2011年4月30日土曜日
久しぶりのレッスン
今朝よそのブログを覗いていたら、仙台の被災地に住んでいる生徒さんが、久し振りにレッスンに来るので喜んでいる記事がありました。私も埼玉や葛西方面の人を二人、久々のレッスンをした。あの地震が起きてすぐ約束したレッスン日があったので、こちらから無理してこないようにとメールをだした。そうでないとふたりとも超真面目だから余震もなんのその、危険も省みず遠路はるばる来そうな感じだったので。さすがにこのひと月はシーンと鳴りをひそめていたけれど、余震も間遠になってきたので、久しぶりのご対面。一人は高層ビルの上の方に住んでいるので、ひどくゆれたらしい。幸い一番大きな揺れの時は自宅にいなかったそうだけど。もう一人は地面が液状化した葛西付近で、こちらも自宅は大丈夫だったそうだ。ようやく日常の生活がもどってきたけれど、まだまだ被災地には沢山の家を失った人たちがいる。ここでぐちを言っても始まらないのは分かっている。わかっているけど、いつでも気にかかっている。このゴールデンウイークにボランティアがどっと被災地に押しかけるらしい。本当に役に立つのかな。混乱を招くようなら、さっさと返ってきて欲しい。なにを勘違いするのか、なんにも用意をしないで来る人がいるという。宿も食事も自分で用意するのが当然。被災地に迷惑をかけないようにするのが当たり前。なのに、食事を要求する人がいると聞いて、開いた口がふさがらない。休みの間は被災者の親戚や友人もつめかけると思う。交通渋滞が起きて、本当に用がある人達の妨げにならないだろうか。実際人手は足りないと思うから心根は良いのだが、少し考えて渋滞時間を外すとか、期間をずらすとかしないと、ブームに乗っていい人やりましたではねえ。
2011年4月29日金曜日
ロイヤルウエディング
ずっとケイトさんだと思っていた人は実はキャサリンさんというのだそうで、例えば花子さんをお花ちゃんと呼ぶようなものなのでしょうか。そのへん英語は(も)だめで全くわからない。しかし、日本の皇族方と違って、表情が実に自然なのがいい。日本の天皇ご一家はすべてガチガチ。笑顔も張り付いた感じで、こんな事書いたら戦前なら不敬罪で牢屋入りでしたね。美しく聡明そうなキャサリンさんも、あのダイアナ妃にはかなわない。あんな美しい人はチャールズ皇太子にはもったいない位だったけれど、皇太子の方はあのジャガイモ袋みたいなカミラさんがいいというのだから、世の中わからないもので、私も少しは自信を持ってもいいというもの。男と女はわかりません。うちの近くを徘徊していた、それはそれはブサイクな猫がいたけれど、一目でその子の子孫とわかる仔猫があちらこちらにいたから、大層もてたのでしょう。猫の世界もわかりません。パレードは素敵でした。特に騎馬隊は馬好きな私にはたまらない。一定の足並みで静々と・・・中には首を振りすぎるのもいたけれど・・・歩く姿は、動物のなかでもとりわけ美しい、馬ならではの情景。見ているうちに又乗馬始めようかなと、不逞な気持ちが芽生えてくる。去年股関節を痛めて乗れなくなったのに、画面を見ているうちにいつの間にか軽速歩のリズムをとっていた。花粉も少なくなってきたし、考えてみよう。ビジターでクラブにいってみよう。さっきまでは、これからもう一度勉強しなおして、ヴァイオリン頑張るぞ、と思っていたところなのに。女心と秋の空、いや、今は春ですが、そんなわけで、いつまでもグラグラ揺れる心を持て余す。もう、不惑はとっくに後ろに過ぎ去っているというのに。
2011年4月27日水曜日
病院でのコンサート
今日演奏する病院は眼下によみうりランドが見える高台にあった。広いロビー、静かでゆったりとした佇まいはすべてに高級感を漂わせ、私ごとき人種は足を踏み入れ難い。表面玄関も外部からはドアが開かない仕組みで、中に入ると趣味の良い絵画がかざられている。どこに病室があるのかしらと思うほど、隔離されている。そこのホールには、アップライトピアノが置いてあって、小さなコンサートが出来るスペースになっている。患者さんは80歳を過ぎた方も多く、看護婦さんに付き添われて車椅子で静かに開始を待っている。大変教養のレベルが高く、音楽にも造詣の深い方達だそうだ。今日は「魔笛」のアリアをヴァイオリンとヴィオラ用に編曲したものを弾くので、あらすじをお話しながら進めてゆくことになった。そのトークを仰せつかって、ヴァイオリンを弾くよりも緊張する。このオペラは話が込み入っているので、ダイジェスト版をいかに簡潔に作るかが大変だった。昨日からその作業のために、ヴァイオリンの練習がおろそかになってしまった。普段はものすごくおしゃべりなのに、いざちゃんとしゃべると中々むずかしい。特に弾きながらというのは、話はどこまでいったかな?次に演奏する曲はどれでしたっけ?どっちつかずになって、集中力が途切れる。それでも時々私がヘマをすると笑い声が起きて、それで少しホッとしたりする。この病院で人生の最後を静かに終えられる方達だそうで、一瞬でも幸せな気分になって下さったかどうか。ご高齢にも拘わらず皆さん姿勢が良いのに感心する。第一線で活躍していた方達が今静かなひとときを過ごしているのだと思うと、尊敬の念が湧く。おろそかな演奏は出来ない。相手が誰であれ私たちは全力をつくすけれど、やはり聴衆のエネルギーをいただけないと演奏に多少の出来不出来がある。今日は静けさのうちに強い力を感じて、内面深く入って行く演奏が出来たと思う。聴いてくださった方たちに感謝です。
2011年4月26日火曜日
平静になろう
今朝メールが届いた。あまりにも今回の地震と原発問題に惑わされている私に対する警告。「気をもんでも変わらないなら、普段の生活を普段どおりに行うこと。」本当にそうでした。やっと気持ちが落ち着いてきた。私が泣いても誰も良くなるわけではない。それなら、出来ることをした後は、平静でいなくてはいけません。気持ちの整理がついたところで、明日の病院で行う患者さんのためのコンサートのリハーサルをする。声を掛けてくれたのはヴィオラのFUMIKOさん。曲目はモーツアルトのヴァイオリンとヴィオラのデユオK423と「魔笛」のアリアを編曲したもの。後は日本のうたなど。さて、昼間の演奏だから多少カジュアルでいいかなと用意したものはフレアスカート。エメラルドグリーンの地に明るい色の植物のプリント。ブラウスは薄手のシルク、柔らかい色調のベージュ。でも、話しているうちにやはりドレスを着たほうが患者さんが喜ぶというので、クチャクチャにしまってあるドレス類を引っ張り出してみた。すると出てくるは出てくるは、あら、こんなのもあったっけ。シワシワだけど、記念のコンサートの時に着たシルバーグレイのドレス。色は地味だけれど、一面にキラキラと光る加工がしてあって、とても気に入っていたのに、一度しか着ていない。そうだこれを着よう。着てみると少しは若々しく見える。お年寄りの多い高級な病院だそうだから、私の顔のシワはよく見えないことにすれば、若い人と間違えてくれるかもしれない。でも、そのドレスでも私は老眼鏡をかけるから、やっぱりバレてしまうかな。コンサート間際に何が樂しいって、ドレスを決める時が一番楽しい。いつもはTシャツGパン、スニーカー。ざんばら髪にスッピン、ここ何年も口紅もぬったことがないから、いざ本番の時は化粧品を探すので苦労する。どこへいったっけ!
