2020年12月31日木曜日

ノラ同居作戦失敗

 ノラは朝食は駐車場で、昼食はうちのベランダで食べることにしたらしい。早朝、駐車場に餌を持っていくと凍えきっている。おはようと言って抱きしめると冷たい。さすがのノラも寒さが堪えているらしく黙って抱っこされるようになった。しばらく温まるとさっさと餌に向かう。

ベランダまで来るようになったのでしめた!と思ったものの、そこから先が進まない。先住猫のコチャが行く手を阻む。コチャは心底嫌だということを私に訴える。にゃにゃにゃーうにゃーにゃ・・・なにを言っているかよくわからないけれど、いつもの鳴き方とは明らかに違い、必死の形相で私に語りかけてくる。たぶん「私あの子はいやなの、いやなのよ、ほんっとにいやなのよ、おうちに入れないで!」わかったわかった、じゃあ、もう少し待つから考えてあげてね。

長年の野良生活で身につけた勘でノラはすぐに状況を察知して、窓が開いていても室内には入らなくなった。本当に賢い。怒られてもじっと我慢して歯向かいもせず、静かにその場を立ち去る。数日前までは室内に入れてあげると温かい床にゴロゴロと横たわって気持ちよさそうにしていたのに、それも一切しなくなった。不憫だなあ。

近所で猫が殺される被害が起きて警察が調べていると聞いた。自分より弱いものをいじめてなにが面白い。幸いノラは私の家でたらふく食べているから、今の所安穏としていられる。けれど環境が変わって餌がやれなくなり他所の家のものを盗み食いでもしたら、殺猫者たちのいい口実となる。そのためにも早く家に入ってほしいのだが、うまくいかない。

そんなことで騒いでいるので大晦日なのに大掃除も年賀はがき書かきもできていない。この3日間、お客様が続いた。いつもの年ならまとまって集まって忘年会と称する宴会が続くのに、今年の寂しいことったらない。一人ずつ、あるいは二人ずつ。兄と姉が来て珍しく我が家でくつろいでいった。いつもなら兄の家に集まるのだが、今年はそろそろ私の出番かなと。

時々3人で集まる。他の兄と姉は、住居が離れていたり療養施設に入っていたりで来られないので、もっぱら近所の3人で集まって会食をする。兄の話が去年辺りから、自分の幼少期の話題になってきた。どんどん時代を遡っているらしい。今までほとんど聞いたことのないような戦争中の話。父親との確執とか田んぼの真中で米軍の機関銃掃射に遭遇したことなど、生々しい話題はずっと聞いたことがなかったから、衝撃だった。いつも物柔らかな兄が実は軍国少年で、幼年学校に入りたかったとか。陸軍士官だった伯父の制服と長靴、腰に下げていたサーベルが格好良かったから憧れたという。

今聞くとゾッとするけれど、当時の子供は皆ごく自然に愛国心を持つように教育や環境に支配されていた。しかも兄は飛行機に乗ることを夢見ていたから、もし戦争が終わらなければゼロ戦に乗っていたかもしれないという。そうなったら兄は今ここにいないわけで、私は兄の影響でヴァイオリンを弾いたのだから、ヴァイオリン奏者になっていないかもしれない。すると私は何をしていたのだろうか。獣医さん?競馬の騎手?猫を周りに従えたホームレス?

近所の公園のベンチに毎日寝ていたホームレスさんの姿がずっと見えない。その人の集めた空き缶などはまだ残っているので、一時的に宿泊所などに泊まっているのだろうか。コロナ禍の今、シングルマザーなども困窮しているという。政治やのおじさんたちはお身内が儲けることしか考えていないから、実態を知らないでしょうが。そのことで昨夜はうちの上の階に住んでいるOさんと怒り狂った。

実は一日早いけれど、ジルベスター・パーティーをしましょうと彼女から誘われたので一緒ワインを飲むことにした。彼女は言うなればエリートだし私も今のところはまあまあ安穏と暮らしている。それに比べて今の日本の若い女性たちのあまりにも可哀想な現実を聞くにつけ、なんとかならないものかと焦りに似た気持ちになる。自分で運命を切り開ける力があれば現代は女性には住心地が良いけれど、運命に翻弄されて子供を連れて離婚した女性に世間はあまりにも冷たい。養育費を払わないずるい男のなんと多いことか。男性と同じだけの仕事をしながら家事はすべて女性、育児も丸投げされたあげく不倫されてしまったら、女性にも非があるという言葉は絶対に口に出せない。

無料の食料品提供場所に現れてこれで少し助かりますというシングルマザーの言葉を聞くと、テレビ局は変なバラエティー番組など作っていないで制作費を彼女たちにまわしたらどうか。私は毎月ある福祉団体にわずかばかりの寄付をしていたけれど、それをシングルマザーに回せないかと思案中。今困っている女性たちにと思っている。

それよりも政治屋の「おじさん」たち、「たったの」何千億円を無駄使いせずに困っている人に今すぐに回してほしい。昨日深夜まで上の階のOさんとえんえんとそのことを話し合った。なんとかならないの、日本のおじさんたち、おじいさんたち。それに小動物をいじめる者共、そこへ直れ、まとめて成敗してくれる。










2020年12月27日日曜日

ご飯はマジック

暮れに頂いたのはわかめ、海苔 、筍、山椒など。日本の昔からの食べ物。私は基本的には夕飯は主食抜きだから、それらのもので薄い焼酎のお湯割りをちびちびと飲む。あまりにも薄いお湯割りだからほとんど白湯に近い。

今日の献立は生湯葉に山椒の実の塩漬けをちらして、あとは筍の煮物と茹でたさつまいも、生わかめ。とても簡素な食事だったから食事をした気にならない。全部酒の肴みたいで。最近は少しでも食べすぎると胸焼けがするから、夜はなるべく肉食は避けている。それでも時々無性に肉類が食べたくなることがあって、久しぶりに食べると美味しすぎて食べすぎて太りすぎて。

今日は食べる量はいつもと同じくらいなのに、なにか物足りない!と思ったら、ご飯がない。これらの惣菜はご飯がないと締まらない。ご飯と一緒に食べればこの上なく美味しいのに、ご飯なしだと野菜というより野草を食べているようで。日本人はご飯という素晴らしいものを発明したので、簡素な食事でも美味しくいただけるのだとこの歳で今頃になって気がついた。特に筍は油揚げと一緒に御飯に混ぜて食べると最強。

それなのに私は昔からご飯よりパンが好きだった。演奏旅行でアメリカに一ヶ月半ほど行っていたけれど、そのときには全くご飯が食べたいとも思わなかった。時々中華料理の店に入ると、日本人だからと言ってご飯を出してくれるところもあったけれど、あまりありがたいと思わない。中華のご飯はお米が違うし、私はパンが好きだからパンで十分なのだ。よく海外に行くのにレトルトのご飯やフリーズドライの味噌汁を持っていく人がいるけれど、なんで?向こうに行けば向こうの美味しいものを食べればいいじゃない、と思っていた。

大家族で育つと、自分の好きなものだけ食べるというわけにはいかなくなる。目の前のものを食べなければ他の兄弟に食べられてしまう。好きの嫌いの言っていられない。食べなくても誰も気にしてくれない。食べたくないなどと言おうものなら、兄弟が「あ、そう」と言って持っていってしまう。私の母は私がやりたくないといえば絶対に強制しなかった。「ご飯が食べたくない」といえば「じゃあ残しなさい」「学校に行きたくない」といえば「じゃあ休みなさい」拒食症や登校拒否になる余地がなかった。

だから好き嫌いはほとんどない。強いて言えば人参よりじゃがいもが好き、姉は人参が好きで、ジャガイモのサラダは私がじゃがいもを食べ、姉は人参を食べてうまくいった。大豆とごぼうの鉄火味噌は、私が大豆、姉がごぼうを食べてうまくいった。多勢がお互いに折り合いをつけないと、大家族は生きにくい。

パンが好きだというのも、その頃の食事はほとんどがご飯で、パンはたまにしか食べなかったからだと思う。珍しかったのだ。うちでパンを食べたい人がいると隣の駅まで歩いて買いに行かなければならなかった。まだ我らが街にはパン屋さんがなかったので。時々兄に手を引かれパンを買いに行った。途中に進駐軍のキャンプがあって守衛さんが門の前に厳しく立っているのが怖かった。パンを買いに行く途中、私はその守衛さんの前でおもらしをしてしまったことがある。兄が「ほら、兵隊さんがこっち見てるよ、叱られるよ」と言ったけれど、笑いながらだから冗談だとわかった。それが返還されて日本の警察学校になった。今でもその門の前を通るたびにそのことを思い出す。

幼かったから恥ずかしさはなかったかと思うけれど、鮮明に覚えているので自尊心は多少傷ついたのかもしれない。それよりも、これから先そんなことがあったらどうしよう。あははと笑ってごまかそう。でも漏れない下着のコマーシャルで随分若い人たちが出ているのが気になる。本当にその若さで?と訊きたい。まさかね。こういうコマーシャルでも若くて美人が出たほうがいいのだと、変なところで感心している。なにも若くなくても、あんな美人でなくてもねえ。

足の痛みは日毎に軽くなってきている。日によってムラがあるけれど、昨日は痛くなる前と同じくらい歩けた。今朝は痛みはなかったけれど、時々休みながら歩いた。ここ数ヶ月の足の痺れはほとんどなくなった。片足立ちができるようになった。このまま良くなっていけばいいけれど、とにかく体重を増やさないことが一番大切なのだ。ほんの1キロ違っても症状が変わる。それとよく動くことが一番の薬。姿勢を保つのに努力がいる歳になった。だから当分夜はごはん抜き。

少しだけ努力をして体重を徐々にに減らしてきたら、足がぐんぐん良くなってきた。筋トレとセットにして、毎日の歩数を伸ばすことに成功した。けれど、意志が弱いからすぐに体重が増える。時々甘いものが無性に食べたくなってドカ食いすると、それまでの苦労が水の泡になる。じっと長い間我慢してやっと1キロくらい減らしても、ほんの少しの油断であっという間にリバウンドする。今まで何回こういうことを繰り返してきたことか。

ダイエットはかんたんだ、私は何回もできたのだから・・・といった人は誰でしたっけ?禁煙もダイエットも一度身につけたものを剥がすことは難しい。人はみな、欲望のままに生きたいので心の中ではいけないと思いながらつい易きに流れる。結局欲望が勝つか人としての良識が勝つかのせめぎあいの中で心を病んだりする。野生動物なら強いオスはボスになれるのに、人間社会では刑務所に入れられたりする。人は人間らしく生きようとして動物の幸せを捨てたので、今後はもう少し動物に戻ったほうがいいのではないだろうか。

そうすればもう会社勤めをしなくてもいい。無理に残業なんてクソ喰らえ!地面の落ちているものを拾って食べればいい。強いオスは何人ものメスをゲットできる。複数のメスに手を出しても週刊誌に書き立てられて、謝罪の場に引きずり出されずに済む。弱いオスは・・・これが面白いことに、強いオスよりもモテるという研究があるのだ。2,3番手はボスのいる中心から少し離れておこぼれのメスをいただくというわけで。弱いオスのほうが子孫を残す率が高いとか。うまくできている。

なんでこんな話になってしまったのだろうか?そう、私の足の痛みから。支離滅裂でまとまらなくなってしまったので、このへんでまた!










2020年12月25日金曜日

なにお買いワンや(なにをか言わんやにゃ)

タイトル「なにお買いワンや」は変換の妙!こういう変換って・・・・誰が考えるのだろうか、Googleさん教えて!ねえねえ。

数ヶ月先の話で実現するかどうかわからないけれど、ひとつ仕事があるのだが・・・コロナで先行き不安だけど、とりあえず準備だけはしておこうと。

関西方面での仕事なのでホテルの手配を始めた。今なら60日以上前の早割が手に入る。というので調べていた。ホテルだけ確保すれば新幹線はジパング倶楽部がつかえるから、かなり割安。新幹線は普通に買うなら1ヶ月前から売りだしなので、とりあえずホテルだけでも予約しておこうと近所のJTBへ行ってみた。

ホテルは今や叩き売り状態。かなりのランクのホテルでもシングル5000円以下で泊まれる。国内ツアーで頼んで新幹線往復をつけると35000円ほど。私は以前日本中を駆け巡っていたから、この手の安いチケットを探すのになれている。数年前だけれど、そういう国内ツアーでは2万円台が普通だったのに、いまや少し高めに設定されている。行く場所が観光地ということで仕方がないのかと思ったが、京都などは割安がいっぱいある。大阪はもっと安いからホテルによってはツアー全体が2万円台の前半くらいでも見つかる。

そして旅行社のカウンターで色々訊いてみた。そして驚いたのは国内ツアー代金の他に新幹線の座席指定の料金がかかるということなのだ。そんなこと初めて聞いた。ツアー料金は新幹線自由席往復とホテル代のみ。座席指定に片道3500円請求されるという。すると35000円の基本料金(食事なし)にプラス新幹線往復の座席指定7000円、少なくとも42000円以上。しかもそれならGo Toキャンペーンが適用されるという。普通にばらばらで買えば、私の場合、ホテルを別に頼んで新幹線はジパングを使うとトータルで25000円ほどで済む。もちろん指定券込みで。

なんじゃこれ?Go Toを使うと10000とか5000円とか割引があると見せかけて、全然安くはないのが判明した。結局損するのは何も知らないで国民の税金から給付金もらって喜んで旅行に行った人たちと我々納税者たち。政府も旅行会社も全く損をしないのだ。最初はほとほと感心した。しばらくして猛然と腹がたった。どこの誰がこんな悪知恵を使ったのかしら。それはあの「おじさんたち」に決まっている。

これってオレオレ詐欺より始末が悪いのでは?のせられてホイホイ旅行した人たちは、普通に自分で手配すれば、もっと安く行けたのに。旅行の手配は慣れれば本当に簡単なので知っておいたほうが良いと思う。ホテルは料金を調べて自分でホテルに電話するなり旅サイトで予約する。30日とか60日以上前に頼めば早割がきくことがある。ちゃんと確かめてから予約。その際、キャンセル条件を必ず訊いておくこと。現地で支払うことにしておく。クレジットだとキャンセル後が面倒。年齢が高ければ、ジパング倶楽部に入っておくと便利。

キャンセルは必ず指定された日以内にホテルに直接電話するのが最小限の礼儀。ネットでの取り消しもできる。期限が切れるとキャンセル料が発生するけれど、たいていの場合ホテルは泣き寝入りになる。キャンセルの部分だけ何故か客対ホテルになる。旅行会社は知らん顔。ホテルは客を回してもらう立場上、会社には弱い?

JTBが仮押さえしてくれたホテルは私が気に入ったホテルと同じなのだけれど、どうも部屋のランクがひとつ下のようだ。禁煙室を頼むと消臭の喫煙室だという。そんな馬鹿な。タバコは匂いだけでなく有害物質が残留しているから、本当の禁煙室でないと困る。いちおう朝食抜きで暫定的に確保してもらったけれど、やはりこれはまずい。家に帰ってからじっくりと同じホテルの条件を見ると、旅行会社のよりもランクが上の部屋で朝食付きが同じくらいの値段で出ているではないか。ははあ、ここでも旅行会社は差額で儲けるつもり。それは彼らも商売だから納得できても、やはり信用できない。もう自分だけが頼りの世知辛い世の中なのだ。それにコロナが拍車をかけて、この先住みにくい世の中になることは目に見えている。各々方、しっかりと生きていかないとむしられますぞ。

翌朝旅行社にホテルのキャンセルの電話を入れた。呼び出し音1回で女性が出た。昨日ホテルの手配をお願いしたものですがと言うと、多分満面の笑顔と思しき声で「ありがとうございます」と言う。「大変申し訳無いけれどキャンセルお願いします」といっても声音は変わらず最後まで感じよく対応してくれた。こうして末端で働く人達は努力をしているのに、相変わらずおじさんや今回はおばさんまでもが高級料理店で自分たちが言い出した人数を超えて会食をしている。後で謝りゃいいってものじゃないのよ。




静かすぎるクリスマス・イブ

二匹の猫の仲裁でドっと疲れほんの少し昼寝のつもりが数時間眠った。目がさめたら世の中は日がくれかかっていた。 今日は曇天で少し寒い。それでノラが昼食前にベランダにやってきた。うち猫のコチャが少しずつノラに慣れて来たようで、最初の頃みたいな吠え方をしなくなった。ノラも安全な間合いを学習したらしく、この調子だともしかしたら案外早く仲良くなれるかもしれない。

昼寝をしたのでノラに餌をやるのが遅れた。外でまさか待ってはいるまいとベランダの窓を開けたら、居た。もうすっかり様子がわかったらしく落ち着いている。コチャは私が窓を開けるたびに様子を見にくる。今日は思い切ってご対面!一応コチャは怒るけれど、迫力がない。ノラは長年の世渡り上手が幸いして、だんだん核心に迫ってくる。コチャが自分の餌場で食べている後ろでこっそり自分も餌をもらって食べている。コチャは文字通りの箱入り娘。大勢の猫に囲まれても唯一人、押入れの巣穴の毛布の上で一日の大半を過ごしていた。ノラは様々な猫と遭遇しながらも、持ち前の社交性が幸いしてうまくいきてきた。これはノラの勝ちになるかな。だからといってコチャが意地悪されるわけではなく、ノラは本当に性格が良い子なのだ。私が数日家を空けるとコチャはすっかり神経質になっているけれど、ノラが一緒なら寂しくはないと思う。

夜になって、ああ、今日はクリスマスイブなんだとちょっとわびしい気分になった。いつもの年なら、なんだかんだ口実を作って友達が集まって賑やかに過ごす。今年は全く予定がない。昨日、英語の先生が「七面鳥を焼くので食べに来られない?」と言ってくれたけれど、家と家が遠すぎて少ししんどいからためらって結局行かないことにした。車で行けばワインも飲めないし。彼女は私がクリスマスもお正月も一人ぼっちと聞いて声をかけてくれた。七面鳥は4キロあって、それにクリスマス・プディングも焼くらしい。イギリスのクリスマスいいなあ。4キロというから以前飼っていた猫を思い出した。

4キロの雄猫はカーテン上りが得意で、スルスルと登っていく。上まで行くと両手の爪をカーテンの布地にかけたまま十分すぎる体重で滑り落ちてくる。布はひとたまりもなく縦に裂けてボロボロ。猫を飼う人は、コーヒーの中に猫の毛が浮いているのとか、ソファがボロボロになるのが平気でいられないといけない。うちの椅子は猫の爪とぎに使われて両サイドがフリンジになって垂れ下がっていた。

猫たちの騒動に巻き込まれたあとは静かなクリスマスイブ。今年は私だけでなく、大勢の人が一人ぼっちのクリスマスを送ったと思う。本来クリスマスはどんちゃん騒ぎの日ではなく家族が集って楽しく過ごす日なのだから、原点に戻れてよかったかもしれない。

数年前まで、毎年来日していたロンドンアンサンブルに付き合って、私はいつも12月は忙しかった。彼らと一緒に演奏するだけではなく、車で送迎したり練習の後の付き合いだったり、箱根が好きな彼らと一緒に箱根に泊まりに行ったり。そんなことも中心的な存在だったピアニストの美智子さんが亡くなって終わりとなった。彼女のご主人のリチャードは、いつもイギリスの家族から「クリスマスは今年も日本でなの?」と言われていたらしい。今では彼はご家族と一緒にイギリスでクリスマスを過ごしているのだろうと思う。「美智子のいない家は廃墟だ」と言っていたそうだから、一緒にいられる家族がいてよかったと思っている。外国で日本人が成功するには大変な努力が必要。特に音楽の本場はヨーロッパ。その本場で活躍していた美智子さんは、人一倍の努力をしたと思う。それが彼女の体を蝕んだのかもしれない。

家の冷蔵庫を漁っても、先日冷凍品を片付けたのでほんの少ししか残っていない。その中で正体不明のジップロックを見つけた。なにかの肉らしい。これを解凍して食べよう。解凍したらなんとまあ、どんぴしゃり!去年のクリスマス用チキン残り物だった。つい先日一年ぶりに解凍して食べきれなかった分。すっかり忘れていたのが出てきて一応形ばかりの一人クリスマス。ケーキはないからこれもカチカチに凍ったアイスクリームを食べた。このアイスクリームのカロリーを消費するのにどれだけ大変かと思ったけれど、ま、今日は自分へのプレゼントだと思ってと言い訳しつつぺろりと平らげた。明日の口実はなんにしようかと考えながら。

大家族で育っていつも暮れから正月はにぎやかに過ごしてきて、今こんなに静かな年末を迎えるとは想像もしていなかった。子供や孫に囲まれてにぎやかに過ごせたらどれほど楽しいかとも考えるけれど、これで良かったとも思える。もしたくさん人がいたらうるさくてかなわんと思っていそうで。それでも人間の言葉が話せる生き物と話がしたい。猫ではねえ。

特に今年はコロナのせいで、気のおけない人たちとも中々会えなくて本当に寂しい。いつも合わせてもらっているピアニストとも、なんだかやる気しないよねと電話で話した。今年中には新しい曲を一回合わせようと言っていたのに、年明けにしようということになった。その頃コロナの感染者数はどうなっているのかなあ。空恐ろしい蔓延の仕方で来年はどうなることやら。





2020年12月23日水曜日

悲しいノラ

コロナがらみの議員たちのやりきれない特権意識。毎日毎日テレビに向かって怒り狂っていても、ここに怒りをぶつけてもごまめの歯ぎしり。ドヨンと死んだ魚の眼をしたおっさんたちが頭を下げて心にもない謝罪。俺たちゃ運が悪かったよなあ、おい、などと後で飲みながらぼやいている姿まで目に浮かぶ。情けない。書いても書いてもきりがないから気分転換にうちのノラの話をしましょう。

毎日我が家のノラネコ食堂に現れて、最近は朝昼晩と3食のお得意様のノラ。穏やかで優しく臆病な女の子。彼女は数年懸りでやっと 私に抱っこされるようになった。それもほんの一瞬だけ。長い間他の猫や人間に意地悪されていたらしく、絶対に警戒を緩めない。それでも最近は我が家のベランダまで来るようになった。初めてベランダで食事をさせたら喜んで、自分はこに家に受け入れられたものだと思ったらしい。しかし、この家には先住猫のコチャが番を張っていた。

温かい床に足を踏み入れ、ああ、天国と思ったのも束の間、コチャの逆鱗に触れて惨めに外へと追いやられた。ノラがやっと部屋に入ってきたときに、うちの猫の攻撃からすぐに逃げ出られるようにと窓を開けておいたけれどあまりの寒さに耐えかねて閉めようとしたら、私の動向を機敏に察してあっという間に外へ出てしまった。それが2回続いたらもう家の中には入ってこない。野良生活で身につけた悲しい生活の知恵。面白そうに遊ぶのでしばらくかまってやっていたおもちゃ遊びも、もはや効き目がない。可愛そうでならないけれど、万一うちの猫になっても今までの自由がなくなってしまうのは彼女にとっていいことか悪いことか、判断しかねるところなのだ。

それでも毎日ベランダがお陽さまでいっぱいになる頃に、のんびりと寛ぎにくる。決して閉じ込められないので夕方寒くなると窓を締める。それが彼女にとっては私から拒絶されたと思うらしい。寒くなったら窓閉めるっきゃないでしょうが。私は体に毛皮がないから、冷えてしまうじゃないの。外でしばらく足踏みしなら鳴いているけれど、今まで暮らしていたところもあることだから仕方なく締めてしまう。

ある日彼女が部屋にいるときにやっと窓を締めて捕獲したと思ったら、そのパニックたるや恐ろしげに鳴く声に耐えられず結局諦めて外に出してやった。いつも思うのは、こうと決めたら相手に遠慮せず絶対に家から出さなければいい。けれど私は気が弱いから(猫に対しては)、つい見ていられなくて出してしまう。でも出してしまうと猫は警戒心が増大して疑り深くなってしまうのだった。逆効果と知りながらやってしまうのは愚かしいことだと思う。

猫にしてみれば、いきなり家から出られなくされてわけのわからない先住猫に脅され、それは恐怖だと思う。長年かけて築いた信頼関係がすこしばかり後退する。最初の日、彼女はもうすっかりここに住み着く気でいたらしい。しかし、あまりにも警戒が強くて窓が閉められない。私の動きを察知して逃げ場を確保するその機敏さと言ったら、さすが。少しでも私が彼女より前に窓に近づこうとすると、もう外に出てしまう。窓が閉まらないと私は凍えてしまう。閉めようとするとすぐに外に出るノラ。一度まんまと閉じ込めに成功したもののパニクるノラ、結局その日はついに夕方寒くなって外に出してしまったことが彼女にはショックだったのかもしれない。その時私が我慢して出さなければよかったのかな。

こういうときには断固として人間が決めたようにしないといけないと思うけれど、私は人にものごとを強要できない。自分がそうされたくないから。猫といえども多分嫌なものは嫌。そう思うとどうしても引けてしまう、この弱さが人生のすべてにおいて敗因なのだ。

ノラは長年人や他の猫にいじめられながらも天使のように性格が良い。しかも人の気持がちゃんと分かる。この猫がうちの猫と仲良くしてくれたら、私が留守の間コチャは寂しくないと思うけれど、頑なに拒否する。今までたくさんの猫を飼ってきたけれど、たった1匹だけ、すべての猫を受け入れる稀有な存在だったのがニブという雄猫だった。

ニブは我が家の駐車場の車のそばで、息も絶え絶えだった。痩せこけて鼻が鼻汁で塞がれて呼吸困難になっていた。しばらく動物病院のお世話になって我が家へ入った。本当に不思議な顔をしていた。目と目が離れていて、体はテリア犬のように筋肉質でガニ股。性格は穏やかでどんな猫も受け入れる太っ腹。なによりもその雰囲気は、家に来た友人曰く「まるで修行を積んだお坊さんみたい」

新しい猫が来ても絶対にいじめない。しかもうちの猫たちの保護者を自認しているらしく、外で犬がうちの猫に遭遇するとボディーガードよろしく追い払う。外で騒ぎ勃発、犬がニブに吠えている。私は飛び出していって犬の飼い主に言った。

「うちの猫をいじめないでください」すると「でも猫が・・・」と飼い主。「犬はちゃんとリードがあるのだから引っ張って連れて行ってください」すると「でも、猫が・・・」犬も飼い主もなぜか怯えている。するとニブは猛然と犬に飛びかかった。キャイ~ン!しっぽを巻く犬。そして「ほらね」と飼い主。わあ、恥ずかしい、ごめんなさい。

勇敢で男気があって物静かな哲学者みたいなニブ。人間の男だったら私は絶対こういう人がいい。「ニブ、来世でもし人間になれたら結婚しようね」と約束したけれど、来世でもし鼻水垂らした男が現れて結婚を迫られたら、うーん、どうしよう。少し考えさせていただきます。






2020年12月16日水曜日

呆れたおじさん

 なんといいましょうか・・・呆れてものも言えない。菅総理大臣。あなた本当にプロの政治家ですか?総理大臣の陰で今までは無事に過ごしてきたけれど、急に日の当たる場所に出たらすべて露呈しましたね、能力のなさが。

私はこのブログを始めたときには政治や宗教といった問題には一切触れず、楽しいことだけ書こうと思っていた。けれど、今年のコロナ発生以来、政治家おじさんたちの想像力の欠如、常識の無さに呆れ果てて毎日グチグチと文句ばかり。書くのも嫌だけれど、言わないともっとお腹が膨れてしまうから全くもう!なんてこった!

