2014年6月9日月曜日

珍しく鬱

今まで、全て物事の上澄みをすくい取って生きてきた様な気がする。
そこそこヴァイオリンを弾く、まあ、これで飯の種にできるくらいの腕前。
ある程度練習すれば自己満足で、間違えなければ良しとするようなところがあって、およそ他人様に感動されるレベルではない。
なにをやっても中途半端。
友人達は年下の人が多く、あと10年後にはお付き合いすることもままならないなどと考えていたら、軽い鬱状態になった。
毎日降る雨がいけない。
ヴァイオリンが湿気を嫌うので、私も湿度にはつい敏感になってしまう。

ストラビンスキーの「兵士の物語」の2回目の練習日。
傘をさすのもしんどくて漸く澁谷まで出かけたけれど・・・練習が終る頃にはすごく元気になった。
やたらと出て来る変拍子、8分の5,8分の7などの割り切れない数の拍子が脳みそを刺激してくれた。
とにかく面白い、油断がならない。
お互いに変拍子がずれて出てきたりするので、1人が間違えると全員おしゃかになる。
「ごめーん!もう一度やって」などと喚いている内に、眠気も鬱も消し飛んで、帰ってきたらすっかり元気になっていた。
私だってたまには鬱になる。
それを救ってくれるのが友人、猫たち、そして一番の友はヴァイオリン。
これほど長い年月を一緒にいて飽きが来ないとは、どれほどヴァイオリンの懐が深いか。
人も同じで、長い間付き合っても飽きの来ない友人が、私には宝物に思える。
思えば幸せな人生、なんで鬱になんかなっていられようか。
本当のこと言えば鬱と言ったって私の事だから、ものすごく底が浅い。
チョコレートでも食べればアッと言う間に治ってしまう。
簡単なものさ。
本当の鬱で苦しんでいる人が多いので、不遜な言い方は反感を持たれるかも知れない。
私からの助言は「いい加減にしろ」
いい加減は良い加減と半端仕事との掛詞。
隅から隅まできっちりやらないと気が済まない人がいるけれど、そういう真面目な人が鬱になりやすい。
人の一生の時間は限られている。
全てのことを満足することは出来ない。
それでも、限られた日々を自分の気持ちに忠実に生きる、これが大切だと思う。
猫の脳には未来を考える部位がないそうだ。
猫になろう。
のっている日はノリノリで、やる気のない日はグダグダで。
結果は後から従いて来るから、どっしり構えていればいい。
一生かけて一つの事を追求する人もいれば、あちらからこちらへへ、ヒラヒラ飛び回っている人もいる。
どちらが良いなんて、当人にも他人にもわからない。
傍からなにか言うことではない。
だから人がどう思うかを気にする必要もない。

しかし、若い頃にはこんな事は言えなかった。
他人の目が気になって、半分は人に気に入られようと努力していたような気がする。
この頃になって、やっとたどり着いた心境。

しかし、このやる気のなさ。
雨のせいだけでなく、食べ過ぎかもしれない。
やっと減量始めたとおもったら、昨日も美味しい御菓子を頂戴してしまった。
この自制心の無さが私の最大の欠点なのだ。
この季節、心にもカビが生える。




























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