2017年12月31日日曜日

さて来年は

ここ数年健康診断を受けていないからどこか悪いところがあるかもしれないけれど、健康状態は自己診断では良好。
多少(?)メタボチックかもしれない。
コンサートの準備に追われていた半年ほど前は少し痩せて、服のサイズが一段下がった。
それで慌ててサイズの小さい服を買ったら、なんのことはないすぐに太って元の木阿弥。
今や以前にもまして体重増加の一途を辿っている。

この「元の木阿弥」の意味はご存知かな?
一旦良くなったものが元の状態に戻ることをいう。

戦国時代、大和郡山の城主、筒井順昭が亡くなった。
息子の順慶はまだ幼少だったために、順昭に姿が似ている木阿弥を替え玉にして寝室に寝かせ、城主の死を隠した。
3年後順慶が成人したために順昭の死を公表し、木阿弥は御用済みとなり、元の木阿弥に戻ったという説が最も有力とされる。

それではもう一つ。
「呉下の阿蒙にあらず」

「呉下の阿蒙」とはいつまでも進歩しない人のこと。同義語は「旧態依然」

中国の三国志の時代、呉の武将の呂蒙は武勇一点張りだった。
呉の主の孫権は彼に武勇だけでなく学問も修めたほうが良いと助言した。
主人の助言に従って猛勉強した呂蒙は高い教養と見識を持つに至る。
彼は「日々努力をしているものは3日も会わなければ目をみはるほど進歩をするものだ」と言ったそうで、そこから「呉下の阿蒙にあらず」すなわち呉のおバカちゃんではないと言う言葉が生まれたという。

この2つの言葉をつなげると私になる。
ただし、呉下の阿蒙のほうは「あらず」が付かない。

太るとウエストがきつくなって服が着られなくなるのを良く知っているのに、せっかく痩せても甘いものが我慢できずに太り、元の木阿弥。
それで「(呉下の)阿蒙」である。
阿蒙(蒙はバカ、阿は~ちゃん)要するにおバカちゃんとでもいう意味だそうで。
何回ダイエットしても又太る、ああ、もう、進歩のない人は私です。

こんな言葉遊びをするほど今は余裕綽々。
普段遊び呆けて、本番が近くなると真っ青になって練習すると言うところが「阿蒙」
これで、日々着々と練習を重ねていれば3日も会わないと目をみはるほど上手くなるなんて夢のまた夢。
何十年練習してもド下手のまま。
自分でもため息が出るほど進歩がない。

今年はまだこれでも頑張ったほうです。
体力、気力ともに衰える年代になって、なんとか演奏を続けている。
その代わり、疲労困憊。
やっと復活してそろそろヴァイオリン弾くか、なんていうのはここ数日前から。
3日も会わないと進歩に刮目するなんて、一度でいいから言ってみたい。
言うだけならタダだから言っても良いけれど、恥る気持ちはまだ多少残っているので今は言えない。
何を言っているか自分でわからないほどボケたら、その時に大いに吹いてみよう。

さて、今年一年皆様には本当にお世話になりました。
このグダグダした拙文を読んでくださってありがとうございます。
自分だけの日記のようなものとはいえ、やはり読まれるのは嬉しいものです。
どなたが読むかはわからないので時々フェイクを入れるので、わかりにくいことがあるかもしれなせん。
来年もまだ書き込みできそうなので、時々このページを覗いてみてください。

それではごきげんよう、良い年をお迎え下さい。


らいねんもよろしくおねがいします。
僕達頑張りますワン!







 





















2017年12月29日金曜日

きな臭い

毎日朝のテレビは貴乃花親方と相撲協会のバトルの報道ばかり。
他になにかニュースは無いのかと思う。
しかもどの局も一斉に延々と。
あまりにもその報道ばかりでちょっと勘ぐりたくなるのは、なにかきな臭いことが陰で行われていて、それを隠蔽するための放送情報操作では?と。
今北朝鮮の木造船が続々とやってきている。
日本の海は不穏な空気なのに、呑気に相撲界の内輪もめばかり。

モンゴルという国が絡んできているので、図らずも国際問題になるのではと心配もするけれど、今は相撲より北朝鮮とアメリカ、中国の動きのほうが怖い。
相撲を国技というけれど、私はほとんど興味はない。
このグローバルな時代に国技と言う閉鎖的な体質もなんだかピンとこない。

森友加計学園問題はどうなったの?
安倍さんはとても良い人だというけれど、良い人が身内にばかり向かうと良くないことになる。
損するのは国民ばかり。

ここ数日、相撲のことばかりきかされてうんざりしてテレビは見たくない。
貴乃花親方のちょっと飛んでしまっている目つきを見ると、気味が悪い。
言うべきこと言わないでなにを気取っているのかと思う。
相撲協会側は古い体質だと思うし、改革したいというのならちゃんと物申さなければどうやって改革するの。
名門の貴乃花には弁護士や著名人の陰のブレーンが沢山付いているだろうに、こんなに紛糾させて何が狙いなのか良くわからない。
私は単純で直球しか受け付けない性格なので、見ているだけでイライラする。

日本人は・・特に男性は議論より沈黙が美徳と思っていない?
きちんと話し合わなければわかるわけない。
物事は単純にすればするほどうまくいく。
と、私は思う。
皆で猿になろう!

さて、バカばっかり言って今年も残すところあと僅か。
今年は物事があまり上手くいかない年だった。
気持ちが落ち着かず忙しいばかりだったけれど、やりたいことはやってのけたし、トータルでは中々充実していたと思いたい。
特に最後の3ヶ月は地獄のストレス。
顔が別人のようになった。
ブツブツシミのもとが発生。
ストレスで肌荒れが酷く、驚くほど体に影響が出るものだと思った。

それが一段落して今落ち着いてくると、なんだか物足りない。
根っからの修羅場を好む性質だと思う。
又仕事始めようかな~なんて、考えたりして、いやいや、始めたら又シミが増えるからやめたほうが良い。
今年最後のイベントの忘年会も終わって、ぽかんと気の抜けた状態でお正月を迎える。

今年も喪中で、この数年間喪中続き。
毎年兄弟がすくなくなっていく。
姉がしみじみと「兄弟がたくさんいてすごく楽しかったけど、こんなふうに欠けていくとさびしいものだわね」と言う。

それは仕方がないことで、私は末っ子だから順番からいくと最後に残る。
母が私の兄姉に「この子は末っ子で親と居る時間が少なくてかわいそうだから、皆で面倒みるんだよ」と言っていたけれど、その兄姉たちもそろそろ危ない。
私は子供の頃から一人でいるのは苦にならない。
それでもなるべく来年は皆無事であってほしい。
友人たちも元気でいてほしい。

楽しみな冬がやってきて、白銀が招く。
北風が待ち受けている。
最初のスキーは北海道。
お正月の志賀高原はパスするので、猫と2人でまったりと過ごす予定。
お正月といえばこたつにミカン、あいにくわが家に畳の部屋はない。
百人一首や福笑いで過ごしたお正月は、遥か昔のことになってしまった。
来年が平和な一年でありますように心から祈っている。

それにしても北朝鮮の人民はかわいそう。
エリートのはずの国境警備隊ですら、栄養失調。
逃亡して銃撃された人は無事だろうか。
遭難した木造船のなかの遺体の胃からは、トウモロコシしか出てこなかったとか。
先年旅行したチベットの人たちのあまりの貧しさと諦めきった無気力さに涙したけれど、それを上回る悲惨さは気の毒すぎて言う言葉もない。
こんなことがほんの目と鼻の先の国で行われているとは。

日本は今のところ、どこの国よりも平和だと信じたい。
相撲だ不倫だとテレビは連日はしゃいでいるけれど、ほんとうのところはどうなんだろう。
楽天的と思っている自分でも心配する雰囲気が感じられるのは、なぜかな?


















2017年12月24日日曜日

リハーサルと称する飲み会

昨日246号線を走っていると富士山が綺麗に見えた。
手前の大山連峰も稜線がくっきりと青空に浮かんでいた。
今日は曇り空、さぶ~い!
引きこもりが始まって少し太ったのでダイエットと言いながら、次々に誰かしらと飲んだり食べたり。
明日は忘年会コンサートの練習で集まるので、ダイエットは絶望的。

ごちそうはローストチキン。
ピッツァ、キッシュ、柿の葉寿司など。
食べるのが目的ではなく練習・・・ではなく・・・食べるのが目的なのさ。
申し訳程度の練習が終わると、さっそくビールとワインの栓を抜く。
今回は特に飲ん兵衛のソプラノが一名。

買い物に行くのにクーラーボックスを持っていこうと蓋を開けたら、中にワインの空き瓶がどっさり入っていた。
前回集まって飲んだ後、ゴミに出すのを忘れていた。
なんとまあ、良く飲むこと!

ワインはいつもピーロートジャパンから送ってもらう。
担当のA女史からしょっちゅう電話が来る。
「今回はね、私達試飲してみましたが、ほんっとに美味しかったのでぜひご紹介しようと思いまして」
「めったにない出物です。このワインがこの値段で出るということは稀ですので、いかがでしょうか」
このようなセールストークが実に上手い。
長年の付き合いなので、お互いに駆け引きが上手くなった。
私自身はあまり飲まない方なので、必要ないんですが。

お花見や忘年会の練習やらで人が集まってくるから、つい嬉しくなって振る舞い酒をしたくなる。
皆それほど飲むわけではないし車で来た人は飲まないけれど、皆さん飲み会は大好き。
お酒が飲めない人はノンアルコールビールかジンジャーエール、ウーロン茶。
飲める人は楽しそうにくだをまく。
飲めない人は彼らの酔態を見て笑っている。
それぞれの楽しみ方をわきまえている大人の集団だから。

コンサートの時の練習は本当に真剣勝負だけれど、忘年会の遊びとなればゆるーく練習して、当日は会則にのっとって、間違えたりコケたり。

雪雀連のコンサートの会則は厳しく決められている。

真面目に演奏してはならない。
数回は間違えないといけない。
聞き手はなるべく演奏の邪魔をする。 等。

皆お酒を片手にやいのやいのと囃し立てながら、冗談の演奏を楽しんでいたのに、そこは根が真面目。
そのうち冗談でなく真剣に弾く人が現れ、こうなるともう面白くはない。
なんだかアカデミックになってきたから、今回は初心に戻ってふざけないと。
けれど、いつもの演奏もふざけているように聞こえるらしく、多少ふざけても効果はない。
あら、いつもと同じじゃないと言われそうなのが、残念なところ。
アハハ、てなことは流石にないか。いやいや、ありそうな話。

ニューヨークフィルとダニー・ケイ共演の抱腹絶倒のビデオがある。
両者のスキルがものすごく高くて、こういう人たちだから冗談が本当に面白いのであって、私が多少ふざけても多少真剣に弾いてもあまり変わりがないと、なんだか惨めだなあ。
来世は手にヴァイオリンを持って生まれてこよう。
歩くより早くヴァイオリンが弾けますように。

でも生まれ変わったら猫になっていたりして。
そうよ、物事すべてそう上手く行くわけはない。
天才になったらなったで、とてつもない苦労が待ち受けているに違いない。
凡庸で穏やかな今の状態が1番幸せなのかもしれない。


















2017年12月21日木曜日

忘年女子会

かつての同級生・・・今も同級生。
集まれば学生時代にRewind!
今日は荻窪の豪邸の主Oさん、先日デュオコンサートで一緒に演奏したSさん、府中に住む美貌の持ち主のNさん。
そして信楽焼の子狸そのままの私。
こう見るとなんかアンバランスだなあ。

この3人は学生時代から優秀で、底辺で喘いでいた私には高嶺の花、長年演奏を続けていたおかげで残ったメンバーに入れてもらえたというわけ。
国立(くにたち)音大は本当に良い学校だったと思うのは、卒業生が未だに皆助け合っていること。
他の大学の人達が羨ましがる。
M音大の人は、私達の学校ではこんな友達はできなかったと言うし、某国立(こくりつ)大学の人は、私の友達はみんな国立(くにたち)なのと言うし。
仕事場でも人間関係が上手くいくのは我が校の卒業生。

なぜなら学校全体がくにたちボケといわれるように、ほんわかしている。
私は人に遅れること5年以上ヴァイオリンを始めたのが遅かったから、他の大学に行っていたら潰されたと思う。
音大付属高校も入れるレベルではなかったけれど、幸い筆記試験と性格判断テストが良かったらしい。
私が良い成績を取れるテストというのはなんだったのか、たぶん粘り強く諦めないところと集中力を評価されたのだと思う。
粘り強さは未だにヴァイオリンを諦めないことで実証されたと思う。
逆に言えば、ダラダラといつまでも他にすることがないし~なんて言いながら、惰性で生きているということかもしれない。

ひとより遅く始めたので、大学を卒業してからが勝負。
その分長く弾き続けないといけない。
ヴァイオリンという変幻自在な楽器が、私の性格にぴったりだったとも言える。
増々難しく面白くなってきている。

そんなわけでピアニストの3人と異質な私が、未だにつるんでいるというわけ。
今日は定例の弾きあいではなく、忘年会ということで演奏はなし・・・と思ったら真面目なSさんが「ねえ、チャルダッシュ弾かない?」というので渋々弾くことに。
チャルダッシュは私達の「雪雀連」の忘年会でSさんと弾く予定だった。
それは年末なのでまだ練習もしていなかったから、今日はぶっつけ本番。
怠けに怠けていたから指が回るかしら。
それより音が出るかどうか。

友達と言えども彼らは音大のプロフェッサーたち。
厳しい耳が養われているから、けっこうな緊張がある。
終わったらOさんの家の近くの中華料理店で乾杯。
このお店は注文、調理、会計まですべて店主が一人でこなす。
素材が新鮮で味が良い。
その手際の良さったら、続々と客が入ってくるのにほとんど待つこともなく、次々と運ばれてくる。
しかも安い!
私達の大のお気に入りで、宣伝すると店主だけでは手が回らなくなりそうなので教えられないけれど、ぜひ一度どうぞ!なんて。

今日は私達が4人で6人掛けのテーブルを占領していたので、あとから来た6人家族のお客さんが腰掛けられず、断念して帰っていった。
申し訳ないことをしたけれど、私たちは家でメニューを決めてきたから次々と効率よく料理が運ばれてきて、満腹で満足。
このお店に来るために最近の弾きあいは、Oさんの家ですることが多くなった。

食後、高級住宅地を散歩がてら、イルミネーションを見にいった。
閑静な住宅街に立つ瀟洒な家、絵に描いたようなきれいな街。
突如キラキラ輝くイルミネーションが現れた。
良く見ると、1番はじは電気屋さん。
その奥とその手前の家が3軒まるごと輝いている。
この電気屋さんが手掛けたものと思われる。
1軒だけなら普通だけれど、3軒続きのイルミネーションはすごい!





















2017年12月19日火曜日

兄のすき焼き

去年連れ合いを亡くしてしょんぼりしているかと思ったら、一人で残りの人生を楽しんでいるらしい兄から、すき焼きを食べさせるからおいでと言ってきた。
基本的に私の家系は陽気なほうなので、兄も最愛の奥さんがなくなっても自身のガンと戦いながら、チェロを弾いたり絵をかいたりしている。

男やもめになんとやらと言うから家の中は大丈夫かな?と思っていたら、家中ピカピカでチリひとつ無い。
台所の抽斗の中も整然と物が整理されていた。
いやはや恐れ入りました。
壁いっぱいのCDやレコード、書斎には本がぎっしりと、それも背表紙が見事に揃って、これが同じ両親から生まれた兄とはとても思えない。
自慢じゃないが・・・私の家は乱雑で物が毎日散歩に出るから、一日中捜しもの。
兄の家は、どこに何があるか一目瞭然。
そう言えば私は橋の下で拾われた子だとか、よく兄姉たちにからかわれて泣いたものだけど、あれはひょっとして本当のことだったのかしら。

長兄は総領息子として母から大事に育てられた。
マザコンの典型だと思っていた兄が嫁さんをもらった途端、母は自慢の息子のそばをすっと離れて兄は嫁さんべったり、二人共子離れ親離れをしたので皆驚いた。
大家族に嫁いできた義姉は嫁いびり覚悟だったと思うけれど、そんなこともなく(私が気がつかなかっただけかも)平和な家族だった。
とても仲が良かった兄と義姉だったけれど、兄は妻に先立たれてもマイペース。
家事一般、掃除、料理も出来る。
主夫の鑑。

家はほんの5分位の距離。
行くとテーブルはすっかり支度が出来ていて、さっそく美味しいすき焼きをたらふく食べて、お茶を飲みながら戦時中の話を聞いた。
細かいことまで良く覚えていて、焼夷弾が落ちて家が焼けそうになったのを消し止めたとか、田んぼの真中でB29に低空飛行で脅されたとか。
兄は自分がもう少し早く生まれていたら、特攻隊に志願していたかもしれないと言う。
知覧の飛行場に、特攻隊の家族への最後の手紙が展示してあるらしい。
もう少し戦争が長引いたら僕もああなっていたかもしれないと。
戦死する前に戦争が終わって良かった。
亡くなった若き戦闘員たちのことを思うと、涙がとまらなくなる。
しかし兄と戦争とはどうしても結びつかない。

兄弟というのは生まれた順番で性格が変わる。
長男ともなると家を背負い、両親、兄弟、姉妹を守るという役目が背中にかぶさってくる。
私のヴァイオリンも兄が習わせてくれた。
今の私があるのはこの兄のおかげ。

兄の料理上手は、会社を定年退職後静岡の大学で教えるために単身赴任した時に始まる。
一人暮らしなので学生がしょっちゅう遊びにくる。
彼らに食事をさせ、ついでにタヌキにも餌付け。
可愛がっていたタヌキが車にはねられて死んだときは、悲しかったよと言っていた。
今膀胱がんの術後の治療中で、その病院に可愛らしい看護婦さんがいるんだよとニコニコ。
おやおや、お義姉さんが亡くなって間もないのに、ほんとうに男ってやつは・・・
兄の治療には危険な菌を使うので、看護師は防護服を着るのだそうだ。
看護婦さんはとても小柄なのでその服がブカブカ。
普通の人がウエスト辺に来るベルトが腰のあたりまで来て、それでよたよたと駆けて来るのが可愛くてね~。
そうか娘を見ているようなものかな?
私も小さいからそれで可愛がってもらえたのかも。

帰り際に来年もよろしくと言ったけれど、私よりも11歳も年上だからいつまで元気でいてくれるのかしら。
来年の暮にもこうして一緒にすき焼きがたべられたら嬉しいと思う。

















2017年12月15日金曜日

鬱だと言いながら

くたびれて鬱だと騒いでいる割には、ヒョイヒョイよく出かける。
今日は調布市西部公民館主催コンサートを聴きにいった。
調布在住の友人Iさんが、こんなコンサートがあるわよと教えてくれた。

今年の秋に、私は日野に住んでいる友人Hさんと、プロコフィエフのデュオを弾く約束をした。
私が特に忙しかった11月の後半が過ぎたらということで考えていたのが、疲労困憊で譜読みもままならない。
ぼんやりしていたらもう1ヶ月も過ぎてしまった。
その話をIさんにしたら、それならもうすぐ調布でプロコフィエフを弾く人がいるから聞いてみる?と教えてくれた。

調布は久しぶり。
以前は時々グリーンホールへ仕事に出かけることもあったけれど、最近はとんとおよびがない。
行ってみたらすっかり様変わりしていた。
整頓された小奇麗な町並みに変身。
今日はグリーンホールでなく文化会館の大会議室で、昼間の1時間ほどを市民のための無料コンサートに開放していた。
私は市民ではないけれど、Iさんが住んでいるお陰で潜り込む。

江口有香 ニュージーランドから
     ふるさと調布へ音楽の架け橋

ヴァイオリン・デュオ  共演者は田島華乃

エルガー:愛の挨拶
プロコフィエフ:2つのヴァイオリンのためのソナタ Op.56
グリエール:2つのヴァイオリンのためのデュオ   Op.49
ヴィニアフスキー:エチュードカプリス  Op.18-4