今までの官房長官という立場なら右顧左眄して、アチラコチラの意見をまとめることでなんとかやってこられたとおもうけれど、確固たる意見を持たないでうまく立ち回るということは総理大臣になったらもう無理でしょう。確固たるというのも困ったもので、先代の安倍さんはそれで随分法律違反をしてものらりくらり、人が自殺しても我関せず。全くもう、どいつもこいつも!

それにしてもGo Toなんぞは最初からやらなければよかった。もう少し感染が収まってからならやってもいいけれど時期尚早だったわけで、もう数ヶ月待てば少しはマシだった。今年いっぱいお正月すぎるまではじっと我慢すればいいのに。誰だって今の時期苦しいのは当たり前。なんと言っても未曾有の感染被害なんだから、中にはうまく立ち回る人がいても、ほとんどの人は青息吐息。でも政治屋さんたちは大企業や観光業者に優しく、今にも押しつぶされそうな個人営業、中小企業や母子家庭などには目もくれない。

この時期に旅行に出られる人たちは比較的余裕のある人達だから、彼らは自腹で遊べばいい。キャンペーンのキャンセルで出た損失を補填するといっても、そのお金は国民の税金から支払われる。補填されればまだましで、その恩恵にあずかれるのはごく一部。菅さん、あなた達の私財をなげうって補填すればいいのよ。

少しばかり安くなるからと言って、こういう時期に遊びに出かける人も人。キャンペ-ンに乗らないと損するとばかりで、本当にさもしい。遊びのお金はきれいに自腹でいきましょう。自分で稼いだお金で遊ぶのはどんなに清々しいかと、私は思うけれどね。

感染拡大はわかりきったことだった。だれが考えたって人の移動が始まれば、ウイルスも移動するでしょう。どこでどう感染ったっておかしくはない状態なのに、それをわざわざ補助金出してやらせるなんて、もう私の腸は煮えくり返ってホットドックになって、お腹の中で湯気を出している。そして中止した場合の経済破綻は何百、何千億円にもなるという。このつけを払うのは一体誰?あなた?あのバカバカしいマスク以来の無様な経済損失。こんな人たちに誰が票を入れたの。

マスコミにも言いたい。Go Toが始まったときになんの批判もなしに毎日報道していた。観光地に大勢で押しかける人の群れが映し出され、それなら自分も行ってみようかなという思いを煽り立てているようだった。せめてオリンピックが終わるまで待てなかったのか。私はオリンピックも延期したほうがいいと思うけれど、流石に国の威信をかけて感染拡大防止に努めるのでしょうね?おじさんたち。

テレビの報道も危険だなと思ったけれど、放送局もスポンサーなどの圧力もあろうかと少しは同情の余地はあるかと。しかし、国民の目がまず注がれるのはテレビの報道だから、偏った報道は誤った方向に大衆を導いてしまうことになるという危惧はいつも持っていてほしい。楽しそうにはしゃぐ観光客の様子を見せられて、それなら自分も乗り遅れまいと思う人は多いと思う。

コロナ感染のせいで人生が狂ってしまった人もいると思うけれど、長い人生のうちのたった1、2年。その間起きたことが後々のためにどう役に立つかはわからない。長い目で見ると案外トータルは良かったりするかもしれない・・・そう考えないとやってられないわね。こういう時期に生活環境を変えることもできるのだから。







2020年12月14日月曜日

冷凍食品一掃キャンペーン

 以前からずっと気になっていた冷凍庫の中身。一体これはいつからここに住み着いたのかと思うようなものが眠っている。一年前のクリスマス用のチキンとかミートパイとか、食べても大丈夫?状態のものが未だにゴロゴロ。思い切って全部食べつくすことにした。

恐る恐る解凍するとなーあんだ、普通に新鮮ではないか。最近ダイエットをしていたので、肉食我慢が限界に達している。焼き上がったチキンの匂いに釣られて猫が騒ぐ。はてな、今までうちの猫は魚しか食べないと思っていたのにこの騒ぎはなに?あらま、美味しそうに食べてる。数万年前のマンモスだって食べられるのだから、一年やそこいらは大丈夫。久しぶりに肉食を堪能した。

それからご飯のパック。最近私はご飯を炊かなくなってしまった。一人ならパックされたご飯を電子レンジでチンしてホカホカの炊きたてが食べられる。すべて省エネ。味噌汁はフリーズドライ。日本の食文化の衰退が我が家から始まっている。お餅もいつ買ったのか忘れるくらい前のものだけれど、時々銀座久兵衛の海苔を送ってくれる人がいて、それがえらく美味しい。その海苔で焼いたお餠をくるむと、いくらでも食べられそうで怖いくらい美味しい。薄いのにしっかりと香りの強い上等な海苔は、滅多なことでは口に入らない。普段は近所のスーパーで買う安い海苔を食べているから、同じ海苔でもこれほど違いがあるのにびっくりする。

なんでも良い物を選ばないと、本当の味を忘れてしまいそうだけれど、経済的にそんな贅沢はできないから、時々いいものを食べて味の記憶を絶やさないようにしないといけない。味の違いくらいはわかるけれどグルメではないので普段はなんでも美味しくいただく。味覚が鋭い人は辛いだろうなと思う。嗅覚の鋭敏な人も辛いだろうなと思う。私は五感の中で少し突出しているのは聴覚だけ。これは職業的に訓練されているのと、子供の頃から良い音楽を聴いて育ったので非常に敏感だけれど、それ以外は全くの凡人。

クラシックでなければだめとか、音楽の好き嫌いが無いので助かっている。ロックでは流石に無理だけれど、ジャズのコンサートに行ったらはじめから終わりまで爆睡だったので我ながら呆れた。アート・ブレーキーとジャズメッセンジャーズ、始まったらドラムのリズムが心地よく眠りに誘ってくれたので、目が覚めたらコンサートは終わっていた。音の大きさではなく質が問題なので、小さな音でも悪い響きはたまらなくいや。

それでなにを語ろうと思ったのか・・・

そうそう、冷蔵庫の中身を処分して掃除をしよう。めったに思いつかない考えだから、思いたったら百年目、まず中身を空にすることに専念。次々に出てくる化石や発掘物。これ食べて大丈夫?全部食べつくしたけれどまだ生きている。すみませんね、往生際が悪くて。食べ尽くしたらもう掃除をする気力がない。新しい食料を買い込む前に掃除をしないといけないのに。

文明の発達のうちで冷蔵庫ほどありがたいものはない。最近の地球の温暖化にもし冷蔵庫がなかったら、ゾッとするような事態になっている。もはや調理する気力もなく、レトルトやコンビニや缶詰に宗旨変えをしようと思っている。まず腐敗の心配がない。置き場所をとらない。保存が効く。新鮮さが保てる等、いい事ずくめ。ポテトサラダくらい自分で作れと言ったおじさんがいるというから、そういう人はご自分でお作りください。そうすれば奥さんの苦労がわかるから。何十年も毎日人のために作らなければならなかった時代は終わった。食べ物のために浪費した時間がもったいない。むしろよくやったと自分を褒めてやりたい。

レッスン室はレッスンのためと、友人たちとの憩いの場としての役割があった。春にはお花見で何十人もの人たちがすし詰めでお酒を酌み交わした。今コロナの時代、めったに人は来ないから、そちらにおいてある冷蔵庫は中身を空にして電源を切った。時代が終わった、と思った。これから断捨離、膨大な楽譜は見ると捨てられないから、見ないで捨てる。CDとカセットテープはすべて処分する。ステレオ装置も。そうなれば部屋は随分広くなるから、コロナ騒ぎが終わったら、ミニコンサートができる。

食料一掃というより人生の垢を削ぎ落とすことにする。サバサバするよね、きっと。生きるということは無駄を生じる。ゴミだらけの人生、一番のゴミは自分だけれど、時々は皆さんを楽しませられたのかな?

ここ数日、足の調子が良い。毎日の筋トレとウオーキングが功を奏したかもしれない。体重のコントロール、食事の質と量など、いつもいい加減な私には珍しく頑張ってみた。やはりまだコンサートで演奏したいということがモチベーションとなっている。弾き終わって椅子から立ち上がれなければせっかくの名演奏(?)が台無しになる。片足立ちもだいぶ復活してきた。スキーもまだしたいし、老後の明るさは足にかかっているのだ。

まだ冷蔵庫の掃除はすんでいないけれど、これから食料品の買い出し。筋肉に必要なタンパク質のためにまた肉食に戻ることにした。ピアニストの室井摩耶子さんは90歳を超えても未だにステーキを召し上がるらしい。私も90とまでいかなくてももうしばらく皆さんのご迷惑を顧みず弾かせていただきたい。聞きたくなければ耳栓をご持参の上会場におでかけくださいませ。











猫のジレンマ

もう何年になるかしら、うちのノラに餌を与え始めてから。白地に黒のはっきりした模様のノラは賢くて少し臆病な女の子。誰かが面倒見たらしく不妊手術済の印で耳が切れている。数年前から我が家のノラ猫食堂の常連さんとなった。しかしそれは厳しいノラの世界、散々意地悪されたりボス猫に執拗に追い回されて、雨に濡れながら悲しげにこちらを見ているのが哀れでたまらない。ところがあるときからボス猫が急に姿を消した。やっと彼女は晴れてノラ猫食堂一番のお得意さんになった。

他の猫が次々姿を消す中で彼女だけは無事でいるのは、おそろしく臆病だから。私が毎日餌を与えているのに少しでも近づくとサッと距離を取る。夢中で食べているときにそっと近づいて、数年かけてやっと背中を撫でさせてもらえるようになった。それからしばらくしてやっと抱っこができるようになったけれど、その間も油断はしない。私の動きを抜け目なく伺っていて、怪しい動きをしようものならすぐに身をくねらせて逃げていく。

駐車場で餌を与えて自室に戻るから、私がこの建物のどこかに住んでいるらしいということはとっくに知っていた。玄関まで見送ってくれるから。それでもその玄関から更に上の階の部屋にいることは最近ようやく理解するようになった。

ある時何気なくベランダを見たら、ノラがいてこちらを見ている。いつの間にか私がこの部屋に住んでいることを知ったらしい。けれど、そこは臆病な子だからすぐには上がってこない。時々ベランダの窓が開いていると網戸越しに小さな声で鳴いて存在をアピールしてくる。私はうちの猫姫さまに気兼ねしながらそっと餌を与える。

うちの猫は多頭飼いからやっと開放されていまや一人っ子。我が世の春なので、他の猫がまた来たら嫌がるだろうと思って餌やりは内緒にしているけれど、やはり動物の鋭い勘は侮れない。すぐに察したようだ。ある時網戸越しに対面させたらノラを威嚇し始めた。そこは長年の野良生活で培った処世術で、ノラはおとなしくベランダから退散した。そういうことが何度かあって、ノラはこのうちには先住民がいて、自分は踏み込んではいけないのだと納得したらしい。その態度が良かったらしく、うちの猫はやや敵意を収めているけれど、この先何年経ったら同居できるようになるかはわからない。

家に入れてしまえば一ヶ月ほどで大抵の猫は馴れてしまうからそうしようかと思ったけれど、年老いたうちの猫が不憫でノラにはもう少し辛抱してもらってゆっくりと慣れさせていきたい。何年も外で暮らしていたのだから。けれどこれから寒波襲来、寒さに震えながらじっと食事を待っているノラも可哀想で、私はもう気が揉めて仕方がない。野良だっていつまでも若いわけではないのだから。

近隣住民に猫嫌いがいるらしく、こともあろうに毒を盛ったりする。最近も警察が調べていたそうなのだけれど、うちのノラに手を出されたら大変なのだ。嫌いだからといって殺す人はどんな人なんだろう。猫が殺せれば人も殺せるというから、ノラの飼い主の私も危ないかも。そんなことされたら私は絶対に化けて出てやる。

もしかしたらノラには飼い主が他にいるような気もする。毛並みが艶々していて甘え上手、そのところがボスねこのお気に召さなかったようなのだ。人間の機嫌ばかり取りやがって!と言わんばかりだったから。それでも私が差し出す大盛りのご飯をぺろりと平らげるから、どうやら自宅では食べさせてもらえないのかもしれない。

以前ここに通ってきた三毛猫の飼い主が昨日訪ねてきて「あれ以来ミケは家にかえってこないけれど、どこかで飼われているんでしょうかね」という。私は他の家の猫のことまでは知らないけれど「きっと飼われていますよ」と言って慰めておいた。猫はたくましく何軒もの餌場の保険をかけている。ここが駄目ならあちらというように。うちのノラだってボス猫に追い払われて暫く来られなかったけれど、別に栄養失調にはなっていなかった。

三毛猫の飼い主さんはしおしおと肩を落として帰っていった。話を聞くと、どうやら三毛猫はその家が嫌いらしく、子供がいるのが気に入らないらしい。

私の母がよく言っていた。猫は新しい家にもらわれていくとき「その家には子供は何千匹いるの?」と訊くそうなのだ。嘘でしょうって?いえいえうちの卑弥呼様のご託宣に間違いはない。子供は一人で猫にとっては鬼の千匹に匹敵する。猫にとってそのくらい子供は苦手らしい。しばらく飼っていたトラ猫は気性が荒く私は引っ掻かれてばかりいたのに、近所の子供にはいくら手荒く扱われても一切抵抗しなかった。猫だって弱いものには手出しをしない。それなのに毒を食べさせる人間は卑怯者の権化。





2020年12月11日金曜日

ヅメ先生

散歩の途中が道路工事中。片側通行になっていて警備員さんが交通整理をしていた。そばを通り過ぎるときに会釈をしてくれたから私も軽く頭を下げて通った。その時不意に思い出したのがクラリネット奏者の故北爪利世さん。仲間たちからはヅメさん、ヅメ先生と呼ばれていた。 

ヅメ先生は無類の車好き。同じオーケストラの大先輩で、演奏旅行の時には必ず車を連ねてでかけた。ハンサムで優しくて女性たちからは絶大な人気を集めていた。オーケストラきってのジェントルマンで愛妻家、二人のお子さんの良き父親としても知られていた。・・・

けれど、一旦ハンドルを握ると豹変!年がら年中パトカーに捕まりネズミ捕りに引っ掛かる。久しぶりに会うと開口一番「また捕まっちゃってね」がお決まりの挨拶となった。私は先生の助手席によく乗せてもらったけれど、工事現場を通り過ぎるときなどは警備員に挨拶をして通る。すごく礼儀正しかったので、今朝はそのことを思い出したのだった。こういう人たちにも気配りを忘れない人って素敵だなあと思った。

ところが行儀の悪いドライバーに出会うと、いきなり窓を開けて怒鳴りつける。「バカヤロー」なんて。いつものジェントルマンが突然猛々しくなって、はじめのうちはびっくりしていたけれど、そのうち私もけしかけるようになった。粋がって追い越していく車がいると「先生!追い越されて悔しくないの?追い越しましょうよ」なんて。悪い子でしたね。

私がオーケストラをやめてしばらくした頃、軽い狭心症になって東京女子医大に通院していたら、ロビーでばったりヅメ先生に出会った。「え、君もかい?」と訝しげに尋ねられた。ヅメ先生は少し心臓が悪かったようで、治療していたようだった。しばらく立ち話をしてお別れしたのが最後の思い出となった。

その時のロビーでの話、東京女子医大はその頃はまだ予約制でなかったので、受付は猛烈に混んでいた。ベンチはどこもいっぱいで座るところを探していたら、ある一角だけ妙に空いているところがあった。スタスタと歩いていって座ってやれやれ、前のベンチの人が両手をイーグルのように背もたれに伸ばしてゆうゆうと座っているのを見ていた。となりに奥さんらしい女性が座っていた。長いベンチなのに、そこは二人だけしか座っていない。その真後ろの私が座ったベンチには私以外誰も座っていない。ミステリーサークルのようにそこだけポッカリと空白が広がっているのだった。

普通ならこういう情景を見れば変だな?と思うところだけれど、私は観察力が欠落というか、他人のことにはほとんど関心を示さないから普通に座っていた。しばらくして前の男の人の手を何げなく見たら、小指の先が欠けていた。そういえばこの座り方、隣の女性のケバさ、本人は服装がやっちゃん。でも、ま、いっか!何もしなければいくらなんでも私を脅すこともないだろう。腹をくくって見なかったことにした。しかし、病院で患者として来ているわけだから普通にしていれば別に暴れたりしないと思うけれど、ちょっと小指が短いからと言ってこの敬遠されようでは、普段の生活は面倒が多そうだなと思った。

やはり好きで入った道なのかしら。どう見ても機械工とか作業員とか危険な機械を扱う人には見えないから、仕事中に手を挟まれてという説明は難しい。しかし、こういうのを格好いいとか貫禄とか考える人も世の中にはいるのだと、変に感心した。私はゴメンだわ、だって小指だけ短いと音程が悪くなるじゃない。

その後でヅメ先生に出会ったから、ヅメ先生の思い出とやっちゃんがセットで出てきてしまうのが少し残念なところ。

数年前、奈良に友人の家を訪ねたことがあった。その家は立派な古民家で由緒正しい家柄らしく、明治天皇が泊まったという部屋まであった。鉄道が敷かれるとき、ご先祖様が自分の家のそばを通すように鉄道会社に要請したので、そこだけ線路がカーブしているとか。

その家を受け継いだ友人夫妻は、そこでアンサンブルの練習や合宿をしていた。それに参加していたクラリネットの女性と知り合い何げない話をしていたら、ヅメ先生が話題に登った。彼女は学生時代、先生に師事したのだという。そして家が近所なのでレッスンの帰りは学校から家まで車で送ってもらったと。二人でずっとヅメ先生を偲んでしみじみと語り合った。


2020年12月10日木曜日

コロナと天候

今年を振り返ってみると本当にひどい年だったと言わないわけにはいかないけれど、一つだけ良かったことは天候が穏やかだったということ。大災害が多発した一昨年はたくさんの人が被災した。ここ10年以上前から大地震や大津波、洪水で日本列島はズタズタだった。コロナ感染が始まって、これでもし大地震でも来たら大変だなあと思っていた。災害の被災者の避難所などは本当の修羅場になってしまう。

 まだあと半月ほど残っているものの、今年は稀有な穏やかさで締めくくれることを期待したい。万一のことがあっても自宅で待機することになれた人たちは、うまく切り抜けられるのではないかとも。自然が猛威をふるうのにはわけがあるのかもしれない。過度な快適さをもとめるあまり、木々を切り倒し、電気を使い、贅沢を求める人間の欲深さはとどまるところを知らず、いつの間にか自然破壊につながっているものと思われる。

今年は世界中の経済活動が制限されて、人々は窮屈さや味気なさを味わったとはいえ、多分その御蔭で自然が穏やかだったのでは?と飛躍しすぎた理屈かもしれないけれど、私は思った。ほんの少し人間が活動を抑制すれば、もしかしたら地球は救えるかも?

私の山の家は森の中にある。夜になるとあたりは真っ暗、本当に足元が見えない暗さ。その代わり日の出の美しさ、夕日の見事さはどんな絵を見るよりも私にとって癒しになる。ひと時たりとも退屈しないのだ。黙って木々を眺めているだけで深い休息を感じる。

こんな不便なところで年老いて暮らそうとするのは、傍目に見れば暴挙と言って良い。けれど、今年一年の生活の大半の幸せを、山の中の家で過ごすことによって味わえた。冬が来たので、猫と二人の静かな明け暮れを満喫した山を降りてきたけれど、できれば冬もそこで暮らしたい。けれど、それには準備がいる。体力も気力も若い頃より半減しているので、どのようにすれば安全でいられるかを模索している。幸い冬の間毎年スキーを欠かさずにやっていたから、寒さの基準もわかっている。寒さ対策の装備は揃っている。

まさか北極ではあるまいし、零下数十度なんてことはない。近所には家もあり管理事務所もある。雪かきをしてもらえるとなれば、それほど暮らしには困らないと思う。ただ一つ、車を使わないと買い物もできないということが心配のタネ。私の車には冬季は必ずスタッドレスタイヤが装備されているのに、一度も雪道を走ったことがないというのも変な話しなのだけれど。

家にたどり着くには急な坂道を急カーブに沿って登らなけれはいけない。それがまず自信がない。今年12月の初めころ、その坂で滑った車の事故で前方を塞がれて、大渋滞に嵌った電気屋さんに来てもらえなかったことがあった。たいした工事ではなかったので、それでは来年春になったらお願いしますと言って、工事は中止した。その頃にはすでに凍結が始まっていたのだ。もし事故にあったら、猫と私では世の中の役たたずの代名詞、なにもできないから誰かに助けてもらわないといけない。それでは周り中が迷惑する。だから極力危険は避けることにしている。

無理に危険をおして行動して事故ったら、それ見たことかと高齢者の免許証を取り上げる議論が復活する。しかし、もしかしたら今年から来年の春までは好天気が続いて絶好の運転日和になるのではと期待している。それなら時々冬の森の中で暮らすのもいいかなと。

雑木林は冬にはすっかり葉が落ちて、夏にはほとんど日が差さない森も明るくなる。その御蔭で小川の流れも姿を表して清流の勢い良いさまを眺めることができる。厳しい冬もとても明るい。今年の穏やかさが今後も続くといいなあ。人が欲望を追求するあまり、自然や他の動物に迷惑をかけているのではないかと最近ずっと思っている。私が元凶かもしれない。

日本が好きで日本に住んでしまったニコルさんという冒険家であり自然保護者である人がいる。先程「徹子の部屋」で追悼番組をやっていたけれど、北極で方向を見失い流氷に乗っていたら、アザラシの大群が来て大勢で陸まで導いてくれたという話をしていた。「これは本当の話しです」と言っていたけれど私は信じる。彼が困っているさまをずっと見ていたアザラシたちが相談でもしたのかしら、大勢で周りを取り囲んでカヤックのパドルを押したり舳先を押したりして運んでくれたそうなのだ。陸が見えるところまで来たところですっといなくなったという。こういうことがあったら他の動物も本当にいかに大切かということを身にしみてわかるというもの。その瞬間を私も共有したかったなあ。これ以上の幸せってあるかしら?

危険が多いから喜びもひとしお。危険だと言って雪道を運転しないで終わるのはいかがなものか。だからといって雪道の運転はこわい。うーん、珍しく私がおっちょこちょいになれないのはそこのところなのだ。













2020年12月9日水曜日

スーパーコンピュータ

 性能ランキングで世界一と認定された「富岳」がコロナ対策にも一役買っているらしい。

富岳氏によれば、乗り物のリクライニングの背もたれを倒すと飛沫感染のリスクが増えるそうで、飛行機だけでなく新幹線もバスも同じだという。こんなところまで感染の理由があるのだ。対面する電車の座席などは一番ダメなのではないか。人が人と向き合えないなんて世も末。そのうち猿のように、目があうと威嚇するようになるかも。向かい側の人がこちらを向くとフーッなんて齒をむき出す光景がアチラコチラで見かけられるようになるかも。おお嫌だ。人が進化?して猿になってしまえばコロナに感染しなくなるのではと、儚い希望を抱いている。そうなったら・・・シュールだなあ。

で、馬鹿なこと言っていないで、富岳はその他にもウレタン製マスクと不織布マスクを比べて、ウイルス飛散防止効果がより高いのは不織布マスクだとご託宣をされたそうで、スーパーコンピューターは現代のシャーマンとして人を導き始めた。

私の次兄の専門は数学だか物理だかわからないけれど、大学院時代は東海村の原子力研究所に通って当時のコンピュータを操作?していたらしい。帰ってくると興奮状態で私にその話をしてくれた。わけがわからない私はフンフンと鼻先であしらって聞き流していた。私のような子供に聞かせても理解してもらえないのに、10歳以上年の離れた兄は一生懸命説明する。

「すごく大きいんだよ、部屋全部がコンピュータなんだから」「へえー」ってなもので当時はコンピュータにデータを入れるのに長時間を要したらしく、度々東海村まででかけていた。これは子供の頃のうろ覚えだから、どういう状態なのかはっきりしないけれど、とても大変だったらしい。それなら人が自分でやったほうが早いじゃないかと密かに考えていたけれど、兄の嬉しそうな説明を聞いてあげるのは私くらいしかいないのだろうと思っていた。日頃無口な兄が嬉しそうなのは私も嬉しかったから。

そんなことが懐かしく思い出される。今や子供でも(この私でさえ)パソコンを使いこなす時代だから、そう言う話をしても実感がわかないでしょう。こんな便利なものはないと思うけれど、こんな怖いものもない。すべての個人情報がここに詰まっているかと思うと、これが悪用されたらと心配になる。もうすでに悪用されているかもと思う。

悪いことをすることに快感を覚える人は数多い。自分の額に汗して稼ぐことを信条としている私にしてみれば、ずるく立ち回ってお金を儲けてなにが嬉しいかと思うけれど、人をうまく出し抜いたことで自分の力を誇る人たちがいるのは確か。それも一つの頭脳労働だと思えばわからないでもないけれど、騙された人が不幸になって、それまでして自分だけ幸せになっていいものか。良くないっ!!!猿以下。比べたら猿に悪い。

それにしてもニュートンという人はすごい。当時コンピュータなんてものがなかった時代、今でも通用する物理の法則を考え出していたということに驚愕する。案外人の頭脳は電気ショックかなにか加えるとスパコンなみに働くのではないかしら。なにしろ使っていない領域がたくさんあるというから。

人は筋肉も脳力も限界まで使わないようにプログラムされているらしい。限界を超えると壊れてしまうのを防ぐためと聞いたことがある。だから火事場の馬鹿力みたいにいざというときにそれが取り払われると、おばあさんがタンスを持ち上げたりできるのだそうだ。限界点ギリギリまで能力を使えるようにしたら私だってスーパーマン、家の猫もスーパーにゃんになれる。


2020年12月7日月曜日

関節リュウマチ

私の足はまだ良くならない。かかりつけの内科医と大学病院の整形外科医と血管クリニックでもらった薬は皆同じ、ビタミン12の錠剤と痛み止めだけ。これでは根本的な治療とは言えないからどうしたものかと思案。ぼんやりテレビの健康番組を見ていたら、関節リュウマチを取り上げていた。骨や関節の整形的な機能ばかりを調べていたけれど、もっと内部的な原因かもしれない。しかし、血管の柔軟性、血流には問題なくむしろ非常に状態がいいと数値的には出ている。それでは その他に炎症を起こすことと言ったらリュウマチ?