2011年4月25日月曜日
支援は自分のため
今日やっと支援物資を送ってやれやれ、やっと私にも出来ることがあったと一息ついて考えた。なにか役に立ちたいという突き上げる思いを沈めるため?たとえこの行為が無駄になったとしても、自分はやれるだけのことはやったという安心感を得るため?全部自分のためじゃないか。所詮人間は自分の感情で行動するものだから、自分がしたければお金をあげることも出来る。被災地に義援金を送ったという満足感がある。相手が目の前にいてお金をくださいと言われたら、きっと嫌な気がするとおもう。義援金詐欺ではないかと疑ったりする。私がした被災地への援助などはほんのわずかだから、自分の生活が壊れるほどのものではない。でも、自分の全財産を人のために擲てられるとしたら、よほど愛する人のためか、その人自身が聖人でないとできるものではない。今、安全な場所にいて、ほんの少し義援金や援助物資を送って、それで心の平和を得ている自分がなんだか偽善者に見えてくる。でも、みんなのほんの少しの好意が集まれば、大きなパワーを持つようになる・・・・かもしれない。いずれにせよ、支援は自分の心の平和のため。冷たく見ればそういうことになる。今回感じた事は、支援する人よりされる人のほうが、よほど仏さまのようだと言うこと。辛い目にあっているお年寄りが、ほんの少しの食べ物や毛布など受け取って何回もありがとうを言っている姿を見て、貴方こそ私たちからありがとうを言われるべき人ですよと言いたくなる。今日もまた涙、涙。
2011年4月24日日曜日
アイロンかけはお好き?
今日はせっせとアイロンかけ。これほど才能が無くても、一応袖口とえりや前立てにアイロンがかかっていると、少しは綺麗に見える。以前アイロンをかけていてぎっくり腰になったことがあったので、用心しながらかける。自分がこれほど不器用だとは思わなかった。表をかけると裏がクチャクチャ、角は直角にならずに変形四角形になる。夢中になっているうちにどんどんアイロン台を押しているらしく、その内コードが伸びきって、コンセントから外れたりする。途中で蒸気が出なくなるからお水を足すと、入れすぎてこぼれる。私は素材にこだわって、薄い綿や絹が多い。それは必ずアイロンかけがいるから、被災地の不自由な中ではどうかとおもうが、逆にいえば、そのような素材は着ているうちに自然に形が整ってくることもあるから、着始めに恥ずかしくても長い時間着るには逆にいいかもしれない。
チャリティーコンサートのお知らせ。
南雲賢写真展(http://www.kiyoto2007.com/pdf/nagumo.pdf)4月14日(木)~5月15日(日)にて
東日本大震災復興支援企画
ヴァイオリンとヴィオラによるミニ・コンサート
5月6日(金) 午後2時開場 演奏は3時からです。
ラ・キュイジーヌ・フランセーズKiyoto (さいたま市浦和区ときわ2丁目7-14 1F)
048-720-8616(ご予約、お問い合わせ
参加費1000円
日本赤十字社に全額寄付します。
お近くの方も少し遠い方でも、お誘い合わせの上ご来場ください。お待ちしています。
チャリティーコンサートのお知らせ。
南雲賢写真展(http://www.kiyoto2007.com/pdf/nagumo.pdf)4月14日(木)~5月15日(日)にて
東日本大震災復興支援企画
ヴァイオリンとヴィオラによるミニ・コンサート
5月6日(金) 午後2時開場 演奏は3時からです。
ラ・キュイジーヌ・フランセーズKiyoto (さいたま市浦和区ときわ2丁目7-14 1F)
048-720-8616(ご予約、お問い合わせ
参加費1000円
日本赤十字社に全額寄付します。
お近くの方も少し遠い方でも、お誘い合わせの上ご来場ください。お待ちしています。
カラスも小鳥もいない
もう何日になるだろうか。カラス夫婦に会っていないのは。今年の散歩道、例年なら今頃は小鳥が花の蜜を吸いにきて、一本の木に沢山のスズメがとまり囀り、うるさいほどのおしゃべりをしていたのに、その木からもウンともスンとも鳴き声が聞こえない。まさか、鳥たちに大地震は関係ないだろう。地面がゆれてもへいっちゃらなはず。では、大気に異変か?それとも人間の行き過ぎた清潔好きのせいで、消毒されて生活できなくなったか。毎年桜並木を消毒しているのを見ると、ゾッとする。あの木に住みつく虫が鳥たちのエサになり、生き残った者は蝶になり、植物の繁殖につながる。カラスなどは自然界の掃除やとして、大切な役目を持っている。人がゴミを野放図に出すものだから、カラスだって苦労しないでエサが手に入れば楽だから、ゴミを散らかす。カラスは悪くない。悪いのは中身が見えるようにゴミを出す人間。いつも白と黒のツートンカラーのきれいな鳥が住んでいたのも、ここ数ヶ月見えない。毎日同じところを散歩しているけれど、こんな事は初めて。それともこの時期は他に良い餌場があって、そこへご出張あそばされているのか。5月になったら一斉に戻ってくるかも・・・今日みたいに良いお天気の日に小鳥の鳴かない並木道を歩くのは、異様な気がする。そうそう、白鷺もいなくなった。
2011年4月23日土曜日
古着支援
被災地に衣類を送れたらと思って洗濯し終わったものがあるのに、どうしていいかわからずに袋につめてある。今日古着支援ができそうだと情報が入った。それは東北の古着屋さん、そこに送ると避難所に持って行ってくれて、フリーマーッケットのように広げて、被災した人たちに好きなように選んでもらう。余ったものはお店で売って、義援金にする。勿論商売だから少しもうけることもあるかもしれない。でも、そうすればお店は古着が手に入り、避難している人たちは必要なものだけもらえる。なるほど、うまく考えたものです。ホームページはドンドンダウン ウエンズデイで検索出来ます。これからは春、夏物が必要になるので、Tシャツなどはいくらあっても困ることはないと思う。汗をかいたら何枚も着替えがいる。パジャマがわりにも使える。冬物は秋口になったら送ることにして、とりあえず春物から送ろうと思う。ただ、そのためには大っ嫌いなアイロンかけをしなければいけないのが、悩みの種。本当に嫌いで、はじめようとすると頭が痛くなる。アイロンなんかいいじゃない、という人もいたけれど、くしゃくしゃでは失礼じゃないかと思うので、明日は我慢してアイロンかけをしよう。考えただけで憂鬱だなあ。ところで「ゆううつ」と云う字、一体どうなっているのか目を凝らしてもわからない。誰がこんな難しい字を発明したのでしょうか。見ただけで「ゆううつ」になる。
ストレス
ストレスがかかると体の一部に症状があらわれるが、私の場合最も現れやすいのが歯茎。一番仕事が大変だった最後の3年間は、毎日歯茎が腫れていたのが、仕事が無くなると嘘のように治ってしまった。それ以来ずっと良かったのに、東北大地震のあと、又悪化しはじめた。心臓と深い関係にあると思うので、心臓もあまりいい状態ではなさそう。この数日むくみが出てきているので、気を付けないといけない。忙しくても歯と口腔内のケアには注意をはらってきた。必ず数ヶ月おきに歯科医で掃除をしてもらい、歯磨きもきちんとしているのに、ストレスがたまると歯茎に腫れがでてしまう。大地震の後、毎日涙をこぼさない日は一日も無い。こんなに悲しい日々は自分の人生では今まであったことがない。今年のはじめの3ヶ月はとても幸せな毎日だったのに、あれ以来いつも心の奥底に、悲しみが渦巻いている。自然災害ならまだしも誰のせいでもないけれど、原発の事故が解決しない限り、心配は収まらない。私自身は家がほんの少々壊れただけだから、殆ど被害を受けたとは云えないけれど、未だに避難所にいる人達が気の毒でならない。これから夏に向かって、衛生面のことも心配になる。食中毒など起こさないように、注意をはらって欲しい。それにしても東電は、避難者たちをどうして自社の保養所や、社宅の空きに入れないのか。数が膨大で不公平になろうが、病人、赤ちゃんや一人暮らしのお年寄り優先にすれば、だれも文句はいわないでしょう。自社のビルのワンフロアを開放する手もあるでしょうに。釈然としない思いでいっぱい。政治家達も多分東電と深く結びついているのだから、空いている議員宿舎なども利用できないのかしら。いきなり襲ってきた愛する人達との別れや、生活のこれからの苦しみを思うと、涙せずには過ごせない。歯茎はこれからもしばらく腫れ続けるのでしょうか。
