2023年12月31日日曜日

古典音楽協会の新たな歩み

 先日70周年の定期演奏会を終えた「古典音楽協会」はコンサートマスター引退のため、新しい体制で出直すこととなった。

前コンサートマスターの角道徹氏は御年85歳、稀に見る長寿の演奏家としてつい先ごろまでNHKのスタジオ505の仕事をされていた。コロナ禍がなければもう少し早く引退なさる予定だった。人間コンピュータと呼ばれるほどの頭脳と強靭な意志で「古典」のすべてをリードして、長年のファンを獲得し経済的にも安泰だった「古典」のメンバーは彼に頼り切っていた。

そして今回の引退を受けて存続か終了か迫られた残る団員たちは存続の道を選ぶことにした。けれど、その道を選んだおかげで苦労の連続が始まった。なにもかもわからないことだらけ、東京文化会館といういわば老舗のコンサート会場で演奏するには書類の審査はもちろんのこと、全てが細部に亘って間違いがあってはならない。しかし、演奏家としの道しか歩んでこなかったメンバーにとって、何がなんだかわからないことだらけ。

ところがメンバーのうちにはこういうことに長けている人がいるもので、誰もやらなければ私がと孤軍奮闘してくれる人が出てきた。お陰で文化会館の親切な対応もあって書類審査も通り、来年3月12日(火)新体制での定期演奏会ができることになった。一つの目標に向かって歩んでいると自然に役割分担が決まってくる。

まず初めは新たな道を進むには軍資金が必要になる。これは前会計の杜撰な仕事が発覚して大変に困ったことになったけれど、新会計二人と事情のわかっている数人の者たちの必死の働きでようやく資金が確保されていよいよ船出することができることになった。このときの皆の結束は素晴らしく、私は何年経っても忘れることはできないと思う。演奏者としてだけでなく人柄も能力も本当にすごい人達の集まりであると誇りを持って言えるのが何よりも嬉しい。

数々の問題を乗り越えながら着々と準備が進められて素敵なチラシも出来上がった。新しいメンバーも素晴らしい人達が集まってくれた。今古典のメンバーは最強のレベルになったと思う。いずれも腕は確か。人柄、キャリアも素晴らしい。若者も参加してくれる。

オーケストラをやめてから「古典」以外でも私は数多くのコンサートに参加してきた。数の多さもだけれど共演者のレベルの高さにも恵まれたため一つコンサートが終わると何日も練習を重ねたような効果があって、素晴らしい体験を重ねることができた。本当に幸せな演奏人生が送れたのだった。だからここで引退したとして悔いが残ることはない。

そして今日は角道さんの送別会を開いた。長年のコンサートマスターの重責の終了をねぎらってお疲れ様会になるはずが、反対に角道さんの元気さを目の当たりにしてこちらが労われているのではないかと錯覚しそうな雰囲気になった。声にも張りがあり背筋まっすぐで到底85歳には見えない。いまだにヴァイオリンを持ったらためらうこともなく朗々とソロを弾かれるに違いない。人間の能力年齢は生きてきた年月ではなく、どう生きてきたかによって決まるらしい。

人生の締めくくりにおいていちばん大切なことは、努力を重ねた自分の人生に泥を塗らないようにすることだと思う。どうせ死ぬのだからやりたい放題をと思うのもその人の勝手だが、自分の全人生の否定となるようなことをやってはなんと虚しいことかと思う。

ではここでお知らせです。

2024年3月12日(火)19時開演 東京文化会館小ホール

シュターミッツ:交響的四重奏曲

ヴィヴァルディ:オーボエ協奏曲ニ短調 Ob.石橋雅一

ヴィヴァルディ:調和の霊感 作品3-12 Vn. 山中 光

テレマン:無伴奏ヴァイオリンのための12の幻想曲より第一番 Vn.山中 光.

ヘンデル:クラヴサン組曲第5番ホ長調 Cem.石橋礼子

J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲第3番

今回は特に新しいコンサートマスターに焦点を当てご紹介の意味で彼の演奏がメインになっています。テレマンの無伴奏幻想曲は音が非常に簡素でありながらバッハの無伴奏に匹敵するほどの音楽性の確かさを試される曲であり、山中さんの透明感のある美しい音を十分にお聞きいただける目玉商品です。

それからいつも言われるのだが、チェンバロの音が小さくて聞こえにくいというので今回は伴奏なしの独奏曲を堪能していただこうと思っている。ヘンデルの有名な、お聞きになればああ、あの曲と誰もがわかる曲もご用意しておきました。

コンサートマスター以外ではヴァイオリンが二人、一人はベテランでもう一人は20代の女性、ふたりともキャリアも人柄も申し分なく、ヴィオラはベテランで外部のヴィオラ奏者から熱烈な推薦を受けた人なので一緒に弾くのがたいそう楽しみです。

長年ご支援ありがとうございました。皆様とともに成長してきた古典音楽協会の音は今後も皆様とともに進化していくことと思います。ステージを作るのは演奏者だけではありません。裏で支えてくださるスタッフ、聴いてくださるお客様、それを受けて理想の音を追い求めるわれわれ演奏者たち、誰が欠けても実現できませんので今後とも皆様のご支援をよろしくお願いいたします。






























2023年12月27日水曜日

軽井沢のクリスマスと藤田嗣治

去年はホワイトクリスマスだった軽井沢は今年は晴天微風。暖かく穏やか。ごった返す東京駅から逃れるように出発して明るい澄んだ空気の軽井沢駅に着いて、安東美術館に向かった。藤田嗣治の作品だけの美術館でオーナー夫妻が大の藤田ファン。

フジタの名前も作品もかねてから知ってはいたけれど、実物を見るのは初めてかもしれない。いや、まさかのことで通りすがりには見ているはず。

音楽教室の合宿は今年も北軽井沢で行われた。そのとき安東美術館に行ってきたと言ってメンバーの一人からパンフレットをおなじみのフジタの猫の絵が書いてあるクリアファイルと一緒にもらったのだった。フジタの絵の印刷されたものはよくみかける。けれど実物は初めてではないにしても、ほとんどじっくりと見たことはなかった。

さて初めて本気で見たその絵は、私に衝撃を与えた。女性と猫、これらをこよなく愛したフジタは想像するだに男の夢を全部叶えた幸せ者ではないかと。柔らかく手触りがよくコケティッシュで言うことを聞かない女性と猫、その共通点はわがままでありながら献身的、気まぐれで甘えん坊、それらをすべて飲みこんで愛することのできる男はザラにはいない。思わずため息が出る。

自分の夢に突き進んで異国の地で名誉も愛する人も猫も手に入れて、自然体で生きることの難しさをらくらくと乗り越えていったに違いない。絵の素晴らしさもだけど、一人の人間としてなんと素晴らしいことか!特に衣類のひだの柔らかさを表現するにこれほど単純でありながら生地の手触りまで感じられる技術の確かさには息を呑んだ。

こういうことを言うと人の苦労がわかるのか?とか苦労しないでこんなことができるわけがない、人間努力が肝心なんぞという人がいるけれど、自分が本当に好きなことをやっているなら人は寝なくても食べなくても幸せなのだ。いつも絵は美術館で見るのが一番で、自分でほしいと思うことはなかったけれど、初めてこの絵たちが欲しい、自分のものにしたい、と思った。美術館のオーナー夫妻の気持ちがよくわかった。

撮影はオーケーなので接近して撮っていたら叱られた。撮影できるのは一回に付き2枚以上一組でないといけないとか。意味がわからない。注意の立て看板が傍にあったけれど、こういうものをちゃんと読む人ばかりではないのだ。特に私は取説読まない常習犯。怪しいと思うならその人に密着していないといけない。スタッフも大変。特に私はその絵全体でなくその絵の中の一匹の猫が撮りたかっただけで複写する気などさらさらない。説明してもらえばよかった。この次行ったら訊いてみよう。

見終わって今回の宿主のY子さんに迎えに来てもらい、どこかでお茶でもということになったのだが、どこも評判の良いカフェは満員御礼、テイクアウトのコーヒーを買って帰った。Y子さんのマンションはクリスマスツリーが飾られ床暖房でホカホカ、軽井沢のまちなかでも一等地にあるのでここで住み込みの家政婦さんになろうかと思うけれど、雇ったが最後ものを壊す、掃除は雑、よく寝てよく食うなんて猫の化身のような私を雇う気はY子さんにはさらさらあるまい。だからずっと客として滞在するほうが彼女も安心するなんて勝手な理屈をこねてのんびりさせていただく。今年一年の疲れがすうーっと抜けていく。床暖房は体に優しい。電源の入っていないこたつを置いて床暖房のぬくもりだけで暖を取る。これは初めてだったけれど、実に快適だった。

とりとめのないおしゃべりや美しいヴィデオなど見てから、ロイヤルコペンハーゲンのクリスマス用の食器でいただくディナーなど、自分の家で猫の鳴き声に追われながら狭い台所であたふたしないでいられることの癒やしの効果は絶大!今年中の嫌なことはすっかり頭から消え失せた。

好事魔多し、夜明けにセコムの電話で起こされた。「ああ、ご無事ですか」ホッとしたようなセコムさん。私の留守中、猫のために姉が来てくれるので警報が鳴るのを解除してきた。それをセコムに言って来なかったので、家の中で倒れていると思ったらしい。しょっちゅうやるのでいい加減慣れてくれないかと思うけれど、毎回警備員が駆けつけて私が倒れていないかと家の中を見回る。アハハ、あのごちゃごちゃの部屋をみられてしまうのよ。

「猫が鳴いていましたよ」だって。はいはい、すぐ帰るからね。






2023年12月24日日曜日

2023クリスマスサロンコンサート


チェリストの毛利巨塵さんと奥様のクリスマスは相変わらずすてきですね。
私は昨日友人宅で遊んできました。
ピアニストの友人とモーツァルトのソナタとタイースの瞑想曲を弾いてきました。
お客様は約10人。
これからはこういう小規模のサロンコンサートを開いていこうかと思います。




2023年12月22日金曜日

絶望的な

タイトルに引かれてどんな重大な事が起きているかとここを覗いたた方には申し訳ない。私のことだから軽いことこの上なし。もう今年も数日という今日このごろ、家の中はぐちゃぐちゃ。見事な散らかりっぷりには我ながら惚れ惚れする。これ毎年のこと。

まず、靴。最近10足くらい捨てて、ああ、さっぱりしたと思ったら、もう10足くらい靴を買ってしまった。たぶん麻薬中毒みたいなもので、先祖はムカデらしい。家系図を見ると、ムカデ之丞とか太郎左衛門ムカデンとか・・・いるわけないか。ちなみに私の二人の祖父は源之丞と太郎左衛門。遥かな時代を感じるでしょう。

ここ一年間の物価の上昇を考えると、こんな無駄遣いしてはいられないと思っているけれど、元々危機感の薄い経済バカだから軍資金が底をつくまで気が付かないかもしれない。露頭に迷ったらご親切な皆さんよろしくね。贅沢は言いません、ダンボールの箱とキャッツフードさえあれば文句なし。

今朝もそろそろ猫の餌が底をつくので買い物にでかけた。ずっしりと重い高齢猫用のペースト状の餌を求めて、それだけにすればいいものを目についたものをついでに買うという悪い癖。帰宅するとたいていストックがあって、そのうちストックしたのを忘れてまた買うという計画性のなさ。だらしないというかおおらかというか、言い方によって人格が変わるところが面白い。この性格が家が片付かない大きな原因となっている。断捨離という考えがあって、一気にものをすてて一時期さっぱりするけれど、後で困るのではないかと思っている。

軽井沢方面から北軽井沢に行くには急カーブの急斜面を登らなければならない。中軽井沢駅前からまっすぐに山登りすることになる。その登山道はバイクの走り屋にとって絶好のコースとなって休日には上からも下からもバイクが連なってやってくる。そしてある日大型バイクの横に女性らしいとおもえる人が道にうつ伏せになっていた。後日新聞記事でわかったことは、その人は断捨離で有名な人だった。こんな急斜面をバイクでさっそうと操縦していくのはすごく気持ちがいいに違いない。しかしその代償が命。御本人は素晴らしい人生を全うしたと思うけれど家族はいつもハラハラしていたと思う。

読んでいる方たちはこんなことくだくだしく書いているならさっさと片付ければ?と思っていらっしゃるでしょ?もう言われなくてもわかっていますよ。でも掃除しても見てくれる人がいなくちゃね。

昔の大掃除は楽しかった。一家揃って朝から晩まで働いた。障子を張り替え畳を上げて、特に二人の兄たちはよく働いた。最後に障子紙に霧を吹いて出来上がり、と思うともう一仕事、猫の通り道を作る作業が一番楽しかった。一番下の端っこの枠の紙は上の部分だけ残して切り離される。そこが猫専用通路なのになぜか猫はその都度自分の都合で好きなところを通る。だから張り替えても早くてお正月中にもあちこちに爪痕ができる。そんなことをしても猫は叱られないのだ。

大勢で働くのは楽しい。けれど一人ぼっちは本当につまらない。大掃除が終わってみんなでお蕎麦を食べたり鍋を囲んだりしてにぎやかに過ごした大晦日。次の朝はもう世界がガラッと変わったような雰囲気になる。百人一首や福笑いなどのゲームに興じお餅でお腹がいっぱいになると羽つきで顔に墨を塗られて笑われる。

そのうち獅子舞が家庭訪問。私は子供の頃獅子が怖くてそれだけでお正月が嫌だった。獅子舞が通過したあとが私の本当のお正月になるくらい。泣くことはなかったけれど、いつも母の膝で震えていた。その後は消防団の人たちが庭に来て出初式を見せてくれた。寝たきりの祖母が寒い中、その時だけ障子を開け放って庭の様子を見て手を合わせていたのを覚えている。

思い出すと日本の文化はなんと雅だったのだろう。大家族は消滅、個人主義が幅を効かせ始めるると、スマホだけが自分の全世界の人たちが大半になってしまった。孤独は好きだけど誰も傍らにいないのは悲しい。こんな時猫だけではなく一人子供がいたらと考える。だっているじゃない。自身が子供でしょう・・・と言われかねないけど。仕方がない、これからも永遠の子供でいることにしよう。そういえば、私は50歳過ぎてもなお両親や次兄からお年玉をもらっていた。なんとまあ、だからいつまでもおとなになれないのよ。

でも明日は某家の奥様の誕生会、クリスマスは軽井沢の某家にお泊りという楽しみが。まだ当分キャッツフードをダンボールの家で食べなくてもいいらしい。もちろん遊んだあとで片付けるから部屋がきれいになるのはお正月過ぎてからかな。それも怪しいけれど。











2023年12月16日土曜日

冬到来

 ゴタゴタしているのでなかなかヴァイオリンの練習にまとまった時間がとれない。北軽井沢に行って集中してさらおうと5日ほど山にこもった。

今年の温暖な気候のお陰で北軽井沢についたときはまだ暖かかった。森の木はすっかり葉を落としきれいな青空が広がっていた。庭一面の落ち葉の堆積はふかふかと足ざわりがよく、細かい木をだいぶ伐ったために日当たりが良くなった。行けば毎回ノンちゃんの好きだった大木の周りに必ず花を植える。今年もヴィオラの鉢を数個まとめて植えてきた。

森には車も人も見当たらない。今年も私だけの森!と思ったら夕方になって周囲の2軒に明かりが点いた。なんだ、私一人ではないのかと少しがっかりだったけれど、やはり周囲に人がいるのはホッとする。天気予報を見てから良い日を選んで行ったために毎日明るい陽のさす暖かい日が続いた。

だいぶ疲れが溜まっていて指も頭も動かない。猫はいつもの通り道連れにされてだいぶご不満な様だけれど以前よりはずっと慣れてきた。ケージに入れて車が走り出すとやかましくわめき出すのがいつものこと。ついでにその間に便秘の解消に務めるらしく、必ずケージの中でトイレを済ますのでそれに気がつかないでいると後始末するまで泣き続ける。やっとそれがわかってからは一度車で近所を走って用を済ませて後始末をしてから再び走り出すことにするようになった。

日常的に2日に一回くらい近所を回って便秘しないように車を走らせるから、今の彼女はお腹スッキリ食欲モリモリ、もはや死を待つのみと思っていた頃の調子の悪さはなくなった。毎週の点滴も不要になって高い介護食のお陰で餌を飲み込むこともできる、足腰はだいぶ弱ってきたけれど、このぶんでは25歳も夢ではなさそうだ。ありがたいけれど同じ仲間の猫が嫌いで最近うちの一員となったノラは容認してもらえないのが悩みのタネ。今回は初めてノラを北軽井沢に一緒に連れて行こうと思っていたけれど、不穏な空気に怯えて出発当日はケージに入れる寸前に逃げられてしまった。

森の家に着いてドアを開けるとホカホカと温かい。ノンちゃんから譲り受けたこの家は最近になってとんでもなくハイテクな家だということがわかってきた。今までは他の家と同じように毎年11月の終わり頃には水道が凍らないように水抜きをして家を閉めていた。この水道の問題さえなければ冬にもちょっとでかけたいときに出かけられる。一旦水を抜くと水道を出すのにまた工事を頼んで、お金も手間もかかる。ところがノンちゃんの家は床暖房を切らなければ水抜きの必要はない。その分電気代はかかるけど水抜きの工事にお金がかからなくなるからどちらか選択すればいいだけの話。今年は初めての越冬を試みるつもりでいるから水抜きはパス。夜間電力を利用して家の土台のコンクリートに蓄熱して家全体を温めているのだそうだ。恐れ入りました。

毎年ノンちゃんとご主人の田畑さんはお正月を北軽井沢で過ごしていた。それで田畑さんの代まではずっと家を閉めなかった。けれど私は雪道の運転が怖いので毎年冬は行かなかった。もちろんスキーをやっていたから北軽井沢にいなくても雪景色は堪能していた。ところが膝の故障が起きてスキーに行くのも何かと不自由になってみると、しきりに冬景色が恋しくなった。

今年もスキーに行く踏ん切りがなかなかつかなくてスキーの先生に相談してみた。私はもはやうまく滑ろうなどという高望みは捨てて初心者コースを無事に降りてこられれば満足。しかし一人で滑っていて万一転んだら起き上がれない可能性が高い。それで講習を受けるのではなく先生に一緒に滑ってもらい、転んだら助けてもらうという路線に変更しようかと相談したわけで。先生はいいよと言ってくださったけれど、なんだかそれも悪いからしばらく考えていた。先生は悪いところがあるのなら整形外科に行って診てもらうようにと。それもそうだ。しかし、私の現状は怪我などではなく、筋力の衰えからくるものだからトレーニングで治る部類。自己トレは難しい。やはり専門家に見てもらいたいいけれど、私ごときの軽症では近所の病院でもしっかり面倒は見てくれない。それで思い出したのが友人たちが通う病院のリハビリテーション。

人と一緒ならサボれないしちゃんと効果のあるトレーニング法が学べる。思い出したので以前美容外科の肌トレに行っていたその病院へまた通うことにした。とりあえず外観から元気になろう。今日予約が取れたのでこれから行こうと思ったのが、考えても病院の最寄り駅が浮かんでこない。あらま、顔より脳のシワを活性化する必要がある。どこを優先するかは好き好きだけれど、対外的には脳外科が最優先のような気がしないでもない。シミが目立つので顔全体をレーザーで一掃してもらう。

久しぶりに訪れた病院では以前の担当医はとっくにいなくなっていて若いきれいな女性医師が出迎えてくれた。先生は色々相談に乗ってくれたものの、こんなおばあさんでは効果も薄いしと思っているらしくいまいち乗ってこない。しかも以前のシミの状態より加齢が原因となるとなかなか難しいらしい。肌自体が劣化しているから。

今日は試しに一部だけシミ除去することにしてベッドに横になった。顔の中でもひときわざらついた手触りのシミがあって、それは他のシミとは違う種類らしい。そこだけ盛上がっている。麻酔のテープをそのシミに貼って数分待ってからレーザーで削っていく。怖がる人がいるかも知れないこのようなことは私は割と平気な方で痛ければ喚けばいいだけの話。我慢強くない性格なので平気で大騒ぎする。

アートメイクの眉毛とアイラインを入れたときにもチリチリとした痛みがあったけれど、なんのことはなかった。ところが隣のベッドで施術されていた人は我慢に我慢をしていたらしく始まって数分後「ああ、もうだめ」と言ってベッドを降りてしまった。痛みより恐怖だったのだろうと思った。今回も軽い麻酔をしたので痛みは感じられなかったものの、機械の唸りと皮膚を擦る感触が嫌かもしれないと思った。初日のお手入れはほんの10分くらいで終了、これから少し頑張ってみよう。

終わると若い先生はホッとした様子。年齢からすると私は厄介な患者と思ったに違いない。途中でショック死されてもおかしくない。なにもこんなに年を取ってからシミ取りなんかしてもしょうがないでしょうと言いたかったと思う。緊張が溶けたのか急に明るくなってはしゃいでいるのが可愛い。

私は若い女の子?にもてるのよ。受付の女性も一緒にはしゃいでいるから急にその辺が華やかになった。いいねいいね、本当は機械でシミとりするよりこの明るさが人生を豊かにするのだ。じゃ、また来年ね!と予約して病院をあとにした。すでに日が落ちても都会は明るい。それも好きだけど森の静けさと真の暗闇は人に怖れの気持ちを蘇らせてくれる。それは自然に対するもの、人間の欲望のなんとちっぽけなものかということ。モンゴルの大草原を馬で駆け抜けたときに思った。なんにもないということがどれほど素晴らしいかということを。

なのに私の家はものに溢れている。ガラクタを来年こそ片付けよう。となると、まず、自分から?






