会場は会議室で講演用の音響の悪いステージ。
気の毒なくらい残響もない。
しかし、お二人の若き(微妙)ヴァイオリニストは美しくハモッて、非常に素敵だった。
江口有香さんは現在ニュージーランドで活躍、曲の間にニュージーランドの話をはさみながら楽しい1時間はあっという間に過ぎてしまった。

プロコフィエフのデュオソナタは合わせるのが非常に難しい。
例えば♬♬みたいな音形をバラバラにして二人に弾かせる。
一人で弾けばなんなく弾けるのに、二人で弾くとほんの僅かなズレでもいびつになってしまう。
しかも早いテンポで弾くとわずかに遅れたり早かったりが命取り。
今日の二人は悠然とクリアしていた。
それには二人のレベルが同等であることと、リズム感の良さが不可欠。

私はこの曲は今まで2,3回弾いているけれど、もう少し磨きをかけたい。
それで、古いオーケストラ仲間のHさんと、何年かぶりに合わせる約束をした。
いやいや、何年どころではなく、何十年になるのかなあ。

調布にお住まいのIさんは聴きに来ないと言うから、仕事か用事があるのかと思っていたので終わってすぐに帰宅した。
家に着いてお礼の電話をしたら、なんと会場まで2分位のところに住んでいるのに、聞きたくないから行かなかったと言う。
あら、もううちに帰ったの、寄ってくれればいいのにと言われてポカーン。
なーんだ、そういうことだったの。
前回のコンサートの演奏者がえらく力んで聞き苦しかったそうで、今日の人がそんなにうまかったら行けばよかったと言う。

若い人の中にはテクニックがあるのに力みすぎ、これみよがしに僕上手いでしょう?をアピールする人もいる。
まあ、坊やお上手ね!パチパチ。
そういう演奏は聞きたくないのはわかるけれど、毎回同じとは限らないので来ればよかったのに。

昼のコンサートだから来られる人は限られる。
当然高齢者、子供連れの主婦。
その中に多動児(爺)がいて、会場にはいってくるなり大声で顔見知りに話しかける。
話しかけられた方は恥ずかしそうに避けている。
避けられても意に介さず、落ち着かない素振りであちこち視線を彷徨わせ、プログラムの紙をガサガサいわせる。
どこにでも一人はこういう人がいるけれど、困ったものだわねえ。
あまりうるさいようだったら「いい年して1時間位じっとしていられないの?」と注意しようと思ったけれど、流石に演奏中は黙っていた。
しかし動作が落ち着かないので、なんか邪魔。
足を組んだり投げ出したり傍若無人。
過去にどんな社会生活を送ってきたのかしら。




















疑似鬱

今の私の状態は鬱。
今年一年頑張りすぎた。
特に春から11月の半ばまで自分のキャパシティーを越えた活動。
疲れ果てて何も出来ない状態が続く。
鬱になるのは必然なので、全面的に受け入れる。
鬱状態になったらどっぷりと浸かることにしている。

私は何年かに一度くらい、こんな事になる。
その時にジタバタしない。
うつ病の人は基本、真面目な人が多いと思う。
体が動かなくなってもなにかやらねばと、気持ちが急く。
そうなると悪循環。

そうなったら神様から与えられた休息だと思って、怠ければ良い。
幸い、私はナマケモノのオーソリティー。
私の理想はオオナマケモノになって、木にぶら下がって1日1センチ移動すること。
遊ぶ、怠けるは私の得意分野。
いくらでもじっとしていられる。

これがあるから、活動するときには目一杯出来る。
目一杯活動して休まなければ人間は壊れる。

私のいけないところは、回転し始めると壊れる寸前まで頑張ってしまう。
何事も我慢しないから歯止めが効かない。
これは覚悟の上だけれど、年齢的にはもう危ない。
若い頃とは違うと自分に何回も言い聞かせる。
しかし、世の中には年齡を言い訳にしない非常にタフな人たちがいる。
そういう人がいるからと言って、自分がそう出来ると思ったら大間違い。
分をわきまえないといけない。
周りも迷惑。

今は自宅で入院していると思って休みたい放題。
仕事をしていた頃の忙しさを乗り切るスキルがあるから、食事の支度も朝のうちに済ませて夕食の支度はものの10分もあれば出来る。
ちゃんとバランスがとれて量もたっぷりのご飯が出来る。
これは私の数少ない特技。
そのかわり整理整頓は思いっきり苦手。
明日で済むことは明日にまわす。

ちゃんとした人なら苦手の分野も頑張るだろうけれど、あいにく私は甘やかされ放題で育ったから、やりたくないことはやらない。
母は私が食べたくないと言えば食べなくていいよと言うし、学校に行きたくないと言えば行かなくていいよと言う人だった。
別に学校が嫌いだったわけではなくイジメもなかったけれど、勉強は家で兄姉から仕込まれてなに不自由なく、子供が嫌いだったから行ってもつまらない。
母が唯一許さなかったのは同年齢の子達と遊ばないことで、引きこもってレコードを聞いたり本を読んだりしていると家から引きずり出されて近所の子の家に連れて行かれた。
行くとすぐに私は帰ってしまう。
変人に育ってはいけないと思ったのだろうけれど、今、私は沢山の友人に支えられているから、母の思いは杞憂だった。
それに変人は少しも悪いことではないし。

今に始まったことではないけれど、学校でいじめが多いのは、均一の型から溢れることを良しとしないからで、子どもたちは窮屈。
個々の多様な発達状態があるのに、それをまとめるのは随分無理があるのではないか。
早く発育する子もいれば、ゆっくりと生涯を通してことを成し遂げる人もいる。
小学校から単位制にすれば、さっさと卒業して早く専門の道に進める。
それがしたくない人はノンビリと我が道を。
なんでも一緒でないといけないのは、窮屈。
だから小学校は嫌いだった。

時々子供の時代に戻って引きこもるのは悪くない。
けれど、それはいつでも声をかければ応じてくれる友人たちがいるからで、本当に持つべきものは友。


























2017年12月14日木曜日

アレルギー?

このところ怠けに怠けたお陰でやっと体調が上向きに。
昨日は体もよく動くようになって、ようやく回復かと思ったけれど・・・
徒歩30分ほどの隣町まで、ちょうど良い距離だから散歩のつもりで歩いた。
用事を済ませる頃になんだか鼻水がでてきて、オヤ、変だな。

今朝目をさますとやはり鼻水が。
しまった、又風邪をぶり返したかと思ったけれど、私の風邪は必ず喉にくる。
初めに喉が腫れて、それから咳というパターンのはずなのに喉は一向に痛くならない。
ひたすら鼻水。
これって、もしかして花粉症の一種?

昨日は暖かく風もなく気持ちのよい一日だったから、帽子もかぶらずマスクもせずに歩いた。
ただ、目が痒いとか喉がイガイガするとかでなく、透明な鼻水のみ。
しかし今頃花粉症でもあるまいに、なんのアレルギーなんだろう。

隣町は近頃急激に発展して高層ビル群が立ち並び、おしゃれなショッピングセンターが出来て、私の住んでいる雑駁な街とは大違い。
以前は工場が多かった。
焼肉屋とパチンコ屋しかなくて、この沿線一の底辺だったのに、最近はいつでも住みたい街の上位にランクされている。
高層マンションが移転した工場跡地に建って、人口が一気に数万人という規模で増えたので、電車は恐ろしいほど混み合っている。
プラットフォームからこぼれんばかりの人の群れ。

その割にはショッピングセンターも、クリニックセンターも混んでいない。
昨日行ったショピングセンターも閑散としていて、やたらに店員さんたちの愛想が良い。
特に私はチビでちょっとおバカだから保護の対象になるらしく、どこでも親切にしてもらえる。
カードのチャージをしたいと言ったら、手を取らんばかりに器械の前に連れて行ってくれて、至れり尽くせりの説明。
よほど暇と見えて、安もののルーペを買っただけなのに二人でかまってくれて、大騒ぎ。
なんなのさ、これって。
野良猫みたいのが来たので遊んでくれるってわけ?

そして帰りも30分かけて自宅に戻った。
その後鼻水が止まらなくなった。
せっかく咳が治ったのに。
そう言えば昨日は水分を取らなかった。
夕方考えたのは、今日はなにも飲まなかったので脱水状態ではないかと。
乾燥している上に外を計1時間歩いたので、ホコリを吸い込んできたのかも。
免疫力も弱くなっていることだし、外出時にはマスクをしないと危険かもしれない。
やっと今年の疲れがとれて気が緩んでいるのもいけない。

この数日間、なにをしても長続きしない。
ヴァイオリンを出して弾くと、楽譜の1ページくらいで疲れてしまう。
本をよんでも1ページ。
そして一日中パソコンのカードゲームをダラダラと続ける。
脳みそが使えないのだ。
脳は体の中で最もエネルギーを必要とするらしい。

ヴァイオリンなんて子供の頃からやっているのだから、頭なんか使わないでしょうと思うでしょう?
とーんでもない。
練習するときには、自分でもびっくりするほど、すごい勢いでコンピュータみたいにフル回転している。
だから疲れているともう駄目で、今の私の状態は多動児。
ちょっとヴァイオリンに触る。
すぐに嫌になって本をよむ。
鼻をかむ。
すぐになにを読んでいるのか分からなくなって、お菓子を食べる。
鼻をかむ。
又ヴァイオリンを弾くけれど、又本を読み始める。
鼻をかむ。
お菓子を食べる。

パソコンの前に移動。
するとオオナマケモノに変身。
そこで何時間もボーッとしてカードゲーム。
そこそこ脳みそ使うけれど別に面白いわけではなくて、せめてこの位のことをしていないと脳みそが腐ってしまうから。
なにか意味のあることは出来ない。

これは痴呆の前兆かあるいは痴呆に突入か、単に疲れているだけなのかわからないけれど、そろそろ仕事に復帰しないといけないかもしれない。
あと1年位、もう少し好き放題やってから考えよう。
と言うと、今まで好き放題やってこなかったのかと突っ込まれそうで・・・

随分以前の話。
軽井沢の某やんごとなき血統の方の別荘に泊めてもらったことがあった。
その方は、催眠術の研究をしていらした。
面白い実験をして見せてくれたり試験台になったり、性格診断をしてもらったり。
性格診断は「あなたは愛情不足かまたは愛情過剰で育ったために、周りの様子を気にしすぎる。もっと、好きなように生きなさい」とアドバイスされた。
それを友人たちの前で披露したら「あなた!今まで好き放題してこなかったわけ?」と猛烈な反発を食らって撃沈。





















2017年12月9日土曜日

時の運

今世間では将棋の羽生善治さんの竜王永世7冠達成に湧いている。
将棋に詳しくないのでそれがどんなにすごいことかは良くわからないけれど、前人未到ということらしい。
25歳の時にすべてのタイトル7冠で大騒ぎされたときのことは良く覚えている。

私は将棋を指したことがない。
次兄が時々指していたこともあるけれど、覗いてもちんぷんかんぷん。
もっとも彼の好みは碁のほうだったので、白黒の石を並べて難しい顔をして一体なにが面白いのかと思ったくらい。

羽生さんのことを注目するのはその偉業もだけれど、実は私の知人にプロ棋士を目指した人がいるから。
R君という彼は幼少時代、山奥のフリースクールのようなところへ通っていた。
非常にデリケートなので粗野な学童たちと合わず、イジメのようなこともあって理解者に預けられた。
両親は芸術家だから、非常に自由な考えの持ち主だった。
自分たちの息子を型にはめること無く、彼の望みを叶えてあげるよう努力をしてきた。
彼は幼少時代に将棋にのめり込み、プロ棋士を目指した。

そのプロになる昇段試験(こういうのかな?)の時に相手になったのが、羽生さんだった。
しかし、彼は善戦してあと一手?まで迫ったらしい。
なんのことかよくわからないけれど、そうらしい。
でもねえ、羽生さんではね!
もしこれが羽生さんでなかったら、プロになれたかもしれない。
本当に運が悪かった。

R君は穏やかな風貌とおっとりした言葉使い。
しかし、時々眼光鋭くなって、勝負師の目になる(ような気がする)
ご両親ともにとても頭が良いので、彼もIQはかなり高めだと見た。
今は将棋に関係のある職種を務めている。

勝負を好む人は遺伝子で受け継がれるのかもしれない。
彼の父方の祖母が大変麻雀が好きだと聞いている。
90才くらいになっても麻雀をやってのけるらしい。
とにかくIQの高い家族なので。
その嫁さんというのが私の友人で、彼女もお姑さんと麻雀をするらしい。

とても残念なことに、私の母は麻雀や花札はヤクザのするものだと思っていたこと。
家で出来るのは百人一首とカードゲーム。
麻雀はさせてもらえなかった。
大人になってから覚えたので、役も点数も覚えられない。
お正月のスキー場で、年一回だけの麻雀。
そこで覚えても一年経つと忘れる。
パイを揃えるだけで計算も他人にやってもらう。
ほとんど負けないのは運の強さから。
配牌が良いのだ。

ある時スキー仲間の親切な男性Sさんが、私ともう一人の女性Oさんを誘ってくれて卓を囲んだ。
Oさんはおっとりときれいな京言葉で話す。
とても勝負強いとは外見ではわからない。
Sさんは私達初心者のために解説したり助言をしたり、とにかく親切。
場が進むと形勢が、ん?となってきた。
私の手元には常に良い牌が並ぶ。
そしてOさんは見かけによらず凄腕だった。
「あら、私出来たみたい、これでいいの?」
ゆったりと手を公開。

段々機嫌が悪くなるSさん。
Oさんと私がSさんをむしった形となって、終了。
翌朝、食堂でSさんに会ったので挨拶をすると返事が戻ってこなかった。
ふん、肝っ玉の小さい奴め。
男はだからいやなのだ。ハハハハ・・・

Oさんは私と同じくらい小柄で優しげな笑顔の方だけど、頭の良さと肝の座り方は並の男性ではかなわない。
普段、気取らず威張らずだけど、怒ったときは怖い。
穏やかな京言葉でじわりと叱られると、男性でも震え上がる。
普通の高齢の女性だと思ったら大間違い、実は映像会社の社長さん。


ここで竜王永世7冠とは?調べてみた。

将棋のタイトルには
名人 竜王 王将 王位 王座 棋王 棋聖 叡王がある。

2017年新設された叡王以外の7つは、通算5期(名人)連続5期か通算7期(竜王など)それぞれ一定の条件を満たして複数回奪取すれば永世称号が得られる。
羽生さんは今回の竜王戦に挑戦する段階で、6つの永世称号を獲得している。

すごい!



















2017年12月6日水曜日

回復の兆し

とりあえず11月のコンサートの後始末がついたところで、気持ちが楽になってきた。
食欲は旺盛で体力的にはダメージは少ないけれど、やはり自分のキャパシティーを越えた脳みその使い方をしたらしく、思い切りぼんやりしたらやっと回復に向かう様子が見えてきた。
約半年、自分が早くも認知症ではないかと思うほどの判断力の低下、運動機能の劣化をいやというほど味わった。

例えば自転車のバランスが上手くとれないとか。
野良猫の餌を与えるのに、新しいお水を置いたのか古いままなのかわからなくなるとか。
今ここに置いたばかりなのに。
そんな小さなことまで分からなくなった。

今から10年位前にも一度そんな事があった。
あまりにも頭の中が一杯で、楽譜を見ても音と指の関連がわからない。
その時は、遺産相続のために多額のローンがかぶさってきて、死ぬかと思うくらい働いていたから。
睡眠時間は平均3~4時間。
その年齡でこれでは突然死も覚悟した。

ヴァイオリンの高い音は楽譜に書くと、五線から遥かに飛び出てしまう。
加線を何本も書かれるととっさになんの音かわからないから、オクターブ下の音を書いて、オクターブ上の音を弾くようにと指示が書き込まれることが多い。
1番疲れている頃、大晦日の紅白歌合戦の仕事の時に、それが理解できなくなったことがあった。
もちろん一時的にだし、練習してなんとか弾いたけれど、普段なら練習しなくてもすぐに弾ける範囲なのに。

突然死覚悟と言っても、私の場合ひどく楽天的だからなんとか乗り越えられた。
これが思いつめるタイプの人だったらそうはいかない。
とっくに鬱になっている事例。

今年の3月くらいから緊張することが多すぎて、ヴァイオリンの他のことは全く受け付けられなかった。
人の言うことも理解できない。
なんだかぼんやりと、仕切りの向こうからはなしかけられているような。
おそらく私の応答は少し変だったと思う。
これは日常的にそうなので、誰の注意も引かなかったと思うけれど。
とにかく過度の緊張が1番脳に悪い。
リラックスしていればなんなく出来るものが、できなくなる。

今、最近で1番リラックスしている。
そうするとやる気が出てくる。
ところがこれがいけません。
やる気は出さない方が良い。
やる気を出すと緊張が高まって睡眠時間が短くなり、疲労が回復しない悪循環になる。

私は普段、眠りにつくときは殆ど瞬時。
枕に頭がつくかつかないかで眠りに落ちる。
それが今は、猫と会話しながら少しの間起きていられる。
疲れているときは、猫がいることすら気が付かない。
それだけ疲労が減ってきたらしい。

私は修羅場を好む方だから忙しいのは苦にならないけれど、ほどほどにしないと回復に時間がかかる年齡になってきた。
なにもかも、若い頃のようにはいかない。
最近ストレスが多かったので、コメカミから頬にかけてシミが出来た。
これをレーザーで消してもらい、まつげのエクステに行って、エステでお肌の手入れをしてもらってと、ずっと我慢してきたことを計画しているけれど、まだ少し疲れているのと、やる気が出てきたので英語のレッスンの再開をするので時間が足りない。

困ったことは、あれもこれもと欲張る気質は変わらないのに、実行力が弱くなってきていること。
思いついたら即出かけられたのが、今はグズグズしているうちに夕方になってしまうなんてことが多い。
気がついたら人生も夕暮れで、只今きれいな夕焼けの時代。
































2017年12月5日火曜日

後始末

11月3日のコンサートに続いて帝国ホテルでの演奏、引き続いて奥州市のチェロフェスタへの参加、もうヘトヘトで風邪が治らない。
コンサートの収支決算も出来ないくらい疲れ果ててしまった。

私の今までの人生で1番疲れたかもしれない。
根が陽気だからうつにはならないけれど、青息吐息の状態は免れない。
やっとここ数日で体力が少しずつ戻ってきた。

今年は喪中だから喪中のハガキを用意。
それも11月始めの頃から気にかけてはいたけれど、たった数分で終わるのに、お店の前を通っても注文するのも億劫。
いったい私はどうなっちゃたのかしらと思っていると、徐々に回復してきた。
その間、食欲は全く衰えず。
動物病院へ病気の猫を連れて行くと「食べますか?」と訊かれる。
「食べる」と言うと「それなら大丈夫」

そのことが頭にあるから、それなら私は大丈夫と考える。
身の回りを片付けようと思って不要のダイレクトメールや郵便物の整理をしていたら、床中それが散乱して手がつけられない状態。
こうなると「もう、いや!」となって、今ものすごく散らかっている。
ただでさえ整理整頓まるで駄目なので、この先これが整理できるのはいつの日のことかと、絶望的になる。

久しぶりにわが家に来た友人はあたりを見回して「すごく居心地良くなったわね。生活用品が増えてリラックスするわ」と言う。
皮肉とも本心ともとれるような言い方だった。

私のレッスン室は最初は家具が少なかったから、いかにもレッスンするだけの部屋と見えた。
物がない分音響も良かった。
ところがこの頃は散歩から帰って汗ばんだシャツを着替えたりできるように、レッスン室にも着替えがおいてある。
外出する時にすぐに着られるように、コートも置いてある。
それらが皺くちゃの時にすぐにアイロンがかけられるように、アイロン台とアイロンが常時置いてある。

