2014年1月19日日曜日

ピアノ調律その3「山田さんインタヴュー」

ここから佐々木直子さんの問いに山田さんが答える形となります。
佐々木   現在はどのくらいお仕事されているのでしょうか。

山田   一番最盛期はね、6つのホールの専任だったんです。そうすると調律の時間がほとんどいっしょなので、調律する時間というものが限られちゃうんですね。どこのホールもだいたい演奏会でもなんでも6時半から7時。その前にやっていかないといけない。
もっとだと、午前中にやってもらって、午後のリハーサルやって、またっていうのはありますよね。だいたい時間は同じです。僕の家は練馬なので遠いですが、埼玉会館を除いて6つのホールは隣接してたんです。
ですから掛け持ちできるんです。あっち行ったりこっち行ったり。だから全盛期はもう大変です。
今はくたびれちゃいますから半分ですね。もう娘たちは片づいたし、かみさんと2人ですから。食っていかれりゃいいわけです。

佐々木  山田さんはお弟子さんを取っていらっしゃるんです      か?

山田   やってません。というのはね、歌舞伎だとかそういうお能の世界とか代々きますよね。そういうものじゃないんですよ。一代限りです。
大体みんな息子の継がせると、一代目よりどうしても劣るとか言われ、お父さん以上になって同等ぐらいにしかみられない。
それで同等ぐらいの技術になると、落ちたね、先代はすごかったね、って言われるわけですよ。
それと弟子はいませんが後輩はいますので、勤めていた会社の後輩ですね。その面倒はみます。そうすると手伝ってくれるわけですよ。この日手伝ってくれよと言えば手伝ってくれる。
自分の子供に男の子がいなかったのであれですけど、いたとしてもね、自由な道をやらせて、どうしてもお父さんの仕事がしたいと言えばこれまた別ですけれどね。

佐々木   主にホールを担当されていると言うことですが、今はどれくらい担当されているのでしょうか。

山田   20年くらい前までは、コンサートチューナーっていうもののシステムが、ホールごとに調律師が専任で受け持つっていうようなシステムだったんです。
どうしてかっていうとですね、だいたいいろいろなホール、放送局の各ホールにドイツのスタインウエイがほとんどはいっているわけです。
そうすると、そのスタインウエイの総代理店っていうのがありまして、そこがみんな販売するわけですね。NHKだとかまあいろいろありますけど。
そうするとじゃあ調律はどうするんだっていうことになって、スタインウエイの総代理店は松尾商会っていうんですけど、松尾商会ができたときに社員の中で調律師は1人もいなかったんです。だからピアノを売りっぱなしなわけですね。じゃあ後の管理はどうするかとってことになって、受け持ったのが2社の会社だったんです。
片っぽはNHK、かたっぽは桐朋学園という音楽学校ですね。そういうところがホール関係をいろいろ手がけている調律師、私の師匠なんかもそうですが、そこに委託して、全部を任せていた。するとね、結局どんどんホールができたでしょう。で、みんなピアノが入る。
そうするとやっぱり会社の社員で調律師が必要だなっていうのがわかってきたわけですよ。だけど一朝一夕にできるわけはない。相当高度な勉強をしなくちゃいけない。
それにもう勉強している人ってのは移りっこないですよね。でしょう。よっぽどこうね、移るメリットがないと。
それと稼ぎ頭ですから、移った場合でも受け持っていた会社からいろいろ、うちの優秀な技術者を引っ張っちゃって、っていうふうに言われたり。
そういうことで、じゃあとにかくこのホールはこの人専任っていうふうに、2つの大きな会社に全てを任せた。
そうすると、輸入元の社長っていうのは素人ですから、わかんないでしょう。こんなひどいのが来ちゃったとか言って請求されてもわからないですから。
それでもうこれはいけないと。それで僕が17年斉藤ピアノってところにいまして、そろそろ独立して自由にやりたいって言って、一応卒業させてもらったわけです。
で、斉藤ピアノそのものも、もう手が回らなくてですね、ホールが増えてきちゃって。頼む頼むって。それで、そういうことじゃやっぱり僕のほうも販売した会社で技術者がいないっていうのはおかしいよ、ってことで、後輩なんかを紹介したんですね。
で何人かドイツの本社で1,2年くらい勉強させて、それで帰ってきて、その人達がやると。
こういうふうにして。そうすると、恨まれたりするわけですよ、今まで勤めていた会社から。
でも発展のためにはね、若い人が必要なんだからっていうことで。そうして何人も研修に行って、松尾楽器に技術者として雇われることになった。
そして、今度はシステムが変わりまして。ちょうど専任の子会社が続々と閉鎖になった。
そうするとお客さんはみんな新しいほうに行きますから、今度は一括してピアノ販売の代理店の方が技術者を抱えて、ハイヤーの配車係みたいに調律師に依頼するようになった。
例えば今日津田ホールで誰とかさんがあるからお前行きなさい。全部そういうシステムに変わったんですね。だから専任の調律師っていうのがほとんどいなくなった。
それで、まあ、後はピアノの質も変わったんですけども、昔はちゃんとホールとしてのピアノ管理、ピアノ倉庫っていうのがあって、湿度と温度をいつもきちっとして。
ドイツのピアノっていうのは湿度に弱いですから、そういう倉庫に入れて管理すると。それで、その調整方法とかいうのも、全て本社からマニュアルがきます。
今はここ(津田ホール)にしろピアノがあるところは非常に調子がいいですね。
そうすると、調律師はだれが行ってもほとんどもうそんなに苦労しない。
我々がやっているころは、そんなのないですから。雨の日なんかはもうほんとうに大変、湿気っちゃって。暖房冷房なんてないですから。
そういう苦労は今の調律師はしなくていい。その代わり、第一生命ホールとか閉鎖になった一部のホールは私以外の人ってのはやりません。専属ですから。そうすると、いわゆる自分の好きな音に仕上げていけるわけですね。
だから山田トーンっていうものをつくった、あそこのホールに行けば山田がいて、山田トーンが弾けるなっていう風に思わせるようにやったんですね。だからピアノが2台あれば、片っぽは少し派手気味にしてね、厚化粧したようなきらきらっとしたような、1つはしっとりと落ち着いたね。
それからシューベルト、シューマンには柔らかい感じで、仕上げる。で、その2台を出してもらって、好きなほうを選んでもらう。そういうふうなことでこっちも楽しんで工夫する。

nekotamaの後書き
山田さんの語り口そのままで写してあります。
落語の素養があるひとなら、落語調で読んでみてください。
この次からは長くなるので、私が適当に割愛してみようかと思います、重複する言葉とかを。
でも、多少冗長になってもこの語りのスタイルがみえた方が面白いかもですね。なるべく原稿に沿ってご紹介していくつもりです。














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