2019年12月31日火曜日

来年のことを言うと猫が笑う

もうひとつ寝るとお正月。
お正月にはタコたべて、こまねずみのように働いて~早く鯉鯉お正月♫

私達のスキー仲間「雪雀連」の連中はつまらない冗談が好き。

タコが浜辺でうつらうつらしていました。
そこに猫がやってきて、タコの手足を7本食べてしまいました。
気がついたタコは浜辺を慌てて逃げ海の中へ。
沖に出たタコは猫に仕返しをしようとします。
波の上から猫に向かって手招きをします。
「おいでおいで、海は気持ちがいいよ」
すると猫は「その手は食わない」

こんなつまらない冗談で、何回も何分間も笑っていられるおかしな人達。
タコをフランス語で何と言う?
「アシハポーン」
ではイカは?
「アシジュポーン」
「ポ」の発音は鼻に抜けるようにするとそれらしく聞こえます。

クリスマス前にひいた風邪がなかなか治らず、ついに病院をハシゴすることに。
最初の耳鼻科では風邪は治ったものの、咳が止まらず新しい薬をもらった。
小康状態だったのについ数日前の明け方、咳が止まらずこれは大変。
耳鼻科の医師が「もしかしたら内科に行ったら良いかもしれない」とつぶやいたのを耳ざとく聞きつけて、次の日呼吸器内科を訪れた。
殆どの病院の今年最後の診察日、急がないと万一肺炎だったときに大変だあ!と、ネットで探した初めての病院。

隣町の新しい病院で、まだそれほど患者も多くなく、受付も看護スタッフもキビキビとしてサクサクと問診が進む。
上出来!
医師の診察の順番が来た頃には必要な病状確認はあらかた済んでいて、先生は若くてハンサム!上々出来!

レントゲンの映像を見ると肺はきれい。
でも咳が治まらないと言ったらアレルギーの一種、咳喘息ではないかと言われる。
喘息!恐ろしい。
検査のための吸入薬と錠剤と渡されて、今試験期間中。
咳は時々起きる程度に軽減したから、このままじっとしていればすぐに治ると思うけれど、2日から寒い志賀高原へ行くのでどうかな。
空気のいいところなら寒さはあまり関係ない。

それよりアレルギーって?
まさか猫アレルギーなら判明しても無視するっきゃない。
今まで花粉症以外、アレルギーの自覚はなかった。
ハウスダストかもしれない。
今、寒いのに窓を開け放して外気を入れている。

来年は特にモーツァルトの予定が多くて嬉しい年になりそう。
喘息などになってたまるか。

今年一年、あまりにも転ぶことが多くて、これから脚力と体力の強化をしないといけない。
何回もころんだわりには怪我は鼻の下だけ。
もう少しだけ演奏していたいから、神様とモーツァルトさまお願いします。
モーツァルトを弾くたびに、幸せになれるのですよ。
来年は、ソナタ全曲、ピアノ四重奏曲、もしかするとディヴェルティメント17番も。
どうやらモーツァルトにとりつかれた1年になりそうで、今からワクワクです。







































2019年12月26日木曜日

とんでもないことに

先日自転車を見せびらかしに行ってころんだお転婆さんに、またしても苦難が襲いかかる。
そのときコンクリートの道路で左脇を打った。
けれど、大したことはないとたかを括ってしばらくしたら、風邪をひいた。
咳がひどくなったけれど、それはなんとか収まってと思っていたら、ここ数日遊び歩いたので、咳がひどくなってその都度左脇の痛みがひどくなって、ああ、もう、どこもかしこも痛い。
特に左の胸の下に痛みが走る。
どうやら肋骨に達してしまったらしい。
明日又病院へいかないといけない。

一度行き始めると病院は、すぐに身近なものになる。
これはいけません。
それで最近の自分の行動を見ると、因果応報、天罰覿面という四文字熟語が浮かんでくる。
大体いい年してなんでも面白がって飛びつくから、時として自分の行動のキャパシティーを超えてしまう。
あくせくして注意力散漫になる。

自転車を買ったからといって見せびらかしに行くなどとは、浅はかなこと子供並み。
交差点で脇から出てきた人に驚いて転ぶなんて。
風邪をひいて少し良くなったと思って、あちこち動き回ってこじらせる。
どの行動を見ても、これがいい大人のやることかと呆れ果てる。

こうなるともう反省の日々。
もし肋骨がどうかなっていたら、スキーに行っていられないでしょう。
せっかく新しい板を買って、ウエアまで新しくして・・・
新幹線のチケットも用意済み。
スキーはとっくに志賀高原のホテルに送り込んである。
それも間違えて宿泊しない方のホテルに。

とにかく横になるときが辛い。
左側が痛いから、右側を下にして寝ようとするけれど、時々咳が出て非常に痛い。
そこから起き上がろうとすると、えらく大変。
まず右側を下にして右肘をついて体を起こす。
そこでしばらく考える。
そのままズリズリと下半身を胸の方へ寄せていくと、やっと起き上がれる体勢になる。
最後に一番痛いのを我慢!
我慢できる子えらい子。

旅行用のトランクを引っ掻き回していろいろな薬を探しだした。
まず、皮膚から吸収する型の痛み止めを見つけた。
マスクに湿度を与えるパッドも。
この2つは役に立ちそう。
そろそろ痛み止めが効いてきても良さそうなのに、一向に痛みはおさまらない。
その上、咳が又ひどくなってきた。

そろそろいい加減におとなしくしなさいという神の啓示?
さっき「いためどめ」「いたみどめ」「いたみどみ」「いためどみ」さあ、どれが正解だかわからなくなって、笑った。
こうしてだんだんと寝たきりになるのかと思うと、暗澹たる気持ちになる。
明後日、昔の生徒ちゃんと遊びに行く約束だったけれど、それもキャンセルかな。
何をするのも体力勝負。
来年は体力つくりに励もうと誓ったnekotamaでありました。











2019年12月25日水曜日

ケーキ・ラッシュ

ケーキがだぶついてきた。
一人暮らしで甘いもの食べるとすぐ太るから、滅多に食べないけれど、クリスマスといえばケーキでしょう。

先日は都内某所のマンションに夕飯をお呼ばれして、女3人でまったりと豚しゃぶ。
ネギ、豆腐、しいたけに豚肉などを黒酢と大根おろしで頂いた。
私が風邪気味であまり食欲が無いので、あっさりとしたものをというリクエストに応じての献立。
いつもお客さんの多いお宅の広いリビングで3人だから、普通の家にあったら大きすぎるテーブルも小さく見える。
それぞれ体調に問題を抱えているから、アルコールなしの家庭的な食事になった。
そしてデザートはクリスマスの季節に付き物のシュトーレン。
ここの家主さんのお友達のお手製だそうで。

ドイツのごっついシュトーレンは皮も中身も固めだけれど、これを作った人はそれを一層洗練させてというか美味しくアレンジして、甘さ控え目でサクサクとした食感でいくらでも食べられそうなのが危険極まる。
薄く切ってホイップクリームをかけて出されると、ついおかわり!と言いたくなる。
今回は風邪のおかげで今ひとつ食い意地が鈍化していたのに、2枚食べた。
薄く切ると大食いしないと思うかもしれないけれど、これは逆で、もう少しもう少しと際限なく食べて、気がつくとまるごと食べてしまったということになりかねない。
すでに記憶力も抑制力も弱くなっているから。
「あなた、もう3枚目ですよ」「え、私?まだ食べていませんよ」「いえね、あなたが3枚目だと言ったんですよ」「なにお~!」てな具合に。
ケーキの入る別腹はもたれないようになっている。

昨日はルースさんの作ったイギリスのクリスマスケーキを頂いた。
彼女は歯の治療の真っ最中。
せっかく作ったのに自分は食べられないと、渋面。
なんだか目の周りが腫れているようで、せっかくのこの季節に美味しいものが食べられないのは、そりゃあ悲劇だわ。
こちらは果物がたくさん入ったしっとりしたケーキ。
マジパンが上にかかっているので、本当に甘い。
それを包装紙の隙間からちょっとずつちぎって試食。
これはシュトーレンよりもカロリー高めで、もっと危険。
一気に全部食べてしまったほうが良いかもしれない。

今日は、毎月同じ日時に同じ美容室に通う友人と一緒に食べる、今年最後のランチ。
五反田の駅近く、そのへんは食べ物屋さんだらけなのに、あまり美味しいものにありつけない。
私はここ数日鍋焼きうどんに憧れている。
寒いときは鍋焼き、名古屋で食べた味噌煮込みうどんなどが頭に浮かぶ。
今日はぜひ、うどん屋さんでランチといきたいけれど、相棒がなんというか。

そして、家にはもう一つシュトーレンがある。
シュトーレンは長持ちするケーキだから、あと2ヶ月くらいは持ちこたえると思うけれど、なかなか一人では食べ切れない。
かと言って、他の人にはあげたくない。
突然ケチになる。
チョコレートの大きな箱が手つかずになっている。
これも食べてはいけないという警告音が脳内に鳴り響いているのに、誰かにあげるという選択肢はない。
毎日一つずつ、食べすぎないようにと思う。
これだけの大きさなら1ヶ月は保つという計算。
しかし、人生計算通りにいかないもので、あら?と思った頃に箱は空っぽ。
せいぜい、2週間?保つかなあ。

私には甘い餌は与えないでくださいとここで宣言!
でもその2行下には
甘いものには目がありませんと、書いてある顔が。

今年も暮れる。
元生徒たちからお誘いが来る。
そうねどこへ行きましょうか?考慮中。
便箋にびっしりときれいな字で手紙をいただく。
こういうの苦手。
なぜなら私は悪筆で返事が出せない。
でも、少しでも私のことを気にかけてくれる人がいるのは嬉しい。
孤独なクリスマスと思いきや、なかなか華やかな・・いや、鼻やかな、風邪の後遺症で鼻がグズグズなので。


























2019年12月22日日曜日

風邪とともに去りぬ

風邪は・・・というと、ほぼ治った。
あっという間に。
早い時期に治療をはじめたのと、暖かくしてじっとしていたのが良かったらしい。
時々咳が出るくらいで喉の痛みもない。
熱はあまり下がらない。
36・8度だったのが36・3度になったくらいで。
まずはめでたい!お正月も来ていないのに。

来年もお正月は喪中で、これからもたぶん毎年のように喪中が続くとおもうから、年賀状は廃止しようと思っている。
毎年一回でも消息を確かめられるから、そのための年賀状だと言うけれど。
むしろ私がまだ生きていると知って恐怖のあまり「湿疹」する人が出るといけない。
今「失神」の変換に図らずも「湿疹」と出た。

そういえば最近蕁麻疹様の皮膚疾患が頻繁に出るようになった。
下着の触れるところとか、絆創膏の跡などが赤く腫れる。
最初は内臓系の不具合が肌に出るのかと思ったけれど、先日の健診で取り立てて内蔵に問題はなさそう。
背中のホンの数センチの範囲にかゆいところがあったから、手を後ろに回してカリカリと掻いていたら、赤くなってそこだけ肌が毛羽立ってきた。
鏡で見ても体の真後ろだからよく見えないけれど、ほんの2,3センチの範囲。
それより、自分の手がまだそこまで回るということが嬉しい。
手が後ろにまわるというと他の意味もあるけれど、いくら私が凶暴でも反社会的なことはしないから大丈夫。
生きている事自体が反社会的と言われば、そのとおり。

これは年齢的なものなの?
よくコマーシャルで体がかゆいときにはなんとかを塗りましょうなんて言うのがあるけれど、全く他人事だと思っていた。
それでも体全体がかゆいわけではなくて、狭い範囲だけのことだから我慢できる。

反社会的といえば、安倍首相のさくらの会、さっきテレビで菅官房長官がでていたけれど、なんだか爬虫類みたいな目になっていた。
令和の元号発表のときには、もう少し良い顔していたのに。
安倍さんの会に反社会的な人が招待されて、それを自社の宣伝に使っていても誰もとがめられない。
いつの間にか報道も下火。
知らないで反社会的人物のパーティに呼ばれた芸人が仕事をしたら、芸人人生終わった、それってものすごく不公平。
少なくとも阿部さんが責任とって辞職するくらいのことではないの?
おかしい!
政治家はどんな事があっても風邪なんかひかないほど図々しくないとやっていけない。

風邪の報告が脇道に逸れて、腹立てると免疫力が低下するから、このへんで。
皆様もくれぐれも風邪注意です。












2019年12月21日土曜日

喉が痛い

バカは風邪を引かないと言うから安心していたら、見事にひいてしまった。
昨夜から鼻水が軽く出て、おや、湯冷めしたかなと思っていたら今朝は喉の痛みと咳、微熱あり。
体温は元々低いから、36・8度はきつい。

私の一番の弱点は喉。
喉に炎症が起きると後は一瀉千里、怒涛のように気管支炎にまで至る。
咳がなかなか治まらないのでひどく消耗するから、喉にほんの少しでも炎症が置きたら即病院へ行く。
病院嫌いで他の場所の病気はほとんど我慢して治るまでじっとしているけれど、喉だけは絶対と言っていいほど薬を飲まないと治らない。

これ以前にも書いたけど。
花粉症の季節に、喉の痛みを我慢してひどい目にあった。
仕事が忙しくて病院に行く時間がとれないので市販薬でごまかしていたら、ついに水を飲むのも呼吸まで危うくなった。
その時点でやっと近所の病院へ行った。

その病院は子供の時からのホームドクターだった。
私の家族はそこの院長先生に何度も命を救われた。
見立てが天才的だったけれど、病院はというと失礼ながらボロボロ。
その病院には設備が無いから少しでもおかしいと思えば、大きな病院へ紹介してくれて、病名も外したことがない。
金儲けなど頭にないみたいで、風邪をひいたくらいだと「暖かくして寝てなさい」と注射もしない薬も出さない。
それでも一旦怪しいと思ったら即、適切に処理してくれた。
地域の名医として知られ、先生がなくなったときに葬儀の参列者が2000人と聞いた。
眉唾ではあるけれど、それほど多かったと。
開業医で2000人ってすごくない?
その時先生が東大の医学部出身だったと初めて聞いた。

先生の息子さんはその時アメリカにある世界的に有名な大学に在籍して、循環器系の研究をしていたらしい。
呼び戻されて2代目の院長に。
しかし息子さんは専門が循環器系、開業医になるつもりがなかったと思うけれど、父親の後を次ぐことになったので最初は大変だった。

ちょうどその頃、私は先程の喉の治療に行ったというわけ。
2代目先生は私の喉を見てワッと叫んだ。
すごい腫れてますよ、一番強い抗生物質を点滴します。
それを聞いて私は嫌~な予感。
なるべくなら弱めの薬から始めてほしい。
強い抗生物質はなんの効き目もなく、ついに先生は机の上に顔を伏せて「何なんでしょうね?どうしたら治るのかなあ」
私に訊かないで、先生、医者はあなたよ。

このままだと呼吸困難になる。
先生を見限って近所の耳鼻科に行った。
そうしてやっと私は呼吸困難を脱出。
結局花粉症だからアレルギーの治療をしないといけなかったらしい。
そのへんはよくわからないけれど、耳鼻科の先生は「治らなかったでしょう、あはは」

それ以来私は風邪かなと思ったら耳鼻科に直行する。
だから耳鼻科だけは軽い症状でもすぐに行くことにしている。
今日は耳鼻科に行って「軽い鼻風邪ですね」と言われた。
インフルエンザでなくてよかった。

先程の2代目先生は私の母にいじめられていた。
「私はあなたのお父様に看取ってもらうつもりだったのに」とか色々言ったらしい。
最初はおとなしかった2代目院長は最近は随分威張っているそうだ。
やっと開業医らしくなったらしい。

姪の友人にドイツ人の女子大生がいた。
姪が短期留学でアメリカにいたときか、オーストラリアでアルバイトしながら放浪していた時期のどちらかで出会ったらしい。
その彼女がリュックを背負って日本に来た。
日本国内を旅行して姪の家に来たとき、高熱を出した。
姪が2代目先生のところに連れて行った。
先生が「え、ドイツ人?困ったなあ、僕ドイツ語出来ない」というから英語で大丈夫となだめて、診察してもらった。
そのドイツ人の女の子が帰宅して「あの人私の顔を全然見ない、顔見ないで診察できるのかしら?」
彼が留学していた超エリート大学の名前を私が教えると「信じられない」と言って大笑い。
でもドイツ女子は治って、次の目的地にリュックを背負って、でかけていった。

いつも喉が痛くなると思い出す話。
前にも何回も書いたので今度読むのが3回目なんていう方がいるかも。
でも前に読んだことなんて覚えてないでしょう?
私なら3分で忘れるから。




































風邪をひいたら

今日は姪の用事に付き合うはずだった。
目が覚めると全身に違和感。
喉が痛い、熱っぽい、咳が出る。
私の場合咳が出始めると、もうアウト。
喉が痛い段階で食い止めないと、あっという間に気管支炎になる。
このくらいなら我慢して姪の用事に付き合おうかと考えたけれど、いや、待てよ。
万一インフルエンザだと急激に症状が進む。
出先で倒れたら大変だから、まず病院へ行こう。

病院嫌いの私は唯一、喉の痛みだけは放っておかない。
喉は私のアキレス腱。
こう書くと私の喉はくるぶしにあるのかと突っ込む輩がいそうだけれど。
最大の弱点は喉にあり。
チクッと痛み始めた時点でうがいをしたり体を休めたりしないと、その後咳が続いて咳止めを飲む羽目になる。
それも長期間。
我が家の家系は丈夫で永持ち。
しかし、喉などの粘膜に問題ありらしい。

そんなわけで今日は病院へ行って吸入と薬の調合をしてもらった。
姪にはキャンセルの連絡をして一日中眠っていた。
時々目を覚まして少し食っちゃ寝、食っちゃ寝、ああ、天国じゃ。
薬を飲んでいるから咳もわずかに出るだけ。
しかし、体の左脇が咳き込むたびに痛い。

考えたらこの間自転車でコケたときに、左半分をコンクリートの歩道に打ち付けた。
その時は膝頭の擦過傷だけだと思っていたけれど、どうやらほんの僅かに肋骨にヒビが入ったかもしれない。
子供の時から運動苦手。
体育は跳び箱飛べない、逆上がり出来ないで、先生が放課後に必死で逆上がりを教えてくれたけれど、ついに出来なかった。
その運動音痴の私が冬のスポーツだけは好き。
スキーは途切れなくやっているけれど、ある時期アイスホッケーのチームにはいっていたこともある。
チームは時間的に仕事に差し障りがあってやめたけれど、スケートは時々リンクに滑りに行った。

下手くそなのにホッケーの靴を履いているから、恥ずかしかったけれど。
ある日、スケートリンクには私の他に男性が一人だけ。
かなり上手な人で、コーナリングが素敵だった。
その人の真似をして足をクロスして、とてもうまく曲がれたからいい気になった。
2回目、体の重心を傾けてもっと早いスピードで曲がろうとしたら、見事にころんだ。
その後、肋骨が痛くて笑っても咳をしても痛い。
肋骨は治療のしようがなく、放置するのみ。
痛みがなくなるまで約2ヶ月ほどかかった。

今回自転車でころんだのはそれほどダメージはなかったけれど、咳をしてみて初めて気がついた。
多少肋骨にヒビが入ったのかな。
いい年して若い頃と同じように無茶をする。
これは一種の病気だから死ぬまで治らない。
バカは死ななきゃ治らないって。
お転婆というのはこのことなんだ。

子供の頃は読書の好きなおとなしい子供だったはずだけど。
しばらくして思い出した。
子供の頃の家は、門から緩やかな長いスロープになっていた。
両側は低くなっていて、下は畑。
そこを三輪車で両足あげてフルスピードで降りて、最後のところで思いっきり転げ落ちたことを。
びっくりしたけど怪我はなく、泣こうかと思ったけれど、他に人がいなかったので泣いても無駄だから泣かなかった。
その時も怪我もなく、こうして未だにお転婆やっている。
きな臭い国に囲まれて、政治は不透明だけれど、世はこともなし。
この平和が続いてくれることを祈っていますよ。



















2019年12月20日金曜日

健診の結果

今朝からなんとなくソワソワしていたのは、先日受けた健康診断の結果を聞きに行くので。
去年から食生活が乱れ、ろくなものを食べていなかった。
筋肉を使わなかったのでよくころんだ。
電車で立っているとバランスが取れなくなった。
自宅の階段が登れない。瓶の蓋が開かない。

これだけ揃っていれば、なにかしら症状が現れないかと待ち受けていた。
しょっちゅう胃の痛みや胸焼けが起こるので、これはもう子猫の頭くらいのなにかが居座っているに違いない。
検査日から結果発表までやけに時間がかかる。
覚悟させるためかしら。

結果によっては、フランスにスキーに行くなんてとんでもないと言われるのではないか。
せめてお正月のスキーだけは、なんとか行きたい。
お正月は病院も休み。
なにか悪いところが見つかっても、なすすべはないから、ベッドで寝ているよりはスキーをやっている方がまし。
医師が止めたらそういう風に言おうと思った。

結果はすべて異常なし。
血圧と悪玉コレステロールが少し高い以外は、ほとんど範囲内。
健診当時の食生活がひどかったから、これは想定内。
血圧が高かったのに言及しても、大丈夫でしょうと言われる。
病院で計ると血圧はいつも高く出る。
良かった!
ホッと胸をなでおろした。
なんだか健診するほうがよほど体に悪いみたい。
血圧が上がろうというもの。

一先ず健康に問題なし。
ただし、脳ドックは受けなかったので、これは機会があれば受けてみようと思う。
最近、呂律が回らないことがある。
しかし、私の父もそうだったけれど、96歳まで生きた。
父親似だから脳のせいではなくて、口の構造か舌のせいか。
舌が3枚もあれば縺れるさ。
いやいや、ないって。

これでスッキリしてお正月が迎えられる。
先日義理の兄が亡くなったので、今年も喪中。
いつになったら年賀状が出せるのか。
この際年賀状を廃止する方向で考えている。

私は健康オタクではないから、健康のためだけに毎日運動に励むとか食生活に気をつけるとかはしない。
けれど、一人暮らしをするなら自立できることが最優先。
もし一人で自分のことが出来ないようなら、動物園で飼育してもらう。
珍獣の檻に入れてもらえると思う。
ゴロゴロして餌をガサッと与えられて、食べられなくなったら、ある朝静かに眠りにつく。
それで良し。
猫は最後まで自分で排泄をするためにトイレに行く。
それができなくなったらおしまい。
潔い生き方ではないか。

