2018年12月30日日曜日

消えた成城石井

謎である。

最近隣の町は、住みたい街の上位にかならずランクされるほどの発展を遂げた。
最初のうちは人口の増加に街の整備が間に合わない風で、行ってもさして面白い街とは思わなかった。
腕の悪い美容外科やたいして目新しいものがないスーパーマーケット。
元が焼き肉とパチンコのお店しか目立たなかったから、なーんだ、面白くもない。
バカにしていた。

一昨日、紅茶の専門店を見つけた。
やれ、うれしや、ずっと美味しい紅茶が飲みたかった。
アッサムのミルクティーを注文するとアッサムのストレートはなく、他のものとのブレンドしかないという。
ではそれで、濃い目に入れてねと頼んだ。

うるさいことを言ったから会計のときにいかがでしたか?と訊かれた。
実は少しも美味しくなく、茶葉が少なすぎるのでいくら待っても濃くならなかった。
薄いミルクティーは冷めて美味しくなかった。
もう少し愛情込めて淹れてくれれば常連になったものを。
はい、と曖昧に返事をして店を出た。

出たところに食器類を売っている店。
その先に、あら、成城石井が出来たんだ。

一番目につく通路側にサラダやパスタなどの惣菜のケースがあって、美味しそうなので少しゲット。
店を出るとすぐ電車の改札口があって、隣の我が家の最寄り駅まですぐ帰れる。
散歩に疲れたら電車で帰れるし、元気があれば歩いて帰れる。
これは良い所にできてくれたと喜んだ。

次の日、今日もあそこで買い物をと思って行ったら、どう探しても店が見当たらない。
たしか紅茶専門店のここを通って、次に食器の店を過ぎて・・・・
あらあら、ない。
何回行ったり来たりしてもない。

ついに諦めた。
階を間違えたか、建物を間違えたか。
そんなに広くはない駅構内のビルだからすぐに見つかると思ったのに、見当たらない。

しかし悔しい。
確かに成城石井だった。
店の名前を間違えたのだろうか。
でも特徴的な食品の並べ方だったから、側に行けばすぐわかるはず。

三度目の正直。
今日、もう一度行ったら、あった!
なんのことはない、昨日行ったり来たりしたフロアに澄まして居座っていた。

一体なんだったのかしら。
狐につままれたような話。
これって認知症の始まり?それとも店が休みだった?
いや、そんなはずはない。
この年の瀬に休むなんて馬鹿なことはしないだろうし。
他の店は全部同じフロアにあって記憶しているのに、成城石井だけ見当たらないなんて。

見つけようという気持ちが強すぎて、看板が目に入らなかった?
とにかく不思議な出来事だった。

私は物忘れ名人。
鍵や携帯はしょっちゅう探しているけれど、あんな大きな店が見つからないとは、しかも周りの店にはちゃんと行っているのに、そんな馬鹿なことって・・・
何かしらの心理的な働きがあったのか、それとも本当にボケたのか。
謎は深まるばかり。

隣町までは片道徒歩25分。
ちょうど良い散歩コースになる。
最近ずいぶん面白そうなので、新しい店を探索する楽しみが増えた。












2018年12月23日日曜日

時間が錯綜

nekotama ニューヨークお上りさんの巻を読んだ優秀な専属ツアコン兼通訳のY子さんから、指摘があった。
どうやら行動日が1日ずれていたようだ。
しかし猫がなにしようと読んでくださる方たちには重大な影響はないから、そのままにしておこう。
オペラの鑑賞はマチネー以外たいてい遅い時間なので、1日ずれていても時間的には昼間中観光可能。
トランプタワーでトイレを借りた話は、まだでしたっけ?
トランプさんの家のトイレではないから、誰でも入れるんだけど。

で、ニューヨークと東京での違いについて。
人々のあるきかたが違う。
歩く速さが日本での倍くらい早い。
しかも決してぶつからない。
他人との間合いをとって計算して歩く。
私は元々とても歩くのが早いから、渋谷などではいつもイライラしている。
若い子たちですらダラダラ、周囲のことはお構い無しでスマホを見ながら歩く。
歩きにくいったらない。
時々蹴散らしたくなる。

海外旅行から帰って自宅までの電車やバスで見ると、暗い疲れた顔をした乗客のなんと多いことか。
疲れて背中丸めて歩き、座席でだらしなく眠りこけている姿を見ると、日本大丈夫?
いつもそう思う。
たとえ発展途上国と言われるような国であっても、日本人のあるきかたよりマシなのはどうして?

座席でだらしなく眠りこけると言えば、昨夜、豊田ファミリーのコンサートに行った。
かつての日本を代表するヴァイオリニスト、豊田耕児さんの息子さんが二人。
ヴァイオリン豊田弓乃、チェロ豊田里夫、ピアノ海老彰子。
みなとみらい小ホール。

シューベルト:ピアノ・トリオ第2番
ドビュッシー:チェロ・ソナタニ短調
ブラームス:ピアノ・トリオ第1番

こんな素敵なプログラムなのに、時差ボケか本物のボケかわからないけれど、終始爆睡。
音がとても良かったせいもあるかもしれない。
みなとみらい小ホールは音響も見かけも素晴らしい。
最初のプログラムのシューベルトは、長くて熟睡するにはピッタリの曲なのだ。
私はこの曲をかつてトリオのコンサートで弾いたとき、あまりにも長いのでどこかでカットできないものかと3人で相談したことがあった。
結局転調に次ぐ転調で、どうしても短くできないので諦めたことがあった。
素敵な曲だけど長いというのが、シューベルトの特徴。

私はトリオの第1番より2番のほうがすきなのに、昨日メロディーを歌おうと思ったらとっさに出なかったのがショック。
でも友人が「いつ頃の作品なのかしらね」と言ったときすぐに「作品100よ」と口をついて出たのは、我ながらびっくり。
非常に切りの良い番号だと覚えていたけれど、急に自分の口から作品番号が飛び出したので自分で腰を抜かしそうになった。

しかし、条件反射というか、私はシューベルトを聴くと、はじめの音と最後の音しか聴いていない状態になるのは困ったもので。
「冬の旅」などのリートを聴くときにはそういうことはないけれど、心地よく眠れる要素がシューベルトにはあるらしい。
目覚めたときスッキリ。
それで作品番号がすぐに出たものかとも思える。

ニューヨークに滞在中、日本で故障していた膝と足首が一切痛まなかった。
これが不思議。
寝起きに体が固く少しギクシャクしても、動き始めてしまうとほとんど普通に動けた。
これもあるき方に関係あるかもしれない。
帰ってきたら又猛烈に痛い。
階段が降りられない。
今から半世紀前にアメリカに行ったときに、此の国で行動するのはなんて楽なんだろうと思ったことがあった。
実際暮らしてみたら全然違うと思うけれど、ちょっと滞在する分には、海外は日本より過ごしやすい。
彼らの文化が個を大切にするからかもしれない。

日本の公共の場で驚くのは、平気で距離を詰めてくる。
周りに気を使わずだらしない。
おばさんだけかと思うと若い子でも同じ。
あれが不愉快でたまらない。
え!こんなに近くに寄る必要あるの?みたいに。
国民みな家族の考えなのかもしれない。

以前ゴミの問題で私がご近所と丁々発止!えいやっと切り結んでいた頃、匿名の手紙がきた。
「ご近所とは仲良くしないといけないと思います」という内容。
冗談じゃない、こちらは決して喧嘩を売っているわけではなく議論したいだけなのに、それができない人たちでまいったことがあった。
本当にあきれるほど感情的で話し合うことができない。
それが日本人の体質かと思って絶望したことがある。
これがいじめの根源になることに気がついてもらわないと、なにが仲良くかと思う。
仲良くしなくてもいいから、ちゃんと話し合いができる、議論ができるような近所関係ならいいのにと。

話がどんどんずれていくけれど、たまに海外に行くとガス抜きになる。
日本の良さも十分承知しているけれど、ものすごくテンポが早いのにゆったり感のある外国と、ダラダラしていてぐちゃぐちゃな日本。
私は足が短いくせに歩くのがひじょうに早いし個人主義者のところが、どちらかというと外国の方があっているのかもしれない。
ただ「ハレルヤコーラス」で聴衆が一斉に立ち上がると、象の大群にかこまれたような気持ちになるのにはどうしても慣れないかもしれない。















2018年12月21日金曜日

椿姫とメサイア

帰国前日は盛り沢山なメニューが待っていて、怠け者の私もついに一日に2つのプログラムを鑑賞することになった。
このツアーの目玉はヴェルディ「椿姫」
私はヴェルディのオペラはどうも苦手で「椿姫」も大傑作だとは思うものの大好きかと訊かれると、6番目くらいになってしまう。
しかし、このツアーはこれが目的で組まれているので、さようならとはいかない。

私がまだ学生の頃、イタリアオペラが来て大騒ぎ。
私達は渋谷のチケット売り場に徹夜で並んだ。
今でこそソプラノ歌手でもほっそりしている人が多いけれど、当時はすごく太っていると相場が決まっていた。
痩せていては声がでないという伝説があって、まあ、多少影響があるかもしれないけれど、その後キリ・テ・カナワのように痩せていても声が出るということがわかって、騙された気がした。
昔の椿姫。
すぐに死ぬはずなのに、相手役の手が回りきらないほど太っていて、歌詞は「パリを離れて静かなところにいけば、あなたの病気も治るでしょう」と歌われると「うそだ!」と叫びたくなった。

今回の椿姫は世界中に発信するための録画が取られるというので、特に美しい人が選ばれたのかもしれないけれど、上品で美しいプリマドンナだった。
このオペラの腹の立つところは、アルフレードの父ジェルモンの身勝手さ。
自分の娘の幸せのために他の女性を犠牲にする。
「娘さんに伝えて」「あなたの幸せの陰で死んでいく私がいるのを忘れないで」と歌うヴィオレッタ。
しかし、私が一番好きなのは、ジェルモンがアルフレードに田舎へ帰るように歌う「プロバンスの海と空?」「空と海?」だったかしら。
ヴェルディのオペラは確かにどれも最高傑作だけれど、時々理不尽さを感じてしまう。
なんだか私には濃すぎる。

その日の「椿姫」は完璧、文句のつけようのない素晴らしさで聴衆は総立ちの熱狂ぶりだった。

その夜は多くの献立があって、プッチーニの3部作「ジャンニ・スキッキ」などと、ミュージカル「オペラ座の怪人」ヘンデル「メサイア」を選択できたので、私はためらわず「メサイア」を選んだ。
オペラやミュージカルもいいけれど、私はニューヨークフィルが聴きたい。
特に小さなトランペットの音が聴きたい。
きっと素晴らしくうまいに違いない。
ここは本拠地のニューヨークだし。

一人でオペラハウスの近く、リンカーンセンターのデヴィッド・ゲッフェンホールへ歩いて行くことにした。
夕暮れが迫っているセントラルパークを過ぎて、もうすっかり慣れっこになった道をたどる。
旅の途中で一人で行動することは、緊張感と新鮮さを伴う。
最近のニューヨークは安全になったといえども、油断はできない。
それでもなにも好き好んで婆さんを狙う人もいないだろう。
でも黄昏時、顔が見えなければ女の子と間違えて誘拐されるかもしれない。

会場にはオペラハウスで見かける人たちとは雰囲気の違う人種がいる。
もう少し地に足が付いたというか、あまり着飾ってもいないし、ごく普通の雰囲気が好ましい。
食後の楽しみにオーケストラをちょっと聴きにといった風で。

この会場は一見すると質素。
茶色で統一されて木をふんだんに使った内部。
座席も手すりなども簡素で、しかしなんとも言えない居心地の良さ。
それはオペラハウスのような豪華さはなく、まるで近所の公会堂に来たような感じ。
これがニューヨーク・フィルの本拠地?
しかし音響はとても素晴らしかった。
見てくれよりも実質かも。

出演者が出てきたら、なんだかやたらと女性が多い。
私の目的の小さなトランペットはどこに?
たしかティンパ二がないといけないはずだけど、どこ?
あるべきところには歌のソリスト。
えっと!女性は2名いないといけないはずなのに一人だけ。
歌いだしたら、なるほど。
男性歌手の一人はカウンターテナーだった。
体型は少し華奢で、透き通るような女声を出す。
音域は高いけれど完全な女性の声とも違う。
当時もカウンターテナーが歌ったのかしら?

序曲が始まった途端、あまりの気持ちよさにぐっすりと寝てしまった。
ほい、しまった!
しばらくして目が覚めると、透明感のある柔らかな音が響いている。
ああ、美しい。
しかし、モダンヴァイオリンにしては音が柔らかいと思ってよく見たら、ヴィブラートを極力抑えて演奏している。
それで古楽器の音に近いのか、あるいは本当に古楽器を使っていたのかは目が悪くてよく見えない。

後半、お目当てのトランペットがステージに出てきた。
前半彼らはテラス席で吹いているのが見えた。
期待が大きすぎたか、トランペッターが緊張していたか、かなり音程高めでおやまあ。
吹き始める前にステージでペットボトルから水を飲んでいるのが見えた。
相当緊張していたのかな。

ハレルヤコーラスで立ち上がると前後左右、象の大群に囲まれたみたいで、私は草原の子うさぎちゃん状態。
日本でも小さめなのに、アメリカでは人に埋没してしまう。

















2018年12月20日木曜日

ラ・ボエームの次は

ラ・ボエームはとにかく泣ける。
よくできたオペラ。
今回の歌手は名前も見ないで聴いていたけれど、ミミは可憐でいいけれど、ムゼッタの蓮っ葉さが中途半端。
もう少し過激だと最後に彼女がミミのために心を砕くところが効いたのにと思うけれど。

メトを批判するとこちらが批判されそうで怖い。
ロドルフォの高音に難あり。
高音を出すときに彼が一瞬自分を疑ったように見えたのは考え過ぎかもしれないが、ああ、やはり外れたなと思うのが私の意地悪なところ。
特に私は「わが古き友、さらば」とバスで歌われる外套の歌がたまらない。
だがコルリーネ役の低音に難ありで。
これはバス歌手には酷かもしれない。
バス歌手はほとんどアリアの出番はない。
「魔笛」のザラストロのアリアもたいてい最低音が音痴になる。

いやそんな事言わずに、ただ泣いていればいいのだが。
オーケストラの細かいパッセージまではっきりと聞き取れるのは、オーケストラプレーヤーの腕とこの劇場のオーケストラピットの音響がいいのか。
時々お見事と叫びたくなる。
しかし、大抵の人は歌は聴いてもオーケストラは単なる伴奏と思っているらしい。
オペラは総合芸術だから歌のことばかり言わないで、すべての事に気を配ってほしい・・というのが我々オケマンの儚い希望なのだ。
ところがそこまで神経を研ぎ澄ますと、一晩聴くと疲れる。
だから何も考えず、のんびり泣いているのが一番良い聞き方かもしれない。

次の日はヴェルディ「オテロ」が用意されていたけれど、私はパス。
このオペラは、イアーゴの悪巧みが徐々に毒のように効いてくる経過がわからないと、オテロは単なるお馬鹿さんになってしまう。
たぶん歌の意味がわからず聴いたら、なんか暗いオペラで終わってしまう。
デズデモーナの可哀想さがわからない。
「柳の歌」あたりで私の涙腺は破壊する。
そのあまりの可哀想さに、私は顔がかぼちゃみたいに腫れ上がってひどいことになる。
ニューヨークに来てかぼちゃになりたくないけれど、せっかくメトに来て聴かないのも馬鹿だとは思う。
誰か、元々かぼちゃみたいな顔だと言わなかった?空耳?
しかし、毎日オペラ浸けでは体がもたない。

オテロをパスして、ハドソン川のクルージングにでかけた。
冷たい雨まじりの風が吹き付ける中、結構なスピードで船は進む。
今まで足で歩いていたニューヨークの高層ビル群を外から見ることになった。
歩いていると自分の周囲しか見えないけれど、外からぐるっと眺めると、とても調和のとれた街であることがわかる。
建物に統一感があって、日本のように思いつきで次々と新しいビルを建てるようなことではなく、色や窓などの形に一定の約束事があるようだ。
しばらくするとあの有名な自由の女神が巨大な姿を表した。
巨大なだけではなく、実に芸術性の高い作品であることがよくわかる。
かつてこの地を目指した移民たちが、この像を見て胸を踊らせたにちがいない。











2018年12月19日水曜日

巨大な朝食

一夜明けて、前日遅く着いた他の同行者とご対面。
その中に旧知の女性がいて、彼女はさる音大の声楽家出身でY子さんのゴルフ友達。
宿泊するパーカー・ニューヨークは朝食が有名らしい。
私が選んだのは2種類のキノコとフォアグラのパンケーキ。
運ばれてきたのは4人前もあろうかと思える巨大なパンケーキの上に、クリームシチュウがとろりとかかっている。
見るからに美味しそうだけれど、あまりにも量が多すぎる。
食べても食べても減らない。
味は本当に最高だった。

ほんの少し余ってしまったけれど、その一口がもう入らない。
恨めしげにお皿を見て、このくらい入るかと試みようとおもっても、入らない。
ま、いいか、まだ次回があるさと断念した。
あとでこれが後悔の元になった。

その日は自由参加でグラウンド・ゼロやユニオンスクエアのクリスマスマーケットなどのツアーが用意されていた。
私たちはグラウンド・ゼロは見たくないので断って何をしたかというと記憶がない。
個人の邸宅が美術館になっているフリック・コレクションに行ったかと思ったが、それは次の日だし。
ハドソン川のクルーズは次の次の日だし??一体何をしていたかしら。
とにかく忙しく飛び回っていたのは確かなんだけど。
時差ボケはほとんどしたことがないと豪語している割には、時差ボケかしら。
いやいや、本当のボケかも。
トルコ人の青年が、ジミーという馬を御してくれたのはこの日だったかな?
セントラルパークには、綺麗に飾った馬車に乗って一周するコースがある。
歩いて見るのも良いけれど、御者のガイドを聞きながら少し高い目線での馬車からの眺めも良い。
とにかくよく遊んで目的のオペラの初日。

最初に見るオペラはプッチーニ「ラ・ボエーム」
私の好きなオペラの三指に入る。
「魔笛」「ラ・ボエーム」「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」と続く。
プッチーニのオペラは誰にもわかりやすい。
オーケストレーションの巧みさと歌の旋律の美しさ、難解なストーリーではないから筋書きが音楽の邪魔ではないなど美点が多い。
特にボエームは筋は単純ながら登場人物の若々しさが伝わってくる切ない物語なので、誰にもあった青春時代が蘇る。
私は序曲が始まった途端うるうる。
家で一人で歌っていてもすぐに涙ぐんでしまう。

はじめてのメトロポリタン歌劇場なので、おしゃれをしたい。
けれど旅先に靴やバッグをいくつも持ってくるのは大変。
履いてきたのは編み上げのブーツだから、ドレスには合わない。
色々考えた末に、薄手のシルクのドレスにベルベットの上着、かかとの低い黒い靴。
本当は思い切りヒールの高い靴といきたかったけれど、出発前に膝や足首を痛めていたので断念した。
珍しくネックレスなどしたら、犬の首輪みたいで落ち着かない。
だいたい私がスカーフなど首に巻くと、工務店のおっさんが手ぬぐい巻いているように見える。
おっさん、引き合いに出してごめんなさい。

少し雨模様なのでバスは正面ではなく、横の通路に横付けされた。
雨に濡れないようにとの配慮だけれど、初めてはいるのに堂々と正面から入りたかった。

お約束どおり、私はほとんど鼻をすすって泣いていた。
なんて単純な物語。
だけど、これほど泣かせられるのは音楽の力。
プッチーニの音の魔術にハマってしまった。






















2018年12月18日火曜日

暖かいぞニューヨーク

さんざん寒いと脅かされたもののニューヨークは暖かく時には汗ばむほど、1日だけ少し寒かったほかは、寒いところが好きな私にはごきげんな気候だった。
初日は昼過ぎにホテルに到着したのでチェックインは諦めていたものの、幸運なことにすんなりと部屋に入れてもらえた。
このホテル名はパーカー・ニューヨーク。
六番街と七番街、56丁目と57丁目の間に位置している。
と言っても私ははじめてのニューヨークに詳しいわけではないでよくわからないながら、非常に便利なところにあるらしい。
五番街というのが大変賑やかで近く、ロックフェラービルにも、セントラルパーク、オペラ座にも近い。
買い物も食事にも便利。
なにより嬉しかったのは、あのカーネギーホールのすぐ傍だったこと。

12時間を超える長い飛行のあとでも疲れを見せないY子さんにハーネスを付けられて、セントラルパークへとでかけた。
かつてのセントラルパークは非常に危険だったという話だが、今はとても安全で家族連れが多い環境に変わったそうなのだ。
公園を抜けて向かったのは、アメリカの自然歴史博物館。
入り口を入ると広すぎて、一体どこからどう回っていいかわからない。
とりあえず展示室に入ると、たくさんの民族の様々な衣装や使っていた道具などが展示されている。
特に鳥類の凄まじい種類の多さに圧倒された。
マンモスや猛獣類も多分原寸大。
こんな大きな動物がかつてそのへんを闊歩していたのだろう。
これは1日では見終わらない。
次回があればそのときに又来よう。
プラネタリウムもあるようだけれど、時差ボケの状態で見たら、きっと閉館まで眠ってしまうに違いない。

夕方からロックフェラービルに登って、エンパイアステートビルとその他2本の高い塔の青い電飾が並び、目下には街中がキラキラ輝いているのを眺めた。
ここは何階だったか忘れたけれど(60階?)、かつてはエンパイア・ステートビルからの眺めが人気だったもののお株を奪ったということだった。
混み合った展望台を抜けてからバスツアーへと向かった。

やってきたバスは座席が横向きで外が見えるように並んでいる。
大変面白そうと思ったのは束の間。
ガイドさんのキンキン声と音楽の大音響で、1時間15分のツアーは責め苦に等しい。
面白かったのは途中の道筋にスタッフが待ち構えていて、ストリートミュージシャンのフリをして、中のスタッフと会話したり歌ったり、外からバスの客を楽しませたこと。
これが大音響の原因かもしれなかった。
とにかく終わったらホッとしてそそくさとバスを降りた。
せっかくY子さんが特等席を確保してくれたのに、しばらく耳がツーンとして治らなかった。
アメリカ人は食事の量も甘さも半端ない。

半端ないといえばセントラルパークの広さも、こんな大都会にこれほどの広さを持つ公園ができたのも驚き。














2018年12月17日月曜日

ニューヨークへ

色々煮詰まっているところでお誘いを受けて、ホイホイとニューヨーク詣でをしてまいりました。
あまり長いことブログへの投稿を控えていたので、時々「生きているのかな?」的なメールなどを頂いてご心配かけましたが、なに、生きておりますとも。

私の脳は大変単純にできておりますので、一つのことしか考えられない。
今はまだ、色々な事務処理に頭が行っているので、ブログにまで考えが及ばない。
人間が単順で多岐にわたる思考はむり。

12日の朝、羽田発ニューヨーク行の飛行機に乗り込んで、長~い空の旅が始まった。
私の御者は南青山のY子さん。
じゃじゃ馬を連れてのニューヨーク観光はさぞ、気骨が折れたこととお察しする。
先月頃「ニューヨークへ行きませんか?」とのお誘いを受けて、その頃になればあらかた物事の整理は付いているだろうと乗っかったお誘いだったけれど、やはりまだ色々片付かず。
えい、どうにでもなれと猫を私の家の上の階に住む女性に託して日本を離れた。

猫一匹にキャットシッターが3人。
お姫様扱いなのにうちの猫は押し入れで怯えて暮らしていたと、帰ってきてから聞かされた。
帰宅したら目が爛爛として、フーフーうなりまくる。
これだから帰るまでは本当に心配なのだ。

