になっているはず。今回も理屈っぽく説明のメールを出したものの、本当かなあと自信がなかったからCDの2楽章をセットして聴き出した。初めの方はしばらくゆっくりでドゥムカと言う表題のように、哀愁を帯びた民族的なメロディーが美しく流れていく。そしてしばらくすると、急に生き生きとした早いテンポに変わる。その部分を聴きたいのに、途中で聴いていることを忘れて柄にもなく部屋を片付け始めてしまった。気が付いたときには、その箇所を過ぎていた。舌打ちをしながら巻き戻す。そして又・・・・・これを何回も繰り返して、ついに確認作業は中止。ゆったりしたメロディーに聞き惚れている時になにか他の事に気をとられるとそちらに一気に意識がとんでしまう。年のせいか性格のせいか。去年の脳ドックでは萎縮はみられないと言われたけれど怪しい。







2013年7月24日水曜日

痛きもちいい。

長年整体のお世話になっている。色々試してみたけれど、近所では中国気功整体が1番私には合っているから、ここ数年は月に数回行って固まった肩、腰をほぐしてもらう。そこでの担当はR先生。私は人が色々変わるのが好きではないので、必ず決まった人にやってもらうことにしている。R先生は中国東北地方の出身。日本で整体師になり、日本人の奥さんと子供がいるらしい。とても穏やかな性格でタッチがソフトだから施術の間はずっと眠ってしまう。終わって、ああよく寝たと言って気持ち良く帰ってくる。でもずっと肩こりは慢性化したまま。昨日予約の日だった。午後からもの凄い雷雨となって近所だけど行かれるかしらと思うほどのすさまじさ。でも、予約時間には小降りになって行く事が出来た。整体院に入ると「今日の予約は一時間前でしたよ」と言われた。最近頭が怪しくなってきて、しょっちゅう予約時間や日にちを間違える。せっかく来たのに困ったと思っていたら手の空いているK先生が現れた。K先生は以前私の担当だったけれど、一時中国に帰っていたので今はR先生に代わったのだが、施術の流儀が違って大変痛い。筋肉をつまむようにしてがんがんほぐしていく。力も強いし容赦しない。まあ、久しぶりによろしくと言って覚悟してベッドに横になった。相変わらず痛い。「ぐぐぐ、う゛う゛う゛」とか小さな声でうめきをあげているのに、知らん顔して筋肉をグイグイつまみ上げる。痛さをこらえるのに体に力が入ったら背中がつってしまった。ついに「痛い」と音を上げると少し緩くしてくれるが、根が真面目というか集中力があるというか、しばらくすると又元に戻って一生懸命ほぐしてくれた。いつものようには寝られなかったが、途中からほぐされた箇所がほかほかする。体全体が暖まってきた。今朝は少し揉み返しが来ていたけれど、腰が軽い。午後になると体全体が軽い。さて今後R先生のほんわかリラックスコースをとるか、K先生の闘魂コースをとるか、悩むところとなってしまった。








2013年7月23日火曜日

松原湖アンサンブル

諸般の事情により高松行きは中止となった。松原湖アンサンブルの練習でドヴォルザークの「ピアノ5重奏」を合わせている最中に電話がかかってきて、あたふたとキャンセルを告げられた。あらま、大変。朝、荷物をホテル宛てに送ってしまっていた。そのキャンセルから始まって、ホテルの予約取り消し、チケットの払い戻しなど大忙し。それでもこの暑い最中、西の方へ出かけないで済んだのはありがたい。お天気も悪そうだし体調もいまいちだったからよかった。松原湖アンサンブルはアメリカ・ロサンゼルス在住のヴァイオリニスト服部康子さんが主宰して毎年小海町のヤルヴィホールでコンサートを開いている。彼女はロサンゼルスフィルのメンバーだが、お母様の関係でこの土地に縁があるらしい。私は去年からの参加で、シューベルト「鱒」を弾かせてもらった。私の知人もこちら方面には多い。しかも去年八ヶ岳音楽祭に参加したことで知り合った人達も聞きにきて下さらないかと期待しているのだが・・・八ヶ岳音楽祭主催者である友人にチラシを送ったら公共施設においてもらえるそうで、これで去年よりもお客様が増えるのではと、とらぬ狸の皮算用。と言っても、入場券はたったの1500円。高校生以下は無料。すべて服部ご夫妻のボランティア精神にかかっている。このコンサートの後はメンバーはあっという間にばらけて、それぞれ好き勝手な方に向かう事になっている。私は軽井沢の友人の別荘へ、ほかの人達は親戚を訪ねたり、犬が待っているからと慌てて帰る人もいる。全くマイペースでありながら音楽を共有出来るのが素晴らしい。

松原湖のコンサートお知らせ
8月17日(土)午後2時開演 
小海町音楽堂「ヤルヴィホール」
長野県南佐久郡小海町大字豊里798
お問い合わせ080-5376-1240(高木)
入場券1500円予約券1000円 高校生以下無料
ベートーヴェン「大公」「弦楽トリオ(セレナーデ)」
ドヴォルザーク「ピアノクインテット」