人間だけが、チューブに繋がれて喉から栄養を入れられても生きたいと思う。
私は去年に比べてずっと元気になった。
惨めな顔をしているときに黙ってハグをしてくれた友人たちに感謝。
じっと見守ってくださっていた方たち、来年はもっと元気になって皆さんのお力になりたい。
お金も力もないけれど。






















2019年12月19日木曜日

コーヒーフィルターの行方

昨日から買ったばかりで行方がわからなくなったコーヒーのペーパーフィルターを探していた。
新しく買ったばかりでフィルターのホルダーにギチギチつめた記憶がある。
だからあんなにいっぱいあるものが急に消えるわけがない。
仕方がないから白湯でも飲もうかとお湯を沸かす準備をしていたら、はたと気がついた。
そうだ、全部捨てたんだわ。

なんと勿体ない。
コーヒーを入れようとフィルターに手を伸ばしたらグラっとホルダーがひっくり返って、そのまま下へ落ちた。
きちっと詰まったところから1枚だけ抜き出すのに手こずった。
手抜きで片手でやったので天罰テキメン。
落ちたところが猫の飲水の入ったボウル。
流石に猫の飲水に濡れたフィルターは乾いても使えないから、全部ゴミ箱へ。
それでここ2日ばかりコーヒーをのんでいない。

最近、逆流性胃炎の軽いのに罹ってコーヒーを飲むと胸焼けすることがあるから飲まなくても問題はないけれど、毎日必ず3杯くらい飲んでいたので習慣的に飲んでしまう。
日常のアクセントになっていたのだ。
朝食で1杯、午後ヴァイオリンの練習に入る前にコーヒー、終わるとコーヒーという具合に。
夜はほとんど飲まないけれど、たまにのみたくなることもある。
やっと思い出せたので明日はフィルターを買いに行こう。

珍しく暇になってすることがないから車を走らせる。
高齢者の事故が取り沙汰されている。
高齢者はなるべく運転しないほうが良いと考える人が多いとおもうけれど、私は最近のほうが運転時間が増えた。
ヴァイオリンもそうだけど、毎日練習しないとあっという間に技術が衰える。
それは若い頃の数倍の速さで感覚が鈍くなっていく。

先日のケアハウスのコンサートのとき、会場近くのコントラバス奏者の家に寄って車を置いて、会場まではその人の車に乗せてもらった。
その家の駐車場に止める際、駐車票を車に置かないといけない。
お借りした駐車票を返し忘れて帰ってきてしまった。
今日は何も予定が無いので、返しに行くことにした。
小雨のなか、のんきにドライブ。
黄色いパパゲーノ・ノートは小気味よく走る。
ああ、北軽井沢に行きたいなあ。

取説読まないから、未だにどのボタンがなんのスイッチだかわかっていない。
未だにがソリンタンクの蓋を開けるのはどれでしたっけ?
毎日一つずつ謎が解けていく。
前に乗っていたシルフィーは使いみちのわからないボタンの多い謎だらけの車だった。
10年目に「シートベルトが頸動脈の上に来るから怖いのよね」と言ったら、メカニックがヒョイと手を伸ばしてシートベルトの位置を下げてくれた。
「これでいかがでしょうか」
なんだ、位置を変えられるんだ、もう今さら聞いても手遅れだけど。
それからすぐシルフィーとお別れした。

くるぶしが痛いから大事をとってなるべく動かさないでいたら、痛みが治らない。
痛みが軽い日と重い日があるけれど、殆ど良くならないことが1年以上続いた。
ある時、思い切ってつま先立ちで踵をつける運動をしたら、痛みが軽くなった。
それを機会に、くるぶしが痛くても動かしていたら、驚いたことにだんだん良くなってきた。
最近は痛い日でもお構いなく動かすことにした。
腕が痛いこともあったけれど、こちらは長年腕を使っているのが良い運動となってすぐに治った。
動物は文字通り動かないといかないのだと実感した。

頭も体も心もいつも動いていないと錆びついてしまう。
しかし、今日は久し振りになんの用事もない日だから思い切りテレビ見たりネットして遊んだ。
たまには罪悪感無しでサボりまくっても許してもらえるんじゃない?

明日は先日の内視鏡検査の結果がわかる日。
かなり血圧高めで胃腸障害ありで、薬飲まされそうな悪い予感。






















2019年12月18日水曜日

老婆 ローヴァーで転ける

自転車が好きで最近衝動買したのはきれいな臙脂色のローヴァー。
サドルが低いので高く調節しようと思ったけれど、がんとして留め具が動かない。
これはそれ用の器具がないと動かないらしいから、ショップに持っていこうと思っていた。

昨日のコンサートが今年最後の仕事になって、これからは休日が続く。
今朝はまず頼まれていた写真の手渡し。
もう何年も前に弾いたコンサートの写真が今頃届けられて、共演者のチェリストにわたしてほしいと言われた。
チェロ奏者のSさんは最寄り駅の踏切を挟んで住んでいる。
商店街が一方通行の上、踏切があるために車だと10分。
徒歩で20分以上。
一番便利なのは自転車。

颯爽と新しい自転車で乗り付けようとローヴァーに乗ってでかけた。
低いサドルと硬い乗り心地。
サイズが私にあわないのだ。
エッサエッサ漕いでやっと到着。
玄関先で写真を渡して、見て見てと自転車まで引っ張っていった。
可愛いでしょう?

でもねサドルが低すぎて走りにくいの。
お尻が痛くなるし。
すると、高くしましょうか?とSさん、ひょいと調節レバーを動かしてサドルを上げてくれた。
へっ!そんなに簡単に動くの?
私が動かそうとすると、もう全く動かない。
Sさんは筋肉モリモリでもないし、ごく標準的な男性だけど、こんなに簡単に動かせるのだ。
私は最近はペットボトルの蓋も開けられない。

調節してもらって走りやすくなって信号に差し掛かった。
交差点の角のブロック塀から急に女性が出てきた。
こちらは赤信号。
あちらは急いで青信号を渡ろうと小走り。
塀で遮られて見えなかったから、私は信号ギリギリまで出ていたので、あやうくぶつかる寸前で停まった。
その結果、そのまま私は車道側のコンクリートに倒れ込んだ。
膝を強打。
ほかの自転車なら回避出来たかもしれないけれど、サドルの前に車体補強のためのパイプがあるため、足があげられなかった。

転びなれているから痛さはあったけれど、そう驚きはしない。
ああ、又やっちまったなぁ~、位のことで。
転ばれた方は驚いたようで、別にぶつかったわけでもないのに立ち止まって「だいじょうぶですか」
あとから来た女性が「すぐに冷やすんですよ。今日はお風呂に入ってはだめですよ」
口は出すのに転んでいる私には手を貸してくれない。
私は偉そうに「起こしてくださいな」

これでお正月のスキーはダメかもと思ったけれど、歩けるから大丈夫。
膝を擦りむいただけで済んだ。
不思議なのはいつどんなときに転んでも、手は怪我しない。
絶対に手をつかないから。
私の友人たちもよく転ぶけど、誰も手のけがはない。
その代わり顔から落ちる。
ただでさえ****顔が・・・ねえ。

Sさんには写真の他に伝言を頼まれていた。
某家で、女性3人で鍋をする計画にご招待したいから都合を訊いてほしいと。
訊いたらその日は仕事だそうで出席できないとのこと。
もしかしたら出席者たちの名前を聞いて断ったのではないかと疑心暗鬼。
私の友人たちは女性といえども恐ろしい人が多いから。

クリスマスから年末にかけて、最近は暇。
もう少し若い頃は、年末からお正月の7日くらいまで仕事でいっぱいだった。
だからおせち料理なんて作ったこともなかった。
やっと暇になったら今度はおせち料理を作る理由がなくなった。
お正月はスキー場で過ごすことになる。
スキーもそろそろ危うくなってきて、次の楽しみをさがさないといけない。
やっぱり温泉?
私は温泉に入る趣味がないので、困った。
とりあえず、昨日買ったはずのコーヒを淹れるフィルターが見当たらないので、それを探すことに専念しよう。
フィルターには探知機のセンサーをつけていないから難航すると思うけれど。

























2019年12月17日火曜日

老婆、ローヴァーに乗る

先日見つけたきれいな自転車はイギリスのローヴァーの特許の使用許可を得て作られたものだそうで、デザインに惚れ込んでしまった。
深みのある臙脂色の塗装がいい、サドルがしっかりした革で、細身で鋲打ちがしてあってエンブレムが施されてなにもかも格好いい。
いわゆるママチャリなのに、前に付けた籠も色といい材質といいなんとも素敵。
6段変速機付き、山坂走るわけではないからこれで十分。
でも自転車はもうすでに二台持っている。
よほどの自転車好きと思われるかもしれないけれど、これも私のおっちょこちょいゆえのことなので。

ある朝、乗ろうと思ったらいつもの置き場に自転車がない!
以前盗られたことがあったから、今回もそうだと思った。
その後、新しい自転車が来た。
するとひと月ほどしてはがきが届いて、保管所に保管されているという。
さっさと諦めて盗難届も出していなかったので、取りに行ったら保管料をとられてしまった。
盗難届けを出してあれば保管料は払わなくてもいいらしい。

料金を支払って自転車の置き場に行ったら、ちゃんと鍵がかかっている。
しばらくウンウン唸って考えた。
鍵がかかっているということは、もしかして自分でどこかに置き忘れたのかもしれない。
なけなしの脳みそをフル回転。
おぼろげな記憶によれば・・・果物屋さんで買い物して、重たい果物をぶら下げて帰ってきたような・・・他の店をまわっているうちにわすれたか・・・
今となってはどうでもいい。

それで自転車が2台になった。
1台は物置に入れて置いたけれど、鍵をなくしてチェーンキーを使っていたらある日鍵の解除ができなくなった。
番号を忘れてトホホ。
いつもわかりやすい番号にしておくのに、何かの拍子で変わってしまったらしく、解除するにはたくさんの番号を試さないといけない。
結局は解けたけれど、なんだか面倒になってしまったので、もっぱら新しい方しか使わない。
けれど、その自転車はタイヤの空気がすぐに抜ける。
いつも自分で空気は入れないで自転車屋さんで入れてもらう。
その店で買ったのでもないのに、親切に入れてくれるから申し訳ない。

それで今回一目惚れしたのがローヴァー。
先日ホームコンサートに伺ったお宅の近所で、コンサート後に駅に向かう道で見つけた。
しばらく眺めてから店内に入った。
見せてもらうと、実は今配送が出来ないのでおもちかえりとなります、と言われた。
その分値引きがされている由。
見た目から言えばとてもお買い得。
性能は・・・・乗れればいい。
とにかく見た目が可愛いので、自分の車に積めればというわけで寸歩を測ってもらった。

自宅に帰って車の後部座席を全部フラットにしたら、なんとか入りそう。
真っ黄色なパパゲーノ・ノートに積んで帰宅した。
試乗したらなんてこった、とにかく乗りにくい。
サドルがあまりに硬くて細いのでお尻がすごーく痛い。
ハンドルは調整してもらったのに、サドルの高さを合わせてもらうのを忘れた。
サドルがやけに低いので、アメリカン・スタイルのバイクのハンドルみたいに、手が上に上がりそう。
近所を一周したらすごく疲れた。

それでもほれぼれと眺めて悦に入っている。
どうして塗装がこんなに違うのかといつも思うのは、国産車とヨーロッパ車。
私はプジョーの色が好き。
同じ色でも国産車のは薄っぺらくプジョーは深みがある。
私だけだと思っていたら、私の姪が同じ趣味なのでびっくりした。
なにもプジョーに限ったことではなく、先日ボルボの薄緑のえも言われぬ色にすっかり魅了された。
国産車にも同じような色があるのに、似て非なるものに見える。
色彩の感覚が根本的に違うのだろうか。

サドルの調整だけに買った店に行くのは面倒。
車に積み込むのも力がいる。
それでいつも空気を入れてくれる店に行こうと思うけれど、買いもしないで空気だけ入れてその上調整までしてもらうのはいくらなんでも虫が良すぎる。
けれどちょっとしたことならただでやってくれそうな人の良さそうな店の人。
やはり買ったところまでいこうかどうしようか。
思案中。

無駄な買い物したから、そのうち必要となる電動車いすは少しランクを下げないといけないかもしれない。
車椅子に乗るようなことになれば、その先お金は持っていてもしかたない。
全財産を電動車いすにつぎ込んで一文無しで終わるのも悪くない。
金ピカの電飾をつけて大きなフォーンをとりつける。
パオパオ~とフォーンを鳴らしながら全速力で疾走するのが、私の最後の夢かな。
なんだか貧相な夢だけど。
暴走族の老婆バージョン。
自転車一台でこんなに面白がる老婆も珍しいと、自分で思う。






















続 満腹

線路は続くよどこまでも~♫
毎日出かけて食べすぎてウンウン唸っている。

今日は調布市内のある団体の会員さんたちのためのコンサート。
社会に溶け込めないような精神障害や病気の人達のケアをする団体にお邪魔した。
夏の北軽井沢のコンサートのプログラムの一部をそのまま演奏することにして、ピアニストのMさんの渋谷のスタジオに集まって練習を2回重ねた。
その都度お料理上手のMさんの手料理をごちそうになった。
そして今日は本番で調布駅そばのレストランに集合。
まずは腹ごしらえ。
ランチを食べて会場に行くと、おもてなしのお茶やケーキを勧められた。
ランチでコーヒーまですっかり済んでいるので飲みたい人はだれもいない。

練習なのでとお断りするも遠慮しているととられたか、結局コーヒーが運ばれた。
練習・・特に本番前の会場練習ではお茶している気分はない。
皆ベテラン揃いだから自分のコンディションは自分で管理する。
会場の設定や音を確かめたり、やることはいっぱいあってそういう好意はありがた迷惑。
そのへんをわかってもらいたかったけれど、ご厚意は素直に受け止めないと角が立つ。
狭い控室にコーヒーなどが置いてあると、楽器とか衣装とか荷物はたくさんあるのでこぼしては大変。
困ったなあ。

たくさんの人が聴いてくださって、コンサート自体はとても楽しかった。
終演後お夕飯をどうぞ!
ランチ食べてまだそれがお腹に居座っているのに。
しかもその後、ババロアとシフォンケーキと・・・・・
逆流性胃腸障害が出てしまうから、やめてほしいのだけど。
なんとかおもてなしをしたいと思っているかもしれないけれど、私達は音が出せるのが一番のごちそう。
それ以上はいらないので、ひとつよろしくお願いします。

というわけで、この後もなにかと約束でカレンダーが黒くなっていく。
いやなら断ればいいじゃないかと思われるかもしれないけれど、やはり親しい人たちとの食事は嬉しい。
食べグセがつくと、一人でいるときにも同じように食べてしまう。
1食抜こうかと思っても時間が来るとお腹は空いていなくても口が寂しい。
ちょっとつまみたくなってしまう。

今日の共演者のYちゃん。
忙しいオーケストラで毎日夜の本番が終わってから盛大に食べて寝ていたら、肺にゴミが溜まっていると言われたという。
はじめは肺がんを疑われて検査をしたらガンは見つからなかった。
結局そのゴミのせいで数回軽い肺炎を起こしたらしい。
あな恐ろしや!
しかもそのゴミは除去できないらしい。

私は数年前に肺がんのリスクありと検診で言われたことがあった。
私もそのくちかもしれない。
昨日、夜中に目が覚めてしまって再度寝ようと思っても眠くならなかったので、ほんのひと口パンと温かい牛乳を食べた。
ものを食べると眠くなるので。
それですぐに眠れたけれど、本当は恐ろしいことをしていたのだと思った。
本番で寝不足ではいけないからと思ったのだけれど、寝不足と肺のゴミとどちらが怖いかといえば、どちらも怖い。

高齢者にとって過食が最大の敵かもしれない。
食べている最中にはまだ食べられると思っても、食べ終わってしばらくすると胸焼けがする。
消化器が弱っているのがよく分かる。
美味しいもの好き、きれいなもの好き、楽しいこと好き。
食事をセーブしないといけないなら、楽しみは半減する。
つまらんなあ。























2019年12月16日月曜日

満腹

考えてみたらこのところ、毎日食べ歩いている。
銀座で懐石料理、近所のイタリアン、葬儀の精進料理と多彩なこと。
レッスンに来た生徒と昼ごはん食べようとか、様々な理由で食べ歩く。
一人で食事はさびしい。
猫と二人では味気ない。
先日近所のイタリアンに、ちょうど来た女性を誘って行ったら、ウエイターがやけに馴れ馴れしい。
やたら話しかけてくる。

顔見知りではあるけれどそう親しく話をすることもないのにと訝っていたら、はは~ん、どうやら私の連れがお気に召したようだ。
僕なんかもう女の子は相手にしてくれないからなんとかかんとか言っているから、まだ大丈夫よと慰めてあげたけど。
きれいなうりざね顔の背の高い子は一見大人しげだけれど、人前に立つと急に異彩を放つタイプ。
高校生の時、学校の弦楽アンサンブルで指揮をするから来てくださいと言うから見に行った。
普段地味風だけれど、ステージに現れた彼女は宝塚の男役みたいで華やかだった。
むしろ普段顔立ちがはっきりしたその子の友達のほうが、地味に見えてびっくりした。

昔むかしあるところに・・・越路吹雪さんというシャンソン歌手がいた。
その人のバックで伴奏したときのこと。
練習場に現れた彼女はボサボサとした地味なおばさん。
顔色が悪くて、これがあの?とびっくりした。
本番でステージの袖に居るときまでそうだった。
しかし!ステージに出るその瞬間、急に光り輝いて、それはもう忘れられない光景だった。
いままで隠し持っていたオーラが一斉に放出されたような。
スターというのはこういうものかと思った。

最近義兄が亡くなって日曜日はお葬式。
親族が集まっての会食は、義兄に悪いけれど久し振りに会う人たちと話に花が咲く。
関西に住んでいる義妹とは何年ぶりに会うかしら。
あの小さかった義兄の子どもたちがその又子供をつれてきて、ひ孫まで来て、元気に葬儀場で走っている。
椅子から落ちて頭ぶつけて大泣きして、ああ、いいなあ。
私に子供がいたら、今頃こんな風に孫がいて・・なんて思う。
自分一人で生きるのは本当にやりたいことがやれて幸せだけれど、ふっつりとここで切れてしまうのはなんとも味気ない。
結局人はないものねだり。
どうしても人生に満足できないようになっているらしい。

数人の友人と集まっては食べ歩いているけれど、今回一人体調が悪い人がいた。
たった一人欠席だけですごく寂しくなる。
歳を取るこういうことが多くなって寂しくなるわねえ、なんぞと言いながら、お手拭きが出てくる頃には陽気に大笑いしている私達。
手の混んだ料理をむしゃむしゃ平らげて、銀座の裏通りにある紅茶専門店でお茶しておしゃべりの第2弾。
別れがたいけれど、それぞれの家に帰っていった。
家族がいないと帰りの時間も気にならないし、仕事が減って手がツルツルになって、今まで自分以外の人のためにどれほど働いていたかと思うと腹立たしい。
やはり一人がいい。

今日は久し振りでひとりランチ。
う~ん、悪くない。
でもおしゃべりしないとあっという間に食事は終わってしまう。
ほんとのところどちらが良いかわからない。
















2019年12月15日日曜日

複雑な人生です

私は兄弟が多い。
両親もその兄弟達もあらかた天国へ行ってしまったが、その分親戚も多い。
その上友達もわんさかいる。
年齢関係なく友達付き合いができるので、若い子も一緒によく遊ぶ。
彼らのパワーは我々世代とは桁違いに大きい。
それで一緒に騒ぐと翌日は疲れ切ってしまう。
一緒に飲むと、最近だらしなくなった私は翌日きつい。
二日酔いというのは体験したことがないけれど、その場で気分が悪くなることが多くなった。

なぜ二日酔いをしないかというと、飲みすぎる前に眠くなってしまうから。
今までは酔って醜態を見せることはなかった。
さいきん、それがどうも怪しい。
突然気分が悪くなって洗面所にいく。
すぐに回復するから皆気がつかないと思っていたら、生徒の中で敏感なのがいてバレてしまう。
ドアをどんどん叩かれて「だいじょうぶですかあ~」

10月頃それが続いた。
たぶん、夏の暑気あたりの後遺症。
胃腸障害が続いた。
とにかくめっぽう暑さに弱いので、最近の寒さがありがたい。
それでだいぶ元気になってきた。
でも今年はまだやたらに温かい。
冬はもう少し寒くないといけないでしょう。

何に疲れるかというと、日常生活の細々としたストレス。
鍵がみつからない。
ハズキルーペ!あんな大きな眼鏡がここ1週間ほど姿を見せない。
そして今日、気がついた。
先日ショップからスキー場のホテルに送ってもらったスキー。
気がついたらスタッフに、別のホテルの住所を教えていた。
慌てて電話したらもうすでに板は別のホテルに宿泊しているらしい。

間違えて送ってしまったホテルに電話して、お正月まで預かってもらうことになった。
のんびりと親切に「じゃあお正月に来られたときまで置いといてはどうですかあ」と言ってもらえたのでほっとした。
どうやらホテル同士は近いらしい。
持って歩ける距離かと訊いたら「大丈夫ですよ」
ほんとかなあ、重くて持てないから軽い板にしたので、私の非力さをご存じないホテルのご主人は、こんなもの持てない人がいるわけ無いと思っているのかもしれない。
とにかく1つトラブル解決でホッとした。
その間巻き込んだのは、ゆうパックの配達に関するお問い合わせの担当者とか、スキーショップのお兄さんとか数人。

鍵の探しものはセンサーを付けて音が出るようにしたおかげで随分楽になった。
けれどハズキルーペは付けていなかったのでまだ行方知れず、まだまだたくさんの捜し物であたふたする。
そのうちセンサーを何十個も買わないといけなくなる。
ジャラジャラとセンサーだらけになって、その次は探知する方の発振器もたくさん買うことになって、それをまたなくして、探すのにまたセンサー買って・・・・
悪夢だー!

果たして何個くらいセンサーを買わないといけないのか、おわかりですか?