2011年4月21日木曜日
今日も又コンサートへ
友人から誘われて銀座の王子ホールへでかけた。出演者は一人だけわかっている。プログラムはなんにも知らないといった状態で。
人には過去に特別な思い出が一つ二つあるに違いない。私にとって、というよりその時一緒だったメンバーにとって、松本音楽文化センターでの仕事の思い出がそれだったに違いない。
たぶん昭和の60年代、ヴァイオリニストの外山滋氏に率いられた10人ほどのメンバーが松本に集まって、学校関係者のためのコンサートを開いた。それは松本市全体の行事だったため、かなり長い間逗留していた。毎日朝から2ステージだったと思うけれど、その時の顔ぶれが大変気が合って、未だに思い出が心に残っている。皆アンサンブルの達人がそろったので、仕事は非常に楽しく、ステージの上はいきいきとした雰囲気が流れていた。誰一人流れを阻害するものがいない。ソリスト兼指揮の外山氏もメンバーを信用しきっているので、おおかたの部分では好きにさせてくれる。お互いに顔を見合わせ、耳をそばだてて真剣でありながら、素晴らしく楽しいひとときをすごしていた。仕事は3時頃には終わってしまう。仕事に行く時は皆バラバラにでかけ、現地集合となる。それぞれ気のあった人と一緒に車で行ったり、一人で気楽に列車に乗って行く人もいる。その時は車が4台位来ていたと思う。しかもコントラバス奏者は免許取りたて。仕事が終わると皆で上高地や美ヶ原にでかけ、アルプスの絶景を眺めお茶を飲んだ。松本市内に戻ると夜は一緒に食事をして語り合う毎日。まるで学生時代に戻ったような楽しい日々を過ごした。
王子ホールの出演者の一人が、その時のメンバーだった。彼女はヴィオラの名手で、ドイツで長く活躍し、今は芸大で教えている。相変わらず素晴らしい演奏を聞かせてもらった。プログラムはオールモーツアルト、編成はフルート、ファゴット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、皆さんおそろしく上手い。久々に会える人が居るので、最近はよく演奏会に出かける。今日も銀座の駅で別れを惜しみ、再会を約束してそれぞれの家路についた。音楽はそれぞれの生活を超越して、人を結びつける。素晴らしい思い出を共有したメンバーは今でもこの松本でのコンサートを語り草にしている。
「素晴らしい」がありすぎだとおもわれるでしょう。でも、その時のメンバーは未だに一緒に飲みに行ったりしているのです。そして云うのは「松本はよかったね。」
もう何十年も前のことなのに。
人には過去に特別な思い出が一つ二つあるに違いない。私にとって、というよりその時一緒だったメンバーにとって、松本音楽文化センターでの仕事の思い出がそれだったに違いない。
たぶん昭和の60年代、ヴァイオリニストの外山滋氏に率いられた10人ほどのメンバーが松本に集まって、学校関係者のためのコンサートを開いた。それは松本市全体の行事だったため、かなり長い間逗留していた。毎日朝から2ステージだったと思うけれど、その時の顔ぶれが大変気が合って、未だに思い出が心に残っている。皆アンサンブルの達人がそろったので、仕事は非常に楽しく、ステージの上はいきいきとした雰囲気が流れていた。誰一人流れを阻害するものがいない。ソリスト兼指揮の外山氏もメンバーを信用しきっているので、おおかたの部分では好きにさせてくれる。お互いに顔を見合わせ、耳をそばだてて真剣でありながら、素晴らしく楽しいひとときをすごしていた。仕事は3時頃には終わってしまう。仕事に行く時は皆バラバラにでかけ、現地集合となる。それぞれ気のあった人と一緒に車で行ったり、一人で気楽に列車に乗って行く人もいる。その時は車が4台位来ていたと思う。しかもコントラバス奏者は免許取りたて。仕事が終わると皆で上高地や美ヶ原にでかけ、アルプスの絶景を眺めお茶を飲んだ。松本市内に戻ると夜は一緒に食事をして語り合う毎日。まるで学生時代に戻ったような楽しい日々を過ごした。
王子ホールの出演者の一人が、その時のメンバーだった。彼女はヴィオラの名手で、ドイツで長く活躍し、今は芸大で教えている。相変わらず素晴らしい演奏を聞かせてもらった。プログラムはオールモーツアルト、編成はフルート、ファゴット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、皆さんおそろしく上手い。久々に会える人が居るので、最近はよく演奏会に出かける。今日も銀座の駅で別れを惜しみ、再会を約束してそれぞれの家路についた。音楽はそれぞれの生活を超越して、人を結びつける。素晴らしい思い出を共有したメンバーは今でもこの松本でのコンサートを語り草にしている。
「素晴らしい」がありすぎだとおもわれるでしょう。でも、その時のメンバーは未だに一緒に飲みに行ったりしているのです。そして云うのは「松本はよかったね。」
もう何十年も前のことなのに。
2011年4月19日火曜日
コンサートを聴きに
代々木上原の古賀政男博物館ホール。長年の親交のある友人達のトリオのコンサート。フルート、ヴァイオリン、ピアノの組み合わせはあまり馴染みがないけれど、マルティヌー、プーランクなどよく探してくるものだと感心する。特にピアニストは一度指の腱をガラスで切ってマヒしてしまって、7年経ってようやく神経がつながってきて、演奏ができるようになった。その喜びは大変なもので、今日聴いていると、7年のブランクを感じさせない出来栄えだった。ついに復帰を果たして、さぞ感無量の事だと思う。その人とはずっとトリオを組んで演奏してきた。何回もコンサートを開き、彼女の故郷のサッポロのリサイタルにも賛助出演させていただいた。故障して以来生徒を育てることに専念、立派に育て上げ又演奏家として再起、なんだか理想のコースを辿っているのではないかとも思われる。私も一緒に買いにいった素敵なドレスを着ての演奏、ああ、やはり上手い人なんだと再認識。よくピアノを鳴らす。ピアニストにも音程のいい人悪い人がいる。ピアノは調律されてピッチが決まっているから誰が弾いても同じかと思いきや、和音をちゃんと鳴らせる人は少ない。指が良く回るとか表情が豊かと言う前に、音を響かせられないとそれは私たちの耳に音程が悪く聞こえてしまう。終演後、聴きに来ていたスキーの仲間と、近くのカフェで軽くビールを飲んだ。カナダでも私の勘が当たって良いレストランに恵まれた。今日も私の鼻がきいて、選んだお店は美味しくて安くて、感じが良い。ヴァイオリンは技術低下の一途を辿っているのに、レストランの選び方には磨きがかかってきた。残りの人生はひたすら食い意地に生きようと決心して、今夜の美しい月に向かって遠吠えをしたのであります。 ワオーン!!