2023年12月15日金曜日

やっと落ち着いて

 この2年間のわたしは自分でいられないほどの焦燥感と苛立ちを抱えていた。やっとすべての問題があるべきところに落ち着いてきたころ、自分を見れば心はズタズタ、イライラを周囲に撒き散らす、胃袋は常にシクシクと痛み、こんな私を見捨てずに我慢してくれていた友人たちにお詫びしたい。最近鏡を見ると目の下にはたるみ、頬にはシミ、口の周囲のほうれい線はくっきり。見るも無惨な年老いた顔。

やっと自分を振り返る余裕が出てきたので久しぶりに肌の手入れに行こうと考えた。しばらく行ってなかったけれど、大学病院の美容外科、まだ昔の診察券でも使えるのかどうか訊いてみた。受付に番号を伝えると「ああ」ため息みたいな驚きの声。「使えますが当時の先生は皆さんもう」いらっしゃらないようだ。私が通っていたのは2008年だと言われて。なるほど、目の下に隈ができるわけだ。それでもカルテはちゃんと残っているようで歓迎の気持ちのこもる声で嬉しそうに案内してくれた。受付嬢が演技派なのか職業意識が高く経営に協力しているのかわからないけれど。

足の痛みは軽減した。階段は前向きで降りられるようになった。軽く走ることもできるようになった、体重も2キロの減量に成功。あと2キロ減らせれば膝の痛みは雲散霧消するはず。そうすると着られるドレスが増える。ウエストが入らなくなって眠っているドレスたち。特にタイトなデザインで買ってから一度も袖を通したことのない服がある。わりと厚手の絹のドレス。サーモンピンクで袖が着物のようなデザインで素敵なのに、私のお腹が横から見るとポッコンと突き出てしまう。このドレスが着たくてダイエットに励んでいるのに、もう少しで着られるところまで進んでも油断して食べすぎてしまう。

私の姪の娘はチアリーディングをやっていて体型を見るとウエスト周辺の細いことったらない。まるで内臓のない人間みたいに細い。それも筋肉質で腹筋が割れているというのは女の子にしてはすごい。それを見せられてから私も腹筋にターゲットを絞って筋トレをしている。お腹は単に脂肪がついているというのではなく、若いうちは本来上半身にあるべき脂肪が重力に逆らえず下に降りて来ているのだから始末に負えない。それにどのくらい年月がかかっているかといえば数えるのも癪に障るくらいだから、容易に退治できるものではない。

今年のはじめ頃は肌がどす黒くなって自分の手を見るのも気持ちが悪いくらいだった。体内で何かが腐っているとしか思えない。やっとストレスが消えて見ると少しずつ回復の兆しで肌が白くなり始めている。惜しいことには張りがなくなりたるんできたのはいかんともしがたい。

美容外科に行くのはもう一つの目的がある。その大学研究室には筋トレのグループがあるらしい。私の友人たちがせっせと通っているというのでその仲間に入りたい。皆さんがいらっしゃいよと言ってくれるけれど、そこに入るには整形の先生の紹介が必要らしい。だから体の曲がりもその整形に通えばいい。根性の曲がりは・・・どんな名医もなおせないのが残念なところ。

今年のクリスマスにはモーツァルトのソナタ他、古い友人と演奏する事になっている。彼女は私がオーケストラの入団テストを受けたときにピアノ伴奏してもらった。あれからどれだけ年月が過ぎ去ったことか。衣装はどうする?と訊くと彼女はプリーツの服というから考えた。そういえば最近緑色系の細かいプリーツ加工の服を通販で買ったっけ。それにしよう。まだどこへも着て行ってない。ちょうど裾が私のくるぶしの長さだし。しかしその通販のページで見るその服はモデルの膝丈の長さ。膝から下に長い脚がスラリと伸びている。

モデルは外国人と言ってもこの足の長さの差はなんともはや!














2023年12月4日月曜日

早くもクリスマス

 埼玉県のとある会館で昔の学友たちとの共演。練習を先日やったので時空の隔たりはあっという間に埋められたことは前に書いた通り、地元の数人のピアノの先生の門下生の発表会で「鱒」を演奏した。チェリストの息子さんの奥様が主催者で、彼女はもちろんシューベルトのピアノパート、チェリストは義理のお父様、ステージ上のマネージメントは彼の息子さんと一家総出の心あたたまる風景。いいなあ、こういうのって。

都心を少し離れると東京近郊でも空が広い。温かい日差しの穏やかな一日、自宅最寄り駅から直行なのに距離的には遠いので少し緊張していた。特急から何処かで鈍行に乗り換えなければいけない。ネットの乗換案内で調べたにも関わらず、電車に乗ったらさて?一体どこだったかしら。乗り換えはうまくできた。

けれど目的地の駅からタクシーに乗ろうとすると乗り場に車は一台も停まっていない。待っていても来ない。そこであたふたしなければ大丈夫なのにせっかちな私はいつも無駄に動いてしまう。広場の向かい側にバス停があってバスが停まっているから、バスに乗ろうと思ったけれど、目的地の停留所がわからない。とりあえずバスに乗った。先日来たときに車で送ってもらったから方角はわかっている。

するとバスは違う方向に曲がっていく。えっ!どうしよう。ドライバーの車内放送で本日は終点付近の交通の混雑によりバスは遅れているので迂回するコースをとるとのこと。だんだん狭い道に入っていくので私は冷や汗タラタラ。知らない町の知らないバスで何処かに降ろされてしまったらその後はどうすればいいの?タクシーは駅にもいなかったのだから流しの車が捕まる訳はない。

そのうちバスは再びにぎやかな道に出て、あら、そこは先日の練習に来たホールの近く。助かった!冷や汗をかいたので喉が乾いた。しかも今更気がついたことは私は目的のホールの名前すら覚えていなかったのだった。道を訊こうにもなんと言って聞けばいいか分からなかったのだった。

会場練習はなんとか終わってあとは本番を待つのみ。たくさんの出演者の最後に私達の出番だから、随分待たないといけない。待つのも仕事のうち。よくそう言われた。特に映画のしごとはほとんど待ってばかり。昔「砂の器」という映画があったのをご存知でしょうか?中居くんの主演ではなくてもっと前の加藤剛さんが主役だった。それに私も出ているのです。その撮影のときはただひたすら待って待って次の日も待って待って・・・

数日間、埼玉会館の楽屋で過ごしたときには電気コンロを持ち込んで鍋を囲んでいたっけ。皆で具材を持ち寄って流石にお酒は飲まないけれど、ご飯を食べていた。会館から出るわけにもいかず、時々お呼びがかかると楽器を持ってステージへ。細切れに撮るから気が散っていけない。加藤剛さんはオーケストラの楽器の後ろにいる音楽監督の芥川也寸志さんの指揮に合わせて棒を振っていた。少しくらいズレても編集の妙で出来上がった画面を見るとうまくあわせてあるので感心した。

主題曲作曲は菅野光亮さん。主人公の加藤さんがピアノを弾くシーンは手だけ写すときには作曲者自身の演奏している手を撮す。加藤さんは骨ばった体脂肪率少なめの体格なのに手が写ったときには菅野さんのぽっちゃりした手が写っているのがおかしかった。作曲者は芥川さんではなかったが、芥川さんなら同じように骨ばった痩せ型の手だからそのほうが良かったかもしれない。

話が逸れたけれど、音楽会の主催者側からの希望でクリスマス色のものをなにか身につけてほしいとのことだった。どんなものを着ても良いと言われるとなおさら難しい。私の持っている服の中に緑や赤はないので困った。

本番数日前に古典音楽協会の会議が開かれていたのは東急線の白楽駅近くで六角橋商店街がある。会議が終わってからブラブラと商店街を歩いていたら手作りの衣類や小物などを売る面白い店があった。入ってみると個性的な小物や服がズラリと並んでいた。店のオーナーに事情を話して探してもらったのは紺地に赤や黄色などの細かい模様がステンドグラスのように見える面白い服だった。

面白いものに目がない私はスカートとブラウスを買ってそれに赤いベルトをしてみたら、すごくクリスマスっぽくなった。そして本番当日、会場に来てみたら、主催者はじめ他の出演者はごく普通のドレス。私はすっかりクリスマス気分で浮いてしまった。ちょっと変わったことをするのが好きな私はいつもへんな格好で浮足立って見える。そのうえ日本では「いい歳をして」という言葉があるように、あまりはしゃぐと叩かれる。

性格に問題があるからへんな人として見られるのは慣れているけれど、でも買ってしまった服はこのあとどんな場面で使えるかわからない。ちょっと普通の場面では使えないから来年のクリスマスにも仕事があるといいなあ。








2023年11月24日金曜日

今日もまた

同級生たちとの「鱒」はとても楽しかった。老後にこんな良い時間が持てるとは夢にも思わなかった。少し時代が前ならもう楽器は弾けないで 施設に入るという年回り。健康年齢が伸びたのか、もの好きが増えたからなのか、私の仲良したちは一向に演奏をやめない。昔むかし、私がオーケストラに入団したときには40歳以上の人は引退寸前だった。大抵の人は50代にも届かずやめていった。それで私はヴァイオリンはそれ以上の年齢を待たないでやめるものだと思っていた。

それが今やほとんどの友人たちも未だに現役!大したものだ。

数日前の「鱒」の次は我が家のホームコンサートでの演奏。メンバーはガラッと変わっていつも明るいおばんグループ。平均年齢は数日前とほとんど変わらず。大きなコントラバスがのっしのっしと家の階段を登ってくる気配がすると、これが登れるのはあと何年かと数えてしまう。コンバス用にエレベーターをつけたいのだが設置場所が2メートル四方必要というので、しかも値段が少々お高いからウーン、考えてしまう。

今回の集まりに私の兄に声をかけたら「僕は今ぎっくり腰で動けないんだよ」歩くだけならいいけど階段が登れないというのでいよいよ早急に考えないといけなくなった。階段につけるリフトがあるとか。調べてみようかと思うけれど、すぐには行動せずこの先数年はかかると思うので殆ど諦めの境地。早く調べれば?と思うでしょうが、私がそういう性格ならもう20年も前に設置しているさ。

開演前に怖いもの見たさの人たちが続々と集まってきた。お化け屋敷に来た心境では?今回はほとんど声をかけなかったのに、なんだかあっという間に我が家の狭いスタジオは満杯になってしまった。集まってくださったのはありがたいけれど、まだ予断を許さないコロナ、インフルエンザ、肺炎などなどが恐ろしい。

前日まですったもんだした練習、さて無事に最後までいけるかどうかお慰み。可哀想なのはこの人たちでござい!にならなければいいけれど。一曲めのボーン・ウイリアムスの5重奏曲は一応うまく行ったということにしておきましょう。だれもほとんど聴いたことのない曲だから。

昔当時の東響のコンサートマスターの鳩山寛さんがコンサートのメンバー紹介で私のことをこうおっしゃった。「この人はステージで何が起きても大丈夫な人です」と。火事場の馬鹿力がすごいと言いたいらしい。演奏に混乱が生じたとき慌てる人が多いけれど、私は逆に冷静になる。なんとか活路を見出そうと面白がってゲーム感覚になって出口を見つける。ひょいと元の位置に収まって何食わぬ態度で終わる。図々しいのもあるけれど、その混乱を楽しむ性格でもある。たいてい聞いている人には分からないで終わる。

今回も初めて弾く曲でまだ練習途上、混乱が数回あったけれど何もなく終われた。とまあ、こんな裏話をしてしまうと信用なくすけれど、これもテクニックのうち。どこで行き違いを修正できるかというので目まぐるしく脳みそが動く。律儀な人だとそうはいかない。自分の持ち場をしっかりと貫いてしまうので、なかなか修正できず破綻することも。

昔ドボルザークの弦楽四重奏曲「アメリカ」のセカンドヴァイオリンを弾いていたらファーストヴァイオリンが1小節早く出てしまったことがあった。気がついたチェロと私はすぐにファーストヴァイオリンに合わせて1小節飛ばして先へ、ヴィオラ奏者だけ何も気がつかずゆうゆうと元の譜面にかじりついて弾いていた。音が濁っているにもかかわらず。さあどうするかなと思っていたらおしまいの方でやっと気がついて慌てていた。こういうところがヴィオラ弾きの面白いところ。私にヴィオラ弾きの友人が多いのも私がヴィオラを弾くのが好きなのもおわかりでしょう?なに、わからない?あなた人生の面白みを知らず損していますよ。

というわけで第一回ホームコンサートは盛況のうちに和気あいあいと終わった。私達はなんとか練習の成果を聴いてもらえたし、聞いてくださった方の中には「かつてのサロンで聞くようでしあわせ、シューベルトの時代でも同じだったのでは」うれしいコメントがあったとか。演奏の良し悪しはともかくとしてと後書きはなかったのかな?















2023年11月22日水曜日

60年後

 川越に近い埼玉県の某所ホールに集まった4人。

お互い仕事で様々な場所で遭遇する事はあっても各自違うオーケストラのメンバーだったから、すれ違いざまにやあやあと言って立ち話もせずに分かれるようなお付き合い。特に元都響のチェロ奏者のMさんとは久しぶりの対面だった。ヴィオラのKさんとはアンサンブルで割合に頻繁にあってはいるけれど、コントラバスのIさんに至ってはお顔は見たことがある程度。それでも初対面であろうと楽器を弾き始めたら古いも新しいもない仲間となってしまう。特に元都響のMさんと元N響のKさんとは高校時代から大学卒業まで一緒にカルテットと弦楽合奏団を組んでいた懐かしい思い出がある。

芸術祭には色々な仲間と組んであちらこちらに首を突っ込んでいた。ヴァイオリンとヴィオラが弾けるということで需要が多く、弦楽器だけでなく管楽器やハープなどを含む沢山のグループで上級生、下級生を問わず使ってもらえたのが今の私の基礎になっているのだ。

彼らと大学時代に組んでいた合奏団は「ゲホーベンハウス合奏団」なにやら聞いたことがありそうな名前。あの「ゲヴァントハウス」をもじってのネーミングは先ごろ亡くなったヴィオリストの藤原義章さん。4年間素晴らしい仲間との様々な活動は、実はチェロのMさんのマネージによるものだと言うことを今回初めて知った。岡山、島根、福島への演奏旅行、都内では教会でのコンサートなどなど。Mさんはチェロ奏者を引退したあとオケのマネージメントにも関わっており、そちらの才能も大したものだったそうで。

こうして今また集まれたのは本当に幸せなことで、当時の仲間の一人はすでに亡くなってしまった。最後に「ゲホーベンハウス合奏団」のコンサートをしたのは、もう10年くらい前になるかしら、大久保の東響の練習所でだった。その時コンサートマスターを務めた元都響の山田哲男さんがガンで余命幾ばくもない状態でもかつての美しい音を聞かせてくれたものだった。山田さんと私、ヴィオラのKさん、チェロは元大阪フィルのHさんか都響のMさん。夏には美ヶ原で合宿をしたり喧嘩をしたりと大の仲良し。大フィルのHさんはやはりほとんど会うことができず、最近皆やっと暇になったので高校の同窓会で会えるようになった。けれどやはり私達は楽器で会話がしたい。

今回の機会を作ってくれたのは名マネージャーのMさん。息子さんの奥さんが地元でお弟子さんの発表会を開くときに演奏をしてほしいとの依頼だった。曲はシューベルト「鱒」、明日の私の自宅でのミニコンサートの曲目でもある。

同じ曲で良かった。実は最近急激に視力が衰えて新しい曲は見えないと中々難しい。「鱒」は今まで幾度となく演奏しているから多少目が霞んでもなんとかなる。特にヴァイオリンは音が高いので音符の加線(五線から上下にはみ出した音域に加える線)がたくさんあると乱視の私には重なって見えて非常につらい。目が見えるならオーケストラでも弾いていたい。

練習後チェロのMさんとヴィオラのKさんと食事をしなが話していると、年月の隔たりは全く感じられない。楽隊はおとなになれない。いや、ならない。まるで学食でお弁当を食べながら話しているようなのだ。傍目から見ると介護人の目を盗んで施設から抜け出してきて油を売っているように見えそうだけれど。多少足元がふらつくこともあるけれど、声も若い、よく笑う。

またお会いしましょう、おじ(い)さんたち。数えてみたら約60年間のお付き合い。こうして会話よりも一緒に演奏ができるなんて夢にも思っていなかった。素敵な仲間たちに幸あれ。

















2023年11月20日月曜日

田作り

 魚なのになんで田作り?

広辞苑によれば「ごまめ」の異称。田植えの祝儀魚として用いたという。また鰯類が田の肥料として早くから認められたからともいう。私達が増税のたびに歯ぎしりをする、あの「ごまめ」力のないものがいたずらにいきりたつことを言う。

先日一緒に箱根で恥を晒してきた私とその友人M子さんのほうからおくられたごまめさんたち。湘南に住む彼女が美味しいからと言って送ってくださった。「活きのいいのを頼むよ」と言ったら、田作りに変身する前は活きが良かったハヅ、だそうでなんか怪しいけど信じよう。

それが届いた日は友人のアマチュアコーラスグループがコロナ以来久々のコンサートというので、浜離宮ホールにでかけた。このホールでコンサートができるのは経済的にも人数が多くないとできないから、われら貧乏アンサンブルには手が届かない羨ましさ。音が流石に良いし、客席もステージもきれいだし気持ちの良いひとときだった。数年のブランクの中で世代交替があったのか、それとも定年退職をして体力がついたのか、はたまた会場の音響の良さからか、なかなかの出来栄えで拍手。

帰って田作りをあたたかいご飯で頂こうと思っていたら、その前に空腹で倒れそうになって、山手線の百年ごしのメンテナンスで電車が混んで(山手線でない路線まで影響して)結局、好きなお寿司屋さんでちょっとつまんで帰ったので今朝まで田作りには待機してもらった。

早朝目が覚めてそういえばと冷蔵庫から取り出したお魚さんたち、コチコチに緊張して目があっても瞬きもしない。くすぐっても「きゃあ」とも言わない。岩内で獲れたのかな?と思ったら横須賀らしい。なんだ同県人ではないか。まだ早いけど一匹かじったらもう我慢できず、早速ホカホカご飯と味噌汁と一緒に頂いた。ああ、幸せ!甘み、苦味、香ばしさが調和して至福の時間。

今年に入ってから食事の嗜好が急激に和食に傾いている。今まではパンや肉が好きで、バター味が好きで、外食はほとんどイタリアン。今年の猛烈な暑さのせいか、和食に移ったのが自分でも信じられないほどの変化。和食を適度に食べていると大変体調が良いということに気がついた。今までは肉食系女子だった。数日肉を食べないと猛烈に食べたくなったのが嘘のように豆腐類に移行。いまや精進料理の体をなしている我が家の食事。しみじみと美味しいと思う。

そろそろ尼寺に行くほうがいいかも。しかし門前で断られるだろうな。不信心で素行の悪さをなじられて結果破門の憂き目にあいそう。尼寺に入れてもらえれば楽しい環境作りで愉快な尼寺として有名にできるのに。
















2023年11月15日水曜日

ホームコンサート

 愉快な仲間たちは今日も元気。

同病ならぬ老病の気はどんどん進行しておりながら、未だに皆食欲も音欲も衰えず。今日もまた大きな楽器のコントラバスやチェロやヴィオラを抱えて我が家の階段をのっしのっしと上がってくる。ピアニストも楽器は持っていないのに、大きな荷物を抱えて登ってくる。

練習が始まると大混乱、ボーン・ウイリアムズの「ピアノ五重奏曲」を楽しむ私達の平均年齢はというと、むにゃむにゃ、さあ、いくつでしたっけ?わすれるほど長く生きてまいりました。我らが中心人物のHさんは日本の女流コントラバス奏者の草分け的存在。私が所属していたオーケストラで数年間一緒に過ごしたあと私達のスキー愛好家の集団「雪雀連」のメンバーである調律師のご主人と結婚した。彼女は室内楽でコントラバスが編成に入っている曲が少ないことから、コンバスの入っている曲を探し出してきて私達と楽しんできた。練習したからには生き物に聞かせたい、猫でもいいけれどできれば人間に聞いてもらいたいというので、狭い我が家のレッスン室でご披露することになった。

聞かされる人はまだ募集中、最大人数は8人くらいまで、部屋が狭く演奏者が多い上に大きな楽器も多いので、ぎゅうぎゅう詰めればなんとか入れるが窒息しかねない。ピアノが邪魔なんだけど。ピアノが中心の曲なのに。

この曲の編成はシューベルトの「ます」と同じでヴァイオリン,ヴィオラ、チェロ、コントラバス、あれ、4人しかいないじゃない?おやおやピアノをお忘れですよ。だからピアノ五重奏曲って言ってるでしょう。なんてガヤガヤしながら楽しんでいますよ。「マス」は古今東西のピアノ五重奏曲中の五重奏曲。しかしどこから見つけてくるのかHさんは次々と他の曲も探してきては立派なスコアとパート譜のコピーをきれいに製本して持ってくる。それでのそのそと譜読みを始めると、これが大変で音が取れない、リズムがわからない、他の人が今何をしているのかも知らない、我関せずと言いたいところだが、途中でずれると最後に一緒に終われないからもう一度元に戻ってやり直し。

一番若いチェリストがハキハキと皆をまとめてくれても次の練習にはもう忘れてしまうから曲がまとまらない。半分は自分たちの楽しみのためだけに練習しているけれど、人に聴いてもらうには一体どんな曲か分かる程度にはしておきたい。

始まって1時間もするともうお茶が飲みたくなる。甘いものが欲しくなる。一旦休憩するとおしゃべりが止まらなくなって練習のことは忘れてしまう。てな具合に遅々として曲がまとまらないけれど、開催に向けて頑張っておりますので、休日の貴重な時間を無駄に潰しても良いとお考えの方はどうぞnekotama宅にお越しくださいませ。家はどこ?ってあなたあそこですよ、桜並木の川沿いのほらあそこ。ちょっと人目につかないネズミの通り道に近い。

11月23日(休)14時開演 入場無料

曲はボーン・ウイリアムズのピアノ五重奏曲とシューベルト「ます」の二曲。

場所が狭いので入りきれない人は近所の居酒家で昼酒でも楽しんでお帰りください。途中で止まったり弾き直したり喧嘩を始めたりするかもしれない。それもご愛嬌と思ってくださればお楽しみになれるでしょう。

楽器が大きいのはわかるけどピアニストの抱えてきた大きな荷物ってなんだとのご質問、いや、あなたの記憶力はすごい、よく覚えておられましたね。実は彼女はお料理が好きで毎回他のメンバーに食べさせるために色々作って持ってきてくれるのですよ。ピアノは持って来ないので2トントラック一台分くらいのごちそうを・・・ほら、またおばあちゃん嘘をつくのはおやめなさい。あら、介護士さんに叱られちゃったわ。本当は3トントラックなんだけどね。怖い世界を覗いてみる勇気がお有りの方はどうぞ、お集まりください。