心配しながらも空の上に行ってしまえば、気持ちははるかニューヨークへ。
アメリカのところどころ部分的には4回くらい行っているけれど、ぜんぶ西側で東は初めて。
同行のY子さんは英語の名人だから、私も大船に乗った気分。
今回はニューヨークのメトロポリタン歌劇場のオペラを鑑賞するというツアーに半分乗った形で参加した。
オペラのチケットの入手はツアーで手に入れたほうが楽だけれど、あまり大勢で行動するのは苦手な私達は飛行機の便は別。
オペラ以外の観光ツアーはキャンセルというはなはだわがままな参加の仕方での参加となった。

そのかわり自由にニューヨークの街を闊歩して、大変楽しかった。
ことの詳細は次回として、皆様、ご心配おかけしましたがnekotamaは変わらず元気です。
まあ、時々はうつ状態になったりもありましたが、一過性のものです。

先年、カルガリーにスキーに行ったとき、11時間ほどの飛行時間、帰ってきてからもう、こんな長時間のフライトはまっぴらと思っていたのに、今回はそれを上回る長さ。
13時間くらい?
狭い座席で座っていると、足がむくんで立ち上がれなくなる。
そして帰りはもっと長い。
往路の機内は空いていて、私は座席を3つつなげて足を伸ばしたから、実に快適だった。
Y子さんはお金持ちだからビジネスクラス。
足を伸ばせないという心配はないらしい。
ツアーの他の人達よりも早い飛行機だったから、先に到着した私達はセントラルパークに散歩に出かける。
時差の関係で一日長く使えるから、その日だけでも、自然博物館やロックフェラーのビルからの夜景を楽しみ、バスのナイトツアーに参加と、盛りだくさんのプログラムで、それはぜんぶY子さんのアレンジによるもの。
下手なツアコン真っ青の充実したアレンジの一日になった。
他の参加者が到着するのは夕方遅く、私達は丸一日儲かった気がした。

目的のオペラのことは次回に。















2018年11月12日月曜日

プロの技

掃除は苦手。
そうかと言って掃除のプロに頼もうとすると、まず室内を片付けなければと思ってしまう。
見栄もあるけれど、あまりにも散らかっていると掃除がしにくいだろうし、効率が悪く時間を無駄にさせると思うから。
そういうことで長年業者に頼みたいのに、頼めないでいた。

知り合いに掃除の会社の役員がいた。
彼に会社から誰か派遣してと頼むと「いいよ、俺がやってやるよ」
そう言いながらやってくれたためしがない。
どうせ掃除しないでお酒を飲む目的だと思うから、あえてそれ以上頼まなかった。
それで我が家は20年来の汚れが増殖していた。

今回部屋のリフォームをするので、これがチャンス。
ぜんぶリフォーム会社からの派遣だから、安心できる。
以前キッチンを掃除してもらったときに、完璧だった人なので。

まず、ものすごいのは、私のベッドの頭の上にある北側の小窓。
そう、私はずっと北枕で寝ています。
網戸のサッシが外れないので自分ではどうしようもなく、ブラインドを上げなければ見えないのを幸い、見ないことにしていた。
時々風を通すときにどうしても見てしまうと、そのおぞましさに震えた。

今朝、作業する人にまず言ったのは、そこの窓をよろしく!
馴れているのかよほど肝っ玉の座った人なのか、それを見ても顔色一つ変えないのは賞賛に値する。
私だったら、ギャーッと叫んで失神するほどの見事な汚れっぷりなのに。

昼頃様子を見に行ったら、なんとまあ、美しい!
これだけきれいにするのにどれほど時間がかかったことか。
予定は16時終了のはずが終わらない。
結局ぜんぶ終わったのは予定時間を大幅に上回った、19時。
たっぷりと汚してあるのでたいそうやり甲斐があるとは思うけれど、20年の積もった汚れが見事なまでに消えたのは、多少惜しい気もする。
家に歴史あり、ゴミに人あり・・・なんじゃそりゃ。

良い世の中になったものだわ。
掃除が苦手の人は、家をきれいに保つのはひと苦労。
家政婦さんがやってくれるようなお金持ちならいざしらず、我が家のような赤貧洗うが如き家では、昔は自分でやらなければならなかった。
手は荒れ、腰は痛む。
時々気が向くと、申し訳程度に目立つところだけゴシゴシ。
物陰にはのうのうと暮らすカビたち。
今は掃除専門業者がいて、やってもらえる。

リフォームはまだ半ば。
あとは電気関係とドアの取り替え階段のシートの張り替え。
それで又1週間。
猫は隣の部屋へ隔離されるのには、少し馴れてきた。
それでもまだ文句たらたら、ぶうたれている。
今日は初めて私が昼寝しているソファに来て喉を鳴らした。
昼寝の習慣のない私も流石に疲れて、ちょっと横になったらぐっすりと寝てしまったらしい。
電話のベルで目が覚めて慌てて受話器をとったら、足首を痛めてしまった。
その後、足がつって痛いのなんのって。

ピカピカになった部屋に戻ってお風呂に入った。
洗面台の後ろに黒い汚れがあったのが消えて、清々しい。



























2018年11月7日水曜日

ご無沙汰しております

気がついたらもう11月に入って1週間。
すったもんだは最高潮!
自室のリフォームを始めてしまったのと、2つばかり必要な演奏の準備と、北軽井沢の秋のコンサートの反省会と、相続の手続きが遅れているのとで、脳みそはイライラマックス。
何を考えても他の事項に邪魔されて、明確な思考ができない。

自室のリフォームはだいぶ前に決まっていたので、遅らせると又来年に持ち越しとなってしまうから我慢我慢。
工事中は猫と二人でレッスン室で不自由な生活。
キッチンがないからポットで沸かしたお湯でカップラーメンを啜る日々。
猫は早く自宅に戻せと泣きわめく。
階段の踊り場を挟んだだけなのにこの騒ぎ様では、旅行にも連れていけない。

住まいの方のガラクタがレッスン室に運び込まれて、生活感が溢れかえっているのも本当に嫌。
今のうちに不用品を選別しておけば楽なのに、すっかり疲れ果ててやる気が出ない。
結局工事が終わったら元の場所に戻すだけで、断捨離は夢のまた夢になる。
本当に疲れるのは、生活用品を運んだり食器棚やベッドを捨てたりということよりも、相続に関する書類が集まらないことのほうが大きい。

私以外の法定相続人たちに連絡したのは、9月の初め。
今までどうしても送ってもらえない書類があって、何回連絡しても揃わない。
やっと今日めでたく最後の書類が届いた。
これで枕を高くして眠れるけれど、私は高い枕は嫌いだから、相変わらずぺったんこの枕で寝る。
いや、そういうことじゃないのよという人がきっと出てくると思って待っているのですよ。
誰が言ってくるかな?アハハ。

最後の書類が届いたからといって、安心できるものではない。
この先もすったもんだが続いたら、私はそろそろ寝込んでしまう。
猫んで・・・です。

猫といえば、職人さんが来るとレッスン室のトイレの便器の裏に隠れて、一日中出てこない。
仕方がないからそこに毛布を敷いて、猫トイレを置いて、ドアを少し開けて外に餌を置いて、何不自由なく暮らせるのに文句を言う。
あまりにも他の人を怖がるので、12月に旅行に行くつもりなのに心配。
ペットホテルに泊めるか、いつもの獣医さんに預けるか、又は自宅で一人暮らしをしてもらうか考慮中。
幸い周りは猫好きだらけ。
上の階の人がペットシッターしますよと言ってくれている。

お願いしますと言ったものの、その人とちょっと階段で出会っただけで猫めは、しっぽブラシ膨張、体中の毛が逆立ち目は真ん丸に。
近寄ってこようとする上の階の人に、近寄らないでと言ってしまった。
これからお世話になるかもしれないから馴らさないといけないのに、どうしよう。
悩みは尽きない。

猫の悩みはもっとある。
最近駐車場に来る猫の数が増加の一途で、初めはガタイの良いオス猫が1匹。
おしゃれなバンダナを首に巻いているから、近所の飼い猫だと思う。
飼い猫さんなら後腐れないと思っていたら、別の猫を連れてきた。
どうやら別猫は雌の野良猫のようだ。
雌にいい顔見せたくて鷹揚に振る舞っている。
ところが次に、家の前の川を渡って来る子が。
川を渡ってと言っても泳いでではなく、ちゃんと橋を渡ってくる。
あたりまえか!

そして次にその兄弟猫が。
そのうち黒っぽい縞猫が仲間に。

そんなわけで今年、私の生活は大騒ぎ。
何事も変化の潮流が渦巻いているのだと思えば納得は行くけれど、早く収まるところに収まってほしい。
私は法的な手続きとか、書類の書き込みとかが嫌いで苦手だったけれど、過ぎ去ってみると結構面白いじゃないなんて暢気になってしまうのが浅はかなところ。
とにかく2度とこんな面倒には巻き込まれたくない。

何回も結婚したり、あちらこちらに子供を沢山作ったりする人がいるけれど、そういう人たちの相続の修羅場はいかほどのものかと思う。
けれど、ちょっぴり、そういう現場で取っ組み合いをしている人たちを眺めて見たいような気がしないでもない。
父の相続のときに税理士さんから「皆様だけが兄弟だと限りません。どこかに他のご兄弟が出てくるかもしれません」と言われて皆シーンとなった。
けれど結局見慣れた兄弟だけとわかって一安心。
一瞬あの父親ならありうると思ってしまったのは親不孝だったかも。
でも弟が1人いてくれたらよかったのにと思ったりも。

先日筋トレに行ったらトレーナーが、nekotamaさんは自分から好んで忙しくしてますよねと言う。
なるほどそういうところもあるかもしれない。
嵐を呼ぶ海燕か私は。
いやウミネコでしょう。


















2018年10月28日日曜日

葬儀は続く

またしても葬式。
私の甥がなくなった。
まだ若いのに。

棺の中の顔は若々しく、ひげを伸ばしたまま。
なんだか慣れっこになってしまった風で、涙も枯れ果てた。
去年は私が飼っていた4匹の猫のうち3匹が、たて続けに天国へ行ってしまった。
そして我が家は残った1匹の天下になった。
今まで他の猫に邪魔されて甘えられなかったのが、今や私を独占。
顔つきまで変わって、幸せそうに生きている。

甥は一番上の姉の長男。
生まれたときに少し問題があって運動機能の発育が遅れたけれど、大人になったら普通のレベルに追いついた。
とことん優しい性格で犬を可愛がり、父親の死後一人になった母親の面倒を見ていた。
私の姉は幼少の頃溺愛されてお姫様状態だったからとんでもなくわがままで、彼は嫁をもらえず苦労したと思う。
それでも自分の趣味の車を楽しんだり、周囲から可愛がられていたから、いつもにこにこしていた。
両親ともに美男美女で彼も中々立派な顔だったけれど、態度がヘラヘラしているのでいつまでも坊やみたいだった。
特に彼の姉と弟がえらく優秀で、その間にいるのは辛いものがあったかもしれない。

訃報を聞いたのが23日、私は「偲ぶ会」の準備で忙しくショックを受ける余裕もないというのに、トリプルパンチ(旦那、ノンちゃん、甥)を食らってノックダウン寸前。
もうどうにでもなれ、さあ、殺せ!状態。
あまりにも大変だと、脳みそがちゃんとショックを和らげる様に対応するのには驚いた。
一時的な記憶の書き換えとか・・・
人体はすごい!

甥の葬儀は簡素に行われて家族だけに見守られて旅立った。
参列者は12人ほど。
これでいいのだと思う。
「ヤマゲンを偲ぶ会」のときは、多数のお悔やみの予想があったので、思いっきり大勢の人に参加してもらった。
長く生きたおかげで、知人友人は数多い。
しかも交友関係の濃い人が多いので、誰も疎かにできない。
それならパーティーにしてしまえば良い、というわけで。
でも家族だけでひっそりと送るのは、温かい送り方だと思う。

甥は生きていたときと同じように優しい穏やかな顔で、棺に横たわっていた。
犬が残された。
その子は諏訪に住む弟夫妻に引き取られていった。
良かった。
諏訪の自然の中で伸び伸びと走り回ってほしい。

甥を見送って帰りの車の中で、ちと飲みすぎた風の次兄が気分が悪いと言うので、一旦長兄の家で休ませた。
久しぶりで集まった兄二人と姉と私。
しばらくお茶を飲んで話をした。

うちの家系は皆あっという間に亡くなるねえと、兄が言う。
なるほど、私達の父親から始まって、今日の葬儀をした甥と甥の母親である私達の姉も、あっという間に。
姉と私の連れ合いも同様。
父にいたっては、高校野球をテレビで観戦中に眠るように逝ってしまった。
長患いする人がいない。
直前まで元気で、天寿を全うしている。
「明るい死に方」のお手本みたいに。

甥の発育が遅れていたために、その姉である姪は考えるところがあったらしい。
小学生の時に「私は福祉関係の仕事をする」と宣言して、私は驚いた。
弟のことが心配だったからだと思う。
この姪は動物も鳥も寄ってくるという不思議ちゃん。
他の人に絶対に寄っていかなかった私の飼い猫が、彼女だけには初めからなついた。
恐ろしく無口なのに、そばにいると気が休まる。

そんなだったから弟をずいぶん気遣っていたらしい。
福祉の勉強のためにイギリス留学。
帰国は、ダイアナ妃とチャールズ皇太子の結婚の数日前だった。
結婚式見てから帰ればいいのにと言ったら、そうしたいけれど帰国日が決められているのでということで。
国費留学生だから、自由がきかないそうなのだ。
それを残念に思うのは私の方で、彼女は少しも気に留めないで淡々としていた。

弟の方は長じてほとんどハンディはなくなった。
多少足を引きずって歩くくらいで、スキーも車も楽しんでいた。
ここ数年、毎年年賀状が出せない。























2018年10月25日木曜日

みんな有難う!

23日の「偲ぶ会」は大成功。
本当に良い会だったと、皆さん口を揃えて言う。
葬式だったらこうはいかない。
良い葬式で楽しかったなどと言ったら遺族から往復ビンタが飛んでくるけれど、楽しい送る会にしたいという趣旨の「偲ぶ会」だから、みなさんが楽しかったと言ってくれると嬉しい。
褒めてくれる人たちに、あなたのときにもやってあげるわよと鼻息荒くいきまいていると、皆フン!と言って、私より長生きする気?と訊かれた。

地方からこの会に参加するために駆けつけてくれた数人の旧友と、お手伝いをしてくれた人たちから食事会に誘われた。
全部で7人。
新宿のハイアット・リージェンシーのカフェにて。
私はこのホテルは初めてだったけれど、食事が美味しくて時間的にもゆったりと過ごせて、会話がとても楽しかった。
ずいぶん会っていなかったのに、昨日まで一緒にいたかのように対話できる。

髪の毛が白くなったり、顔にシワが増えたりは気にしない。
話す内容が問題なので。
昨日飾ってもらった花の評判がすこぶる良い。
内容も演奏も、皆さん満足してもらえたようで、私は鼻が・・・高くはないけど高い。

夜、小田原からの電話。
とても良い会だったと、小田原に住む長老のSさんに言われたのはうれしかった。
Sさんは昨日の会に来て、懐かしい人とたくさん会えて、本当に嬉しかったと言う。
いつもの声よりも若返って聞こえた。
今日は満月だから見て!と、彼の娘さんのN子さん。
彼女と小一時間ばかり話していると、話が盛り上がって、これからは一緒に遊びましょうと約束する。
11月には飲み会とドライブ。
私を慰めると言いながら、ドライブの目的はソーセージだとか。
熱海の方に、ドイツの賞をもらった美味しいソーセージがあるらしい。
なんだ、私はダシに使われているのね。
でも良い、私を本気で心配してくれているけれど、あからさまに言わないでそれとなく楽しませようという見え透いた魂胆。
ありがたく騙されますわ。

話が長引いていると、携帯電話に着信が。
私の兄が、我が家の固定電話にいくらかけてもつながらないというので、携帯にかけてきた。
ずいぶん長く話しているねえ、と言われる。
ようやくN子さんと会話をやめて間もなく、兄の後に姉からも着信があった。
兄が何回かけても電話がつながらないといっているけど、どうしたの?と。
急にひとりぼっちになってしまった私のことを心配していたらしい。

夜も更けて表に出て空を見上げると、N子さんの言う通り、まん丸い月が出ていた。
私は大丈夫、1人でいても寂しくはない。
大勢の人達と一緒にいても寂しいときはさびしい。
みんな有難う。私は大丈夫!
















2018年10月21日日曜日

ズタズタ

築22年を迎えた我が家。
最大時は5匹の猫がいて、やりたい放題。
こちらも面白いからわざとカーテンのてっぺんまで登らせたり。
そこから爪を立てたままザーッと縦に降りてくるからカーテンも縦に裂ける。
一番太った子で6キロ。
目も当てられない状態になった。

壁という壁は爪とぎの跡。
こんなところまでどうやって登ったのかと思うほどの天井近くまでボロボロ。
仕事で飛び回っていた頃は、少しも気にならなかった。
暇になって見るとやたらと汚い。
見るだにおぞましい。

それで今年もまたリフォーム。
上の階のリフォームをたて続けにやったので財布は空っぽなのに、我慢できない。
ここ数ヶ月のドサクサでストレスは限界まで膨れ上がっている。

エエイ!いっその事すっからかんになってしまえば、さぞ気持ちよかろう。
というわけで、やっと自分の部屋をきれいにすることにした。

床板、壁紙、天井の張替え。
ドアの色を変える。
階段も張り替える。
照明器具のセンサー交換とフードをかぶせる。

暗くなるとセンサーが働いて、自然に駐車場、玄関、階段の電灯が点灯する仕掛け。
ところがセンサーが付いているのは、西日が当たって最後まで明るい壁。
そのため、西日がすっかり落ちるまで電灯が点かない。
階段などは建物の中だから早めに暗くなる。
外は明るいのに玄関から中が薄暗いと、冬の夕方などは寒々しく不気味。
それを解消するために、業者さんといろいろ考えて、フードを付けることになった。
階段付近と同じくらいの明るさになるようにということで、実験的にダンボールで作ったフードをかぶせて、高さなど調節して決定。
これで帰宅したとき玄関が明るく迎えてくれる。
最初にここを建てた工務店さんは、なにを考えてセンサーの位置を決めたのか理解不能。

床板は靴で歩いても傷がつきにくいという床材を使用。
椅子の跡が剥げていたのを隠す。
ドアはなんと薄青緑色に変える。
以前のドアは焦げ茶で、夜、部屋の奥を見ると重苦しい。
それで枠の焦げ茶を残して、ドア板は薄青緑に。

なぜそのように変わった配色になったかといえば・・・
以前買ったサムソナイトのキャリーケースが、焦げ茶と青緑のコンビネーション。
同じような配色の乗馬用のベストも持っている。
意表をつく配色ながらとても素敵なので。
その配色を部屋に使うのはどうかと思ったけれど、案外面白いかもしれない。
ただ、ドアノブの色がシルバーというのでただ今考慮中。
購入予定の鏡の縁がシャンパンゴールドで、壁がオフホワイト、ドア枠が焦げ茶、ドアが薄青緑、ドアノブがシルバーって(笑)
シャンパンゴールドのノブはないの?と訊いたら、職人さんがウーンと唸っている。
取り寄せで金額が高くなるとか、すぐにしっぽを巻いて降参。
キッチンが鮮やかな黄色。
私の髪は最近金髪。アハハ・・・大丈夫かしら。

一つ空いた狭い部屋は読書やパソコン用に書斎にしようと思っている。
今まではパソコンはレッスン室の方に置いてあったけれど、夜中に目が覚めてちょっと調べ物をしたいときにも隣の部屋に行かなければならない。
階段の踊り場を横切るだけだから大した時間はかからないけれど、一応集合住宅だから寝間着のまま外に出るのはいささか抵抗がある。
今までなかったエアコンもつけることにした。
以前はドアを開け放して、隣の部屋からエアコンの風を取り入れていたけれど、限界があったので。

ベッドのマットも変える。
猫がガリガリやって布から糸が垂れ下がっているのはとても風流だけど、今いる1匹の他に新しい猫を飼う予定はないので余生はきれいなベッドで寝たい。
と言いながら、昨日ベランダに来た若猫が気になっている。






















2018年10月5日金曜日

居酒屋で女子会

女子会メンバー6人は会が終わるとすぐに次の予定を決める。
だいたい2,3ヶ月に1度の割合で、幹事はほとんど私だから予定日の前日、恐る恐る「覚えてるかい?」とメールする。
覚えているんだなあ、これが。
皆さん仕事をやっていたので、スケジュールの管理はさすが!