2011年4月18日月曜日
運動なんて・・・と言ったけれど・・・
渋谷の教室で、昨日のチャリティーコンサートで演奏したヴィオリストFUMIKOさんと、二重奏の練習をする。今月27日と5月6日、病院や写真展でのコンサートの練習。モーツアルトの「魔笛」をヴァイオリンとヴィオラ用にアレンジしたもの。魔笛は特に好きなオペラなので、わくわくする。以前にもnekotamaに投稿したけれど、魔笛を聴いたときの面白いお話。
ずいぶん昔のこと、横浜県民ホールでドレスデン歌劇場の引っ越し公演を聞いての帰り道。楽屋出口にはバスが並んでいて、終演前に出番が終わったらしい出演者などを、乗り込ませていた。それに向かって手を振って会場を離れた。楽しい気分を存分に味わいたくて、桜木町駅までの少し遠い道のりを、ブラブラ歩いて帰ることにした。と、向こうから血相を変えて走ってくる一人の外国人。私の手にあるオペラのプログラムを見て、いきなり「シルクセンター」」と絶叫。エッと聞き直すと「オペラ、オペラ」と喚く。シルクセンターの隣の県民ホールを目指しているらレい。それで、その信号をどうちゃらこうちゃらと教えてから気がついた。ああ、この人は出番が早く終わって、ちょっと外出して迷子になっているのだと。そうかバスに乗り遅れそうなんだ。それで「バスね?」と聞くと「ノー、ノー、テノール」と言う。はて、なんのこっちゃ?彼が走り去ってからやっと気がついた。私が言ったのは声の最低音のバスだと思って、自分はテノールであると言ったらしい。それからは家に帰るまで笑っていた。後でバスはドイツ語でなんというかと聞いたら、ブスというのだそうで、これはさすがに自分の口からは言いにくい・・・・という顛末。
さて、練習が終わってから、ここ渋谷の教室の同じフロアにあるブティックに遊びに行く。FUMIKOさんはすごくスタイルが良くファッショナブルで、いつも個性的な物を大胆に着こなしている。このブティックも輸入物が多く、きっと気に入ってもらえると思ったら案の定。なん着かお買い上げ。私も欲しいものがあるのにスタイル抜群で(勿論悪い方に)ぴったりしたものを着ようものなら、タコ糸でくくられた焼豚のようにお肉が隆起して、見られたものではない。それで何着も諦めた。ふと思ったのは、運動なんてしなくてもとほざいた先日の投稿。野放図に伸び伸びと緩んだお腹を見ると、あれは考え違いでした。やはり運動は必要です。ごめんなさい、神様。 もっとも、私には決まった神様はいないけど。
ずいぶん昔のこと、横浜県民ホールでドレスデン歌劇場の引っ越し公演を聞いての帰り道。楽屋出口にはバスが並んでいて、終演前に出番が終わったらしい出演者などを、乗り込ませていた。それに向かって手を振って会場を離れた。楽しい気分を存分に味わいたくて、桜木町駅までの少し遠い道のりを、ブラブラ歩いて帰ることにした。と、向こうから血相を変えて走ってくる一人の外国人。私の手にあるオペラのプログラムを見て、いきなり「シルクセンター」」と絶叫。エッと聞き直すと「オペラ、オペラ」と喚く。シルクセンターの隣の県民ホールを目指しているらレい。それで、その信号をどうちゃらこうちゃらと教えてから気がついた。ああ、この人は出番が早く終わって、ちょっと外出して迷子になっているのだと。そうかバスに乗り遅れそうなんだ。それで「バスね?」と聞くと「ノー、ノー、テノール」と言う。はて、なんのこっちゃ?彼が走り去ってからやっと気がついた。私が言ったのは声の最低音のバスだと思って、自分はテノールであると言ったらしい。それからは家に帰るまで笑っていた。後でバスはドイツ語でなんというかと聞いたら、ブスというのだそうで、これはさすがに自分の口からは言いにくい・・・・という顛末。
さて、練習が終わってから、ここ渋谷の教室の同じフロアにあるブティックに遊びに行く。FUMIKOさんはすごくスタイルが良くファッショナブルで、いつも個性的な物を大胆に着こなしている。このブティックも輸入物が多く、きっと気に入ってもらえると思ったら案の定。なん着かお買い上げ。私も欲しいものがあるのにスタイル抜群で(勿論悪い方に)ぴったりしたものを着ようものなら、タコ糸でくくられた焼豚のようにお肉が隆起して、見られたものではない。それで何着も諦めた。ふと思ったのは、運動なんてしなくてもとほざいた先日の投稿。野放図に伸び伸びと緩んだお腹を見ると、あれは考え違いでした。やはり運動は必要です。ごめんなさい、神様。 もっとも、私には決まった神様はいないけど。
2011年4月17日日曜日
チャリティーコンサート
六本木の泉ガーデンタワーの34階で、この度の地震災害支援のためのコンサートが開催された。
ヴィオリストのFUMIKOさんが出演するというので、聴きにいった。南北線六本木一丁目駅に隣接しているタワーの中に入るのは初めてのこと。サントリーホールに行くときはここで降りて、大抵急いでいるので素通りしてしまう。初めての場所は見当がつかない。時間に余裕を持って出てきたつもりが、節電のための間引き運転でかなりおくれ、ビルの中に入っても、エレベーターが直接34階まで行かないので乗り換えたりしているうちに、開演ギリギリとなってしまった。空いている席は端っこのほうだけ、初めてのホールなので音響が心配だった。反響板などもないので、弦楽器はかなり厳しいのではと余計な心配をする。出演者はオペラ歌手が大半で、オペラ大好きな私はそれはそれで楽しめたけれど、やはり、なんといっても弦楽器の響きが好き。会場が弦には適していないかとおもったけれど、予想以上の良い響きなので一安心。ベートーヴェンの3重奏、モーツアルトのピアノを交えた4重奏を楽しんだ。歌手は15人ほど、圧巻は隠岐速人、飯田康弘という二人の男性歌手の二重唱、声も歌いまわしも抜群のお二人に圧倒される。ここのエレヴェーターはまわりが全部ガラスで、外の景色がよく見える。上ってきた時は急いでいたので外を見る余裕がなかった。帰りはガラスにへばり付いて、急降下を楽しんだ。でも、他の乗客たちは皆ドアのほうを向いて、外を見ようともしない。なんだか一人だけ、やっぱり私は子どもっぽいのかなあ。
ヴィオリストのFUMIKOさんが出演するというので、聴きにいった。南北線六本木一丁目駅に隣接しているタワーの中に入るのは初めてのこと。サントリーホールに行くときはここで降りて、大抵急いでいるので素通りしてしまう。初めての場所は見当がつかない。時間に余裕を持って出てきたつもりが、節電のための間引き運転でかなりおくれ、ビルの中に入っても、エレベーターが直接34階まで行かないので乗り換えたりしているうちに、開演ギリギリとなってしまった。空いている席は端っこのほうだけ、初めてのホールなので音響が心配だった。反響板などもないので、弦楽器はかなり厳しいのではと余計な心配をする。出演者はオペラ歌手が大半で、オペラ大好きな私はそれはそれで楽しめたけれど、やはり、なんといっても弦楽器の響きが好き。会場が弦には適していないかとおもったけれど、予想以上の良い響きなので一安心。ベートーヴェンの3重奏、モーツアルトのピアノを交えた4重奏を楽しんだ。歌手は15人ほど、圧巻は隠岐速人、飯田康弘という二人の男性歌手の二重唱、声も歌いまわしも抜群のお二人に圧倒される。ここのエレヴェーターはまわりが全部ガラスで、外の景色がよく見える。上ってきた時は急いでいたので外を見る余裕がなかった。帰りはガラスにへばり付いて、急降下を楽しんだ。でも、他の乗客たちは皆ドアのほうを向いて、外を見ようともしない。なんだか一人だけ、やっぱり私は子どもっぽいのかなあ。
運動
子どもの頃から運動嫌いで、小学校の成績は体操以外は全部5,体操だけはいつも3,それも大幅なおまけ付きの3だったに違いない。担任の先生はなんとか私を優等生にしたくて、むきになって逆上がりや跳び箱を出来るようにしたがったけれど、私はいい迷惑としか考えなかった。そもそもなんでこんなつまらない事をしなくちゃいけないの?生意気で、読書や絵を描く、音楽を聴くこと以外なんの興味もなかったので、跳び箱なんて飛べなくてもいいと考えていた。今になったら、跳び箱くらいは跳べてもよかったかと思う。子どものころに運動能力を培わなかったせいで、今でもスキー以外の運動は全くダメ。親が毎日外で遊ばせたがったのも、そのためかもしれない。
今日散歩に出たら何故か一羽のカラスにも出会わない。どうしたのだろうか。地震続きで逃げ出したか。それとも、嫌な話しだが、カラス駆除の毒団子でも食べさせられてダウンしたか。巣をたたき落とされたか。嫌な気持ちになる。空中に小さな羽虫がいっぱい飛んでいて、この羽虫は絶好のエサなのにと思ったのだが。
カラスがいないせいで、去年までの無理な運動の事を思い出した。足が痛いのに無理して歩く。歩くと膝痛は消えるのでいいかとおもったけれど、それで増々いけなくなった。無理して水泳もやった。嫌いではないけれど、義務になると鬱陶しい。市民プールは行儀が悪く、スポーツクラブの人たちはやる気満々で、それもいや。今とても体が楽なのは、運動が少ないから。時代の波に逆行するようだけど、運動なんてしたい人がすればいい。時々疲れない程度に散歩すればいい。1日1万歩なんてクソ喰らえ! これって負け犬(猫)の遠吠え?
今日散歩に出たら何故か一羽のカラスにも出会わない。どうしたのだろうか。地震続きで逃げ出したか。それとも、嫌な話しだが、カラス駆除の毒団子でも食べさせられてダウンしたか。巣をたたき落とされたか。嫌な気持ちになる。空中に小さな羽虫がいっぱい飛んでいて、この羽虫は絶好のエサなのにと思ったのだが。
カラスがいないせいで、去年までの無理な運動の事を思い出した。足が痛いのに無理して歩く。歩くと膝痛は消えるのでいいかとおもったけれど、それで増々いけなくなった。無理して水泳もやった。嫌いではないけれど、義務になると鬱陶しい。市民プールは行儀が悪く、スポーツクラブの人たちはやる気満々で、それもいや。今とても体が楽なのは、運動が少ないから。時代の波に逆行するようだけど、運動なんてしたい人がすればいい。時々疲れない程度に散歩すればいい。1日1万歩なんてクソ喰らえ! これって負け犬(猫)の遠吠え?
