2010年12月31日金曜日

大晦日

今日から明日に変わるだけのことと言ってはみもふたもないけれど、今日は今年最後の日。私の人生の中で子供時代を除いて、最ものんびりとした幸せな年だった。それも、このブログに依るところが大きい。仕事に明け暮れ休む間もなく働くのが生きがいだった者が、徐々に暇になって燃え尽き症候群のようになりかけていた。体調も最悪。疲れ切って物も考えられずにぼんやりして、このままウツラウツラとなにも出来ない日々に突入かと思われた。パソコンは前から便利につかっていたけれど、自分の表現手段としては、考えられなかった。人目、それも不特定多数の人たちに、自分のことをさらすのは、恐ろしい。そう思って初めは恐る恐る、なるべく正体がばれないように、ほんの数人の友達だけに送るメッセージのつもりではじめた。子供の時から文章を書くのは好きで、毎日の作文は苦にならない。日記のようになってきた。そして、ほんの数人でもよく読んでくださる人たちがいるみたい。これは大変な励みとなる。コメントくださる方、ありがとうございます。コメントがあったときは、やったー、という気分。メールで感想を下さる方もいる。お会いしたときに、読んでますと言ってくださる方も。文章にすることで、考えがまとまるという思いがけない副産物が、貴重なものになった。ここには投稿しなくても、ブログに書くことを想定して、じっくりと本も新聞もテレビのニュースも考えることが出来る。これも収穫のうち。今年のハイライトはチベットに行ったこと。ほかのどの地に行ったときよりも素晴らしく、しかもブログにのせたことで、この旅行はさらに特別のものとなった。読んでくださった皆様の更なるご多幸をお祈りします。そして、このページをわたしに作ってくださった方には、本当に感謝しています。皆さん良いお年をお迎えください。

2010年12月30日木曜日

病み上がりのヴァイオリン

今日は頼んでおいたお正月用食品をとりに行く日だった。うっかり忘れていたので受け取ったら、先日買った物と重複する物があって、ほい、しまった。しかも物を見ないで頼んでいたから、巨大な大根や大量の泥ネギを渡されてしばし、呆然とする。こ、こんなに沢山食べ切れるのか・・・大根などは私のすねより太い。そういえば大体見当がつくでしょう。昨日も一日遊んでしまったし、今日はそんなわけで昼過ぎまで走り回っていたので、せっかく修理の済んだヴァイオリンを弾くひまがなかった。ようやく午後になって、取り出してみるとなにやら不機嫌そう。鼻がつまり胃もたれしている音がする。(あ、それは私か。)駒が厚すぎたかしら。それとも剥がれた箇所がまだあるのかしら、などとご機嫌ななめの楽器をなだめすかしていると、だんだん鳴ってきた。そうそう、その調子。弦も新しいから調弦しっぱなし。どんどん音が下がる。今日は調弦だけで終わりそう。寝起きの悪いヴァイオリンもようやく調子が出てきたころ、私が疲れてしまってコーヒータイム。昨日の残りのケーキを食べて、又胃もたれ。この調子でお正月に突入すると体調崩しそうだから、今夜から明日にかけて食欲をセーブしないとえらいことになる。体調が悪いと不思議なもので、楽器もうまく鳴らせない。これ、不思議。声楽家の声なら体密着だからわかるけど、ヴァイオリンもそうなのだから始末が悪い。明日朝ケースを開けたらヴァイオリンがあくびしていないように、祈るばかり。お願いしますよ。

ささやかな忘年会

今日は友人たちと6人だけのささやかな忘年会を開いた。本当は教室の生徒さんたちや他の先生との合同もかんがえていたけれど、ここ2,3日風邪気味で気分がすぐれない。それで規模を小さくした。朝、準備にとりかかる。お客様には慣れっこなので、アッという間に準備はできる。というより、昨日のうちにほとんどの用意はすんでいる。当日バタバタするのがいやで、お客様がみえたときに自分も一緒におしゃべりがしたいので、早めに準備はすませてしまう。ローストビーフ、スモークサーモン、野菜とウィンナーソーセージの蒸したもの、沢山のお菓子、五目おこわ等、ワインとビール、日本酒。いつも代わり映えしないメニューだけれど、お料理よりお話が大切。話が弾んで楽しく過ごした。ワイン2本、ビールが4本、日本酒半升、酒豪の若い女性がいても、その程度。本当に飲まなくなってしまった。以前は、資源ごみの日に出すのが恥ずかしいほどの、空き瓶、空き缶の山だったのに。よく遊びよく飲みよく食べ、だったのに。ワインなど以前からずっと取り寄せていた会社の電話にも断ることが多くなった。「せっかくだけど、この頃飲めなくなってね」どんなにすすめられても手が出なくなってきた。若いときのようにはすべて行かないのはわかっているけれど、ほんの少し残念。もう少し大食いでいたい。目が食べたいと思うものは全部たべたいもの。

2010年12月28日火曜日

ヴァイオリンの帰宅

一昨日預けたヴァイオリンの修理が済んで、今日引き取りに言った。渋谷のクロサワ楽器。ここにEさんという楽器製作者がいて、私の生徒が2人、彼の作った楽器を使っている。選んだ理由は、バランスが取れていて音が素直に出ること。初心者から中級者にも優しい楽器といえる。腕を見込んで初めて彼に修理をたのんだので、これからどんな音になっていくのか、楽しみにしている。というのも、ヴァイオリンは修理や調整をしたからといって、すぐに音がよくなるものではない。1ヶ月はおかないと、本当に鳴ってこないので、まだどんな音に変わっていくかはわからないけれど、帰宅してから弾いているうちに、どんどん音が出始めている。最近どうしてもいい音が出なかった。乾燥しすぎや自分の体調のせいかと思って、だましだまし弾いていたが、どうも、これはおかしい。やはり剥がれた箇所が見つかった。それと、駒が薄すぎるのではないかと思っていたので、厚目の駒に取り替えてもらうことにした。薄いと音は楽にでるけれど、どうしてもパワーが不足するよう思える。それもこれから良いほうへ向かうかどうか、不安でもあり楽しみでもある。出来上がってお店で弓を借りて弾いてみた。ドミニク・ぺガット製作。1000万円、正確には1050万。なるほど、低弦のハイポジションがらくらく出る。でも、今の私にはそんなお金はないから、自分の弓の毛を張り替えて我慢。普段お金のないのは一向に苦にならないけれど、こんなときには、もう少しお金持ちだったらよかったのにと思う。うちの玉三郎が「長靴をはいた猫」だったら、よかったのに。

2010年12月26日日曜日

ショパンコンクールの優勝者アブディーバ

友人からメールが入った。今アブディーバがショパンのコンチェルトを2チャンネルでやっているから見て!と言うので返信。うちのテレビは原始時代のものだから、2チャンネルは入らない。すると、教育テレビよ。という返信。なあんだ、それならうちのでも映るわ。でも、うちの教育テレビは3チャンネルなんだけど。テレビによってチャンネルは違うのかなあ。とにかくあわててテレビの前へ。なんと、生きのいいお姉さんが力演している。恐ろしいほどのテクニック。すごいスケールの大きさ。音の立ち上がりのクリーンなこと。なるほど、これは他を圧倒したに違いない。でも、素晴らしい人はほかにわんさかいたらしく、メールをしてきた友人は現地ワルシャワで聴いて、あまり納得できなかったらしい。好き嫌いはともかく、圧倒的な力を見せつける演奏でした。体も大きく顔も立派。演奏家としては申し分ないオーラがある。ショパンをこんな風に弾く人はあまりいないと思える演奏で、なにか他の曲も聴いてみたい。明日メールの友人と会う予定なので、彼女がワルシャワで聞いた時の演奏のDVDを持っていきますといってきた。でも、そのDVDが見当たらなくてというから、ダビングしたのは確かなの?その辺から疑ったほうがいいわね、なんて憎まれ口をたたいたから、今に抹殺されそう。

ないものねだり

ヴァイオリンの調子が悪く、乾燥しすぎか自分の体調のせいか、しばらく様子を見ていた。一向によくならないのと、かすかなビリつきを感じたので、ついに修理に出した。渋谷のクロサワ楽器。クロサワといえばプロよりもアマチュア相手で手広く営業するイメージだったので、いままで敬遠してきた。職人さんが直接つききりで、じっくりと修理や調整をしてくれる個人の工房と違って、誰がどんな仕事をするのかわからない感があった。しかし、音楽教室の出入りの人から、最近は職人さんに名の知れた楽器つくりの方がいるということを聞いて、初めて修理をお願いすることにした。昨日は楽器をあずけ、帰りは山のように買い込んだセーター類とハンドバッグだけで帰宅。楽器がないとものすごく開放された気分になると同時に、体の一部がスースーするような感じもある。物忘れをしたような。今朝起きて、毎日の習慣でレッスン室の窓を開け、電灯のスイッチを入れて、さて、いつもならここで楽器のケースを開けて楽器にごあいさつ。午前中ダラダラと練習したり、パソコンに向かったりするのに、することがない。それなら掃除でもすればいいものを、それもしない。楽器も勿論スペアをもっているけれど、弾く気はしない。英語のレッスンの予習をしていたら、眠くなって転寝をしてしまった。ちなみにうたた寝を英語で、catnap というそうです。練習嫌いでろくすっぽ練習もしないのに、手元にないとなると、こんなに手持ち無沙汰なものか・・・。いまさらっているプロコフィエフの1番のソナタの楽譜をチラチラと横目で眺め、ああ、弾きたい。いつもとは逆のセリフが出でくる。

2010年12月25日土曜日

音楽教室は面白い人ばかり

今年最後のレッスン。渋谷の音楽教室は大人のためのオアシスを作ろうという目論見から生まれた教室。そこで講師をはじめてから早や十数年。生徒は多種多様の職業を持つ。音楽が好きで好きでという人から、ちょっと興味を持ったのでという人や、ヴァイオリンを弾くこと自体が格好よいからという人、持っているスタイルを人に見せたい人、さまざまだけど、忙しい合間にやめずによく来てくれるのがありがたい。それでも暮ともなると多忙を極めて、風邪をひいたり起きられなかったり、二日酔いだったりで休む人も多い。そうでなくても仕事上の悩みを抱えて調子が悪いひともいる。そんな時はヴァイオリンを弾かずに話を聞いてあげると、終わるころにはニコニコして帰るひともいる。そのなかでも頑張りやさんのNさん。大学の卒業旅行のバス事故で大怪我をして、足をいためてしまった。その事故のとき世話になったトルコの医師の治療に感激して、もう一度医大を受験しなおした。長い勉強期間を終えて今年国家試験に合格、研修医として働きはじめた。今日レッスンの最中、「先生の手はいい手ですね」というからなぜかと思ったら、「血管が浮き出て注射針がよく通りそう」ですって。初心者の研修医としては、注射をするのも大変なのでしょう。もう一人「変な夢をみました」というからなにかと思ったら「知らない人が夢に出てきて、ヴァイオリンの練習が少ない」と言われたそうで、クリスチャンの彼は「あれはイエス様だったかもしれない」と言う。そうです。神様は全部ごらんになっています。私は無宗教ですけど。初めからずっと在籍していてくれるM子さん。丸の内の花の建築士。わたしの「ほら、それがあれだから」という意味不明のレッスンに腹も立てず、やめないで来てくれる。少し前にやめたけど「その、それとかあれというのはなんのことですか」と詰め寄ったのは、素晴らしいキャリアを持った科学者。時々私が質問すると明快な答えが帰ってきた。たとえば、弓に圧力をかけて弾くのと、重さをかけて弾くの違いはなに?即座に答えはもらったけれど、理解不能だったのでご披露できないのと、「また絶対に戻ってきます」と言っていたけれど、まだ戻ってこないのが残念。自分でカバンまで作ってしまう器用な人もいる。隠れた楽譜を掘り出すのに長けている。へー、こんな曲があるの、といつも驚き。遅刻の常習者の銀行マンが決まって言うせりふ。「遅れました」わかってるわい、言わなくったって。レッスン時間は私が楽しむためにあるみたい。悪いですね。生徒さんたち。

2010年12月24日金曜日

クリスマスイブ

あちらこちらで電飾が輝いて、なんだか大人になって初めてクリスマスらしい気分になる。オーバーな言い方だけど、クリスマスが楽しかったのは高校生くらいまで。あとはもう常に1月の試験で弾く曲の心配ばかり。一度お正月にスキーに行って、先生にこっぴどくしかられた。試験前にスキーに行くどころか、大学4年生までスキーは禁止されてしまった。その後はオーケストラでクリスマスはかきいれどき、フリーになってからはなおのこと、この季節に稼がないでどうするとばかり、走り回った。「メサイア」「第九」は定番。イブの夜中にテレビの生本番だったりすることも多く、バレエの「くるみ割り人形」そこからNHK紅白、お正月にはホテルの仕事、やっと終わって一息つく暇もなく、その年の通常の仕事が始まる。そんな生活だった。仕事は大好きだったけれど、今やっと一息ついて普通の生活のリズムをとりもどしている。今日は新しいスマートフォンを私用に頼んであるというので、わがパソコンの師匠とショップへ。彼は今猫のサイト製作中なので、猫にとりつかれている。話の途中で「そんにゃことは・・・・」ん?いま「そんにゃ」って聞こえたけど?空耳?しばらく黙っていたけれどやはり「そんにゃ」って聞こえたなあ。恐る恐る「今、そんにゃって言わなかった?」それから大爆笑。「わかりましたか。気がつかないといいなと思っていたのに」帰りの車で一人運転しながら、時々思い出してはプッと吹き出してしまった。

2010年12月23日木曜日

イギリス英語

私がノロノロとハリーポッターを原書で読み進めているのを知っている方から、イギリス人が朗読しているCDを頂いた。第一巻、もうすっかり忘れてしまっていたが、聞いているうちに読み始めた時のことを思い出してきた。それまで英語を特に好きというのでもなく、中学でも熱心な生徒でなく(主に先生が好きでなかったという理由による)海外に行っても得意な人にくっついていけば何とかなるし、自分でも買い物や食事くらいなら不自由しなかったので、あえて勉強する気もなかった。あるとき仕事場で原書を読んでいる人がいて、辞書なしでよんでいるのはすごい。私でも読めるかしら、と思ったのが運のつき。どっぷりとはまっていった。到底自分だけでは歯が立たないことに気が付いて、それではというので近くの英会話教室の個人レッスンを申し込んだ。初めはカナダ人、次はロスアンジェルスの人、やはりあの世界を理解するのは無理があるようで、質問しても答えてもらえないこともしばしば、これではというので、イギリス人の先生を紹介してもらった。オーケストラでヴァイオリンを弾いているルースさん。超まじめで、わからないことは宿題として、必ず次回に回答をくれる。私がつまらない事まで興味を持って細かく質問するので、一回のレッスンで10ページくらいしか進まない。だから、まだ4巻の半ば。困ったのは発音の違い。アメリカ英語とイギリス英語はとても発音が違う。辞書の発音記号はアメリカ式だから、それを頼りに読むと直される。やっとアメリカ式発音で褒められるようになったのに、訂正されてしまうのでがっかりすることもしばしばある。でも、どちらかというと私はイギリス英語の方が好き。アメリカ英語より、響きがすっきりしている。

2010年12月22日水曜日

受験生

来年音大受験が迫っている元生徒が来て、バッハのソロソナタ1番の2楽章、フーガを聴かせてもらった。穏やかでのんきな子なので、マイペースでゆっくりやってきた。ここへ来てお尻に火が付いたかと思っていたら、相変わらずのんびりした様子。とても受験生とは思えない。芸大志望だから、5年生の時にいち早く芸大系の先生にお願いして、研鑽をつんできた。いろいろな先生にみていただいたけれど、どの先生からも基礎はしっかりしているけれど、自分の音楽になっていない、という手厳しい批評をいただいていた。自分がどう弾きたいのか、それが表に出ていない。とにかくしやべり方もゆっくり、動作ものんびりだから、際立って目立つわけではないが、着々と事を進めていく。初めから大器晩成型だと思っていたが、あと一月余りの時間しかないので、大器になるのを待っているわけにはいかない。しかし、身びいきというか、聴いてみるととてもたっぷりとした良い演奏をする。何箇所か目に付くところを指摘して終わったが、又きますと言って帰っていった。今の音楽界は私が仕事を始めたころに比べ、格段にレヴェルアップしている。私たちがようやく身に付けたようなことを、今の子たちはすでに子供のころから知っている。音の出し方も力まず素直に出すことを知っている。出発点が格段に上なのだ。この子が芸大に入れなくても、他の音大でも、いい音楽家になると確信した。見掛け倒しの派手な演奏でなく、じっくりと熟成した演奏家になってくれることを、心から祈っている。

2010年12月21日火曜日

環八を走っていると

今日は師走というのに環八の荻窪方面はすいていた。最近まで環八はすいていた、ためしがなかった。混雑の原因だった踏み切りが立体になったとはいえ、この空きかたはどうしたものか。それほど不景気なのか。すぐそこへ、考えがいってしまう。就職できない若者が大勢いて、不安をかかえて寒空に走り回っているかと思うと、かわいそうでたまらない。それほど仕事がないものなのかしら。会社に就職するだけが仕事ではないといわれても、いったいどうやって仕事が見つかるのか、見当も付かないに違いない。今、日本中に休耕地が沢山あって、そこは利用できないものなのか。体力と知力があれば、農業も悪くない。手入れの行き届かない森もいっぱいある。林業も悪くない。この情報時代にコンピュータで仕事も出来る。いろいろ考えれば、職業は多種多様。むしろ会社なんか(失礼)にいないほうが面白い人生が送れそうな気がするけど。やはり、会社に入らないと世間の目が冷たい?私の母は最後まで私の職業を認めようとしなかった。「今日は遊び?仕事?」いつもそう聞かれたっけ。今日練馬に行ったのは遊び。ピアニストとベートーヴェンを弾いて遊ぶ日。しかし、朝目が覚めると、どんよりと体が重い。珍しく寝起きが悪い。約束をキャンセルしようかとも思ったけれど、行って弾けば元気になるさ、と思って出かけた。具合が悪くても運転は苦にならない。でも、いつもより慎重に走る。今日はベートーヴェンの8番のソナタ。スプリングやクロイツェルの間に挟まれて目立たないが、これが大変明るくて素敵な曲。何回かあわせて、まあまあ妥協できるかと言うところで練習をやめて、10番を初見で弾いてみようとはじめたとたん、胸にキューっと痛みが来た。あらあら狭心症の発作だわ。実は元気なわりには意外と大病をやっている。だから、時々発作が起きる。「お水を頂戴」と言ってコップに二杯、ゴクゴクと飲み干すと痛みは消えた。いつもこんな感じで心臓をなだめている。今日は皆既月食の日だから、天体が体に及ぼす影響が作用しているかもしれない。

2010年12月20日月曜日

大人のためのレッスン

最近はおとながレッスンを受けに来ることが多い。以前は学生や子供だったのが、自分の年齢が上がるにつれて、生徒の年齢が上がってきた。今日は弁護士のお二人。大変達者に弾く。、3月にアマチュアアンサンブルのコンサートでソロを弾くので見てほしいと言う。法友会という法律家、弁護士、裁判官、などの集まり。お金持ちだから、トッパンホールを借りては、年に何回かコンサートを開いている。いいなあ。私の所属する「古典音楽協会」などはお金がないから、上野文化会館の小ホールがとれないと、お手上げとなる。幸い日本オーケストラ協会の枠にはいっているので、優先的に使わせてもらえるが、プロの楽団は赤字が多い。わが「古典」はその中でも赤字ではない、稀有の存在と言える。お客さんが毎回増えていくのが、本当にありがたい。「最近は空いている席を探すのが大変なんですよ」とよく言われる。今日みえたお二人もそんな「古典」の聴衆として何回か来てくださっている。この方たちは子供のときからヴァイオリンを弾いているので楽だけど、大人になってからはじめた人は、気の毒に大変苦労する。初めにお断りするのは、ヴァイオリンという楽器は、自分で音と音程を作っていくのだから、入り口のところがむずかしいですよ、と念をおすことにしている。やめるなら今のうち、というニュアンスをこめる。それでも習いたいと言う人は、お引き受けする。それからが大変。こんなに大変な楽器だとは思いませんでしたと、泣きが入る。でも私は人間も大好きだから(猫だけでなく)人付き合いはいいほうで、たいてい永続きしてくれるし、何かの事情でお休みしても、戻ってきてくれる。私の生徒はなぜか高学歴、エリートが多いのが不思議。先生がおバカな分生徒が大利口というわけか。うまくバランスがとれるように出来ているのだなあ。生徒から教わることもたくさんあって、時々こちらが生徒になっているようです。

2010年12月19日日曜日

宮永岳彦記念美術館でのコンサート

秦野市のオーケストラ・アンサンブル・西湘は出来立てのほやほやのアマチュアによるオーケストラ。立ち上げからのお付き合いでトレーナーをおおせつかっているが、地元秦野の宮永岳彦記念美術館で今日は室内楽のコンサート。弦楽アンサンブルとホルン、クラリネット、フルート、トロンボーンが数人の小編成で開催された。このオーケストラは初めから数人のトレーナーがついて、きっちりとしたアンサンブルを心がけている。多くのアマチュアオーケストラは練習の人数も集まらず、なかには転々とオーケストラを渡り歩いてきた、いわゆるベテランと称して知ったかぶりをして引っ掻き回すおじさんなんかがいるところが多い。しかし、ここのメンバーは非常に真摯に練習をかさねている。練習の出席率も高い。それで、創立から間もないのに音は抜群によく、よく人のいう事に耳を傾けるので、上達も早い。身びいきでなく、いつもいい演奏をする。プログラムは室内楽の定番。モーツァルト「アイネ クライネ ナハトムジーク」「フルート四重奏」「メヌエット」バッハ「アリア」など。やく一時間ほどの短いプログラムだったが、練習を3回、みっちりとやったおかげで、切れのいい演奏となった。終演後はいち早く会場を抜け出す。なにしろ毎回日曜日の東名高速の上りはひどく混雑する。午後4時ころから9時ころまで、20キロくらいの渋滞はあたりまえとなっているので高速に乗らず、国道246をひたすら走って帰ってくるようになった。今日もテクテクと一般道を走っていたが、いつもよりすいている。歳の暮で遊んでいるひまがないのか、不景気で外出をひかえているのだろうか。それとも高速に集中しているのか、いつも混んでいる大和付近も結構スンナリ通りぬけた。もしかして、お気に入りのお菓子やさんがあいていないだろうか、期待していたけれど、残念!閉まっていました。開いていたらクリスマスケーキを予約したかったのに。

忘年コンサート

毎年12月のこの時期に、スキー仲間の雪雀連の忘年会コンサートが開かれる。会長の山田さんが調律士である関係で、舞台関係の仲間が多い。映画や著述業界などの人が多い。勿論音楽、舞台関係も。今年のコンサートは世代交代が著しく、まず司会をつとめたのが山田さんの愛孫の翔君。2代目会長にしてはまだ歳が若すぎるけれど、堂々たる司会ぶりに場内に感嘆の声があがる。演奏者もANAのパイロットの一家、両親から子供4人が次々に出演して喝采を浴びた。私とコントラバス奏者の本間さん、朝の電話で、今日は楽器を持っていくかどうか打ち合わせをする。結局持っていこうということになって、私はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、楽譜、譜面台など車に積み込んででかけた。出演者が多ければ弾かないつもりで。コンサートが進んでいくうちに、ヴァイオリンを弾くはずのお嬢さんが、バレエのお稽古が遅れて間に合わなくなってしまった。それで急遽私の出番。葉加瀬太郎のなんじゃらいう曲を弾く羽目になった。ところが楽譜をわたされてみると、コピーが薄くて音符が見えない。それに加えて老眼。ま、いいさ。こういうのはお手の物だから、いつものいい加減さでやっつけ仕事。そのあと子供たちを押しのけて、おばさん、おじさんが合奏を始め、興に乗ってくるとやめなくなるのはカラオケと同じ。オペラのアリア、ピアノトリオ、あげくに踊りだす人もいた。クリスマスソングでお開き。偉大なるマンネリの行事だが、毎年ここでしか会えない人もいるから、大切な一年の締めくくりとなる。

2010年12月17日金曜日

腹巻

昨日は今年一番の寒さだったそうで、北海道では-20数度を記録。今年は雪が多くてスキーシーズンが楽しみだと思ったら、そうはいかないらしく、どこのスキー場も雪不足らしい。友人から冷えがよくないから、首やお腹をあたためるように勧められた。そう言われてさっそく腹巻を買って巻いて寝た。一番薄い絹のなめらかな物だったので、お腹のカーブに沿ってくるくると巻き上がって、朝起きたときには一本の紐状になってしまった。ちょうどウエストの所に巻き付いているものがあるので、何かと思ったら腹巻だった。私は殆ど冷えないからあまり必要ではないので、その後一度も使ったことがない。手足が冷たくても布団に入るとすぐ温まってしまうから、寝付きもよい。子供の頃は冷え性で、母の布団と父の布団を行ったりきたり、父は喜んで抱っこしてくれるのに、最後はやはり母の布団が良くて眠るのはいつも母の方。こうして思い出すと、本当に可愛がってもらっていたのだと思う。もっとも両親も私を湯たんぽ替わりにしていたかも知れない。冷え性だったと言っても、当時の家屋はすきま風も入るし、暖房設備も無かったから、本当に寒かった。建てられてから約200年とかいう大きな古い家で、間仕切りも障子か襖しかなく、だだっ広い部屋がいくつもあって、冬ともなるとこたつと石油ストーブ、そんなものでは到底温まらない。トイレも廊下の突き当たりにあって、暗く怖かった。今の樣に明るく温かい部屋で暮らしていると、もう元にはもどれない。地球温暖化防止のための省エネも、快適さの前には脆く崩れてしまう。人間は本当に身勝手なんだから。世界中に飢えと寒さに苦しんで居る人達がいるのはわかっていても、目の当たりにしなければ実感出来ない。せめて毎月僅かなお金を、募金団体に寄付する位が関の山なので、マザーテレサのような人は本当に尊敬する。どうして我が身を捨てて他人に尽くせるのだろうか。