すぐに調べてもらおうと思ったけれど、コロナ感染拡大の今、病院へ行くのは極力避けたい。しかしこのままではずっと痛みと戦って歩くことも不自由では行動範囲が狭くなってしまう。もちろん行動範囲は年齢とともに狭まってはいるけれど、まだ中国の山間部とか南極とか行ってないところが山ほどある。それらを見ないで人生の幕を閉じるのはいかにも残念。コロナが終わったら・・・いつになることやら・・・ガンガン飛び回りたい。たった一箇所足が痛いだけでこんなに活動が狭まるとは思ってもいなかった。

2年前、ニューヨークに行ったときも足首が痛かったけれど、編上げの足首をキュッと締められるスニーカーを履くと痛みが収まった。けれど今は同じ靴を履いても、もう効果が薄い。筋トレやストレッチで治る範囲はもう超えているから、リュウマチ科のある病院を探した。いつも行く市立病院にその科があるので早速行ってみようと思ったら、診察は月曜日のみ。しまった、今日は月曜日だったのに。

その前に風邪をひいたら咳喘息をぶり返して、軽く咳が出る。今の御時世、うっかり咳をすると白い目で見られるから、そちらの治療を優先することにした。あんなに病院嫌いだった私が最近は病院通い。情けないじゃありませんか。咳はステロイドの吸引がよく効くから安心していられる。

それよりも最近低体温になってしまった。妙に寒気がするから熱が出たかと体温を測ると、むしろ体温が低すぎるのだ。これは食生活と関係がありそうで、足が痛いから少し体重を減らそうとダイエットを始めたのが原因と思われる。カロリーの低いお豆腐や野菜類を摂って肉類を減らした結果。もともと肉食系女子だからお肉大好きだけれど、最近消化する力が弱くなって胃もたれや逆流性胃腸炎になりやすい。糖質を控えて主食は朝と昼のみ、夜は全く炭水化物を摂らない。その結果ノロノロと体重は下がってきたけれど、どうも元気が出ない。

難しいものですね。素人だからカロリーさえ減らせばいいと思うけれど、代謝を上げることを考えないと痩せることはできないらしい。むしろ肉類は積極的に取るべきという説もあるくらいだから。

最近ずっと健康の話題ばかりで自分でも嫌になる。若い頃、周りの中年すぎのおじさんたちが健康のことばかり話題にするのがとても嫌だった。ほかにもっと楽しい話をしてもらいたいと。私はほんの数年前までは体のことには無頓着だった。けれどある年齢から、突然体力が落ちてきた。毎年ガクンガクンと、若い頃のようにゆったりとしたスロープ状ではなく階段を降りるように健康が衰えてくる。これは部品がどんどん古くなって耐用年数を超え始めた証拠。

我が家は築25年を超えてここ数年リフォームを繰り返した。一部を治すと他が目につく。一部だけきれいにしてもそこだけ目立ってしまうから、やはり全部やらないといけない。それで数年かけてすっかりリフォームをした。やっと終わって、これで後10年は安心と思った。そういうふうに体も部品を替えながらいけたらいいのになあと思う。脳みそが取り替えられたらどんなにいいことか。







歩く速さ

 毎日欠かさずだと思う、我が家の前の桜並木の下をゆっくりと歩いている人がいる。私よりかなり年上、社交ダンスでもやっているのか、いつもロングスカートに華やかなフリルやレースをふんだんに使ったブラウス、顔はバッチリすぎるくらいのお化粧。メガネも宝石ピカピカ。すべてが行き過ぎで最初に遇ったときにはぎょっとした。けれど慣れるとさほど気にならなくなって、時々見かけると、ああ、今日もお元気なんだなと。

その人が買い物帰りの私の前を歩いていた。私は最近の足の痛みから以前のように歩けなくなってしまった。一昨年までは渋谷の雑踏の中でもいつも他の人を追い越すくらい早く歩いていた。去年もだいぶ遅くなってもまだ普通に歩けた。それが今年後半からすっかり蝸牛の歩み。それでも今日出会ったその女性よりは少し早い。追い越しながらその人が連れと話す声が聞こえた。なんだか、私の旧姓が聞こえるではないか。

私はこの土地で生まれ育った。変わり者のご先祖様にふさわしい少し変わった姓で、ほとんどこの辺に数軒しかいないと思う。その声を聞いて私は自分のことを言われたのかと思って立ち止まって挨拶しそうになった。そばを通り過ぎると全く相手は気がついていないようで、どうやら私とは関係ないnekotamaさんのことらしい。今は辛うじてその人を追い抜いたけれど、この先追い抜かれる立場になるかもしれない。

以前、渋谷駅からテレビ局に行くため歩いていると、その日同じ仕事をするチェロの女性に出会った。一緒に歩きだすと彼女はとても歩くのが早い。放送局は駅からは少し小高いところにある。渋谷駅からはずっと上り坂。当時は私は健脚で歩く速さには自信があった。けれど、彼女は私より若いせいか大きなチェロを抱えてスタスタ歩く。ああ、やはり若さには勝てないなあ、悪いけど先に行ってもらおうと思っていると、急に彼女が立ち止まった。少し息を切らしている。「あのー、お急ぎですか?でしたらお先にいらしてください。私はゆっくり行かせてもらいますので」笑った!お互いに気を使いすぎていたのだ。

「あら、私もそう言おうと思っていたのよ。若いから足が早いなあって」二人で立ち止まって足を休めて笑い転げた。

そんな時期もあったので、私はまだ早足で歩ける気がしている。それで時々散歩するときにも昔の早足が出てしまうのだ。するとその日は足が攣ったり痛みが激しくなったりするので、最近は慎重にゆっくり歩くようになった。何事もせっかちで我慢ができないので、様々な弊害を引き起こす。ろくすっぽ説明書を読まないで新しい製品を使って壊しかける。ある時乗馬をしていて、股関節が硬い。なかなか足がおりていかないから自分の左手で左の股関節を広げたらメリッと股関節を傷めたのが、今の足痛につながっているのだ。

傷めた当時は今よりもっとひどい状態で、ほとんど立っていられないし、寝ていてもあまりの足のだるさで眠れない。それでも数年経ったらいつの間にか治っていた。その時は左足、しばらくは左が調子が悪かったのに今年になってから右足に移行した。体はどこも繋がっているから左を庇えば右に負担がくる、反対もまた同じというわけで、どちらかが調子悪い。

足が短いのに大きな馬に乗るのがそもそもの間違いだけれど、今でも乗馬をしたい。鞍に座ってしまえば大丈夫なのに、最近は筋肉が弱っていて鞍にまたがることもできない。鐙に足を入れてもそこから先自分の体重を押し上げることができないので乗馬は諦めた。

今は自分の足に筋肉をつけてスタスタと歩けるようになるのが課題。それでもO脚が治ってきたのは筋トレの賜物。もう少し早く歩きたい。それよりステージで椅子から立ち上がれなくなると困るから、立ち上がりの練習しないと。椅子から立ち上がるときにまず足を伸ばしてゆっくり2、3歩歩いてからでないとちゃんと歩けないのだ。ヴァイオリンの練習よりそちらの練習のほうがつらそうだけれど。それにしても上半身はヴァイオリンのおかげでほとんど筋肉は弱っていない。どれほど人間は運動を持続していなければならないかを痛感する。

上半身よりももっと達者なのが口なのは、さんざん他人の悪口を言っているから。意地悪は健康のもとですぞ。






2020年12月6日日曜日

遊びモード脱却

北軽井沢の家を整備するために週替りで通っていたら、たいそう疲れた。本当なら夏の間はあちらにずっと滞在したいけれど、自宅の方にも用事は山積だから猫を連れてせっせと高速道路を走って往復している。その猫だけれど、最近やたらに甘えん坊で表情がますます多彩になってきた。こんなに感情の豊かな猫だったのかと、改めてそれまでの扱いを反省した。

山の家を閉鎖してあと4ヶ月ほどはこちらで暮らすので、労力は半分になって退屈でしかたがない。それで最近はヴァイオリンの練習時間がだんだん戻ってきた。コロナのせいでコンサートがことごとく中止になったとき、もう年齢的にも第一線で活躍するのは無理だと思っていたけれど、来年にはステージで弾けることになって今その企画を練っている。すると急にやる気満々、足の痛みも遠のいて練習時間が倍増した。あまりにもサボっていたから手がだめになっていると思ったけれど、思いの外よく動く。これならまだいけるかも。未練がましいけれど、半世紀以上のルーティーンはそうそうやめられるものではない。

たしかに動体視力は落ちている。楽譜を目で追う速さが遅くなった。これは視力の問題もあるから仕方がない。残された力で最大の努力をしないといけないので、ややつらい。それでも私は他の人達よりも遅く始めた分だけ長く彈くことに決めている。健康状態は良好で、検査結果の数値はとても良い。それだけで本当に健康とは言えないかもしれないけれど、それが頑張りの源になる。

今の私くらいの年齢で引退したのがチェコのヴァイオリニストのヨゼフ・スーク氏。日本での最後の演奏会は完璧で、なぜこんなに素晴らしいのに引退してしまうのかと訝った。けれど彼は世界的な名演奏家、それだけにミスは許されない。私のレベルの比ではないから辛いものがあるのだと思った。会場に足を運んでくれる人たちは、私に世界的水準の演奏を求めて来るわけではない。身近なおばあさんが一生懸命弾いているのを励ましに来てくれるのだから、私は楽しく彈いていられるのだ。私がスーク級の名人なら、もう引退していたかもしれない。

いまや私は人生のフィナーレに突入、この残りの生活をいかに楽しく過ごすか考えている。健康ではあるけれど、体はすでに動きが鈍くなっている。いつ転んで寝たきりになってもおかしくない。これを避けるための運動や筋トレ、何よりも心の持ち方が大切。常に独立した人格でありたい。一人ぼっちは心細い。けれど一人で生きていくと決めたからには心に従って最後までキリリと生きたい・・・と言いつつ毎日気がつくと椅子に座ったままで居眠りをしている。外から見ても中からしても、もう立派なばあさんなのだ。

来年のコンサートは特殊な事情で、一般公開ではなく関係者のためだけのコンサート。時間も少し短いけれど、メンバーは素晴らしい人が集まった。だからすごく楽しみにしている。願わくばコロナ感染拡大に影響されず無事に演奏ができるといい。私の周りのプレーヤーたちにはまだ感染者の情報はない。皆、本当に気をつけて暮らしていると思う。某オーケストラのメンバーは頻繁にPCR検査を受けているようだ。100人以上のプレーヤーが集まるのに感染者がいないということは称賛に値する。私達はその場にいなければ仕事にならないから、健康には必死の思いで気を使う。

やればできるのではないかと思っているのに、今日もまた都内の感染者は爆発的なのはどうしてなのか。オーケストラのメンバーは公共交通機関で集まり、数時間の練習をともにして、2時間の本番を行うから感染の機会はたくさんあると思うのに、皆無事でいる。仕事場でというより、仕事が終わってからの飲み会やカラオケなどがいけないのではないか。それと何回もしつこく言うけれど、Go toキャンペーン、あれはもうどうしようもない失政、あの当時それまでのまま気をつけながら生活をしていればよかったのに、いきなり遊びに行かせてお金ばらまいて、挙げ句の果がこの始末。アホとちゃうか?これでまた自粛生活が始まれば、経済には二重のショックになる。なんのためにあれほど我慢したのか!

万一自分が感染したら大きな口がきけなくなるけれど、こういう時期に我慢のできない人たちって人間性を疑う。感染者が全部そうだとは言わない。医療や介護に従事して不幸にも感染する人も多い。そうでない人の中にマスクを付けない人、手洗いや消毒を実行しない人が感染したとすれば、自分ひとりの行為が周りにひどいことをしていると自覚すべきなのだ。いわんや、こんな時期に旅行とは・・・Go toキャンペーンは感染拡大に一役買っていると思う。

死んだ魚のような目をしている現首相、あの鈍そうな目は数年前まではもう少しマシだった。器としては幹事長が最適で、首相は無理そうな。何もできないで現役引退しそう。私のコーダはこのようにあまり素敵な導入とはなっていない。フィナーレを華々しく終わるには自分で頑張るっきゃない。本当にもういつまでがんばらないといけないの?ゆったりと遊ぶつもりがこの始末。大型犬を傍らに、静かに林の中で過ごしたかったのに。そんな事書くと猫が僻む?このブログを読まれないようにしないと。












2020年12月5日土曜日

大物は叱られない

お笑いコンビの片割れの渡部という人が不倫発覚で謝罪会見をしたと言って今日のテレビは大騒ぎ。あのねえ、コロナが感染拡大しているときにこんなことやっている場合じゃないでしょう。薄っぺらな男が時々涙目で釈明している姿、みっともない。不倫する人は多いけれど、多目的トイレでというのは恐れ入った。だからといってあれほど叩かれるって・・・しかし本人が本当に反省しているとは思えない。反省するくらいなら最初からしないでしょう。結局仕事に復帰したいから形を付けているだけ。普通考えつかないよね、こんなこと。

今朝は渡辺謙が主役のテレビドラマの番宣にご本人が登場した。司会者やコメンテーターなるスタジオ内の人たちはひたすらへらへら。でも私は忘れない。この人が乳がんの治療中の奥さんを捨てて他の女に走ったのを。こんな人でなしにはもう少し罵詈雑言が浴びせられるかと思ったら、いつの間にか火は消されていた。いくら愛情が消えたとしても、なにも奥さんが闘病中にすてるなんて人非人も甚だしい。せめて手術が済んで寛解したときまで待てばいいじゃないの。だいたい渡辺謙は今までも女性遍歴だらけ。それをへいこらとお世辞を言って持ち上げ、かたやもう一方の渡部はどん底までつき落とされる。レポーターと称する人たち、何様なの。

この渡部さんは本当に中身が薄っぺらであくまで自己中で、こんな人の奥さんがあんな可愛子ちゃんでは世の中の男たちは憤懣やる方ないでしょう。しかし奥さんを見ると顔は可愛いけれどしっかりしていて、案外お似合いの夫婦かもしれない。トイレもびっくりしたに違いない。いくら多目的といったってねえ!このトイレでの嫌悪感はすごい。呼び出されて来る女性もなんだかね。

テレビ業界もこんなことに大切な時間を浪費しているようでは世も末。ハリウッド映画に出る大物俳優は不倫しても大して叱られない。まあ、彼の場合は多目的トイレは使わないと思うけれど。このことで二人の力関係が露骨に示された。普通犯罪者などは罪によって同じような量刑になるけれど、個人的な不倫になると、一応犯罪ではないからご本人の世間的な立場で激しく追求されたり隠匿されたり。世間ってそんなものなんだと妙に納得した。ちなみに私が不倫しても猫が騒いでいるくらいの話題にもならないでしょう。え、うそ、ありえないなんて言われるのが関の山。不倫は文化だと言って世の中の女性たちから総スカンをされたコロナにかかった男性タレントがいたけれど、あのくらい開き直ってしまえばもう呆れて文句言う人もなくなる。

池袋で車を暴走させて母子を殺した元お偉いさんは無罪を主張しているらしいけれど、なぜか逮捕もされず全部車のせいにして罰を逃れる算段をしている。こういうのを卑怯者という。いくら高齢者であっても罪は逃れられない。謝罪らしい態度も見せない。有能な弁護士がつくだろうから、刑が軽くなるかあるいは無罪を勝ち取ったりしたら許せない。この人は渡部以下。人でなしとはこういうことを言う。

私なんか高速道路で40キロオーバーで捕まって免停、罰金6万円。これだって車の故障と言ったら許されるのか。いやいや、あなたが故障しているのですよと言われて病院送りされそうな。頭のネジが一つ二つ飛んでいるのは事実だけれど。

このときの講習のテストはバカバカしいほどの易しさ、これで試験を落ちる人がいるとは思えなかったので試験官に訊いてみた。この問題で落ちる人っているんですか?そうしたらいますよと言うから驚いた。例えば「青いリンゴは毒がない」「黄色いリンゴは食べるとお腹をこわすかもしれない」「赤いリンゴは毒があって食べると死にます」「さて、あなたはどのりんごを食べれば安全ですか?」もちろんこの問題は架空のものだけれど、例えて言えばこの程度の問題なのだ。これで落ちる人って・・・運転してほしくない。



 







2020年12月4日金曜日

セコム泣かせ

またやっちまった!

夢の中で電話がなっている。電話に出ようと広いお屋敷の門から車寄せに向けて歩いている。どうやらここはイギリスの上流階級のお屋敷。門を入ると静けさが戻ってきた・・・ところで目が覚めた。夢で電話がかかってきたのだと思ったら、今度は本当に呼び出し音が鳴った。ああ、またやっちまった!

昨日寝る前に隣のレッスン室のセコムを点検しようと思ったけれど、たしかちゃんと外出のセットしたよね?と自分に言い聞かせて寝てしまった。この警報は生活反応の警報。一人暮らしで、万一誰にも知られず意識を失ってそのままになってしまったらいけないので、外出しているというセットがされていず12時間生活反応がなければ警報が届く仕組みになっている。実は前日も夜中に電話がかかってきたばかり。

レッスン室は階段の踊り場を挟んで居住スペースの真向かいにある。だから、ここはレッスンのとき以外は基本的には使わない。昨日は外出したので外出のセットがされている「はず」この部屋は使わなかった「はず」だから外出装置はセットされたままになっているものだと思っていた。思っていたではいけないので、時々夜中に点検しに行ったりすることもある。そういうときにはちゃんと外出セットがされている。昨日も「つもり」だったので寝てしまったら、真夜中の電話が。

外出のセットがされていないで、人が動くことで作動するセンサーが一定時間動かなければ、中で倒れている可能性があるとみなされる。猫が動いても反応してしまうのでは?と訊くと、猫くらいでは大丈夫だそうなのだ。二晩続けてのミスだったけれど、セコムさんは穏やかに対応してくれた。これが家族だったりすると「またほらそんなことばかりしていて」と叱られる。その点うるさい家族がいない分だけ心は平安なのだ。

夢の中のお屋敷は、最近アマゾンのプライムヴィデオで連続で見ているミス・マープルシリーズの影響に違いない。私は熱烈なアガサ・クリスティ~のファンで、すべてのミステリーは読破している。彼女の自伝的な小説などには興味がないので読んでいないけれど。その中でもミス・マープルはシリーズで映像化されているので、何回も見直してイギリスの上流階級のお屋敷に住んでいる気分になっている。

思い出してみると私は若い時からイギリスの映画が好きだった。イギリスの霧の中みたいにもやもやした映像や筋書きやらが性に合っているようなので。アメリカ映画のように色が鮮やかで話が割り切れていてというのではなく、見終わったあとになにかモヤモヤしたものが残る、その余韻が楽しい。フランス物などとも違った皮肉っぽい感じがあって・・・どう言ったらいいかわからないけれど、苦笑してしまいそうになる偏屈なユーモア感があって。

昔「マダムと泥棒」という映画があった。アレック・ギネス扮する銀行強盗と、少しボケていて警察に行っては宇宙人を見たとか言って訴える老マダム。彼女の言うことは誰もまともに取り合わない。銀行強盗団が大金をばらまいたところをマダムに見られてしまう。それでマダム殺害の計画を立てた強盗団4人はお互いに殺し合ってしまい、最後の一人は線路の切り替え装置の腕木に頭を打たれて死んでしまう。大金が残されてマダムは警察に訴えるけれど、まともに相手にされず「それはあなたがもらっていい」と言われて彼女は大金をせしめるという、ユーモラスな映画だった。調べてみたら1955年のイギリス映画、その年には私まだ・・・もう、生まれていた。そうよ、とっくにね。配役の中にピ-ター・セラーズの名前を見つけて驚いた。そんな古い人だったのか。

その映画の中で使われていた音楽がボッケリーニ「メヌエット」。強盗団のメンバーは4人。下宿しているのはマダムの家の2階。そこに楽器ケースを持って集まる。そしてレコードをかけては弦楽四重奏の練習をしていると見せかけて悪事の相談。ところがマダムは親切なのでお茶をいれてくれたりなにかと世話を焼きたがる。そのたびにレコードを止めて言い訳をするときのアレック・ギネスの表情がなんとも可笑しかった。楽器のケースの中には盗んだ大金が入っている。チェロのケースには、いったいどのくらいの金額が詰め込まれるのか、あんなにあったら、野良猫救済の家を建てるための広い野原が買えるに違いない。

子供の時からイギリス映画のほうが面白いと思っていたのは、私がひねくれたユーモアを好む性向があるからだと思う。日本の落語なども一捻りした落ちがあって面白いのに、最近のお笑いは外側で笑わすばかり。たけしなんかは見る影もなく老いて、早く引退なさいとおすすめしたくなる。それって自分もたぶん言われていることかもね。

ところでミス・マープルシリーズ、面白いからおすすめです。なによりもイギリスの田舎の風景がいい。数年前にイギリスへ遊びに行ったときも、映画などで見た昔の景色とあまり変わっていないようだった。この保守的な頑固さも今の時代貴重だと思う。







2020年12月2日水曜日

夜中に思い出すこと

時々ハマってしまうのが掲示板と称するネット上の投稿ページ。見つけたのは、蕎麦の茹で汁を飲んだ彼氏に冷めたという投稿。笑ってしまった。蕎麦の茹で汁って蕎麦湯のことでしょう?れっきとした蕎麦食いの行動。このお嬢さんは自分と違う食べ方をする人(彼氏)を貧乏くさいと言う。けれど、蕎麦の茹で汁にはたくさんのミネラルが含まれていて、茹でる際に蕎麦から出てしまったそれらのミネラルを茹で汁を飲むことで無駄にしない。先人の知恵なのだ。それを知らないということの方がよほど恥ずかしい。

それに対するコメントもひどいもので、蕎麦湯を飲む習慣がない人ばかり。駅前の立ち食い蕎麦ならいざ知らず、ちゃんとした蕎麦やならもりそばを頼めば必ず蕎麦湯を一緒に持ってくる。

どう見ても自分が知らないだけなのにそれが全くわからなくて、周り中から叩かれてやっと気がつく。これなんかも知識不足と言うか、それぞれの家の習慣の違いかと思う。

今日はいつも宅配してもらう蕎麦が届いて美味しく頂いた。蕎麦湯も無駄にしない。残りのそばつゆに入れて飲んでもまだ余った分は、小麦粉と山芋のすりおろしと混ぜてパンケーキにする。これが中々おいしい。ちょっと癖があるので塩加減は少しきつめにする。こういうのもケチくさいっていわれるのでしょうね。

群馬県長野原町の山の中に美味しいお蕎麦屋さんがある。そこはお蕎麦が絶品なのは勿論だけど、蕎麦湯も超絶品、こんなおいしい蕎麦湯飲んだことがない。蕎麦湯だけ別に作っているのかと思うくらい。掲示板の投稿者にこれを飲ませてあげたい。これが蕎麦湯でなくそばガレットになると皆おしゃれ~って言うのでしょうね。横文字にすればいいかな?そばドリンクとかそばポタージュとか。

生まれてはじめてもりそばを食べたとき、なんて不味い!こんなものもう2度とたべないわと思った。その後音大付属高校に入ってから、どうしても欲しい弓があった。それを買うためにスタジオ録音の仕事をしたり、お小遣いを節約して貯金を始めた。昼食は学校の前の蕎麦屋の一番安いもりそばのみ。それがずっと続いた。兄弟が多いから自分だけ高価な弓を買ってもらうのはいけないと思っていた。ある時何気なく母にそれをこぼしたら、母はそれなら弓を買ってあげる、楽器も一緒にと。天にも登る心地だった。うちにそんなお金があるはずはないと思っていたら、就職したばかりの兄のボーナスも全部、私の楽器で消えてしまったらしい。

あれほど私が音楽をすることに反対していた母が協力してくれたのは、娘が必死で自分の力で人生を切り開こうとしていた、そのことに対してのご褒美だったのだと今もすごく感謝している。こんな年になっても母のことを思うと涙が出る。自分は一切贅沢をしなかった。子供のためなら火にも水にも飛び込もうという、たくましい日本の母だった。亡くなって形見分けのとき、私達は母の持ち物のあまりにも質素なことに泣いた。わずかの着物と指輪だけ。私達は自分がやりたいと言えば、母がなんでもやらせてくれた。戦後の貧しい時代に、母は自分は決して贅沢をせず、6人もの私達兄弟を教育してくれた。教育にだけはお金を惜しまなかった。

亡くなる直前まで母の病室に家族がいなかったことはなかった。全員がローテーションを組んでいっときも母を一人にしないようにと。たった1度、私が差し入れた納豆巻きが美味しいと言うから母が眠ったのを見計らって病院の外まで買いに行った。いそいで病室に戻ると母が泣いていた。どこへ行ってたの?と、まるで子供のように。納豆巻きが美味しいと言うから買ってきたのよ。その頃は立場が逆転、私が母の保護者になった。

いくら感謝してもしきれない。私が幸せだったのも母の恵みの暖かさが心に残っているから。いつでも今でもきっと見守ってくれているに違いない。この年になってもまだ親離れできない自分が情けないけれど。









2020年12月1日火曜日

公園から人が消えた

北軽井沢から無事に戻ってやれやれ。森の生活は春まで凍結。ホッとしたような寂しいような。猫も私もあちらにいると呼吸が楽になる。冬の厳しさをもう少し若いときから知っていれば、適応して生活できたかもしれない。あるいは世話をしてくれる人を探してみようか。一日数時間でも手伝いに来てくれる人がいればいい。地元で見つけることも考えているけれど、私はもともと一人でいるのが好きだから、相性が悪い人だと我慢できないかもしれない。

実を言えば最近の健康に自信がない。体に問題はないけれど、足が弱ってきている。万一家の中で一人でアクシデントにあったら、携帯が手の届くところにあればいいけれど、なければ助けを求めることもできない。自宅ではセコムが見張り番をしてくれるから安心して一人でいられる。あるいは、北軽井沢でもセコムを使うことも考えているけれど、たぶん救助がくるのに1時間位かかりそう。自宅では先日5分で駆けつけてくれた。これは私の留守の間のハプニングだったけれど。

ノンちゃんの息子さんが北軽井沢の家に来たとき、高山病のような症状を発症したことがあって、救急車が来るのに40分もかかったと聞いたことがある。それでは間に合わないこともあるでしょう。森の中で深夜、助けが来ても自宅の鍵も開けられない状態だったら困るなど心配のタネは尽きない。

そんな心配してもこの森に住みたいというのはやはり圧倒的に自然の美しさ。四季それぞれの雑木林の変化の魅力は、言葉では言えないほどのものがある。

「ぽつんと一軒家」というテレビ番組がある。高齢女性が深い山の中で一人暮らしをしていたりするのを見ると、なんと勇気があるのだろうと感心する。たいていそういう人には山の麓に家族がいて連絡は毎日とっているとは思う。私のように子供がいないと「兄弟は他人の始まり」で姪や甥にはそこまで頼れない。

それで友人にグチグチと相談したり。それはこのところ風邪気味で体調が良くなかったからでもあった。毎年この時期、私は風邪から気管支炎になって咳が止まらなくなる。去年は最初の風邪でそうなったときに手をうった。咳喘息でステロイドの吸入をして、4ヶ月ほどで治ったので今年も、もしそうなったらすぐに治療を始めようと思う。

まず体力と足の筋肉のために散歩は欠かさないようにと思って、近所の公園にでかけた。いつも家族や犬の散歩で大賑わいのこの公園が、今日は穏やかで温かい絶好の散歩日和なのに、人気がない!隣に中学校があって、毎日野球やサッカーの練習を見物人が出るほどなのに、それも一切なし。どうしたの?何がって、コロナ感染がひどいから?

それにしてもこんなに人気がない公園を見るのは初めてなのだ。柔らかい初冬の光が暖かく降り注ぐ今日のような日に、誰もいない。白昼夢を見ているような気がした。いつも同じベンチで集めた空き缶に囲まれて寝ているホームレスさんまでいない。広場まで行くとやっと3人ほど見つけた。子供の頃読んだSF小説にこんな情景があったような記憶が。慣れ親しんだ場所のはずがいつの間にか別の空間に来て同じ景色に遭遇とかなんとか・・・

そこまでコロナの脅威が及んできているのかと、心底がっかりした。あれほど気をつけていたこの1年間はなんだったのだろうか。アメリカはものすごいことになっているらしい。安心できるようになるまでどれほどの我慢が必要になるのかしら。オリンピック、本当にやるの?

