9月に引退宣言をして呑気な日々を送っています。しかし毎日が緊張に次ぐ緊張の生活が一変してしまうと、どうもボケが加速しているようでだんだん心配になる。私の内なる声がヴァイオリンを弾きなさいと囁く。
まず手の指が油切れになって関節がギクシャクしてきた。肩が固くなって きた。姿勢を保つのが大変。常に背筋を伸ばすのは楽器を弾いている間はなんでもないけれど、テレビを見ているとだらしなく椅子の背もたれによりかかり、ああ、つまらないことなどと思いながらの数時間。時間がもったいないと思う反面、普通だったらこの年でこれほど健康ならそれだけでも御の字と自分に言い聞かせる。こうして一日は暮れて行く。
野良猫だったのんちゃんがどんどん家猫らしくなり、私と一緒にのんびりツヤツヤ。緊張が溶けてきた。今まで外でどれほどの苦労をしてきたかと思うと可哀想でならない。それでも野良にしては地域猫として毎日の餌も不自由しないで生きられたのはラッキーだったのではないかと思う。
のんちゃんは非常に頭がいい。猫でも知能の高い気の強いものが生き延びられるようで、これは人間社会でも同じ。のんちゃんが人の心を読み取る術は恐ろしいほど。それが彼女に野生猫の魅力を与えていた。しかし今や安穏に慣れて、大きな搗きたてのお餅のようになってしまった。私も同じようにだらしなく広がっているような気がする。
そんなことでだんだん退屈になってきたので海外旅行にでも行ってみたいと思うことしきり。今知人が海外に行っている。私の姪とその娘が今頃ニューヨークで自由の女神とはじめましてと挨拶しているかも、軽井沢在住のY子さんはエジプトへ。みなさんこの円安のさなかに大したものです。どこへ行きたいかと尋ねられても困るのほどアテもない。
本当にこんな平和な日が私に来るとは思わなかった。退屈と言ったら罰が当たる。少し休ませてもらいましょう。休むとなると徹底的に何もしないけれど、家の中が少しだけきれいになってきた。「これできれい?」と驚かれるかもしれないけど、これでも精一杯なのよ。
海外はどこに行きたいかといっても目的はないけれど、非常に自然の厳しいところに行きたい。この年で一人参加は旅行社のツアーでうけいれてもらえるのかどうか。以前チベットへ行ったときには中国の旅行社に手紙を出して一人でいった。ガイドさんと車付きだから費用はかかったけれどわがままに行けた。現地人とも思う存分触れ合えた。中国人の家庭の誕生日のお祝いにも招かれて、彼の国の知識人階級がたいそう洗練されていることも知った。今の円安では費用が跳ね上がるけれど、個人旅行が一番望ましいところ。
ツアーで参加しても途中で一人になりたくなる癖があって、顰蹙ものと非難される。若い頃イタリアに女子4人でいったときは、皆一人になりたいという人で助かった。途中、ミラノで一人で靴屋巡り。どうしてもサイズが合わなくて買えず本当に残念だったけれど、向こうの店員さんがとても親切で時間をかけてつきあってくれたのには感激した。壮大な教会の直ぐ側に素晴らしいステンドグラスがある小さな教会を見つけた。暗いろうそくだけの照明の穴蔵のような建物。それも一人で気ままに探さないと出会えなかったと思う。
こうやってだんだんやる気が出てくるのを私は待つ。決して勤勉な人間ではないので向こうから訪れるのを待っていると、不思議なことに何事もうまくいくのだった。
春になったら飛び歩いて自宅にはいないかも。その時のんちゃんをどうするか考えている。もともと野良だから放っておいても一人でも生きられるけれど、私は裏切り者とみなされるだろう。ホテルぐらしは彼女にとって最悪だし、近所の猫好きさんたちに頼むしかない。
地域猫排除の話がもちあがったときに、近所のお兄さんが、自分がすべての責任を持つと言って地域猫受け入れの方向に持っていってくれた。こういう人がいてくれて最近は安心していられるけれど、まだまだ猫の受難話を聞くことが多い。
でも猫のことで悩むだけの日々は本当に平和なのだ。