2013年7月21日日曜日

九死に一生

死にそうになって助かった話はいっぱいある。ずっと以前、オケにいたころ、私の家はオケマンのたまり場でひっきりなしに客人が出入りしていた。麻雀をしたりお酒を飲んだり、眠くなると2階で雑魚寝。皆が寝静まった頃階下で大量の食器を洗っていた。冬だったので窓は閉め切ってあって、換気扇も回さずに湯沸かし器を使っていたら途中で気分が悪くなった。少し横になっていたが、体が言うことをきかない。手足が動かない。立つことも出来ないから2階に助けを求められない。一人で考えた。私は死んじゃうんだ。寂しいなあ。上にはあんなに沢山人がいるのに、たった一人で逝くなんて。そのとき猛烈にトイレに行きたくて、死ぬとしてもこのままではお漏らししたひどい姿をさらすことになる。それはいやだ。そしてズルズルと這ってドアノブをやっと回して部屋を出た。結果としてそれで助かってこうして駄文を書いている。あのときトイレに行きたくなければnekotamaはもう存在しなかった。そんなことがいくつかある。釜石に演奏旅行に行った。その3日くらい前から高熱が続いて気分が悪いので、都内での練習が終わってその近くの病院にいったら、これがとんでもない医者だった。熱があるのに嫌な手つきでお腹をさすってきたりする。挙げ句の果て、これは膠原病であると宣った。膠原病の知識がなかったから「ふーん」てなもので、まあ、いつもの事で、旅に出れば元気になるさと多寡をくくってでかけた。その日の夜から猛烈な吐き気に襲われて、白湯以外の一切の物は体が受け付けない。なんとかステージに乗って弾いていると、首の後ろから汗が滝のように流れる。あまりにも変だから次の日の本番前に、タクシーで1時間ほどの診療所に行った。症状を話すと医者は驚いてすぐ検査をしてくれた。そして「急性肝炎。命にかかわるからすぐ帰りなさい。でないと死ぬよ」指揮者に話すとすぐに帰りなさいと言うけれど、ひとりぼっちでの帰り道はつらかった。駅まで歩く事が出来なくて途中で入った喫茶店では、私がヴァイオリンを持っているのを見てレコードをかけてくれた。それがシューベルト「死と乙女」それをきいて私は考えた。ああ、やっぱり死ぬんだ。その後仙台までようやくたどり着いて一泊して帰宅。即入院。1ヶ月でキャリアにもならず完治した。こんな重い症状だったのに、主治医が首をかしげて奇跡と言った。釜石の診療所はあの震災でどうなったかと心配している。私の命の恩人は無事でいらっしゃるだろうか。チベットで高山病になったときもすごかった。ガイドが中国人の若い女性だったから元気いっぱい。自分が大丈夫なら他人も大丈夫だと思っていたらしく、私がチアノーゼを起こしていても「大丈夫!」5600メートルの高山で5メートル歩くのも命がけ。その日2回も病院に行く羽目になった。ダイビングに行けばマウスピースが外れておぼれそうになるし、なんだかこう列挙してみると、よくも生きて居るものだと我ながら不思議だと思う。いつもご先祖様が守ってくれているらしい。

熱中症

梅雨明けの日、私は絶不調。七夕コンサートという小さなコンサートで演奏する日だったが、目が醒めると世界が回っていた。熱が38度あって、低体温の私には焦熱地獄だった。でもコンサートを中止するなんて考えもしなかったが、主催者から「そんなに具合が悪いなら中止しましたのに」と言われてショックを受けた。私たちの仕事は親の死に目に会えないと言われる。多少の体調不良くらいで共演者に迷惑をかける訳にはいかない。私と長年のコンビだったYさんはお母様がコンサートの前日亡くなったのに、本番が終わるまでいつもと変わらず演奏していた。終わって初めてそのことを聞いた私たちはびっくり仰天。チェリストのSさんもコンサートの朝、奥様を天国に送っていたのにおくびにも出さず、後で知って涙がこぼれた。大雪が降って交通マヒになったときも、出演者は誰も遅刻しなかった。這ってでもくるのが楽隊魂。だから七夕コンサートの日も熱はあるけれど出かけた。猛烈に暑くなった日だったから、会場に着いた時にはしたたり落ちる汗で着ているる服はグショグショ、絞れるくらいの汗。とりあえず水分補給のために水を買おうとコンビニに立ち寄った。いつもは水しか買わないのに、そのときは無意識にポカリスエットの2リットルボトルを買った。会場に着いてそれをどんどん飲む。水だとそんなに飲めないのにいくらでも飲める。それだけ体が欲していたらしい。元々スポーツドリンクはあまり好きではなくて、めったに買うこともない。本能的に体の要求に従ったので、その後は無事に演奏にも差し障りがなかった。後で熱中症の記事を雑誌で見たら、まさに私の症状に一致した。熱が出る、体がしびれる、ふらつく、尿意があるのに尿が出ない、舌が赤くなる等々。一日中エアコン点けっぱなしなのに、それでも熱中症になるとは驚きだったけれど、下手すれば命がなかったかもしれない。くわばらくわばら。









2013年7月20日土曜日

連鎖

練習が煮詰まって小休止。全部の楽譜に一応目を通して問題点をチェック。先日のプロコフィエフみたいに意表をつくような音はないから、その点でははるかに楽に譜読みが出来る。しかし音が高い。でも、じわじわと思い出すことができる。あとはチェックした難しい場所を練習すればなんとかなるかと少し安心。オケに入りたての頃には来る日も来る日も新しい楽譜と格闘していた。夜中まで練習してろくに寝ないで本番を迎えたら、疲れすぎて上手く弾けず泣いたこともあった。そんな時代もあったけれど、今や古狸はたいがいの曲は何度か弾けば思い出せるくらいキャリアを積んだ。その代わり運動能力は落ちてきているから反射的には弾けなくなっている。それで、若い頃と同じように練習しないといけない。半分引退してヒマになったかといえば、休むわけにいかないのは大いに誤算だった。やはりまだ遊ぶなということらしい。ところで、いつも面白いと思うのは、ある作曲家の曲を始めると続けさまに同じ作曲家の曲が続くことがよくある。今夏、松原湖のコンサートでドヴォルザークの「ピアノ5重奏」を弾く予定になっているが、今回の四国では、やはりドヴォルザークの「シンフォニー8番」「スラブ舞曲」などを演奏する。ある年にはブラームスが弾きたくて「弦楽4重奏」や「ソナタ」などを練習していたらその年はブラームスの注文が殺到した。別にブラームスの記念年でもないのに。そんなことがかなり頻繁におこるのは、作曲家がまだ生きていてそこいら辺を浮遊してオーラを送っているのではないかと思っている。あさってから松原湖のコンサートの練習も入るので、この1週間はドヴォルザーク漬けになる。

