2011年3月31日木曜日
2011年3月30日水曜日
2011年3月27日日曜日
バンクーバー到着。
40年ぶりに降り立った空港はオリンピック用に近代的になっていたものの、周辺もダウンタウンもさして変化した様子は見られない。どこもそうだけど、にょきにょきとビルが上に伸びた以外、地味な落ち着いた街は、殆ど昔のまま。時差のお陰で飛行機の中で、日本時間の午前1時半頃たたき起こされて朝食。街の写真を撮ろうとデジカメを取り出すと、なんと行き届いた事でしょうか、電池切れ。替えの電池も忘れていたので写真はいいものは撮れないようです。少し雨模様ですが雪はたっぷりあるらしいので、明日からのスキーは期待できそうです。飛行機に乗る前にドタバタがあったのは、帰ってからご報告します。
2011年3月26日土曜日
2011年3月25日金曜日
日本の地震地図
3月11日から今日までの地震の回数は758回だそうです。それを発生時間を追って地図上で示したものがあります。
http://www.japanquakemap.com/?lang=jp
今朝教えていただいて開いてみました。その凄まじさに絶句しました。これでは華奢な日本列島はひとたまりもありません。今まで東電にものすごく悪い感情を持っていましたが、少しだけ同情してしまうほどです。
http://www.japanquakemap.com/?lang=jp
今朝教えていただいて開いてみました。その凄まじさに絶句しました。これでは華奢な日本列島はひとたまりもありません。今まで東電にものすごく悪い感情を持っていましたが、少しだけ同情してしまうほどです。
2011年3月24日木曜日
非国民
こんな時カナダにスキーになどと言ったら、石ぶつけられそうな気がする。でも、夏から予約してあって、もし私がキャンセルするとこのツアー自体が成り立たなくなることもあるので、言い出せない。本当に気が重い。まだ地震が収まっていないしうえに家の修理のこともあるし、もし不在の間大きな地震がきたら、と思うとゾッとする。楽器は?猫は?どうするのか。被災地で震えながら過ごしている人たちに申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当なら今日文化会館のステージで震えて居るのは私だったはず。流れてしまったにも関わらず、本番の日のように緊張におそわれる。そして今夜は美味しいビール(出来によってはやけ酒)を飲んで、明後日からカナダに行くの・・などとご機嫌ではしゃいでいたことでしょう。荷物を送るのをためらっていたけれど、昨日送ってしまった。そして、さて、どうやって成田空港に行くのだろう。成田エクスプレスは運行中止、すぐ隣の駅の武蔵小杉から1時間ほどで行けるので、楽チンだと思っていたのに。渋谷からのバスも考えた。かなり時間がかかる。結局自分で運転していくのが一番早道。このガソリン事情の時に、遊びに行くのにガソリン使ってすみません。遊ぶお金を寄付したら・・久米宏さんが2億円寄付なさったそうで・・私は微々たる寄付しかしていない。わーっ、こんな時に行くことになるなんて、夢にも思わなかった。石でもなんでもぶつけてください。
買いだめ
水や食料の買いだめを差し控えるようにというコメントを聞くけれど、私は日頃から備蓄出来るものは買いだめするようにお勧めしたい。たとえば、水、うちに今2リットルボトルが24本、これは災害時でなく日頃から買い置きしておいたもので、6本入り4箱を積み重ねプリンター置き台にしている。1年過ぎると使って新しいものと入れ替える。期限過ぎてもトイレなどに使える。今回も水に関しては心配ない。2ヶ月もすれば又店頭に山積みされるに違いない。卓上ガスコンロも暖かくなると安くなる物を買い置きしてある。おかげで停電中も温かい物が食べられた。トイレットペーパーも2ヶ月位持ちこたえられる。携帯電話も予備が一台。時々充電しておく。携帯電話の充電器も2台。時々充電しておく。電池なども20本位束ねて安売りしているのを買って置く。それで懐中電灯も無事作動。災害用ラジオの付いた手動で蓄電できるライトが一台。ついでに携帯に充電できるらしい。懐中電灯が4本。お米は常にひと月分余裕。今回むしろ買いだめに右往左往する人が多いのに驚かされた。どこのお宅にも少しの備蓄品を置くスペースはあるとおもう。一個買うときに来月分としてもう一個買っておけば、常に1ヶ月は安心できる。誤算は缶詰。賞味期限切れになったので最近全部食べてしまった。まだ買わなくても大丈夫と思ったのに、この地震。食べるそばから補てんしないと在庫ゼロになる。いまどき缶詰でもないかと思われるけれど、やはり本当に調理の術が無い時は助かると思う。ただ、今回の破壊的大地震や津波があれば、全部無駄になるが、なるべく備蓄していざと言う時、パニックにならないようにしたい。
2011年3月23日水曜日
救援物資は第二の災害
昨日のnekotama救援物資のことを投稿したら、さっそく鋭いご指摘があった。個人で救援物資を送るのはいかがなものか、と。こちらを見てくださいと、ウィキペディアのURLが添えられていた。そこには「救援物資は被災地を襲う第二の災害」とあった。まず送るものは新品または新古品のみ、タグがついているものでないといけない。必要でない物を贈られても困ること。そのために倉庫に保管され、その費用と、必要でないため処分する費用が膨大になること、被災地の混乱を招くだけであること、なにが必要かを問い合わせる電話すら情報のさまたげになること等々。頭でわかっていても、なんだか居たたまれずにやってしまおうとしていました。浅はかでした。古着ショップにもっていってお金にするか、自分で着るか、どちらかにしよう。死ぬまで着られるくらいの量の衣類があるから、もう服を買うのはやめよう。80歳過ぎて着られるデザインでなくても、すでに頭のおかしい人という風評はたっているから、なに着ても大丈夫。そのうち髪が真っ白になったら、きれいな赤やピンクが似合うようになるでしょう。救援はともかく、家の外壁を直さないといけない。昨日見積書が届いて、思ったほど高くはないのでホッとした。そういえば、私も軽微ながら被災者なんだ。