ボタンが取れそうな時、スカートの裾の纏りが解けそうな時にすぐに針と糸が使えるように裁縫道具が置いてある。
お掃除ロボットが2台常時待機しているけれど、何故か掃除は掃除機で。
拭き掃除ロボットが時々活躍している。
食事以外のことがたいてい出来るようになってしまって、生活色が濃くなってしまった。
これはいかん!
其の上疲れたら横になれるようにソファーに薄い布団と肌掛けが置いてあるようになった。
これでは居心地の良い厳しさのない空間が出来てしまうから、生活用品を追い出そうと思う。
やたらにものを買わないように、増やさないようにしたい。

そう思っていた矢先、電子辞書が壊れた(と思った)
今月からハリーポッターの原書購読を再開する。
6巻目に突入。
電子辞書がないとお手上げなので慌ててアマゾンに注文。
壊れたはずの電子辞書が実は生きていたと言うことが判明したけれど、後の祭りで、こうやって不用品が続々と増えていく。

目を瞑って手当たり次第袋に詰めてしまわない限り、物が増え続ける。
本当のこと言えば、自分を袋に詰めて動けないようにしないと改善はされないのだけれど。












2017年12月3日日曜日

混声合唱団フェブリエ定期公演

今日はアマチュア合唱団のコンサートへ。
勝どきの第一生命ホール。
合唱団は人数が多くて、こんな良いホールで演奏できて羨ましい。
私達貧乏音楽家の垂涎の的の第一生命ホール。

このホールができた時内覧会があって、故鳩山寛さんに連れられて見に行った。
音響も良いけれど、楽屋の行き届いた設備には感心した。
こんなところで出来たら良いなあと思ったけれど、その後はご縁がなくて聴きに行くこともなかった。
勝どきは最近めったに行かないけれど、以前は良く遊びや会食で訪れた。
独特の雰囲気と海に近いこともあって、空気の味が違う。

今日の出演者の中に「雪雀連」のメンバーが居る。
ソプラノ歌手は世を忍ぶ仮の姿。
実は凄腕化学者。
今まで薬品の調合を間違えて何人もの犠牲者が出た・・・とは聞いていないけれど。
その実態は、飲ん兵衛。
最近は清濁併せのむだけでなく、人をも飲み込むらしいからお気をつけあそばせ!
女性はある時期をすぎると魔女になるそうで。

さて、勝どき駅から動く歩道で10分弱。
立派な建物にたどり着く。
今日の合唱団の指揮者は島本啓太郎氏
自称オペラ研究家だそうです。

第1ステージ
混声組曲「明日へ続く道」

第2ステージ
日本の歌「増田順平編曲集」
夏の思い出、めだかのがっこう その他 全8曲

第3ステージ
混声合唱組曲「深き淵より」作者 ゆきやなぎ れい

第一生命ホールは大変音響が良いから、ハモって居るときは良いけれどアカペラで音程が定まらないと、もろ聞こえ。
コーラスは音程が命だから、なるべく伴奏がある方が、こちらとしてはありがたい。
もしアカペラで歌うなら、恐ろしく厳しい訓練をしないといけない。
アマチュアは、それぞれ自分の本業があるから、気が狂ったようにコーラスの練習ばかりしてはいられない。
家族のため自分の未来のために仕事に精出すのが先決だから、楽しく歌えれば良いという逃げ場があるのが羨ましい。

全体にはとても楽しめたし、ハモるときはとても良いけれど、やはりなるべくなら伴奏付きでお願いしたいというのが本音。
最後に伸ばした音が段々音程が下がってくると、ほれ、もう少し根性入れて!と叱咤激励したくなる。
しかし、アンコールの2曲は素晴らしかった。
本番の緊張から解き放たれて、楽に歌えばこんなに良いのにと・・・これは私達も同じなのであまり偉そうには言えないけれど。

時々メンバーの数人がひな壇から降りてきて、短いソロを歌う。
これは良いアイディアだけど、足元大丈夫?コケないでほしいとハラハラドキドキ。
私は気が付かなかったけれど、靴が脱げてしまった人がいたようで。
我が「雪雀連」の魔女も振り付きで熱演していた。
仲間たちは嬉しくなってエールを送る。

終演後はもちろん酒盛り。
近くの焼鳥屋さんでお腹を満たしてから、気持ちのよい夕暮れの中を、勝鬨橋を渡って銀座まで歩いた。
勝鬨橋からライトアップされた東京タワーが見える。
隅田川を屋形船が下る。
海の近い土地独特の雰囲気が何とも言えない。

歌舞伎座の前でお上りさんになって写真をとったり、コーヒーをのんだり。
銀座駅で仲間に別れを告げて帰宅。
今日も良い一日だった。

アカペラで音程がぶら下がるのはアマチュアに限ったことではなく、去年だったか一昨年だかに紅白歌合戦を落選して猛り狂った某女性歌手。
彼女はアカペラ部分になるとドンドン音程が下がっていく。
バンドのメンバーが笑っている。
そして伴奏が入るととてつもなく音程が違っているのがわかる。
どうして彼女が毎年紅白に出られるのか不思議だった。
あれでプロの歌手でございと、毎年トリで歌っていたのは図々しい。
落選してくれて本当に良かった。
と、又余計なことを。


















2017年12月2日土曜日

陽気な法事

兄嫁が亡くなって一年。
一周忌がささやかに執り行われた。
去年兄嫁が亡くなって、私の身内は本当の兄弟がなくなったように悲しんだ。
兄と娘、息子だけでなく私ら義理の姉妹、近所の奥様たちも大泣きに泣いた。
義姉は穏やかでいつも微笑んでいるような人だったから、近所の付き合いも多くて、最近も道で出会った人が涙ぐみながら話しかけてきて、ひとしきり義姉の話をした。

そんな義姉はキリスト教の牧師の娘だった。
私の家は代々日蓮宗だったけれど、クリスチャンの義姉は仏教的な行事にもきちんと参加してくれたので波風は立たなかった。
義姉の実家の教会ではどう思っていたか知らないけれど、義姉の仏教のお葬式にもあちらの兄弟が参列してくれた。
それでは可哀想なので、葬祭場で最後のお別れの時に私はヴァイオリン演奏を手向けた。
グノー「アヴェ・マリア」
せめて最後のときは、キリスト教の音楽で送られたいのではと思ったので。
あちらの親族もよろこんでくれて、妹さんからは何回も御礼の言葉をもらった。

一周忌の今日、義姉の関係者は教会の行事で参列できず、兄の身内だけの少人数で一周忌を執り行った。
穏やかな晴れた日。
集まったのは私の兄姉と姪が一人と甥が二人。

去年母親を失くして目を泣きはらしていた姪も、1年経って涙を見せない程の心の整理が付いたようだ。
お寺でお経を上げてもらい、その後は精進料理。
元々わが家は陽気な家系で、冗談ばかり言う親兄弟。
私の実の姉は、お坊さんの読経の間も大きな声で喋るから、私が注意する。
全く物事をわきまえていない家族は、好き放題。
「あら、あの子誰?」成長した甥を見て尋ねるのは、お経が終わってからにしてほしい。

会食は近くの和食のお店。
ビールが入ると更に陽気になる。
お義姉さんの写真がこちらをニコニコして見ている。
毎年暮れには、兄の家で義姉の作った料理を御馳走になって忘年会をしたけれど、ここ数年足が悪くなって歩けない義姉の代わりに兄が作ってくれるようになった。
兄は理系だから、漬物を漬けるのも、温度や湿度の管理、塩の混ぜる量などきっちりと量って漬けるから、とても美味しい。
それをニコニコして食べる義姉を見ていると、本当に仲が良くて幸せそうだった。

幸せな人生は、閉じてもその余韻が周りを幸せにしてくれるようだ。
兄は日本の男性にしては自立しているから、一人で不自由なく暮らしている。
チェロを弾いたり絵を描いたり。

今日は、いつもは参列者が多くて中々話が出来ない姪と甥とも話せて、面白かった。
彼らも陽気な一族の血筋を引いている。
私の両親の性格がいかに強烈だったかということで、話が盛り上がった。
やはり私のタガの外れた性格は、この両親なくしてはあり得なかった。
二人共本当に、他に類を見ない個性の持ち主だったようだ。
そうでなければ、大家族を統率できなかっただろうと思う。
私は母のことを密かに卑弥呼さまと呼ぶ。

家族全部を自分の羽の下に隠して、外敵から守ってくれた。
けれど、私達はその強烈な意志で、支配もされたのだった。
其の中で、穏やかに生き抜いたお義姉さんが、結局は1番強かったのではないかと思う。





















2017年12月1日金曜日

初忘年会

師走に入った途端、今日は蕎麦屋の飲み会。
メンバーは全部で6人。
いつも食事が終わると次回の予定を決める。
2、3ヶ月に一回集まる。
次回はたぶん春になると思うので、今日が事実上の忘年会になる。
もしかしたら、その前に新年会をするかもしれない。

今までは私がいつも幹事を押し付けられていたからブウブウ文句を言ったら、今回は前に行ったことのある蕎麦屋を地元の人が予約してくれた。
前回とても美味しかったので、この店を私がリクエスト。
駅の近くだけれど目立たない地味な外見で、初めての人はそんなに良いお店とは気が付かないと思う。
最寄り駅に集合、少し道がわかりにくいので一緒に行く。

今回メンバーの一人が風邪でダウン。
昨日メールが来て、明日行かれないから皆さんによろしくと書いてあった。
それで私は飛び上がるほど驚いた。
実は私の中で日が一日ワープしていた。
明日は?え~っ!義姉の法事じゃなかったっけ。
去年なくなった兄嫁の一周忌があるので、なぜか今日がその日と勘違いしていた。
それで親戚に持っていくお土産なども買いにいって、準備万端。
一周忌は喪服では大げさだから、黒っぽい服をなんてクローゼットを覗いたりしていた。

友人からの欠席のメールをもらうまでは、頭の中は今日が法事の日。
え!でも飲み会は1日だよ。
アナタ何か勘違いしてない?
他の人に問い合わせたら「あのね、明日が1日なのよ、大丈夫?」

私もいよいよ来たか・・・流石に心配になってきた。
カレンダーを見たら、予定は間違えずに入っていた。
そうか、法事は次の2日ね。
蕎麦屋でなくお寺に行くつもりになっていた。

今日はいつものメンバーが一人欠けて5人での忘年会。
忘れるという字が入ると、なにか自分のことを言われているようなんだけど。
お蕎麦屋さんの2階の席で盛り上がって笑い転げる。
このメンバーが集まるといつも女学生のようになってしまう。
外見は女学生とは言い難いけれど、内面を見るといつまでもお嬢さんたち。
それぞれ大病もすれば介護もあるのに、この若々しさと明るさはなんなのかと思う。

気取らない、威張らない、飾らない、自立した素敵な女性たち。
自分の道を自分の足でしっかりと踏みしめてきた人たちは、たとえ白髪が増えても美しく輝いて見える。
次回の予定は1月に新年会をしようということになった。























2017年11月28日火曜日

ゴロゴロ

あれほど必死に練習していたのに、コンサートが終わったら気が抜けて寝込んだ。
それを理由に只今超絶怠惰。
楽器の顔をここ数日見ていなかった。
夜は同じベッドで寝て、朝目が覚めるとレッスン室に持っていく。
そこで蓋を開けて調子を合わせ、ご機嫌伺いにちょっと手慣らし・・というのが日課。

今日は家でレッスンをするので、やっと蓋を開けた。
ひどい音がするかと思ったら、楽器もゆっくり休めたらしく、さほどコンディションは悪くない。
ちょっと鼻詰まり。
持ち主が風邪をひいているからって、同調しなくてもいいのに。
アナタだけはいつでも最高の体調でいてほしい。

しかし、面倒な楽器を選んでしまったものだ。
湿度、気温、部屋の構造などで毎日調子がくるくる変わる。
ん?今日は鳴りが悪いなと思うと、低気圧が近付いている。
調弦する時の圧力でコマの位置が微妙にずれると、それだけでもう不機嫌な音になる。
体調によっては顎当てが妙にずれているように感じたり。
私は肩当てをつけない。
大抵の人は楽器の裏板に、肩に乗せるためのブリッジをつける。
合奏団のコンマスが付けないので、私も付けない。
ほんの僅かの微妙な差なのだけれど、神経がピリピリしているときなどは、付けたときと付けない時の共鳴の差が気になるので。

付けないで弾けるときは調子が良い。
調子が悪く体が固いときには、時々肩当てを付けて弾くけれど、体が柔らかいときは自由自在になるから肩当てはいらない。
あまりの微妙さに、他の楽器の人にはわからない感覚らしい。
手のひらの湿気までもが音に影響するなんて。

繊細な楽器だから、いつでも本番で最高のコンディションで居てくれるとは限らないので、優れた楽器の調整の出来る人を必要とする。
私は渋谷の佐藤弦楽器の佐藤さんに最後に調整してもらってごきげんだったけれど、彼は間もなく亡くなってしまった。
その時に私の楽器をしみじみと見た佐藤さんが「この楽器は非常に良い楽器です。大切にしてください」と言った。
これは遺言だったようだ。
佐藤さんに置いて行かれた私と楽器は、どうすればいいのかしらと、途方に暮れた。

ヴァイオリンなどという楽器に出会ったのが運の尽き。
だから時々面倒になって放置するけれど、又、引き寄せられるように弾きたくなる。
ヴァイオリンは本当に魅力的。
子供の頃はどちらかと言うとピアノのほうが進んでいて、先生からヴァイオリンをやめてピアノに進路変更したら?と度々勧められた。
先生は自分の息子さんをピアニストにしたかったのに、彼はグループサウンズが流行っていた頃、ポピュラー系に進んでしまった。
有名なグループに入って、ルックスも良かったので人気があった。

その後数十年経って、録音スタジオでばったり彼に会ったことがある。
あちらは私より年下でたぶん全く覚えて居なかったと思うけれど、私は名前と特徴のある美しい顎の線が先生そっくりなところから、すぐにわかった。
その先生がピアノの傍らで教える時に顎が素敵で、私はいつも下からうっとりと見上げていたので。
先生はクラシックの演奏家を育てるのが夢だったため、私がターゲットになったけれど、私はやはりヴァイオリンのほうが魅力的に思えたからお断りをした。

先生には申し訳ないことをしたけれど、私はヴァイオリンの魅力に取りつかれていた。
それは物心付いたときから聴いていた、ヤッシャ・ハイフェッツのレコードの音が耳から離れないからだと思う。
未だに彼を超えるヴァイオリニストはいないと頑なに考えるのは、幼少時代の刷り込みのせいかもしれない。
雛鳥が、生まれて初めての動くものに出会うとそれが親だと刷り込まれてしまうように、私にはハイフェッツが刷り込まれた。
残念なのは、ハイフェッツの技術は私の手に刷り込まれていないから、月とスッポンほどにヴァイオリンの音が違う。

子供の頃住んでいた旧い家の縁側に、蓄音機が置いてあった。
それはハンドルが付いていて手回し。
針は一々替えないといけない。
レコードの表面に付いたホコリは、ホコリ取りで丁寧に拭き取る。
幼稚園に行かなかったから、家族が学校や仕事で出かけてしまうとレコードを聴く。

ある日押し入れの片隅から旧い楽譜が出てきた。
ヴァイオリンピースのドルドラ「想い出」
一体誰のものかと思ったら、それは父のものだった。
エンジニアで無骨な父とヴァイオリンはどうしても結びつかないけれど、私がヴァイオリンを弾きたいと言ったら、即座に買ってくれたのはそういうことだったのかと。
渋谷の店に行く時、代官山の坂を東横線沿いに車で走ったことを鮮明に思い出す。
いつもそのあたりに電車が差し掛かると、初めてのヴァイオリンを買いに行ったことを懐かしむ。

色々思い出すけれど、どれほど両親が私を可愛がってくれたかと思うと、未だに胸が熱くなる。
戦後の貧しい時期、6人もの子供を育てるのに精一杯だったと思うのに、その上ヴァイオリンなんて!!
それを思うと中々やめられない。
本当はゴロゴロしていないで、鬼のように練習しなくてはいけないのですよ。



















2017年11月27日月曜日

貧乏物語

オーケストラ時代にお世話になった人たちに会いに小田原へ。

その前に、所用があって寄ったのは伊勢佐木町。
短い時間だったけれど、大好きな友人と一緒だったので楽しく過ごした。

伊勢佐木町で思い出すのは、オーケストラが貧乏のどん底だった頃の私。
私が所属していたオーケストラの創設期は、とても羽振りが良かった。
最初の頃の団員の給料は、普通のサラリーマンの初任給を遥かに超える額だったらしい。
ところがその後、スポンサーだった放送局が降りてしまい、野に放たれてから団員たちの自主経営に至るまでには、団長の自死や社会保険料も払えなくなるなど苦難の連続。
しかし、楽隊はアホがそろっていて、そんな苦境もなんのその、毎日楽しく暮らしていた。

演奏旅行の費用を節約するために、夜行の鈍行列車のボックス席でつぎの公演地まで行って宿泊費を浮かすなど、自慢げに話す人もいた。
安宿を予約してタクシーに乗ったら、田んぼの真中に紫のネオン、まさかあれじゃないでしょうねと言うと、ドライバーが「あれです」
でも電話帳にはビジネスホテルと書いてあった。
ある種の女性のビジネスのためのホテルかも。
汚くてベッドにも入れない。
お風呂はお湯がない。
笑ってしまった。
猫っ可愛がりされて育ったのだから、親にはこんなことは話せない。
それでもなにか感じていたらしく、母には、私のことが心配で死ねないと、よく言われた。

私が入団した頃の東響はそれはそれは面白かった。
当時はまだ海軍軍楽隊上がりの猛者や、華やかなりし頃の残党が幅を効かせていたけれど、怖いもの知らずの私は彼らにすぐに懐いたから、とても可愛がられていた。
貧乏でも本当にジェントルマンだったおじさんたち。
家柄も育ちも良く教養もあるのに、なぜこんなちんどん屋みたいなことをなどと身内に言われる。
道楽稼業と見られても、逆境にも負けず日々楽しく生きていた人たち。
給料は遅配に次ぐ遅配。
生活は逼迫しているのに、なぜか皆幸せそうだった。
唯一の不幸は演奏に失敗したときだけ。
その時はため息をついてうなだれて帰る。

当時の私を今客観的に見ても、元気なお嬢ちゃんが毎日嬉しそうに楽器を弾いている姿は、おじさんたちの慰めになっていたのではと、これは自己満足?
休みなんていりません、うちにいてもやることないしなんて、経営者の喜びそうなアホを言って飛び跳ねていた。
地方に演奏旅行に出かけるのも嬉しかった。
最初の頃は同年代の女性たちと一緒に電車で行動していたけれど、車を連ねて行くグループがあって、それが羨ましくてなんとかして仲間に入りたいと思い、免許をとりにいった。
免許取りたてで買った車は、中古のトヨタパブリカ。
カークラブのメンバーから、新車買ったら一緒に連れて行ってやるよと言われた。
それを真に受けてすぐに真っ赤な初代カローラを買った。
冗談に言ったつもりの人は真っ青。
免許取りたての初心者を、しかも女の子を混ぜるわけにはいかない。
ほんとに買っちゃったんだよねと、頭を抱えて仲間が集まって相談していた。

やっとベテランの運転指導付ならばということで、メンバーに加わった。
免許を取って間もなく最初の日本縦断。
東名高速よりも前にできていた名神高速を走ったときには、感激でウルウル。
怖いもの知らずのおっちょこちょいは、その頃から今に至るまで変わらない。
まだ東名高速が出来る前、母が箱根だけは運転しないでというのを軽く聞き流し、箱根に差し掛かると、ねえねえ、運転させて!とせがむ。
助手席にはベテランが乗って、運転からマナーまで厳しく仕込まれた。
峠を乗り越えると助手席の人がポツリと言った。
「今みたいな運転してると死ぬよ」