幹事が物ぐさだからだいたい私のテリトリーの範囲内で店を決める。
最初のうちは場所を変えたり、ネットで良さそうな店をせっせと見つけていたけれど、今回は博打。
自由が丘あたりが面白いと思ったので「自由が丘・個室」で検索。
一番最初にヒットしたお店に決定。
時間ぴったりに全員、自由が丘駅改札口に集合した。

店は居酒屋で、焼き鳥とかモツ鍋とか、およそ品の良いメンバーには似つかわしくないカジュアルなお店になった。
皆さん嫌がるかと思ったら、ぜんぜん気にしないでお酒を飲み、焼酎を啜る。
店に入るとまだ早い時間帯なので、一番奥の個室風の座敷に通された。
完全な個室ではなく、ノレンで仕切られただけの掘り炬燵席。

ビールを頼むとなんだか薄味。
これをドライというのか。
その後は各自好きな飲物片手に話に花が咲く。
いつまでも女学生みたいなノリで、苦労知らずのお嬢さんがそのまま大人になってしまい、この年になってようやく人並みの苦労を味わっているような集団なのだ。
苦労たって別になんのことはない、1人で行動できるし健康でなによりもユーモアや好奇心を忘れない。
今回は私がワサワサしているのをわかっているけれど、あえてそれには最小限しか触れない。
下手な同情の言葉がないのが清々しい。
根掘り葉掘り訊かない。

というのも他に話題はワンサカあって、それはいつも可笑しいことが多い。
私達が生きてきた戦後の日本の音楽界は、混乱と希望に満ちていた。
私達の教師たちも手探り状態、私達もどんどん進化する演奏技術に追いつこうと必死に勉強した。
海外に留学する人が増えて外国からの情報が入るに連れて、目からウロコ状態、日々発見の楽しさにワクワクした。
海外からの演奏家も、毎日のように聞くことができるようになった。
学生時代には週に何日も日比谷や上野の音楽会に通っていた。

現在の若い演奏家たちは、最初からある一定の水準が出発点。
情報はわんさか入ってくる。
すぐれた教師がいて海外にも簡単に行ける。
それで演奏技術はとても高い。
しかし、学校出ても仕事が少ない。
楽器の生演奏はシンセサイザーに変わり、オーケストラはポジションに空きがない。
とても気の毒だから、できるだけコンサートに行ってあげてください。

混乱の時代には沢山のエピソードがあって、ガクタイは異常性格が多いからとんでもないことをしでかしたりする。
特に一世を風靡した指揮者などは、常軌を逸していた。
今のような窮屈な行儀の良い時代になると、とてもじゃないけど許されない、週刊誌の餌食になるようなことも笑って「あいつだから」と済まされてしまうところもあった。
それが良いか悪いかは別として、群雄割拠、豪傑が多かった。
話題に事欠かない本当に面白い時代だった。
そんな話をしながらさんざん笑い転げて女子会は解散、来年の新年会の約束をして別れた。

それらのエピソードがそろそろ忘れられようとしている。
私の飲み仲間の1人、芹澤さんは驚くべき脳力の持ち主で、彼から沢山の昔のエピソードを聞いた。
けれど、私は超絶物忘れ名人だから片っ端から忘れてしまう。
私はそのエピソードを書き留めておこうと、最近ボイスレコーダーを買った。
聞いているだけだと翌日忘れているから、次回からは録音して書き留めておくことにしたのだ。

そのボイスレコーダーの取説を読む段階で、もう頭が痛い。
しかも最近のドサクサに紛れて、本体がどこぞのゴミの山の中に埋もれてしまったらしい。
これを探し出すのも大仕事。
あ~あ!なんでこうなっちゃうの。

























2018年10月2日火曜日

ノーメル賞

イグノーベル賞展で楽しんで家に帰ったら、なんと本物のノーベル賞を日本人が獲得のニュース!
すごいな、イグも真正ノーベル賞も日本人の獲得立て続け。

思いがけなくもらった人は大喜びだけれど、村上春樹さんみたいに獲るぞ獲るぞと言われ続けてもなかなか獲れないのは辛いだろうなと、心中お察しする。

私の次兄はすごい!
学生時代ノーメル賞というのをもらった。
実は単に飲ん兵衛だったというだけで。

さて私ごとですが(今更ブログで私ごともないだろうがというツッコミがありそうな)とにかくこの2ヶ月はあまりにも忙しく、忙しいという字は心を亡くすと書くと言われる通り、なにもかも心ここにあらず。
毎日少しずつ請求書や払い戻し証明書やら、払うのかもらうのかどちらかにしてほしいと思うくらい、煩雑かつちまちました雑用に追われた。
預金を凍結したらカードの支払ができず、それを金融機関に払いに行くかと思えば、年金の過払い金を数百円還付するから、書類に記入しろとか・・・
数百円の払い戻しにかかる費用は一体いくらなんだろうか、これって税金が無駄だからチャラにすればいいのにと思う。
そうはいかないのがお役所仕事。

さんざん役所の悪口書いたけれど、自分が役人でなくてよかったと思う。
こんな大変な手続きを毎日やっているのかと思うと、しんどいだろうなと同情する。
もしかしたら好きでやっている?
それならいいけれど、私なら1日お勤めして、はい、さようならだわね。
だいたい雇ってもらえないから心配することはない。
住所欄に名前を書いてしまう人など、公務員試験に受かるわけがない。

それにしても手続きの煩雑さはなんなのだ。
人1人あの世に送るのに、生きている人がこんなに大変なようにしなくてもいいのに。
でも大変にしたい人たちが沢山いて、私みたいに罰当たりなことを言うと眉を顰められる。
特にこの夏から秋にかけて演奏することが沢山あって、傍目で見るよりも演奏は重労働。
演奏にかける準備はもっと大変なので、皆さん楽しいお仕事で良いですねなんておっしゃるけれど、冗談よしこさん。
好きでやっているから文句は言えないけれど。
その上馴れない事務処理に追われ青息吐息。
日頃は鼻息荒いのもどこへやら、毎日ため息ばかり。

10月には、亡くなった家人を送るイベントがあるので、その準備に大わらわ。
彼の友人たちが偲ぶ会をやってくれる。
広島、山梨など地方からも集まってくれる。
最初の予定では今月1日だった。
それが友人たちの都合で延期となり、23日に変更。
変更で良かった。
ちょうど台風が来て、1日の首都圏の交通は乱れていた。
地方の人達は前日からくるとなると、新幹線も飛行機も止まっているという事態に遭遇しかねなかった。

23日の天候がどうなるかはわからないけれど、ひとまず、難は避けられた。

            ヤマゲンを偲ぶ会

          10月23日(火)午後1~3時
          キリスト教矯風会館1F東京交響楽団練習所 
(総武線大久保駅前信号渡り富士そばの前の路地を左に入るとすぐ右側)

当日はトロンボーンの旧友たちの金管アンサンブルを始めとして、アマチュアオーケストラとプロのオケマンたちとで合同演奏もあるかも。
ピアノソロもあるらしい。
ワインや日本酒を飲みながらワイワイと楽しんでいれば、本人が悔しがって戻ってくるかもしれない。









2018年10月1日月曜日

チビとヤセは月面歩行体験ができなかった

イグ・ノーベル賞の世界展という展覧会が、後楽園の東京ドームシティで開催されている。
友人のHさんに誘われて見に行った。

イグ・ノーベル賞は1991年、マーク・エイブラハムズ氏によって創設され、毎年ハーバード大学で授賞式が行われる。
人々を笑わせそして考えさせる研究に与えられる賞で、裏のノーベル賞とも言われ、なんと日本人は12年連続で受賞という快挙!

ここnekotamaでは度々取り上げているけれど、今年は座ったままの姿勢で受けられる大腸内視鏡検査で受賞。

*牛のフンからバニラの香りと味を抽出して、その物質を使ったアイスクリームは授賞式で振る舞われた。

*私がえらく感心したのは、真正粘菌にパズルを解く能力があったという研究。

*ジャイアントパンダの糞から採取したバクテリアを用いると台所の生ゴミは90%以上削減できる。

*粘菌の続編として、粘菌を使って鉄道網の最適な路線を設計できる。

*ちなみにあのドクター中松も、34年間、自らの食事と体調に与える影響を分析し続け、イグ・ノーベル賞を受賞している。

日本人以外では、外せばすぐにガスマスクとして使えるブラジャーなんていうものも。
授賞式の様子もスクリーンで上映されていた。

笑いながら会場を巡っていくと、月面歩行が体験できる装置というのに出会った。
ブランコを吊るすようなかたちで上からフックのついたロープが下がり、その前には水を張ったプールのようなものが置かれている。

これはなにかと尋ねたら月面歩行の感覚を体験できる装置とか。
ロープにぶら下がってプールの水の上を飛び跳ねると、月面歩行と同じような感覚が得られるらしい。
二人のスタッフが暇そうにしている。
どうやら体験したい人が少なくて無聊をかこっていたようだ。
私達は野次馬!
見逃す手はない。
けれど、注意書きがあって、身長、体重に上下の制限がある。

私は体重は適正だけれど、身長が足りない。
Hさんは身長は十分だけれど、体重が足りない。
要はデブチビとヤセノッポのコンビだから。
身長が足りないのは足が水面に届かないから無理。
私は諦めた。
Hさんは体重が少し足りないけれど、試してみることになった。

痩せた体にハーネスをつけてロープの先にあるフックに繋がれた。
ピーターパンみたいねと笑いながらいざ空中飛行。
しかし・・・重さが足りなくてロープが下がらない。
水面ははるか下。
結局宙吊りになったまま。
それはそれでなかなか絵になったけれど、私が動画撮影に失敗したので、皆さんにみせられず残念でした。

私達が楽しんでいたらあっという間に人だかりができて、体験希望者が集まってきた。
日本人はほんとにシャイなんだから。

私は以前、戦闘機で成層圏まで飛ぶというツアーに申し込もうと思ったことがあった。
ツアーの内容を読んでいたら身長制限があって、とうてい無理ということがわかってがっかりした。
たぶん小さいと、安全装置とか宇宙服?とか、あらゆる部品が規格外になってしまうのだろうと動画を見て思った。
たいてい軍人みたいな人が乗っている動画なのだから。


















2018年9月10日月曜日

北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァル

今年も北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァルに参加することになった。
本番は9月9日(日)昨日のことでした。
夏前にお話を頂いたけれど、去年のフェスティヴァルは天候に恵まれず最悪の条件となったので今年は参加を躊躇していた。
それでも数人の人たちが今年もやったらどうかと言うし、なんでもお手伝いしますよと言うので参加を決めた。

メンバーはいつもの雪雀連の演奏家たち。
楽器はヴァイオリン2人、ヴィオラ1人、コントラバス1人、ピアノ1人という編成なので、弾ける曲が限られてくる。
それでもチェロパートをヴィオラに移調したり、ヴィオラ2本のソロをヴァイオリンで弾いたり、悪戦苦闘してプログラムを作り上げた。

今年のプログラムは
  ヴィヴァルディ:四季より「秋」
  テレマン:ヴァイオリン二重奏
  バッハ:ブランデンブルク協奏曲第6番
  
  ドビュッシー:アラベスク第1,第2番
  グリンカ~バラキレフ:ひばり
  ロッシーニ:ヴィオラとコントラバスの二重奏曲ソナタ
  作曲者不明のヴィオラとコントラバスの二重奏曲
  ラヴェル:ボレロ

前半はガチガチのクラシック。
後半は彩り豊かに明るく楽しい曲を揃えてみた。
プロデュースはnekotama。
結構コンサートの構成を考えるのが好きだけれど、楽器の編成の都合上できない曲があるのが悩みのタネ。
ロッシーニの曲も本当はチェロとコントラバスの編成を、無理やりヴィオラ用に書き直してもらった。
作曲者不明の曲は本当はコントラバス2本で弾くものらしい。
バッハのブランデンブルク協奏曲6番は本来はヴィオラ2本用、それをヴァイオリンがしゃしゃり出て別の調子で弾かせてもらった。
ラヴェルのボレロはスネア(小太鼓)がないから、私がG音でボレロのリズムを刻んでみた。
そして思ったのは、このリズムをスネアがたった1人でピアニッシモで始めるときのプレッシャーは如何ほどのものかということ。
大きなホールの大編成のオーケストラの中で唯一人、よくまあ手が震えて叩けなくならないでいられるものだと思った。

打楽器奏者に尋ねると、皆震えるそうなのだ。
大編成のオーケストラの前に出されてただ1人、数千人の聴衆の前で注目を浴びて、私なら数ヶ月前からお腹を壊しそう。
聴いている人たちが想像もつかないような過酷なことが、オーケストラの中では起こる。
ボレロの中にトロンボーンのソロがあって、それはとんでもなくプレッシャーなのだ。
そのソロをほんの僅か失敗して自殺したヨーロッパのトロンボー(ン)ニストもいたくらいで。

今回のスネアのリズムはヴァイオリンで呑気に始めてみた。
もちろんスネアもトロンボーンもいないから、弦楽器だけの編成。
大編成なら多彩な音色の変化がつけられるけれど、家内工業、零細企業のわが楽団は弦楽器でしょぼく始まる。
それでもこの曲は受ける。
なにか動物的な本能を掻き立てるものがあるらしい。
ずっと同じリズムを刻まれると、人は忘我の境地に入る。
ラヴェルの天才たるゆえん。

去年は天候に影響されて高湿度のステージは地獄のようだった。
それでも本番が始まると雨がやんだ。
今年は当日未明までは土砂降り。
ところが明け方雨はやんで、本番の頃には晴れて青空と雲が見えた。
どうやら強力な晴れ女の私のおかげ?オッホン!
このホールはシャッターを開けるとダイレクトに庭になってしまうから、外気はお構いなく入ってくる。
屋根にどんぐりの当たる音がする。
外の街道を走るトラックの騒音も交じってくる。
コントラバスとトラックの音は周波数が同じレベルだから、同時に鳴ると区別がつかなくなるとはコンバス奏者の言い分。
ま、良いではないですか、秋の日のうららかな午後、トラックのエンジン音のBGM入のコンサートでも。

これから北軽井沢は紅葉で全山が燃えるように彩られる。
最高に美しい季節を迎える。
今回はコンサートのためだけで慌ただしく帰宅したけれど、来月は猫連れで長逗留をしようと、家主さんのノンちゃんと相談している。
1番のネックは我が家の猫。
きょう帰宅したら、放置され、すっかり怒り狂っていてシャーシャー威嚇された。
留守中餌をやってくれた姉は、一回も姿を見なかったとのこと。
連れていきたいのに、こんなに人見知りでは長距離のドライブや新しい環境に馴染んでくれないのではと心配している。
猫に紅葉を愛でる気持ちを期待できるかどうか。





















2018年8月3日金曜日

おじさんたち頑張って!

明日から音楽教室の弦楽アンサンブルの合宿。
毎年、越後湯沢のスキー場のなかにあるマンションのゲストルームをお借りして、発表会前の総仕上げをする。
1泊2日での合宿は、最初に越後湯沢駅近くの釜飯やさんから始まる。
ここで美味しい釜飯をたらふく食べて、いざ、練習!

このマンションには温泉やプールの他、音響の良いホールまで完備されている。
毎年思うのはここで音楽会を開いたらいいのに。
例えば居住者やマンション周辺のホテル、ロッジなどの宿泊客に聴いてもらえば、練習にも一段と励みになる。
と、思うけれどすぐに忘れるから、いつも現地に行ってから思い出す。

早くからスケジュールが決まっていたのに、あまりの暑さに新幹線のチケットを購入しにいく気にもならない。
しかし、明日は土曜日。
東京駅は大混乱でチケット売り場は長蛇の列だと思うと、お尻に火がついた。
自転車を漕いで、隣駅のJRの窓口に並んだ。
少し列が出来ていて買う人達を観察していると、おや?と思うことがあった。

よくネットでおばさんの悪口を読む。
ばばあが横入りしやがって、とか、グズグズして前に進まないとか。
でもね、良く見ているとおばさんよりおじさんのほうがとろいのよ。
今どきのおばさんはどんどん社会に出ていっている。
シャキシャキとチケットを買って、友達と楽しく旅に出る。
世の中の若い男性はおばさんが嫌い。
女子高校生よりおばさんのほうが圧倒的に面白いのに。

ところがおじさんは定年退職して仕事をやめると、友達も少ない。
仕事をしていた頃のプライドがあるから、その頃のままで生きていけると思っている。
いくら前職で偉くても、辞めてしまえば唯のおじさん。
今日見たおじさんは窓口で偉そうに「だから、それを見越してこういうスケジュールにしたんですよ」と宣う。
そのわりに作業は遅々として進まず、結局ちゃんと調べていないことが判明。
職員にいろいろ調べさせて、時間が過ぎていく。
もう一つの窓口もおじさん。
ここも長い時間かかっている。
おーい!少しは自分で調べてからいらっしゃいませな。

たった2つしかない窓口におじさん二人が張り付いて、ため息が出た。
次のおばさんはさっさと購入、若者もさっさと購入。
結局おじさん二人は、たぶん部下にやらせていた作業を自分でやらなくてはならなくなって、とまどっているのかと勘ぐった。
会社にいる頃は事務員や部下がやってくれていたかもしれない。
いざ、自分でチケットを買う段になって戸惑うのはわかるけど、全部自分で調べてくれば長蛇の列にはならないのよ。
調べ方がわからない?
他の人に訊くのはプライドが許さない?
おばさんみたいに訊きなさいよ、周りの人に。
知らないことは恥じゃない。
駅員さんたちに偉そうにしていないで。























2018年8月2日木曜日

掃除に目覚める

私の姪が「今日はレッスンあったの?」と訊くから「どうして?」と言ったら「掃除機の音が聞こえたから」
失礼ね!私だって誰も来なくても掃除機くらいかけるわよ。

キッチンの工事が終わってきれいな黄色いシンクが備え付けられた。
けれど、サイズがやけに小さい。
説明は受けていた。
元のスペースのサイズに合うものがなくて、もう一つ上のサイズだと前面が飛び出してしまう上に、横のサイズも少し大きいから、冷蔵庫との間にある間仕切りが邪魔で入らない。
その仕切りの板を移動させなくてはいけない。
大事になる。

それで早く工事ができるようにと小さいので良いと言ったのだが・・・
毎日使うものだから、不便を我慢して大きい方を入れて貰えばよかったと、まあ、いつものことですが。
シンクの交換のときについでに、きったな~い食器戸棚も廃棄してもらったので、食器戸棚がない。
仕方がないからシンク下の収納場所にお皿などを置いてあるけれど、あんまり良い気分のものではない。
理屈では汚くないと思っているのに、食器は食器戸棚に入っていないと落ち着かない。

昨日まで、居住スペースの方から運び込んだ調理器具や食器などが置いてあったレッスン室。
それらを持ってきたので生活感満載。
夜になってようやく移動完了。
気分としては生活スペースにあったものは、ホコリ、ダニなどが付着しているようで、気持ちが悪い。
付着している(ようで)ではなく(している)しかも大量に。

それで今日は朝からレッスン室の掃除機掛け。
ええ、今日は生徒さんも来ないし、私はでかけますよ。
でも、ね、ほら、掃除機はレッスンがなくてもかけるんです。

今回のことで、急にいらないものを捨てることに急ピッチ。
拍車がかかった。
ハイヨー!シルバー!!!
これ分かる人は同世代。

まず、ほとんど使わないものは惜しげもなくゴミ袋へ。
必要だけどベトベトして気持ち悪く、洗いたくもない物もゴミ袋へ。
そうしたら、ほとんどいらないものばかり。
新しい食器戸棚を買う予定だったけれど、サイズを一つ下にしても大丈夫そう。
小さくなったシンクは使いにくいけれど、しかたがない。
もう、あまり食べるなということね。
次に取り替えることがあれば、間仕切り取り払って大きいのを入れよう。

今まで影に隠れて目立たなかったワゴンなどの汚れもはっきりと目について、浴槽で洗い流す。
長年の蓄積は恐ろしいもので、クレンザーつけてゴシゴシやっても中々落ちない。
最後に人間もシャワーを浴びて完了。
こちらは毎日お風呂入っているし、ゴシゴシすると脂分がなくなってしわしわになるから、ほどほどに。
ワゴンは、お日様の照るベランダに運ぶ。

部屋がきゅうに広くなった。
なんだか狭いなあと思っていたけれど、いままで物がありすぎていたのだ。
掃除は終わってみれば趣味にしていいほど気持ちが良い。
でも、喉元すぎれば元の木阿弥

















2018年8月1日水曜日

猫初めて隣の部屋に行く

うちの猫は箱入り娘。
動物病院へ行ったのは飼い始めてすぐに不妊手術をしたときと、後は1,2回だけかもしれない。
それからもう20年近くの歳月が流れ、全部で4匹いたうち3匹の猫が一昨年次々と天国へいって、残されたのが今残っている1匹。
コチャといいます。

4匹いたときにはむっつりとして無愛想な子だった。
抱っこされるのも嫌がって、前足を突っ張ってすぐに逃げてしまう。
どちらかというと可愛げのない。
顎が妙に突出していて、目がギョロリ、顔つきも良くない。
それが他の猫がいなくなって数ヶ月すると、だんだん甘えん坊になってきた。
なにかというとすぐに押入れに隠れていたのが、最近は自分の椅子を与えられて猫っ可愛がりされて、我が世の春!
今までに比べ顔つきもどんどん可愛くなって、多少顎が出ているのもご愛嬌。
しっかりと目をあわせて、話をするようになった。

人も動物も与えられた環境によって、これほど表情が変わるものかと驚いた。
最近は抱っこされるのが好きになって、何かと言うと甘えた声を出して膝に乗ってくるようになった。

10日ほど前、台所の水漏れ発生。
シンク下から漏れた水は量が少ないので中々気づかれず、しばらくして足ふきマットの変色に気がついたときには、けっこう床に染み込んで大変なことになっていた。
シンクごと替えることにしたのは、以前のものが排水管が排水口と微妙にずれていて、それが長年のうちに歪んでストレスの掛かるところが劣化。
構造上の問題だったらしい。

部品が届くまで多少時間がかかって、やっと今日工事。
収納扉の中身を取り出す。
こんな小さな扉の中に沢山のガラクタが収まっていた。
それを同じ階の階段を挟んだ反対側の部屋に移動。
大変な作業だった。
隣の部屋はレッスン室でいわば仕事場。
生活用品は極力入れないようにしていたけれど、最近はだんだん、ごちゃまぜになって、生活感が出てきてしまった。
これはいけない、でも今回は仕方がないから鍋釜包丁などが運び込まれた。

今朝9時ぴったり作業開始。
最近お願いしているリフォーム業者は時間に正確。
9時と言ったら9時に階段を登ってくる足音がする。
暑い外で秒読み?

その前に超内気な猫の移動をしておかないといけないから、30分前に物置からケージを引っ張り出して用意。
10分ほど前にご飯を食べてのほほんとしている彼女をすばやく捕まえ、開けておいたケージに入れる。
ん?なに?なんて言う間に隣の部屋に。
レッスン室には猫は立入禁止なので、生まれてからこの方入ったことのない部屋に連れて行かれたのが恐怖だったようだ。

キュウリくらいの尻尾がトウモロコシくらいに膨れ上がり、この尻尾でピアノのホコリが取れるなあなんて考えた。
その後1時間ほどは鳴きに鳴く。
それでも私が側にいるのと、自宅の建物からは出ていないのがわかるらしく、喚いた風でもない。
しばらくしてケージから出すと、おとなしく膝に乗る。
体が緊張で硬い。
猫独特の体の柔らかさが失われて、肩がこりそうな。
彼女専用椅子も運んであったので、それに乗せるとやっと泣き止んだ。

肥満猫で普通の高さの椅子だと中々登れず苦労する。
それで普通よりもかなり低めの、座椅子より少し高めの椅子を買ってあげた。
それを知らないで座った人は、お尻がドシンと落ちてびっくりしていた。
ドアが開けてあったのに決して部屋の奥に入ろうとしない。
中を見ようともしない。
見たら連れて行かれるとでも思ったのか、それとも好奇心が薄くて興味なかっただけなのかはわからない。

前に飼っていた玉三郎は好奇心が強く、他の部屋に来ると大騒ぎして探検する。
それに比べると、多少頭が悪いのか、性格がおとなしいのか、コチャは徘徊しない。
恐怖だったかもしれないけれど、連日の暑さに参っている猫の脳みそに多少の刺激になったのでは?















2018年7月31日火曜日

個展

昨日見に行くはずだった高木さんの個展、体調が悪くて行かれなかったので今日、覗きにいった。
日中1番温度の高い2時ころなので、容赦なく照りつける太陽にクラクラ。
それでも昨日よりは体調が良い。

銀座三越と松屋近くの画廊で、木村屋も近くだから手土産はアンパン。
帰宅してから自分の分を買い忘れたことに気がついた。
う~、残念。
キムラヤのアンパン食べたいよ~!