そりゃあ、千さあ。
おあとがよろしいようで。













2019年12月10日火曜日

初めて牛を見た猫さん

面白い猫動画見つけました。
生まれてはじめて牛を見た猫さん、小さな脳味噌で一体これはなんだと必死に考えている様子が伺える。
猫はなにをやっても可愛い。

2019年12月7日土曜日

シーズン到来

横浜で初雪とか。
ワクワクする季節がやってきた。
待ちかねていたのに心配なのは、去年は1回しかスキーにいかなかったこと。
年々運動神経、バランス力、動体視力などが減衰していく中で運動を継続しないのは、体力回復を図る上で大きなロスがある。

最近では日々、体力の衰えを感じているから、今年は去年の分もがんばらないといけない。
握力や筋力全体が低下しているから、スキーを担ぐことができるかどうか、基本的なことがまず心配のタネなのだ。
一昨年、すでにゲレンデ内の移動で、自力でスキーを運ばなかった。
ずっとインストラクターが運んでくれて、少し甘やかされ過ぎとは思ったけれど、私が遅いと皆の迷惑になるからしかたない。
この運ぶということもリハビリになる気がしたけれど、もちろん楽な方が良い。
こうやって他人を使役して、ぬくぬくと人生を送ってきたそのツケは、いつか払わされるかもしれない。
その分野良猫にご奉仕しているので、それで帳消しにしていただけないでしょうかにゃあ。

愛用のクナイスルの板はたいへんすぐれもので、今では製造していない分貴重だけれど、ものすごく重いビンディングが付いている。
長年のスキー仲間たち「雪雀連」の集まりなら、お互いにマイペースを気にしない。
けれど、今年初めて他のグループに参加する。
なんだかやる気満々のグループのようで、指導員、準指、一級の有段者揃い。
おばあさんの出る幕はないかも。
それでもフランスのトロワバレーに行きたいから、潜り込んでみた。
そんな猛者の揃っている中で板が持てないと泣き言ったら、置き去りにされちまう。

それで考えたのは、板もビンディングも軽いものに替えようと。
神田のスキーショップに同行してくれたのは、マイ・インストラクター。
彼がショップと話し合って、すでに私の板は用意されていた。
なぜか私の板だけ他の人に比べて地味なのはどうしてなのか。
今使っているクナイスルは地味過ぎて目立たない。
その前に使っていたボラントというアメリカの製品はステンレスでできていて、全身キンキラでたいそう気に入っていたのに、製品に欠陥が見つかって1年で廃棄されてしまった。
その代替品が今のクナイスル。
私はキンキラが忘れられなくて、実際にものすごく切れ味の良いスキーだったから次もそれを望んだのに、インストラクターの反対でおじゃんに。

クナイスルは本当に良い板だけれど、今回選んだのは、石井スポーツが自社開発して北海道で作っているという白木のスキー。
派手な赤や黒の他のスキーに比べて一段と地味。
持ってみると、その軽さに驚いた。
それに合わせビンディングも軽いのをつけてもらうことに。
私はかなりかっ飛ぶ方だから軽さがスピードに影響しないか訊いてみたら、レースなら話は別、私ごときのヘボスキーヤーにはなんの影響もないらしい。
それにそろそろ飛ばすのはよしたほうが身のためだし。

子供のときは体育が苦手だった私が絶対にやめなかった運動は、スキーだけ。
数えてみたら56年間、滑らない年はなかった。
どんなに忙しくても必ずシーズンに一度は滑りに行った。
最近は仕事が忙しくなくなったのでもう少し行けると思ったけれど、やはり3回行くのが精一杯。
なぜか、スキーシーズンになると演奏会が増える。

板を買った勢いでウエアも探すことにした。
ヨーロッパの冬はとんでもなく寒いらしい。
日本の製品でなくヨーロッパのものを探すことにした。
見つけたのは目のさめるようなブルーのウエア。
思うのはどうして日本の製品で、こういう素敵なものができないのかと。
日本製の平板なカットと、ヨーロッパの立体的なカットでは着映えが全く違うから、普段着もイタリアものが多い。
日本人の中でも特にスタイルの悪い私が着るからがっかりだけれど、それでもデザインのおもしろさがまるで違う。

笑えるのは、ある時期着ていたイタリア製のセーター。
きれいな紫色で、なぜか前身頃が長くて後ろは普通の長さ。
頭が変なイタリアンが面白がって作ったのだと思っていた。
それも含めてたいそう気に入ってたのだけれど、数年経って気がついた。
イタリア女性の胸の大きさは前がこのくらい長くないとつんつるてんになってしまうのだと。
実際丸めたストッキングを両胸に入れてみたら、前後の長さが揃うではないか。
デザインだと思っていたのが実用性だったとは。
自分の胸の小ささを思い知らされた瞬間だった。

先日、自由が丘のショップで素敵な自転車を見つけた。
ローヴァーのデザインを使ったものだそうで、深みのある臙脂色。
ほしいけど、こんなに買い物ばかりしていたら老後の蓄えは底をつく。
電動車椅子の格好いいのを買って、元気に町中を走る資金は残しておかないと。
最近の車椅子はすごく良いものが多い。
電車に乗ってくるものを観察している。

石井スポーツで買い物をするのは、数年目。
ポイントカードを作れというから申し込んだら、その後スタッフがかわりばんこに私のところへやってきて、ニコニコする。
なぜ?しまった年がバレたか。
生年月日を読まれたらしい。
皆さん嬉しそうに話に来ては帰り、次に別の人がやってくる。
こういう店のスタッフはたいていスキーヤー。
まだ滑っている老猫がいるのが嬉しいのかも。











































2019年12月5日木曜日

素敵な高齢化

熱海でのコンサートが終了、今月はあとひとつ本番を控えているけれど、山場は超えた。
先日は音友ホールのコンサートを聴きに行った。
このホールは音楽之友社のホールではあるけれど、音友が作ったにしては音響が気に入らない。
こういう音が好きな人が中にはいるかもしれないけれど、私はどうもあまり好きではない。
やたらに高音がキンキン響くし、客席の床がフラットなので後ろの席はステージがほとんど見えない。
日本の音楽界を牛耳っている雑誌の持っているホールなのだから、もう少し良いものを作ればよかったのに。
私は口は出すけどお金は出しませんよ。
だって持っていないもの。
素人考えだけど響きが今ひとつなのは、多分ステージの背景に使ってある反響板の素材のせいではないかと思う。
見かけはとても良いのに。

ピアノはベーゼンドルファー、深沢亮子さんの演奏は久し振りに聴く。
私がオーケストラで弾いていた頃はよく協奏曲の伴奏をした。
美しい人が弾くモーツァルトはいつも素敵だった。
今はかなりのご高齢と思うけれど、相変わらず上品で美貌も健在。
プログラムの最初に彼女のバッハ。
その後は恵藤久美子、中村静香、安田謙一郎諸氏のデュオやソロなど、深沢亮子と室内楽の仲間たちと銘打ったアンサンブルはそれぞれ楽しく、ベテランぞろいのメンバーの力量を見せられた。
この方達は私とだいたい同世代。
彼らの方がほんの少しお若い。
皆さんすでに白髪になり、ステージ脇の階段が難所になるお年頃。
なのに、演奏は少しも衰えていない。
日本の音楽界も層が厚くなって、若者だけでなく高齢になっても音楽への情熱が感じられる豊かな実りの時期になったのかと嬉しく思う。

かつて、私が音楽界に船出した頃は、50歳くらいになったプレーヤーは若者に追い立てられるようにステージを去っていった。
それほど日本の音楽界は急速に発展したのだと思う。
あっという間に若い優秀なプレーヤーが輩出してきた。
その頃の日本の弦楽器界は世代交代が著しく、今回のこのコンサートの出演者たちが楽壇に躍り出て海外でも活躍、今に至ってもなおこうしてステージに立って、揺るぎない地位を確保している。
見ているだけでも素敵な光景。
殆ど皆さん後期高齢者かそれに近い。
これはすごいことです。

数日前、都内某所の邸宅の私設ホールでのホームコンサート。
シュトュットガルト室内合奏団の元メンバーである、ボグナーさんというチェリストの演奏を聴かせてもらった。
年代も私と近いか、少し若いくらい?
ヴィオリストの林徹也さんが同じ合奏団で弾いていて、ボグナーさんとはお友達。
私も日本に帰国した林さんご夫妻とは、一緒に弾いたり遊んでいただいたり、それでコンサートのお知らせをいただいた。

ボグナーさんはサンタクロースに似た、恰幅の良い優しそうな方だった。
豊かな音が心地よく、和気あいあいとした雰囲気のステージと客席。
林さんの奥様の通訳で、お話を交えてのひととき。
そこに先日の私達の青葉台のコンサートを聴いたという人がいて、またそれで「あらあら、先日はどうも」と世間は狭い。
ボグナーさんの先生のそのまた先生の先生・・・が、あの有名なポッパーだそうで、なにか急に親しみが湧く。
こうやって小さい会場で聴くコンサートは本当に楽しい。
音楽はどこで聴いても演奏しても、平和な世界を創り出す。
殺伐としたニュースの多い世の中で、こんなに素敵な世界に身を置けて、私は本当に幸せな人生だったと思う。
だったと過去形で言うけれど、もう少し身を置かせていただければ嬉しいです。














2019年11月30日土曜日

男手がほしい

北軽井沢の家を整理するときに一番欲しかったものは男手。
高いところにあるヒューズボックスがこわい。
吹き抜けの天井の電球は誰がどうやって取り替えるのかしら。
ひたすら故障しないことを祈るのみ。

庭の終わりには清流がながれている。
そこでわさびや水芭蕉を栽培したい。
クレソンもよく育つ。
その川まで行くのは、降り積もった滑りやすい落ち葉をフガフガと踏んで降りていく。
結構な急斜面で落ちるとまっ逆さまになりかねない。
行きつく先には冷たい水が滔々と流れている。
危険だからこの傾斜に丸太で階段を造りたい。

ヒューズボックスが物置の高いところに設置されているから、グラグラする踏み台に乗って操作しないといけない。
背の低い私は手がとどかないから、必要なときは業者に頼むことに。
ブレーカーをオン・オフくらいは自分でできないといけない。

寝室にはおそろしく重いベッドが置いてあって、動かすことも出来ない。
今日はジャムの瓶と格闘したけれど、ついに蓋が開けられなかった。
日頃ペットボトルの蓋さえ開けられないくらい力がない。
握力は子供並みではないかと思う。

12月に入ったら第2次断捨離をするつもりでいる。
やっと様々な手続きが最終段階に入った。
あとひとつ手続きが終わればすべて終了。
終わったと思っていたら、さいごにまだひとつやることが出てきて、また親戚に頭を下げて印鑑証明を送ってもらった。
なんと煩わしいことなのか。
幸い、だれもうるさいことを言う人がいなくて、本当に良かった。

やっと以前の生活に戻れると思ったら、煩雑さに乗じた運動不足のおかげで、筋肉量がすっかり低下してしまった。
影響はすぐに音に出る。
ヴァイオリンを弾いても音がでない。
無理して力を入れるともっと出なくなる。
ずっと力を抜くことの追求をしてきたから、筋肉量はいらないかというとそうはいかない。
腕の重さで弾くので筋肉は大事。
それと体のインナーマッスルがものすごく大事だということを今痛感している。

それも徐々に戻ってきて、やっと音が出るようになった。
今年は山の家はもう閉鎖してしまったけれど、春になったらすぐに行って新しい駐車場をつくったり、エアコンを入れたり、天井に扇風機を取り付けたりしたい。
テラスにペンキを塗らないといけない。
庭の一部分をハーブ栽培の畑にできるかも。
大木の下に生える細い若木も少し間引きしたい。
男手がほしいなあ。
今やっと一人暮らしの自由さを謳歌し始めたばかりだから、男の「人」はいらない。
力のある「手」がほしい。
追分のヴィオラ弾きのKさんは体格がよく力持ちでなんでもやってくれるけど、女性だからこき使うわけにはいかない。
しかも楽器を弾く人だから怪我でもされると困るし。

ロボット開発の人たちは何をやっているのだろう。
癒やし系のロボットなど作っていないで、早く男手ロボットを作って欲しい。
スルスルと長梯子を登って、天窓の掃除をしたり、天井の電球替えたりしてもらいたい。
ついでに天井の掃除もお願いしたい。
例えばお掃除ロボットの天井用なんかを作ったら売れるんじゃない?
壁を掃除しながら伝わって天井まで掃除するなんてロボットがいたらいいなあ。
充電が切れて頭に落ちてきて、怪我したりすると大変だから作らないとか?

完全犯罪にも使えそう。
タイマーに細工してアリバイ作り。
今後、犯罪の手口は限りなく広がるのでは?
作家もたいへん、情報通でないとやっていけない。

老人ホームでも老いてなお恋愛問題があるという。
そこでもモテるのは、以前の生活で社会的地位や教養があるとかの男でなく、大工さんなどの腕に技のある人だという。
「たまさん、棚こしらえて頂戴」「あいよ、ほら、出来たよ」「わあ、すてき、ありがとう」となるらしい。



























2019年11月29日金曜日

物忘れ鍵忘れ

某サイトでこんな記事。
https://tamatora.36nyan.com/?p=15088

これはまさに私の要求にピッタリ、でも待てよ!
果たして自分がこれを活用できるのだろうか?
甚だ心許ない。

ここは「たま」がつくので親しみを覚えるサイト。
なかなか有用な内容なのだけれど、読者が猫(私)である場合、この内容を理解できるのかどうか。
この物忘れ防止装置を検索したら、すぐにアマゾンのタイムセールで安くなったので注文した。
次はこの器具につける物忘れ防止用グッズを買うことになりそう。

ホームセンターで可愛いキャラクターのグッズを見つけた。
マグネットなので冷蔵庫などに貼り付けてキャラクターのしっぽを曲げると、そこに鍵をかけられるというもの。
クマのプーさんやドナルドダック、最近のゲームのキャラクターなど可愛いからつい買ってしまった。
テーブルの上に小さいビニール袋が置いてあったので何かと思って開けてみると、そのキャラクターたちが出てきた。
買ったことすら忘れていた。

物忘れと言って世の中が騒ぐほど大したことはないのだ。
忘れることは時として救いでもある。
時間を忘れるほど楽しいこととか、われを忘れるほど夢中になれるとかは幸せなこと。
辛さや苦しみも時を経て忘れることができる。
それがなければずっと苦しみ続けることになる。
時間は心の万能薬。

私は幼少期から天才的に物忘れの達人だった。
物を取りに行って、なにを取りに来たのか忘れるとボケの始まりなんて言うけれど、そんなことは子供の時からだった。
小学校へ行ってランドセルを開けると中は空っぽ。
宿題は出たことすら覚えていない。
教室に貼ってあった物忘れの個人別グラフのダントツはこの私。
先生も呆れ果てて叱られることもない。
中学校では忘れないように、すべての教科書は学校に置いて帰った。
当然予習復習なんていうこともしない。
高校でも同じ。

人の顔はよほどのことがないと、一度会ったくらいでは覚えられない。
それなのに、近所の猫の顔はすぐに分かる。
興味のないものは、目で見ていても脳みそを素通りしてしまうらしい。
だからみなさんも大丈夫ですよ。
私ほど記憶力が頼りない人でも、こうして元気でいられるのだから。
むしろ、記憶しないから元気でいられるのかもしれない。
うらみや嫌悪感をずっと持ち続けたら病んでしまうでしょう。
おおいに忘れよう・・・なんて、今日も又鍵を探して青くなっている猫が一匹。

しかし気に入らないのは「たま」サイトの最初のこの言葉。

鍵や携帯電話などさっきまで使っていたものを探し回るのは性格的なもの。25歳過ぎてもこの状態の人は、もう何やっても改善されません。それが立派な大人としての完成形なんです。 

もう手遅れなんだ。
それなら堂々と手遅れ人生を歩もうではないか。
































2019年11月26日火曜日

片足立ちができない

約一年間、食生活の乱れと運動放棄により体調はめちゃくちゃになった。
体重はそう変わらないのに体脂肪率が増え、基礎代謝量が減って運動年齢が急激に年老いた。
結局筋肉が衰えたということ。

先日友人と足腰の弱りについての話になった。
友人のWちゃんは立ったままソックスを履こうとしたら、後ろ向きにひっくり返ったそうだ。
私が階段から落ちて口を怪我したときに、ふと~いストローを送ってくれた彼女も、口からころんだ経験がある。
前からも後ろからも転んだので足腰を鍛えようと思い、今では片足立ちが2分以上できるらしい。
なんでも、拇指球に乗ることが大切らしい。
2分って、これはすごい。
なんでも努力する人だから、驚きはしないけれど。

その話の後、自分でやってみてびっくり仰天。
なんと!片足立ちが全くできなくなっていた。
右足はわずかに2秒、左足はもう少しできるけれど、それでも長くて10秒、短いときには4秒ほど。
それで毎日練習をしていたら、左足は長くて20秒ほどできるようになったのに、右足は長くて4秒ほどしか続かない。
これは一大事。

私の左足は外反母趾で、親指の付け根が突起している。
見るぶんには左足のほうがダメで右足はほぼ正常な親指なのに、それがいざ片足で立つと右は全くダメ。
立とうと思って考えても、一体どうやって立って良いのかわからないから、脳の1部が壊れたのかと思った。

半年以上、右足にしびれやチクチクした違和感があって、足首も痛かった。
足首がかすかに腫れている。
その頃から鏡に映すと、こころなしかO脚がひどくなったように見えた。
無理して歩き過ぎると腫れと痛みがひどくなって、朝起きる頃にはよくなっている。
やたらに転ぶ。

これは早く病院で診てもらおうとと思っても病院嫌いにつき、なかなか足が向かない。
そうこうしているうちに、足首はいよいよ痛く腫れ上がってきた。
それで滅多に歩くことはなくなって、安静を心がける。
ところが、もう限界と思っているころに演奏することが増えてきて、どうしても外に出ないといけなくなった。
気がつくと、外に出て人に会ってくると元気になる。
足の痛みも少なくなる。
コンサートのためにヴァイオリンの練習時間も多くなる。
練習はいつも立って弾いているから、終わると全身が温まって体調が良くなる。

ふうむ、やはり体を甘やかしてはいけないのだ。
それで無茶なことだけれど、痛くて回らない足首を回し、つま先立ちで10秒間キープすることや、片足立ちや、痛かろうがなんだろうが構わずやっていたら、少しずつ治ってきた。
O脚度も少し改善されたようだ。
特に両足のつま先で立って両踵をぐっと寄せる運動がかなり効果があった。
これはお尻の筋肉が鍛えられるので、結果体幹が鍛えられるらしい。

この数ヶ月、筋トレをサボっている。
一番最後にジムに行った時トレーナーから「nekotamaさん、体動かさないとだめですよ」と言われた。
それは百も承知なのだけれど、練習が混み合ってくるとジムに行く気になれない。
心に余裕がなくなってしまうのだ。

12月のコンサートが終わったら、久しぶりにジムで汗流してこよう。
泳ぎたいけれど、プールは苦手。
市民プールにはへんなおにいさんとおじ(い)ちゃんがたくさんいてわざとぶつかってくる。
監視員も見て見ぬふり。
時々喧嘩して帰ってくる。
全く男ってのはなにを考えているのか!

1年間の不摂生が、これほど体調を損なうのだということにやっと気がついた。
食も運動も大切。
いまや蕁麻疹持ちになって、お腹周りのプヨプヨしたところが時々赤くなる。
まだかわいい蕁麻疹だけれど、このまま不摂生を続けて慢性化したらどうしよう。
すべてリセットして、出直しすることが来年の課題。


















2019年11月25日月曜日

ランチはダブルで

携帯電話は生徒たちと飲んだくれて、お寿司屋さんに置きわすれたことがわかった。
当日夜中に私の元生徒からパソコンメールに連絡がきた。
持つべきものは面倒見の良い生徒。
丁寧にお寿司屋さんの電話番号まで添えてある。
すでに真夜中過ぎていて電話してみたけれど、当然誰も出ない。
お店には迷惑なことだった。

次の朝、電話するとすぐに出てくれたので、開店の時間に合わせて取りに行くことにした。
開店時間は12時。
前の日、いつもになく日本酒を飲んだおかげで気分が悪くなって、その時出されたお寿司をたくさん食べられなかったので、未練が残っていた。
食い物の恨みはおそろしい。

冬になると日本酒が美味しくなる。
普段は先ずビール、それから他のお酒に移る。
そういうときにもめったに日本酒は飲まない。
体質に合わないかもしれない。
寒い時期には特に美味しいと感じるけれど、たくさんは飲めない。
飲むと時々蕁麻疹様のものが出る。

私は何を食べても飲んでも美味しいと感じる特殊体質だから、残念なことで。
その時も大好きな人達とにぎやかに騒ぎながらの食事で、なんでも美味しいと思っていたのに、突然気分が悪くなってしまった。
よほど疲れていたのかも。

携帯を取りに行く時、せっかちだから時間前に現地に着いてしまった。
開店時間の30分ほど前、ドアは開いているから早く来てもだいじょうぶですよと言ってくれたけれど、しばらく時間潰しで駅前で行われているイベントを眺めたりしていた。

そこでは女性歌手がマイク越しに歌っている。
本格的な発声の人がマイクを使うとうるさいことこの上ない。
これならマイク使いの上手いポピュラー系か演歌歌手をつれてくればいいのに。
プロの歌手なら、マイクの有無によって発声を変えられないのかと考えた。
しかし、こういうイベントで歌う人は主に若い人だから加減するのが難しいのかも。
ソプラノが声を張り上げているのが心地悪いので、早めにお店に到着。

マイクといえばある時期日本で、ベルリン・フィルのメンバーの12人のチェリストが脚光を浴びたことがあった。
チェロという楽器は低音から高音まで多彩な音域と音色の出る楽器なので、自由自在に弾ける名人が揃って、こんな素晴らしいアンサンブルができるのかと、その当時私の感激はMAX。
今でも彼らは演奏していると思うけれど、日本ではテレビコマーシャルで有名になって数回来日してその後忘れられてしまったみたい。

その彼らがNHKの夕べのリサイタルに出ることになり、録音が行われた。
ところが彼らの音があまりにもボリュームがあって、マイクからはみ出してしまう。
最初は個々の奏者毎にマイクを置いた。
するとマイクがビリビリと振動してしまう。
それで全体の演奏場所から少し離して、マイクを設置。
それでもだめで、とうとうスタジオの一番遠くからマイク1本で録ったという。
これは、私がカルテットで夕ベのリサイタルに出演した時の、ディレクターから聞いた。
ディレクターがここで録ったと言ったのは、スタジオのドアの近くだった。

彼らの凄さは、私達の音がせせらぎの音とすれば、大滝が轟々と流れるくらいの比。
最初は彼らも心しておとなしく弾くらしい。
そのうち興に乗るとすっかり忘れてしまうらしい。

毎年来ていたロンドンアンサンブルのチェリストのトーマス。
我が家のレッスン室の壁が落ちるのではないかと、心配したことを思い出す。
彼らは楽器を鳴らすすべを心得ているだけでなく、その音量がごく普通に出せる体を持っている。
腰が怪しいのでマッサージを受けたいというから、私がいつも行く整体院を紹介した。
かなり凄腕の整体師で力持ち。
あとで彼に訊いたら、筋肉が硬くて指が入っていかなかったそうで。
トーマスはトーマスで「ものすごく痛かった、nekotamaが整体師になんか言ったのか?」
「もちろん、痛めつけてやれって言ったわよ」・・・それは嘘だけど。

