2012年5月25日金曜日

うれしいコメント

このブログにコメントが出来ないと言う苦情があるけれど、でも、思いがけなくコメントが寄せられることもあるので、それはなんのせいなのか良くわからない。身近な人を登場させる場合、ご本人のプライバシーの事もあるので実名は避けているが、ご自身のブログで名前を出しているFUMIKOさんなどはそのまま使わせていただいている。それから、著名な方たちも実名を出すので、名前がヒットしてこのブログに来てくださる方もいらっしゃる。そんな中で本当にうれしいコメントが寄せられた。レイナさんとおっしゃる沖縄在住の方で、今沖縄で暮らしておられるかつての東響のコンサートマスターの鳩山寛さんのお孫さん。鳩山さんの猫が沖縄に引っ越すときに行方知れずになり、その後見つかった話などを大変喜んで読んでくださったらしい。鳩山さんは私がオーケストラに入った時のコンマスだった。タングルウッド音楽祭にミルシュテインなどと参加された、当時の天才ヴァイオリニストで、私がお目にかかった時にはもう大ベテランでいらしたけれど、新入りの私を少しも偉ぶるところもなく受け入れてくださった。入団直後からカルテットやほかの室内楽でもいつも身近で演奏させていただいた、いわば大恩人。入団テストの時の私の音がお気きに召したとみえて、テストが終わると「その楽器はなんですか。ほうフレンチですか。いい音がしますねえ」とほめてくださったので、猛烈に緊張していた私には天にも昇る心地がした。その後は室内楽のあらゆる分野で常にご一緒できる光栄に預かっていた。一番すごいと思ったのは内声部の弾き方。鳩山さんはコンマスにも拘わらず、よく第二ヴァイオリンやヴィオラを弾いてくださった。鳩山さんの内声部は、第一ヴァイオリンがほとんど掌に乗せられて弾かされてしまうという名人技だった。それで私も内声の弾き方を学んだといってよい。よく、第二ヴァイオリンやヴィオラは伴奏のように弾いてしまうことが多いけれど、鳩山さんの内声部は自由自在に歌い、それに乗って外側が出来上がる、ファーストヴァイオリンが楽々と弾き、歌える。それは天性の音楽性と、なにもかもわかったうえで演奏する凄味でもあった。オケで私がサイドで弾くご使命を受けると、いつもそのパートにいる人が猛烈にあたりちらすので、大変だったことも。最後にお目にかかったのはつい最近、沖縄にお訪ねした。玄関を入るとヴァイオリンの早いパッセージが聞こえて、足は悪いものの手の衰えは全く感じられなかった。この次お目にかかる予定はないけれど、前にご一緒させていただいたメンデルスゾーンのカルテットの楽譜を人に託して送ってくださった。その時第一ヴァイオリンを弾いた私に向かっての言葉「あんた、この演奏は売れるよ」おかしいでしょう?

5 件のコメント:

  1. 私の知らない祖父のお話を聞けて、とても嬉しいです。

    目黒に住んでいた頃、毎日ヴァイオリンの音色で目が覚めました。(笑
    今でも鮮明に覚えています。懐かしい気持ちになります。

    私はヴァイオリンではなく、ピアノをヤマハにて習っていたのですが、何故か無性にヴァイオリンが弾きたくなり、中学生になった時に祖父から習いました。
    とはいっても、祖父独特な教え方ですので(多分、わかるかと思います^^;)教えてもらったというよりも、「はい、ついてきなさい」というような感じで祖父のヴァイオリンやピアノに合わせて音を聴き、弾けなくてもひたすら弾いて、フィーリングで学んでいったという感じでした。笑
     
    高校生になってピアノや勉強が本格的に忙しくなったので、フェイドアウトする形でヴァイオリンは辞めることになったのですが、できればピアノではなくヴァイオリンを幼少の頃から習わせてほしかった・・というのが本音です。笑
    それくらい、ヴァイオリンには魅力を感じます。
    もうすっかり大人になってしまいましたが、機会があればまたヴァイオリンをやりたいなと思っています。

    祖父はいまだに指だけは動くそうで、それは祖父にとっての生き甲斐でもあることなので、どうか指だけは最後まで元気でいて欲しいなと思います。

    私の結婚式では、私が伴奏をし、祖父とチャルダーシュを演奏しました。
    久しぶりの演奏なうえに、1回しかリハが出来なかったのですが、それでも本番は息がぴったりで、「あぁ、やっぱり血が繋がっているんだな」と感じた瞬間でもありました。笑

    最後にですが、nekotamaさんの事、祖父に聞いてみてもいいですか?
    あと、私は東京に住んでいます^^
    けやきホール、知っていますよ。笑
    いつか、nekotamaさんのヴァイオリンを聴いてみたいです♪

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  2. ああ、レイナさんは東京在住でいらっしゃいましたか。
    それは失礼しました。
    失礼ですが、薫さんの御嬢さんですか?
    薫さんともよくご一緒に演奏させていただきました。
    おじい様は教えるのがお嫌いで、生徒さんが来る日には
    なんかこう、緊張して胸のあたりがつかえて(笑)
    なんてよくおっしゃってました。
    私の事はnekotamaと言っても判りませんから
    ブルさんと言ってください。すぐにお分かりになります。どうぞよろしくお伝えくださいね。

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    1. 私は祖父の長女の娘です^^
      叔父とも演奏していたんですか!
      毎年のように行われていた文化会館の新春コンサートは御存じでしょうか?もしかしてそこでお会いしたことがあったりして・・と思いまして♪

      ブルさんですね!
      今度電話した時に、聞いてみます!

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    2. はい、文化会館の新春コンサート時々出していただきました。
      叔父さまともヘンデルのソナタなどを演奏しました。
      家に巨大な猫がいて、それをご覧になったおじ様が「わあ、バス三味線ができるなあ」とおっしゃって、わたしからにらまれたことなど、楽しい思い出です。

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  3. nekotama様、初めてご連絡いたします。nyarcilと申します。
    鳩山寛様と連絡をとっていらっしゃるとのこと、突然ですが、私のブログの記事をご覧いただきますようお願いいたします。
    http://schnajr.exblog.jp/16905612/
    用件はこの記事にあります本についてです。
    鳩山寛様のお母様の追悼のための本で、見返しにお父様の遠山寛賢様の直筆の署名があります。

    このような本は、ご親族がお持ちになるべきものだとおもうのです。
    もし鳩山様本人か家族の方(お孫さんとか)、ご希望があればお譲りする所存です。
    申し訳ありませんが、このことを鳩山様にお伝えいただけないでしょうか。
    よろしくお願いいたします。

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