松原湖のコンサートお知らせ
8月17日(土)午後2時開演 
小海町音楽堂「ヤルヴィホール」
長野県南佐久郡小海町大字豊里798
お問い合わせ080-5376-1240(高木)
入場券1500円予約券1000円 高校生以下無料
ベートーヴェン「大公」「弦楽トリオ(セレナーデ)」
ドヴォルザーク「ピアノクインテット」





2013年7月19日金曜日

代役

友人のKさんのお母様が入院中で、いつなにがあってもおかしくないという状況なので、先日も彼女の代わりにオーケストラの仕事にいってきた。その後お母様はしばらく小康状態だったのが、やはりご高齢でこの暑さだから予断を許さない。それで又代わりを頼まれて四国へ行く事になった。前回は小豆島、今回は高松駅そばのホールが会場らしい。日本国中仕事の旅して歩いたけれど高松は特に好きなところの一つ。かなり頻繁に行っていた。まず午後のまだ明るい内に到着するようにして、ホテルにチェックインするとスニーカーを履いて栗林公園まで散歩するのがいつものことで、途中寄る喫茶店も毎年同じ。そしてある日自宅で寝ていた時に夢を見た。この喫茶店に入って外を見ていると、もの凄い嵐が通り過ぎていくという夢だった。次に高松に行った時に、喫茶店の人にこの話をしようかと思ったけれど、かなりばかばかしい夢なので言わずにかえってきた。話せばおもしろがってくれたと思うけれど、なにかを象徴しているのかと考えられて、変に夢占いなどされるのもいやだったので。高松の金刀比羅さんに行くつもりで間違えて松山の金比羅さんに行ってしまった話もあるけれど、それはいずれ又。今朝楽譜が送られてきた。たった四日間しかなくて練習に入る。オケの曲は結構難しい。ドヴォルザークの8番のシンフォニーとあとはスラブ舞曲など。半分引退しているから神経が緩んでしまっている。現役時代、8番のシンフォニーはあまり難しいと思ったことはなかったが、しばらくオーケストラを弾かないでいると、キビキビと動けたはずの自分が思ったように動けないのが歯がゆい。ヴァイオリンは大勢で弾くから楽だと思われるかも知れないが、大勢だからかえって難しい。完璧に譜読みが出来ていないと、あらゆる音を聴き、気を配り、隣の人とバランスをとり、音がずれないように一斉に弾くのは大変なことで、まず隅々まで音符を読んでからやっとあわせられる。その譜読みが歳を重ねてくると段々おそくなる。楽しみにしていたゲームもここで小休止。でないと、本番になって慌てふためくことになる。今までは大抵の曲はなんとかこなせたけれど、この先どこまでやっていけるかは考えもつかない。一人で弾くならかなり自由に弾ける。多少よれても味のある演奏とか何とか、批評家の気に入れば書いてもらえる。オーケストラはそうはいかない。よれてまわりと同じに動けなければ使い物にならない。雁字搦めの中でどう自分が生きるかがすごく難しい。だからとてもこわい。そしてすごく面白い。乞食とオケは3日やったらやめられないなんて・・・言いませんでしたね。














2013年7月17日水曜日

ガラクタずくめ

昨日パソコンにゲームをいれてもらって物の配置が換わったので、色々目に付くことが多かった。それで今朝から少しかたづけるつもりで働き始めたら、もう止まらない。クローゼットの中に入っている得体の知れない段ボール箱や、古い楽器類などを整理することにした。楽器は基本的にはすてられないから、ガレージの倉庫に引っ越しさせる。古いレコードは兄にあげる。旅行用のスーツケースは全部梱包して使う時だけ出す。スキーの道具も倉庫へ。ピアノの下に置いてあったがらくた類もかたづけて見ると、なんか急に部屋がすっきりしたみたい。ソファーなども昨日までは物が溢れていて座ることが出来なかったのに、今日は昼寝も出来るようになった。たぶんこれだけでも部屋の響きが変わるはず。新築した頃はすごく響きのいい部屋だった。いつの間にかものが増え始め、がらくたでも整理が出来ない性格なのでいつかやろうと思ってはいたけれど、中々きっかけがなくて先送りにしていた。スタートすれば結構しゃかりきで働く方なので、思いっきりよく捨てる事が出来る。それにしてもロクな物がない。どれだけ無駄に物を買っていたか、ということはどれだけおバカだったかということ。旅先で気が大きくなって余計な物を買う癖があった。チベットへ行ったとき、若い女性のガイドさんがついてくれた。私がお土産にとそこの景色の模様違いの傘を2本買おうとしたら「記念に買うなら1本で十分です」と言って止めてくれた。若いのにしっかりしている。その人の言う通り、帰ってきてから見たら、なんでこんな安物の傘を買ってしまったのかしらと後悔した。1回もさしたことはない。








2013年7月16日火曜日

パソコン歴はベテラン、中身は初心者

パソコン名人H氏はエキスパート中のエキスパートだから(彼のサイトは何万人ものアクセスと質問が来るほどの)本来私の面倒など見るべき立場にはないにも関わらず、15年以上に亘って面倒・・本当に面倒くさそうで・・を見ていて、いい加減うんざりとしているでしょうに、あきらめないのはエンジニア根性のなせるわざかと思う。ただひとつ困るのは私のほうがそれについていけるレベルではなく、わかったふりしてごまかしたり、猫になって耳の後ろを掻いたりしてごまかすので猛烈腹が立つらしい。それで手ひどく叱られるのに私は一向に効き目なくのんしゃらん。叱っているうちに本人も可笑しくなるらしい。これはかれにとっては腐れ縁。私は幸運。今回のゲームを入れてもらったり、新しいアンドロイドに替えてもらったりするために、パソコンの設定などで大変な時間がかかっている。そして家には分不相応な大画面パソコンとスマホ2台、パソコンの予備のタブレット。レッスン室でも居住区の猫部屋でも見られるようにしてもらってご機嫌な電脳おばさんになっている。それらを実際使いこなせるかというと、ほとんど使えるレベルではない。このブログとメール、インターネット、そして今日入れてもらったゲーム。だいたいそんなものでしかない。それがわかっていながら手間暇かけるH氏は時々すごくむなしくなるようだけど、完璧癖が災いしてどんな時にも手を抜かない。そこがすごく尊敬するところ。こういう人もいるんだなあと時々自分の大雑把さを顧みても、そこは猫だから3歩歩けば全部忘れて、ああ、今日も楽しいゲームをしたなあと毛繕いして幸せに眠りにつく。幸せの陰に泣いている人がいることをせめて今日いっぱい忘れないようにしよう。名人!いつもありがとうございます。ところで「のんしゃらん」て何語だかご存じですか?わたしはずっと日本語だとおもっていました。ゲーム半ばで投稿しています。どうしてもトラックが立ち往生して動かなくなってしまったので、しばらく息抜き。戻ってもまだトラフィックジャムは続いているのでしょう。やれやれ、どうやったら抜け出せるのかしら。



