2014年6月22日日曜日

ハイフェッツと亀井さん

期限切れでオンデマンドの放送が聴けなかった人達のために、亀井さんのお話を要約してみました。
今朝、まだ聴けたので、前の投稿の薄いグレーの文字「こちら」をクリックしてみてください。
それで聴けなかったらこちらをお読み下さい。

亀井さんは高校を卒業してから、アメリカに渡りジュリアード音楽院を目指した。
その前に語学を学ぶために、ロスの郊外のクレアモンという所にある語学学校に入学した。
そこの先生から彼女は、ハイフェッツに会ってみないかと声を掛けられた。
すぐ次の日ハイフェッツの前で、シャコンヌ(バッハ)やロンドカプリチオーソ(サンサーンス)ポエム(ショーソン)など聴いてもらった。
そして最後に音階を弾くようにいわれた。
しかし彼女は音階が嫌いで弾いて居なかったので「私は音階は弾きません」と言った。
するとハイフェッツは「貴女はヴァイオリンがすきか」「貴女はヴァイオリンと友達になりたいか」と聴いた。
彼女はもちろん「私はヴァイオリンを愛している」と答えた。
するとハイフェッツは「ヴァイオリンと友達になる最高の方法は音階をまなぶことだ」と言った。

その後ハイフェッツの弟子になってからは彼のマスターコースで学び、ハイフェッツ・ピアティゴルスキーコンクールで、演奏を披露。
最後の5年間は、ハイフェッツのアシスタントとして教えた。
ハイフェッツは相手が子供でも語学の出来ない東洋人でも全く態度が変らなかった。
レッスンには男性はスーツにタイ、女性は絶対スカートをはくようにといわれた。
それはプロフェッショナルとしての姿だと。
週2回のレッスンだから、時々誰もレッスンを受けられる曲が無いときは室内楽。
ハイフェッツは室内楽が大好きだった。
ベートーヴェンの弦楽四重奏やブラームスなど。
特にメンデルスゾーンが好きだったようだ。
いつもの厳しいレッスンとちがって、とても楽しかったそうだ。

レッスンでよく言っていたのは、keep interest「聴いている人が退屈しないように、決まった物をいつも決まったように弾いてはいけない」
「リピートがあれば1回目と2回目はかならず違うように、もっと音楽の可能性を探しなさい」

亀井さんがヴィエ二ヤフスキーの協奏曲を演奏したとき、彼のお弟子さんが全員聴きに来た。
次のレッスンでハイフェッツは「彼女の演奏はどうだった?」と質問し、生徒達は「slow movement(2楽章)が特に良かった」と答えた。
するとハイフェッツは「ではここで弾いてみなさい」と言った。
亀井さんは、コンサートが終って気が抜けた状態だった。
気が乗らないまま演奏して終ると「ふーん、これで1番良かったの?」と厳しい言葉。
「でも先生、私は今日はもう気が乗らなかったから」と言うとハイフェッツは烈火のごとく怒っって、そして言った。
「私は戦争中兵士達の慰問のために演奏していると、必ずアヴェマリアを弾いてくれといわれた。その人達に今日は気分が乗らないからと言えるか?」ハイフェッツの目には涙すら浮かんでいたそうだ。

nekotama記
彼の演奏は、あまりにも技巧に走るとか、クール過ぎるとか言う批評家もいる。
でもヴァイオリンを弾く人にとっては神様。
同じ音が続と必ずべつの弦で弾いて音色を変えたり、決して興奮しないというか、つねに姿勢を崩さず易々と技巧をクリアする。
そんな所が批評家には気に障るのかも知れないが、ヴァイオリニストだったら、それがどんなに難しいことなのかわかるし、彼の心の中に熱い血があることも分かる。
彼は「play sentiment(感性で弾きなさい)決してsentimentality(感傷的)であってはならない」と言ったそうだ。
しかし譜読みの正確さ、数えることは徹底的だったという。
自分の感情の極限の手前でとどまり、自己満足の甘さを嫌ったという。
彼の演奏を聴いて感じるのは、研ぎ澄まされた日本刀のイメージ。
音の立ち上がりの鮮明さは、他に追随をゆるさない。
1900年(明治33年)生まれとも1899年とも言われるが、亡くなったのは1987年。
日本が大好きだったそうだ。





























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