経営の安定しないオーケストラは波にもまれる船のように、不安定でブラックだった。
一日に本番が2つあったり、地方へ行くグループと東京で仕事をしているグループと、どちらが本当の東響?などと皮肉られながらも、身を粉にして働いた。
その時の修羅場があったお陰で、10年もするとお金の稼げるミュージシャンになった。

小田原まで行って、そんな苦楽をともにした仲間たちとお酒を飲んだ。
元打楽器奏者のSさんを囲んでの飲み会は、毎回Sさんの家の近くまで出かける。
高齢のSさんは足が少し悪くて、以前は新宿まで出てきたけれど、最近は帰り道が心配で私達の方から出かけるようになった。

Sさんは優れた頭脳と品の良さのために、皆から尊敬されていた。
その証拠には、他のメンバーは呼び捨てだったりあだ名で呼ばれたりしたのに、彼だけは誰もがSさんときちんと苗字を言う。
それだけの威厳があったのだけれど、決して偉そうにしていたわけではない。
おそろしく博識で穏やかな人なのに、ちょっと常識では考えられないような当時のメンバーのタガの外れた振る舞いを、ニコニコして笑って話す。
皆個性が強く、中には戦前なら恐れ多いやんごとなきお方も居たけれど、誰一人そんなことは気にする人はいなかった。
そういう人たちは世間の枠に囚われない生き方が出来るので、野放図に悪さをして歩いた。
特にひどかったのは作曲家のYさんとKさん、素晴らしいお家柄なのに行動は飛び抜けて常識はずれ。
とんでもないことをしでかした。
ある温泉宿での狼藉騒ぎは、地元の新聞で取り上げられて、以後その地には足を踏み入れられないとか。
Sさんは彼らのことを何事もなかったように笑いながら話す。
非常識極まるような行動を面白がる私達も、性格に何らかの欠陥がありそうな気がする。
Kさんのお父様も同じ。
帝国ホテルの調度品が気にいると、断りもなくお付きに命じて自宅に運ばせたとか。
日本の西洋音楽の黎明期を支えた名指揮者だったけれど。

さて、伊勢佐木町の話に戻ると・・・

貧乏でも楽しみは人一倍求めるガクタイは、休みの日には集まって遊ぶ。
横須賀に住むメンバーからバーベキューの誘いがあって、会費は当時1000円位。
前日の夜、お金がないことに気がついた。
家中の抽斗を逆さまにしても、服のポケットをひっくり返しても、出てきたのはたったの500円。
当時ガソリンが40円/Lくらいだった。
スタンドで10リッター入れてもらって、伊勢佐木町まで行った。
お金がないから食事も買い物も出来ない。
ウインドウショッピングで買いものしたつもり。
残りの100円でインスタントラーメンとモヤシを買って家に帰って食べた。
それがとても面白かったので、次の日にオーケストラの事務所に行ってその話をした。
笑ってくれるかと思ったら、事務員に泣かれた。
え!え!何がそんなに可哀想なの?
可笑しい話なのに。
こちらがビックリした。

貧乏は、どんなふうに乗り越えるかによって、その後の人生が変わってくる。
と・・・宗教の教祖様にでもなろうかしら。
信者(しんニャ)は猫ばっかりだったりして。
エサ代かかってお布施入らず。
現在の東響は安定して、いや、めでたい!



追記
K氏がホテルの調度品を持ち帰ってもあとでちゃんと執事がおしはらいしたそうで、誤解を生むといけないので一言。



















2017年11月24日金曜日

鳥になりたい

東北から帰ってからもイマイチな体調で、咳が治まらない。
丁度仕事のピークが終わったところで気が緩んでしまったし、他に予定もないしで家でゴロゴロしている。
こんなにゆっくり出来るのは今年に入って初めてのことで、色々お世話になった方たちにお礼状をしたためなくては、それに今年は喪中なのでそのお知らせも用意しないといけないのに、どうしても体が動かない。
グズグズしていると今年もあっという間に終わってしまう。

そこで見つけたのがこちら。

http://tamatora.36nyan.com/?p=8701

https://www.youtube.com/watch?v=0H-Za-yzK2Q&feature=player_embedded

毎日何回もうっとりと見つめている。
私のパソコンの画面は大画面。
普通こんな大きな画面で見ている人はあまりいないと思う。
玄関を入ってすぐのところにパソコンがおいてある。
初めて来た人はギョッとして、必ず大きいですね!と言う。
しかもその手前には怪しげなハンドル付きの画面。
これはユーロトラックというゲームのためのハンドル。
ヨーロッパを大きなトレーラーで荷物を運びながら仕事をするという、臨場感たっぷりのスグレモノのゲームなのだ。

毎日咳が出るので、なるべくおとなしく動かないようにしているから、パソコンのカードゲームを一日中やっている。
お尻に根が生えてしまったくらい動かない。
日頃チャカチャカと動き回っているので、こんな時には徹底的に怠けることにしている。

さて、この鳥と一緒に飛ぶ動画、見ているだけで爽やかな風を感じる。
しかも大画面だから自分が飛んでいるような錯覚まで覚える。
フランスのオーベルニュ地方のカンタルというところに行けば飛べるらしい。
来年は行ってみたい。
フランス語全くわからないけど。

2010年、トルコのカッパドキアで熱気球に乗った。
その時の気持ちの良さったら!!
女性は全員乗ったのに、男性は乗らない。
どうやら怖いらしい。
自分は着地点に皆を迎えに行くからとかなんとか理由を付けていたけれど、その人は気球は風の流れに乗って動くことを知らなかった?
出発点と着地点は、はるか離れているのですよ。
口を開けて出発点で待っていたらしい、アハハ。

鳥と飛ぶこの動画を見ても、女性は明らかに大喜びでおおらかに腕を伸ばしているのに、男性は低空でこわごわ腕を伸ばしているように見える。
天元台にスキーに行くには、下の温泉街からゴンドラにのらないといけない。
ある年、強風が吹き荒れて下りのゴンドラが動かない。
やっと最終のゴンドラが動いて皆、それに乗った。
しかし、揺れるのなんのって。
あわや鉄塔にぶつかるかと思えるくらい揺れた。
乗り合わせた男性たちは興奮状態で大騒ぎしていた。
それを冷静に見つめる女性たち。
女はいざとなると強い。


この画像は私達と一緒に飛んでいる熱気球を撮ったものです。
まだ暗いうちに出発して夜明けを迎える時の美しさったら、天国ってこんなところでしょうねと一緒にいた人と話をしていたけれど、その人は間もなく本当に天国へいってしまった。
懐かしさと悲しさが入り交じった思い出のカッパドキア。
今から7年位前のはなし。


















2017年11月20日月曜日

猫が寝込む

奥州市水沢のチェロフェスタは盛大に盛り上がって終了した。
気温はさほど寒くはないけれど、雪が舞った。
前日昼過ぎ、水沢駅に到着。夕方からの練習に備えてホテルでゴロゴロしていたら、あっという間に眠ってしまった。
念のためにアラームをかけておいてよかった。
そうでなければ、そのまま夜まで眠ってしまったに違いない。

自分が思っている以上に疲労が深く、ほんの2曲ほど練習して会場をあとにした。
夜、前夜祭のお誘いがあったけれど断って、そのままホテルで19時くらいから午前0時ころまでぐっすり。
その後しばらく目が覚めていたけれど、又いつの間にか眠ってしまい、朝は8時のアラームで起こされた。
いつもの旅は初日の夜はなんとなく眠れないのに、今回は起きていられない状態。
ひどく咳がでるので、思いの外体力を消耗していたらしい。

会場には毎年お目にかかる人や新しい参加者でごった返し、体調の悪い私には刺激が強すぎるので、なるべくホテルに戻るようにした。
しきりに咳き込むので、他の人にも迷惑だし風邪をばらまいてはいけない。
ホテルから会場までは徒歩で10分とかからない。
再会をよろこんでくれる人たちには申し訳なかったけれど、あまり気分の良い状態ではないから、いつもの私よりは大分無愛想だったのではないかと思う。
顔を覚えるのが得意でない私も、いくらなんでも今年は随分わかるようになってきた。
奥州は宮沢賢治の影響もあってか、チェロを好む人が多いようだ。
何台ものチェロが一斉に合奏すると、なんとも言えない響きがする。
人の声に最も近い楽器と言われるように、耳に優しい音がする。
ネズミの子の病気も治るというわけ。

そのチェロフェスタになぜ私が参加することになったかと言えば、私の元の生徒のKちゃんのパートナーY君がこのフェスタの指導者のチェリスト舘野英司氏のお弟子さん。
二人で参加しているうちに私も巻き込まれて、毎年参加することになった次第。
Kちゃんにひかれて奥州まいりと言うことに。

今年は夏から秋のスケジュールが目一杯で、参加できる体力はないと思っていたし、このために新しい曲を練習する暇もない。
それで舘野さんと地元のピアニストとハイドン「ジプシートリオ」を弾くことにした。
この曲は短くてしかも特徴的な3楽章が面白いので、私のお気に入り。
弾くのは易しいので、いかに面白く聴かせるか。
私はこれでもかと誇張した表現でジプシー風に演奏してみた。
弾いている間は咳はピタリと止まる。
これが不思議だけれど、弾くのが終わるとひっきりなしに咳き込む。
止めていたければ、ずっと弾いていないといけない。

本番当日朝、窓を開けて驚いた。
雪が降っている。
たしか天気予報では雪は日本海側だけに降るはずなのに。
チラチラと粉雪の舞っている様を眺めていたら、近くのビルの屋上にカラスが2羽、肩を寄せ合ってじっと雪を見ている。
いつまでも見ているので時々気にして見ていると、30分くらいもそうしていただろうか。
なにを考えているのだろうか。
カラスは人の3~5才児の知能があるらしいから、きれいだねえなんて会話して居たかもしれない。
足は冷たくないのかなあ。
確か鳥の足首に体温調節機能がついているとか読んだことがあるような・・・
相変わらず、記憶は定かではない。

当日はタイムテーブルがしっかりとしていたので、時間を見計らってホテルに戻ることが出来た。
最初に地元の人達とのブラームス「六重奏曲1番2楽章」が昼ころ終わった。
つぎに弾くハイドン「トリオ」は4時半ころ。
それまで食事を済ませホテルに戻って少し体を休めていた。
気が付くと又寝込んでいて、目が覚めて私は思わず「きゃ~!」と叫んだ。
一体何時なの?
良かった、後1時間あった。
このときは眠るつもりがなかったので、アラームのセットもしていなかった。
危ない危ない!!

本番は寝ぼけ眼ながらなんとか演奏して、曲の面白さでうけた感じになって終了。
いろいろな人から沢山お土産を頂いて、すかすかだったキャリーケースがパンパンに膨らんで蓋が盛り上がってしまった。
お土産を頂いたから言うのではないけれど、東北の人たちはとても優しい。
咳をしていたら、喉飴やらカイロやらなにくれとなく心配してくれる。
メンバーに医者がたくさんいるというのも心強い。
北国は今から雪ではこの先の数ヶ月、大変な思いをして暮らさないといけないわけで、たまに見て喜んでいる私などは、その大変さの半分も分かっていないと思う。

夜は居酒屋でささやかに打上げ。
親しい仲間と楽しい会話がはずみ、皆飲む!飲む!強い!
私はお酒が飲めなかったのははなはだ残念だったけれど、雪を見て元気になる。

去年・一昨年と、一緒に参加してくれた仲間がいた。
今年そのうちの一人が亡くなった。
雪の降りしきる中を歩くと、一緒に横に居るような気がしたけれど、本当にそうだったかもしれない。



















2017年11月17日金曜日

東北は雪だと?

まだ11月なのに、今年は雪の便りがそこここに聞かれる。
大好きな雪だし、冬になるとスキーが出来るので張り切る私なのに、今年はひどく疲れて青息吐息。フウ~フウ~と出るのはため息ばかり。
ため息をつくと幸せが逃げていくとよく言うけれど、そんなことはない。
ため息をつくと肩の力が抜けるから、大いにつくほうがよろしい。

よくプラス思考とか言って前向きに生きるほうが賞賛されるけれど、私は後ろ向きでも暗くても、その人に合った生き方ならなんでも良いと思っている。
作家がやたら明るかったら?
芸術家が人の心の暗闇に分け入らなかったら?
引き籠もらなければ精緻な思考はできない。
そもそもプラス思考って?
人の心には寂しさ、卑しさ、悲しさ、悔しさなどが住み着いている。
それを全部排除したら、人は半分以下になってしまうじゃないの。
モーツァルトがあんなに素晴らしいのも、彼はただ明るく輝いているだけのものではないからで、曲の底に言いようのない暗い淵をかかえているからなのだ。

だから暗いことを悪いと言うような学校の指導を見ていると、馬鹿じゃないかと思う。
最近私も歯に衣着せぬようになってきたなあ。
やたら他人を馬鹿馬鹿言うものではないけれど、それは自分を含めてのことだからお許しを。
小学生が明るく大きな声で挨拶をするのを聞くと、もう少し小さな声で言いなさいと言いたくなる。
やたら人なかで大声出すもんじゃありません!
怖いおばさんになる。

えっと!なにか本題から逸れてしまって・・・
そう、東北が雪ということだった。
明日から岩手県奥州市の水沢へ。
只今大風邪ひいて咳が止まらないのに、行って大丈夫だろうか。
少し前なら、大丈夫、場所が変わると風邪なんかなおるのよと言えた。
しかし、今年はひどく疲労が溜まっている。
今年の初めから少しやりすぎた。
春からずっと緊張しっぱなし。

これで肺炎にでもなって救急搬送されたりしたら、はた迷惑。
それでも行くと約束してしまったし、一緒に弾く人たちが待っているし。
彼らは一生懸命練習してあるだろうし。
これがいつでも現場に居なければ成り立たないプレーヤーの宿命なので。
行ったらホテルでゴロゴロして、幸い会場が近いので、練習時間にだけ行けば良い。
今年は前夜祭も打ち上げもパスして、コンビニ弁当で一人寂しくホテルにこもってなんて、意気が揚がらない。

去年一緒に行ってくれた友人が、今年の初秋に亡くなった。
思いもかけなかったけれど、彼女は去年からずっと悪かったみたい。
「来年はもうこないからね」と言ったのは、なにか気に入らなかったからだと思って聞いていたけれど、体調が悪くて覚悟していたのかなあと、今思えばそういうことだったのかもしれない。
だれにも絶対に弱音を吐かない彼女らしい生き方だった。

私は常に弱音を吐く。
グチグチとあれ嫌、ここが辛いと。
親切な人達は本気で心配してくれるけれど、なに、口癖だからほっときゃいいの。
それに比べ、彼女は決して敵に後を見せない。
仕事はいつも完璧だった。
その余り、命削って・・・
愚痴だって弱音だって言ってくれれば、少しはガス抜きになったかもしれないのに。
人は皆、弱虫なんだって思えばよかったのに。
弱いのがいけないって誰が言ったの?

東北のお酒を熱燗で飲んで、美味しい魚があれば風邪も吹き飛ぶかも。
これで雪でもちらついてくれれば、素敵な旅になりそう。























2017年11月16日木曜日

最後だ詐欺

今から13年前、私はオペラシティーのリサイタルホールで「最後の」コンサートを開いた。
そのときには本当にこれが最後だと思った。
その後、やむを得ない事情で猛烈に仕事をして、気がついたらあれから13年・・・
ここから綾小路きみまろの口調で・・・シミは増え白髪も生えて生き残り。
その間新しい楽器にご縁があって、音の幅が広がった。
楽器が私を育ててくれたから、もう一段階楽器のレベルアップをしたいけれど、経済的に無理なので我慢している。

今年また「最後の」コンサート。
この度は練習もかなり辛かったから、もう懲りたと言いたいところだが、しかし雀百までなんとやら。
どうしても楽器が手放せないに違いない。
赤い靴を履いてしまった女の子が死ぬまで踊り続ける「赤い靴」という映画があった。
モイラ・シェアラ主演。
長い階段の下で、彼女がブルーのドレスを来て佇む姿が鮮明に思い出される。
見たのはほとんど子供の時だけど。

その頃のことは良く覚えているのに、最近は数秒前のことすら覚えていない。
これは自己防衛のためかもしれない。
これ以上新しい知識は入れるなよという、拒否反応かも。

私は20年ほど前に放送大学を卒業した。
音大付属高校から音大に進んだので、あまりにも一般的な知識がない。
それで普通の大学で勉強してみようと思ったので。
放送大学は入るのは簡単、でも授業内容は難しい。
仕事を最優先にゆっくりと履修していったので、卒業まで10年かかったけれど、お陰で少し音楽以外の本も読めるようになった。
今、仕事も終え、好きなヴァイオリンだけ弾く生活になったので、今度は大学院にいきたくなった。
大学は2つ卒業したので、あとは大学院に行くしかないでしょう。
大学院でなにを学ぶかということはまだ決めていないけれど、なんであっても私にとってはとても新鮮なのだ。
本当に世間知らずで子供がそのまま年取ったみたいなところがあって、なんでも自分の知らない分野へ分け入ってみたい。

知識を詰め込むのが悪だと言うような風潮が一時期あった。
自分の頭で考えろとか。
でも考えるだけで知識がなかったら、道標のない砂漠を歩くようなもの。
知識は頭が柔らかいうちにできるだけ詰め込むのがよろしい。
ところが、ゆとり教育なんていう馬鹿なことを考えたバカ(失礼!)がいて、可哀想に、その頃私の生徒なども受験のために塾に通う羽目になってしまった。
学校でちゃんと教えていれば、塾に行く時間をヴァイオリンの練習に当てられるのに。

で、これから大学院へ行っても、昨日勉強したことがなんだったか思い出せないなんていう事態が待ち構えていることを薄々感じている。
要するに無駄なんじゃないかと。
ハリー・ポッターの原書購読が5巻まで完了。
残った6.7巻を今年の12月から再開しようと思っているので、そちらに全精力を注がないと完読する前にボケるか死ぬかしてしまう。
だから、そちらに専念すれば良いのだが、気が多くて一つの事を突き詰められない。
あちらに手を出し、こちらを齧り。
読みかけの本が積みあげられている。

入院でもすれば読めるのになあと、不穏なことを考える。
でも本当に入院するような病気だと、本なんか読んでいられないことは知っている。
以前1ヶ月半の入院生活をした。
入院と決まった時、しめた!これで本が読める、と思った。
家から本を持ってきて枕元に積み上げて、読むつもりだった。
でも病気のときはしんどくて読むどころではなく、結局落語を聴いていた。
イヤホンで聴いているから、一人でニヤニヤしている気味の悪い患者になってしまった。
入院となってしめた!と思うくらいだから、たいていのことでは落ち込まないのが私の強み。
これは他人から見れば「変な人」
いいのよ、変な人と思われても。

最後と言えば生き残った1匹の猫、コチャ。
タマサブロウ、モヤ、ナツメが立て続けに天国へ旅立ってから、我が世の春を謳歌している。
こんなに表情豊かな子だとは思わなかったのに、今では生き生きと遊んでいる。
人も動物も自分の置かれた状況によって、これほど変わるのかという見本。
猫は基本的に単独行動を好むので、他の猫との軋轢がある多頭飼いは可哀想なのかもしれない。
最後の1匹になって幸せになったコチャ。
他の猫に遠慮して、随分我慢をしていたものと思われる。

演奏会の疲れがとれたら、又なにか計画したくなると思う。
これが「最後」とか言って。
オオカミ少年みたいに誰も信用しなくなって、聴きにきてくれなくなったら、本当にお終い。
でも友人知人たちはみなさん優しいから、倒れるまで見届けてくれそうな気がする。

最後と言えば、落語にイタチ最後ベエという名前がでてくるけれど・・・ああ、私の話は最後にかならず下品になるのが特徴です。
でもイタチなら最後ベエではなくて最後っp・・・これこれ、それ以上はやめなさい。





