話がそれてしまって。
寿司やに到着、無事に携帯が戻ったところでまだ開店前だけど食べられる?と訊くとどうぞどうぞ。
お礼の手土産の一つももっていきたいところだったけれど、その代わりほんのお礼にという気持ちで。
色々お話をしながら食べ終わって、その後友人たちとの飲み会にでかけた。
別に空腹だったわけでなく、お礼だからね、これは。
これではねえ、体重計の針が行ったり来たりするワケよねえ。























2019年11月24日日曜日

困ったひとたち

私の仲間たちはアンサンブルの名手たち。
今日青葉台教会で一緒に弾いた人の殆どがその仲間たち。
ヴィオラのFUMIKOさん、チェロの舘野さん、ピアノの太田さんは数十年来の古い付き合いで、いつも真剣ながら楽しく演奏ができる。
だれがどんなことをしてもいつの間にか寄り添ってうまく進行している。
いくらベテラン揃いでも中にひとり困った人が居ると、アンサンブルができない。

最近のあるコンサートでの話。
ひとりだけ不慣れな人がいて、3回の練習のうち2回までは我慢してなんとかうまくいくように熱心に練習したけれど、3回目でついに私が切れた。

音はきれいなんだけど・・・数が数えられない。
経歴は立派、でもほんとかどうかわからない。
経歴に騙されて一緒に弾いたらとんでもない人だった。
3回も練習があるのだから、1回めは我慢した。
次回はちゃんと練習してくるだろう。
2回め、注意されると全くあさっての返事が返ってくる。
このへんでおかしいぞと思い始める。
それでも彼が主催者だからと思って我慢。
主催者を引きずり下ろすわけにはいかない。

3回目、ちゃんと練習してください!
私が鬼になった。
メトロノームを譜面台に置いて、このテンポで弾いてください。
相手をプロだと思っていたから信用した私が馬鹿だった。
出来の悪い生徒だと思って、もっと早くに鬼になればよかった。

できの良い私の元生徒も練習に加わっていたけれど、震え上がっていた。
生徒はちゃんと弾いているのに、プロがこのざまとはなんなの。
いやしくもお金を取るコンサートを開くと決めたらミスは許されないのは当たり前。
それをヘラヘラと世渡りしてきたらしいその人は、言い訳ばかり。
言い訳する時間があったら、徹夜で練習しろっての。

と、カリカリしていたら、携帯をどこかに置き忘れ、帰宅して背負っていた楽器を肩からおろしたら、ケースの取っ手が壊れていた。
背負っていてよかった。
取っ手を握っているときに壊れたら、楽器は地面に落ちたかもしれない。
それでも楽天的な私は次があるさと気を取り直す。

明日は小田原に出かける。
卒寿を迎えるオーケストラの元団員のお祝い。
卒寿の色は紫色だそうで、きれいな赤紫のセーターをお祝いに差し上げるために用意した。
喜んでくれるといいいけど。

ただ一つ心配なのは、幹事さんのこと。
最近しばしば電話があって「俺言ったよね、24日のこと」
「ききましたよ、JR駅改札口集合ね」
「誰に連絡したか忘れちゃってね」
数日たって又電話。
「小田原のこと言ったよね」
「はい、聞いています。JR駅改札口集合、24日ね」

もう3回目。
この人のほうが卒寿の人よりもずっと心配だわ。
今携帯が手元にないので、この幹事さんは私に連絡がつかないといって、パニックにならないだろうか。

先日は12月のコンサートのリハーサル。
練習場に行くのに渋谷で待ち合わせをした。
渋谷警察署前集合。
さて、出かけようとしたその時、鍵が見当たらない。
楽器と持ちものもすべて準備して、隣のレッスン室においてある。
そのレッスン室に入る鍵がない。

いつも鍵のことであたふたするから、こういうときには必ず身につけてある・・はず。
両サイドのポケットを探してもない。
冷や汗が出てきた。
急激に気温が下がってきたから、皆を寒空の下で待たせてはいけない。
冷蔵庫の中までで探した。
そんなところにあるわけはない。
いや、私に限ってこれがあるのよ、いつだったか洗濯機の中にあったことも。

連絡しようにも携帯も隣の部屋に。
キャインキャイン!
腰に手を当てて思案したら、なにかお尻のポケットに硬いものがある。
あった~!
というわけで、いつも少し余裕をもって行動するおかげで約束に間に合った。
騒動は日常茶飯事だけど、なんでうしろのポケットに入れたのかは意味不明。
普通に前ポケットに入れればいいものを。

本当に年をとった。
私だけでなく皆もね。
私の場合は年のせいというより、生まれつきでもあるけれど。







2019年11月20日水曜日

起雲閣

さて、このところ非常に多忙。
横浜青葉台のナザレン教会でフィンランドとの友好を記念するコンサートがあって、その練習に入ったところ。
今年は日本との外交関係樹立100周年記念となるらしい。
フィンランドゆかりのチェリスト舘野英司さんを中心に、フィンランド留学を経験したヴァイオリンの高濱剛さんのヴァイオリンソロなど、すべてフィンランドの国民的作曲家シベリウスの作品だけを取り上げている。

シベリウスといえばフィンランディアが有名。
ヴァイオリン協奏曲や交響曲も親しまれているけれど、壮大なスケールの大きさが特徴的。
少人数で弾ける室内楽は数が少ないらしく、色々集めないと一つのコンサートを構成する時間には達しない、というので、舘野さんや私の生徒も参加して、弦楽アンサンブル要員として参加することになった。

私も業界の古狸ながら、初めて知る曲ばかり。
短い曲もフィンランディアの1部を彷彿とさせる壮大さや、賛美歌のように、森と湖の夕暮れを感じさせるような染み入るような旋律などに満ちていて、なかなか素敵な曲ばかり。
ぜひ聴きにいらしてください。

日本・フィンランド外交関係樹立100周年
11月23日(土)15:30時開演 青葉台ナザレン教会(田園都市線青葉台下車)
ピアノとストリングス
ロヴィーサトリオ他シベリウス作品

12月1日(日)には熱海の起雲閣音楽ホールでクロイツェル・ソナタを弾きます。
村上和子さんのピアノ・リサイタルに客演することになった。
まだ若い・・・と言っても、どっしりと生活に根をおろした女性として子育て、義両親の介護、家族との生活、仕事の他にピアノのレッスンを受けるために三島から通ってくることの大変さを考えた。
彼女がリサイタルをすると聞いて、あの忙しさの中で準備をするのがどれほど大変か、こちらのほうが目が回りそうにクラクラした。

2時間近い時間の中で、自分がこれまでやってきたものを最上級に表現しなければならないリサイタル。
並大抵の覚悟でできるものではない。

起雲閣はこちらで http://www.city.atami.lg.jp/kiunkaku/index.html

会場練習のために昨日熱海に出かけた。
横浜から踊り子号で降りると、熱海の駅前は観光客でごった返している。
時間に余裕があったので、駅から約20分、ブラブラと歩いていくことにした。
急な坂道の多い町中は、非常に歩きにくい。
体が前のめりになって、夏の北軽井沢でのように、顔から転ぶのではと恐ろしい。
通りに面した歩道に製作中のからすみが干してあったりして、面白い。

起雲閣の音楽ホールは広いサロン。
ピカピカの木の床。
広い窓ガラスが庭に面しているので、外を歩く人が見える。
植木の手入れをする職人が見える。
一時代前の典型的な日本家屋なので、郷愁を感じる。

そのサロンの真中に、デン!と置かれたベーゼンドルファーは王者の風格。
ほれぼれと眺めた。
北軽井沢の家を買わずに、これを買うべきだった。
家の代金よりも、もしかしたらこの方のほうが高いかもしれない。
でも我が家にこんな大きなピアノを置くスペースはない。
だいたい、玄関も通れない。
収納するのには、ドアを壊さないと入れないだろう。

そしてその音ときたら、幸せいっぱいになる。
ただし、人がたくさんはいらないと部屋が響きすぎる。
当日の盛況を期待したい。
聴く方たちは音の吸収板みたいにつかわれるのですよ。
みなさんもコンサートの成功の1つの要因としての役割があるので、大いに口を開けて音楽を飲んでいただきたい。

村上和子リサイタル
12月1日(日)14時開演 起雲閣

ベートーヴェン:ワルトシュタイン
ショパン:ワルツ 舟歌
ベートーヴェン:クロイツェル・ソナタ











2019年11月15日金曜日

軽井沢

軽井沢に住むチワワのスミレコちゃんとその飼主Yさんと、朝食の約束をした。
エロイーズ・カニングハムさんの別荘跡にあるエロイーズ・カフェの朝食は私達のお気に入り。
ほかではお目にかかれないような美味しい朝食が食べられるので朝から行列が出来て、90分待ちなどはザラのお店。
到着すると、いつもの行列がない。

このカフェのサロンでコンサートをしたいという目論見があったのに実現できないのは、街の条例に引っかかっているからだという。
たぶんあまりにも流行っている店にやっかみ半分、近隣の住人の苦情等が重なって、問題が起きているらしい。
車が列をなして、でも観光客で成り立っているこの地で、それは避けられないと思う。

だいたい、今どきの軽井沢でシーズン中静かに過ごせないのはわかっているはず。
その人気の秘密はやはり、素敵なお店がたくさんあるし、このカフェのような美味しい朝食にありつけるからだし。
静かなのが良ければ、北軽井沢はうってつけ。
こちらにいらっしゃい。
キャベツ畑とのんびりした住人と、だれもいない森。

それで朝食にあぶれた私達は別のお店でフレンチトーストにありついた。
軽井沢で親類縁者にお歳暮を送りたいという姉のために、Yさんの案内で漬物のお店に行った。
Yさんの顔は広い。
フレンドリーな女主人、そのお兄さんの経営する漬物店は大はやりのお店で、バスで買い物客が来るらしい。
店に入った途端にお茶をごちそうになり、そこらへんのものは何を食べてもいいらしく、試食品がいくらでも出てくる。
その上、売り物ではない煮物とか果物とかまで。
こんな事して商売になるのかしらと心配になるくらい。
店のものをほぼ食い尽くし(それほどでもないか)お土産を買う。

軽井沢駅近くのブティックに私に似合う服があるからと、Yさんに連行された。
私は別に服を買う予定もないし欲しくもないから断ったけれど、Yさんのお仲間の人たちの全員一致で私に似合うということに決まったらしい。
冬支度のために店じまいの準備をしているお店を、無理やり開けてもらったのはYさん。
彼女の顔はここでもなんでも実現する「開けゴマ」らしい。
私はもとより警戒態勢。
プリーツ加工?私は超絶プリーツが似合わない。

手にとってもまだ疑心暗鬼。
でも閉めかけていた店をわざわざ開けてくれた店主に免じて着てみるか。
試着したら、これがなんと素敵なんだわ。
小さなカジュアルなコンサートなら十分使える。
プリーツだから体型の欠点をすべて隠してくれる。
身長だけは大きくはならないけれど、それもハイヒールを履けばグッド!
くしゃくしゃにして持ち運んでもシワにならないうえに軽い。
色は大好きなブルー基調で、値引きの他にアクセサリーとショールまでおまけが付いた。

商売としては、来年まで持ち越すよりはこの際売ってしまったほうが良いのかもしれない。
店主は流行りのないものだから、来年でも売れると強気なのだけれど。
これは役に立ちそうな買い物になった。
今まで、他人から勧められるものはその後役に立ったものが多い。
ほんとに皆さん大きなお世話と思ってごめんなさい。
この次から嫌というほど皆さんにお目にかかるときに着て行くわね。
これ一枚しか着るものがないと思われるくらいに。

お蕎麦を食べてもう一軒お土産を買って、北軽井沢に戻ると、前日よりもさらに灯りの点いた家が増えている。
森の中は静かでいいけれど、一軒も人の居ないのは寂しい。
こうして近所に人が来ていると、とても安心感がある。
クリスマスが来たみたいで、木々の間からの灯りを眺めた。

水抜きは16日、電源も落とす。
これで今年はもう来ないというのもつまらないから12月にもう一度行ければと思うけれど、猫をつれて、寒さの中を出かけるのも億劫で。
年取ったなあ、私も。
Yさんに言わせればこれは言ってはいけないセリフらしい。
「もう」とか「年だから」とかいうと、老いが促進されてボケるらしい。
私はそう言わなくても子供の時からの天然ボケだから、大いに言ってだいじょうぶ。
子供に還って周りに迷惑をかけても許されるのではないかと思っている。


















カラ松の落ち葉

早朝、外に出ると、黄色い車ーパパゲーノ・ノートに落ち葉が降り積もっていた。
屋根には大きな葉が、サイドのガラスには細い針葉樹のカラマツの葉がベッタリと張り付いている。
ほらね、この車はやはりパパゲーノ。
体中に鳥の羽根を纏ったパパゲーノそっくり。

明け方の空を見ると、明るい月。
それがゆっくりと明け始めて柔らかいバラ色の光に変わり、木々のシルエットの間から雲が光って見える。
あまりの美しさに寒さを忘れて落ち葉を踏みながら散歩を始めた。
帰ると姉が起きてきたので、もう一度外に誘って一緒に眺めた。

その日は追分にいるヴィオリストの友人Kさんが遊びに来て、浅間大滝を見に行った。
管理事務所で訊くと、先日の台風で滝の付近は立入禁止かもしれないと言われた。
たどり着くと、矢張り黄色い規制線が張ってあって滝は一部分しか見えない。
滝の手前の駐車場のそばの崖が山崩れを起こしていた。
無残に土肌が見えて細い木はなぎ倒され、根っこが露出している。
どれほどの凄まじさだったのか。
滝に降りる下りの山道は、川のように水が流れ落ちたことが想像される。

それでも体を乗り出して下を見ると、滝の一部が見えて、初めて見る姉は感激していた。
この滝は本当に素晴らしいのに、あまり観光客を見たこともない。
来ないのは静かでいいかもしれないけれど、こんな良い滝をアピールしない手はない。
のんびりした北軽井沢らしい。
その遅れた北軽井沢も、最近は新しいカフェなどが増えてきた。
新しくできるとなんとなくおしゃれなんだけど、とにかくこの地は寒いから人はあまり集まらない。
寒さも札幌などのように本当に寒いのはそれなりの魅力だけれど、中途半端な上に身を切るような寒さはどうもいただけない。
帰り道、おしゃれなパン屋さんに寄ったら、冬期は休業だそうでがっかり。
店が開いているかどうか確かめている間にも、ゾクゾクとした寒さ。
雪でも降ればもう少し楽しいのに。

午前中軽井沢から電気やさんがエアコン設置の下見に来た。
森の中は湿度が異常に高いから楽器には最悪。
吹き抜けとロフトが大部分を占めているので家全体の除湿には大きなエアコンが必要となる。
前の持ち主ノンちゃんの旦那様の画室が唯一密閉できる空間なので、そこにエアコンを取り付けて楽器を保管しようという目論見。
画室はかなり狭いけれど、ヴァイオリンの練習には差し障りはない。

軽井沢から来たその電気屋さんは、テキパキと点検して納得がいったらしく、今年はもうこの家を閉めるので、来年の春に設置をしてもらうことになった。

昼食が終わってKさんが帰ったあと、夕方の散歩。
もう少し早い時期ならカラ松がその細い葉っぱをサラサラと風に落としていくのだけれど、もう殆ど散ってしまったらしい。
夕日にカラ松の葉がチラチラと散る様は、いくら見ても見飽きない。
ノンちゃんが生きている間は、一緒に窓からその風景に眺め入ったものだった。

近所の家に明かりが灯って、どうやらこの辺の家々も冬支度のために来ているらしい。
森の冬はどんなに静かで素敵なのかと想像する。
冬は星が綺麗よと、ノンちゃんはいつも冬にご主人と一緒に来ていた。
いつか貴女もいらっしゃいと言われたけれど、一人ではあまりにも寂しすぎるかもしれない。
シンシンと音のない世界。
身を切るような寒さ。
あまりにも美しすぎる世界。
本当に魅力的なんだけど。





















2019年11月11日月曜日

冬支度

北軽井沢に来ています。
山に来るのはたぶん今年最後。
地元の人達に言わせれば、この先水抜きとやらをしないと水道管が破裂しておおごとになると。
でも私は冬も来たいの。
冬に来たらどうすればいいの?というと、さあ?と言わんばかりに首をかしげる。
だって、地元の人達は暮らしているわけだし、この狭い日本、冬はだめと言われたらどこにも安住の地はないでしょうが。

地元の人は自分たちと外来種を完璧に分けているようだ。
自分たちはここの人間だからだいじょうぶ。
それに引き換えあんたらは石油ファンヒーターの点けかたも知らない。
ヒーターが点かないと言って呼び出される我々の身にもなってほしい。
あはは、わるいわるい、でも私はどこに行ってもこうなんだから。
とお互いに胸の内での会話。
スタッドレスタイヤに履き替えて、4輪駆動に切り替えられる車を選んで、張り切って来たのに、冬は来ないほうが良いと言わんばかり。
迷惑なんでしょうね。
でもそんなこと言ってたら、新しい人は来ないし新しい風は吹かない。

今日は昼過ぎ、ペコペコのお腹を抱えて山道を登ってきた。
紅葉を愛でるつもりだったのに、山の上は紅葉どころかあらかた葉が散ってしまっている。
けれど、わずかに残った葉と時々赤く色づいた木を見るだけで十分美しい。

夕方散歩にでかけた。
もう薄暗くなってきたので、短い散歩になった。
9月に一人できたときには、この森に人影はまったくなかった。
夏休みが終わって一斉に引き上げていったらしい。
いつも停まっている車や常住しているはずの人の家にも明かりがない。
全く私一人でこの森を独占していたけれど、今回は数軒の家に明かりが灯っていた。
皆、冬のために水抜きに来たのかもしれない。

今回は7歳年上の姉と一緒。
姉いわく、私は最近年寄りに見えるらしくて、電車で必ず席を譲られるのよ。
見えるらしくではない、本当にとしよりなんだからね。
全く自覚がないようだ。

姉もニックネームはノンちゃん。
ノンちゃんの家に別のノンちゃんがいるのもなにかのご縁。

夏の間あんなに広がっていた木の葉がすっかり散って、青空が見える。
夜の星もよく見えるかしらねと言っていた姉は、散歩から帰ってお風呂に入ると、たちまち眠ってしまった。
今一人で風呂上がりのハイボールを楽しんでいる。
おいしい!
自宅に帰ったらその後は修羅場が待っている。

12月1日のクロイツェル・ソナタは私の最後のクロイツェルになると思う。
もうこの先演奏できるような、生易しい曲ではない。
寂しいようなホッとするような。
来年はこの森で静かに暮らそう、と思っていたら、来年の弦楽アンサンブルの合宿は北軽井沢にしましたと、生徒から告げられた。
静謐の安住の地は若者たちの元気さで、興奮の坩堝となる。
練習が終わったら先生の家で宴会です、と。
何じゃそれは。
家主に相談無しで決めるなー。
その上、来年の水沢でのコンサートは私の最愛のモーツアルトの曲になりそうで。
勝手に決めないで、私は弾けるかどうかわからないと言っているのに、メンバーは次々決まっていく。

この子達は年を取ると,どうなるのかわかっていない。
もっとも私も若い頃はそうだったので、彼らの気持ちをありがたいと思う。
















2019年11月10日日曜日

胃カメラは不味い

健康診断の延長で、久しぶりに胃の内視鏡検査を受けることにした。
最近は、やいのやいのと検診のお知らせが届く。
ほとんど無視していたけれど、体重計の健康年齢が急激に変化したので、少し心配になった。
健康年齢はずっと、実年齢より10~12歳若かったのが急に9歳にまで落ち込んだ。
もっとも、この半年ほどは運動しない、睡眠はめちゃくちゃ、食べ物は行きあたりばったりと生活習慣は最悪だった。

この先一人で、人手を借りず自立するには病気になってはいけない。
健康を心がけるような殊勝な性格ではないけれど、まず食生活の改善、適度の運動、心の平和が必要。
それには自分の今の状態がどうなのか知ることが必要、ということで検診を受けることにした。
本当はこの先も健康診断は受けず、病気になったその時が人生のお終いだと思えばいいと考えていた。
以前、血液検査で肺がんのリスクありと言われたから、それだけはごめんだと思うのと、少し血圧高めかな?と思うことがあって調べてもらうことにした。
食生活を変える必要があるかもしれない。

検査の予約は朝9時。
せっかちだから8時には病院の待合室に座っていた。
おかげで一番最初に検査を受けられたけれど、気分は最悪。
まず、大好きな朝ごはんが食べられなかったことで超不機嫌。
そのうえ、検査に対する恐怖で(実は小心者なので)珍しく無口になる。
受付が始まって、私を付添の人と間違えた受付嬢。
私はいつもたいへん若造りで、その日も派手なTシャツの上に明るい青のダウンベスト、キャップとマスク着用と、顔が見えないから一見若者風。
「受けられる方はお連れになっていますか?」
「は?誰?」不機嫌に訊くと、ぱっと人の顔を見て「あ、良いんです」
最初から顔を見なさい、あなた!

