2014年6月30日月曜日

八ヶ岳音楽祭予備練習

本番は10月だが、早くも第1回目の練習が始まった。
指揮者の飯守泰次郎さんは大変厳しい方で、去年の演奏会の練習は中々満足してもらえなかった。
本番の前日の夜まで練習があって、いい加減私たちは疲れてしまったので、当日は集中できなかった。
参加者がプロばかりでなく、少数のアマチュアとか経験の少ない音大生などもいたので、練習を沢山とるのは仕方がないかも知れないが、疲れてしまっては元も子もない。
初回の練習にはヴィオラの参加者が少ないので、ぜひ参加して欲しいと言われたので、今回参加することにした。
ヴィオラでは初めての曲もあるから、自分の安心のためもあるけれど。
1番心配なのが「運命」
ヴァイオリンではもう数限りなく弾いているけれど、それがすっかり身についてしまっているため、他のパートを弾くと間違えそうで怖い。
1楽章、例の運命が戸を叩くと言われる音型が、楽器毎に代わる代わる出て来る。
ヴァイオリンが出るところでうっかり出てしまいそうな嫌な予感がする。
若い頃に身につけて、長年習慣になったことを払底するのは、すごく難しい。

オーケストラで1番楽なのはファーストヴァイオリン。
えらく目立つけれど、メロディーを弾くのは楽で気分もいい。
内声のセカンド、ヴィオラは楽譜を初めて見ると、どんな曲だか想像も出来ないことがある。
役割が分かって弾かないと、こんなにワケの分からないパートはないけれど、だからこそ曲の全容を知っているベテランが弾くのが一番。
セカンドヴァイオリン、ヴィオラを弾かせてもピカイチだったのは、鳩山寛さん。
ハトカンさんと呼ばれ、長いあいだコンサートマスターを務めたが、内声を弾かせても天下一品。
それだけオーケストラのことが全て、よくわかっていた。
私も室内楽で、時々彼の内声でファーストを弾かせてもらった。
上手く乗せられて、実力以上に弾けるのが、いつも不思議だった。
そういう名バイプレーヤーになりたくて一時期、セカンドヴァイオリンを志望したことがあった。
本当に面白かったけれど、けっきょく周りからも「戻りなさい」と言われ撤退。
頭が悪いってこと?
呑気に鼻うた歌っているのが、性に合っているらしい。

去年八ヶ岳で、あまりにもファーストヴァイオリンが自由に弾くので、「ヴィオラはこんな事を弾いているから聞いて下さい」なんてコンマスに食って掛かっていたのに、実は私もファーストを弾いて居るときに同じ事をやっているのだと思う。
立場が違うとこんなにも視点がかわるものだと思う。
管楽器との関わりもまるで変ってくる。
そこが本当に面白い。
なにか宝の山を掘り当てたような。

今日の練習は最近N響を定年になったkさんと2人。
スッタモンダの私が何をやっても平然と受け流す。
色々小うるさく「ここはどうなってるの?」と質問するのにも丁寧に受け答えしてくれる。
これで私もいっぱしの「運命」通になれるといいけど。
























2014年6月29日日曜日

再会

オーケストラに入団した直後から、コンサートマスターの鳩山さんの室内楽でよくご一緒したチェロの村瀬忠義さん。
長きに亘って室内楽の演奏会を何十回、いやもしかしたら百回は優に越えるくらい、共演した。
その後だんだん意見が合わなくなり疎遠になってしまって、私よりもずっと年上だから、もう引退したと思っていた。
ところが最近ピアニストの太田美里さんから招待状が届いて、彼女が村瀬さんと共演するということがわかった。
場所はヨコハマのイギリス館。
丘の上にある元イギリス領事館だった建物は、古めかしくて雰囲気がクラシック音楽にぴったり。
港の見える丘公園、外人墓地、ゲーテ座などが近くにある。
私もここで数え切れないほど、村瀬さんと共演させてもらった。
私は滅多に後ろを振り返らない性格で、懐かしいという感覚の持ち合わせがないのだけれど、今回どのように村瀬さんが変貌しているかはとても興味がある。
チェロという楽器は構えがとても自然で、ヴァイオリンなどと比べると楽器を床に置けるのがいい。
音を出すことはヴァイオリンより力がいると思うが、体に無理がないからチェリストのほうが演奏寿命が長いような気がする。
ヴァイオリン、ヴィオラは常に楽器を持ち上げていないといけないから、体力がなくなると辛いかもしれない。
私はまだ辛くないので分からないけれど。
さてその大変演奏寿命の長い村瀬さんのプログラムは

ベートーヴェン   モーツァルトの魔笛の主題による変奏曲
ブラームス     チェロソナタ2番
シューマン     アダージオとアレグロ
ショパン      ノクターン変ホ長調
トセリ       嘆きのセレナーデ
チャイコフスキー  感傷的なワルツ
ラフマニノフ    ヴォカリーズ
アルベニス     マラゲーニャ
  
これだけのプログラムをこなすのは、体力気力共に充実していなければ出来ないことだから、年齢的にも驚異的なことだと思う。

イギリス館はそう広くはないので、70人入るかどうかだけれど、今日はイスが足りないほどの満席になって、花房晴海さんのような高名なピアニストもみえていた。
始まったとき、ああ、やはり彼も歳をとったなと思った。
音が弱々しく音程が不安定。
若い時の彼はとても力強い弾き方をしていたが、その片鱗もところどころ聞こえるものの、弓が地に着かないという感じがした。
ところが、ブラームスのソナタを弾き始めたあたりから徐々に音量が増えてきて、どんどんかつての音が蘇ってくる。
2部の小品集になると、朗朗と響くかつての持ち味であった音が再生されてくるのは感動だった。
いつも言っていたのは、女性をその気にさせるような(本当はもっと下品な言い方だが、書くのははばかられる)弾き方をするようにと、先生にいわれたそうだ。
そういう表現は本当に上手い。
先生はボウイングの神様の三鬼日雄先生。
今日も見ていると、人の体は毎日使っていれば固まらないものだと思った。
右手の柔らかさ、左手のヴィブラートの早さ、年齢は全く感じられない。
これは三鬼先生の厳しい訓練のたまもの。
それを素直にいつまでもきちんと実現する、そこがえらい!
2部になると音程も正確になり、客席もリラックスして、大変楽しい演奏会になった。
話を聞くと、どうやら彼は久しぶりに私たちが聴きに来るというので、すごく緊張したらしい。
それで最初はガチガチだった。
1曲終ってこちらを見てニコッとして、それからほぐれたようだ。
真ん前で聴いて悪いことをした。
ピアノの太田美里さんは、怪我による7年に亘るブランク後復帰して、今回も出演をためらっていたようだけれど、立派にお務めを果たした。
美人だからステージに花を添えられる。
やはり演奏家は見た目も大事。

終演後、ここまで来てヨコハマ中華街に行かない手はない。
知り合いと5人で歩いて中華街へ。
いつものようにたらふく食べて飲んで、狸のお腹で帰ってきた。
よかったよかった、全部ほんとうによかった。







      





















2014年6月28日土曜日

兵士の物語がどんどん面白くなる

先月から月1回、ストラビンスキーの「兵士の物語」を合せ始めた。
皆、他の仕事の合間に練習するから、日にちも時間も沢山はとれない。
初めて楽譜を見た時には、こんな無理なことなんでするのかしらと、疑問が湧いてきた。
何回弾いても、旧くなった脳みそには音もリズムも染み込んでいかない。
それでも他の人に迷惑をかけられないから、音を読み進めていく。
そして、何回も弾いている内に見えてきたのは、どの音にもちゃんと意味があるということだった。
とても弾けるとは思わなかった音型が、いつの間にか手の内に入ってくる。
2重構造になったメロディーラインが浮かび上がる。
ほう!こんな事になっていたのか。

西洋の音楽は理論が先にたつ。
感情だけでメロディーを書いているわけではない。
まず和声があって、それから上に旋律が載っていく。

原始人だからリズムには強い。
何拍子であろうと、あまり頓着しないで弾ける。
今回はリズムはさほど手こずらなかったけれど、音を拾うのが大変だった。
だったというと過去形だが、まだ大変な最中なのだ。
同じ指が隣の弦との間を何回も往復しないといけない(それもすごく早く)音型とか、どうやっても無理ではないかと思える指使いをしなければならないこととか、まだまだ問題は山積している。
それはそれとして、ピアノ、クラリネット、ヴァイオリンの3人が段々興に乗ってきたのがうれしい。
ピアノのkさんは「大変なもの引き受けちゃった」と思ったと、今日になって告白。
私は「これはちゃんと弾ける物なのか」と、挫折しそうになった。
一人気を吐くクラリネットは、嬉しそう。

私は勤勉では無い。
なにかを規則正しく、きちんとやることが出来ない。
なんたって多動児だから。
それでも、自分の長所はと問われれば耐久力。
飽きないで長期間持続出来るところと答えたい。
ダラダラとやっているから、少しずつしか前に進めないけれど、そのかわりいつまでも変らず、少しずつ前進できる。
いつの間にか人より前に出て、気がつくと人の首根っこを押さえつけて、自分の思い通りにしている。
多分勤勉な人は、あまりにも努力するために、ある時期には疲れてしまうのではないか。
子供のうちから猛訓練を受けた人が、早々と楽器を弾かなくなるのを再々目撃すると、人が一生で働く量は決まっているのではないかと思う。
私はヴァイオリンを遅く始め、のんびりと勉強してきた。
今私の同級生でプロとして残って居る人は、殆どいない。
けっして優等生ではなかった私が今でも活躍出来るのは、ユックリズムのお陰だと思っている。

歳をとってもこうして新しい曲に挑戦できて、一緒に演奏してくれる人達がいることに驚きと感動を覚える。
変った拍子のことを変拍子と呼ぶが、これには麻薬的な所があって、やみつきになる。
アドレナリンが大量に出て、楽しくてたまらない。
3人ともわくわくしながら集まっている。























2014年6月27日金曜日

ケースが壊れた

先日の墨田トリフォニーで、楽器ケースを持ち上げた途端、取っ手がこわれてしまった。
とっても悲しい・・・なーんてダジャレをいうのはだれじゃ。
考えてみたら今使っているケースはもう10年目くらい。
日本中を一緒に旅した仲なのだ。
毎日々々、使われてヘトヘトになってしまったケース。