2011年4月16日土曜日
重心
昨日の廣戸道場のレッスンを参考に色々やってみた。そうなんだ、重心はその人によって違うのか。目からウロコがボトリ。最近筋力の低下かどうか、弓が中々弦に張りつかない。でも、弓を張り付かせるのは筋力でなく、重力のはず。というのは体がリラックスしていて、肩が下がった状態であれば、腕の重みはすべて弓に乗せられるはず。でも、今いち重みが弓に乗せられない。それは両足に重力が分散して乗っているからかもしれない。試しに左足を軸として上体がそれに対してまっすぐに乗るようにしてみた。オーッ、効果あり!ズシリと乗った。まっすぐというと語弊がありそう。足が斜めに出ているからそれに対して軸を揃える。だから見た目はまっすぐでなく、斜めに傾いている。但し、この状態を維持するのは難しい。非常に左足に負担がかかる。ただでさえ、左足に故障箇所があるのに、長い間こんな不自然に傾いてはいられない。すぐに腰がだるくなった。これを突き詰めれば、夢のような音が出るようになるのかなあ。以前から思っている事だけど、スポーツなどは筋トレやストレッチなど、体作りのプログラムが出来ているのに、何故、楽器のためのそれはないのかと言う事。楽器を弾くためのプログラムがあってもいいのではないか。腱鞘炎などの故障も減るし、治療にも役立ちそうではないか。音を作るのはまず自分がイメージして欲するところから始まる。それと同時に外側から技術で創り上げていくことも、同時にしなければならない。どんなにイメージしても私の場合は、欲しい音が出ないことの方が多い。技術と楽器の限界もあるけれど、もう少し体そのものの事を考えるべきだったかもしれない。
2011年4月15日金曜日
廣戸道場
今日は体操?をしに原宿まで行ってきた。廣戸道場。体の隅々まで動かすためのトレーニングとでも言うか、ヴァイオリンのための基礎訓練とでも言うか。まず、自分の体のタイプを探る。例えば体を引き伸ばすことで力が入るか、沈み込むことで力が入るかの違いを試す。私はどうやら、沈み込むことでパワーが出るらしい。それは足のどこに重心がかかるかによって分けられるらしい。今日初めて行ったので、まだ手探り状態なので、今は復習のつもりで書いています。足の前、後ろ、小指側、親指側のそれぞれのどこにその人の重心が乗っているかで、体の動きが違う。上に跳ねるタイプと、下に踏み込むタイプがあって、私は下に踏み込むタイプ。踏み込むことに寄って跳躍力が出る。体の軸は喉、みぞおち、股関節、膝、足首と一直線になった時に軸がまっすぐになると言うが、他人からグイと押されても、軸がまっすぐなら踏みこたえられる。軸が曲がっていると、少し押されてもヨロヨロして踏ん張れない。私も軸のことは生徒によく言ったけれど、少し考え違いをしていたようで面目ない。ちゃんと勉強しなおさないといけません。タイプによってどうすると体が柔らかくなるかが違うから、一概に自分の体の感覚のやり方を人に押し付けてはいけないと猛反省。例えば、私は人差し指と親指で物を握ると、手首や指が柔らかくなる。でもその反対の人が居ることを今日はじめて知ってビックリ!薬指と親指で握った方がいい人もいる。ヴァイオリンを弾く時、伸び上がって弾く人と、沈みこんで弾く人がいて、最近自分でも沈み込む癖が気になって、治そうと思っていた。でも、それは直してはいけなかったのだ。よかった、早くわかって。最近の芸大のヴァイオリン教授の傾向は、体を動かさせないと聞いたけれどホント?冗談でしょう、そんなこと。壁にぶつかる度に弓の持ち方を変えてみたりしていたけれど、これから自分の体を理解していけば最良の方法が見つかると思う。月一回のトレーニングだけど、どのくらい効果があるかは見てのお楽しみ。乞うご期待ですよ。
*たまたま今日の夜9時から「所さんのそこんところ」に廣戸先生が登場なさるそうです。
*たまたま今日の夜9時から「所さんのそこんところ」に廣戸先生が登場なさるそうです。
春のせいか、はたまた
地震や原発事故のせいか、気持ちがひどく揺れ動く。そろそろ古着も被災地に送れるようになったと言うので、山のように洗濯をして準備をしていると多少おちつくけれど、なにかしていないと考えは、どんどん悪い方へ向いてしまう。そんな時に若いヴィオラ奏者からチャリティーコンサートのおさそいをうけて、喜んでお引き受けした。ヴィオラとのデュエットで、モーツアルトの二重奏をはじめとして何曲か弾くらしい・・・というのはまだ詳細がわかっていないので、お知らせすることが出来ない。それでも、なにかでお役に立てるなら、なんでもしようと思っています。具体的にわかったらお知らせしますので、聴きに来てください。地震の後のこの一ヶ月、あまりにも心を痛めたので、すっかり疲れはてていたらしい。昨日は殆ど起きていられず眠って、目が覚めたら11時間も経っていた。頭が痛い。珍しく、本当に珍しく食欲もない。朝御飯大好きで毎朝いそいそと朝食を摂るのに、今朝はやっとパンを一枚だけ。お昼も卵かけごはんを小さな茶碗にほんの少し。夕飯も昨日のキッシュのテイクアウトの残りを一つ。ダイエットの期待はあるけれど、毎日美味しく食べていた事がなんて幸せだったのかと思う。被災地ではこんな食事でも贅沢かもしれない。一刻も早く普通の生活にもどれるよう、お祈りしたい。ところで、この古着は一体どこへ持っていったらいいのか。情報を聞いたのが誰なのか思い出せなくて・・・脳みそも花と一緒に散ってしまったらしい。
2011年4月13日水曜日
おしゃれなお店
白金を歩いていたら、今まで何回も通った道なのに気がつかなかった、おしゃれなお店を見つけた。間口が狭く暗いので、なんのお店?と思って覗いたのがいけなかった。ショウケースになにか並んでいて、初めはアクセサリーかなと思ったら、ケーキだった。見たこともないほど色合いが素敵で、美味しそうというより、アンティークなアクセサリーみたいな美しさ。お腹もすいていないのに、入ってキッシュのランチを注文。あたりを見回すと剥き出しのコンクリートの天井、壁、テーブルや椅子も無機質な鉄とガラス。そこに、アンティークの戸棚。そして様々なオブジェ。きっと、すぐれたインテリアデザイナーが粋を凝らしたものと感心していると、きたきた。美味しそうなキッシュにコーヒー、サラダはルッコラと水菜、プチトマト。フォークとナイフが添えてあるから、これを使うのね。ナイフをキッシュに入れると、テーブルが低すぎて切りにくい上に食べにくい。キッシュはとても美味しいけれど、上等なパイはみなハラハラと軽く出来ているから、皮が一面にこぼれる。中身は春キャベツとアンチョビー。味はいいけれど、春キャベツがしぶとく抵抗して中々切れない。皮はハラハラ、キャベツは踏ん張る。ついに中身と皮は完全に分離して、残った縁の部分はエイッとばかり、手でつまんで食べてしまった。いやはや、おしゃれなお店と云うのは食べにくいものなのだ。コーヒーも抜群に上手く淹れてある。サラダは小さい深めの食器なので、青菜たちを引っ張り上げるのに悪戦苦闘する。ドレッシングで容器に張り付いて抵抗するのを、一つずつ丁寧にお出ましいただく。ホントにまったく、おしゃれなお店というものは・・・!