ただし人数に限りがあるので要予約、電話?って。紙コップの糸電話で十分でしょう。


















松村高夫さんとシューベルト「冬の旅」

松村氏はテノール歌手という隠れ蓑を持っておられるけれど、本職は慶応大学名誉教授。専門はイギリス社会史、労働史、日本労働史、音楽の才能は妹の松村美智子さんと共通する。

美智子さんはこのブログに度々登場したロンドンアンサンブルのみちこさんこと、ミチコ・スタッグさん。 才能あるピアニストで残念ながら先年日本で亡くなった。その後ミチコのいない家は廃墟だという夫のリチャード・スタッグ氏の言葉が表すように、明るく勝ち気でユーモアたっぷりの彼女の不在がいかに虚しいかというように、太陽のような存在だった。

美智子さんと一緒に過ごした時間は私にとっても太陽の輝きのような思い出になった。なくなる数時間前に枕辺に座ると彼女はそれがわかっていたようだった。かすかな反応で私達になにかメッセージを送っていたようだった。その2日ほど前、彼女が電話をしてきて「うちの玉ねぎに芽が出たから、あなたそれを絵にかいてみない?上げるから取りに来て」と。忙しかったので曖昧に口を濁して取りに行かなかったことが生涯の悔やみになるとは私は知る由もなかった。今でも思い出すと号泣しそうになる。

美智子さんがお兄様の高夫さんの伴奏をしたとき、私は譜めくりに駆り出されたことがあった。私はチビで目っかちで乾燥指でと差別用語満載で言うけれど、譜めくりに必要な条件を満たしていなかったけれど、冬の旅は私にとって特別な曲だったからお引き受けしたのだった。その時高夫さんがおっしゃった。「それはなんと三重苦ですな」本番直前なのに余裕のあるジョーク、いつもゆったりと穏やかでそれでいて美智子さんと同じように鋭い観察眼をお持ちのようで、美智子さんと私はお腹を抱えて笑った。

本番は大成功、美智子さんには「完璧!」と褒めていただいた。私の才能はヴァイオリンよりこういうところにあるらしい。プロの譜めくりニストといものがあったら、三重苦にもかかわらずやってみたいとおもうほど。

さて本題に戻る。シューベルトの「冬の旅」は歌い手にとってバイブルのようなものだと思う。シューベルトのすべての要素がここにあると言っても過言ではないと思う。全部で24曲あってそれぞれの曲は短い。最初から最後まで悲しみに打ちひしがれた心、ほんの一瞬の希望、怒りなどがこれほどの短い曲に込められているのだ。

私はフィッシャー・ディスカウのレコードを毎日のように聞いていた。ディスカウの日本公演、ペーター・シュライヤーの日本公演も、ジェラール・スゼーの日本公演も聞いて回った。スゼーのフランス風の歌い方はこの曲にそぐわなかったけれど、その美声には感激した。ディスカウの歌い方に慣れてしまって標準になってしまったのが問題ではあるけれど、好きでたまらない曲はいつでも聞いてみたいので今回も見逃すてはなかった。しかしご招待のお手紙を頂いて返信しなかったので、終演後ご挨拶すると「ああ、返事がこなかったから来ないかと思っていたよ」と言われてしまった。「来ますとも、とても良かった」と申し上げるとニヤリとして嬉しそうな表情に。

これは驚きだけれど、高音のほうがよく伸びていて音程もしっかりしている。低音はややピアノにかき消されて聞こえないし出しにくそうにしていらしたけれど。ピアニストは優れた演奏者ではあるが、リートの伴奏は非常に難しい。ピアニスト然とした演奏では歌を殺してしまう。ジェラルド・ムーアの伴奏をレコードでさんざん聞き慣れていたからその辺が残念なところだった。

ジェラルド・ームーアの伴奏法の講座が母校で開催されたとき私はまだ二十歳そこそこだった。今、彼の言うことが聞けたなら非常に良く理解できるだろうと思った。残念ながら若すぎたようだったので漫然と聞いていたけれど、生の演奏には数回触れている。もし私がピアノ専攻だったなら、リートの伴奏者を目指したかもしれない。

いつの頃か小林道夫先生の伴奏法の講座を聞いたとき、「自分の腕を相手に預ける」とおっしゃったことがあった。そのとおりだと思う。誰かと共演するとき、自分の腕からすっかり力を抜いて相手に委ねると面白いように共鳴するのだ。ピアニストは大抵の時間は一人で練習して一人で舞台に立つけれど、弦楽器奏者は完全なソリスト以外はたいていアンサンブルも練習するからその辺はよくわかって使い分けることができる。






2023年11月6日月曜日

箱根に遊ぶ

 このところ友人たちとの遊びが多い。M子さんが少し体調を崩して治療を終えて「娑婆」に戻ってきたので遊ぼうというわけで待ち合わせた。本当は退院したら築地のお寿司屋さんでお寿司を食べようという約束だったのだが、寿司店が閉店してしまったので、急遽何処かで紅葉を愛でようということになった。

彼女の家は私の家と箱根の間にあるから箱根に足を運ぶことにした。M子さんの家の近くのコンビニで朝9時に待ち合わせの約束をした。彼女の家にはだいたい1時間ほどで到着するようだから30分の余裕をみて7時30分に出ればいい。しかし早起きの私は4時ころにはお目々パッチリ、お腹も空いている。時間を持て余しながら早めに出てしまおうかと考えては、いやいや、コンビニに早く着いてしまうと店で長く待つことになるからそれは嫌だと考えた。それが間違いのもとだった。

予定通り7時30分に出発。連休前のウイークデー、混んでも大したことはない。すると東名高速道路に入る前にカーナビからいやなお知らせが。5キロ渋滞、ぬけるのに約30分。ま、仕方ないか。入ると次にまたお知らせ。7キロ渋滞、抜けるのに50分。やれやれ、しかし渋滞の手前でやたら騒がしい。赤い大きな緊急自動車は消防車。分岐点でお腹を見せてひっくり返っている軽乗用車。お願いだからこんなところで昼寝しないで。その頃には頭に血が昇ってもうやだ!そうだ、一旦出て高速の下の道を走ろう。

そういうときはじっと我慢して成り行きに任せるのが一番とわかっているのに時々そういうことをする。結局1時間半くらいの遅刻。

約束のコンビニにたどり着くと現れたのはなぜか緑色の髪の乙女(元)、この人と私が組むと最悪の事態となるのはよくわかっていたけれども約束したのだからあとには戻れない。仕方がない、箱根の地獄までお供しよう。病み上がりにしてはえらく元気なM子さんは私の車にカーナビがついているにもかかわらず人間ナビゲーターに電話をしては道を訊く。平日の昼間、相手は仕事中だからさぞや迷惑なことと思うけれど、なぜか親切に対応しているようだ。邪険にするとあとが怖いからか。天衣無縫の彼女にはこの世に障害物はない。

私はこの日すでに3時間以上運転しているからお腹も空くし目も霞む。そんなことお構いなしに助手席でM子さんは一向にものを食べたがる気配もなくはしゃいでいる。お腹すいたからなにか食べない?と言ってもどこ吹く風、返事もしない。病み上がりだというから今日のところは許す。

箱根のどこという目的地はないのでカーナビにはロープウエイと入力。乗り場でサンドイッチにありつけたら上出来なんだけど。今年はどこの観光地の紅葉も遅いらしいけれどあまりといえばあんまり、ほとんど色づいていない。チケットを握りしめてのりばで待つことしばし、乗り物が来た。早めにきていたから椅子に座れてM子さんがお隣さんとおしゃべりを始めた。そのうちに「え、これケーブルカー?ロープウエイじゃないの」と素っ頓狂な声を上げた。

向かい側のカップルまで違う違うと言う。それじゃどうしよう、チケットはロープウエイのものだから途中でおりろと言われてもおりられない。発車のベルが鳴ってドアが閉まる寸前人をかき分けてやっと降りられた。普通なら乗り物を見ればわかるじゃないと言われそうだけど、わたしたちは世の中から超然と生きているから常識は通用しないのよ。

ロープウエイとケーブルカーが違う乗り物だったとは・・・乗り場にたどり着いた二人はホッと一息。高い!はるか下を見下ろして絶景を楽しんだが、今年はそれプラス紅葉が楽しめる季節のはずがまだ黄色い山々に少しがっかりした。

ロープウエイは大涌谷の地獄谷に到着、乗り物を降りた瞬間その辺に立ち込めるガスで、さすがの匂い音痴の私でさえも臭い!箱根は10年くらい前までロンドンアンサンブルのメンバーと1年に1回訪れた場所だった。イギリス人の彼らはとりわけここが好きなようだった。いつもお腹をすかているチェロのトーマスはここに来ると黒玉子をむしゃむしゃと食べ、フルートのリチャードは健脚を見せびらかすようにスタスタと歩く。特に箱根神社あたりに行くとはしゃいで子供のようになった。懐かしいなあ。彼らは今どうしているかしら。

臭いガスに辟易して早めに退散。M子さんはまだなにか食べるとは言わないから私はこの平和な日本では殆ど見られない餓死犠牲者になりそうになった。たまりかねてなにか食べましょうと提案。ほとんど無計画なドライブだからどこにむかっているのかもわからないけれど、そばやを見つける。けれど箱根で昼下がりに食べ物にありつける可能性は極めて低いということを知っている私は絶望的。やはりたいそう良さげな店があったものの休業中、それは昼と夜の営業時間の合間の休憩なのか本日休業なのかはわからないけれど、たとえ営業日でも午後はほとんど店を閉めるのだ。

仕方がない、すごすごと帰路につく。空腹でずっと休まず山道を運転していたのでクラクラするかと思いきや、体調は悪くない。むしろ日頃食べ過ぎなのがいけないらしい。ついに日がくれてM子さんの地元に帰ってきたらすっかり暗くなっていた。やっとつれていかれたのはアメリカンな気持ちの良いお店だった。都心の店のように狭くない。ゆとりのある空間に感じの良いフレンドリーなスタッフ、メニューも初めて見るようなハンバーガーやサンドイッチ。食べたらすごく美味しくてまた来たいと思った。やはり湘南はおしゃれなのだ。

これが正真正銘のケーブルカーらしい。

違う切符で改札を通れたけれど、降りるときはどうなるのかしら。降りられなかったりして。







2023年11月5日日曜日

平泉寺(福井県勝山市)



高岡市の祭りを見たあと能登半島一周に連れて行っていただいた。私の旧友Kさんの道案内で能登の突端までを満喫した。更にその後、別の友人の勸めもあって福井県勝山市の平泉寺にも日を変えて案内していただいた。本当に贅沢な数日々だった。写真撮影はすべてKさん。

Kさんの拠点である高岡に滞在してそこからそれぞれの目的地に通ってというゆっくりとした旅程で、この2年ほどの酷いストレスからやっと開放された。素晴らしく楽しい日々はもう年齢的にもこの先味わえないと思うので、尚更ありがたかった。すっかり心の洗濯をしてきました。

Kさんは放送大学で一緒に学んだ謂わば学友であるけれどかなりの年下。言ってみれば私とは母親程は年齢が離れていないけれど介護のつもりで付き合ってくれたのだと思う。でもこの母親もどきの元気な婆さんがここ数年来の足の痛みはどこへやら、しっかりと歩けたのには我ながら驚いた。本当にあなたは親切ねと言ったら「田舎の人は皆そうですよ。ほらテレビのぽつんと一軒家でよく道案内する人がいるでしょう。あれと一緒です」と、なるほどそうなんだ。それなら田舎はとてもいいところ、実際高岡の空は広く、大気は澄み渡っていた。

平泉寺は勝山市の一角にあり、というよりあったというべきで、一向一揆の騒動で寺社は焼かれ多くの人が亡くなったという。古文書の地図を見ると多数の寺や僧坊、参拝客の宿舎などの一大宗教遺跡で、今盛んに発掘が行われている。白山信仰の本拠地であるというので、恐れ多い気持ちが先立っていたけれど、明るい穏やかな日差しに石段の苔が輝き、深い杉木立は悠久の時を物語るようにひっそりと立っている。敬虔な気持ちが湧いてくる。

ずっと続く石畳はどこまでも上へ続く。ほとんど全山が遺跡の様相で静かな木立に時々参拝客とすれ違うのみ。鳥の声もしない、風音もしない、ひたすら静けさがあたりを支配している。今思い出しても心になにかの力がみなぎってくるように感じられた。強力なパワースポットであるとはここを勧めてくれた友人の言葉。ずっと心と身体に染み付いていた悪い気が拭い去ったように消えていた。帰路、コスモスの群生する原でしばらく見事な花を愛でた。

平泉寺の石畳

暑くも寒くもなく明るい一日。
どこが寺の入り口下もわからずになんとなくたどり着いた。
そこに小学生高学年か中学生くらいの大勢の子供達が先生に引率されてやってきた。
各々の手には熊よけの鈴。
暗いイメージだった伝説の宗教都市遺跡は急に日常の様相にかわる。

しかしその一群が去り、杉木立の石段を踏みしめるともう俗世界から一歩踏み出した様な静寂が漂う。
鳥の声もしない。


打ち砕かれたような岩や仏像のような石が固まって倒れていた。

足元は丸みを帯びた石段が続く。

表面が苔むしているものもあり滑りそう。


これはかりんの実、地元の人に訊けばお酒につけたりするそうで一見柿かと思った。


帰り道に待っていたのはコスモスの群生。



この旅から帰り合奏団の会合に出席すると、今まで紛糾していたすべてのことがサクサクとあるべき場所に戻り決まっていった。
心のつかえが取れて、どす黒く濁った色を見せていた肌の色がもとに戻ったようだ。
体に黒い血が流れていたらしい。それは怒りだったり悲しみだったり、毒のように精神と体を蝕んでいたものが去っていったらしい。
次の日会った友人たちは久しぶりの私の笑顔にさぞやホッとしたことだろうと思う。
 
最近は周りの人たちがはれものに触るように私を遠巻きにしていたから。
ここのコスモスは花が大きくとても立派で見栄えがします。
















能登半島一周

 祭りの次の日はかねてより念願だった能登半島の突端まで行きたいという思いがかなった。

能登半島は数十年も前に一度一周を試みたことがあった。オーケストラの演奏旅行で富山に行ったとき、一人で車を走らせた。その日は日曜日、オイルショックのあった頃のお話、ガソリンが手に入らないというので日曜日は全国のガソリンスタンドが休みになった。これだけの残量で回りきれるかどうかおぼつかないと思って出発したけれど、案の定当時の車の燃費の悪さではゲージがどんどん残量を下げていく。行けば行くほど人影もスタンドもなくなり、帰路のことを考えると諦めるしかなかった。

次の日もお天気は最高だった。少し汗ばむくらいの気温だが海風が吹いてくるので爽やかで歩くのも楽々と。前日歩き過ぎて真っ黒になった足の親指は痛むけれどそれも何のその。文字で見るより写真が良いので見ていただこう。撮影はすべてKさん。

この写真はよく見られるけれど見附島というらしい。
今回の能登一周では一番最後の方で見たけれど、とても印象的だったのでまずは最初にご覧頂きます。


ここは能登半島の先端にある灯台。
私の長年の夢がかなって初めてお目にかかりました。
実は棚田のあとに行ったのですが、ここに写真がいて動かないから灯台を先に見てください。


下の写真は棚田が最初に来る予定だったのになぜかその下の方にある海の画像が居座って動かないために泣く泣くこうなってしまったもので、まず棚田に登るとこの海が見えるというシチュエーションなのですよ。グスン💧

せっかく素敵な写真なのに編集ができない悲しさ。
下の棚田からご覧になって、如かる後視線を上に上げてください。

千枚田より輪島方面を望む。
白い波が打ち寄せる岩場。
昔の旅人たちはその波打ち際を通行したらしい。
親知らず子知らずというけれど、昔の旅はさぞ難儀なことだったのだろう。
棚田というから狭い谿間にある急斜面を連想していたけれど、ここでは広い海に向かって伸びやかに手足を伸ばしている。

少し汗ばむほどの陽気だったが海風が吹いて来る。悠久の時が静かに流れる。
この景色を見たとき、本当に幸せだった。


下の写真はランプの宿。というから多分ランプが灯されて長い夜を楽しむという趣向なのだと思う。泊まってみたいけれどランプの明かりに長い影ができて神秘的というか少し怖いという感じもあるけれど、やはり泊まってみたい。
波の音を直ぐ側に聞きながらまんじりともせず夜明けを迎えそうな気がする。


せっかく写真が素晴らしいのに私のスキルがとんでもなく未熟で下にあった写真がいつの間にか上に来てしまったりどうにもこうにも埒があかない。
こういう才能は天性のもので、私の家がぐちゃぐちゃに散らかっているのを見るとさもありなんと思うでしょう。
悲しいかな脳の中身がひっ散らかっているのです。


                                    

2023年11月3日金曜日

毛利巨塵作曲「木曽路」


旧友の毛利巨塵さんの演奏です。
ピアノ演奏は奥様です。

2023年10月30日月曜日

夜明け前

 合奏団の新体制のために奔走していたとき様々な問題にぶつかり、その殆どの解決が近づいた頃、私は無性に旅に出たくなった。元々じっとしているのは苦手。それで毎日同じ会社にでかけて同じ仕事をするような真っ当な社会人とはなれなかった。いつも何処かへ行きたいと思っている。旅の終わりの羽田空港で飛行機から降りて空を見上げたらふんわりと浮かぶ雲。誘われているようでつい言ってしまった。「ああ、どこかへ行きたい」周りはそれを聞いて「今帰ってきたところじゃない」

富山県は私が所属していたオーケストラの元団長の故郷で、その関係から演奏旅行が多かった。初めて富山に行ってタラ汁を食してあまりの美味しさに市場で鱈を買い込んだ。今のようにクール宅急便が普及していなかったのでまるごと発泡スチロールの箱に入れて楽器と鱈と抱えて羽田まで運んだ。急いで帰宅して早速タラ汁作り。でも出来上がったものは現地で食べたものには及びもつかなかった。その後も度々富山県にお邪魔しては現地での仕事もさせていただいたり遊びに行ったり。

今回の合奏団の問題に奔走して疲れも溜まっていて、でも薄っすらと解決の糸口が見えてきた頃、射水市のお祭りに行くチャンスができた。古くからの知人が知らせてくれたので矢も盾もたまらず4泊5日の旅程を組んで新幹線に乗った。

思えばこれが問題解決のエネルギーとなって不思議な力が湧いてきた。射水市の新湊の曳山巡行は巨大な重たい車輪をつけた山車で市内を練り歩くという単純なお祭りながら、長い歴史と現在の市民たちの伝統を守る熱意で満ちていた。このあたりは昔は漁港として栄え、大金持ちがいてこの山車の建造におおいにお金を振る舞ったそうで、このあたりで取れた魚を北海道まで運び、帰路には北海道の昆布を仕入れて船に積んで帰ってきたという。それで富山の昆布締めは未だに人々に愛されているという。

初日は日頃の疲れが出てホテルに入るとぐっすりと寝てしまった。次の朝7時に迎えに来てくれた知人のKさんの車で放生津八幡宮に向かう。まだ人も少ない境内で少し雨模様。その数日間はお天気が悪いという天気予報だけれど、究極の晴れ女のわたしが来たからには晴れさせずにおくものか。執念が通じたらしくその後は雨が上がって強い日差しに音をあげそうになる。近隣の各町内から様々な意匠を凝らした山車が集合して神前でお祓いを受けていよいよ出発。イヤサーイヤサーの掛け声とともに法被の男たちの長い一日が始まった。

すべて単純に掛け声はイヤサーのみ。ただひたすら山車を引いて角を曲がる。その曲がるときの迫力がすごい。車は方向を変えるハンドルも付いていない。まっすぐに進むしかできない車を無理やり回転させるのだから非常な重さで力任せにねじ伏せて回す。道路に筋がつく。飛ばされそうになる曳き手が転びそうになる。こんな単純なことの繰り返しなのに目が離せない。

結局朝7時からよる10時ころまでずっと山車について歩いてしまった。夕方になると車の装飾が取り外され、周りに提灯を下げる木組みがつけられる。そこに明かりが灯され、ゆらゆらと闇の中から提灯の隊列が現れる。それが幻想的で夢見心地になる。最後は川岸の土手を大変な力で押し上げられた山車が橋の上に3台ずつ並びながら去っていく。川面に提灯の光が反映して消えて祭りは終わる。

大きな声や群衆の歓声が聞こえてもこの祭りはどことなく物静かなのだ。富山は越中おわら節の地元。ひらりひらりと女性の白い手が翻る物静かな踊りと共通する雅さが見える。すっかり魅せられて疲れも感じないほどだった。ホテルに戻るとさすがに何もする気がなくひたすら寝支度。靴を脱いだら右足の爪が真っ黒になっていた。歩きすぎて爪が内出血、呆れたものだわ、この年で。思わず笑いがこみ上げる。


          夜の幻想的な提灯行列  撮影 Baccai


https://youtu.be/l3EvDRi9Ywo?si=mDpWzUDfQMbXrNt9
















2023年10月28日土曜日

完了

 古典音楽協会の新たな体制が整いました。

コンサートマスターの角道徹氏の長きにわたる活動は前回の定期演奏会をもって終焉を迎えました。新たなコンサートマスターは山中光氏。

角道さんの最後のコンサートは大勢のお客様をお迎えして感動のうちに終わりました。角道さんは人間コンピュータと言われるほどの頭脳の持ち主で、古典のすべてを自分一人で決定し、毎回のコンサートを成功裏におわらせていた。他のメンバーはその頭脳の上に安定して自分たちで物事を考えることをしなかったため準備は遅々として進まず、自分たちのなすべきことを理解できなかった。その上、経済事情にも大きな問題が発生してそれだけの解決にほぼ2年間を費やすことになった。

そこで立ち上がったのが女性メンバーたち。それぞれの得意の分野で精一杯の努力を重ねて頑張った結果、ほとんどの問題が解決して今日の会議では新しいメンバーも加わって和気あいあいと顔合わせができたのが新体制の歩みの第一歩となった。

問題となったのは金銭問題に様々な問題が起きてしまった。その謎の経理の道筋をたどるのに約2年もかかってしまった。今日ようやくすべてが日の目を見ることになって解決の糸口が見出された。長かった!