最近劣化が激しいから買い換えようと楽器屋さんに行ってみたが、中々気にいるのが見付からない。
それで買い換えを伸ばしていたのが良くなかった。
そっくりな物はあるのに、鍵の部分が違う。
今迄のは暗証番号でロックできるのに、最新のはキーがついているものだから、鍵失くし名人としては非常に不安。
いざ会場に行ってキーが見付からなくて大騒動になりそうな、嫌な予感、予感と言うよりも実際に起きることは予測される。
それもかなりの高確率で。
それなら鍵を閉めなければ良いようなものだけれど、いつだったか、閉めてあったはずの金具が開いていたことがあった。
ちょっとした衝撃で引っかかって開いてしまうことがある。
しっかり固定してあるから中身が飛び出す危険はないものの、それ以来非常に気をつけてロックするようになった。
古くなって金具が緩み始めていたらしい。
そして今度の取っ手が外れたことで、いよいよ新しいものを探さないといけなくなった。

今家には数個のケースがおいてあるけれど、やはり一番気に入ったものしか使わない。
間に合わせに以前使っていた物を使うことにした。
角形ケースで色やデザインが気に入って買ったものだけれど、重くて持ちにくい。
車で移動するならいいけれど、電車で移動するときには、非力な私には重すぎる。

銀座の画廊で展覧会を見てから澁谷の教室に行く途中で、楽器屋さんに寄ってみた。
先日訪れた時には食指が動かなかったけれど、今日はその同じ場所に綺麗な明るい色合いのケースがずらりと並んでいた。
店長さんが、今朝入荷した新色ばかりですと言う。
その中で綺麗な薄い黄色のケースに目がとまった。
他にも綺麗なピンクやブルーがあったけれど、何となく今日は黄色の日。
即決でそれを買った。
今朝入ってもう売れたというので、店長さんは大喜び。
スタッフ達に得意そうに、もう売れたよと宣っている。
ケースを背中に背負うと、今日の服にぴったりですねと言う。
気がついたら、今日は黄色いシャツを着ていた。
日頃黄色のものは滅多に着ない。
それなのに今日に限って服も黄色、選んだケースも黄色、しかも足元はきんきらの金色のスニーカー。
黄色が着たくなる気分というのは、どんな心理状態なんだろうと、しばし考えてしまった。
















2014年6月26日木曜日

久々にヴィオラ

今年も10月に行われる八ヶ岳音楽祭に、ヴィオラで参加することになった。
この音楽祭は、元東京フィルハーモニーのトロンボーン奏者だった細洞さんが、音楽監督を務める。
去年は飯守泰次郎さんを指揮者にお迎えして、ブラームスの交響曲4番など、非常に厳しい練習だった。
今年はベートーヴェン「運命」ブラームス「大学祝典序曲」など。
地元のヴァイオリンの先生のようなセミプロと、音大生とアマチュア、そしてエキストラは現役オケマンとオケマンOB達。
コンサートマスターは九響のコンマス。
細洞さんの関係で東京フィルのメンバーが多い。
まだ始まって10年弱の音楽祭なので、中々予算的に難しいこともあって、全部をプロでというわけにもいかないようだ。
それで事前に都内での練習があって、それに参加してくれないかとの依頼がきた。
楽譜を見ると、ヴァイオリンとは大違いのサッパリした譜面。
だから易しいかというと、これがとんだ食わせ物で、必ず何カ所か恐ろしい場所がある。
ヴィオラは中間の音域(アルト)だから、普通の場合あまり目立たないけれど、目立つとなると、これが嫌なんだなあ。
例えばチャイコフスキーのシンフォニー「悲愴」
いきなりヴィオラのソリ(ソロの複数)が延々と続く。
日頃ゴソゴソと下の方で弾いているのに、いきなりスポットライトを浴びせられて、めまいがするらしい。
この曲を演奏すると、ヴィオラ弾きが死ぬという伝説まである。
それほど緊張するらしい。
それからショスタコーヴィッチのシンフォニー5番、これもヴィオラのものすごく嫌なソリがある。
ヴィオラ以外のメンバーは首をすくめながら、その箇所が無事過ぎることをお祈りする。
終るとオーケストラ全体がホッとため息をつく。
今時の上手いヴィオラ弾きにはなんでもないけれど、私たちが若い頃のヴィオラは中々ユニークな人が多く、超マイペースで人と合せようなんて思わない人も多かったので、時々悲惨な結果になることもあった。

今ストラヴィンスキーの「兵士の物語」を練習中、ブラームスのソナタもあるので、ここでヴィオラを弾くのはしんどいけれど、次の日曜日が練習なので、今日初めて楽譜に目を通した。
どこと言って難しい所はない。
でも、これが落とし穴。
しかし、今度の練習には元N響のkさんも出るそうだから、とても安心できる。
ただし彼は非常にウッカリやさんだから、練習日を間違えて来ないことも予測しておかないと、そうなった場合ショックは大きい。

急にヴィオラが浮上した時に、惨めな事にならないように、一応は全体を弾いておこうと思ったけれど、先日から痛む親指が相変わらず疼く。
特にヴィオラは私にとっては巨大な楽器なので、体力的には非常に無理を強いられる。
勿論指のためにもよくはない。
それでも、この楽器の持つ魅力にはかなわない。
特に、ベートーヴェンのシンフォニーの内声の面白さったら、猫が魚を与えられたようなものだにゃあ。










2014年6月25日水曜日

マーラー「巨人」

中学生のころは、学校から帰るとまずモーツァルトのシンフォニー40番のレコードを聴く。
その後は歌の曲、例えばシューベルト「冬の旅」やマーラー「さすらう若人の歌」か「泣き子を偲ぶ歌」などを聴くのが日課となっていた。マーラーの「シンフォニー1番巨人」これも飽きずに毎日のように聴いていた。

マーラーのシンフォニーの中で1番好きというと、マーラーフリークからブーイングが出そうだけど、コントラバスのソロも初めて聴いた記念すべき曲だから、お許しを。
初めて生で聴いたのは大学生の時、N響の定期演奏会だった。
初めて見る大勢のホルン、ホルンのパートでいきなりスタンドプレーには驚いた。
全員がさっと立ち上がって、あのホルンの颯爽としたメロディーを演奏、度肝を抜かれた。
あれは当時の流行だったのか、その後はお目にかからない光景だが、だれかの、指揮者の好みか、その当時のトップの千葉馨さんの提案だったのか。

この演奏、素晴らしい。
終って思わずブラヴィッシモ!
ハイティンク  ベルリンフィルの演奏。

2014年6月23日月曜日

浅草でドサクサ

大分前から、弥生人の美智子さんと浅草にフグを食べに行く予定を入れていた。
浅草はあまり馴染みがない。
銀座まで、遠くても上野まではよく行くけれど、浅草になると少し遠隔地の気分になる。
仕事では数回行っているけれど、いつも仕事が終れば矢のように飛んで帰ってきてしまうから、街を見たことがない。
待ち合わせて、雷門に繰り出した。

なぜこの暑いのにフグになったかというと、以前、上野池之端の寿司や「英多郎」に美智子さんの1年遅れのお誕生祝いをするために、案内したことがあった。
売れっ子で超多忙だった美智子さんも、最近ようやく時間がとれるようになってきたところで、ちょうど良い道連れとばかりにお誘いしたのがそのきっかけ。
その時に、彼女が最近同窓会で行ったフグやさんが美味しかったという話となり、私はフグはまともに食べたことがないという話となり、それではということになった。
これからはせっせと美味しい物を食べ歩こうと、悪だくみ。
フグは白子が美味しいそうだけれど、今の季節は食べられないから、又来なくてはいけない。
それに、まだまだ美味しいお店の候補は挙がっている。
次々でしんどいなあ、はははは・・・・

雷門に着いた時、ここはどこ?状態。
何語か分からない言葉が飛び交っている。
しかも歩いていても肩が触れあうほどの、混雑ぶり。
仲店通りは、外国人向けの日本のお土産を売る店が、連なっている。
最近の日本人には馴染みのない、手ぬぐいや扇、着物、草履、そして浅草と言えば芋羊羹、おせんべい。
先の細いお箸を探していたところだったので、竹製の細いお箸を買った。
ちいさなテーブルクロスにできそうな、風呂敷を買う。
日本手ぬぐいはデザインも色も、今見ると斬新で魅力的。
浅草は独特の雰囲気がある。

夕方になっていよいよ、フグの時間になった。
三浦やというフグの店。
突き出しはウニ、その後はフグ刺し、海鮮サラダ、ふぐちり、最後に雑炊を頼んだ。
本当はトラフグでいきたいところだったけれど、なんせお値段が貧乏音楽家には手が出ない。
ビールのあとで麦焼酎のお湯割りをなめながら、会話がはずむ。
〆の雑炊でフグの出汁をすっかり食べ尽くす。完食!

すっかり満足して外に出ると、あれほどの喧噪が嘘だったかのように、街は静まりかえっている。
浅草寺の参道には明々と灯が点っているのに、人影はまばらで、見あげるとスカイツリーの青い色が幻想的に浮かび上がっている。
昼間はお寺があるとは思えないほどの騒がしさだったけれど、夜の人通りの絶えた境内は荘厳さを取り戻して、ありがたい気分になる。
美智子さんはこれが見せたかったのと言う。
なるほど、これは見る価値があった。
これが浅草、昼はどさくさ。















低気圧

昨日ベートーヴェン「大公トリオ」の本番の朝、前日までの好天が変って西の方が荒れてくると言う予報。
幸いこちらは少し雨が降った程度だったけれど、次の日は天候が悪くなりそうだ。
午前中指馴らしを始めたら、左手拇指付け根に激痛が走った。
突然のことで思わず呻いた。
痛さでびっくりして、暫く左手を右手で包み込んで我慢をしていたが、一向に治らない。
かつて、ひどい腱鞘炎になった場所だから、低気圧で又顔をだしたらしい。
痛いだけならいくらでも我慢できるけれど、指に全く力が入らなくなっている。
触ってみるとその部分だけ冷たい。
一種の心筋梗塞みたいに血管が詰まったのか。
先週あたりから怪我ばかりしている。
転んで強打した胸は、胸骨にヒビが入ったらしく、痛みが引かないどころか、ますます痛くなる。
友人達は病院に行った方が良いと言うけれど、この辺の骨のヒビはほっとくしかないから、我慢している。
病院に行っても、湿布薬をもらって帰ってくるだけだから。
そして今朝の親指の付け根の痛み。
最近はよく怪我をする日々だわ。
私は子供の頃から体が弱くて、よく病気をした。
3大疾病にガン。
全部させていただきました。
それでも、それだから、お転婆する割には怪我はあまりなかった。
病気は全部やって気が済んで、今度は怪我に移行するとまずい。
怪我だけはしたくない。
病気でも両手が無事ならヴァイオリンは弾ける。
でも、怪我で弾けなくなったらおしまいなのだ。
あまりにも無理な仕事のしすぎで、一時期両手の腱鞘炎で辛かったことがある。
それをフォームを変える事によって直してきた。
治ったと思っていたけれど、手の方は覚えていたらしい。
低気圧が近づくと、痛みだす。