2010年12月15日水曜日

ロンドンアンサンブル

モーツァルト    フルート協奏曲2番第一楽章
シューマン     幻想小曲集    作品88  (ピアノトリオ)
ショパン       序奏と華麗なるポロネーズ 作品3  (チェロ ピアノ)
作曲者不明     尺八 古典本曲
ショパン       夜想曲 嬰ハ短調  遺作  (ヴァイオリン)
パガニーニ     ラ・カンパネラ (ヴァイオリン)
イギリス民謡    スカボロフェア
ヴィラ ロボス    ブラジル風バッハ第5番より 「アリア」
プロコフィエフ    バレー組曲「ロメオとジュリエット」より抜粋

リチャード・スタッグ(フルート)
松村 美智子(ピアノ)
タマーシュ・アンドラーシュ(ヴァイオリン)
トーマス・キャロル(チェロ)

旧東京音楽学校 奏楽堂

毎年この時期に来日するアンサンブル。毎回チケットを予約するのに、どうしたことか、行かれなくなってしまう。ある年は熱を出し、ある年は仕事がはいり、今年やっと聴くことが出来た。非常にすばらしいアンサンブルで、一人一人が名手であるにも拘わらず、というか、だからこそというべきか、調和をこわさない。まるでおしゃれな会話を聞いているような、今まで聞いたグループの中でも突出した見事なアンサンブルだった。会場で会った知人と一緒に帰りの電車に乗って話をしていたら、なんと、あのフェリックス・アーヨの演奏を最近聴いたそうだ。初めアーヨの名を聞いてしばらく理解できなかった。もうとっくにお隠れになったと思っていたから。私が中学生のころ、横浜県立音楽堂で聴いたことがある。それからもう何年経つのか。しかしまだまだ素晴らしいそうで、大変驚いた。私が聴いたときはすでに世界的な名手だったから、相当年上だと思っていたけれど、18歳で「イ・ムジチ」を創立したという。それでは、私が聴いた当時もまだ若かったのか。でも、ステージの上にいる人は雲の上の人だから、そんなに若いとは思えない。まして、こちらは中学生。そのときの「ローマ合奏団」の演奏を聴いて弦楽アンサンブルに憧れ、夢を実現できた。あの演奏を聴かなかったら、今の私はないかもしれない。

2010年12月14日火曜日

懲りもせず自転車

2週間ほど前に、男の子が猛烈な勢いで私の自転車に突っ込んできたので、あやうく事故になりかけた。急ブレーキで難を逃れたけれど、わき腹を打ってタイヤがパンクした顛末は先日の投稿の通りだが、その後左肋骨下が痛んで時々思い出したようにキュイーンと筋肉が縮む。そのときにひどく痛かったのがやっと収まってきた。その話をしたら「その後自転車には怖くて乗れないでしょう」といわれびっくり。「なんで?乗ってますよ」と言ったら今度は相手がびっくり。それしきのことで、大好きな自転車に乗れなくなったりはしないでしょう。少し雨模様だったけれど、川崎まで自転車をこぐ。「聖者が街にやってきた」をでたらめ英語で歌いながら。デブのおばさんがデキシーを歌いながら漕いでいる姿はこっけいでしょうね。他人が自分をどう見るかなんていう事も、あまり気にもならない。今朝突然「ハリーポッター」の映画の最終編パート1を見に行こうと思いついた。川崎チネチッタはその一角だけがイタリアン。広場を丸く囲んでピンク色の映画館が建っている。まだ冬休みになっていないのか、映画館はガラガラ。年末のこの時期に映画を見ていられるなんて、夢のよう。毎年、鼻水を啜り上げ、咳をしながらヨロヨロと仕事場に通っていたのが、遠くのことのように思える。まだ1年もたっていないのに。ハンバーガーとコーヒーを買って、指定席に着く。なぜか映画はこの二つがつきもの。ときどきポップコーンの時もあるけど。映画が始まってすぐ、フクロウのヘドウィックが死んでしまった。思わず涙が溢れてしまう。なにも殺さなくってもいいじゃない。しもべ妖精のドビーも死んでしまう。ほかに方法はなかったの?ローリングさん。 帰りは少しションボリして、歌も出なかった。

2010年12月13日月曜日

美肌大作戦その2

2週間のノーメーク期間を終えて、今日は最初のレーザー照射の日。2週間ノーメークだったのに、誰一人気が付かない。いかに日ごろからほとんどメークをしていないかがわかる。というより、メークする甲斐のない顔と言うことなのだ。メークをすると、別人のように美しくなる人もいる。でも、その人は元々きれいな人だから、メークが映えるのだ。まあでも、基本的なお肌だけでもマシにしておこうという魂胆で、北里研究所病院の美容センターに行った。予約時間の2時間半前に、麻酔用のパッチを貼っておくように言われる。ほんの少し緊張。痛みには我慢強いほうだから、痛みに対してではなく、未知のものに対する緊張。ベッドに横になって、まずはちょっと盛り上がっている部分にレーザーをあてる。ピチピチと言うような刺激。かすかに痛みはあるけれど、眉毛に墨を入れるときと同じか、それ以下の刺激。次は機械が変わって、広がったしみに移る。これは輪ゴムでパチンパチンとはじかれるような痛さ。それもあっという間にすんで、はい、これでおしまいですと言われたときにはキョトンとしてしまった。こんなに簡単に取れるなら、もっと早く来ればよかった。鏡を見てはいやだなあと思っていたシミがこれでなくなったのか。顔の造作がまずいのはもうとっくにあきらめている。というより、意外と自分の顔が好き。たとえばペルシャ猫だって、ずいぶん不細工。あれでもかわいいという人がいるのは救いだなあ。フレンチブルドッグや狆だってかわいい。私もその類だけど、普通に美人であるより、人から覚えてもらえそう。変わったタイプの顔だけど、世界に二つとないこの顔は大事にしないと。でも、シミはいや。

2010年12月12日日曜日

富士山

東名高速道路を走っていると、今日は真っ白な富士山に出会った。私は信心深いほうではないけれど、山には神々しさを感じる。人間が上へ上へと上って行くようになって、征服されていない山はほとんどないと思うけれど、本当はそんなことをしないで、下から恭しく眺めているのが一番良いのだと思う。一時期瞑想にはまっていて、テクニックを身に付けたことがあった。やはり効果はすばらしく、感覚が研ぎ澄まされ、幸福感に満ち溢れた時期があった。そのころ月山に夏スキーに行ったとき、自分の魂が自分の頭の上を漂っているような、そんな幸せな感覚でリフトに乗り頂上付近に近付いた。突然自分には及びも付かない大きな力を感じて、思わずリフトから飛び降りて地面にひれ伏したくなった。それまでのフワフワした安っぽい幸福感は掻き消えた。ほんの少し修行したからと言って、本当のパワーが身に付くわけはない、そんなことを言われたような気がして、たぶん顔青ざめていたことだろう。その後も瞑想は続けていたけれど、今はもうすっかりやめてしまった。やればいい効果が出るのはわかっていても、月山に住む荒ぶる神の前にひれ伏した記憶がよみがえると、自分の小ささ、いい加減さを思い知らされる。本当は瞑想は宗教も人も自然も超越したものにならなければいけない。その境地にまで行かれれば、本物になる。ちゃらんぽらんに多少齧っただけで、本物になれるはずがない。もしそこまで到達した人がいたなら、その人はモーツァルトになれる人だと思う。凡人にとっては、そんな大それた大物になるより、小物でいるほうがそこそこ幸せに生活できるところに落ち着く。ありふれた人生もまた良し。でも瞑想はお勧めしたい。あのシーンと澄み切った世界を思い出すと、いつか又はじめようとおもっている。

中国よ、どこへ行く?

いまや超経済大国になった中国。しかし、今の勝手気ままさはどうしたことか。あまり政治のことは書きたくないけれど、ノーベル平和賞に対する振る舞いは最低。これほど情報が行き渡っている今の世の中で、中国内部にはまだ真実が知らされていない人たちがたくさんいるというのも驚く。もともと私は中国が好きで、中国の人も日本人にはない大陸的なところが好きだった。自分も細かいことにはあまりこだわらないので、ウマがあうのかもしれない。しかし、今の中国の金の力をかさにして、すき放題する姿は非常に下品さを感じる。私は今まで中国にはなんと、4回も言っているけれど、いつも一般の人たちは優しく、親切だった。文明の発祥の地としても、その後の優れた文化の発達した国としても尊敬してきた。しかし、いまやお金の力で世界をブルトーザーでなぎ倒す勢い。理屈も通らない。普通なら恥ずかしいと思うような振る舞いをしても、他の国の批判もなんのその。かつて、日本もバブルのころはお金を見せびらかして、世界に顰蹙を買っていた。しかし、今の中国ほどの横車は押さなかったと思う。中国は今後の世界のリーダーとなるなら、品位を取り戻してほしい。どうして、一般の人たちと政治がこんなにも違うのだろうか。大国として太っ腹なところを見せたら、世界中から尊敬されるものを。国は大きくても指導者の肝っ玉が小さいとしか言いようがない。それでも私は中国が面白く、また行きたいと思っている。

2010年12月10日金曜日

IHヒーター

やかんをいくつ焦がしたことか。かけたことを忘れて他のことをしているうちに、真っ黒こげになっていることがしばしばあった。紅茶のティーバッグをカップに入れて忘れ、真っ黒な紅茶ができあがったり、なにかひとつのことに夢中になると、ほかのことは忘れてしまう。安全の面でも今にとんでもないことになるといけないので、ガスヒーターからIHヒーターにかえることにした。変えたからと言って安全とは言いかねるけれど、少なくとも何分かすれば切れてくれるそうだから、多少安心感はある。でも、こうして安全を器具に頼ってばかりいる生活は、人から危機管理の感覚を無くさせていくに違いない。車の安全装置についても、最近は、車がコンピュータ制御で勝手にブレーキをかけてくれるようなものも出るらしいけれど、なにか恐ろしい気がする。いつもそういう車に乗っている人が、装置のない車にたまたま乗るようなころがあるとしたら、どうなるのかな。たまたま装置が故障したらどうなるのかな。この頃、子供が怪我をする遊具の一位はブランコだそうで、よく事故がおきるとその遊具を取り除いてしまう公園も多いと聞く。そのうちどこの公園からもブランコが姿を消してしまわないか、その代わり全く安全な動かないブランコがおいてあったりして、なんだか寒気がする。大体人が成長するときに、いくらかは怪我をしながら学んでいくものなのに、そうしないで育った子供はいつか大怪我をしないだろうか。自分は安全にとヒーターを変えて言うのは変だけど、年は十分とったからお許しを。火事は近所迷惑ですから。

2010年12月9日木曜日

ステージは面白い

私たちの仕事はいろいろあって、スタジオ内での録音、テレビの録画、生中継、オーケストラやアンサンブルのステージ、たまにはソロも弾く。その中でも一番面白いのはステージでお客様の前で弾くこと。今日も(日付けが変わって昨日になってしまった)早めのクリスマスコンサートが王子の北トピアで開かれた。演奏は銀河管弦楽団。レギュラーメンバーではなくエキストラとしてだけど、コンサートマスターはじめメンバーは親しい人たちなので、楽しくリハーサルが進む。でも、今日はじめて見る楽譜はどれも、難しい。クラシックの時以外はたいてい楽譜は当日渡される。テレビの仕事もスタジオの仕事も、ひどいときは楽譜が出来上がっていないこともある。現場でいきなり難しい楽譜を渡され、初見で弾かなければならない。 それを10数曲、一回弾いただけですぐ本番の時もある。今日も行ってみれば、難しいリズムや調子記号がたくさんついている曲が多い。わあ、大変。でも、この緊張感がなんともたまらない。クラシックのオーケストラのように、何回も練習を重ね、練り上げていくのも面白いが、これはこれでスリル満点、誰がどう出るか思いがけない展開があったりして、予断を許さない。練習を重ねているはずのクラシックのオーケストラの場合であっても、ハプニングは常に控えている。たとえば指揮者でよくステージから落ちる人がいたり、繰り返しをウッカリ忘れる人がいたり、決して油断はできない。やり直しがきかないから皆極度に緊張するために起こる。普段なんでもないことが出来なくなったり、出来なかったことが出来たり、楽器を取り落としたり、一番すごい話は着替えのときにウッカリ下着を脱ぐのを忘れ、本番中にずり落ちてきた人がいた。・・・面白いと言っては不謹慎だけど、刺激に満ちている。一度ステージに立つとやめられなくなるのは、そのせいかもしれない。

2010年12月8日水曜日

ステージ衣装

今日のステージは、どうかと思うほど派手な衣装でという注文。さて、何を着るか。いろいろ引っ張り出してきても、普段がクラシックの演奏だからあまり派手なのは持ち合わせがない。今日は行ってみないとわからないけれど、たぶんセミクラシックかポピュラー系だと思う。若いころはジャズなどもたくさん弾いていたので、それらしい衣装も持っていたけれど、いまは主に落ち着いた色調のものが多い。インドに行ったとき買ったサリーの生地で作ったドレスがピカピカしていて派手といえば派手。これに下に黒いパンツを合わせて・・・でも、出来上がってきたときからなんだかお仏壇みたいな柄だなあと思ったので、あまり好きではない。それではスワロフスキーの光り物がついた黒のスカートにシースルーのブラウス。いまいちだなあ。いろいろ着てはやめ穿いては脱ぎしているうちに、毎度おなじみの枯れ葉色にスワロフスキーの光るブラウスになった。毎回このブラウスになってしまう。これは友人と行ったブティックの女主人が選んでくれたもの。私はまったく自分の趣味ではなかったので選ばなかったけれど、すすめられてついでに買ったものなのに、今一番重宝している。自分の好みと似合うかどうか、よく着るかどうかは時々外れることがある。ほしくてたまらなかったのに、買ってから一度も袖を通していないものもある。高価なレザーのコートなどはクローゼットの中で猫の爪とぎになり、泣く泣く処分してしまったこともある。思えばずいぶん無駄なお金を使っている。ステージ衣装もたった一度しか着ていないものがあるので、そのうちコンサートを開くときに着ようと思って捨てないでいるが、そのときがきたら果たしてサイズが大丈夫か、似合わなくなっているかもしれない。かつて上越市でのこと、ステージ衣装を楽屋できてみると・・・いつのまにか太ってしまって入らなくて大騒ぎ。裏地をはさみでジョキジョキ切ってやっと体を押し込んだことがあった。この頃は前日入るかどうか確かめてから持っていくようになった。油断も隙もない。そのときの衣装は私より細い人の手に渡り、その人もいまではそれが着られなくなっているという。

2010年12月7日火曜日

かわいそうなマイカー(ヴォルフガング アマデウス 日産シルフィー)

ガソリンスタンドで給油していたら、スタンドのお兄さんが目ざとく見つけたバンパーの傷。さっそく修理しますよと、勝手に見積もりを出してきた。はいはい、でも修理する気はさらさらない。だって、こすっただけだし、走りにまったく影響はない。先日定期点検に出したとき、こすってしまったことを伝えると、日産マンはこんなのかすり傷ですからと言って、修理のしゅの字も出なかった。彼も元レーサーだったから、走りにうるさくても車体のこすり傷など、どうと言うこともないらしい。営業的にはどうか知らないが、そういうところが気に入っている。スタンドマンは新しい年をきれいな車で御迎えになれます、と言う。あいにく、そんな趣味はない。今まで何十年も新年をきれいなうちで、迎えたことはなかった。暮れから新年にかけて大変忙しく、大掃除をするどころか体調を維持すっるのがやっとという有様では、御節もつくれない。2日に実家に行ってかろうじてお正月らしくしたのも、両親が亡くなってからは殆ど行かなくなってしまった。昨年までは朝から駅伝を見て過ごし、たまに目に付いた埃を払うだけ。でも、今年は少しお掃除をはじめている。長年たまったゴミはなかなか減らないけれど、少しずつ処分している。暮にまとめてというのは無理だから、今から少しずつ。ところが、長年の汚れはすぐには落ちない。浴槽だけで3日もかかるとなると、浴室全体では一週間、居間ははたして新年に間に合うだろうか。なにしろ狭いところに猫が4匹。いすでつめを砥ぎ、毛玉はそこら中に散って、吐き戻したり、トイレの砂をせっせと撒き散らす。猫を処分しない限り・・・・・と、とんでもないことを。どんなことがあってもこの子たちは猫鍋にしてたべようなんて・・・まあ、おそろしい。やはり、きたないままお正月かあ。車には傷に絆創膏はって我慢してもらいましょう。

2010年12月6日月曜日

病院へ行く

数日前に自転車のハンドルで左肋骨の下を強打した。痛みはそのうち引くと思って放っておいたところ、だんだんひどくなってきた。それもそう、前輪がパンクするくらいの急ブレーキをかけて、そのハンドルが食い込んだのだから、そうとうなダメージは受けていると思える。寝た姿勢から起き上がるのが大変。歯を食いしばって起き上がる。起き上がれば、もう痛くはない。だから、内臓に異変があるようなことも考えられないので、このまま放置しておけば治るとは思うが、多少心配だから、一度病院に行ってみようと思った。それで近所の総合病院にノコノコでかけると、そこは患者であふれかえっていて、予約も一ヶ月先まで取れないと言う。すぐそばにその病院を退職して開業した先生がいるからと、紹介された。なるほど、ものすごく頭のいいやり方だなあ。大病院時代の患者さんもついてくるし、こうして新しく来てもはじき出された患者も回してもらえる。そこも大変混んでいた。結局レントゲンを撮っても骨に異常なし。シップ薬を調合され、その間2時間30分。待合室でヴァイオリンが弾けたら、ずいぶん練習がはかどるのに・・・と、いつも練習をサボる人に限って、そんなことを考えるものだ。しかし、本当にどうにかならないのかなあ。歯医者さんなどは、完全に予約制だから時間の予測がつく。まあ、怪我はいつするかわからないから、完全に予約では困ることもあるでしょう。持って行った本の約半分読んでしまった。そうか、読んでいない本を読む時間と考えればいいのだ。

2010年12月5日日曜日

文京シビック

1時からアンサンブルのリハーサルがあったので、12時に行って35階のレストランでランチを食べることにした。ここはよく利用するが、割にちゃんとした料理を出す。さて何を食べようかとメニューをみていると、本日はステーキランチが割安になっているらしい。注文すると「フォアグラをお付けしますか?」と聞かれた。勿論いらないと答えようと思いふと見ると、フォアグラ12円・・・・目が点になった。フォアグラといえば、キャビア、トリュフなどとともに世界の珍味。エエーッ。なんでー。何周年目かの記念のサービスらしい。「はい、付けてください」勢い込んで言う。でも、まずいかもしれない。期待するのはよそう、とおもったけれど、だいぶ時間がかかって出されたものは、とても上等。ステーキは小ぶりながらやわらかく、ミディアムレアの焼き方もうまく、非常においしかった。そして問題のフォアグラは期待以上においしく、ウームとうなりそうになった。本当は、ごくふつうのフォアグラがこの値段で食べられたという感激のせいかもしれないけれど、とにかく付け合せの野菜も全部満足。満足ついでに食後のケーキにモンブランをたのんで、本格的なコースになってしまった。その前は、後楽園駅の外にある立ち食いのおそばでもいいなんて、考えていたのに。おいしいものを食べると、幸せな気分になって元気になる。もともと、食いしん坊な上に大食。男の人たちと飲み屋にいってもひけをとらない。自慢するようなことではないけれど、けっこうこれって幸せなことなのです。

2010年12月3日金曜日

糾える縄の如し (ミニコンサート例会)

禍福は交互にやってくるので、大抵の人は平均的な人生になる。一昨日練習が面白いようにはかどって、その後、家を出たら自転車の事故にあった。昨日は練習しようと楽器を出したら、前日の疲れでろくに音も出ない。無理の効かない年齢になってしまった。でも、先日北里病院で指導されたように、顔に一切の化粧品を塗らない、洗顔も水だけと言われ実行していたら、なんとスベスベ。信じられない。しかも気持ちが良い。この乾燥の時期、それは無いでしょうと思ったけれど、なんの心配もいらない。驚きと、今まで化粧品会社に騙されていたとの思いがする。考えて見れば、首などは化粧水もつけないのに、顔よりもしっとりしている。なるほど、納得した。
今日は毎月の例会。ピアニストと曲を持ち寄ってホームコンサート。懲りずにバッハのパルティータ2番、今日は全曲。先月はチベット疲れのため、シャコンヌは割愛してしまったので、今日はリベンジ。シューマンの「幻想曲」ショパンの葬送行進曲入りの「ソナタ」ベートーヴェンの「ソナタ」作品番号は111?だったかな。最後のピアノソナタ。3人のピアニストが共演。いいなあ、ピアノは。時々無性にピアノが聞きたくなるけれど、こうして生でしかも眼と鼻の先で聴けるなんて、なんという幸せ。この会のおかげで、とにかく練習がさぼれないのがありがたい。自分一人なら、なにかと口実をみつけてはさぼってしまい、すぐに弾けなくなってしまうに違いない。参加させてもらったことに感謝している。これは福。禍のほうは、夜来の暴風雨で道がひどく混んだこと。家を出たとたん、バスが3台も連なって信号待ちをしていた。家のそばでこんな事はめったにないことで、あまりにも混んでいるので、別のコースに変えても又混んでいる。いつもなら1時間余りのドライブが2時間を超えてしまった。例会後の楽しいランチタイムの後帰宅すると、強風で枯れ葉が降り積もり、散々お掃除をしなければならなかった。こうしてみると、本当に糾える縄のように、いいこと、悪いことは交互にやってきて、均衡を保っているのだなあ、と思う。私の場合、禍も福も振幅が少ないので、比較的穏やかな生活なのがありがたい。でも、チョットつまらない。

2010年12月1日水曜日

好事魔多し

今日は練習がはかどったので、良い機嫌で午後から川崎に出かけた。こんな晴れて暑くも寒くもない天気なら、自転車が一番。川崎駅まで7キロ位だから運動量としても最適。ふと面倒くさいから車?なんてチラッと思った。でも、運動不足だし、やはり、自転車と思い直して家を出た。なぜ面倒かというと、途中陸橋が3箇所あること。回り道をしないと結構急坂を登ることになる。それと駅近くの陸橋でとても道幅が狭いのと、次の交差点は自転車、歩行者の歩道がない。大回りをするか、決死隊のように自動車をかいくぐって渡るしかない。それで、川崎駅付近には危険がいっぱいなのだ。でも走り始めると風が気持ちよく、鼻歌が出る。2番目の陸橋を避けるため回り道に入った時、アクシデントは起きた。私は車を運転するから、自転車の時も交通規則はちゃんと守っている。とまれの標識には止まるし、左側を走行するし、ライトは暗くなれば点灯する。ところが最近自転車に乗る人をみていると、恐ろしいことに「世界は私のためにある、」という人が多い。右も左もない。好き勝手な方を走る。対面して避ける時も当然左側に避けなければいけないのに、右側に来るから正面衝突しそうになる。回り道に入って3差路に差し掛かったとき、右の小道からものすごい勢いで飛び出してきた自転車。小学生くらいの男の子が止まりきれず、私の自転車に直角にぶつかりそうになった。激しくブレーキをかけてかろうじて衝突はまぬがれたものの、ハンドルで左の肋骨の下を強打してしまった。彼は左折するなら私の右側にいけばいいし、右折なら私の前にでればいいのに、たぶんスピードがですぎてコントロールがきかなかったのだろう。いっときお説教。「あなたねえ、とびだすんじゃないわよ。私が車ならあなたは轢かれて死んでたよ。」  このセリフ前にも言ったことがある。その時はおばはんだったけど。子供は素直にすみませんとなんども謝ったけれど、肋骨の下が痛い。彼が行ってしまってから走りだすと、ん?みごとにタイヤがパンクしていた。すぐそばにホームセンターがあったので、自転車売場で修理を頼み、バスに乗り換えて時間には間に合ったけれど、考えてみたら自転車の修理代と、もし痛みがひかなくて病院に行ったとき、治療費も自分持ち?名前と電話を聞いておけば良かった。片手落ち。ホームセンターの宝くじ売り場で「当たるよ当たるよ」と連呼しているのが気になった。こんな時買うと当たるかも知れないな。でも、当たらないと二重の損だな。そうしたら後ろから来た人に又自転車をぶつけられ腹立たしい。やはり宝くじは買ったものだろうか。なんでも3度あるって言うじゃない?