私はそのために胃腸に問題を抱えることとなった。自分がこんなにストレスに弱いことも初めて知った。面白いことに解決が近づくとすべてのピースがピタリとあるべきところにハマっていく。そして今日最後の大きなピースにたどり着いた。大成功。

新しいメンバーはヴァイオリンに3人ヴィオラが一人、いずれも歴戦の強者、一人だけ若い女性。私はこれで安心して引退できる。今年の猛暑の中でも会議があれば涼しい北軽井沢から下界へ降りてきて、その度に泣きわめく猫に謝って・・・いつまで経っても庭の花壇は花が増えない。早期引退計画は中々実現できなかった。庭の日照のために木をたくさん切り倒したけれど、しばらく行かないでいるとすぐにボサボサになってしまう。

今日は新体制の最初の一歩である全体会議が終わり、やっと来年春3月12日の定期演奏会を迎える下準備ができた。新しいメンバーでどんな音が出るか今からワクワクしている。会議が終わって夕方、自宅近くのイタリアンで友人2人と待ち合わせてワインを飲んだ。最近珍しく機嫌の良い私を見て友人たちも嬉しそうにして話がはずんだ。こんなに楽しく食事をしたのは何ヶ月ぶりだろうか。いつも心の何処かに凝りがあるような、頭の片隅に怒りが渦巻くような感じが潜んでいた。それが今日でスッキリとおさらばできそうな感じ。

友人はありがたい。わずかだけれど事情に気がついていてさり気なくフォローしてくれる彼らは音楽家としても心理学者としても優れている。苦しいときに助けてくれる人もいれば弱り目につけ込む輩もいる。つけ込まれて走り回らされた我々はそれでも新しい生き方のスキルを身に着けた。解決に関わった数人の女性たちは一様に明るく電話で話し合った。受話器の向こうから聞こえるはずんだ声、友人は宝物。












2023年9月9日土曜日

どうしてこうなるの?

 先日飲んだコーヒーの味が忘れられなくて、ここ3日間ほど飲んでいないのでますます飲みたくなり最後には渇望感に襲われた。ちょうどコーヒー豆を切らしていたのでどこぞに紛れ込んでいないかと探したら、あった!少し古くなっているけれどまだ封を切っていないから大丈夫、ミルも使われなくなってから所在なさげにぽつんと台所の片隅に立っていた。カリタの濾紙もまだ存在している、これでコーヒーを淹れられる。コーヒーミルは古いコーヒーのカスがついていたのできれいにしてお湯を沸かし始めた。

すっかり準備ができた・・・。しかし、さっきまでちゃんと存在したコーヒーの袋が消えていた。なんで?今までその辺にあったのに。雑然としたテーブルの上を探す。テレビのリモコンや眼鏡のケース、エアコンのリモコン、手紙の山、領収書の類、文房具などが山になっているけれどその中にはない。

まさかと思うけれど寝室、トイレ、風呂場、パソコン周辺・・・ない。レッスン室にヴァイオリンと一緒に持っていくことは考えられないけれど、でも私のことだからもしやと行ってみる。しかし消えてしまった。

お湯が先に沸き始めてしまった。猫の餌をやりに出たときに一緒に持っていったかとおもい駐車場まで探しに行く。まさかねえ。

喉をかきむしりたくなるほどコーヒーが飲みたくなったので台風の影響で雨脚が強くなっていたけれど、傘をさしてドトールまで買いに行った。豆を買ったついでに店内でコーヒーを飲んだけれど、ドトールさんには申し訳ないけれど、あのコーヒーとは勝負できない。と言っても私が淹れたコーヒーがドトールより美味しいとは思えないけれど、少なくとももう少し濃い目にはできる。昨日飲んだコーヒーはすごく濃いのに苦味が少なくなんとも言えない風味があった。よほど良い豆かブレンドの妙かも。私が淹れたら単に苦いだけの代物になるに決まっているけれどでも試みてみたかった。

普段はドトールのコーヒーが好きで、あの濃くも薄くもなくスッキリした呑み口が無難に美味しく感じていたのだが、あまりにも美味しいものを飲んでしまったので当分は自分でしっかりと淹れてみようと思った。色々試してみようと。家に帰ってからも、どうしても納得行かない。さっきのコーヒー豆は本当にどこに消えてしまったのか。新しいコーヒー豆を眺めても封を切る気になれない。

洗濯機の中にもないから絶望的なことはわかっている。それでもしつこく探す。なんてこったパンナコッタ。信じられない。翌日早朝に目覚めたけれど買ってきた豆をミルでひくのは大きな音がするので集合住宅では差し控えておこう。じっと夜明けを待つ。

最近は北軽井沢に行くと逗留する日にちが長くなってきた。うちの野良たちはその間他に保険をかけている家に行って餌をもらって生き延びている。かなりのお宅にお世話になっているらしくうちの餌場に来る頃にはもうお腹いっぱい。ゲップでもしそうなほどなのに、それでも出されたものは残さず食べる。先日も少し長めの留守のあと帰宅したら、いつも白黒模様のメス猫とカップルで現れるオス猫が何日も来ないので心配になった。縞トラの立派なオス猫と白黒のメス猫は兄弟だと先日近所の人から聞いたばかり。なにかアクシデントがあったのではと心配して近所を探し歩いた。

名前はグレ、多分グレーだから?「グレ、グレ、グレちゃーん」猫なで声でそこかしこ探し回っても反応なし。でも私の声はちゃんと聞こえていたらしい。しばらくするとひょいと家の玄関に現れた。「さあ、撫でたまえ」と言わんばかりにごろりと地面にひっくり返ってニコニコしてこちらを見ている。

コーヒー豆も呼んで出てくるようなら世話はない。家の鍵もパスモカードも診察券もあれもこれも・・・






2023年9月6日水曜日

忘れていた珈琲の味

 今年は暑さが厳しい上に雨が多かった。楽器にも人にも厳しい日々、雨がふるところは土砂降り、雨がほしい新潟などの米どころには降らない。天空の神様、雷様のなんと意地の悪い年だったことか。夏の厳しさは人だけでなく猫にも楽器にも悪影響があった。

私のヴァイオリンは楽器の胴体をぐるりと巡っているパフリングというところが湿気で剥がれて、鼻詰まりの音。独特の音色が多くのファンを引き付けるミラノの制作者によって今から300年以上前に作られたものだが、今年はそれが嘘のように響かない。はみ出したパフリングは行きつけのヴァイオリン工房で元の溝に押し込んでもらったものの、少し時間が経てば本来の音が出るはずが絶望的に鳴り始めない。今月28日は古典音楽協会の定期演奏会。ほんの少しだがヴィヴァルディの「4つのヴァイオリンの協奏曲」のセカンドのソロがある。

一人だけ変な音で弾くわけにいかないから楽器の調整に行った。世田谷のTさんの工房は世田谷駅すぐそば、電車で行くと面倒なので必ず車で行く。駅近くの駐車場に空きがあったので停めて、少し時間が早いからどこかでお茶でも・・・と見回すと道の反対側にカフェらしき店。しかし外観はごちゃごちゃ、看板にやっと読めるのはカフェの文字。どこが入り口かも判然としない。何年も通っているのにそんなところにカフェがあるとは知らなかった。道路を横切ってしばらく店を眺めて入るかどうか逡巡っていた。中を覗けば客はおろか店員すらいない。しかしこうなると面白がってしまい、たいてい酷い目に合う私の性癖が頭をもたげてくる。

店に入ってすぐのところにケーキのショーケース、なんだ普通のお店じゃん。奥まで入っても人がいない。店内はごちゃごちゃと乱雑に本や酒瓶やキャラクターものの人形などなどが所狭しと置いてある。かかっているBGMは、1900年代初期から半ば頃の懐かしいアメリカの曲。何回か声をかけるが返事がない。まるで漱石の「道草」だね。鶏はいなかったけど。数回目にやっと奥の方から人が出てきた。ぶっきらぼうに「コーヒーをください」というとあちらも簡単に「はい」と言う。

ほんの少し待たされて冷えたグラスになみなみと注がれた水、そしてすぐにコーヒーがきれいな白地に緑のカップで出てきたときには、店の乱雑さとは裏腹の光景に驚きと嬉しさを感じた。そのコーヒーたるや!最近とんとお目にかかれないほど濃厚な香り。香りといっても私は嗅覚障害だから想像するだにといったところ。一口飲んで唸りそうになった。ワーオ!これは本物だ。たっぷりとカップに満たされたものを飲んでも飲んでも飽きない旨さ。最後の一滴まで飲み干してため息が出た。最近私が飲んでいるコーヒーと称するものは何だったの?あの薄い液体は。

ヴァイオリン工房ではサクサクと調整が終わり、元の響きが戻ってきた。これでしばらく弾き込めばおじいさんヴァイオリンも艶のある音に戻る手応え。そしてそのコーヒー の店の話をすると、すでにここのお客さんたちに好評を博しているらしい。Tさんによれば、楽器の調整待ちのお客さんがわざわざその時間にその店にコーヒーを飲みにいくそうなのだ。楽器の調整は私は少ししか時間をかけないけれど、うるさい人は長時間かかけるときもある。なんだ知らぬは私ばかりなりかあ。そう言っている間にもコーヒーの後味は舌の上に 豊かな痕跡を残している。帰りの車の中でも。家について夕飯を食べるのが惜しいほど。

昔は私もちゃんとミルで轢いたばかりのコーヒーを飲んでいた。いつからか自販機やコンビニなどの味に慣れてしまった。気分転換になるからコーヒーは私達の生活に定着、簡単にすぐ飲めるのはありがたいと思うようになっていった。しかし今日からその態度は改めよう。

去年、今年とあまりにも事件が多すぎて自分を失っていた。残り少ない人生を適当に過ごすのは時間の無駄。実は最近美味しいコーヒーに飢えていた。確かにあったと思うコーヒーミルを探したらあることはあったけれど、もう使う気にはなれない。毎日コーヒー店に飲みに行っていた。おそらく気分転換と足の運動にしかならない行為だった。最近日本の茶道にも気持ちを惹かれる。嗅覚障害は茶類には致命的だったけれど、ある時東銀座の紅茶専門店に入ったとき、あまりの香りの違いにびっくりしたのは驚きだった。私に香りの違いがわかる!

それなら何がいけなかったのか。はじめから自分で拒絶していたのかもしれない。カフェを出るときに思わず「コーヒー美味しかったです」言わずにはいられなかった。ちゃんとした音を出すにはそれなりの時間と努力がいる。美味しいコーヒーを淹れるにも同じことが必要だと思う。

人に対するときも同じだけれど、このところそれには失敗している。あるいは大きな転換期に差し掛かっているのかもしれない。非常に寂しいので受け入れる覚悟はまだできない。しかし間もなくそうしなければならないことはわかっている。それでも今まで自分の歩んだ道を否定するようなことは避けたい。晩節を汚して平気でいるような人は、元々りんごの芯が腐っているように人の芯が腐っているのだろう。身近な人がそういう人だったことを発見したときに、私の幸福感は消え去った。見抜けなかった自分が悔しい。






2023年9月5日火曜日

北軽井沢は合宿のメッカ

後期高齢者アンサンブルの合宿のあとの北軽井沢に今度は若手が集まってきた。音楽教室の弦楽アンサンブルの合宿。もうすぐ発表会なので練習にも熱が入る。このアンサンブルも結成されて何年になるのか記憶にないけれど、着々と実力をつけ始めてきた。はじめの頃は最初の音が出るたびに「この世のものとも思えない」という私の酷評を浴びせられていた彼らがハモり始めているではないか! 

最初の頃はハモるということが音程だけでなく音色やバランスも必要ということを理解していなかったらしい。ギャアギャア、またはキャアキャアなどと大きな音さえ出て最初と最後が一緒であれば出来上がりだと思っていたらしい彼らが、最近はドキッとするほどハモることがある。偶然か必然かは定かでないけれど。

今回の曲は弦楽合奏のための曲ではなくモーツァルトのシンフォニー29番、音楽教室の管楽器の講師が充実してきたからかもしれない。このアンサンブルはメンバーの独立王国だから、講師も教室スタッフもメンバーの決めたことに口は出さない。最近は弦楽器だけでもチャイコフスキーやドヴォルザークの弦楽セレナードも弾いてのけるようになったのは目覚ましい進歩と言える。しかも「この世のものとも思われない」音もめっきり減ってきて時々私が目をうるませるほどの音が出るようになって、それは彼らが意識したからか無意識でたまたまそうなったのかはわからないけれど、とにかく偶にでも嬉しい。

珍しく褒めたら「先生優しくなった」と言われた。歳をとって優しくなったと言いたいのだろうけれど、時には彼らの努力も認めておかないと暗殺されかねない。私はそんなに怖い教師ではないとは思うけれどしつこいことは確か。ある人に他の先生は注意はなさるけどそこまでしつこくはない。けれど先生(私)はできるまでやらせると言われたことがある。楽器の演奏は一朝一夕にできることは考えられないから毎回のレッスンで口を酸っぱくして教えているうちに2、30年くらいは通ってきてくれる。それでもまだしつこく同じことを言われてよく倦きもしないで来てくれるものだと感心している。

先週土曜日、北軽井沢ミュージック・ホールに集まったメンバー。それぞれ働き盛りの社会人たちだから忙しいと思うのにこんな僻地までようこそ!車やバス、新幹線などそれぞれの手段で集まってくる。ここ数年コロナ感染のおかげで散々な目にあった。町役場の公共の施設を借りようとすると地元民でないと貸せないとか言われて私が激怒したり、せっかく結婚したカップルが参加するのでケーキや軽いイヴェントを用意したのがおじゃんになったり、不快なことが続いたのに、今年もニコニコと参加してくれるのが嬉しい。しかも数年前に転勤で名古屋に行ってしまった人もメンバーに戻ってきた。合宿には参加しなかったけれど、来年はしっかり発表会のステージに立つと思う。

練習後メンバーたちは一旦ホテルに帰ってから近所の食堂で夕食を一緒にとった。食後は我が家の狭いリビングでひしめき合って軽く飲んだり楽器を弾いたり・・・森の中の家は夜中まで弾いても聞こえない。最近私は夜中にヴァイオリンの練習をする習慣になってしまった。夜の静寂に響く奇っ怪な音、そのうち探検隊が来るかも。女性のメンバーたちは早めに宿へ引き上げ、残ったのは長年私が個人レッスンをしていた人たち。優秀な彼らの一人はこの音楽教室で目覚ましい進歩を遂げて、私がやめたあともどんどん難しい曲に挑戦、いまやシベリウスのヴァイオリン協奏曲を発表会で弾くというから驚いた。しかも発表会の直前に中国や韓国に出張が続いているというから仕事の面でも大活躍なのだ。すごいなあ。飲み終えると楽しげに真っ暗な森の中をホテルまで歩いて帰っていった。

二日目はメンバーが多少入れ替わったのでヴィオラがいなくなってしまった。それで私がコンサートマスターが持ってきたヴィオラを弾く羽目になった。コンマスは身長はたぶん180センチを超えるかと思える。私はたったの140センチ。彼の巨大なヴィオラを借りたら指が届かないところが続出。それより顎にも挟めない。呼吸困難になりながら数回やっと弾いたけれどすぐにギブアップした。しかし楽譜はまだ読めるんだ。そのことで少し安心した。

二日目の練習所は長野原町役場の多目的室。北軽井沢から車で30分ほどの距離があるので設備は良いけれどあつまるのは大変のはずだったけれど、気持ちの良い空気、明るい日差しで皆嬉しそうだった。2日の合宿が終わって、来年はこの合宿ができるか私は自信がないけれど、メンバーがすっかり定着して和気あいあいとしている様子が彼らの音に対する進歩と相まって、今後もずっと進化していけると信じている。

モーツァルトは他のどの作曲家よりも難しい。なぜなら音は単純でハッタリやごまかしが効かないから。純粋に必要な音しか使っていないから、どの音が外れてもバランスが崩れてもすぐに和声に影響してしまう。今までの練習の成果が問われる節目の時期かもしれない。モーツァルトで成功したら彼らの水準がぐんと上がるきっかけになるから、今回は特に真剣なステージとなるかもしれない。私を嬉し泣きさせるか憤死させるかは彼らの覚悟にかかっている。































2023年8月29日火曜日

運不運

台風が過ぎて明るい日が続いた北軽井沢に行った。森の家に到着してIH調理器の電源を入れた。点かない、電源が入らない。苦手な取説を引き出して説明を読むが原因がわからない。この調理器はつい最近新品に取り替えたばかり。前回この家に来たときに使っただけで故障するには早すぎる。まさか故障なんてありえない。キッチンの戸棚を探すと予備のヒーターが出てきたのでとりあえずそれで調理をした。

電気屋さんに電話をするとすぐに来てくれるという。現れた電気屋さんは暗い顔をして言った。もしかしたら雷にやられたかもしれないと。ここ数日激しい雷が続いて軒並みテレビなどの電化製品が故障しているという。だって、このヒーターはまだ数回しか使っていないのよ・・・私は涙声になる。電気屋さんがあまりにも気の毒そうな声を出すのでそれ以上のぐちは言えなくなった。とにかくこの数日この辺りの雷と言ったら今まで経験したことのないような激しさだったという。このコンセントを抜いておけば大丈夫だったんですがねと。そんなこと知らなかった。

明日から私達の合宿なのに、くいしんぼがこの家にやってくるのにどうしよう。でも予備のヒーターがあって本当に良かった。前のこの家の持ち主のノンちゃんが置いていってくれたものだった。ノンちゃん、本当にありがとう。

 姥桜五人組、北軽井沢集合。姥桜とは年増になってもなお色香を失わない女性を指す言葉。だがこの五人は果たして年増の範囲に入るのかどうか。年増とは広辞苑によれば娘盛りを過ぎてやや年をとった女性とある。この「やや」が曲者。私達は「ややややややや」くらいの年齢ではあるけれど元気で華やかではある・・・と、思い込んでいる。

コントラバスのHさんはピアノのMさんと仲良し。この二人がアンサンブルをするとなると、ピアノとコンバスが編成にはいっていないといけない。それでよく弾くのはシューベルトのピアノ五重奏曲「ます」でその曲と同じ編成ならオーケーなわけで、Hさんはその編成の曲を色々探し出してくる。今までゲッツという人が作曲した五重奏も曲りなりに本番にかけたし今回はボーン・ウイリアムズの五重奏曲をなんとか本番にかけようということになった。

毎年北軽井沢ミュージックホールで開かれる夏のフェスティヴァルは中止だというので、自主的にコンサート、それもミニコンサートをnekotamaの自宅で開こうという目論見となった。nekotama家のレッスン室は5人の演奏者が入っただけで満杯となるほどの狭小住宅なので果たしてお客さんに来ていただくことができるかどうか。狭いからグランドピアノを外に出すというわけにもいかない。なんたってピアノは主役なんだから。

それで夏の北軽井沢の集まりは練習に使い、11月頃を目処に本番に持ち込むという作戦、夏は避暑かたがた合宿という名のお遊びとなった。最も忙しいコンバスのHさんは昼の本番を終えて合宿初日に間に合うように車を飛ばして前夜到着、ヴィオラのKさんの追分の家に宿泊、翌日新幹線で来るチェロのKさんを駅で拾って練習所の北軽井沢ミュージックホール集合ということになった。

途中電話をしてきたHさんの声は疲労が滲んでいた。少し心配ではあったけれど、体力・気力とも並ではないHさんのことだから翌朝はスッキリと明るい声と顔が戻っていた。これで世の中ではとっくに後期高齢者と呼ばれる歳なのだから恐れ入る。

ボーン・ウイリアムズの曲はちょっと目にはそれほど難しいと思えなかったのに、深入りするにつれ問題続出。一人ひとりのリズム感が少しでもずれるとお手上げとなる。キッチリ合わせておかないと本番で行方不明者続出となりかねない。私はこの曲を少し甘く見ていたことでしっかりとしっぺ返しをされた。そうなると燃えてくるのが私のへそ曲がりな性格で、やっとやる気が出てきた。今年の異常な暑さで怠け癖が身についていたので、これは良い薬となった。

練習は朝から5時まで続き、あまり良い成果はでなかったものの、やっと皆の負けん気に火がついたようだ。こうなればしめたもの。合宿をやった甲斐があったというもの。夜は近所の食堂で食事をして解散。翌日はKさんが強力に推奨する蕎麦の店、地粉やさんで昼食をとってお開きとなった。

今年に入ってからどうやら金運が巡って来たと思っていた。メガネのレンズを替えたときにくじを引いたら大当たり、全部ただになった。先日人を紹介したら思いもかけず紹介料を頂いた。クッキングヒーターはすべて値上げされていたけれど、その中で唯一前の料金で買えるものが残っていたのでと、備え付けてくれた電気屋さんも嬉しそうに言っていたし。その電気屋さんが今度は心底気の毒そうな声で言ったのが雷では保証も使えないんですと。保証期間ではあるけれど、これは災害なのでせめて火災保険を家財にかけていれば良かったのにと。

あまりに気の毒そうに言うので恐縮してしまった。元々私に金運はないので結局勝ち負け無しでちょうどいいのだ。少し損のほうが大きいけれど仕方がない。金運はないけれど可もなく不可もなしの人生だし欲張るとろくなことはないからいいのいいの。金運のかわりに健康で人並みの生活ができて猫も今のところ元気。

以前郵便局の年賀状のくじに当たって毛ガニをゲットしたことがあった。今年は縁起が良いと喜んだけれど、その後スキー場で転んだら顔の上を人が滑っていったし、駐車場で車こすったりろくなことがなかった。「うっかりくじなんかに当たるものではない」というのが私の座右の銘。

唯一良かったのは、その雷がうちのヒーターを襲ったときに家にいなかったということ。ものすごい音や光がしたと思うし、たぶんその後停電で真っ暗に。そんな中で私一人で震え上がったに違いない。相棒の猫は泣きわめくだけで役立たず。でも最近真っ暗な森もあまり怖くはなくなってきた。猫を探してさまよったときに、あまり怖さを感じなかったのが役に立っているかも。