「大公トリオ」の本番だから、今日急に変ってもらうワケにはいかない。
どんなことがあっても演奏は放棄できないから、なんとかしなくてはいけない。
会場の立川市民会館に着いて、指馴らしをすると猛烈に痛い。
弾けるだろうか?
それでも共演するピアニストにそんなこと言ったら、びっくりされてしまうから黙っていた。
そして本番、ステージに出てもまだ痛い。
チューニングをしようと思っても、ペグを回すこともできない。
演奏が始まった。
初めのページが半分くらい終ったところで、指の痛みは気にならなくなった。
後は痛みも消えて演奏終了。
楽器ケースの蓋を開けようとしたら、激痛が戻ってきた。
おや、お帰りなさい。
本番の間どこへ行ってたの?
終って楽屋でチェリストに話した。
人の気持ちってすごいわね。本番の間痛くなかったのよ。
それじゃあ、毎日本番してたらいいですね、とチェリスト。
おいおい、それでは神経がもたないよ。


































2014年6月22日日曜日

ハイフェッツと亀井さん

期限切れでオンデマンドの放送が聴けなかった人達のために、亀井さんのお話を要約してみました。
今朝、まだ聴けたので、前の投稿の薄いグレーの文字「こちら」をクリックしてみてください。
それで聴けなかったらこちらをお読み下さい。

亀井さんは高校を卒業してから、アメリカに渡りジュリアード音楽院を目指した。
その前に語学を学ぶために、ロスの郊外のクレアモンという所にある語学学校に入学した。
そこの先生から彼女は、ハイフェッツに会ってみないかと声を掛けられた。
すぐ次の日ハイフェッツの前で、シャコンヌ(バッハ)やロンドカプリチオーソ(サンサーンス)ポエム(ショーソン)など聴いてもらった。
そして最後に音階を弾くようにいわれた。
しかし彼女は音階が嫌いで弾いて居なかったので「私は音階は弾きません」と言った。
するとハイフェッツは「貴女はヴァイオリンがすきか」「貴女はヴァイオリンと友達になりたいか」と聴いた。
彼女はもちろん「私はヴァイオリンを愛している」と答えた。
するとハイフェッツは「ヴァイオリンと友達になる最高の方法は音階をまなぶことだ」と言った。

その後ハイフェッツの弟子になってからは彼のマスターコースで学び、ハイフェッツ・ピアティゴルスキーコンクールで、演奏を披露。
最後の5年間は、ハイフェッツのアシスタントとして教えた。
ハイフェッツは相手が子供でも語学の出来ない東洋人でも全く態度が変らなかった。
レッスンには男性はスーツにタイ、女性は絶対スカートをはくようにといわれた。
それはプロフェッショナルとしての姿だと。
週2回のレッスンだから、時々誰もレッスンを受けられる曲が無いときは室内楽。
ハイフェッツは室内楽が大好きだった。
ベートーヴェンの弦楽四重奏やブラームスなど。
特にメンデルスゾーンが好きだったようだ。
いつもの厳しいレッスンとちがって、とても楽しかったそうだ。

レッスンでよく言っていたのは、keep interest「聴いている人が退屈しないように、決まった物をいつも決まったように弾いてはいけない」
「リピートがあれば1回目と2回目はかならず違うように、もっと音楽の可能性を探しなさい」

亀井さんがヴィエ二ヤフスキーの協奏曲を演奏したとき、彼のお弟子さんが全員聴きに来た。
次のレッスンでハイフェッツは「彼女の演奏はどうだった?」と質問し、生徒達は「slow movement(2楽章)が特に良かった」と答えた。
するとハイフェッツは「ではここで弾いてみなさい」と言った。
亀井さんは、コンサートが終って気が抜けた状態だった。
気が乗らないまま演奏して終ると「ふーん、これで1番良かったの?」と厳しい言葉。
「でも先生、私は今日はもう気が乗らなかったから」と言うとハイフェッツは烈火のごとく怒っって、そして言った。
「私は戦争中兵士達の慰問のために演奏していると、必ずアヴェマリアを弾いてくれといわれた。その人達に今日は気分が乗らないからと言えるか?」ハイフェッツの目には涙すら浮かんでいたそうだ。

nekotama記
彼の演奏は、あまりにも技巧に走るとか、クール過ぎるとか言う批評家もいる。
でもヴァイオリンを弾く人にとっては神様。
同じ音が続と必ずべつの弦で弾いて音色を変えたり、決して興奮しないというか、つねに姿勢を崩さず易々と技巧をクリアする。
そんな所が批評家には気に障るのかも知れないが、ヴァイオリニストだったら、それがどんなに難しいことなのかわかるし、彼の心の中に熱い血があることも分かる。
彼は「play sentiment(感性で弾きなさい)決してsentimentality(感傷的)であってはならない」と言ったそうだ。
しかし譜読みの正確さ、数えることは徹底的だったという。
自分の感情の極限の手前でとどまり、自己満足の甘さを嫌ったという。
彼の演奏を聴いて感じるのは、研ぎ澄まされた日本刀のイメージ。
音の立ち上がりの鮮明さは、他に追随をゆるさない。
1900年(明治33年)生まれとも1899年とも言われるが、亡くなったのは1987年。
日本が大好きだったそうだ。





























2014年6月21日土曜日

ハイフェッツ

私を音楽へと導いたのは、たぶんハイフェッツ。
私が生まれた時から我が家には、どっしりとした革表紙のレコードアルバムがあった。
いつの間にかそれは私だけの物になってしまった。
毎日々々、飽きることを知らず、蓄音機を回し続けた幼少時代。
ルビンシュタイン、シャリアピン、ピアティゴルスキーなど。
その中でも私が一番好きだったのがヤッシャ・ハイフェッツのメンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」だった。
それはよく覚えていないが、たぶん1曲が2枚組になっていたので、楽章の途中でレコードをひっくり返さないといけなかった。
その後LPレコードが出はじめて、初めて通して聞いた時に変な感じがした。
ここでいつもひっくり返すのに、と。
そんな子供を母親は気遣って、子供らしく遊ばせようと近所の同い年の子の家に引っ張っていき、置いて行かれる。
5分もしないうちに家に舞い戻って、私はレコードに釘付け。
いまだったら引きこもり、コミュニケーション障害になってしまうが、当時は幸いなことにそんな病気は知られていなかったので、私は少し変った子供でいられた。

今年も松原湖でのコンサートに参加することになった。
その主宰者であるアメリカ在住の服部康子さんから転送メールが届いた。
亀井由紀子さんというサンフランシスコ響のヴァイオリニストのインタヴューがラジオ放送されたときのもの。
今日が21日だからもうすぐ聞けなくなりますがこちらから聞いて下さい
亀井さんはハイフェッツのお弟子さんだったので貴重なお話が聞けます。
期限切れの際にはご容赦ください。

ハイフェッツとの出会い。
レッスンでの態度など、ハイフェッツがいかに真摯にヴァイオリンと向き合っていたか、室内楽が好きで楽しかった事など興味が尽きない。
期限が切れたらnekotamaに話の概要を書きます。

















2014年6月20日金曜日

ブラームスばかりの1日

ブラームス  ヴァイオリン協奏曲
ブラームス  交響曲第4番
     
     新日本フィルハーモニー
     指揮      ダニエル・ハーディング
     ヴァイオリン  イザベル・ファウスト
        墨田トリフォニー大ホール

昼間ピアニストのSさんとブラームスのソナタを合せて、練習後一緒に、すみだトリフォニーへでかけた。
ブラームスのソナタは3番。
ブラームスに対するちょっと苦手感がなくなってきたのは、40才を越えてから。
若い頃はブラームスみたいに優柔不断、解決するかと思うと又悩み始め、グチャグチャあっち行ったりこっちいったり。
おい、どうするんだよ、はっきりしろ!みたいな男はどうも苦手だった。
だからクララ・シューマンへの恋も実らなかったんだと、悪口言っていたのに、ある時期から急に好きになった。
ある年の晩秋にブラームスの弦楽四重奏を聴いていたら、胸の奥にするっと入り込んできた。
もう、たまらない!
晩秋にブラームスは良く似合う。
人は皆こうやって悩み苦しんで生きているのね。
ろくに悩みもしない私には、こういう深い苦悩が欠落していたけれど、中年にさしかかる頃には多少の経験も積んで、次第にわかる様になってきた。
練習後Sさんと向かった墨田トリフォニーまでは、途中渋滞に巻き込まれひやひやしたけれど、無事時間前に到着。
ほっと一息でヴァイオリン協奏曲は2楽章からすやすやと寝てしまった。
目が醒めると終っていて、会場中に拍手が鳴り止まない。
ああ、惜しいことをした。
名演奏だったのだろうに。
墨田トリフォニーは客席で聴くのは初めて。
音響が良いという評判だが、えー、なんだかおかしい。
3階席だったからかも知れないが音が分離しない。
そうかと思うと思いがけないところの音程のずれが、聞こえてしまったり。
私的にはあまり好きな音響ではない。
シンフォニー4番。
のっけから切ないメロディが始まったかと思うと、すぐに音楽に引き込まれ深みにはまっていくところがいい。
チェロのメロディーに蕩ける、これぞブラームス。
嫌いだった割には、シンフォニーは最初から全部好き。
ヴァイオリン協奏曲も数ある中でも、すごく好きな曲。
ヴァイオリン協奏曲の1楽章のカデンツァは、ブゾー二版らしい。
初めて聴いたけれど、ティンパニのロールが入る。
それがすごく効果的で、面白かった。
ヴァイオリンは素晴らしい。(1楽章はちゃんと聴いていた)
指揮は私の趣味としては、テンポ感がいまいちしっくりこない。
たぶん洗練されすぎている。
これは各自の好みのものだから、決してけなしているわけではない。
ティンパ二ロールを演奏していたのは、かつてスキーに一緒に行ったことのある可愛い坊やだった。
いまや風格のあるおじさんになっていた。
昼も夜もブラームスの、幸せな日。













2014年6月19日木曜日

歳を重ねると

昨日みつけた徳永兼一郎さんの動画。
何回も見て声を出して泣いた。
私は弟の二男さんとオーケストラでずっと一緒で、彼のすぐ近くの席で弾いていた。
通称つんちゃん、恐ろしく耳が良くて怖かった。
隣で弾いている時は安心していられたけれど、後ろに行くと耳が絶えずこちらを向いているような恐怖感があった。
それでも普段はこの上なく優しくナイーブなひとだったし、お兄さんの兼一郎さんも又同じだったようだ。
お父様のスパルタ教育が見事に花開いて、兄弟そろってN響のトップになった。
それにしても、余りにも早くこの世を去ってしまった兼一郎さんだった。
動画は何回見ても号泣してしまい、目が腫れ上がってしまった。

