2016年12月31日土曜日

大みそか

ついに今年も残すところ数時間。
仕事も放りだしてゆっくりしようという企ては、たまに成功、半分以上失敗。
徐々に隠遁生活に向けて体と心を慣らしていくつもり。
いくつになっても元気、まだまだ若い者には負けないなんて頑張るおじいさんを見て居ると、なんか偉いなあと思う反面、ついご苦労さんと言いたくなる。
例えば三浦敬三さんみたいな稀有のエネルギーの持ち主は尊敬に値するけれど、ごく普通の人なら年をとっても若いものに負けないなんてことはありえない。

どんどんディミニュエンドしていくのが肝心なのだ。
私は少し引退するのが早すぎたかもしれないけれど、頑張ってまだ仕事場でのしていたら、一つ席が空くのを待っている人に悪いからさっさと身を退くことにした。
もう気が済むまで働いたし。

今年は本当に面白いことが多くて、愉快に過ごすことができたのは、周りの方たちのおかげと感謝している。
仕事をやめて毎日が日曜日になって、ぼけてしまう人もいるようだけれど、幸い私たちのやっていることは体力気力共に重労働。
ボケは生まれつきなので、これ以悪化しないように最低限のレベルを維持しながら生きていこうと思っている。

お正月には家族団らん楽しむ人たちで溢れているけれど、私は子供も孫もいないから猫と静かな生活。
忘年会で使い切れなかった食品が、山のように余っているから買い物の必要もない。
野良猫捕獲作戦でもたてようかと思っている。
外は寒いと必死に訴えるノラのふうちゃん。
それなら家にお入りと言うと、フウと言っておこる。
なんとかできないかと頭が痛い。
来年もノラたちが、のんきに過ごせる世の中でありますようにと、祈らずにはいられない。

私は来年もいくつかのコンサートの企画があって、しぶとく生き延びているけれど、自分の思いのためにだけ演奏するのがこんなに楽しいとは思いもかけない幸せを感じている。
根っからのワーカホリックで仕事大好き、現役時代は人の多い仕事場に行くと生き生きとしていたけれど、それ以上に自分の心と向き合うことがほんとうに穏やかな豊かさをもたらしてくれる。

来年と言ってもただ明日になるだけのはなし、元旦からキーキーと不気味な音を出すことを許してもらわないと。
特にプロコフィエフは変わった曲で不協和音も多いから、あら、あの人ついに音程までいけなくなったかと思われるかもしれない。
オクターブが合っていないじゃない!
そうなんです、プロコフィエフは愉快な人で、まともにオクターブでは進行しない。
オクターブも半音違いのオクターブなどを濫用。
ついでにアクセントも濫用。
楽譜通りに弾くと、とても変わった弾き方に聞こえる。
それがとても効果的で魅力的な作品となっている。
幸い御近所は皆さんお里帰りや旅行でいなくなると思うので、気兼ねなく音出しができる。

喪中につき年始のご挨拶は控えさせていただきますが、皆さまどうぞ良いお年をお迎えください。
これを読んでくださっている方たちのご多幸をお祈りします。






















2016年12月30日金曜日

お蕎麦の鉢合わせ

上の階にすんでいる奥さんはお料理上手。
時々煮物などをいただく。
北軽井沢で嬬恋のキャベツを買ってお土産にさしあげたら、ロールキャベツになって戻ってきた。
材料が行くと返ってくるのはお料理。
今朝もお肉の羊羹というものをいただいた。
元は関西の人なので、薄味でおいしい。

私は関東育ちだけれど、味が濃いのは苦手なのでうれしい。
今年も残るのは後一日。
昨日頼んでおいたお蕎麦が届いたから、これは上の階に届けよう
と思っていたけれど、一歩先んじられた。
今朝ピンポーン!
おや、又何かおいしものが・・・ドアを開けると先ほどの羊羹と、もう一つ手になにか持った奥さんが立っていた。
ああ、やっぱり。それはおそばだった。

先月東北のチェロフェスタで出会った方から、りんごとおそばをいただいた。
それを大晦日の年越しそばにしようと思っていて忘れてしまい、間違えて生協にも頼んでしまった。
そのうえ今日もいただいて、おそばが家の中を闊歩している。
おそばは冷凍しておけばちょっとお昼などに食べられて重宝。

今朝出かけようとして探し物をしていたら、重たい箱をパソコン付近に落としてしまった。
落としたときにはなんでもなかった。
パソコンにはぶつからなかったから大丈夫。
しかし、その後、カーテンを動かしたらふっとモニターが消えて、それきりつかない。

幸い二重三重の安全策がとられていて、3番目のノートパソコンで今書き込み中。
以前使っていたものを再度使えるように設定してもらって書き込んでいるけれど、キーボードの当たりが柔らかくて音もしない。
どれにも長所ありで、古いからといって馬鹿にしたものではない。
こんなに恵まれた環境でやっている人は珍しいと思うけれど、使う人が私なので、猫に小判。
毎度師匠の落胆する顔を見ていると、もうやめたほうがいいのではと時々思う。
すまない!不肖の弟子で。

それにしてもこんな古いノートパソコンでこんなに速度が速いのは・・・
陰で努力している人が、または泣いている人がいるのです。

お正月のスキーは結局行かないことにした。
1月半ばに演奏を頼まれて、なにを弾こうかと思ったらちょうどプロコフィエフの「ソナタ2番」を合わせていたので、それにしようということになった。
かなり技術的にも難しいから、半月で4楽章まで仕上げるのは、、練習が必要。
それで今回はスキーよりもやはりヴァイオリンが大事となった。

足首が痛いのも理由のひとつだけれど、痛みは我慢できる。
ただ、滑っている最中に痛みのためにバランスを崩して怪我をしたら、年齢からいっても直るのに、時間がかかる。
若いころのようにはいかない。
足だけならまだしも、手を怪我したらと思うと、今回はやめておいたほうが良いと結論を出した。
まだシーズンは始まったばかり。
来月もあるから、今無理して行くことはない。
なにごとも流されるままに生きている。
私を猫に似ているという人は多い。
この性格だからか?








2016年12月27日火曜日

三浦敬三さん

お正月は毎年志賀高原へスキーに行く。
しかし少し前から足首が痛む。
特に一日の初め、ベッドから出る瞬間、ズキリ。
立ち上がる時に右足に力が入らない。
それで今年のスキーはどうしようかと迷っていた。

あの重たいブーツを履いたらどうなるか心配で履いてみた。
ところがこれが滅法具合がよろしい。
暖かいし足首が固定されて痛みが引く。

101歳まで現役のプロスキーヤーだった三浦敬三さん。

1904年生まれ~2006年

その現役ぶりは素晴らしい。

70歳  エベレスト滑降
77歳  キリマンジャロ頂上噴火口内滑降
81歳  シャモニーからツェルマットまで90キロ踏破
88歳  フランスとスイスを跨る氷河地帯100キロ完全踏破
90歳  モンブラン山系のバレーブランシュ氷河5回目の滑降
99歳  同じくバレーブランシュ氷河6回目滑降
100歳 アメリカ スノーバードで親子孫曾孫4代での滑降

この敬三さんはトレーニングのため、いつもスキーブーツを履き、歩くときは足首に重りを付けて歩いていたらしい。
100歳越えても一人暮らし。
玄米と圧力鍋で煮た魚を骨まで食べたという。

家の中をブーツを履いて歩いていたら、思い出した。

私は敬三さんにお会いしたことがある。
2002年に廃業した船橋の人工スキー場ザウスへ行ったときのこと。

着替えをして、ひと滑り前のコーヒーを一杯。
隣のテーブルに白髪で、目の覚めるようなブルーのウエアの人がいた。
若者ばかりのその施設で目立っていたので、思わず声をかけた。
「お元気でいらっしゃいますね」
「ええ、まあ」
少し苦笑い。

私はその時敬三さんのお顔を存じ上げなかったので、そんな高名な方とはつゆ知らず、気軽に声ををかけてしまった。
「ではまたゲレンデで」とあいさつをして、ゆっくりリフトに乗っていると、先ほどの人が颯爽と滑り降りていく。
目を疑った。
これは只物ではない。
たいていの人はリフトを降りて頂上で立ち止まり、斜面を覗く。
降りるコースを確かめてから滑り始める。
けれど、その方はリフトを降りるや否や、恐ろしいスピードで降りて行ってしまった。
ひらりひらりと、ほかの誰よりも軽やかに。


とんでもない人に声をかけてしまったようだ。
後にその話をスキーの先生にすると「それ敬三さんだよ」先生は笑いながら言った。
悔しい、もう少しお話を伺っておけばよかった。
私はチャンスを逃す名人なのだ。
ザウスが廃業する少し前だったから2000年前後とすると、その時彼は90歳代?

私の記憶は怪しいので、もう少し前としてもザウスができたのが1993年だそうだから、80歳代後半。

スキーブーツを履いていると痛みもなくなるから、予定通りスキーに出かけることにした。
ええ、敬三さんに比べれば私はまだひよっこですから。




















2016年12月26日月曜日

忘年会

今年の忘年会コンサートは会場を借りずに、わが家のレッスン室で行うことにした。
去年まで使っていた貸しホールは、終わってからの宴会をする美味しい焼き鳥屋さんが引っ越してしまったので、断念した。
幹事の青ちゃんがいろいろ貸しホールを当たってくれたけれど、適当なところがない。
雪雀連のメンバーもだいぶ少なくなってきたから、狭いけどうちでもいいよと言ったら、賛成してくれた。
人数が限られてしまうので、沢山の方に声をかけられなかったのが少し残念なところだった。

会場が広い時には、私の生徒たちも楽器持参で来てくれた。
今回はそんなわけで生徒たちも来ないで、ほとんど身内だけの集まりとなった。
弦楽器での演奏はロッシー二の「ソナタ」2番と3番。
これは陽気でわくわくするような、いかにもロッシーニ。
彼は美食が過ぎて体を壊して死んでしまうような人だから、音楽も楽しい。
編成が変わっていて、ヴァイオリンが2本、チェロとコントラバスが1本ずつ。
この2曲にはヴィオラが入っていない。
チェロがいないのでチェロパートをヴィオラに書き直して、今回はヴァイオリン2、ヴィオラ1、コントラバス1という編成になった。

チェロパートをヴィオラ記号になおすのは簡単なことだけれど、楽譜を手で書くのは思いのほか面倒くさい。
ヴィオラはアルト記号、チェロはバス記号とテノール記号。
ヴァイオリンはト音記号。
書いているうちにだんだん混乱してきて、はて、いま何記号で書いているのかしら?と手が止まる。
書くのに忙しくて、そのうえお通夜とお葬式と飲み会と続いたために、肝心の練習ができない。
レベルとしてはそれほど難しいわけではないけれど、人前で弾くとなると、むらむらと職業意識がわいてくるのでいい加減なことはしたくないと思っているものの、練習不足は否めない。
その他ソプラノの歌が数曲。
今回はいつも聴いているだけの人たちにも参加してもらおうと、日本の歌を用意した。
私たちはほんとうに弾くのが好きで、聴いているだけではつまらない。
だから今回はお客さんも引きずりこんでしまおうという魂胆。


コンサート後の宴会の準備。
一度にできないから、数日前からそれとなく準備が始まる。
今回はラムステーキをご馳走しようと、ラムを少しずつ買い漁って冷凍しておいた。
それにソーセージを何種類か、ザワークラウトの大瓶とピクルスも用意。
ミートパイ、北海道鮭のパイ包み、カニの巻きずし。
タコのカルパッチョ。
これにサラダを添えてできあがり。
メンバーが鶏の丸焼きを作ってくれて、楽しみにしていたら、すご~くおいしかった。

おなかに詰め物をして焼くので、私はその詰め物狙い。
鶏の出汁がしみ込んで、鶏肉よりもこちらの方がおいしいので。
そのほか皆持ち寄ってくれる煮物やお菓子など。
いつも食べすぎて翌日後悔するけれど、夜中近くまで飲みかつ食べ、話が尽きない。
上の階に住む人は階下がうるさくて気の毒なのでご招待したら、お墓参りで出かけるそうでしきりに残念がっていた。

結局全部で20名ほど。
ワインが数本、日本酒一升、甕入りの焼酎が一つ。
皆、ずい分飲めなくなってきた。
以前は資源ごみ回収日に、あまりの酒瓶の多さに恥ずかしかったくらい飲んだのに。































2016年12月25日日曜日

しっかりして!

auショップに携帯の名義変更と解約にでかけた。
その際に受付がもたつかないように、電話番号などをメモしていった。
電話番号や手続きの種類を間違えないようにと、何回も見直した。

10時の開店と同時に入店。
しかし、店内は対応が遅く、だれも反応してこない。
やっと一人若い男性店員がきて、なんだか頓珍漢だけれど、応対してくれた。

私がメモを渡すと、ろくすっぽ見ない。
キャッシュカードを見せろというから「なんのため?」と訊いたら「確認です」
でもさっき免許証で確認とれたでしょう。
何回も同じことを言う。
その時点で絶望的になってきた。

このお店は私の最寄り駅の商店街にあって、一番家から近いからそこを利用していた。
最近そこでひどく腹が立ったのは、たった30秒くらいでできる作業に1時間10分待たされたこと。
順番から言えばしかたがないと言われるかもしれないけれど、最初に応対した女性は、私の携帯の故障が簡単な作業で直ることがわかっていた。
その時彼女は「お時間ありますか?」と聞いてきたので「ええ、まあ」と言ったのでその場でできることを後回しにされたのだった。
私は修理に時間がかかると思っていたので、割り込みはいけないとおとなしく待っていた。
その時にさっさと作業してくれていれば、30秒くらいで終わったこと。
それなのに、臨機応変に出来ず、客を長々とまたせる方を選んだ。

あまりに待たされて店長さんに、どうしてこのように待たなければいけないのかと切れまくって、慌てた店長がおん自ら作業してくれた。
携帯の後ろのふたを開ける。電池を取り出す、チップを引き出しもう一度入れなおす、電池を戻す、ふたを閉める。
え!そんなに簡単になおるの?
それを教えてくれたなら自分でやったのに。

そして今回もこの人大丈夫?と思える男性。
私が渡したメモを見て黙ってこの作業を進めれば簡単にできるのに、余計なことばかり言うので、短気な私の尻尾はだんだん毛ば立って膨らんできた。
今にもふうーっとうなりそうになる。
挙句の果てに、間違えて、名義変更の分を解約してしまったのだった。

番号を印字した部分を指さしながら「この番号でお間違えございませんか?」というから、私は電話番号のチェックをした。
私も悪いけれど、番号については間違えではないから、サインをして手続き完了。
そこで彼の言葉にハッとした。
「これで解約ができました」
「はい?ちょっと待って、それは解約でなくて名義変更でしょう。メモをちゃんと見て!すぐに解約を解除して」
なぜか彼はメモの一番下に書いてある番号から、手続きを始めたのだった。
普通、一番上から始めるでしょう。
まさかそんなことをするとは思わなかった。

店長がウロウロと彼の周りを心配そうにうろついている。
店長さんは私が前回怒ったものだから、怖くて手が出せないのかもしれない。

男性は真っ赤になって、店長にお伺い。
「今、やったことだからすぐに取り消せるでしょう?すぐにできるかどうか確かめて」と怒り心頭の私。
そのあと「なぜメモを見ないの?ここに書いてあるとおりやってください!」
だんだん語調がきつくなる。
「私も確かめないでサインしたのが悪かったけど」と彼をフォローするつもりで言ったら、ニヤッとしてウンウンとうなずいたのには呆れてしまった。
冗談じゃない、私はまさかメモと違う手続きをしているとは思わなかったので。

「なんのためにメモを持ってきたと思うの!」
こういう時私はけんかをして居る時の野良猫になる。
爪が出る。
このお店はどうしてこんなスタッフばかりなの?

私が最初に携帯を買った時のお店はすごかった。
あっという間に滞りなく手続が終わり、私はオレンジ色のかわいい携帯を手に入れた。
そこは普通のお店とは全く違って、小気味よく無駄のない、お世辞も言わない、ただ必要なことを迅速にこなす完全なプロ意識だけがあった。

こんな店にはその後お目にかかっていない。




























自転車は好きだけど

私は手の力が信じられないほどない。
瓶の蓋やペットボトルすら開けられないことがある。

タイヤに空気が入っていないので、このところ自転車に乗ることができなかった。
空気を入れればいいじゃないと思うかもしれないけれど、タイヤの空気入れ口に空気入れの先端の洗濯ばさみみたいなものをはめ込んで固定する、それだけのことが力がなくてできない。
普通の人にとっては信じられないことらしく、知人が呆れながら空気入れ口を別のバルブに取り換えてくれた。
それは空気が戻ってこないようになっているバルブだそうで、ついでに空気もいれてもらって、ほんとに世話が焼けると嘆かれた。
働いている人の姿を私はごろごろと喉を鳴らして見ているだけだから、腹が立つらしい。
猫の手以下。

前日の風と雨が嘘のように晴れてたある日、やっと空気が入った自転車で買い物に出かけた。

スーパーの駐輪場に停まっている自転車の前かごと後ろの荷台に一人ずつ、二人の子供が座っていた。
親の姿は見えない。
なんてことを!
自転車は危なっかしく立っている。
万一何かの力が加わったら、あっけなく倒れてしまう。
二人の子供はおとなしく座っているけれど、ちょっとしたことで興奮して暴れたら事故になる。
頭を打ったら致命傷になりかねない。

この後は何回も書いたけれど…

以前車の列を横切って飛び出した母親の映像を見たことがある。
子供を前のチャイルドシートに乗せて車の間から顔を出したその時、左後ろから来た車にはねられ自転車は横転、子供は投げ出され轢かれて死んで、親がパニックを起こしていた。
これはとんでもない事故で、車にはなんの罪もない。
数車線もある大きな道路で横断禁止。
しかも道路わきはフェンスがあって、侵入できないようになっている。
たぶん信号機のあるところから、侵入したものと思える。
まさか横断してくる自転車がいようとは、後ろから来るドライバーは想像もしなかったと思う。
そこを渡るのも悪いし、子供を前に乗せるのも悪い。
しかも安全を確認しないで飛び出した母親は、彼女の軽率な行為で一人の子供と、ドライバーの将来まで奪った。
もちろん母親自身も罪の意識でボロボロになると思う。

お母さんたちは本当に怖いもの知らず。
一旦停止の道路を左右も見ずに横断する。
間一髪の場面を何度も見ている。
轢いてしまえば全部ドライバーが悪いことになるけれど、理不尽なことだと思う。
私も飛び出されて急ブレーキを踏んだ時「子供さんを殺す気?」とどなってしまったことがあった。
買い物が床に散乱し、卵が割れた。

自転車も免許制にするか、講習を受けないと自転車が買えないようにしないと。
自転車は左側通行だというのも知らない人がいて、前からくる自転車をよけるために左によると、相手も右に寄ってきて鉢合わせ。
左に寄ってくださいと大声で叫ぶこともある。
外国人の自転車が正面から来たので「Left!」と叫んだら「OK!」と言って、颯爽と左によけたことがある。
お母さんたちは「左側を走ってください」というとにらんでいく。

子供がいれば時間が足りないくらい忙しいことはよくわかる。
でも、ほんの5分でも時間に余裕を見て家を出れば、一旦停止を止まったり、少し遠回りの信号機を渡れる。
子供のいないひとにはわからないと言われるかもしれないけれど、私たちは仕事のためには時間的な余裕を十分にとる。
たとえ前日遅くなって睡眠が足りなくても早起きもするし、時間に遅れないために少なくとも30分や1時間は余裕を見て行動する。
子供の命を守るなら、10分くらいの余裕はなんでもないと思うけれど、いかがでしょうか?