ドライブシミュレーション

パソコンにゲームを入れてもらいました。これがとても難しい。さっきから事故ってばかり。多重事故で動けない状態です。雨と雷がひどくてどうしよう
。大変です。今日中に終わることができるでしょうか?ユーロトラックというゲームですからヨーロッパの街を走ることができるので現地に行ったら同じ景色を見られるかもしれない。

2013年7月14日日曜日

すてきな人たち

今日4人の男女が訪れてきた。渋谷の音楽教室「ルフォスタ」の古くからの生徒のМさん、その次に古いSさん、男性のNさん、皆最近まで教えていた人たち。そしてヴァイオリン製作者を目指して勉強中のAさん。夕方5時ころに現れてビールで乾杯。Aさんがイタリアのヴァイオリン制作の学校に受かったお祝いもかねている。この人たちは今はそれぞれの事情で、教室には来ていないが、時々こうして集まってくれる。Мさんは酒豪で、女だてらにぐいぐい豪快に飲む。その彼女も最近は少しお酒に弱くなったのだろうか、どうやって家に帰ったか覚えていないなどと、恐ろしいことを言うようになった。多少薹がたったとはいえ、未婚で若い女性だから心配している。建築士として活躍してきたので、仕事も飲むことも男性と対等にやってきたのだろう。だいぶ前だけど、うちにご機嫌で飲んでいる彼女を含めた3人(そのうち2人は男性)を残して仕事に出かけた。仕事を終わって帰ってくると玄関に1升ビンがゴロンと2本転がっていた。3人でビール+2升+α、一人平均7合強が飲みほされていた。そのくらい強くて、酔いつぶれた若い男性の面倒をみて連れ帰ってくれたりしていたのに、昨日は周りから面倒みられていた。そろそろ面倒見の良いボーイフレンドでも一緒に連れてきてもらいたいものだと期待している。キャリアもあり酒豪でもあると並の男性ではかなわないかもしれない。そこがネックなのだ。ヴァイオリン制作者のAさんはイタリアへの憧れと不安を語っていた。未知の世界に飛び込むには勇気がいる。自分が果たしてこの道でやっていけるのだろうかと心配するのは当然だけど、だからといってほかのことをやる気がないなら進むっきゃない。本当に好きなのがヴァイオリン制作だというから、好きなことだけやっていなさいと、とんでもないアドバイスをする。飢え死にしたって納得した人生になるはずだから。好きなことのためにはなんだってできる。試験に受かったのに不安で浮かない顔をしている。それはそう、気持ちは痛いほどよくわかる。Sさんは転職を重ねてしばらく休職状態だったのが、このたび国立の機関に就職できたのが今日のお祝いのメインの理由で、パソコンのスキルや事務能力も突出しているようだ。その腕を買われてこのたびの就職。こんな不景気な時に中途採用されるとは中々できるものではない。自分の能力が最大に生かせるところにこだわって、途中で誘いを受けた仕事も断って我慢して掴んだ粘り強さには感心した。もう一人のNさんは銀行マン。と言っても聞いてもよくわからないが、普通の銀行業務ではなく企業の経営に関するものらしい。これも激務らしく、たびたび寝坊してレッスンに遅刻。ほとんど休日は起きられないようだ。それでも、この曲が弾きたいと言って分不相応な曲を弾きたがる。基礎的な練習もしないのに、発表会までにはなんとか形をつけてしまうのが恐ろしい。出来栄えはよくないけれど、その一生懸命さが心を打つらしく、評判はいい。ただ、今は仕事で出張ばかりでヴァイオリンを弾いているひまはないからお休み。一番働き盛りの人たちだからレッスンにくる余裕はないけれど、定年退職した後にまたヴァイオリンを思い出して弾いてくれることを期待している。その時にはAさんの作ったヴァイオリンで合奏でもしてくれたらうれしいなあ。