これからの私の人生には、この様な場面が幾つも連続してやってくるのは避けられない。
人生前半は勉強や恋愛に向かって突っ走る時期だけれど、後半は逆に失っていく事の方が多くなる。
そろそろ死というものを、きちんと見つめないといけない時期にさしかかって思う事は、死は到達点ではないということ。
怠け者で才能も無い私でも、音楽家の端くれとして、人生の最後まで発展途上であることを忘れてはならない。
最後まで音を、音楽を追究して、それで倒れて消えていけばいい。
もし私の音を少しでも受け継いでくれる人がいたら、それは無上の幸せなのだ。
私の師の出したCDを聴いた時、自分の原点がここにあると思った。
もちろん先生には及ばないが、私の音の出し方や歌い方が同じ土壌に育ったものだと感じた。
やはり若いときに師事して7年間吸収して、先生の感性、音楽、音色など、すごく影響されたものになった。
こうやって、次の世代に私の音楽細胞が1つでも受け継がれて、音楽界の鎖の微々たる一環になれたら、私の生きてきたことも意義があったかと思う。
そう思えば、死は決して悲しいものではないと思うけれど、やはり惜しい人が早く亡くなるのは残念でならない。
心に悲しみの澱が積もっていく。
それは若い頃のように激しくはないが、決して消えない。
その消えない澱が音楽には養分となる。
歳を重ねるというのはそういうことだと感じる。
失うからこそ、自分の中に熟成されるものが増えていく。






























2014年6月18日水曜日

大徳さん最期のコンサート

1996年5月に亡くなったチェリスト、徳永兼一郎さんの最期のコンサートの放送動画を見つけて、号泣してしまいました。
誰からも愛されたお人柄、弟のヴァイオリニストの二男(つぎお)さんとはすごく仲の良い兄弟だった。
二男さんはつんちゃん、兄貴はだいとくさんと呼ばれていた。
まだまだこれからというときに、どれほど心残りだったかと思うと涙が止まらない。
彼は私たちのオーケストラのアメリカ演奏旅行に、ゲストチェロ主席奏者として約一ヶ月半、参加してくれた。
団員たちとすぐに仲良くなり、連日子供の様にはしゃいでいた無邪気な姿を思い出して、又、涙涙。
彼が亡くなってもうずいぶん経つのに、今でも彼の人柄を賞賛する声を耳にする。

鳥の歌、純粋で神々しい演奏。








2014年6月17日火曜日

笑う鍵や

鍵の取り替えを依頼するために鍵やさんに電話したら、建物の名前を半分言ったところで「ああ、川の所ね。どうされました?」と言う。
「又なくしたんです」と言ったら「ウッソ-」と笑われた。
年がら年中鍵を取り替えて、うちは良いお得意様となってしまった。

昨日探しに行って1軒だけしまっていたのが郵便局。
それで今朝カウンターで尋ねると、ありましたといわれた。
すぐ傍の交番に届けてあった。
スキップせんばかりに駆けつけると、色々書類を書かされ身分を調べられ、本当に落としたのかどうか厳重な審査の後、手元に帰って来た。
鍵やさんにキャンセルの電話。
「先ほど鍵の交換お願いした・・・」「あったのね、はいはい」
飲み込みの早い鍵やさん。
昨日はお店で出会ったお客さんに、あらぬ疑いをかけてしまった。申し訳なかった。
でも、なんであの人は私に密着してきたのだろうか。
勿論女性ですが。
平気で人との間合いを取らない人がいる。
好きな人なら密着は嬉しいけれど、見ず知らずのデブの(あちらも私のことをそう思っているはず)おばさんにべったりつかれたら、気持ち悪いでしょう?
先ほど外出したときにはまだ鍵が戻ってきていなかったから、用心のために昨日と同じように、ドアにイスやスリッパラックを立て掛けてから、ドアを閉めた。
万一鍵を拾った人が来ないとも限らない。

郵便局を訪ねて、鍵が見付かって意気揚々と帰って来た。
勢いよくドアを開けたら、どしゃ~ん、カランカラン、派手な音がして中の障害物が倒れて、笑った。
こうして約1時間以上の時間をロスする。
他にすることもあまりないといえばないのだが、これで忙しい時だったら涙が出る。
私が失くすような鍵を持つのが、まちがっているのかも。
今時は様々なタイプの鍵が出ているのに。
なんせシリコン脳なんだから。


















間もなく花火の季節、江戸時代には「たまや」と「かぎや」という大きな花火問屋があったそうだ。



後遺症?

昨日転んで胸を打ったのが夜中に少し痛んだけれど、今朝は殆ど痛みもなくなっている。
鏡で見ても青あざなどもなくて、時々思い出すと痛く思う程度。
昨日心配してメール下さった方々、ご心配お掛けしましたが大丈夫です。

昨日はどうやら厄日だったようだ。
夕方散歩がてら商店街で猫のエサなどを買い物。
いつもは通販で届けてもらうのが手違いで数量を間違えてしまったので、次の配達日までストックが足りない。
繋ぎの分だけ買いに出かけた。
家に帰って鍵をあけようとしたら、鍵が見付からない。
部屋はしまっているから、確かに自分で鍵をかけて出ている。
近所の姉に合い鍵を預けてあって心配はないのだけれど、鍵を拾われたら危険だから、さっそく鍵をつけかえなければならない。
もう一度自転車を飛ばして、買い物ルートを探してみるが見当たらない。
ひとつ心当たりは、これは証拠もないけれど・・・・
猫の缶詰の支払いをしているとき、異常に密着してきた人がいた。
財布を出していたのでバッグの口が開いていたから・・・まさかと思うけれど、その密着の仕方がものすごく変で、何回も顔を見て嫌だアピールしたのに、そしてなんとか避けているのに、グイグイと寄ってくる。
小型犬を抱いていたので、その可愛さもあって、あまり露骨に避けなかったのがいけなかったかも。
そうは思いたくはないけれど、犬の抱き方も変で、一種の変人みたいな感じがした。
もしや、その時に?
後を付けられて、自宅を特定されでもしたら危ないと思った。
住居エリアは中からチェーンをかければいいけれど、レッスン室は夜中は人がいないから、鍵を持っていればあけられてしまう。
それで最後に鍵をするときにドアの取っ手に、内側から傘をつるす、スリッパラックを立てかけるなどして、鍵をした。
今朝、そんな事をすっかり忘れてドアを開けたら、中で傘がドサッと落ちて、スリッパラックがチャランチャランと音を立てて崩れた。
これは夜中だったらけっこう大きな音がして、開けた人がびっくりする。
昨夜は何事もなかったけれど、心配だから付け替えてもらうことにした。
つい数ヶ月前に替えたばかりで、その時に鍵やさんから「お宅は前にも来ましたよ」と言われた。
今度は「又ですか」と言われそう。
やはり証拠もないのに人を疑うのは良くないから、自分の迂闊さを反省。
どこかで落としたらしい。
転んで打ったのは胸でなくて頭だったかもしれない。
口の悪い人から、私の脳みそはシリコン製だと言われたけれど、こう度々失くしものをするようでは、それは本当のことかもしれない。













2014年6月16日月曜日

転ぶのは天才的

今日は買い物の後、友人と楽しくお茶会。
家に帰って車のトランクから買い物を出して2,3歩歩いたところで急に天地が逆さまになった。
荷物が大きかったので足元が見えず、コンクリートの車止めに足を引っかけて転んでしまった。
転ぶのが天才的に上手いから、今日も猫のように転んだつもりなのに、いかんせん両手に大きな段ボール箱を抱えていたために、その箱で胸を強打。
ただ、その箱のお陰で軟着陸したので、ダメージは少ない。
胸と言っても、ちょうど真ん中の胸椎のあたりを打っただけ。
骨にヒビが入っていなければなんてことも無さそうで、今は打撲の痛みだけ少し残る程度。
整形外科に行って診てもらおうかと思ったけれど、どうせ湿布薬が出るだけだから、ムダな事だと思ってやめた。
自分で冷やせばいい。
私は女性だから、もちろん胸に付くべき物は付いている。
多少小さめではあるけれど、一応他の部分よりは出ている。
不思議なのは、そこを打たないでその間を打ったのはどうなっているのか。
物事の拍子というのは解せない。

時々転ぶのは不注意だから。
それでもスキーや乗馬で落ちたり転んだりするのは馴れているから、転び上手ではある。
タイトのロングスカートで自転車に乗っていて転んだ時が、一番危なかった。
タイトスカートだから、バランスを崩した時に足を着こうとしたら、足が広がらない。
楽器を脇に抱えていた。
とっさに楽器をかばう習性があるから、体より楽器優先。
楽器は私の腕の中で無事だったけれど、人間の方はもろ、地面に横倒しになった。
それでも、楽器を抱えていた方の左手の指を擦り剥いただけ。
駅の階段から頭を下にして真っ逆さまにこけたときは、スカートの裾の折り目に靴のヒールが引っかかっての事故。
やはり楽器はしっかりと抱えられていて無傷。
あまりのショックで口もきけないのに、ワラワラと人が寄ってきて「大丈夫ですか」と詰め寄られて「あうあう」としか返事が出来ない。
そういう時は、少し様子を見てから質問してほしいと思った。
乗っていた馬が、馬場に置いてあったドラム缶の影から飛び出した犬に驚いて、突然停まったことがあった。
私は走っているつもりでそのポジションでいたために、急停止した馬の首を飛び越えて前に投げ出された。
それも天才的に背中から落ちるというすご技をやってのけ、ダメージゼロ。
その時も馬場の四方八方から人が押し寄せて「大丈夫ですか」の連呼。
この話も前に書いた事があるけれど、やはりショック状態の私は口がきけず、しばらくしてから「落ちた直後は口なんかきけないわよ」なんて憎まれ口を利いたので、せっかく心配してくれた人達は傷ついたようだ。
モンゴルで落馬した時は、モンゴル人の馬方さんが後ろから羽交い締めにして、体をとんとんとゆすってくれた。
それがモンゴル流の落馬の気付けらしい。

今まではすべて無事だったけれど、これからもっと歳をとると怪我をするかもしれない。
ほんとうに気をつけなければ、猫の面倒が見られなくなっては大変。
こうして思い出しみると、私はお転婆な方だと思う。
子供らしい遊びは一切しなかったので、体育の授業では跳び箱も逆上がりもクラスでただ1人出来なかった運動音痴が、よくもこんなに危険なことばかりしたものだ。
危険だから面白かったのかもしれないけれど。




















2014年6月15日日曜日

シューマン初顔合わせ

今年の8月松原湖のヤルヴィホールでシューマンの「ピアノ五重奏」を弾くことになった。
3年前、ヴィオラのFUMIKOさんからお声がかかって参加し始めた松原湖コンサート。
今年はメンバーが少し変わって、このコンサートのそもそも初めからのメンバーで、このところ暫く参加していなかったピアノの国越さん、ヴァイオリンは私と安原さん、ヴィオラはFUMIKOさん、チェロは館野さん。
チラシが出来たら又ご案内いたします。