2023年8月18日金曜日

荒れ狂う地球

6号台風が日本列島に居座っており次の7号台風が出番待ちというころ、姪Nとその娘Rと一緒に北軽井沢に行く予定だった。しかし台風は日本列島を離れず何回も強い風雨で西日本や沖縄を苦しめた。私達が行く北軽井沢は群馬県なので暴風圏を少しズレていたけれど、それでも台風の東側には強い風が吹くと言われるから覚悟してでかけた。

出発日の早朝、関東地方は雨風もほとんど影響がなく曇り空ながら無事に現地到着、時々雨がぱらつくけれど森の中は穏やかで木々の緑が心を癒やしてくれる。いつものようにここは平穏で空気が美味しい。

3世代の欲求を満たすのはどこを標準にするかというと、やはり若者である姪の娘Rにと思ったけれど、私がそのパワーについて行けるかどうかわからないから独断で物事を進めることにした。姪のNは物静かであまり口をきかないけれど、意志の強さで周りに影響を与える。娘のRは頭の回転が早く知識で周りに影響を与える。私は思いつきで動くから即決即断だけど時々素っ頓狂。面白いトリオになった。

早朝出発したので軽井沢のインターを出たのは9時過ぎ、通り道のカフェ「春木」に寄って朝食を摂ることにした。ここは元群馬交響楽団のコントラバス奏者の経営するお店で、私が北軽井沢に通うようになった10年ほど前から気になっていた。なんだかコンバスのようなものが看板になっているあそこはなんだろう、前を通るたびによってみようとは思っていたけれど、あるときやっと寄る機会があって店主の顔を見ると見覚えがあった。私がオーケストラで弾いていた頃、よくエキストラで来てくれた人だった。音楽の世界は限られた世界だから、いたるところに知り合いがいる。

山小屋到着と同時に私はキャベツを刻み始めた。頭の中ではもう食事計画が出来上がっていて、手はじめがキャベツの千切り。連れの二人は驚いていた。なにをしはじめたのかわからないらしい。もちろんわからないさ、冷蔵庫の中身、持ってきた食材と合わせて一番経済的になる食事を考えているのだから、他人にはわかるわけがない。なにかお手伝いをと言われても指示するより自分でやったほうが早いからベッドの支度をしてもらった。

半月くらいこないと寝具はやや湿気を含むからさっそく布団乾燥機の出番となる。私は家を閉めるときに寝具をすっかり変えて布団乾燥機をセットして帰る。だから次の時に家に到着したときには乾燥機のスイッチを入れることが最初の仕事となる。乾燥機は2台、電気敷き毛布が4枚、エアコンのドライを合わせると乾燥機だらけ。普通の環境なら必要ないけれど、森の中は湿気が多いしヴァイオリンがあるから小さな部屋に強力な乾燥機を入れてある。だから乾燥室に前日着たものを洗濯して干しておくと、次の朝にはカランカランに乾いてくれる。

到着した日は皆疲れているし雨模様だから家のお風呂に入ってもらって休んだ。NとRには庭仕事をやってもらおうと手ぐすね引いていたのに雨で目論見が外れ、ダラダラと食べたり飲んだり、Rにヴァイオリンを教えたり、穏やかな一日を過ごした。Rは母親のピアノ伴奏で初心者の曲が弾けて至極満悦の模様。次の日はもし7号台風が直撃なら猛烈な勢力で通過する予定だったけれど、その夜は静かに過ぎていった。・・・と、思ったけれど現実は凄まじかったようだ。

早朝目が覚めていつものように窓やドアを開け放すと、驚いたことに庭の枯れ木が倒れていた。この木は以前枯れ木を切ってもらったとき、お隣との境界線上にあってトラブるといけないからはっきり境界線が決まったら切りますと言われ、立ち枯れになっていたものだった。その木は建物の3階くらいの高さで硬いから切るのは大変だといわれていたもの。その木が5箇所くらい引きちぎれて車の停めてあるところスレスレにバラバラに吹っ飛んでいた。どれほどの風が吹いたのか想像もできないけれど、3人と猫が全く気づかずにいたのは驚きだった。小さくてミノムシのような木肌の小屋は、思ったよりずっと堅牢だったようだ。

朝食はウッドデッキで、ランチは今まで気になっていたけれど入る機会がなかったカフェで。土砂降りの雨の中車からお店に行くまでもずぶ濡れになりそうな。夕方近所の温泉に行ってからお気に入りのハコニワ食堂で晩ごはん。小さいながらご主人の手抜きをしない調理で常に味が変わらない評判の良い食堂は私が最も推薦する店。連れて行った人たちがいつでも喜んでくれる。

Rは仕事の都合で次の日に帰宅することに。Nはもう一晩泊まるという。Rにどこか行きたいところは?と訊いたら群馬県と長野県の県境の渋峠にあるロッジに行きたいという。そこに大きなセントバーナードがいると私が言ったので興味津々らしい。私も大型犬がまだ健在かどうか知りたいと思ったので曇天の山道を走った。草津から山に向かうと酷く霧が発生し始めた。山頂につく頃には数メートル目の前の道路の白線しか見えない。しかし怖いけれど面白がる自分がいる。それが一番怖いところなんだけど。最終的には向かい側から来る車のボデイすら見えなくなって諦めて引き返すことにした。時間にしてあと数分くらいのところだったが、自分だけでなく将来ある身内を巻き込んではいけないと思ったので。

下山すれば霧が晴れて草津温泉スキー場がある。そこで気分良く過ごして帰宅後Rにヴァイオリンのお稽古。ざわざわした日だったので集中力にかけてレッスンはあまりうまくいかなかったけれど軽井沢の駅からRは新幹線に乗って無事に帰っていった。姪と二人、日頃無口なNもその夜はよく話をしてくれた。せっかく北軽井沢に来ても浅間山はまだ姿を表さず、分厚い雲の中。翌朝も見えず。

テレビのない北軽井沢から戻ってテレビを見たらハワイのマウイ島やカナダの山火事のニュースで持ちきりだった。海では様々な海中生物に異変が起こっているという。氷山は溶けて崩れ落ちる。いるはずのない魚がとんでもないところで繁殖していたりするという。マウイ島の火事の原因は外来植物の枯れ葉に強風で切れた送電線が接触したことだとか。地球がいまや早急な温暖化防止を迫られている。トランプさん、これでもまだ温暖化防止に反対ですか?お金持ちは火星にさっさと移住できるけれど、私達庶民はどうすればいいのか、将来の子どもたちが本当に心配でならない。









2023年8月5日土曜日

走れる!

 去年、一昨年、足の故障に悩まされもうこの先スキーもランニングもできないかと諦めの境地、とても悲しかった。けれど最近この猛暑で体が温かいせいか足の痛みは殆どなくなった。階段もまっすぐに縦に降りられる。まだ縦の姿勢は最近やっとできるようになったのでおぼつかない足取りながら、ここ2年間の状態から見れば大した進歩なのだ。

できることはなんでもやってみた。整体、高周波治療、筋トレ、ストレッチ、毎日の散歩等々。最後にたどり着いたのは貧乏ゆすり。老化からの体の故障のなんと多いことかと痛感。諦めるのが一番手っ取り早いけれど、それは自分にも周りにも大変な迷惑だからなんとかしようと色々考えた。最初はやりすぎる。早く効果を得ようと頑張りすぎてかえって逆効果だったり。とかく私達は毎日数時間の楽器の練習をずっと続けるのが当たり前だったから、なにか始めたら根性がものを言って頑張ってしまう。これが一番いけないと気がついたのがごく最近だった。

例えば朝の散歩、まだ疲れていないから楽に歩ける。毎日近所の公園をぐるっとひと回りして来るのだけれど、コンディションによってはショートカットしたほうが良い時もある。わかっているのにもう少し頑張ろうと言う気になって歩いてしまう。筋トレもすべて同じ。ほんの数分ずつ軽い運動が一番いいのについ自分を甘やかすなという根性が頭をもたげてくる。それでやっと良くなった膝痛が悪化することがしばしば続いた。それをやっと抑えることができるようになった。それでもまだ時々やりすぎて、しまった!と思う。

今朝の散歩はいつもより少し距離が多かった。外で待ち構えている野良猫が散歩についてきたがるので彼らをまくのが大変なのだ。気が付かないで歩いているとすれ違う人たちが笑う。なんだろうと思って後ろを見ると猫が二匹尻尾を立ててついてくる。猫の足音は聞こえないから。それで私は家に入るふりをして車の陰にまわって他の道から出ることがある。猫のいる場所を大回りしないと道路に出られないこともあって、今日は一区画分遠くなったというわけで。

ゆっくりと歩く。私の性格からするとゆっくり歩くほうが難しい。公園に着いて木陰に入るとひんやりと気持ちが良いので、わずかにランニングをしてみた。最近少し走れるかもと思ったのは、信号の変わり目で急ぎ足ができるようになったことから。ある時無意識に小走りしている自分に気がついた。おや、もしかしたら走れるかも。今朝は軽くランニングの姿勢をとって走ってみたら、本当に走れそう。まだゆっくりだけれどかなりの距離を小走りができた。両足が地面から離れる感覚が新鮮で心がおどる。あまり図に乗るとまた足を痛めるかもしれないので途中でやめたけれど、回復の確かな手応え。さてランニングシューズを買わねばとまた靴フェチが。危ない危ない!

最近見たテレビで90歳を超える男性がトライアスロンに励んでいる映像を見た。それも普通のトライアスロン大会に比べて超ハードなものらしい。その大会で彼は年齢別で連続優勝している。なぜならばそのクラスでの参加者は彼一人だけだったからという。参加することだけでも驚異的な存在らしい。そこまでできる人は体力、気力ともに生まれつきに備わっているのかもしれない。私ごときが彼が頑張っているから自分も頑張ればできると思うのは大間違い、人にはそれぞれ分をわきまえることが必要。

ところで連日の大谷翔平くんの頑張りはもはや人間離れ。肉離れではないけれど足がつるというから彼も人の子だと妙なところで感心しているけれど、少し心配。いつもたくさん寝ると言うけれど、それができないときはどうするのだろうか。私は最近眠る時間が多くなったけれど、やはり5時間以上は眠れない。眠るにはエネルギーが必要なのだ。大谷くんがもし眠れなくなったらと思うとゾッとする。いやいや、不吉なことを考えるのはよそう。でも、あまりにも世界記録を塗り替えすぎてもう彼がホームランを打っても当たり前、奪三振が何人もいても当たり前となったら、なんか一人で大車輪で走り回って気の毒な気がする。

かれは弱体のチームにとっては救世主。彼の美学はそんなチームを見捨てずに自分が頑張って救いたいと思っているのだろう。でもだんだん顔つきがなにかを我慢している感じに変わってきているのが気になっている。













2023年7月30日日曜日

お墓ブーム

 先日M子さんとお墓を見に行った。

彼女は以前飼っていたワンちゃんと猫さん二匹と一緒に入れるお墓がほしいというから、神奈川県と東京都の境目にある一山で墓地として売り出されており、私も死んだら入れるように買っておいた樹木葬を紹介した。小高い丘の上は様々な形の墓地に分けられていて、私は庭園になっている一区画が気に入って購入した。春先に訪れたときに全山桜色に染まっていてその美しさに圧倒されてここに決めたのだった。うぐいすが鳴き、様々な種類の桜が咲き誇っていた。即決したのは桜のせいだった。

山の一部の区画は小さな庭園に別れていて、私の墓は涼風という一角。名の通り山の上は下から風が吹き上げてくる。なんとも自由で明るい墓。墓石はなく、芝生の地面に遺骨を納める穴しかない。その一角を囲むように樹木が植えられている。私が買ったときは春爛漫だった。今回見に行った日は暑さで焼け焦げるような地面からの照り返しが強烈だった。ただでさえ痩せているM子さんは地面に溶けてしまうのではないかと思ったけれど、そこはしぶとくヴァイオリンを弾いて生きてきた逞しい根性の持ち主だから日傘をさして涼し気に佇んでいる。

夏の日差しは強烈でも流石に丘の上は風が吹き渡り、気持ちが良い。こんな土地に墓場というのはいかがなものか。生きている人間に明け渡してやりたいけれど、以前この場所はお墓と森しかなかったものと思われる。商魂たくましい経営上手のお寺さんが流行りの樹木葬という形に目をつけて小綺麗に整備した結果人気になったというわけ。Hさんは私の入る区画を希望したけれど残念ながら完売で、少し離れた場所に良さげな穴を見つけてかわいがっていたワンちゃんと猫さんに囲まれて安らかにお休みになる予定となった。

この庭園墓地には私のものと旧友のHさんの穴が隣り合わせにならんでいる。直ぐ側にM子さんの区画、それに少し離れた昔からのお寺のお墓にヴィオリストのKさんのご両親が安らかにお休みになっている。そしてM子さんから話を聞いたO家の方が興味を示していらっしゃるようだ。それに私達の友人のY子さんもぜひ見たいというので、次回は墓巡りツアーを開催しようかと思っている。お墓を選んだあとにイタリアンのフルコースを食べる、なかなか魅力的なツアーになりそう。

墓地の近所に素敵に美味しいイタリアンレストランがあるのですよ。けしからん事にそこは定休日以外にも不定期に休むので油断がならない。先日行ったときも休まれて、そこでランチをと思っていた私達はお腹をすかせてさまよう羽目となった。

お墓など死にまつわる話題になると私達は厳粛にならざるを得ないとなるけれど、私はあの重たい墓石が自分の上にあるなんて考えられない。死は人生を全うしようとする人たちの通過点と考えるとまだまだその先がありそうな気がする。肉体が滅んだあとになにか素敵な境遇が待っているとしたらワクワクするではないか。足が痛むこともない。涙を流さなければならないような悲痛なこともない。もちろん戦争ははるか彼方の出来事・・・なんて素敵な世界が存在しないだろうか。

ともあれ、私のお墓の周りは急速ににぎやかになる模様。夜中に隣の穴からコンコンとノックがあって「今なにしてるの、飲みに来ない?」と、それを聞きつけた少し先の方からなにやら白いものがふわふわと飛んできて「えっ、飲み会始めるの?」なんて。すると他の穴からも声がして「カルテットでもはじめない?」なんて。さぞにぎやかなは墓場になることでしょう。やっと安住の地を見つけた他の人達は「うるさくてやっていられない」と逃げ出すものも。それを引き止めておしゃべりをするものも。うわー、大丈夫かしら。

人の生き死にに対してこういう冗談は不謹慎と思われる方も多いと思う。それで私はよく失敗するけれど、死に対して人はなぜクソ真面目になるのか。今日は義兄の七回忌で親族が集まった。お坊さんはグレーに黄色い花の刺繍のある涼し気な薄物の衣と袈裟を身にまとい早口でお経を詠む。お仕事だけど、これで亡くなった人が喜ぶのかな?法事などはなくなった人より残された者たちの満足なのでとやかく言うこともないけれど。

なぜか私は本当に幼い頃から死というものに関心があって、布団を頭からかぶって気が遠くなるまで息を止めてみたり。苦しくなると、この先が死ぬということなんだと疑死体験をよくしたものだった。今思うとあと一歩で本当に死んでいたかもしれない。危ない危ない。死にたいとは思わないが死ぬときはどうなんだろうと興味津々で怖くないかといえば嘘になるからなるべく冗談めかして考える。

たくさんの猫を飼ってきた。私の人生に猫がいなかったのはほんの数年。あとはずっと多数の猫に囲まれて今、最後の猫を送り出そうとしている。歩けない、見えない、聞こえないほどの年齢なのにしっかりと生きているうちの化け猫の姿を見ると勇気が出る。苦しくとも生きることがどれほど素晴らしいことか、だからこそ死がつまらない形として示されるのは、しかもそれが金儲けのための空虚な形となって表されるのが苦々しい。だからつい冗談にしたくなって周囲の人たちからふざけていると思われるのですよ。





















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2023年7月25日火曜日

新しい曲

 私とアンサンブルの仲間は世間的には引退寸前だけれど、いまだに集まってはなにか企んでいる。

毎年地元のサポーターズが主催する北軽井沢ミュージックホールフェスティバルは今年は開催されないらしいので、自主的にアンサンブルのコンサートを行うことにした。それで候補に上った曲はボーン・ウイリアムズのピアノ五重奏曲。この曲の楽器編成はヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバス・ピアノ。有名なシューベルト「鱒」と編成が同じ。コントラバスの入ったピアノ五重奏曲は通常のピアノ五重奏曲とは編成が異なってヴァイオリンが一本、コントラバスが入る。普通はヴァイオリンが2本でコントラバスははいらない。私達の仲間は女性コントラバス奏者のHさんが中心的な存在なので、ぜひコンバスの入る曲をということで今その「変わった」編成の方の五重奏曲を数曲練習中。

昨年はゲッツというドイツの作曲家の五重奏曲を弾いた。そして今度はウイリアムズの五重奏、8月に北軽井沢で本番をと思ったけれど、練習合宿を北軽井沢でやってから自宅に戻ってミニコンサートを開くことになった。時々自宅でも簡単な集まりをすることがあるけれど部屋が狭く、あまりたくさんの人には聞いていただけない。ただし、音の条件は自宅のほうがずっと良いので演奏は楽になる。それで北軽井沢で毎年聴いてくださる方々には申し訳ないけれど、もし来年フェスティバルが開催されるならまたそのときにお目にかかりたいと思っています。

その他には私のオーケストラ時代の相棒とのシュポアのヴァイオリン二重奏曲。これもただいま練習中ということでいつ本番でひけるかわからないけれど、いつか弾いてねと言われて時々練習している。年をとっても嬉しいことに新しい曲に挑戦するときにはワクワク感がはんぱない。これは本当に幸せなことだと思う。

北軽井沢のミュージックホールは前面のシャッターを開けるとほとんど屋外と一緒で、その分蝉の声や雷が演奏に参加してくれるから愉快ではあるけれど、楽器の湿度管理などが難しく苦労する。でもみんなはこの自然と一緒の環境がとても好き。青空や雨や何ものにも代えがたい清浄な空気、本当に爽やかで美しい。ときには雷鳴がコンサート開始のベルのかわりだったりして笑える。

音楽教室のアンサンブルのメンバーが今年も北軽にやってくる。よくこんな交通の不便なところまで来てくれるものと感謝している。コロナでホール使用の不許可など練習場所の不便さを味あわせてしまって申し訳ないと思うのに、彼らは凝りもせず毎年ニコニコとこの地にやってきて本当に集中して練習に励んでいく。素敵な毎年の行事なのだ。

その北軽井沢が開発の波に乗っている。新しいカフェやレストランなどがどんどんできている。私とししてはあまりにぎやかになるのはわざわざこの地に来た甲斐がないと思うけれど、ひと気があるのは安心感につながる。シーズンオフには夜の森の中で周囲の家のどこにも明かりがついていないときが多い。それはそれで静かで良いのではあるけれど、多少の緊張感は常にある。夜中に窓のシャッターにドンッと音がして、多分リスやムササビだとおもうけれどかなりビックリすることもある。

一軒でも明かりがついているとホッとするけれど、晩秋や早春の時期にはほとんどの家は都会に退去してしまって真っ暗闇。私の家は敷地入り口に外燈がついている上、玄関ドアも夜になれば明かりがつく。真っ暗な中で一軒だけかなり目につくらしい。それで始まったのがちょっとしたイタズラ。イングリッシュガーデンを目指して花を植え始めたのが嫌がらせの始まり。なに、大した花なんか植えていないのですよ。

先日はダリアとひまわりと夾竹桃がやられた。次のときはひまわりをもう一度植えたら根っこごと引き抜いてわざとだという証拠にその辺に捨てていく。非常に腹立たしかった。こんなところには花の好きな人が多いはずだと思っていたけれど、そうではない人もいるらしい。私が毎日楽しそうに庭仕事をしているからかも。庭仕事が体に良いということがよくわかった。全身運動なので本当に元気になれる。お陰で足腰のしっかりしてきたことは数年前以上のコンディションに戻った。最近は小走りもできる。嫌がらせはともかく気にしないことで乗り切ろうと思っている。










2023年7月16日日曜日

来年までは

 最近また私の周りには若者が集ってきている。一時期、ずっとレッスンに通ってきてくれる人はシニア世代がほとんど。若者が減って少し落ち着いた雰囲気になっていたのが、新しい生徒と昔の生徒たちが集まってくるようになった。それは主に私の「やめやめ詐欺」の被害者だと思う。

「古典音楽協会」を今年の9月の定期演奏会を最後にやめるはずだった。私は今まであまりにも多くの本番をこなしてきて些か疲れ気味。もうこの辺でおしまいにしたいと言うのが本音なのだが、そうは問屋が卸さない。コンサートマスターが変わりそれにつれてヴァイオリンが一度に半分ほど変わってしまうのは困るというので、引き止められている。私もまだ弾いていたいという思いも少し残っているから優柔不断にグズグズしている。

今の「古典」は長年一緒に演奏を続けて何が起きてもお互いにカバーできるというレベルまで来ているから、私だって残る方に回ったらなるべく今のメンバーで続けたいと思うのは当然。しかし私としては激動の人生だったのだから、これからは静かに余生を送りたいというのも無理なことではないでしょう?