今朝自転車に乗ったらふいに、自転車の荷台にいた子供を思い出したので。

私は自転車で近所の坂道を下るのが好き。
風を切ってだんだんスピードが上がって、対向車や人がいなければノンブレーキで一気に落ちる。
こういうカミナリ族(古い!)も困ったことで。

お正月は毎年志賀高原でスキー。
そこでスピードを堪能することに。
しかし毎年運動神経は鈍くなるばかりで、一昨年は夕暮れの急斜面でスキーが雪だまりに刺さって、宿に帰れないかと思った。
あまり人が入らない斜面なので圧雪も不十分、こぶだらけだったので転んでしまった。
足が妙な角度に曲がっているので、無理に引き抜くと捻挫をする。
そんな時間に急斜面に入ってくる人は滅多にいなくて、たまに来た人に声ををかけても滑ることに精一杯で気がついてもらえない。
日は暮れる、腹も減る、野宿?と思った時にやっと板を引き抜いてもらえた。
いつまでも若いつもりでいると、こういう目にあう。

その時考えていたのは「ああ、夕飯に間に合わない」だった。
いやはやなんとも・・・


































2016年12月24日土曜日

新潟火災

風の強い日、よりによって強風の日に、鍋をコンロにかけたまま店を離れたという中華料理屋の店主。
あまりにも無防備、思慮のなさに唖然とした。
うっかり者の私でさえ、鍋に油が入っていたら、そこを離れるときに火にかけっぱなしはありえない。
電話がかかってきたら、まず火を止めてから電話に出る。
テレビを見ることもしない。
ひたすら鍋を見つめる。

そのくらい一般人でも気を遣うものなのに、プロの料理人がそんなことをしたばかりに、こんな大火になってしまった。
クリスマスプレゼントにわくわくしている子供たちの夢を奪ってしまった。
お正月を向かえる準備をしてたであろう人たちの幸せを奪ってしまった。
幸い死者は出ていないようだけれど、これから寒さに向かって家を失ったひとたちは、つらい新年を迎えることとなる。
気の毒すぎて言葉も出ない。

そして今、この店主を非難している私といえば、お風呂のお湯を出しっぱなしにしていた。
いつもならお風呂にお湯を入れる間、そばで音を聞いているのだけれど、今日はちょっと隣の部屋へ物を取りに行って、そのまま居ついてしまった。
途中でハッと気が付いて慌てて戻ったら、お湯があふれてざあざあこぼれていた。
他人のことは言えない。
もし自分が火を出してしまったら、もうその土地には住めない。
火元の責任は問われないと聞いたことがあるけれど、自分も全財産を失ってしまったら弁償もできないので、類焼した家は全く手の施しようがない。
その人たちはどうするのだろう。

私は自分が危険人物だと知っているから、そういうことのないようにコンロはIHヒーターに変えて、鍋が沸騰したら時間を見計らってタイマーをセットする。
これで鍋を焦がすことも、ヤカンを真っ黒にすることもなくなった。
タイマー無しのガスコンロを使っていた時はいつも不安で、仕事に出かけた先や途中の電車の中でとか、急にガスの火をとめたかどうか不安になり、近所の姉に電話をして見に行ってもらったことがたびたびあった。
いつも必ず消えていたけれど、これから先は安全とは確信できない。
気になったときにはたいてい安全。
でもほかのことに気をとられていて、火のことに気が回らない時は危険な確率が多い。
タイマー作戦は、自分がキッチンにいるときでも必ずタイマーを使うことで、危険を回避できるようになった。

たった一人の不注意が沢山の人を不幸にしてしまった。
それでも誰でも、いつ自分が加害者になるかわからない。
火事は恐ろしい。
地震防災訓練の時に体験したのは、震度7の揺れ。
それはまあ、けっこうな恐怖だったけれど、もっと怖かったのは、煙の充満しているトンネルを歩かされた時。
訓練だから絶対安全とわかっていても、足が前に進まなかった。
火元の店主も今地獄にいると思う。
自業自得とは言え気の毒でならない。

義援金を送っても、これがまた果たしてちゃんと被災者にわたるかどうかわからないという。
無力感に襲われる。

















2016年12月22日木曜日

海馬

タツノオトシゴに似ているのでシーホース、海馬というらしい。
記憶の中枢。
その海馬が、私の場合、まだ子供なのかもしれない。

記憶力の悪さは生まれつき。
特に人の顔は覚えられない。
同じくらいの年代であまり特徴のない顔の人は、誰が誰やらわからない。
学校を卒業して何年目かに行った同窓会で「あらー、懐かしい、お元気?」と言われて、「ええ、元気よ」と答えたまでは良かったけれど、はて??誰??
「あら、覚えてないのね」と言われてしまった。
そこで上手く芝居をして、ほかの人にこっそり聞けばいいものを、不審な気持ちが顔に出ていたらしい。
ばか正直というか、裏表がないというか、取り繕うことができない。
たいていはしばらくすると思い出す。
けれど、最近はその「しばらく」が永遠に続くようになってしまった。

海馬くんがついに成長しなかったみたいで、特に最近は著しく記憶が低下している。

ブログに書きたいことは山ほどある。
あ、これを書こうと日に何回も思うけれど、いざ、パソコンに向かうと、それがなんだったかすっぽりと抜け落ちている。
その都度記録しておけばいいのだが、これは忘れないぞという過信が常にあってサボるから、結局忘れてしまう。
キーボードに手を置いたまましばらく考えるけれど、忘れるくらいだから、なに、大したことじゃないと思ってあきらめる。
以前は毎日のように投稿していたのが、最近は週に1日か2日。

数日前のテレビで、海馬を元気にするための物質があるというから喜んで見ていたけれど、なんだかよくわからないうちに終わってしまった。
筋肉量に影響されるらしく、ウオーキングがとても良いですよという月並みな結論で、騙された感が強い。
そのウオーキングを毎日欠かさない私がこの体たらくでは、真実味に欠ける。

幼少のころはミステリーにはまっていて、ミステリー作家になりたかった。
アガサ・クリスティーのような素敵なミステリー作家に。
なぜあきらめたかというと、自分には断片的な面白いことは思い浮かぶのに、それを構成して一つの作品に構築する能力が欠けていることを、すぐに悟ったから。

そのうえ海馬くんが貧弱となると、最初に書いたことと最後の結末がたぶん一致しなくなるだろうと思う。
トリックもへったくれもなくなる。
膨大な長編作品を読むと、よく途中で人物が入れ替わったりしないものだと感心する。

「ハリー・ポッター」の作者のローリングさん。
緻密な構成に圧倒されながら読んでいる。
これは原書で読むからこそわかったことで、日本語で読んでいたらおそらくストーリーを追って読み飛ばしていたと思う。
例えば前の章で起きた出来事人物などが、巧みに次の章に生かされている。
ほとんど読み飛ばしてしまう程度のさりげなさで挿入されている。
それも彼女のすごいところ。
それが分かる私もすごい!と思うでしょうが、たいていは先生のルースさんの記憶のおかげ。

つたない英語力で単語の一言一句をおろそかにしようものなら、前後の意味が通じなくなるから、本当にゆっくりと地を這うように進む。
すると、彼女の言葉の響きに対する異常なまでの執着心がわかってきた。
至る所で韻を踏んでいる。
ルースさんも音楽家だから、すぐに気が付く。
声を出して読むのも重要。

章の始まりと終わりに同じ言葉が隠されていたり、これはたぶん英語で読まないとわからない。
そんなわけで、私にとってハリー・ポッターは生まれてこの方、隅々までちゃんと読んだ初めての本になりそう。
ここでも海馬くんは眠っていて、すぐ前のページで辞書を引いたばかりの単語を何回も引くはめになる。
それこそ何回、何十回も同じ単語を。
脳の萎縮はまだ見られないそうだが、萎縮していないだけで中身はスカスカだったりして。

たった一つだけ覚えられるのが数列。
すぐに覚えられて、さかさまからも言える。
認知症のテストは受けたことはないけれど、数列だけはできても、日付や年号はどうしても覚えられない。
これは若いころからだから、なんらかの理由があると思うけれど、テストでは、まず、年号日付で引っかかるはず。

今朝も車を運転しながら、あ、これ今日のブログの題材にと思ったことがあった。
メモっておこうと思ったけれど、運転中。
これは忘れないと思っていたのに、いまパソコンの前に座ったらどうしても思い出せない。
ほんとにまったくもう!




























2016年12月21日水曜日

ノラベッド争奪戦

わが家に餌をねだりに来るシロリンとチャイロン。
名前の通り白猫と茶トラ。

うちの駐車場には今一匹のアメリカンショートヘアが住み付いていいる。
これがヘタレで、少しもなつかない。
もう何か月も毎日朝夕ごはんをやっているのに、いまだにちゃんと姿をみせない。
元々家猫だったと思われるのが何かの事情でノラになったようだ。

そういう猫はかわいそう。
シロリンのようにふてぶてしくなく、オドオドと周りをうかがって、せっかく作ってあげたベッドを朝方の寒い時間にシロリンに奪われてしまう。
冷たいコンクリートの床で、体の毛を膨らませて寒さに耐えている。
かわいそうだから家に入れてあげようとしても、触ることもできないのでどうしたものか。

一時期餌と暖かい電気行火入りの住居を確保したことで、だいぶ慣れてきたと思ったのに、シロリンにベッドを強奪されて、又いじけている。
シロリンはいたってお猫良しで悪気はないけれど、体力もありこのあたりのボスだから、いうことを聞かないわけにはいかない。

以前来ていたミッケはついに姿を見せなくなった。
最後の方は食欲もなく、餌を前にしても口もつけない。
最後に初めてお腹を見せて、私の前でゴロンと横になった。
何年も毎日食事をさせて、一切手が出せなかったのに、その時には頭を撫でさせてくれた。
最後にあいさつにきたのかもしれない。
それでも猫は不思議なもので、死んだと思ってもある日突然かえってくることがある。

以前家の玄関前で、パンダちゃんという白黒模様のノラに餌をやっていた時の事。
毎日来ていたのが、ある時期、突然姿を消した。
その猫は近所でもモテモテ男で、その猫の子供と思われる猫が沢山いた。
顔は不細工、ちょっと寅さんに似た小さい目。
体はがに股のがっしりとしたガテン系。
猫の世界ではこういうのがモテるらしい。
毎日餌を用意して待っていたのに、ぱったり姿を見せなくなった。
もう死んでしまったのかしらと思っていたら、また1年ほど経ったときに急に姿を現した。

それから毎日玄関先に来ては餌を食べていく。
そしてある日、通りかかった人が「あら、この子」と声を上げた。
「この子はうちでずっと餌を食べていたのよ。最近来なくなったと思ったらこんなところでもらっていたのね」
聞けばわが家の前を流れる川の対岸の家。
ちょうど向かい合わせのお宅だった。

猫はこんな風にテリトリーを変える。
何かの事情でそこに住めなくなると、ほかの餌場を確保する。
大変世渡り上手なのだ。
今居るアメリカンショートヘアのふうちゃんは、そんな才覚はない。
きっと家猫で風来坊生活は初めてと思われる。
それが何らかの事情・・・迷子になったか、捨てられたか・・・でノラになったから、いま苦労しているらしい。
それは本にゃんから聞いたわけではないので何とも言えないけれど、察するところ。
早くなついてくれれば暖かい部屋と十分な食事が待っているというのに、かわいそうだなあと思う。

シロリンはすっかり私に馴れて「君、僕を撫でたまえ」と言わんばかりに体を横にしてすり寄ってくる。
それでもノラの習性でいつ何時牙をむくかもしれない。
以前は顔中傷だらけ、耳が引きちぎれんばかりに血だらけということが多かったのに、最近いやに身ぎれいに真っ白になっているから、もしかしたら飼い主が見つかったのかもしれない。
早くなつけばうちの子にしてあげたのに。
ミッケが生きていて、ある日また姿を現さないだろうかと、一縷の望みは捨てきれない。

















2016年12月16日金曜日

間違いメール

英語のメールが届いた。
外国人の友人もいるからさほど驚きはしないが、内容を読むと理解不能。
羽田まで送ってくれてありがとうとか、トゥラウザーをもらって嬉しいとか、新しい自分のヘアカットがどうので、エレガントなトゥラウザーと一緒になると・・・
途方に暮れた。
男性にトゥラウザーを贈るとなると、よほど親しい間柄。

差出人は確かにイギリスの知人。
しばらく考えてハハ~ン!人違いだな。
彼の奥さんは日本人。
彼女のお姉さん、つまり義理のお姉さんに私と同じ名前の女性がいる。
Dear の後が私と同じ名前だから、差出人は私のアドレスに間違えて出したに違いない。
全くおっちょこちょいなんだから。
私も書いてあるのが自分の名前だから、自分宛てだと疑わなかった。

彼は以前我が家を訪問した時、前日来たにもかかわらず家の前を通り越して迷子になってしまった。
私が自転車でそこいらじゅう走り回って探して、捕獲してきたことがあった。
本当の受取人と思われる人に電話して、確かめた。
「羽田に送っていきました?ズボンを贈りました?」
やはり彼女が本当の受取人だった。
メールを印刷して送ることにした。

今日は朝起きたときに、生徒が来る日だなと思った。
朝食が終わると、レッスン室に掃除機をかけて教則本を揃えて待っていたけれど、中々現れない。
変だなあ。
いつも階段を勢いよく登ってくる元気な人なのに、足音が聞こえない。
具合でも悪いのかしら、仕事が忙しすぎてダウンしていないだろうか。
30分待ってメールした。

今日はレッスンの日ではなかったかしら?と。
返信がない。
仕事はお休みのはずだから、疲れて風邪でもひいて寝込んでいるのではないだろうか。
すっかり諦めてひょいとカレンダーを見たら、彼女が来るのは明日だった。
アワワ!すぐに追伸を送った。
ごめん間違えて。
びっくりしたでしょう?

最近の私は毎日が日曜日。
それでもまだ毎日色々予定があるから、日程を間違えることは少ない。
以前はフリーで仕事をしていたから、時間にはとても神経質だし。
他人にも自分にも厳しい。
それがこんな風に間違えるようになるとは、情けない。
送った時間が午前中だったから生徒は仕事中で、メールを見たのはお昼休み時間。
今メール見ましたと、ランチタイムに返信が来た。
又一つ弱みを握られてしまった。
先生の権威形無し。

間違いメールの送信者と私は性格がよく似ていると、彼の奥さんから言われる。
どこが似ているかと言うと、天然のところですって。
失礼ね、プンプンと言いたいところだけれど、今日はやはり似ているのかなあと少し自信喪失。

YOU'VE GOT MAILという映画があった。
インターネットで知り合った男女が、メールのやりとりだけでお互いに惹かれ合うというストーリー。
実は近所の書店同士の商売敵なのに、二人はそのことを知らないというアメリカのコメディー映画。
1998年公開というから19年も前。
いまでこそ出会い系サイトなんてあるけれど、まだメールが珍しかった頃、中々斬新なストーリーだと思った。
今では世界中知り合いになれて、とんでもない事件が起きることもある。
今回はたまたま知り合いだから良かったけれど、そうでなければ、私は彼にトゥラウザーを贈ったと言われれば、そんな気もするなんて思ったかも。
ついに私も自分がやったことを忘れたかと。



























2016年12月15日木曜日

小田原で誕生祝い

前日葬式、翌日誕生会。
この歳になると生死は境目がなくなってきて、どちらでも良くなる。
小田原在住の、オーケストラの旧い仲間のSさんがお誕生日だというので、えっさえっさと小田原まで出かけた。
全部で8人の元同僚たち。
Sさんは元パーカッション奏者だったから、4人がパーカッション、その他はいろいろ。
年齢も千差万別・・・というほどの人数ではないけれど、私がオーケストラに入った時にはSさんはベテランだったから、おとうさんみたいな存在だった。

とにかく博識で、オーケストラの歴史を語らせれば一冊の本が書けると思うので、私たちは会うたびにお願いしていたけど、その気もないらしい。
私は大家族出身だから人見知りもなく、年齢に関係なく誰とも仲良くなれたせいで、ずいぶん年上や年下の人たちとも付き合えた。
特にSさん一派には可愛がられて、年齢を超越したお付き合いが続いた。
Sさんの奥様お嬢さん息子さんとも一緒に遊んでもらっていたけれど、お嬢さんのN子さんと私はほぼ15歳(あるいは20歳)ほど年齢の差があると思う。
このへんははっきりしない。
私は当時もう大人だったけれど、彼女は10歳あるいは8歳くらいだったと思う。

今回の誕生会は、N子さんが会場を設定、小田原駅で待ち合わせた。
まさかと思っていたら、あちらから私を見つけてくれた。
「少しも変わっていなくて」と言うけれど、私はすっかりおばあさん。
でも不思議なことに、子供だった頃の彼女しか知らないのに、私もすぐにわかった。
「少し小さくなったのね」と言われる。
でもね、私が小さいのは元々。
あなたが大きくなったのよ。
きびきびとした、素敵な女性に成長していた。

ガクタイという人種は、ほとんどこだわりのない人が多い。
時空もすぐに超え、年齢差も性別にも無頓着。
彼女はガクタイではなくまっとうな生活をしているらしいけれど、本当にお父さんっ子だから、その素質は十分。
そのお父さんのSさんは、パーカッション奏者として活躍していたけれど、頭の良さが幸いして計理士の勉強をして、その後は計理士としてオーケストラの経営や運営に携わっていたと思う。
その辺は私は良くわからない。
だいたい会計士と計理士の区別がつかないから、もしかしたら会計士かもしれない。

小田原駅前のビアホールで乾杯。
話に花が咲いていたら隣の部屋の忘年会が盛り上がって、お互いの声が聞こえないくらいになった。
覗いてみると、個室の中ではダンスやカラオケをやっている。
うるさいなあと思ったけれど「私たちも昔はああだったのよね」と、私と年の近いWさんがつぶやいた。
そうね、あの勢いはどこへ行ってしまったのかしらねえ。
若いころの私たちは特に感受性が強く、天国から地獄へ、ジェットコースターのように毎日スリリングに気分が変わった。
可笑しいことは笑いが止まらない、怒ればテーブルひっくり返す・・・ことはなかったけれど、悲しいと大泣きに泣く。

こういう職業だから感情が激しいのは許していただくとしても、いたずらもひどくてよく叱られた。
そんなことも良い思い出。
「私がこの人を、お父さんに選んで産まれてきたの」というN子さんの言葉が感動的だった。
酔っぱらった父親を連れて帰る娘。
楽しそうに会話をする親子の姿を走り出した電車の窓からみていると、しみじみ羨ましいと思った。
私の父は威張っていたから、こんな風に連れだって歩いたことはなかった。
でも、もしかすると父はそれを望んでいたかもしれない。
母が子供たち全員を自分の羽の下にかくまってしまったので、父は家庭内ではいつも孤独だった。
それで母に威張っていたのだと思う。
時代も時代だったということもある。
今ならきっと話し合えたのにと、残念に思う。

私は父にとても可愛がられたという記憶があるけれど、それでも一緒にお酒を飲むわけにはいかなかった。
失くしてから思う親の気持ち・・・年を経ないとわからないことが沢山ある。
最近になって気が付いたことも、ちょっと手遅れとなってしまった。




































2016年12月14日水曜日

義姉の葬儀

キリスト教の家に生まれ育った義姉がお経で見送られるというのは、義姉自身も義姉の兄弟も複雑な思いがあったと思うけれど、それを生前から受け入れることにためらいがなかったらしいという事は、私の姉から聞いた。
「私は両方のお墓に入れるのよ」と言っていたそうだ。
周りの状況を、穏やかにあるがままに受け入れるような人だった。

お通夜とお葬式と、義姉のコーラスや華道の仲間、そして地域の友人たちが集まって見送ってくれた。
特にかわいがっていた一番最初の子供、娘のH美が終始泣きながら知人にあいさつをしては慰められていた。
H美は両方の親戚からもたいそう可愛がられていて、どちらに行ってもよしよしと慰められ背中をさすられる。
特に義姉の妹さんにべったりと張り付いて、猫のようだった。
祭壇の両側の親族席から向かい側を見ると、H美は目が腫れ上がって顔がひどいことになっているので、可哀想でもあり可笑しくもあり。
「おやおや、お岩さん」なんて怪しからんことを心の中でつぶやいた。
いつもはぱっちりお目々のきょとんとした豆狸風。
私の家系はみんな狸顔。
それが瞼が開かないくらい泣きはらしたものだから、せっかくの愛嬌のある顔が台無し。
それに加え、お焼香の人たちがタイミングが合わず、親族にお辞儀をするときにお互いに反対側からするものだから、最後に自分たち同士でお辞儀しあう形となって、それも可笑しい。

心から悲しんでいるはずなのに、お葬式には常に可笑しさが付きまとうのが、私の心の闇なのだ。
前夜のお通夜、当日の葬儀は市内のうら寂しい葬祭場で行われ、そこへたどり着くまでも大変なのに、大勢の人が参列した。
駅からバスやタクシーで、寂しいコンビナートの近くまで行かなければならない。
これでは参列の人たちの負担が大きすぎる。
そういうところでないと近隣住民から開設に苦情が殺到するのだそうで、その近辺まで行くとこの世の果てみたいな気がする。
一足先に、あの世を見せてくれるような。

お通夜の時に、初めて義姉の妹さんとお話をした。
私、兄の一番下の妹ですと自己紹介をすると「ああ、**ちゃんね、姉がいつも**ちゃん**ちゃんと話していましたよ」と言う。
**ちゃんはわたしの家庭内のニックネーム。
それをきいて又涙がじんわり。
H美はママはいつもニコニコしていて、その顔しか見たことがないという。
大家族に嫁いで、さぞ大変だったと思うけれど、私もそういう顔しか思い出せない。
コーラスをやっていたから声が小さいわけではないと思うけれど、いつもゆっくりと静かな声で話す。
ぺちゃくちゃと我勝ちに話す私の姉妹たちの話を聴きながら、フフッと笑って会話に参加してくる。

葬儀は長くて寒くて大変だった。
葬祭場での葬儀が終わると、納骨、初七日まで一気にやってしまうのが昨今の葬儀事情らしい。
その間お坊さんはお経を一心に唱え続ける。

朝10時からの葬儀の時、二人の僧のうちの高齢の方が声が出ない。
若いお坊さんがそれをフォローして大声で経を唱えていた。
そのうち高齢の僧侶が段々調子を出してきて、朗々と唱え始めると、さすがに年季が入っているだけのことはある。
どんどんありがたくなってくる。
やはりお経も、ベテランの方が良い。
木魚のたたき方も若者は力任せ。
ああ、手首の力抜けばいいのになんて、余計なことを考える。

葬祭場の一連の流れが終わると、その後はお寺へ行って初七日、納骨などで午後も遅くなって、初めてお膳が出た。
ここまでで、もうくたくた。
わたしはもうぶうぶう文句。
お腹が空いたの疲れたの、長すぎるだの。
その中で兄の孫の男の子、小学校四年生が終始キリッと姿勢を崩さず、大声も立てず、あの年の男の子とは思えないふるまいに、私は形無しだった。
最後まで背筋を伸ばし、合掌していた姿が頼もしかった。
次世代の、我が一族の跡取りとなる自覚かもしれない。
今どき家の価値はもう崩れ去っているけれど、奇人変人を数多く輩出した我が家の家系図に、ひとり傑物が加わるかもしれないと思う。