2017年11月15日水曜日

声がでないと思ったら

昨夜、夜中に目が覚めた。
喉に猛烈な痛みがある。
ここ2日ばかり声がでないと思ったら、ひどい炎症が喉の奥まで広がっていた。
完全に気管支炎になるパターン。

私は喉が弱い。
風邪をひきはじめるときは、必ず喉から始まる。
その後、胸の方まで痛くなって咳が止まらなくなるのがいつものこと。
夜中に目が覚めて痛みを抑える術もないから、リステリンでうがいをした。
ネットでリステリンの幅広い効用について読んでいたので、半信半疑でうがいをして眠った。
今朝、驚いたことに喉の痛みがなくなっていた。

数ヶ月前、通販でリステリンを注文したら、3個の大きなボトルが届いた。
1個がこんなに大きいとは思わなかったし、3個頼んだ覚えもない。
まあ、自分のことだから手違いはいつものこと、無意識に3個たのんだのかなあ。
注文履歴を見たら、1個しか注文していない。
通販会社に電話した。

1個の注文で3個届いたこと、お返しするにはどうしたら良いのかと言うと、たぶん梱包の段階で間違えたのでしょう、こちらの手違いですからそのままお使いくださいとのこと。
私は得したけれど、どこかに損をしている人がいるのではないかと心配。
それで、家にリステリンのデカイのが、どんと居座っている。
でもこれが便利で、歯ブラシを消毒したり、口の中が汚れていると感じたときなどはうがいをしたり、重宝に使わせてもらっている。

今週の土曜日から岩手県に行くことになっている。
寒いところに喉を腫らして行ったら、気管支炎か肺炎になる。
ホテルの部屋でガタガタ震えている自分の可哀想な姿を想像した。
旅先での病気は本当につらい。
それで病院へ行くことにした。

ずっと以前から毎年お世話になる耳鼻咽喉科医院。
何よりも空いているのが良い。
空いているということは、あまり患者さんに信頼されていないということだと思うけれど、ほとんどやる気なさそうにちょっと喉を診て消毒して薬をだしておしまい。
その間1分とかかっていない。
他の評判の良い耳鼻科は丁寧に診てくれて、吸引や消毒や至れり尽くせり。
そこはひどく混んでいるので、時間がかかる。
少し重篤だと思うとそちらへ行くし、いつものパターンなら空いている方に行く。

今朝は診察開始時間の5分位あとに行ったら、誰もいない。
今までいくらなんでも、2.3人は患者がいたのに、誰もいないと言うことは他にも評判の良い病院が出来たか。
他人事ながら心配になる。
処方箋をもらうだけなら、空いていて早いほうが良い。
ここが潰れたら私は困る。
病院の待合室は病人だらけで、感染の危険があるから長居はしたくない。
こういう評判は良くなくても空いている病院は、それなりの価値がある。

その病院の隣に新しく調剤薬局が出来た。
薬局としては病院の隣だというメリットで開局したと思うのに、肝心の病院が閑古鳥では商売上がったり。
私の家の最寄りの商店街には、薬局とマッサージが軒を連ねている。
これだけ不健康な人が多いのかしら。
マッサージなどは向かい合わせ、両隣など、こんなに作ってしまって患者が来るのか心配になるくらい。
それでも潰れる店は少ないから、この辺の人たちはお疲れなんだわ。

とにかく今日は一日ゆっくり寝ていようと思いながら、つい起き上がってパソコンに向かう。
喉の痛みは少し和らいで、リステリン様ありがとう。

夏頃から疲労感がひどかったけれど、どんなにしても昼寝が出来ない。
入眠の名人だから夜の眠りに入るのは数秒でぐっする眠れるけれど、眠る時間は極端に少なくて、世間で言われる睡眠時間よりずっと少なかった。
その分疲労が蓄積されていた。
今日はここ数ヶ月以来、初めて昼寝が出来た。
それだけ疲れていたのと、緊張が溶けたのでらしい。

今年に入ってからシワやシミが目立って、私も歳だから仕方ないなと思っていたら、今日はお肌がツヤツヤ、ほっぺふっくら、なんか10才くらい若返ったみたい。
これほどストレスは体にわるいのだと実感した。
そうか、それではそろそろ本当に隠遁生活に入るか。
ほら又その舌の根の乾かないうちに、なにか弾きたいと言い出すに決まっている。

















2017年11月14日火曜日

疲れて声も出ない

あの長いモーツァルト「ディヴェルティメントK.563」を聞かされた人たちはさぞ災難だったとお察し申し上げるけれど、逆に私はあまり演奏するチャンスのないこの曲が弾けたということで、実に良かったと思っている。

Y氏を偲ぶ会が帝国ホテルで催され、ご息女のY子さんがすべてを取り仕切った。
もともと有能な方とは知っていたけれど、今回の主催者としての腕を発揮してみごとな采配だったのには、帝国ホテルのスタッフも顔色なしというところだった。
聞けばかつては国際会議などでも辣腕ぶりを発揮していたらしい。
なまじの男では敵わないわけで。

まず軽くワンドリンク、その後私達の演奏が始まった。
演奏後お食事、その後谷康一さんのバンドの演奏とボーカルで盛り上がった。
もちろん私はクラシック音楽以外も好きで、演歌は良いわねと言うと白い目で見られたりするけれど、なぜだかよくわからない。
演歌歌手たちの陰の努力たるや大変なもので、和田アキ子が彼らをバカにしてクソミソにけなすのが非常に不愉快。

話がそれてしまったけれど、谷さんはY子さんのゴルフ仲間。
食事の時にお隣だったので話してみると、たぶんスタジオでお目にかかっていますね、ということになった。
なんとなく見覚えがあるし、私はスタジオミュージシャンのグループに入っていなかったから少ない出会いだとは思うけれど、たしかに何回かはご一緒だったかと思える。
私はテレビの仕事の方が多かったので、彼らが歌手に付いて来れば必ず会っているわけだし。
チェックのシャツを来た4人の男性が、ギター、バンジョーなどを弾きながら歌う。
とても素敵なおじさま達・・・と言っても私より年下。
グスン!最近どこへ行っても1番おねえさん?となってしまった。

大いに盛り上がってお開きとなった。

モーツアルトの長~い曲を聴かされて皆さん退屈であくびを噛み殺していたとは思うけれど、苦労の後にこんな幸せが待っていようとは、思いがけないプレゼントだったでしょう。
モーツァルトは50分くらいかかったらしい。
弾く方は退屈どころではないけれど、聴く方は忍の一字だったかもしれない。
それでも、この曲はあまり演奏されることは少ないから、これを全曲聴けたのは冥途の・・いやいや、この先の人生を明るく照らしてくれるものと信じたい。
私はこの曲を弾いたら思い残すことはないから、大満足。
と、言いながら、もう一つの「ディヴェルティメント17番」をもう一度弾きたいなんて、欲張りですねえ。

私はこの日大事なキーホルダーを失くした。
家をでるときには鍵を締めたのだから、必ず外に持って出たはず。
ホテルではバッグはほとんど開けなかった。
ただ一回、ホテル内のガルガンチュアというお店で水を買った時に財布を出したので、その時になくしたものと思われた。
それでホテルに電話するとキーホルダーの特徴を訊かれたから「猫のキャラクターのダヤン君のキーホルダーです」と言うと、オペレーターの女性が「ああ」
しかし残念なことに「ダヤンくんはありませんでした」と言われた。

ダヤンくんを知っているとは、おぬしできるのう。

あれから2日経って、未だに声も出ないほど疲れた。
3月頃から立て続けてのコンサート。
しかもこの11月は1週間おきの本番。
もう、疲労はピークで、最後は来週の日曜日、水沢でのハイドンのトリオ、ブラームス6重奏曲の第二楽章、それが終わるとやっと休める。
でも水沢から帰った次の日からベートーヴェンのクロイツェル・ソナタの練習が待っている。
自分でもこの年でこんな働いて大丈夫だろうかと思っているけれど、周りはもっと驚いているみたい。
たぶん皆さん心配してくれていると思う。
花火大会で最後に打ち上げ花火やナイヤガラなんかを一度に盛大に上げるのと同じで、これが最後の花火かもしれない。バンバンバ~ンなんて。






















2017年11月12日日曜日

新入居者は猫2匹

私は貸し部屋のオーナーでもあるので、そちらの苦労も多い。
父が生前、私の根無し草の生活を心配して私の住居の上に貸し部屋を作ってしまった。
それはとてもありがたいことなのだけれど、経済観念に乏しい私としてはこの部屋で儲かるわけがない。
どちらかと言うと気苦労と出費ばかり嵩む。
築20年、内装はいつも新しい入居者さんが気持ちよくつかえるようにと、ピカピカにリフォームする。

今年8月頃、一部屋空きが出来て、大々的にリフォームした。
天井、壁、床に至るまですべて新しく、トイレもシステムキッチンも新品、今までなかったクローゼットを造り、押し入れの細部まで拘って色を決めた。
床材は傷のつきにくい材質で、デパートで使っているものと同じらしい。
目をみはるような部屋になった。

去年駐車場の塗装と修理をお願いした時に非常に良い仕事をしてもらったリフォーム業者の提案をすべて取り入れ、募集を始めたら1週間で入居者が出ますよと言われた言葉どおり、すぐに次の入居者が決まった。
近くの会社のキャリアウーマン。
海外生活が長く、日本に戻ってきたばかり。
良い人に入ってもらえたと喜んだ。
一人暮らしかと思ったら、入居者ならぬニャー居者が2匹付いてきた。

ご本人はすでに住んでいたけれど、同居ニャンたちは昨夜到着。
今朝、見に来ませんかと声をかけられたので、いそいそと見に行った。
1匹は巨大なヨーロピアンショートヘア。もう1匹はやや小柄な妹ねこ。
大きい方は6キロは優に越えていると思う。
人懐こく、私が呼ぶと早速やってきて初対面のご挨拶。
もう1匹は押し入れに隠れてでてこないけれど、覗いても怯えた風ではないから、すぐに慣れると思う。

うちに猫が来ると話したら、今か今かと待ち構えている人がいる。
私の友人で無類の猫好き。
最近来たメールにも、猫はいつ来るのですか?と書いてあった。
その話を新しい店子さんにすると、いつでも見に来てくださいと歓迎の言葉をもらった。
聞けばアメリカ、ドイツの生活が長かったとか。
バリバリのキャリアウーマン。
飾り気のないサバサバした性格で社交的。
もう一つの部屋の住人のご婦人とは対照的で、見ていて楽しい。
こちらは主婦の鑑。
お料理上手で家事をきちんとこなし、いつ行っても部屋は綺麗に片付いている。
ドアの前にはきれいなマットと植木の鉢が置いてある。
こちらの部屋にも猫がいたけれど、今年の春、可哀想なことに死んでしまった。

駐車場でお葬式をしてあげて、7,8人も参列者がいて、皆で泣いて見送った。
虎太郎君という8歳のアメリカンショートヘアだったけれど、時々階段の踊場に出てきて遊んでいたのに急に痩せ始めて、あれよあれよという間に亡くなった。
母娘2人のその家族は真っ赤に目を泣きはらして、私までもらい泣き。
そんなことがあったから、この新入りたちには元気でいてほしい。

3階だから逃げ出すようなことはないと思うけれど、万一のことがあってはいけない。
この家の周辺は猫嫌いが多い。
私の家の猫たちが塗りたてのコンクリートの上を歩いて足型が付いてしまったとか、庭で糞をするとか、植えた苗木を掘り返してしまったとかやったのかもしれない。
とにかく近隣の家には、これみよがしに水を入れたペットボトルが置いてある。
通路に棘の形をしたマットが敷いてある。
それでも、なにも殺さなくてもいいのにと思う。
近所の人が殺したという証拠はないけれど、わが家の周辺の猫が数匹、毒殺された。
私のねこも3匹やられた。

それでうっかりベランダから飛び降りてはいけないと注意すると、ドイツにいた時にも猫を飼っていて、ベランダに網を張っていたという。
誰か業者さんを紹介してもらえないかというので、この部屋をリフォームした業者に相談した。
夕方見積もりに来たらしく、チャイムが鳴るから出てみたら業者さん。
こんなふうにやりますと報告されたけれど、私の口を出すことではないので、よろしくと挨拶。
帰り際に階段を降りかけた時、業者さんが急に立ち止まり振り向いてニヤリとした。
「又よろしく」

口車に載せられてピカピカにリフォームして大枚支払った。
お陰ですぐに部屋は埋まったけれど、使った金額を考えると償却できるまで1年以上かかる。
そのあとも木を切ってもらって、かなりの額のお支払。
去年は駐車場の壁の塗替えと天井修理。
今回は私が支払うわけではないけれど又仕事が入ったわけで、ニコニコしたくもなるでしょうよ。



















2017年11月11日土曜日

続いては

先週の木曜日にデュオ・コンサートが終わって息つくひまもなく、明日は弦楽トリオの本番。
疲労がピークに達していて、いささかまいった。
コンサートをやってのけるのは命を削るようなもので、マネージャーなしでの今回は今までで最もきつかった。
会場が150名のキャパしかなくて、マネージャーをつけると赤字になってしまう。
それで全部自分たちでやってのけた。
会場探しから予約、チラシやプログラムの印刷の依頼、原稿書きから校正。
その後チラシの発送、予約の確認など、することは山ほどあって、本番の1週間前には疲労と緊張で二人共顔色が悪かった。
本番にはお客様も沢山来てくださって、演奏も思ったようにいって満足するものだったけれど、その後の疲労感は姿勢を保つのも億劫といったところ。

明日の本番は帝国ホテルでのメモリアルコンサート。
法曹界で長年活躍されていたY氏を偲んで、縁のあった人たちが集まって演奏を聴き、ディナーを楽しむという集まりなので、天国へ行った方を祝福するためのもの。
Y氏は大変ご長寿で安らかに逝去されたので、良き人生を全うされたお手本のようだった。
音楽が大変お好きだったので、良い演奏でお見送りしたい。

演奏するのはモーツァルトの弦楽三重奏曲K.563.
弦楽三重奏曲の演奏は、他のどのアンサンブルよりも難しい。
弦楽四重奏には、もう一本ヴァイオリンがいるので音の広がりが出やすいけれど、三重奏は一本足りない分何処かにしわ寄せが来て負担が大きくなる。
それはヴィオラにだったりチェロだったり、ヴァイオリンも普通なら分けて弾けるところを一人で二人分弾いたり。
ピアノトリオならピアノが和声の部分を受け持ってくれるので、それも又問題は出てくるけれど、弦楽トリオよりはある意味でずっと楽になる。

今回は初顔合わせのメンバーだけれど、それぞれアンサンブルのベテランで、練習は非常に楽しかった。
弦楽器奏者は皆神経質で、それは何故かと言うと、ほんの僅かな音の狂いやバランスの欠如がハーモニーに影響してしまうため。
いかに和音を響かせられるかが重要なポイントになる。
それで、それぞれの技術も音色も考え方の差を合わせるために、長い練習が必要になる。
今回は4回の練習と明日のステージ練習と、計5回練習をとった。

私自身は先日のコンサートの疲れが出てきているので絶好調ではないけれど、他の二人のベテラン奏者がいるので大船に乗った気持ちでいる。
かれらは研ぎ澄まされた感性を持っていて、それはそれで怖いところもあるけれど、私はどんなことがあっても拾ってもらえる安心感がある。
今日はあまりの疲労で、いつもより睡眠時間が多くなってしまって頭が痛い。
本当ならリサイタルの後は温泉にでも行ってまったりしたいところ。
でも今回のトリオのメンバー全員のスケジュールが空いていたのは明日だけで、しかもY氏の月命日という偶然がかさなったので、題してミラクルコンサート。

そんな時に、モーツァルトが弾けるという幸運を逃すわけにはいかない。
たぶん私は、この曲を弾く最後のチャンスとなる。
そんな時に素晴らしい共演者と演奏できることは、本当に幸せだと思う。
願わくばMenuetの繰り返しを間違えませんように。

みなさんもご一緒にお祈りしてください。

せーの!
qうぇrちゅゆいおあsdfgh・・・・

あら失礼!私の宗派を言いませんでしたね。
ニャーニャー教です。
いえ、なに難しくはありません。
ニャーニャーと唱えたら耳の後をバッバとかけば良いんです。

では、ご一緒に

ニャーニャーニャーニャーバッバニャーニャーニャーニャーバッバ
お上手です。
では続けましょう。
ニャーニャーニャーニャーバッバニャーニャーニャーニャーバッバ・・・・・・・・・・・・

ありがとう、元気がでました。


























2017年11月4日土曜日

嬉しいお客様

川崎ミューザのコンサートはおかげさまで無事終了。
今回もたくさんのお客様が聴いてくださった。
開演前の雰囲気からすでに、暖かかった。
楽屋まで伝わってくる、客席のざわめきがアットホームで楽しげにおしゃべりする人、笑う人。
それまでのド緊張が緩んで、ステージに出る頃には客席を見るのが楽しみになってきた。
皆がニコニコとこちらを見ている。
嬉しいものですね、こういうのって。

練習であれほど苦労したモーツァルトがスルッと始まった。
テンポも申し分なく、なにがあんなに難しかったのかと訝しい。
自然にピアノと音が溶け合って、心地よい。

2曲めのプロコフィエフは乗ってしまえばこちらのもの。
楽しく弾き終えた。
確かに音の動きは他の2曲と比べて遥かに複雑で、演奏はむずかしい。
譜読みに時間はかかるけれど、私の気分としては弾いていて最高に楽しい曲なのだ。
お茶目で冗談ぽく人を驚かせる。
それでいてシーンとした透明感のある緩徐楽章は、静謐でえも言われぬ美しさ。
作曲者自信がこういう複雑な人だったのだろうと思う。

2部のフランクは、やはり1楽章が鬼門だった。
難しいピアノに比べてヴァイオリンの楽譜は本当に易しい。
4部音符と8分音符でゆったりとしたテンポで、音もさほど高くない。
一体どこが難しいのか良くわからない。
それでも終わってからやはり1楽章は良くなかったと、評価は低かった。
単純極まることの方が難しいというのは、何回も実感している。
それで、モーツァルトがたいそう難しいものの一つになる。

今回は前回の三軒茶屋でのコンサートに比べて、苦労が多かった。
曲自体が難しいわけでは無く、私が歳をとってしまったということらしい。
私は音が伸びない、音程が気になるで、青息吐息だった。
一昨日まで緊張で体がゴリゴリ。
こんなになったのは今までになく珍しい。
1週間前は出来上がりも上々だと思っていたのに、7日を切るともうだめで、敵前逃亡したくなる。

本当にだめで、こうなったらこのままの状態で皆さんからおしかりを受けることになっても仕方がないと、腹をくくった。
前日までそんな状態だったけれど、当日になったら急に重たい鎧がはらりと落ちるように、平常心が戻ってきた。
関節が急に緩んで体が自由に動く。
これがいつも不思議なんだけれど、必ずパターンが決まっている。
だからいくら緊張しても本番はなんとかいけると思っているのに、毎回同じことの繰り返し。
その1週間がもったいない。
緊張しないで済むはずなのに、緊張する。
無駄だとおもうのに。

終了後は聴いてくださった方々への感謝の気持ちとして、簡単なパーティーをすることになった。
ケイタリングのツマミと持ち込みのワインとビールで乾杯。
これらの準備は私達の生徒達が、大活躍をしてくれた。
重たいお酒を車まで取りに行ってもらったり、椅子をさっさと片付けたり、誰もが決めたわけでもないのに迅速に動いて、あっという間に準備が出来上がる。

若い人たちの頼もしさは場の雰囲気まで明るくする。
きれいなお嬢さんたちは居るだけで春風が吹いてくるようだけれど、私にもこんな時があったのです、信じられないでしょうが。
私も充分にそんな素敵な時を満喫してきたのだから。
その時々を目一杯生きてきたから、老いていくのも悪くはない。