アンパンはさておいて、素敵な作品が並んでいた。
特にマーブリングという手法の作品はとても綺麗。
水に糊を混ぜ、其の上に絵の具を落とし、出てくる模様を紙に写し取るというやり方らしい。
私は絵画にはとんと造詣が深くないから、ふーん、と感心して聞いていた。
自然にできる模様かと思いきや、これほどキリッとした模様になるのは本人のテクニックの為せる技でしょう。
すごいなあ、色の感覚も洗練されていて一枚ほしかったけれど、私は今貧乏なので買えないかもしれない。
楽器を背負っていったので、なにか?と高木さんに訊かれたから「売り歩いているの」と言うと冗談だと思ったみたい。

貧乏なので本当に楽器を売りに行った。
まあ、それは半分冗談半分本当。
以前から持っていてほとんど弾いたことのない楽器。
数十年前に近所の人から頂いた。
その時点でニスが溶けて、それをサンドペーパーかなにかでこすったような悲惨な有様。
弾くとキーキーと金属音。
はて?ヴァイオリンの材料は木ではなかったかしら。

動物がホームレスになってさまよって、怪我や病気になってお腹をすかせて・・・みたいな感じで。
それでもしっかりした造りで、ドイツの製作者の名前が書いてあるから期待して鑑定してもらったら、ドイツの量産品で、それはもう安い安い。
それでは売る程のこともなく、家で飼ってあげよう。
いや、楽器だから時々弾いてあげよう。
お金持ち計画第1弾は大失敗。
わざわざ暑いところありがとうございましたと、社員打ち揃ってエレベーターまで見送られて、尻尾を巻いて帰ってきた。

実は私の今演奏している楽器の写真のコピーを持っていったら「これはうちから出た楽器ですね」と鑑定士に大喜びされた。
こんなところで古巣がわかって、めでたい!
今日は持っていかなかったから「ぜひ持ってきて見せてください」と言われた。
この写真はある図鑑に載っている。
見せてくださいと言われても、綺麗にしてから持っていかないと叱られそうで。

最近亡くなった佐藤弦楽器の佐藤さんから「この楽器は良い楽器ですから大切にしてください」と言われたのに、先日も他の楽器やさんに調整してもらったら「ちょっと綺麗にしてもいいですか?」と訊かれるくらい。
故鳩山寛さんが「まったく女ってやつは自分の顔ばっかりきれいにして」なんて言うのを聞いたことがあって、私は自分の顔も綺麗にしないけどなんてお腹の中でつぶやいたこともあった。

汚くしているのは家も・・・なんて自慢気に言うことではないけれど。
台所のシンクから水漏れしたので、明日交換の工事をする。
シンクやガス台を片付けて収納庫の中身を取り出してと、大童。
思いがけないものが出てくる。
わけのわからないものや、忘れていて使っていないものがゾロゾロ。
一番嬉しかったのはウイーンで買った、モーツァルトのリキュール。
それとレミー・マルタンの瓶。
時々深夜に、ちょっとお酒が飲みたくなることがある。
日本酒でもビールでもウイスキーでもなく、そういうときにはブランデー。
ブランデーの安物は美味しくないから、やはりレミー・マルタン級のものが飲みたい。
でも最近は貧乏で買えない。
そこで隠匿物資からブランデーが見つかったのは非常にラッキーなのだ。
うふふ、これは良いものが見つかった。

お金持ちだったらレミーごときで欣喜雀躍はしない。
貧乏だからこその幸せ。
私は本当に安上がりな人間なのだ。

以前レミー・マルタンどころか、聞いたこともないような超高級なブランデーを頂いたことがあった。
競走馬を何頭か持っているようなお金持ちさんからで、柄に馬の顔のついた銀のスプーンやお皿なども頂いた。
その高級ブランデーはまだ開けていない。
そんなものを飲んだら口が曲がってしまいそうで、人生のここ一番というときに飲みたい。
けれど、そんな時期が巡ってくるかどうかわからない。
待っているうちに終わってしまうかもしれない。
それはそれで平穏無事ということで、中々良い人生だったと振り返ることもできるかもしれない。


















2018年7月30日月曜日

断捨離

銀座の画廊で個展が開かれて、今日はオープニングパーティーがあるというので参加するつもりだった。

 高木紀子 個展   PREGARE Ⅱ

  7月30日~8月4日 
  枝香庵Flat  中央区銀座3-3-12銀座ビルディング7F
            11:30~18:30(最終日は17:00まで)

高木さんはヴィオラ奏者のFUMIKOさんの友人。
エキゾチックな幻想的な作風。
素敵な絵を見るのと、FUMIKOさんが演奏するのでそれを聴くためでもあった。
ピアノのSさんとOさんと約束をして夕方のパーティーの間に合う時間に待ち合わせたのだが、あまりの暑さに多少具合が悪くなってしまった。
体がゆらゆらして気持ちが悪い。

私は暑さに弱く、去年は数回熱中症になった。
今年も暑くなり始めた頃、目がさめるとどうもおかしいということが数回。
こころして水分補給もしているし、欠かさずクーラーを点け適度な運動睡眠も摂っているはずなのに。
それで今日は外出を控えようと思い、予約キャンセル。
明日改めて出かけることにした。

明日午前中、筋トレに行くつもりでいた。
パーソナルトレーナーは元格闘技の選手というのかな、闘士というのかな?とにかく格闘していた人で、頭の天辺の髪の毛をツンツンと逆立てた若者。
筋トレが仕事でもあり趣味でもあるというので、全身筋肉のおにいさん。

いうなれば人間の中でも最も強い種族にあたると思うのに、なんと40度の熱を出して明日の予定キャンセルしてくださいとメールがきた。
若いし体力あるから、熱もはんぱなく出るのかもしれない。
私なんざあ自慢じゃないが、もはや熱も出ない。

明日筋トレをしてから出かけるのは辛いかもしれないと思っていたので、休みになってちょうどよかった。
銀座へいくのにはもう一つ理由があって、使っていない楽器の整理しようという目的。
そのために価格の査定をしてもらう。
楽器を買うときその前に使っていたものを下取りに出して、金額のたりない分上乗せして買う。
そうやって徐々にランクを上げていく。
だから前に使っていたものは残らないけれど、私は子供の頃に近所の人から頂いた物があった。
それはニスが熱かなにかでどろどろに溶けてそれが固まって、無残な様子のヴァイオリンだった。

あまりの外見と音がキンキンと甲高いので、弾く気になれず放置していた。
ずっと我が家の押入れで眠っていたのだった。
しかし、それでは可哀想なので、ある時、行きつけの楽器工房でニスを塗り替えてもらった。
急がないと言ったので結局その工房の楽器ラックに3年以上ぶら下がったままになっていた。
やっと出来上がってきたそれは、やけに赤いニスでピカピカにいかにも安物でございと白状しているような有様。
音は相変わらずキンキンと金属的。
それで又押し入れに放り込まれて、それ以来数十年。
最近やっと外に出してきたけれど、音が落ち着いてきたのにびっくり。
もしかしたらスペアに使えるかもしれない。

数年後には私のヴァイオリン弾きとしての能力は消滅すると思うので、取っておいてもむだ、誰かに弾いてもらいたい。
楽器は音をだしてこそのものなので。
あとはヴィオラが2丁。
これも安物だけれど中々良い音が出る。
サイズが小さめだから、アマチュアオーケストラの人などにはもってこいの物。
どれも使っていないものなのに、いざ手放そうと思うとどうしても未練が残る。
売ってしまってから後悔しないだろうか。
キンキンするヴァイオリンをしばらく弾いてから、今メインに使っている楽器に戻ると、やはりホッとする。
だから取っておいても無駄なのはわかっている。
弓も1本処分するかどうか迷った結果、これは取っておこう。
断捨離は難しい。
特に楽器は家族みたいなものだから。






















2018年7月27日金曜日

下山

北軽井沢の緑を後に、下へ降りてきた。
出かけたのは今週の月曜日。
都内は猛烈な暑さで、熱中症の救急搬送が続いたような日だった。
北軽井沢はいつもの年なら朝晩肌寒いほどなのに、私が到着した日は汗ばむほどの暑さ。
それでも天国のようだった。

今朝山を降りて覚悟して都内に入ったけれど、案外暑くなくて良かった。
曇り空で日差しが弱かったせいでもある。
思ったより湿度も低い。
北軽井沢は木が多いので、けっこう湿度が高い。
昨日の朝森の中の遊歩道を散歩していたら、小さな蛇に出会った。
私は蛇がものすごく苦手。
その蛇は黒っぽくて小さく、草の陰を潜って滑るように去っていったので全身を見なかったせいか普段よりも怖くなかったけれど、危うく叫び声を上げそうになった。
北軽井沢のこの別荘地で蛇を見たのは初めてだったので、気温が高くなったせいかしらとちょっとがっかり。

家主のノンちゃんに別れを告げて車を走らせると、窓から入る風はクーラーより気持ち良い。
地場産野菜をお土産に買う。
大きなキャベツ100円、とうもろこし100円、大きなトマト10個入りの箱が750円、スイカ丸ごと1200円。
スイカは4分の1にカットして近所におすそ分け。
キャベツやトマトも一緒に。
時々調理されて戻ってくる。
産直で見てくれはたいしたことがなくても、すごく新鮮で美味しい。

毎朝森を散歩してこの野菜を食べて、窓から森の木々を眺め、夜は仲間とお酒をのんで、幸せな5日間だった。

車を運転しながらふと気がついた。
いつもなら目がショボショボするのに、全くクリアに景色が見える。
これは毎日遠くを眺めていたせいかしら。
しんとした森のなかで、まるで緑色の深海に潜っているような気分になる。
車を運転していても、まだ穏やかな気分が持続している。
瞑想しなくても効果があるらしい。

夜になって窓のシャッターを下ろすと、時々小動物が当たる音がする。
初めてその音を聞いたときには驚いた。
あの音はいったいなに?と訊いたら、主にリスだそうだ。
それ以外にはし~んとしている。
外は真っ暗。
長い夜が始まる。
夜遅くまで明るくて人が動いている都会のようには暮らせない。
1番近くのコンビニも、車でないと行かれない。

夜明けの森は息をのむほど美しい。
すこし明るくなってからしばらくすると、木の間からキラキラと陽が差してくる。
この1番美しい瞬間に散歩をする人に会わないのはどうして?
クマが出るから?
熊よけの鈴を持って散歩するのも億劫なのかもしれない。
せっかくの静かな森にうるさい音を響かせたら、白い目で見られそうだし。











2018年7月26日木曜日

猫屋敷

先日もお世話になった追分のKさんの家を訪問。
今までKさんの家に行ったことのないお隣のOさんとFさんとノンちゃんも一緒に行くことになった。
北軽井沢から山を下ると下界は暑い。
今年は北軽井沢もけっこうな暑さだけれど、それでも軽井沢よりは涼しい。
午前中Kさんの家の猫をちらっと見てから、直ぐ側にある蕎麦屋のきこりで昼食の予定。

私はいつも18号線を走って行くのだけれど、他の人達は北軽には何十年というベテラン。
山道を抜けていくことにした。
道案内をしてもらって、車が行き違うのもやっとの狭い道をくねくねと走る。
山はすっかり夏の顔で、木々の緑が濃い。
新芽や若葉のときと違って、両側からずしりとのしかかってくる。
Kさんの家の近くまで行ってから少し道に迷ったので、思ったより時間が遅くなって到着した。
K家の猫は全部で5匹。
全部拾われて来て、今は幸せな子たち。
さんざん苦労してきた話を聞くと涙がでそうになる。
みんないい子で苦労した過去を見せないのは、Kさんが猛烈に愛情を降り注いでいるからなのだ。
世の中に猫好きは多いけれど、ここまで世話ができる人は少ない。

ひとしきり猫たちを愛でて、目的の蕎麦屋へ。
きこりというお店でエビおろしそばを食べる。
冷たい蕎麦に大きな海老天とズッキーニの天ぷらが載っている。
その上からつゆをかけておろし大根を載せて食べる。
これは私の大好物だけど、量が多い。
連日の食べ過ぎに追い打ちをかけて。

今朝のノンちゃんの家の朝食は、これでもかというほどの野菜たっぷり、それに大きなソーセージ2本、チーズやマーマレード。
それにパンとバター、コーヒー、スイカが出ておしまい。
私より10歳くらい年上のノンちゃんがペロリと平らげる。
やはり並の人ではない。
足が弱っている以外、頭も話もしっかりしている。
好奇心もたっぷりで。

今日の午後は所用があって早めに帰ることに。
往きはずいぶん時間がかかると思ったけれど、帰り道はあっという間。
いつも思うけれど、往復の時間は往路のほうがずっと長く感じる。
今日は往路は迷子になったから多少時間がかかったけれど、それにしてもたぶん10分も違わなかったと思う。
それなのに大変な時間差のように感じる。
期待する気持ちと終わってホッとした気持ちでは、たとえかかった時間が同じでも感じはずいぶん違う。
時間というのは面白い。

午後の訪問客は「ルオムの森」のオーナーAさん。
彼女はとても有能で、キャンプ場の切り盛りから私達のかかえる問題のサポートまで、種々解決してもらえる。
各種の手続きの書類作成や、庭の木の手入れの問題についての解決策・・・例えば庭木が倒れそうとか、枝が電線にさわっているとか、そんなことを解決してくれる人材を探してくれる。
私は感心して側で口を開けて眺めている。

北軽井沢はここの自然が好きで住みついた人が多い。
そういう人たちがルオムの森でスタッフとして働いている。
人材豊富で、それを束ねているオーナーの力量にいつも感心する。
しかも私は出来ますと言う態度ではなく、穏やかで誰の気も悪くさせない才能がある。
これは本当にできる人なのね。

私がルオムの森でやってみたいのは、スイートグラスアドベンチャーでのフィールドアスレチック。
Aさんに私でもできる?と訊いたら、ハーネスをつけるから安全、大丈夫と言う。
スタッフが付いていて、立ち往生するとうまく誘導して下ろしてくれるらしい。
しかし、はしごから落ちてハーネスでぶら下げられて救助が来るまで吊るされた焼豚のようにジタバタする図を考えたら、やめておいたほうが良いかな、やっぱり。
私にも恥という文字はまだ存在するから。
















2018年7月24日火曜日

木々に囲まれて

森の中の生活は信じられないほどの癒やしとなる。
今日の昼食はお隣さんのベランダで。
今朝買ってきた大きなキャベツの上の緑色の葉を使った、アンチョビとキャベツのパスタ。
白ウィンを飲みながらのんびりとくつろいでいてふとOさんがつぶやいた。
こんな生活していていいのかしら。

そう、いいのです。
私達は十分働いてきた。
Oさんは女性向けの雑誌の編集長として立派な成果を上げ、名インタビュアーとしても名をなした。
もうひとりのFさんは、映画制作のプロデューサーとして八面六臂の活躍をしてきた。
ノンちゃんも人形作家として名誉ある賞(ニッセイバックステージ賞)を頂いた。
夜陰に乗じてこのnekotamaもこっそりと彼らの仲間入り。
名もない音楽家だけれど、まだ現役でいられるのは、こういう仲間の支えがあってこそ。

ベランダの前は大きな楓の木が植えてある。
秋に葉が色つくと、見事な紅葉のアーチがベランダを覆う。
昼食が盛りだくさんですっかり眠気がさして、私はソファで木を眺めているうちにいつの間にか眠ってしまった。

目が覚めて、そういえばヴァイオリンを弾いていなかったことに気がついて、ようやく練習を始めた。
お隣さんが練習を聞きたがっていたけれど、練習は聞いても面白くはない。
同じところを何回も弾き直したり、テンポを遅くして音程の修正をしたり、コンサートでお聞かせするようなわけにはいかない。
あとで練習を聞きたかったのにと言われたけれど、聞かれないでよかった。
夕方散歩に出る。
私は何回来ても迷子になってしまう。
それにしても人気はまばら。
まだ夏の休暇に入っていない人が多いのか、それとも海外に行っているのかはわからないけれど、人の気配がしない。

夕食はまたOさんの家に集まって、皆お腹が一杯でと言いながら酒盛りが始まる。
帰宅したら体重計に乗るのが怖い。
今日は焼酎にしようと意見が一致、氷がないというからコンビニへ走る。
一升瓶からコップへ焼酎が注がれ、氷を入れる。
さてかんぱ~い!
ん?この焼酎変わった味。
皆一斉に??状態。
わかったのは一升瓶は日本酒だった。
しかし、少し飲んだらもう日本酒でも焼酎でもどうでも良くなって、会話が弾む。

中年すぎの女性たちの話題は、一般的には夫や子供や孫の話。
でも「雪雀連」の人たちの話は、そこにとどまらず幅広いジャンルの会話になる。
それが一番楽しい。
時々臨時に参加する人がいても、姑の愚痴なんか言い出すとたしなめられる。
このグループはね、そんな話はしないの、と。
それで鼻白んで来なくなる人はそれで良し。
そこで会話に参加できる人は人生の楽しみが2倍になると思って良い。

明日の予定は追分のKさんの家に猫を見に行くツアーが組まれた。
参加人数4人、最少催行人数が一人だから十分条件は満たしている。
さて、5匹の猫たちはニャンと言って迎えてくれるかな。
猫見学のあとは、追分のお蕎麦屋さん「木こり」でお蕎麦を食べる予定。










2018年7月23日月曜日

北軽井沢

今朝10時出発。
最近よく転ぶから健康に問題があるのかもしれなしし、用心にこしたことはないからゆっくりと走る。
私にしては90キロ以下のスピードはかったるいけれど、もう反射神経も鈍っていることだしのんびり行こう。
これもまた良い。
いつものことだと最初は自重していてもそのうちだんだん目が座ってきて(外側から自分を見たことがないからわからないけれど、たぶん)いつの間にかそのへんの車の中で一番早かったりする。
今日はそれもなく、
ずっと同じ90キロペース。
ふうん、私も穏やかになったものだわ。
牙を抜かれた虎、歯のないワニみたいなもの。

暑い都会から来て軽井沢はさぞ涼しいのではと思っていたけれど、午後1時前後で34度、なあんだそれほど涼しいわけじゃあない。
それでも目に映る風景がのどかで緑豊かで、涼を誘う。
軽井沢が34度なら北軽井沢は通常それより10度ほど低いから24度前後、しめしめと喜んでいたけれど、到着してみると26度もあった。
出迎えてくれたノンちゃんが今年は暑いのと言う。
例年の夏は夜は肌寒くて上着が必要なほどなのに。
こんなことを言ってると都内で頑張っている人たちに袋叩きにされそうだけれど。

庭続きに住むお隣さんの家で夕飯をごちそうになる。
下手なレストラン真っ青な美味しい料理がこれでもかと出てくるのが恐ろしい。
滞在中にどれほど太ってしまうことか。
今日のメニューはマグロ、タイのお刺身。
枝豆、いんげんの茹でたもの。
いんげんには自家製の肉味噌をつけて。
酢豚、いちじくと生ハム、ナスの忘れ煮。
なんで忘れ煮というのか訊いたら、忘れてしまうほど長く煮込むのだそうで。
レバーときゅうり、わかめの酢の物。
その他漬物や薬味類、常備菜などがずらりと並ぶ。
1口ずつ食べても、もう満腹
最後に食べごろに熟れたメロン。

白ワインのキリッと冷えたものですっかり気分良くなって、ノンちゃんの家に引き上げた。
庭続きだけれど、庭は凸凹しているので外を回ると街灯もなく真っ暗。
足元も見えないので強力な懐中電灯が必需品。
空には降るような星がと言いたいところだが、今日は少し雲があるようで見えない。
晴れていると満点の星・・とこれまた言いたいとこだが、森の巨木が葉を広げて空を占領している。
その合間からやっと見ることができる。
この別荘地は厳しく管理されていて、やたらに木を切ることはできない。
鬱蒼とした雑木林で、冬はほとんど葉が落ちて雲を眺めることができるけれど、夏は周り中葉っぱしか見えない。
ここ北軽井沢の雑木林は特別美しい。

いつもここを訪れると、まず木々の様子に見とれてしまう。
早春の芽吹きは特別。
でも初夏の若葉も素晴らしい。
夏の鬱蒼とした森は鳥たちのうるさいほどの鳴き声で活気付く。
秋の紅葉はそれは見事。
お隣さんのベランダに覆いかぶさるように楓の大木があって、そこで紅葉を愛でながらランチを頂く。
冬は?来たことないから知らないけれど、冬の音楽祭に出ませんかとお声がかかった。
うーん、冬は雪が相当積もるらしくて車が出せるかなあ。

キャベツ畑と林しかなくて軽井沢のようにおしゃれなお店もない。
けれど、ここに来ると心から休まる。

なにもすることのない幸せを満喫していればいいものを、貧乏性でつい英語の宿題や練習曲を持ち込んでしまう。
ノンちゃんの家は木の壁。
ヴァイオリンとえらく気(木)が合う。
でも北軽井沢の気候は楽器にとって、あまりありがたくない。
木が多いので湿度が高い。
雨が降りやすいなど。
今年の9月のミュージックホールフェスティバルの当日にどうか雨が降りませんように、みなさんも声を揃えてお祈りしてください。
では、声を揃えて~ニャーニャーニャーニャーネコタマニャー・・・・
あはは、ちょっとあなた達、何やってるの?







2018年7月22日日曜日

転倒猫

つい最近転んだばかりなのに、昨日又転んだ。
心ここにあらずだと転ぶのよとは友人の言葉。
ふ~ん、そうかもしれない。
昨日見た夢は、夜空の星以外一切見えない真っ暗な道をトボトボ歩く自分。
周りに人が2,3人居るのがわかっているけれど、どこにいるのか見えない。
目が覚めたら寂しくてベッドで起き上がって、膝小僧を抱えた。

最近あまり笑わなくなった。
毎日あんなに笑っていたのに。
基本陽気な私でもこういうことはあるのよ。

さて、今回の転倒でわずかに怪我をした。
ころんだ場所が信号機の付近。
ガードレールの足元からほんの僅か道が低くなっていて、でこぼこしていた。
なぜわざわざこういうふうに高低差をつけるのかはわからないけれど、ふだんなら転ぶほどの段差ではないと思うのに、気がついたらこけて左手の平で体重を支えていた。
支えきれずに次に顔から落ちて、顎の左下に内出血。
只今、顎に500円硬貨大の青あざができている。
痛くもなんともないけれど、だんだん範囲が広がってきているところを見ると、内出血がまだおさまっていないのかも。
怪我はそのうち治る。
けれどやたらに転ぶのは少し心配なのでネットで調べてみた。

足腰が弱ってというのが大半の原因ではあるけれど、そうでないなら脳神経内科で診てもらうようにと。
わずかに脳内の血管が細くなって血流が滞っていても、転ぶ原因になるそうなのだ。
物忘れは子供のときからなので天然物だけれど、こういう文章を書いている最中、言葉の言い回しがわからなくなったりすることが増えた。
元々コレステロール値が基準よりわずかに高い。
ずいぶん以前から指摘され続けてきたけれど、薬を飲む気も、食生活を変える気もさらさらない。
なぜならずっと同じ数値で変化がないから、これが私にとって一番良い数値なのだと思う。
それにコレステロール値が高くなる食べ物は皆美味しい。

朝食に作るのはオムレツ。
たっぷりバターを使った大きなオムレツ。
ときには溶けるチーズを乗せる。
健康診断に行ったら、真っ先に注意されそうな。

卵といえば鶏卵だけではなく鮭の卵、たらの卵など、コレステロールの宝庫みたいな食べ物大好き。
コレステロール値高いですよ。薬飲みますか?と医師に訊かれると必ず拒否する。
頑なに薬が悪いとは言わないけれど、まず必ず副作用がある。
とにかく健康診断もここ3、4年まったくうけていない。

去年、私の友人が顔面から転んで大変な傷を負った。
それを見てあんな風に顔から転ぶなんてどうしてかと思ったけれど、まさか自分がそうなるとは・・・・
転んだ友人は三半規管に良いという薬を飲んでいたら、ある日ひどい目眩がしてピアノが弾けなくなった。
どうしても指が動かない。
それで薬を全部捨ててしまった。

私も転ぶからと言って病院で検査を受けたら、病気になってしまいそうな気がして迷っている。
万一病気のせいなら早めに治療したほうが良い。
原因を知りたいなら検査は受けたほうがよいけれど、原因が特定できないで、とりあえず薬出しますからなんて処方されたら飲む気にはならない。

あるいはこの猛暑で、軽い熱中症を起こしているのかもしれない。
暑さにはからっきし弱い。
スキー場で吹雪にさらされても堪えないけれど、暑いのだけはごめんなさい。
ああ、早く冬にならないかなあ。
雪山がもう呼んでいるのよ、まだ秋でもないのに。

猛暑を避けて明日から北軽井沢へ。
「こちらは涼しいわよ、早くいらっしゃい」と家主さんから電話があった。
家主は人形作家のノンちゃん。
先月泊めてもらった追分の家主さんも滞在中。
その前に泊めてもらった軽井沢の家主さんも滞在中。
その上、もう一人軽井沢に引っ越すというヴィオラ奏者が現れて大賑わい。
あちらで立派な弦楽アンサンブルができるではないか!
