義姉に世話になったお礼をしたかったけれど、私にはろくな取柄はない。
結局、お経で送られた義姉にせめてもの気持ちとして、始まる前に「アベマリア」を献花の時に「ホーム・スイート・ホーム変奏曲」を演奏して兄からも姪からも喜んでもらえた。
義姉の妹さんからも、お礼を言われた。
お義姉さん、長いことありがとう。













































2016年12月9日金曜日

お義姉さん

今朝兄から電話があって、奥さんが亡くなったと聞いた。
思いがけない訃報にひどくショックを受けた。

私の両親、私たち子供6人、私の姉夫婦とその子供2人、その中に嫁いできた。
よほどの勇気がなければ、そんな大家族に交われない。
全部で13人。
今まで私は最高人数が11人だと思っていたけれど、こうして数えてみると義姉をまぜて13人もいたのだった。
姉夫婦の子供のうち一人は軽い脳性麻痺で、言葉が遅かった。
その子をすごく可愛がってくれて、私たちがその子を叱ったりすると、必ずフォローしていた。

義姉のお父さんは教会の牧師さん。
我が家は先祖代々の仏教。
キリスト教徒なのに、仏前で手をあわせ、お墓参りも法事もきちんと参加してくれた。

兄は母の溺愛する長男だったから、結婚したら一波乱あるかと思ったけれど、それも無く平安だった。
母は非常に賢くて(身びいき?)兄がお嫁さんをもらったとたん、サッと兄から手を引いたのは、それは見事だった。
一切口を出さず、義姉を立て、彼女の作った料理を褒めて・・まあ、時々私たちに愚痴をこぼすことはあったけれど、義姉の前ではオクビにもださない。
多少波風は立ったかもしれないけれど、私たちには知らされなかった。

父は結婚に反対していて、小さな教会の牧師の娘というのが気に喰わなかったようだ。
それを母がなんとか3年ほどかけて取り持って、やっと結婚に漕ぎつけたという経緯がある。
結婚を反対する舅がいて、小姑がわんさかいて、猫も鳥もいて、それはもう大変な覚悟をして入ってきたと思う。
私たちは意地悪するつもりがなくても、緊張していると思いがけない言葉に傷つくことはあったと思う。
まして我が家では冗談が先行するから、どこまでが冗談でどこまでが本気かわからない変な家風があった。
他の家では通用しないようなきつい冗談もあったと思う。
私たちは、お義姉さんにはそんなことは言わなかったとは思うけれど、自信はない。

年始やお盆などで兄弟が集まると、黙って料理を作りお酒の用意をして、長男の嫁の立場を通した。
大皿に一杯のお煮しめやてんぷらなど、料理やさんの物かと思えるほどの見事な出来栄えの料理が並んだ。
「おねえさんのお煮しめは本当にきれいで美味しいわよね」と私たちは毎年ほめるのが行事のようだったけれど、これは本心からだった。
3人の子供が独立して兄と二人、仲良く暮らしていた。
毎年母の命日近くになると、私たち姉妹を家に呼んでごちそうしてくれた。
兄とは本当に仲が良く、面倒見の良い兄は足が悪くなった義姉をとても大切にして料理や家事をせっせとやっていたから、義姉はとても幸せそうだったのがせめてもの慰め。

穏やかで優しい人、長年そうおもっていたけれど、ある日ちょっと意外な面をみてしまった。
それは近所で火事があったとき。
近所の印刷工場が燃えて、私は早速見に行った。
するとそこに義姉がいて「nekotamaちゃん、こっちのほうが良く見えるわよ。いらっしゃい」手招きされた。
エーッ、あなた信心深いキリスト教徒でしょう?
もちろんこの火事で人身事故はなく、工場もすぐ新しく前より大きく再建されたけれど、ちょっと意外だったのが義姉の野次馬根性。

いやだ、そんなこと書かないでよ~、と今頃義姉は照れているかもしれない。

喪中ハガキの印刷を注文したら、実感がわいてきて、とても悲しい。











































2016年12月8日木曜日

自動運転

2020年には自動運転の車が一般道を走ることを、目指しているという。
私が生まれた時期は、本当に幸運な人生の始まりだったと思う。
戦後、国民全部が貧しかったので、私の家が貧しくてもさほど気に留めることもなく、教育も今のように管理されていなくて伸び伸びと成長した。
大家族だったから人手が足りていて、保育園に預けられることもなく、幼稚園すら行かなかった。
子供の嫌いな子供だったから、これもラッキー。
学校は休みがちだったけれど、兄姉たちが見てくれていたから、困ることはなかった。
大学を卒業して仕事を始めてしばらくしたら、高度成長期。

11年間オーケストラでみっちり修業した。
この時は怠け者のこの私も、寝食を忘れて頑張った。
好きなことならいくらでも頑張れる。

その後フリーになって、世はまさにバブルの時代。
仕事は降るようにあって、スタジオからスタジオへと、飛び回って稼いでいた。
数日仕事をすれば、お財布は二つ折りにできないほど膨れ上がった。
まだギャラが振り込みになる前の頃。
段々仕事が減ってきたころでも、レギュラーの仕事が常にあったので困ることはなかった。

そして本当に厳しい時代、生演奏がシンセサイザーにとってかわられて、スタジオの録音技術が発達したために、以前より演奏者の人数も要求されない時代がやってきた。
それでもテレビの仕事はステージが多かったから、映像的に人数は減らされない。
そこに、かかわっていたのもラッキー。
大みそかの長い仕事は、毎年のボーナスみたいなものだった。

放送が週3、4本くらいあったころから段々減らされて、とうとう1本になったころ、私は仕事を辞めた。
その直後、それまでそれらの仕事を回してもらっていた事務所も、他の事務所に変わったと聞いた。
一番良い時期を駆け抜けてきたわけで、今もし自分が仕事適齢期だったら、本当に苦労したと思う。
たいして美人でもない、才能もない自分が果たして仕事をやっていられたかどうかわからない。
欲を言えば、もう少し早く地下鉄や鉄道路線が今のように整備されていてくれたらなあと思うけど、それは欲が深すぎるかも。
地方に仕事に行くときは、おそろしく遠回りで何回も乗り換えがあって、本当に大変だった。
最近はほとんど乗り換えなしで行ける。
これだけはとても残念なことだけれど、そのおかげで足腰が衰えなかったのかもしれない。

パソコンや携帯が一般の家庭に普及し始めた頃、強力なサポーターに出会ったのもラッキー。
大変な器械音痴の私が、こんなにネットの世界を楽しめるとは思いもよらなかった。
今や完璧に整備された器械に囲まれて、頭の弱い私が器械にバカにされながら毎日電脳生活を満喫している。
足腰が弱ってきたころに通信販売が日常的になったのも、ラッキー。
重たいものを買いに出かけなくても済んでしまう。

さて自動運転の話に戻ると、私は今まで無事故だったけれど、いつまでも幸運とは限らない。
自分で言うのもなんですが、運転にはとても向いていると思う。
あまりパニックを起こさない性格だし、見かけによらず非常に用心深いから。
怒りっぽいけれど、我を忘れるようなことはない。
動体視力も良い(良かったと言うべきかも)し、視力は1.0で眼鏡なしで問題なし。
反射神経も音楽家だから良いはず。
老眼が進んでいるけれど、それは楽譜や読書のような細かい作業がだめなのであって、日常生活にはなんの支障もない。

それでも、今後の運転はどうするか考慮中だったけれど、自動運転の車が出れば、願ったりかなったり。
自損事故は諦めても、人身事故だけはなんとしても起こしたくない。
そんなことがあれば、今までの幸せな人生がすべておじゃんになる。
ちょうど運転が怪しくなるであろうその時に、自動運転が実現するなんて、素晴らしい。

今はとても元気で、うちの放浪癖のある鍵がどこかへ行ってしまうだけで、他の生活は何の支障もない。
安穏に暮らしている。
今後は介護ロボットがより精度を増して、人から介護されずに最後まで一人で自分の身のまわりのことができる時代になりそう。
だから、介護の心配もしていない。

世の中の進行状態が、まるで私の年代に合わせて進んでくれているような・・・自己中の自惚れ。
両親が戦中戦後苦労してくれて、私が人生の終盤に入るころには若い人たちが苦労して、なんだか申し訳ない気がする。

感謝の気持ちだけで生きていられるなんて、これを幸運と言わないでなんというか。



























2016年12月7日水曜日

体脂肪

私はとにかく小柄だから、横幅がそれほど太いわけではないのに、デブだと思われがち。
横と縦の比率から言えば、デブには違いないのだと思うけれど、ブッティックなどで11号ですか?なんて言われると憤然として、いいえ、9号か7号よと言う。
それでも言われるだけのことはあって、体脂肪率がなんと体の3分の1を占める。
その体脂肪の大半がお腹周りに集中。
豆狸、槌の子、ペンギン体型。
それさえなければ、たぶん女子標準の20から25パーセントくらいにおさまると思う。

過日85歳の男性が前立腺がんの手術をした。
その後お小水がとまらなくなる怪現象にみまわれたそうで、これはいかんと始めたのが、内臓引き上げ運動。
その運動を毎日100回やったら、効果ありで、健康に戻ったという。
今はもう大丈夫なんだよと嬉しそうに言うから、これは私のお腹周りに効くのではないかとひらめいた。

そこで今から2週間ほど前から、私も始めてみた。
そして早くも効果が出始めた。
体重、体脂肪率、骨量、筋肉量、代謝量、身体年齢などが出るようなタニタの体重計はデジタル表示なので、ほんの数グラムの差まで出る。
これに乗って一喜一憂。
ほんの100グラムの差でも、減ると嬉しく増えるとがっかりする。
毎朝計測している。
この数日、体脂肪が0.4ほど減った。
なんだ、たったそれだけ?と思うかもしれないけれど、今まで絶対に減ったことがなかったので、これは画期的なこと。
そのかわり骨量もほんのわずか減ったのが気になるけれど。
ところが今朝体重計に乗ったら、狙いすましたかのようにエラーの連続で、電池が弱ってきたらしい。

骨量、血管の柔軟性などはいつでも、15歳ほど若い数値が出る。
これはあくまでも数値の上のおはなしだから、ちゃんと年相応に老化は進んでいる。
例えば、正座が苦しい。
立ち上がれない等々。
膝も痛い。
物忘れは・・・おっと、これは天性のもの。

最近高齢ドライバーの事故のニュースが多い。
以前からも沢山あったと思うし、本当のところを言えば、若者の事故の方がずっと多いと思う。
それを高齢者に限って声高に毎日ニュースで取り上げるのは、なんでかな?
なにかそれを言って高齢ドライバーに負担を多くもたせようという力が働いているのかなと、勘繰りたくなる。
車が売れないこの頃、新しい市場となる自動ブレーキ車の市場開拓?

自動ブレーキの車のことはすでに3年ほど前から検討しているけれど、結局まだ万全ではないので見送っている。
試乗もしたけれど、自分の足でブレーキを踏んでしまって、果たしてマシンが反応したのか自分の方が早かったのかはよくわからない。
しかも高速での効き目は悪いという。

ようするに若者も高齢者も自分の力を過信しないで、落ち着いて運転することに尽きると思う。
それと私は毎日ではないにしても、運転を忘れないようによく乗っている。
長距離も走る。
どれだけ走ればどのくらい疲れるか、夜間の視力は大丈夫かなどの自分の力を把握してゆったりと走れば、まだ大丈夫と言うのが自己診断。
これが正しいかどうかは、傍目で判断してもらわないとわからないけれど、最近の旅行で同乗者たちが口を揃えて、適切なタイミングと言ってくれた。
そう言わないと私がむくれて、ドライバーを務めてくれなくなるかもしれないので、お世辞かとも思うけれど。
いつもはひどいイラちなのに、車のハンドルを握ったとたん、気持ちがズシリと落ち着く。
本当に運転が好きなので、中々車とは別れがたい。
将来田舎暮らしをするかもしれないので、その時に車がちゃんと運転できるようにしておきたい。

ところで体脂肪のはなしはどこへ?
車に乗らず歩けばいいのではという落ちがついたところで、おあとがよろしいようで。


































2016年12月6日火曜日

整理整頓

整理出来ない人の頂点にいるnekotamaとしては、どんなありがたいお言葉をいただいてもできない。
今朝のネットニュースで、衣類などはいつか着るかもと言うのはだめで、着ないものは捨てると・・・おっしゃる通り。
何回そうして臍を噛んだことか。
一大決心して捨てると、私の場合必ず後で、ああ、捨てなければ良かったという事になる。

鍵は決まった場所に置く。
これもおっしゃる通り。
でもね、うちの鍵は放浪癖があるのですよ。
毎日遊びに出て何日も帰ってこない。
だからと言って旅先から便りも寄越さない。
フウテンの寅さんよりも、もっと不精もの。
時々思いがけない場所からひょっこり顔を見せる。
例えば冷蔵庫、洗濯機の中など。
そりゃあ、できる人はできる。
これは生まれつきとしか言いようがない。
ヴァイオリンだって同じような年から始めて同じような訓練をしたって、世界的名手になる人もいるし、どんなことをしてもヴィヴァルディ―のA mollがやっとという人もいる。

書類は必要なものと必要でないものを分ける。
大きさによってファイルすると便利。
ごもっともです。

本当に人には向き不向きがあって、不向きの代表は私。
これでも子供のころは本棚の本をきちんと並べるのが日課だったけれど、自分が好きなことしかしないから、他はぐちゃぐちゃ。
大家族だったので家事分担はおおよそ決まっていた。
私は雨戸の開けたて、玄関の掃除、炊飯係。
子だくさんの母が苦労しているのを見て、自然と習慣化した。
兄達はお掃除、片付け、大掃除の時などは良く働いていた。
下の兄は畳の下に敷いてある古新聞を読みだすと、動かなくなる欠点はあったけれど、それでも障子張りなどもやっていた。
上の兄は祖母の介護に役立った。
男の子は偉かった。
それに比べ姉たちと私は、専らおしゃべり。
手は出さず口を出す。
このまま大人になってしまった。

知人にすごく頭の切れる人がいる。
血だらけだろうって?いや、その切れるではないです。
まず、段ボールの箱を用意する。
ぐちゃぐちゃの書類を一目見て、これは必要、これは不要とあっと言う間に分けていく。
それは神業としか思えない。
どうしてできるのかは、まだ解明されていない。
私は目を丸くして傍観しているだけ。
私は必要な書類かどうか、一々考えて、訳がわからなくなると、とりあえず仕舞っておけばなくさないという考えだから、一向に引き出しが空かない。

昨日一念発起、引き出しを開けてみたら、いやなものを見つけてしまった。
地震保険の継続のために大枚払えと言う、保険会社からの通知。
その額たるや・・・
あ~あ、又お金が\\\\ひらひらと飛んで行く。
お金だけは整理しなくても、お上が整理してくれるのだ。
だから預金はスカスカで、気持ちいいことこの上ない。

それで考えた。
強制的に古い衣類などを引き取る税務署のようなものが、できればいいのに。
3年以上クローゼットにつるしておいて一度も袖を通さないと、強制的に収集車が持っていく。
それを難民や困っている人に分けてあげるとか。

ときめかない物は捨てなさいと、どこぞの人が言っているけれど、衣類などはときめかないと買わないわけで、全部気に入ったから買ったわけで、そう言う人はどうするとときめかなくなるのか教えてほしい。
私は時々クローゼットを開けて中を眺める。
変な服がずらりと吊るしてあって、中には一度も手を通していないものも多い。
それでもその服を見つけて買ったときのときめきは、覚えている。
面白いデザインが好きだから、似合う似合わないにかかわらず買ってしまう。
絵を買うのと同じような心境。
結局あまりにも奇抜で、どうしようもないものもある。

例えば大きなマント。
これはスペインの女流デザイナーの作品。
小柄な私が羽織ると、踝までの長さ。
重いし使い勝手が悪い。
マントだから腕が寒い。
これに合わせた真っ赤な長手袋も用意してあるけれど、あまりにも使いにくく、電車で出かけるときには駅の階段で躓くに決まっている。
かと言って、車で行くにはこんな厚手の長コートはかえって不便。
というわけで、一回も着ることなくクローゼットの主になっている。
時々家で着て楽しんでいる。
だからと言って捨てる気には断じてならない。
困った。















































2016年12月3日土曜日

小さい犬はよく吠える

最近仕事がひまだから、顔の手入れなどをしようかと、近所の皮膚科へ行った。
口のそばにプツンとできた突起物があって、最初はゴマ粒ほどだったのに、気にして引掻いたり引っ張ったりしていたら、段々大きくなってきた。
これは大変!
以前は北里大学病院の美容外科にお世話になっていたけれど、わざわざ電車に乗って行くのがどうも面倒くさい。
長年フットワークの軽さを誇ってきたけれど、いよいよ引きこもりに近くなってきた。
ネット世界ではヒキニートというのかしら?

数年前、あまりにも手入れしすぎて顔が赤らんで来てしまったので、一時中止。
3年くらい放っておいたら、ようやく回復してきたようで、そのかわり歳相応にカサカサしてきた。

干物になる前に少しは手入れをしなくてはと思っていたら、最近隣の町に美容皮膚科ができたらしい。
隣町は以前は工場が立ち並んでいて、寒々しい飲み屋、パチンコ屋などのある小汚い街だった。
工場群が移転して、その広大な空き地に高層ビルがニョキニョキ立ち並び、あっと言う間におしゃれな街に変身。
人口が数万単位で増えたというから驚いた。

駅のそばにはショッピングセンターが立ち並び、その中にクリニックのフロアができて、たいていの科はそこに行けば受診できる。
マッサージもネイルサロンもまつ毛のエクステも、そこで受けられるから便利この上ない。

ネットで皮膚科の概要を見るとコースも多くて、とにかく覗いてみようと出かけた。
午後は15時からというので5分ほど前に着くと、ドアは閉まっている。
たいていの医院は、受診の30分前には待合室に入れてもらえるのに。
しかたなくドアの前に立って待った。
中から見えるのだから、患者を座らせてくれてもいいじゃないかと、心の中でブツブツ文句を言う。
最近人間が穏やかになってきたから、実際文句を言うのはやめようと思った。
時間ぴったりにドアが開く。
そうすると、受診は15時には始められないことになる。
せめて10分くらい前には受付をはじめないと・・・ブツブツ

ところが受付嬢の態度の悪いこと。
マスクをしているのは仕方がないとしても、くぐもった声で暗い顔してものを言うから、気分が萎える。
およそ美容にかかわるのは気分的な要素も大事だから、顔がきれいなだけではだめで、明るいお出迎えが欲しいなあなんて、欲深く要求したくなる。

私の顔の突起物はかなり成長して、液体窒素でとりましょうと言われるけれど、私はレーザーでは?と訊いてみた。
治療費が高いからと拒否されて、液体窒素なるものを吹きつけられた。
冷たくて気持ちがいいことは良いけれど、吹き付けた後が赤くなってやけどのようになった。
しかも目に見えて効果は少ない。
だいぶ時間がかかりますと言われると、やはりレーザーでとった方がいいのではと思ったけれど乗りかかった船、もう少しやってみよう。
2回目、やはり効きめは遅い。
しかも火傷の跡が残りそうでそちらの方が心配なので、ついにレーザー治療に切り替えた。

今朝の予約は10時。
5分前にドアの前に立つと、やはり開いていない。
患者が来ていて中から見えるのだから、その時点で待合室に入れて座らせてくれればいいのに。
だいたい治療の予約が10時ということは、受け付けは少なくとも5分前にしないといけないでしょうが。
一歩譲って、受付は10時からでも、すぐに診察に入らないというのは解せない。

待たされた。
20分経ってたまりかねて、この後予定があるから早く始めてとごねる。
中でなにやらばたばたと用意している音がきこえる。
やっと呼ばれたので、ついに文句を言い始めた。
予約した時に所要時間を訊いたら、約1時間と言われたのでそのつもりでいた。
11時にここを出るわよ、間に合うの!と訊いたら、あたふたと診察室に駆け込んで報告している様子。
大丈夫ですと言う。
言わなければ、キャンセルして出てきてしまおうと思っていた。
当日キャンセルは3000円いただきますと書いてあったけれど、時間を守らないのはそっちでしょうと言って、電車賃を請求してみようと思っていた。
本当は自宅から徒歩で行ったので、靴の消耗費を請求しよう。
いわゆるモンスタークライアントですなあ。

やっと治療が始まった。
レーザーでの治療を望んだのに液体窒素でやけどの跡が残ったのは、わざわざシミを作ったようなものじゃない、と、ぶうぶう文句を言いながら、医師も大変だなあと半ば同情もする。
思ったように効果が出ないと、きっとクレームすごいのだろうな。
病気なら、やけどの跡も命を救うためとか言えるけれど、趣味で来ているのだから効果にはシビアになる。
本当のところ、自分の元の顔がたいしたことないのだから、お金をかけたって効果は薄いのは自覚しないといけない。