2013年7月13日土曜日

見知らぬ土地で迷子になる

エジプトで迷子になった話を少しくわしく。
一人で歩き始め、大体ホテルの方角はわかっていたもののおそろしい方向音痴だから、一度でも角を曲がるとわからなくなる。これは末っ子でいつもだれかの服の裾をつかんで歩いていた後遺症ともいえる。さて、マーケットを出て、やっと自由になれたことで大いに気を良くした私はブラブラと繁華街のほうへ進んでいった。まず、交差点のど真ん中で交通整理をしているお巡りさんにホテルの方向である国立美術館への道を聞いた。お巡りさんは複雑な交差点を横切って対角線上に行けと言う。あまりにもすごい交通量と乱暴な運転なのでお巡りさんは私にはとうてい渡れないと思ったらしく、腕をとって車に合図しながら一緒にわたってくれた。そしてあちらの方に行けといってバイバイ。ああ、この道はさっき通ってきたなというのは分かったので正しい方向に行っているのは確かだった。ところがその次の分かれ道に来た時に、うっかりまたお巡りさんに聞いたのが悪かった。たしか地図ではあちらなのに、ここではないという。方向違いのようだけど行ってみると、まったく見たこともない街の風景なので、これはおかしいと引返す。さっきの交差点まできて路地裏に入ると家具やさんがあって、お兄さんが3人ほどいて、声をかけてきた。足が疲れたので売り物の家具に座っていいかというと、いいと言うからしばらく休ませてもらった。ホテルの名前を言うとなにか紙にすらすらと書いて渡してくれたので、これさえあればたどり着けるものと大いに心強くなって、その辺を見学することにした。そして目当ての美術館にたどり着いたので、これならよし、ここからは一直線と安心。ところがここでまたお巡りさん登場。訊かなきゃいいのにさっき家具屋さんが書いてくれた紙を見せたら、タクシーに乗っていけと言う。タクシーに乗るほどの距離ではないから断っているのにさっさと止めてしまったので、運転手に紙を見せて乗っていくことにした。すると思っているのとは違う方向に走り出した。そのうちにどんどん見たこともない景色になっていく。でも私は信じて疑わないからホテルは間もなくだと思っていた。運転手がここだと言うから降り立ってみると・・・すてき!大きなモスクとにぎやかな街に人々が溢れていて、日本人の姿もちらほら見える。ここでお水を買って、お土産を眺めモスクを覗くとたくさんの人がお祈りをしている。なにか胸を打たれてしばらく眺めていた。しかし、ホテルはなかった。さっきの家具屋さんは観光案内をしてくれたらしい。困憊してたまたま出会った日本人観光客のガイドさんに尋ねると、そんなホテルは知らないと言う。でも同じカイロ市内でガイドさんが知らないとなると、相当マイナーなホテルなのかもしれない。ガイドさんも迷子のオバサンに付き合っているわけにいかないと、さっさとどこかへ行ってしまった。見捨てられた私は迷子の子猫ちゃんとなって、今度は犬のお巡りさんに頼ることにした。そこかしこに制服を着て立派なひげを生やしたお巡りさん(たぶん)(軍人?)がいるから、その一番偉そうな人をめがけて近寄った。迷子になっていること、パトカーで送ってもらえないだろうか、と。それは即座に断られたが、「日本人はナンバーワン」と心にもないお世辞を言ってからタクシーを呼んでくれた。というのがタクシー少年に会うまでの顛末。何人もの人に道を訊いたとき、道路の名前(例えば銀座通りとか甲州街道とか)がわかっているから安心と思っていたら、とんでもなかった。字が読めない、通りの名前なんか知らないという人が多くて地図は役に立たなかった。結局ホテルの電話番号を日本に問い合わせて、通行人にホテルに電話してもらって事なきを得た。タクシー坊やは電話もかけられないでいるから、道端にいた人が私の携帯で問い合わせてくれた。私は自分の携帯が無事に戻ってくるように、その間お祈りをしていた。携帯は無事戻ってきたし、すごく親切な人ばかりで無事にホテルに帰れたのは幸運だったかもしれない。あるいは今頃殺されてピラミッドの砂地に放置されたり、ナイル河でワニに喰われたりしていたかもしれない。ほんとうに無鉄砲だったと反省するが、その時は楽しくて、ああ、見知らぬ土地にいるのだなあとワクワクしていた。そしてこの時の旅行で一番楽しかったのが、この迷子になった時のこと。ほかのことはあまり思い出せない。今は少し騒乱状態だけどカイロはいいところですよ。でも一人歩きはしない方が。どんな危険が待っているかわかりません、なーんて、人には言うけど。







2013年7月12日金曜日

今日も食い倒れ

月例「弾く会」はこの(クソ)暑いさなかでも行われた。時間になると毎回同じメンバーがふうふう言いながらハンカチを顔にあてて現れた。さすがの猛女たちも暑さにはかなわない。いつもより曲数が少ない。まずFUMIKOさんがバッハのパルティータ、Sさんがシューベルトの「アンプロンプチユ」の中に入っている「3つの小品」の中から2曲。Nさんがバッハ「インヴェンション」から1曲とラヴェル「オンディーヌ」そしてついにシュトラウスの「ソナタ」の番になってしまった。ピアノのОさんは初めからこの曲は嫌いと言っているのを無理やり宥めたり賺したり、最後には脅して弾かせているのがこの私です。実のこと言えばОさんだって決してこの曲は嫌いじゃないと思っている。今は家の改築で忙しくてなかなかピアノが弾けないので苛立っているだけだと勝手に解釈して、とにかく頭の体操になるからと強引に無理強いしている。でも、聞いてくれたメンバーはとても官能的な曲ねと言ってくれた。とろけるような、それでいて青年の瑞々しい憧れを表現した傑作だと私は思っている。ところで、FUMIKOさんが今日弾いたバッハはフルートのために書いた曲だというので、私も初めて聞いたけれど、とても素敵な曲だった。フルートの曲をヴィオラに治すには音域の問題がありそうだが、その点は心配ないようだ。しかし、フルートの曲を弦楽器にそのまま治すとメカニック的に演奏しにくいと思うのだが、少しも不自然ではない。終わればお食事を共にして楽しくおしゃべりに花を咲かせる。今日のシュトラウスは今まで止まらないで行けたことはなかったのに、なんとか小さいミスをしても這い上がれるようになったのは大進歩。でも、これでいよいよОさんが改築のための休会に入るので、数か月後に私はもとの木阿弥になっているかもしれない。最近の数か月は若いころの数年にあたるほど退行現象は進んでいる。しかし、この猛女たち、只者ではなく、毎回よくまあ素晴らしい演奏を聴かせてくれるものだと感心する。親の介護や家のことなどを決して言い訳にしないのがえらい!