2010年11月30日火曜日

バッハ無伴奏

久しぶりにバッハのシャコンヌを弾いてみた。だいぶ体力が戻ってきているらしく、殆どつかれずに数回弾ける。それならとパルティータ2番を頭から通してみると、かつてはあれほど大変だったこの曲が、わりとすんなり通せるではないか。ここ数年の働きすぎのツケもそろそろ払い終わって、体調が整ってきたのかもしれない。けっこう最近難しい曲にも挑戦してきたし、新しい曲の譜読みもしてきたけれど、やはり究極はバッハ。音程、右手のボウイング共に難しい。腱鞘炎や腰痛に悩まされて度々中断しそうになった演奏生活も、又希望の光がさしてきたかな?これからはコツコツと練習するしかない。それもピアニスト達のホームコンサートに参加させてもらったおかげで、公の場では無いけれど人に聴かせる大切さを身にしみて感じる。特に優秀な音楽家の前で弾くとなると、楽器が違っても油断はならない。明後日又例会があるけれど、ここ数日ヴィオラを弾いたせいで大変疲れた。昨日はずる休みを決めこんで、ウダウダしていたのも良かったかも知れない。以前なら歯を食いしばって練習し、散歩も決めたら最後一万歩を絶対に歩き通す、みたいな無理をすることが多かった。それが逆に自分を追い詰めるのが分かっていても、歯車が回り続けてやめられない。赤い靴を履いてしまった女の子のように、踊り続けてしまう。でも体力は年々落ちてゆくし、無理をしてどこかをこわしてしまったら、もう弾けなくなってしまう。気持ちが落ち着いてきたら、自分をコントロール出来るようになってきた。相変わらず短気はなおらないけれど。数年後にコンサートが開けるかなあ。もう絶対引退の気持ちが、ソロソロ虫が騒ぎ始めて揺らいできている。なんとかの冷水(ひやみず)になるかもしれないのに。

2010年11月29日月曜日

美肌大作戦

すっかり歳をとってしまって、かつての輝く白い肌はダルネシアン状態。ゴマフアザラシとも言える。シミが浮き出て特に手は自分で目につくので、耐えられないほど汚く見える。そこでエステに行ってみたけれど、結果が出るのは相当長く待たなければならないので、いっそのことレーザーで取ってしまおう・・北里研究所病院が良いというので、さっそく出かけてみた。診察室の奥まった一角に、そこだけピンク色のちょっと浮いた感じの診察室がある。看護婦さんも受付も美人揃いで、エステの雰囲気がする。担当は女医さんで、これも美人。そうだよね。美容センターに私のようなおばさんがいたら、クライアントはみんなガッカリするに違いないものね。まず洗顔指導から始まる。私は不精にかけては人後に落ちない。洗顔もぬるま湯でチョット洗うだけ。洗顔料も使わない。それは正解だそうで、おやおや、とんだところで役立つ不精もあるのだなあ。しかし、もしも石鹸で洗うならおそろしく泡立てなければいけない。看護婦さんが泡立てた石鹸は、もはや石鹸以外のもの、マシュマロみたいに弾力があって、ほんの少し暖かい。全く水でやっているのに。それを顔にペタリ、ペタリと貼りつけるように押し付ける。洗い流すと普段の石鹸洗顔と違って、つっぱった感じがない。ふーん。診察室に入って肌チェック。肌は丈夫な方で、大抵年齢の割にはと但し書きがつくけれど、ほめられることが多い。今日もちゃんと肌理があって良いとのこと。でもその上に、憎っくきシミが居座っている。こいつを追い出さないと夜も眠れない。昨日も友人から、いびきかいてよく寝ていたわよ、よ言われたばかりだけど。一番ショックだったのは、一切化粧品は塗ってはいけないと言われたこと。まあ、不精してしょっちゅうスッピンですが、でも、コンサートに行く時やステージにあがるときには多少塗らないと恥ずかしい。それから、日焼け止めを塗らないようにとも言われた。おおい、スキーのシーズンどうするの。今全くスッピンだけど、なんだか気持ちがいい。とすると、今までどれだけ無駄なお金を使っていたことか。高い化粧品、エステ、ああ勿体無い。この結果が吉とでるか、凶とでるか、半年位かかるらしい。半年後シワシワになっていたらどうしよう。

2010年11月28日日曜日

横須賀市文化会館にて

今日は関東学院大学のオーケストラのコンサート。エキストラで参加した。
「劇場支配人序曲」       モーツァルト
「ピアノ協奏曲」         ショパン
「交響曲8番」          ドヴォルザーク

アンコールに「スラブ舞曲」    ドヴォルザーク

今年初めて楽器を手にしたような学生が何人もいて、本当に訳もわからず夢中で練習したと思うけれど、ビックリするほどハーモニーが綺麗。指導の先生方の実力と思われる。練習の時に度々どこを弾いているのかわからなくなっていた学生に「迷子になっちゃたね」と声をかけたら、気にしていたらしく、次の練習ではちゃんと必死でついていった。わざわざ、指揮者が私のところまで来て、「今年始めたばかりですから」と彼のために弁護した。ショパンは調性も難しい上に、ソロはロマンチックに歌うような曲なので、初心者にはついていくのは難しい。それをどうにかクリアして、嬉しそうにしていたのがとても可愛いらしい。私はヴィオラを弾かされて手がもげそうなほど疲れた。今朝は練習が早い時間からあったので、昨日のうちに横須賀まで行って、ウイークリーマンションに友人2人と泊まりこみ。渋谷での仕事が終えてから大急ぎでうちにあったクリームシチューをタッパーに詰め、サラダやパン、ビールなどを買って車に載せて、横須賀へ到着。ちょうど、オーケストラの練習を終えた二人と合流して、その夜は楽しいおしゃべりと食事で過ごした。仲が良くて遊びも仕事も一緒なので、気心がしれていて疲れない、得難い友人達です。オーケストラは私にとっては音楽上の「ふるさと」でも、気を使うから終わるとドッとつかれてしまう。そんな時は帰りのドライブが最高の気分転換になる。日曜日の高速道路の上りはおそろしくい混むと覚悟していたけれど、第三京浜はがらがら。鼻歌まじりに運転していると緊張感から開放されて、中々良い二日間であったと楽しい気分で帰路についた。

2010年11月26日金曜日

秋雨

小春日和の投稿した途端、雨模様になってきた。低気圧がくると血管が収縮するそうで、それでいろいろな症状が、例えば頭痛や憂うつ感などが起きるそうで、納得。子供の頃から「私ってお天気屋さん」と思っていたから。天候で気分がものすごく左右されることを実感していた。他の人達はいつ見ても冷静なように見えて、自分だけ特殊なのかと思っていたけれどそうではなく、私のようにスグに表に出さないだけなのだとこの頃ようやくわかってきた。熟慮する脳の持ち合わせがなく、アッという間に顔や言葉に現れてしまうので、内心の隠しようがない。偶然お目にかかった人に「わあ、暫くね。お元気?」と言われて絶句。でも悪いから「本当に暫くね。元気よ。」と言ったら、「私のことわからないでしょう。顔に書いてあるわ」と言われてしまったこともある。ずいぶん以前のこと、北海道にスキーに行くために羽田空港で札幌行の出発便を待っていた。その日は大雪でいつ飛ぶかわからないので、ぼんやり腰掛けてごった返す人たちを見ていた。突然頭の上から声がして「もしかしたら**さん?僕**です」と言われた。背の高い男性が上から見下ろしている。ジッと見ていると、かすかにかつての小学校の、クラス一のヤンチャ小僧の面影がよみがえってきた。「ああ、**君ね。まあ、何十年ぶりかしら」本当に懐かしくうれしく、暫く話をして彼は行ってしまった。
ちょっと考えると、彼のことは向こうから言われなければ全くわからなかったのに、どうしてアチラは私のことがわかったのか。ということは小学校以来なんにも変わってないってこと?普通大人になると、見違えるように美しく洗練されたりするのに?彼は当時のいがぐり頭の悪戯小僧が、堂々と立派になっていたというのに。複雑な思いでした。

2010年11月25日木曜日

小春日和

このところ晴れた日が続く。こんな長閑な日差しを小春日和というのか。いえの前の桜並木も赤く色づいた葉が散って、見通しがよくなった。これからが本格的な寒さとなる。寒いのは好きだから、うれしい。猫たちが私の布団に潜り込んでくる。両腕に柔らかく温かい動物を抱えると、実に至福の時となる。鼻をグズグズ言わせフニャフニャ寄り添ってくるのがたまらなく可愛い。でも、私の寝相はかなり動的なものらしく、次に目が覚めると、彼らは枕の上に避難している。呼んでも2度とこないところをみると、ひどい目にあったらしい。ほとぼりがさめるまでは、中々来てくれなくなる。電気代のいらないアンカがわりに使うのは無理らしい。やはりネコはなんの役にも立たない、と思うのは間違い。ひどく忙しく働いていた頃、毎日緊張で動悸が治まらない事が多かった。このままでは突然死だぞ、と思っていたときに役に立ったのが彼ら。眠れないときそっと寄り添ってくれる。その毛を撫でていると、あれほど激しかった動悸がいつの間におさまり、すーっと眠りに入っていける。どれだけ彼らに助けられたことか。今こうして穏やかでいられるのもニャンさんたちのおかげと感謝している。よくうちに来てくれましたね。時々話しかけるとフンといって逃げて行く。ちょっと一句。

柿熟し 黒き仔猫の 陽に溶けて          お粗末さま。

2010年11月24日水曜日

粘菌でイグノーベル賞

イグノーベル賞はノーベル賞のパロディ。人々を笑わせ、考えさせる研究に贈られる。今年で20周年になるが、日本人の中垣俊之さんが受賞された。今朝の新聞からの情報では、粘菌が実際の鉄道網よりも効率よくネットワークを作り出す研究で、交通計画賞を受賞した。2008年、粘菌が迷路をとく研究で「認知科学賞」を受けてからの2度目の受賞となる。粘菌がエサに接触すると、その周囲にアメーバ状の体を集める。迷路の中に入れると見事最短経路を見つけたというので、なんだかよくわからないけれど、この研究を始めるきっかけがなんだったのか知りたい。そもそも、粘菌というのはなんぞや?例えば納豆菌のようなものなのか。カビの菌か?ちょっと調べてみたら、中々面白いものであることがわかった。まず、初めは他の星から地球に降ってきたと考えられ、地球上の動植物の原型となる。動物と植物の両方の性質をそなえている。森の枯葉などの中に住み、細菌などの有機物を食べて成長する。細胞壁のない一個の細胞で、分裂はせず巨大アメーバとなる。手のひらほどの大きさに何億個の核を持つ。これが動物的性格。光を嫌い湿気を好むが成長とともにより明るく乾いた方へ移動する。キノコやカビのような胞子の袋を作り、胞子をばらまいて仲間を増やす。これが植物的性質。胞子が発芽すると水の量が多ければ精子のような、少なければアメーバのような細胞が生まれ、これが精子と卵子にあたる。オスとメスの細胞が接合して接合体となり、エサを食べながら成長する。とまあ、このような物らしい。どうやらカビではないらしいが、例として「タマホコリカビ」というのがあげられいたので、近いものなのだと思う。この名前なんだかいやだなあ。nekotamaの家のホコリに住むカビみたいで。誇りは無いがホコリはたっぷりある我が家を象徴している名前みたい。人はいろいろなことに興味を持つものだと思いますね。その存在すら知らない私のような者もいるし、それにひかれて研究する人もいるし、世の中にさがせばゴマンと面白い事があるのに、なにもせず、道端でしゃがんでいる人もいる。でも、私の理想はしゃがんでいる人なのです。これも面白いでしょう?

2010年11月23日火曜日

秋の日のヴィオロンのため息の・・・

秋です。我が家の前は桜並木。今は落ち葉の季節。毎朝落ち葉掃き。別に当番が決まっているわけではなく、気が向いた人が気が向いた時間にしている。ここは2丁目と4丁目の境目。うちは4丁目。今から14年前、ここを2丁目がゴミ置き場と決め手からごみ戦争が勃発した。事の始まりは今まで自宅の前にゴミをおかせていた家が新築した。それで、もうそろそろとなりの家にゴミ置き場を移してて欲しいと言ったところ、その家は拒否。そして、わざわざ自分たちの家の前ではない、我が家の前の川っ縁をゴミ置き場にしてしまった。私の家からものの3メートルと離れていない。でも、自分たちは関係なく綺麗にしていられる。こんな理不尽なことってありますか?カラスが荒らし放題でも、自分の家の前ではないから、気がつかない。夜中にゴミ出し。収集されない物を出して、置いていかれればそのまま放置。そのたびにこの私が怒鳴りり込む。10件ほどの家を相手に孤軍奮闘、一人で立ち向かい町内会長を巻き込んで大騒ぎとなった。度重なる不始末に私は胃潰瘍寸前。だいたい責任の所在がはっきりしないから、誰が管理するかもわからない。呆れるほどの杜撰さに、こちらは切れっぱなし。自覚をしてもらうのに13年かかりました。散らかり放題の状態を2丁目の町内会長をひっぱってきて見せたのです。それまで、住人たちから私の悪評を聞いていたらしく、初めはケンもホロロだったのが、あまりの酷さに絶句して黙々と自分で掃除を初め、それからやっと事態は変わり始めた。きちんと掃除をする。残されたゴミは片付ける。カラスの散らかしたものは片付ける。それまで驚くべきことに、カラスの散らかしを無視して、「あら、大変」等と言って、踏みつけて自分のゴミを置いていた。風が吹くとこちらにゴミの残骸が舞ってくる。最近は見事にきれいになっている。私とて文句は言いたかないさ。たかが、週3日。2時間ほどゴミがあっても我慢するさ。でも、あまりの自覚の無さにあきれ返っていた。最近朝ふと外を見たら、2丁目の人が私の家の前を掃除してくれていた。向こうから挨拶もする。それで桜の落ち葉も毎朝だれかしらが掃除するので、道はいつもきれいになっている。しかし、もっと早く、文句を言われる前にそう出来なかったのか、そこが未だに腹の立つ所以です。ロマンチックでないため息が出ますよ、ヴェルレーヌさん。

ノロウイルス

最近ノロウイルスで発病する人が多いようで、今日もテレビで幼稚園のノロウイルス対策を放送していた。園児たちがテーブルの前であそんでいると、先生が来てテーブルを消毒用アルコールをかけて消毒する。なんだかいやだなあ、そういうのって。過剰に清潔、過剰反応。実は昨日は私もお腹の調子が悪くて、これは?と思ったけれど、様子を見ていたら治ってしまった。かるく風邪をひいたか、疲労がたまったせいか、気にもしないでいれば殆どの場合なおってしまう。テレビコマーシャルなどもやたらに消臭剤を振りまいたり、家中を消毒したり、やたら手をゴシゴシ洗ったりするものばかり。時には体の常在菌の話でもしたら、どうでしょうか。可哀想にせっかく働き者の善良な菌まで抹殺して薬に頼っていると、ろくなことはない。もし、薬が手に入らないところに不本意に行かされたら、どうしましょう。先日抗生物質のきかない耐性菌の記事を読んだけれど、あまりにも安易に使い過ぎるのが原因らしい。ちょっと怪我しただけですぐ抗生物質を調合される。先日耳鼻科で軽い手術をしたあと、出された薬の多さにびっくりして、殆どすててしまった。医師に薬の説明をしてもらったけれど、ほとんど必要のないものばかり。薬を出さないと儲からないのかも知れないが、もう、そこへは二度と行きたくないので、結局患者を取り逃がしたことになる。お気の毒に。あまりにも神経質だと、私みたいに行きたいところにも行けないでしょう。私はそうとう辺鄙なところでも、殆どお腹を壊さない。世界中で一番我が家が汚いから、なんて言うと、誰も遊びに来てくれなくなる。そんなことはありません。青蔵鉄道のトイレよりはましですから、遊びに来て下さい。

2010年11月20日土曜日

国際基督教大学

ICUのキャンパス内にあるホールで、古典音楽協会のコンサートがひらかれた。今回はコンサートマスターのゆかりの方や、日ごろ定期演奏会を聴きに来てくださる方たちのご尽力によるもので、バロックの名曲を演奏した。三鷹の天文台のちかくの高台にある広い敷地が、大学構内。元はブッシュの生えた荒地をやく50年ほどで立派な森にして、そこに点在する建物も落ち着いた佇まいを見せている。学生たちもゆったりと学園生活を楽しんでいるようだ。このところ、学校に行くことが多く、それぞれの大学の雰囲気がとても違うことに驚かされる。ここはとりわけ物静かで、深まり行く秋の景色のせいか、土曜日で生徒数がすくないせいか、落ち着きが感じられた。曲目はヘンデルの合奏協奏曲、ヴィヴァルディの2本のヴァイオリンのための協奏曲、バストンのリコーダー協奏曲、コレッリのクリスマスコンチェルト、バッハのカンタータ、パッヘルベルのカノン、アンコールにバッハのアリア。バロック好きなら涎のたれそうなプログラムだと思う。古い小さなホールでも音響がよく、とても弾きやすい。皆さんがとても喜んでくださったのがうれしかった。終演後代々木のオリンピック記念青少年ホールに駆けつけ、(それも、5時開演ぎりぎりセーフ)すぐステージに上り、フィガロの結婚序曲、カルメン組曲、ベートーヴェン「英雄」というプログラムでリハーサルなしの本番。明日はドヴォルザークの8番の交響曲、ショパンのピアノ協奏曲、などのリハーサルがあって、このところ、オーケストラが続く。ところで今日は私の大厄日だったみたい。まず、古典音楽協会のステージでは間違えてばかり、挙句に転んだり、眼鏡をこわしたり、なにもかもついていなくて落ち込んで帰ってきた。こんな日がたまにあるのです。もう、演奏やめようかな、なんて愚痴をこぼしながら帰ってきた。ああ、やんなっちゃうな、もう。

2010年11月17日水曜日

やったね!はやぶさ

「はやぶさ」が「イトカワ」から岩石ーと言ってもチリみたいなものらしいーを持ち帰ったニュースを聞いて、なんだかホッとした。7年もかけてやっと宇宙の果てから帰ってきて、お土産なしとわかったら、世間の目はどれほど厳しいものになることか。もとは搭載されたイオンエンジンがうまく動けば、目標は達成された。でも、その上岩石の回収があれば百点満点の五百点だそうで、新聞に掲載されたはやぶさプロジェクトの研究者たちのうれしそうな笑顔は、地道にこつこつと研究を続けてきた人たちの最大級の喜びの表現と思える。これで事業仕分けを免れるかどうか。学問、芸術などはお金がかかる上に結果が出るのは時間がかかる。今、すぐに手っ取り早く成果を求めるのが、世界的な傾向だと思う。宇宙のことなどでなく、若者の雇用が先決、子育て支援が優先と考えられがちだが、それだけでなく遠い将来を見る目も大切。研究には将来役に立つかどうか不安なものもあるとおもうけれど、結果として必ずどこかで役にたつのではないか。当初の目的とは別のところで役にたっている研究結果もたくさんあるでしょう。この頃周り中からいじめられているかわいそうな日本。でも、まだこんなに素晴らしいいことが出来るのさ、世界中にアピールしたい。裁判員裁判のいやなニュースと、この喜ばしいニュースのあった日でした。

裁判員裁判

ついに死刑判決、下した裁判員の胸中はいかばかりか。自分だったらどうする?犯行の残虐さから言ったら死刑は免れないとは思った。でも、自分だったら果たして決められただろうか。被告が徐々に改悛の情を見せて変ってゆくのを見て、人情としたら死刑は言い渡せない。初めに戻って残忍なやりかたを思い出さないと、つい情が働いてしまうのは無理もないことだと思う。人がある行為をした場合、いくら後で反省しても取り返しのつかないことがある。これはその例だと思う。私の持論は後で反省しようとしまいと、やってしまった行為にたいする償いはしなければならない、と思う。それはどんなに理屈をつけようと、やられた人の方からすれば、殺されたり傷つけられたりしたことは償ってもらう権利があるということ。反省するくらいなら、初めからしなければいい。自分が殺されるのはいやなら、人も殺してはいけないことくらい、子供にだってわかるのだから。しかも、あまりにも残酷なやりかたは、反省したとしても許されないのでは?と思うけれど、もし、自分が裁判員に選ばれてしまったら、と思うとゾッとする。死刑を決めるのはやはり一種の人殺し、なんて考えたら夜も眠れなかっただろうと、今回の裁判員の方たちに同情してしまう。本当にいやな思いを生涯抱き通していかなければならないのだから。ひたすら選ばれないよう、祈ります。でも、なぜ?民間の、法律の知識も裁判の訓練も受けていない人たちに裁判をさせるのか、それが一番の疑問です。

2010年11月15日月曜日

酔っ払いからの電話

スキー仲間で、飲み友達の青ちゃんから電話があった。背後のうるさいこと。また酒盛りの最中らしい。すっかり忘れていたけれど、そういえばスキーの先生がスキー用具を選んで、その流れで宴会に突入する、毎年恒例の飲み会だったけ。ここ数年の忙しさから、スキーはおざなりになっていた。今シーズンは暇もできたし、何回かでかけよう。ちゃんとレッスンも受けることにしよう。「先生が寂しがってたぞ」うそばっかり。私が現れないのでどんなにホッとしているか、目に浮かぶ。先生は源ちゃん先生と呼ばれている。熱心さの余り、少し煙たがられてはいるが、おかげでみんな年をとっても、安全で、きれいなスキーができるようになった。その中で反抗的な何人かも、次第に効果が顕れるのを見て、納得していく過程が面白い。私たちのグループでお願いして、毎年講習を開く。初めのころ先生はまだ若く、頑固でいこじで分からず屋で、手に負えなかった。私たちのグループは山田会長率いるところの、雪雀連。いい加減をモットーとするアウトローの集まりだから、先生もカリカリ、こちらも突っ張っていて、丁々発止と火花が飛んだ。とにかくスキーの話以外絶対にしないという、堅物というか変人だった。食事の時も寝る前まで、スキーだけ。朝おはようというなり、今日はどんな内容でレッスンをするか、延々とはじまるので本当に辟易した。コースに出れば、いわれたことが出来ないうちは、昼食もたべさせてもらえない。でも、最近皆が上手になったせいか、くたびれてきたせいか、ずいぶんおとなしくなってしまった。やはり源ちゃんは仁王立ちになり、ゲレンデ中に響き渡る声で私たちを怒鳴りつけていた、あのころのイメージでいてほしいなあ。でないと、こちらも反抗のしがいがない。

2010年11月14日日曜日

学生オケ

関東学院の学生オーケストラのお手伝いにはせ参じた。曲目はモーツァルト「劇場支配人序曲」ショパン「ピアノ協奏曲1番」ドヴォルザーク「交響曲8番」とアンコール用は「スラブ舞曲1番」今日は学校でリハーサル。関東学院は友人が講師をしているので、なにかとなじみが深い。去年まで毎年、ヘンデル「メサイア」をクリスマスシーズンに演奏させていただいた。この学校のカラーなのだろうか。学生たちが本当に元気でかわいい。学校にはそれぞれカラーがあって、いろいろな学生たちと付き合ってきたが、関東の子達はとりわけ無邪気で明るいのが目に付く。今日も行ったとたん、明るい渦に巻き込まれ、私もすぐにノリノリの学生気分。階段に大勢で座って物をたべているので、小鳥の集団みたいだね、と言ったらワッと笑い声が起きる。箸が転んでもおかしい年頃。私の母校の国立音大に雰囲気が似ているかもしれない。国立も底抜けに明るく自由な校風で、当時の学長の有馬大五郎先生の羽の下でぬくぬくと育ったために、傑出した音楽家は輩出しなかった。そのかわり、周りとの強調性が育ち、助け合っていける友人がたくさんできたのは得がたい財産となった。関東の子たちもきっと円満な社会人になるのだろう。28日15時開演 横須賀市文化会館で演奏会。前の日から会場近くに友人2人と泊り込んで、コンサートに備えることにしたので、これも楽しみ。おしゃべりが過ぎて夜更かししないようにがんばります。

2010年11月13日土曜日

トカゲの戦略

週刊文春に面白い記事があった。竹内久美子さん(動物行動学)の「イキモノローグ」という欄。
北米西海岸に住むワキモンユタという小さなトカゲ。オスの繁殖戦略が3種ある。それぞれ喉の色を変えて自分の戦略をしめしている。オレンジのオスは一夫多妻、ブルーのオスは一夫一妻、イエローのオスは妻がなくフリー(発情したメスに擬態)  オレンジは妻の数ではブルーに勝っている。ブルーは妻を持たないイエローに勝っている。ところがイエローは、沢山の妻を持っているため防衛の行き渡らないオレンジの隙をついて、その妻と交尾をしてしまう。メスに擬態しているから、隙をつきやすい。それで、一見最強のオレンジに勝ってしまう。ブルーは一人の妻を守るので、イエローに勝っている。ある年オレンジの数が多いなら、それをカモにするイエローがよく繁殖する。その効果は翌年または翌々年に表れる。すると、今度はイエローをカモにするブルーが繁殖。すると今度はブルーをカモにするオレンジが繁殖・・・・5年間で一巡するそうだ。この3つの勢力は数年ずつずれながら、栄枯盛衰を繰り返すとまあ、こんな話です。面白いですねえ。この3つの繁殖戦略をジャンケンのグー、チョキ、パーに例えて、「トカゲのジャンケン」   私から見ると、イエローが最強。フリーでいて充分楽しんでいるのだから、これは不謹慎か、はたまた願望か・・・ニャ?