女性の医師はなんとか私を納得させようと、肩をさすったりして沈静化を図っていた。
すると、あの頭の高い受付嬢が、なんと遅れてもうしわけありませんでしたと謝ったではないか。
実は初日に受診カードをもらったときに、私の苗字が間違っていた。
それも指摘して直したけれど、ろくすっぽ謝らない。
患者の苗字を間違えるのは医療ミスのもとではないのと、さっそく私にちくちく嫌味を言われて、ブスッとしていたのが初診の時。
患者とり違えが起きたらどうする。
姑の嫁いびりみたいだけれど、どう考えても私が正しい。

この医院に来ると毎回怒っているから、すでにブラックリストに載っていると思う。
小さい犬ほどよく吠える。
私もよく吠えるので、いつでもトラブルが向こうからやってくる。
ちょと見、私が小柄でぱっとしない風采だから、少し馬鹿にされるのかもしれない。
それが急に吠えるので慌てふためいてしまうらしい。

帰りに院長先生自ら、明日もう一度来てくださいとお見送りされてしまって、こそばゆい。
態度変えすぎじゃない?
たぶんちょっと痴ほうの気のある穏やかなばあさんが来たので、レーザーなんてもったいないと考えたのだろう。
ところが私がものすごくせっかちでイラチなのが分かって、青くなっていたような。
小柄だから頭に血が昇るのが早い。
お隣の国の人同様よく吠えるけれど、根は猫だから、すぐにフニャフニャ。
これが画竜点睛を欠く所以。
こういう小物は出世できないね。




























































2016年11月30日水曜日

クラス会

高校のクラス会は東京丸の内ビルの36階で、眼下に丸の内周辺から千葉方面まで見渡せる絶景のレストランで開かれた。
良く晴れた穏やかな日が続いているので、外出が苦にならない。
私は嵐雷雪土砂降り、いつでも外出は苦にならないけれど、屋内の行事であってもお天気が良いのは気分が違う。

今日集まったのは全部で9人。
個室にちょうど良い人数で話が自然にできて、とても楽しかった。

前回、私が幹事だった時には同じビルの同じ階で中華料理だったけど、今回はイタリアン。
今回は参加者が少人数だったために、クラス会というより仲良しが集まってのお食事会の雰囲気で、なごやかに進んだ。
クラス会に初めて参加したのは、バレーダンサーのSさん。
バレーダンサーというと女性かと思われるでしょうが、れっきとした男性。

ご両親がバレー教室をやっていたので、彼も幼いころから踊っていたようで、作曲を専攻。
音大卒業後は舞台で踊っていた。
今でも踊っているの?と皆から質問が飛ぶと、今は動かないで済む王様の役で出ているよと、穏やかに笑って答える。
ずいぶん前に、自分はもう踊るのをやめるので見に来てほしいと連絡があったけれど、私はその頃は忙しくて行かれなかった。
ついに一度もステージを見てあげられなくて、残念な思いがある。
どんなにしても、行ってあげればよかったかと後悔している。

しばらくはバレーの話で盛り上がる。
私たちの高校にはダンスの授業があった。
社交ダンスの有名な先生が講師でみえていたけれど、指導の仕方が面白かった。
はい、それでは寮の方を向いてー、はい、今度は大学の方を向いてー、と言うので、寮と大学がないとどちらを向いていいかわからない。
その当時高校の生徒の男女の比率が7(女)対1(男)だから、男性と組めることはめったになかった。
女性同士で組んで、どちらかが男性役になる。
その中でもSさんと組めればラッキー。
リードが上手いから気持ちよく踊れた。
そうでないときには、仲良しのM子さんがパートナー。
彼女は背が高いから、男性の役。
私は当時手の汗がひどくて、それに文句を言いながらも、いつも組んでくれた。
そのM子さんが今回のクラス会の幹事さん。

こうして元気に集まれるのは健康であるからで、中には激務のあまり命を落とした人もいる。
私も一時期は突然死覚悟の仕事量だったこともあり、他人事ではないけれど、生きていられてこそ再会を楽しめるのはありがたい。
私たちの高校は、校風がノンビリしていることで有名だったけれど、社会に出てからの頑張りは皆すごかった。
しかもノンビリが幸いして人間関係が上手くいく。
業界のどこへ行っても、第一線で活躍している人が大勢いる。

中学までは学校は牢獄。
この高校に行って初めて自由な校風に触れて、我が世の春となった。
その後の学校生活は、これ以上ない楽しさ。
競争がなかったとは言えないけれど、それよりも協力しあうほが多くて、それが我が校の誇り。
大きな学長先生が長い両腕を伸ばして、生徒たちを愛おしそうに抱え込む姿をたびたび見かけた。
体格も性格も規格外の大きさ。
学校外では厳しくて有名だったようだけれど、哲学の授業では、真に大切なのは自由であると力を込めて教えられた。

高校には校則も制服も校歌もない。
まったくの自由な中で、自分を律して生きていくことの大切さを学んだ。
私の今の幸せは、この学校に入ったところから始まったと言える。

最近まで私は、クラス会というものに出たことがなかった。
過去の人たちに会ってどうするの?と思っていたけれど、参加してみると中々楽しい。
これは予想していなかった。
どうせダンナや子供の自慢か姑の愚痴とか聞かされると思っていたけれど、そんな人は誰もいなくて本当に良かった。













































2016年11月27日日曜日

ブラヴォー!マエストロ・ヤルヴィ

みなとみらいホール

シューマン:歌劇 ゲノフェーファ序曲
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲  ヴァイオリン 樫本大進
ブラームス:交響曲第1番

パーヴォ・ヤルヴィ指揮
ドイツ・カンマ―フィルハーモニー管弦楽団

ヤルヴィさんの指揮を生で聴くのは初めてだったので、衝撃を受けた。
今まで素晴らしい指揮者の演奏をたびたび聴いてそれぞれ感激をしたけれど、それらを超えた驚くべき指揮者だと思った。
まるでスコアがそのまま音を出しているような・・なんと言ったら理解してもらえるのかしら。
すべてのパートがすべて生かされていて、それは当然だと言ってしまえばそれまでだけれど、あまりにもクリアでいてまるでスコアをのぞき込んでいるような。

いやー、オーケストラってこういうものだったのかと原点に返る思いがした。
作曲家が生きていてこれを聴いたら、感涙にむせぶと思う。
特にブラームスの3楽章から4楽章に移る部分の美しさったら。
たいていの指揮者は非常に緊張感を持たせるけれど、ヤルヴィさんはひたすら美しく整った表現をした。
淡々としているようで、構成はがっちり。
細部に至るまで綿密にそれぞれのパートを生かして、今まで聞こえてこなかったような音を浮き出たせたり、新鮮な驚きで聴いた。

ヴァイオリン協奏曲の樫本大進のソロも、美しくて陶酔した。
一緒に聞いていたピアニストが「ベートーヴェンって本当に優しい人だったと思わない?」と訊いてきた。
デリケートで崇高で、名曲中の名曲が脈々と現代に生きていられるのは、こうした優れた指揮者とソリストがいるおかげ。
澄み切った宇宙の中で揺蕩っているような、心地よさ。
それだけではなくて、音楽の中に理性とか知性とかがゆったりと居座っている。
うーん、物書きではないので、どう表現したらいいのかわからない。

私は今年オーケストラを捨てて、今はソロと室内楽に専念しているけれど、もう一度生まれ変わったら、やはりオーケストラを弾きたい。
だから早く生まれ変わらないといけないのだけれど、生まれ変わるには1度死なないといけない。
憎まれっ子なんとやらで、中々死ねないのが残念なところ。
そう言ってもいつ何時コロッといくかもしれないから、そうなったらさっさと生まれ変わって、来世では3歳からヴァイオリンを始めよう。
現世では人より5年くらい遅くヴァイオリンを始めたので、そのハンデは中々埋められなかった。
5年の差は大変なもので、その間せっせと練習していたら今よりずっと上手くなっていたと・・・ほんとうかな?
とにかくもう少しはましになっていたと思う。

あまり早く生まれ変わると、人間になれなくて動物になってしまうと、以前聞いたことがある。
できるなら猫とか馬になりたいけれど、馬では蹄が邪魔で弾けない。
サルはいやだし困った。
ライオンでもいいか・・・なんて話が逸れていますが。

オーケストラっていいなあ。
私は子供のころオーケストラの演奏を聴いて、このオーケストラに入りたいと思ったら、夢が実現してしまった。
それが良かったかどうかはわからない。
それを聴かなかったら、ほかの道で活躍していたかもしれない。
でももう一度生きられるとしたら、同じ道を行きたいと思う。

終演後、いつもならイタリアンとかフレンチとかおしゃれなお店に行くのだけれど、今日はチケットを手配してくださったMさんご夫妻に連れられて、野毛の飲み屋街へ。
中華料理の小さなお店。
Mさんのご主人の会社が近いのでよく行くのだそうで、行ってみたらものすごい混みかた。
日曜日の夜なのに人でいっぱいで、おそろしく賑やかなのでびっくり。
うるさかったけれどすてきに美味しかったし安かった。
せっかくの余韻が消えると思ったら、そんなことはなく、自宅に戻るとやはり心の中にコンサートの感激がしっかりと居座っていた。






































2016年11月25日金曜日

初雪

今日は相棒のピアニストと合わせがある予定だった。
練習場所は各自の家を交互に使うという、暗黙の取り決めになっていた。
今日は私の家での練習の番。
昨日から天気予報は雪。
最近の天気予報は良く当たるので、ひどく降らなければいいと思っていたけれど、朝9時も過ぎると本格的に雪の模様。
朝早く、ノラにエサをやりに出たときにはまだ雨だったのが、今は窓の外に雪がかなり激しく降っている。

相棒からはシンとしてなんの連絡もないけれど、今頃迷っているのかなと思いメールした。
明日早くそちらへ行くから、今日は中止にしてもいいよと送ったら、渡りに船とばかり返信が来た。
私だったらすぐに「今日は行けない」なんて中止するのに、なんたって学生時代からクソ真面目で優等生だったから、おいそれと言い出せなかったのか。
人間、もっといい加減に生きないと肩が凝る。
私の爪の垢を煎じて飲ませてあげよう。

いよいよスキーシーズン到来・・・と言ってもまだ一か月以上先の話だけれど、雪を見ると心が躍る。
かと言って、ゲレンデに出ても真面目に滑るわけでもない。
リフト2、3本滑ってはお茶、ゆっくりと休憩、見かねて仲間からゲレンデに引きずり出され、又2、3本滑れば昼食。
その後も又2、3本。それでおしまい。
自堕落な滑りを長年やってきた。

数年前カナダに行った時も3本滑って休憩していたら、現地ガイドが「せっかくカナダまで来て3本?」とびっくりしていた。
カナダのコースは長い。
日本のコースの3倍くらいあるから、9本滑ったことになる。
だから、それで満足。
疲れて膝がガクガクしてきたら怪我のもと。
怪我をするのが一番怖い。

万一手を怪我したら私の歳では、再起不能になる。
スキーに行くというと友人たちからは、足を怪我しても手は怪我しないようにと送り出される。
少ししか滑らないから、いつでも足も体もほとんど疲れない。
寒い吹雪の中にいると、自分の体の中に温かい血が流れているという実感があって、嬉しさがこみあげてくる。
以前若い女性を山に連れていったら、猛吹雪の中で言う事は「すてきですね、生きている!って思います」
私も「ほんとね、生きてるよね」

シーズンが始まって初すべりの時には「誰がスキーしようなんて誘ったのよ」と重たいスキー靴を履きながら、誰にともなく文句を言う。
来ると決めたのは自分でしょうが。

靴は宅急便の荷物の中で冷え切って、カチンカチンに硬くなっている。
足首を捻挫しそうになりながらやっとのことで履く。
ものすごく非力だから、頼みの綱は自分の体重のみ。
それだけは十分過ぎるほど豊富に蓄えてある。
この日のために・・・ではないけれど。
履くとワゴン車に乗るのが一苦労。
足が短いから車のステップに乗るのもた~いへんなのだ。
滑るし体は重いし力はないし。
ゲレンデに到着、今度は車を降りるのがた~いへんなのだ。

リフトのチケットを買うのも、重たい足を引きずってチケット売り場にいかないといけない。
たいてい、リフト乗り場ではなくて別の場所にあったりするから、靴を引きずりながらよたよたと買いに行く。
お金を出すのに手袋を外したりするのも寒くて億劫。

準備運動をして、さてリフトに乗ろうというところあたりから、段々機嫌が良くなってくる。
「わあ、あの山、今年は雪が少ないね」とか「空が黒いほど青いね」とか「うー、さぶっ」とか他愛もない話をしながら山頂へ。
さて、最初のひと滑り、体が重力を無くして段々スピードが増してくると、喜びが湧き上がってくる。
スキーの楽しさは年をとっても楽しめること。
板の上に乗ってバランスさえ取れれば、あとは勝手に落ちていける。
中年過ぎて登山やっている人を見ると、なんであんな苦労するのかしらと理解できない。
自力で重たい体を上に運んでいくなんて。
スキーなら自力はいらない。
ただ緩斜面は技術がないとうまく滑れない。
ある時、元国体選手を追いかけて滑ったら、急斜面ではなんとかついて行けたのに、緩斜面に来たら一気に引き離された。
技術の差とはこういうものかと思った。
スケーティングでもストックで漕いでも追いつけない。
ヴァイオリンだって早いパッセージはなんとかいっても、ゆっくりしたところでぼろが出る。
基礎的なことが丸見えになる。
単純な曲ほど難しい。

明日は久々のピアニストたちとの「弾き合い」
皆さんシーズン中は忙しくて、やっとメンバー6人全員が集合できることとなった。
スキーに思いを馳せるより、明日の演奏のことを考えないといけない。
こんな雪では家にぬくぬくと居て、ヴァイオリン弾くしかない。
















































2016年11月23日水曜日

今日も今日とて飲み歩き

私はのん兵衛ではない。
家にいるときはほとんど飲酒しない。
外でもビールをジョッキに一杯、その後ワインをグラス半分飲めば出来上がり。
あとはひたすら食べる。
それでも友人たちと飲み歩くのは、ほんとに楽しい。

歳をとってきて皆お酒の量は減ってきた。
昨日のたかしま先生のお別れ会の後、酒豪で知られた人と一緒にグラスを傾けていたけれど、彼女もずいぶん酒量が減ったという。
彼女は体も大きいし性格もあけっぴろげで、楽しいお酒を飲む。
他の人たちは食事のみだったけれど、私は彼女がいるならちょっとビールを一緒にお付き合いしたいと思った。
一人で飲むのはつまらないと思うし、私は夜はご飯を食べないので、では、という事になった。

以前彼女と一緒に早朝、車で埼玉県まで仕事に出かけた。
二人ともせっかちだから会場に到着したら、まだ会場が開場していなかった。
スタッフが私たちを見て大慌て。
もう来ちゃったんですか!
楽屋を開けてもらって、一息ついた。
その後11時間にも及ぶ仕事が終わって、彼女を途中まで送っていったけれど、自宅ではない方に帰るという。
仕事が終わったのが、夜9時。
都内某所に着いたのは11時ころ。
これから何をするのかと思ったら、行きつけのパブに行ってヴァイオリンを弾くという。
本当に驚いた。
何時に寝るの?と訊いたら、そうやな4時くらいかな。
こちらは体力の限界なのに、平然としている。
おそれいりました。

今日はスキーの先生を囲んでの飲み会とあらば、出かけないわけにはいかない。
奇人変人のスキーの先生はこの時期、私たちのためにスキー用具の選定に付き合ってくれる。
以前はプロが使うのかと思うような上級者用の用具を勧められたけれど、最近は皆の体力に合った軽くて扱いやすいものを選んでくれるようになって、ほっとしている。
音階も弾けないのに、ストラディバリウスの作った楽器を持たされるようなもの。
私なんぞは力がないから、重たいビンディングを付けた板を持って歩くだけで青息吐息。
滑るときは力はいらないからいいけれど、坂道を担いで上がったら心臓はバクバク、足はガクガク。
お正月の志賀高原が滑り初めなんだけど、熊の湯の車の送迎所からリフトまでほんの少し上るだけで、もう二度とスキーなんかやるものかと毎年思う。

それで今年はもっと軽いビンディングにしてほしいと思ったけれど、まだ使えるからもったいない。
やっと私も経済に目覚めた?
そうではなくて、この時期の石井スポーツの混みようったら大変なものなので、ヘタレの私は風邪なんかうつされてはとしり込みをしている。
それで飲み会のみの参加ということで、又夜になると家を出ていく。
近所の人たちは夜な夜なでかけるあの人は、いったい何をやっているのだろうと興味しんしん?

ここに家を建てたとき、私の母がご近所に挨拶に回ってくれた。
けれど言うことが「うちの娘は夜の仕事なので・・・云々」と言ったらしい。
皆びっくりしていたそうなのだ。
へんなこと言わないで、と私は叫んだ。

どう見たって夜の蝶になれるほどの器量よしではない。
華やかさも皆無。
泥棒するほどの器用さもない。
道路工事するには体力ない。
夜警になるほどの度胸もない。

一度、夕方からの仕事に行くために車を出そうとしていたら「あ、おかえりなさい」とお向かいのご主人に言われたことがあったのがちょっと痛かった。







































2016年11月22日火曜日

お別れの会

たかしまあきひこさんの、お別れ会だよ!全員集合は、今日青山葬祭場でにぎやかに行われた。

東京マンドリンアンサンブルの演奏に迎えられ、8時だよ全員集合のテーマで始まった会は、お別れ会であることを忘れそうなくらい、さわやかなコンサートとなった。

自民党幹事長の二階俊博氏、作曲家山本純ノ介氏、NHKの番組部長の井上啓輔氏がご挨拶。
山本直純氏のご子息の純ノ介さんが時々声を詰まらせていたのは、幼少のころからたかしまさんとの絆が深かったからだと思う。

そして、こんな曲まで彼の作品だったのかと驚くほどの、作品の数々。
例えば
NHK FNNニュースのテーマ
   おはようラジオセンター 昼・夜のテーマ

映画・ドラマは
   野獣死すべし
   女駆け込み寺
   パパと呼ばせて!

バラエティ・番組・音楽番組は
TBS 8時だよ全員集合
   カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ
CX    ドリフの大爆笑
    志村けんのバカ殿さま
NHK  歌謡コンサート
   BS日本の歌
   英語で遊ぼう
   みんなのうた
日テレ24時間テレビ   

そのほか東京マンドリンクラブのコンサートのアレンジと指揮
天皇陛下在位10周年 20周年記念式典の音楽等々  
まだまだこれはほんの一部

ジャンルが多岐にわたるから、人脈も広く、今日も駆けつけて演奏した中に、二胡の奏者 楊興新さんなどもいて、そのすすり泣くような演奏を聴いていたら、たかしま先生への哀悼の気持ちがあふれ出ていて、思わず眼がしらが熱くなった。

たかしま先生はいつも物静かで、愛する家族に囲まれて楽しそうにニコニコしていた。
奥様からはクマさんと呼ばれ、息子さんは京都大学、東京大学大学院で哲学などを学んだはずなのに、いつの間にかお父さんと一緒に音楽の道を歩いて、いまや新進気鋭のアレンジャー。
一度は音楽から抜け出そうと思ったのかどうかは知らないが、やはり音楽が口を開けて待っていた環境だったのだと思う。

父と息子、普通は反発しあうことが多いのに、これほど仲良しの父子はみたことがない。
旅に行くと、二人で楽しそうにお酒を飲んでいる。
それを奥様の早苗さんが、うれしそうに見て居る光景を思い出す。

ずーっと以前、たかしま先生の芸大の卒業作品のフルートソナタを聞かせてもらったことがあった。
なぜそのCDを下さったのかわからないけれど、もしかすると、コンサートで弾いてみたら?と言う問いかけだったのではと思っている。
いつかこの作品の楽譜をお借りして、コンサートで弾いてみようかと思いながら、今日に至ってしまった。
フルートソナタだからヴァイオリン用には、少し手をいれないといけなかったかもしれない。
楽譜はそのまま弾けると思うけれど、フルートよりもヴァイオリンの方が重音などが使えて、より幅が広がる。
忙しい方に余計な負担をかけてはいけないと思ったけれど、余計な気遣いだったかもしれない。
もうすこししたらお願いしてみようかと思ったけれど、その前にさっさと天国へ行ってしまった。
今そのことが心残りになっている。

大好きな早苗さんと二人のお子さんを置いて、いったいなぜそんなに早くいかなければならなかったのか。
師匠の直純さんに「待ちくたびれたぞ、早く来い」とでも言って呼ばれたのか。
雨が上がって今日は温かい明るい日だった。
たかしま先生のお人柄みたいなお天気ねと、仕事仲間が言う。

今朝福島で地震があった。
NHKの阿部渉アナウンサーの緊張した呼びかけが、テレビからずっと流れていた。

夕方お別れの会に行ったら、阿部さんが司会者だった。
阿部さんとは、NHKのBS日本のうたでお目にかかっていたけれど、その時の淀みない司会が素晴らしかった。
今日も朝からあれだけのニュースをほとんど休みなく流していたのに、12時間後にも疲れを見せず、滑舌の良い司会ぶり。
私は何10年もテレビの仕事をしていたけれど、彼ほどのアナウンサーはめったにお目にかかれないと、いつも感心していた。