2011年4月12日火曜日
しずこころなく
はなのちるらん。
咲き始めたかと思ったらもう桜吹雪。うちの前の桜並木はいつもの年に比べても、それは見事にさいたけれど・・・。なにか今年はメランコリックに感じてしまう。いまだに続く余震で、体が揺れているのか地面が揺れているのか、一番揺れているのは心。人の心もわからないけれど、自分の気持ちはもっとわからない。ゆらゆらとゆれて歳月は過ぎてゆく。
今日は東京音大に入ったばかりのうら若き女性が、母親と一緒にあいさつにみえた。家に初めて来たのは、小学校一年生か二年生だったか。初めから音楽家志望だったので、どうせなら芸大を目指そうと特訓を始めたが、なんともおっとり、のんびりで、にこにこしているばかり。譜読みは早いし真面目ではあるが、自分から音楽を作り上げる意欲に欠けていて、なんとも頼りない。早くから音階や基礎練習をみっちり叩き込みはしたけれど、そんな訳で出来上がりが今いちパッとしない。小学校5年でメンデルスゾーンのコンチェルトやラロのスペイン交響曲などを苦も無く弾いてしまった。だからどうなの?と言わんばかり。いろいろな先生に見てもらっても、一様に自分がどう弾くのかが現せていないという、同じ批評が帰ってくる。これは音楽家として重大な欠陥ではあるまいかと、口を酸っぱくして表現の方法を教えてもピンとこないようだ。なかば諦めていたら、受験の4ヶ月ほど前から急にやる気を見せ始めた。でも、少しお目覚めが遅かった。結局3校受けて芸大はあえなく沈没。すぐに曲が弾けてしまうために、逆に弾き込みがたりていない、弾いて弾いて磨きをかけていく、その過程が充分でないために、上辺だけの出来上がりになってしまう。練習時間もえらく少ない。芸大に落ちたときはかなりショックだったようだけど、もうケロリとして嬉しそうににこにこしている。決して出来ない子ではないのに、その欲の少なさにハラハラしている。思えばこの私・・・いつも先生が泣いていらしたっけ。回りまわって自分の所へ戻ってくるのか。物悲しい春の花散る日。
咲き始めたかと思ったらもう桜吹雪。うちの前の桜並木はいつもの年に比べても、それは見事にさいたけれど・・・。なにか今年はメランコリックに感じてしまう。いまだに続く余震で、体が揺れているのか地面が揺れているのか、一番揺れているのは心。人の心もわからないけれど、自分の気持ちはもっとわからない。ゆらゆらとゆれて歳月は過ぎてゆく。
今日は東京音大に入ったばかりのうら若き女性が、母親と一緒にあいさつにみえた。家に初めて来たのは、小学校一年生か二年生だったか。初めから音楽家志望だったので、どうせなら芸大を目指そうと特訓を始めたが、なんともおっとり、のんびりで、にこにこしているばかり。譜読みは早いし真面目ではあるが、自分から音楽を作り上げる意欲に欠けていて、なんとも頼りない。早くから音階や基礎練習をみっちり叩き込みはしたけれど、そんな訳で出来上がりが今いちパッとしない。小学校5年でメンデルスゾーンのコンチェルトやラロのスペイン交響曲などを苦も無く弾いてしまった。だからどうなの?と言わんばかり。いろいろな先生に見てもらっても、一様に自分がどう弾くのかが現せていないという、同じ批評が帰ってくる。これは音楽家として重大な欠陥ではあるまいかと、口を酸っぱくして表現の方法を教えてもピンとこないようだ。なかば諦めていたら、受験の4ヶ月ほど前から急にやる気を見せ始めた。でも、少しお目覚めが遅かった。結局3校受けて芸大はあえなく沈没。すぐに曲が弾けてしまうために、逆に弾き込みがたりていない、弾いて弾いて磨きをかけていく、その過程が充分でないために、上辺だけの出来上がりになってしまう。練習時間もえらく少ない。芸大に落ちたときはかなりショックだったようだけど、もうケロリとして嬉しそうににこにこしている。決して出来ない子ではないのに、その欲の少なさにハラハラしている。思えばこの私・・・いつも先生が泣いていらしたっけ。回りまわって自分の所へ戻ってくるのか。物悲しい春の花散る日。
2011年4月11日月曜日
時間がとまる
尻手黒川線から野川団地を過ぎて246号線に抜ける道に、前から気になるお店があった。その道路の両脇は、瀟洒な家がならぶ閑静な住宅地。ごく普通の家に「カレーあります」の手書きの看板がかかっている。レストラン風・でもない。いつもサッと通りすぎるのに、今日はあまりにもその辺が気分良く、急ぐにはもったいない。ちょっと入ってみる気になった。珍しく食欲が無くて、朝御飯をほんの少ししか食べなかったので、お昼には間があったけれど、カレーを食べてみよう。車をお庭のスペースに押しこんで中に入ると、玄関から靴をぬぐようになっている。出てきたのは私よりかなり年上と思えるご婦人。30歳はとっくに超えている。ウフフ。(とっくにというのが何年くらい前かは、詮索しないでいただきたい。)カレーを食べさせていただけますか?と聞くと、どうぞと招き入れられた。どうやら、このご婦人が一人でやっているらしい。ホタテやエビが入っておりますが嫌いなものはありますか?と聞かれる。およそこの世の食べ物で、虫とか蛇とかでなければ、私に嫌われる食物は無い。あたりを見回すと古めかしいけれど、高価そうな食器が並んでいる。食器棚にもゴブレットやグラスのしっかりしたものが並んでいる。外国に長くいた人の家にいったような気がする。小さな庭は花盛りで、グリーンのパラソルに椅子とテーブルが置かれている。なんだか急に時代をさかのぼり、外交官とか海外滞在の商社マンなどの家に来たような感じがする。カウンターには結婚式の写真。ウエディングドレスの美しい花嫁さんとハンサムな男性のカップル。その上には外国人の立派な男性のポートレイトが飾ってある。カレーが出てくると、いかにも家庭でつくった母親の味。ゴロンとジャガイモが入っていて美味しい。食べながら少しお話しを始めると、なんと私より一回り年上なのに、フランス語を勉強しているそうだ。「語学が好きなんですよ」物静かに微笑んでいる。結婚式の花嫁は、その方の若かりし頃だという。静かな空間にいると時が止まってしまったようで、訪問先に言っておいた到着時間を、30分もオーバーしてしまった。気がふさいだり、つまらないことがあったら又来よう、と思わせるレストランだった。
2011年4月10日日曜日
震災の援助物資
あれからひと月。どんなに苦しかったことか(まだ進行形だけれど)と思うと、毎日涙してしまう日が続く。初めに衣類など送ろうと思ったら、時期尚早だったらしい。今やっと古着でも受け付けると聞いたので、荷造りをしようとおもっている。何かの時にと思ってとっておいたダンボールが、玄関先にゴロゴロしている。先日スキーの先生から沢山のウェアが送られてきて、仲間内だけではさばききれなかったものもある。大変質の良い物なので、まだ寒い地方なら役にたつだろうか?後片付けや水を使うときには重宝しそうだし。仕分けに数ヶ月かかるとしても、次の寒さに間に合うかもしれない。辞書や本、CDなども、特に落語などは私なら大喜びするが、中にはこの非常時にこんな物を!と怒る人がいそうだからやめておこう。先日も避難所で焚き火をしながらみんなで歌を歌っていたら、こんな時歌なんか歌って、と喧嘩騒ぎになったそうだ。こんな時だから歌うのに。どんな状況でも生きていかなくてはならないときに、暗い顔で生きるか、少しでも明るくしようとするかは、人それぞれ。今は暗い顔しかできないとしても、それを乗り越えようと務める人たちを、邪魔する事はない。あれやこれや悩んで居るときに、呑気に歌なんか歌いやがってと、腹立たしい気持ちも良く分かる。でも、歌くらい歌わせてあげて欲しいと願っている。子どもの時雷が怖くて、そんな時にはヴァイオリンを弾いたものだった。気持ちが落ち着いて、恐怖心が吹き飛んでしまう。歌っていればほんの一瞬でも苦しさを忘れられるかもしれない。地震津波の災害だけなら生き残った人は頑張れる。でも、原発事故は本当にゆるせない。国も莫大なお金を使っているだろう。それを被災者救済に回せれば、どんなにか助かるものを。東京電力社は自社の保養所などを被災者や自衛隊や消防士に使わせなかったそうで、いち早く東北電力が開放したのに比べ非難轟々。こんなところが本当に腹立たしい。
2011年4月8日金曜日
家のメンテナンス
