2012年5月20日日曜日

ディートリッヒ・フィシャー・ディスカウ

昨日夕刊を開いてアッと声をあげた。訃報欄にディスカウの死亡が報じられていた。ディスカウは私にとってのまさに青春のシンボル。中学生の頃は家には全く教科書を持ち帰らない学生だったから、当然予習も復習もしない。試験勉強もしない。空っぽのかばんにお弁当や上履きなどを入れて行くだけという、まさに落ちこぼれだった。学校は大嫌いな女子校だったので、エスカレーター式に高校、大学に行けたのに、中学でやめてしまった。家で勉強しないから時間はいくらでもある。学校から一目散に帰ると真っ先にレコードをかける。まず、モーツァルトの「シンフォニー40番」それからマーラーの「なき子を忍ぶ歌」もちろんフィッシャー・ディスカウが歌っている。そのあと次々と「冬の旅」などを聴いていたので親は非常に心配して、なんだか訳の分からない娘を気味悪く思っていたようだ。「なき子を忍ぶ歌」と「さすらう若人の歌」はワンセットで私の中にインプットされ、後のマーラー大好き人間を形成していく。脇道にそれるが、シンフォニーの1番を初めて聴いたのは大学生の時、N響の定期演奏会で。ホルンがが曲の中で一斉に立ち上がっての演奏は、見た目にも華やかで音もすごかった。マーラーの「巨人」と「なき子」「さすらう」は私の中ではベストスリーに位置する。そこで重要なのがディスカウの役割だった。もしこれらの歌曲の歌い手がディスカウでなければ、私はこんなにも歌曲にのめり込むこともなかっただろう。心の奥深く染み入る深みのある美しい声と感動的な表現力、何よりもドイツ語の美しさを教えてくれた。このような歌手にふたたび会えるのはいつの事か。最後に日本に来たときは声の調整に苦しんで開演がとても遅れた。肌寒い中、表でじっと列を作って開場を待っていた。この人でなかったら待つこともなく、さっさと帰ってしまったと思う。私の中の青春が消えた・・・大げさでなくそう思った。100年に一人のバリトン歌手、そう呼ぶ人もいる。しかし、これほどの歌手というより音楽家としての巨人は、この後どのくらい待てば現れるのか。中学生の多感な心にこれほど深く入ってくる人は、もう私は会えないと思っている。シューベルトを演奏するときは、彼の歌を思い出す。ディスカウならどうやって歌うだろうか。どこで息をとるだろうか。ヴァイオリンは歌と一体になれる楽器だと思う。それで私はヴァイオリンが大好きなのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