久しぶりにかつての仕事仲間と再会して、今日も又ビールのジョッキを傾けた。
最近出歩くことが多い。
































2016年11月20日日曜日

コール・ヒデ第一回演奏会

王子ホールにて。

作曲家の小林秀雄氏の作品と、特に「落葉松」のコーラス版が歌いたいというので結成されたコール・ヒデ女声合唱団。

ヒデはもちろん秀雄さんのヒデ。
奥様の安蒜砂智子(あんびる)さんからのお知らせで、前から行くと決めていたのにチケットを買っていなかった。

当日売りがあるさとのんきに構えて居て、2日前王子ホールのホームページを見たら、なんと売り切れ。
誘っていた人に断りを入れて、安蒜さんにはいかれないというお詫びのハガキを出しておいた。
その後コール・ヒデの関係者から電話で、1枚だけならなんとかなるという。
すると次の日に、もう1枚キャンセルがでたという連絡が入った。
それでなんとか2枚チケットを入手した。

コーラスの第一声は、うーん・・・
音程が下がり、力みすぎた声が時々耳障りに入る。
やはり緊張がものすごいのかも。
指揮は安蒜さんで、黒のドレスを身にまとい艶やかな髪の毛をアップに結い上げ、堂々と登場した。
指揮も素晴らしい、ピアノ伴奏の人も上手い。
合唱も3曲目くらいからどんどん良くなって、きれいにハモッてきた。
なによりも発声がきれいな合唱団で、会を重ねるとどんどん良くなっていくと思う。
今日も良かったけれど、今後も大変楽しみ。
  朝明けのうた
  愛のささやき
  花の子もりうた
  ダンツィク
  まっかな秋
  ビタミンI
そして、ピアニストの森裕子さんが「落葉松」をピアノ用に編曲したものを独奏。

休憩後は合唱コンクールのために作曲された3曲
  歌がうまれる
  白い雲
  千年の樹
そして女声合唱曲集「落葉松」
      飛騨高原の早春(はる)
  あなたとわたしと花たちと
  瞳
  落葉松
  
落葉松は作曲者・小林秀雄氏自らのピアノと合唱の共演。
普通ピアノ伴奏というけれど、歌曲の場合はピアノと歌は同等ですと小林さんはおっしゃる。
その言葉のとおり、彼の弾くピアノは大勢の合唱の声を超えた、大きな存在感となって胸に迫ってきた。

合唱の伴奏者とソリストと達者なピアニストが二人いたけれど、小林氏の素晴らしい演奏には本当に感激した。
ご自身の作曲だから、どの音がどんな意味を持っているかわかるのは当たり前だけれど、それをこんなにもうまく表現することは上手いピアニストであっても中々できるものではない。
音の透明感と瑞々しい感性は、訊く人たちの心を揺さぶった。
感激のあまり泣き出しそうになった。

彼は足元もおぼつかなく奥様に手を引かれて登場したけれど、ピアノの前に座った姿勢は背筋がまっすぐに伸び、高齢なのにこんなに美しい男性もいるのかと感嘆した。
まさにジェントルマンを絵に描いたような。
安蒜さんは張りのある素晴らしい声で、最後に合唱のオブリガートを歌った。
一緒に聞いていた友人は、あれがなかったらこのコンサートはもう少し印象がうすかったわねえと言う。
小林氏と安蒜さんと、お二人に敬意を表したい。

さてコンサートが終わると銀座でビール!
白ワインと生ガキ。
二人とも感激が冷めやらない。
なんて素敵なコンサートだったんでしょう!と相棒が言う。
誘ってくれてありがとうと言われて私も嬉しい。

安蒜さんと私は親しい間柄だと思われるかもしれないけれど、実は40年ほど前にたった一度だけ共演したという間柄で、それなのにずっと彼女は私を忘れないでいてくれた。
先日電話で話した時も、空白の時間はまったく感じなかった。
つい最近会ったばかりのような気がした。
音楽は時空を超えて、人と人を結びつける力があるようだ。
ずっと疎遠だった人とも楽器を持って集まれば、言葉はいらない。
不思議な世界に私たちは生きている。

















2016年11月19日土曜日

全員集合!

知人が亡くなった。
たかしまあきひこさん。
作曲家、アレンジャーとして、多方面に八面六臂の活躍をされていた。

彼の奥様とは、公私にわたってのお付き合いがあった。
お嬢さんが大学卒業後、専門技術を習得するために稚内に逗留していたころには、一緒に酷寒の北海道へ飛んで彼女に会いにいったりも。
同じころ私の姪が稚内にいたという偶然もあった。

NHKで仕事をしていたころには、ご主人の明彦さんと奥様の早苗さんとは度々顔を合わせた。
早苗さんはマンドリ二スト。
旅の時には、髙島ご夫妻とその息子さんのKANTA君と、仕事の後で夜の街に飲みにでかけた。
一番印象に残っているのは、名古屋で手羽先を山のように食べたこと。
手羽先にはあまりお肉がついてないとはいえ、4人で黙々と骨をしゃぶって、その骨がうず高く積まれていったのは、少しホラーだった。

8月の最後の日曜日、髙島家の屋上でのバーベキュー大会は、毎年恒例の行事だった。
ところが私はたいてい、日テレの24時間テレビの仕事がぶつかってしまうので、中々参加できない。
日程がずれると参加できてラッキー!と喜んだ。
たかしま先生も24時間テレビのアレンジャーなのに、当日は現場に来ないで自宅でバーベキューを楽しんでいるのは、少し不公平じゃない?
マラソンランナーが制限時間になっても到着せず、私たちは帰るに帰れず今か今かと待っているのに、屋上ではワイワイ楽しんでいるのかと思うと、うーん喉が渇いた・・・ビールの幻想が頭をよぎる。

広い屋上には仕事仲間が集まって、盛大に盛り上がる。
思い思いに飲んだり食べたり、疲れるとリビングでまったりとして、なにをやっても寛げるお宅。
たかしま先生はいつもニコニコして、何事にも動じない風。
でも、大変な売れっ子だったから、少し無理をしてしまったのかな。
今年の夏、東京マンドリンアンサンブルのコンサートの時に指揮をしている姿を見たら、ずいぶん痩せていた。
いつもはニコニコしているのに、その時はほとんど笑わずしゃべらず、打ち上げをそそくさと帰ってしまったので、あら?っと思った。
あの時には相当悪い状態だったのかと思うと、本当に最後の気力を振り絞って指揮をされていたらしい。

来週お別れの会という案内状が届いた。

発起人は自民党の二階俊博氏。
そのほか音楽業界、放送関係のそうそうたる面々。

タイトルは お別れ会だよ!全員集合
ドリフターズの全員集合の音楽担当は、たかしま先生。
時々幼稚園児の姿でオルガンを弾いていたり。

ああ、寂しいなあ。






























2016年11月17日木曜日

小春日和

2つ前の投稿で紅葉も散って・・・などと書いてしまったら、今朝散歩に行った公園の木々が、紅葉真っ盛り。
そういえば昨日のテレビでも、代々木公園の紅葉を上空から写していたっけ。
いつもは夕方から散歩するので、薄暗くなった景色は視力の落ちた私には、セピア色にしか見えない。
今日は小春日和の輝くようなお天気。
思わず表に出たくなる。

公園に行く途中の原っぱに、猫が大勢日向ぼっこをしていた。
おかあちゃん猫が真ん中であたりを警戒している。
そばに子猫が1匹、2匹、3匹・・・あらまあ、6匹。
ところが、隣の家の生垣の中に、もう2匹発見。
そのうえ、空き地のわきのアパートに置いてある自転車の上に、大きなおとうちゃん猫が。
最初に見た6匹はほとんど大きさが変わらないから、兄弟とみた。
生垣の中の猫は少し大きいから、叔父さん、叔母さんかもしれない。

公園に行くと、大きな銀杏が黄色く色付いて、その周りを赤い葉をつけた木々が取り囲み、青空の下で子供や犬たちが気持ちよさそうに遊んでいた。
いつも犬の飼い主たちがたまっているところに行くと、大型の黒い犬がいた。
大型犬大好きな私が思わず寄っていくと、それまでリードを離していたのに、あわててリードを付ける飼い主。
チェッ、こっそりと触ろうと思っていたのに。

飼い主にしてみれば、なにかことが起きて人を噛んだら大変だから、そうするのが当たり前なんだけど、私は心の中で舌打ちをする。
自信過剰かもしれないけれど、今までおよそ私にかみついた犬はいない。
すごく気が合うというか、ワンちゃん、特に大型犬とは心が通う。
もう大好き!
ドイツのガソリンスタンドで、見たこともない巨大な黒い犬に出会った。
しばらく一緒に座って話をしたけれど、彼(?)はドイツ語しかわからなかったかもしれない。
今日は変な言葉をしゃべる変なオバサンに会ったよと、仲間に話したりして。
そいつは俺よりもちっちゃかったのさ、なんてね。
立ち上がったら、わたしの頭上をはるかに超えていたと思う。

ミュンヘンで出会った犬はリードを付けないで散歩していた。
飼い主の左わきにぴったりと寄り添って向こうから歩いてきた。
飼い主が私を見て、犬になにか言った。
おい、変な女が来るぞ、気を付けろ・・とでも?
すると犬はそれまで普通に歩いていたのに、突然耳を伏せ、尻尾を後ろ脚の間に入れて、匍匐前進みたいに歩き始めた。
これにはびっくり。
すれ違う人に危険を感じさせないための訓練された犬だったようだけれど、あまりのことに唖然とした。
いかにもドイツ人、ここまでやるか?と少し犬が気の毒になった。

でも犬は厳しくされても、飼い主に従うのが好きな動物だと思う。
稚内に犬ぞりレースを見に行ったことがあって、これは動物虐待?とも思ったけれど、走りたくてたまらないで大騒ぎする犬を見たら、そんな気持ちは吹っ飛んでしまった。
早く早く、ご主人さま、走りましょうよ。
スタートの合図で喜々として走り始める。
それはもう嬉しくてたまらない。
見ていたこちらも嬉しくなる。

その点猫とは大違い。
猫は飼い主をこき使う。
感謝の念がない。
自分がしたいときにしたいことだけをする。
すぐに贅沢に慣れる。
これって!なにか自分の性格を表しているような。


























2016年11月16日水曜日

小休止

この数日何もしなかった。
私が何もしないという事は、必要なこと以外本当になにもしない。
朝起きて寝るまで歩くこと、食べること、ネットを見ることで明け暮れた。
特に3日間ヴァイオリンも弾かず、本も読まず、夜も眠くならないのにあまり不摂生をすると風邪をひきやすくなるから、仕方なく寝るだけ。
ベッドに入って横になればストンと眠れるから無理に眠る必要もないけれど、ただでさえ短すぎる睡眠時間には罪悪感があるので、とにかく寝る。

時々こういう時期がある。
仕事や勉強には意外と生真面目なところがあって、こんなに緊張していなくてもと我ながら思うところもあるけれど、今は丁度次のコンサートへ向けての準備期間に入った。
ちょっとだけ怠けてもいいよと、自分を甘やかす。
私はヴァイオリンを始めるのが他の人より遅かった。
約5年は後れをとっている。
音大には間違って入ってしまったと思えるくらい。
音大を卒業するころになって、やっとスタートラインが一緒になったかならないか。
卒業してからが本当の勉強開始になった。

友人に言われたことがあって、あなたは卒業してからの修業がすごかったのよねと。
私がすごいわけではなく、そのころから周りの人たちの援助がすごかった。
周り中が教育ママ・パパ・フレンド。
本当になにもかも周りの人たちが後押ししてくれた。
それとヴァイオリンを弾いてお金をいただくようになったことも、自分に責任を持つことに拍車がかかった。

そんなわけで、仕事があるうちは常に緊張の中での生活。
それを支えてくれる多くの人たちが、心の支えとなった。
本当に感謝してもしきれない人たちの顔が目に浮かぶ。
なにか始めようと思うと、周りからサッと手が差し伸べられて、とても上手く対処できる。
このブログだって自分一人では書けなかった。
私もお返ししなければと思うけれど、猫だから役立たずの手しか持っていないのが悲しい。
私の飼い猫たちにまで、支えられ続けてきた。
猫は本当に賢くて、私が困っているとそっと手で顔をなでてくれた。
どんなに救われたことかと思う。

健康で安穏と日々が送れていても、私の努力など微々たるもの。
それでも少しは休息してもいいかな?
ほんの3日間だけでも。
今日から練習再開。
さて、来年のコンサートも乞うご期待!
老骨に鞭打って・・・というのは嘘で、鞭打たないけれど最大限の努力をお約束。
私の努力というのはせいぜい、毎日一応ヴァイオリンを練習するという程度だけど。

そういう舌の先から、1月のスキーシーズンには又ちょっと休息。
ずいぶん計画が入っておりまする。
でもその後、来年は怒涛の大曲が。
乗り切れるだろうかと不安は尽きない。

まったりしていたら、先ほど喪中のハガキが届いた。
母・・・と書いてあったから、あの方のお母様はずいぶんご長寿だったのだと思って、差出人の下の名前を見たら・・・お嬢さんからだった。
友人がなくなったのだった。

小学校の同級生で、一年生の時からの仲良し。
小学校を卒業するときに、一年生の時の担任だった優しい先生へ、二人で絵とお話しを書いて贈った。
彼女が絵をかいて私が物語を・・・なぜか登場人物が皆ロシア人の名前だったのは、そのころ生意気にも私はすでにドストエフスキーなんかを読んでいたから。
先生は訝しげに私たちの差し出すノートを受け取った。
恥ずかしいので手渡すとすぐに二人とも逃げるように玄関へ。
校庭を出ようとしたら、先生が窓から大声で「ありがとう」と叫んで手を振った。
彼女はその後デザインの道に進んだ。

小学校時代、その人の家に遊びに行ったことがある。
本がずらりと並んでいた。
お父様はそのころもう亡くなって母子家庭。
沢山の本は亡きお父様のものだという。
文学者だったのと友人が言った。
なんでも村岡花子さんともお知り合いだったとか。
この辺の記憶は曖昧。

わあ、すごい、文学者!
私は幼少から本の虫だったから、文学者という言葉の響きに感動した。
すごいお父さん。
私の父は機械やだったから、文学者はものすごく高尚な職業のように思えた。
私も文学者になりたい!でも今は音楽家のはしくれ。
どこでどう道を誤ったのか。
お嬢さんにお悔やみの手紙を書いていたら、涙が出た。

これは思いがけなかった。
小学校を出てからは一度しか会っていない。
電話で少し話したことがあるだけのお付き合い。
年賀状だけは毎年欠かさなかったけれど、小学校の同級生で思い出すのは彼女だけだった。
それでもこんなに悲しいとは。
なにか特別な存在だったのかと、いまさらのように感じた。
もう一度会っておけば良かったとも。


































2016年11月11日金曜日

晩秋のたわごと

紅葉も散って、木枯らし1号も吹いて・・・と、少しロマンチックな気分でいようと思ったけれど、我が家の前の桜並木はいまだに葉を残している。
しかも私の家の角にいつの間にか生えていた木は、まだ青々と落葉の気配もない。
この木は今頃になると、わりと大きめの葉がそこいら中に散って、ご近所のひんしゅくを買う。
すみません、すみません、と頭を下げて落ち葉を掃いている。
「もう切っちゃったら」と言われ続けているけれど、せっかく生えてここまで大きくなったのにかわいそうで切ることができない。
お隣さんは治療院をやっていて、この木が邪魔。

駅の方からここを訪れる人は、この木の葉が看板を隠してしまうので、わかりにくいと苦情がくる。
夏、お隣のご主人がノコギリでせっせと枝を切っているところに遭遇すると、しまった!先を越されたかと、ワインなど持ってご挨拶とお詫びに向かうこともある。
うちの木なんだからお隣さんが断りもなく?と思うかもしれないけれど、もうお好きなようにとこちらは低姿勢。
けれど、この木は夏にはベランダの影となって、涼しげにみえるし、秋には小鳥たちがわずかな実を食べにあつまる。
都会のほんのささやかなオアシスとなっている。

近所の嫌われ者だから、本体は枝をどんどん切られ、中央の太い幹だけになっている。
いい環境で生えていれば、さぞ見事な大木となるだろうにと、気の毒に思う。
元気が良いので、春先からどんどん枝が伸びるので、気が気ではない。

その木がまだ紅葉すらせずに葉っぱを落とさないのは、異常に長雨が続き、水分をたっぷりと吸収しているからなのかもしれない。
ということは、人も水分を蓄えておけば、アンチエイジングに繋がるかも?
それほど人体は簡単ではないから、腎臓の負担なども考えると無理かな。

今年はおよそ晩秋という感じのしない11月。
晩秋にブラームスは良く似合うなんて言ったこともあるけれど、今年はブラームスよりはスメタナ。
モルダウが一粒の水滴からどんどん水かさを増して、最後には滔々と流れていく様を思い浮かべるにはこじつけで無理があるけれど、今年の雨の多さはどうしたことか。
今年の8月は日照時間が延べで2日とか。
ナメクジさんが大喜び!
カタツムリさんと腕を組んで喜ぶさまが目に浮かぶ。

元々ナメクジとカタツムリは同種らしい。
一方は殻を脱ぎ、もう一方は家を背負って生きていく、その進化の過程で何があったのか、訊いてみたい。

「話せば長い話になりますが」と、ナメクジが言う。
「私はもともと幸せな家庭に妻と3人の子と暮らしておりまして、ところがバブルがはじけたあのころ、以前の贅沢な生活に慣れた妻が、どんどんサラ金からお金を借りて返却できなくなり、それで家を売って・・」あはは、そんなわけはないけど。
でも人間社会ではありそうな話。

さて、私がブラームスを好きになったのは、中年過ぎてから。
それまでは、ヴァイオリン協奏曲以外の曲は好きではなかった。
なにを聴いてもぐずぐずモジモジ、行くかと思えば又戻り、ウジウジしてじれったいことこの上ない。
これでは、どんなにクララが好きでも受け入れてもらえなかったワケだわ、と納得。
それがある晩秋の日に、ブラームスの弦楽四重奏を聴いていたら、急に胸が締め付けられて、それ以来私はブラームスが大好きになった。
それまでは私の感性が成熟していなかったという事。
私も人生が晩秋に差し掛かって、やっと共鳴できるようになったらしい。

今年は早くも雪の便りが聞こえてスキーヤーとしては嬉しいけれど、気温が下がらないと良い雪はのぞめない。
なんとか早く寒くなりますようにと言うと、袋叩きにされるかも。
スキーシーズンが近いから、晩秋が好きなのかもしれない。
現実的でロマンチックではない理由でごめん!
