今回の演奏の評価の中に友人がくれた「年をとるのって宝だと改めて思ったしだい」という言葉があった。
これは嬉しかった。
若い人の演奏はさっそうとしているけれど、いつもなにか物足りない。
自分のほうが上手い演奏だというわけではないけれど、ちゃんと生きてきた証として何かが皆さんに伝えられたのではないかという自負心もちらりと顔を覗かせる。
でも残念なことに、次回は?と訊かれると即答はできない。
来年はもう弾けないということの確率が高くなってきている。

ピアニストとは半世紀に亘り一緒に演奏してきた。
ピアノ弾きは耐用年数が長いけれど、ヴァイオリン弾きは様々な理由から耐用年数が短い。
なにしろ立っていなくてはならないので。
だから私のほうが早くリタイアすると思う。
皆さん頑張れ頑張れと言ってはげましてくれる。
弾いていたいのはやまやまだけど、限界はもうそこまで来ている。

今日ヴァイオリンを出して弾いたら、あまりに疲労が溜まっていて音がでない。
やはり、火事場の馬鹿力がないとだめなようで。
ずっと火事だと燃え尽きる。
程々の火事は山の家の暖炉の中がよろしいようで。

来年2月、北軽井沢の炎のまつりに行く予定。
2月の第2日曜日、松明ろうそくに火を灯し花火を打ち上げる。
花火とろうそくの火が相まって幻想的な世界が広がる・・・と宣伝文句。
厳寒の北軽での神秘的な夜を過ごしてこようかと思っています。
が・・・氷上の運転がこわい。














2017年11月1日水曜日

3日もしお暇なら・・・

説明を追加
さて、私達のコンサートも明後日となって、なんだか緊張している。
私がこの世界に入ってから踏んだステージの数は膨大なものなのに絶対に緊張しないときはないので、なんの因果でこんなことをやっているのだろうと毎回思う。
音大卒業するときには、これで試験がなくなってやっと緊張から開放されると思ってよろこんだのも束の間。
プロの世界に入ったら毎日が死にそうなくらい恐ろしい。
震えながら弾くこともしばしば。
怖い指揮者がピアニッシモでと言ってこちらを見ると、蛇に睨まれたカエルになってしまう。
右手が震えて、弓をヴァイオリンに載せることも出来ない。
ほんとに怖いですよ。
最近の若者は物怖じしないからそういうことは少ないと思うけれど、私達世代はどうもいけません。
昨日最後のピアノ合わせをしたら、足が固くなっていて体が思うように動かないので笑ってしまった。
練習が終わったら腿が突っ張っていた。
ヤレヤレ。

オーケストラでは座って弾くから緊張しても足はガクガクしない・・・と、思うでしょう?
ところがどっこい、難しい箇所をやっとのおもいでクリアした途端膝が震えるので、自分でもおかしくなって笑ってしまう。
座っていても膝は震えるのです。
どんなに小さな会場であっても、曲が易しくても全く同じ。
しかも歳をとるにつれて自分に厳しくなるから、余計にだめで。

以前、70才を過ぎてから弦楽四重奏団を組んで活動を始めた音大の教授がいた。
お付き合いで、セカンドヴァイオリンを担当したことがあった。
その先生が毎回ひどくあがるので絶望的な思いだった。
歳を取ればもう少し気楽に出来ると、当時若かった私は思っていたのに。
そんなわけで、先日古典音楽協会のバッハのブランデンブルク協奏曲以来の緊張感。
「古典」より救いがあるのは、今回は2人だけなのでまあまあ。
「古典」のように組織の中でソロをするのは最悪。
他の人達の折角の努力を水の泡にはできないから、本番前は悪夢のようだった。
本番は素敵に楽しかったけれど。

1番嫌なのはオーケストラの中でソロを弾くこと。
ソリストで弾けるならともかく、トゥッティーなのに、いきなりソロが出てきたりすると恐ろしさで死にます。
某有名なコンサートマスターが「僕はオケのソロが1番怖くて震えるんだよ」と言ったのでびっくりしたことがある。
あんな上手い人でも?

その点今回は1対1人。
ピアニストが上手いから、私がだめでも彼女がフォローしてくれるでしょう。
失敗したら私は耳の後を後足でバッバッと掻いて、皆の非難の視線に気が付かないふりをする予定。
いえいえ、もちろん精一杯努力はいたしますよ。
お暇なら私が右往左往している姿を見物に、どうぞいらしてみてください。












2017年10月24日火曜日

サンマは目黒でなくても

先日帝国ホテルの和食レストラン「なだ万」でいただいたサンマが、忘れられない。
関東地方を台風が襲った日。

11月半ばにあるイベントの演奏会場の下見をさせてもらった。
主催者のY子さんが、その日の17時だったら会場が空いていて下見が出来る、つきましてはお食事などもご一緒にいかが?と言ってくださったので、ありがたく便乗した。
心配していたけれど、さほど雨脚も風も強くなく、無事到着。
地下鉄を出て歩道を渡ればすぐのところに玄関。
殆ど濡れないでメインロビーへ。

会場は広さも音響も申し分なく、コンシェルジュの行き届いた対応はさすが。
Y子さんのテキパキとした質問にもよどみ無く答え、当日のお食事担当のシェフも交えて打ち合わせ終了。
ここ帝国ホテルは、私が若い頃さんざん仕事をさせてもらったけれど、当時のままの雰囲気がまったく変わらない。
懐かしい。

ホテルの仕事は私たちにとって、とても楽しかった。
若かった私は華やかな雰囲気が好きだった。
それでも帝国ホテルで結婚式というと、時には企業つながりの政略結婚みたいなときもあった。
そういう結婚式では主賓が40分もしゃべったり、乾杯のグラスを掲げているのにそれからの挨拶が長かったり、うんざりすることもあった。
結婚式自体の雰囲気が暗くて、当の新郎のことは一切語らず、お父様が・・・お祖父様がという話ばかりのときもあって、これでいいのかなあなんてことも。

結婚式でこのホテルに来たのは今から数年前のこと。
その時は仕事ではなくゲストとして。
友人の息子さんのハレの日。
400人のゲストで新郎新婦は、はるかかなた。
元総理大臣が主賓だったけれど、私達のテーブルは旧知の間柄の人がいて、堅苦しくなくおおいに楽しんだ。
お肉が美味しかった。
今回のイベントでは、とても美味しいお肉が出るというので、楽しみにしている。

打ち合わせが終わって、和食レストランの「なだ万」へ。
私はいつもは夕食の量が少ない。
あまりたくさん食べると、眠れなくなる。
それで少しで良いのよと言いながら、結局あれとコレと注文したら結構な量になった。
日本酒に前菜の盛り合わせ、豆腐のカニあんかけ、サンマの塩焼き、ご飯、赤だし。
こういうところは上品にほんのすこしの量だからと思っていたら、豆腐はたっぷり、サンマは丸々。
まるで私が横たわっているような。

食べ始めると箸が止まらない。
ここで私は猫になる。
ワタからすっかり頂いて、頭が少しと綺麗に身がなくなった骨だけとなった。
お皿は猫またぎの状態。
このサンマだけど、とても身離れがいい。
箸で簡単にほぐれていくのは、焼く前になにか下調理がしてあるのだろうか。
訊いて見たかったけれど満腹になったら忘れてしまった。

プロの技術は簡単に教えないこともあるけれど、以前帝国ホテルのランチで食べたキノコ料理がとても美味しかったので、調理法を訊いてみた。
一緒に行った友人が、そんなこと教えるわけがないと言うけれど、大きなシェフの帽子をかぶった人がニコニコと教えてくれた。
きのこは火加減が強くないと水分が出てしまうので、ということで、素人の家庭のキッチンではやはり無理なのかもしれない。
家に帰ってやってみたけれど、やはり雲泥の差となってしまった。

ちょとした恥ずかしいこと。
赤坂のプリンスホテルでもよく仕事をした。
ちょうどランチタイム。
仕事の合間にランチをと思って、演奏者4人でレストランへいった。
テーブルに座ってお水を飲んでお手拭きを使ってメニューを開くと・・・
おやおや、ランチにしてはとてもいいお値段。
少し考えてからやめることにした。
ウエイターを呼んで「お水も飲んだしお手拭きも使ってしまったけれど、私達の生活レベルでは少しお値段が高いようなのでやめてもいいでしょうか」と訊いたのは私。
こういうことを言える神経の持ち合わせは、他の人にはないようなので。

嫌な顔をされると思ったらウエイターが「ああ、お気に召すメニューがございませんでしたか。それでは又の機会にぜひどうぞ」と言って、あっさりと無罪放免。
これがもう少しランクの下のレストランだとおもいっきり嫌な顔をされる。
さすが赤プリ。

サンマを食べて日本酒を飲んだら地下鉄で寝込んでしまって、車掌さんに起こされた。
この方がもっと恥ずかしい。





















2017年10月22日日曜日

ホントは今日だった

昨夜来たメール。
「ねえ、覚えてる、私達のコンサート本当は明日だったよね。明日だったら台風で大変だったね。本当に明日でなくて良かった」

11月3日に予定しているコンサートは、今日10月22日の予定だった。
渋谷の会場も予約してあって、その日に向けて練習を始めていた。
練習は、本番に最高潮になるように計画的に持っていかないと、途中で絶好調になってしまって、後は失速。
とか、まだ発展途上だとか、コンディション作りが中々難しい。
少し前にディテールが納得行くようになって、今少しホッとした状態だけれど、これを後10日ばかりで中だるみしないように維持出来るかどうかが勝負のしどころ。
一旦緩むと、緊張がなくなってひどいことになる。
緊張が緩んでしまったところで本番を迎えると、ひどくアガったりすることもある。
本番は常に危険と隣り合わせ。
100%出来上がっていたとしても、油断はできない。

渋谷の会場は良かったのだけれど、ピアノがスタインウエイでなかった。
ピアニストは自分の楽器を持ってこられないから、なるべく普段弾いている楽器と同じメーカーの方が良い。
弘法筆を選ばずと言っても、楽器で音色などが変わってしまうのは気の毒。
少し考えて、都内を諦めて川崎になった次第。
ピアノは自分の楽器が使えないというのはとても気の毒だと思う。
言っておきますが、川崎は決して遠くはありません。
品川から10分かそこいらで到着、会場は駅に隣接だからとても便利。

もう、ずーっと前の話。
オーケストラのアメリカ演奏旅行。
西海岸に沿って南下していくと、時々とんでもないピアノに遭遇した。
その時のソリストは野島稔さん。
野島さんは、毎日わけの分からないピアノを弾かされて少しお冠だった。
ある時「毎日毎日こんなピアノばっかりで、僕もうイヤ!」とおっしゃった。
才能のあるアーティストは、たいてい女性的要素が強い。

話は元に戻って、渋谷の会場は西側に天窓があった。
昼の本番は14時から16時くらいまでだから、西日がさすのが気になった。
音響のことを考えると、カーテンなどの遮音性の高いものはなるべく使いたくない。
西側の窓にカーテンを引くと、床から天井までカーテンで覆われてしまう。
西日を塞がないと、客席が眩しい。
ということが気になったので、キャンセルした。
会場の人はとてもがっかりしていて気の毒だったけれど、自分たちが最良の状態で弾きたいからということで。

今日はこの台風の中投票に行って、その後帝国ホテルへ。
11月半ばに帝国ホテルで知人のお父様のメモリアルイベントがある。
その時にモーツァルトの弦楽三重奏曲の演奏をするので、会場のセッティングや音響の下見にいく。
帝国ホテルは若い頃の私のテリトリーだった。
ここで随分仕事をしていた。
結婚式や様々なイベントでの演奏。
懐かしい。
それでだいたい様子はわかっているけれど、主催者と打ち合わせもあって、うふふ、打ち合わせっていうのは食事のことを言うのだよ、知ってる?
でも食事は台風次第。
風雨がひどくなったら、そそくさと帰ってくるつもり。

もし私達のコンサートが今日だったら、演奏どころかお客さまの帰宅の心配をしなければならないところだった。
そもそもお客様が来てくださるかどうか。























2017年10月21日土曜日

色の話

昨日は11月のコンサートの肝試しに友人二人に、私達の演奏を聴いてもらった。
荻窪の閑静な住宅街の素敵なお宅。

玄関を入れば別世界。
美術品と高価な調度品にかこまれ、外からの音は遮断され、庭を眺めてのお茶タイムは、ゆったりとした時間が流れるようだ。
ブリーダーで繁殖用に飼われていたチワワ。
去年この家に貰われてきたときは、なんとなくやさぐれて顔色も優れなかった。
今までの人生(犬生)はケージに閉じ込められて、子犬を生む道具として扱われてきた。
ところがひと月経ちふた月を越え、すっかり美犬に変身。
きれいなミルクティー色の毛艶も濃くなり、なによりも顔つきが幸せそうになってきた。
こんなに表情が変わるとは思ってもみなかった。
貴婦人のようになってきた。

プログラム全曲弾いてもいいと言われたけれど、流石にそれは迷惑だろうし、私達も疲れるから、モーツァルトとフランクだけ聴いてもらうことにした。
当日、ここに来る前にピアニストの家に寄って練習した。
ふたりともボロボロ音を取りこぼす。
緊張から集中しないこと甚だしい。
やはり友人と言ってもその道のプロフェッショナルだから、単に音が取れていればいいってものではない。
定見を持っていないと見透かされる。

緊張して演奏した。
それでも前に弾いた時よりも良くなったよと、優しいお二人。
本番前だから、いたわられてるのかな。

とにかく終わったその後が楽しい。
ワンちゃんも皆の間を嬉しそうに回ったり、飼い主の腕にまったりとくつろいだり、私たちが思っているのは「この家の犬になりたい」

その日私は珍しくピンクのプルオーバー。
襟と胸に植物の刺繍、前と後ろに可愛いポケットがついている。
なぜピンクを着ているかということを皆さんに説明した。

私はずっとブルー系が好きで、なんでも目に付くのは青い色。
シャツ類もブルーが圧倒的に多い。
ところが、最近急に色の好みが変わった。
しかもその日に着ていった服は買う運命にあったようなのだ。

私の家近くの商店街には、店を持たず時々催し物スペースに出店する常連の人達がいる。
その一つの店に顔をだすと、いきなりピンクの服を勧められた。
ピンクはねえ~・・・イマイチ乗り気ではないけれど、デザインはわるくないと思った。
しかし、私の年齡で着るには少し可愛いすぎる。
なんでこんな服すすめるのかなあ?
次の日も通りかかると、同じように勧められた。
う~ん、可愛いけどねえ、ちょっと若作りじゃない?
お店の人はとても残念そうに諦めてくれた。
それでとても印象に残っていた。

その後ひと月以上たって、品川駅近くの小さなお店を覗いた。
初めて入ったので色々珍しく眺めていたら、なんと、あのピンクの服があった。
しかも又、そこの女性スタッフから強力に勧められることになろうとは。
その上、後から入ってきた女性客まで買え買えと大合唱。
ついに折れた。
これは運命なのだ。
この服は私に着られるために生まれてきたのだ。
買ってみたもののクローゼットのお飾りになっていた。
ここ数日寒い日が続いて、衣替えをする必要に迫られている。
それで一回も袖を通さないでしまうのもバカバカしいから、着ることにした。
驚いたことに、皆が似合うと褒めてくれた。
そのうちの一人はピアノと占いのプロ。

彼女が言うことは、人は節目ごとに他人との関わりや、色の好みなどが変わるのだという。
ある時突然、今まで付き合っていた人が消えたり再会したり、それは星に左右されるのだそうで、私も何回か今までにそういう体験があったから納得した。
気が付くと、長い間お付き合いしていた人が急に疎遠になったり。
若い頃はこういう時期にひどく寂しい思いをしたけれど、最近は、ああ、波がやってきたなと思うようにしている。
ご縁があれば又会えるし私は気が変わらない方だから、再会すればいつでも同じようなお付き合いが出来る。

最近買う服の色が明らかに明るくなっている。
これは本人の気持ちが明るいからではなくて、気分が沈むのを明るい色で元気付けているようだ。
特に最近は今までになく赤いワンピースを買ったり。
年齡不相応の大曲のプログラムを並べて、ヒイヒイ言っている自分をなんとか鼓舞しようと、赤いドレスに助けを求めているようだ。
しかもそういうときには、着ているものが顔色に良く映えるようになるのが不思議。

ひどく落ち込んだ時、デパートで見つけた真っ赤なコート。
後先考えず買ってしまったのは15年ほど前。
もともと赤はあまり好みではないので、2,3回着たら飽きた。
飽きると不思議と似合わなくなる。
友人に赤の似合う人がいたから差し上げてしまった。
今は赤ではなく、ピンク。
赤とは同類かと思うとそうではない。
暖かく優しい色。
好きな曲が弾けて幸せなのかもしれないけれど、気持ちが沈むこともあって、良くわからない。
色っぽい話ならいいけれど・・・





















2017年10月20日金曜日

体に苔・・・ならぬ

以前どこかで見聞きしたのがタモリさんの入浴法。
彼の方法は、浴槽に浸かってゆっくりと温まるだけで体を洗わないというのだ。
じっくりと浸かると体の汚れがとれて、ゴシゴシこすったりもしないという。
聞き間違えだったらタモリさんごめんなさい。
そして結構ネットなどでもこういう入浴法を良しとすることが書いてある。

私の友人が「あなた、一回使ったタオルはすぐに洗う?」と訊くから「そうね」と答えると「神経質すぎ」と言われた。
「髪の毛なんて4,5日洗わなくても大丈夫よ」とも。
へえー、そうなんだ。
頭は毎日洗っていた。
以前、私は顔を石鹸で洗っていたけれど、北里病院の美容外科に行ったら、水だけで洗って決してこすらないようにと言われて驚いた。
毎回石鹸をつけたタオルでガシガシと洗っていたから、水だけというのはなんとも心もとなく不安だったけれど、だんだん慣れていった。
そうだよね、動物は猫以外は顔洗わないものねと思ったら気楽になって、以来そのようにしてきた。

入浴も毎日全身をタオルでこすっていた。
そういう時にタモリさんのことをきいて、それでは試してみようと思った。
それ以来、お風呂は浸かるだけ。
ノンビリ手脚を伸ばしてなにもしないと、とてもゆったりする。
髪の毛もあまり洗わなくなった。

今年の夏、鼻の悪い私でも自分が臭うような気がしてきた。
私の考えでは、もともと人間も動物だから体臭なんてのはある程度あるほうが良い。
人を選別するのに必要じゃないかと。
自分と遺伝子の違う匂いのする男女は惹かれ合うそうなのだ。

自分の匂いを感じた時には、洗濯物が生乾きでそれの匂い?かと。
時々かなり変な匂いがする。
おかしいなと思っていたら、石鹸で洗ったときには臭わないことに気がついた。
臭わないと言っても、私は嗅覚障害があって鼻は敏感ではないから、他の人には臭うかもしれない。
最近皮膚に苔が生えたのではなく、発疹が出ることが続いた。
発疹と言っても針の先でつついた程度の赤み。
気にして触ると痒い。
触らなければなにも感じない。

一旦触るとしばらく痒くて、掻いていると水のような物が出るけれど、注射針の跡位のとても小さなものなので、殆ど目に見えないくらい。
それで皮膚のかゆみをネットで調べたら、まず第一に出たのは糖尿病の皮膚疾患。
沢山の画像を見たら気持ち悪くてパニック。
こんな病気絶対になりたくないから、11月の一連のコンサートが終わったら健康診断に行こう。

それが1ヶ月ほど続いた。
しばらくするとその発疹も石鹸で洗うと、症状が改善されることに気がついた。
あれ、もしかして。
タモリ式入浴法をやめて毎日石鹸で洗い始めたら、発疹はでない。
匂いも消えた(と思う)

私は体脂肪率が体の30%もある。
油もの、バターの類が好き。
だから皮脂もたぶん人一倍出るのではないかと思う。

タモリさんはイグアナだから、皮脂も少なく汗もかかない?
私は大汗っかき。
同じような入浴法では私の場合、毛穴に脂肪が詰まって炎症を起こしていたのではないかと気がついた。
要するに小さなニキビ。
以前はエステに行って全身のケアをしてもらっていたけれど、最近は不精と経済的逼迫でそれもままならない。
たまには命の洗濯にエステに行きたいと切望している。