国越さんとは初顔合わせで、後のメンバーは古くからのお付き合い。
集まったメンバーは初めて合せるにもかかわらず、最初から早めのテンポが出る。
私はシューマンみたいな曲は少し遅めで形をしっかり出した方が面白いと思うけれど、一般的には早めのテンポが主流になっている。
今日も常識的なテンポで始まって、良いところへ落ち着いたようだ。
経験豊かな人達と合せると、言葉でなく音で会話が出来る。
これが何よりも楽しい。
言葉で言いたいことを言っても、喧嘩にならない。
どうにかして皆の意見が纏まるようにするのが、練習なのだから。
さすがにベテラン揃いで、2回目は更に纏まってきて、次回来月末と本番間近の8月にもう一度練習、16日本番となる。
涼しい林の中にある練習場と、音響の良いヤルヴィホールに再度訪れるのが大変楽しみです。
本当に残念なことに、去年まではFUMIKOさんの飼い犬ビーグル犬ジュリちゃんが一緒だったのに、今年は来ないという。
今まで1頭だったのが、棄てられたビーグルをもう一頭引き取ってビーグルズとして2頭飼いしはじめたので、手がかかるというのがその理由。
演奏があって練習も沢山あるので、面倒を見るのがすごく大変らしい。
私はワンさんに会えるからと、すごく楽しみにしていた。
なんだかがっかりしたから、今夜はふて寝。












ど根性猫さん!


こちらをクリックして見てください。
http://youpouch.com/2014/06/12/203388/
08
ワンちゃんの(ミニチュアシュナウザー)ブログ主さんから話題が届きました。
なにをされても安心して寝ている根性がすごい!
ニャン生の初めから愛情いっぱいに育てられると、こうなるのかもしれません、。
我が家の猫たちは全部元ノラで病気だったので、やはり神経質です。
子猫の時に拾ったのでスレてはいませんが、やはりノラ時代のトラウマは多少残っているようです。




2014年6月14日土曜日

カナリアのような

肝炎のことで思い出す。前にも書いたけれど。
肝炎で入院している頃、トイレに行く時も看護婦さんが点滴を持って、一緒に従いてきてくれた。
トイレで出現した物を見て、私は歓声をあげた。
「ねえねえ、カナリアみたいな色の***が出たわ。すごくきれい」
ドアの外から「そんなこと言わないで」泣き出しそうな声がする。
看護婦さんは沢山の患者を診ているから、ここまでひどい黄疸がでるのは、症状がとても重いとわかっている。
白目も手も真っ黄色。
人間がこんなに黄色くなるものかと感心した。
そんなとき、私は鈍いというかバカというか、なんでも受け入れてしまうから悲壮感はない。
落語やタモリのテープを聴いて笑って、すっかりくつろいでいる。
そのお陰で1ヶ月でキャリアにもならず、完治した。
すっかり消滅したB型肝炎。
もうキャリアでもない。
これは相当不思議なことらしい。
主治医が首を傾げる。
どうしてあんなに重い症状だったのに、こんな短期間で完全によくなったのかと。
私は入院するときに主治医に「1ヶ月で良くなりますから」と宣言した。
そしてその通り1ヶ月後には、きれいさっぱり全くの健康体となった。

肝炎の感染経路は多分注射針の使い回し。
私たちが子供の頃は、注射針は使い捨てでなく、ほんの少しの消毒で何回も使い回しされた。
我が家のホームドクターはいつも先の丸くなった注射針で注射したから、痛いのなんのって。
周りに肝炎のキャリアは一切いないから、感染経路はそれしか考えられない。
それで子供の頃感染したものが、体力が落ちた時に一気に現れたのだと思う。
もう少し後の感染だったら、社会的に補償が受けられたようだ。
肝炎は痛くも痒くも(黄疸が出ると多少痒い)ないから、私は元気いっぱいで、病気を理由に仕事をさぼる大義名分があるから、大いばりでの病院暮らし。
この病院がなんとまあ、素敵に居心地がいい。
全国の入りたい病院の上位ランクにある、スタッフが優しくて穏やかな環境の市立総合病院。
庭にノラ猫が住み着くと、先生が段ボールで小屋を作り、患者が交互にエサをやって、警備員はわざと見ていないふり・・・今うちにいる不思議猫のモーちゃんは、この病院に棄てられていた。

どこも痛くないし元気なので看護婦さんを脅かして、卓球の付き合いをさせる。
優しい看護婦さんは「こんなこと先生に見付かったらどうしよう」と半べそかきながら、つきあってくれる。
リハビリの部屋でヴァイオリンを弾くなど、やりたい放題だった。
1ヶ月で完治したのに、なぜか退院許可が下りない。
先生に訊いたら「退院したら貴女はすぐに動くでしょう。だからしばらく此処に居なさい」と言われてしまった。
元々怠け者だし、病院に居ると看護婦さんにちやほやされるし、仕事も家事もしなくてすむから喜んで入院していたが、さすがに1ヶ月半経って退屈で退院させてもらった。
花をいっぱい飾って、手の空いた看護婦さんたちがしょっちゅう遊びにきて、私の病室は社交場になっていた。
軽い認知症の女性が私と仲良しになって、一緒に屋上でアイスクリームを食べたことなどもかなり後まで覚えていた。
これも不思議だった。
娘さんは来るたびに分かってもらえず「お母さん、情けない」と言って泣いていたのに。

かなりストレスには弱い方だと思う。
よく病気をするのはそのせいなのだけれど、病気になっても落ち込まないところが私の強み。
これは矛盾しているように思われるが、仕事に対してはかなり神経質、そのほかの事にはかなり鈍感ということでしょう。

カナリア色は今でもはっきり思い出す。
それはそれは綺麗だったから。




















2014年6月13日金曜日

風邪の特効薬

そろそろ緊張が始る。
今月半ばには「大公トリオ」
7月のブラームス「ソナタ」
8月の松原湖のコンサートで弾くシューマン「ピアノ5重奏」
秋の八ヶ岳音楽祭のオーケストラ練習が早くも今月末から。
9月に弾くかどうか未定だけれど「兵士の物語」
友人の発表会でもシューマン「ピアノ5重奏」その他コンチェルトの伴奏等々。
これから練習スケジュールが加速される。
今日は「大公トリオ」の会場練習があった。
この曲、楽譜は易しいのに、一度も満足したことがない。
ベートーヴェンはいつでも偉大すぎて、高い壁があるようだ。
シンプルで音階だけで出来ているような曲に、こんなに深い音楽が存在するのが不思議。
もっとシンプルでもっと素晴らしいのはモーツァルト。
このところモーツァルト弾いていないなあ。
特に弦楽四重奏、弾きたい。

しばらくダラッとしていて、やる気がなかったのがいよいよエンジンがかかってきた。
ようやく体が、湿度と高温に馴れたようだ。
今日の練習会場は府中で、朝9時、家を出た頃は上天気。
夏らしい青空と、下の方に分厚い雲がモクモクと上がってきていたが、その更に下、地上に近いところにほんの少し、嫌な暗い雲がどんよりと見える。
会場練習は2時間ほどで終りロビーに出ると、窓からやけに大きい雨粒が見えた。
その時点では大粒の水滴だと思った物は、なんと雹だった。
風が渦を巻いているのが良く見える。
最近、そこここで竜巻が起こっているから、ひょっとしたらそうではないかと思える程の強風。
しばらく呆然とロビーに立ち尽くしていた。
すぐに治まったから帰路についたが、府中街道の街路樹が小枝ごと葉が落ちていた。
どれほど酷く風が吹いたのか、よくわかる。
その後は忘れたような青空。
日本も亜熱帯になったというのを実感する。

緊張してくると風邪だの咳だの言っていられなくて、いつも軽い症状なら治ってしまう。
これがいけない。
ずいぶん前のこと、高熱が出ているのに演奏旅行がキャンセル出来ず、釜石まで出かけた。
いつものように、旅にでれば治るさと、軽い気持ちだったのが、症状がどんどん重くなって、ついに白湯以外、なにも受付けなくなって、朝、本番前に診療所までタクシーを飛ばした。
そして診断されたのが急性肝炎。
GOTが2000!
命にかかわるから帰りなさいと医師から告げられ、指揮者の了解を得て帰らせてもらった。
即入院、その後1ヶ月半を病院で過ごした。
あの時にすぐ、的確な判断と検査をしてくれなければ、私は命を失っていたかもしれない。
その釜石の診療所はあの東日本大震災の津波で、どうなったかがずっと気がかりになっている。
私の命を救ってくれたあの先生は、無事でいらっしゃるだろうか。
緊張したり旅に出たりすると、今でも軽い風邪や鬱なんかは、すぐ治ってしまう。
しかし、あの時だけは死に直面していたのだと、時々思い出す。
なにごとも軽い気持ちで考えているから、時々こうして危険な目に遭うのだけれど、今のところ運良く災難から逃れている。








































2014年6月12日木曜日

夏風邪

鬱だと思っていたらどうやら風邪を引いているらしい。
らしいと言うのは、特に熱がでたりする激しい症状はなくて、軽い咳と鼻が詰まるくらいのものなのだが、とにかく日中眠い。
眠いけれどその習慣がないから、昼寝するのは泥の様に眠ってしまうほど疲れているときに限る。
以前、仕事のことで初めて電話をくれた人がいて、その時私は泥沼睡眠のまっ最中、受話器を取ったのはいいけれど、寝ぼけていて相手が何を言っているのか分からない。
相手は呆れて、電話を切ってしまった。
それ以後2度と電話はかかってこない。
フリーでやっていると、仕事の初めに躓くと使ってもらえない。

不思議なもので、一番タイミングの悪い時に必ず電話を掛けてくる人がいた。
私より10才ほど年上のチェリストの女性。
すごく可愛がっていただいて、なにかと面倒をみてもらっていたのに、その人が電話魔だった。
明日はコンサートだから早く寝ようと思う時、寝入り端に電話のベル。
ああ、あの人だなと思うと当たり!
今日は休日だからと朝寝を楽しんでいると、ベルがなる。
それも当たり!
ものすごく疲れて珍しく昼寝の最中・・・
お風呂でまったりと1日の疲れを癒やしていると・・・
数え切れないほどの間の悪い時間の電話。
私の行動が、あちらに見えて居るのではないかと思う程の、タイミングの悪さだった。
上流階級の出身で美しく品のある人だったので、何故私みたいな芋ねえちゃんが可愛がられていたのか謎だけれど、いつもいつも演奏を褒めてくださった。
あまり毎回「又上手になったわね」とおっしゃるから「そのうちハイフェッツくらいになれますか?」と冗談を言ったらいやな顔をされた。
すぐに図に乗る私、スキー場で滑りを人に褒められた。
「ステンマルクみたい?トエ二みたい?」と言ったら怒られた。
ステンマルクもトエニも当時の名スキーヤー、今は名前を知らない人の方が多いと思う。