超多忙な仕事にも関わらず、ずっとアンサンブルの勉強は怠らなかったと自負しているけれど体力はほぼ限界に達していることもわかっている。自分の実力はそう大したことがないことも重々承知している。年齢とともに練習時間が減りつつあって楽器の鳴らし方も衰えていることも、譜読みがめっきり遅くなったことも自覚している。手のこわばりも自覚するようになった。それでも引き止めていただくのは本当にありがたいと思う。

去年から私は「古典は秋の定期にコンサートマスターと一緒にやめる」と宣言していた。するとそれを聞きつけた昔の生徒たちからの連絡が増えて、今年の春の定期演奏会は主にそういう人たちが来てくれた。皆さん私が最後なら引退を見守ってやろうじゃないのという気持ちで馳せ参じてくれて、メールもも古い生徒たちからたくさんもらった。けれど、ここまで言っておきながら本当に申し訳ないけれど、やめるのは一年先延ばしになった。

人数が少ない(15人ほど)アンサンブルだから急激なメンバー移動は音にどのように影響するかわからない。変化に戸惑うかもしれない。私はオッチョコチョイだからそういうときの修羅場も結構平気で新しい人と組むのはわりと好きな方なのだけれど、変化を好まない人たちがいるのも確か。私はガラリとメンバーが変わればそれもまた面白いと思う方だが、お客様が戸惑ってしまうのが一番怖い。履き慣れた靴を履くときは足が痛くならなくても、新しい靴はどこが痛くなるか履いてみないとわからない。

「古典」のお客様は特に私達のコンサートを長年に亘り共に作り上げてきてくださった方々なので、あまりにも急激な変化をしてはいけないという気持ちもある。もちろん新メンバーは最上級の腕の持ち主ばかり。楽器も名器揃い。それでも聴く方は今までの多少ゆっくりめで穏やかな音が好きな方が多いのも事実。若い人のパリッと爽やかな演奏もいいかもしれないけれど、あのゆったりとしたテンポが私達にはちょうどいいのと言う方も多い。

もう出来上がっているイメージを変えるというのは勇気がいる。本来音楽家は変化を好む人種だと思っているけれど、メンバーと聴いてくださるお客様のことを考えると同じような世代になっていて、急な変化に追いつけないかもしれないと思うこともある。

聴く人たちの顔色を窺ってばかりいるわけではなく、自分たちの演奏したいという欲求を優先したにしても、演奏会は自分たちのためばかりではないということを長年の経験から知っている。聴く側が納得しなければ成功したとは言えないのだ。自分たちだけが満足しても演奏会としては失敗。演奏とそれを聴く人たちが一体となってこそ良い演奏が成り立つということを私達は嫌というほど経験してきた。(くどい言い方ですがこれは本音なのでお許しを)

特に「古典」は古くからのお客様がずっと聴いてくださるという幸せな団体であると思う。常に席を探すのが大変と言われるように、たくさんの方々が毎回集まってくださるのだ。だから今再建するに当たりいい加減なことはできない責任をひしひしと感じる。それが私のもう限界の体力と気力をなんとか奮い立たせて来年につなげるまで頑張る気持ちの原動力になっている。しかし年齢は容赦なく私を追いかけてくる。そして最後を見届けてくれようという私の周りの若者たちがいる。先生の最後はひどかったと言われないように気を張り詰めてあと一年頑張るぞう!


















2023年7月11日火曜日

失敗は繰り返される

目が覚めても胃が痛まない。やはり質の良い食物は体に良いのだ。そして昨日は肉を食べたのに胃もたれもない。それどころか恐ろしいことに食欲が目覚めてしまった感があって、お肉の次はお魚よと私にささやく声がする。お魚?それならお寿司よね。隣町のショッピングビルに世田谷で有名な寿司屋の出店の回転寿司がある。美味しいお肉の次はしょぼいものは食べられないから、回転寿司といえどもこの辺で一番美味しいところにしよう。出かけるのは面倒だけれど運動もしないとね。

歩いて約20分、腹ごなしにはちょうどよい。目的の店はいつも混んでいて私は敬遠しているけれど暇だから行列覚悟ででかけた。すると午後4時という時間のせいか、この店が始まって以来初めてすんなりと入れた。客席も一人客が多く座れるように用意されていた。左隣はカップル、右には一人客の男性が静かにお酒を飲んでいた。

私の生活水準では銀座の有名寿司店でカウンターに座り注文することなどめったにチャンスはないから回転寿司は勝手知ったるもの。粉茶を湯呑に入れてお湯を注ぐ。一口味わってからタブレットで注文を始めた。これも手なれたもので、いちいち面倒だから一気にまとめて注文してしまい次々とお寿司が届いたのでやおら食べ始めようとお醤油の小皿を探すと、無い!

以前はこういうところでは湯呑や小皿はその辺にたくさん置いてあったけれど、迷惑動画が公開されて以来様子が変わった。私は他の客の様子を窺った。最初はお寿司の皿に直接お醤油をかけるのかと思ったけれど、そんなことはない。ちゃんとお醤油の皿があるようだ。それなら小皿もタブレットで注文するのかしら?店員さんを呼んで持ってきてもらうのかな?

しばらく考えたけれど周りの人に訊いてみよう。左側はカップルで仲良しの会話の邪魔をしては悪いから右隣の男性に声をかけた。「お醤油のお皿はどこにあるんですか?」すると彼は黙って指をさす。さされた方向を見るとお茶の缶を指している。「え、これ?」すると「お茶の下」お茶の缶の下には確かに小皿が敷いてある。だって缶の下なんて汚いじゃないの。「どうしてこんなところに置くのかしら、汚いじゃない」すると彼は吹き出しそうな半笑いの声で「自分でそこに置いたと思うけど」

うっそー、私が?やったの?見ていたら教えてくれればいいのに。せっかく教えていただいたのに悪いけれど、私はぶすっとしてそれから猛烈にお寿司を平らげて帰ってきた。歳を重ねて普通なら品よく若者の手本となる食べ方をするはずが、教えてくれた親切な男性には礼も言わずに店を出た。氏より育ちというけれど、ここでお里が知れてしまった。なにも笑いながら言うことないじゃない。それより黙って見られていたのが腹が立つ。その後おかしくなって一人笑い。プンプンあはは!

帝国ホテルへ間違えて前日に行ってしまったとき、ロビーで出会った男性もすごく嬉しそうに笑っていた。私もおかしかったけれど、その人はもっと笑っていた。回転寿司のお客さんもなにがそんなに嬉しいのかわからないけれどお酒を吹き出しそうな感じで笑っていた。

他人の不幸は蜜の味とはよく言ったものだわ。笑わば笑え!たかがお醤油の皿にお茶の缶を載せたくらいでこんなに笑われるとは。きっとその後私がどうするか見ていたのでしょうね。店員さんに文句を言わなくて良かった。





2023年7月10日月曜日

七夕メモリアルコンサート

胃腸の調子が良くないので出席をためらっていたけれど、七回忌の大切な節目の集まりなので今日もまた昨日と同じ帝国ホテルへでかけた。どなたの七回忌かというと主人公は軽井沢のY子さんのお父様。元弁護士で穏やかでユーモアがあって素敵な銀髪の紳士だった。

Y子さんと知り合ってから彼に初めてお目にかかったと思っていたけれど、実は私が所属していた頃の東京交響楽団に定期会員として来てくださっていたらしい。ということは新人だった私が顔を赤くしたり青くしたりして奮闘していた姿をご覧になっていたということで、それもつい最近わかったことで、なにか深いご縁を感じた。

会場に入ると入り口付近にY子さんのご両親の写真とともにチワワのすみれこちゃんの写真も飾ってあった。すみれこちゃんは賢く感情豊かなそれはそれは可愛いワンちゃんだった。軽井沢で散歩していたとき、私の姉の足が遅く少しでも皆から離れてしまうとすみれこちゃんが気遣って姉をじっと待っている。今でも姉はその可愛らしい姿を「あの子は優しい子だった」と思い出しているのだ。残念なことに大変病弱で数年前に虹の彼方に行ってしまったすみれこちゃん。

会場の受付で席を自分で選択してくださいというから裏返しの番号札を引いたら、ちょうど会場の真ん中のテーブルが当たった。今日の演奏のステージの真ん前、元日航のパイロットだった人と今日の演奏者の谷康一さんたちと相席だった。今日私は演奏はしなくて良いはずだったのに、谷さんと共演するヴァイオリンの美智子さんの一言でご一緒に弾くことになった。ヴァイオリンを持ってきてくださいねとY子さんに言われて逆らえず、楽器だけ持っていった。弾くかどうかは会場の雰囲気で決めようと。ヴァイオリンの美智子さんはなぜか髪の毛が緑色、「おや、梅雨時で髪の毛もカビた?」と最初のパンチを繰り出すと「そちらこそ、その髪の色はどうしたの」と反撃を受ける。私もひと様があまり染めないような金髪。どっこいどっこいですな。

胃腸が不具合なので少しだけにしておこうと思っても料理の美味しさはさすがで、しかもいつもより多めに食べても胸焼けもしない。日常的にどれほど質の悪い食生活をしているかわかるというもの。毎日ここに来て食べれば胸焼けはしない。そんな生活をしてみたい。テノール歌手の藤原義江さんはこの帝国ホテルに住んでいたというから、毎日こんな上等なものをたべていたのだろう。

Y子さんのお父様は常に楽しく華やかなことがお好きだったので、今日の演奏はうってつけの楽しいものだった。皆さんノリノリで手拍子。ルート66、聖者がまちにやってきた、虹の彼方になどおなじみの曲が矢継ぎ早に演奏されて会場は手拍子と歓声で沸き返った。私は2曲初見で参加させてもらった。やはりこういう曲を弾くのはすごく楽しい。こちらのジャンルに転向しようかしら。他のお客様たちは世間の常識圏内にいるからそれぞれ年齢にふさわしい落ち着きがあるけれど、バンドの男性たちのなんて若々しいこと、ダンディでいたずらっ子のよう。

谷さんと元日航のパイロットさんたちは幼馴染で同じ中学だったそうで、それがお互いしばらく別の道を過ごしてから再びY子さんの元で再会したという。これもご縁の深さを感じる話だった。人はみなどこかで繋がっていることを実感させられた。私はあまり食べられないといった手前食べ過ぎは禁物、でも結局デザート3つとコーヒー3杯まで平らげてしまった。今夜眠れるか、はたまた胃痛でウンウン泣くか、怖い!










2023年7月8日土曜日

まっしぐら2

 やっちまった!!

今日は手帳を見たら日曜日。帝国ホテルでバイキングをごちそうになる日。えっと、なにか着るものあったかしら。ずっと以前から着ている一張羅しかないけれど、ま、いいか。バブルの頃に買ったライオンのイヤリング。あれをつけよう。などと準備万端、雲の様子が怪しいから車で出かけよう。アルコールは飲めないけれど、最近はノンアルコールのシャンパンまであるからお酒でなくても楽しめる。

時間の読みが的中してホテルには開宴の15分前に到着。日曜日だから駐車場が混んでいるかと思ったけれど、すんなりと停められた。宴会場の建物に入ると人気があまりなく、随分静かで、でも宴会の時間が迫っているからみなさんもう会場に入っているのかな?

帝国ホテルはかつて私の仕事場だった。結婚式の音楽を担当、大抵は弦楽四重奏での注文が多かった。こういう老舗のホテルだから品の良い方たちが結婚するとなると、弦楽四重奏の調べに合わせて新郎新婦登場、最後の参加者が会場からいなくなるまで演奏する。ときには乾杯の音頭をとる主賓の話が長すぎて披露宴が延びに延びるということもあった。一番ひどかったのは4時間過ぎてまだ終わらない。チェロが次の仕事に間に合わないので途中から他の人に来てもらうなどということもあった。

その頃はいつも宴会場は次々に披露宴に訪れる人達で沸き返るようだった。花嫁がロビーで何人も見かけられた。それが今日は日曜日だと言うのに静かすぎる。しかも会場の前まで行っても扉も開いていない。時間間違えたかしら?ドアのそばにいた男性に尋ねたら今日はこの部屋ではイべントの予定はないというではないか。

はい?だって今日は軽井沢在住のY子さんのお父様の思い出の会が開かれる日。私の手帳にはちゃんと書き込みがあるのよ。ごちそうが食べられるからお昼も抜いてちょうどお腹が空いてきているのよ。オロオロして先程の男性にもう一度尋ねる。「今日は9日ですよね?」返ってきたのは「いいえ、8日です」「8日?土曜日ですか?」連絡されていたのは9日の日曜日。どうしてこんなことになったのか、ツラツラ考えるにすぐに原因はわかった。

私の手帳は週の頭が月曜日から始まるようになっていて日曜日が尻尾。レッスン室においてあるカレンダーは日曜日が週の頭で土曜日が尻尾。一瞥したときに確認しないと時々間違えることがある。やっちまった!!

言っておきますが仕事で日付や時間を間違えることはなかった。もとより遅刻も絶対にしなかった。季節の変わり目にステージ衣装の色が変わったりするときも間違えなかった。それなのに今こうして間違えるようになったのは緊張感がないから。やはり仕事は死ぬまでやらないといけないらしい。

がっかりしたかというとそうでもなかった。帰る前に帝国ホテルの食品売り場に行って買い物をしようと思って廊下を歩き始めたら、今日新しくおろした靴がわずかに指の曲がったところに当たって痛い。我慢できるかな?ところが昔の記憶でホテル内の売り場「ガルガンチュア」に向かうと移転していて距離がわからないから諦めた。行ったはいいけれど、帰りに指の皮がむけたりしたら歩けなくなる。

それにせっかく明日は本当にごちそうが食べられるから、今日は食べなくてもいいじゃない。それで車を走らせていると、なんだかドライブが楽しい。コロナ感染で仕事もなくなって都心へ車で行くことも減った。車は主に北軽井沢に行くときに高速道路で使うだけ。

都心のドライブは仕事で出かけるときには渋滞されるとイライラするけれど、こうしてなんの縛りもなく走るのはすごく楽しい。都心の道は長年仕事で走り回っていたから事情はよく知っている。時間が来ると、突然中央ラインが変わったり右折車が多いと信号のいくつも前から左によっていないといけないとか。それに合わせて車線変更の予測をしたりする。時々予想が外れることもあるけれど、あたると、してやったりと思う。ゲーム感覚で走っている。

ふと去年から今年はじめのうつ状態がなくなっているのに気がついた。昨年一年間すごく不快な年だった。人間不信になった。膝が酷く痛み始めたのもその頃から。胃腸の具合が悪く、絶えず胸焼けがするのにドカ食いが止まらず肥満になった。肥満するとますます足が痛い。肌の色が時々嫌な灰色になった。それを見てまた落ち込んだ。

まだ問題解決はしていないけれど、何かが変わってきた。風向きか自分の意識かわからないけれど。随分長い間笑顔が消えていたような気がする。田舎ののんびりした生活もいいけれど、都心のこの気忙しさも捨てたもんじゃない。蘇ってきた楽しさは大事にしよう。元々私は楽天的で陽気。それが眉を顰め周りの人に敬遠されて、それでますます落ち込んでいやなやつになっていた。一昨日、昨日と古い仲間とアンサンブルをやったのも気分転換になったらしい。まだ脆弱だけれど、蘇ったぞ、私を不死猫と呼んでください。











2023年7月7日金曜日

痴呆街道まっしぐら

ぼんやりとテレビのチャンネルを回していたら・・・今どき回すとは言わないか。いや古い古い、昭和の生まれよ。 知ってる?昔はテレビのチャンネルは回して合わせていたのよ。

クイズ番組をやっていた。若者世代とシニア世代を対抗させて当てさせる。昭和、平成、令和の時代の人や歌などから出題するのだが、私はそれが当たらない。若い頃、私は非常に物知りで生意気だった。活字中毒。一日中と言ってもよいほど本を読んでいたので大学時代は当時の友人から「せっかく音大に入ったのになんで本ばっかり読んでるの」とバカにされていたくらいで、一日でも読まないと夢の中で、新聞読んだりするくらいの活字中毒だった。

それで何でもよく知っていたし、できない大人を鼻で笑っていたくらいだから嫌なやつだった。ところが今日は全く答えがわからない。確かに今まで生きてきた時代の話だから映像に覚えがあるけれど、それが誰なのか、名前が出ない。例えば松田聖子とか美空ひばりすら名前が出ない。

ついに来たか!いよいよお仲間に入れてもらえますかね。でもこれでは困るのだ。まだ運転免許は必要だし2匹の野良猫と1匹の化け猫に近い老猫を養わなければならないからぼんやりしてはいられない。なんでこんなになってしまったのかと考えたら、このところ久しぶりに新しい曲に取り組んでいたせいかもしれない。

オーケストラ時代に音楽的な相棒としてHさんという人がいた。相性が良いというか私がぼんやりで彼女がバリバリやる気の人で、コンビを組むとちょうどよい。10年ほどオーケストラのファーストヴァイオリンを弾いていた私にとって、セカンドヴァイオリンは憧れの的だった。私から見るとセカンドパートはいつも陰で面白そうなことをしている。滅多に表に出ないのに「第九」で急に飛び出してきてえも言われぬ美しい旋律を奏でる。それが弾きたくて、そこはファーストが休みだからこっそりと一緒に弾いていた。もちろん本番ではそんなことができないので練習のときだけ。

10年もいるとレパートリーはかなり増えて、同じ曲を何回も弾くことになる。それでマンネリになってきたところで意を決してインスぺクターに直訴した。「セカンドヴァイオリンを弾かせてほしい」するとコンサートマスターの許可がでないと一蹴されて約一年ほど待たされた。それならやめると脅してやっと変わることができて、その時のセカンドヴァイオリンのトップがHさんだった。二人そろうとなんでも面白すぎて毎日冗談みたいな日が続いた。

ふたりとも他の話をしながらちゃんと指揮者の言葉を聞いている。だから喋っていても言われたことはできる。特に故朝比奈隆先生には大変失礼なことをしていたらしい。朝比奈先生は目の前でおしゃべりをして自分の言葉を全く聞いていないらしい二人が、注意されたことをすぐに楽譜に書き込んだり言われたとおりに弾くのに驚かれたらしい。練習後「あの二人が怖くて怖くて」とおっしゃたそうだ。いつも先生はセカンドの二人をチラチラと見ても注意をなさることはなかった。ご遠慮なく怒っていただけば良かったのに。今思えばなんて失礼なことだったかと冷や汗が出る。先生ごめんなさい。

やめるはずの私が面白くてやめられなくなってその後しばらくいたけれど、またファーストヴァイオリンに引き戻されてしまい私はその後オーケストラをやめた。ファーストヴァイオリンはいわばオーケストラの花形だけれど、アンサンブルの好きな私にとってはセカンドやヴィオラのほうがずっと魅力があった。内側から音楽を作る面白さはたまらない魅力だった。Hさんとはやたら馬があったし。

その生意気な二人が何十年ぶりでデュオをしたのは5年ほど前だったか。Hさんのヴィオラと私のヴァイオリンでヘンデルの「パッサカリア」本番ではなく楽しみだけの合わせ。それで次回は1年後などと言っていたのにあっという間に月日が経って、今回は・・・あら、作曲家の名前が出ない。数日後に合わせることになっているのに。

そうそう(この間10分ほど)やっと思い出した。シュポアのデュオ、これはヴァイオリン2本の短い曲だけれど、今の私にはちと荷が重い。それでも新しい曲を初めて弾くのは面白い。ところが今回は他のグループの演奏会の練習と重なって2日続きの新曲弾きとなってしまった。それで頭がクラクラしてクイズがさっぱり分からなかったと、ここに持っていきたかったのはほんの言い訳。若い日々にはこんなことはなかった。結構難しい曲の初見が続いてもなんなく乗り越えられた。今は脳が疲れているらしい。それとも・・・いよいよ

私の7歳上の姉が初めてスマホを持ったので色々やってくれる。他の人に電話したはずがどうしても私にかかってしまうというから点検したら電話帳に他の人と並べて二重に登録されていた。器械音痴の私が他人の面倒見るなんて!