今年最初にコロナ感染が報じられたときに、私はすぐにオリンピックはやめないといけないと思ったけれど、巨額の契約金がフイになる人達は何がなんでも実現しようと画策している。選手だって4年間頑張ってオリンピック参加のこれが最後のチャンスとなると、絶対に出たいと思う気持ちは本当によく分かる。けれど、これでオリンピックを実現すれば日本中が病人で溢れてしまう。お願いだからもう1年延期してほしい。それとも海外の選手は参加させないとすれば、日本人でメダルを独占できる、ウヒヒとなる。そんなうまい話はないかしら。

私のように外に出なくてすむなら感染する確率は低いけれど、毎日出勤しないといけない人たちの危険度と気苦労はどれほどのものかと思う。私でも感染ゼロとは言い切れない。たまたま入ったお店や、たった一駅乗った電車でも感染の危険はあるのだから。通行人に道を聞かれて教えたり、病院の待合室にだっていくらでも感染の機会があるのだから。

バカバカしいほど想像力のない政治家のおじさんたちが、コロナ感染拡大の一端を担っているかも。もうため息ばっかり!Go toが感染拡大に一役買っているのは明白ではないですか?もちろんマスコミもいけない。悪いのは業者ではない。困っている業界は救わなければかわいそうだけれど、なにも少し収まったからと言ってそれっとばかり遊びに行かせた馬鹿な大臣たち。しかも税金使って。もういや!

毎日餌をやっている野良猫がどうやら我が家に入りたいらしい。ところが先住猫のコチャががんとして彼女を拒否している。おとなしく優しい野良だから不都合はないとは思うけれど、やっと私を独り占めできたコチャにとっては大問題。ついにベランダにまで迫ってきた野良の運命やいかに。今後の展開に乞うご期待!














2020年11月29日日曜日

電子ピアノ到着

配送業者から電話で、明日、申し訳ないけれど朝9時ころ伺いますと。申し訳ないどころかおおいに歓迎。私はだいたい5時起きの毎日だから。待機していたら8時30分頃、すでに到着したと電話があって、複雑な森の中の道は説明の仕様がないから、真っ黄色のパパゲーノでお迎えに行くことにした。コンビニの駐車場にいますというからすぐに駆けつけて誘導。家の中はソファーや小さなテーブルやらで混み合っている。このテーブルとソファーの貰い手を探している。前の住人のノンちゃんのことだから、すごく上等なものなので捨てるのには惜しい。けれど、私は自分が使わないものは置きたくない。部屋の広さに余裕があるなら話は別だけど。

運び込まれた電子ピアノは、普段ピアニストの友人宅で見るような立派なものではない。可愛らしく安っぽく見える。それはスタインウエイなんかと比べたら月とスッポン。楽器とも思えない程だけれど、ここでピアノの練習ができるのはありがたい。近所が留守なら夜中でも気兼ねなしで音が出せる。消音もできるかもしれないけれど、なるべくヘッドホンは使いたくない。フィリピン沖で台風に遭遇して苦労した可愛そうなピアノちゃん。船酔いしたのか、音はいまいち。でもソファーが置いてあるよりずっと幸せ感がある。

ノンちゃんのスタイルに反して物がだんだん安っぽくなっていく。まず、立派すぎる食器棚を取り除いてニトリのペカペカ光る安物の食器棚に変わった。これだけでも家具に威圧されている感が消えた。ピアノも本物ではない。食器も軽井沢のアウトレットなどで安上がりに。でも空気の通りは格段に良くなった。物に押しつぶされそうだった部屋が明るくなった。動かない家具が可動になった。

この湿度の多い森の中では本物のピアノは置けない。ヴァイオリンを持っていくときにはエアコンをフル稼働するけれど、私がいない間は切ってしまうから。と、それは口実で本当はピアノが買えるほどお金持ちではないし部屋も狭すぎる。これで我慢するしかない。

ピアノは居心地良さそうに部屋の片隅に納まった。これでベランダの工事がすめばすべての改装はおしまい。軽井沢と追分に心強い手助け人がいて、なにかと助けてもらった。初めての土地で家具店やホームセンターがどこにあるかもわからない。車で連れて行ったもらったり工務店を紹介してもらったり実際に家の片付けをしてもらったり。私は非力で手にほとんど力が入らない。小柄だから高いところに手が届かない。それに生まれついての怠け者。自分の好きなことはせっせとするけれど、そうでないことは気が付きもしない。2年経ってようやく家に馴染んできた。なるべく明るく風が通る家であってほしい。

今朝は早くから目が覚めた。夜明けが待ち遠しい。シャッターを開けるとまだ真っ暗。ようやく薄明かりがさしてきたら、上の方は雲があるのにその下から朝日が登ってきて、息を呑むほど美しい。しばらく経ってから外に出ると、少し高く登ったお日様が木々のてっぺんを明るく光らせている。下の幹はシルエットになって、とても変わったクリスマスの飾りのように。毎日夜明けの光を見ていると、一日として同じ景色はない。毎日が感激の連続なのだ。

すべての照明をLEDに替えたので、私がいる間に故障することはないと思う。こんなに手を入れたのにあと数年通えるかどうか。最後の贅沢をした気がする。ピアノが収まったのですぐに帰宅することにした。日曜日だから午後になると交通渋滞が始まる。それを避けるにはグズグズしてはいられない。嫌がってグズる猫をキャリーバッグに放り込んで、出発。間もなく峠を降りる急カーブが始まった。するとすぐに凍結箇所が数箇所、昨日はここで大渋滞だったのかと納得した。右手に見える浅間山はもう真っ白に雪に覆われていた。管理業者が早く水抜きをと急かすのも無理はない。

予定では明日帰るはずだったけれど、色々考えるとやはり今日のうちに帰ったほうがよいかと。やはりそれは正解だったようで、安定した天気とガラガラに空いた高速道路、その先の環状八号線もほとんど混雑はなくらくらくの運転、いつもこうならいいのに。

これから4ヶ月、4月になったらまた森の中の生活ができる。それまでコロナを避けてじっと家で過ごす日々。雪道の運転さえできれば住み着けるのにと残念に思う。やってみれば案外できるかもしれないけれど、もう自信はない。特に峠越えの急カーブは恐怖でしかない。






2020年11月28日土曜日

雪が降る

 昨日午後慌てて家を出たのは雪の情報があったため。北軽井沢付近の天気予報を見ていたら今朝は雪と出ていた。それは大変。雪道は運転したことがないけれど、私の運転は急加速急ブレーキはめったにしないから、たぶん心穏やかに走っていれば大丈夫だと思う。軽井沢から千ヶ滝を超えたあたりから北軽井沢への山道はいいお天気でも急カーブできつい。まして雪が降ったり凍結したりすれば恐怖そのもの。

今朝は先日入れた食器棚の電気配線をつないでもらうために電気屋さんが来る予定だった。しかし、朝こちらに向かっていいるという電気屋さんから電話があって、いま途中まで来ているけれど大渋滞です。上の方が凍結してつるつるらしく事故があったようなので、配線工事は来春に行きますと。まだ食器棚の固定ができていないからあわよくば電気屋さんにお願いしてみようと思っていたので、あてが外れてがっかり。ま、いいわ、来年誰かがやってくれるから と儚い望み。

明日ピアノが届けばもう冬中来ることはないけれど、どうしても冬の森での生活もしてみたい。都心では最近またコロナがすごいことになっているらしいので、ここにいたほうが安全だと思うけれど、雪のある生活は年取ってから初めてでは無理だと思う。ピアノの配送業者から電話があって、雪がふりそうと言ったらぎょっとしていた。だんだん空が鈍色になってきたので、まもなく雪が落ちてくる気配がする。この森で雪が降るのを見るのは初めてで、それは素敵だと思うけれど、こうしてのんきにしていられるにはいつまでだろう。明日は天気が回復してくるらしいけれど。

今日は電気屋さんが来なくなって暇になってしまった。散歩に出たらすぐに足が痛くなってしまって、ヨロヨロと帰ってきた。本当にだらしなくなってしまった。昨日までは足は絶好調、もうすでに治ったものかと思えたけれど、今朝はぶり返して少しも歩けない。考えたのは、足の運動は歩くだけだとうまく行かないということ。ずっと同じ動作を繰り返すのがいけないのではないかと。その証拠に家の中で忙しく動いて家事をしているときにはあまり痛くない。それは様々な動作の組み合わせだから、ずっと同じ筋肉を使っているわけではない。総合的に体を動かすことがいいのでは?

予定が狂ったのでさて、なにをしようか。そういえばここのお風呂にお湯をいっぱい張って入ったことがない。あまりの寒さで溜めるそばから温度が下がってしまう。満杯になるころにはぬるくなっているし、待ちきれなくて半分もいかないうちに入ってしまう。一度でいいからたっぷりで熱々のお湯に浸かりたい。今日がそのチャンス!

温度設定はいつもは45度。あつすぎると思うでしょうが、タイルの冷たさと気温の低さでお湯が溜まる頃には冷めている。今日は温度設定49度、お湯を出し始めてからゴミ捨て場にダンボールを出しに行ったり気を紛らせながら待機。ごみ捨てから戻ったらお湯がたっぷり溜まっていた。手を入れると熱いくらいだけれどすぐに冷めるからと思って入ることにした。アチチアチチ、流石に熱いけれど入れないほどではない。なによりもこのお風呂でこんなに温まったのは初めてだから感激した。

最近は浮世離れの生活だから、なんでも感心感激する。今朝の日の出の景色は素晴らしかった。落葉樹の林はすっかり木の葉が落ちて、淡いピンク色の雲と青空を背景に裸の木々がシルエットで浮かび上がっていた。晴天ではないからすべての色調が柔らかい。毎朝無事で景色を眺める幸せ、コロナ感染拡大の非常時に穏やかでいられることがどれほどありがたいことか。とりたてて贅沢をしない、一流のレストランにも行かない、ブランド品を買うでもなく海外旅行もご無沙汰、それでも普通でいることのしあわせ。雪の予報を裏切って、すっかり晴れ渡ってきた。

少女時代には私はずっと雲を眺めている子供だった。蜘蛛が巣を張るのをずっと見ている子供だった。今またその時代に戻ったような気がする。





2020年11月27日金曜日

おお、寒い!

 今朝午前中にレッスンをしてから、12時30分ころ家を出た。早く到着しないと北軽井沢の森は真っ暗になる。この時期別荘に住む人達は家を閉める。水道の水抜きをしておかないと水道管が凍ってしまい大変なことになるらしい。だから今は森の中はほとんど人がいない。けれど、今年は特別なのかどうか、やはりコロナのせいか、まだ数軒の家に明かりが灯っている。

猫はといえば、つい先ごろ体調を崩したので心配だった。獣医さんに預けてこようかと考えたけれど、それも彼女にとっては大変なストレスになるから因果を含めて連れてきた。けれど全く心配なく、森の中に入った途端食欲全開、むしゃむしゃと餌を平らげた。なにが違うのかしら、やはり空気が美味しいのか。

暗くなると本当にバックライトの明るさでは車を入れることができない。センサーすら作動しない。先日真っ暗な中、いい加減にバックで停めたらアプローチの両側にある浅間山の溶岩をこすって、車の左側前方にかすり傷をつけてしまった。もちろんハイテクの最近の車は警告音を出すけれど、しょっちゅう出しすぎるので無視。おかげでパパゲーノは早くも中古車の風格となる。しかし、今回は生徒さんに断ってレッスンを端折って家を飛び出してきたから、午後4時前の明るいうちに到着できた。明るいうちにいろいろやっておかないと、手元すら見えない真の闇になる。ドアの鍵を開けるのもままならないほど。懐中電灯は必須なのだ。

寒い!とにかく寒い!猫を家に入れる前に石油ファンヒーターを点火、寝室のオイルヒーターとベッドの電気敷き毛布、ペット用ヒーター、エアコンとあらゆる暖房を一斉に作動させた。やはり大型の石油ファンヒーターの威力はバツグンで、ぶ格好に大きすぎると悪評のほまれ高いファンヒーターは大活躍。エアコンは夏用だから今回は使わないことにした。家が温まって猫も所定の位置でくつろいで、私はホットウイスキーを飲んでいる。

川を挟んだお向かいの家に明かりが灯っている。なんだか安心する。3年ほど前、この森にん人っ子一人いないときに来たことがある。森の中でたった一人は本当に寂しい。それでも人は生まれるときも死ぬときも一人ぼっちなのだから、なれておかないとね。朝の光がさすともう寂しくはない。今は落葉樹が葉を落とし、朝日がよく見える。庭の下を流れる清流を見ることができる。この季節にならないと木の葉が邪魔をして見ることができない。水源地として守られている保護林から湧き出る水は、勢いよく水音をたてて、時には雨が降っているのかと錯覚されるほど。厳格に伐採が管理されていて、許可がなければ自宅の庭の木を切ることはできない。細い下枝以外は管理者の許可が必要になる。

家の中に入ると、先日運び込まれた新しい食器棚が梱包されたままの状態で置かれていた。来るつもりだった配送日の前夜、猫が突然痙攣して大騒ぎ。結局別荘の管理人と追分けに住んでいる友人が立ち会って運び入れてもらった。けれど、本人がいないところで梱包を解いてはいけないという会社の決まりがあるらしく、私は構わないから梱包を解いておいてと頼んでも、配送業者は頑として受け付けない。うーん、全く面倒な。先程到着して梱包を解くと、まあたくさんのゴミが。これを捨てる手間が面倒な。

目の前に立ちはだかっていた不細工な食器戸棚がなくなってすっきり!と思ったら今度は台所が丸見え。すると水回りは常にきれいにしておかないと見栄えが悪い。うまくいかないものだわね。

やっと体が温まってきた。普通ならお風呂で温まればいいのだけれど、この家の湯船は巨大でなかなかお湯がたまらない。湯船はタイルが貼られているのですぐにお湯が冷めてしまう。お湯が溜まった頃にはぬるくなってしまい、しかもタイルはなかなか温まらないから背中がつこうものなら、ヒヤッとして飛び上がりそうになる。この湯船を改造しようと思っているけれど、水場はお金がかかる。しかも家が変形だから湯船を改造するのも難しい。工務店さんに相談したけれど、まだ結論は出ていない。なんたって、そこの社長が放った第一声は「うーん、こりゃあひどい」だったので。ノンちゃんの素敵な家の弱点なんです。










冬の到来

 早く家を閉めないといけないとは思っていたけれど、未だに家具類が収まっていない。まもなく北軽井沢の寒い冬、その寒さったら・・・

水道が凍るといけないから早く早くと管理の工務店さんから催促が来るけれど、あと一つ、電子ピアノの搬入が遅れている。なにも家を閉めるこの時期に買わなくてもいいのに何事も思いつきで行動するものだから、先日楽器屋さんでキャンペーン中で大幅割引、搬送費ただと聞いてつい買ってしまった。冬には家を閉めるからと言って一旦は春になったらと断ったものの、今や電子ピアノは大人気で納品が遅れがちと聞いて買うことにしたのが間違いのもと、もうすでに雪の天気予報が出ているこの週末に北軽井沢まで出かけなければならなくなった。なんでもフィリピン沖で台風が発生して船便が遅くなり、この時期でないと届けられないという。そちらで預かってくださいと言うと、それは困ると。本当なら先週の温かい頃にお願いしてあったのに。

猫は先日の痙攣があったので大変迷ったけれど、やはり連れて行くことにした。最近彼女は夜中に大泣きする。どの猫も大抵そうだけれど、やはり多少ボケ症状?私もまもなく夜中に大騒ぎするようになるかも。私の両親は最後まで頭がはっきりしていたから、私もそうであってほしいとは思うけれど。

自分の歳を考えると、厳しい環境の山の家はそのうち負担になってくるだろうと思う。のんちゃんは90歳近くまでこの家に住んでいた。彼女は心身ともに健康だったのだと思う。私は足が痛くて今歩けない。姉はちょうど私の年齢の頃、歩けないからと言って私の家に来なくなった時期があった。私の家は2階でエレベータなどという文明の利器はないから、階段が登れないと言って猫の世話をしてもらえなくなった。最近また世話を頼めるようになったので訊いたら、とにかく歩くことにして毎日体を動かしていたのが良かったらしく、だんだん元気になったという。私のこの足の痛みも、怠け病かもしれない。コロナ発生以来ますます痛くなったのだから。

スキーのお誘いが来る。シーズン中に是非一度は行きたい。平日のホテルにシングルで泊まれば、スキー宿のクラスターを避けられるというわけで、実際そうしている人がいる。毎年絶対に滑ることを自分に課していたので、今年もひっそりとシングルで滑ることにした。毎年のグループでのレッスンは中止、あとは混んだバスなどに乗らずなるべくタクシーとなると、ちょっと懐は痛い。けれどあと何シーズン滑れるかと考えると、多少のことがあっても無理しても行きたい。

じつは北軽井沢の家のそばに小さなスキー場があるらしい。気がついたのは今年秋。ノンちゃんもお隣さんもスキーは卒業していたから、そのことは話題に上らなかった。ただし、この家に来るには急な上り坂を登ってこないといけない。普通でも運転が大変なのに、これが凍ったらと思うと恐ろしい。先日工事をお願いした電気やさんに訊いたら、スタッドレスを履いていれば大丈夫ですよ、でも下から上がって来るのが大変だなあ、と。でも自分の庭みたいなところに初心者用のゲレンデがあるってのは素敵!だれか運転してくれる人がいれば毎日1時間位軽く滑ることができる。送迎してくれる人はいないかなあ。冬は農家も暇そうだし、真剣に探せばいるかもしれない。

今年は家を整えるのにたいそう時間がかかった。工事や家具探しに追われた。もう少し若ければこの先数十年住めるけれど、もう数年しか来られないだろうと思うと、次なる住人を探そうかと思っている。この家を大事にしてくれる人、できれば音楽が好きな、あるいは演奏する人、あるいは学問の好きな人、あるいは動物をかわいがってくれる人。ノンちゃんの遺志が継承されていければ嬉しい。

数年前、私は悲しみのどん底にいた。最後にノンちゃんまで失って呆然としていた。それがこの家を受け継いで自分の思い通りの形にしているうちに、いつの間にか癒やされていた。いわば、この家は私のカウンセラーだった。自宅にいても、毎日北軽井沢の森の景色が目に浮かんだ。ここに来るたびに、森は毎回違う顔で出迎えてくれた。あるときには新緑、今頃は落ち葉と紅葉、ときに激しい雷や夕暮れの優しい陽の光に包まれる。

森と対面していると何もしなくても豊かな心になれる。コロナがはるか遠い国の出来事のように思える。自宅に戻ると現実が待っていて、毎日の感染者数が確実に増えているのを知らされる。森の家にはテレビがないから、世間の出来事は全くわからない。政治家のおじさんたちが否定するけれど、go toキャンペーンは絶対に今の感染拡大につながっていると思う。もう少し待てばよかったのに。緊急事態宣言を撤回してもgo toなんかしなければよかったのに。今は誰でも本当に大変な時というのはよく分かるけれど、なにもわざわざ感染拡大に手を貸すことはないのに。拡大が収まらなければいつまで待っても経済は良くならないのがどうしてわからないのか、このスットコドッコイ共!

私も大勢の仲間達とスキーを楽しみたい。毎年お正月、天元台に40人とか集まって、それはそれはにぎやかだった頃が懐かしい。ピアノが来たらピアノ弾きにも来てもらえる。弦楽器奏者はいつでも集まれる、ここに毎日音楽が響くようにしたい。春が待ち遠しい。

とりあえず今日午後、北軽井沢に向かって出発!日が落ちる前に着かないと、車をバックで入れられない(バックライトが役に立たない)ほどの真の闇だから慎重かつスピーディーに。本当に暗いのですよ。








2020年11月16日月曜日

コチャの秘密

コチャは推定年齢19才。拾われて不妊手術をしたのが18年前だから、少なくともその数ヶ月前に生まれているわけで。近所を散歩していたときに目の前を横切った若猫、いきなり私の足元にゴロンと倒れ込んできた。仰天して慌てて家に連れ帰り、その日から飼い猫になった。

当時うちでは3~4匹の猫が常時いる環境で、時には5匹超え、最後に拾われた彼女はいつもミソッカス、唯一の雄猫の玉三郎が私にベッタリと張り付き、すごい噛み癖のあるジャコと陽気で人懐こいナツメと賢く優しいモヤの3匹のメス猫もいたのに誰ともつるむことなく、孤独で気難しく一人押し入れに隠れて生活してきた。目立たず騒がず孤高の猫の立場を貫いていたので、私もあまり干渉しないでいた。

数匹の猫はほとんど同じ時期に拾ったものだから、最近次々と時期を同じくして死んでしまった。そして最後に残ったのがコチャだった。それまでほとんど構ってもらえなかったから接し方がわからない。で、私は今まで構わなかった分、思い切りかわいがった。最初は戸惑っていて抱っこしても体を固くして突っ張っていたのが、だんだん力が抜けてきた。今では私の姿が見えないと探し回って鳴く。家中と言っても全く広くないから私がいるのは気配でわかりそうなのに、傍に行ってやらないといつまでも呼んでいる。目が少し悪くなっているかもしれない。

そのコチャが突然痙攣を起こしたのが数日前の午前2時ころ。いままで飼った猫たちは全くそういうことはなかったのでびっくり仰天して、夜間の救急病院へ連れて行った。検査の結果はどこと言って悪いところはない。しかも病院についたときには発作はすでに治まっていていつもの鳴き声で抗議している。獣医師が言うには、内臓はどこと言って問題はないけれど、脳腫瘍や脳炎の疑いがあるから検査入院させましょう。そこまでの検査ですでに高額な治療費がかかっていたので、お断りした。猫にそれほど高い治療費をかける気はない。自分にだってかける気はない。

コチャはというともう普段と変わらず早く帰ろうと私を急かす。そうだね帰ろうね。

家に帰ったコチャはむしゃむしゃと餌を食べ、いつもの3倍位の食欲で出すもの全部平らげた。はてな?いつもこんなに食べないのに・・・月曜日になるのを待ってかかりつけの動物病院へ相談に行った。

そこは古くからの知り合いの病院で、先々代の先生からうちの猫たちはお世話になっている。おじいちゃん先生、長男先生と次男先生、今は長男先生の息子さんとそのお嫁さん先生。いったい何匹の猫がここで治療を受けたか数えられないほどだった。

痙攣を起こして救急病院へ行ったことを話し、もらってきたデータを見せると「別に悪いとこないよね、あっ、膀胱穿刺してる」と先生。おしっこの検査をするために採取したらしいけど、押せば出るのにとも言う。痛かったでしょうねかわいそうに。これでいくらかかったの?治療費の金額を聞いて笑っていた。今度からここへ行きなさいと渡されたパンフレットは以前にも紹介された夜間動物病院。今回そこへ行かなかったのは、コチャが痙攣しているのを見て命に関わると思ったから。一刻も早く治療をしてもらうためだった。

痙攣している時間を訊かれたから5分くらいと言ったら笑われた。そんなわけないよ、せいぜい30秒くらいでしょう。でも私にはとても長い時間に思えたのだ。5分も続いたら死んじゃうよ・・・だそうで。

その次の日にはコチャはいつもよりずっとたくさん餌を欲しがった。いつもは食が細くレトルトの少量の餌も半分残すほど。それをぺろりと3個平らげカリカリもかなりの量を食べた。それはやはり痙攣して体力をたくさん使ったからで、痙攣が終わってから床に置くとぐるぐる回るのは目が回って一時的に平衡感覚が損なわれるからだそうなのだ。回転するのは平衡感覚を取り戻すためだと。

脳波の検査やMRI検査などは、次にもし発作が起きてからでいいでしょう。今元気ならそれほど心配はいらないと言われて胸をなでおろした。

今まで発作を起こしたことはなかったの?と訊かれ返答に詰まった。そういえばコチャのことはほとんどわかっていなかった。いつも押入れに隠れていたし、他の猫は必ず部屋のどこかにいて私の目が届いていたのに、彼女だけはたまに餌を食べに出てくるだけ。密かに私の目の届かないところで痙攣していたかもしれないと考えると、不憫な思いがこみ上げる。最初の出会いがそもそも、私の目の前でゴロンと地面にひっくり返ったのだって、もしかしたらそういうことだったのかもしれない。

彼女は私の愛情を独り占めしている今が一番幸せなのかもしれない。人間で言えば今92歳だそうで今まで目をかけられなかった分、目一杯可愛がってあげよう。長いこと押入れの中で一体何を考えていたのかしら。体調不良になると押し入れに隠れてしまうので、よくわからなかった。コチャ!はっきりものを言いなさい。気分が悪かったり寂しかったら玉三郎みたいにうるさくつきまとっていいから。







2020年11月15日日曜日

go toのせい?

以前にもましてコロナ感染者が増加しているという。これってgo toのせいではないの?

少し感染者が減ったからと言って一気に旅行させるように仕向けたのはだれ? 考えただけでもわかるでしょう。浮かれて騒いで飲んだらマスクなんか邪魔だからとってしまう。これで感染が収まるわけはない。頭の悪そうなおっさんが観光業界を救うために打ち上げた花火。その政治家は観光業界に属している。実は自分たちのためだけしか考えていない。けしからん。

しかし、それに乗る方も乗る方。少しばかり安くなるからと言って、家族揃って浮かれて出かける。助成金が出るから使わないと損した気分になるらしい。本当のこと言えば、自分が汗流して働いたお金で行くほうがよほど気分がいい。誰かにお金もらっていくのって嫌じゃないですか。しかもそれは政治家がポケットマネー出すのではなくて、みんなが納た税金でとなると、私はあまりいい気分にはなれない。それも政治家たちの身内を潤すだけで、本当に困っている中小企業や自営業の人たちには恩恵が少ないような気がするけれど。

どこかへ行かないと面白くない?うちで静かにしているのは面白くない?私だって無類の旅行好き。だけどこういうときに出かけるのは馬鹿だと思っている。言い方わるいけど、自分の頭の中で楽しむことを知らない人たち。こういうときは知的に遊びましょう。疒付きでない知的ね。痴的ではなく。ホストクラブやキャバクラなんて行かないで。だいたいああいうところへ行かないとちやほやされないのは、あなたに魅力がないからなのよ。

「お前さんにゃ言われたくない」と言う声がしたような。空耳かな?