彼岸が過ぎたのに
暑さ寒さも彼岸までというのに、今日は又真冬並みの寒さ。東北の地震の被災者はさぞ、ご苦労しておられることだろう。結局私に出来ることはわずかな募金をすることくらい。無力を感じる。援助物資は荷造りが苦手で、中々はかどらない。一応洗濯もアイロンかけもしたけれど、整理が下手でどう見てもくちゃくちゃ。そんなに悪いものではないのに、ゴミみたいに見える。ちゃんとたためればもっと綺麗に見えるのに、見ているうちに惨めになってきた。なんでこう不器用なのかしら。母はとてもきれい好きで整頓が上手かった。私は父親ソックリで悪筆、不器用。母は何もかも、一目でどこにあるかわかるように整頓していた。私はなにもかもスグに散歩に行ってしまうという、不思議な家でくらしている。高校生に言われたことがある。「この部屋の楽譜は夜中に歩くんですね。先週も、先々週も楽譜探してましたよね。ハハハ」 やかましいっ!うちの楽譜は活きがいいのだ。そのくせほしいと思うとすぐに楽譜を買ってしまう。支援物資もどんどんあれもこれもとなり、かなりの量になった。これは都道府県の窓口というから、神奈川県庁にとどけるのかな。テレビを見ると援助物資が次々と届けられていて、だんだん気持ちが萎えてくる。こんな物もらって嬉しいかな。それよりリサイクルショップで売って、現金にしたほうがいいのかな。とどけても皆さんの手に渡るのはひと月、ふた月後、その頃には暖かくなって、セーターやコート、スノーブーツも季節外れ。それなら新しい下着などのほうかいいのか、迷っているうちに機を逸することが多い。優柔不断で不器用とくるから、生活者としても音楽家としても(身長も)大きく成長出来なかったのもうなずける。
2011年3月21日月曜日
デュオ
雨の中ヴィオラを抱えた美女が我が家を訪れて、それから4時間弱、二重奏を楽しんだ。モーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための曲が2曲、コンチェルタンテシンフォニー、そしてあまり良く知られていない作曲家の小品が数曲。弾いても弾いても飽きない。子どもの時からソリスティックな曲を弾くより、音を重ねて響きを作る事が好きだった。一緒にヴァイオリンをやっていた兄にせがんで、よく二重奏の曲を弾いてもらっていた。その後兄は電子工学の道に進んでしまって、兄より下手だった私が音楽で生活するとは夢にも思わなかった。今でも弦楽四重奏や弦のアンサンブルのように、透明な響きを創り上げることに喜びをみいだしている。音を重ねても響きがうまく作れるとは限らない。音程はもとより、音色、バランスの良さなどが一致して初めて共鳴する。共鳴すると、一人では到底出せない響きが広がりをもって出てくる。それは至福の時。たとえ知らない同士でも、上手く鳴らし合う事ができるので、音楽は全世界共通語になり得る。久し振りに響きを作る喜びに浸ったけれど、練習嫌いな私のこと、パート練習が行き届かず、ちょっと迷惑かけたかな。この次は練習しておきますと約束をして、あとで閻魔様に舌を抜かれそうです。舌は何枚も持ち合わせているので、一枚位抜かれてもどうってことないし、次の分がすぐに生えてくるさ
2011年3月20日日曜日
日本の救世主になってください。
決死の覚悟で、放射能漏れをしている原発の事故処理をしていた消防士のインタヴュー。出かける前に奥さんに「これから行ってくる」と送ったメール。奥さんからの返事が「日本の・・・」私はテレビ画面に向かって思わず頭を下げた。いずれも中年の仕事ざかりの男達。精悍な顔とキリっとした姿勢に、日本男児ここにありの気概をを見出した。奥さんも万一の時の覚悟をしたに違いない。仕事への誇りにみちた、久々に見た男らしい人たち。危機を迎えたとき、いつもテレビで見るヘラヘラした男達の顔が、どれほど薄っぺらに感じることか。疲れと緊張から目の下にクマをつくり、普段ならちょっと頑固で気の利かないおじさんなどと思われているかも知れない。お父さんはウザイからあっちへ行って、なんて娘から言われているかも知れない。今は後光がさして見える。奥さんや娘さんの誇りになっていることだろう。最近自衛隊を殺人集団と呼んだ大臣は今、どんな思いでいるのか。災害といえば最前線に立って危険に飛び込んでゆく人たち。阿鼻叫喚の中で、想像を絶する難しい任務をこなしている人たちに、頭が下がります。今日は渋谷の駅も閑散としていて、照明の落とされた構内は話し声も少ない。いつもこうではいけないのかしら。照明なんてこのくらいで充分。過剰な冷暖房も無くていい。アナウンスも必要最小限にしてほしい。余計なものが無くなると、こんなにもすっきりするのだ。
2011年3月19日土曜日
揺れる日々
東北大地震から一週間、未だに余震か新しい地震かわからないけれど、揺れる。その上なんとなく関東に近づいてきているような・・・うちの壊れた所は6日ほどまえに工務店の人が見に来てくれたけど、それっきり。大きい地震がきてタイルがおちるかもしれない。それが心配。電力消費量を抑えるための節電で商店街も少し暗い。でも、それが意外にも良い雰囲気を醸し出している。通行人の数もいくらか減っているようで、静かな落ち着きのある街になっている。そもそもうちの方の商店街は東横線沿線の中でも一際賑やかで、夕方などは歩くのも大変な位人の波でうまっていた。それが今は暗くなる前に家に帰ろうと、皆足早に散ってゆく。午後早いうちから、パン屋さんは人で溢れ、焼きあげるそばから売れてしまうので、パンはアッという間になくなってしまう。夕方になると停電で暗くなった隣近所は物音もしない。窓際の残照を頼りに楽譜を見て練習をしているが、それも見えにくくなると、練習はおしまい。あとはひたすら電気が通じるまで薄暗い部屋でラジオを聞いている。ところが猫たちはこれがえらくお気に入りで、いつもより元気に部屋を駆け巡る。狭い部屋に4匹もいるので、猫の間に人間が肩身狭そうにお邪魔している感じ。ねえねえ、遊ぼうよ。玉三郎が誘ってくる。かあちゃん、だっこして。ナツメが甘ったれてくる。髪の毛、毛づくろいしましょうね。モヤは面倒見が良い。私は猫じゃないから、毛づくろいは痛くてごめん。コチャはのそりと膝に乗ってくる。時々揺れるのも猫にはどうってことないようだ。