2018年7月19日木曜日

焦熱地獄

今年の災害は90年に一度の水害、その後の猛暑。
西日本では家を流され、家族を失い、この猛暑の中で元気を出してと言われても耳に入らない人が沢山いる。
ボランティアの人たちは本当に善意なのだけれど、被災者たちはときには悩まされることもあるらしい。
元気だしてくださいと言われても、誰が元気になれる?
寂しいだろうと話しかけたりするのも迷惑なこともあるらしい。
心底落胆した人に慰めの言葉は虚しく響く。
この暑さでゴミの山は腐敗するだろうし、プライバシーのない避難所で着替えもままならない、お風呂にも不自由するし、今の自分のなにも起こらない状態がどれほど平和なことかと思う。
お金がたくさん欲しいとか、美味しいものを食べたい、きれいな服が着たいなどの欲は、ただひたすら生きたいという気持ちの前にはほんの小さなこと。
家族がいてごく当たり前に生活できることだけでもありがたい。

今朝ピアノ合わせの練習に車で出かけた。
徒歩でいきたいところだけれど、アスファルトの照り返しと蒸し風呂のような空気の中を歩く勇気はない。

玄関を出て駐車場まではほんの僅かの距離、目に刺激を感じる。
かゆいような痛いような。
空気が刺激物を運んでくる。
目一杯クーラーを効かせて走り始めた。

環状8号線。
今日も混んでいる。
走り始めてすぐに1台の救急車。
道を譲って暫く行くと、又救急車。
さっき左に曲がったと思ったら又前方に救急車。
ひっきりなしにサイレンが聞こえる。

甲州街道の陸橋で、間もなく左折する私は左車線へ。
陸橋のてっぺんのあたりの前方の車の様子に違和感があった。
別に普通に渋滞で停まっているだけのようにも見えるけれど、念の為、私はすぐ後ろにつけないで距離を開けて停まった。
すると2台前の車から人が降りてきて、自分の車のテールを調べている。
1台前の車からも人が降りてきた。
どうやら追突事故を起こしたらしい。
すぐに右車線に戻り走り抜けた。
万一これが事故発生から時間が經って警察が来ていたら、ひどい渋滞に巻き込まれるところだった。
この猛暑の中でイライラしながら車の中で茹で上がって、体調を崩していたかもしれない。
陸橋を降りてすぐ、対向車線に又救急車。
さっきの事故では負傷者がいないようだったから、別の事故か急病人。
私が走ってきた方向へ走り去る。
いったい今日は何台の救急車に出会ったことか。

アスファルト道路が揺らいで見える。
自然災害は人の驕りに対する天罰と言う人も居るけれど、災害をなくそうとして試行錯誤の末に逆に災害を引き起こすこともある。
砂防ダムの近くの自宅にいた高校生。
ダムは彼の祖父が自治体に働きかけて実現したもので、彼はそのダムを信じていたから自宅から離れなかったのかもしれない。

でも未曾有の規模の土石流はあっけなくダムを乗り越えてしまった。
彼の母親が早く逃げるようにと電話をしていた最中だった。
慰める言葉がみつからない。
祖父は自分がこのダムの実現を望まなければ、高校生のその孫はもっと早く逃げたのではないかと自分を責めていないだろうか。
母親はその子にもっと早く電話をしていればと悔やんでないだろうか。
それらを思うといたたまれない気持ちになる。
死はだれにでもいつかは訪れる。
一日長く生きたからと言ってそれが幸せとは限らないけれど、若くして亡くなるのは痛ましい。

猛暑が容赦なく襲ってくるので、いつもなら練習を終えるとランチでもとなるのに、今日は食べないほうが良さそうと言って帰ってきた。
昼ごはんを食べたら睡魔に襲われる。
特に今日のような暑さではただでさえ注意力が散漫になるのに、満腹になったらどういうことになるのか恐ろしい。
案の定、帰宅して軽い食事を摂ったら、めったに昼寝をしない私でもぐっすり眠ってしまった。









2018年7月18日水曜日

兄弟格差

近所に住んでいる兄から「そうめん茹でるからおいで」と電話。
兄と私は11歳の年齢差。
私の中学校の入学式にもこの兄が父兄として列席した。
私の担任の英語教師が兄と同級生だった。
入学式の記念写真を見ると、女生徒の中に先生と兄が写っていて、どちらが先生なのかわからない。
せっかく兄がついてきてくれたのに私はその先生が気に入らなくて、英語の勉強は一切しなかった。
今思えば記憶力の頂点の頃に勉強しないで、惜しいことをしたと思っている。
単語だけでも覚えておけば今こんなに苦労しなかったのに。

それはさておき、兄弟の中ではこの兄はサラブレッド。
昔風の考えの両親にとって長男は他の兄弟よりも数段上の存在だったから、教育も躾もきちんとしたと思う。
父がなにかのときに「お前は皇太子なんだから、そんなことをしてはいけない」と兄に言ったのを聞いたという姉がいる。
庶民の分際でそんなこと言ったら、戦前なら不敬罪で猫箱行き、いや豚箱行き。

母の自慢の惣領息子はその期待に応えて立派に成長した。
他の子供達はいないと同じ。
4番めの姉は母から「下の子どもたちはいらなかった」と言われたそうな。
ひどいことを言われながらも家族は皆陽気なので、曲がった道に行った者は一人もいない。
いや、一人だけ、このnekotamaがいささか風変わりな人生を送っている。
いらなかった子どもたちだから教育しようとも思わなかった母の代わりに、長姉と長兄が私達の面倒をみた。
音楽好きの長兄の影響を受けた私が曲がった道まっしぐら。
曲がった道はまっしぐらには行かれないからクネクネと。

その母の命日なので兄が昼ごはんを作ってくれるそうなのだ。
近所に住む姉も呼ばれていた。
12時過ぎにおいでというので少し過ぎて行ったら、すでにテーブルセットがしてあって、焼き鳥やナスの煮浸し、かき揚げなどが並んでいた。
ビールで乾杯、命日だから献杯。
しばらく話と杯が進む。
そして兄が麺つゆまで自分で作ったという素麺が出てきた。
昆布だしのきいた美味しいつゆとミョウガとシソの薬味。
茹で加減もいい。

兄は理系だから、何事もおろそかにしない。
漬物も自分で塩の割合、温度湿度に応じたぬか床の水分量など、きちんと計りながら漬けるのでびっくりするほど出来が良い。
次兄も理系だけれど、理論の世界に生きているので多少ぼんやりしている。
長兄はなにをやらせても秀でている。

今日も家に入ると、あまりのキレイさにびっくり。
一切散らかっているものはなく、どこもかしこもピカピカ、本やレコードも整然と整理され、趣味の絵も非常に上手い。
以前、私の家に来ていたハンガリーのヴァイオリンの名手タマーシュ・アンドラーシュが、一人で練習したいのでどこか部屋を貸してくれるところはないかと言ったので、兄の家の音楽室に連れて行った。
兄は大喜びで、コーヒーを淹れようか?お寿司を食べるか?タマーシュはちょっと困り顔で、練習ができたのかどうか。
しばらくして帰ってきたタマーシュは「お兄さんの家はものすごくきれいだ」と言う。
私の家から見たらどんな家もきれいに見えると思うけれど、私がみてもこんな綺麗になっている家は珍しいと思う。
兄嫁が数年前になくなって一人暮らしの兄は、なにもすることがなくてねと言うけれど、私はなにもすることがなくてもこんなに綺麗には出来ない。

あまりにも他の兄姉私と違うので今日出た結論。
この兄は拾われっ子。
子供の頃、私は兄姉や母親にからかわれた。
「あんたはね(嬉しそうにここで誰もがニヤリと笑う)橋の下に捨てられて泣いていて可哀想だから、拾ってあげたんだよ」
「赤いおべべ着て泣いてたんだよ」
橋の下でないときは、近所の了源寺というお寺に場所が変わる。
半分は嘘だと思うのにもう半分はもしかしたらと、メソメソ泣き出す。
それを見て家族が爆笑。
とんでもない一家だった。

他の兄姉とあまりにも出来が違うので、今日出た結論は、実はこの兄が拾われた子で、私達ガサツ集団こそ本物の血筋であると。
そうでなければ話が合わない。
学問好きな母はもっと上を目指していたけれど、父が京都から手紙をよこしたのでつい結婚してしまってと言う。
亡くなる間際に「これで終わってしまうと思うと本当につまらないねえ」と言った。
子供がこんなにいなければ、自分の勉強が出来たのにと後悔の言葉だったかもしれない。
でも一人でも立派に育てたではないですか。
あとの5人はいらなかったらしいけれど。
私達クズもおこぼれだけど愛されて、曲がりなりにもお天道さまに顔向けできるほどにはまっとうに生きている。













2018年7月16日月曜日

北軽井沢ミュージックフェスティヴァル

フェスティヴァルの最終日の9月9日に出演決定。
去年は8月半ば。
長雨が続いて森は湿り気を帯び、当日はようやく薄日がさす状態だったけれども、どうにも始末に負えない悪コンディション。
私の演奏履歴の中の最悪の条件だった。

エアコンのない会場はシャッターを開け放つと外と同じ。
野外コンサートみたいなものだった。
ヴァイオリンなどの弦楽器はカラッとしたヨーロッパ生まれのヨーロッパ育ち。
響きの良い教会やコンサート会場などで演奏すると、小さな楽器が周りに共鳴してあの素敵な音色になる。
それで無駄に力まないで済むのだけれど、湿度の多い会場は弦楽器泣かせ。
去年のフェスティヴァルでは、私の楽器は拗ねてご機嫌斜めだったから苦労した。

ヴァイオリンの弦は羊の腸を金や銀の細い糸で巻いてある。
そして弓のこする部分の毛は馬の尻尾。
髪の毛などもそうだけど、湿度が高いと始末に負えなくなる。
弦は伸びて調弦があわなくなり、弓の毛が伸びると弓の張りがなくなって弾力が落ちる。
こんな気難しい楽器をなだめすかして毎日過ごしているから、多少気難しい人に出会ってもどうということはない。
楽器のほうが正直だから、あっという間に環境に左右されてしまう。
せっかく新しい弦を張り替えたのに、北軽井沢から自宅に戻ったとたんに切れた。
弦は高価で1本切れると本当にがっかりする。
ああ、これで明日からは当分卵かけご飯だけかあ、なんて。

今年はお盆が過ぎたころの初秋が良いと「雪雀連(SJR)」会長がいうので、秋の初めにというタイトルでプログラムを組んでみた。
と言っても秋にちなんだ曲は、最初のヴィヴァルディの四季より「秋」のみ。
ここでこじつけておけば後は何でもありというわけで、次のようなプログラムとなった。
      
       SJRアンサンブルコンサート~秋の初めに~

  第1部 古典音楽の楽しみ
      ヴィヴァルディ:四季より「秋」
      テレマン:2つのヴァイオリンのソナタより1,2楽章
      バッハ:ブランデンブルク協奏曲第6番
  
  第2部 音楽の玉手箱
      ピアノ小品3曲 
      ドビュッシー:アラベスクなど
      ロッシーニ:ヴィオラとコントラバスの2重奏曲他
      最後は楽しい曲を全員で華やかに

2部のほうは秘密の玉手箱。
なにが出るかお楽しみというわけ。

今日は第2回目の練習で、猛暑の中我が家に大きなコントラバスや、チェンバロの代用品のキーボードなどが運び込まれた。
なんと言っても手強いのはバッハ。
ブランデンブルク協奏曲第6番は本来はソロヴィオラ2台の編成、今回はヴィオラは1人しかいないので、ヴァイオリン2台用に書き直した楽譜を使用。
ヴィオラは通奏低音にまわる。
バッハの音楽は緻密に組み合わさっているから、誰かがコケるとバラバラになる。
1度落ちると這い上がるのに苦労する。
念入りに練習。

私達のメンバーはヴァイオリン2人、ヴィオラ1人、コントラバス1人、ピアノ1人。
海外ではウイーンフィルの人たちのグループが、この編成で活動しているらしい。
この編成は正規の四重奏の編成ではないので、コントラバスがチェロの役目をする。
大きなコントラバスでチェロのパートを演奏するのは大変な技術だと思うけれど、我らがコンバス女史は平然ととやってのける頼もしい人なのだ。

私がゲーリー・カーなど知らなかった頃、N響の定期演奏会で生まれて初めて生でコントラバスのソロを聴いたのがマーラーの「巨人」
巨人のお葬式の部分が、コントラバス奏者のソロから始まる。
巨人が死んで悲しみにくれる村人や動物たち、でも人がたくさん集まってきてだんだん楽しくなってきて調子っ外れの音楽や踊りが始まってという面白い描写。
その悲しみの部分がコントラバスで演奏される。
マーラーの天才ぶりが顕著になる部分。
こんなに繊細な美しい音が出る楽器だとは思っていなかったので、えらく感動した。
その同じコンサートで、ホルンのトゥッティーでセクション全員一斉に立ち上がってのスタンドプレー。
これもド派手で肝っ玉を抜かれた。
「巨人」は私の大のお気に入りで、中学校から帰るとまずモーツァルト「シンフォニー40番」それからマーラーの「シンフォニー1番」又は「亡き子を偲ぶ歌」それからその時の気分でメンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」かチャイコフスキー「悲愴交響曲」などのレコードを聴きまくっていた。
教科書は学校から一切持ち帰らなかったから、いくらでも時間はあった。
両親は学校の勉強をするようにとは全く言わなかった。

話がそれた。
チェロがいない分、コントラバスは大忙し。
なぜチェロ奏者がいないのかというと、全員スキーの仲間「雪雀連」のメンバーで、その中にチェロ弾きがいないのでこうなった。

私の痛恨のミスはチラシのタイトル。
北軽井沢ニュージックフェスティヴァルとなっているのに刷り上がってから気がついた。
今、二の字にもう一本横線を加える苦労をしている。
なにをやっても必ずヘマ。
これからプログラムを作成しなければいけない。
これがまた大仕事なのだ。
誤字や年代の間違いや、人の名前の取り違えなどでた~いへん。
以前聞いたはなし。
リサイタルがリサイルになっていたそうで、これは悲惨。
コンサートは資源ごみか!








  
         
   















2018年7月15日日曜日

安物はNG

商店街を歩いていたら盛大にころんだ。
なにをしたわけでもない。
靴の踵が滑ったのだ。

いつも安い衣類をきているくせに靴だけはしっかりしたものを選んでいた。
と言うのも、靴が合わなかったり靴底がしっかりしていないと、てきめんに腰、膝にくる。
靴はお金をかけるものと思っていたのに、最近は仕事もしないから当然収入は減る。
お腹も減るから良く食べる。
支出が増大する。
ネットの広告で、見てくれの良いサンダルが安く出ていた。
靴だけは良い物をと思っていたのに、つい広告につられて買ってしまった。
なんと5000円以下!安い!

最初に届いたのはグレーのサンダル。
履いてみると、とても心地よい。
とにかく軽い。
まるで履いていないみたい。
しかも宣伝の謳い文句にあるとおり、柔らかくて足が痛くならない。
これは良い!
いつも靴だけは高価なものを買っていたのがバカみたい。
ずいぶん無駄使いしていたんだ。

さて、見かけは安っぽいけれど、なあに、世の中は高齢化社会。
この靴の材質が見抜けるほど皆さん目が良いわけではない。
しめしめ・・・
けっこう歩いても、どこも当たらず痛くならない。
でも帰宅したら少し膝に違和感があって、それでも我慢出来ないほどではないし、愛用していた。
具合が良いからもう一足、今度は色違いのベージュ。
膝の違和感もその時だけで、もうなんともない。

今日は美容院で髪の毛を明るくしてもらった。
白髪が増えて、黒っぽいカラーだと髪が伸びたときに頭頂部が白くなって、カッパみたいになる。
みっともないからいっそのこと、灰白色に移行しようと思った。
徐々に髪の毛の色を薄くしていく作戦の今日はその第2弾。
前回は濃茶色から赤茶色に。
今回はもう少し薄めの赤茶に黄色をかけた。
次回はグレーを混ぜてと着々と白髪作戦。

髪の毛が明るくなると、華やかな色が着られる。
今回はまだ赤っぽいけれどそのうちに灰色になったら、目も覚めるようなブルーやピンクも着られる。
今日入れてもらった色が気に入っての帰り道、るんるんして歩いていたら急に天地が逆さまになって、気がつくと商店街の舗道に腹ばいになっていた。
私は転ぶときは酔っ払いとか子供と一緒で、無駄に手をついたりはしない。
見事に両手両足を伸ばして腹ばいになった。
怪我はしない。
楽器を持っているときは一瞬で楽器をかばうらしく、必ず楽器は無事に持ち上げているけれど、楽器がないときは全く無防備。
対面から来た男性がびっくりして「大丈夫ですか?」と何回も訊いたくらい。

転び方が派手なので周りの人はびっくりするけれど、本人のダメージは殆ど無い。
腹ばいで考えた。一体何が原因だったのかと。
段差のない舗装された道。
記憶を辿ると、その瞬間に確か右の踵が滑ったのだ。
そうか、靴底がやわだったからなのだ。
それに思い至ったので、一瞬にしてこの靴は捨てようと思った。
たとえ痛くならなくても軽くて履きやすくても、底がダメな靴はダメ。

今日は大丈夫だったけれど、いつ何時大怪我につながらないとも限らない。
靴は命。
私は絶対に怪我をしたくない。
5000円以下で買えて履き心地が良くて、でも靴底が滑ったらもうアウト。
最近買ったばかりの2足のサンダルは捨てることにした。
こういうのを安物買いの銭失いというんだわ。
赤い髪の色が気に入って、浮き浮きだったのもいけない。
浮足立つってこういう事かも。

赤い靴を履いて踊り狂う話はあるけれど、赤い髪で匍匐前進する話は聞いたことがない。
ところが今朝、ネット通販でまた見つけた。
赤い靴!
小さいサイズなので売れ残っていたらしく、これも5000円ほど。
Gパンを履いたときに靴が赤いとかわいい。
前から赤い靴を探していた。
これでまたお金を捨てそうな予感がするけれど、合わなければ返品すればいいので取り寄せることに。
明朝届くから楽しみ。

赤い靴履いてコケたら絶対言われるね。
「そんな赤い靴履いて、年を考えなさい、年を!」
年は考えるものではなくてとるものなのに。































缶詰生活

キッチンのシンク下の水漏れのおかげで、保存食の消費が始まった。
キッチンがリフォーム出来たら新しい保存食を補給しようと思うので、それまでに缶詰類を食べてしまおうと工夫をこらす。
今日は出てくるは出てくるは、いつからここに居るのと訊きたいくらいの大量のトマトの水煮缶。
シチュウやパスタに便利でトマト味にするとなんでも水準以上に美味しくなるから重宝している。
トマトは万能調味料なのだ。

テレビを見ていたらお坊さんの料理で、トマトのスープというのを見た。
作り方は簡単で、湯剥きしたトマトをミキサーにかけてトマトジュースにする。
それを布巾で濾すと下に透明なトマトのエキスが落ちる。
冷蔵庫で冷やして調味料を一切入れずに飲む。
酸味と甘味が絶妙なバランスだそうだから、近々やってみようかと思う。
水煮のトマトではおそらくダメだと思う。

今日は玉ネギとベーコン、ひき肉を炒めて水煮トマトを加えゆっくり煮込んでトマトソースを作った。
本当は生のトマトのほうが美味しいけれど、水煮でも十分。
これを冷凍しておけば、バリエーションが利く。
昼食は水煮のイワシの缶詰、猫と一緒にウニャウニャ言って食べた。
ご飯にイワシを載せて醤油を一垂らし。
胡麻や陳皮などの乾燥粉末をかけて、う~む、日本人に生まれて良かった。
うちの猫は老齢だから、普段は食が細い。
野良の朝ごはんをピンはねしてうちの猫がほんの少しだけ食べる。
残りは若い野良たちが争って食べる。
夕方おやつのチャオチュールをおねだりするから1本だけ食べさせる。
夜はカリカリをほんのひとつまみお皿に載せておくと、朝半分くらいに減っている。

その食の細い猫が丸々したイワシの半分くらい食べてしまった。
缶詰は新鮮なうちに真空状態で保存するから、栄養状態も良いらしい。
鮭缶やカニ缶なども残っていて、この際全部胃袋に入れてしまおう。
デミグラスソースとか珍しいのはクッキーの缶詰や、お赤飯用の小豆の煮たものなど。
小豆なんか買って、お赤飯を作ろうとでも思ったのかしら。
nekotamaのことだから目についたので、気まぐれに買ったものと思われる。
災害の後で誰がお赤飯炊こうなんて思うものですか。
非常食にしては非常識。

なま物でなければ魚は缶詰がいける。
私が下手に煮るより、100円台で買えるサバやサンマの味噌煮のほうが余程新鮮で美味しい。
猫も喜ぶ。
鮭缶はマッシュしたジャガイモと混ぜてコロッケ作ってみよう。
月曜日には来客が4人。
缶詰攻めの地獄が待っているとも知らずに、嬉々として来るに違いない。
猫用缶詰混ぜたらわかるだろうか?
いやいや、いくらなんでもそんなことは・・・やってみたい。














2018年7月13日金曜日

水浸し

西日本の水害のニュースが連日流れ、被災者の方々はこの暑さの中、さぞや難儀であろうとお気の毒でならない。
いつかは自分の身にも起こることとして、覚悟はしておかないといけない。
あまりにも安穏と過ごしてきた日々を顧みると、私だけ平安でいられるはずはないとも。
人生はちゃんと帳尻が合うようになっているのだと思う。
命さえ助かれば、長い人生のうちの数年くらいは不自由を耐え忍ぶこともできるかなと思うけれど、若い日とは違う。
今ことが起きたら私はなんにも出来ない。

重いものは運べない。
なにかに追われて逃げても早くは走れない。
足が悪く2階に登れず、命を落とした88歳の女性。
どれほど恐ろしく苦しかったかと思うと涙が出る。
けれど他人事ではない。

今朝ふとキッチンの床を見て違和感を覚えた。
キッチンマット用に敷いてあるビニールのシートが、妙にブヨブヨして見える。
キッチン下の収納扉を開けてオリーブオイルを取り出すと、瓶の入った紙のケースが濡れている。
ん?、もしかして。
きゃあ!なにこれ。
下に敷いてある紙がベトベト。
中は缶詰や油などの保存品が詰まっているけれど、それらを入れてあったダンボールの下敷きが水を吸っていた。

ビニールシートをめくってみると、見るだにおぞましい。
水が溜まって裏側はぶよぶよ。
まだ発見したのが早かったせいか黴てはいないけれど、気がつくのが1日でも遅れたら裏側は黴だらけになったと思う。
なにが原因かと調べたら水の流れるパイプの上の方から、じわりと水滴が。
ほんの僅かだけれど、少しずつ流れおちたようだ。

中の物を全部放り出すと不要なものでいっぱい。
災害時のために保存してあった缶詰、レトルトカレー、カップラーメン、ガスボンベ、ボンベ用のコンロ。
これらは必要なときが来るまではと保存しておいたけれど、すべて廃棄することにした。
この際、新しい保存食に入れ替えるチャンスでもある。
大きなゴミ袋がたちまちいっぱいになって、こんなに狭いところにこんなに沢山のものが入っていたことに驚いた。

鰹節削りや摺り鉢など、最近とんと使わなくなった物も発見。
以前は自分で鰹節を削り、胡麻や山芋を摺り、忙しい日々にちゃんと料理をしていた自分を褒めてあげたい。
良くやったよね、nekotamaちゃんは良い子だった。
過去形なのが残念。

工務店に連絡して早速来てもらった。
本当は部屋全体をリフォームしたいところだけれど経済的に厳しいので、まずシステムキッチンを替えようと思ったら、全部変える必要はありませんと工務店社長。
上は掃除すればいいし、漏水だけなら緊急用の処理で一時止まりますという。
でもいつ何時こわれるかわからないから、一時的でなくシンクごと取り替えれば安心だとも。
とにかく汚くしていたのでこれがチャンス!
きれいなブルーのキッチンに生まれ変わるかも。
予算によっては黄色になるかも。
どちらにしても20年の汚れとおさらばできる。
ついでにエアコンの掃除もやってもらうことになった。
以前からプロにやってもらいたかったけれど、あまりにも散らかっているので来て貰う前に部屋を自分で片付けないと見っともない。
それで中々来てもらう決心がつかない。
やっと恥を捨てて、来てもらうことになった。
恥を捨ててって(笑)恥じる気持ちがあれば、とっくに自分でやっていたよね。










2018年7月10日火曜日

女子会

猛暑の中、私の家の最寄り駅に集まった女子5人。私をいれて6人。
3ヶ月に1度集まることになっている。
いろいろな場所から集まるから、私の家はちょうど中間点。
暑いから今度も幹事の権限で私は楽させてもらった。

いつものタヴェルナ。
むかし芥川也寸志さんがよくおっしゃっていた。
食べるところなのにタヴェルナと言うんだよ、と。
芥川さんはその手の冗談がお好きで、カニをレコード盤の上に載せて回転させると、カニが縦に歩く・・・とか。
メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトはよくメンコンと略して言われるけど、ベートーヴェンのコンチェルトはベトコンと言うとか。
芥川龍之介の息子さんとはおよそ思えないような冗談を言う。
良く考えればそれほど面白くもない冗談なのに、御本人は真面目に面白がっている。
とてもハンサムなお顔とミスマッチなので、そこが面白かった。

そのタヴェルナに行くのも何回目になるのか。
幹事が私なので自宅付近を会場にするなど好き放題。
イタリアンの堅苦しくないレストランは、味も雰囲気もすごく良い。
特にスタッフが皆ハンサムで親切で、声が良い。
声はとても大事で、声の良い男性はセクシーなのだ。
エアフランスに乗ったとき、スチュワードがサービスに回ってきた。
料理は肉にするか魚にするか訊く。
女性に対して耳元で「マダム」と声をかける。
その深々と響く声で耳をくすぐられると、思わずゾクリとする。

次からはいつもエアフランスにしようとその時思ったけれど、その後乗る機会がなくて「マダム」と言う言葉には残念ながらその後お目(耳)にかかっていない。

えーと、なんの話でしたっけ?
そうそう女子会は今回は欠席者なし。
時々どうしても体調が悪いとか急な用事でとか中々全員揃わないけれど、今回は全員嬉しそうに時間ぴったりに現れた。
一時期、皆体調を崩して問題多い時期があった。
中心人物のKさんは身を隠してしまって音沙汰ない。
だれに訊いても理由がわからない。
結局仕事を変わってほしいと連絡があって、病気だったということが判明。
それでも頑固に病名は明かさない。
完治してから笑い話のように闘病生活を話した。

生真面目なSさんはある時急にコンサートを中止。
その後、私達の仲間内でも事情が良くわからず、風の便りに病状が漏れ聞こえてくる。
かなりの時間が過ぎて復帰したけれど、真面目すぎる性格なので元気そうに振る舞っているのが痛々しい。
無理に元気にしなくてもいいのにと思っていたら、最近本当に元気を取り戻したようなのがめでたい!