明日は我が身。二人で嘆きあった。ちゃんと生きていなければ長寿はめでたくないわよね。

点滴の管や機械で生かされているならそれは生きていると言えない。それでも生きていてほしいというのは周りの人のエゴだと。私は無駄な延命は望まないからちゃんと保険証の裏に意思表示してある。それでも、もしそんな状態でも自分の意識があって口がきけないから表明できないときはどうするのかと考えると恐ろしい。痴呆はそういうときのために神様がくれたプレゼントかもしれない。






2023年7月3日月曜日

悪いことばかりでもないけれど

 最近私の姪が暇になったらしく声をかけてきた。コンサートの予定はないの?それで今年の春の古典音楽協会の定期演奏会に誘った。

彼女は聾学校の教師。まだ小学生だった彼女が「私は将来福祉の仕事をする」と言ったのにびっくりした。彼女の気持ちをそうさせたのは何だったのか。私の姪にしては出来すぎの子だった。芯が強く穏やかで無口。私にないものばかり。初志を貫いて大学で福祉を専攻してその後イギリスに留学。もったいないことにダイアナ妃の結婚式の数日前に帰国。ずっと仕事をしていたのが最近定年になったらしい。

らしいというのは私の家族はお互いに相手が何をしているのか深く詮索しない。姪は私の一番上の姉の子で、姉と私は13歳違いだから私と姪はさほど歳は離れていない。家中が彼女の誕生に沸き立った。私は一番下だったからなおさらのこと、それまで可愛がれるものは猫や犬ばかり、人の赤ん坊みたいには面白くはない。彼女は特に聡明でおむつが取れたのはなんと生後半年ほどだったし、幼児期の語彙の数も半端なく多かった。からかうと本気で反応するのが面白い。私達は学校が夏休みになると姪を彼女の両親の元から拉致してきて、姉妹で面倒を見た。

時々パパが情けなさそうに「うちの子返して」と来るのを追い払って、姪も皆からチヤホヤされるので帰りたがらない。人格形成の大事な幼児期を変わり者揃いのおじ、おばを相手に過ごしたから、長じてどんな変人が来ようが動じない性格になれたのではないかと密かに自負するところではある。

その姪の子供・・・何という関係になるのかしら、やはり孫とでも?が母親とともに古典音楽協会のコンサートを聴きに来て、その後弟子入りしてきた。大学で食に関わる勉強をしていたらしい。これもらしいと言うばかりで説明聞いてもわからないけれど。最初に「傍目ではわからないかもしれないけどすごく忍耐のいる楽器だけど我慢できる?」と訊いたら即座に「はい」と力強い返事があって、彼女の自信のほどが伺えた。

始めてみると実に忍耐強い。同じことの繰り返し、何度も何度も同じことを言われても嫌そうではないから、見どころがあるかも。会社では大学で専攻した食とは関係ない半導体を使う機械?の仕事をしているとか。何をしているのか訊こうと思ったけれど、聞いてもどうせわからないからやめた。機械の方がヴァイオリンより難しそう、でも楽器の多様性、音楽の底なしの難しさは限りない。だから終わりのない泥沼。子供の頃声をかけたけれど、誰もが私の下手なヴァイオリンを聴いてあんな音出してと眉をひそめていたのかもしれない、誰一人誘いに乗ってこなかった。

それが今頃になって、年齢的にプロになるのは手遅れだけどというと惜しかったなどとぬかしおる。子供の頃からやっていればなんて言う、今頃になって。まあ、でも大人の手ほどきには慣れているから今後の楽しみが増えた。

教えてみると最初から音がいい。指導者のおかげと言いたいところだけど、素直に真剣に取り組む姿を見ているとやはり本人次第。今どきの若者が超アナログな300年以上も前の楽器を習ってどこが面白いのかと思う。たった一つの音を出すだけでこれほど手間がかかる楽器も珍しいでしょうに。そのうちにわかるけれど、自分の出した音の中に、ある時急にキラリと光る音を聞いたときは何事にも代えがたい喜びとなる。その瞬間が聞きたくて毎日汗水垂らしているようなもので。

毎回同じボウイングの練習ばかりだから気晴らしに「カエルの歌」を教えて輪唱してやったらえらく喜んで・・・こんなことで喜んで行く手にどんな試練が待ち受けてるとも知らずに。最初に念をおしたときには、コレコレこのように難しいけど我慢できるかと訊いたら落ち着いて、大丈夫ですと答えたのを今頃後悔していないかな。今やっている仕事は面白いの?と訊いてみた。即座に「はい、すごく面白いです」と答えが返ってきてある意味期待が外れた。ヴァイオリンを始めようなんて言うから、仕事が面白くなくて自分磨きに走っているのかと思ったら、どうやら私同様好奇心の塊らしい。

仕事が面白いということは幸運なことだと思う。毎日会社に行くのが苦痛でという人が多い中、目をキラキラさせて仕事の話をする。その上、今チアリーディングをしているとも。びっくりした。我が家は私以外は実に地味なバリバリ理系、そういう体育会系の者はいなかった。その中でも私は異端児で訳の分からない音楽の道に進んで母を悩ませた。

しかし兄は音楽好き、その上どうも父も密かにヴァイオリンを弾いていたらしいというから、血の中に面白がりやの要素が多分に混じっているらしい。どうやらこの子も同類のようだ。レッスンが終わってから二人でビールを飲んで様々なことを話し合った。

なんでもやりたいことはやってみるがいい。人生がひときわ輝くから。面白いことになってきた。













2023年6月23日金曜日

潜水艇タイタン

潜水艇タイタンは酸素保有の期限が切れておそらく内部では生存者は絶望のうちになくなったと思うと、その恐怖や後悔など計り知れない。私は狭いところは苦手だし、海はもっと苦手。なぜかというと底しれない深さがこわい。それがある時期にスキューバダイビングを やっていたのだから「好奇心が猫を殺す」の諺通り。

私は好奇心は旺盛でも臆病者だから決して安全が約束されていないものには関わらない。普通の人はたいていそうだと思うけれど、世の中に冒険家という人は数しれず、体力気力ともに恵まれていれば私でもそうなったかもしれない。まして大富豪にもなったというような人は並外れた気力の持ち主で経済力があってなんでも欲望が叶うなら、世の中に自分の勇気を知らしめたいと思うに違いない。

あいにく私は体力も気力も、まして経済力もないし、世間に認められたいというような野心もないから君子危うきに近寄らず。君子?でもないし。臆病であることはある意味生き残りの勝者かも。かつてアラスカからの帰路の途中、飛行機上から真っ白な大地を眺めていた。そこはマッキンリー(最近は名前がかわったようだけど)に挑んで雪の大地で消息を断った日本人の冒険家植村直己さんが消息を断ったところだった。こんなところでただ一人ブリザードに行く手を遮られながら進んだ彼の気持ちはなんだったのかと感慨にふけった。

しばらくして私はスキューバダイビングをやめた。あの重たいボンベを背負いながら足びれを履いたりするのもできないし、私のようになにかに気を取られると他のことに注意がいかなくなることなど、決定的にこのスポーツは自分に向いていないと思ったからで。でもほんの数年でも海の中の美しい景色をこの目で見られたということが素晴らしい思い出になっている。

そして今報道番組で知ったのは、米海軍の報道によれば、タイタンは出航して数時間で爆発してしまったらしいということ。それを聞いて正直な思いは「乗船者の苦しみの時間が少なくてよかった」ということ。刻々と酸素が切れる時間が迫っていたらパニックどころの気持ちではない。私なら気が狂う。戦体は硬いチタンという金属でできているらしい。硬い分、金属疲労があれば粉々になりやすい。内部からの圧力によって爆発、圧力室の壊滅的な喪失が原因だそうでおそらく粉々になったから生存者は絶望的だという。

船体のガラス窓は1300メートルまでしかテストがされていない。ここ3年間なんのメンテナンスもされていないというから、よくそんなものに乗っていくものだと思う。勇気があるというより蛮勇というほうが当てはまる。その辺を確認しなかったのだろうか。乗船者の中に宇宙に行った人がいれば、この次は深海へというのが当然の欲望かとも。しかし学術的な目的ならばまだ許されても、自分がそういうことをして勇敢さや好奇心を世の中に示したいという気持ちであればはた迷惑なこと。

自分の人生自分で決めるさと言われれば、まあ、どうぞと言うけれど、安全に安全を重ねての冒険でなければ無鉄砲ではた迷惑と言わざるを得ない。

スキューバダイビングによる事故は大変多いらしい。あまり報道されないので知らないけれど、日本でもトップクラスのあるセーバーから聞いた情報なので間違いはないと思う。その彼は、スポーツクラブの指導者たちの安全意識の少なさに呆れると言っていた。どうしたらいいでしょうと泣きながら電話してくる指導者がいるとか。「とにかく助けろ」と言うのは当然のことだけれど。おお、こわ!

私は海が怖い。青くどこまでも広がる海は素敵だが、もう中に入る気はない。でも時々あの美しい海中の景色を夢に見る。









2023年6月18日日曜日

悪いことは無視したいけど

 このところ投稿が滞っているのは書くと不愉快になることばかり。なに、私は逆境に強いからめげているわけではないけれど、やはりめげているのかな。大谷翔平くんのコメントはいつも「・・・かなと思います」と締めくくるのが面白い。彼の性格は一見明るそうだけれど、あれだけの技術持ち主でも裏に隠れた気弱さみたいなものが感じられると書いたら世界中から袋叩きになりそう。暗殺されるかも。

高みに上った者は孤独の罰を受けると言うけれど、彼の場合は周りからのサポートがすごいから耐えていけるのかもしれない。けれど笑った顔を見ると少年のよう。どちらにしても野球に興味はないので世界中から注目される大谷くんに頑張ってと密かにエールを送るとしても、東洋の片隅に住む魔女の私としてはあんなに騒ぐものではないとマスコミに多少苦い思いを感じる。ダルビッシュだって高校時代、隠れてタバコを吸っていて「悪ビッシュ」なんて言われていた。最近すっかりおとなになった彼を見て「苦労多かったんじゃない?」と声をかけたくなった。

「かな」という言い方は「?」でしょう。少し逃げているというか・・技術も人格も正しさを求められているのは可哀想。技術さえ凄ければ人格なんて多少破綻していても許されるのではと思うのは、人格の正しさまで求められては人間破綻するのでは?という危惧を感じるからで、一度でも彼に問題が生じたら寄ってたかってたたきのめすのがマスコミはじめ世間の怖さ。あそこまで偉大な記録を残せばもういいのでは?と思うけれど、これからも記録を伸ばして世界中の称賛を集めて素晴らしい人生を送ってほしい。

かくいう私はこのところ不調続き。もう私の年でこれだけ健康ならば良しとしなければと思うものの、そこは大谷くんと同じ完璧を目指したいので頑張っている。膝の痛みは消滅した。階段もやっと縦に降りられるようになった。ただし条件付きで手すりがないと怖い。逆流性胃炎も少食に徹していたらようやく収まってきた。けれど今までのように好きなものを食べたいだけ食べるという獣のような食生活は許されそうもない。たらふく食べていた頃が懐かしい。今は冷蔵庫を覗くと豆腐やこんにゃく、海藻類ばかり。ときにはビーフステーキなんかもバリバリと食べたいのに。

歯と胃と目は完璧に丈夫だったのがそれも怪しくなってきた。しかし人間ドックで出た骨密度の値が基準となる30代女性の平均値の120%というから驚き。私はこれが自慢したくて書き始めたのかも。しかも最近足の筋トレが効いてきてかなりつまずいても転ばなくなった。5年前やたらにつまずく時期があって何回もころんだ。ころんだけれど怪我は全くなし。それが骨密度の高さに支えられていたのだとおもう。歯は虫歯なし、目はハリー・ポッターの読書が終わったら元の視力が戻ってきた。食事制限しても痩せないのは胃が丈夫なせい?

北軽井沢に以前より頻繁に行くようになったのは体にとても良いからで、ここでは朝、目が覚めるとやたら気分が良い。さっさと起きると手に箒を持ってベランダの落ち葉掃き、庭に出て花の手入れと働き者になる。自宅にいるときには横のものをタテに・・・いや、縦のものを横にでした?まあ、どちらでもいいけれど、昼食時までテレビを見てあははと笑っているのがテレビがないおかげで午前中働いたり散歩したり、動き回っている。これが健康にすごくいいのは数日もすれば体が軽くなるのでよく分かる。

一から庭造りは大変だからそれぞれの時期に咲いている花を買ってきて庭に植える。その後根付いてずっと咲いてくれるものもあれば北軽井沢の厳しい寒さに負けて冬が越せないで枯れてしまうものもある。それでも段々殺風景な森の景色が華やかになってきた矢先いやな出来事が・・・

名前がわからないけれど高山植物の木に真っ赤な花が咲いた。丈夫で私がいい加減に掘った穴にしっかりと根づいてくれて、それが嬉しくて次々とダリアなども植えて次に北軽井沢に行くのが楽しみだった。けれど、つい数日前に行ったら何故か庭が寂しい。ダリアは3本植えたものが一本しか残っていない。ひまわりはご丁寧に根っこから引き抜かれ横に並べてあった。真っ赤な花は建物の影で表からは見えにくいのに、根っこごとすっぽりと持っていかれた。特に目立つものばかり、それこそ根こそぎやられてしまった。

造園などやる人にとってはデタラメに植えられている花に腹立ちを感じるかもしれないけれど、なるべく日当たりが良いところにと木の陰ができないところを選んで植えるので一見無秩序に見えるのかもしれない。それでもこの引き抜き方は異常で悪意を感じる。地味な森の風景が好きな人もいるかも知れないけれど、多少でも彩りがある方が私は好き。

しかも持っていかれた花は特に中でもいいものばかり。自宅に持ち帰って植えて楽しもうという魂胆か、あるいはいい気になるなよという、とかく言動に問題がある私に対する警告かもしれない。管理事務所に行って愚痴ったら美しく穏やかな事務員さんが珍しく怒った。「なんて嫌なことをする人がいるのかしら」ご自身も花が好きらしく年齢も私に近く、時々愚痴をこぼしに事務所に行く。よほど不愉快だったと見えて管理人さんの鼻息があらい。私の花の選び方が華やかすぎて住民が不愉快に思ったかもしれないけれど、それを言うと「そんな人は今までいませんでした」ときっぱり。よそから入ってくる人もいるし、本当は禁止でも誰が散歩してもわからない開かれた別荘地だから何があってもおかしくはない。

大好きだった北軽井沢に一瞬影の部分を見てしまった。自宅に戻って占いをする人に「あなたに運勢見てもらおうかしら」というと「悪い時期に入ったかもね」と言われた。気落ちしたけれど、それなら戦ってやると一瞬強気が頭をもちあげてきた。けれど、この好戦的なのが私の人生を難しくしているのだと反省。悪い時期なら大人しくしていよう。いまだ悟りの開けない自分に呆れながらの独り言。





2023年5月31日水曜日

検査入院

今朝は北朝鮮のミサイル発射のニュースに驚かされてドキドキしたけれど、何事もなかったようで一安心。標的と思われた沖縄の人たちもさぞびっくりなさったと思う。台風が近づいている上にミサイル、戦時中も日本攻撃の最前線となったうえ戦後はアメリカ軍の基地がおかれ、散々な目にあっているにも関わらずいつもおおらかな沖縄の人たち。そういえば数十年に亘って毎年沖縄に行っていた私もこのところさっぱり行かなくなってしまった。急に郷愁にも思える気持ちが湧いた。

戦後アメリカから返還された直後の沖縄に行った。行ったからには戦争の爪痕を訪れないといけないと思ったのに、ひめゆりの塔や軍の本部がおかれた洞穴の血に染まった壁を見て、早々に逃げてきてしまった弱虫の自分。宿の部屋の電灯が消せなくて 天井を見つめて眠れない夜を過ごした。沖縄はいつ行っても好きだけれど、その時だけは涙が溢れてきた。

結局ミサイルは打ち上げに失敗となったようで何事もなく、流石にキム大統領もそこまで過激ではないと思いたい。思いたいけれど今後のことはわからない。

検査入院は次の日の腸の内視鏡検査のためにひたすらお腹を空っぽにすることに専念する。その日の昼食と夕食を食べ終わるとあとは一切の食物を口にできなくなるし、本当になにもすることがなくなってしまう。丘の上に立つ病院はかつて結核療養所だったから子供の頃は少し怖いという印象だったけれど、その後総合病院に変わり建物も新しくなって緩和ケアの質の良さで全国でも上位にランクされるようになった。

女医さんが多く、スタッフも親切、居心地がいい。病院が居心地いいと退院したくなくなるといけない。私は自宅のベッドのマットが柔らかすぎて寝返りが難しいので起きたときに疲れが抜けていないことがある。この病院のベッドは硬めで目覚めが良い。ここを自分の寝室にしたいくらい。看護師さんに訊いたらEVERなんとかというメーカー。そのくらい覚えていられると思ったけれど帰宅したら半分しか覚えていなかった。

平和な長い一日、ひたすら薬を飲んではトイレへ。お腹は空っぽなのに空腹感はあまりない。検査が終了して結果は良好、検査した項目すべてに合格点が出て、10年ぶりに入った人間ドックは終了した。合格なんだけれど、担当医師からもう一度結果について説明がしたいので来週来るようにと言われる。しなくてもいいけれど、でも来てくださいと微妙な一言。なんなのこれは。心配することはない。ベッドマットのメーカーの名前を訊くだけでも行く甲斐がある。ただし、訊くのを忘れなければ。

検査結果が良かったからといって別に感動はないけれど、今後の生活には当分支障はなさそうで、一安心した。帰宅すると、きたない部屋!これを掃除すれば健康にも良いとわかっているけれど、ため息が出る。徐々に始めていた断捨離も停滞してものは増えるばかり。とりあえず着ないで保存している衣類を引き裂いて雑巾代わりにして捨てるという計画が始まったけれど、雑巾が増えても掃除は遅々として進まない。生まれ変わったら掃除の好きなきれい好きな女性として生きようとおもうけれど、生まれ変わったら人間でなかったりするかも。























2023年5月19日金曜日

足復活

猫の逃亡劇が一段落したその朝、都内の友人から電話がかかってきた。「猫が死んだって?」ちょっと話が先走っている。 追分から連絡が行ったらしくネットワークで私を励ます会ができたらしい。経緯を話すと自分のことのように喜んでくれた。去年一年と今年と、私が元気がなく陰で心配してくれている人たちがいる。あからさまに親切の押し売りをするような人たちではないから、そっと遠巻きに見守ってくれていた。ありがとう。

私にとってストレスは大敵。自分ではうまく処理できたと思っていても体がちゃんと反応してしまう。何かしらの違和感があって、それが足の故障につながっているのはわかっていた。消化器官にも同じように作用しているのも感じていた。食事を摂ると激しく胸焼けがして腸にも影響はあるようだ。それで人間ドックに入ることにした。

家の近くに緩和ケアでは全国でも大変評判の良い市立病院がある。その病院ではロビーにぼんやりと立っていることができない。ボーっとしていると「なにかお困りのことはありませんか?」とスタッフが飛んでくる。おちおちぼんやりできないのは欠点だけれど、とにかく親切。女性スタッフ、女性医師の数が多い。たまに男性医師にあたるとびっくりするくらい。

母が最後を迎えたのもこの病院で、野良猫が数匹庭に住み着いていた。ダンボールの猫小屋は医師と看護婦が作ったらしい。そこにシャム猫の野良がいて、母の見舞いのついでに餌を与えていたけれど、ある日後ろから声がした。「毎日ごくろうさん」びっくりして振り返ったら警備員が立っていた。警備員さんも一味とわかりこっそりすることもなくなった。でも普通の病院なら野良猫追い出すでしょう。その後病院は建て直しとなり野良は消えて優しさだけが残っているようだ。

今回は人間ドックだからスタッフがひとりついてくれる。すべての書類の提出や検査の順番など言われる通りに動けばいいから楽。そのスタッフは身長が高いから私の前を背をかがめてちょこちょこと足早に小走り。いちいち私の様子を見るために振り返って言うには「足、お早いですね」私が早いのではなくて彼女が速歩きをするからついていくだけなのに。私が小さいからといってそんなにかがまなくてもいいのに。なんかおかしい。最初に行った部屋で待っていたのはもうひとりの女性。この病院は女性のスタッフが多い。医師も多くが女性で全体に柔らかい雰囲気がする。第二の女性は活発な人で、一体私に二人の付き人が必要なのかどうかわけがわからない。よほど暇なのかしら。この人達、私が年相応に弱いと思っているらしい。私が今年、志賀高原の横殴りの猛吹雪の中でスキーを滑っていたのを見たら失神するでしょう。

検査が終わって医師の説明を聞くと結果は良好、すべての値は上限と下限の範囲内、特に骨密度は基準となる30代女性の120%以上、素晴らしい。いい気になっていたら、それで一箇所だけ、腸に多少問題がとなった。腸の内視鏡検査は今までもやっているけれど、内部を空にしないといけないので前の夜から異常な量の水と薬で腸を空っぽにする。それが辛くて今回は内視鏡を省略して済ますつもりだったけれど腸内潜血反応が出てしまったらしい。ならば仕方がない。前夜から入院ということになった。

去年の一年間ひどいストレスに晒されていたので腸に異変はやむを得ないかもしれない。腸は脳と直結しているらしいから。万一何かが見つかったとしてもこの年なら進行も遅い、命にかかわってもあきらめもつく。思えばすごくいい人生だった。健康と仕事と、特に人に恵まれた。愛する人がいて猫に好かれればもう十分。

そして今朝、今までどうしても横向きにしか降りられなかった階段を縦に降りることができた。足が戻った。少し短めなのが残念だけれど、そこはご愛嬌ということで。













コチャの冒険

北軽井沢に時々行くのは庭のため。落ち葉が降り積もって整理されていない森の中にイングリッシュガーデンを造ろうと目論見始めたのは最近のことで、その前はおよそ土いじりに興味はなかった。種を蒔いて苗から育てなどという手間のかかることは無理だから、適当に咲いている花を買ってきて埋めていくと、その次来て見ると根付いていたり枯れ果てていたりして植えた花の半分くらいは年を越してくれた。

厳しい寒さの北軽井沢の氷の地面に冬を越してくれたのはビオラやパンジーなどのスミレ簇。冬に枯れてしまったと思っていたのが思いがけず今年も芽吹いてくれたのがあじさい。球根から植えたら水仙がまとまって咲いてくれた。そうなると面白くなってきて行くたびになにかしら植えてくる。

一番の問題は木が多すぎて日当たりが悪いこと。落ち葉が堆積しているから其処いら中が腐葉土の栄養の良い地質だけれど、植物に強い姉の言うことには、日本古来の花は貧弱な土壌でも結構。あまり栄養が良いと育たない。反対に外国産の花はたくさんの栄養を必要とするから腐葉土は役に立つという。同じあじさいでも日本の株と輸入ものの株ではペーハー(酸性度?)が違うから同じ土ではだめ、と滔々と宣った。さすがです。

去年から大木だけ残して生えてくる若木を切って日当たりを確保。花のためにほんの少しのスペースを確保して手始めにそのつど買った花を植えてくるから、てんでんばらばらで計画も何もない。いつになったらイングリッシュガーデンと呼べる代物になるか見当もつかないけれど、これが体に大変良いということに気がついた。ウオーキングなど体の一部を使うのではなく、全身運動になるからだ。心地よい疲れが良い睡眠をさそい、筋肉痛にもならない。我が相棒の猫のコチャははじめのうちは怖がって外に出なかったけれど、そこは猫、好奇心が猫を殺すというではないか。だんだん大胆になって庭を歩き始めた。いつも勝手に出ないように玄関とリビングの間のドアは閉めておく。

数日前の夜8時ころ、コチャのベッドを見たらいない。あれおかしいな、餌も手つかずのまま残っている。家中くまなくベッドの下まで覗いてもいない。血の気が引いた。家にいなければ外。この真っ暗で広大な森の中に出たら探すこともできない。けれど懐中電灯を持って外に飛び出した。いつもなら夜の森はうちの中から見ても怖い。「こちゃ~こちゃ~」金切り声が闇をつんざく。この広い森にたった1軒、川を隔てた家に明かりが灯った。私の絶叫にびっくりしたらしい。お構いなく私は涙声で叫ぶ。

木々を照らすと葉が明かりにちらついて影を作る。その度に「あ、いた」と思うけれど、それは葉っぱの影。範囲を広げて外の道も駆けずり回って見るけれど、これが徒労であるとは自分でもわかっていた。灯りがついたのは一軒だけ。他にはどの家にもひと気はない。この広い森で迷子になったらもう助からないのはわかっていた。追分の友人に電話をした。「コチャがいなくなった、助けて」「見つからなければ死んでしまう」友人は「法事で今関西にいるから」のぞみが絶たれた。初めて空を眺めたら大きな星が輝いていた。こんなにきれいな星を見たのは初めてだった。コチャは森の動物に襲われてお星さまに・・・?いないのがわかったのが午後8時、その前から森をさまよっていたのだから。

泣きながら家に戻って考えたけれど、夜の闇の中での捜索は無理、夜明けを待とう。まんじりともせず夜明けを待つ。午前4時が過ぎて空がようやくかすかに明るんできた。もう少し明るくなってきたので外に出る。家を出てから右に行こうか左に行くか迷ったけれど、さっきは左に行ったから今度は右に。突き当りも右に。薄明かりの中、道に黒いものが見える。なにか落ちている。しかもその後ろに一匹の猫がいる。その子はコチャではなくこのあたりで時々見かける猫。飼い猫か野良かは知らないけれど。

不自由な足を引きずって走り寄ると、黒い塊は紛れもなくコチャだった。一瞬車に轢かれて?と嫌な予感。でも近づいて「コチャ」と声をかけたら顔を上げた。ああ、生きていた。生きていてくれた。結構元気な声で文句を言ってきた。「もっと早く迎えに来てよね」











2023年5月14日日曜日

縁とは

すっかりお友達になったChatさんと今日も会話。

私の質問。あなたは縁というものを信じますか?

