2014年1月2日木曜日

又スキーにいくのにゃ。

明日から又、スキーに行きます。
同じく志賀高原の石ノ湯。行きつけのホテルに泊まる。
理想のホテルを作ろうと集まったスタッフが一つの家族のようになって経営しているこの小さなホテルは、入っていくと「ただいま」と言いたくなるような雰囲気を持っている。
初めてここに泊まったときには、家族経営だと思っていた。
フロントを預かるお嫁さん、送迎と厨房を預かる息子さん夫婦、絵心で室内装飾を手がけるお姑さんはお客さんの人気の的、厨房でひっそりと働くお舅さん・・・だとばかり思っていたら、全員赤の他人だそうで驚いた。
それほど一つの目的に向かって一心同体で働いているのだ。
先日お姑さんだと思っていた女性が亡くなって、他の人達はすっかり経営意欲を失い、ホテルは閉鎖することになったと連絡が入った。長年毎年泊まっていたのでショックを受けた私たちは、他のホテルに泊まってみたが今ひとつ。
しばらくすると再開の連絡が。
心の拠り所が無くならないで本当に良かった。

学生時代、初めて行ったスキー場は蔵王だった。
行けば体育の単位が取れるというのと、友人から誘われたので道具一式を買った時は、竹のストック、皮のスキー靴。
当時は宅配便なんて無かったから夜行列車に長いスキーを持って乗ると、網棚にフックを引っかけてぶら下げた。
網棚にはずらりと沢山のスキーが揺れていたものだった。
硬い座席でほとんど眠れずに早朝到着すると、早速ゲレンデへ。
まだリフトが動いていなくてもせっせと歩いて上っては滑り、疲れることを知らなかった。
生れて初めて滑った次の日には、もう、大平コースから降りてきたのだから驚く。若かったなあ。
自慢じゃ無いが運動音痴の私は小学校のクラスでただ1人、跳び箱飛べない、逆上がり出来ない子供だった。
それがたった一つ、スキーだけは未だにやっているというのが不思議なことで、よほど性に合っているとみえる。
華麗というにはほど遠い滑りだけれど、柔軟性のある体なので向いているらしい。
スピード感が好きというのもある。
スキーの先生が1人ずつ滑らせた時、私は決まって「スピード狂」と言われる。
滑りはそこそこだけど、転ぶときは華麗にころぶ。
板は雪に突き刺さり、手袋、帽子は上の方にストックと共に取り残され、本人はケロッとして怪我も無い。
こんな時には「私は前世、猫だった」と実感する。















2 件のコメント:

  1. 若い! 年下だけど、負けました orz

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  2. うふふ、遊ぶことに関しては年齢関係ありませんよ。

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