私なら入院しようものなら皆に声を掛ける。
入院するから遊びに来て!
以前約1ヶ月半の入院生活をしたことがある。
その時、私の入っていたのは6人部屋。
明け方、トイレに行くお年寄りがスリッパを引きずって歩くので目が覚めてしまう。
それで一人部屋にしてほしいと言ったら、隣に6人部屋が空いているからそちらを一人で使って良いと言われて引っ越した。

一人になった私は、部屋中のベッドサイドに盛大に花を飾って素敵な病室で過ごした。
しかも看護婦さんのたまり場になってしまった。
ちょっと手が空くと看護婦さんが集まってくるので、陽気な入院生活を送った。
友人知人もひっきりなしに来てくれた。
枕元には、ステンマルクの見事な滑降の大きな写真を飾って。
重篤な病状だったのに、病気は1ヶ月で完璧に快癒。
早く退院したいのに主治医がうんと言わない。
なぜなら、私を釈放した途端に動き回るに違いないから。
安静にするのが大切な病気だったので、大事をとって半月退院を伸ばされてしまった。

今日は全員本当に元気そうで、健啖家の私達の食べっぷりは「タべルナ」と言いたくなるほどだったのではないかと。
各自大きな病気を乗り越えて、今は皆が元気。
まず体が元気が一番。
楽しいときはあっという間に過ぎて、次回の約束は10月。















2018年7月9日月曜日

禍福はあざなえる縄のごとし

昨夜の楽しい余韻で今朝は少し寝過ごした。
体のメンテナンスに整体を受けていたら携帯の着信音。
施術の途中で集中している整体師は耳が少し遠くて、着信音は聞こえないらしい。
終了後記録を見ると、昨日のパーティーの主催者Y子さんからだった。

昨日のお礼を言い合って、さて、話題が変わると・・・家政婦のNさんの訃報を聞いた。
Y子さんの家に行くと、Nさんは控えめに歓迎の挨拶をしてくれる。
いつも出しゃばらず品の良い対応。
私はずいぶんお世話になった。
本当に行き届いた気配りで、度々問題を起こす私をフォロー。

冬、Y子さんのお宅でのサロンコンサートで、乾燥し過ぎを防ぐため加湿器を持参した。
そして加湿機を忘れて帰ってきた。
次のときに加湿機を受け取ったら、ものすごくきれいになって新品同様。
Nさんが精魂込めて磨き上げていた。
網の目のようになった所の中まできれい。
いったいどうやったらこんなにきれいになるのかしらと感心した。
これぞ家事のプロフェッショナル。
暑い夏の日、熱中症でフラフラになって行ったら、水分の補給の世話。
本番前にお腹が空くのではと、あるときには軽いパンやお菓子の用意。

先日帽子を忘れて帰った。
するとY子さんの指示で、Nさんから帽子が送られてきた。
Nさんの自宅電話が書いてあったので電話でお礼を言うと、ひどく恐縮している。
郵便局でレターパックを出すときに電話番号を書いてくださいと言われて、慌てて自宅の電話を書いてしまい、出過ぎたことでと謝られた。
いつもお世話になっているのだから、たまには私にお礼を言わせてほしい。

昨日帝国ホテルでY子さんがちょっと屈託ありげにしていた。
Nさんが来ないという。
Nさんは前日ホテルの写真の展示を手伝ったそうで、時間や場所を間違えるはずはないとのこと。
私にNさんからなにか連絡はないかと。
電話はつながらないし、絶対に連絡無しで休む人ではないから事故にでも遭ったのではと、顔色がすぐれない。
けれど盛大に会場は盛り上がって、Nさんのことはひとまずおいた。
会は大成功で皆さんお料理も音楽も堪能してお帰りになった。
けれど、やはりNさんは最後まで現れなかった。
今朝真っ先に思ったのはNさんはどうしたのかしら?だった。
後で電話して訊いてみよう。

結局連絡を受けた警察がNさんの自宅で発見した。
Y子さんのお父様が亡くなったとき、Nさんが辞めずにずっと働いてくれることになったけれど、お父様が亡くなってちょうど1年目。
きっとお父様が「娘の面倒だけでなく、僕の面倒も見に来てよ」とおっしゃって連れて行ってしまったのねとY子さんと話した。
Y子さんのショックはお父様に続いてなので倍増。

家事をするだけではなく心の支えとなっていたNさんをなくして、Y子さんは本当に寂しい思いをしていることと思う。
Y子さんがご両親の大きな愛に育まれていた様子は、ホテルの控室に飾った写真から十分に見て取れる。
ご両親が亡くなってからはNさんと暮らしていくはずだった。
「私ひとりぼっちになってしまいました」とY子さん。
たとえ私達がY子さんをサポートしてもNさんには及ばない。
NさんもY子さんのことを心配していると思うけれど、Y子さんは稀に見る有能な人だから、しっかりと生きていけるとは思うものの。
なんだか身内を失ったような気持ちで、次にあのお宅に伺ってもNさんに会えないんだなあと寂しい。
なんだかんだ言ってもちゃんと帳尻が合うようになっている。
昨日は晴天、今日は雨、しばらく薄曇り・・・全体で一つの宇宙。
















2018年7月8日日曜日

思い出の会は華やかに

今日は帝国ホテル。
南青山在住のY子さんのお父様は高名な弁護士で、多くの人から敬愛されていた。
去年そのお父様がお星様になってしまい、それでも本当に幸せな人生の幕引きだったので、お見送りも賑やかに帝国ホテルでの音楽会パーティーになった。
そして今年も思い出の音楽会が帝国ホテルで行われた。

今日は私は客席にまわった。
たまには客席で聴きたいわと言ってごちそうだけ食べて、笑って歌って。
谷康一とニュー・ブルー・ストリングスが演奏。
  谷 康一 ギター
  中井典雄 ドラム
  村上功治 ギター
  山崎綱三 ベース

谷さんはY子サンの軽井沢のゴルフ仲間。
ヴァイオリンの林美智子さんと谷さんの二人のお嬢さんも加わって、更に山田陽子さんというフラの踊り手も加わって盛大な思い出の会になった。

お食事タイムが始まってから45分すると音楽開始。
賑やかで陽気で素敵な谷さんのお話と歌、途中で林さんのヴァイオリンが加わり、フラで最高潮。
林さんはファッションモデルも真っ青な着こなしの名人。
ある時テレビ局で、タレントさんより目立たないようにと注意されたそうな。
今日は白と薄いベージュ、グレーのグラデーションの細身のドレスがとても素敵だった。
フラというのはどちらかというと陽気な印象だけれど、山田陽子さんのフラは上品で内面から輝いて見える。
神秘的でオーラが出ていた。

その間も飲んだり食べたりして、ライブハウスのように寛いで音楽を楽しんだ。
私は今日は無責任で飲食して最高に楽しかったけれど、もとより自分で今日は楽器を持っていかないと言ったけれど、たまには客席で楽しませてよとは言ったけれど、谷さんの歌はとても素敵でお話も面白い構成が素晴らしいんだけれど。
やはり聴くよりも弾くほうが楽しいんだわ。

結局、谷さんに今度は私も弾かせてとお願いした。
楽譜書いておきますよというお返事。

お開きになっても各テーブルで名残を惜しむ人たちがいたので、元日航の機長だった人としばらくお話をした。
「音楽も飛行機を飛ばすのも空間の芸術なんです」と、元機長さん。
「飛行機のクルーはその都度メンバーが変わって、知らない同士1週間くらい同じメンバー全員で行動するので、最初の意思の疎通がうまくいかないと後が大変。
見ていると、演奏も最初のうちはお互い手探りしていますよね。
そのうちお互いにわかり合ってきて上手くいくようになる。
時々最後までギクシャクすることもある」というような話を聞いた。

飛行機の操縦は私の長年の夢だった。
唯一叶わなかった夢。
その夢を叶えられて羨ましいと言ったら、機長氏は「自分は演奏が出来ないから同じことだ」と慰めてくれた。
そうかなあ、飛行機の操縦のほうがよほど素敵なのに。
最近ホンダの小さい飛行機が売り出された。
宝くじを買って当たったら買おう。
買ってどうする?














二人のコンサート

三軒茶屋のサロン・テッセラは3年ほど前コンサートを開かせてもらったけれど、小さいながらすべての条件の整っている理想的なホールだった。
オーナーの理想がすべて生かされているけれど、いかんせん客席が少なくて知人たちからブーイングを受けた。
お知らせする人数が限られてしまって、名簿の半分くらいはカットしなければならなかったので、後でおおいに叱られた。
呼んでちょうだいよ、友達じゃない!と言われても、当日やはり席が足りなくなって帰っていただいた人もいた。

今日のコンサートは「二人のコンサート」

ソプラノの鎌田滋子さん ピアノの伯田昭子さんのお二人は長年一緒にコンサートを続けているらしい。
私が今回初めて知ったのは、私達のいつもの仲間の芝治子さんが伯田さんと連弾するので。
私達が時々やっている研究会の例会は、自分たちのコンサートの前に度胸試しで弾かせてもらいアドバイスを受けたり励まされたり、そんなふうに役に立っている。
伯田さんはいつものメンバーではないけれど、今日の本番のために芝さんと先日の研究会に参加した。
やる気のある人は常に大歓迎。

そして今日は彼女たちの本番。
まずソプラノの鎌田さん。
きれいな金髪、エメラルドグリーンの素敵な衣装、見るからにソプラノ歌手。
大ぶりのネックレスと対のブレスレット、イヤリングもキラキラ輝いている。
そう、まずおしゃれでないといけない。
お客様は衣装を楽しみにしているのだから。
私は不精でステージ衣装も通販で買うようなことをしているから、今日はいたく反省した。
耳も目も楽しませないといけません。
今後は馴染みのステージドレスの店「メイミ」に足を運ぶとしよう。

今年はフランスのグノー生誕200年、ドビュッシー没100年だそうで、それにちなんでフランス音楽のプログラム。
ピアノ独奏    ドビュッシー:子供の領分
ピアノ連弾    プーランク:ソナタ
ピアノ2台    ラヴェル:ラ・ヴァルス

ソプラノは    グノー歌曲 ヴェニス、亡き人、芝生は緑
         ドビュッシー歌曲 星の夜、月の光、ファントッシュ
         プーランク歌曲集 かりそめの婚約全6曲

フランス歌曲と言えば、かつてジェラール・スゼーという名歌手がいた。
私は大好きで日本公演を聴きにいった。
1度はフランス歌曲、もう1度はシューベルト:冬の旅。
フランス歌曲はとても素晴らしかったけれど、冬の旅の方はドイツの名歌手・フィッシャー・ディスカウを聴き慣れていたので、フランス風の発音に違和感があって馴染めなかった思い出がある。

鎌田さんは衣装も声もキラキラ。
特にプーランクが良かった。
フランス語はわからないけれど、響きで幸せになれる。

伯田さんと芝さんの2台のピアノは圧巻で、ラ・ヴァルスは二人の呼吸がよくもこんなに合うものと感心した。
よほど合わせたに違いない。
ふたりとも上手い!

終演後、会場の一角でワインやお茶を頂いて、出演者たちとお話をした。
鎌田さんはステージ衣装を着替えて、今度はゴールドのスパンコールのついた白いワンピースに薄いシャンパンゴールドのボレロ、それもステージ衣装のように華やかだった。
歌手は思い切りアクセサリーがつけられる。
ピアノもイヤリングとネックレスがつけられる。
でもヴァイオリンはまず指輪だめ、ネックレスだめ、せめてイヤリングと思っても大きいものはじゃまになる。
ヴァイオリン弾きが機能優先の衣装になってしまうのには理由がある。
肩や胸にスパンコールはだめ、チリチリ鳴ってしまうから。
腕を激しく動かすから、袖が動きやすいデザインでないといけない。
それでヴァイオリン弾きは思い切ったおしゃれが出来ない。

楽器によって性格が分類されるのは知られている。
ソプラノ歌手は華やかでアクセサリー満載。
ピアニストは生真面目だから、きちんとしたドレス。
ヴァイオリンは神経質な割にズボラだから、どうでもいいような・・・いえいえ、そうでない人もいますけど、分類すればのことで。
今日は素敵な衣装を見てnekotamaもおしゃれ心を刺激されたというお話。
今後のコンサートで私が金髪を振り立てて、熱演のあまり袖をビリっとやぶいたりするかも。
前々回の「古典音楽協会」の定期演奏会でソロを弾いていて、イヤリングを落とした話はしましたっけ?
次回の衣装は残念ながらもう決まっていて、ネイビーブルーの長袖。
聞いただけで野暮ったいでしょう?















2018年7月5日木曜日

OSK夏のおどり

私が35歳はとっくに過ぎているのはあまり知られてないようだけれど(笑)東海道新幹線が開通したのが私が大学生のとき。
音大のヴァイオリン科の2年後輩の新入生になつかれた。
彼女は関西の福知山線沿線に実家がある人で、入学してすぐに仲良くなった。
彼女が夏休みに自分の家に遊びに来ないかというので、図々しく滞在することになった。

初めて乗る新幹線。
新大阪駅でその人に会えなかったらどうしようとか、考えもしなかった。
前日電報を打っておいたので、必ず来るはずと疑わない。
今のように携帯もなかったので会えなければ一人で遊ぶつもりで。
新大阪駅で満面の笑顔で迎えてくれたので、本当に嬉しかった。
初めての大阪は人が溢れていた。
在来線に乗り換えるためにホームに並んだ。
彼女いわく「一番前に並んでいても座れると思ってはいけない。頑張ってね」
「え?どうして」
訊くまでもなく開いた扉から降りてくる人を押しのけて、私の周りの人達はさっさと電車に乗り込む。
降りる人が済むのを待っていた私は呆然として取り残された。
友人は笑って「ほらね」

そうこうして彼女の家にたどり着くと、シャキシャキのお母さん、大人しげなお父さん、後輩が一番貫禄があって、親戚筋の若い男性が車で方々連れて行ってくれた。
六甲の夜景が綺麗だったことを思い出す。
さんざんお世話になって、いくらなんでもそうそう長居は出来ないと思って数日後「そろそろ御暇します」と言ったら「あなた、まだ宝塚を見てないでしょ?あれを見るまでは絶対帰さない」とお母さん。
実はわたしはあの手の綺羅びやかなショウはあまり好きではなく、興味のひと欠片もなかったので内心困った。
でも1宿1飯どころか1週間ほども滞在して、ここで無碍に断るのは失礼。
期待しないで出かけた。

その頃男役では那智わたるというスターがいた。
その当時は会場はまださほど立派ではなかった。
ふ~ん、こんなものかと思っていたら、開演したとたん目もくらむような華やかな世界が広がった。
那智わたるさんは実に素敵で、あっという間に夢の世界へ誘われた。
終わってからぼーっとしていたら、お母さんが笑った。
私が乗り気でなかったのはわかっていたらしい。
「ほらね、きれいだったでしょう?」

数年前、私の古いお付き合いの歯医者さんが「冥土の土産に宝塚を見にいったけど、いやーきれいだったよ。でもお客さん女性ばっかり。恥ずかしかったけど、行ってよかった」と言って、それから間もなくお土産を持っていってしまった。

今日は宝塚ではなく、OSK日本歌劇団のレビュー、夏のおどりを見に行った。
階上の住人がチケットを2枚持ってきて、今日自分たちが行かれなくなったので良かったらどうぞと言うのでありがたく頂戴した。
近所に住む私の姉と行くことにした。
姉もこの類のものは初めてだと言うので嬉しそう。
2時間も前に家を出て、新橋演舞場の近くでお茶して。

会場はほとんど女性客、男性はと言えば奥さんに連れてこられたらしいおとなしそうなおじいさんばかり。
幕が開くと「きれい!お雛様みたい」と姉。
平安時代と中国と盆踊りと、ごちゃまぜの踊りと歌。
来るんじゃなかったと実は後悔して眠りについた。
会場は舞台効果のため真っ暗になる、私は眠るーとこういうわけで。
目が覚めたのは休憩時。
なんと35分も休憩があるのだ。
その間、食堂でご飯を食べる人や、座席でも飲食するひとたち。
ちょっと驚き。

2部は急に洋風になって、タンゴやバラードや寸劇など盛りだくさん。
このあたりから急に面白くなってきた。
流石に訓練されたダンサーたちの動きは素晴らしい。
いつも思うのはダンスの暗記はどうやってやるのだろうと言うこと。

私の初舞台は一人だけお客さんにお尻を向けてお辞儀をしてしまったという華々しい経歴で始まった。
ダンスやマスゲームはいつも惨憺たる結果となった。
だいたい人と同じように動けない。
歩いているうちに方向を見失う。
右だっけ左だっけ。
私が率いるチームは右往左往。あはは・・・

で、話は戻る。
見事なラインダンスや一糸乱れぬ動きはさすが、大変厳しい訓練の賜物なのだろう。
私は一糸乱れぬというときには非常に緊張する。
うっかり一糸纏わぬと言い間違えるのではないかと。

衣装は女子の好きなピンクやスパンコールでキラキラ。
最後に看板スターが巨大な羽根飾りを背中に付けて、階段を降りてきた。
この羽飾りのせいで、孔雀さんたちが一糸纏わぬ姿になったのではと心配した。
2部は本当に楽しく美しく、たいそう楽しかった。
男役の人たちが歌うときだけは少し声に無理があって気の毒。













チラシを作る

チラシと言ってもお寿司ではなくコンサートのチラシ。
今まで誰かに頼んだり、パソコンでプリントした原稿を継ぎ接ぎして簡単な物を作ってごまかしていたけれど、やはりちゃんと印刷したものがほしい。
9月の初めに北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァルに参加。
会場や宣伝はサポーターズがやってくれるけれど、チラシは自分で作らないといけない。
去年は北軽井沢の人が作ってくれたけれど、そのための原稿作りや校正などはやはり私自身がしないといけない。
結局手間は大して変わらない。
ならば、印刷まで自分でやってみようと思い立った。

年賀状を作るときにお世話になったラクスル。
幸いマイページが残っているからそこから作成開始。
昨日の午後からウンウン言って作成。
何回も失敗を繰り返したら、マウスでカーソルを引く手が硬直してきた。
背中が痛くなる。
目がしょぼしょぼする。
首が凝る。

幸い今は差し迫ったコンサートの予定がないから、そういうことに集中できる。
これでコンサートが続くときには、頭の中は演奏することだけで満席。
パソコンをいじる余裕もなくなる。
たとえ時間が余っていても音楽脳になってしまったときには、こんな作業は出来ない。
説明書を読んでも目が上滑りする。
9月とは言え、初めの方なのでもう2ヶ月しかない。
早く出さないとあっという間に当日になる。
ラクスルのサポーターとチャットしながらなんとか作り上げて、さて、印刷に回すときに最終チェックの画面を見たら、紙の縁にどうしても余白が出てしまう。
その余白は印刷されてしまうのでカットするには又別の編集が必要になる。

それを始めているうちに自体はどんどん悪い方に向かった。
結局最初に完成したものはグチャグチャになって消滅した。
それで昨夜は諦めて寝てしまった。
今朝起きると首が凝っているし頭が重い。
今朝5時起きで再び作成。
今度こそうまくいってさて、入稿の最終チェック。
あんなに気をつけたのにまだ縁に余白が。

サポートは朝9時から。
もう一刻も早く面倒から逃れたい。
もう一度作る元気はない。
とすると、印刷が出来上がってきたらこの余白をカッターで切るしかない。
それでも300枚の切断作業はちと辛い。
そこで閃いた。
こういうデザインだと思い込めば良い。
人にも変わった素敵なデザインでしょ?と言えばいい。

なに、チラシなんぞはコンサートの概要がわかれば良いのであって、これを見てどうこう言う人には特別料金割引のかわりに大震災支援の寄付をして頂けばいい。
完成画面を見ると3方に同じくらいの余白が出ている。
それはそれで中々良いではないか。
たぶん几帳面な人はこれを見て眉をひそめると思うけれど、面白がる人も中にはいるし、私を知っている人ならため息をついて「ああ、あの人のすることだから」と納得してくれる(はず)
もう原稿送っちゃったし、後は野となれ山となれ。
さて次はプログラム作り。
これも又面倒な!