2013年7月11日木曜日

食い物になる

おれおれ詐欺などで高齢者を食い物にしようと狙っている輩が跋扈している。私もターゲットだと思っているが元々お金の持ち合わせがないので、難を逃れているようだ。最近うちの貸部屋から店子が出てしまったので不動産屋に頼んでいるのになかなか借り手がつかない。不動産屋は、部屋のタイプが古くて畳の部屋があると、今どき、まず借り手はつかないだろうという。それで畳をフローリングに改造しないかと持ちかけられた。ついこの間店子が出た時点で壁紙や床を張り替えてすっかりきれいにしたばかりでお金がかかっているのに、また余計な出費がかさむ。私も畳の趣味はなくて、新築時に自宅はすべてフローリングにしてもらったので、不動産屋のいうことはよくわかる。それにせっかく借りてもらうのに気持ちよく住んでほしいから、改装には反対ではない。今、見積もりを出してもらっているところ。これで借り手が現れなければ、建築屋の食い物で終わることになる。すぐに人のいいなりになりやすい性格だから、相手もやりやすいだろうと思っている。美容外科の先生もほいほい話に乗ってくるので、いろいろすすめやすかったのだろう。こうして人の言いなりになって生きてきたので、物事がうまくいっているようだ。騙されてはいないし、その道の専門家の言うことは聞いたほうがいいと常々思っている。騙されまいと突っ張っている人に限ってだまされる。
数年前にエジプトに行ったとき、引率者があまりにも仕切り過ぎるので猫である私は癇癪を起してしまった。少しは自由にゆっくりさせてほしい。マーケットの中の歩き方まできめられてアッタマにきたので、私は一人でホテルに帰ると言い捨てて表に飛び出した。西も東もわからない。のんきにそのへんの人を捕まえてホテルへの道を聞くと、みんな親切に教えてくれる。ところがこれが間違いのもとで、それぞれいい加減なことを親切に教えてくれて、挙句の果てはタクシーに乗せられて素晴らしいモスク見学までしてしまった。面白がっているうちはよかったけれど、夕方になったらさすがに心配になってきた。モスクの近くにたいそう立派なおまわりさんか兵隊さんらしい人がいるので、その人のあっせんでタクシーを呼んでもらった。なんと、運転手は少年。どう見ても10代の目のくりくりしたかわいらしい少年が、東洋人の変なオバサンを載せていけと言われて必死で拒否していたが、偉いひとには逆らえずとうとう私を載せてカイロの町中を走り回ることになった。はじめのうちはおびえていたが、君の運転は上手いよとかなんとかおだてているうちにすっかり機嫌をよくした少年は、やっと私のホテルに到着。その間、何人もの親切な人が道をおしえてくれた。ところが支払いの段になって、私ははたと困った。米ドルでしかも10ドル紙幣しかもっていない。現地のお金がないし、10ドルはタクシー代にしては法外な値段だから迷ったけれど、努力賞として彼にあげてしまった。少年の喜んだこと!でも、そのあと彼は元の場所に戻れたのだろうか。親方か例の警官にきっと取り上げられてしまうのだろうなと思いつつ同行者たちにその話をした。同行者たちからは「だから日本人はだめなのよ」と非難された。「でもね、私たちにとっては10ドル(円高だった)くらいはそんなに大金でもないでしょう。こんな貧しい国に来たら少しくらい騙されてやってもいいんじゃない?」と言ったらシーンとしてしまった。そのくらい貧しく子供たちが虐待されているのを目の当たりにする日々だったから、あの子がほんの半日くらいは幸せな気分でいるかもしれないし、私は食い物になってはいないと思っている。






2013年7月10日水曜日

過剰

シミのないつやつやのお肌を夢見ていろいろやってきた。最近はレーザーピーリングとケミカルピーリングにせっせと通ったけれど、なんだか肌にだんだん張りがなくなって、機械で肌の状態を見るとすごく肌理が整っているのに、実感としては肌がたるんでしまったような気がするのはどうしたことか。年には勝てないのかなどと考えていた。ところが先日ファインメイクという眉のメイクをしてくれた人が言うには、ピーリングのような上から角質をはがしていくようなやり方だと、どんどん肌が薄くなってしまうので、せっかく内部からの栄養を取り入れようとしてもできなくなってしまうのだそうだ。上からはがすのではなく、中からの新しい肌が上の老廃物を押し出すようでないといけないらしい。しかし、それは最近なんとなく実感していたことで、大学病院の美容外科の先生からすすめられるままに、あれもこれもやっていくうちに、なにか変だなと感じるところがあった。そこでは一か月に一度のレーザー、2週間に一度のケミカルピーリングをすると、何か月後には素晴らしいお肌になると言われた。12回のケミカルピーリングのコースを始めて先月終了。肌はなんだか赤らんでかゆみが出たり、部分的にもりあがったりし始めた。コースが終わったので継続を勧められた。でも私としては薄くなった肌が再生していないうちにまたはがしているような気がしていた。それで肌が敏感になりすぎて赤身やかゆみが出るのではないか。ファインメイクの人にそれを話すと驚いて、それはとんでもないと言う。一度肌を休ませてくださいと言われた。次のことをするのに2、3か月は休ませないといけない。今年の猛暑ではピーリングなどやってられないので、予約はキャンセルしようとしていたところだったので、タイミングがよかった。なんでも結果を急いで事を始めるとがむしゃらにあれもこれもやってしまう性格が災いのもと。わかっているのにまたすぐ同じ間違いをする。ヴァイオリンを弾くときもそう。腕が疲れていたり痛かったりするのに、むきになって練習する。結果・・・疲れた腕からはいい音は絶対出ない。無理に音を出すから腕が疲れる、痛む、の悪循環。疲れたらまず休む。これを肝に銘じていこうと思っていても、バカは死ななきゃなおらないって。