2011年3月18日金曜日
ブランクは春
東北地震の影響がジワリと出はじめている。コンサートは流れ仕事もキャンセルが続く。フリーミュージシャン達はまたも大きな試練に直面している。このような事は何回もあった。私も長い間には収入が殆ど無くなった年もあった。昭和天皇の御崩御の年は特に冷え込んで、仕事の電話がかかってこない。友人から電話があると「あら、やっぱり壊れていないのね。通じたわ。さっぱり電話が鳴らないから壊れてるのかとおもったのよ」なんて。そんな年、仕事が入らないのを嘆くと、大先輩の元東京交響楽団のコンサートマスター、鳩山寛氏から言われたことが印象にのこっている。「君ねえ、そんな時は勉強するんだよ」ありがたい事に、一緒に勉強してくれる友人が何人もいる。生来の怠け者だから下手すると一日中ボンヤリしている。ピアノの友人はベートーヴェンのソナタを合わせようといってくれるし、ヴィオリストからデュオをやりませんかと、温かいお誘い。モーツァルトのヴァイオリンとヴィオラだけの素敵な2重奏。弦楽四重奏のあ誘いもあったし。どんな時でもヴァイオリンは素敵な時間と友人たちを連れてきてくれる。それにパソコンとパソ友があれば私の貧乏生活は春。時々強風が吹いたりするけど。
2011年3月17日木曜日
寒い朝
今朝5時頃目が覚めた。いつもならぬくぬくと猫と布団に包まって幸せな気分で2度寝するのに、今日はもう寝ていられない。寒さがぶり返し真冬並になった。災害地で凍えて居る人達が居ることを考えるといたたまれない。こんな時に事故を起こして大変な人力を浪費させている東電に、またしても怒りを覚える。おごりがなければ防げた事故。ちゃんと仕事をしていればこうしたことにはならなかったのに。私がガタガタ言っても九牛の一毛、ごまめの歯ぎしり。石原東京都知事が言った「天罰」はそうした意味だと思うけど、この時期にはあまりにも不適切。天罰を受けたのが真面目に地味に生きてきた人たちなら、神も仏もない。遠くにいて何も出来ないで心配ばかりしていても、仕方がないのはわかっているけれど。幸い原町の親戚は無事で、昨日やっと電話がつながった。大きなお蔵が倒壊したそうだ。でも自宅は無事でよかった。まあ、良かったと言っていられるかどうか今後の心配は放射能しだいだけれど。今日の昼間のレッスンは全部とりやめにした。埼玉方面からの人や小学生、妊婦さんもいるので、全部おやすみ。古典音楽協会のリハーサルが夜に予定されていたのもおやすみ。いつも聴いてくださるお客様たちに中止の連絡で忙しい。秋のコンサートをよろしくお願いします。
2011年3月16日水曜日
古典音楽協会の定期公演は中止
3月24日に予定されていた定期公演で久々にソロを弾く予定でした。でも、この度の東北大地震の余震がまだ続くのと、交通事情の悪さ、お客様の安全のため、やむなく中止となった。被災地には冷たい雪が降っているらしい。どんなにつらいことか、考えると私たちはなんでも我慢しなくては、と思います。当日ご存知なくてお見えになる方もいらっしゃるかと思いますので、このブログを読んだ方はお知り合いなどにお声を掛けてくださいませ。いつも聴いてくださって今回も予定に入れていただいていた方にはお詫びすると共に、今後とも古典音楽協会をよろしくお願い申しあげます。ホームページにはこちらからアクセスできます。
http://www.koten.co.uk/
http://www.koten.co.uk/
原発の恐怖
昨夜送っていただいた情報によると、2007年福島原発の耐震安全性の総点検を求める申し入れが出されていたにも拘わらず、東電はそれを無視、結果今回の事故につながったといえる。東電柏崎刈羽原発の中越沖地震の際の事故は、放射能が海水に流れでて、放射性物質が3日間も排気筒から排出されたという。1995年阪神淡路大地震の際に地震計は、日本最大の耐震性を誇る柏崎刈羽原発の設計値の3.6倍の値を観測した。東電は柏崎原発設置許可申請時に海底調査を行い、中越地震を起こした断層が海底にあることを掴んでいた。福島原発はチリ級津波では機器冷却海水の取水が出来なくなることがすでにあきらかになっていたそうで、その対策の求めに対し東電はこれを拒否したという。
いつも思うのはあまりにも仕事をきちんとしない、利得権の上にどっかりと乗っかっているエライ(と、世間的には言う)人達の姿。実は東電の社員ではなく、派遣社員が管理、点検、事故処理などを行っていたという。危険なことは外部の人任せ、いくら頭を下げても下げる頭がもうないでしょう。原発に想定外という言葉は絶対無いと思わなくては。原発が悪いわけではない。原発を作り管理する人に本気で仕事をしてもらいたい。それだけ。今回の事故ほど腹のたつことはない。命からがらの人たちに放射能まで浴びせるのか、怒りが収まらない。
いつも思うのはあまりにも仕事をきちんとしない、利得権の上にどっかりと乗っかっているエライ(と、世間的には言う)人達の姿。実は東電の社員ではなく、派遣社員が管理、点検、事故処理などを行っていたという。危険なことは外部の人任せ、いくら頭を下げても下げる頭がもうないでしょう。原発に想定外という言葉は絶対無いと思わなくては。原発が悪いわけではない。原発を作り管理する人に本気で仕事をしてもらいたい。それだけ。今回の事故ほど腹のたつことはない。命からがらの人たちに放射能まで浴びせるのか、怒りが収まらない。
2011年3月15日火曜日
救援物資は迷惑?