ところで夏風邪の話。
軽い咳が続くのでネットで調べてみた。
色々見たらどうやら、咳喘息のようだった。
  風邪が治っても2週間以上咳が続く。
 「こほっこほっ」「けんけん」のように2回セット。
  夜布団に入った時、朝、寝起きに出る。
  熱はない。
  倦怠感はない。
この様な症状にぴったり当てはまる。
最近逆流性食道炎にもなったから、そちらも疑われる。
今のところ強い症状はないから、病院に行くほどでも無さそうなので、なるべく早寝をして休もうと思っている。
一番の治療法は思いっきり緊張する事なんですが、しばらくは通常の仕事のみの、のんびりした生活が続ので治療効果はないのがざんねん。

























2014年6月11日水曜日

遅い弓

私は聴けなかったのだけど、ギトリスの公開レッスンに行った人から聞いたのは、受講生に対し彼が、弓の使い方が早すぎるという注意を度々していたということ。
私もひとりすごく生きのいい生徒がいて、弾丸のような弓使いをするのでドウドウと言って手綱を引き、やっと落ち着いてきたところだから、我が意を得たりだったのだけど・・・
先日の震災支援コンサートの動画を見たら、私もかなり早く弓を使っているのに気が付いた。
弾丸ほどでないけれど、東横線の特急電車くらい。
初めの1曲しかまだ見ていないから、その後弓が遅くなったかどうかはわからない。
どうしてかというと初めの1曲というのは、どんなときにでも緊張する。
会場練習が終ってお客さんが入って本番になると、がらりと響きが変わる。
会場がカラの時にはあれほど響いていたのに、お客さんが入って、特に雨の日などは湿気を含んでくるから、突如、残響がデッドになる。
それを何とかしようとして急に弓を沢山使ったり、圧力を掛けたり、様々な事をやっている内に、その会場に合った弾き方に落ち着く。
それまでが大変で、四苦八苦しているのを悟られないようににこやかに落ち着いて見えるようにしているけれど、心の中は修羅場となる。
大体短い曲なら3曲目くらいでようやく活路を見いだす。
先日のコンサートでも、本番で初めの音を出したときの響きが予想外で、キャイーンと内心吠えていたのだ。
練習の時とは、全く違った響きを回復させるにはどうしたらいいか、頭の中はグルグルと渦が巻く。
緊張しているから弓が震えないようにと、必要以上に早く使っていたために、音が中膨らみになってしまっている。
これは!いかん。

今練習をしているブラームスの2楽章、どうも上手く行かないと思っていたら、こんなところに原因があったのだ。
気をつけて弓の速度を落としてみると、音がズッシリとしてきて、しかも広がりが出てきた。
自分で原因が分からないときには、録音や動画を見ると見つかることがある。
自分の耳に自信のある人達からは、練習の時にそんなことしないわと一蹴されたけれど、私は時々客観的に聴かないと思い込みで弾いていることがある。
自分の中ではたっぷり歌っているつもりなのに、録音を聴いてみると無表情だということがよくある。
ちょっとしたコツで表情が出せるのだけれど、陶酔してしまうと自分でやったつもりになるのが怖い。
リコーダー奏者のフランツ・ブリュッへンは自分の録音が大嫌いで、サインしてもらうために彼のCDを持って行くとすごく不機嫌になったそうだ。
私も自分の録音を聴くのは大嫌いだけど、そうは言っていられない。
時々戒めとして聴いてみる。
そういうとき、人は自分のことが良くわかっていないものだと思う。













2014年6月10日火曜日

自分でびっくり

ピアニストの友人が、ブラームスの3番のソナタ弾こうよと言ってきたから、少しずつグズグズと練習し始めたら、えらいことを発見した。
私この曲まだ人前で弾いてなかった。
ブラームスのソナタは特に2番が好きで、どれを弾く?と訊かれると、躊躇いなく2番と答えていた。
3番は当然弾いてあるものとして片づけていたら、なんだか珍しく譜読みに手間取る。
いや、まさか、あまりにも良く知っているこの曲を弾いたことがないなんて、あり得ない。
暫くしてギョッとしたことに、遊びで初見で弾いたことはあっても、ちゃんと演奏したことがない事に気がついた。

ブラームスのソナタのうちでも3番は一番重厚で、特に2楽章が難しい。
殆どG線(ヴァイオリンの一番低い弦)で弾く。
G線の上のほうのポジションで豊かな音を出し、滔々と大きなスケールで弾くのは、私の様な非力な者は息切れがする。
テンポがゆっくりした楽章をたっぷりと歌い上げるのは、優れた音楽性、そしてなによりもボウイングの技術が必要になる。
弓が弦に吸い付くようにゆっくりと動かすのは、早く弾くよりずっと難しい。

何故そんな無理なことをするかと言えば、音色のため。
太い弦(低弦)は音を出すのにエネルギーがいるけれど、その代わりとても音色に幅が出る。
例えば切ないような、力に充ちた、情感に溢れた、みたいな表現で分かっていただけるだろうか。
チゴイネルワイゼンやチャルダッシュなどの冒頭の部分の、あの力強く、しかも蕩けるような音色は、隣の弦に行って低いポジションで弾いては出せない。
ブラームスの3番のソナタ2楽章も、音色が命。
それが簡単に出せるようなら苦労はない。
ところで初めて人前で弾くとなると、楽器の状態の悪いこの季節、中々大変なことに気が付いた。

ずいぶん前の話。
車の運転中ラジオを聞いていたら、あの超テクニシャンのヴァイオリニストのクレメルが、40才過ぎて初めてザルツブルグ音楽祭で弾いたという、ブラームスの演奏が流れ始めた。
彼はそれまでブラームスを、この音楽祭で弾くのは敬遠していた、という前説があって。
聞き進んでいくと、なんだか可笑しくなってきた。
いつもの目の醒めるような演奏とは違って、なんだかオドオドしたような・・・個性のないごく普通の演奏。
そして最近オイストラフの演奏をyoutubeで見つけた。
オイストラフのまあ、見事なこと!
堂々として繊細で、音程に寸分の狂いもなく、素晴らしい音色。
20世紀最大のヴァイオリニストの前では、かのクレメルもタジタジ。
やはり人には向き不向きがある。
クレメルのテクニックにかなう人は滅多にいないと思うけれど、その人でもオイストラフの音楽にはひれ伏す。
私はこの演奏を聴いて、なおさら練習意欲が萎えた。
こんな素晴らしい音楽を、ヘナチョコヴァイオリニストが弾けるわけがない。
味噌汁で顔洗って出直してこい、豆腐の角に頭ぶつけて死んじまえ、と言われそうで。
どうも落語で育ったお里が知れちまうってなもんで。

やれやれ、それでは気を取り直して練習始めます。






















2014年6月9日月曜日

珍しく鬱

今まで、全て物事の上澄みをすくい取って生きてきた様な気がする。
そこそこヴァイオリンを弾く、まあ、これで飯の種にできるくらいの腕前。
ある程度練習すれば自己満足で、間違えなければ良しとするようなところがあって、およそ他人様に感動されるレベルではない。
なにをやっても中途半端。
友人達は年下の人が多く、あと10年後にはお付き合いすることもままならないなどと考えていたら、軽い鬱状態になった。
毎日降る雨がいけない。
ヴァイオリンが湿気を嫌うので、私も湿度にはつい敏感になってしまう。

ストラビンスキーの「兵士の物語」の2回目の練習日。
傘をさすのもしんどくて漸く澁谷まで出かけたけれど・・・練習が終る頃にはすごく元気になった。
やたらと出て来る変拍子、8分の5,8分の7などの割り切れない数の拍子が脳みそを刺激してくれた。
とにかく面白い、油断がならない。
お互いに変拍子がずれて出てきたりするので、1人が間違えると全員おしゃかになる。
「ごめーん!もう一度やって」などと喚いている内に、眠気も鬱も消し飛んで、帰ってきたらすっかり元気になっていた。
私だってたまには鬱になる。
それを救ってくれるのが友人、猫たち、そして一番の友はヴァイオリン。
これほど長い年月を一緒にいて飽きが来ないとは、どれほどヴァイオリンの懐が深いか。
人も同じで、長い間付き合っても飽きの来ない友人が、私には宝物に思える。
思えば幸せな人生、なんで鬱になんかなっていられようか。
本当のこと言えば鬱と言ったって私の事だから、ものすごく底が浅い。
チョコレートでも食べればアッと言う間に治ってしまう。
簡単なものさ。
本当の鬱で苦しんでいる人が多いので、不遜な言い方は反感を持たれるかも知れない。
私からの助言は「いい加減にしろ」
いい加減は良い加減と半端仕事との掛詞。
隅から隅まできっちりやらないと気が済まない人がいるけれど、そういう真面目な人が鬱になりやすい。
人の一生の時間は限られている。
全てのことを満足することは出来ない。
それでも、限られた日々を自分の気持ちに忠実に生きる、これが大切だと思う。
猫の脳には未来を考える部位がないそうだ。
猫になろう。
のっている日はノリノリで、やる気のない日はグダグダで。
結果は後から従いて来るから、どっしり構えていればいい。
一生かけて一つの事を追求する人もいれば、あちらからこちらへへ、ヒラヒラ飛び回っている人もいる。
どちらが良いなんて、当人にも他人にもわからない。
傍からなにか言うことではない。
だから人がどう思うかを気にする必要もない。

しかし、若い頃にはこんな事は言えなかった。
他人の目が気になって、半分は人に気に入られようと努力していたような気がする。
この頃になって、やっとたどり着いた心境。

しかし、このやる気のなさ。
雨のせいだけでなく、食べ過ぎかもしれない。
やっと減量始めたとおもったら、昨日も美味しい御菓子を頂戴してしまった。
この自制心の無さが私の最大の欠点なのだ。
この季節、心にもカビが生える。




