2013年7月9日火曜日

まだゞシュトラウス

今日は荻窪近辺在住の二人のピアニストに遊んでもらった。いつもの「弾く会」のメンバーで私の同級生のОさんとSさん。Оさんはただいま家の改築中で大工さんが出入りしているので、練習もままならない。広い素敵なレッスン室がなくなってしまうのが、私など自分のものではないのに惜しくてたまらない。ましてご本人は生まれ育った懐かしい家を改築する決断には時間がかかったと思うけれど、現実問題としてきちんと受け止めて、むしろ改築を楽しんでいる様子を見せている。ただ改築中は大勢の人の出入り、お姉さま夫婦のお世話などが彼女の肩にのしかかってきて、それでかなり疲れている様子なのが心配。でも長年ピアノに鍛えられた精神は強い。途中ほかのコンサートの練習などで中断に次ぐ中断を重ねてきたR・シュトラウス「ソナタ」もやっと終楽章にたどり着いた。そんなわけで今日はОさんのお宅ではなく、Sさんのレッスン室を借りて、Sさんの監視のもとで合わせることになった。ご存じの通りこの「ソナタ」の終楽章はピアノとヴァイオリンのリズムの組み合わせが難しい。とっくに反射神経がすり減ってしまったオバサン二人は、一瞬の油断が命取りとなるようなこの終楽章をヨロヨロとなんとか弾きおおせた。譜めくり役のSさんは時々先生になったりコンダクターになったり忙しい。楽譜を見て、音の長さの違い、ミスタッチ、テンポの間違えなどをビシビシ指摘してくる。今度の「弾く会」に弾くけれど、まだ未完成なので、この後時間をかけて仕上げていくつもりでいる。この会が終わったらОさんは9月まで休会して建築に専念するという。それはそれで大変面白いことで、私が同じ立場だったら一日中大工さんのあとを付いてまわりそうな気がする。秋になって改築が終わったらどんな部屋になるのか楽しみにしている。減築といっても、元が普通よりずっと広かったのだから、決して狭い部屋にはならないのではないかと思う。やはりグランドピアノが2台、楽に収まるのかな。
練習が終わればお決まりの食事会。楽しい会話は、これに勝る調味料はない。食べ過ぎといわれようと何と言われようと、この時間はやめられない。




2013年7月8日月曜日

猛暑はもうしょうがない。

先日来の体調不良は暑気あたりだったのかもしれない。これといった病気の症状はでていない。風邪でも胃腸炎でもなく、ただ熱が突然上がってクラッとしただけだから。今日は所用があって三軒茶屋に出かけ、その流れで近くの松陰神社に行く予定も入れてちょうど正午、三軒茶屋の駅に降り立つと猛烈な暑さに襲われた。前から高齢者が歩いてきたので、こんな時にお年寄りは出かけないほうがいいのにと思ったけれど、傍から見たら私もそう思われているに違いないと苦笑した。しかし、これほど暑いと逆に潔い感じがする。キーンと照りつける太陽がジリジリと肌を焼いて、子供のころに海岸で日焼けしたことを思い出す。そのころには日焼けをすると冬に風邪をひかないと言われていたので一生懸命焼いたものだけど、今は後悔でしかない。その頃から着々と蓄えられたシミの素が悩みの種になっている。冬にはしっかりと風邪をひいたから、おまじない程度のききめしかなかったに違いない。用事が終わって昼食はインド人のやっているカレーやさんに入った。ちょうどランチの時間なのに客はたった一人。これは危ないかも。チキンカレーを頼んだが中々出てこない。しばらくして干からびたサラダ、酸味のあるカレー、貧相なナンが出てきた。その前におおばこ入りの水を飲まされた。これは宣伝のため。体にいいから欲しければ売るという。インド人は商売上手。買わなかったけど。
このお店がこの次に来る時まであるかどうかは疑わしい。でも見た目古そうだから、根強いファンがいるのかもしれない。チキンカレーはようやくお腹に収まって、世田谷線で松陰神社に向かう。知人宅に行くまで、日差しを遮るものがない。日傘を持ってこなかったのを激しく後悔しながらやっとたどり着いて、玄関先でへたり込んでしまった。帰りの世田谷線ではおなかの調子が悪くなって、これはあのインドカレーのたたりかオオバコ水の怨念に違いないと思ったけれど、無事帰還。涼しい部屋でパソコン遊びは天国じゃ。やっとヴァイオリンを弾く気になってきた。








2013年7月7日日曜日

食べ過ぎと言われても

朝、目が覚めると気分は少しよくなっていた。朝食大好きの私なのに珍しく食欲がなくて・・・なぜかというと、昨日素晴らしく美味しいお寿司をたらふく食べたからなのだが・・・いつもなら絶対欠かさないハムエッグとトーストはなし。野菜と果物のジュースとヨーグルトだけ。しかし、こうして書き出してみると、やはり食べすぎなのかなあ。野菜ジュースはジューサーいっぱいの野菜にバナナを豆乳とミックスしたものだから、それだけで結構なボリュームがある。ヨーグルトはプレーンなカスピ海ヨーグルト、これを大匙3杯。うーん、ずっとこのパターンだったために、気が付かなかったけれど、これにトースト、ハムエッグとコーヒーを飲むと、かなり重い朝ごはんになる。昼は小さい茶碗に半分くらいのご飯と具だくさんの味噌汁に焼魚半分。今日は冷やしそばだけ。夜は練り物一つにマーボー茄子を少々、枝豆を少々。これだけ。これでも食べ過ぎと言われるとなにを減らせばいいのか途方に暮れる。甘いものはアンサンブルの練習や飲み会の後で皆でお茶するときにしか食べない。いったいどれだけ減らせば食べ過ぎでないのかなあ。だがちょっと待てよ!思い出した。ジュースと一緒に食べなかったけれど、10時ころになっておなかがすいてジャムをたっぷり塗ったトーストを食べたっけ。それに夜は冷凍保存しておこうと思って炊いたごはんがあまりおいしそうなので、小さい茶碗に半分ほど食べた。こうして思い出していくと、ほんの少しと思っていても、つまみ食いをトータルしてみるとかなりの量になるのかもしれない。結果いつもカロリー過剰で、時々自浄作用が働いて昨日のように発熱や体調不良で食欲が出ないように自然となる。それを無視して食事だけはちゃんと摂ってしまう。これがすべての元凶らしい。でもねえ、目の前に本当においしいお寿司があったら、死にかけていても起き上って食べ始めるでしょうね。