ゲームは終わった。

というわけで、手こずりまくった24のゲームは完全に制覇した。それでも信用できず、昨夜もう一度初めからやり直し。又てこずって、とうとう11番目で頭が痛くなって寝てしまった。何かに夢中になっている時は、他のことも調子に乗ってしまい、昨日は一日中ヴァイオリンやピアノを弾き、散歩の距離もいつもより多くなり、今朝はボンヤリ。物事を程々にすることが出来ないのは、一種の性格的欠陥といえる。ピアノといえば、ピアニスト達のホームコンサートに混ぜてもらっているうちに、なんだかピアノが弾きたくなってきた。私の大好きなモーツァルトの幻想曲をそのうちものにしたいと思っている。その他はシューマンの子供の情景、Amazonから楽譜を送ってもらった。デームスの素敵な演奏を聴いて以来のお気に入り。楽譜が届いて、さて、鍵盤に指を置いても中々音が出ない。楽譜はスグに読めるほうだから、頭ではわかっていても、指が所定の位置に行くのに時間がかかる。それもそう、もう、何十年もピアノはちゃんと弾いていないのだから。気がついたのは和音で書いてあるところはサッととれる。かたまりで見るのが得意だから。でもバラバラだと指使いがわからない。幸い音大の先生たちが一緒だから、あわよくばこの際教わってしまおう。ピアノはヴァイオリンと違って、フタを開ければすぐ弾けるところがいい。ヴァイオリンは絶えず楽器のご機嫌を伺っていなければならない。気候が悪い日など、一日中調弦していることもある。気難しい楽器です。両方やっていた若い頃、ピアノの先生が私をピアニストにしたくて、強力に説得してきたけれど、私はなぜか、ヴァイオリンを選んだのは、その気難しさが魅力だったのかもしれない。私の性格からすれば、やはりヴァイオリンを選んで正解だった・・・かなあ?

2010年11月11日木曜日

ああ、恥ずかしい

10月の投稿、ショパンコンクールをチャイコフスキーコンクールと間違えて、気がつかなかったのです。その前に、実況中継を見られるようにしていただいたので、みていたくせに。ショパンと食パンとかなら、語感がにているから仕方がない。(えーっ、もっとひどいよ)でも、何回も自分でもショパンと言いながら、何故いつの間にチャイコフスキーになっちゃうの?昨日一緒に音楽会に行って友人からの指摘で発覚。そうでなければ、ずっと恥をさらすことだったでしょう。そろそろ物忘れ外来の診察を受けたほうがよさそう。テレビで認知症の簡単なテストをやっていて、私はなんとかクリア。でも、スタジオでテストを受けていた未だ若いタレントさん。殆ど重症の出来の悪さ。ゲストの医師が、これはちゃんとしたテストではないからなどとフォローしていたけれど、それも視聴者をバカにした言葉で、それならやるなよ、と言いたい。やはり、そのタレントさんに問題あり。なにか、質問の意味すらわかっていないようで、綺麗な顔してるのに悲しいね。脳の中にシミが出来ると、時間がたつとその部分が機能しなくなってくるそうだ。顔に嫌なシミがあるので取りたいといったら、昨日会った友人がお医者さんを紹介してくれた。でも、顔よりも真っ先に脳の中のシミを取ったほうがいいのではないかと、只今思案中。脳トレにとやっているゲーム。24問中23問目にとりかかったら、これが難しくてクリア出来ない。悔しくて夜中までやっていて寝不足になってしまった。それで、昨日のコンサートで爆睡したというわけです。あと2問が出来なかったら、悔しくてパソコンで爪とぎしちゃうぞ。

2010年11月10日水曜日

北川暁子ピアノリサイタル

文化会館小ホールにて。

モーツァルト     ソナタK284
ベートーヴェン   ソナタ作品109

レーガー       バッハの主題による変奏曲とフーガ
バッハ~ブゾーニ  シャコンヌ

いつもこの人は淡々といとも簡単そうに弾いてのける。でも、今日は少し手ごわかったようで、レーガーは楽譜を見てひいていた。こんなすごい曲を暗譜するのは、この人をもってしても至難の業なのか。分厚い音。まるで、オーケストラのような音の多さ。
数年前ベートーヴェンの連続演奏会を開いて、世間を驚かせた。たまたま、お目にかかったときに「なんてすごい」と驚嘆したら、「引き出しに全部はいっているのよ。開けると出てくるの」とアッサリと言ってのけた。なにを弾いても危なげのない、ハラハラしない演奏なので、今日は前半の2曲は心地良くぐっすりと眠らせていただいた。後半はさすがに眠ってなんかいられない。ピアノが唸る。微笑む。穏やかに、ある時はライオンの咆哮のように、鳴り響く。このプログラムを一晩で弾くのは、どれほど練習をしなければならないか、考えると気が遠くなりそう。こんな時、リサイタルを開ける位才能がなくって良かった、と思ってしまう。人生すべて遊びの人は私です。

遊び?仕事?

私たちは普通のお勤めに行く人達とは生活形態がだいぶ違うので、周りの住人の目には遊んでいるようにみえるらしい。午前中に家にいるし、楽器ぶら下げて出ていっても、おそらく趣味のお稽古と取られているらしいのは想像がつく。なくなった母もいつも言っていた。「今日は仕事なの?遊びなの?」自転車置き場のおじさんも「ヴァイオリン。ほう、いい趣味だねえ」絶対に仕事と思う人はいない。ステージで血相変えて演奏しているのを見ている人でさえ、「好きな事が出来ていいですねえ。楽しみで。」冗談でしょう。お宅のご主人と同じく、腸がよじれる思いで仕事してるのに。とは云え、どうも自分自身でも仕事が遊び感覚、いや、人生そのものが遊び。苦労は勿論あるけれど、好きな事だけやっていたら、こうなってしまった。今朝、友人から電話があって、次の仕事に行く時に「前の日から近くに泊まらない?」との提案。場所は家からそう遠くはないけれど、「時間が9時半と早いから大変でしょう」そういわれればそうね。賛成。もう一人誘って三人部屋に泊まる相談は、即座に議決された。泊まるのはいいけど、前の夜おしゃべりをして夜更かしすると、次の日の仕事は悲惨なことになるから、眠らないと。でも、せっかく3人揃ったのだから・・・ウフフ、楽しそうだなあ。これだから、仕事か遊びか傍目にも自分でも区別がつかなくなる。わが雪雀連というスキー愛好グループの忘年会を兼ねたコンサートが毎年行われる。殆どの人は音楽以外の仕事だけれど、楽器演奏や歌を披露してから宴会に移る。そこでも、昼間さんざん仕事してきた私たちが、飽きること無く演奏するのを見て会長の山田氏曰く。「本当に好きなんだねえ。あんなに毎日弾いているのに、まだ弾いて。」はい、本当に好きです。

2010年11月8日月曜日

昨日の今日

寄る年波でなにかイベントがあった後は、非常に疲れる。昨日のコンサートでは、小柄な私がヴィオラを弾いたため、体にえらく負担がかかって、事の外つかれた。夜、指圧に行くと、右肩の付け根がバリバリになっていて、でもこれは昨日今日の疲れ方では無いと言われた。長年の疲れで筋肉がグチャグチャになっているので、修復は不可能だけど、柔らかくすることは出来るそうだ。筋肉も、他の部品も古くなっているのだから、仕方がないけれど、もう少しヴァイオリンを弾いていたいから、大事にしないと。大体、楽器を弾こうなどという人種は一種の偏執狂だから、何をやっても度が過ぎる。始めると歯を食いしばって追求する。私が今年の初めに毎日一万歩を目標にしてから、膝は痛む、疲れて他の事は一切できなくなる等の障害が生じているにも拘わらず、むきになって歩いたために疲れはててしまったのも、そのいい例。聞けば、そんなに歩くのは一週間に一日くらいでいいそうだから、完璧にオーバーワーク。それでこの頃は、カラスの家族に会ったら帰ってくることにしている。ちょうど半分くらいで、これなら気分よく一日が過ごせる。かえって元気が出る。私の友人が水泳をやっていて、ある年の初泳ぎの時に、手はどうなりますか?足は?とインストラクターに詰め寄ったら、「マアマアまだお正月ですから、ゆっくりやりましょう」と言われたそうで、彼女は「私たちって何でもストレスになっちゃうのよね」と笑っていた。いつも楽しみで始めたはずの遊びが、いつのまにかストレスになることはよく経験する。これは自分だけでなく、日本人全般の傾向かもしれない。

2010年11月7日日曜日

オーケストラ・アンサンブル西湘

今日は私たちのオーケストラ・アンサンブル西湘の第一回目の定期公演。デビューしました。

指揮        松元宏康
ピアノ独奏    水野魁政

曲目       フィンランディア            シベリウス
          ピアノ協奏曲第一番         メンデルスゾーン
          交響曲第九番「新世界より」    ドヴォルザーク

場所          秦野市文化会館大ホール

ポピュラーな曲で幕開け。初めてオーケストラを弾く人もいて、緊張は極度に高まっていたけれど、日頃の訓練のたまもので、見事にデビューを飾った。素敵なコンサートでした。たった1年数カ月の訓練で、ここまで出来るとは思えなかったけれど、本当にみんな良く練習し、気持ちが一つになって素晴らしい出来栄えでした。日頃自分の仕事をしながら、練習を重ねた努力は大したもの。アマチュアのオケはエキストラが大半で、ようやく格好が付いているところが多い中で、メンバーが大半を占めているのも大変な強み。音が違う。はじめから曲だけを練習するのでなく、基礎練習を取り入れて、音の出し方から、音程のあわせかたなどを厳しく反復したのが功を奏して、今日のこのステージにつながったと言える。指揮者の松元氏の指導も素晴らしかった。これから第二回に向けて、心を引き締めていかなければならない。ピアノの水野君はまだ中学生。見事な演奏で将来が楽しみです。

オーケストラアンサンブル西湘

去年の夏、新しいアマチュアオーケストラを立ち上げる話しに乗って、秦野市に通い始めて約1年余り。初めての定期演奏会にこぎつけた。ヴァイオリンほんの数人。トロンボーン、トランペット、フルート、クラリネットなど、管楽器数人。それが11月には初めて人前で「ペルシャの市場」を演奏してから、あれよあれよという間にメンバーが揃い始めた。初めて練習に立会ったときは、バケツをひっくり返したような音がして、これからどうやって指導したらいいものか、頭を悩ましたものだった。しかし、毎回人数が増えてゆき、熱心に練習するので、あれっと思うと、ばかに良い音が出る。
人の言うことをジッと聴く耳をもつと、これほどに進歩するものなのか。指揮者にも恵まれた。まだ若いけれど、非常に理性的な松元氏。練習のやり方も上手いし、人をひきつける要素もあり、まだ初心者マークのこのオーケストラにはうってつけの人材で、本番がどうなるか、楽しみ。あら、もう今日のことになってしまったので、早く寝なければ。結果については、今夜のブログでご報告します。今後どのように伸びていくか、暖かく見守ってください。詳細はオーケストラのホームぺージを御覧ください。

2010年11月5日金曜日

月例 弾く会

毎月ピアニスト集団に混じって演奏する月一回の怖い日。なんだってピアニストという人種はこう真面目なのか。ベートーヴェンの後期のソナタに真っ向から挑戦して、ものにしてくる。私はといえば、一向に進歩のないバッハ。今日はパルティータ2番・・・の途中まで。チベットで少し体調を崩したと言い訳しながら、もそもそと弾き始めてみると、さすがに曲が素晴らしいので興にのってきた。こんなことなら、全曲弾くんだったな、なんてちょっぴり後悔する。間に合わなかったくせに。それはさておき、ピアノという楽器は一人でオーケストラができる。ヴァイオリンその他の弦楽器、管楽器は、もちろん無伴奏もあるが、曲が少ない。一つの曲として成り立つのには、どうしても伴奏がいる。ピアノはコンチェルトでない限り、それ自身で完成される。それが羨ましい。なんとなく、みんなの演奏を聴いているうちに、そうか、ピアノ弾いてみたいな、と思った。私のピアノは可哀想に、ピアニストが来た時だけしか弾いてもらえない。実はある調律師の渾身の作品で、フレーム(と言っていいのだろうか)要するに周りの黒い木の部分はヤマハの古ーいピアノをもらってきて、それにベヒシュタイン、ヤマハなどの倉庫に眠っている部品を組み合わせ、ピカピカに磨いてくれたもの。みごとに蘇って我が家にお輿入れ。柔らかい素敵な音がする。高校生まではピアノもずいぶん弾いたけれど、大学になるとそれどころではなくヴァイオリンに邁進して、卒業すれば忙しいオーケストラでピアノどころではない。それからウン十年、生徒の簡単な伴奏をつかえながら弾くだけだった。なんかピアノもいいな。若い頃のようにはいかなくても、少しずつ弾いてみよう。でも、楽譜は散逸して又取り寄せねばならない。うちのピアノも泣いて喜ぶに違いないと思って、帰宅して顔を見たら、白い歯を剥きだして「おかえりなさい」とニヤリとした。おや、ところどころ、黒いのは虫歯?タバコのヤニ?

2010年11月3日水曜日

高速道路の休日料金反対

土日に東名高速道路を使って仕事に行くことが多い。民主党の目玉商品、休日の高速の無料化、又は1000円、はなはだ迷惑している。大体、土日には働く人がいないと思うのは大間違いで、遊ぶ人からお金をとるのは当たり前。道路使うのだから。むしろ、職業ドライバーにこそ、恩恵は行くべきであって、運送費用が少なくなれば、多くの人が(運転しないひとにも、年齢を問わず)還元されると思う。まったく何考えているのか。人気取りでもの考えず、生活の根底の一番土台から考えて欲しい。自民党が敗退して、やれやれやっとと思ったけれど、現政権のあまりの浮き足立った政策に口がアングリ。アングリーですぞ。物を使ったら料金払うのは、物を買ったら料金はらうのと一緒。買わない人からお金は取れない。買った人は払うの当たり前。今日のように秋晴れの行楽日和に高速が安ければ、ぞろぞろ車が出てくる。しかも日曜ドライバーで運転不慣れ。ちょっとしたところでブレーキを踏み速度が一瞬遅くなっただけで、たちまち渋滞するという。しかも、事故を起こす。目も当てられないほどの混雑で、時間が無駄になる。CO2はふえる。削減25%を約束したはず。これでは、とても約束は守れない。そう言っても、私も休日に出かけるから恩恵を被っているとお思いでしょうが、私は時間のほうが大事。スッキリと運転したい。でも今日は、真正面に白い富士山が見えて、最高のドライブ日和。こんな日に出かけないわけにはいかないかな。

2010年11月1日月曜日

音楽嗜好症  オリバー サックス著  太田直子訳   早川書房

Musicophilia という神経症があるらしい。私が昨日のnekotama の投稿で、(音楽が頭の中で鳴りつずけるが神経症ではなさそうだ)と言っているのはそのこと。この症状の中の一つの例は、絶え間なくリズムやメロディーが繰り返され、日常生活にも支障がでる。それを逆手にとると、モーツアルトになれるかもしれない。数列を音に置き換えると覚えられる人や、絶えずリズムをとっていないといられないとか、言語障害の幼児に発音訓練を音楽にすると、正しく言葉を答えるようになった例とか、興味深い症例が沢山ある。音楽にとりつかれたり、音楽によって障害が出たり、様々な例がとりあげられているが、音楽により障害から立ち直る人もいる。アスペルガー症候群の人が、生涯で一番役に立った治療が音楽だったと言っている例もある。彼は他人と心を通わせる手段として、ギターや歌を使う。脳による言語と音楽の処理は非常に似ているらしい。足の手術のあと歩く手段を忘れてしまった人が、音楽を聞いてリズムを取ることで、立ち上がれるようになった例もある。トゥレット症候群で体が自分の意志と関係なく動いてしまう症状(チック)、それも音楽は引き起こすときもあれば、沈静化させることもある。ジャズの演奏者には、何かを抑えられないというトゥレット症候群によって、類まれな才能を開花させたひともいる。ジャズやロックの音楽家も多い。ジャズドラマーのディビィッド アルドリッジは「自分の発作的な身体の動きをリズムを叩くことで隠し、押えきれないエネルギーをきちんとした流れに向かわせた」と言う。「私はリズムマンになる運命だった」とも。もちろんクラシックの演奏家にもいるそうだけれど。    
オリバー サックスはコロンビア大学メディカルセンターの教授。「妻を帽子とまちがえた男」はベストセラー。私もそれしか読んでいないが、ほかにも「レナードの朝」が映画化されアカデミー賞受賞するなど、沢山の著書があるらしい。「妻をぼうしと・・・」を読んだあと、私は自分の鼻を手で触っても、どうしても顔の真ん中にあると思えない時期があって、自分の影響の受けやすさに苦笑することがあった。いまでも、時々さわってみるが・・・真ん中であろうとなかろうと、どうでもいいじゃないに変化してきた。人生開き直ると、たいがいのものは怖くなくなる。私のように「少し変わっている」と言われる人より、ものすごく変わっているといわれる人のほうが才能豊かなのかもしれない。それを正しい方向にむかわせる、周囲と本人の努力や運があればですけど。

2010年10月31日日曜日

ベートーヴェン「英雄」

しもたかフィルというアマチュアのオーケストラ。ちょっとお手伝いに行ってきた。今日は下高井戸の小学校で、しもたか音楽祭の出し物の一つに、この英雄が演奏された。ずいぶん久しぶりだなあ、この曲を弾くのは。オーケストラをやめてからは、たった1回弾いたきり。オーケストラにいた頃には、いやというほど弾かされたものだけど。ベートーヴェンの作品の中でも、特に好き。シンプルだけど、本当に傑作だと思う。メンバーはアマチュアだから、ずっこけたり音が合わなかったりするけれど、長い時間を掛けて練習するから、そうひどくはならないし、本番になると緊張して意外とまとまったりする。今日もまずまずの出来。そして英雄のメロディーがずっと頭の中で鳴っている。演奏をなんども再体験しているようだ。打ち上げでビールを飲んでいる時も、駅のホームを歩いている時も、鳴り続けている。一種の神経症にこのような症状が見られる事があるらしいけれど、普段からそうではないので、たぶん神経症ではないと思う。例えば、大好きな曲を弾く日は朝からその曲が頭の中を占領しているし、本番が終わったあと、帰宅するときは歌いながら帰ることが多い。ロッシーニの「床屋」の本番のあとでは、車の中で大声でアリアを歌っているうちに、猛スピードで走ってしまったこともあった。調子の良い曲が多いから。ベートーヴェン、やはりすばらしいですね。中にはあまり好きでない曲もありますが、祈りのような部分を聴くと、まさに楽聖。後期のカルテットなども崇高さを感じるけれど、やはりシンフォニーのこのへんの番号は傑作です。有名だからといって、決して俗ではない。所でウラ話。原題を「エロイカ」というので、しもたかフィルのホームページにそのまま載せたら、なにを勘違いしたか、いやらしい書き込みがあったそうです。おバカだねえ。

2010年10月29日金曜日

ピアニャスト



ノラちゃんのピアノレッスンをもう一つ。
この子は天才?
ヴァイオリンを弾く猫はいない。

2010年10月28日木曜日

ショパンコンクール



さっき、you tubeで見つけました。以前にもこの動画をおくってくれた人がいて、見たことがありますが、又見るとやはり、おかしい。

先日ショパンコンクールがありました。友人が聴きに行っていました。今年の一位はロシアの女性だったようで、審査の結果は友人には納得がいかなかったらしいのですが、アルゲリッチの意見が圧倒的に強かったそうです。人間社会にはいろいろあっても、無心に弾くこの方の演奏には純粋さを感じませんか?

2010年10月26日火曜日

もう雪の便り

今年の、獰猛なとしか形容出来ないほどの暑い夏がやっと終わって、秋の紅葉を楽しむ間もなく、あっという間に寒くなってしまった。もう、今日は暖房を入れている。明日はもっと寒いらしく、北海道や北日本は雪の声が。冬はスキーのシーズンだから大好きだけど、年々出てゆくのが億劫になってくる。去年は膝を痛めて年齢を思い知らされた。今年はまだ膝も大丈夫。なんといっても来春カナダに滑りに行くつもりなので、体に故障を作ってはならない。約一ヶ月ぶりに散歩を再開した。チベットで高山病になったあと風邪をひき、疲労やらいろいろたまっていたので長引いて咳が抜けなかった。肺炎を起こしているのではないかと思うほど胸が痛んだり体に力が入らず、結構なダメージを受けたようだ。とにかく休養とばかり食っちゃ寝食っちゃ寝。大好きな怠け者生活。やっと回復の兆しが見えて、今朝いつものコースへ出かけた。一ヶ月もご無沙汰だったのでカラスさんはもう忘れているかと思ったら、なんとまあ、二人そろってさあーっととんできてくれた。しかも、夏の終わりに抜け落ちて見苦しかった羽がすっかり生え変わり、初めは子供たちかと思うほど若々しくみえたけれど、紛れもなく両親のほうだった。お父さんはいつものように人を恐れず悠然と、お母さんは少し怖がっていてもお父さんと一緒だと安心しきって、近づいてくる。しばらく立ち止まってお話。この散歩コースには人に慣れたカラスが多くて、あるお宅では門柱に二羽ならんで止まっていた。沖縄のシーサーみたい。そこの奥さんがかわいがって育てたのだという。「カーコ、もうお帰り」なんて言われても動かない。可愛いものですね。

久しぶりのエステ

以前は忙しい仕事の合間をぬってセッセとエステ通い。行けども行けども美しくはならなかったけれど、疲れた時良く眠れるので、昼寝替わりに行っていました。この間の旅行の写真をみたら、あまりにも冴えないおばさん顔でガッカリしたので、久しぶりに行ってみようかと、近所のエステに予約を入れた。以前は渋谷のエステ。ここにとても上手で感じの良いエスティシャンがいたので、仕事のついでに良く通った。彼女はスッピンでニキビなぞ作っていて、飾り気の無い人だったが、有名なエステの店長になるくらいだから、腕は確かで気に入っていたのに嫁に行ってしまって、私のエステ通いもそこでストップ。もう、人様に見てもらえる顔でもなしと諦めていたけれど、ヒマになってみるとシミ、くすみが気になる。チベットでさんざん紫外線に痛めつけられた肌は、なんだか可哀想。手入れが始まると明らかに肌が喜んでいる。いつも朝は水だけの洗顔。クリームをペロッと塗っておしまい。夜は石鹸でほんの少し洗顔。その後もクリーム塗っておしまい。若い頃に沢山の化粧品を使ってみたけれど、結論はシンプル・イズ・ベスト。できるだけ何もしないのが最高。たまにエステで養分を摂らせればそれでいい。今朝新聞にタモリの入浴法が出ていて、それはお湯に浸かるだけで洗わないというものだった。私もいつもそれに近い。気持ちが悪いなと思った時に、その部分だけ洗う。悪くなければ温まったらそのまま拭いてあがる。そのかわり毎日はいる、というだけ。動物に近い感覚の持ち主なので、時々猫の行動を参考に動く。食べたい時に食べる。起きていたければずーっと起きている。眠ければどこでも眠れる。何時間寝なければ、とか、なにをどれだけしなければなどと考えない方が物事うまくいくようだ、と最近気がついた。もう遅いけど・・・ 人間はいかに縛り付けられ、縛り付け生きている生き物かと、つくづく思う。

やはり食事は大切

昨日のひどい食事のせいと、チベットで体調くずしてからロクに運動していなかったせいで、尾籠な話で恐縮ですが、お腹がつまってしまって、大変でした。私の体は即状況に反応する実に過敏なものなので、ああ、やっぱり。そこで今朝からは、ちゃんとトーストにオリーブオイルをタップリ、野菜のスープ、果物、コーヒー。万事オーケーとなり、幸せ。朝食を摂る人と摂らない人では幸福感がちがうようです。ちゃんととる人は、かなりの高率で幸福であるとこたえるそうだ。私は食事の中でも朝食が一番好きで、旅先のホテルで朝食がまずいとガッカリ、良いと一日嬉しい。まだチベットを引きずっていますが、チベットのホテルで朝食を食べていると、一匹の猫が現れ、下から見上げてきた。なぜ、他のお客さんのところで無く私のところに来たのだろう。好きな人がわかるのかしら。ウエイトレスに聞くと名前は「じゃうじゃう?」デブなコでした。そのうちだんだん大胆になってきて、私の椅子の横に登ってきた。久しぶりに猫を見て、郷愁は感じ・・・ない人だけど、玉三郎を思い出しはしました。ところで今までで一番良かったホテルの朝ごはん。益田(島根県)の駅前のグリーンホテルモーリス。ここはごく普通のビジネスホテル。でも、枕が選べて空気清浄機がかりられて、なによりも朝食の野菜が豊富。お気に入りですが、島根まではなかなかいかないので、今まで、2回しか泊まったことはありません。2回でも多すぎると考えている人もいるかな?