2014年6月8日日曜日

丑三つ時

毎日思うのは、今日こそはその日のうちに寝ようということ。
そして今はもう夜中の1時過ぎ。
眠くなくはないけれど、寝たくない。
起きて何をしようというわけではなくて、建設的な事は、なにもしていない。
その日のうちに寝ると良いことずくめだそうだ。
午後11時から午前3時迄は、ゴールデンタイム。
その時間帯に眠っていると成長ホルモンがドッサリ出て、お肌や脳みその細胞が復活するらしい。
いくら寝たくなくても寝ないと次の日疲労がとれず、体も硬くなっていて、明らかにヴァイオリンの音が違う。
それは恐ろしいくらいのバロメーター。
だからコンサートの前は一生懸命当日睡眠を心がける。
ところが私はショートスリーパーだから、11時くらいに入眠すると、2~3時くらいに目が醒める。
それがすごく嫌なのだ。
なぜかって、そりゃあ、丑三つ時と言うじゃない。
草木も眠ってしまい、軒下が3寸下がるらしい。
これってなんのこと?。
都会の夜は明るいからいいけれど、それでも周り中が寝静まっているときにひとりでパソコンで遊んでいると、明らかに2時くらいから闇の濃さが違うと思う。
闇が周りから迫って来るような・・・きゃ~!
一番怖いのは、さて寝ようと思って部屋の電気を消しながらベッドへ向かう時。
遊んでいるのは、居住エリアと階段を隔てたレッスン室エリア。
省エネ時代に逆行するように、全部の電気を点けておかないと気持ちが悪い、怖い。
まず大きい方の部屋の電気を消す。
そうするとポッカリと暗い部屋が洞穴のように見える。
大慌てでドアを閉めてホッとする。
でもその前に暗がりに、なにかうごめく物が見えたような・・・
ドアを閉めて次にパソコンのある部屋の電気を消す。
大慌てで玄関ドアを開けると、階段は明るくてホッと一息。
居住エリアのドアを開ければ、きちんと尻尾を体に巻き付けて、たまさぶろう君のお出迎え。
私が引き揚げてくるのが気配で分かるらしい。
夜中だというのに、近所中に響き渡るような一声。
困るんですけど、そんな大声出しては。
私は鈍感で霊感など一切ないけれど、原始からの恐怖の記憶なのか、暗闇に怯える。
闇がおりると、急にその中で活動する何かが、現れる様な気がする。

昔の夜は本当に暗かったと思う。
江戸時代の歌舞伎は夜になると、役者の顔を照らすための係がいたそうだ。
燭台を持って役者の顔を照らしながら、一緒に動き回る。
小屋の照明は勿論あったけれど、役者の顔がハッキリ見えない。
そういう暗いところで生活するのだから、お化けはあちらこちらに出放題だったでしょう。
特に冬の夜は長いから、早く寝ていつまでも起きてこられず、退屈な時間を持て余したと思うと、現代に生まれて良かった。
今はいつでも一瞬で電灯が点く。
かつて、夜に中国の北京に到着、そのままバスで天津に向かったことがあった。あちらの夜は暗かった。
ところがバスはヘッドライトを点けない。
暗闇でも運転手は目が見えると言って、バンバン走る。
中国のドライバーは猫族であるらしい。
暗闇になれると進化するのかもしれない。
今はいくら中国でもこんなことはないと思うけれど。





















2014年6月7日土曜日

ゴミ戦争

人は様々な制約を受けて生きている。
収入やステータス、愛や憎しみ、羨望や思い上がり、それらが沢山のストレスを生んでいる。
特に日本の社会に多いかもしれない、他人と違うことをすると仲間はずれになるという恐怖感。
実際私の家の周りで、村八分になった家があった。
ゴミの集積場を巡ってのことなのだが、そのお宅では自宅の隣に所有しているマンションがあって、そこの集積場にゴミ出しをしていた。
ところが周りの家がそこに目を付けて、自分たちも一緒に棄てさせてと申し込んだ。
しかし、あまりにも軒数が多いので、そのお宅で断ったところ仲間はずれにされてしまった。
その家のおじいちゃんはショックで、しばらく元気がなくなってしまった。
いまどき、都会でこんなことがあるとは私も知らなくて、後で聞かされてびっくりした。
そのお宅では、マンションの人達の分と自宅の分のゴミで、もう目一杯だった。
それをゴミ集積場を他人に押しつけようとする図々しい人達が、乗り込んできて一緒に棄てさせろと言うから、そんな無理を聞いていたら自宅前がゴミだらけになる。
断られた連中はどうしたかというと、更にその目と鼻の先の道路に収集場を勝手に作ってしまった。
そこは私の自宅の目の前。
余りにも無責任な捨て方、汚れ放題に私は怒り心頭。
それから10年以上、只独りで10数軒相手に闘ってきた。
その場所は丁度番地が変わるところで町内会が違う。
その町会長に怒鳴り込み、組長に直談判。
孤軍奮闘して、10年ほどしてやっと見違えるようにきれいになって、棄てる人の自覚も出てきたようだ。
その間色々言われるし、頭にくることばかりで、胃潰瘍になりそうだった。
裁判にしようかと思ったこともあったけれど、仕事の忙しい時期で、そんなことに関わっていられるほどヒマではなかった。
自分の家のゴミを他人の家の前に捨てて、自分たちは棄ててしまえば目に付かない距離だから、カラスが荒そうと、収集日が違って持っていかれないゴミが残ろうと知らぬ存ぜぬ。
雪の降った日、カラスが大量にゴミをまき散らした上を踏んで「あら、大変」と言いながら平然と棄てている人に私の怒りが炸裂した。
「掃除しなさーいっ!」
あちらこちらから箒とちりとりを持った人達がワラワラと出てきて、一斉に掃除をし始める。
それでも詫びの一つも、いつもこちらで掃除することへの感謝の声も聞かれない。
これほど民度の低い地域も珍しい。
道一つ隔てたこちら側の町内会は、衛生管理がきちんとしていて、ごみの収集についても非常に厳しいので町がいつもきれいなのに、あちら側は酷い状態のところが多かった。
それを指摘すると、悪口を言われたと言って怒り出す。
言われたくなければ、ちゃんとして!と、向こうっ気の強い私はやりかえす。
そして今はその地域の人で、毎朝そこだけでなく私の家の前まできれいにしてくれる人が出てきて、平和が訪れた。
自宅前の道路はちり一つ落ちていない。
ところが、私に恨みを持っている人がいるらしく、嫌がらせが絶えない。
私が棄てたゴミを収集車が来る前に隠し、収集が終った後に戻すという陰湿な嫌がらせを時々される。
私の家の間借り人のゴミを、わざわざ隣の集積場に時間外に持って行って、うちのせいにするようなことも。
間借り人に訊くと、ちゃんとこちらの集積場に棄てていると言うし、一体何のためにわざわざ隣の集積場に持って行く意味があるのか。
先日も資源ゴミ収集の日に空き瓶が一つ、収集後に残っていた。
私がその日の朝に棄てた物で、一つだけ収集されないのは明らかに誰かが収集車が来る前に持って行き、収集後に返したとしか思えない。
そんなことが殆ど毎回の様にあって、本当にこんなつまらんことをする人の頭の中はどうなっているのだろう。
先日はとうとう、その空き瓶入れまで盗まれた。
町内会が市から借りて、各ゴミ集積場に置かれている。
プラスチックの買い物かごの様な物だが、町会事務所に替りをもらいに行ったら、あんな物盗んでどうするのかしらねと、話題になった。
もう少しマシな事にエネルギーを使えないのかと、情けない。
私が特殊な仕事なので、面白そうに(実際面白い)遊び暮らしているとでも勘違いする人が多いので、やっかみ半分、なにかの仕返しかもしれない。
態度がデカい、ノラ猫にエサをやるなどという反社会的な行為、ズケズケ歯に衣着せぬもの言い。
客観的に見て、あまり可愛くないのは良く分かるけど。































2014年6月6日金曜日

多動児

私の頭の中はゴチャゴチャで少しも整頓されていない。
その証拠に、部屋の中も全く同じ。
上手くかたづけられない。
母がすごく整頓上手だったのに、私はずぼらな父親似だから、どんなに考えても物をどこへ置けば良いのかが分からない。
鍵が冷蔵庫から出てきた時にはさすがにショックだったけれど、その時はなにかの拍子に置いたのだと自分を納得させた。
何かの拍子が多すぎるのが、少し気になるところだが。
かつてテレビの仕事を沢山やっていた頃、たいていはスタジオの隅にひな壇が組んであって、そこに楽器を持った「きれいどころ」がずらりと並んでいた。
スタジオの中は面白い。
スタッフが忙しくバタバタと走り回り、タレントや歌手が偉そうに登場して、特に大物歌手に対してディレクターがヘラヘラするのを見るのも面白い。
大道具さん達はせわしなく動き回る。
彼らは本当に良く働く。
自分がそうではないからか、良く働く人が好きなので、私は大道具さんたちと仲良しになることが多かった。
普段裏にいて日の目をみないけれど、彼らがテレビ画面を支えているのだと思うし、彼らもそう自覚しながらの働きっぷりだった。
そんな仕事場が大好きで、ひな壇から現場の様子をキョロキョロながめるのがいつものことだったが、あるとき「本当に落ち着きがないわね、キョロキョロして」と意地悪なチェロ弾きに言われた。
自分ではそれまで自覚がなかったので、驚いた後で妙に納得した。
もしかしたら私は多動児ではないか。
色々考えると思い当たる節がある。
ヴァイオリンの練習を始めると20分くらいで、急に楽器を置いて他の事を始める。
それも20分が限界で次の事を・・・
練習が間に合わなくてせっぱ詰まった時以外は、いつも楽器とパソコンの間を行ったり来たり。
急に本を読み出すかと思うと、お茶を飲む etc
頭の中も行ったり来たり。
今はこれから合せに行くのに、まだ譜読みができていないのに煮詰まってしまって、これを書いている。
モーツァルトやアインシュタインが多動児だったそうだ。
だからと言って、多動児がアインシュタインにはなれないところが、大変残念なところ。
梅雨入り宣言出たのかな?
雨が激しくて出かけるのが億劫だけれど、多動児たるものの沽券にかかわるので、億劫などと言ってはいられない。
ああ、しんどい!



