コンサートをするのは楽しい。
練習はどんなにきつくても大丈夫。
忍耐力と持続力はあるし、集中力もある。
けれど小器用に手先を動かしてきれいに仕上げる能力はゼロ!!!
裁縫もイラストも、とにかく細かい作業能力は皆無。

今年の北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァルの話があったとき、去年あまりにもこういうことが大変だったのでもうやらないでおこうと思った。
そうしたら「なんでもお手伝いするからやってください」と言う人がいたので重い腰を上げた。
ところがチラシ作成の原稿を送ったら、こういう事は出来ないと言われてしまった。
ここが一番たいへんなところなのに。
それで私が再び馴れない作業をする羽目になった。
今から他の人に頼む時間がない。
今回のスキルを生かして、次回のコンサートのチラシもできるかもしれない。
ちょっと自信がついたので、暇な時に余白を消すことを練習しておこう。
今年は9月すぎるとまだコンサートの予定はない。
暇なときに練習。









2018年7月3日火曜日

樫本大進&キリル・ゲルシュタイン

変換が菓子本耐震となって笑った。
いったいどういう意味じゃ、こりゃあ。
いつもつるんでいる3人のピアニストたちと、オペラシティコンサートホールに出かけた。
コンサートの前に軽く食事。
食べ過ぎると眠くなるから、エビとアボカドのおいしいパスタも半分でやめておいた。
暑い、暑すぎる。
せっかくレストランの外にテーブルがあるのに、外で食べられない。
5月頃の夕方なら、さぞ気持ちが良かろうと思えるのに。

開演前にステージでは盛大にピアノを調律している。
なんだかものすごい勢いでガツンガツンと・・・でもよく聞いていると強くても音が歪んだり固くなったりしていない。
たぶん、今日のピアニストのスタイルに合わせているのかと。

プログラムは

ベートーヴェン:ソナタ2番
      ブラームス:ソナタ3番
             ここで休憩
   モーツァルト:ソナタK.378
R.シュトラウス:ソナタop.18

ベートーヴェンが始まると、楽章ごとに激しく調弦をする樫本。
ブラームスも、モーツァルトでも。
さては始まる前に弦が切れるとか、最近弦をとりかえるとかしたのではないかしら。
それとも日本のこの猛烈な気温と湿度に弦がびっくりしている?

オペラシティコンサートホールは素晴らしいコンサート会場だから空調は完璧だと思うので、なにが弦に影響しているのかはわからないけれど、彼があんなに神経質に調弦するのは初めて見た。

ヴァイオリンの神経質さときたら、演奏家は下僕のようにご機嫌を伺う。
ああ、今日はご機嫌麗しくていらっしゃる。
おや、今日はいかがなさいましたか、なにかお気に障りましたでしょうか?
最近のコンサート会場は空調が良いからそれほど気にならないけれど、日本のこの季節は弦楽器泣かせなのだ。

前半は調弦に気を取られたけれど、後半は弦も少し落ち着いて、大好きなモーツァルトとR・シュトラウス。
これは素晴らしかった。
今日隣で聴いていたピアノのOさん。
彼女に私は時々遊んでもらっているのだけれど、R・シュトラウスは数年前に合わせてもらって喧々諤々、ああでもないこうでもないと言いながら楽しんだ思い出がある。
つい先だってはモーツァルトの別の曲も合わせたばかり。
この組み合わせでは猫に鰹節。
惚れ惚れと名手の演奏に聞き入った。
この人達が弾くといかにも易しそうに聞こえるけれど、本当はすごく手の混んだ曲で、そうと気が付くには楽器を演奏してみないとわからない。
こんな素敵な曲ばかり聴いていると現実に戻るのが大変そうだけど、終演後ロビーに出たら人の波で、余韻を楽しむどころではない。
車をどこに置いてきたかわからなくなって、駐車場に行く道もわからない。
何回もここには来ているのにね。

今日のピアニストのゲルシュタイン氏の演奏を初めて聴いたけれど、非常に個性の強い明確な演奏で、丁々発止とヴァイオリンと渡り合うのが小気味よい。
樫本も負けじと切り返す。
その胸のすくようなアンサンブルを堪能してきた。
特に後半はヴァイオリンの弦も落ち着いてきたらしく、素晴らしい演奏に場内が沸き返った。

パスタを半分残して本当に良かった。
全部平らげていたら、ほとんど寝ていたかも。
これからサッカーのワールドカップ、決勝トーナメント、日本対ベルギー見ようかどうしようか。
明日は北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァルの練習が午前中からあるので、眠らないと、、、ああ、でもどうしようか。








2018年7月1日日曜日

運命というもの

今しみじみと感じるのは運命というもの。
今回軽井沢でカニングハムさんの別荘と、それにゆかりのあるコンサートスペースを見つけた。
カニングハムさんは私がオーケストラに入りたいと思ったきっかけのコンサートの主催者。
彼女が生きていてお話が出来たら、貴女は私の恩人、運命を決めた人ですと言いたい。
それはもうかなわないけれど、そこに導かれて行った事自体が不思議なことだった。

私は人生は自分が切り開くものであって、決して他力本願のものではないとずっと思っていたけれど、最近その考えが変わった。
その人それぞれに人生は決まった流れがあると思うようになってきた。
私の親は私がヴァイオリンを弾くことを勧めなかったし、むしろ反対されてきた。
もうヴァイオリンはやめなさいと何回言われたことか。
自分でも他の人より遅すぎる時期に始めたことで、ハンディは半端でなく、学生時代はそこそこの成績。
それなのに周りの協力体制がすごくて、次々にチャンスを与えられてがむしゃらに勉強したおかげで、この歳に至るまで演奏が継続出来ている。
これは私一人だったら到底できなかったことで、今でも励まされ慰められ弾かされているのが現実。
もし周りの人達がいなかったら、私のヴァイオリンは良い趣味として嫁入り道具の1つになっていたかもしれない。

もし中学校の同級生にヴァイオリンをやっている人がいなかったら、音大付属高校を受験することも思いつかなかった。
Tさんという同級生は田園調布にある中学校の近くに住んでいた。
学校の登下校のとき彼女の家の側を通ると、時々ヴァイオリンの音が聞こえた。
私がヴァイオリンを習っていると聞きつけて、一緒に受験しようと誘ってきた。
中学校はエスカレータ式に上まで行けるので、のんびりと受験知らずで行けるはずだった。
学校側は音大付属高校受験には好意的で、受験に失敗したら戻っておいでというスタンスで、安心して受験できた。
二人で高校を受けて二人で大学卒業し、その後もいまだにお付き合いがある。
彼女は群馬県に嫁いで、今はその地でヴァイオリンを教えている。

音大ではオーケストラの指導教授に大変可愛がられ、私が音大に残るかオーケストラを受けるか、大学側とオーケストラ側で水面下の交渉があったと、あとで聞かされた。
ところが最後の卒業試験で私がミスをして専攻科に残れず、結局オーケストラ側に引き渡され入団テストを受けた。
負け惜しみでなく、これは幸運だったと思う。
あのまま大学で人に教えていたらとんでもないことをやっていたに違いない。
未熟な音楽家のまま偉そうになってしまったかもしれない。
もちろん今でも未熟ですけど。

母は私が音大に行くのは賛成ではないけれど、自分の子供が一生懸命やることを邪魔することはなかった。
だからといって母が亡くなるまで音楽家業を認めはしなかった。
オーケストラの演奏会にも一度も来たことはない。
初台のリサイタルホールでの私のコンサートのときに、聴いてくれた叔母が「お母さんが生きていたら喜んだでしょうに」と言ったけれど、そんなことはなかったと思う。
「これで気が済んだでしょう?もうやめなさい」と言うに決まっている。
母が私のヴァイオリンに積極的に関わっていたら、私は反発してやめていた可能性もあるから、もしかしたら母の掌で転がされていたのかもしれない。
それも1つの可能性としてありうることで。

それでも母以外の人たちは、いつでも私に勉強の機会を与え続けてくれた。
決して飛び抜けて上手いとは言えない私に、国の内外を問わず素晴らしい演奏家と弾く機会を次々と作ってくれた友人たち。
様々な形での援助や励ましを受けることで、私はなんとか弾き続けている。
今回も積極的に軽井沢のコンサートのチャンスを後押ししてくれるY子さんと、私達の気のいい仲間たち、北軽井沢ミュージックホールのサポーターズがチャンスを広げてくれている。
Y子さんは近くの美術館にも当たって、いくつかの候補が出来た。
美術館側と具体的に話し合った結果、これらの美術館でも来年のコンサートが実現するかもしれないので、乞うご期待!

すべての人と事が今の自分の中にジグソーパズルのように当てはめられてこんにちがある。
私が幸運の分流に乗れたのは、周りの人達のおかげと、感謝あるのみ。
さ~てと・・・ゲームばかりやっていないで、そろそろ夏に向けて準備をしないと。
暑すぎてナメクジのように溶けていますので。



















2018年6月29日金曜日

カニングハム女史

追分の友人宅に4日間居候してきた。

宿主は少し前にオーケストラを定年で辞めたヴィオラのKさん。
退職を機に飼い猫たちの健康と自身の英気を養うために、頻繁に別荘住まいをしている。
それに便乗するのがヤドカリのnekotama。
猫と見れば保護してしまうKさんは、今、5匹の猫のお母さんなのだ。
大きな車に猫用ケージを詰め込んで、高速道路を行ったり来たり。

猫たちは追分の家に来ると、東京にいるときよりも元気になるらしい。
Kさんはのらや病気の猫を放って置くことができないから、どの猫も問題持ち。
食べるものがなくてゴミ袋のビニールをなめていた子は、いまでもビニールを見つけると舐める。
飼い主からの虐待で棒で打たれていたという子は、人が急激な動作をすると未だに怯える。
固く縛られて尻尾が壊死寸前だった子は、やっと回復して普通の尻尾になったという。

今は猫たちは愛情いっぱい受けて穏やかに暮らしている。
私は午後1時頃追分に到着すると、美味しいチャーハンを作ってもらった。
夜も飼い猫たち同様私も美味しいものを沢山食べさせてもらって、日に干されてフカフカの布団に寝かされた。
でも布団があまりにもお日様の熱をもらったために、夜中じゅう暑くてバタバタ寝返りを打った。
しかも食べ過ぎで気持ちが悪い。
明け方やっと眠りについた。

私は常に眠りの達人だから、どんなに遅く寝てもちゃんと早朝目がさめる。
2日め、北軽井沢の住人と示し合わせて、お蕎麦を食べに長野原村へ出かけた。
山の中の蕎麦屋は、十割蕎麦がおいしい。
私は天せいろ、他の3人は十割蕎麦やおろし蕎麦。
昨日食べすぎなのにもう天ぷら食べて!

追分に帰ってからも夜遅くまで飲み食い、おしゃべりに、夜中にはヴァイオリンまで弾く騒ぎ。
近所の別荘にはまだ人はいない。
夜中に弾こうと朝弾こうと、誰も文句は言わない。
猫たちが迷惑するだけ。

次の日は5月に泊めていただいた軽井沢のY子さんに連絡すると、日本に、しかも軽井沢に居ると言うではないか。
彼女は最近世界を股にかけて、お正月はウイーンに、その後スペインに、そして今月はクロアチアにと飛び回っている。
以前から軽井沢でコンサートが出来ないかと模索中なので、その会場探しに協力的。
5月には、彼女が見つけたあるカフェのサロンを一緒に見に行って、只今思案中なのだ。
追分のKさんはその時いなかったので彼女にも見てもらうことにして、翌朝の朝食をそのカフェで一緒に摂ることになった。
約束の時間に行くと、愛犬のすみれこちゃんを連れたY子さんはえらく元気そう。
クロアチアは素晴らしかったそうで、その余韻がまだ冷めない様子。
日本の蒸し暑い都会での生活に疲れ切った私など、前夜は有名なビーフのお店で買ったステーキ肉を全部食べきれず、食べ残しを恨めしげに眺めたので、せっかく来たカフェの美味しいフレンチトーストに手が出ない。

このカフェの名は「エロイーズ・カフェ
カフェの隣に1軒の簡素な建物があって、表札にカニングハムとある。
おやこれはあのカニングハムさん?

カニングハム女史は戦後の日本の子どもたちに良い音楽を聞かせようと、青少年音楽協会の組織を運営。
私は中学生の時にそのコンサートを聴いて感激、その時演奏していた東京交響楽団に入団したいと思った。
まだヴァイオリンも本格的に始めていないときなのに、本当にその時の夢が叶うとは!
本人も周りも予想だにしなかった。
カニングハムさんとその後関わりができるともしらずに。
突拍子もない夢が叶って、私はその後青少年コンサートで演奏する立場になった。

チワワのすみれこちゃんを連れてそのへんを散策していたら、そこでピシャリと辻褄が合った。
「エロイーズ・カフェ」の「エロイーズ」はカニングハムさんの名前だということに気がついた。
そうか、ここに来たことがあったのだ。
はるか昔の話、どういうわけか夜にカニングハムさんの軽井沢の別荘に行って、あまりの暗さに驚いたことがあった。
足元すら見えない。
都会の明るさに馴れたものにとって、恐怖を覚えるほどの暗さ。
その時カニングハムさんと、どうして関わりがあったのかは覚えていない。

ある時、この青少年のためのコンサートで東響が演奏した。
ハチャトリアンの「剣の舞」
この曲の最後にピアノが演奏する音型があった。
その時ピアニストをわざわざ頼むほど経済的な余裕のない貧乏オーケストラは、私にピアノを弾けと言う。
たった1,2小節だから私も引き受けた。
私がピアノを弾いていると側に寄ってきたカニングハムさんが私のことをじっと見て「あなた、ピアニスト?」「はい」「本当にピアニスト?」
いつもヴァイオリンを弾いているから、なぜその人がピアノを弾いているのかとしばらく私の側を離れないのでヒヤヒヤした。

そんな懐かしい思い出のあるサロンで演奏できれば素敵だけれど、ピアノがあまり良くない。
管理している人に訊くと「ここにゆかりのある人の記念のピアノなので」
カニングハムさんが弾いていたピアノなのかもしれない。














2018年6月24日日曜日

やっぱりベートーヴェンは手強い

クロイツェル・ソナタ弾いてきましたよ。
結果?あんまり訊かないでください。
冒頭はやはり固くなってしまって・・・(涙)
なぜだろう。
この曲を今まで何回も弾いているのに、最近冒頭が弾けなくなってしまった。
一時期、とても力が抜けてうまくいった時期もあったのに。

聴きに来てくれた友人が「脳が覚えちゃったんじゃない」と言う。
あまり気にしすぎたためにそこに来るとどうしても体が固くなってしまう。
あっさりと何気なく弾けばどうってことないのに。
練習の準備をしていないときになんとなく弾けば上手くいく。
それなのにいざ本番となると、どうもおかしい。
毎日何回も反復練習。
ああ、それなのに。

こういうのはよくあることで、本当に面白い。
スポーツ選手にもよく見られる。
ゴルフのパターが入らなくなると、固まってしまってほんの近距離でも外すなんてことも。
サッカーは今大騒ぎ。
ゴールを外して暗殺されるという恐ろしい国もあるみたいで、私はサッカー選手でなくて本当に良かった。

今回のピアニストは私の友人のNさんのお弟子さんのMさん。
彼女は遠くから新幹線でせっせと私の家まで来てくれて、何回も練習を重ねた。
真面目に練習するから最初から見ると見違えるようになった。
始めはガチガチに緊張していたけれど、今日の本番は少し楽しめるようになったらしい。
私も楽しむことはできたけれど、冒頭がうまくいかなかったことがずっと引っかかっていて、中々抜け出せない。
いつもならさっさと気分を転換できるのに、今日はどうもうまくいかない。

このことは自分の中のことであるらしく、他の友人たちも「一体どこが問題なの?」と歯牙にもかけてくれない。
聴く方は大して問題ありとも思わないらしい。
この泥沼から足を抜け出すまで時間がかかりそうだけれど、とりあえず来年11月にもう一度この曲を弾く予定があって、それまでは少し猶予がある。
加齢による身体能力の衰えからくるものなのか、脳の誤認によるものなのか、それがわかれば打つ手はありそうな。

終わってから考えると、やはり何気なく弾けばどうってことないのにと不思議に思える。
それほど難しい音型でもないのに。
それなのにいざ本番となると・・・グチグチグチグチ・・・ああ、一体なんなの!

というわけで絶好調とは言えないここ数ヶ月。
なんだかがっかりすることが多くて、先日レッスンを受けに来た生徒と一緒に「鬱なのよねえ」と慰めあった。
他人が鬱だというと私はとてもうまく慰めることができるのに、自分のことになるとからきし元気がない。

数日前の練習のときにMさんに「コーヒー飲む?」ときいてコーヒーメーカーをセット。
電源を入れたけれど、その後気が変わって日本茶を淹れることにした。
コーヒーは後で飲もうと思ってMさんが帰ったあと、さてとサーバーを引き出したら、なんと色のついていないお湯が出てきた。
コーヒー豆を入れないで淹れたらしい。
今日その話を彼女にしたら、前にもそういうことありましたよね?と言われてしまった。
今に始まったことではないらしい。
それを覚えていないというのも中々なボケっぷり。

とりあえず明日から、ヴィオラ奏者のKさんの追分の別荘に居候することになった。
猫がうじゃうじゃいて、寝ていると枕元をスーッと通ったり鼻先でフンガフンガと匂いを嗅いでいたり。
まあ。それはもう幸せな図。
行けば少しは元気になれるかな?




















やっぱりベートーヴェンはすごい

久保田巧さんが某サロンで演奏するから聞きに来ませんか?と、サロンのオーナーからお誘いを受けた。
久保田さんのお名前は存じ上げていたけれど、演奏を聴くのは今回が初めて。
東急沿線の静かな住宅街の一角にそのサロンがある。
50人ほど入れそうなホールと続きに控室。
個人的な愛好家の家庭的なコンサートにはうってつけの場所として、仲間たちが良く集う。

久保田さんは6月30日(土)午後2時
すみだトリフォニー・小ホールにてリサイタルを行う。
そのゲネプロを兼ねて、皆さんに楽しんで貰おうと企画されたらしい。
そのコンサートのプログラム全曲は弾くわけではなくて、1時間ほどの抜粋ではあったけれど非常に楽しかった。
まずベートーヴェン:ソナタ8番の1,2楽章。
この曲は明るくて楽しくワクワクするようなG durの分散和音から始まる。

数年前、樫本大進のリサイタルで1曲めに持ってきたのがこの曲だった。
樫本は見事に最後のG音を外したので笑った。
あんな上手い人でもコンサートの初っ端は緊張するらしい。
久保田さんは冷静に音は外さない。
そして2楽章。
彼女が深く深くベートーヴェンの懐に入り込む姿を見た。
見事な2楽章だった。
感銘した。
この2楽章は本当に音の動きは単純で、なんの飾りもないけれど、今日改めてすごい曲であると思った。
骨格のしっかりとした格調ある演奏だった。
彼女はこの曲が本当に好きなのだなあと思った。

非常に張りのある音は小さなホールで聴くのはやや辛い。
大きなホールで聴きたかったけれど、あいにくリサイタル当日は予定があって聴きにいかれないのが残念。

ベートヴェンと言えば、私はオーケストラの入団テストにベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を弾いた。
そしてテスト翌日、当時のコンサートマスターのお二人から非常にお褒めの言葉を頂いた。
でも当時は私はキャピキャピギャル(この言葉古い?)だったから、おじさんたちのお世辞と聞き流していた。
でもつい先日、その時テストに立ち会った団員の一人から思いがけなくきいたのは「今まで沢山のベートーヴェンをきいたけど、あんなに人の心に寄り添うような演奏は初めてだった」と言われた。

もう半世紀以上前のことなのに、そこまで覚えていてくれる人が居るとは思わなかった。
それでは当時褒めていただいたのもお世辞ではなかたのかしらと、嬉しかった。
私は人よりも遅くヴァイオリンを始めて、まさかヴァイオリン弾きになるとは夢にも思わなかった。
なぜか運命の導くままにいつの間にか音楽を志し、基礎的な素養にも乏しくただがむしゃらに演奏を続けてこんにちに至っている。

結局道は最初から敷かれていたようだ。
そうと知っていたらもっとちゃんと基礎的なことを勉強するのだったと、後悔しきり。
家族は全員理系で、電子工学や理論物理学、機械、医学、薬学など、全く無縁な分野の人ばかり。
其の中で音楽を生業とすることなど夢にも思わなかった。
私は今でも、もし2度生きられるなら、次は数学か物理だなあなんて考えている。

でも子供のときに見た将来の夢は、絵描きか小説家。
結局芸術方面から離れられないようだ。
身体能力も低い、手先は不器用、なんで楽器の中でも特に繊細なヴァイオリンを、人の中でも特に不器用な私がやっているのだろうか。
不思議でならない。
来世はもう少しマシなヴァイオリン弾きになりたい。
おや?まだヴァイオリンから離れないつもり?
いい加減おやめになったら、nekotamaさん。

ずっと母に言われ続けてきた。
いい加減ヴァイオリンなんてやめなさいと。

明日はクロイツェル・ソナタ。
冒頭部分がうまく行けば良いけれど、心配ばかりしている。
とにかくベートーヴァンの心に寄り添うような演奏だったら・・・・。
そして明後日はベートーヴェンの呪縛から逃れて、追分へ。
木々の精気をもらってきます。
いつ来るの~と北軽井沢の住人から電話が来たから、そちらにも顔を出して。




























2018年6月20日水曜日

ゲーム依存症

世界保健機構(WHO)がゲーム障害は疾病と認定したそうだ。
国際疾病分類の最新版に加えられた。

次の3つの主要な兆候

ゲームをすることへの抑止力の欠如(開始、頻度、熱中度、継続時間など)
ゲームの優先度が他の生活上の興味や日々の活動を上回る。
悪影響があるにもかかわらず、ゲームへの没頭が継続あるいは激化。

ギャンブル障害など類似の依存症と共通点があるそうだ。
これを読んで私も危ない!と思った。
朝食を終えて後片付けが済むとパソコンでメールのチェック、ルーティーンのブログ巡り、それが終わると1回だけと自分に言い聞かせてカードゲーム。
1回が2回3回となり、気がつけば1時間以上経過。
そこでやめればいいのに、次は猫のサイトへ、そこで掲示板の見出しなど見つけると次々に訪問が始まる。

やめようやめようと思っているうちに午前が終わる。
私何やってるのかしらと自己嫌悪に陥る。
人間がやわにできているので自分に思いっきり甘い。
切羽詰まらないとなにもしない。
ああ、今日も又怠けてしまったと反省は猿でもできる?
いや、猿は反省なんてしない。
猫もしない。

それでも毎日の生活に支障が出るほどではないので、かる~い依存症。
電車の中で脇目も振らず没頭している人がいるけれど、あそこまでは流石にしない。
しかし、この時間を掃除などの家事に向ければうちはもう少しきれいになるのにとか考えるけれど、元々体を動かすのが嫌いだからゲームがなくても同じかも。

以前通ってきていた生徒が「前に習っていたピアノの先生の家は階段にキャベツが置いてありましたから、この程度ではきれいな方です」と慰めてくれたから、絶望的に汚いわけではないのかもしれない。
いやいや、結構な汚れっぷりですが。
先日レッスン室の窓にかかるカーテンレールの上に、なにか丸まった紙が置いてあった。
はて、これはなんだろう誰が置いたのだろう?と良く見たら、壁紙が剥がれて丸まっていた。
この家が建って早20年、壁紙も剥がれてくる。
良く見ると、室内の壁紙も少しずつ継ぎ目が浮いてきている。
歳月は容赦なくものを劣化させる。
自分が劣化するのも無理はないと妙に納得した。