早速のご指摘があって、物を送るのは現地の人たちに余計な手間を取らせて、逆に迷惑になるようです。現金が一番、其の次は情報でのケア、例えば行方のわからない人をネットで探すことが出来るようなお手伝い、サバイバルに関する情報等々。物を送るのはやめました。よかれと思っても迷惑になることもあるのだと実感しました。しかも自分の浪費癖に呆れているところです。かなりの量の救援物資を送るつもりでいたのに、まだまだいっぱい着るものが残っている。しかも滅多に袖を通さないものがいっぱいある。毎日何を着るかというと、チノパンにセーター、いつも同じ物。それなのにクローゼットは満杯。靴もスニーカーかブーツ。いつも同じ物。それなのに靴箱は入りきらない。せっかく出したものだから、リサイクルショップにでも持って行ってみようかしら。本当なら被災地に送りたいのになあ。
インターネットが繋がらない。
今朝から何回も接続を試みるが失敗。以前ならもう真っ青でSOSサインを出すところだったが、最近ようやく慌てなくなってきた。コンセントを抜いたり挿したりいろいろやってみる。昼過ぎてもダメ、今ようやくつながった。もしかしたら、地震の情報を集める人が殺到して、つながらないのなら、不要不急の者は遠慮しないといけないと思っていた。今朝の投稿はそんなわけで、GALAXYの助けを借りた。テレビで見ると救援物資は続々と届いていて、もう現地の人達が暖かくしているみたい。私のように遅い対応ではなく、地震発生と同時に送ったのだろうか。むだになるかも知れないが、送ってみよう。あまり一般的な常識が無くて今まで過ごしてきたけれど、仕事を離れてみるといかに異次元の世界に生きてきたかよくわかる。かなりの年齢まで親兄弟に守られ、今ようやく自分でなにかはじめなくてはと思っているところ。とてもありがたい事に、なにかと力を貸してくださる人がいる。今日本は世界の人達から守られようとしている。何十カ国もが支援をしてくれる。政治、経済の低迷で、世界的な評価は低くなっていても、困っているときに手を差し伸べてもらえるということが、日本に対する他の国々の好意の現れだと思う。マイナーになってもいいじゃない。礼節を忘れず清々しく生きていく日本で居るのが、一番。
今朝は洗濯
昨日から集めておいた衣類を取り敢えず洗濯する。皮革製品を除いて洗濯機を回した。入りきらないので明日もう一度洗濯機に働いてもらわねば。あいにくの曇り空で乾きが遅くなるが、仕方がない、あと、靴がかなり数あって、サイズが22.5センチと小さいけれど、お役に立てると思う。スキーの時に履いていくスノーブーツが2足、普通のブーツが1足、かかとの高いものが3足いつも気に入って買うのに、履くのは毎日同じものばかり。結局靴いれのなかで眠っているものばかり。起きて人様のお役に立っていらっしゃいと言って送り出すことにした。、そして、スニーカーが3足、これは少しはきふるしてあるけれど、まだ履けけそうなので、仲間に入れる。洗濯した衣類はどこへ持っていくのか、これからしらべないと。ブーツは踵が減っているので、直してからでないと失礼だし、下着類は新しくないと気持ち悪いと思うから、安売りのお店を探さないといけない、今一番ほしいのは下着だと思う。どうやって送るのか調べようとしているのに、パソコンがうまく接続できない。この投稿はgalaxy で作成しています。非常事態なので、一番欲しいのは情報。なるべく急がない事はあとにしないといけないが、現地で不自由している人がいると思うと急いで送ってあげたい。それにしても日本人の忍耐強さ、穏やかで礼節を知る人達に感心する。想像を絶する体験をしたにも関わらず、他人を思いやりきちんと順を守り、冷静に行動する人達を見ると改めて日本人を誇りに思う。
2011年3月14日月曜日
一体なにが出来るのか
連日地震の被災地の映像が流れ、言葉を失うほどの悲惨な状況に涙している。しかし、温かい部屋のテレビの前で涙を流していても何の役にも立たない。私に何が出来るだろうか。考えてみた。今真冬並みの寒さにさらされている人たちに温かい衣類を送ること。クローゼットを開けてみると、形や色が奇抜なろくでもない衣類がぶら下がっている。これも変あれも変。変でもいいものならいいが、安物ばかり。ため息が出る。できるだけいいものを送ってあげたいのに、本当に妙なものばかり。如何に非常識な買い物ばかりしているかよくわかる。靴は?足が小さいのでサイズが合う人は少ないと思う。でも、何足かの雪道用の靴がある。スニーカーもまあまあ。靴フェチがよかったかも。お金が一番だから、いつも災害地にはできるだけ沢山募金をするようにはしている。本当なら現地でボランティア活動も考えられるが、若くない上に殆ど人の役にたつ知識も技術も持ち合わせがない。行ってもうろつくだけでじゃまになるばかり。あげくに自分が体こわして人のお世話になるのは目にみえている。家じゅう見渡してもなんの役にも立たないガラクタばかり。賢い人は必要最小限の物を揃える。頭の悪い私は必要でもない目についた変わったものが欲しくなる。欲しくなるとすぐ買う。お金が足りなくなるから、必要なものも安物しか買えない悪循環。これから物を買うときは、人に上げても喜ばれるものかどうか、考えてから買えばいい。いくつかの冬のコートを選んで、洗濯して、さてどこへおくるのか?赤十字?町会にお任せするのもいいかな。なんだかいたたまれない。ここでこうしているときにも助けを待っている人が居ることが頭から離れない。
慌ただしい