胃の内視鏡検査は10年ほど前から2回受けたことがある。
最初の担当医師はものすごく下手くそで、食道の両側にゴツンゴツンとカメラが当たって、次の日まで痛かった。
もう懲り懲りと思ったら、次の医師は天才的に上手かった。
あれ、もうお終い?と思うほど違和感なく、終わったときに思わず拍手をした。
「先生お上手」「いやいや慣れているだけで」と。
今回は余計な心配しないで済むように、麻酔をしてもらうことにした。

麻酔の部屋に通されて、最初に胃の働きを止める嫌な味の水薬を飲まされた。
しばらくすると、喉に変な液体を吹き付けられ、そのあと恐ろしく不味い液体を2杯飲まされた。
「まずーい、もう少し美味しく出来ないのかしらね」
看護師は全く無視。
忙しくてこんな馬鹿な会話に取り合っている暇はなさそう。
それにしても看護師はすごい、複数の患者に間違えずに時間通り薬を与えていく。
私が看護師だったら、あっという間に数人毒殺しかねない。

呼ばれて施術室に入ると、次は麻酔の注射。
以前この検査を受けたときには喉の麻酔だけだった。
検査の予約のときに麻酔希望しますかと訊かれたので、ついお願いしますと言ってしまったけれど、やめればよかった。
でも、もう遅い。
チクリとしますよと言われてチクリと感じたら、もう何も覚えていない。
終わりましたと起こされたら、口の周りに液体が。
わあ、恥ずかしい唾液?
前にも言ったけど、私だって恥じる気持ちはあるのよ。
医師はこの顔を見ていれば、どんなきれいな女性でも幻滅するだろうなと思った。
きれいでなくてよかった。
論点が違うけど。

結果は来月のお楽しみ。

今回血圧は備え付けの血圧計で自分で測った。
なんと初めて見る高数値。
薬飲めっていわれるかも。
人は老いれば血圧も高くなる、血流も悪くなる。
脳みそにシミもできる。
結果運動機能が衰えても、それがあるがまま。
薬で数値だけ下げて良いことなんてあるのだろうか。
血圧が高くないと体の隅々に血が巡らないのでは?
と、素人は考える。

さて、次は歯の検診。
なにが嫌って歯医者さんの椅子に座るのは、拷問に等しい。
幸い私は歯が丈夫。
予約を保留している。















2019年11月9日土曜日

ベッドの硬さ

1年前にベッドのマットを変えた。
前に使っていたのは、かなり硬めの物だった。
私は眠っている間ずいぶん動くらしく、目が覚めると掛け布団はカバーと布団本体がずれてグシャグシャの塊。
どこが上か横か、わからないくらい動いている。
カバーと布団を結んである紐がところどころ外れて、中で布団がねじれていたりする。
1年半ほど前、新しいマットを買いに行った。
展示されているベッドに横になって色々試してみた。

以前買ったのは、某老舗家具店。
その時はコンシェルジュが付きっきりで一緒に選んでくれた。
そのマットはかなり固めだけれど、全く体が沈まないのもいけないから多少体が沈むものを、という説明だった。
思い切って良いものを選んで長年愛用してきた。
そのマットにしてからは腰痛が起きなくなって、快眠を貪っていた。

しかし長年の使用で汚れて、側面は猫たちが爪とぎに使うので、フリンジができてしまった。
これでは万一介護が必要になった時恥ずかしい。
私でも少しは恥じる気持ちはあるのですよ。
幸いにも介護が必要になるまではまだまだ余裕がありそうだけど。

老舗店に行くのも面倒だから、近所の家具センターに出かけた。
扱っているのは、フランスベッドとシモンズのベッド。
いずれもブランドものだけれど、実際に寝てみると今まで使っていたものがどれほど良いものだったかわかる。
さんざん試してまあこれならと思うものを買ってみた。

少し柔らかめで、それはそれなりに心地よい。
最初は良かった。
新しいから気持ち良いし、体が包まれるようで安心感がある。

使い始めて1年過ぎて、なにか違和感が。
最近、寝起きがあまり良くない。
私はあっという間に寝付くのが特技だった。
寝起きも非常に良い。
ところが最近は目が覚めると、どんよりして体が重い。
以前のベッドでは、掛け布団がぐちゃぐちゃになるほど寝返りを打っていたのが、このところ布団は殆ど動いていない。
ということは、体が沈みすぎて動けない状態にあるらしい。
マットに体の形のくぼみが出来ていて、それが復元しない。
たった1年でこんなに沈むのも珍しい。
マットの位置をローテーションしていけばいいのだけれど、非力な私には重いマットは動かせない。
体重計に健康年齢が出るものを使っているけれど、その値が急激に高齢化した。
あまりの急激な老化現象に驚いている。
なにがそうさせたのか色々考えた。

そしてやはりマットのせいではないかと思い至った。
上等なものを買ったつもりだったけれど、やはり以前使っていたものより品質が悪かったようだ。
それとも柔らかすぎたのかもしれない。
もう少し良いものを買っておけば、買い換える必要がなかったものを。
我慢して使おうかと思ったけれど、ベッドのせいで健康を害するようなことがあってはいけない。

そう思ったのは、数日前に泊まった水沢のホテルのベッドでは熟睡できて、とても目覚めが良かったから。
自宅で目覚めると最近は首や肩が凝っている。
これは明らかに寝返りが打てていないからだと思う。
眠るためでなく横になって猫と話しをするにはとても心地よい。
体の形に凹んだところに横たわると、すっぽりと包み込まれて喉をゴロゴロ鳴らしたくなる。
そこから抜け出ようとすると、努力しないと出られない、ということはかなりくぼみが深いということ。
これでは寝返りはおろか、体を拘束された形で夜通しじっとしていることになる。
血流は滞り、筋肉は硬くなり、それが急激な老化数値になっているのだと思う。
とにかくマットを替えてみよう。
それでもダメなら諦めて体重計を捨てよう。

老化のもう一つ考えられる原因は、数ヶ月前に足首を軽く捻挫したこと。
その後、何ヶ月経っても痛みがおさまらないから、大事をとって散歩もしない、なるべく動かさないようにしていたら右側の下肢にしびれが出てきた。
ジンジンといやな感覚があって、時には我慢できないほどのだるさ。
骨折などしていればもっと痛いと思うから、たぶん血流が滞っているのだと思う。
けれど、歩けば痛くなるし、マッサージの効果も一時的。
半年以上、不快な症状が続いた。
病院へ行けばいいものを、だましだまし毎日過ごしてきた。

先日水沢に行って気がついた。
足がだるくない!
楽器を背負ってバッグを持って混み合った東京駅をスイスイと歩いた。
なにか目的があればそちらに気を取られてしまうのだ。
家に居て刺激がないと、考えるのは体の不調のこと。
頭痛い、足がだるい、腰が・・・

新幹線に乗って、乗り換えて、どこのホームに行けばいいのかな?待ち時間は?
駅からホテルまで歩こうかタクシーに乗ろうか・・・なんて考えているうちに、足首の痛さを忘れていた。
家に帰ってからいままで甘やかしてきた足首に活を入れることにした。
とんでもないと思えたことをやってみた。
10センチ以上のハイヒールを履いているポーズ。
足首をギュッと持ち上げて静止10秒✕5回。
膝から下を曲げてスキー滑降の格好をする。
足首が内側に折れる。
それを10秒✕5回。
なるべく動かすようにしたら痛みが軽減してきた。
しびれも少なくなった。

ほんの数日やっただけで、運動年齢が若くなった。
一番不調だったときに健康診断に行った。
結果はまだ聞いていないけれど、最悪の数値が出ていると思う。





















2019年11月4日月曜日

水沢にて・奥州市チェロフェスタ

水沢に行って来ました。
チェリスト舘野英司氏を中心として、アマチュア・プロが入り混じっての楽しい催しで、私の元生徒のY夫妻と参加。
ご主人のYさんは舘野さんのお弟子さん。
奥さんのKちゃんは私の元教え子、というわけで、二人に引きずり出されて恒例行事となった。

私はここ2年ほど不参加で、久しぶりに水沢駅に降り立った。
水沢は例年と変わりもなく、同じ様にゆったりと時が流れているようだ。
以前来たときには毎回ひどく寒かった。
暖かいことは一度もなく、ダウンジャケットの分厚いのを着込んでも、なお寒かった。
毎年同じ時期なのに、みぞれが降った時も、初雪に見舞われた時もあった。
それで今年は、スキーに行くときに着ていく裏がフリースの腰まで隠れるコートを着ていったら、暑い!
私は特別暑がりなので、これはしまった!
ホテルに着いたら、びっしょりと汗をかいていた。

毎年東京から、新潟から、地元からと様々な場所から舘野さんの縁の人たちが集まってくる。
私は数年前までは友人二人と一緒に参加していた。
コンサートが終わると、友人たちとそのへんで遊んでから帰る。
平泉や猊鼻渓やなど、レンタカーで巡って楽しんできた。
いつもは友人がいたので、他の人達との交流はあまりなかった。
今回は一人なので、いろいろな人と話ができて、これも又大変楽しかった。
何回か出会っているのでお互い顔見知りだけれど、一緒に飲んだり話したりということは少なかった。
今回は仲間の一人としてみなさんと盛り上がってきた。

今回の私の曲目は、ショスタコーヴィッチ「2つのヴァイオリンとピアノのための5つの小品」をKちゃんと、シベリウス「ロヴィーサ・トリオ」をピアノの関田さんとチェロの舘野さんと演奏。
ショスタコーヴィッチは今年の夏、北軽井沢で演奏した。
その時はセカンドヴァイオリンを弾いたので、今回はファーストヴァイオリンを弾くことにした。

トリオの練習は前日のみの1回だけ、私は初めて弾く曲だった。
楽譜を見るとそれほど難解な曲ではなさそうで、実際合わせてみると弾きやすい。
不慣れな私のためにゆっくり練習が始まったけれど、結局本番はかなりのアップテンポで爽やかに終わった。
ただ、初めて演奏するので油断はできない。

本番の前日練習後は駅近くのお店で盛り上がった。
東北の人たちはお酒が強い。
誰一人乱れず酒宴が続く。
私はお先に失礼、Kちゃんにホテルまで連行されておとなしく夢路をたどった。

本番後の打ち上げは、メンバーの一人が経営するカフェ兼ギャラリーをお借りしてのパーティーとなった。
可愛らしい木造の簡素な建物は、屋根の梁がむき出しで、全体が白く塗られている。
そこに木製の彫刻作品がいくつか置いてある。
面白かったのは、寄木細工の技術で作ったという人の顔。
丸木から掘り出したとおもったけれど、そうではなく、薄い板を寄せて曲線をうまく出している。
大変な技術ではないのかと感心した。
一体だけ丸木を掘った人物の立像があって、どの顔も穏やかでなにかこころ休まる表情だった。
作者の心の現れかなとも。

むき出しのコンクリートの床に様々な形のテーブルや椅子が雑然と置かれていて、どこに座っても構わない風。
さっさと奥の方に座ったら、そこにコントラバスが一挺。
今回のゲスト出演のコントラバス奏者のライブが始まった。
私は初めて出会ったベーシストのKさんという方で、素晴らしく上手い人だった。

作曲も手掛けるそうで自作からバロックのソナタ、ジャズ、民謡、なんでもござれ。
その音の豊かさに皆魅了された。
かつてコントラバスといえば、オーケストラの中でも不器用な楽器ということでソロ楽器とは思えなかったけれど、最近のコンバスはチェロをも凌ぐほどの達者な奏者が多い。
易々と高い音程も狂いなくこなしていくので、私は目が釘付け、耳も貼り付けになって聴き入った。

しかし彼にとっては同じ演奏家からそんなに密着されるのは嫌だったようで、やりにくいと連発された。
私の友人にコントラバス奏者がいて、毎年北軽井沢のフェスティヴァルで弾いてもらっている。
彼女にもいつもソロの曲を弾いてもらうので嫌がられている。
それでもコンバスのあの豊かな響きを皆さんにお伝えしたいので、無理を言って頑張ってもらう。
コントラバスにはすべての響きが含まれていて、豊穣そのもの。
私は体が小さくなかったら、もう少し大きな楽器を弾きたかった。
例えばヴィオラ以上の大きさのものを。

そんなことで、水沢の今年のチェロフェスタはこの上なく楽しかった。
人の前で弾くことは非常なエネルギーを必要とするけれど、エネルギーを使うことで新たなエネルギーを産み出すことができる。
人間楽したらあかん!と帰りの新幹線の中で考えた。
死ぬまで勉強かあ、それは嫌だなあ。














































2019年10月28日月曜日

nekotama事件に遭遇

ようやく足が動くようになって、近所の公園の散歩を再開した。
一昨日は、公園の近くまで来て歩けなくなり一休み。
昨日は公園の半ばまで来て一休みという風に、徐々に歩度を伸ばす。

今朝は歩き始めてみるとかなり調子が良いから全周休み無しで行けると思っていたら、そうはいかなかった。
途中で警察に捕まって写真まで撮られて足止めされた。
どうしよう、こんなところを近所の人に見られたら。

公園の手前の道路に白い車が停まっていた。
屋根に赤色灯が置いてあるから警察車両らしい。
もう少し先に行くと、今度は警察のバイクも置いてある。
なにかあったのかな?

公園内に入ると前方に警察官がおじさんを捕まえて話し込んでいる。
そのおじさんが行ってしまうと、所在なさげにあたりを見回す警察官。
その脇をすり抜けると、少し先の用水路の橋の上に別の警察官と私服の人がいた。
私服の人は空き缶の指紋を採っているような感じ(テレ朝の科捜研の女を見ているから知っているのだ)で作業をしている。
立ち止まって見ていたら最初に出会った警察官が来て、しばらくお時間良いですか?と訊かれた。
別に用事もないから話を聞くと、用水路の脇の遊歩道にある藤棚で事は起きたらしい。

今朝通報がありまして、藤棚にネクタイを・・・
全身鳥肌がたった。
足跡や指紋などのあった場所の証拠写真撮影に立ち会っていただけないでしょうか、という依頼。
私は深くものを考えない性格だから、なぜそのようなことに立会人が必要なのか訊きもせず承諾した。
必要があって頼んできたのだから、協力するのは吝かではない。
証拠品を指さしてくれればいいという。

簡単に言うわりには名前、住所、年齢まで訊かれるはめになった。
仕方がない。
好奇心が猫を殺すというけれど、私もまんまと好奇心につかまった。
覗きに行くなど彼らにとってはカモネギ。

現場の藤棚の下のベンチにビニール袋に入ったネクタイ。
これを2本使って、でも亡くなってはいませんと説明された。
どんな事情があるかしらないけれど、その人の心の闇を思うと気の毒でたまらない。
こんなところで、1人暗闇で、家族や友人たちにお別れを言ったかもしれない。
どれほど辛いことがあったのか。
泣きそうになった。
死んではダメ、命と引換えにできるほどの事は一つもないのだから。

手袋とマスクを渡され、それらを身に着けて撮影開始。
だんだん通行人が多くなって、近所の人にこんなところを見られたら「やっぱりね、あのひと前から怪しいと思っていたのよ」と言われかねない。
最後に立ち会ったというサインをしてようやく開放された。

実は去年、私はある事件の犯人逮捕に立ち会ったことがあった。
近所の交差点でパトカーが5,6台、警察官が10数人の大捕物。
私は警察の車に乗っていたけれど、そのときも近所の人は見ていたと思う。
私が怪しい人間だということはあまねく知れ渡っているかも。
なんだか事件を呼ぶ女になってきたなあ。
一度あることは2度ある、2度あることは3度ある、次の写真撮影はなんだろう。
















2019年10月27日日曜日

可哀想なパパゲーノ

黄色い新車は、パパゲーノ・ノートという名前になった。
ヴォルフガング・アマデウスにしたかったけれど、前のシルフィーよりも小型で真っ黄色だから、パパゲーノのほうがお似合い。
パパゲーノは早速タイヤのホイールをこすられてギザギザになったから、早くもスタッドレスを履かせてしまった。
誰がこすったかは言うまでもない。

なぜギザギザになったかと言うと、前回北軽井沢から戻ったのが夕暮れ時。
家の近くの多摩堤に来たときには、あたりは真っ暗だった。
赤信号で停まって青になったから発進したら、ゴリゴリと音がした。
しまった!縁石に近寄りすぎていたらしい。
でも警告音は鳴らない。
縁石は近くてもこんなものでは反応しないらしい。

家に帰って駐車場の蛍光灯の明かりで見ると、どこにも傷はない。
良かったと思っていたら翌朝、お日様の光で見るとホイールのヘリが僅かだが傷になっていた。
このギザギザで、万一タイヤが擦れて傷になるといけないと思ったから、日産マンに電話した。
私の行動に慣れっこの彼は少しも驚かないけれど、やはり面白いとは思っていないことがわかる。
少し早いけれど、今までシルフィーが履いていたミシュランのスタッドレスに履き替えた。
タイヤのサイズはノート君には少し大きめ。
それでも問題はないらしい。

お客様は神様と言うけれど、こんな神様は必要ないと思っているに違いない。
北軽井沢では庭に置いてあるので枯れ葉がつもり、タイヤは泥だらけ。
それがタイヤ交換で洗車をしてくれたらしく、ピッカピカになって戻ってきた。
パパゲーノはお風呂に入れてもらえたのね。
日産のメカニックスの温情。

この頃の異常気象で、車もたくさん被害に会っている。
只今思案中なのは、対人・対物保険は最大限かけているけれど、その他に車両保険をかけるかどうか。
今まで10台ほどの車を乗りつぶしてきた。
文字通り潰すというような乗り方だったので、満身創痍の歴代車たち。
最初のカローラなどは、走行距離10万キロ超えて左側のドアがとれかけてきたので、やっと手放した。
ボディーの傷などは気にしないけれど、車そのものが使えなくなると困る。
今回の台風で、水の中にプカプカ浮かんでいる車の映像を見ると、やはり想定外の事故には備えないといけないかと悩むところ。

私自身は見かけによらず臆病で慎重だから自損事故は起こさないと思うけれど、この思い上がりが間違いのもとになるかもしれない。
そろそろ脳内もシワ、シミだらけ。
自分の知性がどの程度のレベルなのかの判断も怪しくなってきた。
知性に病垂れが付いて、痴性となっているかも。
それは生まれつきだから治しようがない。
それでも昨日の健康診断では、医師がしきりに感心していた。
私が絶世の美女だから・・・と言うわけではない。
薬は一切飲んでいない、足腰しっかり(本当はよろよろ)、まだ仕事をしている等が彼女の感動の元。
丈夫な体と歯をくれた両親に感謝!

わたしの性格が慎重というのはこういうこと。
今回の台風後に北軽井沢に行くことに決めていた。
エアコン設置の電気屋さんとも約束があって行かなければと思っていたけれど、はるか遠くに大雨の雲が停滞していると聞いて、出かけるのを諦めた。
諦めたら秋晴れの気持ち良い日が2日くらい続いた。
ああ、こんなときに行かない手はないと思ったけれど、やはり昨日は土砂降りの雨災害。
ちょうど帰る予定日、豪雨に遭わないで良かった。
スキーもそんなわけで、無理しないでやってきた。
4日間滑るなら中日は休む。
夕方まで滑らない。
一番良いコンディションの時間にしか滑らない。
滑るのは早い方でかなり飛ばすけれど、周りに人がいればゆっくり進む。
だから今まで怪我をしたことがない。
自慢をしているとうっかりということもあるから、このへんでやめておきますが。
数えたらスキー歴56年、休んだ年はない。
びっくりだわよ。













2019年10月26日土曜日

涼しくなると

気温が下がると元気になるのはいつものことだけれど、今年ほどそれを実感したことはない。
ようやく心身ともに回復の兆しで、今朝はようやく近所の公園を一周することができた。
たくさんの犬達が集まって会議中のところに出くわした。
大型のシェパード、ラブラドール、中型の芝犬やビーグル、その他多くはチワワなどの小型犬。
およそ20頭ほどもいるかも。
中に私お気に入りのジャックラッセルテリアの姿も。

私はいつか犬を飼うのが夢だったので、中でもジャックラッセルが可愛くて第一候補に挙げていた。
ところが誰に訊いてもあの犬種はダメと言うではないか。
どうしてかと言うと、運動量の多さに加え知能犯であること、言うことをきかない頑固さがあることなどが老人向きではないのだそうで。
だいたいテリアは猟犬だから、力がある、足が速い。
これは聞いただけで、犬に引きずられて転倒しながらもお腹の脂肪のおかげで怪我もせず泣き叫ぶ自分の姿が目に浮かぶ。

犬の集団に近づいて、隙きあらば飼い主の手から離れて駆け寄ってくる犬に触りたいと思っているのだけれど、そうは中々うまくいかない。
飼い主も不審な人物を警戒して、犬のリードをしっかりと握り直す。
最近は公園内でも苦情が出るのかどうか、犬を離す人はめったにいない。
事故が怖いというのはよく分かるけれど、寂しい。
以前はラブラドールの仲良しがいて、飼い主の目を盗んで会話していたのに。

公園内では植樹祭が行われていた。
狭い上に木が多い公園でこれ以上植えてどうすると思ったけれど、どうせ又切ってしまうのだろうとバカバカしい。
我が家の前を流れる川の両サイドは草が茂り、季節が変わると鴨が来るけれど、子育て最中なのに、役所から草刈りが来て坊主にしてしまう。
最近鴨もこの川には寄り付かない。
卵を孵すこともできやしないと、鴨は怒っている。
鯉の姿も消えた。
上流の川岸に遊歩道を作ったり、なんだかんだとチマチマ手を入れる。
そのためにせっかく植えた菖蒲を引き抜いたり、川をせき止めたり、見てくればかりよくするから、生き物は居なくなる。
やるなら生き物のお邪魔のない季節にしたらどうかしら。
工事を見た姉が「あらあら、鴨が子育てできないわね」と言っていた。
鴨だけではなく、人間も子育てが難しいから少子化になる。

少しやる気が出てきたところで、久しぶりに健康診断を受けに行った。
ほんとうのところ検診はもう受けないで、病気になったらそのまま人生終わりにしようと思っていた。
けれど、頭がおかしくなってから(もう、手遅れ?)人の迷惑になるのはいけないので、そこだけは抑えておこうと思った。
母はほとんどうるさいことは言わなかったけれど、唯一「人に迷惑をかけてはいけない」といいきかされた。
私は、だいたい人は生きているだけで他人の迷惑なので、それは実行不可能だと思ったけれど黙っていた。

ひどい雨の日、こんな日なら病院なんか誰も行かないかと思ったらそうはいかない、相変わらず老人がロビーに溢れていた。
調子に乗って胃の内視鏡検査の予約をとってしまった。
そうしたら急に血圧が上がって、自分がいかに意気地なしであるかを思い知らされた。
子供の頃から空威張り、内弁慶。
ああいやだ、口から機械を飲み込むなんて。























2019年10月24日木曜日

奥州市チェロフェスタ

本当は今頃北軽井沢の秋を堪能しているはずだった。
木々が色づいて木の葉がチラチラと散り始め、空が広くなっていく。
森の一番魅力的なこの季節、あちらにいない手はない。

森はいつでも美しい。
けれど、私はヴァイオリンを弾くという厄介な性癖があって、11月3日の奥州市でのチェロフェスタに出演するために調子を整えないといけない。
このチェロのお祭りはチェリスト舘野英司氏が中心となって、奥州市のゴーシュたちが一堂に会するという恒例の行事。
私はこの2年ほどは参加できなかったけれど、久しぶりに行ってみようかと思った。
それで台風接近のニュースがあるので、帰ってこられないといけないと思って北軽井沢には行かないことにした。