2016年11月10日木曜日

泥沼

このブログは、政治や経済など社会的な問題は一切抜きの、私の気軽なつぶやきを目的としていた。
猫と音楽と友人たちのこと以外は書かないつもりだった。

しかし、今回のアメリカの大統領選挙には少なからず関心と疑念を持っていた。
はじめて社会的なことをここに書くけれど、今回のヒラリー・クリントン氏とドナルド・トランプ氏のあまりにも最低なふるまいを見て、アメリカと言う国の品位も地に落ちたと言わざるを得ない。

国力が落ちているとは言え、アメリカの大統領と言えば世界のリーダーとなるべき人なのに、その下品なことには驚く。
こんな人たちが世界のリーダーとなったら、どんなことになるのか。
どちらか一人でも悠然と構え、相手の欠点をあげつらうのではなく自分の政策を述べるのであればまだ許せるけれど、ユーモアのかけらもない相手を罵り合う姿を見て絶望した。
史上最低の大統領選と言われるのは本当だと思った。

このような候補者しかいなかったのが不幸のもと。
又、それを選ぶ国民も同じような品性の人たちなのかと疑ってしまいそうになる。
この選挙でアメリカは二分され、今後禍根を残すのではないかと心配している。
アメリカは日本にとって同盟国であり、利害関係も深くかかわっているから、日本の将来も心配になる。

特にトランプ氏の顔や立ち居振る舞いの粗野で醜いこと、この上もない。
女性蔑視、経済のみの悪辣な人ではと疑ってしまうので、立派な実業家としての顔をつい忘れそうになる。
お金儲けは上手いけれど、マイノリティーに対する同情心のかけらもない言葉にぞっとする。

そのような人たちを排除するというのが、どうか、選挙用だけの言葉でありますようにと、祈りたい。
メキシコの国境に壁を作るなど、第二次世界大戦のころに戻ったような考え方で、世界平和を望んでいるようには見えない。
広大なアメリカを統治するのは、強い力が必要なのはわかる。
日本のようになあなあで、言わなくても分かるなんて甘い考えが通らないのも分かる。
中国と組んで、なにかやりそうないやな予感がする。
今の中国とは、きっとずいぶん気が合うと思う。

元々は人柄の良い人かもしれない。
粗野で女好きで金儲けに長けていて、男性にとっては憧れの存在かもしれないけれど、大統領となると・・・
会社の社長さんにおさまっていれば、やり手の実業家で尊敬されていただろうに、大統領ではね。
日本の隣国韓国の大統領もひどい。
なんでこんな人たちが世界をリードしていくのだろうか。
不思議でならない。

結局民意が低いということに尽きるのかもしれない。
本当にトランプ氏でいいのだろうか。
クリントン氏も嫌だけれど、少なくともセクハラおやじよりはまし?
いや、どうかな?
日本にとってはつらい日々が始まるかもしれない。
日本の政治家の脆弱な言動、井の中の蛙、お友達的な自分たちの利害のみを追及する議会を見て居ると、とても彼に太刀打ち出来そうもない。
安倍さんが夜陰に乗じて、日本を軍国にしかねない。
それでもトランプ氏とうまくやっていけばいいけれど、あのあくの強さに太刀打ちできる人は世界でもそういないと思う。
あの人にだけはなってもらいたくなかったというのが、私の本音。
世界中の白人以外の人たちが震えているような気がする。

驚いたことに、今朝の彼のあいさつは優等生的な、いかにも原稿通りの演説だった。
顔つきまでがキリッとしていた。
どこまでがブラフでどこまでが本音かわからないけれど、さすが商売上手だけあって選挙戦略も完璧だったのは、たぐいまれな能力を感じるけれど。

何を言っても引かれ者の小唄になってしまいそうだし、他国のことをとやかく言うのは失礼だから、この辺で。

















2016年11月8日火曜日

東北の秋

チェロフェスタは出演者が溢れかえって、時間オーバー。
私たちの出る幕はなく、メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲を一楽章だけ弾いて終わりにした。
あまりにも長時間の会だったので、もはや集中力も途切れがちだった。
時間が足りなくなって、新幹線に乗るために途中で演奏放棄して大慌てで帰る人もいる。
後片付けに走り回る人たちをしり目に、とっとと会場を後にした3人組。
水沢から一ノ関に向かう。
6時半ころ一ノ関のホテルにチェックインして、ホテル裏の居酒屋へ向かった。

一ノ関駅周辺は人影もまばら、冷たい夜気が迫ってくる。
一昨日、出かける前に見た天気予報では仙台の気温20度。
初めはダウンジャケットを着て出るつもりで用意してあったのに、急遽薄めのコートに変えてしまった。
その薄いコートの下はブラウス一枚。
芯から冷えてしまった。
ホテル裏の居酒屋のドアを開けると、思いがけないほど大勢の人がいる。
中は温かい。
お店のご主人はどこかで忙しく働いているらしく、姿が見えないのでどうしようかとまごついていたら、カウンターの常連さんらしい女性が、入っていいですよ、好きなところにお座りくださいと、店主のようなことを言う。
そのうち店主が現れて、お世辞もないけれど不愛想でもなく、感じの良いおやじさん。

さっそくお刺身を頼みビールで乾杯。
そこから一気に次の日からの遊びモードに入った。
料理は味も良く素朴で、ご主人の人柄の良さが店中を穏やかに温かくしている。
いいなあ、こんな店。
さっきのカウンターの女性が、私たちの注文を取り次いでくれたり、面倒をみてくれた。

ご機嫌でホテルに帰り、それぞれの部屋からカップを持ち寄って一部屋に集まってコーヒータイム。
確かに女三人よれば姦しい。

次の朝は、明るい日差しが溢れ風もなく、絶好の観光日和。
レンタカーを借りに行くと、受付の女性が親切に案内してくれた。
その人のお勧めで、猊鼻渓舘の森アーク牧場に行くことにした。
猊鼻渓は、数年前高校のクラス会で川下りを楽しんだ所。
とても良かったので、今回、他の人にも楽しんでもらおうと思ったけれど、私たちはいつも楽器を持っているので、それをどうするかが悩みの種だった。
車の中に楽器をおいていくのは、温度の上昇や盗難などが心配でできない。
かと言って、ボートにヴァイオリンを抱えていくのはもっと危険。
うっかりチャポンと水に落としたらと、想像するだに恐ろしい。
チケット売り場で楽器は預かりますよと言われたけれど、それはとても心配。
結局、川下りは諦めて、近くの店で和紙の紙漉き体験をすることにした。

楮と三椏の枝の皮をはいで細かくしたものに、さらに熱を加えて和紙の原料にするらしい。
大きなバケツに入っているドロッとした液体を柄杓で掬って、細かい網目の平らな木枠の上にまんべんなく流し込む。
水が下に落ち繊維が残って、何回もかけ流していると、膜が全体に広がっていく。
ある程度の厚みが出たところで、次の段階は色付け。
色のついた液体を好きなようにかけて、そこに楓の葉やコスモスの花などを載せて、もう一度白い液体で上から固めて出来上がり。
これを天日干しして出来上がったものを、郵送してくれる。
約一週間ほどで届くというので、楽しみにしている。
川下りは残念だったけれど、自分の手で漉いた和紙がどんなふうに出来上がってくるかワクワクする。

そこからかなりの距離の山道を走って、館の森方面へ。
お目当てはファームでのランチ。
紅葉はもう終わりに近く、時折、真っ赤に色付いた葉が見えるだけ。
それが青空に映えて、思わず歓声が上がるほどきれい。
本当にたどり着くのだろうかと心配になったころ、美しい丘陵地帯にある牧場が出現した。
駐車場の入り口に一人の女性が立っていて、パンフレット片手に滔々と説明してくれた。
休日ならともかく、ウイークデーには来る人も少ないので、やっと来た客と話すのが嬉しいようにみえる。
広い敷地には、こぎれいな山小屋風の食堂や売店が立ち並んでいる。

ランチは豚肉のハーブ焼やカレーライス、トロトロに柔らかい三枚肉の角煮など、とても美味しかった。
豚や羊などの他にハーブティーもそこで栽培しているので、葉の量も自分でたっぷり淹れられるので、特別美味しかった。
レストランの庭の前に羊の放牧場があって、緩やかに下る牧草地に顔の黒いかわいらしい羊さんたちも、ちょうどランチタイム。
美味しそうに干し草を食べていた。

以前イギリスのコツウォルズに行ったときに見たような、なだらかな景色が眼下に広がっている。
日本の東北の景色は、イギリスより繊細で優しい。

すっかりお腹もいっぱいになって、美味しそうな加工肉やパンなどの売り場でしばらくお土産探し。
試食したウインナーソーセージが、とても美味しい。
パンも野菜も美味しそうで、あれもこれも欲しかったけれど、荷物が増えるので断念した。

一ノ関へ戻るルートは西に向かうので、夕日が眩しい。
カーブを曲がったとたん明るい陽光が目に飛び込んできたりすると、一瞬目が眩む。
これには参った。
サングラスの用意がなく、帽子のひさしで陽をよける。

夕方の新幹線で東京へ帰った。
さすがに疲れが出て、私は爆睡。

私たち女性3人、世間の人はもう悠々自適で毎日のんびり過ごしている年だというのに、重たいキャリーバッグを引きずってあちこち飛び回っていられるのは、全国の音楽仲間のおかげ。
良く食べ良く飲み良く笑い、楽しんで楽器を弾く。
これが生きるパワーとなっている。
足が痛いの記憶が飛ぶのとか言いながら、東北地方にまで徘徊しておりますが、お許しを。







































2016年11月4日金曜日

水沢チェロフェスタは大盛況だから・・・

奥州市でのお楽しみ、チェロフェスタは今年は出演者がひしめき合っているので、我々プロは遠慮して、みたいなことになった。
去年に比べて出演希望者が多く、新潟からもやってくるそうなので時間が足りなくなった。
アマチュアのテリトリーを荒らすのは良くないので、私たちのメンデルスゾーンは大幅にカット。
一楽章のみの演奏になったので、一気に気楽になったけれど、せっかく集まって練習していたので少し残念ではある。

それでも久々に弦楽四重奏曲が弾けたので嬉しい。
せっかくだから、どこかで披露したいので考えた。
我が家での忘年会コンサートに出演しよう。
チェロのT氏は焼酎で釣れば必ず弾いてくれると見た。
ヴィオラさんが予定が入っているとかで、それなら「雪雀連」に強力なヴィオラ弾きがいる。
もう一人のヴァイオリンさんはオーケーだから、これは実現可能とみた。

私たちは長年仕事として演奏をしてきたけれど、心底楽器を演奏するのが好きなので、ずいぶん幸せな人生だったと思う。
仕事はもうほとんどしなくなっても、こうして集まればいつでも演奏できるのが最高の楽しみ。
もはやお金のことは度外視で、隙あらば音が出したい。
まわりの迷惑顧みず、と言ってもまだ立派に演奏家として通用する人たちだから、高いスキルを保っている。
本当のところは、入場料をとらずに聴かせるのは惜しいくらい。
ケチなことは言わないで、自分のために練習のつもりで弾いていると言ったら失礼だけれど、若いころから私の姿勢は変わらない。

時々ひどい条件での演奏依頼が舞い込んでくることもあった。
恐ろしく安いギャラだったり、とんでもなくへんてこりんな仕事が。
最低限の線はまもったけれど、心情的に共鳴するものがあれば、お引き受けした。
それに私はなんでも面白いことに目がない。
変わった条件なら飛びつく。
一度ワインの宣伝のためのパーティーに行った。
条件はもちろんギャラのほかに、ワイン飲み放題!
休憩時間に美味しく飲んで、さて楽器を構えたら、弓がどうしても弦の上に乗らない。
それ以来、そういう条件の仕事でも絶対禁酒を自分に課している。
ボランティアであれば、それはそれでもかまわない。
そのかわり自分の勉強にと、好きな曲を弾かせてもらったりもした。

高額のギャラをいただくときもあるけれど、その時の演奏姿勢と安い仕事の姿勢とは全く変えないようにした。
というか、弾き始めるとそんなことはどうでもよくなる。
とにかくちゃんと演奏しようと思う。

時にはコンディションが悪く思うようにいかなかったときには、みじめな気分になった。
オーケストラの仲間の言った言葉が忘れられない。
「俺たちはステージが終わると、ある時は王様の気分、ある時は乞食以下だよな」
上手くいかなかったときには、涙が出た。
大好きなクラリネット奏者の北爪先生は、いつもコンサートが終わると、「あ~あ、又音がひっくり返っちゃった」なんて溜息ついていたっけ。

どんな安い仕事もどんな高い仕事も、仕事にはかわりない。
ありがたく弾かせていただいた。
この積み重ねが、未だに声をかけていただけることに繋がっている。

今回はお遊びでと思っていたけれど、それでも真剣に練習をする。
4人とも(くそ)真面目。
全然手抜きなし。
けれど、時間が足りないとあれば、しゃしゃり出る気はない。
ちょっと混ぜてもらって、少しだけ弾いて楽しもう。

時間もたっぷりあるし、帰りにレンタカーで観光するのも楽しみの一つ。
もう雪の便りが聞こえてくるので、それだけが唯一の心配だけれど、東北の秋は本当にきれい。
去年は平泉を中心に中尊寺、毛越寺、厳美渓などを回った。
今回は一関の周辺、猊鼻渓の川下り(おお、寒そう)とか岩手サファリパークとか花と泉の公園とか。
今年は紅葉が遅れているから、あわよくば、見事に燃えるような山々がみられるかもしれない。
お天気が良いといいけれど。













































2016年11月1日火曜日

切羽詰まって

見かけによらず私は小心者で・・・と何回も言うけれど、少しも他人からは信じてもらえず。
今度という今度は、さすがに切羽詰まっております。
奥州市水沢のチェロフェスタでモーツァルトの「弦楽三重奏曲」を弾くつもりでいたのが、もう一人ヴァイオリンの参加希望者が現れて、メンデルスゾーンの「弦楽四重奏曲」に変更。

この曲はとても颯爽とした素敵な曲だけど、なにしろテンポが速い。
特に弾きにくいというわけではないけれど、急に曲目が変更になったので、譜読みがまだできていない。
本番はもう目の前なのに。

若いころならいざ知らず、最近の脳味噌では中々音が覚えきれない。
毎日新たな気持ちでというと聞こえはいいけれど、昨日の練習はもうすっかり抜け落ちて、最初からやり直し。
同じところを何回も間違える。

生徒に言う時には、できないところはそこだけ取り出してゆっくりと何回も弾きなさい~なんちゃって。
自分が練習するときには、あいまいに通過、結局毎回つまずくという体たらく。
じっくり型の性格だから、普段の練習は完全に弾けるまでするけれど、今回は日が迫っていると思うと泡喰ってしまう。
良い練習にならない。
全体なんとなく弾けるけれど確信をもって弾いてはいないという、一番危ない状態に置かれている。

お楽しみの会だから、そんなに目くじら立てなくてもと思われるかもしれないけれど、どんなに小さな本番でも絶対に手を抜いてはいけない。
毎回同じ気持ちで弾かなければ、いざというときに実力は出せないということを長い経験から学んできた。
昨日4人で最初の練習をして、非常に楽しかった。
せっかく集まってくれたのに私が完璧でないと台無しだから、ここ数日が勝負と思っていたら、明日は英語のレッスンが入っていた。

10月が終わって11月の予定を見ようとカレンダーをめくったとたん、目に入ってきた。
どっと冷汗が出た。
ハリー・ポッターの講読日はもっと先だと思っていたので、すっかり失念していたのだった。
どこまで読んでいたのだろうか。
あわててコピーを探したら、なんとか読み進んでいたようで、明日の朝早起きして少し辞書を引けば間に合いそう。
ああ、よかった。

メンデルスゾーンはまだ譜読みが完璧ではないけれど、今日からプロコフィエフのピアノ合わせを始めた。
練習が終わってから、ピアニストと共に川崎ミューザへ。

梯剛之さんのピアノと
ヴァイオリン  濱田協子、井上直子 
ヴィオラ    梯孝則
チェロ     宮澤等
コントラバス  駒井朗

ロッシーニ
  チェロとコントラバスの二重奏曲               
  弦楽のためのソナタ    
シューベルト
  ピアノ五重奏曲「鱒」

非常に良いアンサンブルで、とても楽しかった。
すっかり満足して帰ってきたけれど、現実は明日の英語とメンデルスゾーンが不完全だということで、切羽詰まっているところ。

最近はあまりなくなったけれど、以前はよく悪夢を見た。
ステージに出なくてはならないのに、なんの曲を弾けばいいのかわからない、とか、電車が遅れて本番に間に合わない、とか、暗譜ができていないのに楽譜がない、とか、会場の入り口が見つからなくて入れない等々。
目が覚めると「ああ、夢で良かった」と思うけれど、今回は夢でなくて現実なのだ。

とりあえず明日の英語をこなしたら、猛練習しないと・・・と、思いながらこんなブログ書いてます。






















2016年10月29日土曜日

毛が抜けてしまったペンギンさんのためにウエットスーツを開発

アメリカ・オーランドの水族館。
毛の生え代わり後に毛が生えなくなってしまったメスのペンギン「ワンダー・ツイン」をかわいそうに思った水族館員は彼女のために体温を保持するウエットスーツを開発。









体温調節の特性を考慮して開発されたウエットスーツを着たワンダー・ツインの体温は、羽毛に包まれているときのように温かいと確認されている。









現在、ウエットスーツを着たワンダー・ツインは他のペンギン同様泳ぎ、寝て、食事をすることができる。

動画はこちらをクリック
https://www.youtube.com/watch?v=kzdoORTc4_0

よかったね。ワンダー・ツイン。
ペンギンはその姿のおかげで、鳥類の中でもかわいらしいとされている。
私もペンギン体型なのに、だれからもかわいいとは言ってもらえない。
ずいぶん不公平な話だとは思いませんか?

2016年10月28日金曜日

後悔

もう二度とオーケストラは弾きませんと宣言してから、半年ほど経った。
毎年のルーティンのようにやっていた仕事も、申し訳ないけれどお断りした。
それでも時々問い合わせがくる。

毎年、モーツァルトの誕生日コンサートの仕事があった。
大好きなモーツァルト、私の神様。
けれど、目が良くない状態で仕事に臨むのはもう無理と涙をのんだ。
今年の分は断ったのに、また来年と声をかけられた。
一晩考えてお断りした。
大学の学生オーケストラのお手伝いも、練習場所の暗い照明の下で細かい音符が見えないので、それもできない。
再三お誘いしてくださったけれど、ごめんなさい。
八ヶ岳音楽祭も今年は辞退した。
来年はもう無理。

オーケストラの唯一の心残りは、以前世界オーケストラの出演の話があった時、スケジュールの都合がつかずに受けられなかったこと。
ズービン・メータ指揮、マーラーの第五番。
引き受けた人はすごく緊張したけれど、素晴らしかったと感激していた。
その後、もう二度と話がこない。
チャンスには後ろ髪がないって、本当だった。

今回は町田市に住む友人が主宰するアマチュアオーケストラ。
年齢もキャリアも問わない、バリアフリーなオーケストラで、大人も子供も、プロもアマチュアも、体の不自由な人も参加できる。
その心意気に感じるところはあるけれど、本当にオーケストラはもうやめたのでと、お断りした。
しかし、人が足りなくて困っているのと再三言ってくる。
私のダメなところは、他人の依頼を見過ごしにできないこと・・・と言うと仏様のような人柄だと思うかもしれないけれど、それはまったく違う。

母から、いつ、どこで、どんな人にお世話になるかもしれないのだから、決してほかの人を馬鹿にしたり、ないがしろにしてはいけないと良く言い聞かされたものだった。

私の場合は、こんなに頼んでくるのだから無下に断っては悪いという気持ちと、どんなことをやっているのだろうという覗き趣味。
親しい友人たちも来るのだから、楽しいかな?という期待。
それらが入り混じって、つい一回だけお付き合いということになった。

ところが、最初の練習で、あっという間に後悔が始まった。
ご存じのように、オーケストラでは弦楽器の場合、二人で一つの楽譜を見る。
それは人数が多いことと、弦楽器は音符の数が多くてフレーズの途中でページをめくらなくてはならないことも多い。
そこで全員一斉に譜めくりすると音がなくなってしまうから、片方の奏者がめくりを担当。
めくらない人は責任を持って、音を出し続けるというわけ。
二人で一つの楽譜を見るのは、演奏者にとっては過酷な状態。
楽譜を斜めに見なければいけないので。

若いうちは良かった。怖いものなし。
どんな細かい音型もへっちゃらで弾けた。
動体視力、反射神経抜群、視力は1・5。
初見なんてお手の物。
それが今や、惨憺たることになってしまった。
自分に近い方のページはなんとか弾ける。
ところが、遠い方のページはなんだか黒い塊となって、襲いかかってくる。
にゃ~とか言いながら!
あはは、まさかね。
ああ、にゃ~というのは私が出した情けない音でした。
見えないと怖くて弾けない。
わかっていても一瞬ひるむと、もう負の連鎖で気後れでどんどん落ち込む。

よく他人から言われるのは、オーケストラのヴァイオリンパートのように、同じパートを大勢の人で弾くのは楽でしょう?間違えてもわからないでしょう?
とーんでもなーい!!!
大勢だから怖いのです。
大勢で同じ方向に歩いているときに、突然一人だけ急に別の方に歩きだしたら混乱を招くし、下手すりゃ衝突するでしょう。
周りから見ても、ひとりだけ違うとわかるでしょう。
その時のまわりの混乱は修復に時間がかかる・・それと同じこと。
一人が勝手に弾けば、前後左右に混乱が生じる。
八分音符をうっかり四分音符で弾いたら、まわりから白い目で見られる。
コンサートマスターから注意を受ける。
隣の人がびっくりして楽器を落とす。
指揮者が腰をぬかす・・等々。
だからオーケストラは、私にとっては一番怖い場所だった。
怖いけれど、大好きでもあった。

子供のころ演奏会を聴いて、このオーケストラに入りたいと思ったら、夢が実現して本当に入ってしまった。
幸せだったけれど、緊張の連続。
その後はフリーとなって、暗いステージや長時間の仕事にも耐え抜いてきた。
結果、経済的には安定したけれど、代償として視力の低下を招いてしまった。

視力は誰でも加齢とともに衰えるものだから、諦めないといけないけれど、ある人が、白内障の手術を受けたら世の中変わりましたと言った。
明るくなって楽譜が本当に良く見えて、うれしくて仕方がないと。
それを聞いてすぐに眼科へ。

白内障の手術をしたいと言ったら、白内障でもない人の手術はできません、とあっさり断られた。
それもそうだけど、同じように手術すれば私も視力がもどるかもしれないのに。
早く白内障になりたいなんて人は、世間広しといえども私くらいかも。

そして町田の話しの続き。
あまりにも見えないので、一番後ろの席で一人で楽譜を独占させてほしいと申し出た。
真正面からみればなんとかなる。
主宰者は、無理にお願いして申し訳なかったからと、希望通りにしてもらえることとなった。

でもこれが本当に私のオーケストラの弾き納め。
もう二度とオーケストラの仕事は引き受けない。

せいぜい数人の、気持ちの良いアンサンブルのできる仲間たちとのセッションが一番楽しい。
人生を斜に構えて生きてきたけれど、楽譜は真正面から見たい。






























































2016年10月27日木曜日

偉そうな野良猫

最近うちの駐車場に住みついた野良猫は、フウちゃんと名付けた。
顔を見るなりフ―ッと威嚇してくるから。
ミッケはついにいなくなってしまった。
心配ではあるけれど、近所の猫好きさんたちに取り入って餌をもらっていると思う。
彼女はこの近辺の猫たちの間でうまく立ち回って、上手に生きている。

このフウちゃんが、ものすごく大食漢。
漢と言っても雄だか雌だか、まだわからない。
たぶん雄だと思う。
今年に入って次々と我が家の猫が天国に行ってしまって、今1匹残るのみなので、最近猫缶がちっとも減らない。
猫砂もあまり買わなくてすんでいたけれど、フウちゃんが現れてから、また急に猫缶の減りが増えてきた。
減りが増えるって、変な言い方かも?