糖尿病とかダニに噛まれたとか色々心配したけれど、なーんだ。
入浴法もだれもが同じようにしても同じ効果があるわけではないから、人それぞれ。
私の場合はやはり石鹸をつけてタオルで洗うのが1番良い。
石鹸を使い始めて2,3日で発疹はなくなった。
気がつかなかったけれど、悪臭を放って他人に迷惑かけていたかもしれない。
自分の鼻が悪いので、自信はない。
ようするに垢が溜まっていた?ひゃー!ご迷惑をかけたかもしれない皆様ごめんなさい。
皆さん優しいから何も言わないで我慢してくれたのね。
加齢臭なんて案外こういうことなのかもしれない。

ナマケモノの苔ではなく毛穴の詰まりだった。
今はすっかり発疹は消えて平和が訪れた。
人様のやることがその人にとって良くても、自分には合わないということもあるというお話でした。













2017年10月19日木曜日

会場練習

11月3日のコンサートに向けての練習もいよいよ煮詰まってきた。
緊張が続く。
誰がこんなことしようなんて言い出したの?
弾けば弾くほど問題が出てきて、自信がなくなってくる。
肩はバリバリ、目はショボショボ。

会場の響きに慣れるために、ミューザ川崎の音楽工房でリハーサルをしてみた。
音響はとても良い。
お客さんが入ると残響が少なくなるとは思うけれど、気持ちの良い響き方をする。
何よりもピアノがガンガン鳴りすぎないのが助かる。
会場によっては妙に反響して、まるでお風呂場で弾いているような感じになることもあるから、適度な残響時間で良く出来た会場だと思う。
気持ちよくリハーサルを終えると、間もなく本番がくるという緊張感が高まってくる。
本番前の2週間くらいが1番苦しい時期なのだ。

ほとんど絶望的な気分で、毎回音程が気になる。
弾くたびにわけがわからなくなってくる。
ああ、もう嫌だ。
そう言いながら終わればケロッとして、さあ、次は何を弾こうかなんて考える。

同級生から電話があって、彼女もヴァイオリンだけれど「あなた、良くコンサートできるわね。わたしなんかもう立って弾くのが辛くて」と言われた。
先日ピアノの人から、ヴァイオリンは立って弾くから大変ですねと言われたばかり。
まさか立っているのが辛いなんてと笑っていたけれど、ヴァイオリンの人からもそう言われるとは思わなかった。
そうなのか、私は元気なほうなのかと、変なところで納得した。
家で練習するときにも私は座らない。
立っているのはさほど苦にならない。
ステージでは座って弾くような室内楽のパート練習も、立ったままで。

ヴァイオリンを弾くのは全身運動だから、座ってしまうと動きが制約される。
私が健康でいられるのは、毎日ヴァイオリンを弾いているからだと思っている。
仕事に追われていた頃は、時間的、体力的にも練習時間がとれないことが多かった。
今のようにじっくり練習することも出来ず、本番を重ねることによって練習していたようなものだった。
今のように楽譜を根本から読み直し、考え、練り上げていく作業はとても楽しい。
そのかわり今まで気がつかなかったような弱点も見えてくる。
案外自分は神経質なのが分かって、今まで強気で生きてきた人生を振り返ると冷や汗が出る。

フランクのソナタは転調が多くて、調性感を掴むのが難しい。
ヴァイオリンは自分で音程が作れるから、調性が出せる。
それには自分の中での音感がないといけない。
特に指が曲がってきてからは、その作業は年々難しさを増してきている。
音程は指を立てるか寝かせるかだけでも変わってしまう。
本当に0.数ミリの世界のできごと。
青木十郎さんというチェリストがいた。
先年亡くなられたけれど、90歳でリサイタル、晩年に出したバッハのCDがミラクルであると評判を聞いた。
その音程の良さを、私の周りの人達が絶賛していた。
だから歳のせいには出来ないので、私はなにか他の言い訳を見つけようと日々考えているけれど、そんな時間があるなら練習しなさいと言われそう。

関節が曲がって節くれだった自分の手をじっと見ていると、この手が私の幸せの元だったと気付く。
下手くそだったのがよかったのかもしれない。
なまじ上手くてコンクールに通ったりしたら、世界を股にかけて歩くようになる。
そんな苦労は自分には無理。
すぐに押しつぶされて死んでしまう。
ずっとマイペースでいられたから、今こうしてまだ弾いていられるのだと思う。

私はナマケモノ。
あのナマケモノは木にぶら下がっているうちに体に苔が生えてくるって本当かな。

苔と言えば体に・・・あ、その話は又次回。
なんかテレビの番宣みたいだけれど。


















2017年10月16日月曜日

誘蛾灯

ネットのニュースで日本の美脚タレントの表彰式の画像を見た。
自分のことはものすご~い高い棚に載せて言わせてもらうと、膝から下が曲がっていてどの人もあまり美しくない。
それでも私に比べると月とスッポンどころの差ではなく、一般人から見れば惚れ惚れするようなレベルなのだと思う。
いまどきの若い女性は、女優さんも真っ青なくらいきれいな人もいるけど。

最近のマイ・ブームは主にイタリアから輸入のワンピースの通販。

同じヨーロッパでもフランスとイタリアでは微妙に違う。
イタリアものは、遊びが多い。
通販で買うときには画像で見るのでディテールがよくわからない。
膝下丈のスカートかと思ったら、後ろは確かにそうなんだけど、前を見るとミニだったりして、買わなくてよかったとホッと胸をなでおろす。
袖は普通左右2つついていると思うでしょう。
ところが片方袖がなかったり。
色は華やかを通り越して、ぎょっとするほどの新鮮な組み合わせ。
とにかく面白いことが好きなので、こういうのが私好み。
似合うとか似合わないとか関係なく、デザインが面白いとつい買ってしまう悪いクセが出る。

一時期はスペインの女流デザイナーの服に凝っていた。
異素材の組み合わせや色の面白さが気に入っていたけれど、非常に着にくい。
重すぎたり長過ぎたり。
もちろん服が悪いのでは無く、私が標準よりだいぶチビというのがいけない。
こういう面白い服はモデルさんが着たら素敵だろうなと想像するけれど、私が着たらハロウィンのかぼちゃの仮装みたいになってしまう。
それでクローゼットに高価なマントやスカートが数年来ぶら下がっている。
この先着る予定もないのに捨てられない。
普段は洗いざらしのジーパンTシャツ。

今ハマっているのはイタリアのシルクワンピース。
コンサートの衣装にと思って最近買ったのは、身頃は薄いシルク。
襟と袖口と裾が厚手のシルクでカラフル。
届いてからびっくりしたのは、裾の前と後の長さが違う。
説明には膝丈と書いてあるのに、写真を見るとどうしてもロング丈。
どちらにしても私が着れば膝丈はロングになるからと思って注文したら、なんと前は膝下までの丈だった。
襟は着物の半襟みたいなイメージで、これをステージで着るというのもなんだかなあ、というわけで只今絶賛迷想中。

夜中にこの通販サイトへ行くと次々に面白い服が現れる。
敵も心得たもので、広告が絶え間なく現れるからついクリックして誘蛾灯に引っ掛かった蛾みたいになってジタバタ。
1つ買うと止まらない。
先程のドレスを買ったら、次々とあれもこれも、結局あっという間に4着。
お金が飛んで消えていった。
ミニワンピースと説明があったのが、届いたら立派に膝下まであった。
いかにモデルさんたちの足が長いかが、わかるというもの。
そしてそのモデルさんたちの足のきれいなことったら・・・!
やはり日本人はかなりレベルが高くても、欧米人にはかなわない。
と、ここへ持ってきたかったわけで。

デザインが琴線に触れるからお金を使いすぎて、金銭には触れられなくなる。
もう限界だというのに夜な夜な目を光らせてカタログを見る。
不気味ですねえ。
そのうち、イタリア製のシルクドレスを纏ったホームレスが野良猫に囲まれて橋の下に寝ていたら、それは私です。











2017年10月10日火曜日

ナマケモノの赤ちゃん

悶絶するほどの可愛さです。
こちら」をクリックしてください。

昨日はロンドンアンサンブルのピアニスト、松村美智子さんが亡くなってから初めてのお墓参りに行った。
この春、彼女は息を引き取ってしまった。
音楽の才能はもとより、人をひきつけてやまない豊かな感情、繊細でありながら皮肉屋でもあり、その人柄の魅力を一言ではいえないけれど、人生を全力で駆け抜けて行った感がある。
どれほど体が痛くても、コンサートをやめるなどとはつゆ程も思わなかったその忍耐が、体を蝕んでしまった。
一年くらい休んでも誰も忘れはしないのに、それほど責任感が強かったのが仇となった。
休んで直してからでも復帰できるほど、充分若かったのに。
なぜそうしてくれなかったのかと、私たちはくやしい。

わたしが理想とするのはナマケモノ。
美智子さんの夫のリチャードさんはノンビリやさんで、いつも美智子さんに叱られていた。
ある時美智子さんが「あなたとリチャードはいっしょね」と言うから「なぜ?」と訊くと「ふたりとも天然」と言って笑った。
美智子さんが笑うと、赤ちゃんのようなほっぺがぷっくりと可愛らしく膨らんで、とてもチャーミングだった。
私たちは一緒に良く笑った。
本当によく笑った。

昨日美智子さんの同級生だったNさんと、自由が丘駅からお墓まで歩いた。
休日の自由が丘駅前はそこここで野外ステージが組まれていた。
その喧騒を抜けて、10分くらいでお寺に着く。
大木の茂る境内の緑陰にはいると、急にひんやりとして静けさに包まれた。
お墓の掃除をしてお花とお線香をあげると、本当に美智子さんが逝ってしまったのだという実感が湧いてきた。
もう、この下から出てくることはないのだと。
愛情いっぱいに受けて育った彼女を、ご両親が抱きしめているかもしれない。

美智子さんは何事もすべて把握していないと気が済まない性分で、ほんの些細な辻褄の合わなさも許せなかったようだった。
本業のピアノは稀にみる繊細さだった。
一緒に演奏してもらったときには、全身が耳で出来ているのではないかと思うほど、反応が早かった。
人の何倍か生き抜いて、それでもまだまだピアノが弾きたかったと思う。
もう一度一緒に笑って旅行して演奏して、お寿司が食べたかった。
彼女はロンドンでは美味しいお寿司がたべられないと言って、日本に戻るとよくお寿司を食べに行った。
自由が丘のお寿司屋さんがお気に入りで、雪の日に寒さに震えながら食べに行ったこともあった。
手袋をなくして大騒ぎ。
次々に思い出が蘇る。

美智子さんがもう少しナマケモノだったらと、考える。
もう少し長生きしてくれたかもしれない。
それでも私がこの先何十年か生きたとしても、彼女の方が沢山のことを充分やってのけているに違いない。
象は象なりの、ネズミはネズミの人生を全うすると本で読んだことがある。
彼女は疾風のように沢山の出来事を巻き込んで生き、私はしょっちゅう木にぶら下がったまま動かずにぼんやり雲を眺める。
それぞれの時間の密度は、長さとかかわりなく同じなのかなと。













2017年10月8日日曜日

メニューイン

2、3日前の投稿「苦労してます」で絶不調と書いたけれど、主な原因はフランク「ソナタ」で使う楽譜の版をメニューイン版にしたこと。
今までずっと使っていた楽譜がボロボロになり、譜めくりをする時に紙が破れそうになるし、ずっと代わり映えしない弾き方をしていたから、このへんで初心に戻って勉強し直そうと、数種類の楽譜を取り寄せた。
どの楽譜も共通点はあるものの、フィンガリング(左手の指の運び方)、ボウイング(右手の弓の使い方)ともに様々な考え方があって、それぞれの編曲者が自分の個性を打ち出してくる。
学生時代から使っていたのは日本の出版社のもので、それにすっかり慣れてしまっていたから、なんとなく弾ける。
しかし、版が違うとぎょっとするほど弾けなくなる。
もともと知らない曲ならともかく、長い間に自分のやり方で弾いていたので、少しでも変わるとつかえるし、初見で弾くような気がする。

メニューインの版を選んだのは、本当にユニークだったから。
これでなにか掴めて曲想も変わることだろうと思って、練習を始めたのは、もう何ヶ月か前のことだった。
彼の思うことは理解できる。
たしかにこれで弾ければすごく豊かな表情が出るのではないかと、しばらく我慢して練習に励んだ。
けれど、どんどん泥沼にハマっていく。
どんどん音程が不安定になっていく。
しかし、元の自分のやり方で弾くとつまらない。

こういう弾き方で出来れば中々よろしいのではと思う。
しかし敵は天才、私は愚才。
どうやったって敵うわけがない。

自分の音程の悪さに悲鳴を上げるようになった。
先日の練習の時に「あなたねえ、どんどん(両手を視野を遮るように顔の両側に当てて)こういうふうになっていってるわよ」ピアニストに指摘された。
自縄自縛、自分でもそう思う。
中々音程が定まらないので、音を取るのが怖い。
音楽が前に進まない。

それで思い出したのが先日の女子会のときの会話。
「メニューインは音程が良くないのよね」と誰かが言った。
そうか、あのフィンガリングでは彼でも難しいのだろうか。
それとも歳をとってからの話だろうか。
続く「しかも弓がブルブルして大変なのよね」
天才も大変なのだ。
私がこのような状態でも優しい友人たちは「頑張ってね」と言ってくれるけど、メニューインではそうもいかない。
あのハイフェッツが引退したのも、彼のポリシーが「いつでも前回よりも上手く弾かないといけない」ということだったからだと聞いた。
だから引退はかなり早かったようだ。

人間絶好調のときもあれば絶不調のときもある。
それを許さないほどの自己を律する生き方をしないと気が済まない人もいれば、私のようにそのうちなんとかなるだろうと考える輩もいる。
今頃おめおめと、フランクのソナタが難しいなんて言うのは自尊心が許さないほどでなければ、大成しない。

チェコのヴァイオリニストの、スークの引退演奏会を聴いたことがある。
これが日本に来る最後だときいて涙なしには聴けなかったけれど、それだけでは無く本当に演奏が素晴らしくて感動した涙でもあった。
こんなに素晴らしいのになぜ引退してしまうのか、もったいないと思った。
彼らクラスになるとほんのすこしのミスも許されないのだろうというのはわかる。
しかしもったいない!
高みに登ると孤独の罰を受けるとはよく言ったもので、私達の窺い知れないほどの辛さがあるのかなとも思った。

楽譜が変わったから弾けないなんて言ったら、アホかといわれそう。
前回の練習の時に、見るに見かねた相棒がもう一冊の楽譜を見せてくれた。
それは日本でもおなじみのフランスのヴァイオリニスト、プーレさんの編曲。
借りてきて家で弾いてみたら、まあ、なんと明快な洗練された編曲!
泥沼から抜け出したようになって、私は一息ついた。
あと1ヶ月を切ったけれど、今からこちらの楽譜で練習開始。
やれやれ、メニューインのお陰でとんだ道草・・・かと思ったけれど、やはり捨てがたい魅力があるから、次回弾くときにはもっと時間をかけて自分のものにしたい。

ね、長時間立っていることよりも弾くことのほうが大変なことなのよ(笑)
私もしつこい。

























2017年10月7日土曜日

警察官

毎日必ず楽しんでいたパソコンのゲームが突然できなくなった。
Microsoftの陰謀かもしれない。
それで急に手持ち無沙汰になってしまった深夜の時間を、2ちゃんねるで潰すことが多くなった。
そこでの書き込みを読んでいたら、私も同じような体験をしたのを思い出した。
その記事がこちら。
拾ったセカンドバッグを交番に届けたら

千葉県船橋の駅前の電話ボックスで、私はカードケースを見つけた。
前に電話を使った人が置き忘れたものらしい。
カードが沢山入っていて、忘れた人はさぞ困ることだろうとあたりを見回すと交番があった。
覗いてみると、巡回中につき御用の方はこちらへ連絡してくださいという貼り紙。
電話番号が書いてあったから、さっきと同じ電話ボックスから電話した。
まだ携帯が普及するずっと以前のお話。

電話には西千葉(千葉西?)警察署の女性(警官?)が出て応対し始めた。
まず驚いたのはその横柄な口のききかた。
「あー、それで?名前は?」なんていうような、刑事物のドラマに出てくる威張った上官みたいな口調。
はじめは丁寧に状況の説明をしていたけれど、あまりの態度の悪さにムラムラと怒りが湧いてきた。
「ちょっとあなた!その口の利き方はなんなの。私は好意で届けているのに。他の人に代わってちょうだい!」
あまりにも大声だったらしく、その女性の周りが騒然としているのが伝わってくる。

男性が代わって出た。
「今の人はなんなの、名前を教えなさいっ!」「何度同じことを言わせるの、とにかくあの態度はひどいから謝らせなさい」
すると先程の女性が替わって「すみません」
怒るとと全部吐き出すまで気が済まないから「名前をいいなさいっ」
逆上しているから、とどまるところを知らない。
又男性に替わって「謝罪に行きますのでお待ち下さい。駅の上に喫茶室がありますので、そこにいてください」

しばらくすると男性警察官が二人、現れて頭を下げるから「さっきの人は警官なの?」と訊くと「いや、事務のもので」とかなんとか。
嘘おっしゃい。
身内に甘く隠し事ばかりする警察の体質を見た。
カードケースは無事持ち主の手に渡ったようで、丁寧なお礼のハガキをいただいたので、少しは気持ちが落ち着いたけれど、千葉西(西千葉?)警察署!警官は庶民の上役なのか?
どうなの?