そういう所に行かなくても思いもかけないところで感染することは十分考えられる。今日は買い物に出て途中で足が痛くなった。公園内では石垣やベンチに座って足を休めるけれど、商店街ではおいそれと座れるところはないから、コーヒーショップに入った。隣の席との距離は数十センチ。この店では座席の数を減らしていないから、客同士は近い。足が休まったのでそそくさと出てきたけれど、この間10分と経っていなくても、とりつかれたかもしれない。もちろん帰宅してマスクと手をしっかり洗ったけれど、気休めかもしれない。一番いいのは北軽井沢の森の中でじっとしていることなのだ。

本当のコロナの怖さはこれからわかるかもしれない。爆発的に感染者が増えている欧米は再びロックダウンが始まっている。とにかくこの病気が収まらない限り経済は絶望的なのだから、まずどんなことをしても病気を治さないといけない。こうなったら何がなんでもコロナ退治をしないといけない。go toはその後でないといけなかったのに。心配したとおりになってしまった。

カツカツの生活ができれば良しとしないと、以前のように豊かに暮らそうと思わないことにした。私が若い頃は貯蓄は底をつき家中探しても出てきたお金は五百円。それでも何も辛いことはなかった。もう笑うっきゃない。恥じることなんて全然ない。胸を張って生きてきた。お金はあれば素敵、なくても他に素敵なことはいくらでもある。私の食費は猫より少ないと思う。猫は贅沢で、あれは嫌これはまずいと食べない。私は多分ホームレスしても生きていけるくらい好き嫌いなくなんでも美味しく食べる。今どきのホームレスさんは口が肥えていると聞く。銀座の一流店の残り物をもらって「あそこは最近味が落ちた」なんて言っているらしい。私は一流店なんてめったに行かないからわからない。

山あり谷ありの人生、こういう時期もあるさ。いちいち反応せずトータルで考えれば、こんな平和な日本に生きて底辺とはいえ餓えもせず、ちゃんとした教育を受けさせてもらって健康で生きていられるならなにも問題はない。私が一番必死で働いたのは60才過ぎてから。当時父親がなくなって家のローンがドサッとのしかかってきた。その額たるや身震いが出るほどだった。毎日預金通帳をベッドの上に並べてため息をついていた。睡眠時間は2~3時間、耳鳴りが収まらなかった。明日は目が覚めないかもしれないと本気で考えていた。突然死の言葉が脳裏を過る。ようやく危機を乗り越えたときには心底ホッとした。その後はすこぶる健康。

その一番大切な健康が今コロナの脅威にさらされている。これが最大の問題。そのために何をしなければならないか、よく考えれば忍耐しかないということ。昔、竹槍訓練しながら唱えたでしょう、欲しがりません勝つまでは、って。

え、知らない?おかしいな。










コチャの一大事

 うちの大切なお姫様コチャは人付き合いの悪い気難しい性格。せっかくそばにフカフカの柔らかい布団があるのに、好き好んでクローゼットの巣穴に隠れ住んでいる。家具の配送を頼んであった北軽井沢に行くために、今朝の2時ころから準備を始めた。3時に出れば夜明けに着いて、家具が受け取れる。受け取ったらKさんと山を降りたところにあるハルニレテラスに行くつもりだった。クリスマスの飾り付けが始まっているのでそれを見ようという約束だった。

2時前後、なにか大きな音がした。コチャのいるクローゼット付近。なにか落としたかな?すぐには静かにならないから何事かと行ってみたら、ぶら下がった衣類にコチャが爪を引っ掛けてもがいている。彼女は爪切りが大嫌いで、切ろうとするとうねうねと体を動かして、どうしても切らせない。特に親指の爪は伸びると肉球に食い込んで痛そうで、何回も挑戦するけれどなかなかきれない。獣医さんの前でガチガチに緊張しているときしか言うことをきかない。

その伸びた爪のせいでもがいているのかと思ったら、どうも様子がおかしい。目がギラギラして変な鳴き声。口からよだれが垂れている。2日ほど前からお腹を下したり吐いたりして、調子が悪かった。そのせいで出発が遅れてギリギリ今朝早くになってしまったのだ。どうも尋常ではないから抱き上げて抱きしめると少し落ち着くようだけれど、床に下ろすとぐるぐるその場で回っている。こんなことは長年多頭飼いで数え切れないほどの猫を見てきたけれど、初めてのことだった。私もパニックになって声も出ない。しかし今が爪切りのチャンス、抵抗なく爪が切れた。本人は爪を切られていることすら気が付かないようだ。

落ち着け落ち着け、と自分に言い聞かせる。この夜中に開いている病院は近所の救急動物センター。ものすごく高額な診療代金を取るので有名。うちの猫たちもやむを得ずそこのお世話になったときには、目玉が飛び出るほどの診療費、例えば他の夜間動物病院などの2倍以上の診療費を請求された。わかっているけれど、一番近いのはそこで、一刻を争うような病状なら仕方がない。とりあえず、行こう。

受付の後で費用の提示があって、切羽詰まっているから涙を飲んだ。しかし症状はすでに収まっているらしく、鳴き声はいつものトーン。本人を見せてくれないから様子がわからない。検査の結果は取り立てて悪いところはなくて、もう少し検査をすれば神経系統、あるいは脳腫瘍などの疑いがあるという。しかし、ずっと昔猫を飼い始めた頃この病院で、なおこちゃんという子が脳腫瘍を手術して結局帰らぬ猫になった記憶が蘇った。その時の可哀想さは今でも胸が痛む。余計な治療をするのではなかったと。なおこちゃんは本当に家から一歩も出ない箱入り娘。それが医療器具の光った病院でどれほど怖い思いをしたかと思うと、自分を殴りたくなる。そっと送ってあげればよかったのに。

それ以来猫たちは、自然に衰えていくのを見守ることにしていたのに、パニックになってまたこんなところへ連れてきてしまった。このまま入院させるようにという獣医師のすすめを振り切って連れ帰ってきた。いつものやさしい獣医さんに診てもらおう。猫のことになると私はうろたえてばかり。いつもの呑ん気さは影を潜める。彼らは言葉ができないから、今どんな具合なのかわからない。今は大きな声で鳴いているから、命に別状はなさそうだし、声も普段どおりの声になってきた。とにかくこの金儲け主義の病院を脱出しよう。

ここの病院は獣医師たちの間でも呆れるほどの高額の治療費で、それに呆れた複数の獣医師たちが集まって夜間診療を行う病院が他にできた。そこは私の家からは少し遠い。一刻を争うと思ったから、また来てしまった。かかりつけの獣医さんは私がここへ行ったと聞いたら、呆れると思う。検査のデータをもらって明日からはいつもの病院へ行こう。帰宅したのが午前5時ころ、それから今日家具を配送してくれる業者に連絡、別荘地の管理会社に連絡、一緒に遊ぶ予定だったKさんに連絡。なにをどうしていいかわからないけれど、とりあえず皆にメールを送った。やっと眠った。

目が覚めると8時、配送センターからの連絡に事情を説明して、自分は行かれないこと、別荘地の管理人に立ち会ってもらい荷物を家に運び込んでもらうなど依頼。管理人からも承知した旨のメールがあってホッとした。追分のKさんから私の家に行って業者さんの運び込みや家具の配置のことなども手伝ってくれるという。みなさんありがとう。だれもが親切で協力してくれるのだ。パニクっている私のシドロモドロの説明もなんとかわかってもらえた。

ああ、疲れた!コチャはもう普段どおり、あれは一体なんだったの?突発的な発作だったのか。今日は日曜日でかかりつけの獣医さんはお休みのようで電話に出ない。明日一番で診察をうけるけれど、大勢の人を巻き込んだ騒ぎにもコチャは知らん顔。全く猫ってやつは!

実は業者さんや管理人さんたちには急病人が出てと言ってあるけれど、急病にゃんとは言ってないので、どうかご内密に。











2020年11月14日土曜日

冬支度

 北軽井沢の家はそろそろ閉めることにした。寒冷地仕様の温かい家だけれど、道が凍る、雪が降るでは車の運転が心配。本当に若い頃から雪道を運転しておけばよかったと思う。今の私の筋力ではなにかあっても自分一人ならともかく、猫とヴァイオリンをかついで避難できない。チェーンを巻くということも不可能。案外と臆病なので今まで雪道の運転をしたことはなかった。日産の担当者からJAFの講習受けたら?と随分前に言われたことがある。そうね、そのときは超絶忙しく仕事をしていたので、気持ちはあっても暇はなかった。今はひまなのにJAFの講習はもうなくなってしまったそうなのだ。思い立ったらすぐにやるべきとわかっているけれど。

撤去してしまった食器棚の代理品が北軽井沢の家に明日届くので、昨日の夜か今朝早く出かけるつもりでいたら猫が体調を崩した。ひどく吐いておまけにお腹を壊してトイレに通いつめている。時々この猫はこういうことがあって、以前にもこのまま天国かと思っていたら獣医さんの点滴で回復したことがあった。その都度獣医さんのお世話になっている。今回も昨日の朝点滴をしてもらった。なぜかひどく猫の機嫌が悪く、珍しく獣医師に吠えたようだ。なんか怒ってるよと先生。いつもは猫かぶっているのに、私にも目をランランとしてフーフー言う。どうやら外猫のノラがうちのベランダまで遊びに来たのが気に食わなかったらしい。しばらくご機嫌取りに大童だった。

一回で治るかもしれないけれど違う環境で悪化すると困るから、念のためにもう一度点滴をしてから出かけることにした。今朝治療してもらい、さて出かけようとして高速道路の情報を見たら、鶴ヶ島付近がずっと渋滞。故障車が居座っているようだ。点滴をすると大量の液体が体に入るので、猫はトイレを我慢できないかもしれない。トイレが済んだら出かけよう。数時間待ってもう一度情報を見ると、ますます渋滞が延びている。もう行く気は失せた。それなら明日早朝に出ることにしよう。

いつも真夜中に目が覚める。本当に寝起きがいい。でも世の中は午前2時。音を立てるのもはばかられる。外を徘徊していたら保護されそう。だからそこが一番余裕のある時間帯で、2時は無理として3時に出れば6時過ぎに到着する。これが一番効率的、ただし霧が出なければのことで、時々朝霧に悩まされることもある。暗い時間に車を出すのはちょっとまわりを伺ってしまう。あのうちはとうとう夜逃げかしらなんて・・まだ今日中に出かけるのぞみを捨てていないから、道路情報を見ている。あと1時間位で渋滞が解消すれば、本当は今日中に着きたい。でも、もうモチベーションが下がってきた。休息モードに入ってしまった。

明日の午前中10時過ぎに食器棚が届くと、家具やさんから連絡が来た。毎日夜中の2時に目が覚めるのに明日に限って寝過ごしたらどうしよう。案外と気が小さくて心配性なので、長年の仕事で自分が原因の遅刻はしたことがない。あれほど忙しかったのに、この氣の小ささが幸いした。それで、旅の仕事はできる限り前日に現地入りする。

食器棚が届いたら次は26日に電子ピアノが来る。ノンちゃんが待ち望んでいた、このうちでコンサートがしたいというのぞみが叶うのに。生きていてほしかった。聴いてほしかった。ピアノは先日河合楽器に行ったら、キャンペーンやってますと言われて大幅割引と配送料タダというのにつられて衝動買い。この家に関することは、もうこれで全部の準備ができた。あとはひたすらコロナ感染が鎮まって春が来るのを待つ。聴いてくれる人がいなければコンサートにならない。

毎回北軽井沢に行くたびに、ノンちゃんの好きだった庭の大木の下に花の苗を植えている。木の下にはノンちゃんも眠っている。毎朝起きるとおはよう、時々、この家を残してくれてありがとう、夕方、おやすみなさいと語りかける。そのたびにあのおおらかな太陽のような笑顔が目に浮かぶ。今年はこれでそろそろ店じまい。来年もなるべく早く来ますね。いつも「ねえ、nekotamaさん、いつ来るの?」と言っていたっけ。

誰にも弾いてもらえずに寒いところに一人でぽつんといるピアノが哀れ。家をしめるのはもう少し後でとも思うけれど、水道管が破裂したらあとがおおごと。やはり管理人の言うとおりにしないといけないかなあ。春が待ち遠しい。






元気になりました

 コロナのせいで長いブランクがあって、もうヴァイオリンでステージに立つことはかなわないと思っていたけれど、来年の予定が一つはいったらもう元気百倍。現金なものです。

やはり私達はステージが命、アンサンブル好きがこうじてプロになってしまったのだから、大げさに言えば生きる源、3度の飯が食えなくとも弾いていたい。いえ、食わないと死んじゃう。でも私がプロになった頃には食べていけないほどの貧乏オーケストラ、若かった当時は意気軒昂たるもので自分がいなけりゃこのオーケストラは潰れるくらいの意気込みだった。経済的には本当に無駄なことだったとは思うけれど、その御蔭で少しくらいの貧乏は全く意に介さなくなった。

強い人になれました。これほど強いと人を食って生きていける。叩かれ強いと他人から言われる。何を言われても柳に風と流せる。

ひとつ後悔することは、やはり留学すればよかったということ。今からでも遅くはないといわれるけれど、例えばひどく寒いベルリンとかパリとかで足が痛くなって野垂れ死にしそうなときに、果たして言葉がわからなくても死なないだろうか。ある指揮者が冬の夜、迷子になって危うく凍死寸前だったとか、ヴァイオリン製作者がクリスマス休暇中のパリはお店が休みで餓死寸前だったとか聞かされると、日本のように夜中までコンビニが開いている国は天国だと思える。フランス人はマスクをしない。ニューヨークでもマスクをしない権利とか言う人が多いとか、やはり私はそういうことが生理的にだめ。そんなことを言っているからいつまでも日本から離れられない。若ければまだしも、この歳でねえ。もうすぐ天国という留学先が待っているのに苦労したくないというのが本音。日本にいても随分本場の人たちと彈くことができたから、良しとするか。

最近ピアノの生徒が来るようになった。私とモーツァルトのソナタを合わせてほしいというわけで、彼女は月イチで通ってくる。最初驚いたのは、あまりにも雑な音の出し方。バチンバチンと鍵盤を引っ叩く。あのねえ、鍛冶屋さんじゃないから、鍵盤を叩かないでというとキョトンとしている。彼女は大学の音楽学部出身。今はYou Tubeでいつでも演奏家の動画が見られるから、名人の動画を見てご覧、そんな叩きつける彈き方している人はいないでしょう、手の動きを観察してと言うと次のレッスンのときになるほどそうですねと言う。初めてそんな事言われましたって・・・・・助けて~

椅子の高さ、座り方、手と鍵盤の関係など、いちから説明を始めた。私はピアニストでもないのになにを偉そうにと自分でも思うけれど、なんでも運動の理屈は同じ。なにをやってもフォームが良くないといい結果はでない。理にかなった運動が必要なのだ。鍵盤は叩かないで。叩くことがあればそれは表現が要求するときだけ。普段は置いた指を下げればいい。響きを止めるような馬鹿力はいらない。

いつもしっかり彈きなさいと言われていましたと。強い音を出して遠くに届くようにとも言われたそうで、遠くに届く音は響きであって打鍵音ではないと説明。あ~あ、こういう教え方をしていて高い月謝がもらえるっていいなあ。私も先生稼業すれば今頃は自家用機で旅行して歩けるさ。トランプ「もと」大統領のようにコロナにかかっても退院するときに凱旋将軍のように振る舞える。それにしてもあのひとはどこまで我をつらぬくのか、普通なら恥ずかしくて当然の振る舞いを平気でするあの神経、爪の垢でも煎じて飲みたい。おや、だれか?煎じて飲まなくてももう十分と言ったわね。

アルゲリッチの弾き方見ているとかなり叩いているように見えても彼女の手は柔軟で、ある一定の限界を超えないギリギリの線でけっして響きを止めていない。そのために表現が大きく豊か。天才だからと片付けてしまってはお終いで、非常にバランスがとれていると思う。あの上辺の形だけ見て真似するのは危険。日本のかつてのヴァイオリン界の教え方がそうだった。外側から見た形を教えられたので、私達は随分無駄なことをさせられた。先生方を恨むじゃないが、もったいない時間だったなあと思う。先生たちも試行錯誤だったのではと思う。スポーツ界だってそういうこといっぱいあったと思う。マラソンで水飲むなとか。発展途上で色々あっても技術は日々進歩している。まず力まない。体の関節を柔らかく。

前述の彼女、最近音が変わり始めた。時々だけれどヴァイオリンとハモる。ほらね、アンサンブルはね、楽器同士が響かないといけないのよ。あなたはあなた、私は私ではなくて一緒に作り上げていくものだから、長い年月をかければかけるほどよい音になる。楽器だってお酒だって一緒なのだ。

結婚生活とよく似ている。全く違う人生を歩んできた同士が一緒に住む。これは絶対に軋轢があるに決まっている。最近の若者達は(これはお決まりの年寄のセリフだけれど)そこの我慢ができない。お互いにそれを乗り越えられるだけの愛情が必要なのに、愛されることばかり考えて愛することをしない人のなんと多いことか。自分のやり方に相手をはめようと躍起になる。それではだめ。二人で新しい人生を築くことが目的なのに。

全く違う世界、それはアンサンブルとよく似ている。一人では50しかできないことが、二人だと100になる。どちらが主導権を握るかは、それぞれの場面による。あるときは自分がメロディーを、あるときは伴奏を、あるいは全員で同時に歌い上げる、人生のアンサンブル。

私の家庭生活は概ね幸せだった。それは夫の犠牲のもとにと友人たちは言うけれど、私だって非常に努力した。傍目には私が主導権を握っているように見えても、実際は頑固な夫の柔和な外面に騙されていたのも知らないでね。彼はなくなる直前は毎食「これおいしいね」と言ってくれた。雑な料理だったのに。その優しさが涙を誘う。他の欠点が見えなくなるコツ。そう言われたら本当に美味しく作ろうって気になるじゃない。彼が居なくなって私はずっと体半分なくしたような喪失感に襲われていたけれど、そろそろ大丈夫になろう。一人で暮らす覚悟はできた。









2020年11月7日土曜日

やせ我慢

私は超薄着。真冬のスキー場のゲレンデでも着ているものはタンクトップと薄いウールのセーターとダウンのヤッケのみ。最近は時々下着のシャツを着るようになった。

足が痛くて気がついた。未だに夏用のダウンの肌掛け布団を使用していることを。これじゃ冷えるわ。野蛮人ここに極まれり!私の家は奇人変人の巣窟、遠いご先祖から私の兄まで変な人揃い。兄だけでなくもちろん私も少し変。兄は温かい日にコートを着ていることを母から注意されたら、次の日から寒くてもコートを着ない。頭の中は数学だらけで寒暖に対する神経が抜けているらしい。私も同様、春が来て暖かくなっても冬の厚手のコートで高校に行ったら、友人が暑苦しいと言って怒るまで暑いことに気が付かなかったということもあった。私達兄妹は変!

どこの整形外科に行っても同じ診断、同じ処方箋、それで今日は四谷の血管クリニックに行ってみた。インターネットでヒットした足の専門医。足の血管の血流が悪くなって、静脈瘤ができる・・その方の専門らしい。私の場合静脈はまだ浮き出ていないけれど、その前触れとなるしびれや足攣りなどが現れているから、もしやと思って予約を入れた。けれど、血流は静脈・動脈ともに優等生。どこも悪くなくて痛みやしびれが出るとは思えないけれど、今のところ原因はまだつかめない。そして、またしても同じ薬が処方された。少し違ったのは、そこで弾性ストッキングを勧められたこと。

弾性ストッキングと最初に聞いたとき、男性用のストッキングかと思った。なんじゃそれは?看護師が履かせてくれた。非常に弾力があって履くのが大変。履き方にコツがあって数回練習してなんとか履けるようになった。だから脱ぐのも大変。

帰宅して昼食を摂るとすぐに眠くなって、そのストッキングを履いたまま寝てしまった。夕方目が覚めて説明書を読んだら、履いたまま寝てはいけないと書いてあった。やれやれ、失敗した!その頃まではなんの変化もなかった。しばらくして気がついたのは、椅子からすぐに立ち上がれたこと。いつもなら、立ち上がってから少し準備して歩くことを自分に言い聞かせないとあるき出せない。でも今日はそのことをすっかり忘れてしまうくらい、すぐに歩けるようになった。やはり運動不足で、自分では気がつかないけれど、血の巡りがわるかったのかもしれない。今日から冬用のかけ布団に切り替える。世の中の人はとっくにそうしているに違いない。

しかし、明日散歩に出てからでないと、弾性ストッキングの効用は確認できない。果たして効き目はあるのかどうか。結局内科と整形外科と血管専門医とかかって、同じ薬をもらってきた。原因は果たしてなんなのかは未だに不明。患者が少なく空いていたからプラセンタの注射をしてもらってきたので、明日は美しくなっているかも。乞うご期待。

帰宅して郵便ポストを見たら、ステージドレス専門店「メイミイ」からのはがきが届いていた。私はこの店は開店当時からの客だった。18年目にコンサート用のドレスを選びに行ったら、オーナーのめいみさんが「nekotamaさんは18年もずっと来てくださって」とお礼を言われたことがあった。それからまた6年たった。

ある時「nekotamaさんは招き猫なのよ」と言われたこともあった。私がそこへ行くと必ず他の人達が入ってくると。自分では全く気がつかなかった。「ほらね」階段を降りてくる足音がして、ほんとだ、ぞろぞろ入ってくる。いつもそうだった。

悲しいことにコロナの影響でこの店も閉店するという知らせだった。いつも大事なコンサートではこの店のドレスを着た。めいみさんが選んでくれたものは着易くて着映えがして、演奏家のためのドレスそのものだった。演奏会は演奏する人、会場の裏方さん、マネージャー、そしてこういうドレスの専門家などがいて初めて完成する。裏で支えられてきた歳月をしみじみと振り返っていたら涙がこぼれた。

行きたいけれど、悲しくてやりきれない。それにあの素敵なドレスを着るには、私の身長が足りない。足に問題がなければ高いヒールの靴でなんとか着こなしたけれど、今の足では低い靴しか履けない。もし足が良くなったら行ってみよう。




2020年11月5日木曜日

選手交代

自宅前は川 、桜並木が続いていて春は絶好のお花見ポイント。実に素敵なのだが、秋の今頃にはたくさんの落ち葉が舞い散る。早朝、近所の90歳の元気なお年寄り(自分のことは棚に上げる)がせっせと掃いてくれる。もともとは私が掃いていたのが、ある日掃こうと思ったらすでに誰かがきれいにしてくれていた。それから毎日、いつ行ってもきれいになっている。よほど早起きとみえてその姿を見ることはなかった。

やっと私も早起きできたときにその正体を見たら、太いしっぽの生えた狐が・・・ではなく、元気な高齢女性がせっせと掃いていた。声も大きい、体も大きい。掃き終わると、どこからともなく現れる爺さんが二人。待ち合わせて散歩に出かけるというシステムになっていた。90才なのに卓球をやっているという。私も誘われたけれど、とても敵いそうもないからお断りした。

時々先手を取ってヤッターと思ってせっせと掃いていると、あとから現れてものすごいパワーでみるみるうちにきれいに掃いてくる。力も強そうで、その完璧な仕事ぶりにはシャッポを脱ぐ。終わったあとにチリ一つ残さない。私はなまくらな箒のせいで、アチラコチラ落ち葉が残っているという体たらく。

ところがこのところ異変が・・・いつもの女性でなく見知らぬおじさんが。あら、どうしたのかしら、風邪でもひいたかな?入院するようなことでも起きたのかしら。そのおじさんも3日坊主、見ていると簡単そうに思えるけれど落ち葉掃きはかなりの労働で、2ブロック分の距離を掃くのだから、終わる頃には腰が痛くなる。たった数日で音を上げたとみえる。

それで掃き手のいなくなった道は落ち葉だらけ。私の出番が戻ってきた。ゴソゴソと頼りなげに掃いていると、その人が男性二人従えて歩いてくるのが見えた。あら、お元気だったのだ。近くに来ると、私ねえ~と話しかけてきた。

実はコロナのせいで卓球場が閉鎖されて、もう半年以上卓球をやっていないのよ。そうしたらね、運動不足で五十肩になって手が上がらなくなって掃けなくなっちゃったの。

90歳で50肩、40歳も若いのね。

もともとは私がやっていた事だったから別に頼まれなくてもやるけれど、偉そうに私20年も毎日掃いたからと言われると少しカチンと来る。私はその前、数十年掃いていた。運動のためにやっているのよと言われたから手を引いたのに、なんかお前さんがやって当然みたいなことを言われるとねえ。

その人が掃かなくなって、時々お隣の人が掃いている。しかし2階からこっそり見ていると、自分の家の前だけ。私の家の前に来るとやめてしまう。私はずっとお隣の家の先まで掃いていたのに。そう思いながらこっそり覗き見する自分がいじましくて嫌味だなあと思っている。暇になるとご近所さんのあら捜し。それにこれは公共の道だから、誰がやらなくてはいけないということはない。

お向かいさんはその点あっけらかん。その家の前を掃除していても「おはようございまーす」と元気に挨拶するのみ。これは明るくていい。絶対に「これからはうちでやりますから」なんて言わない。そこがいい。若者は仕事を懸命にやっている。道を掃いている暇なんかないのだ。実際私もそうだったから。死ぬほど働いていた。毎日、明日はきっと私は目が覚めないだろうと覚悟して眠った。

隣人が自分の家の前だけしか掃かないなんて言うような嫌味な婆さんになってはいけない。

コロナのせいで腕が上がらなくなった落ち葉掃き前任者。私もまた、コロナのせいで足が不自由になった。電車が怖いからどこへでも車で行く。外出の機会が減った。歩かなくなる。血流が滞る。そして今右足が非常に痛い。10分も歩くと痛みでうめきたくなる。明日足の血管の専門医に診てもらいに行くことにした。どこの整形外科でも、いつも同じことを言われて根本的な治療にならない。何科に行っていいかわからないのでネットで調べたらヒットした血管の専門医があった。さて、それがラッキーかアンラッキーか、どう出ますかお楽しみに。













2020年11月4日水曜日

コロナは続くーよ、どーこまーでもー

 いつまで経っても感染はおさまらない。久しぶりに電車に乗ったら、全員マスク。もうマスクをしないと裸同然で歩いているようで恥ずかしい。そのうち衣類を着けずにマスクだけして歩くなんてこともやりかねない。それほどマスクは最も重要な衣類の一つになってしまったのだ。マスクを忘れて表に出ようものなら、慌てて引き返す。

私は今までインフルエンザのワクチンも肺炎のワクチンも受けたことがない。以前から割合にマスク党なので、感染しなかったのかもしれない。ただ一つ受けたワクチンが狂犬病。チベットに行くときに受けたら、そのあと高熱を出して寝込んでしまったから、それ以来ワクチンが怖い。狂犬病は日本ではもう見られないけれど、まだまだ世界中では安全ではない。特に百パーセント死に至るそうだから、チベタンマスチフにガブリとやられたら天国でお会いしましょうとなる。

今年はインフルエンザのワクチンを受けようかと思っているけれど、又副作用で熱を出すのではないかと心配している。野蛮人だから薬や注射がえらく効いてしまう。踝から足に掛けて痺れや痛みがあるから病院へ行ったら、薬をくれた。ビタミン剤と痛み止めと胃の薬。なにこれ?と言いたい。結局薬で症状を和らげるだけで、根本的に治そうという姿勢がないのだ。痛み止めは効きすぎて胃が荒れて気分が悪い。

強気の私も足の痛みには流石にまいった。筋肉をつけるために多少のストレッチとか散歩とか。それらの効果は甚だ薄い。特に散歩は以前の4分の1ほど歩くと、もう痛みに襲われて歩けなくなる。最近は石垣とか他人の家のちょとした建造物にでも、お構いなく座らせてもらうことにしている。とくに荷物が重いともういけません。羞恥心が薄いからどこへでもドサリと置いて、ぼんやりと雲を眺める。最近猫との会話が出来ない。どこの猫も警戒心が強くて、手懐ける自信満々だった私も腕が落ちたようだ。猫をダシに休憩が出来ないのが残念。

人混みでマスクを着けない人がいる。それはその人の自由だけれど、人にうつすか人にうつされるかの心配がなければいい。でも絶対に可能性が無いとは言い切れないから、してほしい。特に若い女性、半分顔が隠れるのがいやなのか。半分隠したほうが美人に見えますよと言ったら殺されそう。