ミッケとシロリンの2匹でつるんで来ていたときには、朝だけ猫缶1缶とカリカリ少し、それでも最近は残るくらいだった。
この2匹はあちらこちらに保険がかけてあって、うちがダメならあそこにと、町内一回りすれば安穏に暮らしていけるのだと思う。
しかし、新入ノラの縄張りは我が家の駐車場のみ。
ここで食べなきゃどうするとばかり、がつがつとむさぼり食っている。
それで朝、ノラとシロリンのために猫缶二缶が開けられる。
シロリンは鷹揚に半分くらい食べて、次の餌場に出かけていく。

その後フウちゃんは、その残りまでぺろりと平らげる。
夕方も、他の猫と違って我が家で食べるから、一日缶詰が3缶消えていく。
これはたまらん。

先日近所を散歩していたら、シロリンがとある猫好きな奥さんのいるうちにいたのを目撃。
ここは保険第何番目なんだろうかと思っていたら、私を見つけてニャーと鳴いた。
なんだか最近甘えた風の声を出す。
体もきれいになって、耳や首のあたりにいつも怪我をしていたのが、きれいに直ってきた。
よく見ればかわいい顔と性格の良さそうな、お猫良しとでも言うのかしら。
エサを食べている間私がべたべた触っても、前のようにシャーっと威嚇しなくなった。

猫の絵で有名なチェリスト雨田さんの猫のジャリちゃんは、外で出会ったら、よその奥さんから「あら、**ちゃん」と全然違う名前で呼ばれていたと雨田さんが笑いながら話してくれたことがあった。
うちのシロリンも、そこ家のではなんと呼ばれていることやら。

夕方になってフウちゃんの夜食をご用意する。
物置からお出ましになったフウちゃんは、遅いじゃないか!とわめき、フーッ、フーッと威嚇する。
すみません、遅くなりまして。
少しじらそうと、えさを手前に置いて私の手を食器から離さないでいたら、やられた!
ひときわフーッの声が大きくなったと思ったら、シャーッと一声、ガシッと手に爪が食い込んできた。

ここで大声を出したり怒ったりすると、やっと少しずつ馴れてきたフウちゃんがおびえるといけないので、黙って手を引っ込めようとする。
けれど、猫の爪はかぎ状になっているから、食い込んで中々抜けない。
しばらくしてやっと爪が抜けて、少し血が出た。
猫の爪の裏には毒があって、傷口は針の一刺しくらいでも奥の方に毒が回って化膿することがある。
血を吸い出して、口をゆすいで、たぶんこれで大丈夫。

冬が来る前に馴らして家に入れようと思っているけれど、さてどうやったらいいものか。
動物愛護協会の人に頼もうか。
獣医さんに相談してみよう。
やれやれ、又厄介なこと。

今残っている猫を最後の猫にするつもりだった。
これから若い猫を飼うと私が先に逝ってしまうこともあるからで、そうなると猫もかわいそう、私は成仏できない。
だからもう飼うのはお終いだったけれど、フウちゃんはかなり年齢が高そうだから冬の寒さに外ではかわいそう。

とかなんとか、口実はいくらでも考え付く。
私の無定見さは猫並。




















2016年10月25日火曜日

PPAP

最近のマイ・ブーム

この動画を見てください。

https://www.youtube.com/watch?v=0E00Zuayv9Q

これを見つけて練習してみた。
ようやくリズムについていけるようになった。
けっこう難しいのですよ、これが。

あまりまともな人とは言えないようなこのおじさん。
髪型、衣装、ネックレス、時計、どれもがある種の職業の人みたい。
でも、よく見るとかわいらしい。
衣装と見かけからかけ離れた、とてもシャイで真面目なひとに見える。

リズムがすごく面白い。
本人が作ったのかしら、この曲(?)

ひらひらしたド黄色の衣装、ヒョウ柄のストール。
動きも柔らかい、全身の力が抜けていてゆるい。
最初見たときは度肝を抜かれ、2度目には笑い、3度目からはリズムに反応。

なんとか覚えて散歩しながら、口の中で復唱。
けっこう難しんだわ、これが。
間のとりかたが中々なものですよ。
面白いからお試しあれ。










心配性

いつも大きな顔して業界を渡り歩いているにしては、根は小心者の心配性だから、時々想像力が暴走することがある。

とても勤勉な人のブログの更新が、最近途絶えていた。
ずいぶん長い間、いつ見ても同じ画面ばかり。
いつもこまめに更新しているのに、どうしたのかしら。
最初のうちは忙しいのだろうと思っていたけれど、最後の投稿からもうずいぶん時間が経っている。
だんだん心配になる。
これはきっと体調が悪いか、なにか身の上の一大事が起きたか!
いや、そんなわけはない。
自分に言い聞かせて、眠る。
次の朝起きてブログを見る。
まだ更新がない。
おいおい、どうした。

その間にも私の豊かな想像力は遥か天空を舞い、だんだん膨らんでくる。
訊いてみようか・・・でも単に忙しいだけならうるさく訊くのもお邪魔だし。
しかし、気になる。
このところ急激に痩せたのはダイエットのせいだというけれど、もしかしたら重大な病気かも。
食べ過ぎると具合が悪いというのは、ピロリ菌とか逆流性胃炎とか、いや、もっと重篤なことかも。
ダイエットのための低血糖で、トイレなんかで倒れていないだろうか。

あんなに急激に痩せたら、これから寒さに向かって風が骨身に沁みるのに。
なんてこった、訊くにしても訊き方がある。
だいぶお窶れになったようですが、どこかお悪いの?なんて訊かれたらショックだろうし。
しかし、ちゃんと訊かなければ回答が得られない。

今私の周辺に大病の人が沢山いて、現代医学の恩恵でなんとか元気でいるようだけれど、本人が我慢強い人だったりすると、病院へも行かずに病気が悪化してしまうかもしれない。
おせっかいを承知で電話してみた。

体調いかが?
はあ、元気ですよ。なにか?
それにしてもnekotamaさんは無駄に元気ですよね。

なんだよ、その言い草は。
憎まれ口がきけるなら、元気な証拠。
本当にホッとした。
その後ブログの更新は再開。
心配して損をしたかも。

別の友人で、とても明るくていつも元気な人がいる。
ところがところが、その人は癌を二つ続けさまに手術、その前にも婦人科系の手術をして、その当時ご主人は入院をくり返していた。
電話をして「お元気?」と訊くと、とても明るい声で「元気よ!」と言うけれど、どう考えても私だったらベッドでウンウン言っているレベル。
どんなに大変な時でもキリッとしているのが不思議なくらい。

絶対に他人には弱みを見せない性格なので、周囲はかえってハラハラしていた。
ずっと黙って見守っていたけれど、ついに我慢ができなくなった。
いくらなんでも傍から見ても大変すぎることがあって、体力や気力のほかに経済的にも大変と見たので、彼女と私の共通の友人たちに呼びかけた。
そこで、支援を振り込んでもらうための銀行口座が必要になった。
口座を「**さんを励ます会」と称して法人扱いで開設した。
名義人**さんが、その時ちょうど窓口に居た受付嬢と同姓だったらしい。

当時の銀行の私の担当者が「こちらの**さんも今元気がないんですよ。励ましてあげてください」と言うから「銀行はお金がありすぎて冷えたのかしら?」「すこし庶民にお金を放出すれば、冷えなんかすぐ直るわよ」と嫌味を言ってみた。
担当者は「あはは、そういうわけには」
この**さんに恨みはないけれど、銀行さんには言いたいことが沢山ある。
言われた**さんもニコニコ笑っていた。

その後すぐに銀行の**さんも、友人の**さんも元気になったのは、まさか銀行がお金を放出・・・なんてことはないに決まってる。

nekotamaはいつも図々しく生きているように思われているけれど、本当はノミの心臓の持ち主。
次のコンサートは上手くできるのだろうかとか、ノラがそろそろ寒かろう、湯たんぽを入れなければ・・ミッケは最近こないけれど、元気かしら?とか、くよくよ考える。
中でも一番心配しなければいけないのは自分の脳みそ。
いやはや、すごい荒れ方で、脳みその中を馬が暴れまわっているようで、見たこと聞いたこと全部、馬が蹴散らしてしまう。
この先人間としてやっていけるのだろうか、やはりサルに戻るべきか、悩みの種は尽きない。





















2016年10月21日金曜日

メンデルスゾーン「弦楽四重奏Op.44-1」

来月6日の水沢のチェロフェスタに参加する予定。
チェリストの舘野英司氏と教え子たち、東北の音楽家たちが集まってにぎやかに楽しもうという趣旨で、今年も私の教え子のKちゃんに牽かれての東北行きとなった。
去年Kちゃんに誘われたとき、演奏活動をやめる前にこれだけはもう一度弾いておきたいと思っていたモーツァルトの「ディヴェルティメント17番K.334」を、新潟からはせ参じたホルン奏者たちと一緒に演奏させてもらった。
時間制限があるから全曲は無理だったけれど、好きな部分はほぼ弾かせてもらえたのでとても満足した。

長大な難しい曲で、今まで3回演奏したけれど、もう演奏する機会はないと思っていたのでとても嬉しかった。
セカンドヴァイオリンとヴィオラを弾く人が必要なのに、地元にはプロのヴァイオリンがいないらしい。
それで、東京から一緒にいってもらったのが、ヴァイオリンとヴィオラの二人とも名前の頭文字がHさん。

チェロフェスタへの参加は仕事としてでなく、同好会みたいなものだからほとんど手弁当。
申し訳ないけれど、私のお願いきいて!と、頼み込んだ。
快く引き受けてくれた二人。
お二人はプロだから、今年はいくらなんでも遊びに付き合ってもらうわけにはいかないと思って声をかけなかったら、あちらから連絡があった。

最初はヴィオラのHさんが、今年も参加させてほしいと言われた。
ありがたく弾いてもらうことにして、それならヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの弦楽三重奏曲、モーツァルト「ディヴェルティメントK.563」を演奏しようということになった。
そしてホテルや新幹線の手配も済んでいたのだけれど、次にヴァイオリンのHさんから、今年も行きたいとの連絡があった。
「去年帰り際に、来年もよろしくって言ったでしょう」と叱られる。
なんてこった、私の友人たちの心の温かさったら!グスン。

二人が来てくれるなら弦楽四重奏ができる。
急遽、曲を変えることにした。
弦楽四重奏曲は星の数ほどあれど、アンサンブルは最も難しいジャンルだから、簡単な練習だけでは持って行けない。
けれど、短時間で演奏できるまでにまとめないといけないから、今まで弾いたことのあるレパートリーの中から選ぶとすると、ベートーヴェンの作品18あたりか、モーツァルトの「春」とか「狩」とか、ハイドンの「ヒバリ」とか、今までさんざん弾いてきた曲になってしまう。
ヴィヴァルディの「四季」から「春」を弦楽四重奏用に書き直したものも候補の一つ。
さて、どうしようかしら。

先日、北軽井沢のコンサートで弾いたラヴェル「ボレロ」も面白い。
あの時は大うけだったから、それをメインになにかポピュラーな曲をもう一曲入れてもいいかしらと、楽しい企画の段階。

私はヴァイオリンは下手でも企画は大好き。
演奏会の全体の構想から曲を決めるのがなによりも楽しい。
今回のようなお祭りならば闇鍋風ごったまぜ状態なので、好きな曲を持ち寄ってわいわい騒ぐのでいいけれど、自分が企画したコンサートはちゃんと頭としっぽがあるように念入りに考える。
今回はお祭りだから、あまり固く考えない方がよろしい。

お祭りが終われば即遊び。
レンタカーで平泉周辺を一日走ってくるつもり。
北軽井沢で肩透かしをされた紅葉が、今度こそ見ごろだと思う。
去年中尊寺に行ったときは雨だった。
今年は晴れ上がった秋空の期待が高まる。

良く遊ぶ人生。
これからもよく遊びよく食べ、そして一番肝心な、よく弾くことを心がけよう。
いつも助けてくれる友人たちには感謝あるのみ。

ああでもないこうでもないと考えているうちに、華やかで弾きやすく気難しくなく・・・ピッタリの曲があった。
メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲Op.44-1。
はじけるように始まる曲で、幸せだったメンデルスゾーンの生涯を彷彿とさせる。
ベートーヴェンのように気難しくなく、モーツァルトのように深さはないけれど、気品と若々しさに満ちている。
私の選曲の才能に我ながらうっとりする。
ヴァイオリンの演奏も一度でいいから、うっとりしてみたいものだわ。
いつも悪戦苦闘、ステージに出る前は「ああ、弾くなんて言わなきゃよかった」とブツブツつぶやくのに、終わると「次、なに弾く?」なんて性懲りもなく。

演奏活動をやめるやめると言いながらやめられない。
来年はベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」の共演依頼が・・
バッハ「ブランデンブルク協奏曲4番」のソロと、自主公演の予定も。
カルテットの曲を選んでいたら、シューベルト「死と乙女」が無性に弾きたくなった。
必ず弾こうと思う。

なんか、病気になりそう。
業ですね。








2016年10月20日木曜日

落ち葉掃き

我が家の前は桜並木。
春には一斉に花が咲いて見事な花のトンネルになる。
秋には落ち葉が舞い散る。
落ち葉公害という人がいるのを知ってびっくりしたことがある。
落ち葉が公害とは、なんという発想かと・・・

毎日私の家の前から両サイド数十メートルにわたって、掃き清めてくれる人がいる。
近所の早起きの女性。
初めのうちは私が自分の家の前と両隣くらいの範囲で、ちまちまと掃いていた。
そこに近所のごみ捨て場が設置してあって、そのゴミ捨て場を巡って私とご近所十数軒とのバトルが繰り広げられていた。

意識の低い輩が、自分の家の前をゴミ捨て場にしたくなくて、この美しい桜並木の下をゴミ捨て場にしてしまった。
しかも管理をきちんとしないものだから、とんでもなく汚れて私の怒りはしばしば爆発。
私は一人でその連中に立ち向かって、町内会長まで巻き込んでの長期に亘る戦争となった。
もう20年ほどになる。
その間徐々に相手の意識も変わってきた。
ようやく管理をするようになってきたけれど、まだまだ。

そして私は時々この道路を掃除していたのだけれど、ある時、その仕事は一人の早起きさんに奪われた。
朝起きて外に出ると、なんとまあ!チリ一つなく掃き清められていた。
次の日もまた次の日も。
毎朝道路はピッカピカ。
今日こそと箒を持って外に出ても、早起きのその人はとっくに掃除を済ませ、大きな声で「おはよう」と言いながら散歩に出かける。

時々その人よりも早起きすることがあると掃除をするけれど、やり方が杜撰なので、まだらにゴミが残る。
体力気力共に負けている。
それでもうすっかりお任せになった。

秋になると、朝掃いてもすぐに落ち葉が積もってゆく。
昨日は突然、落ち葉掃き隊に新たな参加者出現。
お向かいのご主人。
夕方通りかかるとせっせと掃いている。
あのう、ここ私の縄張りなんですけど・・・なんて絶対に言わない。
まあ、ありがとうございます、きれいになりますねえ。
おべんちゃらを言うと「この箒がすごく良いので、掃きやすいんですよ。すごくよく引っかかるので」
得意げに箒を見せられた。
なるほど、いかにも高価そうな、素敵な箒。
うちの箒は、ホームセンターで買った一番の安物の棕櫚箒。
棕櫚の毛があちらこちらにそっくり返って、ちっともゴミが引っかからない。
それに比べて見るからに材質も作りもすぐれものの竹箒。
たぶん、どこそこの名工の作品とかいうものだと思う。

いまだかつて箒に興味なんてなかったけれど、良いものが急に欲しくなった。
お向かいさんは家も素敵、車も高価。
箒一本見ても、私の家より良いものを使っている。
しかも今度はご主人が出てきてとあっては、体力も男性にはかなわない。
見る見る間に道路はきれいになっていった。

本当のことを言えば、助かった~というのが本音。
この人が毎日掃いてくれるかどうか。
さーて、どうなんだろう。

落ち葉で思い出すのは、子供のころ。
私は木が生い茂った家で育ったので、秋冬には大量の落ち葉が積もる。
それを掃き寄せて庭でたき火をする。
中にサツマイモを入れて焼き芋。
皮が焦げて香ばしく、中はホクホク。
いまでもあんな美味しい焼き芋は食べられない。

ロマンチックな思い出は(私のじゃないけど)ジャン・ギャバン主演の映画「ヘッドライト」
プラタナス?の落ち葉が舞い散る場面が象徴するような、儚く悲しい、中年男の恋。
今でも思い出すと胸が締め付けられるほど、切ない映画だった。
昔の映画は良かったなあ。

 
































2016年10月18日火曜日

紅葉が遅い

北軽井沢の森から帰ってきたら、下界には半そでの人がいてびっくりした。
あちらに着いたのは4日前。
居候先の宿主のノンちゃんから「寒いわよ」という電話が来たので、恐る恐る山を登って行ったら、本当に寒かった。
ジャケットのライナーを外して家においていったのを悔やんだほど。

期待の紅葉はまだまだ。
山を登っていくと、いつもの10月ならとっくに赤く色付いている木々の葉がまだ緑いろをしている。
記録的な雨の多さで、日照時間が足りないかららしい。
なんだか新緑の季節みたいねと言いながら、お酒を飲む。
今回は瓶入りの焼酎がメイン。
これはノンちゃんの家のお隣さんが、新婚さんからいただいたと言ってずいぶん前にふるまってくれた美味しい焼酎。
美味しかったのでその後ネットで注文しようと思ったら、一か月待ちというので、半ばあきらめていた。
最近、近所のデパートで見つけたので、即購入。
車に乗せて山まで運んで行った。

それに合わせてお料理が出る。
最初の晩のメインはカキフライとキノコご飯。
2日目はバーベキュー。
3日目は中華料理。
毎日お腹がはちきれるほど食べる。

私は大食いのほうだけれど、このグループでは一番の小食。
2日目は早くもダウン。
お昼ご飯なしでお茶会。
お昼抜きで早めの夕食はバーベキュー。
お隣さんのベランダでまだ明るいうちから炭をおこし、キノコ、熟成肉、サンマ、お野菜いろいろを次々に平らげていく。
炭で焼くと特にサンマが強烈においしい。

そのベランダの前に楓の巨木があって、この季節は見事な紅葉になるはずで、それを狙っていったのに今年はまだ青々としている。
今年の夏もお世話になった「ルオムの森」のオーナー夫妻も参加して、賑やかに夜がふけた。
北軽井沢とそれにまつわる人々の歴史などが話題になる。
ここには芸術家がたくさん住んでいる。
あの人もここに?とびっくりするような人たちも。
木工や農業に携わる人々の思い入れやこだわりなどのエピソードなど、興味津々で話を聞いた。

次の朝目が覚めると熱っぽくて、喉がいがらっぽい。
風邪をひいたらしい。
とかく過食すると風邪をひく。
それと水分の摂取が足りなかった。
珍しく朝食時間まで寝ていて、朝食後ももう一度眠って、お昼ごはん抜きで夕方まで眠る。

私は普段は、こんなに寝なくて大丈夫かと自分でも思うほどのショートスリーパー。
3時間4時間睡眠は通常のことで、5時間以上は寝ることがなく、昼寝もめったにしない。
ところが森に来ると、睡眠時間が長くなる。
心底リラックスできるらしい。
寝ても寝てもまた寝られるのは、よほど疲れていたのかも。
夜はノンちゃんが腕を振るって、中華料理をいただく。

全員お料理上手で、次はあなたがお料理するのよと言われながらも、耳の後ろを掻いて誤魔化し続けている。
私が調理したら、このグループから放逐されそうだから、もっぱら食べ方であり続けよう。

来た日には緑色だった森が、ほんの2日ばかりで急に赤や黄色に色付きはじめた。
この数日お日様が照ったせいらしい。
早朝散歩に出かけると、あちらこちらに紅葉が朝日に照り映えている。
そういえば、ひいていたはずの風邪はもう治ったらしい。

山の木々は風邪も心の痛みも、なんでも癒してくれる。
後ろ髪ひかれる思いで山を下りる。
この先、ずっとこの地にいられるようになるといいなと思いながら。




























2016年10月15日土曜日

忘年会コンサート準備

毎年忘年会とコンサートを兼ねた「雪雀連」のイベントがある。
去年までは門前仲町の小さなホールを借りてやっていたけれど、今年はその近所の美味しい焼き鳥屋さんが引っ越してしまったので、河岸を変えようということになった。
このことでもわかるように、焼き鳥屋によってコンサート会場が決まるのだ。
去年はその焼き鳥屋さんが引っ越したことをしらないで、コンサート後の宴会をそこですることになっていた。
当日世話役の青ちゃんが文字通り青くなった。

「おい、あの店なくなっちゃったよ。どうするこの後」
知らないよ、大体当日営業しているかしていないか確かめたらどうなのよ。
結構な人数になるのにお店に予約も入れず、もしほかの宴会が入っていたらと、考えなかったのかしら。
ことほど左様に、いい加減なのが「雪雀連」の伝統。
しかたがないから、近くの飲み屋に会場は変更になったけれど、そこは悲惨なくらいまずくて、今年は焼き鳥屋のおかげで会場変更となった。

いろいろネットで物色、渋谷付近でここならというところを見つけて下見に行くことになった。
下見と言うのは飲み会の体の良い口実で、ネットの情報から中々よさそうだからほとんど決定ということになっていたのだが・・・
また青ちゃんから電話が。
今日見せてもらいに行く約束をしていたのに突然時間を変更してきた上に、いろいろ話していたら使用料がどんどん上がっていったという。
「だめだ、あれは、どこかいいところはないかね」
話しているうちに、それではnekotama家を貸しましょうということになった。
我が家は演奏者が入ってしまうと、お客さんがゆっくりできるスペースはトイレくらいしかない。