先日の地震でうちの外壁が剥がれ落ちてしまった。これは放っておくわけにはいかないから、修理をしてもらった。タイル職人が来て足場を組んで、3日もすると修理が出来上がり、家は何事も無かったようにすましている。地震保険を掛けておいたので保険屋さんに来てもらって、修理代もなんとか払えそうでホッとしていたのだが・・・築15年ともなるといろいろメンテナンスをしなければならないらしい。屋根の防水、ベランダの防水、窓のサッシの取り替え等々。見積もりをもらってビックリ。なんてお金がかかるのかしら。仕事を引退してから、お金が羽を生やして集団で飛んで行ってしまう。渡り鳥ならぬ渡り金。それというのも、今まで仕事に夢中で家のことを考えるヒマがなかった。ヒマになると家に意識がいって、あれをしよう、これもしなくてはと考えるようになる。とにかくこんな高いお代は払えないから、もう一回見積もりをし直してもらうことにした。なんだかんだ工務店側は必要性を説くけれど、無いものは払えないのよと、啖呵をきってお引き取りねがった。歳をとって来たら、家は借りたほうがいいかも知れない。ちゃんと管理をしてくれるマンションに入って修理もアナタ任せでいられる。面倒なことは自治会の役員任せにして、呑気に俳句でもヒネっていれば天下泰平。ああ、めんどくさい。ただし、我が家は見事な桜並木が目の前にあるという、素敵なロケーションに恵まれていて、これは捨てがたい。桜を眺めながらヴァイオリンを弾く贅沢さは、人に手渡すわけにはいかない。面倒と素敵を秤にかけると・・ウーンやっぱり暫くここに居ようかな。
2011年4月7日木曜日
カラスの相関図
今朝も又ヨロヨロとモンローウオークで出かけて、いつものカラスと立ち話。いつも夫婦でいるのが今日は若くて美人さんを伴って来た。あれ、いつの間に若い奥さんに取り替えたの?カラスでも若いかそうでないかは体型でわかるのが悔しい。若いお奥さん?は痩せて輪郭がはっきりしている。いつもの奥さんはやや太り気味。羽毛も時々ぱさついて居ることがある。2羽で並んでこちらを見ている。お父さんカラスがいると他のカラスもすっかり安心して、とても近くまで寄ってくる。お父さんカラスがいないと、こわごわ手の届かない範囲までしか近寄らない。お父さんカラスは絶大な信頼を誇っている。私の手が届く所まで来て顔をかしげ、横についた目でこちらを見るようすがなんとも可愛らしい。急に若いカラスが変わった鳴き方を始めた。嘴をフェンスにカチカチとこすりつけ、白目を剥いている。すると、お父さんカラスは自分の嘴を若カラスの口に突っ込んで、食べ物を吐き出して与えたではないか。初めて鳥のエサやりを目の当たりにした。なんだ、まだ子どもだったのだ。しかし、いつ産まれたのだろうか。この冬産まれたのならまだまだ子ども、それにしては、なりが大きい。去年ならそろそろ独立しなさいよ。いつまでも親の世話にならずに、自分でエサくらいとりなさい。そう思ったけれど、自分の事を考えると全く面目ない。親が生きているうちは世話になりっぱなし、2番目の兄には、大人になってもお年玉をもらっていたっけ。その分若い人の世話をしなければならない歳になっても、今度は若い人にお世話になりっぱなし。私の仕事はネコの世話のみ。生涯大人になれないなあ。
2011年4月6日水曜日
モンローウオーク
かかりつけの整体師さんは若い腕の良い人で、スポーツトレーナーでもあるのでいろいろ体の動きについて教えてもらえる。私は左股関節に問題があり、日によって調子は違うけれど、重いものを持ったりすると具合が悪くなる。去年の今頃は膝痛に泣かされていた。それというのも毎日一万歩を目標にしていたから。一万歩歩くとその日はぐったりして、なにも出来なくなるほど疲れてしまう。それを根性で毎日続けていたのが間違いのもとで、膝は痛むは、体は疲れるはでいいことは少しもなかった。誰がこんな事を言い出したのだろうか。若ければいざ知らず、歳をとった人には薦めないほうが良い。その話しをしたら、運動は量ではなく質なんですよね、と彼は言う。人間の体は右手と左足、左手と右足というように、神経や筋肉が体の途中で交差しているのだそうだ。それで、体を斜めに捻るという動作が大変良いという。歩くときにモデル歩き、一本の線の上を歩くのがいいそうなので、昨日から実行している。桜並木の下、変に腰を振って気取って歩いているオバハンを見たら、それは私です。この歩き方が中々難しい。いわゆるモンローウオークという歩き方。マリリン・モンローはわざと左右の靴のヒールの高さを変えて、色っぽく腰を振って歩いたそうだけれど、私の場合スニーカーだからそうはいかない。道路の白線の上などを歩くと大変くねくねと歩くことになって、バランスが取りづらい。2,3歩行ってはヨロヨロ、気を取り直して又ヨロヨロと言う風に、およそ色っぽくない、どちらかというと歩行困難な人に見えると思う。でも、まだ2日だけど調子はいいみたい。距離は去年の3分の1。カラスに挨拶をするとUターン。これでしばらくいってみようと思う。
2011年4月5日火曜日
上を向いて歩こう
テレビで布施明が坂本久の「上を向いて歩こう」を歌っていた。御巣鷹山の日航機事故でなくなった九ちゃん。実は先日カナダからの帰りの飛行機でコンピュータトラブルがあった。別に大揺れに搖れたりはしなかったけれど、電灯が点かなくなり、座席全面のモニターのディスプレイが消えてしまった。気のせいか室温が下がっていく。当然操縦にも影響はあったはずで、暫くの間はソワソワした感じだった。その間、これでもし操縦に支障をきたしたら私は何をするかと考えた。初めに携帯でご挨拶をするだろう。飛行機が制御不能となったら携帯は使いたい放題。大好きな人にお別れを云う。お世話になった人にお礼を云う。たまさぶろうは姉が引きとってくれるだろう。今まで数多くの飛行機に乗って、ひどく搖れたことがあっても怖いともおもわなかったのに、静かなコンピュータの故障といわれると少し不気味。制御不能になり急降下したらもう気を失ってしまうから、アッという間に死んでしまうだろう。だから、大丈夫。何が大丈夫なのか、などとつまらないことを考えているうちに眠ってしまった。やっと点灯し、ディスプレイも元に戻ってしばらくして、スチュワーデスが通路を歩いてきた。ふと私のところで立ち止まり「飛行機にのるのに馴れていらっしゃいますね」と言う。なにをもって推し量ったのかしらないけれど、そりゃあ年間30回もの飛行を何年も続けていたのだから、なれもするさ。よく眠っていたから?くつろいでいたから?よくわからないけれど、一人ひとりよく観察しているものだと、感心する。私はどこでもくつろげる方だけど、一つだけどうしてもくつろげないものがある。それは楽器を持ったとき。いつもの呑気も強気も影をひそめ、ひたすらオドオドと弱気になり、音を出してスイマセンと周り中に気兼ねする。これだけはどうしても慣れないのが、口惜しうございます。
オーケストラアンサンブル西湘は消滅
秦野市に新しく立ち上げたアマチュアオーケストラは、第一回のコンサートを成功裏に終えたところで分裂しました。というか、一部の人に乗っ取られてしまった。団長初め常任指揮者まで追い出して自分たちの好きなようにしたい人がいて、トレーナーも全員居なくなった状態でどのように運営するのかわからないけれど、まあ、好きなようにおやりください。要するに厳しい練習がいやなのでしょうね。。音楽が本当に好きならそんな行為は絶対にしないはずなので、権力を握って自分をえらくみせたいのかどうか、私にはわかりません。せっかくあんなにいい音がしたのに、もっともっと上手くなりたいと思わないのかしら?というわけで追い出された私たちは「西湘フィルハーモニー管弦楽団」として再出発することになりました。とにかくバカバカしくておはなしにならないので、そんな連中はほっとくことにして、7月31日に再出発の第一回目のコンサートを開催することになりました。秦野は私の家からは遠いので通うのは中々大変ですが、できるだけ協力したいと思っています。東名高速道路で行くと山々が、とりわけ富士山が迎えてくれて、清々しい気持ちになる所なので楽しみではあります。皆様のご協力よろしくお願いします。
2011年4月4日月曜日
ウクライナの原発被爆者
カナダに居るときに送っていただいた動画です。
楚々とした美貌と美声の持ち主のこの人はチェルノブイリ原発の被害者です。
これを見ると何故同じことが起こるのかと悔しくてなりません。