2014年6月5日木曜日

自動犬用遊具

飼い主はすごいものぐさなのか、マメなのか分からない動画。



まあ、ワンちゃんが喜んでいるのだから、深くは追求しないでおきましょう。
しかし、飼い主もワンちゃんも頭いいですね。
梅雨入りも間近、私も外に出ないでものぐさ決め込んでいる時に、こういうので、室内用遊具を作ってもらえないかなあ。
最近運動不足で体が重い。
体重計が急に壊れたと思ったら、電池切れでした。
原因が分かるまで1ヶ月。
もしやと思って今日電池交換したら、生き返った。
こんな時に原因がパッと閃かないほどのメカ音痴。
取説はとっくにどこかへ消えてしまった。

こんな楽しい遊具があっても、私には使い方が分からないでしょう。
犬以下かも。







2014年6月4日水曜日

髪の色

美容院に行って髪の毛の色を少し明るめにしてもらった。
私は不良だから、かつて髪の毛を赤と青みたいなトロピカルカラーにして悦に入っていたことがある。
最近は髪の色だけは更正して、普通のブラウンにしていた。
ここ2,3日、暑い日が続いたせいで、なんとなく明るい色にしてみたくなった。
髪色の相談から始まって、好きな色の話になった。
私はブルー系とピンク系が好きなの、同じブルーでもグリーンが入っているのはいやなのよね、と言ったら、美容師さんが「それには理由があります」と言う。
ブルー系は基礎にピンクがあるのだそうで、グリーンとレッドはイエローが基礎。
ピンク系が好きかイエロー系が好きかで、好みが決まるらしい。
赤系はあまり好みではないけれど、バイオレットはブルーが入っているから好き。
なるほど、そう言われてみれば好みの説明がつく。
それは顔の色に、どちらが映えるかということでもあるそうだ。
私はいつも化粧品売り場でファウンデーションを買うと、ピンク系をすすめられる、それはそのせいなのか。
若い頃は(私だってそういう時期があった)桜色の顔色だったのが、今は枯れ野原の色になってしまったが、それでも顔の色を測る器械でいつもピンク系と出る。
なるほど。
ところで先日のnekotamaにコメントを頂いた中に、男子は髪の毛できまってしまうとあったけれど、男子たるもの見た目若けりゃいいってものでも・・・
男の人達は髪の毛のあるなしをずいぶん気にするようだけど、私はそれについては全く偏見がない。
ショーン・コネリー、彼はカツラをかぶっていたときはあまり好みではなかったが、脱いだときに、なんて素敵なと思った。
ツルッパゲのユル・ブリンナーなんて、ふるいつきたいほどいい男。
それは年齢と共に魅力が増しただけかも知れないけれど、少なくとも髪があろうとなかろうと、素敵な人は素敵、素敵じゃ無い人は、ないない尽くしで、お疲れ様。あはは、ごめん!

世の男子諸君!
いいじゃない、猫だってスフィンクスみたいに毛のない種類を可愛いと思う人もいるのだから、気にするなって。

















2014年6月3日火曜日

短気は恥かき

短気は損気とは私のためにある言葉。
銀行の口座にいくら残っているかは、見てもしょうがないから、チェックなどはまともにしたことがなかった。
チェックしたところで残高が増えるわけじゃなし。
時々急に大きな買い物がしたくなって、そういう時にはお金が惜しいと思わないくちだがら、ワラワラとかき集めて支払いをする。
するとたいていは不可能と思われたことが、可能になるという幸運の星の下に生まれてきたらしく、ギリギリセーフ。
楽器を買った時もそうだった。
今の楽器に出会う前に使っていたのは、ガブリエリ。
イ・ムジチのメンバーが日本に持ってきたのを、彼がイタリアに帰る前日に弾かせてもらい、次の日成田空港に送って行く車中で譲ってもらう相談がまとまった。
しかも色々あって、言い値の半額で。
めったにないチャンス!
しかし、お金のアテはない。
預金通帳を全部ひっくり返してもないものはない。
親に借りようかしら。
しかし、天が私に味方をした。
掛け続けていて、すっかり忘れていた保険が満期になった。
その金額が楽器の代金と同じ。
私は楽器をゲットして、スッカラカン。
次の楽器を買うときも、これまた全財産はたいて、一文無しになった。
老後の蓄えを放出するのは躊躇したものの、滅多にないほど保存状態が良いオールドヴァイオリン、出会ったとたんにヴァイオリンが私にニッコリ微笑んだので決まった。
それから10年、今は自分の好きな音に会えて、思い切って買って本当に良かったと思えるのが幸せ。
ピアニストの友人が、自宅を改装して広々としたレッスン室にしたのが羨ましくて、空きのある駐車場をサロンコンサートが出来るような部屋にしたいと考え始めた。
先立つものはお金。
普通預金は雀の涙。
しかし、積み立て定期預金があったはず。
一体いくらくらい貯まっているのかと通帳を見たら、ずっと記帳していなくて残高がわからない。
久々に銀行に行ってみた。
記帳するだけだから、ものの数分で終ると考えて居たが、20分以上過ぎても名前が呼ばれない。
客は少なく、私より後の記帳希望者もさっさと帰っていく。
そのうち腹が立ってきた。
これはきっと私の分だけ忘れているに違いない。
係を呼んで「遅いけど、どうしたの」と詰問する。
慌てた係員は裏に飛んでいって、しばらくして戻ってきた。
「お待たせして申し訳ありませんが、大分長い間記帳していなかったものですから、通帳が複数になりますので、しばらくお待ち下さい」と言う。
「ふん!たかが二冊くらいにこんな時間がかかるわけがない。きっと忘れていたのだ」と思って更に機嫌が悪くなる。
それから10分ほどして、大慌ての係員の手には5冊ほどの通帳があった。
ひえっ!なんだこれは。
話を聞くと、あまりにも放っておいたので、長い年月にはすでに満期になった物があって、その時の金利で良い方に継続するので、入れる先の口座を選んだり色々あって、複雑怪奇、私の理解を超える大変さがあったらしい。
やっと自分の方が理不尽だったことに気が付いたけれど、振り上げた拳の下ろしようもなく、怒ったまま帰って来た。
それなら最初から、時間がかかると言えば!くらいな我儘さで。
そして、ずいぶん長きに渡って積み立てたのに、予想を下回った金額も腹立たしい。
しかも私の夢を話した人から「広さが倍になると物も倍になります。今だって一日中捜し物をしているのに、それが4倍になるんですよ」と言われてしまってギャフン。
1日中捜し物をする自分を想像したら、萎えてしまった。

私はあるときから銀行に不信感があって、過去のことを根に持っていたから、ずいぶん横柄に対応してしまったが、こんな我儘な客を相手に銀行員もたいへんだわと、ガラにもなく同情してしまった。
あとで盛大に塩まかれた違いない。
今日はやな客がきたのよ、なんて言われて。
でもね、コンピュータに記憶されているのを印字するだけのはずが、そんなに時間かかる?



















2014年6月2日月曜日

健診数値の見直し

私は長いことコレステロール値が240、他の数値はセーフなのに、コレステロールに関しては必ず要注意となった。
しかし、食生活はバランスが取れていて、果物、野菜は充実している。
肉や魚もごく標準的に食べている。
もとより好き嫌いは皆無。
時々落ち込んだり怒ったり悲しんだりも多々あるけれど、基本的には健康で元気に暮らして居る。
しかし、医者は必ずコレステロール値を下げるために薬を飲めという。
それを毎年断固として断ってきた。
演奏することはかなりストレスが多いから、ストレスのせいにして、これがなくなれば健康的になれると言っていた。
とにかくコレステロール値が高くてなにか悪い症状が出るということはないから、放置していた。
そして今年、すべての健康診断の数値が大幅にみなおされることとなった。
ほら、ごらん!
歳をとってからは小太りでコレステロールが240位というのが、最も長生きするそうだ。
それは以前からわかっていたのに、数値を改正しなかったのは、製薬会社と政治の癒着。
LDLコレステロールが低いと肝機能の疑いありというから、悪玉呼ばわりされるいわれはないわけで、飛んだ濡れ衣。
高齢者になると、逆に低い方が問題になるという。
血圧だって年齢が高くなれば上がっていくのが当然で、高齢者に降圧剤を出すことは慎重にしなければいけない。
私は病院で血圧を測ると140くらいまで上がる。
たいてい「高いですね」と医師から言われるが「白衣性ですから、本当はもう少し低いです」と言ってけっして薬を飲まない。
それも正解だったようだ。
そもそも歳をとれば、全ての基準を若者と同じに考えるのは、逆に危険ではないか。
血管は硬くなるし運動量も筋肉量も減ってくる。
すべてのバランスで物事考えなければ、せっかく歳をとった意味がない。
自然の摂理を無視して、数値で健康状態を推し量ろうとするのが、そもそも無理なのでは?
一時期メタボという言葉が世の中を席捲したけれど、痩せすぎていると寿命も短く、脳が栄養失調になって機能が保てなくなり、認知症になりやすい。
太りすぎ=だらしない生活、みたいに見られて、世の肥満さんたちはさぞ肩身が狭い(ん?)いや、その、肩身が広いから、肩身が狭い・・・あはは


















2014年6月1日日曜日

繁桝百合子・滑川幸子デュオリサイタル

銀座ヤマハホール

【ヴァイオリンソロ】
シューベルト      デュオop.162
バッハ        無伴奏パルティータより
          プレリュード、ガヴォット、ジーグ
サンサーンス      ハバネラop.83

【ピアノソロ】
バッハ      前奏曲ロ短調
ラフマニノフ   幻想小曲集op.3より
            エレジー
シューベルト   即興曲op.90-2

グリーグ     ヴァイオリンソナタ第3番ハ短調0p.45

ヴァイオリンの百合子さんはずっと以前からのお付き合い。
美人で性格が良く、コツコツと地味に勉強する、いわば、優等生タイプなのに、なぜか可笑しいエピソードが沢山あって、それをここでばらすワケにいかないので、訊きたかったらご本人を尋問してください。
そのちょっと楽しい抜け加減が、皆から好かれるところ。
演奏はいつもきっちり準備されているので、破綻がない。
そこは本当に優等生。

このシリーズの会場は毎回文化会館小ホールだったが、今年は改装工事のため使えないので、ヤマハホールになった。
大分前に新しく生まれ変わった銀座ヤマハホールを、今回初めて訪れた。
子供の頃は音楽ホールはあまり沢山なかったので、発表会などはここで行われることが多かった。
私も何回か発表会で、弾いた事がある。
百合子さんの演奏の他にも、どんな風にホールの音響が変わったのかという楽しみも加わった。

もうすぐなくなってしまうという、ビヤホールのライオンで軽く昼食をとってから、マチネーに。
新装なったヤマハホールは見違えるようにきれいになったけれど、やはり銀座のど真ん中で、敷地の狭さは変わらない。
7階までのエレベーターが2つ、直通が1つ、狭い階段、入ると閉塞感があって、落ち着かない。
私たちは2階席で聴いたのだが、ヴァイオリンの音はスーッと伸びて、細かいニュアンスまで聞き取れるけれど、ピアノは分離して纏まらない気がする。
いつも文化会館で聴いているので、彼女の響きは知っているから、やはり会場の音響のせいだと思う。
真上から聴くからなのか、1階席で聴くと丁度良いとか?
本当に会場の音響は難しくて、どの辺りで聴くかによって、意見がまちまちになる。
チェロなどは、会場の右か左かで聞こえ方が全く違ったり。
そばで聴くと音の小さなヴァイオリンの音が、遠くへ届いたり、それはもう様々に会場の影響を受ける。
だから、ステージに立つときには皆神経質になってしまう。
この大雑把な私でさえも。
ヤマハさんには悪いけれど、早く文化会館の修理が終って、元の客席で聴きたいと思う。