3年前、いつもこのフェスタに一緒に行ってくれた同級生のFさんが亡くなった。
彼女はどんなに具合が悪くても他人にさとられないように元気そうにしている。
思えば彼女が一緒に行ってくれた3年間、かなり体調は悪かったと思う。
それをおくびにも出さないで、楽しそうにお酒も飲んだし演奏もしっかりしていた。
どんなときにも弱音を吐かない彼女の最後は見事だった。
友人たちの誰にも知らせはなかったけれど、私は妹さんと知り合いだったところから情報が漏れて、病院に駆けつけたときには彼女に会う事ができた。
ピンクのパジャマを着て顔もきれいにして、とても元気そうだった。
病室に入っていくと「やだー、どうして来たの?だれにも言うなって言ったのに」と彼女らしい反応。
嬉しそうに話をしてくれたので、安心して帰った。
でもそれを待っていたかのようにその夜容態の急変の電話があった。

あっという間に逝ってしまった。
本当に毅然とした生き方だった。
彼女の生き様は凛々しかった。
東京フィルハーモニー交響楽団を退団後は、私ともフリーのオーケストラで時々会うことができた。
彼女はセカンドヴァイオリンのトップとして、落ちないので有名だった。
落ちるというのは楽譜を見失って、どこを弾いているのかわからなくなること。
そういうことはあまりないけれど、新曲になると慣れないのでわからなくなることもある。
彼女だけはそういうことが無いので、弦楽器全体からの信頼が厚かった。

ある時日本人の新作のオペラを上演していた。
長い休みの後セカンドヴァイオリンが先に出て、その後数小節でファーストヴァイオリンが出るというところで、彼女は標的にされた。
私達は彼女の動向をじっと見ていた。
彼女が弾き始めたところから数え始める。
1小節、2小節、3・・・
舞台稽古でそれに気づいた彼女が叫んだ。
「やめてー、みんな見ないでー」どっと笑いが起きたけれど、結局本番も彼女に頼ってしまった。

その人はもう居ないけれど、今回、私が教えていた元生徒のKちゃんから誘われた。
彼女のご主人が舘野氏のお弟子さん。
今回私は彼女とショスタコーヴィッチのデュオを弾く。
生徒と弾けるというのは本当に嬉しい。
それとシベリウスのピアノトリオを、ピアノ関田さん、チェロ舘野さんと一緒に弾く。
シベリウスのトリオは初めてその存在を知ったけれど、多分彼の若い頃の作品だと思う。
爽やかな、よく纏まった曲だけれど、おや?と思ったのは、なにか日本的な情緒があって、とても理解しやすい。

最近の私のコンディションから言うと、もう少し楽器を鳴らしておかないとヤバイ!と言うので、湿度の多い北軽井沢で過ごすのを諦めた。
本当は今回電気屋さんに来てもらって、エアコンの設置をする予定だった。
楽器のために除湿をしないといけない。
今年夏のフェスティバルのときに湿気にやられて、私の楽器は上板が剥がれた。
弦楽器には最悪の環境なのだ。
予定していたエアコン設置は11月に延期して、とりあえず奥州市のチェロの祭典に行ってきます。

























2019年10月23日水曜日

食物の力

去年から今年にかけて色々あって食事をおろそかにしていた。
生活のリズムが乱れ、睡眠は気ままに、運動はほとんどしなくなった。
その結果はひどいものだった。

まず筋肉の衰えが顕著で足元がふらつく。
よく転ぶようになって、友人たちの心配のもととなった。
急激に髪の毛が白くなったらしい。
美容院でグレーに近い色にしてもらっても、2週間すると金髪になってしまう。
記憶は遥か彼方に飛んで行ってしまい、昨日聞いたことも覚えていない。
楽譜が読めなくなる。
ヴァイオリンが重く感じるようになって、30分も立っていられない。
その結果は腕の筋肉の痛みや、音が出なくなるなどのもはや末期的な症状となった。

引退の文字がどんどん大きくなった。
そうだよね、15年前にこれが最後と言って自主コンサートをやってから、ダラダラとこんな年まで弾いてきたのだから。
そろそろやめても誰にも叱られない。
もう良いよ、よくやったと褒めてもらいたいくらい。
誰もが私のやることを心配そうに見ている。
スーパーのレジさんから、見知らぬ電車の乗客まで。

少し重いものを持ったり財布からお金を取り出したりすると、本当に親切に扱われるから本当に年を取ったのだと思う。
特に足首の痛みがあるから歩くのをやめていたら、脳みそまで歩くのをやめたらしい。
食事は実に簡素で、作るのが面倒だからフリーズドライの食品を愛用。
結果、作る時間は大幅に短縮。
5分もあればお湯が沸いて食べられる。
5分もあれば食べ終わる。
食事の楽しさなんてこれっぽっちもなくなった。
それでも基礎的な栄養は摂れて、生きていける。

夏の異常な暑さが終わり涼しくなった。
北軽井沢の家の環境も整って、来年、猛暑が来ても乗り切れる準備はできた。
すべてが一段落したけれど、ヴァイオリンを弾く時間は相変わらず少ない。
集中力が続かない。
楽器を持って立っているだけで筋肉が疲れる。
ヴァイオリンを弾くのってこんなに大変でしたっけ?

涼しさとともに食事にたいする欲求がでてきた。
久しぶりで自分で調理して、料理の面白さを思い出す。
野菜も食べ始めると、かつて大好きだったことを思い出す。
果物を摂るようになった。
だんだん、食生活が改善されてきた。

それにつれて、ヴァイオリンを弾く時間が長くなった。
立っていても疲れない。
20分くらいしかもたなかった練習が40分、1時間、そして2時間。
やっとすべてのペースが戻ってきたらしい。
まだまだ油断は禁物。
歳のせいにしていた足のふらつきも、だいぶ良くなった。

食べ物の持つ力は偉大。
バカにしてはいけない、ちゃんととれば力になる。
摂食障害と睡眠障害がセットだった。
片方が改善されると、もう片方が喜ぶ。
今日は久しぶりに2時間の練習。
どうやら自分が戻ってきたようだ。
1年半もかかったうつ状態からの脱却。
鬱といっても元々陽気な性格だから、単に怠けたいのを病気に仕立てただけ。

それでも異常なだるさややる気の無さは、やはり病気一歩手前だったと思う。
今日は久しぶりにプログラム用の写真を撮りに行った。
以前撮ったそれ用のものは、髪の毛がベリーショートで黒く、今の私は大分様変わりしている。
ステージに出ていったら別人と思われそうなので。

今までは渋谷のスタジオで撮ってもらっていたけれど、なくなったらしい。
先日近くを通ったら、看板がなくなっていたから。
ネットで探していたら、なんと我が家からたったの3分くらいのところに写真館が見つかった。
予約をして指定の時間に入っていったら「七五三ですか?」と言われた・・・
というのは冗談。

以前買ったのに着られないドレスがある。
なぜかと言うと、細身過ぎてお腹が目立つ、着物のような袖で楽器を弾くには適さない。
それではなぜ買ったかと言うと、きれいなグレイッシュピンクの厚手の絹で、ドレープが素敵に出る。
これを着るには「多少」ダイエットが必要。
単に体重が減るだけでなく、お腹が引っ込まないといけない。
とすると永久に着られないのではと思って、クローゼットに吊るしっぱなし。

写真は上半身のみで楽器を持つとお腹は全く目立たない。
せめて写真の中だけでも着たい。
それに最近の私の髪色はほとんど金髪。
ピンクと髪の色がとても映える。
撮ってもらうとやはりドレスと髪の色がよく合う。
写真を撮っただけで、もうやる気が出てきた。
ほんの1ヶ月ほどの食事の改善は、生きる力とやる気を呼び覚ましてくれた。
着られないと思っていたドレスも、ここで役に立った。

























2019年10月21日月曜日

銀座の紅茶

雪雀連のメンバーは大分亡くなったり、リタイアしたりで、生き残りはごく僅かになってしまった。
その残党は時々イベントがあると、痛む膝を抱えながら集まってくる。
最盛期には70名もの人数を誇った。
お正月の天元台に集まるスキーヤーの数が40人くらいもいて、雑魚寝の座敷には人が溢れ、私は度々押し入れで寝たものだった。
麻雀やる人、お酒を飲む人、喋る人、それぞれ勝手気ままに振る舞いながらも和気あいあい。
このクラブのおかげでどれほど楽しい人生が送れたことか。

メンバーの1人のHさんがコーラスに狂っていて、二つのグループを掛け持ち。
私達は彼女の所属するアマチュアコーラスのコンサートを聴いてからお酒を飲みに行くのが習慣となった。
ごく最近は浜離宮朝日ホールでのコンサート。
いいなあ、コーラスはメンバーの人数が多いから、こんな良い会場で歌える。

混声合唱団フェヴリエ第4回演奏会
                      指揮 島本啓太郎

*動物たちのコラール 第一集 作詞:宮沢邦子 作曲:萩原英彦
  小さいアヒルの祈り ちょうの祈り  のみの祈り
        小鳥の祈り     オウムの祈り

*カンタータ「土の歌」より「大地讃頌」作詞:大木惇夫 作曲:佐藤 眞

*大中恩作曲「混声合唱曲集」
   いぬのおまわりさん他全8曲

*混声合唱組曲「筑後川」 作詞:丸山豊 作曲:団伊玖磨
    1みなかみ Ⅱダムにて Ⅲ銀の魚 Ⅳ川の祭り Ⅴ河口

この合唱団の演奏会は前回も聴かせてもらったけれど、2年ぶりに聴くとその進歩がめざましく、かつて私が感じた欠点が改善されていた。
特に男声がきれい。
胴間声を張り上げる人がいない、女声も喉を固く詰める発声が少なくなってきた。
長く伸ばすと必ず音程が下がったのもなくなっていた。
最後の団伊玖磨さんの筑後川は圧巻だった。

このコーラスグループの今後が楽しみ。
今回楽しめたのは発声がはっきりしていて歌詞がよく聞き取れたからだと思う。
特に大中恩さんの曲は、ユーモアがあって明るくて素敵!

休日の昼下がり、雪雀連の残党5人でコーラスを聴いてから、東銀座の街角の新しげなインド料理店でビールを飲んですごした。
軽やかな休日。
食事を終えて駅まで行く途中に紅茶のお店発見。

私はずっとコーヒー党だった。
中々紅茶の美味しいお店が見つからなかったので、今までは諦めていた。
けれど、そのお店は明らかに上等な匂いがする。
店の中に入った途端に、良い香りが鼻をくすぐる。
そこは紅茶を飲ませる店ではなく、茶葉を売る店だった。

私は普段嗅覚障害でほとんど匂いがわからないのに、その店で紅茶の香りの違いが嗅ぎ分けられたのには驚いた。
特にアッサムのミルクティーが好きなので、何種類か出してもらって素朴な感じのする葉に決めた。
恐る恐る値段を訊くと、上等な日本茶の値段を少し上回るくらい。
うちで1人で飲むのだから少なくて良い。
50グラムだけパックしてもらった。
今朝、その紅茶を淹れた。
なぜか嗅覚障害はその時だけ治るようで、本当に良い匂い。
私がわがままで、自分の好きな匂いだけ嗅げるのかもしれないけれど、これ私の七不思議の一つ。
猫の生臭い匂いもわかるのだから。
















フクロウ喫茶?

近隣の街に所用があって商店街を歩いていた。
少し歩き疲れたので本屋で立ち読みしたりして足を休めていた。
ちょうど昼ごはんの時間、よく流行っているラーメン屋にでも寄ろうか。
覗いてみると中々の盛況で椅子が空いていないから諦めた。

そして見つけたのはなにを売るのかよくわからない店。
OWL TEAと書いてある。
漢字で耳猫鷹茶店(文字の順番が違うかも)
はい?この家はなに。
紅茶の販売か飲ませるのか、中を覗いてみた。
ガランとしたスペース。
コンクリートの床が寒々しく広がっていて、その広さに合わないテーブルと椅子の数。
店の真ん中が大きく空いている。
隅っこに二つのテーブルセット、そこに女子高生らしい二人連れが居るだけ。

入っていっても誰も出迎えがない。
いったい・・・
OWLはハリー・ポッターによく出てくる単語だからよくわかる。
訳すとフクロウ。
するとここがよく聞くフクロウ喫茶なのかしら。
でもフクロウらしい鳥は見当たらない。
壁にフクロウだかミミズクだかのデッサンが数枚、額に入って飾られているだけ。
耳猫鷹って、フクロウではなくてミミズクでは?

わけが分からないでカウンターに行って中を覗く。
このカウンターがやたらと高くて、私は首から上が出るだけ。
相手から見たら生首が置いてあるように見えそう。
カウンターにメニューが置いてあっても見えないくらい。
しばらくすると奥からきれいな女性が顔を出した。
ここはフクロウ喫茶じゃないの?
最初の質問をすると、ふくろう?なに?と返ってきた。
発音で外国人だということがわかった。

それから後はちんぷんかんぷん。
お互いに相手の言うことがわからない。
雇われ店員が外国人でも、普通は店長らしき人で日本語のわかる人がいるものなのだが。
見回すと他にそのような人もなく、結局ここにフクロウはいないこと、飲み物にはタピオカが入ってないから頼まないといけないことだけはわかった。
タピオカは興味ないから飲み物だけ頼んで、椅子に腰掛けた。
店内を見回すと、店の中央はおおらかに空いている。
店の面積に対して、テーブル数が少なすぎる。
買うだけの余裕がなかったのか、それともこれから発展していくのか。

やっと飲み物が届いた。
店員さんは太いストローで飲み物の蓋を突き刺そうと努力するのだが、刺さらない。
何回もやってようやく通る。
それにしても太すぎるストローで、ありったけの力で吸い上げないと液体が登ってこない。
そうか、ここはタピオカのお店なんだ。
太いストローでようやく納得した。
ストローが太いので、穴を半分唇で塞ぐと吸う力が少なくて済むことを発見。

店員の名札を見ると、女性の名前は劉さん。
中国人?
大きなガランとしたお店を言葉のわからない人に任せて、商売ができるのかしら。
全く日本語がわからないようだし、これでは廃業まで時間の問題。
時々通る人が覗いていくけれど、誰も新しい客は入ってこない。
ここは最近めざましく発展している商店街の一角。
これだけの広さなら、さぞお家賃も高いと見た。
中国人の商売上手は世界的にも有名だから、いつかは超はやりの店になるかもしれない。
劉さんが早く日本語を話せるようになって、お客さんが一杯入るといいけれど、そうなると日本人の店には脅威だなあ。

私には数人の中国人の知人がいる。
みなさん、とても頭が良くて素敵な人達だけれど、考え方が日本人とは根本的に違う。
自分の利害に敏感で、手のひら返しも悪びれずにやる。
それが悪いことではないという価値観だから。
日本人は義理人情、自分のことは後回しで外に良い顔をみせる。
けれど他の国の人達は、まず自分。
根本的な考えの違いで、どちらが良いとか悪いとかの批判はできない。
お互いの利害が一致すれば、本当に仲良くできる。
一歩そこを外れるといきなり手のひらを返されるのさえ我慢できれば、素敵な隣人でいられる。

そんなことを考えながら座っているといきなりBGM。
なんと森進一の「おふくろさん」と来た。
いやいや、あのね、今の日本でおふくろさんはどうもね。
タピオカ、女子高生、ふくろう、おふくろさん・・・ミスマッチの連続に、この場にもっともミスマッチなオババは考えた。
中国人のおおらかさは世代も流行も3000年の時空を超えて、滔々と流れているのよ。
少し残念だけれど、文明発祥の国への尊敬は変わらない。
世代の差なんて良いじゃないの。
3000年に比べれば50年なんて短い短い。














2019年10月16日水曜日

台風の余波

我が家の近隣の駅が水没して連日テレビで報道。
まだまだ台風お見舞いのメールが来るけれど、なんとドイツにいる友人夫妻からもメールをいただいた。
外国にまで報道が?とおもったけれど、日本人だから日本に友人、親戚もいることだし、知っているのは不思議ではないかと。
皆さん私だけでなく猫のことまで心配してくださるので、うちの子は猫冥利につきます。
ありがとうございます。
人付き合いの悪い猫で、誰も彼女を見たことはないのに。

うちに居たら、民生委員という人が訪れた。
独居老人の調査だそうで、今回のような災害が起きたときに助けを必要とするかなどの質問。
そのために実情を把握しておかないといけないということで。
ついに私も世間からお世話になるときが来たかと思った。
自分的には最後まで人の手を借りずすっきりと生きたいと思うけれど、実際足腰立たなくなるのは時間の問題。
それなのにどんどん手を広げているのだから、人生の収拾がつかない。
でも北軽井沢の家を建てたとき、ノンちゃんは78歳だった。
それから10年、ノンちゃんはあの家で幸せに暮らした。
今の私はその頃のノンちゃんよりも若い!

民生委員は定期的な訪問を希望するかと訊いてきたので、思わずいらないと答えてしまった。
それはしないでほしい、うちはセコムが毎日安否確認してくれるからだいじょうぶと。
失礼なことを言ってしまったけれど、穏やかに淡々と受け流してくれた。
こういう人たちの訪問を心待ちにしている人たちもたくさんいると思う。
私に構わず、そういう人たちのところへ行ってあげてください。

ある時、古いアパートのそばを歩いていたら、錆びついた階段の上からゴミ袋を投げ落としている人がいた。
ゴミ袋は軽いようで、転がり落ちてもかすかな音がするだけ。
なにをしているの?と声をかけたら「今日はゴミの日だから捨てるの」と。
でも近くのゴミ捨て場にはゴミがない。
「本当に今日なの?手伝いましょうか」と言って階段を上がった。
そこには、いっぱいゴミの詰まった大きな袋が。
家の中にもまだあるようだ。
透けて見えるその袋の中は、レトルト食品の箱、インスタントラーメンなどの袋など。
それっきり。
胸を突かれた。
一人暮らしの古いアパートで年金生活をすると、ここの家賃がだいたいこのくらいで、食べていくにはこのようなものだけになるのは仕方がないとしても・・・
それにしても。

その日はこのへんのゴミ収集の日ではなさそう。
それで、収集しているところに車で持っていくことにした。
ゴミ袋で車は一杯になった。
やっと収集日の場所を見つけて捨ててきた。

とても貧しいと思っていた一人暮らしのおばあさんが亡くなってみたら、畳の下から数億円のお札が見つかったなんて聞くこともあるけれど、そんな事は稀。

私も去年から今年にかけてレトルト、インスタント食品のお世話になった。
それは作るのが面倒、食べるのも面倒だったから。
最近やっと気を取り直して自分で料理をするようになった。
やはり下手は下手なりに、美味しい。
すると色々工夫してみたり、元々料理は好きだから楽しい。
一人暮らしは材料が余ったりして不経済。
それで手っ取り早くレトルトにとなるのは仕方ないとしても、そればかりで栄養的にも食の楽しさにもいけないのでは。

群馬県在住の友人からも台風見舞いのメール。
彼女の実家は河川敷でゴルフ場を経営している。
私は中学生の頃、そのゴルフ場で時々ゴルフをさせてもらった。
そこが今度の台風で大被害を被ったようだ。

そう言えばその頃にも、台風でそのゴルフ場が被害にあった。
あれはもう半世紀以上も前だった。
今回の台風は数十年に一度の災害というのは本当だったみたい。
河川敷だから時には軽い被水害は時々あるかもしれないけれど、今回はその比ではないらしい。

近頃想定外が多すぎる。
まあまあ治まったなんて呑気なことを言う政治家がいるけれど。































2019年10月13日日曜日

無事ですよ

いろいろなところから無事かえ?とメールやらなんやら。
はい、だいじょうぶ、家の前の川はちゃんとコントロールされているから。

夜中に流石に心配で窓を開けて覗いたら、始めは水位が上がっていったのが、暴風雨のさなかには少しだけ水位が下がっていた。
川の底の更に下に巨大な管が埋められていて、そこを増水した水が通っていくらしい。
どこかのバルブかなにかを開けてくれたか、自分でコントロールできる仕組みなのかはわからない。

この川というか用水路は、私が子供の頃には毎年氾濫した。
川沿いの家は洪水が起こるたびに、畳を上げたり家具を外に出したり大変だった。
私の実家は土盛りがしてあって、毎年周りが水没すると避難所になっていた。
水の中にぽつんと一軒家みたいに浮かんで、そこに近隣の人たちがボートでやってきた。
近所のおばさんたちがうちの大釜で炊いたご飯でおにぎりを作る。
握りながらの噂話。
支給された救援物資の毛布を、誰それさんは2枚取っていたとか・・・
おにぎりを何回も取りに来て、とか・・・
そんなこと言わなくてもと、無事な身の私は考えた。
近所の市営住宅の人たちは、1階が水に浸かって気の毒なのにと。

たしかにそういうときにずるく立ち回る人がいるかもしれない。
当時は戦後で国民が皆貧しいときだったから、我が家でもたくさんのお米を消費するのは生活に響く。
けれど、私の父が無類のお人好しで、そんなときも母の無言の圧力をものともせず大盤振る舞いする。
母は自分の子供達で手一杯なのに、父のせいで更に家計が苦しくなることをいつも嘆いていた。
母はそのためにえらく苦労したと思う。
それで子どもたちは全員母の味方となった。
私は随分父から可愛がられていたけれど、それでも母にベッタリで、父は寂しかったと思う。

情けは人のためならず、父は亡くなるまで近所の人たちから慕われていた。
地域に街頭を設置したり、家の前の雨水管などのことも父も奔走したのかも。
いつも水かさが増すと近所の人からなんとかしてと言われる。
うちは消防でも警察でもないのに。
それでも夜カッパを着て、何処かへでかけていった。
それでうまく持ち上げられて、地域のためにお金を使う。
先祖代々の資産はおかげでほとんど失くなってしまった。
その陰には母の涙と恨みがあることを本人は知ってか知らずか、いい気なものだった。
96歳で自宅のソファでテレビを見ながら大往生、眠るように逝った。

昨日川の水を見て考えた。
父は家族には良くなかったけれど、地域のために尽くしたので偉かったのかな。
男の人は大きなことを考える。
家族単位でなく社会全体のことを。
誰か1人は理解してあげないと父が可哀想。

昨日夜中に停電している地域の人から、車の中でスマホに充電しているとショートメールがきた。
お母さんが軽い認知症。
停電で暗いから母が機嫌悪くて困っていると。
言い聞かせてもわからないので、今夜は眠れそうもない、と。
ああ、こういう問題も起きてくるのか。
介護の苦労は計り知れない。

今朝は台風一過、凄まじい嵐が通り過ぎると明るい空が広がる。
私の激動の日々は過ぎたようだ。
色々あったけれど、気を取り直して生きていこう。
体はすっかり疲れてしまったけれど、気分は小学生。
ちょっと戻りすぎ?
そのうち幼稚園児になるから、皆さんよろしく!