想定外などという言葉は使ってほしくない。現に事故が起きているのですから、そこから何かを学び取らなければ、世界中の原子力の平和利用はできなくなってしまう。それ自体は素晴らしいエネルギーを持っているのに、こんな杜撰な管理のせいで、恐ろしい害になって人類に降りかかってくる。本当に人間がもう少し賢くないと、使ってはいけない物なのかも知れない。
2011年4月3日日曜日
カナダで思うこと。
未曽有の大災害にであってしまった日本。まだ国中が悲しみの坩堝にある中で、楽しんできて申し訳ない気がするけれど、地震津波はともかくとして、原発は明らかに人災だと思う。あってはならないことが現実に起きてしまった。今朝食べ物の投稿をしてからテレビを見たら、歳をとった男性が「食べ物が足りません。食べるものをください」とカメラに向かって泣きながら訴えているのを見て、私も泣いてしまった。どうにかしてあげたい。でも、お金を送るしか出来ない。今日も私の家に集まってお花見をするけれど、そこに募金箱が置かれる予定になっている。早く動いて欲しい行政は日本では規則にがんじがらめになっていて、すぐそこに被災者がいるのに、物もあるのに届かなかったりする。カナダの税金などの仕組みを聞いて、とても納得が行く。移住した人たちも口をそろえて住みやすさを言っていた。何故日本は規則そのものが納得の行かないことが多いのだろうか。いつでも責任を取るのを回避する人ばかりになってしまった。つまらない規則が横行して、ちまちまとスケールの小さい国になってしまっている。これを機にもう一度かつての頑張る日本に戻って欲しい。若者が夢を追いかけられる日本に。
今日は私の誕生日です。振り返れば生まれてきてよかったなあと思えるけれど、皆がそう思える日が早く来てくれることを願っています。
今日は私の誕生日です。振り返れば生まれてきてよかったなあと思えるけれど、皆がそう思える日が早く来てくれることを願っています。
バンクーバーで食べた物。
ウィスラーは本当にくつろげる街で、外国に居るという気がしないくらい。現地の人も外国人になれているせいかも知れない。バンクーバーも40年前に来たときと同じように、落ち着いた気持ちの良い佇まいは変わっていない。昼前バスで約1時間半、一路バンクーバーへ。幸いホテルにチェックインできたので、お昼を食べに出かける。さすがに和食というより、ラーメンが食べたくなって、弁慶という日本人のやっている店に行ってみる。特に美味しいわけではないけれど、汁物が恋しくなっていたので、満足。私ともう一人はスタンレーパークに行きたい。他の人はマーケットに行きたいので二手に別れた。スタンレーパークも昔のまま。リスが走り、鳥が泳ぎ、一番びっくりはアライグマが水たまりで洗い物をしていたこと。なにもそんな小さな水たまりでしなくてもと思ったけれど、熱心になにか洗っていて、そばにカモが数羽。そこがテリトリーなんだろうか。周りがこんなに広いのに。日本のように木に名前がぶら下がったり、人工の動物が置いてあったりしない、ごく自然なただ木がはえていて花が咲き、動物がなにも恐れず居るだけの公園。いいね。
夜は旅行社の人おすすめの中華料理。それは思っていたようなお店ではなく、雑踏のような人の群れ、忙しく働きまわるウエイトレス達、落ち着きのないお店だが、量が多くて味もまあまあ。流行っているわけだが、カナダ最後の晩餐は情緒無く終わった。そのかわり、私たちが止まっているホテルの最上階が回転するラウンジになっていて、そこで夜景を楽しみながらコーヒーを飲んだ。
夜は旅行社の人おすすめの中華料理。それは思っていたようなお店ではなく、雑踏のような人の群れ、忙しく働きまわるウエイトレス達、落ち着きのないお店だが、量が多くて味もまあまあ。流行っているわけだが、カナダ最後の晩餐は情緒無く終わった。そのかわり、私たちが止まっているホテルの最上階が回転するラウンジになっていて、そこで夜景を楽しみながらコーヒーを飲んだ。
ウィスラーで食べた物その2
3日目は地中海料理。予約を入れたお店に行ってみると、ほぼ中心に丸いテーブル席がセットされていた。その日は魚が中心。前菜はエビやイカなどのなま物。次にハリバットという巨大なヒラメの親分みたいなものを、試してみる。それとラム肉。焼き加減が丁度良く本当に美味しい。日本人のシェフがいて、大根のなますのような付け合せもあって、皆さん大満足。ただし、デザートのアイスクリームがチョコレートなどの濃厚すぎる味なのがいただけない。ここはやはりバニラでいきたい。4日めは2日前のイタリアンに。じっくりとメニューの研究をして行ったので、滞りなく注文が出来た。前菜にカニのなんとやらを頼む。それがカニまでは辞書に載っているのに、次の単語がわからない。だからカニをどうしたものなのか、出てくるまでは心配だった。注文すると2つ頼まないと足りないといわれたのでそうしたけれど、巨大なカニが2匹でてきたらどうしよう。でも、出てきたのはホタテくらいの大きさのものが8個。食べてみるとつみれのようなかまぼこのような、しかし、絶品。極めつけは薦められたTボーンステーキ。これも2つないと足りないと言われたけれど、とんでもなく大きいお皿が2つ。参った!巨大なステーキ。でも、そのおいしさといったら!!!あまったぶんはドギーバッグにつめてもらって持ち帰ることにした。
最後の日は部屋で食べることになった。キッチンがついている部屋が一つあって、スーパーで野菜とビールを買い込み、昨日のステーキをいただく。さめても未だ美味しい。
この後期高齢者を含むグループは本当によく食べる。しかも肉が中心のメニューを。それが元気のもとではないかしら。
最後の日は部屋で食べることになった。キッチンがついている部屋が一つあって、スーパーで野菜とビールを買い込み、昨日のステーキをいただく。さめても未だ美味しい。
この後期高齢者を含むグループは本当によく食べる。しかも肉が中心のメニューを。それが元気のもとではないかしら。
ウィスラーで食べた物その1
私たちのメンバーは雪雀連の会長山田さんを筆頭に7人。ウィスラーのスキー場のリフト券は70歳以上はスーパーシニア券が発券され、1シーズン大変安く使える。そのスーパーシニアが5人、60歳以上のシニア一人、一般一人という高齢グループ。それが長いゲレンデをのびのびと優雅に滑る。誰一人他の人に迷惑を掛けることがない。お見事!(自画自賛?)それというのも、あのこうるさい小川先生のご薫陶の賜で、感謝しながらも、その偏屈ぶりを肴にして飲むという悪い人たちであります。そして、その元気の元はといえば食べること。歳をとると粗食が良いと言われても、くそくらえ!(失礼)食べるは食べるは。大量のお肉が消えてゆく。初日は日本人ガイドの紹介の日本人がやっている居酒屋へ。日本にはないような日本食が食べられるからと言うので、お義理で行ってみたけれど、大して美味しいわけでもなく高いばかり。2日めからは自力でさがす。私が初めから気になっていたイタリアンレストランに入ってみた。中年のハンサムなウエイターが感じよく対応してくれた。前菜を数種類。ムール貝のワイン蒸しが絶品。パスタも数種類。サーモンは勿論メニューの中心に。でも、メニューが読めない。果たしてこれは何か。スリリングに楽しむ。〆めはアイスクリーム。野生のチェリーがメイプルシロップに漬けた物が気に入ったので別に注文すると、出てくるは出てくるは、しかもつよいリキュールに漬けてあるものだから、あまりワインを飲んでいないのにへべれけになってしまった。あまりにも気に入ったので2日後の予約をして帰った。メニューを一枚もらって帰り、次の献立を研究することにした。
2011年4月2日土曜日
ただいま
なるほど90度の斜面。なんたってオリンピックコースに立っているのですから。携帯で撮って回転させるのを忘れてそのまま送ってしまいました。アハハ。まずは帰国のご報告まで。いろいろあったことは明日から投稿いたします。カナダにいる間も日本の原発が気になっていました。テレビの画像が日本のものより数倍も悲惨なのはどうしてでしょうか。日本では本当の姿を送って居ないような気がします。行っている間時差ぼけはなかったのですが、帰ってくると厳しいかも知れないので、今日は早寝をします。玉三郎以下、ねこ達が騒がないで寝かせてくれるといいのですが。では、おやすみなさい。
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