2010年10月25日月曜日

今日の食事

食事には大変気を使う方で、まず第一にバランス。野菜が主になってそれに魚か肉。野菜もなるべく沢山の種類が摂れるように、野菜スープが作ってある。きのこや豆類、主に大豆製品。油も少し。と、いつも考えていると、ある日突然悪いと思われるものが食べたくなる。今日はそんな日、美味しいチョコレートを頂いて、どうしてもチョコレートに目が行ってしまうので、いっそのこと今日はチョコレートを食べる日にしてしまうことにした。朝豆乳にバナナのジュースをのんで、チョコレート。昼はチョコレートとコーヒー。ついでにアイスクリームもいってしまおう。おやつにアイスクリーム。さて、今夜はさすがにチョコレートはもう無いから、なにかいつもは敬遠して食べないものを・・・と考える。油で揚げたフライドチキンとか。年に数回、めったに食べないものをたべると、また健康的な食事にもどれる。ああ、そうだ。のり巻きの太巻きを売っているお店がある。あれを一本切らずにまるごと齧ったら、すごく美味しそう。今日は主食らしいものを食べていないから。なんて一日そうやると、大体寝るころに、気持ちが悪くなるが、とても楽しい。いつもいつも、品行方正じゃつまらない。もっとも、私は品行方正なときの方が少ないけど。これからいつもは敬遠しているものを見つけに行って参ります。

2010年10月24日日曜日

玉三郎をグラデーション

足がなくなってかわいそうだけど、写真編集の初歩として、ちょっといたずら。「僕は本当はすごく背が高くてハンサムなのに、nekotamaさんはいじわるだなあ」という玉三郎の嘆きが聞こえてきそうです。実はやってご覧とそそのかす御仁がいたので、試してみました。「たま、ごめんね。でも可愛いよ。」「イニャーン」



2010年10月22日金曜日

続 九寨溝

 

もう少し九寨溝の写真を見ていただきたい。




鏡湖の映っているほうの景色です。
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魚もいますが・・・

 


魚は水が冷たくて、大きくなれないそうです。
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九寨溝の水の色はエメラルドグリーン
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2010年10月20日水曜日

中国、チベット旅行記 西安へ

西安に帰るには直行便に乗ればいいのだが、国慶節の連休のおかげでチケットが入手できなかった。それで、まず成都に飛んで乗り継ぎ便で帰ることになった。空港でガイドと運転手とお別れ。良い人達で良かった。空港に到着すると、飛行機が大幅に遅れているという。果たして乗り継げるのだろうか。帰国後すぐ仕事だから、乗り継げないと困る。頭の中で、仕事を変わってもらえそうな人のリストが浮かぶ。別さんが走りまわって情報を集めてきた。同じ会社の飛行機だから、多分大丈夫。別さんも新婚早々で、早くご主人に会いたいのに。一度荷物を受け取って乗り直さなければいけないので、「乗り継ぎの時、私すぐチェックインするから荷物お願いします」といわれて焦る。大きなスーツケースと別さんのキャリーバッグを引いて成都空港を走りまわる自分の姿を想像して、噴き出しそうになる。でも、それも無事乗り継げて一路西安へ。空港にはこのたびの無謀な旅行計画を実現させてくれた、西安の旅行会社の楊さんが待っていた。うわー、ハンサムだ。スラッと背が高くゆったりとした雰囲気。夕飯をご馳走してくださるそうで、ホテルにチェックインする前にレストランによることになった。別さんも早く帰りたいと思うけれど、最後の仕事として一緒に来てくれる。西安の街は驚くほど様変わりしていた。30年も経っていれば不思議はないけれど、あまりにも変わってしまった。城壁や門の近くには建物が少なかったのに、今や、ネオンが輝く。あらまあ。 夜遅いのに大勢のひとが歩いている。かつて、中国に来たとき、夜遅くまで人々が道端でしゃがんだり、ブラブラしているのが不思議だったけれど、その習慣はまだ残っているらしい。レストランは餃子専門店。餃子のフルコース。次々に様々な餃子が運ばれてくる。その席でも、他の時にも楊さんは「無事で良かった。心配しました」と度々おっしゃる。よほど、心配だったのかしら。初めのうちは気がつかないことが多く、私に叱られてばかりいた別さんが、最後の方になると娘のように良く世話をしてくれた。きっと良いガイドになるでしょう。次の日の早朝、空港へは楊さんのお見送りをうけて、成田へ。成田エクスプレスの乗り継ぎもうまくいって、帰宅。猫たちの大歓迎を受ける。玉三郎は大号泣。それから数日は私に密着していた。高山病がたたって咳が抜けない。今までで一番大変な旅行でした。目に浮かぶのは、空気の希薄な所で力なく微笑む人の顔。平均寿命が60歳位。長生きは出来ない。人間は生まれた所でほぼ運命がきまるのか、と思う。そこから抜け出られる強烈な意志がなければ、あそこで埋もれてしまう。それを不幸と言ってはいけないが、あまりの厳しさにショックを受けた。たった一人で五体投地を続け、這うようにして聖地に辿り着こうとする人。途中で死ぬ人も多いだろうと思える過酷な環境。目を覆うばかりの貧しさ。日本も戦後は貧しかった。でも、あそこまでの救いようの無さではなかったと思う。努力すればなんとか這い上がれて、やがて世界有数の経済国家になれた。それで幸せになったかどうかは別として。幸せのあり方をとやかく云う事は出来ないが、諦めきったような微笑を思い出すと、たまらない気持ちになる。

ラサからヤムドュク湖へ

高山病で取りやめになったシガツェに行く途中にある美しい湖に連れて行ってもらうことにした。やっと運転手の腕の見せ所。道は良くないけれど、うまく避けながら高山病に配慮して、少しユックリと登ってくれる。運転は非常に上手い。でも、車のマナーは40年前の日本がそうだったように荒っぽい。途中の川岸の道は本当に美しい。山は昼夜の寒暖の差が激しすぎて、木が生えないそうだ。川岸の車が激しく往来する道に、五体投地をしながら進む巡礼の家族がいた。子供を連れて一歩ずつ進んでいく。どれだけ時間がかかるのだろうか。一体なにを祈っているのだろうか。はしゃいだ気分に陰りが出来る。さらに進むと、子供と独身のお年寄りのための水葬場に出た。チベットでは普通は鳥葬、感染症でなくなった人は火葬らしい。水葬場は子どもが・・と思うと、物悲しい。軍のトラックが数珠つなぎになって走っている。そこで、私の車の運転手が軍隊にいたという話しをきいた。免許証を見ると沢山の資格を持っている。運転が上手いわけだ。たくみに穴や凸凹を避けてカーブを静かに曲がる。前日私が高山病を患ったことに考慮しているので、ユックリ登りますよと言ってくれた。昨日沢山の点滴をしたせいか、やたらにトイレにいきたくなる。いつもトイレトイレといっているので、あちらからトイレは?と聞かれる事が多くなった。それも高山に来て、心臓がバクバクするからなのか。ヤムドュク湖についても真っ先にトイレ。散歩して写真をとらないの?と劉さんに言われても、寒いからいい。それに数歩歩いただけで息がスーハースーハーと苦しい。ここは今までで一番標高が高い。人が住めるところとは思えないのに人家があって、頂上付近にはチベットの犬を連れた人が一緒に写真をとらないかと声を掛けてくる。力なく笑みを浮かべ手を差し伸べてさそう人の顔が、脳裏に焼き付いて離れない。こんな山の中に暮らし、努力しても報われることのない一生を過ごすのか。逃れ出る術もないのか。胸がキリキリ痛んで、観光気分は吹き飛んでしまった。帰り道、又車道の脇にたった一人、五体投地で進む人を見つけた。街からもはるかに離れた道を一歩又一歩と進んでゆく。夜になったらどうするの。食べ物はあるの?駆け寄って尋ねたくなる。厳しい自然の中で生きていくためには、信仰が拠り所になるのだろう。しばらく押し黙っていると、劉さんは退屈らしく居眠りをはじめた。ちょっと脅かしてみよう。厳しい声で「劉さんお仕事をして」というと飛び上がって姿勢を正し、ガイドを始めた。夜はチベット族の歌や踊りのショウが見られるレストランで夕食。これがラサでの最後の晩餐。地上に降りて沢山呼吸が出来れば、元気になるかしら。

2010年10月19日火曜日

ラサ観光 その2

治療の甲斐あって高山病を撃退したので、ラサ観光の続きをすることにした。本当はこの日はシガツェというさらに高いところに行く予定だったけれど、危険なので取りやめて、ラサ市内の前日見なかったところを回ることにした。ダライラマの夏の離宮であるノルブリンカに行きたいというと、昨日行かないと言ったのにと、ガイドはいかにも不満そう。でも、事情が事情だから仕方がないでしょう。一々文句云うのは無視して、とにかく行って頂戴。夏の離宮と言っても、大して距離もなく、建物の作りが違うだけ。ここの北門からダライ・ラマがインドに亡命したけれど、いまだにどうやって逃れたかは謎だそうだ。もちろん警備は厳重だった。乗り物は何に乗ったのか?いっさい分かっていないという。次は問答で有名なセラ寺。有名と言われても私は知らなかった。これを見に観光客はラサにくるのですよと、劉さんは心外そうに云う。それも無視。宗教が政治と分離されていた頃は、出世の道は僧になることだった。でも、今は僧になるメリットがなくなったので、数が減っているそうだ。言葉は特別な言葉を使うので、一般のチベット人にはわからないらしいが、観光の目玉であるらしい。ちょうど問答が始まる時間にうまく時間の配分をしてくれたので、見ることが出来た。



夕飯はどうしますか?と言うから、昨日食欲が無くて食べられなかったあひるのスープが食べたいと言って、今日も同じ物。今日はもりもり食べる。とてもスープが美味しくて、ラーメンを入れてもらって満足。

ついに高山病になる

今回の旅行で一番恐れていたのが高山病。ここまで海抜5200メートルくらいまで行ったけれど殆ど影響はなく、ポタラ宮で階段を登るのがしんどかっただけ。でも、この日は朝から息苦しく、長旅の疲れも出てきたので、休息することにした。朝ガイドさんにそのことを伝え、お昼は好きなように食べるように言って、私は近所の食料品店にカップラーメンを買いに行った。とても無愛想な女性が、その人の子供らしい二人の子と店番をしていた。一人は5歳位。もう一人は赤ちゃんで丸々して可愛らしい。思わずあやすとニコニコする。赤ちゃんが笑うと、その母親も笑って、とても楽しい雰囲気になる。カップラーメンを手に入れて、ホテルの部屋に閉じこもってベッドに横になった。少し寝て目が覚めると、腿に激痛が走った。しまった、やられた。高山病に違いない。お湯を沢山のんで、腿をマッサージすると、少し楽になった。前日ガイドから風邪を弾かない様に言われていたけれど、此処へ来て旅の疲れも出て体調が優れない。ひどい乾燥で喉を痛めたのがきっかけで、風邪をひいたらしい。酸素不足は直接筋肉に来ると聞いていたので、足の痛みもそのせいだと思う。夕飯は食べないと伝えるとガイドが飛んできた。スグに救急病院に連れていかれて、酸素吸入を2時間、夕飯はあひるのスープに羊、牛肉、野菜などタップリ入れた、ものすごく美味しそうな鍋料理。でも、食欲はない。ホテルに帰ってからホテル専属の医療室で、又酸素吸入と点滴をされて、部屋に酸素ボンベが持ち込まれ、夜通し酸素吸入をする。その後は殆どケロリとしていたけれど、さすがに息切れがはげしくなってきた。一日ユックリ休めば明日からは元気になるに違いない。

ラサ観光 その1

送信者 中国・チベット

ラサのガイドは又劉さん。こちらは非常に有能らしく、説明も上手で歩く速度もこちらにあわせてくれる。特に数字につよいらしくて、年代が立板に水。でも、たった一人の客で、しかも建物より動物に興味を持つらしいのがわかって、段々つまらなそうになってきたのがおかしい。ポタラ宮は素晴らしいけれど、ダライ・ラマが不在では、ありがたみが薄くなる。大昭寺とそれを取り巻く八角街を見ると今日の予定は済んでしまった。でもまだ、昼前。とりあえず昼食をとる。チベット風カレー。あまり美味しくはないけれど、こちらの人々はこれでもご馳走だと思うと、まずいとは言えない。午後は明日の予定の尼僧院を訪れることにした。

青蔵鉄道 その9




少し暮れてきました。



ラサへは21時すぎに着きます。

青蔵鉄道 その8



午後になって周りの人達も疲れて横になっています。このころになると、トイレのつかいかたにも馴れたらしく、少し綺麗になりました。上の段からアメリカ人の若者が降りてきて、お菓子と果物を交換したり、写真の取りやすい場所をあけてあげたりしました。時々ハルビンから来た人が会話に混じってきて、賑やかです。

青蔵鉄道 その7



世界一高いところにある駅。外に出てみるとさすがに空気が希薄なような?でもあまり苦しくはない。車掌さんは背の高ーい女性。写真を撮ってもいいかと尋ねると、ダメと言って急にはにかんだのが、とっても可愛かった。

青蔵鉄道 その6



この辺は特に広さを感じます。これが水かさを増して一本の川になったら、ものすごい大河ですね。

青蔵鉄道 その5



少し下ってくると今度は草原地帯。所々湖沼地帯も混じって、中々の風景です。

青蔵鉄道 その4

お昼は車内販売のお弁当。美味しいとは言えないけれど、まあ、こんなものでしょうか。それに、別さんがソーセージや果物、漬物を買ってきてあったので、結構豪華・・・な食事です。

青蔵鉄道 その3



雪を頂きに残した・・というより、最近降ったらしい山々が美しく見えます。だいぶ標高が高そうです。でも未だ高山病にはなっていません。美味しく朝食も食べました。別さんが甲斐甲斐しく用意してくれた、カップラーメンと果物でした。

青蔵鉄道 その2



夜が明けてしばらくすると、岩山ばかりの砂漠地帯に入りました。意外にもずーっと同じ景色ではなくて、とても変化に富んでいて、ボーっと眺めていると、いつまでも飽きがこない。

青蔵鉄道 その1

やっと乗り込んで寝台席をさがす。私は一番下でガイドの別さんは一番上。中段は大きな男の人。私の向いに40代くらいの男性。その上はその人のお連れさん。一番上はアメリカ人の若い男性。このメンバーが24時間を共にする。向いの男性は物静かだけど、明るく親切。その連れは気難しそう。アメリカ人は入ってくるなり、横になって寝てしまった。別さんが紙のスリッパを出してくれて、それを履いてトイレに行ったら、グチャリと足元が濡れた。見ると2つのトイレの片方から、怪しい水が流れでている。ドアを開けると悲惨な情景。だれも流さないのか汚い水が溢れて、ドアの外まで漏れていた。まず第一のショック。流しに入ることすら汚くて出来ない。もう片方も開けると、流していないけれど、まだ、内部に留まっているからなんとか使える。流すとやっと綺麗になった。まあ、片方は使えてよかった。日本からトイレットペーパーを一巻き持参したのが、ここで威力を発揮。でも、外に出しておいたら黙って持って行く人がいて、ビックリする。本当にどこへ行ってもトイレだけは許しがたいほど汚い。夕飯といっても、もう遅いし、李さんの所でさんざん食べてきたので、バナナやりんごを少し食べて、寝ることにする。ところが、どこかの寝台の人が高山病にかかったらしく、ひどく嘔吐している。次の駅で友人と二人下ろされてしまったらしい。こんな夜中にどうするのだろうか。ひとごとながら気になる。それにまだ、高度2000メートルを少し超えたばかりなのに。眠りの達人だからスグに寝てしまったが、少し頭もいたいようだ。緊張しているせいかもしれない。時々目がさめるけれど、良く眠れた。目が覚めて通路に出てみると、夜明けが近い。

中国、チベット旅行記 青蔵鉄道に乗る

李さんが駅まで送ってくださった。まず安全検査。中国では鉄道に乗るときも手荷物検査がある。私が上に乗ってやっと閉まるくらい詰め込んだスーツケースが引っかかった。液体を入れてあったのが、いけないという。開けると閉めるのが大変だから、嫌だと言っても開けさせられる。ブーブー文句を言っていたらガイドの別さんが「でも、あの人達の仕事ですから」と云う。若いのに冷静でごもっともな言い分だから、やっと云うことを聞いて、シャンプーの説明。オーケーが出る。心配そうに見ていた李さんもホッとして、最後のご挨拶をする。本当に名残惜しそうに、流暢な英語で私の旅がうまく行くように、又ぜひ来て下さい、又お会いしましょう、といってくださる。こちらは、非流暢な(こんな言葉あり?)英語で感謝するのみ。たった一回会った人に、これほど深く思いをこめて語れるものかと思う。中国は今はいろいろ問題ありの国だけど、かつての素晴らしい文化を私は尊敬している。詩や絵画、書などの教養、心の豊かさなど、日本がお手本にしてきたものが、時を超えて文化人たちに脈々と受け継がれているような、そんな気がする。今ギクシャクしている日中関係ですが、旅をしていて一度も不愉快だった事はない。中国には4回行っているけれど、いつもゆったりとした時の流れを感じて、日本にはない豊かさで包み込まれる。トイレは確かに汚い。マナーも悪い。声もうるさい。でもおおらかな、日本人の失ったバイタリティーがあって、元気にさせられる。待合室はチベット族と旅行者でごった返していた。一種異様な雰囲気。いよいよこれからチベットに向かいます。

2010年10月18日月曜日

秋の軽井沢

昨日から軽井沢の友人の別荘に一泊で行ってきました。友人と云うには恐れ多いけれど、先輩の人形制作者の通称ノンちゃん。雑木林のなかに木の皮?で張ってある壁。ユニークなデザインの素敵な家。中に入ると様々な手作りの食器やクッション、絨毯まで布を裂いて織り上げて、その上お料理がうまく、長年のお付き合いなので多才な人とは思っていたけれど、ここまでとは・・・
一緒に行った2人の友人共々、只感心するのみ。軽井沢までは新幹線で、後は駅のレンタカーを借りて、もう、アッというまに着いてしまう。自宅から車とも考えたが、日曜日に高速道路を走るのはうんざり。渋滞と事故が多すぎる。でも、軽井沢はかなりすいていた。午後から少しドライブに出て、「丘を越えて」という歌の「丘」はここのことなのよ、とノンちゃんの説明を受けて登った丘は、左手に浅間山、すすきの穂が出て吾亦紅と竜胆が咲いて、右手には牧場、正面は樹海が広がっている。晴れて穏やかな陽が差して、いつまでも見飽きない。所々紅葉が混じって、日本ってきれいだなあと思う。ついこの間まで旅行していたチベットの厳しい自然が少し遠のいてきた。そこから今度は浅間を裏から見るコースを通って帰途に着いた。夜はワインを飲んで美味しいポトフを戴いて幸せに夜が更けました。星を見るのを忘れる位暖炉の薪を燃やすのに熱中し、おしゃべりが弾んで、いいなあ、こんな生活。

2010年10月16日土曜日

中国、チベット旅行記 西寧

西寧で地元の李さんの家族と一緒に遊ぶことになった。昼過ぎ、李さんご夫妻がホテルに迎に来た。途中で奥さんが大きなケーキを買ってきたので、聞い
たらお父さんのお誕生日のお祝いだという。わー、それならなにかプレゼントを探しておけばよかった。1時間位車で走って行ったところは郊外の大きな庭を挟んで、2階部分が貸し部屋にわかれていて、そこを借りきって家族や友人たちで1日遊ぶらしい。下は子供の遊ぶところやレストランになっている。李さんのご両親、兄弟、その連れ合い、子供2人。育ちの良い礼儀正しい人たち。朴訥で優しいご両親。すぐに打ち解けてゆっくりと時を過ごした。ひまわりの種は日本では鳥のエサでしょ?と言いながら、食べ方を教えてくれたガイドの別さん。これは癖になる。ちょっと、めんどうだけど。飲んだり、食べたり、居眠りをしたり、とうとう夜になって、さあ、青蔵鉄道の乗車時間が迫ってきた。

中国、チベット旅行記  九寨溝の滝

九寨溝の滝は一度では撮りきれないほど距離が長いので、その一部の動画ですが、見てください。

少し日にちが前後してしまいましたが、これは西寧の前日撮ったものです。


2010年10月15日金曜日

中国、チベット旅行記 西寧に飛ぶ

西寧市は海抜2000メートルを超える。九寨溝から西寧まで国内線で直行便があるはずなのに、ちょうど中国の国慶節にぶつかってチケットがとれないので、一度西安に行ってから乗り換えて西寧まで行くことになった。無駄といえばたいへん無駄だけど、仕方ない。西寧空港には李さんという地元の人が迎えてくれた。ホテルに着いてすぐに夕飯。西寧は大変都会的で、食事も美味しい。特にじゃがいもの料理が美味しくて、李さんは世界一美味しいジャガイモだと自慢気。街は賑やかで車が多い。でも、一種落ち着きがあって、とても良い街。次の日はいよいよ今回の目的の青蔵鉄道に乗る。初めは午後の便を予定していたのに、これも国慶節の連休でチケットがとれず、李さんのお力添えで夜のチケットが手に入った。ホテルのチェックアウトは14時だそうだから、その後時間をどこかでつぶさなければならない。さて、どうしよう。すると、明日は李さん一家はお休みで郊外に遊びに行くので、一緒にどうかと誘ってくださった。でも、他人の、まして外国人の団欒にお邪魔するのは時間も長いし疲れるなあと、柄にもなく躊躇する。でも、他に時間のつぶしようもないし、それではということで次の日12時に李さんが迎に来てくださることになった。

九寨溝の最高位

送信者 中国・チベット


一番高いところにある湖。海抜4700メートル位だそうです。

九寨溝で結婚式

今中国で
送信者 中国・チベット
流行っている結婚式は、しぜんの中でこのように行うようです。

中国、チベット旅行記 九寨溝

送信者 中国・チベット


九寨溝の中の鏡湖です。

2010年10月13日水曜日

チリの鉱山事故救出劇

今日は昼からテレビに釘付けになった。チリの鉱山事故から2ヶ月強。一人又一人、カプセルに乗って地上に運ばれてくる。生存が確認されるまでの17日間。どんなに不安で息苦しい日々だったか。想像もつかない大きなストレスだったと思う。このまま生き埋めになって生涯をおえるのか。誰でもなんどもかんがえたに違いない。それを救ったのが強力なリーダーシップを持つベテラン鉱夫。といっても50代の屈強の男だが、生存確認まではこのくらい時間がかかると見て、食料の配分、居住区の割り振り、交代制の睡眠などを指示、皆がそれに従ったところが素晴らしい。強い人は頭がよい。食料にいたっては2日に一度、ツナの缶詰2さじ、缶詰の桃1切れ、牛乳半カップ、クッキー半切れ、これしか食べずに生き延びたと云う。それでも後3日分余っていたそうだ。ほとほと感心する。でも、この騒ぎで家族や友人がその後マスコミにさらされ、人生が大きく変わることだろう。すでに、愛人と妻のバトルなど、どうでもいいことが槍玉に上がっている。話題としては面白いといっては申し訳ないが、そんなこともあろうかと、下世話な興味も沸いてしまう。まずは、33人の無事な姿とレスキュー隊の職務貫徹を祈っている。

中国、チベット旅行記 その1 黄龍

朝6時シャトルバスで空港へ。国内線で九寨溝の空港へ向かう。空港には現地ガイドの劉さんとドライバー。劉さんは本当はチベット族なので別の名前だが、今は中国姓を名乗っているという。早速4000メートルの山越えが始まった。ドライバーはかつて、日本のドライバーがそうであったようにクラクションを鳴らし、はて、中国は左側通行だったかしらと思うほど、追い越しをかける。私も若い頃ものすごく無茶な運転をしていたので、気持ちは良くわかるし、リズムが良いので怖いとは感じない。ぐんぐん高くなっていく標高。今3000メートルとか4000メートルとか言われても、さほど体に影響はなさそう。チベット族の家がところどころに点在し、よく映像で見る色とりどりの布が、ロープに旗のように結び付けられている。日本のように紅葉や緑したたる山ではない。色合いの少ない景色に、それはハッとするほど鮮明に見える。道は一応舗装されているけれど、まだ工事中のところが多く、トラクターなどが無造作に放置してある。日本ならずいぶん手前から注意の看板があったり、信号があったりするが、そんなものは一切ない。カーブを曲がった途端、片側通行だったりするのを平然と追い越して行く。黄龍はぜひ行ってみたいところ。湖が段々になっていて、そのエメラルドグリーンの美しさは喩えようもない。しかし、やはり、標高が高すぎた。木の遊歩道の階段を登り始めると、激しい息切れがする。高山病の予防薬は前日から飲むように指示があったので、寝る前に飲んで、朝も飲んで出かけたのに、鏡で自分の顔を見た時、ぎょっとするほどの顔色で、手をみたら紫色をしている。しかも、激しい動悸はかつてなったことがないほどの心拍数。まるで、トレモロのようにヴィヴラートのように早い。これは危ない。しかもそのために持ってきたニトロは車の荷物の中。思わずへたり込む。ユックリ歩いてと言うのに、ガイドは若くて平気だから、どんどん登って行って時々待っている状態。つい無理して付いて行ってしまう。韓国のツアー客は皆手に酸素ボンベを持っている。エー、私にはないの?しかも、ろくすっぽ説明もなく、どうしてあんなに色が違うのという質問にも答えられない。なに、これは。早速怒りんぼの虫が疼いてくる。しかし、美しい。危険を犯しても見る価値は充分ある。そして頂上へ。一望すると、段々になった池がそれぞれ少しずつ色を変えて、全体としては澄み切ったエメラルドグリーン。降りて行くと曲がり角ごとに又池が現れ、色も微妙に違ってひっそりと静まり返っている。その夜は九寨溝泊まり。部屋は広くてきれいだけれど廊下が暗い。外で言い争いのような声が激しくして、恐ろしい。でも私の特技は、横になって暗くなると寝てしまうことなので、良く眠れた。