この秋、北軽井沢と自宅を週替りで行ったり来たりしていたら、すごく疲れた。そこへ持ってきて急に寒くなったから鼻水が垂れる。家の前の道路を掃き清めていたら鼻水がツツーっと落ちてきた。マスクでしっかり受け止めたけれど、これはもしかしたら風邪ではなく花粉症かもしれない。

これからの季節は乾燥するから流行が拡大するかもしれないといわれる。例年ならば、冬はとても楽しい季節だった。雪が降った?どこで?志賀高原に?うれしい!となる。今年の12月に志賀高原に行きませんかと誘われていたけれど、団体のスキー宿でシングルに泊まるのはほとんど不可能。無理にそうしてもなにかわびしい。今までの私の人生の経過から見ると、これはそろそろスキーをやめさせようという天の啓示かもしれない。怪我をしないうちにゲートボールとかお手玉に鞍替えしようと導かれているのかも。いやいや、もう最後まで滑りますとも。私達の仲間がそうしたように。








2020年10月31日土曜日

雪の脅威

取り壊した食器棚の代わりに既製の食器棚を探しに佐久平のニトリまで車を走らせた。数回下見に行ってめぼしいものはあったけれど、いざ買うとなると慎重になってしまう。ノンちゃんの家は彼ら夫婦の夢がいっぱいにつまった家だから、不釣り合いなものを置いたらいけないと思うと既製品では失礼かと思う。けれど私はそんなにお金持ちではなく、とりあえず無難に収まるものとして薄型で場所を取らず目立たないものを選んだ。

その間にメールが届いた。群馬県の山間部は猛烈な吹雪の可能性があるらしいと。

ひゃー!北軽井沢は本当にいいお天気だったのに、佐久平は曇天で風が冷たい。群馬県で雪ってどのへんのことを言うのかしら。次の日帰ろうかと思っていたのに、それでは一日早く帰宅しよう。家具売り場を出て一目散に北軽井沢まで走った。お腹が空いたけど食事している暇はない。

次の日の夜明けに帰るつもりだったから、荷物はあらかたまとめてある。家具店からの帰り道に軽井沢スノーパークを見に行こうかと思っていたのも急遽変更。メール主に電話するとひどく曖昧な情報だと言うことがわかったけれど、猫とヴァイオリンと両方あるから、自分ひとりで行動するよりずっと慎重になる。万一雪で立ち往生しても自分ひとりならなんとかなる。けれど、猫を抱えてヴァイオリンを背負って、雪に埋もれる自分を想像するとゾッとする。

嫌がる猫を巣穴から引きずり出しさっさと出発した。北軽井沢と佐久平は小1時間はかかる。往復2時間すでに運転して、その後の3~4時間は結構きつい。本当は昼食を食べて昼寝をすれば楽になるけれど、夜になる前に高速を降りたい。午後3時少し前に出発した。北軽井沢は相変わらず晴天、風は冷たいけれど雪の「ゆ」の字もない。まったく曖昧な情報過ぎて信じた私が悪いのか。

途中何事もなく高速道路も順調に流れている。高崎あたりは全く雪の気配もない。そしてことは起きた。花園すぎてからの区間が工事中だと言うので、多少の渋滞が起きていた。追い越し車線を走っていたから渋滞でもかなりのスピードだったけれど、いきなり直前の車がブレーキを踏んで斜め左に進む。前はブレーキ、私はアクセルを踏んでいたからあっという間に前の車の赤いブレーキランプが目の前に。ああ、やっちゃった!そう思った瞬間に私は思い切り急ブレーキを踏んだ。後ろに車がいるかどうかの確認も出来ないほど緊急だった。バックミラーを見ると少し遅れて後続車が近づいてきたので後ろの危険はなかったようだ。衝突は回避されたけれど、 本当に危なかった。

前の車は又追い越し車線に戻って、一瞬の出来事は何もなかったかのようだったけれど、一体あの行動はなんだったのだろうか?なにか道路に落下物でもあったのだろうか。わけがわからないけれど、とにかく事故らなくてほっとした。私はいつもは慎重に車間距離をとるのに渋滞気味で速度も少しだけゆっくりだったから、車間距離が近かったかもしれない。それと朝からの長時間の運転で注意力が散漫だったかもしれない。なにが原因だったのか・・・

そういうとき瞬間的に脳みそがフル回転する。急ブレーキを踏みながら、この車は車間距離が近いときにはアクセルを踏んでもスピードが出ないシステムだったっけ、なんて考えている自分がいた。もしかしたら車の安全装置に守られたのかもしれない。

以前私が乗っていた車はちょうど10年。まだまだ調子がいいから買い換えることをためらっていたら日産マンが勝手に決めていた。「次の車はこれです」当然のように車種から色まで全部決まっていた。もう一つクラスの上のをと言ったら「お宅の駐車場は道路から段差があって、車高が低いと下を擦りますから」と断られた。自分より他人のほうがよほどしっかりしていることを知っているから、私はそういうときには逆らわない。それでたいてい上手くいく。本当にこの車にしてよかった。私のまっ黄色な愛車「パパゲーノ」は渋い北軽井沢の森の中ではやけに目立ってしまうけれど、駐車場では探しやすい。安全装置は高齢者ドライバーには必須。今回のことは年齢には関係ないかもしれないけれど、これがあったので助かったのかもしれない。さすが日産マンはプロ、私を長年見てきて運転技術も癖も全部知っている。そろそろこのへんで安全装置がないとだめだと思ったかもしれない。

以前自転車で真横から衝突されたことがあった。細い道からいきなり直角に飛び出してきたオバハン。後ろの確認。車や自転車が来ていないか確かめて、加速して右にハンドルを切った。相手の自転車は私の自転車の後輪に衝突して横倒しになった。加速しなかったらまともにサドルあたりを直撃されて私も倒れたかもしれない。その時も瞬間的に後ろの道路状況の確認と自分の自転車の前カゴに乗せてあった荷物の心配をしたのにはびっくり。一瞬なのに、とても時間が長かったような気がした。

今日も全国的に素晴らしい晴天!雪の情報はなんだったの?メールを見てその後電話をしたら、たしかNHKで見たとか言っていたけれど。

2020年10月29日木曜日

森の家の改造

 ノンちゃんの家を引き継いでから早くも2年経ってしまった。その間の私はさまざまなストレスがあって、めっきり白髪が増え足腰は最悪な状態になってしまった。ようやくじわじわと元気をとりもどしてはいるけれど、以前の元気は半減している。

コロナのせいで仕事がなくなりコンサートも全滅でかなり暇ができた。忙しいときにはゆっくりしたいとため息をつき、もう少し時間があればちゃんと練習できるのにと思っていたけれど、コロナによるストレスはそんな儚い望みをことごとく吹き飛ばしてくれた。時間はたっぷりある、練習しようと思えばいくらでも続けられる、でも聴いてくれる人のいないコンサートでは練習する甲斐もない。

コロナに無知だから一体自分はどうすればいいのかわからない。友人たちにも会えない。会って感染したらお互いに気まずい。毎日テレビの感染者数に怯える。少しでも具合が悪いと、もしかしたら感染したのかと落ち着かない。そのストレスたるや大変なものだった。当然元気はなくなって次第に沼の底に落ちていくような虚脱感を覚える。そして始まった足の痺れや痛み、歩けない、無理に運動すると夜中に足が強烈に攣る。

それでテレビは見ないことにした。毎日毎日コロナの話。もううんざり。右往左往する政治家たち。未だに腹の立つあの役立たずのあべのマスク。あとからウラ話を聞くとますます腹立たしい。そろそろ収束してもいいのに未だに終わりがみえない。

遠慮してしばらくは北軽井沢の森の中の一軒家にくることもなかった。けれど、考えてみれば私は森の中にいるのが一番安全なのだ。往復は車で一気にできるから誰にも会うことはない。もっとも安全な生活なのだ。ようやく緊急事態宣言が解除されて、それでもコソコソしないと白い目で見られそうだった。

気が休まるのは刻々と移りゆく森の景色。光輝く日もあれば雨にそぼ濡れてしずくが滴り落ちる寒々した光景の日もある。どれもが新鮮で二度と同じ景色は見られない。以前より足繁く通い始めると、木々の癒やしの力がどれほどのものかわかるようになった。今までは長くて2泊、今はほぼ1周間は滞在できる。ようやくノンちゃんの家が私のものになりかかってきた。

年老いてから家を買うなんてとんでもない暴挙みたいに言う人もいた。自分でもそう思った。でも最近はだんだん元気になってゆく私を見て、あの家を買ってよかったねという人が増えた。

ノンちゃんはなんでも上等なものが好き。食器も名の通った焼き物、重くて茶色の分厚い陶器。私は薄くて軽い白や淡いブルーなどの磁器。私はいつも同じメーカーのバーゲンで買うTシャツ。ノンちゃんは厚手の絹織物や木綿の藍染などを仕立てたオリジナルの服。ニュージーランドのウールのセーターなども好みだった。私は冬でも綿シャツ1枚、その上にダウンジャケットというラフなスタイル。これほど好みに差があっても仲良しだった。

あれから2年、滞在時間が増えてくると不満なところが見えてくる。確かにこの家は細部に亘りよく考えて作られている。けれど、どうしても男性目線の家なのだ。本当に台所に立って働いたことのない人、家に人を合わさせようという目線で作られている。隅々まで作ってしまうから人はそれに合わすことになる。台所と居間の間にある変に大きすぎる食器棚。不細工で鬱陶しい。そこで風の流れが滞ってしまう。来る人だれもがそういう。

以前からそう思っていたけれど、せっかくできているのだから壊すのはもったいない。この「もったいない」がそもそも進歩を阻害している。先日楽器用の乾燥機を取り付けてくれた電気屋さんに尋ねたら、さっそく工務店を紹介してくれた。この戸棚のことだけでなく腐りかかったベランダのリフォーム、庭のはずれに流ている川に向かって階段をつけるなど、私の夢を言うと、いとも簡単に全部できますと。こんなにうまく話が通じるとは思っていなかった。工事全般なんでもありのようなのだ。

まず手始めに今日は食器戸棚の撤去とエアコン設置することになった。午後車が到着する音を聞いてドアを開けるとびっくりした。車は5、6台、中から人が何人かわからないほどたくさん。電気やさんがニコニコして「他の工事の帰りなので全員で来ちゃいました」まあ、嬉しい。狭い家に男の人がひしめいてサクサクと仕事が進む。重たいテーブルを2階から下ろすのもあっという間。工務店からも3人、誰が何をしているのかはわからないけれど、エアコンの室内機を軽々と持ち上げてさっさと取り付けて帰っていった。他には家中の照明をLED電球に替えて、私が生きている間はもう電球を取り替えなくてもいいようにしてくれた。

来年春には小川の流れにわさびやクレソンを植えたいと思っている。植物好きの姉も喜ぶに違いない。その前に本気で足を治さないといけない。階段の上り下りが辛くてはせっかく作っても使えないかもしれないので。















私の仲間たち

 「マス」の仲間はパールマンをはじめとする世界的な演奏家たち。私の仲間は飲兵衛のAちゃん、酒豪のHさんとほぼ下戸の同じくHさん。「マス」よりも大きい「サケ」をこよなく愛する人達。

酒豪のHさんは珍しく飲みすぎたと言って今朝は朝食をほとんど食べなかった。この珍しくというのは飲み過ぎのことではない。いつも彼女は飲み過ぎだから。飲んだ挙げ句に食欲がないというのが珍しい。コロナの引きこもりで家でもあまりお酒を飲まなかったため、腕(喉?)が落ちたらしい。朝食は昨日の余り物の筑前煮、卵焼き、焼海苔、味噌汁と和風に仕立てた。

昨日の昼過ぎ食料をたくさん積んだ車到着。高速を出てから地元の市場やスーパーマーケットに寄ってなにか買い込んできたらしい。そのときに昼食用にと言って、北軽井沢の名物の花豆を使ったおこわと下戸のHさんが煮てくれた筑前煮を持参。それから楽しい話が繰り広げられて久しぶりの再会を喜んだ。思えば今年はじめにコロナの感染が始まってから、ほとんどの人と会わなくなってしまった。時々電話で話をしても皆なんだかぼんやりしていて覇気が感じられない。あんなに冗談が好きで陽気だった人たちとは思えないほどだった。面白いことに、この中で一番頭の切れる酒豪のHさんが一番落差が激しい。他の人たちは普段から能天気で、それがコロナのせいか天然なのかよくわからないので。

昼食後は散歩がてら夕暮れの浅間牧場を訪れた。浅間山は頭の上に雲を乗せて、その雲と同じようなかすかな噴煙を上げていた。どちらが雲でどちらが噴煙かわからない。夕日が山や牧場を柔らかく包んで、ずっと昔子供の頃に見たような風景が広がる。懐かしいような寂しいような美しい景色だった。牧場から下って北軽井沢の交差点近くの武蔵川温泉でお風呂に入った。レトロな格子戸のある風情あるホテルで、湯上がりにくつろげるロビーは手入れの行き届いた庭園に面している。そこでしばし湯上がりのほてりをさまし、ビールが待っている我が家に戻った。

最初のうちはいつものペースにもどれなかったけれど、こうして集まると徐々に調子が上がってきて夜中まで話題は尽きない。酒豪のHさんはコロナ謹慎中は家ではほとんど飲まなかったそうで、飲むにつれピッチが上がっていく。すっかりへべれけになって寝てしまった。それで今朝の朝食が食べられなかったというわけ。

今日も暖かく晴天でほとんど無風。それで去年は完成したばかりでまだ貯水のできていなかった八ッ場ダムを見に行くことにした。去年完成後すぐに台風が来て、全国にとんでもない水害を起こし信濃川が反乱した。その台風のときに八ッ場ダムは一気に満水になった。去年はまだ水没していない街と鉄道の線路が見えた。これらがすっかり水の中に沈んでしまった。そしてその周囲は紅葉の名所。両方見られる。北軽井沢からはさほど遠くなく、山の中を進んでいく。酒豪のHさんはこのへんから従来の切れ味を発揮し始めた。めっぽう方角に強い。方向音痴の私は一回角を曲がるともう西も東もわからなくなるというのに、彼女は常に自分の居場所を心得ている。

八ッ場ダムは去年とは打って変わった景色になっていた。満々と水をたたえて紅葉の山を背景に静かに佇むダム湖。この下に一つの街がすっぽりと埋まっているのだ。

もう一度北軽井沢に戻って私だけ自分の車に乗り換え、そこから御代田にある地粉やというお蕎麦屋さんに行くことにした。もう昼食時間をだいぶ回っている。お店に到着したときにはすでに本日の分の粉は終了していた。お蕎麦が食べられないのでは意味がないから、少し戻って浅間サンラインの入り口そばの「きこりや」という蕎麦屋へ行った。「地粉や」のお蕎麦がぜひ食べたいという下戸のHさんのたっての希望だったけれど、「木こり」も十分美味しい。そこで食事の後、私は山を登って帰宅、客人たちは東京までの長いドライブ。道中の無事を祈った。

今夜はまた一人ぼっち。みんなが残していったおせんべいをかじったり、チョコレートをつまんだり。これがいけない。体重が増えると膝や足首が痛くなる。

せっかく来てくれたのに一泊しかできないのは残念、友人たちまだまだ現役で頑張っているから仕事の都合で仕方がない。私は彼らが早く失業しないかと密かに願っているのだ。誰かが一緒にいる、それはそれで煩わしいかもしれないけれど、でも幸せなことなのだ。でも尊敬する我らが同士は皆さん生涯現役を貫き通すだろうと思う。頭も体も超丈夫な人たちだから。何だかんだ言いながら私は一人でいるのが好き。でも自分よりももっと好きな人ならずっと一緒にいられるのだろうな。今は猫が我が友。その同居人(にゃん)は北軽井沢に来る前は風邪気味で調子が悪かった。けれどこちらに来ると自宅にいるより食欲が進むらしい。今はすっかり元気になった。












2020年10月26日月曜日

鱒シューベルト 仲間たち


面白い動画みつけ「ます」た。
音楽仲間たちと時々面白いと思うヴィデオを回してみたりしていた。とくにコメディアンのダニー・ケイがニューヨークフィルハーモニーと共演した抱腹絶倒のヴィデオは回しているうちに消滅、今頃は誰かの家の棚でホコリまみれになっているかも。その中の一つがこれ。シューベルトの「ます」は何回弾いても難しい。今までどれほど弾いたかわからないけれど、一回として満足できた試しがない。特に4楽章のヴァイオリンのオブリガートは音程が難しい。でもこの動画ではパールマンがお構いなしに音をはずしている。
私が持っていたCDは、外国のあまり名の知られていない演奏家たちのものだった。その難しい音程のところで驚いたことに1オクターブ音を下げて弾いていて仰天したことがある。こんなのあり~?
たぶん録音のディレクターが何回駄目だししてもうまくいかずの苦肉の策だったのではと思うけれど、これでは赤っ恥、多少外れても、元の音域で弾くべきでしょう。
そもそもここは多少の音程など気にしないで弾いたほうがいいのかもしれない。パールマンでさえも外しているからこれでいいのだ!
ヴァイオリンのハイポジションの半音階は特に難しい。なぜなら半音の幅は指の幅より小さい。だからどれほど気をつけても瞬間的に外れる。特に外国人の太い指では指をずらさないと音程が高くなってしまう。彼らは指をずらしながら早いパッセージも弾くのだから神業。
次回この曲をひくときにはのびのびと弾こう。
私の友人が言ったことは、シューベルトは神経質になってはいけない、と。

パールマン、ズッカーマン、デュプレ、メータ、バレンボイムのメンバーでは怖いものなし、特に私はデュプレの才能が素晴らしいと思った。彼女の伝記映画を見て「見なきゃよかった」と暗い気持ちで帰ってきたことがあったけれど、神様は才能を与えると同時に苦難もおまけに付けるらしい。
だいぶ前だけれど、私はメータ率いる「世界オーケストラ」のオファーがきたことがあった。これは世界中のオケマンたちが国境や所属を超えて一緒に演奏する。せっかくのチャンスなのにどうしても外せない仕事があって、涙を飲んだ。曲目はマーラーの5番。未だに悔しくてたまらない。私の演奏経験に花を添えられたのにと歯ぎしり。

それにしてもこの動画のなんと生き生きしていることか。日本人どうしでこんな弾き方したら、叩かれる。これが私のイライラのもと。
でも次回私と「ます」を共演してくれるメンバーはツワモノ揃い。今度こそうまく弾けそうな気がする。





紅葉する山々

今朝7時頃出発して10時半頃北軽井沢に到着した。途中休みを多く入れて足や腰に負担がかからないようにと思っていたけれど、結局自販機で水を買っただけで走り続けてしまった。

その代わりと言っちゃあなんだけど、高速以外の道路で信号待ちの間は盛大に貧乏ゆすりをすることにした。これが意外と効果的かもしれない。今日は車を降りたときに足が重くなくすっと前に出た。いつもなら地面に足をつけてやおら立ち上がり、数歩ゆっくりと歩かないとちゃんと歩けないけれど、今日は調子がいい。やはりくるぶしの血流の問題かもしれない。貧乏ゆすりが癖にならないように気をつけないと、知らない間に人前でやっていたりしたらみっともない。

高速道路を降りて山道を軽井沢方面へと車を走らせていると、見事な紅葉が見られる。特に軽井沢付近はよく手入れがされているので美しい。中軽井沢を過ぎて山道に差し掛かると少し色合いが地味になって、上の方が紅葉が早いかと思ったらまだそれほど色づいていない。気温は上の方が低いはずなのに、これも人の手入れが行き届いている軽井沢とあまり手を加えない北軽井沢のちがいかもしれない。

浅間の初冠雪は先週だった。今朝見たらところどころ斑に白いものが残っていたけれど、ほぼ消えていた。昨日追分から帰った友人があまりの寒さに震え上がったと言っていたけれど、ほとんど寒くはない。薄着の私は普通の綿シャツに薄いジャケットで事足りた。明日来る人たちに寒いからダウンジャケットを用意するように伝えたけれど、暑すぎて汗だくになるかもしれない。寒くて風邪引くよりはいいかと思って、そのままにしてある。

森の中に入ると薄い黄色や赤く色づいた木々が煙るように見える。軽井沢近辺のいかにも造園業者の手で作られた紅葉の配置は輪郭がはっきりしていてお見事!でも私はあまり手入れがされていないほうが好き。ドングリの実が沢山落ちている。森のくまさんたちの冬眠の用意はできたかな?今年はコロナの影響で北軽井沢に来てくれる人は少なかった。来年は毎日沢山来てくれるように祈っている。ここを拠点に志賀高原や白根山や草津にも行けるから、来年こそは沢山の人が来てくれますように。

先日北軽井沢に小さなスキー場があることを発見した。いつもピクニックに行く浅間牧場の近くらしい。と言うことは、我が家からは10分たらずでいけるようだ。それだったら毎日1,2時間ほど軽く滑って、いい運動になる。今回滞在中にスキー場探索にでかけよう。ゲレンデは初心者向きであるらしい。けれど、もう初心者用で十分!好んでコブに挑んだり、凍った急斜面に喜んだ日は過ぎ去った。しかし、まるで自宅の庭にゲレンデがあるみたいではないですか。これは嬉しい。

一つ問題は、私は今までちらっとでも雪が降ったら車は運転しなかった。だから、とても怖い。だれか雪道が運転できる人に乗せていってもらわないと走れないかも。それとも若い頃のような無鉄砲さで雪道挑戦してみようかしら、なんて。やってみたら案外とできるかも。それは年寄りの冷水ならぬ年寄の冷雪といわれるかもしれない。

なぜためらっているかというと、手の力が極端に衰えていて、車が雪に埋もれたりしたら自分では出せないから。なんせ、ペットボトルの蓋も開けられないこの頃なんだから。

一番いいのは地元でスキー友達を見つけること。毎日車で迎えに来てもらって少し滑ったら帰る。これはいい。パートで送迎してくれる人を探してもいい。タクシーでもいいし。






2020年10月24日土曜日

嬉しい訪問客

以前の生徒たちが全くヴァイオリンをやめてしまってもなお、私に会いに来てくれるのが嬉しい。夏の合宿と称して9月はじめにも数人が、昨日は大学に勤務している一人暮らしの女性が訪ねてきてくれた。近所のイタリアンレストランでランチを食べて、近況の報告を受けて、しっかりと生きていることが確認できた。女性が生きていくのが難しい日本の社会で、独り立ちして慎ましくも穏やかに生活しているようだった。

男性の元生徒からはお話がしたいですと連絡がきた。コロナが下火になったらねと言っておいたけれど、いったいいつ頃になることやら。それに私はいつからヴァイオリン教師ではなく、カウンセラーになったのか。大人の生徒は面白い。皆社会人として立派に活動している。建築士の元生徒はどうしているだろうか。彼女はあまりにも仕事が忙しく中々レッスンに来られない。夕方近く、たまにはおいでと言おうと思って電話したら、まだ昼寝の延長、ガラガラ声ですみません寝てましたと。それ以来、彼女に電話しないようにした。現場でヘルメットをかぶって男性に混じって働いていると言うからなんて格好いいと感心していた。彼女は15年以上に亘り月謝を払い続けて、私の生活を支えてくれたのにレッスンの回数はほんの僅か。気がとがめて仕方がない。その後会ったときに自分の事務所を持ったと言うからすごい!

私が最近足腰が弱り髪の毛も白くなったので、自分たちが保護しないといけないと思う人達が増えた。先日私とほぼ同年代の人たちのコンサートを聽きに行ったら、ステージのひな壇を降りる足元がおぼつかない。共演者と手を差し伸べあいながらゆっくりと降りているのを見て、自分もはたから見るとああなんだろうなと思う。北軽井沢に来週友人たちが来てくれる。何もしないでいいよと彼らは言う。客人になにもするなと言われてもそういうわけにはいかない。でも、あれもこれも作っていくからと言うので、家主をやめて客になろうと思う。

以前から自宅の駐車場に喫茶店を作ったらいいじゃない?と言われてきた。そう、私は話し好きだし沢山友人がいるから、もしかしたら天職かもしれない。ただ一つ重大な欠点がある。嫌いな人はすぐに顔に感情が出てしまう。目の前は桜並木、人通りも多い。なにより駅から7.8分なので、自宅と駅が少し遠い人には中間点の休憩所になる。私の姉も駅まで買い物に行くと帰りがけに、うちの駐車場においてある椅子に腰掛けて足休めをしていく。野良猫も集まって天然の猫カフェにもなる。

ここ数日の足の悩みの原因はたぶん食べすぎ。

体重があるレベルを超えるとたちまち痛みに襲われる。だからダイエットしないといけないのに今は運動不足がたたって、体重が減りにくい。更に代謝も落ちているから同じだけ食べると以前よりも太ることになる。食べる量を減らすのは悲しい。

古典音楽協会の仲間から、なにかの手続きに必要なので数年前の定期演奏会のチラシが欲しいけどある?と言ってきた。私は過去の資料はほとんど捨ててしまう。だから持っていないので他のメンバーに電話やメールで問い合わせてみた。今年の3月、9月、来年の3月のコンサートが中止になって、最近会っていないので懐かしい。嬉しそうに元気な声が聞こえてきて、皆大丈夫なことが確認された。皆に会えて一緒に演奏できるのはいつのことか。






2020年10月22日木曜日

病院へ

右足のムズムズ感と痛みなど、関節自体よりも血流とか神経とかに依るものだと思われたので、新しい病院に行った。かかりつけの内科の医師に紹介状を書いてもらって、午前中に訪れたのは某医療センター。いつもは近所の整形外科で診てもらう。しかし、いつ行っても同じ処方で痛み止めの湿布と足首のサポーターなどくれるだけ。それで別の整形外科にも診てもらうことにした。

友人が非常に良かったという病院で、彼女の推薦があって行ったのは良いけれど、恐ろしく混み合っていて、10時の受付から約2時間半待たされ、お腹は空くし病院がそもそも嫌いなので居心地が悪い。これなら近所の総合病院へ行けばよかったと思った。やっと初診の部屋に通されお決まりのレントゲン撮影。しかし、所見は前の病院と同じで特に新しいことは言われない。おまけに処方されたのはかかりつけの内科医と同じ薬。紹介状に書いてあった処方を見て、この薬は効きましたかと聞かれた結果。これなら近所でもらったほうがいい。

次の予約と言われてももう来る気はしないから、断ったら必死で迫られてつい予約したけれど、これはもうキャンセルだなあとすごすご帰って来た。帰りがけに楽器屋さんに寄って絃を買うために渋谷へ出た。渋谷は音楽教室に勤めていたころ毎週通った場所だけれど、相変わらずあまり好きにはなれない。それにコロナの流行っている今、こういうゴミゴミした場所に居るのは危険だから用事が済むと一目散に帰ってきた。今日は足の状態が非常に良くて歩くのも大丈夫だったけれど、人混みで疲れたら又足が痛み始めた。

ネットで調べたら足の血流を専門にしている医師が居ることがわかったので、次はそこに行こうと思う。今日の医師は、痛み止めとビタミン剤でとにかく他に手の施しようが無いという。そんな馬鹿な!私がこれから何年生きるか知らないけれど、生きている間中、足の痛みや痺れと付き合えとでも言うのか。信じられない。

絶対なにか方法はあるはずなのだ。これから足が健康でいるならなんでもする。加齢だから仕方が無いなんて馬鹿な。生き生きと生きるためには足の健康は一番大事なのだ。もっとも反省材料は自分にあって、運動不足、長時間の運転、パソコン操作、過食、体重の増加など。これはずっと以前からの問題なのに放置してきた自分が悪い。まずはダイエットと思ったけれど、コロナ時代で仕事はなく、家から出られず、食べることしか楽しみはない。

家にいることで中々良かったこともあるけれど、人はやはり仕事をやめてはいけないとつくづく思った。女性であっても老人であっても、自分が生きていることが意味のあることでないといけない・・・とぼんやりと考えた。待合室で待たされている間、瞑想でもしようかと始めてみた。すっかりご無沙汰の瞑想だったけれど、やり方は自然に思い出せるのが不思議。私の最近の記憶力の退化では絶対の思い出せないはずなのに、何十年も本当に良く覚えているものだと我ながら感心した。こんなふうに数年に一度しかしないのでは効果は望めないものの、待たされているイライラは少し軽くなる。

本当なら北軽井沢の森の中は最も瞑想に適しているけれど、あちらに行くとやることがたくさんあって働きすぎる。来週はキッチンとリビングの間にある不細工な食器棚を取り払う予定。この食器棚は例えて言えば、不器用で体ばかり大きい人がでんと座り込んで交通の邪魔をしているようなもの。材質が良くてよく考えて作ったらしいことは認めるけれど、女性だったら決してこんな作りにしないだろうと・・・これは私の周囲の女性たちの意見で「男ってほんとに全く」と鼻息荒く息巻く。自分で家事をしない人が家の設計したらしい。ノンちゃん、悪いけどこれは撤去ね。ごめんなさい。

浅間に冠雪と聞いて震え上がった。本当に北軽井沢は寒い。早くも管理者から水道などの水抜きの案内が来た。とりあえず来週に間に合うように燃料タンクを満タンにするように頼んだ。今年はコロナの自粛ムードで夏に行かれなかった。田舎暮らしは足が命。早くなんとかしないとスキーにも差し支える。







2020年10月18日日曜日

運転しすぎ

足の痛みはどうして起きるのか考えた。最近1週間おきくらい に北軽井沢まで通っている。このとき休憩を入れずに一人で運転しすぎるのではないかと。車の運転は本当に好きで、長時間していてもほとんど疲れない。ハンドルを握ると心が落ち着く。普段イライラせっかちなのに、運転するときは急に穏やかになる。けれど、これがいけない。カーナビが途中で「そろそろ休憩しませんか?」とうるさく言うので次回からはそれに従うようにしようと思う。

カーナビに支配されるのは癪だけど、いつまでも若くはないという自覚はあるのだから、老いては車に従えを実行。昨日は腰痛用のコルセットを着けて鎮痛剤を飲んで寝たら、今朝はもうほとんど痛みは消えていた。このようにいきなり悪くなったりあっという間に良くなったりを繰り返して、だましだまし体を使っている。コルセットで笑えたのは、10年ほど前に作ったものが、その当時より体重は減っているのにウエストがきつい、重力に意地悪されてすべて下に落ちてきたということ?