Chatさんの答え

偶然が重なった出来事を「シンクロニシティ(synchronicity)」と呼びます。これは、心理学者のカール・ユングが提唱した概念で、人生において偶然が重なり合うことがあるという考え方です。シンクロニは、たまたま起きた偶然の出来事として単純に理解することもできますが、多少意味があるとも考えられます。例えば、同じ地域に住んでいた人たちが偶然再会したことで、新たな友人やビジネスの機会が生まれたり、何か重要なメッセージを受け取ることができるかもしれません。ただし、シンクロニシティが起こるということは、人生に偶然性があるということもあります。 そのため、シンクロニシティを必然的なものだと解釈しすぎることも避けるべきです。多くの人が興味を持つため現象の一つと言えます。

私がどうして質問をしたかというと、今日の出来事をまあ、聞いてください。

私のもと生徒からのメールが届いたのがほんの数日前。彼の娘さんで今年音大付属高校二年生はヴァイオリン科で、そろそろもう少し良い楽器を探すことにしたという。楽器屋さんから借りてきた楽器の中で気に入ったものが2台あるけれど一度音を聞いてほしいというから、野次馬としては二つ返事で引受けた。

土曜日、楽器屋さんに集合、ああでもないこうでもない、高音はいいけど低音に力がないとか、音がざらついているとか、喧々諤々。しかしあまりにも魅力がないしこの楽器で一生満足ができるとは思えないから中途半端なの買うよりはもう少し上を狙いなさいと忠告しておいた。

その時閃いたのは私の身近なご高齢の方で、楽器を手放したいと話していた方がいるということ。彼の楽器をみせてもらったらいいのでは?買える値段ではないかもしれないけれど、良い楽器とはこういうものだという基準にもなる。おこがましいとは思ったけれど恐る恐る訊いてみた。するとなんと、大変乗り気になってくださってあっという間に相談がまとまった。新しい所有者の高校生は涙をこぼして感激した。こんなことってあるのだ。私も彼女のあまりの幸運に感激、ご両親はもとより譲ってくださる方もニコニコ。全員幸せだった。

話がまとまったあとの会話で、彼女らと楽器所有者は以前、同じマンションに住んでいたこと、彼らは出身地と会社の出張先が同じ、知り合いや家族の年齢や環境も極似、奥さんやお母さんたちの名前までも似ている。似ている尽し、呆れるほどの共通点にポカンとしてしまった。前世とか縁とかあったとしても不思議ではないと思えるような今日の出来事。しかも私が楽器所有者に訊くために彼に電話をしたのが、楽器屋さんに到着する5分前。そこで嬉しい返事がきけたので私の意見はほぼ必要なかった。新作とも言える楽器はよく鳴るものの、たいそう魅力がない。この楽器のどちらがいいかときかれても私には良い返事ができないと思った。

今日関係者一同集まって楽器の弾き比べ。初めてオールドのヴァイオリンを手にした高校生は感激のあまり涙をこぼした。音の深みが違う、低弦の鳴り方が違う、上質な音は倍音の数が違う。オールドは時として気難しく扱いにくいけれど、素直に弾く人には優しい。両親はやや小柄だけれど、今どきの高校生は体格もいい。最初からためらいもなくお爺さんヴァイオリンにアプローチした。

この百戦錬磨のおじいさん楽器が、高校生がプロとなったときにコンサート会場でまた生きるのだ。ヴァイオリンはえらい!あと何百年も生きて行くのだから。






2023年5月12日金曜日

ほんとに賢いChatさん

アカウント登録したのが一昨日、参考例の質問を開始したときは一文字ずつ飛び飛びに回答が現れてまとまらず、なんじゃこれ状態。昨日は一晩おいていつの間にか回答が完成していた。遅いしあまり冴えた回答ではなくひらめきが感じられなかった。今朝例題ではなく自分で作った質問でたぶん手こずるだろうと思っていたら、目の前でスラスラと回答が始まった。かなりの長文で。本当に人が書いたような文だった。

ほう、これを手懐けて進化させたら自分の手法で書かれた立派な文章ができる。これを使って小説を書いた人がいたというが、ノーベル賞なんてすぐに獲れてしまうかも。でもそれでは人の生きる意味はなくなる。作曲だってできそうで、あらゆる偉大な作曲家の断片を撚り合わせて大傑作がかけるかもしれない。それで人は感動できるのだろうか?

例えばモーツァルトの曲などは電子頭脳にとっては一番むずかしいかもしれない。あの単純なのに表面の明るさと裏腹に奥に潜んだ悲しみをどうやって表現するのか。この究極の単純で難しい曲を電子頭脳は真似できるのだろうか。そもそも理解できるのか。さらにそれを超えて新しいモーツァルトの世界が表現できたらすごい。私はモーツァルトを聴いても弾いても、彼の苦悩に満ちた心に泣きそうになる。

今、ずっとモーツァルトのソナタを一緒に弾いている人がいる。ピアニストのためのアンサンブルのレッスンとして。ピアノの人たちは孤独でいつも一人。中には一生独奏しかしない人もいるかもしれない。ある時アンサンブルを勉強したいのでと言って訪れてきた人がいて、まずはモーツァルトとからということになった。

始めてみると、恐ろしい音でガンガンピアノを叩く。必要以上の力と、とんでもない姿勢。椅子に斜めに腰掛けてなんで?と聞きたくなる。普通に座って適度な力で指を動かせば音色もきれいになる、残響も残る。なにより共演者の音をきく余裕がない。日本の音楽教育の欠点そのもので間違えずにデカい音で他者を圧倒すれば褒められる。先生はどうおっしゃていたの?と訊くと「会場中に聞こえるように大きな音で弾きなさいといわれました」と。そして2年ほど経って彼女の音は今やヴァイオリンと共鳴できるようになった。力まないから細かいパッセージも指が早く動くようになった。それもこれもモーツァルトのおかげ。そのモーツァルトを果たして電子頭脳は最高の巨匠とみとめるのだろうか。訊いてみたい。

モーツァルトを最高の作曲家と認めるかどうか、認めるならどんな理由でそう考えるのか。モーツァルトはシェーンベルクに先駆けて12音での作曲手法を使っていたのだそうだ。となると、彼の脳みそは電子頭脳顔負けの高さだったのかも。この先一体この世界がどうなるか。残念ですが私に残された時間は少ない。この先なるべくボケないようにして行く末を見届けたい。




2023年5月11日木曜日

夜明けの地震とChatGPT

野良たちの朝は早い。午前4時はもう朝食の時間なのだ。毎朝爪でガラス戸をカリカリと引っかく音がして少しだけ開けてみると、しまとら様のご入場。偉そうにしっぽを立てて「めし」と一言。下女はいそいそとレトルトのキャッツフードの封を切る。お腹がいっぱいになると私専用の椅子に飛び乗って毛づくろい。その間私は隣の物がいっぱいに置いてあって座りづらい椅子の端っこで我慢。仕方がない、ひとは猫にご奉仕するものと決まっているのだ。

その直後地震が起きた。大したことはないと思っていたけれどテレビの地震情報を見ると、私のいる地域の震度は4らしい。ほとんど揺れは感じなかったのが不思議で寝ぼけていたのかときかれればそんなことはない。のらと私はいつも夜明け前に起きるので。 

私の家は普段から地震でもないのによく揺れる。特にベッドに横たわって目を覚ましているときには時々軽く揺れているのがわかる。心配だから出入りの工務店さんに相談したら、この家の構造上揺れるようにできているのですという返事があった。軽量鉄骨というのか、建築中に見ていたら深い地盤に頑丈な鉄骨が埋められていた。保険会社の人が見学に来て「この家は百年大丈夫です」と言っていたので安心ではあるけれど、よく揺れる。地震かと思うとどこにも地震情報が出ていないことがあるので、どうやら家の構造上の特性らしい。今朝は震度4であるにも関わらず、ほとんど揺れなかったのでテレビを見てびっくりした。揺れるときに揺れないで揺れていないときに揺れる不思議な家。

早起きだから近所迷惑にならないように物音がたてられない。パソコンを開いて昨日から始めたChatGPTにアクセス。いろいろな質問に答えてくれる便利なチャットだというのでアカウントを開設してさっそく質問を始めると、答えが返ってくる。今のところ初心者なのでお仕着せの質問をしてみる。質問例が数個。その中の量子コンピューティングとはなんぞや?を選ぶ。すると答えがすぐ始まったけれど、切れ切れに文字が現れて改行、現れては改行。らちがあかない。実は昨日もある質問をしておいてこんな状態だったのでパソコンを閉じてしまった。

昨日の質問は、楽しい生活を送るにはお金の他にはなにが必要?というものだったけれど、質問直後に今朝のような切れ切れ応答だったからそのまま放っておいた。今朝パソコンを開いたらちゃんと立派に常識的な答えが戻ってきていた。あまり常識的な答えなので笑った。もう少しウイットに富んだ回答があると思ったけれど、まあ、こんなものかな。そのウイットこそが人生に一番必要と考える私は世間では常識はずれと言われるのだ。

今量子コンピューティングについての回答をせっせと送ってくれているに違いないチャットさん、朝はやくからご苦労さん。後で開いても私にはちんぷんかんぷんとは思うけれど、そこからどんどん質問していくと進化していくのかもしれない。これは当分面白く遊べる。まさに楽しい生活を送るにはこれはうってつけ。でも回答にはそんなこと書いてなかったぞ。














2023年5月3日水曜日

ある晴れた日に

汽笛が鳴ってピンカートンが・・・ではなく蜃気楼の出現情報がもたらされた。けれど、この素晴らしい休日の数日間は外出の予定はまったくない。車が混む。人があふれる。コロナは誰も言わないけれど、まだそこいらへんにいるに違いない。明日富山湾には蜃気楼の出現が予報されているらしい。今日の夜富山か魚津に泊まれば明日朝しんきろう君が出てくれる可能性は大。しかし富山まで行って日帰りは馬鹿らしい。

それならもう少し待ってゴールデンウイークすぎにゆっくり美味しい魚を楽しみたい。アマゾンプライムの井之頭五郎さんと一緒に食事をとっていると、富山編が出てきて、彼があまりにも美味しそうに食べるので、久しぶりにゆっくり北陸グルメ散歩もいいなと思った。梅雨入り前に行ってみようかと思うので、今週は諦めた。

テレビで毎年この時期、高速道路の渋滞にわざわざ車で乗り入れて実況中継をしている。渋滞なんだから1台でも少ないほうがいいのに余計なことをと思う。本当は休日以前ににさっさと北軽井沢に行っていれば、そこから富山までは新幹線で1時間40分ほどで行ける。だから動ける人はウイークデーに動いたほうが世のため人のためになる。宿泊料金は休日は3倍くらいに膨れ上がり、このような特別な時期は大人の休日倶楽部の割引もなし。貧乏音楽家には痛手すぎる。

なにも急ぐことはないとのんびりしているうちに蜃気楼は引きこもりになって、来年私が見たいようとまた騒ぐことになる。必ずなにか大切な仕事やイベントが入り、結局あそべなくなるから早く仕事は引退したいのに、自分自身の未練と必要性が私を仕事に縛り付ける。それでも好きでないならさっさとやめられるのに、それができないのは心底仕事が好きだから。

やめるやめる詐欺と言われそうだけれど、古典音楽協会のメンバーとして来年からも参加することになった。新しい体制になっても新メンバーを入れるのは難しい。今どき腕のいい若い人はごまんといるけれど、アンサンブルのメンバーになってもらうのは難しい。今までのメンバーとの音楽的な相性とか経済的な問題とか、問題山積。今のところ「古典」ほど仲の良いアンサンブルは珍しいけれど、その仲の良さが裏目にでることもある。今少し私も居残って新メンバーが定着するまではヨレヨレの腕で頑張らないといけない。

もうすっかり心の火を落としてしまっていたのでリカバリーはひどく難しい。先日ソリストの代理でベートーヴェンのソナタを4曲弾き切ったときの疲労感は半端なく、これを来年からもできるかどうかと思うとため息が出るけれど、やらにゃいけんとおもったらやらにゃあなあ。猫と二人で森の中での平和な暮らしは一歩後退してしまった。来年私は蜃気楼どころでなく心気勞になって傘寿を迎えるらしい。優秀な若者たちに新しいメンバーになってほしい。我と思わんものはいないかしら。

1ヶ月くらい前からダイエットに踏み切った。足の痛みはそもそも体重超過のサインだから、減らせば痛みは軽減すとはわかっていた。けれど美味しいものに溢れ、暇はある、となればよく食べよく眠るは当然で、ここ数年来の体重の維持が難しくなり、一気にせきを切ったように体重が増え続けた。しかもストレスがひどかったために加速度半端なくて。

考えたのは海藻類、きのこ類の助けを借りての整腸効果をねらったダイエット。これらのデトックス効果とビタミン剤、食事回数の軽減などでじわじわと減らしていく計画。1ヶ月でやっと1キロの減量。吹けば飛ぶような値だけれど、これで数ヶ月で3キロほどじわじわと減らせばずいぶん体も楽になる。ただし、ストレスにめっぽう弱い私としては、ほんの少しの刺激でもあっという間にむちゃ食いになりそうで怖い。減らすのは大変増えるのはあっという間。

マーク・トウエーンが「禁煙は簡単だ。私は何回もできた」と言ったそうで、私も言いたい。「ダイエットは簡単だ。私は数え切れないほどできた」








 

2023年4月28日金曜日

恐怖の原因

先日北軽井沢に行ったとき、私の相棒である老猫の異常な恐怖体験を目の当たりにした。

今回も 素晴らしい天気に恵まれて気分良く山荘に到着、先日都内のスーパーで買った素晴らしくきれいな紫陽花の株を3本持参して行ったので、到着するやいなや長靴に履き替えてせっせと庭仕事。最近はすっかり道具を使うのにも馴れて穴掘りも上手になった。やっと3本のあじさいを植え付け、アザレアも2本追加。だんだん花が増えて明るい庭になってきたのを外側から眺めて満足。数日後には天候が崩れて雨模様らしいので、水やりも助けられる。よしよし。疲れていたので早く寝たのに、夜中に猫がやけに騒ぐ。

翌朝目覚めるとすぐに庭へ。でも、ああ、何たることか、すばらしく美しく咲き誇っていたあじさいが見る影もなくしおれて花は茶色になって首をたれている。葉っぱもだらんと垂れ下がり息も絶え絶えの様子に言葉を失った。そういえば夜になってから気温がぐんと下がったので家中の暖房をつけたのを思い出した。

庭には暖房がないからそのまま新参者のあじさいは凍えてしまったのだ。だいたい自宅と山の家の気温の差も考えずに初夏の花のあじさいを直植えするなんて、気違い沙汰だった。植物になれていないと言ってもこのくらいのことも考えないなんて。バカバカ!

次の日追分の友人の家にいくと「なんでも失敗しながら学んでいくのよ」と慰められてしおしおと帰ってきた。私の得意分野は動物。植物はどうも気持ちがわからない。疲れと気落ちしたのとで寝込んでしまったけれど、少し眠ると猫がやかましく泣き叫ぶ。山の空気がいいから元気に鳴くなあなんて、これも見当違いの考え。猫は玄関の上がり框と室内の間にあるガラスの戸の内側から靴箱の方を向いて大声で叫んでいる。多分ガラス戸に映る自分の姿に向かって吠えているのだろうと思った。でもいつものことなのになんで今回こんなにうるさいのかしら。

今回もこの森の中の一軒家に一人ぼっち。周囲の家は見事なまでに真っ暗で外を見るのも怖いくらい誰も来ていない。多分大型連休が始まるとドッと人が押しかけてくるだろう。お隣さんも連休明けから来るつもりだと思うので窓から眺めても無人の家はうつろに見える。そして夜な夜な猫が泣き叫ぶ。日毎にヒステリー度がましてくる。ほとんど半狂乱の体だからほとほと困った。数日間我慢していたけれど、ある夜中に泣き喚かれたときに帰宅する決心をした。こんなに鳴くということは体の何処かが痛いのかもしれない。もしかしたら重大な病気かもしれない。もし治療するとしてもいつものかかりつけの病院なら猫も安心する。

実は北軽井沢の家の近くに有名な動物病院があって、近隣だけでなく様々な地方から患者が押しかけてくるらしい。でも治療が長引いたら自宅付近の病院がいい。そこでまだ大声が出るくらいの体力があるうちに帰宅しよう。たくさんトマトを頂いて自分の冷蔵庫にしまおうとしたら、先住者のトマトが10個くらいあった。いくら冷蔵庫とはいえ次に何日にこられるかどうかわからないからここにおいておくわけにいかない。それで丑三つ時、トマトを剥いては鍋に放り込みひき肉や玉ねぎと一緒に煮込んでトマトソースを作り小分けして冷凍する作業に没頭した。

荷造りは何でもかんでも車に放り込めばよし。ところで一体猫は何に怯えていたのか原因はなにか。ふと気がついたのは、玄関のスリッパを入れる棚の上に木彫りのふくろうがおいてあること。この家を作った工務店の社長の義理のお父さんの趣味の作品で、大きさはかなり大きめの猫くらい。私が表札がなくて誰か作ってくれないかしらと愚痴ったら、これはどうですかと持たせてくれた。表札にはあまり適当ではないので靴箱の上に置きっぱなしになっていた。それがちょうど猫が上から見下ろしているように、うちの猫には見えたらしい。

そのネコモドキふくろうを隠したら猫はピタリと鳴き止んだ。なーんだ、彼女の恐怖の体験はこれが原因だったのだ。なるほど、猫にしてはかなり大きな猫のようなものにじっと見下されて、猫はどれほど怯えていたことか。早く気が付いてあげないで悪かった。しかしその御蔭で夜な夜な叩き起こされた私の身もなってほしい。その後猫と私は寝不足を取り戻すために眠り続けた。

あんな大声が出せるなら我が家の婆さん猫は当分生きられそう。私のほうが先になったら皆さん彼女をよろしく。汚なくて気難しくてヨボヨボですが、あれでなかなか愛情深くかわいいのですよ。






2023年4月20日木曜日

相棒

私の相棒はもう普通の猫の領域を超えて本当ならとっくに天国に行っているはず。猫の天国ってどんなところかな?一時期もうだめだと思ったこともあった。餌が喉を通らなくなって毎週のように点滴に通った。その後高齢猫用の餌に変わり、今は介護用餌。水分が多いから水を飲むように食べられる。それでまた元気を回復した。今はそれも時々喉を通らなくなった。

シニア用の餌も噛むこと飲むことができなくなった。固形物を受け付けなくなってきている。いよいよかなあなんて勝手に決めていいると、時々びっくりするほど張りのある声で私を呼ぶ。こんな声が出るならまだ大丈夫とややホッとしてやや迷惑で、でも生きていてほしい。例えば北軽井沢の森の中でたったひとりでいるのは心細い。猫でもいいから温かい血の通った生き物と暮らしたい。話しかけるとじっと視線を上げて見つめてくる。まるで会話の内容がわかるかのように。私の年齢からいうとこの子が最後の猫になる。もうこれ以上は自分の寿命を考えると新しい猫は飼えない。通いで毎日我が家に来る猫はいる。でも彼女は自由猫。あちこちに餌場と寝床があるらしい。ノラにしては本当にきれいだから。

汚いのはうちの猫。毛づくろいもしない、ブラシをかけられるのを嫌がる。食べ物のかすを首の下のエプロンの部分にくっつけたまま。爪は切らせない。切ろうとすると大暴れ。ひと月に一度は猫と私との死闘がある。大暴れの末、爪切りが終われば何でもなかったように可愛らしくひたと見つめてくる。その目も白内障みたいになってきた。私の足が弱ってきた頃、彼女の足腰も危うくなってきた。同じように年をとって生き延びるのはどちらだろうか。

猫の最後を看取らないといけないから私のほうがほんの少し長生きしないといけない。先日知人が「年をとると生きているだけのことに大変な努力がいるのね」としみじみと言った。本当ね。こんなに大変だとは想像もつかなかった。足の治療はずっと続けているのにまだ階段がまっすぐ降りられない。横向きのカニ歩きで手すりを伝って降りる。どんなにおしゃれをしてもこれでは台無しだから早く治したい。

整体、ストレッチ、リハビリ、筋トレ、高周波治療などなど。何をやっても膝は痛い。もしかしたらストレスによる痛みかもしれない。今まで痛めた部分を神経が覚えてしまって、そこをトリガーポイントというらしい。ストレスを感じるとその部分に傷がなくてもそこが痛むということがあるらしい。私はある問題を抱えていて、それが解決しない限りそこの痛みがなくならないのかもしれない。

団体のお金を扱っているうちに自分のもののように思えてくるのはよくあるケースらしい。しかしそれがバレても平然としていられる神経を私は憎む。嘘を重ねても平然としている人は、宇宙人のように見える。すぐにバレるに決まっている見え透いた嘘なのに。そういう人は脳内にヘドロが詰まっているに違いない。どんなに上品そうに振る舞っても必ず見抜く人がいる。私は見抜ける人だからそれがわかるけれど、中には見抜けない人がいて私を嘘つきだと思って信用しない。それが一番つらい。そのストレスが膝に来ている。

悪いことは必ず表面に現れてくるものだから、実際ほとんどの人がもう理解している。結果ずる賢い人は誰からも相手にされなくなってきた。こんな輩なら猫のほうがずっとまし。