2010年10月12日火曜日

中国、チベット旅行記  出発

昼ごろの成田エクスプレスで成田へ、午後5時発上海経由西安行の飛行機に乗った。上海で少し時間があるので、西安に着くのは23時20分。ずいぶん遅い。直行便がないのが不便だなあ。西安といえば、今を去る30年ほど前、初めて中国に行った時に立ち寄ったことがある。静かな美しい街だった。城壁に囲まれて大きな門があったのを、物忘れの激しい私でもよく覚えていて、とても印象が良かった。古都という名にふさわしい街。さて、今はどのような街になっているのだろうか。上海は万博があるので、賑やかで煌々と明かりがついている。空港の周りも高速道路らしいところは明るく照らされていて、日本よりもギラギラひかっている。乗り継ぎの10数人が別の通路に連れていかれて、入国審査を受ける。全員観光気分では全く無くて、シンと静まり返ってなんだか恐ろしい。その通路は全く隔離され、審査に引っかかったら大変と、不安になる。でも、こんなおばさん、だれも怪しむこともなく無事入国許可が出た。ウロウロして小龍包を食べたり、お茶を飲んだりしているうちに搭乗時間が近づいてゲートへ行くと、あら?いつの間に搭乗口が変わってしまった。どこへ行けばいいの?係員の男性は親切で、やっと正しい搭乗口にたどり着き一路西安へ。待っていたのは想像していたおばさんではなく、若い女性。この後11日間面倒をみてくれる、別さん。28歳。怖いおばさんを想像していた私はホッとするが、果たしてこんなに若くて大丈夫?次の朝早いので空港付近のホテルに泊まり、そのままバタンキュウで寝てしまった。

2010年10月11日月曜日

中国、チベット旅行記 準備編その3

今回のスケジュールは次の通り。

1、 成田発 上海経由西安                西安泊
2、 国内線で九寨溝へ黄龍観光             九寨溝泊
3、 九寨溝観光                       九寨溝泊
4、 内線で九寨溝ー西安  西安ー西寧        西寧泊
5、 西寧発 青海チベット鉄道21時40分発      列車泊
6、 夜、ラサ着                        ラサ泊
7、 ラサ観光                         ラサ泊
8、 ラサ観光                         ラサ泊
9、 ヤムドュク湖観光                    シガツェ泊    10、シガツェ観光                       ラサ泊
11、国内線でラサー成都  成都ー西安         西安泊
12、西安ー上海  上海ー成田

このスケジュールを見た時に一番心配だったのは、2日目、いきなり4000メートルの山越えがあることだった。その点を電話で問い合わせても、大丈夫。ファックスで理由を書き連ねて変更を求めても、大丈夫の答え。高山病予防薬を持っているし、大丈夫かなと自分に言い聞かせて、受け入れたのが大きな間違いだったことが、現地で明らかに。後で聞いたところでは、この旅行社の人が高山病になったことがないと云うだけの理由らしい。やはり大陸的というか、私は自分がそうなので怒りもしないが、神経質な日本人なら怒るかもしれない。高山病の薬を出してくれた横浜のクリニックの先生は「日本人が何人も死んでいますよ」と脅すし、ネット上で調べると高山病の恐ろしさが沢山出てくるし、なら行かなきゃいいじゃないか、と言われてもねえ。行きたいのよ、性格が悪いから。ときは中国の国慶節。連休のさなかで、列車も飛行機もチケットをとるのが難しく、直行便で行ける所も乗り継ぎになったりして、スケジュール的には無駄な部分もあったけれど、とにか胸ふくらませて成田から飛び立った。

中国チベット旅行記 準備編 その2

前に投稿したものと重複することもありますが、お許しください。さて、日程も決まり、私ののぞみはこのブログに中国から投稿できたらいいなと思うこと。果たしてできるだろうか。そこで登場するのは、いつものお助けマンのパソコン名人。まず、携帯では大丈夫らしいが、やはりパソコンのようなキーボードのほうが作成しやすい。それで、考えたのはスマートフォン。iPadでは重さと大きさがありすぎる。IS01はどうだろうか?一つ手に入れて実際にやってみよう。彼はそのために操作方法の動画を、どれだけ作ってくれたことか。次々に私のパソコンに送られてくる大量の動画。それに対して私は「これはどうするの?」などと、のんきに質問。すると、「その動画の何番目にはいっています」との返事。よくも怒らず付き合ってくれるものだと感心する。結局やはり携帯での投稿が一番とわかって、スマートフォンは残念ながら、お留守番してもらうことになった。次は健康に関する準備。薬の山。まず、高山病予防薬。感染症のための抗生物質。気管支がよわいので、気管支炎の薬と咳止め。眠れない時のための睡眠導入薬。胃腸薬。心臓のためのニトログリセリン等々。幸いなことに咳止め以外は殆ど使用せず。次は最も必需品である、紙類。トイレットペーパーの芯を抜いて一巻き。ポケットティッシュ。消毒綿。トイレには、ホテル以外紙が無いものと思ったほうが良い。空港ですらトイレットペーパーが無いので、絶対必需品。列車でトイレットペーパーを見えるところに置いていたら、黙ってちぎって行く人がいたので、かくしてしまった。ケチと言われようと、自分のため。暑さ寒さ対策も欠かせない。寒い時のために防寒コート。かさばるのが困るが、標高の高い所で震えたくない。結局上着は2種類。セーター3枚。と入れてみると、いつものスーツケースでは入りきらず、一回り大きいものを買う羽目になった。

2010年10月10日日曜日

中国、チベット旅行記 準備編

青蔵鉄道に乗りたいと思ったのは本当に単純な動機。テレビの番組で世界一高いところを走る列車として紹介されていたから。いつでも、動機は単純です。あ、これをやってみたい、ただそれだけ。でも、今回はそう事は簡単に運ばなかった。まず、遡ること5年ほど、仕事がワンサカあって忙しいさなか、6月に8日ほど余裕があって、そこでどうしようかと考えた。その頃スキューバダイビングを始めて夢中になっていたので、今回は潜りにと考えたのがケチの付きはじめ。その年は沖縄へ。次の年から暴動や地震や次々とラサ、青海省付近に不穏な出来事が続出。私自身も健康や仕事の都合で、中々踏み切れない。今年はラストチャンス、今年を逃したらもう行くことはないだろうと思って、実行することになった。仕事もヒマになったし、健康も年々衰えていくから今しかない。でも、今までツアーに参加して、あまり面白かった事はない。できたら一人で旅をしたい。まず、日本のユーラシア旅行社に電話してみた。一人でというと電話の向こうのお兄さんが、フン、といわんばかり。いかにも馬鹿にして「お金かかりますよー」そんなことわかってるさ。でも、あまりの感じ悪さにここはやめた。次につてをたどって中国の旅行社にアタック。紹介して下さった方が、そこの社長さんと非常に信頼関係にあるので、簡単にオーケー。何回かファックスと電話のやりとりの後、スケジュールが決まった。さて、ラサは標高3200メートル、青蔵列車の最高位は5000メートルを超える。初めに行く黄龍、は4000メートルを超える。一番の心配は高山病。調べれば調べるほど恐ろしい。体験記などでもその怖さは、まざまざと伝わってくる。あとは狂犬病、中国、インドなどは狂犬病の予防が徹底していない。9月に入って、予防注射を打ちに行く。3回に分けるので、やっとギリギリ出発に間に合う。ところが、その前に歯の治療、鼻腔を広げる手術など立て続けにやったため、か弱い(?)私は高熱を発しダウン。弱った状態での出発となった。

2010年10月9日土曜日

玉三郎は大泣き、猫たち大興奮

昨日家に帰ったら玉三郎は興奮のあまり、30分ほど絶叫していました。4匹の猫たちはそれぞれ思いの丈を語り始め、欣喜雀躍、手の舞い足の踏む所を知らず、といった有様。こんなに喜んでくれるのは猫だけだと思うと、複雑な思いですが、今日仕事にいったら、途中で電波事情で投稿出来なかった日などに、皆さん心配してくださっていたようです。昨日はベッタリと猫に取り囲まれ、グッスリといきたかったのですが、途中で玉三郎は食べ物を吐くし、ナツメは夜泣きするし、ラサのほうがよほど熟睡できました。今回の旅行のアレンジを引き受けてくれた中国の旅行社の社長さんもよほど心配だったらしく、西安でお目にかかったときに「本当に心配していました。よかった。」と何回も言って喜んでくださって、人騒がせな一人旅は無事終了しました。近日中に少しずつ思い出しながら、書いていこうとおもいます。それにしても、チベットの気候のきびしさ、人々のあまりの貧しさに衝撃を受けた旅でした。脳裏によみがえるのは、力なく手を差し出す人たち、身を投げ出して進む一人ぼっちの巡礼者。涙など受け付けない厳しさ。私の中でこれが今後どう生かされるのか未知数ではありますが、大変な衝撃を今どう受け止めるか、未だ整理がついていません。少し時間をおかないと未消化に終わりそうです。ゆっくりと考えていこうと思います。

2010年10月8日金曜日

中国のおばちゃんたちは親切?

朝5時半出発、チェックインすると一人になってしまった。搭乗口の15番に行こうとしたら鍵がかかっていて行かれない。誰に聴いてもそこというけれど。3人目の人が座っていれば、声をかけてもらえるからというけれど、不安で何回も掲示板を見に行く。免税店のおばちゃんが大丈夫と言ってくれる。やっと鍵があいて一安心した。乗り継ぎの手続きの怖そうな人も私が往きに書いた半券をなくして叱られると思っていたら、意外と親切。上海で免税店を眺めていたら、呼び込まれたので35元しかないと言うと、「35はこっち」と言ってポンとお菓子をわたされ笑い声が起こる。おばちゃん同士は国が違っても同じですね。今日成田に着きます。写真などの整理がついたら、青海チベット鉄道の旅投稿しますので、読んで下さい。しばらくお待ちください。

2010年10月6日水曜日

今日はドライブ

私の高山病のせいで次の目的地のシガツェに行けなくなったので、昨日は又お寺巡り。今日は近場をドライブしてもらうことにした。こんな時は一人旅のありがたさ。好きなようにさせて貰う。振り回されるガイドとドライバーはブーブー言っているみたいだけど、言葉が判らないふりして知らん顔。昨日ホテルのドクターから大丈夫と言われたから、大丈夫でしょう。では、行って来ます。

2010年10月5日火曜日

高山病

昨日あたりから風邪気味だったので嫌な気分がしていたが、今朝ちょっと買い物に出て部屋に帰るとそのままダウン。あまりの気分の悪さに、唸ってしまった。ベッドから起き上がろうとした途端腿に激痛が走り、立ち上がれない。すぐに水を飲み擦ると傷みが消えた。6時に食事の約束をしていたけど、気分が悪くて行かれないとガイドに電話をする。間もなくドアをノックして2人のガイドが入ってきた。すぐに病院に連れて行かれ、酸素吸入を2時間。その間ガイドもドライバーも空きっ腹を抱えて待っていてくれた。少し気分が良くなり食事は鍋料理。アヒルのスープに野菜や牛肉、羊肉が入って、いつもならモリモリ食べるのに、ほとんど箸がすすまなかった。パジャマに着替えて寝ようとするとガイドがホテルの高山病専門のドクターを連れて来てくれた。又酸素吸入と点滴を2時間。やっと唇に赤みが差してきた。最後の目的地シガツェのヤムドュク湖に行くのは急遽取りやめて、ラサにもう2泊する事になった。旅の終わりはあっと言う間にやってくる。チベットには2度と来られないだろう。体力的にも大変な所なので、若くない私は
今来られて本当によかった。しかも呼吸器に問題があるので、本当は危険な賭けだったと思う。それでもここは人を惹き付けるものがある。

2010年10月2日土曜日

世界一高い駅

間もなく世界一高い所にあるトングラ駅に着きます。前の席の男性達はグロッキー。私は何とか持ちこたえています。早く降りになってほしい。ヤクの群れが増えてきたので、動物好きな私は気が紛れています。ありがとう。ヤクさんたち。雲が一つポッカリと浮かんでいて、どんな現象かわからないけれど、それだけ虹色に輝いています。とても厳かな気がしました。

永久凍土

昨夜10時40分発の列車に乗っています。7時頃目がさめた。地平線から空にかけて茜色から黒に近いブルーのグラデーション。くっきりと山の稜線がシルエットで浮かんでいる。間もなく夜明け。少し進んでいくと黒い変な雲。なにかとおもったら工場の煙だった。おやおや。こんな所まで公害?顔を洗って戻るといつの間にか、凍った地面が一面に広がっている。これが永久凍土なのか。間もなく最高地点に到達するはず。もう夜があけます。

2010年10月1日金曜日

青海チベット鉄道を待つ

なぜか、中国の家庭の誕生日のお祝いに紛れこんで、向日葵の種をついばんだり麻雀見たりしています。なんででしょうね。

西寧

昨夕西寧に到着。地元の李さん夫妻の案内で夕飯を食べる。羊の肉 じゃがいもが美味しい。今日は中国の国慶節。朝から花火のドカンという音で目がさめた。街を歩いてみたらイスラム教の寺院をみつけた。入れてもらいたいと頼んだが断られた。頭にスカーフを巻いていなかったからか、よほど不信心者と思われたか。しかし、ひどくホコリっぽいのには閉口した。ガイドさんが一緒だと余計な物を買わないように言われるので、こっそり買い物をしようと思っていたけれど、何も欲しいものがないので、諦めてホテルのカフェでコーヒー飲んでいます。

2010年9月30日木曜日

間違えた

行き先は西寧でしたね。ごめんなチャイナ。

これから成都へ向かいます

又西安に戻って来ました。これから成都に向けて飛びます。いよいよ明日夜青海チベット鉄道に乗車。一路ラサへ。今までの所4200メートルまでは大丈夫でした。何だか薬が効きすぎるみたいなので、飲まずに行ってみます。中々電波が届かない所にいるので、メールなども返信出来ませんね。写真も撮るのが上手くなくてガッカリするでしょうが、帰ったらお見せできると思います。では、又電波の届く時は投稿します。

2010年9月29日水曜日

パンダの海

九寨溝にきています。昨日まで電波がとどかなかったので、留守をいたしました。ここはパンダが水を飲みにくるというので、楽しみにしていたら今頃はいないそうで、ガッカリ。これから一番綺麗な九寨溝へむかいます。

こんな写真見ても何だかわからないでしょう。これが黄龍の黄の部分。この上によく写真で見るあのえも言われぬ様々な青い水があるのですが、そこまで行くとこの携帯写真の高度エリアを越えてしまうのです。デジカメを車に置いて登ったために、どうしようもなくガイドさんのデジカメで撮ってもらって、それをパソコンに送ってもらうはめになりました。それは後のお楽しみにしていただきます。今日初体験の高度4000メートル。車の中では何ともなかったのに、黄龍の階段を登っていると心臓が激しく鼓動して、自分の手を見るとチアノーゼ状態。恐ろしい体験でした。前の日に高山病の予防薬を飲んだのに。韓国の団体は手に各々酸素ボンベを持ってあるいていました。でも、苦労した甲斐があって、素晴らしい美しさ。あれを見るためには苦労しないで安易に行くのは冒涜です。でも、長い間ひっそりと佇んでいた景色が、どやどやと踏み込まれていくのも、何だか寂しいですね。と言って私も踏み込んでしまいました。

2010年9月27日月曜日

上海空港

成田発17時、上海に19時55分(現地時間18時55分)着、乗り継ぎは現地時間21時05分。小籠包食べてジャスミン茶飲んで、乗り継ぎゲートに行ったら、ゲゲッ、ゲートがいつの間にか変わっていた。言葉が分からないから怖い。空港はどこでも似ているから写真はありません。今日はここまで。無事に西安に着きますように。今日のチョンボはスーツケースの受け取り票を忘れたこと。それは大したことなかったけれど、明日からどんな旅になるでしょうか。乞うご期待、と言っておきましょう。玉三郎が今頃泣いているでしょうね。ひどいママを許してね。

2010年9月26日日曜日

行ってきます。

出発は明日の午後だけど、間際にパソコンいじって時間を忘れると危ないので、今のうちにご挨拶です。中国から、うまくいけば携帯写メールで投稿しますので、チェックお願いします。青海チベット鉄道に乗りたいと思ってから実現まで数年かかりました。行こうと思うと邪魔が入って、又行こうと思うと都合がわるくなり、の繰り返し。こんなの初めて。いつも行こうと決めるとスグに行ってしまえたのに。今日最後の打合せ。ガイドさんは女性ですぞ。なんだか皆さん疑わしげに、素敵な男性だったら帰ってこないわよね?なんて、ご自分の願望を重ねあわせていましたが、残念でした。帰ってきます。台風も過ぎてフライトも大丈夫そうだし、明日夜、空港にガイドさんが居なかったらどうしようと思う以上に、ガイドさんのほうがこちらを心配してる風。この人たった一人でちゃんと来られるのかしら、と思っているらしい。私もいつも気楽にでかけるのに、とんでもない高地なので結構緊張です。メキシコで2000メートルまでは体験しているけれど、5000メートル超えはねえ。いままで、ロッキー山脈などでスキーをしていた時は、なんにも考えずに楽しんでいました。高山病なんて考えもしなかったし、海抜すら見なかった。もしかしたら危なかったのかも。ブログなどで見ると、高山病になった話がいっぱい。でも、予防薬を飲まなかったのかなあ。飲んでもなるならなお心配。それならヤメればいいのにやっぱり行きたいのですよ。

古典音楽協会定期演奏会

一昨夜は私の所属する合奏団の143回目の定期公演でした。あと、数年で50周年を迎えるこの団体は故三瓶十郎氏が、創設されました。年を追うごとに客席がいっぱいになり、いまや、早めに行ってもいい席がとれないと、うれしい苦情が来るほど。私は比較的遅く入団したけれど、ほとんどの団員が30年40年の長きにわたって演奏し続けて、今日に至っている。このような合奏団は、個性的な音楽家同士のぶつかり合いで、消滅してしまうことが多く、こんなにうまく継続されているのは珍しいと思う。それなりに問題があったとしても、我慢強くしっかりとした人たちの集まりなので、均衡を保っている。非常に個性的でありながら、おおらかでユーモアがある人達。私が一番ワガママかもしれない。この言いたい放題の野生児を、穏やかに受け入れてくれる優しさ。それが演奏に表れる。プロフィールの写真と記事がバラバラと評判悪いけれど、ホームページ御覧ください。でも、メンバーに言わせれば、「このバラバラがいいのよ。それぞれ違うひとなんだから。」と気にもしていないのですがね。
http://www.koten.co.uk/

2010年9月23日木曜日

荷物を作る。

ラサ行を来週の月曜日に控えて、そろそろ荷物を送る準備にとりかかる。明日には空港に送ってしまおう。今回11日間という長丁場なので、車は家に置いていくことにした。幸い、武蔵小杉駅が近く、成田エクスプレスが止まることになって、超ラッキー。成田まで1時間10分。これはらくちん。
まず、紙類。トイレットペーパー、ティッシュペーパー、除菌クリーナーなど。でも、相当辺鄙なところでも、今時不自由はしないから、気休めに。山のような薬。お腹、心臓、歯、風邪、高山病予防薬、喉、咳止め等々。狂犬病の予防注射は昨日で完結。それから化粧品。もともと殆ど化粧もしないが、日焼け止めだけは必需品。モンゴルに行った時真っ黒になって、今でも後悔している。のちのちのために、日焼け厳禁。それと寒さ対策。ラサは今頃は15度くらいだそうで、それなら、軽い防寒着でいいけれど、念のために綿入れのパーカーを用意。初めはスキー用のヤッケを入れたけれど、少しオーバーすぎるかなと思って、差し替えた。羽毛のベストも入れた。セーター2枚。そして、ニュージーランドのアイスブレーカーというシャツをいれる。これは優れもの。登山などで威力を発揮する。Tシャツを3枚、パジャマ2枚、下着、靴下、靴と室内履き、本が数冊、あとは、電波事情がよければ、あちらからこのブログに投稿するために、携帯、デジカメのポータブル充電器、以上。これでパスポートさえ忘れなければ、あとは野となれ山となれさ。西安までは全く一人。ガイドさんが空港に迎えに来ることになっている。一体なにが起きますことやら。

2010年9月22日水曜日

検事の犯罪

あきれてものも言えない。検事が証拠の改ざんをして、自分の描いた犯罪をでっち上げていたとは。顔を見れば河豚のような、見るからにあくどい顔。ほら、又誰かに叱られそうだけど、顔つきってあるでしょう。不細工とかでなく、内面の傲慢さや気の弱さが出ますよね。例えばこの事件で告発された村木厚生労働省元局長。冷静で頭の良い人、でも本当に関わったとしたら、ずいぶんふてぶてしくも見えそうだけれど、無罪が確定して微笑んだ時には、思わず涙ぐんでしまった。どれだけ悔しい思いをしたことだろうか。にもかかわらず、これほど穏やかそうにしていられる、芯の強さ。尊敬します。それに比べて部下の村上勉被告。見るからに気の弱そうな、お前、やっただろうと3回位言われたら、はい、やりました、と答えそうな人。こんな河豚面の怖い検事に強引に迫られて、冷静でいられる人はいないと思う。この検事、今まで世の中すべて自分の路線でやってきたにちがいない。出世頭、大阪地検のエースと聞くけれど、なによりあってはならない「卑怯者」。でっち上げられ告発されることのおそろしさも、自分の出世のために、平然と踏みにじってきたのだと思う。検事がそんなでどうする。権力をもった人は、誰よりも謙虚でなければいけない。なぜ、検事を目指したのか。正義感?権力欲?社会的な地位?最近一番ショックな事件でした。

2010年9月21日火曜日

若い人に教えられて。

先日のnekotamaを読んだ方から高速道路の渋滞情報がありますから、このつぎからはそれを見ていったほうが良いですよと助言があった。私は抜け道があればそれを行ったほうがよいのでは?と、抜け道情報を知りたい旨伝えた。すると、抜け道マップも出ていますが、一般の生活圏の道路を抜け道に使うのは、そこで生活している人たちにとって大変迷惑だから、おやめなさい、としっかり答えが返ってきた。交通渋滞情報をみて、早めに出かければそれで済むことなので、抜け道として使われるその地区の住人のことまで、考えなかった。何年人間やっているのでしょうね。アホに長年生きるのと、未だ若くても賢く生きるのと、この位差がでるものなのですね。以前、やはり私よりもはるかに年下の友人と、ある有名人の話題になった。自分のことは棚にあげて、私はあの人の顔は不細工だから嫌いと言ったら、自分が努力してもどう仕様もないことを言ってはいけません、と叱られたことがあった。いつも穏やかで草食系のひと(動物はかわいそう食べられないというほど優しい)から、思いもかけず厳しく言われて、反省。(でも、まだ反省はかなぐり捨てて、悪口言いますけど。)時々思い出して前より言わなくなったと思う。この人たちは、しっかりとした躾をうけて育ったのか、元から人間出来ているのか。私は野放し状態で人の気持を考えずに口から言葉が出てしまう。反省してもその場限り。この差はどこで培われるのか、知りたい。

2010年9月19日日曜日

悪夢の一日

秦野にでかけました。今度新しく立ち上げるオーケストラの、弦楽器を指導している。いつも13時から始まるのに、今日は14時始まりなんだ。なぜか、そう思い込んでいつもより少しゆっくりとしていた。いつも、練習の1時間前には必ず着くようにしている。距離があるし、日曜日なので日曜ドライバーがよく事故を起こして渋滞する。それを見込んで、今日もそれだけ、時間をとったつもり。11時出発。そこからが悪夢の始まり。川崎インターへ至る道が大層込んでいる。そうか3連休か。でも、乗ってしまえば1時間足らず。着いたらユックリお茶のんで、途中の地場産のお店によってとアレコレ考えていた。それにしても、こんでいるなあ。今日は14時でよかったよね。携帯のスケジュールには・・えっ・・・13時。たしか昨日たしかめたのに。わあ、まにあうかなあ。でも、いつも1時間前につくのだから、今日はギリギリになるけど、大丈夫。違うメール(件名が室内楽、とか合奏とか、リハーサルとか似ているのがくるので)を見たのかも。あわわ、ところが東名の川崎インターには無情にも厚木まで80分の電光文字が。厚木までいってその先は?焦りまくって関係者に連絡をして、練習のアレンジをしてもらう。このままでは、いつたどり着くかわからないし、下の道を行ったほうがいいかも。思い切って下におりてみると、そこもまた大渋滞。ヨロヨロと町田から高速へとって返す。ほうほうの体で秦野のインターから堀川公民館に向かった。ところがここから怪奇現象の始まり。カーナビに従って走るが、ぐるぐる回されるばかりで、一向に会場に辿りつかない。最後は人に聞いてなんとかたどり着いた。遅れること2時間、私は常日頃、遅刻は最大の恥だと思っていたので、ショックは大きく、まるで、悪夢の中にいるようでした。帰りももちろん大渋滞。楽しい楽しい一日でしたよ。げんなり。