以前、酔っ払いがパソコンに寄りかかって私から激怒されたことがあったくらい、スペース的には貧弱。
ただ、時間の制約や食べ物飲み物に不自由はない。
いつものお花見に、演奏がつくというだけ。
うちは階上に店子さんが入っているから野放図に騒げないけれど、その店子さんを引きずり込んでしまえば何の問題もなくなる。
お花見の時にはお料理じょうずな店子さんが一品差し入れてくれた。

青ちゃんが、その店子さんが美しいと言っていたから、目の保養をさせてあげられるし。
それはいつも私たちと付き合っていれば、ほかの女性はみんなきれいに見えるというもの。

そんなわけで、今年の忘年会は我が家でということになった。
いつか落語家を呼んで落語会を催したいと思っているのだけれど、なんせ部屋が狭すぎる。
採算が合わないから真打なんて呼ぶのは夢のまた夢。
二つ目だってどうだか。
なんなら前座見習い、それも無理なら大学の落研。
それもダメなら私が「孝行糖」の飴屋の口上くらいはできる。
孝行糖の口上を「ちんねん」こと作曲家の故近衛氏の前で演じたら「女にしておくのはもったいない」と言われた。
なぜ口上ができると女にしておくには云々になるのか意味不明だったけれど。

会場が決まったお祝いをしようと会長の山田氏が言い出した。
口実はなんでもいいので、5人ほど集まってビヤホールのライオンで祝杯?を上げた。
会長は間もなく米寿を迎えるというのに、えらく元気で、私たちの中で一番元気に見える。
青ちゃんが会長に向かってしみじみと言う。
「僕はあなたに会って、本当に楽しい人生だった」
本当に私たち全員、楽しませてもらった。
会長は遊びの計画から実行まで、疲れを知らない行動力で皆を引っ張ってきた。
記憶力や好奇心は若者以上。
スキーの達人。
日本の調律会の大御所として優れた裏方さんに贈られる、日生バックステージ賞の受賞者でもある。

12月末我が家のレッスン室は阿鼻叫喚の坩堝となり、奇怪な音がご近所に鳴り響くかもしれない。
本当のところ、音は外部には漏れないけれど、居住者には一時的に避難してもらうか又は坩堝の中に入ってしまうか、これから選択を迫ろうと思っている。

さて、大騒ぎの前に静けさをもとめて北軽井沢に行ってまいります。
森の中で静かにしている自分と、大騒ぎしている自分と、はて、どちらが本当の自分なのか・・・抱かれている俺はだれ?抱いている俺はだれなんだろう?わかります?これ。
おわかりなら落語研究賞を贈ります。


















2016年10月13日木曜日

森からのお誘い

今年ほど雨が続いた夏を私は知らない。
秋になっても毎日雨続き。
やっとここ数日青空が見えた。

夏のコンサートの後もいくつかの本番をこなして、思いのほか疲れていることに気が付いた。
もう若くはない。
疲労がズシリと体の底に溜まっている。
見た目は小柄で若造りだから、帽子を目深にかぶって顔を隠せば年はごまかせる。
体型でばれるかも、う~ん。
顔を隠して背筋を伸ばし、しゃきしゃきと歩けばなんとか年齢詐称もできるけれど、内部から来る相応の経年劣化には対抗できるわけではない。
ひどいのは脳の中がぐちゃぐちゃ。
疲れて、そろそろ森が恋しくなって来たら、北軽井沢へのお誘いの電話。

今年も八ヶ岳音楽祭に出演する気でいたけれど、この春、音楽監督からの出演依頼に、なにか気がのらずお断りしてしまった。
とてもありがたいけれど、もうオーケストラで弾く気にはなれない。
あまりにも人が溢れ音が溢れ、なにかしんどい。
しかも目が悪くなって楽譜が見えない恐怖と戦うのは、もうたくさん。
八ヶ岳で演奏した後で北軽井沢に回るというのが、ここ数年のパターンだった。
北軽からもみんなで聴きにきてくれた。
今年は私が出ないので、聴きに行くのは中止になった。

あれほど好きだったオーケストラがこんなに気持ちの負担になるとは、夢にも思ったことがなかった。
たぶん今まで好きだった人に醒め始めると、こんな気持ちなんだろうなと想像する。

少し病んでいるようだから、森の木々に癒されてこよう。
土曜日に出発、しばらくはヴァイオリンを弾いて美味しいものをいただいて、ぼんやり森を眺めてくるつもり。
私の居候先は人形作家のノンちゃんの家。
紅葉の季節にはカラマツの葉が夕日に輝いて、ハラハラとおちる。
そのきれいなことといったら、夢の中にいるような。
お隣さんの高級レストラン顔負けの料理をいただいて、お酒を飲み長細いカラマツの葉の降るのを眺め、静かな時を過ごす。
いつもは賑やかな話題満載の食卓が、この時には皆無口になる。
若いころには味わえなかった、至福の時。
歳をとるのも悪くはない。

先日の北軽井沢のコンサートの前夜祭で、お隣さんが美味しいローストビーフをごちそうしてくれた。
有名レストランも顔負けの、素晴らしさに皆おどろいた。

今日は何を食べようかと冷蔵庫をあさっていたら、ビーフの塊が出てきたのでそのことを思い出した。
そこで私も作ってみようと思い立った。
お隣さんのようにはとても出来ないけれど、追分に別荘のあるヴィオリストのKさんが作ってくれた、焼かないローストビーフなら私にも出来るかも。
それがとても美味しかったので、真似してみよう。

まずフライパンで肉の表面を焼く。
全体に焼き色が着いたらフライパンから取り出して、ジップロックのビニール袋に入れ、熱いお湯を張った鍋へ放り込む。
沸騰しない温度だから煮るわけではない。
そしてしばらくお湯につけて出来上がり。
このやり方を聞いたときには、すごい!と思った。
彼女のローストビーフは中がほんのりピンクで、とても美味しかった。
同じようにできるかな?

なにごともいい加減な私のことだから、鼻歌交じりにお肉の表面を焼いてからお湯に放り込む。
Kさんはお湯の温度は何度で何十分とか言っていたけれど、もとよりそんなことは覚えてはいない。
時々熱いお湯をつぎ足す。
その後は、お湯に浸けたことすら忘れてしまった。
これがよかったらしい。
出来上がったロースト(?)ビーフは中がほのかにピンクでとても柔らかく美味しくできた。
偶然に出来上がったので2度と同じものは作れない。

お隣さんがこれを聞いたら、ホントにいい加減なんだから!と叱られそう。
頭の出来が違うのだから、許してほしい。

さっきノンちゃんから電話があって、今年はまだ紅葉していないとの悲しいお知らせ。
雨が多すぎたからね。
11月初めに東北に行くので、そこに期待しよう。
とても寒いというから、暖炉でまきを燃やすのが楽しみ。
































2016年10月12日水曜日

発音だけ

中学校で始めた英語にはまったく興味がなかったので、本当に勉強しなかった。
担当の教師が嫌いだったせいもある。
ところが海外旅行に行くようになってから、ひどく後悔した。
やっておけばよかった。

仕事はずっと忙しかったけれど、若い時にはエネルギーがあるから英会話を始めようなんてことに。
英会話教室に行って初めての面接。
書いてある絵を見て英語で状況を説明せよ。
普通の人だと恥ずかしがって言えないと思うけれど、私は習いに来たのだからできなくて当然、なにも分からないから外国人教師に尋ねながら、なにがなんでもしゃべっていた。
すると裏から大笑いしながら飛び出してきた教師が二人。

「あなたホントに良くしゃべるね。でもすごくブロークン。大丈夫、あなたはすぐうまくなるよ。アッハッハ」と。
3人の教師がお墨付きをくれたけれど、結局その時以上にうまくはならなかった。

中学時代にちゃんとやっておけば殆ど苦労はしなかったと思う。
今となってはもう手遅れ。

その私が急にハリー・ポッターを読み始めたのだから、自分でもびっくり。
そして読み進めていくうちに、以前よりはずっと読めるようになったけれど、相変わらず単語が覚えられない
若いころに覚えた単語は比較的思い出せるのに、最近初めてお目にかかる単語は、ほとんどその場で忘れてしまう。
やはり若いころの勉強がものを言う。

私の先生のルースさんは、ほめ上手。
どんなに悪戦苦闘しても、いつも最後にほめてくれる。
最上級のほめ言葉で。
それでも発音に関してのみ。

どこの英会話教室に行っても発音だけは褒められる。
以前カルチャーセンターで習っていた変人でおかまチックなアメリカ人が帰国する時、めずらしくしんみりと言った。
「あなたの発音はとても良い」

これに気を良くしたかと言うとそんなことはない。
お腹の中で私はつぶやく。
「だけど、しゃべれないもん」

先日、ルースさんからしみじみと言われたのは「そんなにうまく発音できるのに、どうして話せないの?」
私は音楽家だから、音の響きをどうすれば出せるかは専門家。
だけどその響きがなにを意味するのか、どうやって組み立てれば文章になるのかがわかるわけではない。
私が英語を読むとき、まるで楽譜を読むように自然に発音することができる。
あ、楽譜を読むのと同じだ。
最近自分で気が付いたのがそのこと。
これだけ長い間本を読んでいるのに、少しも会話は上達しない。

しかし本当にハリー・ポッターは面白い。
中学の時にこの本が教科書だったなら、私は一生懸命勉強したに違いない。
これはペンです、私の名前はnekotamaです、なんてくっそ(失礼)面白くもない。

なんで教科書をあんなにつまらなくして勉学意欲を削ぐのか、わからない。
先はどうなっているのかしらとワクワクしながら読めば、どんどん上達するはず。
大学の第二外国語はイタリア語を履修したけれど、初めから物語を読まされた。
自分でも信じられないほど立派に翻訳した教科書が残っている。
へえ!本当にこれを私が?
まぎれもない自分の字。

こんなことを言うから、イタリア旅行に行くときに皆から私はイタリア語が話せると思われてしまったのだ。
イタリアに着いてから、私がまったくイタリア語を話せないことを悟った3人の友人たちは大パニック。
だから言ったでしょう、しゃべれないって、あれほど言ったのに。
謙遜していると思われたらしい。
4人でひっくり返って涙を流して、笑った笑った。
いったいこれからどうすればいいの?・・・と言いながら、素晴らしく楽しいイタリア旅行を満喫してきた。
だから会話ができなくてもなんとかなるもの。















2016年10月11日火曜日

匂い

今朝のニュースで、特急列車内で他人の靴を盗んだ男性が逮捕されたと報じていた。
夜中、乗客が寝静まったころ、通路側に寝ていた女性の靴を片方盗んだ疑いだという。
眠っていたとはいえ、スニーカーを脱がされてよく目がさめなかったものだと、半ば感心した。
もし途中で目が覚めたら、ギャーッと声を上げてしまって大騒ぎになったと思うから、せめて目が覚めなかったことが幸運だったとおもわないといけないかもしれない。
想像するだにおぞましい。

しかし、他人の靴を盗んでなにが面白いのかと思うけれど、世の中には様々な癖の人がいて、靴のにおいフェチはさほど珍しくはないのかもしれない。
以前男性が男性の靴を盗んで、匂いを楽しんでいたという報道もあった。
テレビで見たけれど、盗まれた大量の男性の靴が並んでいた。
これなんかはなおさら訳がわからない。
女性の匂いではなく同性の匂いとは・・・

どちらにしても、吐き気がするほどの嫌な性癖。
それなら自分の匂いを嗅げばいいじゃないと思うけれど、自分のでは満足できないのですかね。

私は嗅覚障害があって匂いには強くないけれど、人工的な匂いは大嫌い。
動物の匂いが苦手な人がいるけれど、それは大丈夫。
というより、猫の個体差がわかるくらいに敏感。
空気や地面、草の匂いなど、季節によって変わる匂いも敏感に反応する。
たぶん、育った段階のどこかで嗅覚が麻痺したものと思える。
子供のころ沢山かいだ匂いはよく覚えている。
トマトの青臭い匂いやほかの野菜の匂いも。
大人になる前にだめになったのかもしれないので、香水などの匂いはからきしわからない。

イギリスに遊びに行ったとき、オックスフォードでハリー・ポッターの撮影をしたという図書館を訪れた。
入り口の案内の女性が「図書館の中はsmell」だと言った。
同行した友人は「かぐわしい香りがする」と解釈。
mouldyとは言わなかったけれど、私は「かび臭い」と解釈。
結局中には入らなかったけれど、たぶん私のほうがあっていると思う。
図書館でかぐわしい香りなんて聞いたことがない。
長年染みついた湿気や埃の匂いしか想像できない。

その友人が香水を選んでいる間、私はなんの感動もなくその場で待っていた。
私には香水の香りはまったく匂わないので。
結局私の匂いに対する受容器官は、子供の時に出来上がったものしかないらしい。
途中で何らかの障害が生じたものと思われる。
たぶんひどい副鼻腔炎をちゃんと治療しなかったとか。

プルーストの「失われた時を求めて」は、紅茶に浸したマドレーヌの香りから展開していく。
香りで幼少時代の思い出が蘇る。
それを読んで上手いなあと思った。
初夏に札幌の手稲山に行ったとき、春先の草と土の匂いがしたのを鮮明に思い出す。
たまに匂いが分かるので、匂うときはすごく新鮮な気がする。
鼻の敏感な人は、都会の匂いに辟易するのでは?
満員電車でなにがつらいって、衣服の洗剤や柔軟剤、香水の匂いが充満することだという記事を読んだことがある。
つらいでしょうね。
目は瞑ればいいけれど、鼻を塞いだら息ができなくなる。
私は幸いにも、そのような匂いがわからない。
鼻が悪いとなにが得かと言うと、クサヤを平気で食べられることなのだ。

化粧品を買うことも最近は少なくなったけれど、この香りいかがでしょうかと言われてもわからない。
わからないからと店員さんに言っても信じてもらえないので、最後にはわかったふりをして選ぶ。
どちらにしても匂いを嗅ぐのは自分ではないので、知ったこっちゃないわけなのだから。

ある時、飲む香水というキャッチフレーズに引っかかって飲んでみた物がある。
飲んでいると体の中からバラの香りがほのかに・・・
まあ、すてき、飲んでみよう。
でもそれはほのかではなく、強烈に匂った。
私のように嗅覚障害でも臭かったから、敏感な人はたいへん。
体内だから鼻を通さず(?)匂いがキャッチできたのかも。
とにかく、すぐにやめてしまった。
世の中には匂いが充満しているのに、そのうえ人工的に匂いを重ねるという神経がよくわからない。

匂いは文化だそうで、臭いという基準も文化圏によって違うらしい。
よく食べ物を食べる前にくんくん匂いを嗅ぐひとがいるけれど、私から見るとすごく下品な行為に見える。
鼻が利かないものの僻みかもしれないけれど。




























2016年10月10日月曜日

紙だのみ

苺のヘタやモヤシの尻尾をとったりするときに、捨てる方の尻尾やヘタを実をいれるボウルに間違えて入れるなんてことがあるでしょう。
私は特にぼんやりしているから、日常茶飯事。

先日の伊豆旅行の疲労が思いのほかたまっていたらしく、お掃除をするのもおっくうで、レッスン室は見事に散らかってしまった。
あっても役立つかどうか意味不明のものがたまりにたまって、さすがの私もこれは何とかしなくてはと一念発起。
今日は紙の収集日なので、まずはいらないコピーをまとめ始めた。
先日の魔法使いの弟子騒動で散乱していた膨大なコピー。

特に気を付けなければいけないのが、必要なものと必要でないものを選別すること。
携帯電話の契約書とか金融関係の書類などは、いつ捨てていいかわからないから、ずっととってある。
日付けが古いからと言って油断はならない。
私の家の火災保険は長期型だから何十年もの契約。
うっかり契約書をなくすと困る。
ほとんど無駄だと思うがん保険の契約も早く解約しようと思いながら、ずっと解約していない。

とにかく目についたものを床にどさっとばらまいて、選別にとりかかる。
これが非常に危険なのだ。
苺のヘタなら無害だけれど、必要な書類を不必要な方に入れてしまって、今まで何回困ったことになったことか。
私は事務関係の仕事をしている人を尊敬する。
私にとっては書類は頭痛を呼び覚ますものでしかない。
日付けを見ても今年が何年だか、いちいち確かめないと不安で仕方がない。
書類を書かされると決まって、名前のところに住所を書いたり、相手の電話番号のところに自分の番号かいたり、しかもハンコが押せない。
ものすごくヘタで、たいてい半分欠けてしまう。
気合を入れて印肉をたっぷりつけすぎで滲んで判別不能になることも。

フリーの仕事を始めたころ、楽屋で支払調書に名前を書くように言われた。
「私はいつも名前のところに住所を書いてしまうのよね」と言ったら、そばでお弁当を食べていた男性が、ブッと言って吹き出した。
「食べてるときに言わないでよ」と言われたけれど、本当になんでこんなにおっちょこちょいなのか、あるいは病気ではないかと思える。

知能は普通(?)だと思うのに、日常生活はとんでもなくミスの連続。
書類や取扱説明書を見ると、目が泳いでしまって文字が急に読めなくなる。
私だけではなく、私の両親、兄姉ことごとくおかしな一家。
すぐ上の姉は、歩いていて足がぬかるみにはまってしまった。
近くに警察があったからお巡りさんに「足を洗わせてください」と言ったらしい。
それを聞いて家中爆笑。
警察に行って足を洗いたいと言ったら、全然別の意味になるでしょう、と私たちは大笑いした。
姉はヤクザの情婦になれるほど色っぽくも粋でもないし、かと言って本人が犯罪者になるほどの悪人でもない。
お巡りさんはびっくりしたと思う。
普通警察には行かないでしょう。

紙ゴミの収集車が来たけれど、私が捨てた紙の中に一万円札がごっそり紛れ込んでいないことを祈っている。


































2016年10月6日木曜日

雨の伊豆もおつなもの


伊豆に出かけた5人組
ロンドンアンサンブルのピアニストの美智子さん、フルートのリチャードさん、М子さん、Nさんご夫妻、それと私。

伊豆下白石にたどり着いて立派な会員制の宿に入ったのが、まだ早い午後。
周りを見れば何もない。
こんなに何もすることがないというのは珍しく、家からスマホでも持って来ればよかったと思ったけれど、後の祭り。
食堂にある本棚で「赤毛のアン」を見付けたので手に取って読み始めたら、長年の記憶が違うことに気が付いた。
何十年ぶりで読んでみるか。
しかし、本を読むことは設定外だったので、読書用のメガネも持ってこなかった。

外は雨、室内は湿気が多く、蚊がいる。

実はこの蚊は美智子さんの家の庭から連れてきたのかもしれない。
さっき出発するときに、車にちゃっかり乗りこんでいたもの。
それで初日夜、速攻眠ってしまう私が、寝入りばなに刺されて腹を立てて、それから眠れなくなったのだ。珍しいことに。

次の日も雨。
それでも修善寺見物に行った時には、歩いている間は雨は上がってくれた。
そのあとで天城越えをしようと山頂に向かうと、雨はどんどん強まってきた。
道の駅にようようたどり着いた時にはかなり激しくなって、天城越えは断念。

夕飯の素晴らしさが無聊を慰めてくれた。
地物の魚介類が、これでもかと出てくる。
どの小皿も素晴らしく手が込んでいるので、食べ残すことができない。

全員ふうふう言いながらも完食。

この宿は大きな窓ガラスから富士山が正面に見えるのが売り物らしいのに、2日間、全く富士山はお出ましにならなかった。
3日目も朝は雨だったのが、少し日が差してきた。
この後熱海に行く予定だったので、富士山はとうとう顔を出してくれないと思ったら、9時過ぎに雲が晴れた。
そうしたら考えていた以上に大きな富士山が顔を出した。
宿の人が、これなら達磨山に行った方がよいという。

達磨山の写真を見ると、海から上に富士山の全景が見える。
こんな風に見えるのはここだけなのだそうで、絶対見た方が良いと強く勧められた。

達磨山は曲がりくねった山道をせっせと上っていく。
こんなところに何があるのかと思ったが、急に開けた場所に来た。
そこから見える景色がこの写真。


雨がすっかり上がって、晴れ渡った青空と海と、山々の緑が、それはもう、言う言葉もないほどの良い景色なので、しばらくみな陶然と景色を見つめていた。

熱海で昼食の約束の時間があるから、お名残り惜しいけれど出発。
3年ほど前に美智子さんと伊豆に来たとき見逃したカピバラを見に、サボテン公園に車を走らせた。
カピバラが見たいというのは私の強い希望で、М子さんは以前見たけど、汚くて大きくてかわいくなかったわとおっしゃる。
私は温泉に入るカピバラが見たいと思っていたけれど、あれは冬場のイベントですと係員の冷たい返事。

しかし、カピバラはかわいい!
撫でると気持ちよさそうにうっとりとして、ごろんとおなかを見せる。
しかし毛がこわくてあまり手触りは良くない。
これで毛がモフモフだったら、最上級の可愛さになるのに、惜しい。
М子さんに「ねっ、かわいかったでしょう?」というと微妙な返事。
ここで私を怒らせると車に乗せてもらえなくなるかもしれないから、あいまいに「そうねえ」と言う。
無理しているのは見え見えだけど、心優しい私は気がつかないふり。

熱海で美智子さんのお友達においしいランチをごちそうになり、帰路についた。