この数日、巨大地震のことで頭がいっぱいで、今日は確定申告の締切りなのになにもやっていない。毎日、今日は申告書作成しよう・・・でも、明日でいいか、まだ10日ある、、もう一日あると思っているうちに、ぎりぎりになってしまった。だいたいこんな訳の解らんことを、私みたいなボケた人にやらせないほうがいいと思う。このボケは子どもの時からで、先天性確定申告不理解症候群なのだから。確定申告に限らず、すべての事務的な仕事はだめ。住所欄に名前を入れる、いつも清書した後に見直すと、かならず計算違いが見つかる。去年は源泉徴収証書を失くして、えらく叱られた。今朝剥がれた外壁タイルの様子を見に工務店の社長がやってきた。そして、建物が15年経っているから、防水も屋根の点検も、この際したほうが良いと言う。地震で剥がれた部分は保険がきく。その他の防水は自分で支払わなくてはいけない。それでも工事が何回にも分けられるのは煩雑だから、思い切ってやってしまうことにする。社長が帰ってから、お向かいのマンションのオーナーに聞くと、100万円やそこいらじゃきかないですよ、と恐ろしいことを言われた。頭がクラクラする。今朝は北里病院でお顔の手入れをしてもらう予定をキャンセルして、猛ダッシュで確定申告書を作成、郵送、その足でスーパーに行くと、棚という棚から物が消え、大勢の客がレジに並んでいた。今日このあたりは14時50分から計画停電の予定。帰ると合奏団のメンバーから電話が来た。今夜は古典音楽協会の練習が東京文化会館のリハーサル室である予定だった。それが、一部電車が不通のため中止となった知らせだった。そのために大騒ぎでいろいろ片付けていたのが気が抜けてしまって、今ぼんやりとパソコンに向かっている。願わくばコンサートの中止などになりませんように。
2011年3月13日日曜日
地震の影響
トッパンホールという素敵なホールがある。アマチュアの「アンサンブル法友」の演奏会があるはずだった。「アンサンブル法友」は文字通り、法律家が楽器を持って集まる会。土曜日昼過ぎ、車で出かけた。文京区水道橋にあるそのホールは音響が良く、気に入っている。わたしの音楽上の保護者的存在のチェリスト、塚原翠さんが設計の段階から係わっていて、長年可愛がっていただいた私に公開前に見せてくださった。ここでいつかリサイタルをやってね、と塚原さんに言われるが、私にはそんなだいそれたことをする力量はない。それでも私の力を買いかぶりすぎる彼女は、何かとコンサートに誘ってくださった。駐車場に入ると、まあ、一台も車がいない。嫌な予感。コンサートの前は会館の正面なども華やいでいるのに、その気配も無い。そしてロビーも人気が無く5,6人が固まって思案あり気に佇んでいる。正面のドアに中止の貼り紙。あら、中止なの。「あ、先生」中の一人が声を揚げた。今日ソロを弾くはずで熱心にレッスンを受けに来ていた女性弁護士。今日のプログラム、モーツァルトの「コンチェルタンテシンフォニー」のヴィオラソロを受け持っている。もう一人のヴァイオリンのソロを弾く予定だった弁護士が米沢から帰ってこられないそうで、他にもこの地震で帰京出来ないメンバーが数人いるらしい。日本のみならず世界の国で喪に服すような大惨事にコンサートをやっているわけにはいかないかもしれない。それでも長年温めてきた曲を弾けるチャンスを逃し、さぞ悔しい思いをしていることだろう。車に戻ると米沢に居る、ヴァイオリンを弾くはずだった方から電話が入った。「米沢はちょうどエアポケットみたいに被害が少なくて、今そこのホテルに缶詰です。いやー本当に残念です。」弁護士だから立板に水、声も大きい。この調子ならすぐに元気を取り戻して又チャンスを作ってくれるに違いない。家に帰ると駐車場に我が家と同じタイルの破片が落ちている。建物をグルッと回ってみると、ああ、どうしよう、外壁のタイルが2列剥がれ落ちている。3階建てなので上の方を修理するには、足場をくまなくてはいけない。せっかく地デジアンテナのことが解決したと思ったら、又この災難。今年は厄年か!いや、東北地方の人たちのことを思えば、これしきの事で文句は言えないでしょう。
2011年3月12日土曜日
地震
なんとなく頭がふらつくような違和感を覚えた。それが次第にはっきりと自覚されると、ああ、地震だと思ったけれど、まさかこんな大地震になるとは。ゆれが収まってまずしたのは、買い物。停電しているから暗くなる前に買い物を済ませようとスーパーに行くと、まさかのおやすみ。あれっ、定休日なんてあったかしら?それではと商店街へ。駅前商店街はそこここに人だかりができている。うかつにも電車が止まっているとは思わなかったので、帰宅難民とは気がつかない。商店はどこもシャッターをおろし休業状態。ああ、停電するとレジもつかえなくて商売ができないのか。はじめて地震の大きさを実感した。いままで震度5弱でも、こんなことはなかった。わずかに開いているお店でとりあえず今夜の食料を確保した。パン屋さんはお店の人もコートを着て逃げ支度。半額のたたき売りをしている。お客さんが沢山パンを買い込んでいる。暗くなってきたので家じゅうの懐中電灯とろうそくを点けて、災害用のラジオを聴いていた。すると、東北がすごいことになっているらしい。かなり大きな揺れだったので近くが震源地だと思ったら、東北だったとは。ここでこれほど揺れたのだから震源地はどれほど恐ろしいことだったか。今朝テレビで見ていたら涙がとまらない。一人でも多くの人達が助かってほしい。暗闇の中に次々とメールが届く。神戸で被災したことのある元教え子から真っ先に届いた。彼女もかつて恐ろしい思いをした一人だから、身につまされただろう。災害時の連絡方法を教えてくださる方もいる。そしてなんと中国の瀋陽からもお見舞いの電話があった。北京も搖れたらしい。瀋陽は大丈夫とのこと。皆さんありがとう。
2011年3月11日金曜日
地デジ騒動
うちは小さなアパートに三世帯が入っている。私がそのオーナーなのだけれど、テレビがデジタル放送に移行するについてはちょっとした騒動になった。まず不動産屋が新しい入居者を紹介してくれたときに、地デジ対策はどうしますか?と聞いてきた。まだなにも考えていなかったので、どうしましょうかと言うと、アンテナ設置業者を連れてきた。見積もりをしてもらうと、なんと49万円!