腰が痛かったり田舎暮らしのときには車は本当に便利。けれどこれが腰には良くないのだから、このへんはどこまで許容するかのせめぎ合いとなる。特にコロナ感染が起きてからは電車に乗るのも怖いから、今まで電車で移動していたところも車で行くことが多い。

突然友人から電話がかかってきて、私が歩けないという噂が野火のように広がっているらしい。「明日からは休みだから自分が運転手になるから車がほしいときはどうぞ」というありがたい申し出があった。涙が出ますねえ、こういうのって。ちょっと一人に愚痴をこぼしたら、もう人助けの輪が広がっている。みなさん本当に親切。であるけれど、私はほとんど人様に親切にしたことがないから、こんなご厚意を受ける資格は無い。むしろ意地悪することのほうが多いと思っているけれど、その意地悪を意に介さないほどの太っ腹の友人たち。うん、本当に皆さんお腹が太・・・なんて、罰当たりだねえ。

とにかく明後日あたりから病院へ行くことにした。もう痛みはなくてごく普通なんだけれど、この際検査しておくいい機会だと思っている。北軽井沢に行き始めてから、嗅覚障害が治ってきたような気がする。先日の車の中での猫の粗相も以前なら気がつかなかったかもしれない。そして匂いがわかるようになったら、世の中にこんなにも匂いが充満しているとは。敏感な人はたまらないと思う。最近電車の中で、衣類の洗剤や柔軟剤がミックスした匂いで具合が悪くなる人が多いと聞いた。それで電車に乗れなくなったりするらしい。

匂いもそうだし音も避けられない。コロナで今までの場所が使えなくて、今日は英語のレッスンをファミレスで受けていた。最初に自分が行ってテーブルを決めた。明るくて静かな場所を選んだつもりだったけれど、突然子供を3人連れた人たちがドカドカと隣のテーブルに現れて、そこからは修羅場。泣きわめく子供と声を一段と大きくして叱る母親に、私がボソボソと読む声が聞こえず、いつもより大きな声で読むので疲れた。見るのは目をつぶればいい。けれど、匂いや音は避けられない。

車提供の友人の電話で、浅間に雪が降ったとの情報も舞い込んできた。そろそろ雪の季節。いつもならスキーシーズン間近とワクワクするところだが、スキー場のホテルはコロナのクラスター発生の危険地帯とも言われる。そうかと言ってゲレンデにテントを張って寝るわけにもいかない。次のシーズンは、はたしてどうなることか。半世紀以上の私のスキーのキャリアもここでおしまいとなるかどうか。今年はなにもかもなくなって、でも再開の喜びもあって、トータルでそれほど悪いことばかりじゃない。






2020年10月17日土曜日

着々と

北軽井沢から帰ってきました。

猫を連れての移動はなかなか大変、週明けの月曜日出発したので道路が混み合っていて 、高速に入るまで時間がかかった。その後は順調に走ったけれど、途中で車の中に異臭が。私は嗅覚障害があって普通なら匂いがわからないけれど、その私でさえわかるくらいの匂い。猫のものは素敵に臭い!出発する前に猫トイレの点検したらほんの少し汚れていたので、今日はそんなものかと思ったのが甘かった。

北軽井沢の家に到着して大わらわでケージの掃除洗濯、猫はしれっとしている。猫の小間使いは大変なのだ。ただでさえ到着後は忙しい。家の換気から食器洗い、寝具の用意、冷蔵庫の点検、食材の買い出し・・・など。特に森の中は湿度が高くカビが生えていないかどうか、心配の種がわんさかある。今回は水曜日から友人のピアニストのSさんが泊まりに来るので、カビだらけの部屋なんてことがないように気を使う。この家を使い始めてからいままでカビが生えたことは一度もなく、この湿度では上出来。だから帰り際の後始末には特に神経を使う。風呂場は前夜から換気扇を回しっぱなし、夜でも寒すぎない程度に小窓を開けておく。今回もこざっぱりとした顔で家が迎えてくれた。

そろそろ寒さが厳しくなるからベッドに電気敷き毛布を敷いて、なるべく掛ふとんは重くならないようにする。北軽井沢用にと厚手の羽毛布団を通販で買ったら、もう暑すぎてまいったので、下からやんわりと温めることにした。最弱の温度に設定すると敷毛布を使っているのかどうかもわからないくらいの低温だけど、ほんのり温かい。猫と共有できるように長枕を用意。これで朝目が覚めたとき、猫に枕を占領されて私はまくら無しで寝ている事態が回避される。

2年経ってやっと自分のものになったようなノンちゃんの家は、あと少しだけやることがある。まずキッチンとリビングの間に立ちはだかる、ごっつい備え付けの食器棚の撤去をする。設計者が何もかも設計しすぎて、人間の動きが阻害されている。特にこの食器棚は来る人毎に不評なのだ。キッチンとリビングが分断されて風が通り抜けない。食器棚の扉は両開きでそれを開けると人が通れなくなる。一人で調理しているときはいいけれど、複数で働いているとその扉に邪魔されて、料理や冷蔵庫の出し入れなどがスムーズにいかなくなる。悪評サクサクのものが今月中にはなくなると思う。そこに少し小さめの出来合いの食器棚を入れる。材質も立派な食器棚だけれど、女性たちの「男は馬鹿よねえ」という悪評をさんざん受けたもので、見るからにセンス悪い。(設計者は男性)

他にテラスの拡張や庭の下を流れる小川に向かう道に階段をつけるとか、色々工務店に頼んであるけれど、今年中にできるのは食器棚の撤去だけかもしれない。この撤去が終わればいよいよ電子ピアノを運び込んで、ここでミニコンサートができるようになる。エアコンは今月末には設置できるので、楽器が喜ぶ。電子ピアノの置き場が決まらず、そのために少し階段を削らないといけないかもしれない。やれやれ、自分好みにするなら、最初から自分で作ったほうが早いかもしれないけれど、ノンちゃんの家は本当に素敵な家。ただし、男性目線の設計でなんともはや、肝心の台所がだめとは!

このようにせっせと改造が進む中、私の足に異変が。いままでも痺れや痛みがあってだましだまし使ってきたけれど、今回は特に歩けなくなるほどの状態になった。椅子から立ち上がるとあるけるようになるまで10秒ほどかかる。体制を整えてようやく一歩を踏み出す。電車の座席から立ち上がったときに、前の席の男性が心配そうにこちらを見ていたこともある。見ていないでお姫様抱っこしておろして頂戴と言いたくなったわ。散歩の途中であるきにくくなったとき、小雨模様だったので持っていた傘を杖代わりにしたら具合がいい。生まれてはじめて杖をつきました。生まれたときは4本足、その後は2本足、最後は3本足のものなあに?ってスフィンクスの難題。

ついに我慢できないほどの痛みになって、大嫌いな病院へいくことにした。友人Mさんが紹介をしてくれたのは東邦大学病院。彼女はそこで手術の日程が決まっていたのに、ある先生の大英断があって手術が回避できて今はすっかり治ったと言うから、そいつは素晴らしいと思った。それで同じように診てもらうために、かかりつけ医に診断書を書いてもらった。

今年3月に足の違和感を訴えて、足梗塞の検査をしてもらった。足にも脳梗塞のような血管の疾患があるという。しかし、検査の結果は、血管年齢50代と出た。カルテを見て「あら、50代?」と言ったら、医師が「そうなんだよ、良すぎるんだよ」と。良すぎるということはなかろうに。それなら足梗塞の心配はないかと思う。

紹介状を書いてもらって病院を出たら歩けない。足のどこということもなく痛い。それでも食い意地が張っているから、新しいお店を見つけてお昼ごはんを食べることにした。どうやら飲み屋のランチらしい。さんざ飲んだあとに締めに食べるご飯物、量は多くなくてとてもいい。ちらし丼を頼んだら、具沢山の豚汁とサラダがついて700円。いい店を見つけた。

隣町の病院からはいつもなら自宅まで歩いて帰る。ちょうど30分くらいの距離だからいい運動になる。けれど、今日は歩けない。やっとこさ駅まで行って一駅電車に乗って帰ってきた。自宅最寄り駅で降りても足が痛くて歩けないから、駅そばのドトールで一休みする。ようやく自宅にたどり着いて、生まれてはじめて痛み止めを飲んで眠った。痛みには強く今まで一切飲んだことがなかったのに。起きたら少し楽になっていた。

私は検診の結果、いつも異常に数値が良い。たいていの数値は15才から20才くらい若い。数値は若いけれどちゃんと年はとっているから、今回のようなことがしばしば起きる。人生のフィナーレに最後まで健康でいられるように、病院嫌いはなおさないといけない。今まで放置していた足の治療を始めることにした。足の機能が20才若いと言われるようになれるかどうか、乞うご期待!








2020年10月10日土曜日

鬼が笑う

 来年のことを言うと・・・さあ、皆さん笑って笑って!

来年のことでまだ先の話だけれどあるコンサートの企画を任されて、楽しいったらありゃしない。私は弾くのもすきだけど、こういうことが大好きなのだ。特にコロナでコンサートが中止になって皆さん暇を持て余している。業界の売れっ子たちはいつもならスケジュールが一杯で中々つかまらないのに、ほいほいと引き受けてくれる。いいメンバーが揃いました。

私は卒業してオーケストラに入ってすぐに、当時のコンマスの鳩山寛さんにスカウト?された。私が入団テストに彈いたベートーヴェンの協奏曲がお気に召したらしい。当時彼はハイドンのカルテットの全曲演奏を目指して、コンサートを重ねていた。そのセカンドヴァイオリンを彈かせてもらい、そこから次々と別の企画にも参加させてもらった。とんでもなく幸運だったとしか言いようがない。

彼はアメリカのタングルウッドの音楽祭に参加して、当時はミルシュテインなどとも共演したらしい。ただあちらでの生活が長かったから、あまりにもアメリカナイズされて自己主張が強く、帰国してからは昭和初期の日本人には評判が悪かった。徹底した個人主義で権利の主張もはっきりしていたので、浪花節的心情に合わず、随分悪口を言う人が多かった。それでまるでヴァイオリンまでいけないように言いふらされて、孤立無援だったようだ。

そこにふらりと私が現れて、弾けるものなら何でも彈きたいというスタンスだったから随分重宝された。おかげで下手くそな新人がめったに経験できないほど沢山の演奏をさせてもらった。それが今の私を作ってくれたのだった。

ハトカンさんのすごいところは、アンサンブルの力。私は時々彼のセカンドヴァイオリンでファーストヴァイオリンを弾かせてもらった。内声はメロディーを彈かないから大抵はファーストヴァイオリンより地味な人が受け持つけれど、彼が内声を弾くと私は思うままになんの心配もなく歌うことができる、というより、歌わされてしまう。これはすごい。セカンドヴァイオリンというものはこうやって弾くものだと教えられた。歌のオブリガートなどは絶品だった。ある時スペイン人だったと思うけれど、女性歌手が来て歌ったことがあった。その時のハトカンさんのオブリガートは皆を唸らせた。その歌手も大喜びだった。

うまいヴァイオリン弾きはその後続々と現れて、日本人も海外のコンクールで上位入賞することが多くなった。けれど、あれ程のオブリガートを弾ける人はめったにいない。彼のことを悪く言う人が多いけれど、私は自分の恩人だと思っている。出発点が良かったから、その後私は次々と素晴らしい共演者と弾くチャンスが舞い込んだ。経験を沢山したので知識も豊富になったのが、今回の企画を任されたことにつながっている。

コンサートの初っ端はたいていモーツァルト。ひたすら好きなので途中もモーツァルト。ややモーツァルト過剰のきらいはあっても、全体のバランスの中に上手くちらせば、上品な味わいになる。一家に一台モーツァルト、ご家庭の味にはアマデウス印のだしの素をどうぞと言うわけ。アマデウスくん、君に逢いたかった。

ずっと演奏会がなくて、もう年も年だから「引退」の文字が脳裏に浮かんだ。でもこんな楽しいことを手放してなるものかと、心境が変わった。サボりまくっていた練習を始めると、やや衰えてはいたけれど、今後の鍛え方で変わってくれる・・と信じている。いや、信じないとやっていけない。久しぶりのステージ、怖いだろうなあ、ブルブル。

でも来年の話なので、いまから心配してもどうしようもない。この楽天的なところが私の取り柄でもあるけれど、一番あぶない落とし穴になるときも。演奏が終わったら拍手じゃなくて客席が大笑いだったらどうしよう。そうなったら落語家に転身かな。









2020年10月6日火曜日

用心深すぎて

 コロナ型肺炎が蔓延し始めてから毎日気の休まることがなかった。日本人のコロナに対する恐怖は世界的にも異常に高いそうで、ヨーロッパ人などの40%に比べると70%ほどだという。テレビが恐怖を煽っているというけれど、やはりこの感染拡大の状況を見ると、とても安心なんてしていられない。

それ見たことかとは言わないけれど、あのトランプ大統領も感染して彼はさぞヤキモキしていることと思う。大事な大統領選の最終段階だと言うのに。アメリカではマスクをしない自由というのがあるという。自由であっても、しないのはお馬鹿さん。していれば随分感染率が下がると思えばマスクをするくらいなんでもない。自己主張がすぎるのもなさすぎるのも良くないけれど、やった方が良いというならすればいいじゃない。心が狭い。

コロナを大げさに考えすぎている、熱中症のほうがよほど怖いという人もいるけれど、そもそも感染症と感染しない熱中症を比べること自体間違っている。熱中症は自己管理できる。室内の温度を下げ水分を摂り、過激な運動をしない。自分がかかっても他人にうつすことはない。死亡者数が多いと言っても、それは感染したからではない。だからコロナと比べることはできない。

私は熱中症になりやすく、その上コロナ感染までしたら大変だから極端に用心している。最近は自宅と北軽井沢の往復と食品を買いに近くのスーパーに行くだけの生活。最近外出したことはピアノ合わせで友人宅へいったことと、パヴァロッティの映画を見に行ったことくらい。北軽井沢でも林の中を一人で散歩している。いつもにぎやかに暮らしていた頃が随分昔だったような気がする。しかし、これも中々いいものだと思うようになってきた。

私の人生はトータルすると運がいい。それなりに山あり谷ありだったけれど、希望したことはたいてい叶った。だからコロナに避けて通っていただきたいのだけれど、こればかりはあちらの都合次第。社会に与える影響は凄まじいらしく、今までのつけが経済界にも大損害を与えているという。だから怖い怖いとばかり言っていると活動が妨げられる。それでもGo toキャンペーンは感染拡大の原因になるのではないか、それならもっとゆっくり活動を回復したほうが良いのではないかと思うのは生ぬるい?

今の私は半分引退している状態だけれど、それでも仕事が復活し始めている。お声がかかるとやはりしっぽを振って家から飛び出していく。これもはたから見れば、あんなに用心していたのに元も子も無いではないかとお叱りを受けそうだけれど、とにかくうれしい。本当に仕事が好きなのだと改めて認識した次第。急に生活が生き生きしてきた。

やっと涼しくなって熱中症の危険が少なくなったのが、私にとっては救いとなっている。眠っている間に気分が悪くなって、目が覚めるといつも足が攣って、これも熱中症の症状だと聞いた。始めはコロナにかかってしまったと毎朝思って心配ばかりしていた。マスクをして人との距離を保ち換気をすればある程度防げるなら、そのとおりすればいい。それさえわかれば、それほど怖がらなくてもいいと、最近は開き直れるようになった。今はウイルスと共存しないと仕事もできないなら、トランプさんみたいに頑なに拒否しないで一生涯でもマスクをつけていられる。マスクは顔半分隠れるから、化粧なしでも外が歩ける。といってもお化粧はほとんどしないので変わりはないけれど、少なくともあまり美しくないものを露出しないですむし表情が見られないので助かる。すぐに顔や態度に心が出てしまうので。

人と違って、犬は人が自分のことを好きか嫌いか匂いで分かるらしい。私が犬に好かれるのは、好きだという匂いを出しているから。犬に噛まれる人は、犬が怖いという匂いを出すらしい。人も自分が好きなら向こうも好きだと思ってくれるかと言うと、そうはいかない。人は複雑で匂いだけではすまない。これが人生をややこしくしている。そこが面白いところでもある。


2020年10月1日木曜日

大慌て

北軽井沢での生活はのんびり温かい日差しの毎日、コロナ禍を忘れさせてくれる貴重な時間だった。今週半ばからの所用のため帰宅する予定の日、その日の朝帰るか夕方帰るか考えていた。Y子さんと2日ほど前、美味しいプリンの店を見つけ、そこでランチもやっているというのでランチを食べてからでも 遅くはないと、出発は夕方からあとにすることにした。

待ち合わせの時間、先に店に行ったY子さんから電話が入った。店は定休日だったと。それから忙しくあたりのレストランを探したけれど、どうやら北軽井沢では水曜日定休の店が多いようだ。めぼしいお店はどこも休み。そこで毎度おなじみ、浅間牧場へコンビニのお弁当を買ってピクニック。このところずっとピクニック日和が続いている。晴天、微風、浅間が美しい姿を青空に伸びやかに見せている。毎日見ても見飽きない景色の中で食べるのは、コンビニ弁当でも最高のごちそうとなる。

のんびりと過ごして、さて、少し昼寝をしてゆっくり帰ろうかと思っていた。午後3時ころ、携帯に着信があって、相手は救急隊。私の義理の妹が路上で転んで頭を打ったので、すぐに立川の救急医療センターにくるようにと。

この妹は義理の弟の奥さんで、義弟もなくなっていて子供もいない。救急隊は、彼女は一人暮らしで誰に連絡していいかわからないから、携帯のアドレス帳にあった私の番号にかけたという。私にかけられても私は北軽井沢にいるので、そこから帰宅してから病院へ行くとなると5~6時間かかると言うと、とにかく親戚などの承認がないと緊急手術などの治療ができないから来てほしいと言う。ほとほと困った。

帰宅するつもりで荷物はまとめてあったけれど、なんせ猫がいるので病院へ直接行くことはできない。猫を自宅に戻してから病院へ向かうと家からは1時間半以上はかかる。しかし、行くしかないかも。他の親戚は老人ばかり。その子どもたちのことはよく知らないし、連絡先もわからない。とりあえず義理の兄に連絡すると運良く電話がつながって、自分が行くから大丈夫だと請け合ってくれた。しかし、もう80歳を数年超えた義兄が出かけるのは大変なので、私も帰宅次第駆けつけますと言ってとりあえず車を出した。

気がせくときはスピードを抑えて、いつもより慎重を心がける。私は常におっちょこちょいでせっかちなのに、なぜかハンドルを握るとゆったりした気分になって人格が変わる。うしろから追い越しをかけてくる車には進路妨害しないように道を譲る。追い越してから他の車の前に入るときは、後車のライトがバックミラーに写ってからはいる、とまあ、優良運転手の鑑となる。これが実生活ではぜんぜんだめで、怒る、すねる、悪口を言う・・・だから毎日車のハンドルを手にぶら下げていればいいのではないかと思う。ヴァイオリンとハンドルと両手にぶら下げて歩くのは中々見ものではある。ハンドルは精神安定剤。

途中義兄から連絡があって、義妹は集中治療室に入ってしまって会えない状態でなにも出来ないから、来なくてもいい、自分ももう帰るからと言う。

行ってあげたいのは山々だけれど、ホッとした。3時間超えの運転のあとで、これ以上運転するのはいささかきつい。かと言って電車に乗って病院へ行くのも夜になると辛い。命に別状はないらしく、ホッとしたのでドット疲れが出た。猫も私も爆睡して今日は少しぼんやりしている。

考えたのは老人の一人暮らし。今回のことは他人事ではない。私は検診の結果の数値は極めて良好、それでも人並みに膝や足が痛む、頭の中はぐちゃぐちゃ、自分もいつどうなるのかわからない。保険証の裏側に緊急連絡先が書いてあるけれど、近所を歩くときまで保険証を持っているわけではない。そのへんもちゃんとしないといけない。歳を取ると思いがけないことが起きる。自分は大丈夫と思っている事自体があぶないのかもしれない。



2020年9月30日水曜日

今日は「古典」の定期演奏会だったのに。

今日は本当は文化会館の小ホールのステージで演奏しているはずだった。

古典音楽協会の定期演奏会。スマホのカレンダーで今日の予定が表示される。古典の定期の予定を削除するのを忘れていたら、画面に現れて胸がズキンとした。やはり自分が思っていたよりもずっとショックが大きい。長年大事にしてきたワークだから、いつもあるのが当たり前だった。それがコロナで中止になっていつ再開できるかわからないのは、再開どころかこのまま立ち消えになってしまうこともありうると考えると虚しい。もう二度とステージに立てないのかとも思う。自分に自信がない。

しばらくのブランクの後、若い頃だったら勘を取り戻すのは短い時間でできそうだけれど、今ではそれができるかどうかは断言できない。大勢のお客様の前で演奏するのは、本当に緊張する。緊張しても余裕を持って弾けるのはなかなか難しい。けれど、練習を重ねればある程度の緊張はむしろ良い刺激になる。緊張感のない演奏は面白くはない。

どんな名人でも、あるいは、名人であればあるほど、プレッシャーは強いらしい。あのハイフェッツは、常に前回の演奏よりも上手く弾けないといけないという自分に対するプレッシャーで演奏をやためたと聞いている。

ハイフェッツと私ではレベルは月とスッポンだけれど、それでも同じように緊張はする。その緊張が演奏を育てるのであって、本番は演奏家にとっては最大の練習になる。誤解を招くといけないので言うけれど、練習と同じように弾くという意味ではない。本番で得るものは、練習の何倍でもあるのという意味なのです。耳を研ぎ澄ませて会場の響きを捉えると、客席の後ろの方から自分の音が戻ってくる。その音を聞きながらお客様の呼吸を感じ取ることができる。客席ろステージが一体になったときの素晴らしさは本当に不思議な世界となる。

波動のように呼応するものが会場を包む。緊張の中に幸福な一瞬でもある。だから私達は聴いてもらえないと還ってくるものがない。自分の中で終わってしまう。いつも思うのは、聴いている人たちに自分たちは育ててもらえるということなのだ。

この年令でのブランクはとてもつらい。2度と戻れるだろうかという不安でいっぱいになる。ヴァイオリンに限らず楽器の演奏は見た目以上におお仕事。体力、気力がないとできないけれど、実際は長年の訓練で無駄な力を使わなければ、それほど腕力はいらない。けれど、緊張や練習不足で筋肉が固くなったらアウト。手足が震え、無駄に力が入れば早いパッセージが弾けない、弓を弦に押さえつければ音は響かず楽器が鳴らなくなる。

だから日々努力をしてきたものが、コンサートがなくても練習をいつものように持続でするのは大変な努力を要する。私のように志が低いと、すぐに怠けてしまう。今はなにもなくてノンビリしていられるけれど、再開するとなると果たして再起できるのだろうかと、取り越し苦労をしている。

とにかくこのままでは古典としての締めくくりができないから、最後の演奏会はしなくてはならないけれど、今日が最後のステージという日が来たら、悲しみで演奏ができるのだろうか?まだ先のある若者なら新たな出発点となるけれど、私はもう締めくくらなければいけないのだ。

本当に多くの方々に会場に来て聴いて頂いた。それによって私達も成長させて頂いた。思えば古典ほど暖かい声援を受けた団体はめずらしいのではないかと思う。長年、ともに歩んでともに年を重ねて、ステージに出ていくのはまるで家族に会うような気がした。こちらを見て微笑んでいる人たち皆が味方してくれていると思えるほどだった。

コロナがどうなるか今後の感染は拡大するのかどうかもよくわからない。だれにとってもつらい日々だったけれど、このまま終わってしまったとしても心に暖かい火が灯っているのはそんな経験を重ねたからで、客席とステージは一体で演奏とはその両者が混じり合って成り立つもの、たとえしばらく、あるいはもはや会えないとしてもこの火が消えることはないと信じている。


2020年9月28日月曜日

雨が上がって

北軽井沢に来ています。

今年の夏があまりにも暑かったので 、エアコンをつけることにした。まさかこの北軽井沢でエアコンが必要になるとはおもってもいなかった。夏のほんの数日、北軽井沢でも今年の暑さは異常だった。私は熱中症になりやすい体質らしく、毎年数回はかかってしまう。体温の調節がうまくいかないらしい。自宅ではつい最近までずっとエアコンつけっぱなし、一瞬たりとも切ることはなかった。

軽井沢の電気屋さんに相談すると、今年は軽井沢でもエアコン設置が多く、ずっと工事の予約で埋まっているという。昔は軽井沢にエアコンがないのにびっくりしたけれど、その頃は軽井沢や北海道などではエアコンはないのが当たり前だった。地球温暖化が加速度的に進んでいるようだ。北軽井沢に来るようになってから、まさか自分がここでエアコンを付けることになるとは思いもよらなかった。10年前はとにかく涼しいという印象だったので。