自然の反乱

一夜明け、晴天。
これからまだ北の方の人たちは恐怖の経験をするかもしれない。
テレビの画面に映る惨状を見ると、これから寒さに向かう北国の人達の家が水に浸かり、体も濡れて震えている様子が目に浮かぶ。

日本は自然も政治もこれからどうなるのか、不安でいっぱいになる。
憲法改正を主張する人は、今考えなければいけないのは自国民の安全だけだと思うのに、ご自分の主義を実現するのに余念がない。
消費税が上がって、そのために不景気になるそうなのだ。
なんとかして税金を搾り取りたいらしい。
今回の自然災害で新しく家を建てなければならない人たちからも10%の消費税を取るの?
国民は踏んだり蹴ったり。
私はこのブログには政治や宗教のことは書かないつもりだったけれど、今回は怒りが爆発する。

安倍さん。
貴方はいつも安全な場所で生きている。
今回だって、水に浸かるような家には居ない。
真っ先に救われる立場にいる。
後の人たちが水に浸かっていようが関係ないでしょう。
年金が減る、年金の受け取りが遅れる、年金を弄んで破綻させた役人は誰一人罰を受けない。
貴方が戦争に向けて準備をしているのは誰もが感じている。
自衛隊法が改正されてアメリカに媚びて、彼らが戦場に送られるのは我慢できない。
原発の問題、森友の問題、都合が悪いときはマスコミの操作してまで隠し通す。
芸能人の離婚問題を何日にも亘って大騒ぎするマスコミが、そのような問題をすぐに報道しなくなる不思議さ。

ご自分の名前を後世に残したければ、自らがノーベル平和賞を受けられるような業績を残していただきたい。
あの下品などこぞの大統領に媚びへつらう貴方の姿を、私達は見たくない。
貴方の顔つきは日に日に悪くなる。
どうぞ長い目でこの国の平和を考えていただきたい。
あれほどの犠牲を払って手に入れた世界に誇る平和憲法。
それを自分の名を後世に残すために改正する?冗談じゃない。
日本が戦争をしないと言うから、近隣の国も攻撃してこない。
これで日本が脅威となれば彼らは攻撃してくるかもしれない。

アメリカの顔色伺う貴方の卑屈な姿は本当に下品。
もう、うんざり!
それなのにまだ彼に票をいれる人がいるのが不思議なのだ。

今回の日本列島をなめるように進んだ大型台風は、この国のあり方に警報を鳴らしているように感じた。
まだ真冬でなくてよかった。
少しは救われた気がする。
まだ間に合う。
憲法は改正してはいけない。








2019年10月12日土曜日

川が溢れそう

毎年川岸に桜が咲き、お花見で目を楽しませてもらっているけれど、いつもは水量の少ない家の前の川の水位がどんどん上がる。
これまでに経験したことのないような災害が迫っているという。
私の住まいは2階だけれど、車庫は下の階。
前の川が氾濫したら、せっかく買ったばかりの私のアマデウス・ノートは水に浸かってしまう。
保険の契約のときに日産マンに言われた。
今まで車両保険はかけた事が無いので今回もかけないと言ったら、今までの常識で考えられないような災害が起こりうる可能性があるからつけたほうが良いですよと。

なんだか実際にそんな感じになってきて、今すごく後悔している。
つけていれば心配も少ないけれど、今はドキドキなのだ。
こういう心配のために保険会社は儲かっているのだ。
もし、車が水に浸かってしまったらすべておじゃんになる。
古今亭志ん生の「火焔太鼓」の落ち「おまえさん、半鐘はいけないよ、おじゃんになるから」じゃないけど。

今テレビで見ていたら、群馬県の嬬恋村まで大雨特別警報が出ているそうなのだ。
嬬恋村と言えばノンちゃんの家のすぐ近く。
結局北軽井沢から帰ってきてもあちらに居ても、同じだったようだ。
今回あちらには楽器を持参しなかった。
あちらに居て自宅にある楽器のことを心配するより、自宅でヴァイオリンを弾いていたほうが良い。
それだけは良かった。

しかし、よく報道されるのは、近所を見に行って転んで病院へ搬送とか、田んぼの様子を見に行って用水路に落ちて死亡したとか聞くけれど、なぜそんなときに外へ出るのかわからない。
見ると被害が少なくなるなら一生懸命見に行くけれど、そうでなければ絶対外には出ない。
特に高齢者に被害者が多い。
家族は高齢者を外に出さないように注意しないといけない。

今朝野良猫に餌を持っていったら、彼らは賢い。
いつもの待機場所には人っ子一人、猫っ子いっぴきの姿もなかった。
うちの猫は朝からずっと押入れに引きこもって出てこない。
テレビも見ないのに、なんで状況がわかるのか。
もし川が氾濫したら、彼らは当分餌にありつけない。
今頃お腹をすかせていると思うと、可哀想になる。

渋谷の友人から電話がきた。
大丈夫?というから大丈夫じゃない、怖いと言ってしばらく話していた。
北海道の姪が、家の前の川は氾濫しない?と言うから、気にせずお酒飲んで寝るっきゃないと答えておいた。
私が止められるわけではない。
北海道には台風がこれから行くのだから、そちらこそ気をつけて。
メールが届く。
心配してくれる人たちは私の頼りなさを知っている。
特に最近体も心も弱っているから慰めてくれる。
しかし、優しくされるより、こういうときに積年の恨みを晴らそうといじめてくる人がいるほうが、私は元気になるのだ。

相模川ダムの放水が始まるらしい。
これで又二次災害になる可能性も。
スマホがけたたましく警戒音を出している。
避難所には行く必要はないのでヴァイオリンを弾いたりしているけれど、心中は穏やかではない。
傍から見たらこんなときに呑気に音楽なんてと言われそうだけれど、こういう時にこそ音楽なのだ。
子供の頃は雷が怖くて、遠くで雷鳴がすると、いつも練習を始めたものだった。
ヴァイオリンを弾いていれば雷も怖くはない。
精神安定剤の代わりに練習をするので一石二鳥。

猫もまた、心配事があるときに毛を撫でると、動悸が収まる。
猫とヴァイオリンは私にとって、強力な癒やしのグッズ。









2019年10月11日金曜日

台風の恐怖

穏やかな楽しい時を過ごしてきた今週。
台風が来るから早く帰ろうと北軽井沢からかえってきたけれど、帰らないほうが良かったかもしれない。
どちらに転ぶかは運次第。
猫にこれから北軽井沢に帰ろうかと言うと、呑気にお腹が空いたと返事が返ってきた。
夕方、近所のデパートの電気やさんに行ったら、すでに懐中電灯や電池で点く電灯はすべて売り切れていた。

スマホを目一杯充電しておいて、懐中電灯が見つからないときに使えると思うけれど、ずっと使っていればスマホも消えてしまう。
それで単三電池をたくさん買い込んできた。
悔やまれることは北軽井沢に電池式のランタンと強力な懐中電灯を置いてきたしまったこと。
持ち帰ろうかと思ったけれど、まさかこんなすごい台風が来るとは思わないから。
あそこにはテレビが無いので、情報が入らない。

すべての充電で動く機器をを今のうちに充電して、灯りを確保しようか。
でも最近の台風での停電を見ると、復旧にえらく時間がかかっている。
多少のことでは暗闇を回避できないかも。

怖い!
普段呑気にしているけれど、最近のはげしい気象状況からみると安心はしていられない。
たった1人で暗闇に耐えるのは耐え難い。
気を紛らわすために本を読んだりスマホをいじったりしても、いつまで電源がもつかはわからない。
猫はいいなあ、暗闇でも字が読める。
いや、読めないけれど見える。
字が読めたら読みきかせてほしい。
いつもトイレの始末させられて、こんなときにも役立たない猫。

いつもは怖いことも無いような生活をしているので、テレビの情報を見れば見るほど怖い。
想像を絶する凄まじさらしいので。
関東地方は台風に関してはほぼ安全地帯だったのに、先日の千葉県の惨事を見ると、我が家の付近も決して安全ではないようだ。

子供の頃、自宅の庭の大きな杉が台風で倒れたことがあった。
その無残な姿が脳裏に浮かぶ。
泣きたくなるほど怖い!怖い!怖い!
これだけ騒いでおけば台風が少しは気を使ってくれるかもしれない。

いやだなあ、暗闇で何日も過ごすのは。
千葉県の人たちはダブルパンチ。
やっと停電が解除したと思ったら又停電なんてことにならないといいけれど。
こんな時、ろうそくは役に立つ。
原始的なもののほうが結局自然の脅威には強いのかも。
3・11の時、我が家の階段にろうそくを置いたことを思い出す。

とにかく2日間、我慢の子になっておとなしくしていよう。
















バーベキューと米寿のお祝い

前日までは時々雨がちらつくこともあったけれど、おおむね天気は晴れ。
しかし、今朝は違った。
私が北軽井沢に来るようになってから一番の好天気。

朝4時。
目が覚めると4人のお客さんのために朝食の準備を始めた。
キャベツを細かく切る、トマトを洗う、卵を溶いてオムレツの準備、下ごしらえができたところで玄関を開けて外を覗くと、木の葉の間から輝かしい光が見える。
木の葉がびっしりと空を覆っているから、チラチラと宝石箱を開けたようだ。
快晴のいちにちの始まりだった。

もうたまらない。
表へ飛び出した。
風もなく暖かい。
見慣れた森の景色がなんと美しいことか。
足は相変わらず痛いけれど、いつもよりは軽い気がする。
散歩を終わって家に戻ると、コーヒーを沸かし、自分用には紅茶を淹れて客人が起きてくるのを待った。

今日はノンちゃんのバーベキューの日。
彼女が大好きだったこの家で、バーベキューをするために集まるのは雪雀連の飲兵衛たちとお隣さん2人の総勢9人。
私達は会長山田さんのおかげでどれほど楽しい時間を過ごしたかを考えると、その感謝を形にしたいと、バーベキューとともに会長の米寿のお祝いをすることにした。

そして山田さんのお嬢さんのMちゃんの運転する車が到着した。
ノンちゃんの大好きだった庭の大木のもとに集まって、ノンちゃんを偲んで献花をした。
それが済んで乾杯。
1時間も前から用意していたバーベキューコンロの備長炭がそろそろいかがですか?と赤い顔をして言う。
おまえさん、もう飲んだのかえ?

今回、本当に頼もしい助っ人がいて、保険会社勤務のNさん。
背が高く力もある彼女はレガッタの一員だそうで、頭の回転が早く運転が上手とくれば、今回の功労者として表彰したいけれど、賞品はありがとうの一言だけ。

大きな車にキャンプ用品を満載してきて、さっさとセットしてくれた。
私だったらとても不可能だった。
庭にシートが敷かれ、小さなテーブルと椅子、食器類など、あっという間にそこはノンちゃん食堂。
雪雀連はどんなときでも誰かしらその道の達人が揃っている。

肉を焼く係は飲兵衛のあおちゃん。
飲んでなのか火が熱くてなのか赤い顔して焼いていると、お隣の料理の達人が炭の置き方についてうんちくを傾ける・・・とまあ、なかなかの賑わい。

肉は量といい種類の豊富さといい、前日行った肉屋の店員さんの計算がどんぴしゃりあたった。
餅は餅屋、肉は肉屋とまあ、その道の人が言うことを聞いておけばハズレはない。

私がこの地を訪れるようになってから最高の気候。
暑くも寒くもなく抜けるような青空、無風。
ほぼ肉を食べ尽くしたところで休憩。
この休憩がセレモニーの時間になった。

生クリームのケーキの代わりに用意してあったバウムクーヘンをお祝いに贈呈。
そして88本のと言いたいところが無理なので8の字をしたろうそくを2本立てて火をつける。
山田さんは思いがけない展開に驚いている。
火を吹き消してから御礼の言葉。
誕生日が過ぎても誰もお祝いしてくれないと思っていたら、まさかこんなところでしてくれるとはと、本当に嬉しそうだった。
本来なら大きな会場で大勢の人に集まってもらってお祝いするべきところだけれど、こんな素敵な誕生祝いはまたとない。
森の中の誕生会、リスの家族みたいじゃないですか。

リスの親分とお嬢さんのMちゃんが帰ってから、私達は近くの浅間大滝まででかけた。
私はいつもここに来てもすぐ帰るというパターンだったので、今回初めてこの滝を見た。
なんとなんと素晴らしく豪快な滝で、観光客の姿が無いのが不思議。
クマ注意の看板がリアルに感じられる。
それから武蔵川温泉にいって、私はお風呂で滑って肘を強打したけれどかすり傷のみ。
今年はよく転ぶ。
転んでも大きな怪我をしないのが特技なのは、猫だから?

そう言えば、猫は初めての大勢のお客さんに怯えて、日中はクローゼットのカーテンに隠れっぱなし。
夜中に寝室を歩き回っていた。
見ていると隣のベッドに寝ている人の上をズシズシと歩いて顔を覗き込む。
おや?飼い主とは違うなあ、ちらっとこちらを見る。
あら、やだ、人違い?

次の朝、朝食後に八ッ場ダムまででかけた。
このダムは工事が途中中断されて、出来上がる頃にはもう必要でなくなるとかいう話も聞くけれど、壮大な税金の無駄使いにならないためになんとかしてほしい。
私はもう少し逗留するつもりだったのが、前日の電話で台風のため女子会の延期の知らせ、更にひどい台風だから早く帰っていらっしゃいとの言葉で、帰宅を早めることにした。
もしかしたら北軽井沢にいたほうが良いのかもしれないけれど、日曜日に仕事があるので帰れなくなると困る。

ノンちゃんホテルの客は皆ニコニコして帰っていった。
・・・と思ったら、私が後片付けをしてから高速に乗って、いつもはまっすぐに帰るところを珍しく横川のサービスエリアに寄ったら、なんだか見慣れた顔が!
おやおや、縁路は続くーよー、どーこまーでもー、ですか。




















2019年10月8日火曜日

佐久平のコスモス

軽井沢のY子さんにバーベキュー用の買い出しに付き合ってもらう。
北軽井沢から白糸の滝を抜けて軽井沢まではあっと言う間。
朝食をお気に入り軽井沢のエロイーズカフェでとった。
Y子さんの友人のTさんも同行して3人で3種類のメニューとサラダ。
フレンチトースト、野菜たっぷりのキーマカレー、ふわふわのオムレツ。
アボカド入りのサラダ。
どれも美味しかったけれど、感激はオムレツ。

卵はメレンゲのような食感に中身のベーコン、じゃがいも(皮付き)がカリカリで、いつ行っても行列ができるのもうなずけるおいしさ。
ワンちゃんがいるので他のお客さんに迷惑にならないように、私達は隔離された場所に座る。
ここが庭が見渡せる特別席。
木々はもう秋の気配で柔らかな色調となって、夏の疲れを癒やしてくれる。
避暑客が去ってもまだにぎやかなのが軽井沢。
それでも街に静けさが戻って、一番良いのは今頃の季節かもしれない。

のんびりと朝食を終えても、もうワンコースいけるかもと健啖家の私達。
ボリュームはたっぷりなのにあとを引くほど美味しかった。

そこからは佐久に向けてのドライブが始まった。
Y子さんは名ドライバー。
大きな高級車がびゅんびゅん走る。
以前彼女の車の後ろに従いていったら、白糸の滝の曲がりくねった山道をガンガン登っていった。
私のオンボロシルフィーはそれでも健気に走る。
取り残されまいと必死で走ったら「あおり運転なさいませんでしたか?」
言葉は丁寧だがこわい!

目的はバーベキュー用の肉を調達するために評判の良いお肉やさんへ。
追分からサンラインへ曲がり、ひたすら走る。
しばらくすると眼下に佐久平の景色が広がる。
日本の山はなだらかで美しい。
まわりの植物もいかにも秋めいて、郷愁を誘う。
秋といえばコスモス。
所々に群生している。
なにを主張するでもなくひっそりとしているのに抜群の存在感がある。
生まれてはじめて九洲に行った時、鄙びた駅のホームにコスモスが咲いていたのをよく覚えている。

お肉の前にぶどう園によって摘みたてのぶどうをゲットすることに。
ぶどう棚のあるビニールハウスは、かつて行ったシルクロードの街ウルムチを思い出させた。
中国の中で、私の印象に最も残っている美しいエキゾチックな街だった。
その街は中国政府から弾圧を受けていると聞いて、悲しい気分になった。
今はどうしているのだろうか。

試食用のぶどうは本当に新鮮で甘く、次々に手がでる。
そこでも食い意地を存分に発揮する3人。
ワンちゃんは外に繋がれてつまらなそうにこちらを見ている。
ぶどうではつまらないと思っているようで、おとなしい。
悪いわね、人間は雑食動物だからなんでも食べて。

往路を戻る形で肉のお店へ。
店員さんが親切に対応してくれる。
10人ほどでバーベキューをやりたいのでと言うと、手慣れたもので、色々組み合わせてくれて簡単に買い物は済んだ。

そこからチーズのお店によって、カフェでマスカルポーネチーズのシュークリームとアッサムティーをたのんだ。
シュークリームは中のクリームの個性が強いので、皮のほうも対抗してかなりコクがある。
これはこれでとても素晴らしいけれど、私は安い100円くらいのシュークリームのほうが身の丈にあっているようだ。
紅茶のほうは素敵に美味しかった。

あとは北軽井沢の農園直売所に行って野菜を調達すれば良い。
朝採れたてのとうもろこしやキャベツなど、信じられないくらい新鮮で安い。
都会の野菜がどれほどたらい回しされて古くなってから店頭に並ぶかということがよくわかる。

あとは仲間がぞろぞろと集ってくるのを待つばかり。
雪雀連の会長の山田さんは今年米寿。
そのお祝いも兼ねてのバーべキューだから、どうぞ雷様達お手柔らかに。
降らないで鳴らないで。




































2019年10月6日日曜日

ノンちゃんのバーベキュー

私が受け継いだノンちゃんの家は、北軽井沢の森の中。
庭の真ん中に大木が枝を広げ、この木がノンちゃんのお気に入りだった。
寝室は1階もロフトも寝ながらこの木が眺められるようになっている。
真夜中目が覚めて外を見ると、くろぐろと空いっぱいに枝が広がっていて、せっかくの星空が見えないくらい。
木の葉の隙間からかろうじて光るものを見つける。
もっともたいていお天気が悪くて晴れる日はあまりないから、枝がなくても星が見えることは少ない。
湿度が多いから塩などをちょっと外に出しておくと、すぐに固まってしまう。

そう聞くとジメジメしたいやな印象だけれど、そんな事はなくて、私がここを気に入ったのは心を洗われるような滴る緑。
窓から見えるのは木だけ。
柔らかい薄緑色の海の中に漂っているような印象の森に囲まれて、時の経つのを忘れる。

ノンちゃんは去年の夏、突然亡くなってしまった。
本当なら今年も一緒にこの木々を眺めているはずだったのに。
彼女はこの家を建てた時、親しい仲間たちと庭でバーベキューをしたいと思った。
最初にバーベキューをやったときは、まだ私達はもう少し若かった。
庭で大騒ぎして楽しく過ごしたけれど、ノンちゃんはその時にはかなり高齢だったから、1人では準備ができない。
それで毎年のように「私バーベキューをしたいの。nekotamaさんやってくれない?」と言い続けていた。
私もぜひやってあげたかったけれど、まだ仕事が忙しく、時々遊びに行ってもせいぜい2泊しかできない。
とても準備や後片付けはできない。
それで毎年引き伸ばしていた。

やっと時間の余裕ができたら、ノンちゃんはもういない。
孝行をしたいときに親はなし、とよく言うけれど本当のこと。

ノンちゃんがいなくなってからでは仕方がないけれど、私の気が済まないから皆さんに北軽井沢まで来てもらうことにした。
次の水曜日、仕事を休んだり忙しいのでとんぼ返りだったりの仲間たちが集まることになった。
よくまあ、こんなところまでようこそ。
バーベキューの道具はアマゾンで買った。
意外と安いのでよかった。

肉は評判の良いお店があるというので、そこで調達することに。
野菜はこの辺お手の物。
なんたって嬬恋のキャベツって有名でしょう。
お隣さんがおつまみの用意をしてくれるらしいので、お願いした。

当日は雪雀連の会長とお嬢さん、体調が良ければ奥様も一緒に見えるという。
東京からは数人が来てノンちゃんの家に泊まる。
布団足りるかなあ。
それよりも猫がパニックになりそう。
でも慣らさないといけない。
後はお天気が良いことを祈るのみ。

この家を人が集まる拠点にしたい。
志賀高原や草津方面にもすぐに行ける。
浅間は直ぐ側で大きく見える。
嬬恋のキャベツはおいしい。
水は絶え間なく溢れ流れている。
山なので天候の変動が激しいのは魅力でもあり、困ることでもある。

温泉が至るところにあるし、おしゃれなカフェもここ数年で増えてきた。
良いホテルもある。
軽井沢のようにセレブが集まるわけでは無いが、沢山の文化人がここを愛し住んでいる。
大学村もある。
最近はとんでもない気候変動があるけれど、浅間山の噴火以外の心配事はない。
もっとも、それが一番怖いかも!
気温が低く山はなだらかで崖崩れしそうもない。
山の上なので洪水の心配はサラサラない。

交通が不便な分、静けさと穏やかさがある。
良いところです。
田舎暮らしに憧れてではない。
体力もないのに畑仕事なんてできる?
虫も嫌いだし。
近所の直売所で、新鮮で安い野菜が買えるのに自分で働く必要はない。
澄んだ水と美味しい空気のために行くのだから。
人間に最も必要なものがここにはある。































黄色い車

ノンちゃんのバーベキューのために昼過ぎ自宅を出発した。
うちの猫姫様はもうすっかり車に慣れて、走り出してもにゃんともすんとも言わない。
どうやら北軽井沢がお気に入りらしく、到着するとさっさと自分の定位置のわたしのベッドの真ん中を占拠する。

今日は新しいクルマ、日産ノートで初の長距離運転。
取説を見ない私は数年かかってやっといろいろな機能をマスターする。
そんなことしないで最初からちゃんと説明書読めばいいのにとお思いでしょうが、そうはいかない。
最初のページを開くと、まず目が拒否する。
頭も悪くなる。
日本語が理解できなくなるとまあ、拒絶反応の大安売り。

前に乗っていたシルフィーはそれはもうよく言うことをきく車だった。
山道を登る時、ブイーンとエンジン音を立てながらどの車よりも健気に走る。
自分の手足のように思えた。
しかしそのボディーには無数の傷があって、洗ってもらえるのは定期的な整備に出したときだけ。
持ち主は電柱やポールにすり寄るのが得意で、しかもかすり傷は意に介さない。
エンジンとブレーキと足回りがちゃんとしていればいいでしょうとほざく。
可哀想なシルフィーはそれでも素晴らしい走りをした。
足元はミシュランのタイヤを履かせてもらい、とても10年も使われたとは思えない走りを見せた。