アンチエイジング

もう歳だからとか年のせいでなどと云うものではないと世間では云う。最近アンチエイジングなる言葉をよく聞くけれど、自分の歳をなんで素直に受け入れてはいけないの。ずーっと好きなことだけやってきたからわかるけど、私が多少元気に見えても、別に努力をして張り切っているわけではありません。つい最近まで、働き詰めの生活でした。それはそれで大変楽しく、でも、疲れた。暇になって時々仕事をすると、仕事っておもしろいなあと再認識。だからといって又あの生活に戻るのは無理。本当に年なんだから。腱鞘炎、腰痛などと戦って生きていくのもつらい。子供の頃はボンヤリしているのが好きだったから、今まさに「帰りなんいざ、その頃に」という心境。テレビなどで、とても若く見え、活躍もしている人たちが登場する。そのような人たちは本当に若いんです。実年齢がどうあろうと、体も心も実際に若いのだと思う。それを無理してあの人達に負けまいとして、若作り若やいだ声で、笑顔が健康に良いといえば、無理に笑っている人を見ると、痛々しく見苦しい。元気を装おっている裏で、自分をだましているのだと思う。それが周りの人たちに悪しき影響を与えるのがわかっていない。歳をとったらフニャフニャと、猫のようにくらすのが一番。家にいつくようになると、困るのはお掃除。やたら、汚いところが目につく。家事というのはとても重労働で、雑巾で床ゴシゴシやろうものなら、あと寝こんでしまうほど。ラサまで行くエネルギーはあるのに、お掃除のエネルギーは皆無。お掃除の天使さん、どうか舞い込んでください。お待ちしてます。

2010年9月18日土曜日

鼻行類続き  ハラルト シュテュンプケ著   日高 敏隆訳  思索社

今は平凡社から出版されているようです。私も引越しのどさくさで以前のものをなくしてしまったので、もう一度読んでみたく調べてみました。イラストの可愛らしさ、内容の充実度、なによりも訳者が日高氏であることで、すっかり騙されましたが、再読希望ナンバーワン。図書館にあるかもしれません。騙されたと思って読んでみてください。結局、本当にだまされるのですが・・・

2010年9月17日金曜日

玉三郎がアワワ

今朝、相変わらず早朝4時におこされ、猫の奴隷である私は、はいはいと言って缶詰を開け、トイレの掃除をさせられて、二度寝モードに入った。ようやく涼しくなったので、玉三郎も私の布団に入ってきて、仲良くおやすみ。目が覚めると横にいない。ふと見ると頭の上に玉三郎が、いつもと違う様子で眠っている。触るとピクリともしない。一瞬、先日獣医さんに言われた腎機能低下の事が頭をよぎる。なんだか、体温も低いみたい。呼びかけても薄目も開けない。いつもは少しでも私が動くとスグ起きて、ニャアニャアうるさくつきまとうのに。もうその時点で涙目になって、玉、玉とゆりうごかしても、なんだか反応がない。そういえば獣医さんも、もう高齢だと言っていたっけ。それなら、うるさく騒いだときに、あんなに叱らなければよかった。気も動転して、顔をグリグリすると、ようやく薄目を開けた。ああ、よかった、生きていた。頭をなでるとうるさそうに欠伸をして、ニャアと鳴いた。そうか、今年の暑さ、猫もこたえていたんだ。やっと、涼しくなって熟睡していたのに、うるさい飼い主だなあ。トンとベッドから飛び降りると、サッサと椅子へ移動。いかにも、フンって感じ。いつも玉にうるさく騒がれて睡眠不足の私は憮然とする。ホント、猫ってヤツは。

2010年9月15日水曜日

はやぶさを見に

ご近所に行きますとメールしたら、では、面白いものをお見せしたいので、とHさんからのお誘い。面白そうなものにすぐに飛びつくわたし。なにがみられるのだろうか。しっぽを振りながらついて行く。つれて行かれた先はJAXA相模原キャンパス。以前、宇宙探査機「はやぶさ」の投稿をしたことがあったのを、憶えていてくださったのだ。放送大学で天文学の基礎は学んだので、多少宇宙には興味がある。特に「はやぶさ」が探査した小惑星「いとかわ」はロケット研究の糸川博士の名をとったもの。生前の糸川先生には何回かお目にかかっている。と言っても先生の専門の分野でではなく、音楽やバレエなどの趣味の分野でですが。それはあんまり関係ないけど。JAXAは従来3つあった宇宙研究所が1つにまとまり、宇宙航空分野の基礎研究から開発、利用にいたるまで一貫して行う機関。「はやぶさ」の実物大模型、屋外にはロケットの実物大模型が展示されている。「はやぶさ」は大きめのお神輿みたい。外側が金箔?で覆われた箱型。思ったよりずっと小さく、これが宇宙をさまよっていたのかと思うと、けなげにおもえる。ロケットと一緒に写真を撮ってもらって、掲載するつもりだったけれど、おばさんとロケットはいかにも不釣合い。残念!場所がかわってプラネタリウムで「はやぶさ」の映像を見に行く。ところが・・・横になって暗くなると・・・完璧に寝てしまう習性なので、今回我慢できるかどうか。悪い予感があたって始まってから、ほんの数分起きていただけでした。

2010年9月14日火曜日

散歩を再開

先週高熱を出して以来散歩はおろか、昼夜を問わずうつらうつらしていたけれど、昨日夕方あたりから、はっきりと回復の兆しが出てきた。普段はショートスリーパーで、睡眠は3時間から4時間、時々ドット寝るを繰り返してきた。それが、なんと数日間起きている方が少なかった。今年の夏の暑さがよほど応えたか。感心なことに?食事の時間だけは目が醒めて、ちょっとつまんで又眠るの繰り返し。ところが、あまり寝たものだから、昨日の昼寝から醒めてその後、全く眠くならない。睡眠がいかに体に良いかを実感した。頭すっきり、目はシャキッ、足はズンズン。で、今朝から散歩の再開。カラスのお母さん久しぶり。お父さんはどこ?頭の毛が抜けちゃったねえ。  大きな黒ラブとジャーマンシェパードを連れた男の人が来た。大型犬大好き。そばに寄って頭をカキカキさせてもらう。男の人のじゃないですよ。ワンちゃんのです。犬も年をとって介護が大変です、とやせた飼い主。犬は小柄な私位はあろうかという大きさ。大型犬に好かれるので、時々じゃれてくる子がいる。以前、大きな秋田犬が向こうから来て、私の前まで来ると突然立ち上がって両手を私に肩にかけ、ベロりと顔を舐められた事があった。立ち上がると私より大きい。飼い主は何事かと、キャアーと叫んでハーネスを一生懸命引くけれど、私が笑っているので、やっと安心したようだ。よくやられるので慣れていて、さほど驚かない。セントバーナードが後ろから抱きついてきて、転びそうになったり、動物ふれあい広場に行けば、仔牛ほどある黒犬に遊ばれて羽交い締めにされたり、大型犬との相性は抜群。気分よく散歩を終えたら、あら、又眠くなってきた。

2010年9月13日月曜日

さて、なにを書こうか・・

と考えるこの瞬間がたのしい。毎日平凡に生きているから、さして話題になるようなハプニングはないけれど、世の中にはドッサリ面白い話しがころがっている。ここに植物に関する本がある。
「植物たちの秘密の言葉」  ジャン=マリー・ベルト著  ベカエール直美訳  工作舎

木々の緑や美しい花は私たちの心をなごませて、健康の増進にも役立つ。地球上の酸素をつくりだし、小鳥たちのすみかとなり、木陰では家族がくつろぎ・・・・植物とは優しく豊かなもの・・・というイメージを一転させるのが、この本。のっけから始まるのは、呪術師たちの「極秘」の薬。西アフリカのブードュー教の儀式の中に「死者の蘇生の儀式」というのがあるそうで、有毒な植物のエキスがつかわれている。人を初め仮死状態にして、埋葬。その後墓を掘り返してなにやら飲ませ、叩いたり布でくるんだりしたあげく、遠くのプランテーションに連れてゆき働かせる。死なずに強硬症をおこさせるのも、「生き返らせる」のもヒキガエルの毒効果やふぐの毒、チョウセンアサガオのエキスなど、かの地でチョウセンアサガオは「ゾンビキュウリ」と呼ばれているそうだ。チョウセンアサガオは非常に有毒で「真実告白薬」として知られるそうだ。きのこの毒性についてはすでに良く知られている。可愛らしい花にひかれてつい手を出すと、とんでもなく痛いトゲにさされたり、植物は自分が動けない分、身を守るのに必死なのです。回旋植物、つる植物は植物の中でも、最も知能指数が高い。自分でヒゲの先で支柱を探し当て巻きついてゆく。その運動性も植物の中では最高位。植物には知性があると言われる。まだ、支柱を察知するメカニズムについては解明されていないらしいが、ある種のホルモンが関与しているのではないかという説もある。ここに書ききれるものではないので、あとは本書をお読みになることをおすすめします。植物の悪賢さや毒性、獰猛とも言える食中植物などの他、菌類の「愛の舞踏」など、植物の概念が少し変わります。おぞましくもあり、愛すべきでもあり、そしてなによりも、地球上の生物がお世話になっている、植物への畏敬の念をおぼえる。地球上に人がいなくなったら、植物で覆いつくされる、さもありなん。植物はその日を虎視眈々と狙っているのかもしれない。面白いと思って書き始めたけれど、薄気味悪くなってしまいました。

2010年9月12日日曜日

ヒコベエを読んで母を思い出して涙。

ヒコベエの母は、高邁な精神を説く武士の家系の父親とは反対に、土に足の着いた農家の出身。38度線を3人の子供を連れて生き抜いた逞しさを持っていた。それで、私も思い出して涙したのは自分の母のこと。戦時中結核を患い、体がよわかった。いつも子供たちに先に食べさせて、私たち兄弟が一緒に食べるよう促すと、お腹がいっぱいだからと言って食べない。でも、母が食べていないのは知っているから、私たちはそれを叱っていた。でも、子供のことだからいつの間にかうやむやになって。そんなことの繰り返しだった。いつも感じていたことは、この母はじぶんの子供を守るためなら、どんなことでもするだろうということ。自分の命を投げ出すだろうということ。近年、母性愛とは自分の遺伝子を残すための、非常に利己的な行為であるといわれるが、それだけで出来るものではない。たしかに母は口うるさく、自分の羽の下に子供たちを抱え込んで離さない。家族は唯々として母の命令に従わなければならなかった。でも、言うとおり動くとたいていはうまくいくので、みな云うことをきくことになっていた。ようするに女帝卑弥呼様だった。それだけなら、必ず反発するものが出るはずなのに、一人の子供も道をはずさなかったから、立派といえる。強いて言えば私のこと。ヴァイオリンなど弾いて、堅気でない世界にいるのが余程お気に召さないのか、死ぬまで嘆かれた。まだ、ヴァイオリン弾いてるの。迷惑だから早くやめなさい、と。

2010年9月11日土曜日

ヒコベエ  藤原正彦著 講談社

藤原正彦氏は数学者、お茶の水大学名誉教授。エッセイストである彼が初めて書いた自伝小説。
私は病床で本を読みふける癖があって、子供の頃体が弱く寝ていると、父がよく本を買ってきてくれた。それが経済を預かる母との、喧嘩の種になっていたようだ。その頃はまだ日本中が貧しく、6人も子供のいる我が家で本などおいそれと買えない時代なのに、食べ物よりも本など買う父に母はいつも文句を言っていた。そんな時代を過ごしてきた著者に共鳴するものが多々あって、風邪でうつらうつら寝たり起きたりしているうちに読んでしまった。藤原氏の両親は作家。しかし、彼は数学者となるが、やはり血は争えない。38度線を超えて生き抜いてきた家族の姿がいきいきと描かれている。今の家庭なら極貧といえるかもしれない。でも、当時はみんなそんなものだから、だれも貧しさで嘆いたりしなかった。主人公のヒコベエは知恵と勇気のある子供。いまの子供からしたら乱暴といえるが卑怯を憎み、父親(新田次郎)から武士の心得を聞かされ育っていく。弱いものいじめをするな、見て見ぬふりをするな。今の教育に欠けているものが、ここにある。母(藤原てい)は身を呈して3人の子供を守り、満州から引き上げてきた。淡々と書いてはいるが、気迫に満ちた描写に圧倒される。著者のことば。「世界が金銭崇拝に走っても、日本だけはそういうものに一線を画せる国になってほしい」そのために文化をまもり、芸術、学問をいかに学ぶかが民族の自信になる・・と。ヒコベエが美術の先生と出会う。ユニークでユーモアのある素晴らしい先生。それが安野光雅氏だったとは。

熱が下がる

目が覚めると、昨日まで廻っていた世界がやっと、普通にもどっていた。今日もまた、アクエリアスを大量に飲んで寝ていようと思ったけれど、気分はすっかり愉快になっている。体はまだふらついているけれど、起きてみると頭痛もない。私のすごいところは、オホン、どんな時でも食欲はちゃんとあるところで、(自慢にもならない)しっかりと朝ごはんも食べ、鼻をグズグズいわせながらnekotama投稿。これで気が済んだから寝ます。おやすみなさい。すみません、働いている皆さん。

2010年9月10日金曜日

鬼の霍乱

目が覚めると激しい喉の痛み、しまった、風邪をひいてしまった。2,3日前からなんとなく水っぱながでていたのを、鼻の手術のせいだと思っていた。でも、普通、そのような手術では、血膿のような鼻水になるはずが、さらさらとした鼻水なので、もしやとおもいながら、風邪対策を怠っていた。しかも、この体のダルさはなんなのだろう。きっと、熱が高いに違いない。測ってみたら38・1度。ギャッ、私の平熱は35度台、低体温なのです。一生懸命上げても36度になるのはまれなのに、これはもう、異次元にはいっている。ふらふらになって、でも、病院へ行こう。車の運転は慎重に。やっとたどりつくと、先生は額に手をあてて、「38度だね」又ふらふら帰りがけに、アクエリアスの2リットルペットボトルを買って、一日中それを飲んだ。うつらうつら目が覚めると飲み、又寝て覚めると飲み・・ずっとうつらうつら。電話が鳴った。「今日娘がそちらにレッスンに伺ったのですが」 
えっ、今何時?6時半をすぎている。しまった、レッスンの約束、慌ててパジャマから着替えて待つことしばし。アワワ、こんなに寝てしまうとは、余程疲れていたのだろう。毎朝猫に4時半に起こされ、いつも睡眠時間は4時間。ナポレオンじゃあるまいし、つかれるわけだわ。いい時に風邪をひいた。これで又リフレッシュ出来る。でも、明日の仕事はキャンセル。他人に行ってもらうことになった。たまにしか仕事がないのにねえ。トホホ。

2010年9月8日水曜日

水中ドライブ

ちょうど台風の雨足が一番ひどい頃、第2回目の予防注射の予約時間。歩いて行くのはとても無理。新横浜の駅からタクシーと思ったけれど、帰りにタクシーがつかまる保証はない。で、自分で運転することに。運転大好き、雨も嫌いじゃないけれど、ずいぶん激しくて危険そう。最近ゲリラ豪雨でアッという間に道が水没することがある。かつて私も、下水から水が吹き出してくるのを見て、仰天したことがあった。その時は道路の白い線が少しは見えたから、それを頼りに走って無事だった。外に出てみると、さほどの降り方ではないと思えたが、しばらくすると雨はますます激しくなって、まるで水の中を走っているよう。そのうちなにか幻想的な気分になってきた。海のそこを走っているつもりになろう。素敵な気分。このへんが変人といわれる所以か。もちろん案外と気が小さいから、安全運転ですよ。でも、せっかくだから、良い気持ちのほうがいいじゃん。(これは横浜の方言です)たどりついたクリニックはまだ新しいので、綺麗で先生ものんびり、看護婦さんもオットリ。帰りもまだ激しい降り。又、海の底を魚になった気分で走る。でも、家に着く頃には小止みになってきて、魚気分は消滅。人間に戻って残念なのは、ゴミ置き場が汚れているのに気がついてしまったこと。魚だったら、怒らないですんだのに。人間はつらい。

2010年9月7日火曜日

変わり者

よく他人から「変わっているね」と言われる。そうなんです。両親も姉妹、兄弟も全員変わり者の一家でした。子供の頃は6人兄弟の末っ子なので、ほったらかし。兄弟は学校に、父母、祖母は用事があって出かけてしまうと、(それも、私にはだれもヒトコトも言わず)ネコとただ二人。江戸時代に建てられた大きな古い家で、肩寄せあって過ごした。ネコは遊びに行きたいのに私が寂しがって離さないので、さぞ迷惑だったでしょう。しっかりと抱きしめて、縁側で家人の帰りを待っていた。今なら犯罪がおきても不思議はないけれど、盗るものもない家だから誰も来ない。ちょっと悔しい。父が異常に社交的だったので、来客はひっきりなしだったのに。だれでも家につれてくるので、うちの廊下に住み着いていた人もいた。あれはなんだったのかしら?知らぬ間に裏庭に住んでいた人もいた。ほとんど野生児状態で育ったので、今の自分があると思っている。好きなことを、好きなだけ、好きなようにする。それも、ちょっと他人が考えないようなことを。縁側で一日中流れる雲や太陽や、風を感じていたので、日暮れまでなにもしないことが多かった。ボンヤリしていると夕焼けになり、それは又それで美しく、見飽きることがない。それが今回のラサに憧れる元ではないかと思っている。山が見たい。

2010年9月6日月曜日

病院通い

この健康なわたしが連日病院に通っている。ラサへ行くための準備。どんなところか見当がつかないので、体調を万全にしておきたい。まず、歯。知覚過敏の治療と掃除。歯はとても大事にしているので、虫歯も歯周病もなければ、歯石もついていないけれど、つい先日強烈な知覚過敏におそわれた。行く前でよかった。ただ、歯がとてもすり減っている。ヴァイオリン弾きはよく歯医者さんに言われるそうだ。なにか歯をくいしばるような、お仕事をしていますか?と。弾いている最中にバリっと歯が折れたなどと聞く。でも、この歯科医は私の云うことを信用していない。ひどい歯ぎしりをすると極め付けられて、マウスピースをつくられてしまった。その時又、好奇心が頭をもたげて、それをはめて、ヴァイオリンをひいてみようなんて。それから鼻腔を広げる手術。せまくなっているので、広げようと、これも医者のいいなり。今鼻がグスグスする以外、なんの効果もみとめられない。それから狂犬病の予防注射。これはあと2回。そして今股関節が痛い。これは、先日小淵沢で馬に乗ったとき、無理に足を広げたため。せっせと整体へ。その他、この際だから、内臓もしらべおこうと思ったら、連日の病院通いになってしまった。医療費もばかにならない。一体自分はなにをすき好んで、こんなことをしているのか。考えるとあほらしいから、考えないようにしている。ものを考えないと、大抵のことはうまくいくという事が、やっとわかってきた。

弦楽アンサンブル

時々音楽教室の弦楽アンサンブルの指導をしている。若い人達が集まって日曜の午後、12人、時には15人くらい、時には10人以下の時もあるけれど、固定メンバーができて安定してきている。初めの頃はチェロばかり多かったり、ヴァイオリンだけだったり、バラバラ。出る音も私の言い草では「この世のものとは思えない」「ホラーっぽい」「何かがひっくり返ったような」等々。罵詈雑言に耐えて生き残って来た人たちだから、この頃、えらいいい音が出るようになった。昨日日曜日、文京アカデミーで、ヴィヴァルディの「四季」の第一回目の音合せを始めた。コンサートマスターのMr.Sはとても上手いからソロは大丈夫。皆耳に聞き覚えもあるし、思ったよりスムーズに練習が進む。でも、ちょっと油断すると暴走するは、人の音を聞いていないは、勝手にリズムをとるは・・・様々に問題が噴出。なん回かやっているうちに目に(耳に)みえてよくなっていく。若い世代の飲み込みの良さには、いつも驚かされる。初めの頃、楽譜もあまり良く読めなかった人たちが、初見でもなんとかこなせるようになって、継続は力を実感。できれば「四季」全曲一気にコンサートでひいたら・・というのは夢ではないかもしれない。

2010年9月4日土曜日

鼻行類

別名「はなあるき」 この絶滅した動物をしっていますか?形は小さなゾウさん。鼻の手術つをうけたので、思い出した。なにが特徴かというと、ゾウさんとは全く逆さまに、ラッパ状の鼻で立って歩くこと。南の島のダーウィン研究所が水爆実験のため水没して、その島にだけいた「はなあるき」も共に絶滅。写真類も完全になくなって、わずかにスケッチだけが残っていた。ゾウが鼻で歩くことを想像してみたいただきたい。それはそれは可愛いイラストが表紙を飾り、当時ベストセラーになったのを覚えている方もおられるでしょう。学名もラテン語で記されていて、かなり専門的な研究書のようだった。私も夢中になって、電車の中で口角泡をとばす勢いで、興奮して友人に説明した。だが、その人は一向に興味を示してくれない。ところが、読み進めていく内に、なんだか変だぞ・・・バッハを聞いてすぐに復唱したなんて・・・ゾウの親戚みたいのが????まもなく続編で秘密があかされた。あれはぜーんぶ嘘っぱち。本物の動物学者が書いたジョーク。たぶん世界の何カ国かで大勢の人がだまされたのだろう。どうりで、ちゃんとした学術書の体をしていると思った。大笑い。中には本気で怒る人もいたかしら。いまはもう絶版だと思うけれど、もういっぺん読んでみたい。

2010年9月3日金曜日

月例弾こうかい。

毎月ピアニストが集まってミニ発表会。お客さんは自分たちだけ。
今日も荻窪の美邸にあつまって、全部で5人。ひとりだけヴァイオリン弾き。美術品やアンティークな調度品にかこまれて、グランドピアノがドーンと2台。ピアニストの家は本当に贅沢な空間。今日はバッハのソロソナタ1番を弾かせてもらう。友人だと言っても、やはり緊張する。思ったように指が動いてくれない。むしろ、ステージの上に立ってしまったほうが、楽な時もある。冷や汗タラタラで弾き終えると、恒例のお食事会はパスして、鼻の手術を受けるために耳鼻科ヘ行く。鼻腔内が腫れて狭くなっているため、鼻の通りが悪くなっているのを直すために。鼻に麻酔のガーゼを詰める。花粉症の手術と同じような感じらしいので、リラックスしていた。しばらくすると、鼻がそこにあるのかどうか、わからなくなってくる。そして、手術はあっと・・・本当に アアア くらいで終わった。
終わってから「鼻が高くなりましたか」と冗談なのに、いつも、面白いことをいいそうな先生が生真面目に「これはその手術ではないから」と言ったのがおかしかった。今、猛烈眠い。薬が効いてきたようです。

2010年9月2日木曜日

スランプ

ゲゲゲの女房を見ています。漫画家水木しげるがモデル。いままでの朝の連続もののなかでも、とびきり面白いほう。この頃水木さん、スランプで仕事が激減。何事にも明るく立ち向かってきた彼が、毎日暗い顔をみせています。なんだか身につまされるなあ。私もオーケストラにいた頃は、一人でこの楽団背負ってる・・みたいな勢いでした。お金なんかめじやないわ。お金よりもいい演奏が大事。そんな気概。貧乏は全く苦にならない。本当によく努力もしたし、その頃の自分が目の前にいたら、頭ナデナデしちゃう。でも、フリーになった時、仕事=お金が身についてしまった。当時、バブル経済の真っ只中、仕事は降るほどある。現金払いだったので、スタジオをいくつかまわると、みるみるお財布がふくらんでくる。ヴァイオリンもヴィオラも弾いたので、超多忙。毎日美容院で髪をあらってもらい、シャンプー台でしばし仮眠。文化会館のリハーサル室で、ピアノのカバーに包まって寝てしまったことがあるくらい。でも、ストレスが大きくて、稼いだお金はその場で遣ってしまった。目につくものを買ってしまうので、なにも残らなかった。それから、バブルが弾けて仕事が減りはじめると、自分を拒否されたように感じてしまう。仕事がない。電話がならない。世の中どうなっているの。嘆いている私に「そんな時には勉強するものだよ」大先輩の鳩山寛氏の言葉が思い出される。ちょうどその時期の水木さん、頑張って。

2010年9月1日水曜日

予防注射

今月末に、チベットに出かけるので、新横浜のクリニックで狂犬病の予防注射をうってきた、世界でも危険な狂犬病区域はインド、中国など。日本では絶滅しているから、全く心配はない。この病気は本当に悲惨だそうで、これにだけは罹りたくない。動物好きなので、うっかり近寄ってガブリとやられかねない。今日打ったのはドイツ製のもの。全部で3回うつのだが、日本製だと期間が長く、出発に間に合わなくなる。ドイツ製はやっと出発に間に合う。一回でいいと思っていたのが、うかつでした。ガイドは付くけれど、一人旅なので健康管理も大変。青蔵鉄道では、日本人が何人も亡くなっているそうだから、高山病の予防薬も、もらってきた。ふん、なんだかワクワクするなあ。クリニックの院長先生はとても親切。帰りに家具屋に寄りたいと言ったら、地図と詳しい説明つきで、イケアをおしえてもらった。夜ベッドで本を読む癖があって、どうも普通のスタンドでは読みにくい。飛行機の中みたいに、スポットライトがあれば便利。新横浜のイケア。初めて行ったけれど、巨大なスペースにきっちりと商品が整理されて、何がなんだか・・・。シンプルで機能的な商品。でも、私はもう少し装飾があるのが好きだなあ。一つ気に入ったものが見つかって、家で使ってみたらとても具合がいい。でも、日本離れした空間でいささか疲れた。ラサでならきっと、ぜーんぜん疲れないのでしょうね。

