佐々木 話は戻るのですが、高校卒業してこの世界に入られたということですが、どうして調律師になろうと思ったのですか。
山田
これはね笈田先生っていうのが出てきましたよね。
さっき話した音感のときに。
その笈田先生のお父さんという方が印刷やだったんです。
うちの親父がそこに勤めていた。
佐々木 あっ、そういうご関係だったんですか。
山田 そうです。それで笈田先生とうちの親父っていうのは年齢が近かったもんですから、片っぽは大きな印刷やの若旦那ですよね。
で、片っぽは番頭さん。
だからどうもこう、いろいろ2人でつるんで悪い遊びをしたんじゃないかっていう。
そのころカフェっていうんですけど、今のバーとかキャバレーとか、そういうのは昔はカフェっていったんですね。
そういうところに2人で行って酒飲んで遊んだり、やったんじゃないですか。
それで戦争が終ったくらいのときに、戦争の前かな、お前のところにいたのをよこせって。
で、こっちは戦争になっちゃって、ピアノは10年くらい全く触っていなかった。
で、もう間に合わないですよね。ピアニストになるのは。
だから印刷やを継ぐんだと思ってたら、笈田先生の方から「僕のかかりつけの調律師を紹介するからやってみないか、手に職をつけておいた方がいいから。せっかくね、訓練したんだし」
こういうことですね。
佐々木 山田さんのお父様も考えが広いですよね。絶対息子に印刷やっていうのがその時代にはあったのではないかと。
山田 だからまあ、こっちも学校卒業したときには印刷やを継ぐつもりでいたんですよ。
印刷屋のせがれに大学なんて行く必要はないってこういう風に親父が言うもんで、ああ、そうかなって。
寄席いったりね、高校3年の時はもう遊び暮らしたんですよ。
それで、いざ卒業して印刷やのちょっと手伝いをし始めたときに、その話。
親父がね、じゃあ下に妹が小さいのが2人いるからね、それで養子でもとりゃいいよって。
こっちは印刷のこと知りませんからね。
かえって印刷の職人と一緒にして継がせりゃいいよ、なんとでも思ったんじゃないですかね。
佐々木 ご縁ですね。
山田 だからおもしろい人生でしたよ。まあ、話すと長くなるんだけれども。
いろいろおもしろいことがありますからね。
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