打ち合わせするために今回はほんの4日ほど滞在することになった。昨日自宅を8時30分ころ出て3時間弱で到着。だんだんなれてきて早くこられるようになった。コロナのおかげで途中停まらないで走ってきてしまうということもある。暖房や冷房やら温度対策がだんだん整ってきて、冬の寒いときにも来られるようになった。あとは運転のことが問題で、雪道を今まで運転したことがなかったので果たして大丈夫かどうか。

昨日一日のんびりして、今日は軽井沢のY子さんと浅間牧場でお弁当ランチ。抜けるような青空と暖かい日差しが眩しい浅間牧場の広い原っぱでY子さんの2段重ねのお重に詰められたたくさんのお惣菜と焼きおにぎりを頂いた。エビフライやナスの煮物、はんぺんとチーズの揚げ物、こんにゃく、ゴーヤなどなど。寒くもなく暑くもなくちょうどいい気候にこんな広々とした場所でご飯をいただく、この幸せさ。コロナで何もかも中止になった痛手が本当に癒やされる。

こういう日常の幸せさが一番いいのかもしれない。海外旅行の好きな私達は、それができないことを嘆いていたけれど、本当はこれで良かったのだと肯定できた。風や雲の流れ日の光、自然は美しい。

帰り道に浅間牧場付近のプリン専門店に立ち寄った。毎回この道を走っているのに今まで気が付かなかった。あまり派手に看板が出ていなかったし、私は自宅からここまで走ってくるとまもなく森の中の一軒家に到着するという安心感で脇目も振らず走ってしまう。Y子さんが寄ってみましょうと言うので、初めて入ることになった。店員さんの話によれば、このお店は10年ほど前にできたという。私がノンちゃんの家に来るようになったのもその頃。少しも気が付かなかったのは、道から少し引っこんだところにお店があるから。早く知っていればよかった。次回からは毎回ここによりそうな予感がする。

ガラスケースには様々なプリン。他にロールケーキなども。それぞれ気に入ったものを選んで家でコーヒーを飲むことにした。とまあ、ここまでは良かった。

プリンは本当に美味しかった。味の余韻を楽しんでいるとY子さんが、突然暖炉の周りに積んである薪が多すぎると言い出す。でもノンちゃんがいる頃からこうだったし私は少しも考えたことがなかった。これがもう少し片付けば部屋が広くなるとY子さんは宣う。いや、でも、だって・・・といっているうちにY子さんは整理整頓の鬼となり、物置のぐちゃぐちゃやら暖炉の前にだらしなく置かれていたマッチや炭などをさっさと片付け始め、その結果7個くらいの大きなゴミ袋がいっぱいになって、あーら不思議、部屋も物置もスッキリと整頓されてしまった。

思いついたらすぐにやる彼女と、今日やらなくても済むものは延ばすという私の姿勢の違いがわかる。追分のKさんと軽井沢のY子さんのおかげで我が家は徐々に片付き始めている。私はなんにもしないのに。

エアコンが入ったら電子ピアノを手に入れる。ヤフオクで見ていたら中古でも良いのが安く手に入りそうなのだ。他にも電子ピアノの修理工場のバーゲンセールとか只今検討中。ノンちゃんがこの家で開きたいと言っていたコンサートもまもなく実現するかも。でもそれは私次第、こうのらりくらりとしていてはね。
























2020年9月25日金曜日

当たらない人生

 宝くじを買って、その後どうしたかと言うと、くじをしまい込んだ場所がわからない。時々出てくるから家にあることは確か。見つけたときはこんなところにあったのね、明日くじ売り場に行って当たっているかどうか確かめようと思うのに、毎日忘れて今日まで。今どこにくじはいるのだろうか。今日こそはと思うので、家探ししてみます。どうせ当たってなんかないさ、これがいけない。それならバッグに入れておけばいいじゃない、と思うでしょう?それは私のことがまだわかっていない。バッグにいれたら必ずなくす。

今までくじとか福引とか、最高でも3等賞。いつもはほぼ外れだから、今回もそんなものだと思っている。けれど、調べなければわからない。もしかしたらストラディヴァリが買えるかも。もし1億円当たっていたら、動物と私の保護施設を作ろう。

今まで一番のあたりは郵便局で、年賀状についていたはがきを出したら、忘れた頃に毛ガニが届いた。郵便屋さんが毛ガニを持ってきたのでびっくり。新年から縁起がいいわいと思ったら、その年のあとの当たりはスキー場で当たられたのと、駐車場で車をぶつけたのとこの2つ。やはりなにも当たらないほうがしあわせなのだ。

もう一つは白金高輪の駅近く、商店街の福引で巨大な洗剤が当たってしまった。重くて持てないからいらないと言うと、そんな事言わないで、もったいないじゃないですか。それならあなたに差し上げます。私はいただくわけにはいきません。押し問答の末持って帰ることになって、難儀しました。せっかく美容院にいって髪がきれいになったのに、髪振り乱してウンウン言って帰ってきた。洗濯が趣味じゃないのに。

当たらないことはいいことだ。でも当たれば嬉しいでしょう。だから今回買った宝くじも当たっていれば感涙にむせぶ。1,000円でいいから当たらないかな。それには早くくじ券を見つけなければ。必死の捜査の結果、見つけた。昨日バッグに入れて今日駅近くのくじ売り場に行ってみる。結果がわかってしまえば夢はここでおしまいになる。もう少し夢を見ていたほうがいいかなとも思うし、又券をなくす恐れがあることを天秤にかけると、今日はとにかく売り場で見てもらうことにした・・・売り場によることを忘れなければの話。

行きは友人と一緒だから帰り道に密かに一人で寄ることにした。友人と一緒のときに1億円当たっていたら、その人に奢らないといけない。一人だったらこっそりと独り占め、ウヒヒとなる。でも1億円当たっていたら、その場で気絶するかも。そのときに友人がいてくれたほうが・・・妄想は次々と浮かぶ。

今日もモーツァルトをあわせる日、こんな浮かれたことでモーツァルトの音楽を曇らせてはならぬ。今朝も考えていた。モーツァルトは幼い頃からヨーロッパ中を馬車に乗せられ、その天才ぶりを王様や貴族たちに披露して歩かされて、大好きな母親と姉から引き離され本当に寂しい幼少時代だったと思う。ガタゴトと馬車に揺られ、寒い日やひどい天候の中でも旅をさせられたと思う。時々モーツァルトを彈いていると、絶望的なまでの悲しみに行き当たることがある。そういうとき私は涙が出る。

決して大声で叫ぶような曲ではない。それでも転調の瞬間、いいようのない悲しみが伝わってくる。かれは多動児だったと言われる。心が少しも休まらない、そのことが彼をそうさせていたのだと思う。天真爛漫?決してそうではなかったか、そうであってもそれだけではなかった。簡潔で必要な音以外の音は使わない。それなのにどんな複雑な曲よりも人々の胸を打つ。

Oさんと合わせてから又イタリアンでランチ。これで最近ちまちまとしていたダイエットが水の泡になる。











2020年9月24日木曜日

休んでいると

 投稿をサボっていると、世の中から忘れ去られそうで、毎日どうでもいいことをうだうだ書いています。

このところ急激に足の調子が良くなってきた。2年ほど前から徐々に足の痺れと足首の痛み、夜中の足攣り、趾の曲がりなどが連発して、これも歳のせいと諦めていた。階段を上がるのはいいけれど、下るのが大変で、手すりにつかまってドシドシと降りる。無様なものだった。それが少しずつ改善。O脚が治ってきて今はほぼ以前のように隙間が少なくなってきた。筋トレやストレッチもそれほど熱心にやったわけではないのに、多少食べる量を減らしたら体が軽くなっての結果。あな、おそろしや。原因は食べ過ぎだったのか。

片足立ちもやや改善。2ヶ月ほど前までは右足はほとんど片足で立つことが出来なかった。ほんの2秒ほどでひっくり返りそうになる。左足はそれでも7秒くらいはいけた。今は右足も5・6秒いける(ときもある)

ここ数日足の調子が良くて朝晩の散歩も楽しかった。それで今日は隣町で買い物をしてひと駅だから電車に乗らず歩くことにした。両手に買い物袋を下げていたら、以前のように足が痛くなってしまった。考えたのは、やはり足の筋力に見合った体重でないといけないということ。コロナ太りで家から出ないで運動不足、それに加えて他にすることがなくて食べ過ぎる。ほんの1口も回数が多ければ10口にもなる。

大きな災害があったら最低1週間くらいは持ちこたえられる食料が必要と思うから、冷蔵庫には常に食べ物がある。これがいけない。目に付けば食べたくなる。食べれば美味しい。災害が来るといけないからすぐに補填する。又食べる。

次のスキーシーズンまでに足が良くなることを期待している。スキーのブーツを履いてしまえば足首の痛みは感じないから滑れるけれど、ブーツの着脱が大変なのだ。猛烈に痛い。次のシーズンもこんなことなら考えてしまう。しかも滑ったあとでひどくしびれるので、眠れない。足の大切さを痛感している。

このところモーツァルトを彈きたいという人が複数いて、連続して合わせてもらっている。今日はその第一弾、ピアノはいつものSさんとソナタの11番、K.379を彈いた。私は今までこの曲を彈いたことがなかったので良く知らなかったけれど、これがどの曲にも負けず劣らずの名曲。モーツァルトの凄さを感じる素晴らしい曲だった。簡潔なのに骨組みがしっかりしている名曲で、本当にやってよかった。気分は上々、練習が終わって近所のイタリアンレストランでランチを食べる。このレストランは繊細な味が特徴で、その分ご主人はいかにも気むずかしそう。

次の日もまた合わせる約束がひとつあったけれど、台風接近につき中止。その次の日も又々・・・モーツァルトの大盤振る舞い。それほど皆さんモーツァルトがお好き。私は無人島に一つだけ持っていくとしたら?と訊かれたら、K.334のCDと答える。私はCDは持っていったものの、プレーヤーは忘れるという大失態をするにきまっているけど。

徐々に日常が戻ってきている。いつ終わるともしれないコロナ禍もそろそろ終焉かと思ったら、ヨーロッパでは又拡大しているという。聞くと泣きたくなってくる。

日本人はお役所からなにか言われると喜々として従う。自粛してと言われるとじっとしている。さ、遊びなさいと言われるとはっちゃけて、我も我もと遊ぶ。これが変。遊べと言われても芋の子を洗うようなプールとか、見たらさっさと帰ってきてください。2時間も並んで温泉につかるとか・・・もう、あきれている。いままでの努力を水の泡にしないでください。自分の身を守り他に人に感染させないように、もう少し我慢できないものかしらね。

遊びの質を替えたらいい。渋滞の高速道路、混み合った観光地、だいたいそういう場所は見当がつく。そんなところに行かなくても楽しめることはごまんとある。人が少ないと面白くないものなのか、不思議でならない。

明け方に急に咳き込んで目が覚めた。うはっ!大変、ついに私もコロナ?と思ったけれど、冷静になって水を飲み、漢方薬を飲み、咳喘息の吸入をしたらすぐにおさまった。こうしてこの半年以上怯えて暮らしているのだ。その後ぐっすり眠ったら朝食もりもり食べられて、胸をなでおろした。






2020年9月23日水曜日

The lion sleeps tonight - George David Weiss

http://nekotama-abc.blogspot.com/

このコーラスがあんまり素敵なのでちょっとご紹介します。
いいハーモニーですね。

2020年9月18日金曜日

今日出会った3つのしあわせ

 夕方近所の公園まで散歩にでかけた。夕日が茜色に雲を染めて、ああ、もう秋なのだ。

数日前から気になっていたのは、あるお宅の門扉の前に咲き始めた花。両手で包み込めるほどの大きさの白とピンクの花。あまりきれいなのでそっと手で触って通り過ぎようとしたら後ろから声をかけられた。中年の男性がニコニコと「きれいでしょう?」と言う。この花は私が育てたんですよ。種が出来たら持っていって育ててください、と言う。まだ種は青いから乾いてきたらいただきますと約束してきた。その人は自分が育てた花が人の目に止まったのがよほど嬉しかったらしく、満面の笑顔が弾けていた。

花の名前は後で調べてみよう。(投稿した日にここに書き込んだ名前で検索したら、とんでもなく卑猥なサイトに誘導されました。どうぞ忘れてください)

もう薄暗くなってきた公園に入ると、見覚えのある人と女性が話をしている。「おとうさん元気?」と女性。おとうさんとはこの人のこと。「元気だよ」と言う人を見ると、いつもこの公園のベンチに長い時間座っているホームレスさんだった。ベンチのそばに空き缶やダンボールの獲物をビニール袋に入れて頭をたれてじっとしている。ああ、この人にもこうやって話ができる人がいるんだと思ったらしみじみと嬉しくなった。

そして今日一番うれしかったのは、大阪に転勤した生徒が来たこと。コロナ感染の緊急事態宣言が解除された直後、彼女とレッスンの約束をしていた。けれど、彼女が実家に戻った日、会社の同じフロアで働いている社員の感染が発覚、自宅にも入らず、急遽大阪に帰ってしまった。レッスンも延期となった。今日は無事に久しぶりの再会となった。

大阪は面白いでしょう?と訊くと、いいえ、誰にも会わないし、どこへも行けないからつまらないです。カラオケでヴァイオリン彈いてますと。転勤以前より音が良くなったと思ったら、そういうことなのか。何もすることがなくて練習が出来て、私よりうまくなったら私はでかい面ができなくなってしまうなあ。電話のオペレーターでマスクとアクリル板の仕切りに囲まれて、他の人とは話をしないらしい。せっかく大阪にいるのにたこ焼きばかり食べていたという。大阪ならお好み焼きが美味しいのにねえ。いつかコロナが終わったら一緒に飲みに行こうね。

帰ってきたら、昨日フェイスブックでスッタモンダしたM子さんから知らせが届いていた。今年のイグ・ノーベル賞は京都大学の霊長類研究所の西村剛准教授が音響学賞を受賞したという。ワニにヘリウムガスを吸わせて声の変化を調べるという研究。なんじゃそれ!動物虐待ではないの。日本人はイグ・ノーベル賞を毎年受賞している。クソ真面目が売り物の日本人は案外ユーモアがある。落語なんて世界に類を見ない演芸ではないかな?

M子さんも私もこういうふざけたことが大好きなのだ。2年ほど前、イグノーベル賞の展示会に二人で行ったことがあった。会場に月面歩行の体験ができるコーナーがあったので体験を申し込んだ。特別なハーネスのような器具をつけて空中を散歩するような形になるらしい。ところが彼女は身長は十分なのに体重が軽すぎる、私は体重は十分なのに身長が足りない、ヒョロガリとチビデブのコンビなので。結局ふたりとも残念ながら体験できず、涙を飲んだ。

ワニの記事はこちら。

https://science.srad.jp/story/20/09/18/0222255/

https://www.asahi.com/articles/ASN9K4JTHN9GPLBJ003.html

花の名前はクレオメでした。何度きいても忘れてしまう。貝の幼虫クリオネと混同する。クリオネは天使のように可愛い姿に似合わず獰猛だそうで、この花はどうかな?






2020年9月17日木曜日

いかがお過ごしでしょうか?

 私は生ける屍と化していますよ。屍にしてはよく食べていますが。

コロナの影響はいつまで続くのか、もううんざりしている。どこへ行くにもマスク、誰に会うのもビクビクもの、なにをやっても面白くない。こんなにつまらんことは今までになかった。でも何を食べても美味い!これが摩訶不思議。

少しずつこの状況になれては来たものの、体がだるい。やる気が無いので心も重い。ついでに財布は軽い。なんてこった。いままであんなに面白かったものにすっかり興味を失ってしまった。今までの行動の原動力はなんだったのだろうか。人に会うことで会話ができる。いろいろ刺激を受ける、あの人あんなことを始めたんだって、それなら私も、よっしゃ!そうして社会が回っていたようで。

私の場合はヴァイオリンを弾くと会話ができる状態だった。でも人と会えないとなると、ヴァイオリンは見るものになってしまった。そういえば今の楽器の2台前に私が持っていた物は「ミルモン」というフランス製の楽器だった。出しやすく優しい音がした。健康で見た目も良かった。チェリストのナバラが同じ作者の楽器を持っていたようで、私は彼になんとなく親近感を抱いていた。あちらは東洋の小さな島国に住む小さな魔女が、まさか自分に心を寄せているとは思いも寄らない。ミルモンは今の楽器を購入するときに下取りとして出してしまった。今頃どこでどうしていることやら。高校2年のときから使っていたので、ひとしお思い入れがあるけれど。

ミルモンは私が当時師事していた先生の紹介で、ある弦楽器工房で購入した。初めてその工房を訪れたときには自分ひとりだけ。5つくらい楽器を出された。弾き比べてみると一番氣に入ったのがミルモンだった。ヴァイオリンはイタリアと相場が決まっているけれど、私がフレンチを選んだので、工房の主は大喜び。かれはフランスで楽器制作の修行をしたので、フレンチには思い入れが強かったようだ。本当にしっかりした良い楽器だったから、私は長年愛用した。

貸し出してくれて、私は家に2丁の楽器を抱えて帰った。数日後にミルモンに決めて購入、見るもんは弾くもんになった。

その時思ったのは、よくもその工房主が見ず知らずの高校生に楽器を2つも持たせたものだということ。今の価値に換算すると高級車が買える値段。それが2つだから。私だったら絶対に貸さないかなにか人質をおいていかせる。けれどなんのためらいもなく高価な楽器をぽんと貸してくれたのだった。彼の体型と同じ太っ腹、先生から連絡が入っているとはいえ、私の身なりはみすぼらしく見た目はとてもリッチとは言えない。

そこの工房には長くお世話になったけれど、ある時楽器の状態が急激に悪くなった。メンテナンスに出すと工房主は「楽器はわるいとこない、腕が落ちたんやろ(大阪弁)」

頭から湯気が出てそれっきり、そことは緣を切った。その後他の工房で見てもらったら、内部が腐食していた。時々コンサート会場で彼に出会うと気まずそうに大きな体を縮こまらせて、壁に向かって隠れているつもりでいる。見え透いているその肩をポンと叩いて「お久しぶりね、元気?」と言うと、飛び上がらんばかりに気がついたふりをする。それがなんとも可笑しかった。

その後「ガブリエリ」という楽器に出会った。「イ・ムジチ」のメンバーのコンサートでトゥッティーを弾かせてもらったときに彼から譲り受けた。彼が明日成田からイタリアに帰るという前日、彼が前に彈いていた楽器が日本で売れなくて持って帰るという。そのために最初の値段から半額になっていた。なんでも家が火事になってどうしてもお金がほしいという。最初の値段で売ろうとしても見た目が汚いので売れない。半額でどうかと。それでは明日成田に車で送るから一晩貸してと言って、夜中に彈いてみたら手応えが感じられた。見た目汚い、顎当てにカビまで生えている。でもコンディションが悪いにしては、芯に力強いものがある。半額なら買えない値段ではない。買っておいてもいいかも。そしてガブリエリは私のものになった。この楽器も、もう手元にはない。

最近こんな思い出話ばっかり!早くなにか面白い出来事が報告できるといいけれど、まだまだ当分過去の遺産で生きていくしかない。話はどうしてもヴァイオリンのことに戻ってしまう。本当にヴァイオリン彈きになるつもりがなかったのにヴァイオリン弾きになってしまった、やはり好きなんですね。早く楽器で会話がしたい。楽器を弾くにはエネルギーがいる。サボっていると太る。

生ける屍は屍なのに体重が増える、これが謎。







2020年9月16日水曜日

コロナもネットもウイルスが怖い

あまり勤勉な性格ではないのでメールのチェックなどはしょっちゅう遅れる。深夜にメールを見たらフェイスブックからメールが来ていた。M子さんから動画が届いていると。最近私はフェイスブックにもご無沙汰していたから、彼女との交信は久しぶり。あらどんな動画?

興味津々開いてみるとなにやら関係ないサイトに飛んだ。このサイトからあなたの位置情報を知りたいと言ってきていると言うけれど、?なにこれ。怪しいから一度閉じて、それで見つけたのは動画の下にあったメッセージ。

私の使っているパソコンはパソコン本体ではなく、パソコンに繋がったテレビの大画面で見る亊ができる。乱視なので小さな画面だと色々問題が起きる。この大画面にしたら楽々見えるようになった。その大画面に文字の大きさを拡大した画面が映るので、下の方までスクロールしていかないといけない。ちょうど動画の画面が写った大きさだったので、そのまま動画を開いた。だからその下にあったメッセージには最初気がつかなかった。例えばスマホなどで見ればもっと文字が小さいから全体が見えたかもしれない。

そのメッセージにはこの動画を開かないでくださいと。はあ?もう開いちゃったけど、どうしよう。M子さんからのメッセージには緊迫した様子が伺えた。すぐにパスワードを変えてくださいと。

だってだって、そんな事言われたって、私がこの手のスキルが無いことはよく知っているはず。頼みの綱のパソコンの師匠はこの夜中ではぐうすか眠っているに違いない。困った。でも見かけたところフェイスブックの画面に乗っ取られた形跡はない。たぶん開いてから先に進まずブロックしたから無事だったかもしれない。それにたぶんセキュリティーは何重にもかかっていると思う。

彼女にやり方を訊くと色々言ってくるけれど、私の画面と彼女のスマホの画面は違うようだ。様々なことを試してやっとパスワードの変更にこぎつけた。やれやれ、やればできるじゃん。いつもなら色々やっているうちにもっと事態は悪くなるのだが、今回は必死だったおかげで、なんとか出来たようだ。

M子さんもパニック、私もあわあわ、何回かメールのやりとりをしているうちに、彼女からなんで開いちゃったのとメールが来たのでムッとする。私が悪いって言わないでと返信すると、彼女は必死で謝ってきた。パニックになったのでは仕方がない、可哀想だから怒るのをやめて仲直りした。

今朝管理者にチェックしてもらうとWindows Defenderでフルスキャンをするといいと言うのでやってみたら、ウイルスは見当たらなかった。こういう頼りになるサポーターがいるなら安心だけれど、そうでなかったら今頃ハラハラ・ドキドキで胃が痛くなっていた。

パソコンの用語でウイルスが0回見つかったという言い方。面白い。1つも見つかりませんでしたとは言わない。もしインド人が0という数字を発見(発明?)しなかったなら、この世界はどうなっていたのかななんて呑ん気に考えられるのも、なにも被害がなかったから言えるのであって、そうでなかったら今頃ワンワン泣いているところだったかもしれない。

この世界侮るなかれ、うっかり詐欺に引っかかってお金を引き出されたという事件がつい最近あったばかり。ゆうちょ銀行でも見つかったそうなのだ。怖いのは、こういうスキルの高い詐欺師がいても、肝心の銀行や役所が対応できないという現状。真っ先に勉強しなければいけない連中が、出来なくて外部に仕事を発注したりしないことを祈るのみ。

ある詐欺事件で、私の家に警察の知能犯罪係りの担当者が来てパソコンを見ていったことがあった。この高度に整理されたパソコンがこんな老女の使うものとは信じられなかったのではないかと思っている。今回はサポートを受けている安心感が半端なかった。プロはすごい!

もう少し若かったらね、私もプロになれるほど勉強したかもしれない。本当は嫌いじゃないのよ、こういうこと。今はもう手遅れ、残念だなあなんて。でも80才過ぎてパソコンを始めてプログラマーになってしまった女性がいた。もう遅いということはないかもしれないけれど、根が不精だから無理、気まぐれなのもだめ。

フェイスブックは始めてすぐに後悔した。なんだか気持ち悪い男性から友達申請が来て、無視したら絡まれた。やめようと思うけれど、せっかく友達になった人たちとはつながっていたい。結局滅多にチェックしないから、誕生日のお祝いメッセージに気がつかなかったりして逆に不快にさせているかもしれない。やめ方がわからなかったのもあるけれど、昨日のすったもんだでやり方が分かった。これでいつでもやめられると思ったら安心した。安心したら、もう少し置いといてもいいかなんて。やはり不精は死ぬまで治らないらしい。



























 

2020年9月13日日曜日

運転免許証返納

 私ではありません。私の姉が早まって運転免許証を返納してしまった。それで身分を証明する一番便利なものがなくなってしまった。

姉は専業主婦だから今までは携帯電話を持つ必要はなかった。けれど、私と時々北軽井沢に行って私より早く帰るときに、ちゃんと無事にたどり着いたかどうか連絡できないと心配しになる。森の中で一人で散歩して家がわからなくなったら困るし、そういうときに携帯は今や必需品。心配だから携帯を持つようにすすめると本人も必要性を認めていて、買うことにした。

私のパソコンを管理してくれるH氏が、すべての用意をしてくれた。私と同じ機種を持てば、私が使用法を教えられる・・・かな?で、同じ携帯電話器が用意された。手続きに必要な細かいレシピを印刷してもらって、私が姉の後見人として偉そうにショップに出かけた。用意万端ひとつとして漏らしたものはない。身分証明書としては免許証が一番だけれど、姉は返納してしまったので保険証とクレジットカード。その2つがあれば大丈夫。

で、なんとクレジットカードが期限切れだった。あわあわ!

現在そこに住んでいるという証明に使うものが必要だから、電気、ガス、水道などの領収書があればいいと言われても、姉はそんなものをとっておくような人ではない。姉妹ともにいい加減なので。

どうも調子よく亊が進みすぎた。”この”私と”この”姉のコンビニは世の中に怖いものはない。なんでも横車が通ると思っているフシがあって、今まではそうやって生きてきたけれど、流石に最近はそうもいかなくなっている。今は戦後のどさくさ時代ではないからね。

さてどうしたものか。ショップのおねえさんが助けを出した。住民票があれば言うことないんですが。なんだ、それなら最初から住民票といえばいいのに。すぐに区役所に行って住民票ゲット。ついでに食事までしても次の予約時間の1時間前。私が最初に予約したのはその時間だったけれど、おねえさんとしてはこの老女二人がそんなに素早く動けるはずはないと思っていたらしい。どうしても、もう少し遅くしろと言うから言うことをきいたけれど、ほらね、私は普通の婆さんではない、魔女なのだ。今から行っていいかと問うと、大丈夫というからショップに行ってすべての手続は完了した。

おねえさんは「早かったですね、区役所は空いていたんですか?」いつもと同じだったけどね。だって計算すればそんなに時間がかかるわけないでしょう、月まで行くわけじゃないし。

済んだ途端にどっと疲れが出た。使用法を説明しようかと思ったけれど、姉も疲れたから明日にしてと言うから、まだ教えていない。大体、私がうまく説明できるかどうかは不安。

姉は北軽井沢に行ったとき、田舎暮らしをするにはどうしても車は必需品と最近悟ってしまった。車でないと普段の買い物でも重たい野菜などは買うことができない。私がいないときでも買い物に出かけられるし、もう一度免許とりに行こうかしらなんて言っている。免許を取得するのに年齢制限はあるのかな?本当のことを言えば運転はやめてもらいたいけれど、免許証は役に立つ。私のように毎日運転していれば、それほど技術は忘れない。ただし、慎重にしすぎるほど慎重に運転するようにしている。若いものにはまだまだ負けないなんて思い上がりは禁物なのだ。

免許証返納のことについてはこちらの「たまトラ」参照してください。