これも随分以前の話。
nekotamaにはすでに投稿した記憶があるけれど。
大晦日も近い大混雑の渋谷の交差点で、次の信号で左折するために私は車を1番左の車線に移動して信号待ちをしていた。
すると私の右にいたトラックがしきりと左によってくる。
信号が青に変わった途端、右側のトラックが私の車の右前をこすりながら左折し始めた。
私は慌ててクラクションを鳴らしたけれど、ガリガリとこすりながら進んで、やっと止まった。

唖然とする私。
そのトラックは左折したかったのに、ものすごい渋滞で左の車線に行くことが出来ず、むりやり割り込もうとしたらしい。
もちろん私は激怒。
憤怒の相で睨みつけ、とりあえず二台とも左折して車を止めた。
おあつらえ向きのように、交番の前だったからちょうど良い。

人の良さそうな中年の冴えない警察官が取調べに当たった。
「あー、それで?なんであなたは左車線にいたの?」
私は「はあ?、だって次の信号で左折するから左によっていただけで、あの車線は左折専用じゃないでしょう?だいたい左折したかったら左によっているのが当たり前でしょう」
そのへんからもう怒りモードに切り替わる。
こちらも動いていてぶつかったのならお互い様だけど、停まっているものになぜ頬ずりをするのか。
よほど私の車が魅力的だった?
それともボロだから、少しくらい傷がついてもかまわないと思ったのか。
手際の悪い対応にイライラ、こちらを悪者にしようというのかしら。私に散々怒られてしょんぼりするおっさん警官。

するとそこへやってきたのは、見ただけでバレリーナとわかる女性。
体型、筋肉のつき方、歩き方で一目瞭然。
「財布拾いました」
そしてさっき私からさんざん叱られたおっさんが応対。
「どこで拾いましたか?お名前は?」
「それでお歳は?」
とたんに血相を変えた件の女性。
「あなた!女性に歳を訊くなんて失礼でしょう!」
おっさんはアワアワ。
こちらは可哀想な警察官のお話。

この日の彼は女難の相がでていたのかも。




















2017年10月6日金曜日

苦労してます

只今絶賛大不調中。
9月のたて続けのコンサートが終わって、自分としてはなんとかやり遂げたと思っていたけれど、プロコフィエフのソナタの録音聞いたら、ゲゲゲッ!
1楽章2楽章はまあまあ、3楽章もすこしテンポが速めだけれど、許容範囲内。
うん、まあまあだね。
ところが4楽章ですっかり安心したのか、調子に乗ってはずすことはずすこと、音程が見事にはずれている。
大変楽しく弾いたのでもう少しマシだと思っていたけれど、やはり油断大敵。
だいたい楽しく弾けたというときにはろくなことはない。

この曲を聴いた人が「ヴァイオリンは大変ですねえ」と言ったそうで、それを聞いて私は「分かってくれるかい?」と喜んだけれど・・・
その人はなぜ大変だと思ったかというと「4楽章もある曲を立ちっぱなしで弾くなんて」ということだったらしい。
あはは、そういうことは少しも苦労ではないの。
しかもコンサートは1曲だけでなく、たいてい3曲か4曲弾くから2時間立ちっぱなしになるけれど、それが大変と思ったことはないのです。

なにが大変かというと、音程を自分で作らなければならないこと。
それと右手の微妙なバランスが日によって変わること。
湿度や温度、手の湿り気などが関係して、少しでも条件が違うとあっという間に奈落の底に突き落とされる。
例えば、湿度が高いと、弦が伸びて調弦が狂う、音が伸びなくなる、湿度が低いと弓に張ってある馬の尻尾の毛が張ってしまう。

コンサートホールは常に一定の条件に保たれているけれど、北軽井沢のミュージック・ホールフェスティバルのときは、ひどい湿気に悩まされた。
弦が伸びて音程が下がるから絶えず調弦をしていたために、替えたばかりの新しい弦が自宅に帰った途端に切れた。

ヴァイオリンの部品は値段が高い。
金や銀の値段が弦の値段に反映される。
ガットの外側に細い銀か金の線が巻いてあるから。
それで1本切れるとあっという間に数千円が羽を生えて飛んでいってしまう。
一時期G線1本1万円近くした時期があって、そのときは死活問題だったことも。
弦は古くなると調弦が合わなくなるし音が悪くなるから、そうなると替えないわけにはいかない。

立って弾くのは少しも苦労ではないけれど、年をとって指先の水分が減ると音程に重大な影響がある。
それと体の柔軟性が失われることも大問題。
ということで、最近音程が悪くなったと感じることが多い。
若い時の録音を聴くと、自分でも驚くほどピッタリあっているのに、最近は自分で合っていると思っていたものがすごく低かったりすると、ショックで立ち直れない。
指のせいでもあるけれど、耳のせいでもある。

何回もくどくど言いますが、立っているのは全然苦労ではないですよ。
ヴァイオリンは音程が命。
今日は11月3日のコンサートのための練習でピアノと合わせていたけれど、私があまりにも神経質になっているのでピアニストから注意された。
神経質になりすぎて膠着状態、泥沼にハマって抜け出られない。

出す音がことごとく外れているようで、先に進めない。
たいてい、本番1ヶ月位前から、こういうことが起きる。
一度どん底に落ちないと、先に進めない。
もう一度初心に戻って再構成しないといけない。
これがつらい。
弾けていたはずのものが弾けなくなっているから、最初から組み立て直す。
嫌だなあ、年取ってから苦労するのって、なあんて。
誰に言われたからでもない、自分で始めたことなので仕方がない。

くどいけど・・・立って弾くから辛いのではありません。
面白いなあ、そういう見方があるなんて。



















2017年10月4日水曜日

ドッペルゲンガー

今朝、都内某病院から電話がかかってきた。
「先日いらっしゃってからお加減はいかがですか?」
「はあ?、私がですか?」と私。
もしや知り合いの医師がかけてきたのかと思ったけれど、病院の受付だという。
最近病院へ行ったのは、私の義理の兄が具合悪くなった時で、それ以来行っていない。

話がどうやっても噛み合わない。
その人の話によると、今週の月曜日に私名義の保険証を持った人が診察を受けに来たという。
保険証を見ると2年前に失効しているので、その日は帰ってもらったらしい。
とても具合が悪そうなので気にかかっていた。
しかし、保険証が切れているから受け付けるわけにはいかない。

日をあらためて来るとでも言ったのだろうか。
その後来院しないからどうしているかと。
私はそちらには行って居ないし、その人が来たという日は整体院に行ってマッサージを受けていた。
先生が2人と、あとから来た患者さんが二人いたから私のアリバイは証明される。

病院の受付さんは、少し言い淀んでから「だいぶ認知症の症状も出ているようなので、大丈夫かなあと思っていました」
え、なんだそれ私の事じゃん。

「私は都内在住ではないし、その時間帯はこちらにいましたから」
すると、私の分身がいることになる。
よくよく考えてみると私は、はっきりといつとは言えないけれど、数年前に保険証をなくしたことがある。
それで保険証を再発行してもらった。
そのときに、いとも簡単に再発行してくれたのでビックリした。
こんなに簡単なら、だれでも申請すれば他人の保険証を再発行出来るのではないかと思った。

そのときになくしたものを誰かが手に入れたらしい。
いったいどこでどのようになくしたか記憶がない。
例えば病院の受付窓口に置き忘れたとか、身分証明のために出した時に返還されなかったとか、色々考えられるけれど、もし金融関係などで不正に使われたら困る。
しかし、期限が切れているのでまあ、大丈夫とは思うけれど。
なにかに悪用されないだろうか。
なくしてから再発行までの間に、どう使われたかはわからないから不気味。

とりあえず、病院から警察に届け出をしてもらうということになった。
私の年齢に近い女性で、保険証が持てない理由があって・・・例えば保険金が払えないとか、住所不定であるとか、そんな人が困って他人の保険証を拾って使おうとしたなら、それはそれで気の毒だと思う。
「だいぶひどい状態でしたので心配でお電話してみました」と言う受付さんの言葉が心に引っかかっている。
秋風が吹き始めるこの頃、身寄りも無く体調が悪くて必死で病院へ行っても診てもらえなかったら、辛いことになっているのではと心配するのは大甘ですかね。

どうもこの甘さが近所の野良猫を引きつける要因らしい。

そう言えば思い出したことがもう一つ。
若かりし頃テレビにもよく出ていたけれど、どうも私のそっくりさんがいたらしい。
「今日テレビで見たよ。売れてるねえ」とか言われることも。
「私、その番組には出ていないわよ、人違いじゃない」と言っても「またまた~」なんて往生際が悪いと言わんばかりの対応。
ある時期、何回もそういうことがあった。
世の中広いのに、よりによって私そっくりの人がいるなんて気の毒な。
私に似ているとしたら、人生真っ暗だわねえ。














2017年9月28日木曜日

女性の鑑

何回もこのブログに書いているけれど、今日も思い出したので。

かつての仕事仲間に「女性の鑑」がいた。
静かな歩き方、柔らかい言葉遣い、仕事が終わってヴァイオリンをケースにしまう時などそれはそれは丁寧に楽器を拭いてきちんとしまう。
ケースを閉じるとササッと両手で表面を拭く。
それを見て、私たちは「ほら、みてごらん!あの人は本当に女性の鑑よね、ああいう風にしないといけないわよね」と、ひそひそ。

猫好きな人で、沢山飼っていたらしい。
夕暮れ時に宅配便の配達に来た人が、薄暗がりに光るなん十個もの目玉を発見して、腰を抜かしたとかなんとか。
家(豪邸らしい)には猫専用の部屋があって、猫はほかの部屋には入らせない。
お掃除はマメに、外出から帰ったら玄関前で、服や楽器のケースのほこりを掃う。
そして最初の部屋に入ると、ケースの消毒、服を全とっかえ、そしてやっとメインルームへ。
聞くだけで失神する。

私は今でもポッチャリだけど、当時はもっとデブだった。
すると「nekotamaちゃん、それ以上太ってはだめよ、テレビに映るともっと太ってみえるから」と有り難い助言をいただいた。
リハーサルの時、練習が終わった楽譜をどうするか訊かれた。
「終わった楽譜は下に置く?それとも譜面台に置いておく?」
私は全く気にしないから「そんなことどうでもいいじゃない」と言うと「どうでもいいじゃないわよ」と怒られた。

テレビや録音の仕事では、床にたくさんの電気コードが這っている。
足元はイヤホンのコード、モニターのコード、譜面台照明のコードの他にも、太いコード類がぐちゃぐちゃ。
すると「ちょっと待って、今きれいにしてあげるからね」と言って、コード類を一方の端によせて、椅子がそれを踏んでガタついたりしないように整理してくれる。
きれいになると私が「ありがとう」と横柄に座る。
これも毎度のこと。

そして彼は・・・えっ!彼?と思われたかもしれないけれど、れっきとした男性・・・ある日忽然と姿を消した。
仕事でもそれ以来会っていない。
ちょっとミステリーでしょう?
今頃どこにいるのかしら、思い出しては、涙ぐ・・・まないけれど、時々思い出す。

仕事を始めた時からの付き合いだから、若い頃の私も知っている。

ある時彼が「nekotamaちゃんは若い頃はほっそりしていて、バンビちゃんみたいだったわよね」と言った。
私とは息子ほど年の離れた若者(彼のお母さんと私が同い年)がそばにいて、それを聞くなりすかさず
「今はゾンビですよね」
周り中が凍り付いたように固まった。
「おい、お前、そんなことよく言えるなあ」
慌てふためく周囲の人たち。
でも一番受けていたのが言われた本人の私。
お腹抱えて笑った。
若者は本当に頭の回転が良い。

女性の鑑はその後の目撃情報では、新宿2丁目あたりにいたらしい。
女性の鑑だったから恋愛感情などお互いにないけれど、とても優しくしてもらったので時々こうして懐かしんでいる。
鑑よ鑑よカガミさん、あれから十数年、元気にしているかなあ。























2017年9月27日水曜日

nekotama豊田真由子になる

時々開かれる女子会。
なぜか私が幹事になっている。
もう何回も幹事はヤダ!と言っているのに。
あなたが1番良く知っているでしょう?とかなんとか言ってみんな平然としているから、嫌々やっているのだけれど、今回はとんでもないことになった。

夏の頃から集まろうという掛け声はあった。
私はこの夏から秋は猛烈に忙しく、それどころじゃない。
しかも、皆のスケージュールが絶望的に合わないときている。
何回ものやり取りの結果、ようやく決まった日がつい先日の月曜日。
それでお店探しをすぐにすれば良かったものの、私も古典音楽協会の定期演奏会などが続いて、女子会は後回し。

やっと本番が終わって次の本番まで1ヶ月以上あるから、ほっと一息ついたところで店探し。
それが予約日2日前。
ネットで色々見ていたら良さそうな中華料理のお店が目についた。
もう真夜中近く、まだ予約フォームは空いている。
予約の変更は11時59分までにと書いてあったから時計を見ると、まだ時間はある。
他のお店はもう予約が詰まっていて、そこのお店だけは予約可能だったから、気にはなったけれどラッキーと思って予約すると、すぐに予約を受け付けたと返信があった。

銀座4丁目付近でランチ、スパークリングワイン付きで2900円、北京ダックが付くと3500円とは破格のお値段。
これでまだ予約が出来たとは本当に信じられない気持ちだった。
店の名前は中華料理の「CHINESE CUISINE SON」
お店の写真も綺麗!
ああ、良かった。すごく楽しみ。
ちょっと不安でもあったので、念のため(その日は店は休みではなかった)電話をしてみたけれど、だれも出ない。

次の日は定休日だったけれど、何回か電話してみた。
誰も出ないし留守電にもなっていない。
休みでは仕方がないか。

当日朝、銀座に向けて出発と思って靴を履いていたら、店からの電話だった。
「今日は席が一杯で6人は無理ですからキャンセルしてください」
はあ、なにを言ってるの?
2日前に予約したのに。
そうしたら「時間が遅かったから店は知らなかった」とか「この時間だと銀座で6人の予約を受け付けるところはないだろう」とか無責任極まるお言葉。
「一応電話したほうが良いと思って」と言うではないか。
「あったりまえでしょう!」
時間内の予約だったはずだから、店がチェックを怠ったということでしょう。

私は逆上した。
もう久しぶりに怒ったのなんのって。
なぜ予約フォームが受け付けられるようになっていたのか?
他のお店は全部フォームが予約がいっぱいとなっていたのにお宅だけは受け付けられるようになっていた。
しかも留守電にもなっていないから、確認の電話を何回もしたのに、それも出来ない。
すると「ああ、休みだったからね」
あまりにも杜撰で対応も悪いから言い募っているうちに、だんだん豊田真由子状態に。

私はめったに怒らないけれど、怒ったららもうおしまいというところがある。
怒髪天を衝くとはこのこと。
ようやく実現する女子会を皆楽しみにしていた。
せっかちな人たちだから、もう銀座駅に向かってとっくに家を出ていることだろう。
どうしよう。
「とにかくお宅でお店を探してちょうだい!」と怒鳴って電話を切った。
まさかあんなことを言っていたから、探してはくれないだろうと思って自分で探すことにした。
銀座は無理だったけれど、日本橋なら空いていたから予約を入れた。

しばらくしたら前のお店から電話があって「他のお店が見つかった」とのこと。
なんだ、言葉が横柄だからあまり信用していなかったけど、ちゃんとやってくれたのだ。
もうほかを予約したからと断って銀座駅の待ち合わせ場所に行った。

何が起きても駘蕩としている人たちだから、私のイライラはやんわりと慰められて、日本橋に移動。
「さっきねえ、私は『ちーがーうーだろう、このハゲー』状態だったのよ」と言ったら可笑しそうに笑う彼女たちを見ていたら、あんなに怒るのではなかったと反省しきり。
しかもちゃんと代わりの店を見つけてくれたのに。

















2017年9月23日土曜日

トスカ

知人がスカルピアを歌うというから聴きにいった。
江戸川文化センター。
第34回東京オペラ、34回というから随分以前からのシリーズらしい。
私はとんと知識がないから、深川あたりでオペラが上演されているとは知らなかった。

知人というのはバリトンの村田孝高さん。
都内某所でのサロンで小さなコンサートをするときにお目にかかった。
そのサロンはマンションの一部屋。
広いリビングルームで、楽器の演奏や彼の歌などを聴いて楽しむ。
広いと言ってもマンションの一室だから、大ホールとは違う。
そこで彼の声は朗々と壁を揺るがすほどの声量で響く。

今日のホールはそれほど広くはないから、オペラと言ってもコンサート形式でするかと思ったら、ちゃんとオーケストピットまで出来ていた。
オペラほどお金のかかる芸術はないと思うので、これをシリーズとして取り上げる人たちのご苦労が忍ばれる。

オーケストラは江東オペラ管弦楽団と銘打ってあるから、このオペラのために集められたものかもしれない。
時々音が濁り音程に難があったけれど、上手く歌手との連携もできているのは指揮者の腕?
最後の方でのチェロのソリ、そこはとても良かった。
指揮は諸遊耕史さん。
経歴を見るとオペラの指揮者として随分経験が豊富でいらっしゃる。
私は残念ながら世代が違って、存じ上げなかったけれど。

いまや日本人も本場のイタリアなどで活躍できる時代になってきた。
日本人のオペラと言えば私達の世代では、喉を潰すような唱法。
喉に力が入ってガチョウが絞めころ・・・いえいえ、悪口はいけません。
私達の時代は、ヴァイオリンでもピアノでも力任せに演奏することが多かった。
しばらくすると日本人がミラノで「人知れぬ涙」を歌うというのでビックリしたことがあった。
それを聞いたらあんまり上手いので二度ビックリ。
日本人の歌い手もここまで来たかと、感激した。

村田さんの風采も声も貫禄たっぷりで、まさにスカルピアは、はまり役。
実際の彼は穏やかでこのオペラの話をするときに「役はなんですか」と訊くと「それが・・・スカルピアなんです」と気弱そうに答えた。
ところが舞台を見ると、いかにも悪辣そうで圧倒的な存在感だった。

カヴァラドッシ役の歌手は少し喉の調子が悪かったのか、声がかすれたり潰れたり。
もっとも役の上での彼の置かれた立場からすれば、平常ではいられないわけだから、これはこれで臨場感ありとしよう。
最近オペラの字幕が出るので、昔のように歌だけ聞かないで歌詞の意味もわかるけど・・・それも良し悪し。
オペラって筋書きから言うとひどすぎる。
筋はどうでも良くて歌が素晴らしければ良いのだけれど、字幕を見るとそりゃ、あんまりだろうと突っ込みたくなる。

トスカがスカルピアを殺したとカヴァラドッシに告白。
すると人殺しをした手を、清められた手と賞賛する。
いくら相手が悪辣な人間でも殺してはいけないと、子供の頃注意されませんでした?

故芥川也寸志さんがよく言っていたけれど「僕はオペラがきらいです。何を言うのもあんなに大げさに言うのはおかしい」と。
そう言われりゃ、歌舞伎などもその類ということ?




















ドメスティック・ニャイオレンス

生傷が絶えない。
朝目が覚めて又新しい傷があるのを確認する。
時々とんでもないところにまで。
実は家庭内暴力を受けているのですよ。

タマサブロウが死んでから生傷の数は少し減ったけれど、相変わらず毎日新しい傷ができている。
タマサブロウは私が大好きで、力のあるオス猫だったから私は傷だらけ。
私の睡眠は深いから、一旦眠るとなにをされてもめったに目が覚めない。
顔の上を歩いたりするらしく、目の付近にまで引っかき傷が。
お腹が空くと引っ掻いて催促するらしく、いたるところに傷跡がある。
危ない危な~い!

最後に残ったのはコチャ。
推定16歳くらいのメス猫。
この子は多頭飼いの最後の入居者だったから、ずっと他の猫の陰に隠れていたけれど、去年他の子がいなくなってようやく日の目を見るようになった。
今までは押入れ住まいだったのが、晴れて私のベッドへ来るように。
運動不足で体はコチコチだから、ジャンプ力に欠けて早歩きもしない。
ドタドタと歩く姿は、どう見てもツチノコ。
最近まで抱っこされるのを嫌がっていたけれど、一人になったら抱っこ大好きの甘えん坊に変身!
それは良いけれど、椅子に座っている私の膝に乗ろうとやってくると恐怖。

ジャンプ出来ないから私の膝に手をかけて、そのまま体を引っ張り上げる。
全体重は彼女の爪に。
バリバリと私の腿は傷がつくという次第。
だから私を真っ直ぐに見ながら近付いてくると、先に手を出して抱っこすることにしているけれど、気がつかないでいきなりやられると悲鳴を上げることに。
私を木かなんかと思っているらしい。

寝ているといきなりドスドス載ってきて、胸を踏みつけて顔の近くで香箱座り。
胸は狙いすましたかのようにポイントを的確に踏みつける。
その痛さったら・・・・
それに重たい。
このまま寝たら悪夢にうなされると思うけれど、幸いあまり居心地が良くないらしく、しばらく私の顔と対面した後、去っていく。
いったい何をしにくるのかしら。

毎日の暴力沙汰で私は傷だらけだけど、膝によじ登ってきた彼女が満足そうに私を見上げてくるとメロメロ。
その目のきれいなことったら。
幸せそうにうっとりと見つめてくる。
こんな愛情に溢れた表情で私を見つめてくれる者は、世界広しと言えども他にいないから、それだけでも私の胸はキュンとする。
トラやライオンみたいな大型動物ではないから、傷といってもかすかなもの。

1番最初に飼った茶トラ。
すごく凶暴でかみつくは引っ掻くはで、私の掌には無数の傷跡があった。
周囲の人たちに「うちの子が凶暴でねえ」と自慢げに見せていたけれど、ある時電車で座っている私の前に立った女性の手にも同じような傷があった。
吹き出しそうになった。
目が合わないように気が付かないふり。
うっかりおしゃべりが始まると猫自慢大会になりそうで。
チェロのケースに猫の爪とぎ跡があるのを見つけた人が「まあ、可愛い!」と言ったのを聞いて、本当に人間は猫に飼いならされていると思った。
猫は魔物。