2010年5月17日月曜日

思い上がり

前の投稿「夢見る元少女」を読み返したら、なんと思い上がりもいいとこ、芸術家だけが幸せみたいになっている。半睡状態で書いたとは言え、いくらなんでもちょっとね。色々な人が居て良いと思うのが芸術の原点なのに。たとえばお金が好きな人が、お金を集めるのだって一種の幸せ。まさに、金の無いやつのひがみ、負け犬の遠吠え。毎日反省ばかりしている。その割には又同じことを繰り返し、進歩がみられない。それは、少しも応えない大雑把な性格だから。ヴァイオリン弾きになるための、決定的な資質が欠けている。それで何故今まで仕事が出来たかというと、出ない釘は打たれないから。突出していない、競争心が少ない、そこそこ真面目である、等、トップにはなれないが、なんとなく周りが存在を許してしまう。一緒に居て気が楽なんでしょう。時々年の功で表に出ると、たいがい失言を繰り返し、周りを怒らせてしまう。でも、本人は悪気で言ったわけではないので、逆切れしてトラブッたりする。まったく、どうしようもない子供大人(こどな)。由来とするところは、大家族で育ったせいではないかと思う。今、問題児と言われる子供たち、核家族が槍玉に上がっている。以前心理学のゼミで、教授がなんでも核家族でくくるので、猛反発をしたことがあった。「大家族にだって、問題はあります」と食い下がって嫌がられた。特に、末っ子はそれだけで病気と言われる。自分でもそう思うことが多いので、それは確かでしょう。大人ばかり相手にしているから、知識も他人の顔色を窺うのも、長けてくる。手厚く庇護されるから、すっかりヤワになっているのに、生意気だし、一人っ子、あるいは長男、長女のように独立心は強くない。人の面倒はみたくない。人から面倒みられたい。でも、束縛はいや。手がつけられません。もしかしたら、私は不幸なの?と、散歩の時考えた。どっちでもいいや。食べ物が美味しいうちは。大雑把な性格は救世主でもあります。

3 件のコメント:

  1. あらら、らしくない
    でも最後の方でネコが顔を出してます

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  2. 人の心の中にはいろいろな気持ちがあっていい、正反対に思うこともあっていい、でも、それらがあまりに離れていると人としてのバランスが悪くなる、それぞれの気持ちに疎通生があると幅が広い人になれるのだとずっと昔心理学の時間に聞きました。
     もちろん私というバイヤスがかかった理解ですけれど。
    それ以来いろいろな気持ちがあるのは悪いことじゃないって思えるようになりました。
     おいしい食べ物があれば幸せっていうのは常に変わりませんけど・・食べることは基本ですもの!

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  3. 私だって時々反省するのです。長続きしないだけ。幅広い人というのはある意味当たっています。特にお腹周りは。こうしてふざけて、又人を怒らせます。反省反省うふふ。

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