なぜそんなに高いのか。建物が3階建てで屋上が無い。それで上に登るのに足場をくまなくてはならないので、その費用を入れるとそのくらいになる。冗談ではない。テレビの電波を受けるだけで50万近い出費?冗談じゃない。それからキリキリ胃が痛みはじめた。私は必要なお金なら出費は惜しまないけれど、どう考えてもこれはひどすぎる。しかし3階にすんでいる店子さんたちの事を考えると、どうしても電波がうけられるようにしなくてはならないから、本当にだめならその費用は出さないといけない。次にアンテナ無しですむ光回線をと思ったが、それも費用がバカにならない上に、店子さんにも負担が大きい。すったもんだのあげくにとりやめ。そこで、いつものスーパーマン登場。試しにベランダで受信できるかやってみましょう。アンテナと部品合わせても1万円もかからないから、だめでも諦められるでしょう、ということで、Amazonからアンテナとケーブルなど取り寄せた。計8千円ちょっと。今朝7時、花粉症のスーパーマンが現れて試しに設置してみると、見事に電波をキャッチした。聞けば、デジタルの電波はアナログよりもあちらこちらに分散していて、拾いやすいのだそうだ。三階建てに囲まれてちょっと心配だった二階の住まいの方も、今綺麗にうつっている。建物全部の費用合わせても三万円弱。皆さん、もうしっかりと高い費用をかけてアンテナを設置なさったと思うけれど、そういう事は教えてくれないで、ただただ、7月にはテレビが見られなくなるぞと脅して、ひどいじゃないですか。衛星放送などを見たければ費用を掛けてもいいけれど、あいにくパソコンのほうが面白くなってきているので、テレビにお金をかける気にはならない。それにしてもベスト電器から見積に来てもらったら、「コレはつけられませんね」とにべもなく断られ、それではどうしたら良いの?と聞いても他の方法を教えてくれない。テレビはそこで買ったのに、売りつけるだけ?今は皆、地デジ対策で仕方なく頼むけれど、この騒ぎが終わったら二度とあんな店で買うもんかと思うに違いない。こんな時に親切にしておくものですよ、家電販売店さんたち。
なぜそんなに高いのか。建物が3階建てで屋上が無い。それで上に登るのに足場をくまなくてはならないので、その費用を入れるとそのくらいになる。冗談ではない。テレビの電波を受けるだけで50万近い出費?冗談じゃない。それからキリキリ胃が痛みはじめた。私は必要なお金なら出費は惜しまないけれど、どう考えてもこれはひどすぎる。しかし3階にすんでいる店子さんたちの事を考えると、どうしても電波がうけられるようにしなくてはならないから、本当にだめならその費用は出さないといけない。次にアンテナ無しですむ光回線をと思ったが、それも費用がバカにならない上に、店子さんにも負担が大きい。すったもんだのあげくにとりやめ。そこで、いつものスーパーマン登場。試しにベランダで受信できるかやってみましょう。アンテナと部品合わせても1万円もかからないから、だめでも諦められるでしょう、ということで、Amazonからアンテナとケーブルなど取り寄せた。計8千円ちょっと。今朝7時、花粉症のスーパーマンが現れて試しに設置してみると、見事に電波をキャッチした。聞けば、デジタルの電波はアナログよりもあちらこちらに分散していて、拾いやすいのだそうだ。三階建てに囲まれてちょっと心配だった二階の住まいの方も、今綺麗にうつっている。建物全部の費用合わせても三万円弱。皆さん、もうしっかりと高い費用をかけてアンテナを設置なさったと思うけれど、そういう事は教えてくれないで、ただただ、7月にはテレビが見られなくなるぞと脅して、ひどいじゃないですか。衛星放送などを見たければ費用を掛けてもいいけれど、あいにくパソコンのほうが面白くなってきているので、テレビにお金をかける気にはならない。それにしてもベスト電器から見積に来てもらったら、「コレはつけられませんね」とにべもなく断られ、それではどうしたら良いの?と聞いても他の方法を教えてくれない。テレビはそこで買ったのに、売りつけるだけ?今は皆、地デジ対策で仕方なく頼むけれど、この騒ぎが終わったら二度とあんな店で買うもんかと思うに違いない。こんな時に親切にしておくものですよ、家電販売店さんたち。
2011年3月9日水曜日
歌う道路
愛車 ヴォルフガング・アマデウス・シルフィーの定期点検整備の日。出来上がるまで待合室で漫画を読んでいると、日産マンが話しをしに来てくれる。彼は元カーレーサーで、ライダーでもある。最近又バイクをはじめましてね・・モトクロスですが・・砂利道などは雪道と一緒でよくすべります・・などとしばらく楽しくおしゃべりをする。ところで、いつだったか、高速の出口付近を走っていると道路の凹凸のせいか、まるでメロディーのように聞こえたことがあるんです・・と私。すると、そうなんです、日本全国に何箇所かあるんです・・と彼。ああ、なんだ、偶然かと思っていたら、意図してそうなっているんだ。凹凸ではなく道路を作る素材を変えてあるらしい。富士山の5合目付近の道路には一定速度で走ると、♫ ふーじはにっぽんいちのーやま ♫ と聴こえる箇所があるそうだと聞いて、そのうち行ってみようと、野次馬根性が頭をもたげてきた。なんのために?と聞いたら、ま、速度制限のためでしょうね、ということだった。ハハハ、面白い。誰がそんなことを考えついたのかしら。以前見た電気自動車の動画、音がしないので危険防止のためにわざわざ音を出すように出来ているが、その音がひどく不愉快だと感じた事があった。あれは目の不自由な人に色々な音を聞かせて、どれが一番危険と感じるかアンケートをとって決めたそうだ。それで、嫌な音だったんだ。納得。音に関しては自動車製作者たちはものすごく研究しているらしい。電気自動車の場合、エンジン音が無くなると、風切り音、タイヤの擦過音などがとても気になってくるので、その対策がずいぶん研究されているらしい。・・・などと話し込んでいると、整備が済んで、さようなら。半年に一度、車の知識が増えるけれど、増えた分他の知識が出ていくので、わたしの脳みその引き出しはいつもがらがらです。