2013年7月6日土曜日

鬼の攪乱

今朝目が覚めるとなにか体に違和感がある。前々日あたりからジワリといやな気分が押し寄せてくる。体の、特に腸が不調。なにか変だあと思って検温したら38度もある。きゃあ、私の平熱は35度台で低体温なので、38度は異常な高熱になる。歩くとふらつく。しかし、今日は「七夕コンサート」というタイトルでサロンコンサートの本番なのだ。モーツァルト「ピアノ4重奏」ボッケリーニ「チェロソナタ」ドビッシィ「月の光」ショパン「子犬のワルツ」クライスラー「愛の喜び」「愛の悲しみ」ピアソラ「リベルタンゴ」モンティー「チャルダッシュ」先日のケアハウスでのプログラムの焼き直しだが、チェロが加わってより充実した内容になった。南青山のY子さんの家の広いリビングが会場となって、そこへ25人ほどの人が集まって、演奏後は美味しいお寿司がでるという大変贅沢なコンサート。演奏はともかくお寿司は銀座の「虎武士」というお店が出張してきて、にぎってくれるのが素晴らしい。しかし、体調不全の私は機嫌が悪い。どうしたものか、頭はふらふら、背中バリバリで、常連の香港人の針の先生が来ているのを幸い、相談にのってもらった。女性の先生は先日この場所でお目にかかった時に、私に向かって「あなた食べ過ぎよ。でも、あなた食べるのやめられない。ストレスが多いから」と言われてしまった。今回も脈を診てもらったら、前回同様ストレスで食べ過ぎだそうだ。どうしても痩せられないのはストレスのせいかもしれない。針を打ったらなにか急に元気になったものの、やはり体調が悪いのでお先に失礼することにした。Y子さんが車で私の家まで連れ帰ってもらった。せっかく私の長年の生徒だった女性が来てくれたのに、あいさつも忘れてしまったのは、私にしてはなかなかの重症であるらしい。今年に入ってからこんなことが何度かあって、これはむしろ毒だしではないかと思う。若いころと同じように食べているし、無理も重ねてしまう。それで、時々こうして熱を出したりしてバランスをとっているのだろう。性格は鬼でも体はか弱い女性であることを思い知らされた。

2013年7月5日金曜日

復活

ノートパソコンがお疲れで働かなくなったのに加えてメインのパソコンは名人がなにやら面白くしてくれようと画策しているために、私の手元を離れて名人家で幸せに暮らしている模様なので、今は大きめのタブレットが私のもとに届けられtいる。先ほど届いたばかりなのでまだ不慣れでインターネットにつながるまでに時間がかかってしまった。それでも以前の私なら手も足も出なかった接続もなんとかできて、すでに頭は痛いがようやくできたことにささやかな達成感を感じているところ。ノートパソコンは先日突然エラーが出て回復せず。真夜中に泣きの涙で助けを求めると名人がスカイプのビデオ通話を使ってエラーの模様を教えるようにと示唆してきた。それができるようになるのに小一時間。それからエラー画面を写したり何やかやでまた一時間、結局私の操作ミスではなくて本当に器械に問題ありとなったのが、もう次の日の2時過ぎ。そこまで付き合ってくれて、すぐに代わりのタブレットを送ってもらって、今投稿ができるようになった。さきほど一瞬ノートパソコンに回復のきざしがあって、また私がおっちょこちょいをやったかと思ったが、結局再度ダウンしてしまった。パソコン歴は長いがいつも名人がほとんどのことをサポートして、私は楽しく遊んでいるだけなので、少しも上達しない。こんな面倒な私を猫だから仕方がないと言って許してくれるのが名人の大物たるところ、本当に感謝してます。

2013年7月2日火曜日

しばらく休業

パソコンのメンテナンスのためしばらく休業します。あまりにもこき使ったので、お休みを下さいとパソ子が言いますので、夏期休暇をとらせます。多分来週あたりには復活出来るとは思いますので、又どうぞ覗いてみてください。では、皆様も暑気あたり注意でお気をつけて、お過ごし下さい。

2013年7月1日月曜日

ネット用語

最近暇な時に2chを訪問している。これが困ったことに面白くて、バカバカしいと思いながらつい時の過ぎるのを忘れてしまう。もうこれでやめようと思っていると、また面白そうな見出しが目につく。気がつくと真夜中に一人でケラケラ笑っている不気味な自分がいる。特に猫ものが目当てだけれど、その他には他人の不幸話し、復讐劇なども本当にこんなことあるのと思いつつも次々にはまっていくのが恐ろしい。今は面白がりのピークも過ぎて、途中下車も出来るようになった。初めの頃は入り方も分からず、いつしかとんでもなく不気味な分野に迷い込んだり、すごいエロ画面が出てきてビックリ仰天したりしたが、最近はうまくそれらを避けながら進めるようになった。そして訳が分からないのがネット用語。私はオーケストラに入った時に楽隊用語でとまどったことがあった。それでもガクタイは単純だから単に言葉をひっくり返しただけなのですぐにわかるようになった。ときにはこんなことも。「ええい!じょべんのじーかだ」と言った人がいて「なにそれ?」と訊くと「便所の火事。ヤケクソってこと」ああ、なるほど。手が込んでいてもこの程度。しかもあまり品のいい言葉とは言えないから、世間で使うことはしなかったが、最近はテレビで楽屋うちを見せる程度の低いギャグをやる芸人が多くなって、世間でも広まっているようだ。これらは隠語として価値があるのだから、もうこの時点で単なることば遊びとなってしまった。分からないのが2ch語。最近薄々意味が分かってきたのもあるが中にはどうしても分からない言葉があるのでパソコン名人に訊くと、送られてきたのがこちらこちら。言葉は世につれ変化するとは言え、ネットの中でだけ通用する言葉ばかり。しかし、使っている彼らは結構教養があって、日本語も英語も堪能であると思われる。若い人たちが面白がって言葉をいじるのは文化的には非常にいいことで、ここから又新しい言葉の誕生が期待できるかも。淘汰されて変な言葉は消えて行くから、日本語を壊すとか言ってめくじら立てないで理解してみようという気持ちで向かわないと、頭がすっかり固まってからでは遅い。