2010年8月31日火曜日

私はネコの看護婦

ネコのなつめに薬をのませる。傷口の開いたところから薬を注入する。これがしばらく日課になる。薬はエサに混ぜて飲ませるけれど、これが意外に難しい。4匹のネコがわっと寄ってくるので、まず、なっちゃんのエサは別に取って、薬を混ぜる。沢山やると、全部食べないで終わることがあるので、ほんの少し。4匹がいっせいに食べ始めると、途中でなぜか入れ替わるのですよ、これが。何故なんでしょうね。ほかのお皿は美味しそうに見えるのか。でも、その前になつめは完食。薬はお腹に収まって、めでたしめでたし。ほかのネコの食べ残しを丁寧に全部平らげ、満足気に毛づくろい。病気以外は全く手のかからないいい子です。それから、頬に開けられた穴から注入器をつかって薬を入れる。皮をつまむと傷口がポッカリ開いて、そこに注入器で軟膏を入れる。簡単だけど、時には私が近寄ると喜んでクネクネするので、入れにくい。遊んでもらえると思ってゴロン寝されるとさあ大変。手を出すたびに喜んで、ゴロンと寝返り。こうなったら諦めるしかない。その仕草の可愛さ。ネコという動物は可愛がられるために、神様がこの世に送り込んだに違いないと思う。その他に何か役に立ちますか?ネコの手といえば役立たずのこと。私はネコの看護婦としてこき使われ、高い医療費払わされ、もう拾うまいと思いながら、病気のネコを見つけてしまう。困った困った。

2010年8月30日月曜日

なつめは又美にゃんになりました。

右頬が腫れ上がったなっちゃん。抗生物質投与だけでは治らず、結局切開して出た膿は太い注射器3本分。皮膚に穴を開けて、そこに薬を注入する。顔の半分位の膿のかたまりがあったのに、食欲も衰えず元気な様子。特に生命力が強く人懐こい性格で、獣医さんにまでなついてしまう。明るい二ャン生が送れて得ですね。

2010年8月29日日曜日

24時間テレビ続き

朝、今日の仕事の雰囲気は?と日テレを見た。生まれつきや病気などで障害の残ってしまった人たち。それを支える家族、友人、恋人などが次々と現れる。チャリティーを目的とする番組だから仕方がないが、朝から涙を流してしまった。目に見える障害はわかるけれど、外目にはわからない障害者もいることを、考えないといけない。世界一自殺の多い国としては、むしろ、内的な障害が見過ごされているのかもしれない。同じ仕事のチェリストが迎に来てくれて、武道館へ。昨日の朝とはうって変わって、人の長い列が会場を取り巻いている。暑いさなか大変だろうに、制服の警備員が誘導している。ご苦労様。楽屋は沢山の人で溢れ、絶えず動き回っている中で、のんびりしているのは私達だけ。出番までの時間をコーヒーを飲んだり、スマートフォンいじりで過ごしている。非常に展開の激しい生番組だけに、ステージに上がれば油断も隙もない。急に曲順が変わったり、曲のサイズや時には調子も変わるから、集中しないと置いてきぼりをくうことになる。今年のマラソンランナーのはるな愛の画像が時々ながれるが、今朝までは可愛いい女の子だったのに、化粧が剥げて苦し気な表情をすると、それは男の顔。いつものキャピキャピした態度が創り上げたものなのが、良くわかる。気の毒だけど、やっぱりアナタは男なのよ。キリッとした、誠実そうな青年の顔がそこにあって、なんだこのほうが素敵じゃない。でも、本人にはその言葉は残酷なのだろうか。

2010年8月28日土曜日

24時間テレビ

朝8時過ぎ、武道館へ。今日も暑い。いったい今年はいつまで暑いのか。武道館はまだ人が少ない。中へはいるとスタッフもまだのんびりした顔をしている。いつもの道場が控え室になっている。青いシートが床に敷き詰められているけれど、その下は畳だから、ブヨブヨした感触がする。いつもの黄色いTシャツが配られたが、私の分がない。Sサイズがほしいと言っておいたのに。結局Mサイズをもらうと、ミニワンピースになるのじゃないかとからかわれた。まあ、大は小を兼ねるから、入らないよりはいいか。リハーサルが始まると人気のあるグループなどが来ている。でも、お客さんがいないから静かなもので、これが本番となると大変、何事がおきたかとおもう騒ぎとなる。演奏する場所はステージにギチギチにセットされていて、ほとんど腕が伸ばせない状態。見てくれ重視だから、演奏する立場は往々にして無視される。去年はビッグサイトだったから、もう少しはマシだった。まあ、仕方ないか。楽しくリハを終えてお弁当食べて今日はお仕舞い。またあしたね。

2010年8月27日金曜日

ヴァイオリンを弾く耳鼻科医

歯の治療が終わってもまだ痛いので、もう一度歯科医へ行った。歯自体に問題はなく、レントゲンを見ると右頬に白い影が見えるので、耳鼻科で見てもらったらと言われた。鼻の炎症がある場合、歯が痛む事があるという。そこは、メディカルプレース、一軒の建物に専門医が何軒かはいっている。大変便利なことに、すぐとなりが耳鼻科なので、そちらにすぐ回ってみた。陽気な先生が待ち構えていた。私が腕にしていたダイバーズウオッチを目ざとく見つけ、おや、若々しい時計じゃないの。あれっ、ダイバー用だね。私も潜っていたんですよ、どんどん話が発展していく。そのうち手相を見始めて、これがよくあたるので、ビックリ。30歳までは苦労したでしょう。 そうね、勉強が大変だった。 なんの? ヴァイオリン、と言ったらなんと、カーテンの奥からヴァイオリンが出てきた。ちょっと弾いてみて、というから、バッハの無伴奏のさわりとかチャルダッシュのさわりとかを弾いた。診察室でヴァイオリンを弾くのは初めてだけど、他にお客さんもいないので、遠慮無く大きな音をださせてもらった。お医者さんで楽器を弾く人は沢山いて、名器を持っている。私たちより断然お金持ちだから、すごい楽器をもっている人も多い。ヴァイオリン弾きにならず、医者や弁護士になれば楽器は買えるけど、ずーっと楽器を弾いているわけにはいかない。そのへんがジレンマ。

幽体離脱

先日暑さも峠を越したと書いたけれど、まだまだ一向に涼しくならない。それで、あるとても暑い夏の出来事を思い出した。昭和天皇が御隠れになる前後だったと思う。やはり耐え難く暑い夏があって、私はヴィオラの新作の演奏を頼まれていた。無伴奏の超難曲でヴァイオリンが専門の私は譜読みに苦労していた。毎日2時間ヴィオラを練習、もちろんヴァイオリンも練習しなければならないから、その夏は暑さにもかかわらず、長時間の練習を強いられた。その頃ヨガを習っていて瞑想のコースにも参加していた。疲れきっていたけれど、瞑想をしてリフレッシュすると、元気がわいてきた。その日も大変暑い日で、練習に疲れ瞑想状態に入ると、閉まっているはずのドアが開いていて、外の窓から光がさしている。それでドアを閉めなくてはと思って立ち上がり、しめに行ったのは私の本体ではなかった。というおはなし。瞑想状態に入るといろいろな現象が起こる。この世のものでないような美しい青い光が、差し込んで来たり、明るい大きな孔が天空にあって、そこからまばゆい光がさしたり、一種の臨死体験みたいな状態になるようだ。初めの頃、自分の姿が光の中に収まって、宙に浮いてるのを見た。このごろすっかりご無沙汰で、そんな素晴らしい体験もとんと味わっていない。人間の脳をある状態にもっていくと、いわゆる「悟り」状態になるみたい。でも、初めて瞑想で素晴らしい体験をしたとき、これは演奏がうまくいっている時の状態と同じだと思った。楽器を弾くのも修行のうちだとしても、修行と違って決して苦しくはない。人の脳の不思議さは限りない。

2010年8月25日水曜日

ラサへの旅

今日やっとラサへの旅行が決まった。来月27日出発する。中国の旅行社で手配、ガイド一人と私一人の旅。名前は別那さん。日本から上海経由で西安に飛んで、空港へ迎えが来ることになったが、中国の国内線は初めて乗るので、乗換はすったもんだするのでしょうね。不安いっぱい、嬉しさもいっぱい。IS01の翻訳機能が、うまく働いてくれるといいけれど。憧れの九寨溝、黄龍、ヤムドュク湖等々。そして、ジャーン・・・青蔵鉄道。乗ってきます。年齢から言ってもこれが秘境を旅する最後(?)になるかも知れない。とかなんとか言って、又行くかも。  子供の時は、電車に乗るのも緊張するような、内気な子でした。それがどうしたことか、大人になったら、跳び回っているようになってしまった。でも、うちでジッとしているのも嫌いじゃない。一人で本を読んだり、パソコンいじったり、何日も人としゃべらなくても平気。もちろん、おしゃべり大好きだけど。どちらが本当の自分かと聞かれたら、たぶん、家にこもっている方と答えるでしょう。でも、この旅行だけはどうしても実現したかったので、ようやく決まってホッとしている。来年こそおとなしくしていよう。だから、今年は大目に見てください。みなさん。ん?誰も引き止めてなんかくれないのね。どこへでも行ってしまえなんて、冷たいわね、世間は。

2010年8月23日月曜日

思い込み

歯科医に出かけた。朝からずっと冷やしていたのに、昼ごはんを食べるとなお痛くなって、もう限界と思ったが、出る前にヴァイオリンの練習。すると、弾いているときは痛くない。というか、忘れている。痛みが治まったので、もう行かなくてもいいかと思うくらい。ところが、やめてしばらくすると痛い。ものすごく。顔が歪むかと思うくらいに。自転車を引っ張り出して、カンカン照りの道に飛び出した。とても自転車が好きなので、漕いでいるあいだは痛くない。暑さも峠を超えて、風が気持ち良い。今日は初めて行く歯科医。今まであまりにも遠い医院に通っていたので、通いきれなくなってきた。そこで近くを物色してみると新しくて、診療時間がきちんとしていそうなところを見つけた。とりあえずそこに行ってみることにした。結局以前治療した詰め物が取れて、神経を刺激しているだけだから、もう一度詰めれば大丈夫らしい。あの痛みから、かなり大変な治療になるとおもっていたので、一安心。いつも治療台の上では緊張するが、治療は滞りなく済んで痛みは消えた。会計を待っていると、急に激しい痛みが襲ってきた。今までで一番激しい痛み。頬の骨まで痛い。頭も痛い。それですぐ先生に訴えて、痛み止めを出してもらうことになった。薬が出るまでも、ものすごく痛い。耐えられずその場で、会計もすんでいない薬包をベリベリ破いて、お水をもらって飲んだ。ところが、まだ胃にも到達していないのに、あら不思議。痛みが突然なくなった。オイオイまだ効くのは早いぞ、と言ってももう効いちゃったもんね。あっという間に痛みは去った。それっきり痛くない。なんなのさ、これって。

歯が痛い。

うちの猫ナツメが具合悪くなってから、ちょうど同じ右側の歯が、急に痛み出した。考えてみると、歯の痛みを初めて体験した。子供の頃から、全く歯医者しらずで35歳まで過ごした。初めて虫歯で歯科医に行ったときは、恐怖で縮こまった。その虫歯もなんでなったかというと、その頃ひどい気管支炎になって、咳がひどくて眠れない。それで何日か続けてのど飴を舐めながら寝たら、てきめんに虫歯になった。歯が黒ずんできたなとおもったので、歯医者に行って削ってもらった。その時はほんの少し黒くなっただけなので、痛みもせずにそれからウン十年。歯石などのケアはこまめにやっているので、歯は大丈夫と思っていたら、なっちゃんと一緒に痛み始めた。やはり、親子(?)は似てくるのか。最近知覚過敏が出てきたので、そろそろ治療にと思っていたらこの痛み。昨夜は痛さのあまり、よく寝付けなかった。冷蔵庫から保冷剤を取り出し、タオルに巻いて頬に当てると、痛みが和らぐ。ところが、車を運転したり、パソコンに夢中になっていると、歯の痛みを感じ無い。不思議なものです。なっちゃんはかかりつけのお医者さんの所で、私の迎えを待っているにちがいない。けっこう人懐こいので、獣医さんに甘えているかもしれない。ネコと飼い主がそろって右頬を腫らしてウンウン言っている。今年の夏の暑さのせいかにゃ?初めて体験した歯の痛み。けっこう、大変なものですね。

2010年8月22日日曜日

なつめ、大嫌いなお医者さんへ

この可哀想な顔を見てください。うちの箱入り娘のなっちゃん。右の頬が異常に膨らんでいます。もともと野良猫だったなっちゃんは鼻炎持ち。お医者さんを渡り歩いて診てもらったけれど、どこでも鼻炎が治らず、いつも鼻をグズグズ言わせていた。2,3日前から頬が腫れ始め心配していたのに、忙しくて昼間お医者さんに連れて行けなくて、とうとう夜間の動物病院に行くことにした。川崎市の獣医師が集まって、夜間の診療をしてくれるところが出来て、助かっている。以前は近くの動物救急センターに行っていたけれど、恐ろしく診療代が高いので大変だった。レントゲン血液検査、点滴で6万、7万円はすぐに飛んで行く。、それでも仕方なく払っていた。でも、この夜間診療所は半分から3分の1くらいで診てもらえる。うちの猫たちはノラの行き倒れを拾ってくるので、みんな病気持ち。忙しい時や土日に、タイミングよく(?)具合悪くなってくれる。獣医さんはおやすみ、仕事は忙しい、となって泣きたくなる。かかりつけの獣医さんにここを教えていただいて、最近は安心できるようになった。ネコでもそうなのに、人の子ならもっと大変。小児科はすくないし、夜間の救急病院もたらい回しにされて、お子さんのいるお母さんたちはさぞ、大変な思いをしていることでしょう。子供手当てなんてもらうより、保育園、小児科など充実のほうが先では」ないのかと思う。

2010年8月20日金曜日

中国からのファックス

ついに返事が届いた。結局2通出したEメールはどうなったのか分からないが、ファックスの方には早速返事と電話を頂いた。担当者は今フランスに出張だというので、多少たどたどしいけれど、ちゃんと日本語が話せる人が出てきて対応してくれた。いよいよとっかかりが出来て旅への期待は膨らむ。ただ、一人で行きたいという超ワガママな希望が叶えられるかどうか、費用がものすごくかかるのではないかと、ドキドキしている。一人のいいところは、体調や気分でアレンジしてもらえるところ。ツアーだと盛り沢山な上人任せとあって、案外帰ってきてから記憶に残っていない。一人なら疲れたら早めにホテルに帰ることも出来る。食事もすき放題。現地の変な物もたぶんたべられる。ツアーで行くと安全重視で、外で食べさせてもらえない事が多い。多少お腹をこわしても、食べたいと思ったものを食べたい。街の裏側を見てみたい。現地の人の行く、お店や食堂に行ってみたい。
特に高山病になる危険があるので、高地順応はしっかりとやらないと、歳も歳だから危ない。その辺もマイペースでできそうなので、一人がいい。旅行の日程は決まっていないのに、このブログに投稿の準備はバッチリ。携帯、デジカメ、IS01それらの充電器。勢ぞろいして武者震いしている。あとは本人がどれだけそれを使いこなせるかにかかっていて、それが一番心もとない。

2010年8月19日木曜日

中山朋子先生

中山先生は私がオーケストラにはいってから師事した先生。大柄で親分肌。生徒をとても可愛がってくださった。でも、とても物事をはっきり言われるので、敵も多いとご本人の言葉。私は非常に小型で、身長は145センチあるか、ないか。先生はいつもずば抜けて大きい。セントバーナードとチワワ位違いそう。スケールが大きくて、先生の門下からは、優秀な生徒が飛び立って行った。面倒見が良いので、私生活の相談までひきうけていらしたようだ。私は大人になってから師事したので、生意気な口をきいてはよく叱られたけれど、私には言いたいことを言わせて、楽しんでいらしたようだ。先生の上着がハンガーに掛かっていたので着てみると、丈は膝くらいまであるし、肩は肘の半分くらいまで落ちるし、おもしろがってそれを着て、歩きまわったり、いたずらし放題だったのに、いつも大笑して見ていてくださった。その先生のお誕生会が今日。まだまだお元気で演奏していらっしゃるので、私たちもやめることが出来ないでいる。でも、先生のおかげで、どれだけ沢山勉強させていただいた事か。プロの演奏家になってから、先生の後ろ姿を見て、怠けてはいられないことを痛感。一生勉強。怠け者の落ちこぼれの私でも、先生の前に出ると、頑張ろうという気になるから、不思議。帰り際に「本当にアナタはよく言ってくれるじゃないの」と、背中をどやされた。ああ、懐かしい、昔のままだわ。

2010年8月18日水曜日

難航するラサ行

昨日中国へファックスを送った。まだ、返事は来ない。今は中国時間の7時台、返事がくるのは今日中なら御の字ですね。もしそれでも返事がなければ、中国語で書いたファックスを送るつもりでいる。私が中国語が出来るワケはないので、パソコンのの翻訳機を使ってみた。調査の達人が翻訳機サイトを教えて下さって、使ってみるとこれは便利。翻訳したものを丹念に写しとって、万一に備えている。早く送ってみたい気がするけれど、これを送って、中国語が出来ると思われても困るので、一応私は中国語が出来ない、と断りを入れる。今電話のベルがなったので、スワッと飛びついた。でも、明日の昼食会のお知らせ。いつになったら連絡がとれるのかしら。連絡がとれても、その後どうなるのか・・・不安と好奇心が渦巻いている。ちょっと小淵沢に行くのとはワケが違うから、安全に日本のツアーで行けばいいものを、どうしても物事を面白くしたいという性癖が災の元。好奇心がネコを殺すって云うじゃない。やつれ果てて帰って来られれば儲け物。ウフフ。どうなるのかなあ。ラサで修行してくるのもいい。少しは性格が落ち着くかな?

2010年8月17日火曜日

小淵沢も暑い

今日は長野県側のグリーンエッグへ昼食をたべに行った。車は、ご当地在住のゆきちゃんの運転するアルファロメオに載せてもらう。ゆきちゃんはカフェ・レン(Cafe Len)の美人オーナー。現役のボーカリストでもあるので、お店は原則として土日休日のみ営業している。今回はそのお店の大掃除が目的だったけれど、それは昨日のうちに片付いてしまったので、今日は少しだけ遊んで帰ることにした。真っ赤なアルファロメオは幌を外し、オープンカーにして、颯爽と走る。車高が低いので地面が近い。草原をかき分けて走り抜ける感じが心地よい。 不意に道の傍らに現れる、可愛いレストラン、グリーンエッグ。知る人ぞ知るお店で、今日のようにウイークデイでもお昼時には、続々とお客さんが入ってくる。大きな木の下に設えられたテーブルで昼食。ここは、お菓子も美味しい。デザートはとうもろこしのアイスクリーム。そよ風に撫でられて、しばし、気分よくゆったりと過ごしていたが、実はこのへんでも33度。ビックリ。でも都内では38度を記録したそうで、ウワー帰りたくない。

2010年8月16日月曜日

小淵沢続き

夕方韮崎まで食事にでかけた。ラ、キュイエットというフランス料理のお店。ぶどう畑の中にヨーロッパの田舎風の建物。以前行ったイタリアのトスカーナ地方を彷彿とさせる。料理はコースで野菜の前菜はトマトのシャーベット、スープは桃のスープ、ほのかに甘く絶品、メインはホロホロ鳥、外では花火が打ち上げられている。デザートはクレームブリュレにアイスクリーム、デコレーションは木苺、ブルーベリー、ヘーゼルナッツなど、エスプレッソで〆め。大満足。あちら方面にいらした節は、お立ち寄りをお勧めします。今日も1日良い日でした。

小淵沢に

今朝中央高速に乗って快適なドライブ。お盆休みが終わって、すっかり渋滞も解消、今日は小淵沢にある友人のお店の大掃除。でも、私はネコの手なので、役にはたたないとおもう。小淵沢ICに着くとまずは八ヶ岳ロングライディングに顔を出して、馬をナデナデして、掃除の会場に到着。3人の美女と15才の中学生、それにお掃除好きのオジサン一人。はじめは私はネコの手と言っていたけど、段々面白くなってきてつい働いてしまった。でも、やりつけないことなので、すぐバテてあとはお昼ご飯をご馳走になったり、コーヒー飲んだり、何をしに来たの。その内ロングライディングのオーナーの高鳥さんがお迎えに来てくださって、少年と私が馬上に。去年までは疲れはてて馬を御することもできなくなっていた。でも、この頃は楽しているので、リラックスして乗っていられる。一度やめたけれど、もう一度乗馬始めようかな。

2010年8月14日土曜日

くにたち

国立と書いてくにたち。
国分寺と立川の間に出来た駅だから。国立音楽大学は以前は、本当に国立にありました。今は玉川上水に引越してしまった。私は国立に校舎があった頃の学生。駅前からまっすぐに一橋大学に向けて、通りが伸びている。両脇に並木のある、美しい道。お店もオシャレ。美味しいお菓子やさんが沢山あって、ほかの街には無いゆったりとした雰囲気。それはそのまま、かつての国立音大の雰囲気だった。国立ボケと揶揄されながら、あたたかく伸びやかな校風は、明るく仲の良い学生を育てていた。音大は競争社会の先端。友人といえどもライバルという他校に比べ、助け合っていこうね、というのんびり屋さんが多かった。そのために、世間に出ると、芸大や桐朋に一歩先んじられてしまう感が否めない。でも、私はこの学校で本当によかった。学長だった故有馬大五郎先生は哲学者。体も心も大きな方で、生徒を見つけると、長い両腕に左右一人ずつ、肩を抱き寄せてくださった。親鳥が子鳥をかばうように。そして、何よりも自由を重んじられた。今日はその懐かしい国立での同窓コンサート。毎年8月14日と決まっている。ずーっと先輩からずーっと後輩まで集まって、各自自分の好きな曲を弾く。終わると打ち上げ会場でも、延々とアンサンブルを楽しむ。気分は皆同級生。いいなあ、くにたちは。

2010年8月13日金曜日

中国へ電話する。

旅行のためのメールを再度だしても返事が来ない。しびれを切らして電話をすることにした。観光会社のホームページには日本語オーケーの記載。で、つながってみると、まずニイハオ。ここまではよかった。でも、全く日本語は通じない。それならばと、拙い英語に切り替えて話してみるが・・・それが全く通じない。いつまでも、ニイハオ又ニイハオ。一日ニイハオを言ってもらちがあかないから、リーベン、ジャパニーズ、など、私が日本人であることをアピール。でも、そのうちワケが分からなくなった相手にガチャンと切られてしまった。ああ、どうしよう。旅行の為にカメラも電池を4個用意。向こうからnekotamaに投稿しようと買ったスマートフォン。携帯などの電池も4個用意。ブログの用意はバッチリ。肝心の旅行の計画が出来ていない。日程も決まっていない。これも最初に、とても良い中国人ガイドさんを紹介して下さった方からの手紙を私が紛失したせいです。身から出たサビ,なんだってこんな大切な物をなくすのだろうか。いつも肝心な時に必要なものが無いのは、私の悪習。どうしてこんなにドジなの。泣きたくなってきた。幻の九寨溝、待っててね。

2010年8月12日木曜日

24時間テレビ

今年も恒例の日テレの24時間テレビ。もうリハーサルは着々と進んでいて,今日は本番用の音合わせと,録音。スタジオの駐車場の入り口に守衛さんがいたので「24時間テレビの音合わせです」と言って車を入れようとすると、「24時間テレビはここではやっていませんよ」と云う。一瞬血の気がなくなった。しまった、場所をまちがえたか。でも、たしかここと言ってきているはず。あわててメールの着信記録を見ると、確かに場所はここ。ほら、と見せると「失礼しました。聞いていなかったので」と云う。私たちは遅刻や場所を間違えるのは命取りとなる。ほんとにたのむからー、ビックリさせないで。この番組も始まって以来ずーっとやっている。途中こちらの都合で出来ない時期が続いたけれど、ブランクがあっても又声をかけていただいて復活。現場にいると、とても楽しい。お仕着せのTシャツを来て、気分まで若やいでくる。仕事場はいつでも、心が浮き立つ。テレビ、ステージ、スタジオと雰囲気はそれぞれ違うが、私はステージが大好き。お客さんが多ければ多いほどやる気がでてくる、生まれながらのお調子者なんです。テレビも時間に追われる緊張感、裏方さんの一生懸命な仕事ぶりを見るのが好き。例えば、紅白歌合戦、大道具さんたちの懸命な仕事ぶりには、ジーンときます。舞台転換の時間が数十秒しかなくて、リハーサルで一度も間に合わなかったのに、本番で見事に決めたときは、弦楽器サイドから大きな拍手が沸いて、大道具さん達も満足気。よくあれでケガをしないものだと思うほどの、激しい仕事です。みなさんがお茶の間で楽しんでいる裏で、どれだけの人たちが汗をながしていることか、少し知って頂きたいと思います。最近はあまりにも装置が大きくなりすぎて、弦楽器の居場所がなくなり、別のスタジオから音だけ送る、臨場感がうすれて、さびしくなってしまったけれど。