2011年3月8日火曜日
仲間たち
今日は古典音楽協会のヴァイオリンのメンバーが家にやってきた。定期演奏会と池本純子さんのコンサート、、そして千葉県旭市でのコンサートのヴァイオリン分奏。目前に迫った定期演奏会の分はまだしも、それ以後のものは覚えていられるかどうか。今しがたのこともすぐに忘れてしまう最近の私の脳みそは、きっとスカスカにスが入っているに違いない。私がこの合奏団のメンバーになった時には、コンサートマスターの角道さんなどは遡ること30年くらいは弾いておられたわけだから、もう、皆充分歳をかさねている。終演後にお客さんから、もっと皆さん若いかと思ったと言われたそうな。でも、ステージの姿が若く見えるならそれは嬉しい。日本ではこんなに長く続いている合奏団はほかには無い。出発点があの「イ・ムジチ」よりも古いそうだからなんと半世紀。私は参加したのが他の人達よりもおそかったけれど、行ったその日から旧知の間柄のように迎えてもらえて、なにごとも長続きしないはずが早、20年を越えている。ほとんどメンバーが交代しないのも大変珍しい。だいたい、弦楽器奏者などは奇人変人、ワガママなものなのに、常識ある人が集まってしまったのが不思議。唯一この私が少し・・・少しですぞ、変わり者でチベットなどへすっ飛んでいってしまう。さて今月24日(木)19時開演、東京文化会館小ホールで定期演奏会が開かれます。詳しくはこちらのホームページでどうぞ御覧ください。
http://www.koten.co.uk/
http://www.koten.co.uk/
2011年3月7日月曜日
日本はハヤブサが元気
宇宙探索機のハヤブサも素晴らしい成果をあげたけれど、新幹線のハヤブサも大人気。先日の月例弾く会に行ったとき、この次の高校の同窓会は、ハヤブサで青森に行くの、と言われた。だいたい同窓会は殆ど行ったことがない。仲の良い同級生達とは会う機会が多くて、別にわざわざ行くことも無いくらい。人の顔を覚えられなくて、アチラが懐かしげに寄ってきても、こちらがわからないと恨まれるし、殆ど恐怖の世界。でも、ハヤブサでなら行きたい。あの15メートルもあるノーズがカモノハシみたいで素敵。あの長さには理由があって、運転手の視界の確保、空気抵抗に対する対策、トンネルから出たときの騒音や振動などをなくすためだそうで、なんと雪かき機能も付いているという。日本の技術の粋を集めた素晴らしい乗り物で、特にグランクラスはぜひ乗ってみたい。海外に行くのもしんどくなってきたから(嘘だけど、そういう歳だということ)今度は国内で・・・考えてみると国内もほぼ全域渡り歩いていて、行っていない所は半島の突端とかそんなところだけ。よくもまあ飛び歩いたものよ。私の半生は旅の空。沖縄も全島駆け巡ったし、北海道もくまなく訪ねている。今日は雪。静かに雪景色を見て温かい室内に居るのも結構。外に出てスキーをするのも楽しい。滑った後の温泉がいい。壊れたガス給湯器が交換され、きょうから温泉や銭湯に行かなくてすむようになった。ホッとしたけれど、少し残念。夜、石鹸とタオルを持って「おお、さぶ」などと言いながら自転車こぐのも中々よかったけど。
2011年3月4日金曜日
月例弾く会
毎月第1金曜日11時。3人のピアニストの家のどこかで自分が弾きたい曲を持ち寄ってのホームコンサート。先月は雪のために流れてしまった。今月は府中で開催。ただしお客さんは自分たちだけ。今日はショパンのエチュード3曲、バッハのトッカータとフーガ2曲、私はシューベルトのソナチネと今度古典音楽協会でソロを弾く、ヴィヴァルディ作曲「恋人」又は「愛」とでも訳すか、アモローゾと言う曲を、チェンバロパートのみの伴奏で弾かせてもらった。ベートーヴェンやブラームスがないので、比較的スッキリとしたプログラムになった。バッハなどは恐ろしく難しいのだと思うが、さすがに名手が揃っていて、心地良くゆったりとした時が流れる。それにもまして楽しいのは、始まる前のおしゃべり。学生時代と面白い先生たちの思い出、過ぎ去ったロマンスの話しなど・・・種は尽きないけれど、さて弾くか、となると一様に真剣になる、そのギャップが面白い。お互いにあまり深く立ち入ったことは探らないけれど、長い付き合いの内に段々家庭の事情なども、話しの片鱗から分かり始める。あら、あの人があなたの元ご主人だったの?などと。ピアニスト3人は仲も良く長い付き合いだから、お互いの家庭なども行き来していると思うけれど、私は部外者だったから、中々事情が飲み込めなかったりして、そのギャップも又笑いの種となる。終わるとファミレスでお食事。みんなよく食べる。食欲旺盛、話し上手、世の中をまっとうに生きてきた人たちは、存在自体が芸術といえる。
2011年3月3日木曜日
温泉に行く
給湯器が壊れたので、お風呂にはいれない。初めは歩いて3分くらいのところにある銭湯に行っていたのだが、昨日はおやすみ。たぶん、銭湯の定休日はきまっていると思うから、近隣全部お休みに違いない。そこで車で10分くらいのところにある温泉に行ってみることにした。温泉「喜楽里」
以前からそこにあるのはわかっていたけれど、温泉にあまり興味のない私はこんな事でもない限り入ろうとも思わなかった。午後4時駐車場に入るとなんとまあ、車がぎっしり。水曜日のまだ夕方にもなっていないのに。玄関を入っていくと、入湯料と場内すべてで買い物から食事も出来るというチップを渡される。帰りに精算するしくみになっている。1階に食堂やマッサージ、岩盤浴などのリラクゼーションのスペース、2階がお風呂。中に入ると本当にビックリするくらい大勢入っている。どの湯船も沢山の人達。なんと露天風呂まである。少し中で温まってから思い切って露天風呂へ。うーう、風が冷たい。湯船に浸かると、風の冷たさがかえって心地良い。しばらく浸かっていたけれど、生来のせっかちで、のんびりしていられない。そそくさと出ると、もう用はないとばかり出てしまった。これでは温泉の意味がないけれど、銭湯の代わりだからしかたないでしょう。風呂上りといえばコーヒ牛乳。おさいふを取り出して自販機で買ってゴクゴクと飲む。極楽じゃよ。プハーッ。そこでやっと気がついた。さっき渡されたチップで買えることに。精算が済むと出口のゲートを通るための「退場券」を渡される。なるほど、よく考えたものだわ。これで入り逃げ、食い逃げなどが出来ない仕組みなんだ。これいいかも知れない。もう少し体がよわってきたら、此処へ来て一日のんびりして、ご飯も食べてマッサージしてもらって・・・でも今のところ飛び跳ねている方が面白い。
