2011年4月25日月曜日

支援は自分のため

今日やっと支援物資を送ってやれやれ、やっと私にも出来ることがあったと一息ついて考えた。なにか役に立ちたいという突き上げる思いを沈めるため?たとえこの行為が無駄になったとしても、自分はやれるだけのことはやったという安心感を得るため?全部自分のためじゃないか。所詮人間は自分の感情で行動するものだから、自分がしたければお金をあげることも出来る。被災地に義援金を送ったという満足感がある。相手が目の前にいてお金をくださいと言われたら、きっと嫌な気がするとおもう。義援金詐欺ではないかと疑ったりする。私がした被災地への援助などはほんのわずかだから、自分の生活が壊れるほどのものではない。でも、自分の全財産を人のために擲てられるとしたら、よほど愛する人のためか、その人自身が聖人でないとできるものではない。今、安全な場所にいて、ほんの少し義援金や援助物資を送って、それで心の平和を得ている自分がなんだか偽善者に見えてくる。でも、みんなのほんの少しの好意が集まれば、大きなパワーを持つようになる・・・・かもしれない。いずれにせよ、支援は自分の心の平和のため。冷たく見ればそういうことになる。今回感じた事は、支援する人よりされる人のほうが、よほど仏さまのようだと言うこと。辛い目にあっているお年寄りが、ほんの少しの食べ物や毛布など受け取って何回もありがとうを言っている姿を見て、貴方こそ私たちからありがとうを言われるべき人ですよと言いたくなる。今日もまた涙、涙。

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