建て替える前の家は、木造だった。
玄関のドアが経年劣化で、下からスルメを焼いたときのように捲り上がってきた。
なんとも味が出てきたなと、直さず放っておいた。
ある朝2階で寝ていたら階下で突然バリバリと物音がして、驚いて起きて行ったらなんと玄関のドアがない!
職人さんが二人でドアの交換をしていた。
側に母が居て「こんなみっともないドア」などとつぶやいていた。
貧乏音楽家にふさわしいドアは、そこだけ立派なドアになってしまってなんとも不釣り合いだった。
回覧板を回しに来た近所の奥さんが「まあ、立派なドア」
生徒が「ドアが立派だなあ」
などとドアだけ褒められるのはこそばゆい。

ドアを直した職人さんの親方は、終始弟子に叱られていた。
「親方あ、これもう付けちゃったの?だめだよーまだ」などと言うのが可笑しかった。
ドアを付け替えてから数年で家ごと建て替えたから、もったいないことだったと思っている。
ボロボロのドアは、初めて来る人に自宅を説明する目印に便利だったのに。

ゲーム依存症がいつの間にかドアの話に?
はて、どこでどう道を間違えたかしら。
道は音楽家になった時点で間違えたから、いまさらどうってこともない。















2018年6月19日火曜日

音合わせ最終日

来週立川でクロイツェル・ソナタの本番。
今日は最後のピアノ合わせ。
約3時間、ほとんど休まず練習した。

昨日は思ったよりもずっと沢山白ワインを飲んでしまった。
夜お酒を飲むとたいてい指がむくんでしまうので、自宅での飲酒はほとんどしない。
この献立だとビールをちょっと飲むとおいしいとか、赤ワインを一口飲みたいとか願望はあるけれど、次の日に指がむくんで動きが悪くなることが多いので、めったに飲まない。
昨日飲んだ白ワインは余程良いものだったとみえて、今朝はスッキリ目がさめて胃がむかつくようなこともないし指もむくんでいない。
しかもとても美味しかったから、ワインはいつもグラス半分でお手上げの私が、いくらでも飲めたのが恐ろしい。
病みつきになったらキッチンドリンカー街道まっしぐら。

もう何十年も同じ輸入業者からワインを届けてもらっている。
日本でワインブームが起きるよりも前だから、数は少なくても年数が半端なく、お得意様と言えるかも。
毎回見計らった頃に電話がかかってくる。
キャリアウーマンのAさん。
この人がとても商売上手で、今買わないと世の中終わるみたいな気分にさせられてしまう。

私は毎回ワインに合うような料理を作るわけではなく、お惣菜風や和風のことが多い。
イカ納豆にワインはちとつらい!
タコの天ぷらならいける。
イワシの酢の物にはやはり日本酒。
生のホヤなどはあの独特の風味が、やはり日本酒か焼酎。
ウドの酢味噌和えなんかもワインではねえ。
味噌はやはり日本酒と仲良し。

ワインはなんにでも合うようでいて個性が強いから、日本酒のようにいつの間にか料理に添い寝するようなわけにはいかない。
しかも私は赤ワインのフルボディが好きで、軽い食事だとワインが重すぎておいしくない。
わかったようなことを言っているけれど、ほんとのところあまり銘柄や味にも詳しくはない。

かつてはドイツの白ワインがお気に入りで、あの独特の甘さが好きだった。
そのうち日本でも赤ワインブームが巻き起こり、皆が赤ワインと騒ぐので私も赤ワインを飲むようになった。
いつも電話をしてくるAさんは、電話口で薀蓄を傾ける。
ワインの輸入業者だから当然詳しい、ついでに私が詳しいかのように当たり前に話すから一言もわからないとは言わずフンフンと聞いておく。
それでも長年の耳学問で、ああ、美味しそうとか見当が付くようになった。

この「見当」というのがなんのことか生まれて初めて知った。
版画を刷るときに何枚もの色を重ねていくから少しでも紙がズレると色がうまく重ならない。
それで紙の四隅に見当という三角形の目印を置いて、そこに次に色を入れる紙の角と合わせてずれないようにするのだそうだ。

赤ワインは重ための濃い味が好きで、最近ペルーやアフリカ産などの美味しくて安いワインが出回っているけれど、やはりフランスのワインが好き。
ペルー、アフリカ、ニュージーランドなどのワインはたしかに美味しい割に値段もお手頃でなんの料理にでも合う万能型。
それに比べてフランスのワインは・・・どう言ったら良いか・・・往年の名優、ジャン・ギャバンみたいな。
Aさんに訊いたら製法が違うのですよとのこと。
そうそう、先日ジョージア(以前はグルジアと呼ばれていた)の素焼きの瓶に入ったワインを頂いた。
これがもの凄く美味しかった。
これもだいぶ製法が違うらしい。

日本のワインもとても美味しくなった。
私がワインを取り寄せ始めた頃には、山梨産のワインは不味ーくて飲めたものではなかった。
旅のついでにワイナリーに行っても買わずに帰ってきた。
偏見があったからずっと国産は飲まなかったら、しばらくして美味しくなったのにびっくり。
今は中国がパクリの最先端だけれど、かつては日本が世界から非難を浴びた。
その御蔭で、国産のスグレモノが出てきておおいに国民が助かったのだから、今の中国を笑っていると旧悪を指摘されかねない。

今夜も昨日の白ワインの残りを飲もう。
今から喉が鳴る。
これがキッカケでとんだ大酒飲みになるかも。

えっと!クロイツェル・ソナタの練習はどうしたかというと、まあ、あとは野となれ山となれ、矢でも鉄砲でも持ってこーいとでも言っておきましょう。















北大阪大地震

ああ、なんということ!
やっと東北の大地震の復興が始まったばかりなのに、今度は関西で。
神戸の地震のあと10年目に仕事で神戸を訪れたら、まだ仮設住宅にたくさんの人が入っていてショックを受けた。

神戸の地震がおきたときは石打にスキーに行っていた。
朝スキー宿のテレビで神戸に大きな揺れがと報道していたけれど、その時点では死者1名。
大きな揺れの割には少ない被害でホッとしたのに、その後の報道は次々に死者も道路の陥没や建物の崩壊や火事も増えて行って、結果的には大惨事となった。

今回もどんどん被害が広まっていくと思う。
特に朝はやく学校の当番で出かけた女の子が、崩れた塀の下敷きになってなくなったのは胸が痛む。
私みたいにもう先が見えている人ではなくて、まだこれから前途洋々、あらゆる可能性を秘めたこんな幼い子が・・・(涙)

今夜は珍しくお酒を飲んでいる。
私はよく宴会に参加する。
でもお酒は特に飲みたい訳でなくて、自宅ではほとんど飲まない。
宴会の雰囲気や人と楽しく集うのが好きなだけで、お酒自体を飲む習慣はない。
でも今日は無性に飲みたい。
幸い冷蔵庫にはキリリと冷えた上等な白ワインがある。
なれない手付きでオープナーをキコキコ回して、口を開けた。
今日は飲まずにいられない。

女の子のご冥福を祈る。

最近女の子が事件や事故で亡くなるケースが多い。
先日継父に虐待されて死んだ女の子。
報道された日から3日間ほど泣いてしまった。
たった5歳の女の子が「ゆるしてください」なんて、可哀想過ぎる。
私は5歳のときにはそんな言葉しらなかった。
可哀想でたまらない。
思い出したらワインをグイグイ飲んでしまった。
明日は二日酔いかも。

子供は幸せでなくてはいけない。
小さな手、柔らかな髪の毛、澄んだお目々、何から何までかわいい。
但し、猿のように泣きわめかなければ。

先日小田原駅の喫茶店に入ったら、猿が一匹泣きわめいていた。
親は人間なのに。
キイーッと言ってそこらじゅう走り回る。
親はそれをとめないから、それが不愉快。
思わずシーッと言ったら、向かい側の席に居た御婦人が「元気でいいわ」と曰わった。
私が神経質すぎると言いたかったらしい。
けれど、子供は大人が思っている以上に物事を弁えている。
言い聞かせれば納得して、たとえ5歳でも3歳でもちゃんとできるものなのだ。
それを子供は言ってもわからないと思うのは、子供に対して失礼ではないかと思う。

親はと見れば、キイキイ叫ぶ子供を見て放ったらかし。
我が家では沢山の姪や甥の面倒を見てきた。
私が中学生の時にすでに同居の姉の子供=姪が生まれていたので、子育てには参加してきた。
親族の子供が特に出来が良いとは思わないけれど、少なくともあんなに人前で騒ぐ子供は居なかった。
電車で座らせることもしなかった。
疲れた大人が居るのになんで元気な子供を座らせるのか。
運賃半額もしくは無料なのに。

話がそれてしまったが、大阪の被害が最小限であってほしい。
日本は地震帯の上にできている国だから避けられないけれど、じわじわと大地震の可能性が迫ってくるのがわかる。
東北、九州、関西と来て、関東に大地震が起きないわけはない。
もうすぐ自分も遭遇するのではないかと思うとそら恐ろしいけれど、地震国に生まれた以上避けられない運命だと思う。

地震に遭遇したら大事なヴァイオリンと猫は両方抱えて逃げられるのかしら。
猫は背負って運べるキャリーケースを用意してある。
しかし、私にとってヴァイオリンは、命の次に大事。
猫とヴァイオリンの両方は背負いきれない。
さて、どうしたものか・・・

今ワインを4分の1ボトル飲んで、へべれけ。
もともとあまり沢山飲めないのに、今日は特別飲んだほうなので。
友人たちと一緒なら会話や笑いで発散してしまうところだが、一人酒はじわりと効く。
明日二日酔いでないことを祈る。





































2018年6月14日木曜日

新幹線

新幹線の中で斧を持った人に切りつけられ、死傷者が出たという恐ろしいニュース。
関西方面へ行くときには、私はいつも新横浜から乗る。
この次新横浜で乗ったら、隣に怪しい人がいないかどうか確かめてから座らないと。
例えば赤ちゃんと一緒のお母さんとか高齢の女性とかだったら、まあ大丈夫。
でもわからない。
高齢でも、私のように獰猛な人種もいるから。

先日博多行の新幹線で起きたのは、外国人女性に炭酸水がかけられるという事件。
通路を挟んだ座席から女性めがけてシュワッと炭酸水を発射!
女性の右半身が濡れてしまった。
新横浜から乗り込んだ犯人は座席に座るなり、持ってきた炭酸水の蓋をプシュッとなんの考えもなく開けた。
手に持って揺らされた発泡性の中身は、いきなり開けられたために勢いよく発射して、通路の向こうまで飛んでいった。
この事件の犯人はnekotamaというおっちょこちょいなオバハンだったというオチがつく。

考えることをしないから、このような失敗は数限りない。
その外国人は、まだ若いきれいな人だった。
突然の攻撃にびっくりしたようだったけれど、慌てふためいた猫が謝りながらハンカチで拭いたりしたため、悪気はなかったものとみなされて事なきを得た。
これで怒りっぽい某国の人だったりすると、わざとだなんのと騒がれたかもしれない。
その人は床に溢れた水を拭き取ってくれた。
これをきっかけに話をしようかと思ったけれど、ど下手な英語を周囲に聞かれるのもしんどいからやめておいた。

その人は降りるときにこちらを見てにっこり、そしてバイバイをして別れたから日本に対する悪感情は芽生えなかったものと安堵した。

まだ新幹線のできる前の信越線で、いやな目に会った。
昼過ぎの車両はガラガラで、私の座席のずっと向こうに一人だけ男性が乗っていた。
そしてこちらをチラチラ見る。
嫌な感じだと思ったから寝たふりをしていたら、突然隣の席にドンという衝撃が。
目を開けるとコーヒーを差し出す中年男性。
きゃあ!いつの間に。
お断りしても「いいからいいから」

そして自分のことを話し始めた。
「弟が亡くなってこれから葬式に行くので悲しい」などと。
その割にはサバサバした顔つきだし、知らない女性に馴れ馴れしくするなんて。
なるべく同情した様子を見せないで「ふん」とか「へえ」とか冷たく返事をしているのにしつこい。
何処へ行くのか帰りはいつなのかと訊かれて、本当に腹がたった。
適当にはぐらかしていたら、明日待ち合わせて帰りの列車を同じにしようと言い出して、思わず「ご自分の席にお帰りください」と追い出した。
最初は弟さんを失くしてさぞ悲しいことだろうと思っていたけれど、これはもう我慢がならない。
「いいじゃないか、そんなに怒らなくても」と言っていたけれど、車両にたった二人だから密着されたら大変。
車掌さんもガラガラの列車を見回るふうもない。
とにかく帰ってもらった。
降りるときにみかんを投げつけてきたのでもう怒り心頭。
キッと睨むとやっとすごすご降りていった。

あとで考えればか弱い女性の身で危険なことだったかもしれないけれど、怒りがすごくて撃退できたから良かった。
列車や飛行機などの閉ざされた空間での防ぎようのない事件は、本当に怖い。
怖いと言いながら出かけるのがすきな私は、ワクワクと乗り物を利用する。















2018年6月9日土曜日

傍若無人

車を走らせていたら後ろから来た車が追い抜いていった。
そして私の車の前へ。
それは別にどうでもいいけれど、その入り方の横柄なこと!
その次、交差点を左折、私も続いて左折、左側から自転車がくるのはすでに確認していたけれど、前の車は気がつかなかったらしく強引に左折して自転車の前を塞ぐ。
自転車は慌てて止まった。
後ろでハラハラした。

某高級車なのに、往々にして行儀が悪いのはこの車種のドライバーなのだ。
単に運転が下手なだけかもしれないけれど、こんないい車に乗れる人ならもう少し品よく乗って欲しい。
ドライバーの性格が「ぼう・・・・」
その先の4文字熟語が出てこない。
ぼう・・ぼう・・・ぼう・・・ぼう・・・
出てきたのは暴飲暴食。
いやいやそうではない「ぼう・・・?」
その後30分くらいして思い出した。
「傍若無人」
思い出せてよかった。

最近はそんなことばかり。
まわりも「ほら、あの、ヴァイオリンを弾くひとで30歳くらいの・・だれだっけ」
なんて会話が増えてきた。

その中で、今年88歳になった東京交響楽団の元パーカッショニストの芹澤さんは、いまだに頭脳は健在。
ガクタイの中でも教養も学歴も記憶も飛び抜けていた。

今日は芹澤さんの米寿を祝って、元の仲間たちが小田原に集まった。
彼は実家が薬局だったので薬剤師の資格を、次に音大を出て打楽器奏者としてオーケストラへ、次に会計士?計理士?かなんかの資格を取って、金色のバッジを上着の襟に付けていた。

普通の人なら生涯一種類しかできない仕事を、複数やってのけた。
並の頭脳ではないけれど、思い上がらず穏やかで知識をひけらかすことなくニコニコしている。
気持ちに余裕があるのだと思う。

小田原のライオンに集まったのは10人余り。
オケマンたちが集まれば冗談しか言わない。
世間からは規格外れでお金もないし地位もない。
けれど、こんなに幸せな人達がいるだろうかというほど、人生を楽しんできた。

話に必ず出るのは指揮者のエピソード。
枚挙に暇はないけれど、ヤマカズと愛情をもって呼ばれる故山田一男さん。
指揮台や舞台から落ちるのはしょっちゅう、ヒラリと指揮台に飛び乗ったら勢い余って向こう側のチェロの前まで落ちてしまったヤマカズさん。
慌てず騒がず、チェロのトップと握手をして悠々と指揮台に戻って何食わぬ顔。

指揮者協会という組織ができたときの初めての集まりで、指揮者が楽器を演奏することになった。
もともと指揮者は楽器の演奏家から病膏肓、指揮者になる例が多い。
それぞれ、自分の楽器を持ってきてオーケストラを演奏しようではないかと言ったときに岩城宏之さんが「指揮者は皆俺が俺がなのに、うまくいくわけない」と言ったらしい。
それでも集まったメンバーで演奏が始まると、果たして途中で合わなくなる。
フルートを吹いていた森正さん「今どこ~」
でも、ハープを弾いていたヤマカズさんはその上をいった。
「今なんの曲をひいてるの~」

今どき、これらの指揮者たちを知っている人たちも少なくなったと思う。
私がオーケストラに入ったときにはまだ、海軍軍楽隊あがりのバリバリの猛者がたくさんいた。
その中でも中木十郎さんというトランペッターがいた。
例えば往年の映画スターのアドルフ・マンジュウを彷彿とさせる、日本人離れしたハンサムな男性だった。
アドルフ・マンジュウはチャップリン監督の「巴里の女性」スタインバーグ監督の「モロッコ」それから「オーケストラの少女」にも出演していた。
写真は興味があったらネットで見つけてください。

十郎さんはおしゃれで、普通の人が着こなせないような真っ白なバックスキンのコートなんかを着て、当時の男性がまだ履くことも考えなかったような刺繍のついたブーツを履いて・・・トランペットを新聞紙にくるんで抱えて来た。
なにを抱えているのかと思ったら「ケースが重くてかなわないから」と言って。
海軍あがりだから横須賀住い。
遠いから仕方ないけど新聞紙とは!

ある時指揮の石丸寛さんがペトルーシュカの冒頭部分、トランペットのソロに指示を出した。
「十郎さん、そこ”昔々おじいさんがいました”みたいな感じで吹いてください」
するとすっくと立ち上がった十郎さん。
「おじいさんとはなんだ!おじいさんとは!」
指揮者はあわててなにやら弁解。

急病人が出て急遽呼び出された中木さん、下から見た人が燕尾のズボンの裾からパジャマのズボンを発見したとか。
たぶんパジャマまでおしゃれだったので、そのまま電車に乗ってきてしまったのかも。

























2018年6月3日日曜日

ダイエット初日は

昨日の朝体重計に乗ったらグヌッと喉の奥から変な声が漏れた。
見事に1キロ増加。
通販で取り寄せたドレスが届いて着てみたら、いつもと同じサイズなのにウエストのファスナーが途中でストップ。
背中が大きく開いているデザインなので、これがとまらないともろ背中丸出し。
さて困った。
バーゲン品で返品不能。
こういうときに長年サイズと戦ってきた経験が生きる。

裾上げは面倒だから専門家にやってもらう。
他の部分、例えば袖や襟のあき具合などは、自分で工夫して直すことが多い。
裾上げのときに切り取った布をもらってきて、それを首の周りにつけたり、袖にして二の腕のブルルンと揺れるところを隠すように縫い付けるなどは朝飯前。
ドレスの場合、ステージは客席から遠い。
多少の手荒な縫製でも遠目に見れば目立たない。
一晩ステージが終わるまで、無事に袖がとれなければ良いのだから。

とにかく背中のファスナーはどうしようもないから、ダイエットをすることにした。
1キロ痩せれば、多分だいじょうぶ。
私達のスキークラブの「雪雀連」の中で絵を描く人たちがいる。
その人たちが毎年京橋の画廊で展覧会を開く、昨日はその初日でお祝いに駆けつけた。
「雪雀連」の連中と一緒ではダイエットは無理に決まっているから、さんざん飲んで食べて、一夜明けて今日からダイエットに入った。

朝食はいつもと変わらず、昼食はヨーグルトにバナナ、夕方買い物に出た。
猫さんたちのご飯を両手にいっぱい抱えての帰り道。
はちみつが切れたのを思い出して、最近できた蜂蜜店に立ち寄った。
豊富な種類を味見ができるので、蜂蜜はここで買っている。
今日も数種類味見をして、みかんの花の蜂蜜を買う。
ここはソフトクリームも美味しい。
今日からダイエットだから絶対ソフトクリームは食べないと誓っていたのに、店員とおしゃべりをしているうちに私の口から「ソフトクリームください」
あれ、私、そんな事言いました?
「チョコレートにしてください」え!勝手に口が動く。
「カップでなくコーンでお願いします」おいおい、ダイエットはどうした。
カップのほうがカロリー少なめでしょうに。
結局今日からのダイエットはいつもと殆ど変わりないカロリー量で、失敗に終わった。

そうさ、明日を信じて生きよう。
明日がだめなら明後日から・・・・
未来を信じられなくては生きられない。
少し信じすぎることが多いけれど、夜お酒でも飲めばファスナーが閉まらないなんてことも気にならなくなる。
こうやって刻々と時が過ぎて、性懲りもなく通販で服を買い、頭を悩ます。
これも又楽しみの1つ。














2018年6月1日金曜日

ようやく元気の兆し

ひどい眠気に悩まされたここ最近。
どうやっても起きていられない、なにかしていてもいつの間にか眠ってしまう、脳みそが休日を謳歌、足元ふらつき目は見えない。
と、数々の老化現象、あるいは劣化の徴候が現れていた。
今日6月に入ったらやっと治りかけてきたような気がする。

いよいよ迫ってきたクロイツェル・ソナタの本番が今月6月ということで、昨日は急に慌てふためいて楽器ケースを開いた。
ケースは毎日開いているけれど、中身を取り出して弾くのはほんの少し。
それでも足元に火がついて、やっと本気になった。

この曲はなぜか注文が多くて、何回も弾いているから譜読みはできているはず。
しかしベートーヴェンのソナタのみならず、すべてのヴァイオリン・ソナタの頂点に立つ曲だから生半可な練習では済まされない。

ベートーヴェン自身はこの曲はヴァイオリンオブリガート付きのピアノ・ソナタと位置付けているようだけれど、ヴァイオリンだって生易しいものではない。
特に冒頭部分でヴァイオリンが悠々とソロを弾かなければならない。
この部分が非常につらい。
ここを気分良く弾ければあとは、怒涛のごとく進められる。
2楽章はヴァイオリンの早いソロがあって、その部分をクライスラーが素晴らしく軽々と弾いているのを聞いたことがある。
もちろん本物ではなくて古いレコードの復刻版CD。
クライスラーの弓は宙を舞うようにヒラヒラと弦の上を遊ぶ。
私の弓はドタドタと長靴で泥を跳ね飛ばす。
間もなく梅雨入りだそうですが・・・

それで昨日は久しぶりに少し長めの練習。
ここ数日早めに寝るように心がけた。
といっても毎晩12時ころになってしまうのだが、昨日は9時過ぎにギブアップしてベッドへ。
こんな早く寝てしまうと夜中に目がさめるからと思って、夜中の仕事を持ち込んでいたけれど、結局朝まで寝てしまった。
おかげで今朝はかなりすっきり目が覚めた。

運動不足、緊張感のなさが重なっているのかもしれない。

人は年をとるとゆっくり穏やかに暮らすほうが良いと思われているけれど、私の最近の体たらくでは、死ぬまでハードに行動したほうが良いのではないかと思える。
ライオンなら、年をとっても自分の獲物は自分で追いかけないと食べていけない。
仕事をやめて楽しく暮らそうなんて思っていた自分がアホだったかも。
働いて働いてある日ばったりと動かなくなる。
それが理想的な人生かもね。

私は猫の性格だからどこか醒めた部分があって、懸命に生きることを鼻で笑っているけれど、一生このまま終わって良いのかい?と自問することもままある。
人生の最後の10年をこんなノンシャランと生きていくのか?とも。
後10年というのは、インドに行ったときに占い師から聞いた私の寿命。
厳密に言えば後12年。
12年後に私は潔く昇天するか、泥の中を這い回って生に執着しているか・・・

12年後に介護ロボットに囲まれて楽しく暮らしていることも予想される。
ロボットはなるべく動物の形がいいなあ。
猫の大きさのロボットでは役にたたないでしょうねえ。
本当に猫ってやつは、どこまでも役立たず。

少し回復してきたと思ったら又やりすぎるといけないから、そろそろと進むことに。
自分で思っているよりもずっと体力も落ちていることに気が付かされた。
周りから年齢よりも若いとおだてられ、いい気になっていませんか?nekotamaさん。
うひょー、バレたか!