以前からそこにあるのはわかっていたけれど、温泉にあまり興味のない私はこんな事でもない限り入ろうとも思わなかった。午後4時駐車場に入るとなんとまあ、車がぎっしり。水曜日のまだ夕方にもなっていないのに。玄関を入っていくと、入湯料と場内すべてで買い物から食事も出来るというチップを渡される。帰りに精算するしくみになっている。1階に食堂やマッサージ、岩盤浴などのリラクゼーションのスペース、2階がお風呂。中に入ると本当にビックリするくらい大勢入っている。どの湯船も沢山の人達。なんと露天風呂まである。少し中で温まってから思い切って露天風呂へ。うーう、風が冷たい。湯船に浸かると、風の冷たさがかえって心地良い。しばらく浸かっていたけれど、生来のせっかちで、のんびりしていられない。そそくさと出ると、もう用はないとばかり出てしまった。これでは温泉の意味がないけれど、銭湯の代わりだからしかたないでしょう。風呂上りといえばコーヒ牛乳。おさいふを取り出して自販機で買ってゴクゴクと飲む。極楽じゃよ。プハーッ。そこでやっと気がついた。さっき渡されたチップで買えることに。精算が済むと出口のゲートを通るための「退場券」を渡される。なるほど、よく考えたものだわ。これで入り逃げ、食い逃げなどが出来ない仕組みなんだ。これいいかも知れない。もう少し体がよわってきたら、此処へ来て一日のんびりして、ご飯も食べてマッサージしてもらって・・・でも今のところ飛び跳ねている方が面白い。
2011年3月2日水曜日
ダイエットはおあずけ
エコー検査のため病院へ。川崎市立井田病院。ここは全国の病院のなかでも上位にランクされる。なにが。古ぼけた建物に、交通の便も悪い。丘の上にあるので、急な坂道を登らなければならない。かつてここは結核患者の療養所だった。他の病院のように最新設備もなさそうな様子。なのに入りたい病院の最高ランクにいるらしい。穏やかなスタッフが常時手助けをしてくれる。ロビーでウロウロしていると、なにか困ったことが?と聞いてくれる。質問には丁寧に納得行くまで答えてくれる。私も1ヶ月半入院したことがあった。無理をいう困った患者なのに、たいていの希望はかなえてもらえる。看護婦さんたちと仲良くなって、私の部屋は手の空いた看護婦さんのたまり場となった。あんな面白い入院なら又・・・いやいや、入院なんかしないほうがいい。庭で野良猫を保護して、先生が段ボールで小屋を作り、私がこっそりエサをやっていた。ある時守衛さんが「毎日ご苦労様」というので「あら、ご存知でしたか」というとにこにこして「そりゃあ知っていますよ」と言う。ほかの病院なら野良猫など、追い払われてしまのに。義兄が末期がんの最後の時間をここで過ごして安らかに旅立っていった。母もお世話になった。大袈裟な活気がなく物静かな雰囲気で、過度の治療をしない。さて、私はというと、治ってしまいました。痛みは消え、食欲は相変わらず旺盛。エコーの映像には何の影も見当たらず、ただ腎臓に5センチほどの水泡があるという。なんだか訳がわからんけれど、それはよくあることで、よほど大きくなければ害にはならないそうで、半分納得いかないけれど、ひとまず安心した。でも、なにも無くてどうしてあんなに痛みがおきるのか、亦々謎です。それでダイエットができるかもと期待したのに、悪いところがないとわかった途端、大きなハンバーグを食べてしまった。これでなにもかも水の泡、水泡に縁があるから?
2011年3月1日火曜日
家じゅう壊れていく。
昨日の夜中、湯船にお湯をためていた。そろそろ入れるかと見にいったら、どうも寒々しい。湯気もたっていない。手をいれるとぎゃああああ、水!サーモスタットの温度は40度。なのに水!とうとう壊れたか。今年に入ってから壊れた物は、テレビ、布団乾燥機、電子辞書、まだ3月1日なのに。極めつけはガス給湯器。そうそう、オーディオまで危ない。そして、この私。だいたいいつも壊れかけている人だからたいして驚かないが、今はコンサートを控えているので、少し神経質になっている。今日約束していた友人とのピアノ合わせをキャンセルして、病院へ行って診察を受けた。血液検査はいつもどおり完璧。品評会に出したいくらい。レントゲンも問題なし。では、エコー検査をしましょう。食事はまだですね?エッ、食べたの。それじゃ今日はエコー検査はできませんね。明日来て下さい。でも・・・ここで医師はなぜか笑った。
食べられるくらいなら、問題はないかもしれませんよ。ウフフ。 うちの猫が具合悪い時、獣医さんがよく言うのは、食欲あるうちは大丈夫。昨日もその前日も痛いのにお腹がちゃんとすくのにはわれながらビックリ!痛みはわずかに薄れてきたが、まだ残っている。食事はいきなり健康食となった。甘いもの、油物をひかえて、野菜たっぷりの味噌汁。高タンパク食が良いらしいので、それに銀だら、カキ、イワシのつみれ、豆腐など。こう並べてみるとやはり食べ過ぎかな。なんでもやり過ぎるのが壊れる元かもしれない。もしかしてダイエットができるかもしれない。災い転じて福となす。期待しましょう。
食べられるくらいなら、問題はないかもしれませんよ。ウフフ。 うちの猫が具合悪い時、獣医さんがよく言うのは、食欲あるうちは大丈夫。昨日もその前日も痛いのにお腹がちゃんとすくのにはわれながらビックリ!痛みはわずかに薄れてきたが、まだ残っている。食事はいきなり健康食となった。甘いもの、油物をひかえて、野菜たっぷりの味噌汁。高タンパク食が良いらしいので、それに銀だら、カキ、イワシのつみれ、豆腐など。こう並べてみるとやはり食べ過ぎかな。なんでもやり過ぎるのが壊れる元かもしれない。もしかしてダイエットができるかもしれない。災い転じて福となす。期待しましょう。
登録:
投稿 (Atom)