持ち主としては後10年乗りたかった。
それで運転をやめようと思っていた。
しかし、たぶん車屋さんと政府の陰謀だと思うけれど、高齢者の事故を毎日ニュースで流されると、だんだん自信がなくなってきた。
やはり自分でもどこかにこのままではいけないという意識があるから、それに付け込まれて洗脳された。

シルフィーを買ったときから日産の担当者が、毎年のように新しい車の宣伝をしかけてきた。
それを毎年のらりくらりとかわし、とうとう10年持ちこたえた。
ここで新しくしないとシルフィーは後もって5年。
次はもう新車を買うのはもったいない。
けれど、運転技術がどんどん衰えていくのに、更に高齢になってから中古車では危険かもしれない。
というわけでやっと替える決心をした。

黄色いボディに黒いルーフ。
シルフィーより一回り小さい。
色は日産マンが勝手にきめていた。
色は?と言ったら「黄色になりました」
あるいはこの色が売れなくて残っていたとか?ではないとは思うけれど、この年になって初めて雪道に挑戦しようと思うから、目立つ色のほうがいいとは言っておいたので、そうなったようだ。
普段は4駆ではないけれど、必要なときは車が勝手に判断して4駆になるそうだ。
ブレーキを踏まなくてもモードを変えることによって、エンジンブレーキがかかるようになっているらしい。
今日は初めて山道の下りで使ってみた。
他の車は度々ブレーキを踏むのに、アクセルから足を離すだけで急激なブレーキがかかる。
マニュアル車のエンジンブレーキとおなじように。
このエンジンブレーキ様の装置は実に素晴らしい。

北軽井沢に行く途中に急な下り坂があって、しかも距離が長い。
そこに差しかかると急加速するから、度々ブレーキを踏む。
それが煩わしかった。
中軽井沢から北軽井沢に向けての急な上りや下りの連続が、これで随分楽になった。

ドライブレコーダーが備されているのはうれしいけれど、これで独り言や他の車に向けて悪態がつけなくなった。
まだ再生していないけれど、見たら随分恥ずかしいと思う。
他の車に「このへったくそー、もたもたするなー」とかはもう言えなくなった。
動き始めて時間が経過すると「そろそろ休憩しませんか?」と女性の声で言うから「まったく余計なことを!」と毒づいていたのも、もちろん入っている。
うわー、ストレスたまりそう。

新しい車でも運転そのものはすぐに慣れる。
けれど新しい装置は斬新で、どのボタンがどれに対応するのかはまだ全然わからない。
途中で野菜を買うために農園直売所によって車を降りようとしたら、しきりに警告音が鳴る。
あら、どうして?
無理にロックしようとすると大騒ぎ。
しかたがないからそのまま放置して野菜を買って車に戻った。
エンジンをかけようとしたら、なあんだ、エンジンを切らないでロックしようとしていたのだ。
ハイブリッドカーだからエンジン音がしないので、気が付かなかった。
これからどんなことをしでかすことやら。
























2019年10月5日土曜日

サプリメントの恐怖

つい数日前に終わった古典音楽協会でのソロは、自分の中では大失敗!
本当に思うようにはいかなかったけれど、皆さんは親切だから叱られない。
それがますます落ち込む原因なんだけど。
自分でもあまり良くなかったのがわかっている場合、同情されていると思うと、あまり気分は良くない。
それでも心からという表情で褒めてくださる方も・・・いやはや皆さん芝居がお上手。

なんで今回調子が良くなかったのかと原因を考えた。
さんざん考えた結果、思い当たったのが最近飲み始めたサプリメントだった。
夏の暑さに滅法弱い私は、9月は毎年死んだようになる。
だるさとか胃腸の不調とか、憂鬱な気分とかに悩まされる。
それで、ソロがあるのだから少し元気になりたいと思って始めたのが、某社のサプリメント。
糖質をカットして体力増進、免疫力アップをうたった宣伝に乗せられた。

糖質カットならもしかしたら痩せられるかもしれない。
今回細身のドレスを着るので、痩せてお腹が目立たなくなったらすてき!
そんなわけで本番2週間ほど前から、服用を始めた。
飲んで30分ほどで身震いするような感覚に襲われた。
よく寒いとか怖いとかではなく、興奮は体内から突き上げてくるような変な浮揚感があった。
その後体温が上がったようで皮膚表面を触ると熱い。

その夜から私は急にロングスリーパーになった。
いつもより睡眠が長く、目が覚めてもその後食事をすると耐え難い睡魔に襲われる。
そしてまたぐっすり。
よほど夏の疲れが激しかったのだと思った。
睡眠時間が長くなると、寝ても寝ても寝たりない。
一番顕著だったのは頭痛。
私は頭痛持ちではないし、高血圧でもない。
だからこれは脳内に軽い出血とかなにかがあるのかもしれない。
そう思っても、その頃はとても暑かったのと忙しかったので、病院で検査を受けることも忘れていた。

そうやって迎えた当日、目が霞んでよく見えない。
その日も長時間眠った。
こんなに寝ても頭痛が治らない。
台風が発生していると言うので、低気圧のせいかとも思った。
それにしても少し変だから演奏はやめる・・なんてことは絶対できない。
今までの練習や皆の協力のことを考えたら、ステージで倒れればそれでお客様は納得すると思うけれど。

ええい、ままよ!
コンサートマスターに今日私は超絶目が見えませんので、失礼なことがあるかもしれませんと予めお断りした。
思えばそんなことを言わなければよかった。
彼の立場から言えば、本当に不安だったと思うのに。
プログラムが進んで自分のソロの番になると、かすかな震えが体に感じられる。
手に力が入らないので、音が響かない。
なんとか弾きおおせたけれど、テンポがおそすぎてしまらないことに。

少し落ち込んだけれど、長年に渡る演奏活動の中ではときにそんな日もあることだから、次は頑張ろうと気を取り直す。
原因を色々考えて、思い当たったのがサプリメント。
やめてみたら、さっそくショートスリーパーに戻った。
そして体の震えも頭痛もなくなった。
視力はそろそろメガネを変えないといけないと思うほど悪くなっていたのでさほど変化はなかったけれど。

ばかだなあ。
体力が人一倍ないのに、強い作用のあるサプリを飲んだら効きすぎることくらい予想できなかったのか。
急に眠りが長くなるのは不自然、その理由を考えなかったのか。
本番までの体調管理は本当に大変。
演奏も体力・精神的にも頂点に持っていかないといけない。
そうでないと沢山の聴衆の前で自信をもって弾くことはできない。
今回の失敗は、長年の経験を活かしきれなかったことにある。
突然変なものが体に入ってきたら、体はとまどうに決まっている。
せめて使用量を半分にしておけばよかったのに。

今朝試しにもう一度サプリメントを飲むと、30分ほど後にかすかに震えと体温上昇が始まった。
世間的に認められている会社の薬だし、悪いというほどの作用ではないかもしれないけれど、楽器の演奏のように集中力を要求されるときには、作用が強く出過ぎるのかもしれない。

唯一の救いは、優れた職人の手で楽器が調整されていたこと。
梅雨から夏にかけて湿度のため表板に剥がれが生じていた私の楽器が、若い職人さんのおかげで見違えるように鳴るようになった。
おかげでいつも音だけは褒められる。
それは私の腕ではなく、楽器職人さんの腕なのに。
ただし、私の楽器のように気難しい楽器は鳴らすのも一苦労なのですよ。
と、最後にひとこと言い訳させて。




















2019年10月4日金曜日

独居老人

いまや一人暮らしを堪能している身なので、万一に備えてセコムのセキュリティーを使っている。
防犯、火災報知などの他に、在宅なのに12時間人の動きが無いときには電話がかかって安否を確認してくれる。
どのように安否の確認をするかと言うと、動くものに対するセンサーが部屋を監視。
この時間の長さはそれぞれ設定することが可能。
電話に対応がない場合、警備員が駆け付ける。
孤独死した老女を発見。
とまあ、こういった仕組み。
ちなみに猫は小さすぎてセンサーには反応しないらしい。
私も小さいからもう少し縮むと反応しなくなるかも。
ああ、はいはい、横幅あるから大丈夫なのね。

もうおわかりかと思うけれど、こういうことが苦手な私は度々ヘマをしでかす。
これは私じゃないけれど・・・
去年私がニューヨーク旅行を楽しんでいた間、どうやら大騒ぎがあったらしい。
留守中、猫さんは近所の姉とうちの部屋の上の階の人に面倒を見てもらうことにした。
それぞれに部屋の鍵と安全装置の鍵と渡して呑気に旅している間に、警備員が駆け付ける騒ぎになったらしい。
帰国したら警備会社から知らせが届いていて、騒動を知った。

その後も度々、早朝に電話がかかってくる。
早朝の電話というのは本当に心臓に悪い。
そのような時間の電話は、近親者の一大事とか、とんでもない出来事でかかってくることが多い。
真っ先に高齢の兄と姉のことが頭に浮かぶ。
飛び起きて電話に出ると「ご無事ですか?」と。
は、なにが?
ああ、私のこと?
電話に出るくらいだから無事に決まってるじゃん・・とは言わない。
ああ、すみません、又やりましたか。

私は普段の生活をする部屋の他に、仕事用にもうひとつ階段を挟んで向かい側の部屋を使っている。
そちらにも動くものに対するセンサーが入っている。
部屋を留守にするときに外出の設定にしておかないと当然部屋に人がいることになり、12時間以上動くものがないと倒れているとみなされる。
仕事部屋を外出設定にしておくのを度々忘れる。
たぶん警備会社のブラックリストに私の名前が載っているのではないかと思う。
そのうち本当に倒れても「またあのひとか。ほっとけ」となるかも。

ある時、お蕎麦を茹でるのに大量のお湯を大鍋で、その隣でヤカンにもお湯を沸かしていた。
湯気がもうもうと部屋中に充満したら「火事です!火事です!」
ものすごい勢いで警報が鳴り、すぐさま電話がかかってきた。
「どうしました?大丈夫ですか」
すみません、湯気が・・・悪いのは湯気なんです。
受話器に向かって頭を下げる。
しかし、この反応の速さには感心した。
これで「又あのひとか」がふえた。

警備会社には迷惑かけているけれど、心強い。
近所の家で以前よく警戒音が鳴っていたけれど、最近聞かない。
面倒くさくなって契約を解除したのだろうか。
私の家にはろくなものが無いから、泥棒さんは入るだけ時間のむだ。
ただ私が倒れたとき、長い間見つからないのは困る。
猫がお腹すかせるし。

最近になって、生まれて初めて一人暮らしをするようになった。
大家族でにぎやかに育った私は、本当に寂しい。
けれど、実に快適。
真夜中に目が覚めると、家族に気兼ねしてベッドの中で過ごすことが多かった。
そんなこともしなくていい。
さっさと起きて夜中に1人酒盛りしたり、煌々と電気を点けて体操したり。






2019年10月3日木曜日

手助け

サントリーホールのコンサートの前に六本木一丁目付近のカフェでお茶を飲んだ。
大きなテーブルの端っこに座っていたら、私の向かいに車椅子の男性が座った。
相当体が不自由らしく、車椅子をテーブルにまっすぐに向けるのも大変そうなのだ。
始めは手伝おうと思ったけれど、非常にしっかりした人のように見えたから、黙ってみていた。
むやみに手を出すのも良くないと思ったので。

やっと車椅子が収まって、店のスタッフがケーキとコーヒーを運んできた。
すると添えられたあったスプーンを手に持とうとしている。
見ると指は全て曲がってしまい、両手とも握った状態だから指の中にスプーンを入れるのも悪戦苦闘している。
私がなおも見ていたら、こちらをちらっと見た。
そこで声をかけようと思ったけれど、そういうことを喜ばない人のように見えたので、なおも黙っていた。
彼はまず、スプーンをかろうじて口に咥えた。
口からぶら下がったスプーンを自分の握られた指の隙間から押し込む。
何回も手順を踏んでやっとスプーンは彼の握りこぶしの中に入った。

これも何回も練習したのだろう。
うまいものだと感心して思わず拍手をしたくなった。
その人もしてやったりという表情。
そして今度はケーキの上にあった紙のデコレーションを取り除こうとした。
しかし、紙は薄くて小さいのでこういう繊細なものは無理なようなので、やっと手助けすることにした。
向かい側から手を伸ばして取り除くと「ご協力ありがとうございます」と明るい声でお礼を言われた。
なにかお手伝いしますか?と訊いたけれど返事はない。
「そのケーキ私が食べて差し上げましょうか?」と言われると思ったらしい。

それからケーキを食べコーヒーをストローで飲んでいた。
温かいコーヒなので熱くないか心配したけれど、少しずつ用心して飲んでいるから大丈夫と見た。

体の不自由なひとを見たらすぐに手を出したくなるけれど、ご本人が喜ぶかどうかわからないから様子を見ることにしている。
この人は自分でなんでも工夫して解決する性格の人と見たから、最小限の手助けしかしなかった。
多分リューマチとかそのような病気で手の骨が曲がってしまったのだろうと思う。
以前駅の改札口で白い杖のひとを見たから、お手伝いしましょうか?と声をかけて病院まで誘導したことがあった。
その人はなんだか少し見えているようで薄笑いを浮かべられて、それでもありがとうと言いながらさっさと病院に入っていったので、余計なことをしたらしい。

私は最近髪の毛を薄い色にしたら、電車で席を譲られ、店のレジでは一緒にお金を数えてくれて、買い物をカートに入れてくれてと、周り中が親切にしてくれるのがいささかうざい。
保護されすぎて緊張感がなくなるのが怖いから、なるべく親切にしないでほしいと思う可愛げのない年寄りなのだ。
本当に手助けがほしいときには大声で助けを求めるので、そのときはぜひ助けてください。
先日ホームセンターで買い物をしたらレジのお姉さんが「これはベッドパッドですよ」とか言うから「そんなこと知っとるわい」と言おうかと思った。
知らないものを買うわけないでしょう。
実に優しげに言うけれど、表情は冷たい。
気持ち悪いこと甚だしい。
デパートでもベッドスプレッドを物色していたら「これはベッドの上にかけるものです」
なんでわかりきったこといちいち言うの?
私はまさしくベッドスプレッドを買いたいのでここにいるわけで。
虫の居所が悪いと文句言うけれど、最近は穏やかになってきたからハイハイ。
でもその売場ではもう買わない。

多分管理者たちは、高齢者には噛んで含めるようにものを言うように店員を教育するのだろうけれど、それが高齢者をだめにすることに気付いておられないようだ。
本当にできない人には全面的に手を貸してもらいたい。
しかし、大部分の人は自立できているから、助ける必要はない。
這ってでも階段の上り下りできなくなったら、そのときはおんぶしていただきたい。

サントリーホールに入ったらさっきの車椅子の人がいた。
体が不自由でも、こうして1人で音楽を楽しみに来ることのできる人なのだ。















イ・ムジチ合奏団

チケットを頂いたのでサントリーホールへでかけた。

モーツァルト:ディヴェルティメント K136
ヘンデル:オペラ「ジュリオ・チェーザレ」から、この胸に息のある限り
     オペラ「セルセ」から、オンブラ・マイ・フ
テレマン:ディヴェルティメント TWV 50:23
モーツァルト:モテット「エクステラーテ・ユビラーテ(踊れ、喜べ、幸いなる魂よ)K165
ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲「四季」op.8

ソプラノ独唱: 天羽昭恵
ヴァイオリンソロ: アントニオ・アンセルミ

天羽さんは素晴らしいソプラノ歌手。
コロラトゥーラとリリックの声質を兼ね備え、海外のコンクール優勝や国内外の歌劇場でも高い評価を受けている。

そしてヴァイオリンのソリストは・・・
アンセルミ氏は急逝して代わりにマッシモ・スパダーノ氏が演奏することになった。

演奏に先立ってアンセルミ氏を偲んで「アヴェ・マリア」(そう聞こえたけれど本当は何という曲だったのかわからない)の演奏があった。
それが終わると、明るくモーツァルトが始まった。
素晴らしい速さ、軽々と弓が宙を舞う。
何よりも和音の美しさ!

代役というにしてはとんでもなく達者なスパダー氏。
目が回るほど指がよく回る。

私は今から30年ほど前、イ・ムジチのメンバーの、パスクワーレ・ペレグリーニ氏のソロで「四季」を弾いたことがあった。
私は指が早く動く方だけれど、さすがの私も追いつけないほどの速さだった。

今日の演奏も超特急。
考えてみればイタリア語のあの速さに合ったテンポなのだろう。

さてイ・ムジチとの出会いは、私が中学生の頃に遡る。
横浜の県立音楽堂は素晴らしい音響で有名だったけれど、会場が良いだけでなく明らかに音の出し方が違うと思ったのが、私の音質を探す旅の原点となった。
大学を卒業するときに先生から「仕事はどうするの?」と訊かれて「弦楽アンサンブルに入りたい」と言ったら「それじゃ食えないよ」
頭にはかつて聴いた、ローマ合奏団やイ・ムジチ合奏団の音が響いていた。
うーん、食っていかなきゃいけないのかあ、それでオーケストラに入ったらなんのことはない、もっと食っていけなかった。
それでも丸々太っていられたのは、親のおかげ。

最初にフェリックス・アーヨの演奏を聴いたときには、震えが来るほどだった。
時を経て、フェリックス・アーヨの弟子である日本人の女性と結婚したペレグリー二氏と思いがけなく同じステージに立てて、彼が帰国するときに空港まで車で送っていった。
車中で話しが纏まって、彼がかつて愛用した楽器「ガブリエリ」を譲り受けた。
そんなわけで、イ・ムジチは到底手の届かない存在でありながら、非常に親しみを覚える。

今日のアンコールとしてバッハの「アリア」が演奏された。
聴いているうちに、これは亡くなったアンセルミ氏に捧げる曲だと思ったら涙が出た。
弾き終わったメンバーが涙を拭っているのを見て、又涙。

アンコールの最後は日本の歌「赤とんぼ」
しかし、日本人の大好きな「四季」と「赤とんぼ」を並べて、なんだかここまですると嫌だなあという気分になる。
これさえ持っていけば、日本人は大喜びさ・・・みたいな。
もちろん日本側の要求だとは思うけれど。

昨日は女子会で素晴らしい和食をいただいた。
今日はイタリアの極上の音を聴いた。
夢心地で家に帰ると、猫は腹減ったとわめき、部屋は散らかり、明日の英語のレッスンの予習が全くできていない。
やれやれ、いきなり引きずり落とされたなあ。
消費税増税前に、猫の餌の買い置きをしようと思っていたのにすっかり忘れていた。
現実は厳しい!


















89

2019年9月28日土曜日

生徒に誘われて

山本リンダが甘ったるい声で歌った歌。
♫こまっちゃうナ、デートに誘われて♫
ご存知の方はいらっしゃいますかな?

その歌が流行った頃、私はまだオーケストラでヴァイオリンを弾いていた。
団の副代表が長い独身の末、やっと結婚。
彼は随分遅い結婚だった。
駅前で俺を待っている女がたくさんいるんだと、いつも豪語していた。
なんのことはない、飲み代のツケを払わせようと飲み屋のお姉さんたちが待ち構えていただけなのだ。

やっと結婚したら女の子が生まれた。
年齢から言うと孫に近い、可愛い賢い子だった。
女房なんて少しも可愛くない。
でも子供のためには必要なんだ。
あんな女、電車に轢かれて死んじまえば良い。
それもゆっくりとギリギリ轢かれたらいいのだ、などど恐ろしく物騒なことを言うけれど、それが彼独特の愛情表現だと誰もがわかっていた。

「こまっちゃうナ、デートに誘われて」って歌があるだろ?
うちの子は「こまっちゃうナ、生徒に誘われて」って歌うんだよ。
口の端が閉まらない。
いつもはそれこそ夕日に鬼瓦の顔が、緩みっぱなしになった。
それはそれで不気味だったけれど、可愛らしいとも思えるのだ。
照れ屋で不器用で全くの昔男のTさん。
私達はのべつ彼の家に押しかけ、奥様の手料理を食べ、時には泊まり込むこともあった。
いつも人のたくさんいる温かい家だった。
奥様が電車に轢かれちまったら、この料理を作る人もいなくなる。
美味しいお酒が飲めなくなるじゃない?

さて古典の定期演奏会が終わって、非常に不本意な出来栄えながらヴィヴァルディの協奏曲も完了。
いつものことながら落ち込みは激しい。
なんだってあんな意気地なしだったのかと、平静になるにつれて悔しい思いがこみ上げる。
けれど、又性懲りもなくなにか始めるのがガクタイの性なのだ。

次は、夏の北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァルと同じプログラムでのコンサートが、10月半ばに。
11月の連休は奥州市でのチェロフェスタ、チェロの舘野英司さんが指導する地元の方々や新潟などからの出演者多数。
沢山のチェロ弾きのゴーシュが集結する中で、シベリウスのピアノ・トリオとショスタコーヴィッチの2ヴァイオリンとピアノのための5つの小品を演奏予定。
ここで弾くのは、いつも元の教え子からの声掛け。
こまっちゃうナ、ではなく嬉しいお誘い。

今年の〆は熱海での「クロイツェル・ソナタ」
12月1日、熱海起雲閣のホールで村上和子さんピアノリサイタルに客演、今年は暮れる。
とまあ盛り沢山なので、果たして体力気力がついてきてくれるかどうか心配ではある。

私は今まで自分の集中力を信じてきたけれど、昨日のステージでは体の衰えが感じられて、楽譜もよく見えない。
弾き終わった時によろけたそうだけれど、自覚はない。
ま、こういう年もあるさと自分に言い聞かせ、巻き返しを図るために次なるステップに・・・と言いたいところだが、もう疲れてヨレヨレ。
ステージで大勢のお客様の前で演奏するのは、想像以上のハードさ。
そろそろ引き際かな?
オペラシティのリサイタルホールでのコンサートで引退と思っていながら、それから15年、常に周囲の人に助けられて活動できたので、大変満足してはいるのだけれど。

気分を変えて今日は相模湖の美術館まで出かける。
同行するのは元の教え子。
彼女の好きな作家の美術展があるそうで、これも♫こまっちゃうナ♫ではなく、嬉しいな生徒に誘われて。
土曜日の昼過ぎ、ゆっくりとでかけてご飯でも食べて。
最近、若い人達がよく遊んでくれる。
しかも皆、なんとなく保護者のような顔つきで私をいたわるのが、少しばかり癪なんだけど。